副題は「The World in Japanese」。
1967年、17歳の誕生日前日にたどり着いた新宿。
やがて日本語で小説を書くようになる著者が、自らの人生や小説をたどりながら、「日本語による世界」「日本語を通してはじめて見える世界」とはどういうものか、語った一冊である。
そこから浮かび上がってくるのは、中国とアメリカという二つの巨大な国家・文明との関わりの中で日本がたどって来た歴史であり、日本語の歴史である。
日本語を書く緊張感とは、文字の流入過程、つまり日本語の文字の歴史に否応なしに参加せざるを得なくなる、ということなのだ。誰でも、日本語を一行書いた瞬間に、そこに投げ込まれる。
こうしたことを普通私たちはあまり意識しないが、言われてみるとなるほどと頷かされる。漢字かな(カタカナ、ローマ字)混じりの文章を書くこと自体に、既にこの国の歴史が深く刻まれているわけだ。
9・11(アメリカ同時多発テロ)に関する話も実におもしろい。当初、アメリカにおけるニュースの映像には「9.11 8:30」というテロップしかなかったのが、翌日には「攻撃されるアメリカ(America under attack)」という字幕が付き、アフガン攻撃が始まると「アメリカが打ち返す(America strikes back)」となる。
そのようにして物語が作られて行き、そして物語ができると誰もが安心して、それ以上は考えなくなるのだ。その心理は実によくわかる。おそらく短歌で社会詠を詠む時の難しさも、そのあたりにあるのだろう。
2010年10月15日、筑摩選書、1500円。