2014年11月30日

『佐太郎秀歌私見』のつづき

これは弟子が師について書く時の難しさだと思うのだが、この本にも少し佐太郎を賛美し過ぎのところがある。例えば、佐太郎の歌について述べている中で「天賦の才というべきである」「生来の感性というべきものであろう」「その天分は、天から授かったもの」などと書いては、結局何も言っていないのと同じことになってしまう。

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音 『帰潮』

この歌について、尾崎は次のように書く。

一首目では、貨車が連結器で繋がれた時の、一種の鉄の響きのような短い音響を捉えているのだが、「連結」の語を重ねて使い、その音がどうだとか、自分がどう思ったかなどのことは、一切言わないのである。同じ語をくり返して使うことの難しさは、短詩型の技術を知る者にとっては自明のことだが、その上、「つぎつぎに伝はりてゆく」と平易に言っていながら、その重量のある音響が一瞬ではなく、ある幅を持って伝わってくるのを、如実に感じさせる。見事な技術である。

「連結」という語の繰り返しにこの歌の特徴があるのは確かだろう。「見事な技術」というのも同感である。でも、技術について言うならば、一番肝腎なのは助詞の使い方ではないだろうか。

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音
連結を終りし貨車につぎつぎと伝はりてゆく連結の音 (改作)

試みに助詞を2つ変えて改作を施してみた。このように改作すると、非常にわかりやすく、そしてつまらない歌になる。それだけ、助詞の力が大きいということだ。

本来「貨車は・・・連結の音」という言葉運びには、ねじれがある。読んだ時に違和感が残る。けれども、それがこの歌の味わいを生んでいるわけだ。このねじれに言及しないことには、この歌の技術を解説したことにならないと思うのだが、どうだろうか。

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2014年11月29日

尾崎左永子著 『佐太郎秀歌私見』

KADOKAWA/角川学芸出版
発売日 : 2014-10-24

佐藤佐太郎に師事した著者が、佐太郎の歌や言葉について解説した本。「星座―歌とことば」「星座α」に連載された文章が元になっている。巻末には「佐太郎秀歌百首」を収録。

佐藤佐太郎の開拓してきた「純粋短歌」の精神と、そしてその作歌の「技術」を、後代に継いで行くべき義務がある、それは今である、と思っている。

と記す著者の思いが強く伝わってくる内容だ。
印象に残るのは、やはり佐太郎の言葉である。

「短歌とは、技術だよ、君」とは、佐藤先生に直接、また度々聴かされたことばである。
心理の表現には具体は要らない。また、「事実」と「真実」は異う。佐太郎からしばしば言われたことばである。
「真の新しさは見られる対象(素材)にあるのではなく、見る主体にある」
「主観語がなくても、またどういう形であっても、詠嘆はこもり得る、詠嘆とは作者のいぶきである」

こうした短歌に関する箴言は、佐太郎の得意技と言っていい。

他にも、昭和20年9月に佐太郎が上京した際の仮住所が「杉並区阿佐ヶ谷六ノ一八四 川村シゲジ方」であったことなど、年譜にない事実も記されており、佐太郎研究の貴重な資料となりそうだ。

2014年10月25日、KADOKAWA、2200円。

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2014年11月28日

「短歌人」2014年12月号

夏季集会における坪内稔典さんの講演「短歌的と俳句的」が掲載されている。その中にある次の部分に注目した。

例えば、〈たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ〉というのがありまして、これなんか、あちこちでよく引かれたりします。「たんぽぽのぽぽ」という言い方は、江戸時代の俳句にもしょっちゅう出て来る言い方で、(…)ある意味で、「たんぽぽのぽぽ」までは、今までの表現そのまま。ぼくがしたのは何かといえば、最後の「火事ですよ」と言っただけなんです。

この俳句については、河野裕子の「たんぽぽのぽぽのあたりをそっと撫で入り日は小さきひかりを収(しま)ふ」(『歳月』)の本歌取りだと思っていたので、「江戸時代の俳句にしょっちゅう出て来る言い方」というのに驚いた。

肝腎のその江戸時代の俳句というのが挙げられていないので、はっきりわからないのだが、「たんぽぽのぽぽのあたり」という言い方もあるのだろうか。少し調べてみたい話である。

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2014年11月26日

石橋美術館

もう15年も前のことになるが、久留米に旅行したことがある。特に目的があったわけではなく、何となく観光で訪れたのだ。その時に市の名所でもある石橋美術館にも行った。

館内に入って驚いたのは、青木繁の「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」など、教科書に載っている名画が展示されていたことである。青木が久留米の出身であることはその時に初めて知った。

今朝の朝日新聞の文化欄に「福岡・久留米の石橋美術館 作品を東京に移管」という記事が載っている。石橋美術館の千点近い収蔵品の全てを2016年に東京のブリジストン美術館へ移すとのこと。

これまで久留米市から運営を受託してきた石橋財団が、年間約1億7000万円の赤字負担もあって、運営から手を引くことになったらしい。美術館が久留米市で「空気のような存在になっている」とのコメントもあり、宣伝や集客がうまく行っていないのだろう。

やむを得ないこととは言え、残念である。こうしてますます東京一極集中が進んで行ってしまうのだ。

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2014年11月25日

齋藤芳生歌集 『湖水の南』

第2歌集。
2010年から2014年にかけての作品386首を収める。

製本屋は本を、製本屋の妻は睡蓮の大輪を咲かせる
夕暮れのホンシュウジカは細く啼きひとを呼ぶなり秋の図鑑に
いざべら、というひとが来る坂道を私は隠れて見ていた子ども
圧縮ファイルひらいたように春来たり木々の芽はさらに木々の芽を呼び
桃の花散るように我を忘れゆく祖母なれど桃の花をよろこぶ
ひとたびの雨にてかくもすさまじく草は満つ 我も砂漠であった
おおちちのものさしをもてよれよれになりしこころをぴしりと叩く
祖父よ眼を閉じてもよいか烈風に煽られて針のように雪来る
パーテーションごしに聞きおり来月よりチームのなくなる人が鼻かむ
ブルーシートの中蒸れている除染土の中蒸れている種子もあらんよ

巻頭に「祖父たちへ。祖母たちへ。」という献辞がある。
東日本大震災後のふるさと福島に寄せる思いが数多く詠まれている一冊。
編集プロダクションでの仕事の歌にも印象的なものが多い。

2首目は本物の鹿かと思って読むと、実際は図鑑の中の鹿であるという面白さ。
3首目は連作「いざべら」7首より。イザベラ・バードが見た東北の子どもたちの姿に自分を重ね合わせている。
4首目は初二句の比喩が現代的だ。
7首目、「叩く」だけを感じにした表記が効果的。真っ直ぐな、存在感のある竹のものさし。
8首目、猪苗代湖の南岸の集落で一生を終えた祖父。「針のように雪来る」に冬の厳しい風土性が滲む。
10首目は原発事故後の福島の苦難と再生への思いが感じられる。

2014年9月1日、本阿弥書店、2800円。

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2014年11月24日

現代歌人集会秋季大会

12月7日に京都で現代歌人集会の秋季大会が開催されます。
皆さん、どうぞご参加下さい。

日時 平成26年12月7日(日) 午後1時開会(開場12時)
場所 アークホテル京都(TEL075−812−1111)

司会 松村正直理事

プログラム
 基調講演 大辻隆弘理事長

 公開インタビュー「桜は本当に美しいのか」
  ゲスト 水原紫苑氏
  聞き手 林和清副理事長

 第40回現代歌人集会賞授与式
  ・『青昏抄』楠誓英氏
  ・『日時計』沙羅みなみ氏
  選考経過報告 真中朋久理事

 総会 午後3時45分〜
  事業報告 永田淳理事
  会計報告 前田康子理事
  新入会員承認 島田幸典理事
  閉会の辞 中津昌子理事

 懇親会 午後4時30分〜6時30分
  (11月30日までにお申込み、キャンセル不可)

参加費 講演会1500円、懇親会6000円(当日お支払い下さい)

お申込 〒603-8045 京都市北区上賀茂豊田町40-1 Fax075-705-2839
    E-mail : seijisya@osk3.3web.ne.jp 永田淳まで

詳しくは→現代歌人集会秋季大会チラシ

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2014年11月23日

長寿寺

昨日は湖南市立甲西図書館にて講演会「河野裕子と歌」を行った。
河野さんの歌を20首ほど取り上げて話をした。

その後、電車の時刻まで間があったので、図書館の方に湖南三山の1つ長寿寺に案内していただく。紅葉が素晴らしかった。

  P1040308.JPG

国宝の本堂の落ち着いた佇まいもいい。
本尊の子安地蔵尊は秘仏で50年に一度のご開帳とのこと。2年前にご開帳があったので、残念ながら生きている間に見ることはないだろう。

本堂には他にも阿弥陀如来坐像や釈迦如来坐像がある。別の建物には大きな丈六阿弥陀如来坐像があり、どれも素晴らしかった。

機会を見つけて、湖南三山の残り2つ、常楽寺と善水寺も訪れてみたい。

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2014年11月22日

岡井隆歌集 『銀色の馬の鬣(たてがみ)』

青春が中年へリエゾンするあたりどんな蝶々が訪れてもいい
わが妻を時に見つめて歩みをり梅雨の晴間のかろき坂道
タクシーで越える軽便鉄道の枕木むかしは歩いたんだが
尖るとはやがてゆつくりと鈍(なま)るものしんしんと人を憎しむときも
たくさんの花の中から選ぶのだ時に葉みたいな花もまじるさ
戦時下の名古屋はいやに生(な)ま生ましくよみがへるのに 淡きは今日だ
暑苦しき白南風(しらはえ)のなかFAXを遣りかへりくるFAXを待つ
新年へ向かふ時間を細分して此処へ来てゐる絵をみるために
音(おと)だけの言葉つて無い。金色(こんじき)の輝きだけの葉がないやうに
わが病(やまひ)やうやく癒えて、などといふ常套句もて祝ふべからず

2012年7月から2014年8月までの作品349首を収めた第31歌集(第32作品集)。

文語・口語をまじえた自在な詠みぶりや、どんな素材でも歌にしてしまう修辞の力は健在である。この歌集では、そこに老いの寂しさや回想の懐かしさも加わって、独特な味わいを醸し出している。

1首目は「リエゾン」が面白い。青春がはっきり終わらないうちに中年が始まっている。
2首目は「時に」がいい。そこに深い愛情を感じる。
4首目は、結句まで来て初めて心の話であることがわかる。その語順がうまい。
5首目は「新百人一首(文藝春秋)に寄す」という一連にある歌。でも、単独でも十分に味わえる歌だと思う。
7首目は「FAXを/遣り・かへりくる」の句割れ・句跨りが効果的。「FAXを遣り/FAXを待つ」ではダメなのだ。
9首目、言葉は常に意味を伴ってしまう。〈調べ〉だけの短歌というものも、やはり無いのだろう。

歌集のあとがきに岡井は

ただ、わたし自身としては、世に問ふといつた気概はもう衰へてしまつてゐる。ごく個人的な興味にそそられて編んだ私家集といつた感じだ。

と記している。もちろん韜晦を含んだ言い方でそのまま受け取る必要はないのだが、それでもかつて『鵞卵亭』のあとがきに「もはや青年の心をうごかす文学は成就しがたく、ありていに言って数人の友人知己に見せるだけの私歌集なのだ」と書いた頃とは違って、ある程度、本音なのではないかという気がする。

その間には40年という歳月が流れたわけだ。

2014年11月19日、砂子屋書房、3000円。

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2014年11月21日

特別展「日本パノラマ大図鑑」

宇治市歴史資料館で開催されている特別展。
「初三郎式鳥瞰図「誕生」100年」と銘打った企画である。

大正から昭和にかけて流行したパノラマ地図の第一人者で「大正の広重」とも呼ばれた吉田初三郎(1884−1955)。彼が京都出身で、お墓が京都の山科にあること、その仕事にも京都が大きな関わりを持っていたことを、初めて知った。

初三郎が初めて鳥瞰図を描いたのは、大正2年の「京阪電車御案内」。けれども、洋画家を目指していた初三郎にとって、それは不本意な仕事であった。

ところが、翌大正3年に宇治を訪れるために京阪電車に乗った皇太子(後の昭和天皇)が「綺麗で解り易い」と褒めたことを知り、この言葉に感激して鳥瞰図制作に本格的に取り組むようになったのだそうだ。

会場には数十点に及ぶ初三郎のパノラマ地図のほか、当時の絵葉書やスタンプなどが展示されており、時代の空気がよく伝わってくる。また、江戸時代の名所図会との比較もあり、伝統とのつながりや初三郎の新しさが目で見てわかるようになっている。

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2014年11月20日

橄欖追放

東郷雄二さんがブログ「橄欖追放」(第154回)で、歌集『午前3時を過ぎて』を取り上げてくださいました。ありがとうございます。

http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/tanka/kanran154.html


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2014年11月19日

石井光太著 『地を這う祈り』


2010年に徳間書店より刊行された本の文庫化。

アジア・中東・アフリカなど世界各国の底辺で生きる人々を取材したフォト・ルポルタージュ。登場する国は、インド、ネパール、バングラデシュ、スリランカ、パキスタン、ミャンマー、ラオス、ベトナム、フィリピン、インドネシア、シリア、イエメン、ウガンダ、ルワンダ、エチオピア、コンゴなど。

著者の取材対象は、物乞い、売春婦、路上生活者、薬物中毒者、ストリートチルドレン、元子供兵、ハンセン病患者、障害者など、社会的に差別されている人々や弱者とされる人々である。数多くの写真とともに伝えられるその実態は衝撃的だ。時おり目を背けたくなるほどの悲惨さがあり、一方で逞しさも感じる。

エチオピアのスラムで貯金箱を売る雑貨屋の主人の言葉。

「一ブルだけでもいいんだよ。貯金箱があるだけで嬉しいんだ。いつか、ここにぎっしりお金が貯まることを考えると、やる気が出てくる。うちの息子なんて、毎晩貯金箱を抱えながら眠っているよ」

著者の対象への目の向け方やルポの手法については、常に批判が付きまとう。けれども、この本を読まなければ知らなかった世界や現実があることも確かなわけで、それを伝える力を持った作品であることは間違いない。

私がしたいのは、答えを提示することではなく、物事を考えるきっかけをつくることです。そういう意味でいえば、どんどん批判してほしいと思うし、そこから「では、自分はどうするべきか」ということを考えてほしい。

2014年11月1日、新潮文庫、670円。

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2014年11月18日

高野公彦歌集 『流木』

著者 : 高野公彦
KADOKAWA/角川学芸出版
発売日 : 2014-10-24

第14歌集。
2010年1月から2012年6月までの作品から約570首を収める。

時は我を寒き〈余白〉に連れ出せりかかとの皮が硬くなるなど
ふるさとの夜ぞらに居りし大さそり皇居のふかき夜ぞらに思ふ
この世から徐々に離れてゆく老いよ粥の深みに匙沈みゐて
でんせんの弛(たゆ)み静けしあかときは人生(あ)れやすく、死にやすき刻
モノレールに懸垂型と跨座(こざ)型とありてこの世の味はひ深し
うしろよりいだく両乳(もろち)のやはらかさ想ひしのみに電車に目を閉づ
ひつそりと赤い車が〈言の葉〉を集めて回る春のゆふぐれ
雪ふれる因幡と伯耆しろたへの一つ国原となりて年越ゆ
雲照らふ明治公園 高野氏が生前昼寝せしベンチあり
原発は心肺停止して死なず死ぬためになほ血を流しをり

お酒の歌、言葉をめぐる歌、東日本大震災の歌などに加えて、年齢や老いを意識した歌がだいぶ増えたように思う。

1首目は人生の「余白」という感じだろう。
3首目は上句と下句の取り合わせが絶妙。
5首目、例えば湘南モノレールは懸垂型で、大阪モノレールは跨座型。
6首目のようなほのかな性の歌も、作者の変わらぬ持ち味である。
7首目は郵便収集車の歌。「赤い車」「言の葉」という表現に工夫がある。
9首目は、自分の死後の視点から詠んだ歌。

2014年10月25日、KADOKAWA、2600円。

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2014年11月17日

「現代短歌」2014年12月号

第1回佐藤佐太郎短歌賞が発表されている。
選考委員のコメント、『午前3時を過ぎて』(六花書林)の30首抄、私の受賞の言葉や略歴などが載っているので、どうぞお読みください。

第2回現代短歌社賞(300首)は、森垣岳「遺伝子の舟」が受賞。

両賞の授賞式は、12月3日(水)午後6時より、中野サンプラザにて行われます。会費8000円。参加のお申込みは現代短歌社(TEL 03−5804−7100)、または松村までお知らせ下さい。11月20日締切です。


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2014年11月16日

石井光太著 『ニッポン異国紀行』


副題は「在日外国人のカネ・性愛・死」。
NHK出版WEBマガジンにて2010年8月から2011年5月まで連載されたものが元になっている。

日本で暮らす外国人が、何をして働き、何を信じ、病気になった場合どうして、死んだらどうなるのか。「外国人はこう葬られる」「性愛にみるグローバル化」「異人たちの小さな祈り」「肌の色の違う患者たち」という4つの章で、その実態に迫っている。

現在日本で死亡した外国人が祖国へ搬送される際は、葬儀社に所属するエンバーマーが腐敗防止処置を施す。

といった専門的な話から、

何も知らないパキスタン人やネパール人が「インド本場の味」をつくっているのが多いというのが現状なのだ。

といった小ネタに到るまで、知らなかった話がほとんどである。

著者は貧困や差別など、社会の周縁に生きる人々やマイノリティーを描き続けてきたノンフィクション作家。最初は自分が多数派の「普通の日本人」に属していることに安心して読み始めるのだが、やがて自分もそのような少数派であったかもしれない、あるいは、いつか自分もそうなるかもしれないという思いを抱くようになる。

ノンフィクションの力を感じさせる一冊。

2012年1月10日、NHK出版新書、860円。

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2014年11月15日

クロストーク短歌「虚構の楽しさ、虚構の怖さ」

吉川宏志さんが毎回ゲストを招いて、短歌について対談するクロストーク短歌。
その第4回で「短歌の虚構」について、吉川さんと話をします。

日時 12月6日(土)午後2時〜5時 (受付1時30分〜)
場所 なんば市民学習センター(TEL06-6643-7010)
    【地下鉄】御堂筋線・四つ橋線・千日前線「なんば」駅下車
    【JR】「JR難波」駅上

当日会費 2500円
     (11月30日までに入金された場合 2,000円)

申込方法 メールでお申し込みください。
      宛先 cby21310@@gmail.com まで(@を1つ取ってください)
      件名「クロストーク短歌の申込」とし、本文に@お名前 A連絡できる
      電話番号 を送信してください。折り返し、受付メールを送ります。
      (定員になり次第、締切となります)

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2014年11月14日

芥川仁・阿部直美著 『里の時間』


季刊新聞「リトルヘブン」(山田養蜂場発行)2007年秋号から2012年初夏号に掲載された記事・写真を再編集したもの。

全国各地の里を訪ねて、四季おりおりの風景や人々の暮らしの様子、その土地ならではの料理などを紹介している。カラー写真が多いので、見ているだけでも楽しい。

登場するのは、「福島県大沼郡会津美里町」「島根県仁多郡奥出雲町」「熊本県上益城郡山都町」「秋田県仙北郡美郷町」など、全20か所。

自分は都会にしか暮らせないと思いつつも、最近こういう農村での生活に憧れる気持ちが強くなっている。

2014年10月21日、岩波新書、980円。

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2014年11月13日

遠交近攻

いくつもの原稿の締切を抱えている時に有効な方法が「遠交近攻」。

「中国、戦国時代に魏の范雎(はんしょ)の唱えた外交政策。遠い国と親しく交際を結んでおいて、近い国々を攻め取る策。秦はこれを採用して他の6国を滅ぼした」(『広辞苑』)

締切に追われると他のことに逃げたくなる。その気持ちを利用して、まず先の締切を片付けてしまう。そうすると気持ちにゆとりが生まれて、目の前の締切にグッと集中できる。これが私の遠交近攻(?)。

例えばA(5日締切)、B(10日締切)、C(15日締切)と三つの原稿が続いている場合、1日から5日までAを書いて、6日から10日までBを書いて・・・とやっていると、ずっと締切に追われ続けていてしんどい。気が休まる時がない。

そこで、先にBやCを片付けてしまうのだ。そして締切まで間があっても提出してしまう。すると、先の予定が明るくなってゆとりが生まれ、Aの原稿も一気に書き上げられるというわけ。

まあ、そうならなかったら終わりだけどね。

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2014年11月12日

『きなげつの魚』の続き

キリンのちひさなあたまのなかにありながらキリマンジャロにうかぶ白雲
ひとに見せなば壊るるこころと知りながらときどきは人にみせては壊す
ぎやくくわうにくもの糸ほそくかがやけどそれら払ひてゆくわれあらぬ
霧のあさ霧をめくればみえてくるものつまらなしスカイツリーも
寒鯉のぢつとゐるその頭(づ)のなかに炎をあげてゐる本能寺
墓石は群れつつもきよりたもちゐてしんしんと雪にうもれてゆくも
ゆくりなく枯野へと鶴まひおりて風景が鶴一羽へちぢむ
足の爪ふかくこごみて切りながら小雨と気づきてゐたり背後は
あはれ蚊のしよぎやうむじやうのひらめきは掌につぶされしかたちとなりぬ
あさきねむりただよひながら淡きわれ醤油のにほひにまじりてめざむ

後半より10首。

1首目、ふるさとの景色を思い出しているのだろうか。「キリン」と「キリマンジャロ」の音が響き合う。
3首目は不思議な歌。私の身体がない。
5首目は「寒鯉」と「炎」のイメージの取り合わせが鮮烈だ。
7首目、下句の型破りな表現が場面を鮮やかに描き出している。
8首目はおそらく視覚や聴覚ではなく、気配で雨を感じているのだろう。
9首目は一瞬にして消えた命の最後の閃き。諸行無常のひらがな書きが効果的だ。

渡辺松男の歌を読む時には、読者も想像力やイメージを最大限に広げて読んでいく必要がある。そうすると、固く狭くなっていた頭がぐんぐん広がっていく感じがして心地良い。

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2014年11月11日

NHK取材班 『北方四島・千島列島紀行』


文/NHK取材班、写真/福田俊司、A・オメリヤネンコ。

1992年8月にNHKは、千島列島と北方四島の取材を行い、NHKスペシャル「初めて見る千島列島」、プライム10「北方領土〜ゆれる島民 国後・択捉からの報告」という番組を放映した。この本は、その取材の様子を描いたもの。

多数のカラー写真も交えて、普段はなかなか様子を知ることのできない土地の姿を描き出している。アトラソフ島、パラムシル島、シュムシュ島、シアシコタン島、ウシシル島、ウルップ島、国後島、択捉島といった島々が登場する。

うっそうと生い茂る雑草のなかに、建物の跡があった。キツネの養殖をしていた小屋の跡である。戦前、農林省は千島列島の島々で品質のよいキツネの毛皮をとるために養殖事業をしていた。

「短歌往来」の11月号、12月号に「斎藤茂吉と養狐場」と題して樺太の養狐場の話を書いたところなので、こういう部分に注目する。

島ごとに飼育されるキツネの種類が違っていた。たとえばウルップ島では、ジュウジギツネとギンギツネ。ハリムコタン島では、ベニギツネといった具合である。ここウシシル島では、アオギツネが飼育されていた。

いろいろな種類の狐を飼育してみて、養殖事業の可能性や適性を調べていたのだろう。

1993年6月24日、日本放送出版協会、1500円。

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2014年11月10日

渡辺松男歌集 『きなげつの魚』


第8歌集。
先月の毎日新聞の「短歌月評」にも取り上げたのだが、傑作である。

渡辺の歌集にはいくつか思い出がある。「塔」1999年11月号の「歌集探訪」で渡辺の第2歌集『泡宇宙の蛙』について書いたのが、私が初めて書いた短歌の文章だった。

その時に、第1歌集『寒気氾濫』も読み、以後、『歩く仏像』『けやき少年』『〈空き部屋〉』『自転車の籠の豚』『蝶』と、歌集が刊行されるたびに読んできた。

途中、渡辺の歌の飛躍の大きさや独特な文体に付いて行けない気がしたこともあったのだが、前歌集『蝶』、そしてこの『きなげつの魚』と、再び強烈な魅力を覚えるようになってきた。

あしあとのなんまん億を解放しなきがらとなりしきみのあなうら
わがいまのすべてはきみの死後なればみる花々にかげひとつなし
千年の牧場(まきば)はたえず牛の雲おりきて牛となりて草はむ
こほりたる枯蓮の沼日のさせば氷のしたを機関車がゆく
円墳にかかりしわづかなるかげの円墳すべておほふ掌となる
タイルの目朝のひかりにうきあがりタイルひとつにわれはをさまる
押上につまやうじ建つと聞きたればつまやうじの影に泣くひとあらめ
いろいろのこゑのなかみづいろのこゑのやがて死ぬ子のちゑのわあそび
死にしゆゑわれより自在なるきみのけふたえまなくつばなとそよぐ
がうがうたる華厳滝をおもへども滝を背負ひてゐる山しづか

とりあえず、前半から10首。

1、2首目は亡くなった妻を詠んだ歌。もうこの世に足跡を残すことのない足。
3首目は悠久の時間の流れや循環する自然というものを感じさせる。
4首目の「機関車」、5首目の「掌」の飛躍の面白さ。時間や空間のスケールが自在に変化していく。
7首目の「つまやうじ」は東京スカイツリーのこと。
8、9首目からは生と死の問題や、命に対する考え方が伝わってくる。

2014年9月25日、角川学芸出版、2600円。

posted by 松村正直 at 04:44| Comment(4) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月09日

現代歌人集会秋季大会

12月7日に京都で現代歌人集会の秋季大会が開催されます。
皆さん、どうぞご参加下さい。

日時 平成26年12月7日(日) 午後1時開会(開場12時)
場所 アークホテル京都(TEL075−812−1111)

司会 松村正直理事

プログラム
 基調講演 大辻隆弘理事長

 公開インタビュー「桜は本当に美しいのか」
  ゲスト 水原紫苑氏
  聞き手 林和清副理事長

 第40回現代歌人集会賞授与式
  ・『青昏抄』楠誓英氏
  ・『日時計』沙羅みなみ氏
  選考経過報告 真中朋久理事

 総会 午後3時45分〜
  事業報告 永田淳理事
  会計報告 前田康子理事
  新入会員承認 島田幸典理事
  閉会の辞 中津昌子理事

 懇親会 午後4時30分〜6時30分
  (11月30日までにお申込み、キャンセル不可)

参加費 講演会1500円、懇親会6000円(当日お支払い下さい)

お申込 〒603-8045 京都市北区上賀茂豊田町40-1 Fax075-705-2839
    E-mail : seijisya@osk3.3web.ne.jp 永田淳まで

詳しくは→ 現代歌人集会秋季大会プログラム14.pdf

posted by 松村正直 at 06:20| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

短歌な一日

昨日は、朝8:30に家を出て、
10:30から芦屋の朝日カルチャーで「はじめての短歌」の講座。

12:30に終了後、急いで芦屋市民会館へ移動して、
13:00から「塔」の芦屋歌会。

参加者は25名と、いつもの部屋が満席の状態だった。
16:30に終って、電車で京都へ。

18:00から現代歌人集会の理事会。
現代歌人集会賞の選考を行う。
20:30に終了。

21:30帰宅。

多くの良い歌を目にして、刺激を受ける一日だった。
でも、これを自分の歌作りに活かしていかないとなあ。

posted by 松村正直 at 05:22| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月07日

映画 「思春期ごっこ」

監督:倉本雷大
出演:未来穂香、青山美郷、川村ゆきえ 他

中学3年生の少女たちの繊細な心の揺れや、すれ違いを描いた青春映画。
教室、廊下、美術室、プールといった場所を舞台に、二度と戻ることのない夏が過ぎて行く。魚喃キリコのマンガ「blue」(映画にもなった)を思い出した。

主演の子(未来穂香)の演技に迫力がある。

立誠シネマ、90分。

posted by 松村正直 at 00:21| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月05日

「八雁」2014年11月号

阿木津英さんの連載「続 欅の木の下で」(8)が心に沁みた。

「牙」の古い会員の方々の思い出を綴った文章で、そこには楽しい思い出もあれば、確執とも言うべき苦い思い出もあるのだが、そうしたすべてが歳月とともに赦されて、今では懐かしく温かな記憶として残っている。

わたしが、歌というものの良さを知ったのは、渡辺民恵さんや井上みつゑさん、そしていま名前の出た幸米二さん、こういった言うならば〈無名の歌人〉たちの、混じりけのないひたすらな歌への情熱が統べていたあの頃の「牙」においてである。

渡辺さんも井上さんも幸さんも、歌壇的に名の知られた歌人ではない。けれども、こうした人々を抜きに「結社」を語ることはできないのだ。そうした視点が、最近の結社を論じる文章には欠けているのではないだろうか。

「牙」出詠の毎月十首のみならず、数十首を石田のもとに持参しては、批評を乞う。出来の良い日もあっただろうが、出来の悪い日には遠慮会釈のない厳しい批評がとぶ。やおら渡辺さんは坐っていた座布団を滑り降り、それを両手で石田比呂志の頭の上に振りかぶって、「くやしぃーーっ」と打ちかかった話など、「牙」伝説の一つである。

いいなあ、と思う。場面がありありと目に浮かぶ。こんな光景が羨ましい。本当に歌が好きで好きで、本当に歌がうまくなりたいからこそ、「悔しい」という感情がほとばしり出るのだ。

総合誌に載っている「八雁」の広告には「地方性と無名性を尊重する」というコピーが付いている。その意味するところが、よくわかる気がした。

posted by 松村正直 at 08:28| Comment(0) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月03日

『半農半Xという生き方 実践編』のつづき

この本には当然のことながら、綾部に関する話もたくさん出てくる。

合気道の創始者である植芝盛平翁(1883−1969)は和歌山県田辺市で生まれ、北海道に渡った後、一九一九年、縁あって、綾部で開教された大本教を訪ねている。出口王仁三郎との出会いもあり、植芝盛平は大本の本宮山麓で「武農一如」の生活を営み、さらに精神的修業を重ねた。

綾部というのは不思議な町だ。「グンゼ」「大本」「合気道」「世界連邦」から「半農半X」まで、何か一本の線でつながっているのを感じる。

グンゼの創業者の波多野鶴吉はクリスチャンで、キリスト教の理念に基づいた社内教育を行っていた。現在でも、「あいさつをする」「はきものをそろえる」「そうじをする」という「三つの躾」が徹底されている。

大本は「万教同根」の教えに基づき、戦前からエスペラントの普及に熱心であったし、戦後は平和運動に力を注いできた。綾部市が日本初の世界連邦平和都市宣言を行った背景には、この大本の力があったに違いない。

人類の究極の理念は「平和」だ。半農半Xの向かうところもおそらく「平和」なのだろう。

「半農半X」と「平和」の間には大きな飛躍があるのだが、綾部に流れる一本の線を思う時、そのつながりには根拠があるような気がしてくるのだ。


posted by 松村正直 at 20:13| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月02日

塩見直紀著 『半農半Xという生き方 実践編』

著者 : 塩見直紀
半農半Xパブリッシング
発売日 : 2012-05-05

2006年にソニー・マガジンズから出た本の新装版。

綾部へ行った時に「あやべ特産館」に寄ったのだが、そこで地元の野菜や手作りパンなどとともにこの本が売られていた。著者が綾部に住む人だったのである。

なぜ、この本に目を止めたのかと言えば、つい先日、環境社会学をやっている兄の書いた文章に「半農半X」という言葉が紹介されていたからである。
http://nora-yokohama.org/satoyama/003/16_4.html

聞いたばかりの言葉にまた出会う。こういう偶然を私は信じるのが好きで、早速買ってみたのであった。

半農半Xとは、持続可能な農ある小さな暮らしをしつつ、天の才(個性や能力、特技)を社会のために活かし、天職(=X)を行う生き方、暮らし方だ。

この本では、こうした「半農半X」に関わる人々や、様々な事例が紹介されている。21世紀の新たな生き方を提案する内容である。

著者はこの「半農半X」をはじめ、新たなコンセプトや構想に言葉を与えること、名前を付けることが得意なようだ。他にも、「favolution」「天職観光」「使命多様性」など、数多くの言葉を生み出している。それは単なる言葉遊びではなく

新しい時代を招来するためには新しいことばがいる。新しいライフスタイルに名前をつける、何かの提唱者になる。これはとっても大事なことのようだ。

という著者の信念に基づくものだ。

自己啓発的な側面もある本なので、好き嫌いは分れるかもしれない。けれども、今後の私たちの生き方を考える上で、大事な内容を含んでいる一冊だと思う。

2012年5月5日、半農半Xパブリッシング、1000円。

posted by 松村正直 at 09:18| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

講演会「河野裕子と歌」

11月22日(土)午後2時〜3時半、滋賀県湖南市立甲西図書館で、「河野裕子と歌」という講演会を行います。

入場は無料。定員70名。
本日より図書館にて受付を開始しました。(TEL 0748−72−5550)

詳しくは、下記のチラシをご覧ください。
http://lib.edu-konan.jp/image/201409kawano.pdf

湖南市立甲西図書館は、JR草津線「甲西駅」より徒歩約15分。
11月23日(日)まで、「歌人河野裕子〜夫(恋人)を歌う〜展」という展示も行っています。


posted by 松村正直 at 19:46| Comment(0) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする