幕末から明治にかけて生まれた翻訳語の成立過程を分析しながら、翻訳語の持つ問題点や西洋思想を翻訳して取り入れたことで日本が抱えた難しさについて論じた本。取り上げられている言葉は「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」「存在」「自然」「権利」「自由」「彼、彼女」の10個。30年以上前に出た本だが、名著と言われるだけのことはあり、刺激的な一冊である。
著者の考えによれば、翻訳語と原語は同じ意味を持つのではなく、漢字を用いた難しそうな翻訳語は、そこに何か重要な意味があるのだと示す働きをしているということになる。
日本語における漢字の持つこういう効果を、私は「カセット効果」と名づけている。カセットcassetteとは小さな宝石箱のことで、中味が何かは分らなくても、人を魅惑し、惹きつけるものである。
次の文章も基本的に同じことを言っているだろう。
しかし、およそ物事は、すっかり意味が分った後に受け入れられる、とは限らない。とにかく受け入れ、しかる後に、次第にその意味を理解していく、という受け取り方もある。私たちの翻訳語は、端的に言えば、そのような機能をもったことばなのである。
幕末から明治にかけて、手探りで西洋語を翻訳した福沢諭吉、西周、森鴎外、中村正直といった人々の苦闘の跡が甦ってくる。また、翻訳をめぐる問題が決して過去のものではなく、現在にも受け継がれている問題なのだということをまざまざと感じさせられた。
1982年4月20日、岩波新書、720円。