2012年10月31日

のんほいパーク(その2)


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自然史博物館にあるティラノサウルスの骨格標本。
この博物館には骨格標本や化石が多数展示されている。ここだけで一日楽しめるくらいの充実した内容だ。

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植物園に咲いていたきれいな花。
確か「ハイビスカスのへや」にあったもの。

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夕食は豊橋駅まで戻って、B級グルメとして売り出し中の「豊橋カレーうどん」を食べる。
駅から徒歩5分くらいの「勢川本店」にて。

「豊橋カレーうどん」はカレーうどんの底に、ごはんが入っているというユニークなもの。
その5箇条は
1.自家製麺を使用する
2.器の底から、ごはん・とろろ・カレーうどんの順に入れる
3.豊橋産ウズラ卵を使用する
4.福神漬又は壺漬・紅しょうがを添える
5.愛情を持って作る
一食で二度美味しく、しかもカレーのルーをあますことなく食べ切ることができるのがいい。
いつかまた食べに行きたい。

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2012年10月30日

のんほいパーク(その1)


ここ数年、秋になると川崎に住む父親を誘って旅行をしている。
今年は愛知県豊橋市にある豊橋総合動植物公園(愛称:のんほいパーク)へ行ってきた。

新幹線の豊橋駅で在来線に乗り換えて1駅、二川(ふたがわ)駅から徒歩7分ほど。動物園と植物園と遊園地と自然史博物館という4つの施設が一緒になっている盛り沢山な公園である。

園内は想像以上に広くてけっこう歩き回る感じ。秋晴れの天気もあって、家族連れが大勢来ていたが、それでも混んでいるという感じはしない。

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野外展示の恐竜。確かブラキオサウルスだったと思う。ひたすらデカイ。
こんな感じの恐竜が7〜8体あって、子供たちの人気を集めている。

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動物園のシマウマ。広いスペースで走りまわったり、じゃれ合ったりしている。
縞の一本一本がどうつながっているのか、じっくり観察してしまった。

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のんほいパークのシンボルのように聳えている塔。
高さは40メートル。
最上階は展望レストランになっていて、そこで昼食を取る。味はともかく眺めは抜群であった。

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2012年10月29日

文章を書く心構え


必要があって、この一年の短歌総合誌の特集や連載をすべて読み直した。その時々に読んでいたものもあれば、今回初めて読んだものもある。随分と時間はかかったが、新しい発見などもあり、ためになった。

たくさんの文章を読んであらためて気が付いたのは、手を抜いた文章はすぐにわかってしまう、ということである。文章のうまい下手や書かれた内容の良し悪しとは別に、真剣に書いたか適当に流して書いたかは一目瞭然なのだ。

これは、本当におそろしいほどにわかってしまう。
たった1ページの文章でも、その差ははっきりとしている。

これは自戒を込めて書くのだが、やはり「文章を書く心構え」が大切なのだろう。こんなことを言うと何か精神論みたいで嫌なのだが、そうとでも呼ぶしかないような何かが、文章からは明らかに伝わってくる。

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2012年10月28日

40年前の「塔」の歌会


事務所で諏訪雅子さんの旧蔵書を整理していたところ、古い歌会の詠草一覧が見つかった。
1行目に「四八、四、二十二」とある。昭和48年(1973年)のものだ。詠草はすべて手書きで書かれている。

参加者は14名。一人2首で合計28首が載っている。
1、山近きこの街なればビルの間の小さき空に鳶の舞いいる(和泉)
2、白き花おとしたちまちしなやかに青き若葉を立てる沈丁花(〃)
3、春となりて人に逅うこと多くなりぬ我と犬のみの山でありしに(滝田)
4、竹藪になりて竹より高き樹々芽吹きし梢々のかがやき(〃)
5、びっしりと花びら埋め死魚の浮く池の隅雨ふりつづく(濱名潤子)
6、前かがみに草むしり居る生徒らの背に咲きさかりなる桜をおもう(〃)
7、月影にほし草匂う土手なれば夜に醒めいるけものを呼ぼう(塩見)
8、かけ声のあとはみだらに聞えつつ重き荷物が運ばれてゆく(〃)
9、雲の原はるけくひとの向き来るに吹かれつつわれも誰の他者(沢田)
10、砂あらし何処に立てり 口かわく浅きねむりの中にききをり(〃)
11、しづかなる讃歌のごとき日本の春花片が白く地をみたしゆく(竹屋)
12、岩盤に築きし都市の繁栄も脆くゆらめく摩天楼のかげ(〃)
13、自らの悲鳴にも先きを越されたる墜死とう死の悔しからむに(永田)
14、くやしさに少し遅れて駈けゆける秋のランナー背より昏れつつ(〃)
15、さ牡鹿の如き森なり落葉松の幹すくすくと冬枯れしまま(高安)
16、雪山に在りし一日の昂奮の係恋に似て夜半につづけり(〃)
17、青ずみし山間の湖(うみ)にいそがしく騒ぎの波が走り抜けたよ(中村)
18、確実に前へ後へ歩行するすみのちぎれたカードの人形(〃)
19、雨の音閉しつつ降る硬い夜眠れぬ視野に咲く花の群(ぐん)(川添)
20、降りこめては流れる雪を降りしづめおまえはひたすら血を待っている(〃)
21、あとかたもなくたたまれし夜の更けの屋台のあとに犬が来ている(二上)
22、一行の詩もころがっていない巷 春の砂塵を追いかけてゆく(〃)
23、土の上に虫でも草でもなくている我も吹かれて明るき方むく(藤井)
24、草いぶるのみにやましき夕ぐれは動かずにいる犬のいく匹(〃)
25、花の萼紅みわたれる夜の樹々事なきを吾の幸いとして(諏訪)
26、わが肩にきららかに濃き光させばなべて重たき情念も溶く(〃)
27、灰色にかがまる老婆の指先に摘みとられては匂い立つ芹(古賀)
28、西陽あふるる土間にひびきて胡桃の実大きく二つに割られていたる(〃)
13、14の永田さんの歌は第1歌集『メビウスの地平』(1975年)に、15、16の高安さんの歌は第10歌集『新樹』(1976年)に、ほぼそのままの形で収められている。

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2012年10月27日

「炸」2012年11月号


松坂弘さんが編集発行人を務める「炸短歌会」の隔月刊誌。

鈴木豊次さんという方が「茂吉の『寒雲』について」という1ページの連載を書いている。今月が33回目。

その中に茂吉が昭和5年に満州を旅行した時の話がある。鞍山市の千山を訪れた帰りに地元の小学校の授業を見た場面を、茂吉の『満洲遊記』から引用している。
「支那の教育も侮りがたいものがあり、特に『憎日』が中学生以上大学生あたりに侵潤せんとしつつある。」
80年以上前に茂吉が書いた文章なのだが、何だか最近の話のようでもある。尖閣諸島をめぐって中国で反日デモが盛んに行われた時、その理由の一つとして中国における反日教育、愛国教育が挙げられていた。

昭和5年当時は「憎日」という言葉があったのだろう。『満洲遊記』には、他にも「排日宣伝」「反日救国」「打倒日本」といった言葉が出てきて、読んでいると複雑な気分にさせられる。

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2012年10月26日

三首の重複


『高安国世短歌作品集』(白玉書房、1977年)は、高安の第10歌集までの作品を収めた一冊である。そのあとがきに、高安はこんなことを書いている。
十冊の歌集を読み通すのはらくではない。好きな時に好きなだけ読んでいただければと思う。今度読み返してみてはじめて気づいたが、『朝から朝』と『新樹』の中に、三首だけ重複が見られ、恥ずかしく思っているが、全部歌集のもとの形で収めることにしたので、これもそのままにした。得意な歌というわけではない。
「得意な歌というわけではない」という一文が、何だかかわいい。誰もそんなこと思わないのに。

こういう文章を読むと、その「三首」はどの歌かというのが気になってしまう。別にどうでも良いことなのだが、調べないと落ち着かない。

というわけで、見つけたのが次の三首。
みなぎろう水は明るし岸明るし魚とらぬ湖かなしきまでに
建ちかけのコンクリートのビル高々といつまでもあり朽ちることなく
光消え柳のなびきよそよそし我は別人となりて立ち去る
『高安国世全歌集』で言えば、485ページの『朝から朝』の「水辺」の一連と、500ページの『新樹』の「湖岸」の一連に入っている歌ということになる。

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2012年10月25日

『斜面の悒鬱』のつづき


他にも印象に残った部分をいくつか。
よく「歌が出来なくなつた」といふ言葉を口にするものがある。たしかにそれは事実でもあらうが、しかし、そのことをよく考へてみると、これは僭越な言葉とも言ひ得る。一たい「出来ない」といふ言葉は「出来る」といふことを前提にしたものであつて、それなら今まで出来てゐたのかといへば、必ずしも出来てゐたとは言へないことが多い。
なるほど、ごもっとも。
こんなふうに言われたら、何も言い返せないなあと思う。

続いて、『戦歿将兵の遺族の為に』という小冊子に付けられたフリガナについての話。
たとへば、「後顧の憂」には「あとのしんぱい」、「軍民」には「ぐんぶとみんかん」、「殉国の英霊」には、「いのちをささげたひとのみたま」といふやうに、年よりにも、子供にも、よくわかるやうにといふ配慮が十分に窺ひ知られるのである。
「殉国の英霊」という漢語と「いのちをささげたひとのみたま」という和語では、同じ意味であっても、言葉から伝わる雰囲気は随分と違う。

似たような話でもう一つ。『英訳万葉集選』について。
(…)早速、最初のところを披いてみると、まづ、巻一、雄略天皇の御製があつたが、僕は一読して、卒然、「はゝあ、やはり basket ですね」といふ語を発せざるを得なかつたのである。
「籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 美夫君志持…」〈籠(こ)もよ み籠(こ)もち ふくしもよ みぶくし持ち…〉の部分。「籠」が「basket(バスケット)」と訳されることへの違和感を述べている。これもよくわかる気がする。

反対に、それが新鮮に感じるということもあるだろう。リービ英雄の『英語で読む万葉集』を読むと、そういう印象を強く持つ。彼の訳では、この部分は
Girl with your basket,
  with your pretty basket,
with your shovel,
  with your pretty shovel,
となっている。何ともわかりやすい。

「籠」と「ふくし」を持った古代の娘が、あたかも時空を超えて、「バスケット」と「シャベル」を持つ少女に変身したかのようである。

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2012年10月24日

土岐善麿著 『斜面の悒鬱』


昭和15年に出た土岐善麿の随筆集。

友人との気軽なやり取りや、書評、短歌や能のことなど、いろいろな話が載っている。
昭和13年から15年の文章が集められており、日中戦争下という時代の空気が感じられるところが面白い。

例えば、昭和15年に出た斎藤茂吉の歌集『寒雲』の書評を引いてみよう。
斎藤茂吉君が『あらたま』以来最近二十年間も歌集を出さずにゐたといふことは、さう言はれてみると、それに相違ないが、考へて見ると、嘘のやうな気もする。
茂吉の第12歌集『寒雲』は、歌集の刊行順としては『赤光』『あらたま』についで3番目に出版されている。そのことは知識としては知っているのだが、こうしてリアルタイムでの反応を読むと、その感じがとてもよくわかる。
今後一年に一冊ぐらゐづつ逆に二十年間を遡つて、歌集をまとめる計画といふことであり、それが実現したら、「斎藤茂吉」の精神史と共に、現代短歌史の一面をかなりはつきりと代表するものとなるであらう。
今では茂吉の17歌集を年代順に通しで読むことができるのだから、随分と便利になったわけだ。(その分、作歌した時期のズレを考慮する必要はあるけれど)

善麿は『寒雲』に多く収められている日中戦争の歌について、こんなことを書いている。
(…)銃後にあつて、つとめて現地戦線の現実に交感しようとしてゐる態度は、謂ゆる実相観入の表現ともいひ得るし、それが何処かピントがはづれてゐるやうでありながら却つて真実のあらはれてゐる点、二ユース映画の与へる感動であり、その感動が茂吉的特異性をもつてあらはれてくるところに、戦争短歌の別趣な一面があるとしなければならない。
この「何処かピントがはづれてゐるやうでありながら却つて真実のあらはれてゐる」という善麿の批評は、なかなか鋭いのではないかと思う。
陣(ぢん)のなかにささやかに為(せ)る霊祭(たままつり)二本の麦酒(びいる)
そなへありたり            『寒雲』
かたまりて兵立つうしろを幾つかの屍(かばね)運ぶがおぼろに過ぎつ
ニュース映画を見て詠まれたこうした歌でも、茂吉は画面の中心ではなく、周辺や背後に映っているものを詠んでいる。そのために、撮影者の意図とは違う戦争の真実が、自ずから滲んでくるのであろう。

昭和15年5月18日、八雲書林、1円60銭。

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2012年10月22日

短歌の固有名詞


今日の夕食後に食べた巨峰は長野県産だった。パックの包装に「JA信州うえだ」と印刷されていて、六文銭のマークが付いている。長野県上田市と言えば真田氏の城下町。六文銭は真田氏の家紋である。

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包装には、他にも「JA信州うえだ 清水宣彦」というシールが貼られている。きっと生産者の名前だろう。最近、よくこのように名前が入っている商品を見かける。顔写真やコメントなどが添えられていることもある。

この「清水宣彦」という名前を見ていて、ふと短歌における固有名詞の働きについての考えが思い浮かんだ。短歌では固有名詞が効果的な働きをすることがしばしばある。「橋」ではなく「○○橋」と具体的な名前を出す方法だ。

その際、橋の名前が「永代橋」とか「五条大橋」とか「心斎橋」など有名なものである必要はない。誰も知らない橋でも良いのである。橋の名前が風土や歴史を感じさせるような趣きがあった方が良いのは確かだが、それも絶対の条件ではない。

要はどんな名前でもいい。うちの近くにある橋で言えば「綿森橋」とか「中郷橋」とか「墨染橋」で良いのである。その時に固有名詞の果たしている役割というのは、たぶん巨峰の包装に貼られた「清水宣彦」と同じなのではないだろうか。

私はもちろん、この清水宣彦さんのことを知らない。知らなくて構わないのだ。要は「誰かの名前が書かれていること」が大事なのであって、「誰の名前が書かれているか」は、さして問題ではないのである。

短歌に固有名詞が入ることで感じられる現実性。もちろん、それは歌の内容が事実かどうかといった話とはまた別のことである。

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2012年10月21日

小黒世茂歌集『やつとこどつこ』


2008年後半から2012年前半までの歌をまとめた第4歌集。
背古さんは勢子、由谷さんは油採り、梶さんは舵取り、表札たどる
圏外をたしかめ訪ねる山なかの炭焼き窯にも郵便夫くる
窯のなかあかく咲(ひら)ける桜炭・菊炭・椿炭・馬酔木炭
ことわりの返事はすぐに来るひとの名前を河原の雀に与ふ
訪ひくるは雀五羽のみ昼どきのひとり遊びに水雲(もずく)粥炊く
息吐けば吸はねばならずりんろんと秋の鏡をひたすら磨く
重心のそれぞれちがふ瓢箪をまぶしむやうにふたり子育てし
ふたり子に実家といはれるやうになり棕櫚の箒にうらぐちを掃く
眠くなる薬を買ひにゆくひとのひらたき顔をガラスは映す
僧房の鍋に湯のわき座ぶとんをこの世の秩序のなかに並べる
鳥髪のたたら師、太地町の捕鯨の砲手、白浜町安居(あご)の炭焼き、湖東の木地師など、日本古来の伝統を受け継ぐ人々を訪ねる旅から生まれた歌に特色がある。

1首目は和歌山県太地町の歌。かつての捕鯨における役割が苗字のルーツになっているのだろう。3首目は「桜炭」「菊炭」「椿炭」「馬酔木炭」と、それぞれの木によって違う炭の様子が美しく浮かび上がってくる。

ただし、日本の源流を訪ねるというテーマがやや出過ぎて、散文的になっている歌も見受けられる。そのあたりのバランスの取り方が短歌は難しい。

他には、衰えてゆく姑、長男の結婚、実家にひとり暮らす姉など、家族を詠んだ歌に良いものが多い。8首目、「実家といはれるやうになり」には、夫婦二人の暮らしとなった寂しさがじんわりと滲んでいる。

2012年8月28日、ながらみ書房、2500円。

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2012年10月19日

「棧橋」112号


季刊同人誌「棧橋」の112号が届く。
出詠80名。時評やエッセイ、歌集評、評論などもあり、全124ページ。

毎号「アンケート」という欄があって楽しみにしている。
今回は「原稿の締切が迫ると、してしまうこと」という内容。

回答は大きく分けて3つくらいのタイプに分かれる。
まずは「優等生」タイプ。
原稿はおおむね早目に仕上っているので、最後の推敲を繰り返す。(奥村晃作)
私は昔から不安症なので、締切の十日前に一応の草稿はできています。従って締切前は見直し確認作業です。(木畑紀子)
羨ましいというか、見習いたいというか、編集サイドからすれば有難い方々である。

次に「努力」タイプ。
夜更しに備えてひとまず仮眠を取ります。昼寝か夕寝をして家人の寝静まるのを待ちます。(池下寿子)
好きな歌集を片っ端から読む。(丹波真人)
これは、何とか原稿が書けるようにと、あれこれ努力している方々だ。

最後に「逃避」タイプ。
いつもは全くやる気にならない洋裁をやり始めてしまい、結果苦しんでいます。(海老原光子)
突然掃除がしたくなったり、日持ちする惣菜が作りたくなる。今回はトマトピュレをたっぷり作って冷凍した。(竹内みどり)
わかる、わかる、という感じ。僕も基本的にこのタイプ。
なぜか、今やらなくていいことを始めてしまう。

最後に、一番意外だった回答は、
ギックリ腰。(藤野早苗)
締切に迫られてギックリ腰とは。いやはや、大変です。

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2012年10月18日

井椋有紀著 『ロシア・ビギナーのサハリン紀行』


副題は「船で5時間のヨーロッパひとり旅」。

2002年7月に4泊5日でサハリンを訪れた著者の旅行記。
海外旅行先としてはあまり有名でないサハリンの旅を軽快な文章で綴っている。

著者のたどったルートは次の通り。

15日 稚内→(フェリー)→コルサコフ→(車)→ユジノサハリンスク(泊)
16日 ユジノサハリンスク→(鉄道)(車中泊)
17日 →スミルヌイフ→(車)→パペジノ→(車)→ポロナイスク(泊)
18日 ポロナイスク→(鉄道)→ユジノサハリンスク(泊)
19日 ユジノサハリンスク→(飛行機)→函館

サハリン最大の都市ユジノサハリンスクを拠点に、北緯五十度の旧国境地帯まで足を伸ばしている。サハリンの町の様子や鉄道の中の様子が詳しく描かれていておもしろい。

もちろん、ここに書かれているのは十年前の旅行であるから、その後のロシアの経済成長を受けて、今ではだいぶ変っている部分もあるだろう。一度ぜひ訪れてみたいと思う。

2003年6月15日、文芸社、1000円。

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2012年10月16日

『サバイバル登山家』つづき


印象に残った文章をもう少し。
登山は選択の連続で成り立っている。(…)選択が正しかったのかそれとも誤っていたのかを山が教えてくれるのは、正しくなかったときだけである。
登山に限らず、「正しい選択」とはそういうものなのかもしれないなあと、漠然と思う。
ひとつの山旅とはいったいどこで終わるのか、長年の疑問だった。下山口に着いたときか、打ち上げで乾杯したとき、もしくは電車から登ってきた山並みを眺めたときか。だが、終わったと実感したとき、その山旅は少し前に終わっていたような気がいつもしていた。
この微妙な時間差もよくわかる気がする。
何かが「終わった」と思う時には、それはもう既に終わっているのだ。
僕と世界は一枚の薄い皮膚で分かれている。僕という存在はどこまでも肌の内側に詰め込まれた、内臓であり、血と肉と骨であり、脳味噌でしかない。
この部分を読んだ時には、ずいぶん前に自分が作った歌を思い出した。
輪郭を明らかにして冬が来る冷たい皮膚のここからが僕
                    『駅へ』
服部文祥の本を、これからも読んでいきたい。


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2012年10月15日

服部文祥著 『サバイバル登山家』


山登り全般にわたって数多くの経験を積んできた著者が、必要最小限の荷物だけを持ち、食料も現地調達する「サバイバル登山」という方法を生み出すに至るまでの履歴を記した本。岩魚の皮を前歯で剥いでいる表紙の写真が強い印象を与える。

「春季知床半島全山縦走」(1993年)、「南アルプス大井川源流〜三峰川源流」(1999年)「日勝峠〜襟裳岬」(2003年)、「北アルプス上ノ廊横断〜北薬師東稜」(2000〜2001年)、「北アルプス黒部川横断」(2002年)といった登山の様子が克明に描かれている。

登山の本ではあるのだが、登山の経験をほとんど持たない私にも十分におもしろい内容だ。それは、著者が登山について確固とした考えを持ち、それをストレートな文体で、力強く生き生きと書き付けているからだろう。
気がついたら普通だった。それが僕らの世代の思春期の漠然として重大な悩みである。おいしい食べ物や暖かい布団があり、平和で清潔だった。そして僕らはいてもいなくてもかまわなかった。
1969年に横浜で生まれた著者が抱いた思いは、1970年に東京の郊外で生まれた私にも同じように当てはまる。私がこの著者に引き付けられる理由は、そんなところにあるのかもしれない。

2006年6月19日、みすず書房、2400円。

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2012年10月14日

鷲田清一著 『「ぐずぐず」の理由』


さまざまなオノマトペ(擬音語、擬態語)を取り上げて、その言葉の肌触りや成り立ち、働きなどを論じた一冊。オノマトペ論であると同時に、オノマトペを切り口にして、言語や身体、人間について考察した内容となっている。

この本の最大の特徴は、著者が文章を書き進めながら、常に考え続けていることだろう。何か一つの結論へ向かってまっすぐに進んでいるのではない。まさに手探りといった感じである。

日本語のオノマトペは、実詞を基に作られた「境界オノマトペ」(くどい―くどくど)とそれ以外の「真正オノマトペ」に分けられることなど、言語学的な説を参照しつつ、それを答えとするのではなく、さらにそこから考えを展開していく。

例えば、
「ね」は、それを発音するとき、「に」以上に舌が横に広がるので、下と上顎の接触面は、その接触によって音を出すナ行のなかでももっとも大きい。(…)この接触面の大きさによって、「ね」は粘着性や執拗さ、つまりはしつこさの音声的表現にぴったりである。
といった音声的な分析から始めて、「ねちねち」「ねっとり」「ねとねと」「ねばねば」といったオノマトペ、さらに「ねぶる」「ねたむ」ねだる」といった動詞や「ねんごろ」「ねぎらい」「ねじれ」といった名詞、そして「ねえ」という感動詞にまで話は広がっていく。

オノマトペの持つ身体性は、人間と言葉の関わりを考える上で、一つの大切な鍵になるのかもしれない。

2011年8月25日、角川選書、1600円。

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2012年10月13日

堺(その2)


秋晴れの良い天気で、京都から堺へ行く途中の電車で、4つの小学校の遠足と出会った。
まさに遠足日和という感じ。

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南海線の堺駅西口に立つ与謝野晶子像。
手に持つ筆や短冊が微妙に折れ曲がっているような気がする。

台座に刻まれている歌。
〈ふるさとの潮の遠音のわが胸にひびくをおぼゆ初夏の雲〉

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堺市立中央図書館の横にある晶子の歌碑。
〈堺の津南蛮船の行き交へば春秋いかに入りまじりけむ〉

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大仙公園の中にある晶子の歌碑。
〈花の名は一年草もある故に忘れず星は忘れやすかり〉

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最後に訪れた仁徳天皇陵。

三重の濠に囲まれていて、世界最大級の大きさを誇る。一周2850メートル。
拝所から見ても全体の形を見渡すことはできないが、その巨大さはよくわかる。

付近は百舌鳥(もず)古墳群と呼ばれるように、4キロ四方に47基の古墳が残っており、至るところ古墳だらけ。

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2012年10月12日

堺(その1)


今日はカルチャー教室の生徒さんたちと一緒に堺へ。

10時にJR堺市駅に集合して、方違(ほうちがい)神社→反正(はんぜい)天皇陵→堺市役所21階の展望ロビー→妙國寺→本願寺堺別院→覚応寺→千利休屋敷跡→与謝野晶子生家跡→仁徳天皇陵→JR百舌鳥駅という行程。

堺という名前が摂津の国と和泉の国の境にあることに由来しているのを初めて知った。市内には与謝野晶子の歌碑が数多く建てられている。古い町並みや由緒ある寺社、古墳群など見どころも多く、歴史を肌で感じることができる。

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本願寺堺別院の境内にある与謝野晶子の歌碑。
〈劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘ひとつ打つ〉

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こちらは、覚応寺の境内にある晶子の歌碑。
〈その子はたちくしにながるゝくろかみのおごりの春のうつくしきかな〉

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阪堺電気軌道の阪堺線。
大阪市の恵美須町駅と堺市の浜寺駅前駅までの14.1キロを結ぶ路面電車。
運賃は大人200円均一。

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与謝野晶子生家跡にある歌碑。阪堺線の走る紀州街道に面して立っている。
〈海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女となりし父母の家〉

現在は埋め立てによって海までの距離が遠くなり、潮鳴りは聞こえそうもない。

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2012年10月11日

加藤治郎著 『うたびとの日々』



短歌についての文章や歌人としての日々を綴ったエッセイをまとめた本。

1章が「短歌の現代性(リアル)」、2章が「歌人(うたびと)として生きる」となっていて、短歌と仕事と家庭の3つの中で生きる著者の姿が、くっきりと見えてくる内容となっている。

著者の文章は非常に歯切れが良い。自分の立場を鮮明に出している点が、読んでいて気持ちがいい。特に印象に残ったのは、下記のような部分。
不思議なことであるが、この詩型においては、ソーセージに芥子がのっているというようなことが俄然輝きを放つのである。
ただ、歌人の意識として「売りたい」即ち「儲けたい」では、なかったのではないか。利潤ではなく、読者を欲していたのである。
結社の機能は、概ねネットの環境に置き換え可能である。が、只一つネットの会にはないものがある。それは師弟関係だ。
短歌は才能ではない。この詩型への強い思いがなければ歌人にはなれない。
どれも箴言のように強く響いてくる言葉である。
こうした言い切りの言葉の強さが、加藤治郎の魅力でもあるのだろう。

2012年7月4日、書肆侃侃房、1500円。

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2012年10月10日

現代歌人協会

「現代歌人協会会報132号」には第57回定時総会の報告が載っている。
年に1回開かれる総会である。

その中に、次のような部分があった。
(…)出席者六五名、委任状五二七通で、定足数に達していることの
確認があり、(…)
現代歌人協会の会則には「総会は、会員の2分の1以上の出席(委任状を含む)をもって成立する」とある。歌人協会の会員数は名簿を見ると約770名なので、確かにこれで問題ないわけだ。

私は入会以来、一度もこの総会に行ったことがない。
今回の総会も6月28日、木曜日の夕方6時から東京で開かれていて、なかなか行くことが難しい。せめて金曜日の夕方にできないものだろうか。

現代歌人協会の集まりは、なぜか木曜日に開かれることが多い。首都圏以外の会員の参加は、初めから想定されていないのかもしれない。

会報には「忘年会予告」も載っていて、こちらも12月13日(木)午後6時から。せめて、金曜日にすることはできないものかと、毎年のように思う。

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2012年10月09日

「現代歌人協会会報」132号


池本一郎さんが「最近知った古語・新語」というエッセイ欄に、「テンプレ」と題する文章を寄せている。
 たしかテンプレと聞こえた。「テンプレですよ、これは」と。エッ、何?
 40人の歌会で小声で批評する若者。昨秋、京都の「塔」歌会に出席した。上洛中だったので久々に出たら、初対面の若い人が多く、次々に発言して賑わう。
 テンプレは初耳の〈新語〉。だが歌を見ると察しはついた。感心しない、もっと別の表現がいい、という感じ。
 廣野翔一か藪内亮輔か、「京大短歌」の人の評言だった。仲間内では定着した批評語の様子で淀みなく。傍の松村正直に質すと「きまった、型どおりの」といった意味でしょうという。はあ。
 辞書には、template=型取り工具・型板。[コンピュータ]テンプレート(用途に応じたひな型・定型書式)とある。(以下、略)
ここには、老若男女が集う歌会のおもしろさがよく出ていると思う。池本さんは70歳代、僕は40歳代、廣野さんや藪内さんは20歳代。世代の違うメンバーが集って、同じ歌についての議論をする。

自分では当り前だと思っている話が通じない場合がある。また自分の知らない風俗や習慣について初めて聞くこともある。それは、確かに少し面倒なことであるのだけれど、一方でそれが刺激にもなり楽しみにもなる。

同世代だけが集まる歌会とは違ったおもしろさが、そこにはあるのだと思う。

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2012年10月08日

大津祭


今日は湖国三大祭の1つである大津祭へ。

IMG_3109.JPG

朝9時過ぎにJR大津駅に着くと、13基の曳山が勢揃いしていて、ちょうど巡行が始まるところ。どれも江戸時代に製作されたものだそうで、豪華に飾られている。

大津祭の面白いのは、巡行のところどころで曳山に乗った人形たちのからくりが演じられるところ。猩々がお酒を飲んで顔を真っ赤にしたり、恵比寿さんが鯛を釣りあげたり、岩の中から唐獅子が現れて躍ったり、故事にちなんだ様々なからくりを見ることができる。

また、曳山からは厄除けの粽も撒かれる。巡行の道筋にある家や商店は二階の窓を全開にしていて、そこに投げられる粽を受け取っている。もちろん、粽は道にも撒かれるので、見物客がキャッチしたり拾ったりする。

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大津に来て琵琶湖を見ないわけにもいかないので、帰りは京阪の浜大津駅から帰ることにして、湖岸へ行く。秋晴れの空の下に穏やかな湖が広がっていた。

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2012年10月07日

永田淳歌集 『湖をさがす』 (その2)


『湖をさがす』を読んでいると、いろいろと楽しいことがある。
例えばこんな歌。
さやさやと息子の尿(ゆまり)の音聞こゆ塾を終え来し夜の厠に
この歌に詠まれている息子はたぶん12歳、小学6年生。
これを読んですぐに思い出すのは永田和宏の次の一首。
朝食の卓にまでどうどうと聞こえ来て息子は尿(いばり)までいまいましけれ
              永田和宏『饗庭』
当時、息子(淳さん)は18歳、高校3年の頃の姿である。
「さやさや」と「どうどう」、「ゆまり」と「いばり」。親子三代の尿の歌であるが、息子の年齢によって随分と雰囲気は違ってくる。

もう一首。
子を擲ちし指先熱くなり始む正午を過ぎてゲラに向かえば
この歌を読んで思い出すのは、河野裕子の有名な一首。
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
              河野裕子『桜森』
子どもを叩いた後の手の熱さは、単に物理的な痛みだけではなく、気持ちの痛みを伴っている。それは昔も今も変らないことなのだろう。

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2012年10月06日

永田淳歌集 『湖をさがす』 (その1)


第2歌集。
君の寝坊すなわち子らの寝坊にて学校までを送りてゆきぬ
塩化カルシウムの白き袋の中ほどが折れて立ちいる十王堂橋
炭酸の泡がやがては消えてゆくごとくに母の死は忘れらる
角度もち格子戸ごしに差し込める弥生のあさひ湯舟に見たり
枯れ蘆の根元は緑(あお)みいるならん春の潮の寄れる河口に
日盛りの何も通らぬ道の上を高く鳶の影は過ぎゆく
バス停にバス待ちいると思いしが不意に道路をわたり始めぬ
台風ののこしてゆきし涼しさに触れつつ文を書き終わりたり
食卓に「明日の玲」へと手紙置き寝ねにゆきたり「きのうの玲」が
水浅く流れの見えぬ桂川冬の電車に越えゆくところ
2011年の一年間、ふらんす堂のホームページに毎日連載された「短歌日記」を一冊にまとめたもの。題は「みずうみをさがす」ではなく「うみをさがす」。1ページに3行書きで一首ずつ載っている。

前年の8月に亡くなった母(河野裕子)の面影が、しばしば歌の中にあらわれる。9首目の「玲」は娘さんの名前。他にも、草花や川・湖などの自然を詠んだ歌と家族を詠んだ歌に良いものが多かった。

2012年8月24日、ふらんす堂、2000円。

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2012年10月05日

「開放区」第95号


「開放区」は年3回(2・6・10月)の発行。

野一色容子さんのエッセイ「ナンジャモンジャの木―清原日出夫評伝拾遺(その一)―」を読む。以前この「開放区」に連載されて、昨年『ナンジャモンジャの白い花―歌人清原日出夫の生涯』として出版された文章への追加である。
出版後にも、重要な新資料が、とくに北海道資料から出てきたので、このエッセーでそれを補ったり訂正したりしたい。
とのことで、その姿勢がまず素晴らしいと思う。重要な新資料については次号で扱うとのことなので楽しみに待ちたい。

今回、印象に残ったのは、次の部分。
もちろん、敢えて詳しく本に書かなかった部分も多い。清原日出夫の遺族が健在であり、遺族のプライバシーに関することはここでもやはり書かないつもりだ。
評伝のようなものを書く場合、こうした問題はどうしても出てくるだろう。微妙で難しい問題である。私も以前「高安国世の手紙」を連載していて、同じようなことを経験した。連載一回分の原稿をまるまるボツにしたことがある。

ご遺族の立場からすると、書いてほしくない部分、書かれたくない部分というのが当然ある。取材や資料の提供などでお世話になっている以上、それを無視してまで書くというのは、なかなかできることではない。

そのあたりが、プロのノンフィクションライターではなく、歌人が歌人を書く際の難しさのような気がする。

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2012年10月04日

大口玲子歌集『トリサンナイタ』


筆先を水で洗へばおとなしく文字とならざる墨流れたり
夜勤明けのきみ、徹夜明けのわれ眠り昼寝の犬はガラス戸のそと
わがうちに小さきひとゐて緑濃きアスパラガスの茎を分け合ふ
あるときはみづからに歌ふ子守唄おにぎりに海苔はりつけながら
しんしんと夜の雪渓をゆくごとく目瞑りて子に母乳を与ふ
朝顔の紺の高さに抱き上げてやれば蜘蛛の巣に手を伸ばしたり
とりどりのベビーカー風をはらみつつある日は舟のごとく行き交ふ
阪神の死者を超えたと待つてゐたかのやうに告げる声のきみどり
人形に「もうすぐ地震をはるよ」と繰り返す子のひとり遊びは
月にいちど夫は宮崎へ会ひに来てそのたび淡く出会ひなほせり
2005年末から2012年1月までの作品を収めた第4歌集。

全体が3章構成となっており、1章は夫婦二人の仙台での生活、2章は息子の誕生と子育て、3章は東日本大震災後の宮崎市への転居という流れとなっている。

母親が子供を殺した事件を詞書にした連作「吾亦紅」20首は、異様な迫力がある。連作のタイトルが「われも(こう)」であるところに、事件を起こした母親と自分との差は紙一重に過ぎないといった意識が感じられる。

今朝の新聞にも「母が娘2人刺殺 9か月と9歳」という記事が載っていた。

2012年6月29日、角川書店、2571円。

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2012年10月03日

「未来」2012年10月号


「未来」10月号をぱらぱら読んでいたら、或る訃報が目にとまった。
■訃報
  宮本まさよし 平成二十四年三月ご逝去
この名前には、高安国世との関わりで見覚えがあった。

高安は昭和29年の秋に広島を訪れて「広島にて」と題する16首の歌を詠んでいる。この時のことは『カスタニエンの木陰』所収の「広島にて」という文章にも記されているのだが、その中に
昨夜はみやもとまさよし君と藤原俊彦君とが宿を訪ねてくれて、いろいろ話した。
という一文があるのだ。
宮本はこの年4月に創刊されたばかりの「塔」の会員であった。こんな歌を詠んでいる。
原爆ドーム除去して傷痕を忘れよと怒り知らざる彼らの言葉
ミス・ヒロシマ撰ぶ催しに抗議せし原爆少女のひとりありしと
        みやもとまさよし 「塔」昭和29年9月号
宮本が「塔」の会員であったのは3年ほどのことだったようで、それ以降は歌も文章も「塔」には載っていない。

今回、「未来」を読んで初めて知ったことがある。「歌会だより」の広島歌会のところに、次のように書かれているのだ。
広島歌会のリーダー的存在であられた宮本まさよし氏(近藤先生の従兄)のご逝去の報が届いた。東京に転居されて六年位か。
宮本まさよしは近藤芳美の従兄だったのだ。なるほど、そういう関係であったのか。広島は近藤の母方のふるさとであり、近藤は中学から旧制高校にかけての時期を広島にある外祖母の家で暮らしている。

高安国世、宮本まさよし、近藤芳美、そして広島。私の中でそれらがようやく一つに結び付いた瞬間であった。

posted by 松村正直 at 20:58| Comment(0) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月02日

角川「短歌年鑑」1971年版


高安国世が亡くなったのは1984年。私はもちろん高安さんに会ったこともないし、リアルタイムで高安作品を読んだこともない。

そのせいばかりではないだろうが、高安作品が生前、どのように評価され、あるいはどのように評価されなかったのか、というのが今ひとつはっきりわからない。

高安さんの歌は前期、中期、後期と大きく変遷をしている。そうした変遷は当時どのように受け止められていたのか。そうした評価史みたいなことを知りたいと思う。

そういう意味で、角川「短歌年鑑」1971年版の座談会は非常におもしろい。巻頭に塚本邦雄・上田三四二・玉城徹の座談会「ことしの歌壇を語る」が載っていて、その中で高安作品について議論されているのだ。

第8歌集『虚像の鳩』(1968年)以降の高安作品について、上田三四二は、作品として疑問に思う点はあるとしつつも「移り方に高安さんとしては必然性がある」「高安さんの作風ということは感じる」と比較的好意的に述べている。

これに対して、塚本邦雄は「着目すべき作品がある」「高安さんの流動的な作風の一つの表れ」とした上で、決定的な文体を作らないのが高安の「強みでもあり、また逆の意味もあると思う」という微妙な評価。

玉城徹が一番批判的だろう。「完成などということは望まないという態度は必要」としながらも、「ある水準がきまってくるところがないと、ちょっと困る」「あまりにも流動的だという感じがする」と疑問を呈している。

「流動的な作風」というのは、高安さんに常に付きまとった評価であったのだろう。

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2012年10月01日

古い会員の方々を


2005年に「塔」の編集長になる前に、永田家に呼ばれたことがある。永田さんと河野さんからいろいろ話を聞いたのだが、その時に河野さんに言われたのは「古い会員の方を大事にして下さい」ということだった。

その時は、ちょっと意外な気がしたものだ。「良い誌面を作って下さい」でも「会員が増えるように努力して下さい」でもなくて、「古い会員の方を大事にして下さい」。何だか拍子抜けがした。

河野さんのあの言葉の意味がようやくわかってきたのは、たぶん最近のことだろう。歌壇的には全く無名でも、結社の中でコツコツと歌を作り続けている人が、世の中には大勢いる。そうした方々を抜きにして、結社や短歌を語ることはできない。

posted by 松村正直 at 17:27| Comment(4) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする