2013年09月30日

長崎味めぐり

JR京都伊勢丹の地下2階食料品売場で、10月1日まで「長崎味めぐり」が開催されている。
そこに長崎の鯨専門店「くらさき」も出店中。

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「鯨カツ弁当」(1000円)と「鯨の竜田揚げ&鯨カツのセット」(1500円)を購入。
どちらも、しっかりとした味付けで美味しかった。

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2013年09月29日

映画「ソレイユのこどもたち」

監督・撮影・録音・編集:奥谷洋一郎

多摩川の河口付近で廃船に住む男の生活を追ったドキュメンタリー。大袈裟な演出は何もなく、淡々と男の日常が映されていく。しかし、その抑制の効いた撮り方は、おそらく監督の明確な方法論と意志に基づくものである。

男は犬を飼い、野菜を育て、コンロで魚を調理し、モーターボートの修理などでわずかな現金を得て暮らしている。現代社会の枠組みから外れ、都市の狭間に生きる男の姿を通じて、われわれ(と言っていいのか)現代社会や都市の姿までもが浮き彫りにされてくる。

映画の終り近くになって、ようやくタイトルの意味がわかる。「ソレイユ」(太陽)のこどもたち。それははたして希望を意味しているのかどうか。

京都みなみ会館、104分。

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2013年09月28日

角川「短歌」2013年10月号(その3)

柴生田稔については、「新彗星」第3号(2009年)の大辻隆弘と加藤治郎の対談「戦後アララギを読む」(第1回 柴生田稔)も充実していて面白い。

この対談はまず、「リアル」に関する議論がなかなか深まらない現状と、「アララギ」や「未来」がずっとリアリズムの問題を扱ってきた歴史を述べて、加藤が
少なくともリアルという問題を考えるのであれば、格好の先達、歌の積み重ねがあるので、まずそういったものを踏まえて議論をしていきたいということなんです。

と提起するところからスタートする。
11ページにわたって数多くの歌が引かれ、柴生田の作品と人生、あるいは近藤芳美、岡井隆、斎藤茂吉らとの関係がよくわかる内容となっている。その中で大辻が
「未来」創刊時、岡井さんや他のメンバーは、まず柴生田稔の『春山』の合評から始めているんですね。だから吉田正俊、柴生田稔あたりの叙情っていうのは、彼らの最初の体験としてかなり大切で、大きな原動力になったのでしょうね。

と述べているあたりを読むと、角川「短歌」に岡井の書いている文章の意味も、自ずとわかってくるように感じる。

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2013年09月27日

柏崎驍二著 『宮柊二の歌三六五首』

宮柊二の歌365首を選び、それぞれ150字程度の短い文章を付けたもの。
「私の記したメモは全く個人的なもので、歌の鑑賞などではないが、宮柊二の歌を愛する人たちの何かのお役に立てば幸いである」とあとがきにある。

どの歌にも初出を明記しているのが資料的に貴重なところ。
また、別の時期の、あるいは別の歌人の似た素材の歌なども引いていて参考になる。例えば「孤独なる姿惜しみて吊し経(へ)し塩鮭も今日ひきおろすかな」という一首に対しては、佐藤佐太郎の「つるし置く塩鱒(しほます)ありて暑きひる黄のしづくまれに滴(したた)るあはれ」が引かれるといった具合だ。
法隆寺南大門前暑き日を黒き牛のゐて繋がれにけり
稲青き水田見ゆとふささやきが潮(うしほ)となりて後尾(こうび)へ伝ふ
流れつつ藁(わら)も芥(あくた)も永遠に向ふがごとく水(みづ)の面(も)にあり
草むらをひとり去るとき人型に凹(くぼ)める草の起ち返る音
湯口(ゆぐち)より溢れ出でつつ秋の灯に太束(ふとたば)の湯のかがやきておつ
錐(きり)・鋏(はさみ)光れるものは筆差(ふでさし)に静かなるかな雪つもる夜を
海(うな)じほに注(さ)してながるる川水(かはみづ)のしづけさに似て年あらたまる
匍匐するごとく浅瀬に群がりて鯉の背鰭(せびれ)の雨中(うちゆう)に動く
白藤は数限りなき花房を安房清澄(きよずみ)の山に垂りたり
峡(かひ)沿(ぞ)ひの日之影といふ町の名を旅人われは忘れがたくす

2013年3月20日、柊書房、2000円。

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2013年09月26日

角川「短歌」2013年10月号(その2)

柴生田稔について。

「短歌」1994年9月号に座談会「昭和短歌を読みなおす13 五島美代子と高安国世」が載っている。参加者は篠弘、島田修二、岡井隆、岡野弘彦、佐佐木幸綱。高安国世について論じる際に、この座談会は非常に参考になる。必読と言っていいだろう。

その座談会の中で、岡井が柴生田稔について触れている。高安の「二人ゐて何にさびしき湖の奥にかいつぶり鳴くと言ひ出づるはや」を「ちょっと近藤さん調だ」と島田が述べたのを受けて、岡井は次のように言う。
岡井 しかし、「二人ゐて」の歌は近藤さんじゃないよ、柴生田稔さんだ。柴生田調を二人とも学んだわけだ。近藤さんはある意味で柴生田さんのエピゴーネンから出発しているもの。だから、いつまでたっても『春山』『春山』って言って、本まで作ったでしょう。柴生田さんの若いころそっくりだ。

柴生田と近藤や高安との関係がよくわかる内容だ。ただ、「本まで作ったでしょう」がよくわからない。昭和16年に出た『春山』(墨水書房)を、戦後の昭和28年に白玉書房から復刊させたことを言っているのかもしれない。

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2013年09月25日

時評など

下記の時評などで拙著『高安国世の手紙』を取り上げていただきました。
ありがとうございます。

・大松達知「時代の分厚さ」(「NHK短歌」2013年10月号)
・田中綾「書棚から本を」(「北海道新聞」2013年9月15日朝刊)

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2013年09月24日

タラバガニ

樺太の水産物に関する本を読んでいたら、「鰊」「鱈」「鱒」「鮭」の次に「鱈場蟹」というのが出てきた。鱈場蟹??・・・「タラバガニ」か!

こんな漢字を書くとは知らなかった。タラバガニという言葉は何度も使っているけれど、それが「鱈場蟹」であったなんて。

広辞苑で調べてみると「主要漁場はベーリング海やカムチャツカの近海で、タラの漁場と重なるのでこの名がある」と書いてある。鱈場で獲れるから鱈場蟹。きっと鱈漁をしていると一緒に獲れるのだろう。

かつて、樺太では西海岸の真岡をはじめ各地にタラバガニの缶詰工場があったということだ。

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2013年09月23日

角川「短歌」2013年10月号(その1)

岡井隆の連載「詩の点滅」は第10回。
「時代と詩の関わりとは何か」という題の5ページの文章であるが、広い教養と引き出しの多さを感じさせる内容となっている。岡井の散文はいつ読んでもおもしろい。

その中で、特に柴生田稔の作品について触れている部分に注目した。
柴生田は佐藤佐太郎、山口茂吉とならんで茂吉の三高弟の一人だが、今ではあまり取り上げられなくなっている歌人と言っていいかもしれない。
(…)若い、二・三十代の歌人の書くものを読んでゐると、いささか心もとないのは、近藤芳美に大きな影響を与へた柴生田稔(一九〇四−九一年)の歌をほとんど知らないで書いてゐるのであつた。
(…)斎藤茂吉の高弟の一人である柴生田が、当時の「アララギ」でどんな位置にあつたのか、名歌集『春山』にまでさかのぼつて検討する位の用意がないと、そもそも、作品を論ずる資格がない(…)

こんなふうに、だいぶ厳しいことを書いているが、決して嫌な感じはしない。これが岡井の実感であり本音なのだろう。かつては誰もが当り前のこととして知っていたことが、時代が移って伝わらなくなってしまう。それに対するいら立ちと不満があるのだ。

かつて、別の座談会の場でも、岡井が柴生田稔について言及していたのを思い出す。

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2013年09月22日

運動会

昨日の午前中は「塔」の事務所で、編集企画会議。
その後、午後の旧月歌会には参加せずに、息子の小学校の運動会へ行く。
タクシーに乗って、何とか12:30の午後の部の開始に間に合った。

毎年のように短歌関係の用事があって、運動会には1回しか行ったことがなかったのだが、今年は6年生になった息子が、「白組の応援団長をやるので見に来てほしい」と言う。そんなことを言われたのは初めてのことで、いつもなら「別に来なくてもいいよ」と言うのだった。

学校に着くと、ちょうど午後の部の最初の応援合戦が始まるところ。
応援団長として声を張り上げている息子は、ふだん家で見ている子とはずいぶん違う。こうやって、だんだん親から離れていくのだろう。自分が小学生だった昔のことがかすかに蘇ってくる。懐かしいような胸が苦しいような、そんな気分。

その後、各学年の種目があって、最後の得点発表は白組の勝ちとなり、めでたしめでたし。
優勝カップを受け取る子の姿を見て、家へと帰ってきた。

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2013年09月21日

さらに『水の文化史』のつづき

『水の文化史』は1980年に出版された本なので、今では通用しなくなってしまった部分と、今なお十分に通用する部分とがある。

例えば、青森県の十三湊の繁栄を記した部分に、『東日流(つがる)外三郡誌』からの引用がある。この本は戦後に発見された古文書として、七〇年代から八〇年代にかけて大きな話題を呼んだものであるが、現在では偽書であることが判明している。現在なら、この引用箇所は削除するところだろう。

一方で、次のような部分は、東日本大震災やその後の津波対策を考える上で、大事な指摘になるだろう。
洪水は川が処理すべきものであり、堤防という技術が川を抑え込まねばならないものとされた。水害のたび、堤防をより高く、より強固にすることが要求された。
堤防が頑丈であればあるほど、川は安全だと私たちは考える。が、それも壊れない間だけの話である。堤防が頑丈であればあるほど、ひとたび破れた場合には、こんどは堤防そのものが、逆に凶器となって私たちに襲いかかることになる。

被災地で進められている巨大防潮堤の建設計画などを思い合わせると、30年前の指摘は今なお有効であると感じる。

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2013年09月20日

『水の文化史』のつづき

「利根川篇」の中に、荒川についての話が出てくる。
荒川改修は明治四四年から二〇年を費やして行われるが、その直接のきっかけは明治四〇年、四三年の大水害であった。この改修では、すでに両岸に家屋が密集していた隅田川を守るために、新たに放水路が開削された。これが現在の荒川本川である。

この二回の水害は、伊藤左千夫の『左千夫歌集』にも詠まれている。左千夫の自宅と牛舎は水に浸かり、大きな被害を受けたのであった。
  一つりのらんぷのあかりおぼらかに水を照らして家の静けさ
                 「水籠十首」(明治四十年)
  闇ながら夜はふけにつつ水の上にたすけ呼ぶこゑ牛叫ぶこゑ
                 「水害の疲れ」(明治四十三年)

また、後に土屋文明は「城東区」の一連の中で、水害に苦しんだ師の左千夫のことを思いつつ、新たにできた荒川放水路のことを歌に詠んでいる。
  靄を渡り来る遠きうなりの親しさよ荒川口の夕の潮さゐ
  松のある江戸川区より暮れゆきて白々広し放水路口
                  『山谷集』(昭和十年)

こんなところにも、短歌と時代との深い関わりを見ることができる。

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2013年09月19日

富山和子著 『水の文化史』


1980年に文藝春秋社より出版された本の文庫化。長らく絶版になっていた本が「名著復活!」ということで文庫になった。

水不足や洪水など、治水・利水の問題から始めて、環境と人の暮らしとの深い関わりを論じた内容である。「淀川篇」「利根川篇」「木曽川篇」「筑後川篇」の四篇に分れているが、作者が一貫して述べているのは土壌の大切さと、その土壌を育んできた山の民をはじめとする人々に対する思いである。
日本人が雪を邪魔者だと考えるようになったのは、あたかも降水を邪魔扱いして川へ捨てはじめたのと同じときからである。それは川を利用しなくなったとき、川のゆるやかさを期待しなくなったとき、すなわち、交通手段が舟運から陸上へと変わったときからであった。
日本人がこの国土に住み着いてからこのかた、日本列島の自然とは、ことごとく先祖たちの営為によって養われ、維持されてきた自然であった。
海の漁民が漁業権を放棄したときから、海の破壊は急速に進行した。日本人が川を利用しなくなったときから、人と川の関係も一変した。自然をその生産手段に利用して生きる人たちこそ、自然の守り手だったのである。

著者は環境問題について語るとき、決して自然科学的な観点からのみ捉えようとはしない。歴史や文化、人々の暮らしといった様々な面から、「水と緑と土」の問題を考えている。そこが、刊行後30年以上経った今読んでも、実に魅力的なところである。

その視野の広さには、著者が交通の研究者であったという経歴も関係しているのだろう。単一ではない視点を持つことによって、問題を複合的に、総合的に捉えることが可能になったのだと思う。

2013年8月25日、中公文庫、780円。

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2013年09月18日

樺太日日新聞


昨日は東京で少し時間があったので、永田町の国立国会図書館へ行った。台風が去って、汗ばむくらいの良い天気。

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国会図書館は普通の図書館とは随分システムが違うので、慣れないうちは面倒に感じるけれど、慣れると非常に便利な場所だ。カード1枚で資料の請求や、複写、複写の受け取りなど、何でもできてしまう。係員の人もテキパキしていて気持ちがいい。

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今回の目当ては「樺太日日新聞」。樺太についての連載をしているので、一度は読まなくてはと思いつつ今まで機会がなかった。読んでみると実に面白い。戦前の樺太の生活が手に取るように見えてきて、宝の山みたいな資料である。思わず読み耽ってしまった。

国会図書館は便利なのだが、一つ一つの段階を踏むのに時間がかかる。今回は2時間あまり滞在して、マイクロフィルム3本(6か月分)の新聞を読み、コピーを3枚とった。それで時間的には精一杯。

マイクロフィルムは30年分以上あるので、できれば一か月くらい通い続けて、じっくり読んでみたいところだが、無論そうはいかない。これからも東京へ行く機会があれば、ちょくちょく通うことにしよう。

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2013年09月16日

台風

今朝は4時半頃に、強い雨風の音で目を覚ました。
窓を開けると激しく雨が降り込んでくる。

特別警報が出たこともあって、遠方に住む知り合いから安否の問い合わせが何件かあったが、わが家の周辺は特に大きな被害はなし。雨も8時くらいには上がった。

午後から大阪で用事があるので、念のため10時過ぎに家を出たのだが、京阪電車は淀―樟葉間で不通。それならJRでと思ったのだが、JR奈良線も始発から止まっていた。仕方なく、車で京都駅まで行ったが、東海道線も動いていない。駅は大勢の人でごった返していた。

その後、11時半になってようやく大阪方面へ行く電車が動き始め、無事に用事を済ませることができた。帰りは京阪に乗って帰ってきたのだが、木津川や淀川はまだかなり水位が高く、八幡市や中書島のあたりはところどころ水に漬かっていた。

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2013年09月15日

「レ・パピエ・シアン2」2013年9月号

大辻隆弘さんの二つの文章「長塚節 一九〇九年春―小説「開業医」をめぐって―」と「戦後アララギを読む(55)「新泉」近藤選歌欄Q」がおもしろい。

前者では、長塚節と伊藤左千夫の島木赤彦宛書簡を通じて、節と左千夫の小説の特徴や違い、さらには人間の違いを描き出している。細部の描写に長けている一方で、全体の構成や登場人物の心理描写が弱い節。反対に細部の描写は下手であるものの、全体の構成や人物の描き方には力を発揮する左千夫。そんな二人のライバル意識が生々しく伝わってくる内容である。

後者は、近藤芳美と相良宏の間で交わされた政治と文学の問答を経て、近藤の「政治」という言葉の曖昧な使い方に激しく反発した柴生田稔の文章を紹介している。さらに、そんな柴生田の近藤に対する反発の背景に、戦中から戦後にかけての二人の生き方や態度の違いがあったことを記している。

どちらの文章も、無味乾燥で色褪せた短歌史の発掘などではなく、熱く激しい人間ドラマの再現と言っていい内容である。総合誌の特集などに載っている細切れな文章の束より、こちらの方が何倍もおもしろい。読んでいて、ワクワクドキドキするほどだ。

1点だけ残念なのは、「レ・パピエ・シアン」の中で、大辻に次ぐ書き手があまり育っていないように思われること。今号の評論を見ると、大辻の長塚論が6.5ページ、戦後アララギ論の連載が4ページあるのに対して、他のメンバーは山吹明日香「『土』雑感」3ページがあるばかり。せっかく身近に良い手本がいるのだから、それに張り合うくらいの書き手が出てきても良いのではないだろうか。

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2013年09月14日

山崎聡子歌集 『てのひらの花火』

第1歌集。
ゲームセンターのすみで交わした約束を私はいつか忘れてしまう
終バスに浅い眠りを繰り返しどこにでもゆく体とおもう
冷水で手をよく洗う 親ウサギが子どもを踏んで死なせた朝に
手のひらに西瓜の種を載せている撃たれたような君のてのひら
夏の雨 わたしが濡れてしまうのを見ている黒い目をした犬よ

歌集の最初の方に、かつて高校の演劇部に所属していた頃のことを詠んだ「蛍光ペン散らかる床で」があり、後半に、高校演劇でよく上演される曽我部マコト作「ふ号作戦」を題材にした「グロリア」がある。

劇を演じていた人物が、その劇の中に入り込んでしまうような、入れ子構造となっている。そして、そうした演劇的な要素は、この歌集全体にあるように思う。

2013年5月20日、短歌研究社、1800円。

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2013年09月13日

『近藤芳美論』のつづき

近藤芳美と高安国世はともに1913年生まれ。
二人には、旧制高校的な教養や西洋に対する憧れなど、いくつもの共通点があった。
「未来」は昭和二十六年に創刊された同人誌的な雑誌で、近藤氏のことを先生とは誰も呼ばず、みな近藤さんと呼んでいた。氏が、先生と呼ばれることを嫌ったからである。

これは、「塔」と高安国世の場合も全く同じである。高安も先生と呼ばれることを嫌い、会員はみな高安さんと呼んでいたと聞く。

1960年代頃まで、二人の歌集にはかなりの対応関係が見られる。近藤の第1歌集『早春歌』(1948年)に対して、高安の第1歌集は『Vorfruhling(早春)』(1951年)であり、ともに戦前から敗戦までの歌を収める。第2歌集『埃吹く街』(1948年)と『真実』(1949年)は、ともに戦後の歌だ。

1960年に高安がドイツ留学を題材に『北極飛行』を出せば、近藤も1969年にソ連、ヨーロッパ、アメリカ旅行を中心とした『異邦者』を刊行している。その中には「北極圏飛翔」という一連も含まれている。

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2013年09月12日

大島史洋著 『近藤芳美論』

著者が近藤芳美について論じた文章20編に、講演「近藤芳美の晩年の歌」、インタビュー「近藤芳美に聞く」をあわせて一冊にまとめたもの。巻末には、「近藤芳美百二十首選」「近藤芳美著作目録」「近藤芳美研究書・参考図書一覧」「近藤芳美雑誌特集号」「近藤芳美略年譜」も収められている。

今年は近藤の生誕100年であり、総合誌でも特集が組まれた。その中で私も『早春歌』と『未明』についてそれぞれ短い文章を書いたのだが、初期作品はともかく、近藤の晩年の作品をどのように評価したらいいのか、非常に難しかった。本書はその解明の糸口となる一冊と言っていいと思う。
いま、こうして亡くなられてみると、近藤の晩年は理解されることの少ない、寂しいものであったと思わざるを得ない。自分は近藤の好き理解者ではなかった。

おそらく、著者のこうした悔恨が、近藤の晩年の歌を何とか理解しようという強い思いにつながっているのだろう。それは、一首一首が良い歌かどうかということを越えて、歌人近藤芳美の全体像を掴もうとする試みでもある。

1995年のインタビューを読むと、当時82歳の近藤は、意外なほど明晰かつ冷静に、自分の歌が難解になり理解されなくなっている現状を認識している。それでもなお、「どこかに理解者はいるとぼくは思っているし、思わなければならない」と言って、自分の信念を貫き続けたのである。

歌の良し悪しとは別の次元で、そんな歌人の生き方の重みをずっしりと感じる一冊であった。

2013年7月24日、現代短歌社、2000円。

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2013年09月11日

木下龍也歌集 『つむじ風、ここにあります』


裏側に張りついているヨーグルト舐めとるときはいつもひとりだ
つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる
空を買うついでに海も買いました水平線は手に入らない
背表紙に取り囲まれてぼくたちのパラパラマンガみたいなくらし
コンタクト型のテレビを目に入れてチャンネル替えるためのまばたき
「千円になります」と言い千円になってしまったレジ係員
右利きに矯正されたその右で母の遺骨を拾う日が来る
いくつもの手に撫でられて少年はようやく父の死を理解する
カードキー忘れて水を買いに出て僕は世界に閉じ込められる
病室の窓から見えるすべてには音がないのと君は笑った

第1歌集。今年から刊行の始まった新鋭短歌シリーズ(第一期全12冊)の1冊。

現代都市に生きる若者の日常や孤独感が、繊細な抒情をともなって詠まれている。その中に、時おり冷静で鋭い批評性がまじるのが作者の持ち味だろう。

5首目の「コンタクト型のテレビ」や6首目の「千円になってしまったレジ係員」など、SF的な機知があって面白いのだが、あまりこの路線には行かない方がいいように思った。

2013年5月25日、書肆侃侃房、1700円。

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2013年09月10日

マソヒズム、サヂズム

佐藤佐太郎の実質的な第1歌集『軽風』に、こんな歌がある。
汗ながして夕飯をくふひとときの我のこころはマソヒズムのごとし
一息(ひといき)に飲みくだしし熱き飲料をサヂズムのごとく我は楽しむ

歌集の中では2首並んでいるのではなく、別々のところにある。昭和5年と6年、21歳から22歳にかけての歌である。謹厳実直といったイメージのある佐太郎に、こんな歌があるのがおもしろい。

だらだら汗を流して食事をしながら、何か罰を受けてでもいるような被虐的な思いを味わう。あるいは、熱い飲み物を一気に飲み込んで、喉や胃を焼いてしまうような加虐的な思いを感じる。

どちらにも都市生活者の鬱屈とした気持ちが滲んでいる気がする。

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2013年09月09日

歌集歌書の在庫

下記の歌集歌書は、わが家に在庫があります。
お読みになりたい方は、どうぞご注文下さい。送料は無料です。

・松村正直第2歌集『やさしい鮫』(2006年、ながらみ書房、2800円)
・松村正直評論集『短歌は記憶する』(2010年、六花書林、2200円)
・松村正直著『高安国世の手紙』(2013年、六花書林、3000円)

・川本千栄第1歌集『青い猫』(2005年、砂子屋書房、3000円)
・川本千栄第2歌集『日ざかり』(2009年、ながらみ書房、2730円)
・川本千栄評論集『深層との対話』(2012年、青磁社、2500円)

よろしくお願いします。

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2013年09月08日

りんご

今年の夏休みの息子の自由研究は、様々な液体の酸性とアルカリ性を調べるというものであった。それを見ていて、驚いたことが一つ。りんごジュースが酸性だったという結果を記した後に、「りんごは酸っぱくないのに、酸性だった」と書いてあるのである。

「林檎は酸っぱいだろ?」と聞くと、「いや、酸っぱくない。酸っぱいと思ったことがない」と言う。レモンや柑橘類などは酸っぱいが、林檎は酸っぱくないと言うのだ。

酸っぱい、酸っぱくないと、しばらく問答をして、最後は『広辞苑』の「りんご」の項目に「味は甘酸っぱく」とあるのを見せたりもしたのだが、息子は納得しない。

そのうち、そう言えば最近の林檎はあまり酸っぱくないなと気が付いた。紅玉などの酸っぱい品種に代わって、甘くて大きい林檎が主流になっているからだろう。年々甘くなっているような気がする。

となると、林檎が酸っぱいという常識(?)も、もはや常識ではなくなっていくのだろう。あるいは、私の方がその常識やイメージを引きずっているだけなのかもしれない。今私の食べているりんごは、本当に酸っぱいのだろうか?
かたはらに折々きたる幼子は酸き一片(ひときれ)の林檎を持てり
                          佐藤佐太郎『しろたへ』

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2013年09月07日

森まゆみ・藤森照信著『東京たてもの伝説』


1996年に岩波書店より出版された本が、新たに「岩波人文書セレクション」の一冊として刊行された。

東京に残る同潤会アパート、平塚千鶴子邸(日魯漁業創業者・平塚常次郎の娘)、旧亀井茲明伯爵邸(旧津和野藩主13代)、安田楠雄邸(安田財閥の創業者・安田善次郎の孫)などを訪ねて回った記録。17年前の本なので、既に取り壊されてしまった建物も多い。
 アパートという言葉は、いまのマンションという呼び名より良かったのかしら。
藤森 ずっと良かった。アパートメントといったんです。すごく良かったみたいですよ。どんどん価値が下がっていくね、ああいう言葉って。

その一方で、この本でも紹介されている「江戸東京たてもの園」(1993年開園)には、今ではかなり多くの建物が移築・復元されているようだ。前から一度訪れてみたいと思いつつ、まだその機会がない。

2012年10月23日、岩波書店、2200円。

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2013年09月06日

映画「江ノ島プリズム」

監督:吉田康弘、出演:福士蒼汰、野村周平、本田翼。

江ノ島を舞台に、幼なじみの3人の高校生が織り成す恋と青春の物語。ストーリーはやや甘いのだが、江ノ電や湘南の町並みが登場して、懐かしさを覚える。

江ノ島は子どもの頃に遠足や旅行でよく行った場所だが、もう20年以上行っていない。

元・立誠小学校特設シアターにて。90分。

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2013年09月04日

『佐藤佐太郎全歌集』

佐藤佐太郎の全歌集を読んでいる。
全歌集は、時間のある時にゆっくり読むのがいい。急いで読んでも、多分おもしろくない。

第5歌集『帰潮』(昭和27年)の後記にこんなことが書いてある。
(…)私の歌には事件的具体といふものは無い。短歌はさういふものを必要としないからである。

佐太郎の言葉はいつも明快である。そして、時々ハッとするようなことを言う。ここもサラリと書いてあるが、実はかなり過激で本質的なことを言っている。

これを読んで思い出したのは、小池光の歌集『日々の思い出』のあとがきである。
思い出に値するようなことは、なにもおこらなかった。なんの事件もなかった。というより、なにもおこらない、おこさないというところから作歌したともいえる。

こうして比べてみると、両者には通じ合うものがあるように感じる。

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2013年09月02日

三枝昂之著 『夏は来ぬ』


2008年から2012年にかけて静岡新聞に連載された文章の中から133編を選んでまとめた本。短歌、俳句、近現代詩、童謡、唱歌、Jポップなど、幅広い詩歌を取り上げて、解説と鑑賞をしている。

タイトルの「夏は来ぬ」は、もちろん佐佐木信綱作詞の唱歌。
作詞に当たって信綱が強く意識したのは和歌が育んだ季節感を生かすことだった。そのためにまず千三百年の短歌形式を採用した。「うのはなの/にほふかきねに/ほととぎす/はやもきなきて/しのびねもらす」とまさに五七五七七の短歌。

私たちの行った勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」の3回目でも、ちょうど同じような話が出ていたところ。信綱は、和歌・短歌史を考える上でキーマンとなる存在だ。

この本を読んで強く感じたのは、唱歌、民謡、童謡、校歌などの「歌」と信綱、白秋、相馬御風ら近代歌人との関わりの深さである。現在では「歌」と「短歌」の距離が離れてしまっため、私たちはそうした「歌」の作詞は、歌人にとって余技だったように思いがちだが、本当はそうではなかったのだろう。彼らはどちらにも同じように、真剣に取り組んでいたのだ。

2013年8月8日、青磁社、2500円。

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2013年09月01日

角川「短歌」の古い号から(その3)

1996年6月号より。

「わたしの歌の出発」という特集があり、30名の歌人が短歌を作り始めたきかっけを書いている。その中に河野裕子さんの「サフランの歌など」という文章がある。

河野さんは、田舎で小さな呉服雑貨商をしていた家に、母親が買った中城ふみ子『乳房喪失』『花の原型』、明石海人『白描』という3冊の歌集があったことを述べ、さらに次のように書く。
短歌好きの母は、折りにつけて、娘時代に覚えた歌を口遊んでいた。聞くともなしに聞いていて、すっかり覚えてしまった歌が何首もある。

  ゆふぐれになりにけらしな文机(ふづくえ)の鉢のサフラン花閉ぢにけり

という歌は、作者名もわからないまま母から私に伝えられた歌であり、早春の光りが射す頃になると、決まって思い出す歌である。

河野さんが耳で覚えたというこの一首は、一体だれの歌なのだろう。

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