2011年09月30日

ならでは

『感じる歌人たち』の岡井さんと河野さんの対談は、関東と関西の言葉や風土の違いといった話から始まるのだが、一番面白かったのが、次の部分。
岡井 でも、同じ関西でも京都は明らかに違う文化圏のような感じがする。大阪はわりに直接性が強いけれど、京都はワンクッションおいてものを言う。本心が包まれてて、一種の品の良さと冷たさを感じますね。

河野 岡井さんは、わたしにそれを感じるんですか。

岡井 いやいや、あなたにじゃない。(笑)京都の印象です。
「わたしにそれを感じるんですか」という返しが、河野さんならではだと思う。会場が一瞬ヒヤッとしたのではなかろうか。普通の人は、あまりこういう言い方はしない。岡井さんも苦笑せざるを得ないといったところだろう。

こんな短いやり取りにも、二人の性格の違いやズレが見事に表れていて、いろいろと考えさせられる。会場でナマで聞いていたら、さぞ面白かったことだろう。

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2011年09月29日

岡井隆 編『感じる歌人たち』

岡井隆の対談集。1991年に朝日カルチャーセンター(名古屋)の企画で、月に1度、計7名の歌人と対談した内容が収められている。対談相手は馬場あき子、島田修二、小池光、前登志夫、河野裕子、春日井建、俵万智。

20年前の本だが、とにかく面白い。今、読んでも少しも古びた感じを受けない。示唆に富むやり取りがいっぱいあって、グイグイと引き込まれる。これがホスト役の岡井さんの魅力でもあるのだろう。

印象に残った発言を引く。
「この頃の短歌というのは本当に面白くなってきて、なんでもない歌のよさを鑑賞する人がいなくなってしまった。それをいつも感じるんです。なんでもない歌をいいとは思っているのに、どこがいいかを言えなくなっている」(馬場あき子)
「(白秋の)ピークは、初期の「雲母集」あたりで一回、そして晩年にもう一回輝きます。人間は一回はどこかで輝くという気がしますが、二回も輝くのは大詩人、大歌人です」(島田修二)
「(散文の仕事は)結論が問題じゃなくてそこに至る道すじのようなものこそが目的なわけです。結論なんか最初からわかってることでもいいし、わかってなくてもいい。その思考の過程の肌ざわりが、そっくり文学作品になってしまう」(小池光)
「俺の中には文学としていちばん弱い短歌的なものがある、それをやっつけなければだめなんだと、小野さん(十三郎)は、言うんですね。そして酒が入ると、啄木の歌を翁とも少年ともつかない顔で、朗詠される」(前登志夫)
「あの頃生まれて初めて書いた「いのちを見つめる」という五十枚ほどの文章。読み返してみて、ひどいもんです。熱気だけで書いてメチャメチャです」(河野裕子)
「(松平盟子さんの歌は)痛みをむき出しにしていますね。それも自己顕示欲の表れかもしれない。でも、痛みをあらわにしているからといって同情することはない。もっと痛んでくれた方が愉しいかもしれない」(春日井建)
「「サラダ記念日」を編集したときは、歌を全部短冊に書いて、洗濯バサミでとめて、あっちがいいかな、こっちがいいかなと、順番を考えてたんです」(俵万智)
これら7人のうち、4人は既にこの世を去ってしまった。こうした発言も、今では貴重な記録と言えるだろう。

1992年6月22日、エフエー出版、1700円。

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2011年09月28日

こうの史代『この世界の片隅に』


マンガ。上・中・下の3巻セット。

広島に生まれ育ち、呉へ嫁いだ主人公の、昭和18年12月から昭和21年1月までの物語。

時代はもちろん戦時中なのだが、一般的な戦争モノとはまるで違って、戦時中の日常というものが丁寧に描かれている。これは、ジャンルを問わずこれまであまり見られなかったことだろう。

何と言ってもディテールがすごい。米を増量する楠公飯(なんこうめし)の炊き方や、千人針は寅年生まれの人のみ年齢の数だけ刺して良かったこと、B29の引く飛行機雲が当時はまだ珍しいものだったことなどを、このマンガで初めて知った。60年以上前の生活や人々の様子がありありと甦ってくる。

読み進めるのが惜しくて少しずつ読んでいたのだが、とうとう読み終えてしまった。

このマンガは今年の8月5日に終戦記念スペシャルドラマとしてテレビ放映もされている。録画しておいたドラマの方も見たのだが、かろうじて及第点といったところか。原作と違って、テレビだとどうしてもシリアスでウェットになってしまう。キャストでは小姑役のりょうが良かった。

2008年2月12日、双葉社、680円。

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2011年09月27日

かなぶん

森岡貞香さんの『帶紅』に、こんな一首があった。
青光る背の美しき金●(カナブン)のうごかずなりしを白紙に包む
【●=文+虫】
漢字の「ぶん」が機種依存文字なので困るのだが、この歌を読んで思い出したのは、森岡さんの第一歌集『白蛾』(1953年)にある有名な一首。
生ける蛾をこめて捨てたる紙つぶて花の形に朝ひらきをり
50年以上の歳月を越えて、ふたつの歌がかすかに呼応し合っているような気がした。

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2011年09月26日

JEUGIAカルチャーKYOTO

10月から京都で新しいカルチャー講座 「はじめての短歌」 を担当します。

○日時 毎月第3水曜日 10:00〜12:00
○場所 JEUGIAカルチャーKYOTO
  〒600‐8002 京都市下京区四条河原町西入御旅町39 シカタビル8F
  TEL 075−254−2835

京都市内のアクセスに便利な場所ですので、どうぞよろしくお願いします。

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2011年09月25日

森岡貞香歌集『帶紅』

『九夜八日』『少時』に続いて没後に出版される3冊目で、これが最終歌集になる。題名については
読み方は「たいこう」と読んでも良いのですが、ぴったり来ないので、くれなゐの読み方にこだわり「くれなゐ帯びたり」と仮名をふりました。
と、後記に森岡璋さんが記している。

題材は庭の木にいる山鳩や近所の空地、椿やさざんかなど、日常の身めぐりのものがほとんど。それでいて、歌は単調になっていない。一首のなかに複数の時間が含まれている点に特徴があるのだと思う。一枚の絵を見ているつもりで歌を読んでいくと、突然それが動き始めるような、そんな奇妙な印象を受ける。
朝朝にコップいつぱい水を呑む鉢植ゑの小菊 夜半に見てゐぬ
なぜなれば磐城の道のべに立ちゐたり汝とわれと壊れしくるま
をとつひかさきをとつひか見ぬあはひに遺影の前の薔薇は散りたり
核燃料を運ぶ車輛に會ひたる日の夜を月山の麓にねむる
えんぴつは手より落ちやすく秋まひるものを思ふとまどろみともなし
朝ありて髮を束ねつ 在るわれの常のかたちになりぬるあはれ
なんとなく見知らぬ影は中庭の椎の太枝の伐られたるなり
菊を見に來よと誘はれし日の近づくに手帖の菊の字消えかかりゐる
汝と母との冩眞の殘るべく秋田縣由利本庄の酒店「天壽」の杉玉の下
この夜半に寢返りを打つ寢返りて向きを變ふるはみづからのため
(引用歌は実際はすべて正字です)

2011年9月30日、砂子屋書房、3000円。

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2011年09月24日

ドブさらいや草むしり

「塔」9月号の誌面時評に沼尻つた子さんが次のように書いている。
ここで他結社所属の友人から聞いた話を。ある歌人に「結社や歌壇は、誰かがドブさらいや草むしりをしなければならない場所。なぜなら共同体だから」という意の発言があったそうだ。こつこつ事務作業をこなし、混沌とした野原を畝のそろった土壌へと整えてくれる会員があってこそ、結社という地には歌の花も実も並ぶのだろう。
この後、文章は「お互い、常なる感謝と協力を忘れずにいたい」と続いており、論旨には全く異論はない。ただ、ちょっと気になるのだ。

自分の体験に即して言えば、自分のしていることを「ドブさらいや草むしり」と思っていては、結社の仕事を長く続けることはできないだろう。たとえ他人から見れば「ドブさらいや草むしり」のような仕事であったとしてもだ。

この点に関しては、以前、「塔」の座談会(2000年5月号「結社の活性化をめざして」)の中で、当時編集長をしていた吉川宏志さんが発言していたことを、今も鮮やかに覚えている。それは、次のようなものであった。
 僕の場合は、「塔」の編集をしていて得になったところがずいぶんあるわけですよ。「塔」の編集をやっているから、歌を注目してもらったことも結構あったしね。それから「虫の歌」なんて特集を組んだこともあったけど、自分がやりたいと思った企画は、ほとんど実現してきたと思っています。
 そんな野心があるから、「塔」の仕事をやっているわけで、ボランティアだけだったら絶対こんなこと続けていませんね。よく、会員の方から「いつもお世話になってます」とか言われるけど、半分以上は自分のためにやっているんだから、まああまり気を遣ってもらわなくてもいいんです。(笑)
まさに、その通りという感じである。

「自己犠牲」や「献身」といったイメージが結社には常につきまとうが、どうもあまり好きではない。もっとポジティブなものに変えていきたいという思いを強く持っている。

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2011年09月23日

酒井順子×関川夏央×原武史『鉄道旅へ行ってきます』

関川 夏央,原 武史,酒井 順子
講談社
発売日:2010-12-21


鉄道好きの三人が一緒に旅をして、あれこれ楽しくお喋りをするというもの。『女子と鉄道』の酒井順子、『汽車旅放浪記』の関川夏央、『鉄道ひとつばなし』シリーズの原武史という何とも豪華(?)な組み合わせ。

観光案内的な要素はほとんどなくて、ひたすら線路の分岐の仕方がどうとか、駅そばの味がどうとか、激しく惹きつけられる車窓風景がどうとか、興味のない人には全く興味のなさそうな話が続いていて、そこが面白い。

鉄道ファンにも「乗り鉄」「撮り鉄」「スジ鉄」「模型鉄」など、さまざまな分類があって、興味の持ち方は人それぞれ。この本に出てくる三人の関心や好みにも微妙な違いがあり、それが時おり鞘当てのような気配を醸し出すところにも、鉄道趣味の奥深さが感じられる。

2010年12月20日、講談社、1600円。

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2011年09月21日

台風15号

今日は朝から台風で天気は大荒れ。
京都にも暴風警報が発令されて、息子の小学校はお休み。

先週の土曜日が運動会だったので、これで「日曜日」「祝日」「運動会の代休」「台風のための臨時休校」と、気が付けば4連休。しかも明日一日だけ学校に行ったら、その後はまた3連休。

明日は良い天気になりますように。


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2011年09月20日

映画「探偵はBARにいる」

原作:東直己、監督:橋本一、出演:大泉洋、松田龍平、小雪、西田敏行ほか。125分。MOVIX京都にて。

主演の大泉洋が抜群にいい。二枚目ではないのにカッコイイ。ふざけている場面でもまじめな場面でも存在感があって、いっぺんに好きになった。

雪の降る北海道の風景も印象的。190万都市札幌の魅力が全編に溢れている。これは、ぜひともシリーズ化してほしい。

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2011年09月19日

日々のクオリア

砂子屋書房HPの一首観賞「日々のクオリア」(9/16)に
テーブルを挟んでふたり釣り糸を垂らす湖底は冷たいだろう  『駅へ』
を取り上げていただきました。ありがとうございます。


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2011年09月18日

淺山泰美著『京都 銀月アパートの桜』


「銀月アパート」に関する資料として買った本。

詩誌「コールサック」に連載された文章をまとめたエッセイ集で、著者の撮った20点ほどの写真や自作の短歌も収められている。

京都市左京区に住む著者が、懐かしい京都の町や人の思い出、暮らしの姿などを描き出す。その筆致はやわらかく、しっとりしている。
私の父の故郷である近江の湖北の城下町長浜では、他家に嫁することなく実家に身を置いたまま年経る女性のことを、伯母すると言う。
声とは、不思議なものである。たとえ電話であっても、その人の心身の状態までもが伝わることがある。
他にも、いくつも印象的な文章があった。

2010年2月14日、コールサック社、1500円。

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2011年09月17日

国旗掲揚塔

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昨日は用事があって東京の国立市へ行った。
国立駅前のロータリー中央に、古い石の塔が立っている。

近づいて見ると、中央には「国威宣揚」と彫られ、右側には「紀元二千六百年記念」とある。昭和15年に建てられた国旗掲揚塔らしい。「国威宣揚」という文字は陸軍大臣宇垣一成の書だ。

このような記念碑が取り壊しを免れて残っているのは、けっこう珍しい。戦後、文教都市として発展した国立市の過去を語る上で、貴重な遺物と言えるだろう。

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2011年09月16日

ブログde秀歌鑑賞

朝日カルチャーセンターのブログで「ブログde秀歌鑑賞」という連載をしています。毎月、短歌を3首取り上げて、その鑑賞をするというもの。初めて短歌に触れる方にも、歌の魅力が伝わればいいなと思っています。

これまでの連載は下記の通り。毎月続きますので、どうぞお読み下さい。

 第1回(7月13日)
 第2回(8月8日)
 第3回(9月13日) 

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2011年09月15日

『短歌は記憶する』の販売店

『短歌は記憶する』ですが、現在、下記の書店で販売されております。

丸善ジュンク堂札幌店、丸善丸の内本店、ジュンク堂池袋本店、ジュンク堂吉祥寺店、
ジュンク堂藤沢店、ジュンク堂ロフト名古屋店、ジュンク堂名古屋店、ジュンク堂京都店、
ジュンク堂大阪本店、丸善ジュンク堂梅田店、丸善博多店、丸善天文館店、
ジュンク堂鹿児島店、ジュンク堂那覇店

紀伊國屋書店新宿本店、リブロ池袋店、ちくさ正文館、三月書房ほか

版元の六花書林さん、または松村宛に直接お申込みいただいても、もちろんOKです。


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2011年09月14日

万城目学著『偉大なる、しゅららぼん』

『鴨川ホルモ―』(京都)、『鹿男あをによし』(奈良)、『プリンセス・トヨトミ』(大阪)に続いて、今度は滋賀県。琵琶湖のほとりにある石走という城下町が舞台である。

これまでの作品が現実の町を舞台にしていたのに対して、今回は架空の町である。さらに城や学校の中での話が多く、町の風景などはあまり描かれない。その分、ファンタジー色が強くなっていると言えるだろう。

「魁!男塾」「ジョジョの奇妙な冒険」「七瀬ふたたび」「時をかける少女」といったマンガや小説を思い出した。

2011年4月30日、集英社、1700円。

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2011年09月13日

アルカディア

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1979年から81年(?)にかけて、沖積舎から7冊発行された短歌誌「アルカディア」。
そのうち第1号〜第5号の5冊を入手した。その存在は知っていたのだが、現物を見るのは今回が初めて。

毎号96ページ。編集委員は小池光、滝耕作、藤森益弘、松平修文の4名。毎号大規模な特集を組み、さらに評論あり、作品ありという、かなり意欲的な内容の誌面となっている。

滝耕作が「作品をして語らしめよ 現代歌人論」という連載をしており、第5号では河野裕子を取り上げている。まだ第3歌集『桜森』が出たばかりの時期のものだ。その中に、次のような指摘がある。
現代短歌における若手女流として目覚しい活躍を見せる彼女の表現者としての実像は、かなり誤解されているように私には思える。その誤解の最も大きなものは、彼女を単なる情念の歌人、相聞の歌人、女歌の歌人と見ることであろう。歌人をある特徴をもとにステレオタイプ化することほどたやすく、また誤てるものはない。河野裕子は混沌とした歌人である。その混沌はほとんど豊穣という言葉と等しい内容を持っている。
30年前の文章であるが、今でも十分に当てはまる内容のように思う。

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2011年09月11日

高安正夫さん

家から歩いて5分くらいのところに、国立病院機構京都医療センター(旧・国立京都病院)という大きな病院がある。門を入って左手の道を歩いて行くと、植込みの中に「退官記念」と彫られた石碑がいくつも並んでいる。歴代の院長たちが退任する際に設置されたもののようだ。

その一つに「高安正夫」という名前の書かれたものがある。
高安国世の兄である。

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高安国世は6人兄弟姉妹の末っ子であるが、二人の兄はともに医者になっている。長兄彰については、1980年に亡くなった際に、国世は「惜別」と題する31首の歌を詠んでいる(『湖に架かる橋』収録)。

次兄の正夫は京都大学医学部教授、国立京都病院院長などを歴任、1984年に亡くなった国世よりも長生きをした。そして、『過ぎ去りし日々』(1986年、近代文芸社)、『続過ぎ去りし日々』(1989年、同)という2冊の本を出している。

これらの本には、高安家の様子や幼少時代の国世の思い出話なども記されており、高安国世を研究する際の参考になる。

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2011年09月10日

柳澤美晴歌集『一匙の海』

2008年に「硝子のモビール」で歌壇賞を受賞した作者の第一歌集。310首。
SUBWAYのサンドイッチの幾重もの霧にまかれてロンドンは炎(も)ゆ
早足で来る十二月教科書の俳句のなかに雪を降らせて
ほうたるになりゆく指をひとつずつなぞられている橋のたもとで
パラフィン紙ごしに詩集のタイトルのかすかに透けて朝がはじまる
フラスコにシロツメ草の挿してある研究室にきみを訪ねる
昆布漁する生徒らにアルバイト届を書かす初夏の教室
すはだかをシーツにくるむ死んだことあるひとがだれもいない世界を
手首つかまれくちづけられている夜を蓮のようにひらくてのひら
巻末に「をはり」と宣りて近代の歌集はくらき宙を閉じゆく
ここで羽休めましょうと海の辺に白き鳥居の二基立ちており
硬質で清新な抒情を感じさせる歌が多い。歌集の背後にうっすらと北海道という土地が見えてくる。「きみ」の出てくる歌や恋の歌には、他の歌と少し違う柔らかな奥行きがあってのびやかな印象を受ける。父というテーマを詠んだ歌も多いのだが、まだ十分に詠い切れていないように感じた。一首目については、跋文で加藤治郎さんが「地下鉄事故」と書いているが、これは地下鉄テロ事件のことだろう。

作者はあとがきに
歌集の発行にあわせて名字の「 」(環境依存文字のため省略)を「柳」に改めて、「柳澤美晴」という筆名にした。元々、うちの家ではこちらの「柳」を使うことが多かったため、馴染み深いというのが理由だ。
と記している。別にこだわるべき箇所ではないのだが、少し気になった。パソコンで印字できないからというのが筆名変更の一番の理由ではないのだろうか。自分で十分に納得して決めたことであれば良いのだが、はたしてどうなのだろう。

2011年8月20日、本阿弥書店、1800円。

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2011年09月09日

公開講座のお知らせ

11月30日(水)に〈「私の好きな歌」家族と読み解く河野裕子〉という公開講座を行います。ご興味のある方は、ぜひご参加ください。

日時 11月30日(水) 14:00〜16:00(13:30開場)
場所 「ラポルテ」本館3階・ラポルテホール (JR芦屋駅北すぐ)

 (対談)永田 淳 × 永田 紅
 (司会)松村正直

受講料 一般3675円 朝日カルチャー会員3360円

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2011年09月08日

諏訪さんのメモ

今年2月に91歳で亡くなった「塔」の顧問・名誉会員の諏訪雅子さんの蔵書の一部を、新しく開設する事務所に運び込んだ。本棚に歌集や「塔」のバックナンバーを並べていると、そこに私の歌集『やさしい鮫』も含まれていた。手にとってページをめくってみると、中に手書きのメモが入っている。
言葉が自然
やわらかな、そして明るい心の在り様が好ましい
ささやかな日常の集積が
子への愛情とない交ぜになっていて
何とも言えない心やさしい世界を形づくっている
と書かれている。

もうこの世にはいない方からの手紙のように思われて、とても嬉しかった。

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2011年09月07日

山本作兵衛著『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる』


副題は「地の底の人生記録」。

筑豊の炭鉱で50年以上にわたって働いた作者が、明治・大正・昭和の炭鉱の姿を描いた数百枚の絵と文章の中から一部を選んで編集したもの。今年それらの記録がユネスコの「世界記憶遺産」に登録されたことをきっかけに、1967年出版の本が新装版となって刊行された。

本書の魅力は、何よりもまずその独特な絵の筆致であろう。「入坑」「坐り掘り」「バラ スラ」「坑内馬」といった坑内の様子のほか、炭鉱町での生活や米騒動などの社会問題まで、非常に綿密にいきいきと描いている。絵には説明の文章が添えられ、さらに細かなところは部分的にクローズアップして描くといった工夫も施されている。

これらの絵は「無名の民の汗と血の足あと」とか「近代民衆絵画の金字塔」など、時代によって様々な評価を受けてきた。しかし、そうした言葉よりも、作兵衛自身があとがきで「私はヤマの姿を記録して孫たちに残しておこうと思い立ちました」と述べていることが、一番印象に残った。

2011年7月28日、講談社、1700円。

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2011年09月06日

東京駅の地下通路

「ビッグコミックオリジナル」に連載中の「テツぼん」を立ち読みしていたら、東京駅の地下通路を車椅子を押して歩く場面が出てきた。「あっ!」と思い当たったのは、河野さんの歌を思い出したから。
 十一月八日 はれ、くもり   NHK歌壇収録のため上京、淳がつき添う。
 京都駅も東京駅も車椅子。とある扉より古い迷路のような東京駅の地下に入る

カビ臭く暗き通路を押されゆく古井戸を寝かせしやうな壁に沿ひつつ
押しくるる駅員無言息子無言とある扉よりスルリと出でつ
2000年10月11日の乳癌の手術後、初めて上京した時の歌である。この時のことは、『河野裕子読本』の永田さんと淳さんの話にも出てくる。
和宏 あの手術のあとも、結局一度も休まずにNHKに行ったものね、淳が車椅子を押して。あれはお母さん、ずいぶん印象深く、喜んでいたみたいだ。車椅子で、京都駅から新幹線に乗って、東京駅ではふだんは人が入らないような地下を車椅子で通っていっただろ。
 そう。あの地下道は戦中に造ったものだとか。特殊なエレベーターで地下に行き、古いレンガ造りの、湿った暗い地下を車椅子を押していった。なんか不思議な体験。丸の内に出たのかな。
この地下通路は、もともとは丸の内口にある旧東京中央郵便局と東京駅のホームを結んで郵便物の運搬に使っていたもの。かつてはこの通路にレールが敷かれていて、郵便物をトロッコ輸送していたのだ。

現在は駅員や車椅子の方、また商品搬送業者用の通路となっていて、残念ながら一般の人は立ち入ることができない。鉄道によって大量に郵便物が運ばれていた時代も、はるか昔のことになってしまった。

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2011年09月05日

高安やす子のこと

土屋文明の妻テル子の歌集『槐の花』を読んでいたら、高安国世の母やす子の死を詠んだ歌があった。昭和44年の一連。
  高安やす子様を悼みて
いつまでも若く美しかりし君逝き給ひしと今日聞くものか
み手になる折り折りの品今になほ我等にありて君のいまさぬ
君が作りし皮細工もの銭入紙入我が夫の長く持ち居る
袖無羽織の脇明は君の工夫にて単衣の上に着るによろしき
夏にならば冷しき山の朝夕に賜ひし羽織着て偲びまつらむ
これを読むと皮細工の銭入れや紙入れ(財布だろうか)、脇の開いた袖無しの羽織などを、高安やす子が文明夫妻に贈っていたことがわかる。

石本美佐保(高安やす子の二女、国世の姉)の著書『メモワール・近くて遠い八〇年』には、次のような記述があり、手工芸を趣味とした晩年であったようだ。
母やす子は晩年、臘纈染、描き更紗、革細工などにうち込み、手提袋、眼鏡入れ、バッグ、帯、紙入れ、しおりなどの作品を次々と造って、子供や孫、孫嫁、知人たちに贈るのを楽しみとしていた。その下絵や原画が数多く残っている。
高安やす子は戦前、『内に聴く』(大正10年)と『樹下』(昭和16年)という二冊の歌集を出している。前者には与謝野寛(鉄幹)が、後者には斎藤茂吉が序文を寄せており、当時は有名な女流歌人であった。

やす子の死に際して、高安国世も「逝く母」と題する5首の歌を詠んでいる。
花の香の満ちたる園に幼かりき思えばついに母の子にして  『朝から朝』
わが一生(ひとよ)短かからぬに見守りて長きいのちを生きたまいける
亡くなった母やす子85歳、国世55歳。「思えばついに母の子にして」に、万感の思いがこもる。幼少期から母の愛情を求め続けた国世であった。

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2011年09月04日

池内紀著『人と森の物語』


副題は「日本人と都市林」。
甦りの森(北海道苫小牧)、鮭をよぶ森(新潟県村上)、青春の森(長野県松本)、銅の森(愛媛県新居浜)、やんばるの森(沖縄県北部)など、全国15の森を訪れて、その森の成り立ちや変遷、人と森との関わりについて考えた本。

明治神宮に鬱蒼と茂っている森が、大正時代の創建に際して全国から献上された95000本もの木を植えてつくられたものであることや、牧水が保存運動に関わったことでも有名な沼津の千本松原が戦時中に松根油を取るために大々的に伐採されたことなど、興味深い話がたくさん出てくる。

森は森だけで存在しているのではなく、人間との関わりの中で存在しているのだということがよくわかる。

2011年7月20日、集英社新書、740円。

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2011年09月03日

北海道旅行(その4)

最終日は三笠市にある「三笠鉄道村」へ。
旧幌内線(岩見沢―幾春別、三笠―幌内)の跡地に鉄道博物館や公園があり、多数の車輌が展示されている。SLやトロッコなどにも乗ることができる。

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発動機付のトロッコ。
片道2.5キロを往復する。けっこうな速さで進むので気持ちいい。途中に一般道と交差する踏切があり、運転手には自動車免許が必要となっている。

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お昼に食べた「石炭ザンギ」。
ザンギは鶏肉の唐揚げのことで、北海道でよく使われる言葉。特製のタレに漬け込んで、最後はイカ墨で仕上げている。かつての炭鉱町ならではの一品。

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2011年09月02日

北海道旅行(その3)

三日目は旭川の「旭山動物園」へ。

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「動くから、動物。」がキャッチフレーズの動物園。動物たちの行動展示についての話は聞いていたのだが、実際に動物たちがよく動いている。各施設も山の斜面をうまく利用して作られており、動物たちを上からも横からも見ることができる。

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白金温泉の宿近くにある「青い池」。このあたりは地質の関係で水が青くなるらしい。美瑛川もうっすらと青みを帯びていた。

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2011年09月01日

島田裕巳著『聖地にはこんな秘密がある』


クボー御嶽(沖縄)、大神(おおみわ)神社(奈良)、天理教教会本部(奈良)、稲荷山(京都)、靖国神社(東京)、伊勢神宮(三重)、出雲大社(島根)、沖ノ島(福岡)という日本各地の8か所の聖地を訪れて、その秘密に迫った本。

聖地がどのようにして生まれ、時代とともに変容し、あるいは封印されて現代に至ったのか。聖地とはそもそも何なのかといった根本的な問題を考える上で、とても面白い本であった。

以前、『短歌は記憶する』の中で靖国神社について書いたことがあった。この本でも「靖国神社=戦争、8月15日」といった一般的なイメージだけではなく、例えば7月13日〜16日の「みたままつり」に若い女性が数多く訪れて「ギャルの祭典」になっていること、新年の1月4日には仕事始めのサラリーマンが大挙して訪れて夜店でお酒を飲んでいることなどが記されている。

また、稲荷山(わが家の近所)についてもはこんなことが書かれている。
 だが、伏見稲荷大社はもう一つ別の顔をもっている。
 本殿の背後に稲荷山という小高い山があり、そのなかに一歩足を踏み入れてみると、イメージは一変する。(…)重要なのは社殿ではなく、むしろ稲荷山のほうではないか。
なるほど、確かにそうだなあと頷かされる指摘であった。

2011年6月9日、講談社、1500円。


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