2012年07月31日
アーチェリー女子団体
アーチェリー女子団体の3位決定戦(対ロシア)をテレビで見た。
6エンド終了時点までは負けていたが、第7エンドで同点に追い付き、いよいよ最終の第8エンド。
日本は一人目が9点、二人目も9点、そして三人目が10点で合計28点。
ロシアは一人目が8点。この時点で残り2人が10点を取らない限り日本の勝ちという状況になる。しかし二人目は10点で、勝負は三人目までもつれる。
そして、三人目が8点をうち、ついに2点差で日本の勝利が決まった。
劇的な勝利を見ていて思い出したのは、1992年の春のリーグ戦の最終戦。
大学の4年間、アーチェリーをやっていた。大学生活でもっとも時間を費やしたのは、間違いなくアーチェリーであっただろう。その集大成とも言うべき4年の春の団体戦の順位決定戦である。
自分の放った最後の矢が10点に突き刺さった時の感触を、今も鮮やかに思い出すことができる。リーグ戦は8人が72本ずつうつ団体戦で、トータル4800点台の争いだったが、それをわずか1点差で勝利したのだった。
あれから20年か・・・。
2012年07月30日
石黒浩著 『ロボットとは何か』
副題は「人の心を映す鏡」。
日常活動型ロボット「ロボビー」(1999年)、「ロボビーIV」(2004年)、女性アンドロイド「リプリーQ2」(2005年)、遠隔操作型アンドロイド「ジェミノイドHI-1」(2006年)、子供ロボット「CB2」(2006年)と、新しいロボットを次々と開発してきた著者が、その研究の意味や目的、さらには今後の見通しを記した本。
著者はロボット工学と認知科学や脳科学が融合した「アンドロイドサイエンス」を提唱している。本書は、そんな著者ならではのアイデアや試行錯誤、そして最新の研究の動向を、時代を追って理解することができるようになっている。
「人に心はなく、人は互いに心を持っていると信じているだけである」「ロボットの研究とは人間を知る研究である」「人は他人ほど自分のことを知らない」「自分の心も、他人の心も、観察を通して感じることでその存在に気がつく」など、随所に刺激的な言葉が出てきて面白い。
来月の「塔」の全国大会では、女性アンドロイド「ジェミノイドF」が登場する劇が上演される。
今から楽しみだ。
2009年11月20日、講談社現代新書、740円。
2012年07月29日
土星
夕方から京都産業大学の神山(こうやま)天文台へ。
毎週土曜日の19時から、一般公開の天体観望会が行われている。
前回はあいにくの天気で観望会は中止になったのだが、今日は
まずまずの晴天。無事に2時間、天体望遠鏡を見ることができた。
参加者は30名ほど。
月、火星、土星、うしかい座のアークトゥルス(赤色巨星)、はくちょう座の
アルビレオ(重星)、こと座のベガなどを次々と見せてもらう。
案内役の専門員さんや学生さんの応対も丁寧で、どんな質問にも
気軽に答えてくれるのが嬉しい。
実は天体望遠鏡を見るのは今回が初めて。
土星の輪がくっきりと、いかにも土星らしい形に見えるので、
案内役の学生さんに「おぉ、土星の形してますね!」と言ったら、
「そりゃぁ、土星ですから」と言われてしまった。
2012年07月28日
朝井さとる歌集 『羽音』
背中より知らない女が抜け出してなんば十時の待ち合はせに行く2000年から2010年までに作られた423首を収めた第一歌集。
天井には胴うごかさぬ蛾の交尾去年は追ひて今年は追はず
流星群に降られつつ烏賊を剥いてをりどこから指かもう分からない
客間とふつめたき部屋が実家にはありて卵の置かれてゐたり
父母の婚を思へばしみじみとじぶんで稼ぐ金あたたかし
無印良品(むじるし)の階で居眠りする夫よ培養体のやうにしづかに
厨にはちひさき窓がふさはしくすいすいと切る絹ごし豆腐
手とあたまと交互に眠り書きをれば土鳩のやうな朝刊が来る
ええ、こちらはおだやかにやつてます 言葉足らずはつよく伝はる
妹を産んでくれてありがたう交代で見舞ふ晩夏はじまる
上句から下句への飛躍や斬新な比喩など、修辞の力をたっぷりと味わうことができる一冊。自分の来し方や現在を問い直す歌が多く、静かではあるが、やや翳りを帯びた内面が見えてくる。
特に別れた母を詠った歌に印象的なものが多い。引用9首目、10首目も「母」という語は出てこないが母の歌である。母との関係をどのように捉え、どのように関わっていくか。母に対するアンビバレントな思いは、作者の最も根底にある大切な部分のようだ。
作者の朝井さんとは「塔」の旧月歌会で長く一緒にやって来たし、何度も話をしたこともある。しかし、こうして歌集一冊を読んでみると、あらためて「歌」の持つ力というものを感じる。ここには日常の言葉の何十倍もの密度の言葉が並んでいる。
2012年5月20日、砂子屋書房、3000円。
2012年07月27日
『駅へ』完売
2001年に出した第一歌集『駅へ』が完売した。
1000部刷って、そのうち800部を家に送ってもらい、
200部は出版社に預かってもらった。
800部のうち500部程度は寄贈して、残りを販売。
数年前に出版社に残っていた在庫も引き取って販売を
続けてきたが、昨日とうとう最後の1冊が売れた。
11年かけて、ようやく手元の在庫が無くなったことになる。
嬉しいような寂しいような、複雑な気分だ。
第二歌集『やさしい鮫』や評論集『短歌は記憶する』は、
それぞれまだ10年くらいは在庫が残りそう。
【追記】
『やさしい鮫』(ながらみ書房)、『短歌は記憶する』
(六花書林)は、それぞれ出版社にも在庫があります。
2012年07月26日
田村元歌集 『北二十二条西七丁目』
日常を肯ふやうにまひまひが祭のあとの大学を行く1998年から2012年までの371首を収録。
空よりも山が暗いよ この歳になつて故郷の呪縛もないさ
夜の汽車に赤子は泣けり永遠にえーいゑーんと泣き続けたり
ふりがなをわが名に振りてゆくときに遠くやさしく雁帰るなり
カウンターの隣は何を待つ人ぞわれは春雨定食を待つ
企画書のてにをはに手を入れられて朧月夜はうたびととなる
地下鉄のほそき光にたどりゆく日に二十ページほどの読書を
二十代過ぎてしまへり「取りあへずビール」ばかりを頼み続けて
藤棚のやうに世界は暮れてゆき過去よりも今がわれには遠い
片肘をついたころから言の葉に蔦がからんでゆくバーの夜
行く春の固定電話がなつかしいコードをのの字のの字に巻いて
タイトルは大学時代に住んだ札幌の住所から取られている。
本書の特徴としてまず挙げられるのは、土地に対する愛着といったものだろう。ふるさとの群馬県、大学時代を過ごした札幌、社会人となって暮らす東京(大阪、神奈川)。それぞれの場所が作者にとって大きな意味を持っているように感じる。
また、サラリーマンとしての感慨や仕事の歌が多いことも特徴の一つだろう。何も特別な内容が詠われているわけではないが、20代〜30代男性の一つの典型を描き出していて興味深い。こうしたサラリーマンの歌というのはどこにでもあるようでいて、実は意外と少なかったものだ。
もう一点挙げておきたいのは、お酒や飲食に関する歌が多いことである。それも「ミスドのドーナツ」「きつねうどん」「ラーメン」「海老フライ」「カレーパン」「ニンジンジュース」といった、いかにも日常的な(庶民的な?)食べ物が多く登場する。
こうした特徴を挙げていくと、そこから見えてくるのは「日常」を愛する気持ちであろう。さまざまな悩みや苦労を抱えつつも、日々の暮らしや人間の営みを緩やかに肯定し、基本的に前向きに進んでいく明るさと健やかさがある。
「えーいゑーん」や「取りあへずビール」や「のの字のの字」など、遊び心のある修辞を交えつつ、ストレートな心情表現とのバランスがいい。一冊を読み終える頃には、確かな作者像が浮かび上がってくる。優れた第一歌集の誕生である。
2012年7月14日、本阿弥書店、2600円。
2012年07月25日
三枝昂之著 『百舌と文鎮』
「りとむ」の平成11年7月号から連載が続いている「百舌と文鎮」の中から70編を選んでまとめた本。「歌話、あるいは歌と暮らしをめぐる日々の随感」を連載する意図について、最初に次のように述べている。
近代百年の歌人の仕事を見ていると、歌論の力はもちろん大きいが、古びるのも早いと感じる。歌話にはそれがない。その時々の作品の分身、作歌メモというニュアンスが伴うからだろう。つまり歌に近しいからである。そうした領域にも守備範囲を少し広げたいのである。
年齢を重ねてきた著者の自身や余裕といったものが感じられる文章だ。
読む方としても、『昭和短歌の精神史』や『啄木―ふるさとの空遠みかも』など、同じ時期に書かれた歌論や評論集を読むのとは、また違った楽しさを味わうことができる。
本書には13年間にわたる様々な話が入っているが、飯田龍太、竹山広、河野裕子、吉本隆明など、亡くなった人のエピソードがとりわけ印象に残る。1976年頃の高安国世についての思い出もある。
東京と京都のシンポジウムを通じて思うのは、高安国世氏のことである。氏の世代は全く関心を持ってくれなかった企画を、口出しを全くせずにバックアップしてくれたのが高安氏である。東京でも京都でも会場の前の方で熱心な聴衆に徹していたその姿が忘れられない。企画の成否を危惧している当事者としては、氏の参加に大いに励まされた。初期から中期、そして後期へと、常に変化を求め続けた高安国世の短歌の世界を想起させる話だろう。高安さんの姿が目に浮かんでくるようだ。
本書は短歌の豊かさを存分に味わうことのできる良書であるが、惜しむらくは誤植が多い。はっきりわかるものだけで20か所くらいはある。内容が評論でなく歌話であることが不十分な校正につながっているのだとすれば、残念な話である。
2012年7月2日、ながらみ書房、2500円。
2012年07月24日
明治三陸大津波
「塔」6月号に吉田淳美さんの評論〈宮沢賢治「青びとのながれ」と「明治丙申三陸大海嘯之實況」〉が載った。明治29年6月15日の三陸大津波を描いた絵図が宮沢賢治の短歌「青びとのながれ」の基になっているのではないかという内容である。
今日届いた日本現代詩歌文学館の館報「詩歌の森」にも、俳人の友岡子郷さんが「明治三陸大津波と正岡子規の俳句」という文章を寄せている。子規もこの津波に関する俳句を作っていることを初めて知った。
人すがる屋根も浮巣のたぐひ哉など12句が引かれている。どんな情報を元に作ったのかはわからないが、なかなか迫力がある。当時は津波のことを「海嘯」と言ったようで、詞書には「海嘯」という言葉が使われている。
昼顔にからむ藻屑や波の跡
生き残る骨身に夏の粥寒し
2012年07月22日
不思議なつながり
2冊の全く関係のない分野の本を読んでいて、不思議とつながっていると感じることがある。
例えば、最近読んだ『ロボットは涙を流すか』と『河骨川』は、全く別のジャンルの本と言っていいだろう。それが不思議とつながっているのだ。
夜中に必要なものが出てきて、家の近くのコンビニまでちょっとでかけて買い物してくる――まずは、そんな時の会話を思い出してもらいたい。自動ドアを通過すると「いらっしゃいませ、こんばんは」とアルバイトの店員さんが声をかけてくる。(…)
――さて、このコンビニの人は人間ですか?
コンビニで私たちが店員さんと交わす会話は、せいぜい十秒ぐらいの長さだろう。この程度の内容と長さの会話を実現するだけであれば、おそらくアンドロイドで十分間に合う仕事だと思う。そう考えると、アンドロイドが成り代われる人間の作業は、私たちの暮らしの中にいくらでもある。
『ロボットは涙を流すか』
コンビニに来て物買はずコピー機を使ふ時素浪人(すらうにん)の恥(やさ)しさ実によく似たモチーフが描かれている。その偶然の一致に驚く一方で、あるいはこんなふうに全ての出来事はつながっていると考える方が正しいのかもしれないとも思うのである。
全コンビニの終夜の電気消費量をまかなふための原発幾つ?
イラッシャイマセが「ラッシャイセ」となりぬ元ヒトだつた接客人形
量り売り廃れたる世の寂しけれ容器はみんなみんなみんなゴミ
人間がロボットに進化する神話書かれこの星の歴史畢(をは)らむ
『河骨川』
2012年07月20日
高野公彦歌集 『河骨川』
川遊びする子ら星ヶ淵に来て五人いつしか四人となりぬ第13歌集。平成18年〜21年の作品575首を収めている。
前流れ後ろ流れを雪が覆ひ越の家々白き墳(つか)の如し
歩道橋のぼり来たりて街路樹のマロニエの大き葉のそばを行く
母をおもふ、さうではなくてむらきものこころに母が来て縫物す
稲尾逝きてその日マンションの銀色のドアノブ全て鈍く光りぬ
にんげんの老いて、老いざる鼻梁(はなすぢ)を哀しと見れば洟をかみたり
礼をして顔を上げたる棋士二人いづれ勝ちしや共にほほゑむ
コンビニの夕べのおでん いふならばおでんはクラリネットのねいろ
人生を手ぶらで歩く午後ありて天人唐草咲く土手に来つ
蹄あるものら燦々と駆けゆけり二足獣らのどよめきの中
歌集の特徴として、まずは語彙の豊かさや言葉に対する関心が挙げられるだろう。今ではあまり使われなくなった言葉が、しばしば登場する。
「前流れ」「後ろ流れ」「八十隈(やそくま)」「既望(きばう)」「季春(きしゆん)」「杪春(べうしゆん)」「二分(にぶ)」「二至(にし)」といった言葉は、辞書で意味を確認しながら読んだ。自分の知らない良い言葉がたくさんあることに、あらためて気づかされる。
もう一つの特徴は飲食に関わる歌が多いこと。ざっと数えて、全体の1割は飲食の歌である。豪華なものや高価なものを食べているわけではないが、何とも美味しそうに感じる。お酒とつまみという組み合わせで詠われることも多い。
「地魚のさしみ」+「熱き酒」高野さんには昨年出た『うたを味わう 食べ物の歌』というエッセイ集もある。食べることが本当に好きなのだろう。そして、食べること(と飲むこと)が、人生の豊かさや喜び、あるいは哀しみまでも感じさせるところに、深い味わいがあるように思う。
「火酒」+「品川巻き」
「酒」+「マンボウの腸」
「枝豆」+「(ドイツ)ビール」
「チャーシュー」+「老酒(ラオチュウ)」
「焼酎」+「たけのこ」
2012年7月14日、砂子屋書房、3000円。
2012年07月19日
石黒浩+池谷瑠絵著 『ロボットは涙を流すか』
副題は「映画と現実の狭間」。
大阪大学の教授で人間酷似型ロボット(アンドロイド)研究の第一人者である石黒とサイエンスライター池谷の共著。「スター・トレック」「マトリックス」「ターミネーター」「A.I.」「スター・ウォーズ」「攻殻機動隊」などのSF映画を素材に用いて、ロボットと人間の関係や最新のロボット研究について語っている。
石黒のロボット研究の方向性は
私はこれまで「人間とは何か」という問いに少しでも答えようとして、ロボットの研究をしてきた。という一文に、明確に示されている。ロボットのためのロボット研究ではなく、人間を知るためのロボット研究なのである。つまり、ロボットにできることを調べることによって、逆に人間にしかできないことが明らかになるわけだ。
もっとも、著者が何度も書いているように、そうした研究を進めていくうちに、ロボットと人間との境界はいつしか曖昧になっていく。ロボットと人間の違いは本当にあるのか。
人間は「悲しい」という「こころ」があるから「涙を流す」という行動をとる、と一般には考えられている。しかし、ロボットが「涙を流す」という行動をとれば、そこに「悲しい」という「こころ」が存在するように見えてくるのだとも考えられる。
(…)人間の社会性の原理とは、実体がないけれどもこころとしか言いようがない、感情としか言いようがない、意識としか言いようがない何かが存在するということをお互いが信じ合っている、そのつながりの輪を指すことになるだろう。その輪の中にロボットが加わる日も近いのかもしれない。
2010年2月3日、PHPサイエンスワールド新書、800円。
2012年07月18日
太田幸夫著 『北の保線』
副題は「線路を守れ、氷点下40度のしばれに挑む」。
長年にわたって北海道で線路や鉄道施設を守る保線に携わってきた著者が、「保線」という仕事の内容や歴史を、豊富なエピソードを交えつつ記した本。実際に現場で経験を積んできた人ならではの話がたくさん載っている。
私たちは鉄道の仕事と言えば、運転手や車掌、駅員のことをまず思い浮かべるわけだが、実際はそれ以外の多くの人々の力によって列車の運行は支えられている。「国鉄(JR)にはパイロットを除いたすべての職がある」という言葉が、それをよく表しているだろう。
「枕木」のことを英語で「sleeper」と言うことや、現在は木以外の材料が使われることが多くなったため、「マクラギ」という表記が一般的になり、木の枕木のことは「木マクラギ」という呼び方をするなど、雑学的な話も面白い。
地中の水分が凍って地面が盛り上がる「凍上」やトンネル内の「結氷」と闘う保線員の話を読んでいると、35℃を超える夏の暑さもどこかへ吹き飛んでしまいそうである。
2011年8月15日、交通新聞社新書、800円。
2012年07月15日
祇園祭
2012年07月14日
中島栄一と高安国世(その3)
1952(昭和27)年3月、高安は「関西アララギ」の編集者となるが、この時、中島栄一も新たに選者になった。選者を引き受けた経緯について中島は
高安君が私のため「陽のあたる場所」を用意して呉れたこと、それに対する感激の思いもこめて。 「関西アララギ」1954年1月号と記している。もっとも、この文章は中島が選者を辞するに当って書かれたものであり、以降、二人は別々の道を歩いていくことになった。
中島と高安はともに大阪と縁が深い。しかし、生まれ育った環境は大きく違っている。通天閣の近くで育ち尋常小学校しか出ていない中島と、船場の道修町の大病院に生まれ京都帝国大学を卒業した高安。
中島は高安のことを「高安君」と呼んでいるが、高安は「中島さん」と呼んでいたらしい。高安が亡くなった時の追悼文に、中島は
(…)世俗的名声を得たのちも終始かはることなく、私に対しても、ていねいにさんづけで呼ばれたこと自体、育ちのよさをあらはして余りあるとおもふ。と書いている。この文章はそのまま素直に受け取っていいのだろうか。けっこう含みがあるような気がする。ここに含まれた微妙で複雑な感情こそが、中島と高安の関係を象徴しているようにも思うのだ。
「短歌新聞」1984年8月号
本来出会うこともなかったはずの二人が、短歌を通じて出会い、戦前から戦後にかけての苦しい時代のなかで友情を育んだ。しかし、世の中が平和で豊かになるにつれて、もともと資質の違った二人はそれぞれ別の道を歩むようになったのではないか。そんなふうに感じるのである。
2012年07月13日
中島栄一と高安国世(その2)
中島は1909(明治42)年生まれで高安の4つ上である。生まれも育ちも正反対と言っていい二人だが、なぜか気の合う部分があったらしい。
1950(昭和25)年に書かれた高安の第一歌集『Vorfruhling』の附記の中に、次のような一文がある。
(…)今は昔、堂島川のかき船で中島栄一君が、「君の歌がわかるやうな人は今の日本にはあんまりあらへんのや」と言つた時、我が意を得たと涙ぐむほどに有難く感じたこともあつた次第である。中島に励まされ、厚い信頼を寄せている高安の姿である。
翌1951年、中島の三男栄造が疫痢で亡くなる。3歳であった。
冷えゆく汝(なれ)の小さき足撫でてわが居たりけりたどき知らねばこの一連のすぐ後に、次の一首がある。
『花がたみ』
腕に股(もも)に注射の針のあと見れば涙あふる小さき屍(かばね)清めて
柩いま舁(か)き出(いだ)さるる玄関に汝(なれ)があそびしスケートがみゆ
こころ温(あたた)まる高安夫妻よりのハガキ生きゆくことは苦しかりとも同じように3歳の息子を疫痢で亡くしたことのある高安には、中島の悲しみが痛いほどにわかったのだろう。二人はこうした信頼によって結ばれていたのである。
2012年07月12日
中島栄一と高安国世(その1)
『中島榮一歌編』を読んでいると、中島栄一と高安国世の関わりについて、いろいろと見えてくることがある。
かくて我は俗人かなと嘆き言ひし中島栄一いま我は会ひたし1947(昭和22)年の歌。この歌は、中島の
高安国世『真実』
かくて吾は俗人かなと嘆きつつ帰りきて人の悪口を書き列ねたりという1935(昭和10)年の歌が元になっている。中島と高安の出会いは1934年のことなので、二人が出会ったばかりの頃の歌だ。
中島栄一『指紋』
この中島の歌は「仮面」という一連に入っており、そこには他に
教養あるかの一群に会はむとすためらはずゆき道化の役をつとめむといった、かなり自虐的な歌がならんでいる。両親の行商を手伝った貧しさや尋常小学校しか出ていない学歴は、中島に強いコンプレックスをもたらしたようだ。
洗練されし会話つづきて不用意にはさみし言は黙殺されぬ
吾をわらふ友らの前によりゆきてしどろもどろにわれも笑ひ居き
2012年07月10日
短歌関連のイベント

〔さらに大きなチラシが見たい方は→PDF版(少し重いです)〕
人間そっくりのアンドロイドが登場する演劇が見られます。
私もパネルディスカッションの司会として参加します。
8月19日は、ぜひ大阪へ!
日時 8月19日(日) 13:00〜16:00
場所 帝国ホテル大阪
内容 ・アンドロイド劇場「さようならVer.2」(約25分の演劇)
・パネルディスカッション「演劇のことば詩のことば」
平田オリザ(劇作家)・永田和宏・栗木京子・松村正直(司会)
参加費 2000円(当日受付にて)
お申込み方法
・往復ハガキにてご応募ください。
・往信のウラに氏名(3名以内)と代表者の住所、復信のオモテに代表者の
住所、氏名をご記入ください。(ウラは白紙)
・応募締切 7月20日(必着)
・宛先 〒604-0973
京都市中京区柳馬場通竹屋町下る5-228 碇ビル2F
塔短歌会事務所
・抽選の当落は7月中にお知らせします。
皆さんのお申込みを、お待ちしております。
なんば
永田さんの歌集を読んでいたら、こんな歌があった。
南蛮はおそらく赤髪(あかげ)に由来せる我がため南蛮(なんば)を植えいたる祖父「*南蛮=とうもろこし」という註が付いている。
永田和宏『華氏』
これを読んで思い出したのが、次の一首。
トウキビをナンバと呼びいし祖父のなし畝には花の苗ばかりなりもちろん「祖父」と言ってもそれぞれ別の人の話なのだが、どこか共通しているものを感じる。「とうもろこし」のことを「なんば」と呼ぶのは、関西の方言だろうか。ある程度の年齢より上の人は普通に「なんば」と呼ぶようだ。
永田淳『1/125秒』
もともと「とうもろこし」は「唐」+「唐土(もろこし)」だし、「とうきび」は「唐黍」、「なんば」は「南蛮」で、いずれも外来種であることを指している。僕自身は「とうもろこし」を「とうもろこし」としか呼んだことがないのだが、こういう歌を読むと、地域や世代によって様々な呼び方があり、それがまた深く記憶に結び付いていることがわかって面白い。
2012年07月09日
吉植庄亮歌集 『海嶽』
ある筈の島を霧笛にさぐりあててわが船はまさに吼えて吼えたる歌集名は「かいがく」と読む。昭和16年7月4日〜14日、北千島視察団の一員として千島列島を訪れた際の約300首が収められている。
島山は雪まぶれにて獅子ヶ嶽仙人ヶ嶽赤嶽海よりそびゆ
直土(ひたつち)に高山植物の咲きたるを人に聞きつつたのしきわれは
幾万の鮭が完全に一個づつの罐詰となりて出で来るは見つ
わだつみに直ちにそそぐ滝つせは雪のいまだも白き山より
鰈らは紋様を海底(うなぞこ)にうち散らしおびただしくも寂(しづ)けきかなや
けさの寒さ格別にして手袋のなき裸手を息にあたたむ
北千島に乾ける海霧のありと聞けど帆綱の雫しばしばぬらす
わが国の北のはたての島にして生ける鯡の刺身をくらふ
剖(さ)きに剖(さ)く鯨の肉塊内部(なか)ふかくうちこまれたる銛(もり)を現はす
温禰古丹(おんねこたん)海峡、擂鉢湾、幌筵島(ぱらむしるとう)、柏原湾、幌莚(ぱらむしる)水道、占守島(しゅむしゅとう)、阿頼戸島(あらいどとう)、与助港、択捉島(えとろふとう)、沙那港など、今では聞き慣れない地名が多く登場する。
標高の高い山が海から聳え立ち、高緯度のため平地にも高山植物が咲く千島列島。そこで魚を獲り、鯨を捕まえ、缶詰工場などで働いて暮らす人々。その様子を一つ一つ丁寧にルポルタージュのように歌に詠んでいる。
吉植庄亮が訪れてから半年もしないうちに太平洋戦争が勃発する。択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾は、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に先だって日本の海軍機動部隊が集結した場所であり、北端の占守島は、終戦後の昭和20年8月18日から日本軍とソ連軍の間で激戦が繰り広げられた場所である。
そんな歴史を思い起こしながら読むと、より一層味わいが深くなるように感じる。
1942年8月20日発行、八雲書林。
2012年07月08日
河野裕子著 『桜花の記憶』
河野さんのエッセイ集。1974年から2010年までに書かれたもののうち、72篇が収録されている。「塔」の新樹滴滴に載った文章も10篇くらい入っていて、何とも懐かしい。
読んだことのある文章も多かったが、「ヨブ記 ある日のにっ記―昭和三十九年八月二十九日」「むこう意気」「どっちんの居た川」など、若き日のことを回想したエッセイに印象に残るものがいくつもあった。
離れてみて、初めて見えてくる風景というものがある。そしてその風景は、おそらく風土の本質そのものであるのだろう。(「郷里への遠近法」)
案外気づかれていないが、身銭を切って歌集を読むことは大切である。身銭を切った歌集は、読み込む迫力がおのずからちがう。身につくのである。(「他人の歌を「読む」大切さ」)
歌会では、それぞれの意見を耳をすまして、ひとことも聞きのがすまいと、批評をしている人の顔をまっすぐ見ることにしている。(「歌会の批評はむつかしい」)本当にそうだったと思う。歌会で発言をしていると、いつもこちらをじっと見ている河野さんと目が合ったものだ。
2012年5月25日、中央公論新社、1500円。
2012年07月07日
『江戸の紀行文』の続き
日本の紀行文の歴史を考えると、まず『土佐日記』『更級日記』『海道記』『十六夜日記』『東関紀行』などの作品がある。しかし、江戸時代のものは芭蕉の『おくのほそ道』以外あまり知られていない。
こうした「芭蕉の作品が近世最大にして唯一の見るべき紀行であり、それを最後に明治以降まですぐれた紀行は皆無だったという見解」は、今も根強く残っていると、著者は言う。
そこには明治維新を高く評価し、それ以前の江戸時代を低く見る歴史観が反映しているのだろう。これは、紀行文に限った話ではない。様々なジャンルに当てはまることである。
しかし、著者が
明治維新とその前後の混乱は、部分的には紀行にも影響したが、全体としては、江戸時代の紀行が築き上げた平和な時代ならではの多彩な要素と前向きな明るさは、ほぼそのままに明治以降の紀行にもひきつがれていったと見るべきであろう。と書いている通り、実は江戸時代から明治以降にひきつがれたものの大きさを見逃すわけにはいかない。短歌史においても、江戸時代の和歌や狂歌についての再評価が、今後間違いなく進むと思う。
2012年07月05日
板坂耀子著 『江戸の紀行文』
副題は「泰平の世の旅人たち」。
芭蕉の『おくのほそ道』を除いて、あまり知名度もなく、文学的な評価も高くない江戸時代の紀行文の再評価を目指した一冊である。
政情が安定し、治安が保たれ、交通が便利になった江戸時代。中世の辛く憂いの多い旅とは違った新しい旅の形が生まれる。それに伴って、豊かな情報を明快な表現で記した、明るくて新しい紀行文が生まれた。
本書で取り上げられているのは、林羅山『丙辰紀行』、貝原益軒『木曽路記』、本居宣長『菅笠日記』、橘南谿『東西遊記』、古川古松軒『東遊雑記』、小津久足『青葉日記』など。
それらの紀行文の面白さを多くの人に伝えたいという熱意が、随所にひしひしと感じられる。確かに引用されている部分を読むだけでも、十分にその面白さは伝わってくる。
他にも、次のような文章が印象に残った。
すぐれた文学者が何かを激しく批判するのは、その対象を熟知した上のことだ。それに影響された多くの読者が、批判されたものに触れもしないで、同じように攻撃し否定するのは、まあ、そうやって時代が進むのだからやむをえないことでもあるが、時に危険なことである。
江戸時代では書籍に関するさまざまな禁令や弾圧は、印刷された板本が対象で、写本は非公式なものとして問題にしないのが慣例だった。『東遊雑記』のように、貸本屋を通じて広く読まれていたであろう本についても、それが写本であるならば処罰の対象になることはまずなかった。2011年1月25日、中公新書、880円。
2012年07月03日
夜の駅舎(その3)
書評に引かれていた3首の歌は「乳癌が見つかった」こととは関係がない。それは、『歩く』の巻末の初出一覧を見れば明らかである。
さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをりというように、3首とも2000年9月の「乳癌が見つかった」時より前の歌なのである。
「朝日新聞」1996年3月16日夕刊
死んだ日を何ゆゑかうも思ふのか灰の中なる釘のやうにも
「塔」1999年2月号(初出一覧には2000年となっているが、これは誤り)
どのやうな別れをせしか爪立ちて鞍を置きゐる人と馬とは
競詠「歌ことば・春の饗宴」2000年5月、「塔」2000年5月号
別に、その間違いを指摘したいわけではない。大切なのは、乳癌が見つかる前から「死や別れを意識した作品」が、河野さんには多かったということだ。
今はどうしても河野裕子=乳癌というイメージが強いので、それに引きずられた読みをしてしまうのは仕方がない。でも、そろそろ冷静に河野さんの歌そのものを読んでいくべき時期に来ているのではないだろうか。
2012年07月02日
夜の駅舎(その2)
さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見ており先日、届いた「青磁社通信」24号にも、この歌が取り上げられていた。
河野裕子『歩く』
シリーズ牧水賞の歌人たちVol.7 『河野裕子』の書評の中で、石川美南は次のように書いている。
本書にも再録されている牧水賞受賞時の講評では、四人の選者全員が「寂しさ」というキーワードを用いている。確かに、『歩く』には、「さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり」のように直接「さびしさ」という語を用いた歌や、「死んだ日を何ゆゑかうも思ふのか灰の中なる釘のやうにも」「どのやうな別れをせしか爪立ちて鞍を置きゐる人と馬とは」など、死や別れを意識した作品が目立つ。『歩く』と『日付のある歌』が制作された頃は、一度目に乳癌が見つかった時期と重なっており、作者の心の揺らぎが、短歌にも滲み出てきていたのだろう。
長い引用になったが、「さびしさ」が河野短歌のキーワードであるというのは、その通りだろう。
しかし、それは、はたして「乳癌が見つかった」ためなのだろうか。
河野さんは2000年の発病と手術、2008年の再発、そして2010年の死まで、自分の病気のことをすべて短歌に詠んできた。そのため最近では、河野さんの歌が病気に重点を置いて読まれるようになっているようで、そこに少し違和感を覚えるのである。