1990年から95年の作品583首を収めた第6歌集。
タイトルの中の「海号」は作者が自転車に付けた名前であり、また地球のことも意味している。
1ページ4首組で193ページ。
けっこうなボリュームであるが、途中で飽きるようなことはなく、むしろ充実感が伝わってくる。とにかく付箋がたくさん付く歌集だ。
靴持たぬゆゑに歩けぬ向日葵はぐんぐん空へのぼるほかなし
言ひよどみ言はざるままに終ること多くなりたる父の微笑よ
母は男と家出でゆきし少年の日がな一日掌を洗ひゐる
愛しつつ棲むふるさとやあやまちてこぼしし蜜の卓上に輝(て)る
放たれし火のいきほひて近づけば嫁菜は嫁菜のことばに叫ぶ
紫陽花の花口にせしをさなごの夜はあぢさゐの子となり睡る
薔薇園に声をかぎりに泣きてゐるをさなごのためしづかなれ世は
遠つひと呼ぶか虚空にもの言へる赤トラクターの上の老人
たましひの脱(ぬ)けてはをらぬ蛇の衣(きぬ)しづかにそよぐ朝日射すまへ
あらし過ぎ三日の後を川上ゆ大青竹の泳ぎ来たりぬ
晩(く)れてゆく日本の秋に息絶えしケニア生れの老いたる麒麟
雛の日をはちじふの母の取り出でて飾りし人形七十五歳なり
宮崎の風土や学校のカウンセラーという仕事に関する歌が多くある。
40代から50代にかけての作者の充実ぶりと人生的な苦みが、どの歌からも感じられる。
1首目は初二句の強引な理由付けが面白い。
2首目は年老いた父の姿。「微笑」が何ともいえず寂しい。
3首目はカウンセラーとして接する少年を詠んだ歌だろう。
6首目は「あぢさゐの子となり」がいい。お伽噺のような味わい。
9首目は脱皮したばかりの抜け殻。身体は抜けても魂がまだ残っている。
11首目は「く」「く」「き」「き」「け」「き」というK音の響きが良い。
12首目はお母さんが5歳の時に買った雛人形なのだろう。人形も年を取るのだ。
1995年9月30日、雁書館、2800円。