
育ての親にあたる人の見舞いに行く予定だったのだが、間に合わず、
葬儀へと向かう。よく晴れて富士山がくっきりと見える日。
25年間の付き合いであった。
塩豚と冬瓜を煮る夕暮れのとろりと融けて遠し名古屋は
今日は手が明日は唇(くち)ができるころパラパラ漫画のようなる日々か
栗鼠が枝をはこぶ如しも内側を押されてわれの皮膚は波打つ
心臓を吸いだすごとく乳を飲むみどり子はつか朱(あけ)に染まりて
わがうちの渚はるかに光る午後生きなおすごと深く眠れり
錘なる雨が降る日や床柱に太郎を縛りしかのこ愛しき
青空にガーゼめきたる雲およぎ犬の字に眠る君とおさなご
人混みは大人のものでおさなごの前には銀のみちのあるらし
かしゅぽんと昼のビールをあけており祖母の家には夏が濃くある
ひとりまた同僚欠けて疲れゆく夫の箸先うすき翅あり
特別企画 永井陽子
―高校生時代の未発表歌、小説、詩
小池光、小塩卓哉
本体 861円
定価 904円(〜3/31 税込5%)
930円(4/1〜 税込8%)
この本は、困ったことに、年月日の記述が実に不正確でいい加減です。近藤は、自分の既刊歌集を見ながら、詳しく調べることなく適当に年月日を想像して、思い出を書き綴っていったものと見えます。
戦争中、英語は「敵性言語」とされ、社会からすべて駆逐された……というわけではなかった。少なくとも高等学校以上の中・上級学校の受験科目には「英語」が入っていたし、昭和十九年には国民学校高等科用準国定教科書「高等科英語」が刊行されていた。
英語は日本語である。わが大日本帝国の勢力圏内に於て通用する英語は、明かに日本語の一方言なのである。随つて我等は今日以後、国語の一部として英語を当然学習すべきである。
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております
茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ
何もせず暮していると耳朶に黒い三本の毛が生えてきた
四尾連(しびれ)湖の尾根の下りに一枚の綿の畑があるを見つけた
滝戸山頭の上から月が出て五右衛門風呂をいっぱいにする
第六番卜雲寺(ぼくうんじ)の門くぐりゆく背におむすびの温もりさめず
縫いあげの取れし七つの春なりきあなたは岡谷へ売られ行きたり
亡き父母が無尽をあてて購いし八角時計が正午を告げる
念仏を唱えるようにつぶやいて算盤玉の九九を覚えし
十朱幸代君が唄えば浅草の酸漿市の夜は闌けてゆくなり
この年の最後の読書『高安国世』七十歳の死を思ひて閉ぢぬ
橋本喜典
大阪人の四割は四国に親類をもっているといわれているが、そういう見方でいうと、秋田県に親類を持つのは東京人であって、大阪人ではない。
「秋田の人は、初対面の相手に平気でものをいったりするところがないんです。はずかしがりやが多いですね」
甲州南巨摩(みなみこま)郡に南部村という村があり、南部という苗字はそこからとられた。
癒えたならマルテの手記も読みたしと冷たきベツド撫でつつ思ふ
河野裕子『森のやうに獣のやうに』
『マルテの手記』借りてゆくよと去りぎわに子は呟けり青年として
山下泉『海の額と夜の頬』
忘却はやさしきほどに酷なれば書架に『マルテの手記』が足らざり
吉田隼人「忘却のための試論」
日清戦争という初の対外戦争は、「国民」形成の契機であった。そして、戦争とそのための動員に伴って生じた人々の移動が「おみやげ」を生み出した。それこそが、岡山の吉備団子なのである。
鎌倉は古くから連綿と続く古都というイメージが強いが、実は、近世にはかなり衰退が激しかったこともあって、めぼしい名物菓子は長らく存在していなかった。
現在では、宮島の名物というと「もみじ饅頭」を思い浮かべる方が多いかと思う。だが、その歴史は決して古いものではなく、明治前期には、その存在すらも確認できない。
明治初期、もっとも多くの入湯客を集めていたのは道後温泉である。それに続くランキング上位は、武雄(佐賀県)、山鹿(熊本県)、浅間(長野県)、霧島(鹿児島県)、渋(長野県)、二日市(福岡県)といった具合である。少なくとも、現在一般的にイメージされる温泉地の分布とは、大きく異なる姿であることは、はっきりとみてとれる。
「辞典はことばを定義するもの」とおっしゃる方もいますが、それは違います。国語辞典はことばの意味を記述しますが、定義はしません。
『広辞苑』は改訂のたびに項目が増え、その分ページ数が増えます。大量部数の製本のために機械を使用しなくてはなりませんが、その製本機械が扱える厚さには最大八〇ミリメートルという制約があります。
蟻を飼う牛乳ビンに少年は言葉なき生(せい)見つめておれり
責任校了のむらさきの印おす夜更け編集室にわれひとりなる
少しずつ遅れの捗(すす)む腕時計はめて向かえりビルという箱へ
霜の夜の卓のikra(イクラ)をかむわれに逝きし者らの翳が横切りぬ
団栗の独楽ころがせば陽の底に昨夜(きぞ)の瞋(いか)りはほそき炎(ひ)となる
筏師の川面をたたく竿ひかり縞なし春の潮みちくる
秋である。やさしさだけがほしくなりロシア紅茶にジャムを沈める
共食いでザリガニ釣りしあの夏の爆弾池はいまもゆうやけ
グランドのサッカーの声遠くある考古学館はしんとして夏
ミドリガメ、金魚、エビガニ、死のいくつわが家の樹々を春に太らす