10月号に「その一」が載って、12月号が「その二」。ひとまず、この2回で終わりのようだ。
明治15年(1882)に生まれて昭和28年(1953)に亡くなった斎藤茂吉。その作品の中から、「郊外」「百貨店」「飛行機」「心中」「洋行」「精神病院」「別荘」「トマト」「映画」「疎開」といった風景を取り出し、時代背景もまじえて論じている。
それも単なる歴史の回顧ではなく、近代から現代を照射するという視点を持ち合わせているところに特徴がある。現在の私たちにつながる問題として近代を捉えているのである。これは、大事なことだと思う。
気になった点も指摘しておきたい。
瘋癲院とは精神病院のことで、茂吉はしばしばこのややグロテスクな用語を使った。
という一文がある。「瘋癲院」という呼び方は、確かに現在の眼から見ると「グロテスク」であるが、茂吉が歌に詠んだ大正時代にはどうだったのだろう。茂吉だけが好んで(?)この言葉を使ったのだろうか。
以前、このブログにも書いたことがあるが、
(精神病院の歌 http://blogs.dion.ne.jp/matsutanka/archives/11363327.html )
大正2年に前田夕暮は「狂病院」、古泉千樫は「瘋癲院」という言葉を歌に詠んでいる。
また、北原白秋「邪宗門」(明治42年)、夏目漱石「彼岸過迄」(明治45年)、宮沢賢治「ビジテリアン大祭」などにも「瘋癲院」「瘋癲病院」という言葉は出てくる。
そうした点を踏まえると、「瘋癲院」は当時かなり一般的な言い方であったことがわかる。茂吉にしても、特に「グロテスク」という意識は持っていなかったのではないだろうか。