2014年03月31日

富士山

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育ての親にあたる人の見舞いに行く予定だったのだが、間に合わず、
葬儀へと向かう。よく晴れて富士山がくっきりと見える日。

25年間の付き合いであった。

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2014年03月25日

富田睦子歌集 『さやの響き』

塩豚と冬瓜を煮る夕暮れのとろりと融けて遠し名古屋は
今日は手が明日は唇(くち)ができるころパラパラ漫画のようなる日々か
栗鼠が枝をはこぶ如しも内側を押されてわれの皮膚は波打つ
心臓を吸いだすごとく乳を飲むみどり子はつか朱(あけ)に染まりて
わがうちの渚はるかに光る午後生きなおすごと深く眠れり
錘なる雨が降る日や床柱に太郎を縛りしかのこ愛しき
青空にガーゼめきたる雲およぎ犬の字に眠る君とおさなご
人混みは大人のものでおさなごの前には銀のみちのあるらし
かしゅぽんと昼のビールをあけており祖母の家には夏が濃くある
ひとりまた同僚欠けて疲れゆく夫の箸先うすき翅あり

「まひる野」所属の作者の第1歌集。
妊娠・出産・育児に関する歌が中心となっている。

2首目は妊娠中の歌。「パラパラ漫画」のように日々変化していくのだろう。
3首目も同じく妊娠中。こちらはかなり生々しい。
5首目は「生きなおすごと」がいい。出産後の新たな心境である。
6首目の「かのこ」は岡本かの子。子育ての大変さに共感するのだろう。
9首目は「かしゅぽん」というオノマトペが絶妙だと思う。

2013年12月15日、本阿弥書店、2500円。

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2014年03月24日

次号予告

角川「短歌」の次号(5月号)予告に

特別企画 永井陽子
 ―高校生時代の未発表歌、小説、詩
    小池光、小塩卓哉

とある。これは楽しみ。
永井さんが亡くなってから、もう14年になるが、こうして初期の作品が発掘されて、研究が進むのは嬉しいことだ。

4月号は定価の表示がおもしろい。

本体 861円
定価 904円(〜3/31 税込5%)
    930円(4/1〜  税込8%)

となっている。
消費税が上がるのも、もう間近だ。

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2014年03月23日

「レ・パピエ・シアン2」2014年3月号

特集は「ソチ五輪を詠む」。
こうした特集をタイムリーに組んでいく企画力や行動力が、通巻183号という同人誌としては驚異的な継続につながっているのだろう。

大辻隆弘さんの「戦後アララギを読む」は「高安国世から見た近藤芳美」の4回目。講演に大幅に加筆したもので、「ちょっとマニアックですが」と自分でも書いている通りの細部へのこだわりが光る。

問題は、近藤が戦後、京都の高安宅を訪れたのがいつであったか、ということ。
大辻はまず近藤の『歌い来しかた』に記されている「昭和二十四年初頭」が勘違いであることを述べる。

この本は、困ったことに、年月日の記述が実に不正確でいい加減です。近藤は、自分の既刊歌集を見ながら、詳しく調べることなく適当に年月日を想像して、思い出を書き綴っていったものと見えます。

ちょっと厳しい書き方ではあるが、これは『歌い来しかた』を資料として使う場合に、気を付けておかねばならない点だろう。この本は1985年に雑誌「世界」に連載されて1986年に岩波新書から刊行されたもの。30年以上前の出来事の記述が不正確になるのも、ある意味で止むを得ないことではある。

大辻はその後「ぎしぎし」23号(昭和23年11月28日発行)の後記から、近藤が高安宅を訪れたのが昭和23年11月14日であることを明らかにする。

その上で、その「14日」が「15日」の間違いではないかという話へ進んでいくのだ。京都市のその日の最低気温を調べたりと、まあ、本当にマニアックではあるのだが、こうした努力や姿勢は大事なことだと思う。

この件については面白そうなので、何か他に資料がないか調べてみたい。

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2014年03月21日

卒業式

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昨日は、息子の小学校の卒業式。
良い先生、良い友達、そして良い環境に恵まれた6年間だった。
お城のすぐ近くに建つ小学校とも、これでお別れである。

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2014年03月20日

早川タダノリ著 『神国日本のトンデモ決戦生活』


2010年8月に刊行された『神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか』(合同出版)を文庫化したもの。

1930年代から敗戦にかけて戦意高揚のために行われた様々なプロパガンダを取り上げて紹介した本。「写真週報」「主婦之友」「婦人倶楽部」「家の光」「国定教科書」など、数多くの図版をカラーで収めている。

タイトルからもわかるように、当時の宣伝や思想に対してトンデモ本的な扱いをしているので、文章の書き方は軽くて、そこに多少の違和感はある。けれども、「敢えてトンデモ言説と嗤いつつ」(あとがき)と著者自らが書いているように、本質はかなり真面目な本なのだ。

戦争中、英語は「敵性言語」とされ、社会からすべて駆逐された……というわけではなかった。少なくとも高等学校以上の中・上級学校の受験科目には「英語」が入っていたし、昭和十九年には国民学校高等科用準国定教科書「高等科英語」が刊行されていた。

こんな話も、これまではっきりと認識していなかったので、なるほどと思う。
その上で著者の紹介するのは、当時の受験雑誌に載った文章である。

英語は日本語である。わが大日本帝国の勢力圏内に於て通用する英語は、明かに日本語の一方言なのである。随つて我等は今日以後、国語の一部として英語を当然学習すべきである。

確かにびっくりするくらい「トンデモ」な内容なのだが、戦時下に英語を学ぶ必要性を説くための苦し紛れの論であったことを思うと、痛ましいような悲しいような気持ちにもなるのであった。

2014年2月10日、ちくま文庫、950円。

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2014年03月19日

「続 いま、社会詠は」

6月7日(土)に、下記のイベントに出演します。
皆さん、どうぞご参加ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
クロストーク短歌
「続 いま、社会詠は」

 インターネット上で起きた社会詠論争をきっかけに、2007年2月4日、「いま、社会詠は」というシンポジウムが、京都で行われました。
 小高賢・大辻隆弘・吉川宏志・松村正直(司会)というメンバーを中心に、熱い議論が繰り広げられました。
 それから7年。東日本大震災や福島の原発事故など、大きな時代の変化を感じさせる出来事が次々に起きています。そして、今年の2月、小高賢氏が急逝されました。
 今回のクロストーク短歌では、小高賢氏を悼みつつ、7年前の社会詠論争を振り返り、いま何が変わったのか、変わらないものは何なのかを、じっくり語り合いたいと思います。みな様のご来場をお待ちしています。

          鼎談
  大辻隆弘  松村正直  吉川宏志

日 時  6月7日(土) 午後1時30分〜5時 (受付 1時〜)
場 所  難波市民学習センター 「講堂」(tel 06-6643-7010)
      大阪市浪速区湊町1丁目4番1号 OCATビル4階
      【地下鉄】御堂筋線・四つ橋線・千日前線「なんば」駅下車
      【JR】「JR難波」駅上 【近鉄・阪神】「大阪難波」駅下車
当日会費  2,500円  (前納会費2,000円)
     一度お預かりした会費は、会が中止の時をのぞいては返金できません。
     ただし、事前連絡していただければ、次のいずれかに充当させて
     いただきます。
      @次回の「クロストーク短歌」は500円で受講できます。
      A代理受講。(受講される方のお名前をお知らせください。)
 申込方法 メールでお申し込みください。
 メール宛先 afuju608@@oct.zaq.ne.jp ←@を1つ削除してください。
               鈴木まで
    件名「クロストーク短歌の申込」 本文に@お名前 A連絡できる電話番号
    を送信してください。折り返し、受付メールを送ります。
     (定員になり次第締め切りますので、ご了承ください)

  *7年前の『いま、社会詠は』は、青磁社より記録集が刊行されています。

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2014年03月18日

山崎方代の歌

今年は山崎方代の生誕100年。
ということで、全歌集を読み返している。

読み返していて、数詞の入っている歌が多いことに気が付いた。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております
茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ
何もせず暮していると耳朶に黒い三本の毛が生えてきた
四尾連(しびれ)湖の尾根の下りに一枚の綿の畑があるを見つけた
滝戸山頭の上から月が出て五右衛門風呂をいっぱいにする
第六番卜雲寺(ぼくうんじ)の門くぐりゆく背におむすびの温もりさめず
縫いあげの取れし七つの春なりきあなたは岡谷へ売られ行きたり
亡き父母が無尽をあてて購いし八角時計が正午を告げる
念仏を唱えるようにつぶやいて算盤玉の九九を覚えし
十朱幸代君が唄えば浅草の酸漿市の夜は闌けてゆくなり

1から10までたわむれに並べてみたら、どの歌にも味わいがあって心ひかれる。

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2014年03月16日

高安国世文庫のリスト

県立長野図書館にある高安国世文庫のことは、『高安国世の手紙』の中でも触れた。高安の旧蔵書約1500冊が夫人の和子さんの逝去後、清原日出夫の手により寄贈されたものである。
(1999年発行の『高安和子作品集』など、一部高安の生前の蔵書ではないものもある)

高安国世文庫のリストはネットで公開されているので見ることができる。
http://www.library.pref.nagano.jp/pdf/magazine/takayasu.pdf

昨日、このリストを眺めていて、今まで見落としていた本があることに気が付いた。どうしてこんな大事な本を見落としていたのだろうか。
『高安国世の手紙』を出す前に気が付いていたらと思うと悔しい。

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2014年03月15日

「まひる野」2014年3月号

この年の最後の読書『高安国世』七十歳の死を思ひて閉ぢぬ
              橋本喜典

高安国世が亡くなったのは1984年のこと。
今年は没後30年にあたる。

高安が亡くなったのは、「塔」の創刊30周年の時であった。
今年は創刊60周年。
ちょうど倍の時間が流れたことになる。

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2014年03月13日

『河野裕子作品集』の歌の脱落のこと

河野裕子の第1〜第5歌集を収めた『河野裕子作品集』(1995年、本阿弥書店)は便利な本だ。『森のやうに獣のやうに』『ひるがほ』『桜森』『はやりを』『紅』の5冊を完本で収録し、巻末には年譜、初句索引、四句索引が載っている。全歌集がまだ刊行されていない今、歌を探す時には特に重宝する。

先日、歌を探していて、この『河野裕子作品集』に歌の脱落があることに気が付いた。

『ひるがほ』の「ほたる」の6首目「生臭くぞよぞよとして蠢ける昼のほたるは草に幽(ひそ)みて」から「木の耳」の1首目「逝かせし子と生まれ来る子と未生なる闇のいづくにすれちがひしか」までの計5首がまるまる抜け落ちている。

20年近く前に出た本で、今さらどうすることもできないのだが、備忘のためにこのブログに書いておくことにする。

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2014年03月11日

司馬遼太郎著 『街道をゆく29 秋田県散歩、飛騨紀行』


1990年に朝日文庫から出たものの新装版。
単行本は1987年、朝日新聞社刊。

秋田県には2、3回しか行ったことがないが、父が秋田の出身なので親近感を持っている。父は中学校を卒業して東京に働きに出てきて、母と出会ったらしい。

大阪人の四割は四国に親類をもっているといわれているが、そういう見方でいうと、秋田県に親類を持つのは東京人であって、大阪人ではない。

という文章があって、まさにその通りという感じがする。

「秋田の人は、初対面の相手に平気でものをいったりするところがないんです。はずかしがりやが多いですね」

という台詞も出てくる。
父は、はたしてどうだっただろうか。

東京に生まれ育った母は、今は山梨県南の身延町というところに住んでいる。
隣りに南部町というところがあって、以前、夏に母のところへ出掛けたついでに、「南部の火祭り」を見に行ったことがある。

岩手県を領地にしていた南部藩の南部氏は、鎌倉時代まではこの地にいたのだそうだ。

甲州南巨摩(みなみこま)郡に南部村という村があり、南部という苗字はそこからとられた。

山梨と岩手がつながっているなんて、全く予想外のことで驚く。
「なるほど」と思ったり、「そうだったのか」と思ったり、読書の楽しみを十分に味わうことのできる一冊であった。

2009年3月30日、朝日文庫、720円。

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2014年03月09日

マルテの手記

癒えたならマルテの手記も読みたしと冷たきベツド撫でつつ思ふ
                  河野裕子『森のやうに獣のやうに』
『マルテの手記』借りてゆくよと去りぎわに子は呟けり青年として
                  山下泉『海の額と夜の頬』
忘却はやさしきほどに酷なれば書架に『マルテの手記』が足らざり
                  吉田隼人「忘却のための試論」

リルケの『マルテの手記』は、今でも人気の高い本だろう。
短歌の中にもしばしば、その名前を見かける。

私が最初に読んだのは高校生のとき。
今でも大切な一冊だ。

『マルテの手記』には多くの翻訳が出ている。
文庫で出ているものだけでも、以下のような訳がある。

 生野幸吉訳(河出文庫、1955年)
なるほど生きようと思えばこそ、ひとはこの街に集ってくるのだろう。だが、ここではあらゆるものが死滅するほかはない、むしろそんなふうにぼくには思えるのだ。

 芳賀檀訳(角川文庫、1959年)
そう。こうして人々は生きんがためにこの都市へ集まってくるらしい。が僕にはむしろ、ここではみんな人が死んでゆくとしか思えない。

 高安国世訳(講談社文庫、1971年)
そう、要するに人々は生きるためにこのパリにやってくる。だがぼくには、むしろここでは何もかもが死んでゆくように思えてならない。

 望月市恵訳(岩波文庫、1973年改版)
こうして人々は生きるためにこの都会へ集まって来るのだが、僕にはそれがここで死ぬためのように考えられる。

 大山定一訳(新潮文庫、2001年改版)
人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。

冒頭部分を引いてみたが、訳者によって随分と雰囲気が違うことがわかる。
私は望月訳を繰り返し読んだので、今でもその訳に愛着がある。

きっと誰もが、自分になじみの深い訳を持っているのだろう。

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2014年03月06日

鈴木勇一郎著 『おみやげと鉄道』


副題は「名物で語る日本近代史」。

近世的な「名物」が、どのような変容を経て、近代的な「おみやげ」となっていったかを考察した本。日本各地の「おみやげ」を切り口に、鉄道、博覧会、軍隊といった近代的な装置が社会や文化に与えた影響を、非常に具体的に、実例に即して記している。

とても、おもしろい。

私たちが歴史やモノの由来について漠然と思い込んでいることが、実はそうではなかったといったことが、次々と明らかにされる。

日清戦争という初の対外戦争は、「国民」形成の契機であった。そして、戦争とそのための動員に伴って生じた人々の移動が「おみやげ」を生み出した。それこそが、岡山の吉備団子なのである。

鎌倉は古くから連綿と続く古都というイメージが強いが、実は、近世にはかなり衰退が激しかったこともあって、めぼしい名物菓子は長らく存在していなかった。

現在では、宮島の名物というと「もみじ饅頭」を思い浮かべる方が多いかと思う。だが、その歴史は決して古いものではなく、明治前期には、その存在すらも確認できない。

明治初期、もっとも多くの入湯客を集めていたのは道後温泉である。それに続くランキング上位は、武雄(佐賀県)、山鹿(熊本県)、浅間(長野県)、霧島(鹿児島県)、渋(長野県)、二日市(福岡県)といった具合である。少なくとも、現在一般的にイメージされる温泉地の分布とは、大きく異なる姿であることは、はっきりとみてとれる。

また、土地の歴史と結び付いた食べ物類が中心となっているという点で、日本の「おみやげ」は欧米とも東アジア諸国とも異なっている。日本近代史論だけでなく、日本文化論としてもユニークな1冊だと言えるだろう。

2013年2月21日発行、講談社、1500円。

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2014年03月05日

増井元著 『辞書の仕事』


岩波書店で長年にわたって『広辞苑』や『岩波国語辞典』の編集を担当してきた著者が、辞書作りに関わる話を書き綴った本。最近、辞書に関する本がたくさん出ていて、ちょっとしたブームになっているようだ。

「辞典はことばを定義するもの」とおっしゃる方もいますが、それは違います。国語辞典はことばの意味を記述しますが、定義はしません。

というあたり、言われてみるとなるほどと思うし、

『広辞苑』は改訂のたびに項目が増え、その分ページ数が増えます。大量部数の製本のために機械を使用しなくてはなりませんが、その製本機械が扱える厚さには最大八〇ミリメートルという制約があります。

など、初めて知ったことも多い。
短歌に関することで言うと、『広辞苑』の「しずもる(静もる・鎮もる)」の変遷がおもしろい。

・初版  しずまっている。しずまってある。
・第二版 「しずまる」に同じ。(明治時代の造語か)
・第三版〜第五版 「しずまる」に同じ。(明治時代の歌人による造語)
・第六版 (明治時代に造られた歌語)「しずまる」に同じ。「うらうらと照れる光に
 けぶりあひて咲き―・れる山ざくら花」(牧水)

事件の謎を解くように徐々に犯人(?)を絞り込んでいき、最新の第六版になって、ついに牧水登場というわけである。

「塔」創刊60周年記念事業として準備を進めている『塔事典』も、今年7月には完成の見込みだ。出来上りが待ち遠しい。

2013年10月18日、岩波新書、760円。

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2014年03月04日

広島へ(その2)

厳島神社の鳥居。
到着時にはほぼ満潮で、鳥居は完全に海のなか。

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大願寺にある九本松。
伊藤博文が植えたと言われているらしい。
ちょっとびっくりするくらい立派な松である。

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弥山(みせん)頂上。
巨岩がごろごろしていて、古くからの信仰の場であったのがよくわかる。

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6時間ほど経って、干潮になった海の様子。
鳥居のだいぶ先まで海が引いている。

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鳥居のところまで行って見上げると、その大きさは圧倒的。
扁額だけで3畳分あるそうだ。
柱は自然木をそのまま使っていて力強い。

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2014年03月03日

広島へ(その1)

週末は1泊2日で広島へ。

まずは呉の「てつのくじら館」(海上自衛隊呉史料館)。
潜水艦「あきしお」が展示されていて、中も見学することができる。

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続いて大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)。
戦艦大和の10分の1の模型がドーンと展示されている。

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広島市へ移動して、原爆ドーム。
平和記念資料館には大勢の人が訪れていた。

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2日目は宮島へ。
フェリーで島に到着すると、あちらこちらに鹿がいる。
しかし奈良とは違って、鹿せんべいは売っていない。

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小高賢歌集 『耳の伝説』


蟻を飼う牛乳ビンに少年は言葉なき生(せい)見つめておれり
責任校了のむらさきの印おす夜更け編集室にわれひとりなる
少しずつ遅れの捗(すす)む腕時計はめて向かえりビルという箱へ
霜の夜の卓のikra(イクラ)をかむわれに逝きし者らの翳が横切りぬ
団栗の独楽ころがせば陽の底に昨夜(きぞ)の瞋(いか)りはほそき炎(ひ)となる
筏師の川面をたたく竿ひかり縞なし春の潮みちくる
秋である。やさしさだけがほしくなりロシア紅茶にジャムを沈める
共食いでザリガニ釣りしあの夏の爆弾池はいまもゆうやけ
グランドのサッカーの声遠くある考古学館はしんとして夏
ミドリガメ、金魚、エビガニ、死のいくつわが家の樹々を春に太らす

先月急逝した作者の第1歌集。
元の歌集は1984年に雁書館から刊行されたもの。
1978年の「かりん」創刊に参加して作り始めた歌のなかから、305首を収めている。

40歳という比較的遅い年齢での第1歌集であり、家族の歌、仕事の歌など、既に落ち着いた社会人としての歌が中心となっている。

1首目の「少年」は息子だろう。「言葉なき生」は蟻のことであるが、それを見つめる少年の寡黙さも感じさせる。
3首目は「遅れの捗(すす)む」が面白い。日に日に遅れが広がっていくのだ。それが慌ただしい日々を過ごす作者の姿とも重なってくる。
7首目は「秋である。」という初句が実に印象的。まるで短編小説の一行目のようだ。
8首目の「爆弾池」は戦時中に落とされた爆弾によってできた穴に水が溜まったものだろう。1944年生まれの作者の原風景を見る思いがする。

*4首目の「ikra」が文庫では「ikura」となっているが、誤植であろう。

2013年3月30日、現代短歌社第1歌集文庫、700円。

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