日露戦争に第二軍の軍医部長として出征した森鴎外が著した『うた日記』(明治40年)。そこには新体詩58篇、訳詩9篇、長歌9首、短歌331首、俳句168句が収められている。本書はその『うた日記』を読み解いていく内容である。
と言っても、難しいものではない。エッセイと評論と研究が入り混じったような、岡井ならではの散文で、楽しく読み進むことができる。既刊の『「赤光」の生誕』『鴎外・茂吉・杢太郎―「テエベス百門」の夕映え』よりも分量が少なく、一番読みやすいかもしれない。
と言っても、もちろん単にやさしく楽しいだけではない。非常に複雑な本である。これは「日露戦争」についての本でもあり、「日露戦争に出征した森鴎外」についての本でもあり、「日露戦争に出征した森鴎外の著した『うた日記』」についての本でもあり、さらには「日露戦争に出征した森鴎外の著した『うた日記』を読む岡井隆」についての本でもあるのだ。
岡井の散文の特徴は、連載期間(2009年6月〜2011年5月)の出来事が折々文章の中に差し挟まれることだろう。東京国立博物館の阿修羅展の話があり、NHKドラマ『坂の上の雲』の話があり、東日本大震災の話がある。そのため、「既に書かれた本」ではなく「今まさに書かれつつある本」を読んでいるような印象を受ける。
わかりやすい例を一つ挙げよう。
8章目の文中に「佐佐木弘綱・佐佐木信綱校註」という言葉が出てくるのだが、この部分について、直後の9章目で次のように書いている。
もう一つ、前章の記述で、『日本歌学全書』の『万葉集』の校註者は佐々木弘綱、佐々木信綱であってその姓は佐佐木ではない。このころはまだ戸籍名の佐々木を使っておられたので、後に、よく知られているように筆名の佐佐木を使われるようになった。わたしの記載を校正の方が、誤記と思って直して下さったとしても、これは仕方がない。
こうした部分は、連載中はともかく、一冊の本にまとめる段階で訂正・削除することもできただろう。しかし、あえてそれをしないのである。こうした部分を残すことによって、読み手もまた岡井と一緒になって「今まさに書かれつつある本」をたどっている気分になれるのだ。
これが、岡井の散文の一番大きな特徴だろう。少し話を広げれば、これは短歌の作り方にも共通するもののような気がする。「既に詠まれた歌」ではなく「今まさに詠まれつつある歌」として歌を詠むこと。岡井の散文の文体は、短歌の実作の中からヒントを得て生み出されたものなのかもしれない。
まあ、長々と書いてはみたが、結論は「岡井隆の散文は面白い」ということに尽きる。
2012年1月15日、書肆山田、3200円。