2011年05月31日

短歌の価値

「塔」創刊以来の歌人の方が亡くなり、お一人で住んでいた京都の家を処分することになった。遠方から弟さん夫妻が来られ、二日間かけて業者の方が家財道具や荷物の運び出しを行う。「短歌関係の本は塔短歌会へ」という故人の遺言にもとづいて、私も蔵書の引き取りのためにうかがった。

古いものを捨てずに残しておく方だったようで、戦前のものも含めて手紙や写真などのすべてが残っていた。しかし、慌ただしい作業の中ではそれらを選別する余裕もなく、数枚の写真を残してすべて廃棄されることになった。長年使われてきた調度品や手作りの立派な家具も、もう捨てるしかないのだそうだ。

玄関脇の部屋で、弟さん夫妻と故人についての思い出を語り合った。亡くなる直前まで毎月10首の出詠を欠かさない方であり、入院中も何度も電話をかけてきた方であった。弟さんにそのことを話すと、「姉は歌だけが生きがいでした」とおっしゃり、それから少しして、「姉の歌は残るものなのでしょうか?」と尋ねられた。

私はしばらく言葉に詰まった。

残ります、とは言えなかった。後の世に歌が残るというのは、そんなに簡単でないことは私も知っている。でも、弟さんの気持ちも痛いほどによくわかった。姉が一生をかけて作ってきたものが、何らかの意味のあるものであってほしいと願うのは当然のことだろう。故人は70年以上も歌を作ってこられた方なのだ。

私は、晶子や茂吉のような超一流の歌人の歌にだけ価値があるのではなく、どんな歌人の歌にも、その人の人生の時間や生きざまが込められていて、それはそれでとても価値があるものなのだと、精一杯の話をした。だから、きっとこれからも読んでくれる人がいると思いますよ、と。

短歌とはまったく縁のない弟さんに、その話がどれだけ通じたかはわからない。でも「そうですか、ありがとうございます」と安心したようにおっしゃった言葉に、私はとても救われる思いがした。

短歌の価値とは、何なのだろう・・・。
しばらくそんな思いが頭を離れなかった。

posted by 松村正直 at 22:50| Comment(3) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

品田悦一著 『斎藤茂吉』


ミネルヴァ日本評伝選。副題は「あかあかと一本の道とほりたり」。

万葉調という伝統と近代的な精神とを併せ持つ国民歌人という斎藤茂吉像を、根底から問い直した評伝。2001年刊行の『万葉集の発明』を総論とするならば、この『斎藤茂吉』が各論にあたる内容となっている。

この本のすぐれている点は、著者の記す内容の一つ一つに十分な論拠が示されている点にあるだろう。歌人たちがこれまで漠然と考えたり、感じたりしていたことを、歴史的な事実や資料に基づいて丹念に解き明かし、論証している。

また、歌の読みも的確で納得できるものとなっている。「赤茄子」の歌や「剃刀研人」の歌に関する著者の読みには、教えられることが多かった。音韻分析や文法的な解説が得意なのは学者であれば当然であるが、そこにとどまらず、茂吉の心理の襞に分け入るような読みが随所に見られ、一歩も二歩も踏み込んだ内容となっている。

さらに、以下に挙げるような指摘も示唆に富むものだと思う。
 茂吉少年が上野駅に降り立った一八九六年の時点で、(…)そのとき彼は、標準語という観念をまだ持ち合わせていなかったばかりか、東京語が話されるのを耳にしたこともほとんどなかったはずである。

書きことばはその(松村注、意識的な学習が必要という)意味で、外国語がそうであるように、本質的に他者のことばである。

鉄道網の整備が簡便な旅行を可能にしたという意味では、この種の(松村注、昭和戦前期の「木曾鞍馬渓」「伊香保榛名」「層雲峡」など)自然詠が量産されるのは実は近代的現象なのだとも思う。

今後、国文学者と歌人とが共同して、近代短歌や歌人の研究をしていくといった動きが出てくると面白いのではないかと思う。

2010年6月10日、ミネルヴァ書房、3000円。

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2011年05月26日

「塔」1971年7月号

「他のジャンルから見た短歌」という特集に、河野さんの親友であったかわのさとこ(河野里子)さんが「反戦/愛についてのひとくさり」という詩を寄せている。
 あのね私、羊の頭数をかぞえていたの。もう幾ねんも幾ばんも。
 眠れないからじゃあなく私じしんを眠らせないために長い夜の列車に乗ったのだわ。
いつかの朝めざめると私の大切にしていたすべてが盗まれ、がらんどの日常に置き去りにされて泣いているの私。ひとりそんな夢をみてしまったから、つづきをみるのが怖くて。或いは先行する記憶を夢みてしまったから、夢から夢へはてしない旅をしていたの
そしたらね、ガラス戸に靠れてやっぱり同じよおに羊を数えている兵士に会ったわ。
それがおまえ だった

全部で2ページ半にわたる長い詩の、これが冒頭部分。この頃の河野里子さんについて、河野裕子さんはインタビューで次のように述べている。
 キューバにサトウキビ刈りにも行ってたんですよ。私が卒業して学校の先生をしていたときだ。急にサトウキビ刈りに行っちゃうんです。サフラボランティアとか言ったらしく、世界中の若い人が集まってサトウキビ刈りに。
 それでお金がないから、大阪の地下で自分のガリ版で刷った詩集を売ってお金集めをしたらしくて、そんなことを突拍子もなくやる人でしたね。
                    『牧水賞の歌人たちVol.7 河野裕子』

この当時、革命後のキューバを支援するための運動が、若者の間で広がっていたらしい。現在、中南米に関する著作を多く書いているジャーナリストの伊藤千尋も、学生時代にキューバでサトウキビ刈りのボランティアをしているので、時期的にちょうど同じ頃だろう。

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2011年05月24日

空振り

先週、日本歌人クラブの授賞式で東京へ行ったついでに、国立国会図書館に寄ってきた。目当ては毎日中学生新聞である。

河野裕子さんは若い頃に詩を作っていたらしい。昭和35年頃の毎日中学生新聞の投稿欄に河野さんの詩が載っていたという情報を聞いて、それを探しに行ったのである。毎日中学生新聞(現在は廃刊)を収蔵している図書館は全国に数か所あるが、それだけ古いものになると、国会図書館にしかない。

新館4階の新聞閲覧室で毎日中学生新聞のマイクロフィルムを請求し、待つこと10分。受け取ったフィルムを機械にセットして、順繰りに見ていく。文芸の投稿欄があって、詩や俳句や短歌が載っている。しらみつぶしに見ていけば必ず見つかると思うと、気も楽である。どんどんフィルムを進めて行く。

そのうち、妙なことに気が付いた。

投稿者の住所が「東京都」や「宮城県」や「埼玉県」や「神奈川県」など、東日本の地域ばかりなのである。極めつけはクイズの当選者の発表で、北海道から順番に青森県、岩手県・・・と都道府県別に名前が並んでいるのだが、それが静岡県で終っている。

・・・何ということだ。

どうやら東京本社版と大阪本社版とに分れているらしい。

国会図書館には東京本社版しかない。あわてて毎日新聞社にも問い合わせてみたが、もちろん在庫などあるはずもない。

残念ながら空振りである。

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2011年05月23日

「塔」1972年2月号

 たとえば、こんな私。朝。目がさめぎわ、私はまだきのうの延長線上に立っている。一日じゅう、精一杯生きたと思う。なのになぜだか、たまらない。私という存在を、精一杯生きたとか、そういう感情で許してしまってよいとはどうしても考えられないのだ。

これも「現代短歌に何を求めるか」という特集に寄せられた文章。筆者は永井陽子。当時20歳。「短歌人」の歌人であった永井は、ゲストとしてこの特集に参加している。
文章と一緒に〈触れられて哀しむように鳴る音叉 風が明るいこの秋の野に〉以下20首の作品が載っている。第一句歌集『葦牙(あしかび)』時代である。
 私たちの言語で、私たちの心を歌うことだ。新しい抒情を築くことだ。こころ、屈折し、憎まれて、それでもなお美しくあろうとして、ぽたぽたしたたり落ちてくるしずく。私が現代短歌に求めるものは、そんな、醜くてしかも美しい抒情である。いつの日か、その抒情で私の足元についている紐をぷつんと切ることができたなら、私はその時、部屋のドアをいっぱいにあけて、住人たちを空に解き放ってやろうと思うのだ。

永井陽子が亡くなってから、もう11年が過ぎた。はたして彼女は、足元についている紐をぷつんと切ることはできたのだろうか。

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2011年05月20日

藤森照信著 『藤森照信、素材の旅』

藤森 照信
新建築社
発売日:2009-01


「建築探偵」として有名な建築史家であり、今では「タンポポハウス」や「ニラハウス」などの建築家としても活躍中の藤森照信氏が、自然素材の産地や現場を求めて日本各地を旅した記録である。

宮城県石巻市の「スレート」、高知県南国市の「土佐漆喰」、奈良県桜井市の「檜皮」、岐阜県池田町の「柿渋」、沖縄県与那原町の「島瓦」など。いずれも、その土地の気候や風土と密接な関わりを持った自然素材が、今も(細々と)生産され続けている。

藤森氏のすごいところは、単にそれを見学し記録するだけではないところだ。自分で体験してみるのみならず、実際に建築家として「神長官守矢史料館」で鉄平石を用いたり、「焼杉ハウス」で焼杉を使ったりと、自然素材を生かした建築を行っている。

もっとも、この本はそうした「自然素材を使うべし!」という主義主張を声高に述べたものではない。時にユーモアも交えながら、柔らかな筆致で綴られたエッセイである。

わたしが生まれ育ったのは高部という戸数70戸ほどの一村落だが、村落内に古墳が幾つもあり、そこの天井に置かれている平石は厚くて大きいから貴重な石で、いつのころからか村人は古墳からはずしてきて、小川の橋や、庭の敷石などに再利用してきた。 (長野県諏訪市「鉄平石」)

小説やエッセイを読むと、困ったことに時には建築の本でも、英語のオークをカシと訳している場合に出くわすが、カシもしくはナラが正しい。常緑樹のカシと落葉樹のナラを同じオークで括るなんて木とともに生きてきた日本人には考えられない。共通性と言えば“堅い”の一点で、見た目も分野も用途もまるで違う。 (北海道旭川市「ナラ」)

カラー写真も非常に豊富で、読んでいて楽しい気分になる。
この人の書いたものにはハズレがない。

2009年1月30日、新建築社、2400円。

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2011年05月19日

「塔」1971年4月号

古い「塔」を眺めていたら、高安さんの「雀と芥子」という文章を見つけた。「雀と芥子」と言っても、別に両者に関係はなく、雀の話と芥子の話とに分れている。

このうち芥子の話は、富永堅一という方の歌文集『木草の息』のなかに「芥子」という一文があることに触発されて書かれたもの。
(…)富永さんのお住まいの近く、昔の三島郡のあたりは、以前には阿片採収のための芥子畠が点在していたそうであるが、そう言えば昭和九、十年ごろ、私が芦屋から京大の文学部へ通っていたとき、梅雨どきの広い麦畑のあいだに、ところどころ白じろと日が当たっているような錯覚に、注意してみるとそれは白い芥子の花畑だった。
   雨ふれる野の幾ところしろじろと照ると思ふは芥子を植ゑたり
という歌を作ったのを思い出した。西洋ひなげしとちがって花弁が大きく、むせるような香りを発散する。何かの偶然で庭に生え出たのを私は知っているだけだが、富永さんの文章ではじめて阿片採収の方法などを知った。

長々と引用したのは、別に阿片に興味があるからではなくて、「塔」2009年4月号に真中さんの書いた評論「芥子を植ゑたり」を思い出したからである。まさに、高安のこの歌を皮切りに、ケシ栽培のあれこれを短歌と絡めて論じた文章であった。

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2011年05月17日

「塔」1972年4月号

  いったい、短歌がつまらないのは、短歌がものわかりのいい爺さんになってしまったせいでもある。新聞短歌、同人短歌、総合雑誌短歌、結社短歌、歌会短歌、みんなにたりよったりだ。ほんとにつまらない。全部読むにはよほどの忍耐がいる。自称、歌よみのはしくれの私でさえこうである。いわゆるシロウトさんにおいてや何をかいわんや、である。

何とも威勢の良い文章だが、これは河野裕子の書いたもの。「現代短歌に何を求めるか」という特集に寄せた「相聞歌について」の冒頭部分である。河野は当時「コスモス」の会員であったので、「塔」にとってはゲストということになる。
文章は、以下のように続く。
  短歌から挽歌と相聞を取ってしまったらなんにも残るはずがない。それだのに昨今の歌よみはそのなんにもない所に頭をつっこんで目の前のできごとをメモするしか能がないから日常べったら漬けになってしまうのである。短歌がつまらないのは、すぐれた挽歌と相聞を失ってしまったからだ。

「日常べったら漬け」なんて、おもしろい言い方をしている。「日常べったり」と「べったら漬け」がミックスしたのだろう。文体がとても若々しい。それもそのはず、当時、河野は25歳。

この後の相聞歌に関する主張は、同時期に書かれたと思われる「無瑕の相聞歌」(「短歌」1972年4月号)や『森のやうに獣のやうに』(1972年5月)のあとがきと内容的に重なっている。
  私たちは誰のために短歌を作るのか。何のために短歌を作るのか。自分のために作るのである。自分だけのために作るのである。誰のためでもあってはならない。相聞は恋人に与えるべくして作るものであってはならない。かって私も、恋人のためにただ一首の相聞を作ろうと思ったことがあるが、とうとうそれはできなかった。

若き日の河野さんの文章を読んでいると、不思議な気分になる。そこには、自分より年下の河野さんがいて、元気よく喋っている。

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2011年05月16日

「Revo律」創刊号

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「Revo律」創刊号(1970年5月)が日本の古本屋に出ていたので、購入した。1000円。
古い雑誌を読むのは面白い。今の雑誌を読むより面白いかもしれない。

内容は、三枝浩樹「杳きロゴス」15首、河野裕子「黒き麦」15首、評論「ラーゲルの平和な一日」(福島泰樹)、永田和宏「おれは燃えているか」5首、伊藤一彦「聖なる沖へ」5首、総括「革命的創造にむけて」(三枝昂之)、エッセイ「ニャロメとハチ」(深作光貞)など。いずれも1970年という時代を濃厚に感じさせる作品であり、文章である。

表紙には、こんな言葉が書いてある。
Revo律のRevoはRevolutionのRevo ― lutionがなくてはわからない。“いる”という者! “いる”として、いる(il)をつけたら il-lution になる “幻影”なんていらんや いやいるということになり、面倒くさいから“Revo律”を正式名にした!

なんとも回りくどい書き方だなあと呆れつつも、何だか楽しい。

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2011年05月15日

万城目学著 『プリンセス・トヨトミ』


今さら、ではあるのだけれど、映画化される前にと思ってあわてて読んだ。

やはり、面白い。エンターテインメントとして面白いだけでなく、ミステリーでもあり、大阪論でもあるような一冊。
「県庁や府庁がある場所って、住所に『大手前』や『追手』や『丸の内』って入っていることが多いんだ。それって、城の近くってことなんだよね。静岡や福井みたいに、堀の内側に庁舎が建っていることもあるし。明治に入ってはじめの頃は、行政の仕組みが整うまで、殿様がそのまま県知事の職を務めたから、きっとその名残だろうね」

こういう何でもない台詞のディテールにも、味わいがある。
新作『偉大なるしゅららぼん』も読まないといけないなあ。

2011年4月10日、文春文庫、714円。

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2011年05月14日

紅茶(その4)

もちろん、散文と短歌とは違う。短歌作品には森岡貞香の「も」の字も出てこない。あくまで歌は歌なのであり、森岡宅訪問という事実から出発してはいるものの、作品化される過程で別の次元のものとなっている。

「微笑」という一連の初出は、「塔」2007年11月号。初出と歌集収録作とでは細かい異動がいくつかあるのだが(「黒き盆」が「黒き盃」になっているのは誤植か?)、大きな違いは連作の最初の一首が削られて、5首だった一連が4首になっていることである。それは
見上ぐればみな古びつつ石段の上に門ある東京の家

という一首であった。この歌が削られたことによって「東京の家」という情報もなくなり、作品としての自立度がより一層高まったように感じる。森岡貞香というモデルを離れて、普遍性のある作品になったということかもしれない。

最後に、森岡貞香の遺歌集『少時』から、紅茶の歌を二首。
あたらしき日を吾は持たずブランデー滴らせ紅茶かたはらに置く
紅茶の葉はふたりぶん否ひとりぶん 戀ふれば來らずといふ豫想
            森岡貞香『少時』

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2011年05月13日

「井泉」39号

井泉」(編集発行人 竹村紀年子)は隔月刊の結社誌。春日井建が亡くなったあと、2005年に「中部短歌」から分れて創刊された。

この結社誌の特徴は散文に力を入れていることで、今号にも連載や評伝を含めて5編の文章が掲載されている。中でも「リレー評論」は「井泉」の目玉企画とも言えるもので、数号にわたって一つのテーマを設定し、結社外の歌人も招いて評論を書かせている。

これまでに「ほんとうっぽい歌とうそっぽい歌について」「短歌の私性について」「今日の家族の歌」といったテーマがあり、いずれも面白く読んできた。今回は前々号、前号に続いて〈短歌の「修辞レベルでの武装解除」を考える〉というテーマのもと、棚木恒寿「武装解除のゆくえ」、佐藤晶「「私」の範囲」の2本の評論が掲載されている。

それぞれの評論の中身にまでは立ち入らないが、一点だけ気になったことがある。それは二人がそれぞれ永井祐の同じ歌を引いているのだが、その表記が異なっていることだ。
あの青い電車にもしもぶつかればはねとばされたりするんだろうな
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな

「はねとばされ」と「はね飛ばされ」、一体どちらが正しいのだろう。残念なことに、ともに出典が書かれていない。この歌はあちこちで引かれている有名な歌なので、そうした文章をいくつか見てみたが、不思議なことに誰も出典を明記していない。しかも、この二通りの表記が混在して、まかり通っている。

例えば山田富士郎「ユルタンカを超えて」(「短歌現代」2009年9月号)には、穂村弘の「棒立ちの歌」(「みぎわ」2004年8月号、『短歌の友人』にも収録)からの孫引きとして、この永井の歌が引かれている。しかし、その「棒立ちの歌」を見ても出典は書かれていない。

ああでもない、こうでもないと調べた末に、ようやくこの歌の初出が2002年の「短歌WAVE」創刊号であることがわかった。この号に第1回北溟短歌賞次席作品として、永井の「総力戦」100首が載っており、「あの青い・・・」の歌はその中に含まれている。結局、正しい表記は後者の「あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな」の方であった。

別に引用ミスについてとやかく言っているわけではない。どちらの表記が正しいのかさえ不明瞭なままに議論が続いていることに驚いたのだ。もう10年近くにもわたって、多くの人が孫引きに孫引きを重ね、直接原典に当たることをせずに、この歌についての議論を繰り返してきたということだろう。そう思うと、何ともむなしい気持ちになるのである。

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2011年05月12日

紅茶(その3)

ブランデー入りの紅茶には、古き良き時代の優雅な感じがある。普通は香りづけに少し垂らす程度のブランデーを「思い切り」入れるというのも珍しい。ただ、誰もがそこに関心を向けるわけではない。年表作成の作業に通った他の歌人たちも、それぞれに森岡家の思い出を記しているが、ブランデー入り紅茶の話は出てこない。
 (…)私たちが森岡さんのお宅に通うようになってから、気がつけば七年近くが経とうとしていた。「女人短歌」の終刊号に収められた年表の不足を補いたいという森岡さんのお申し出に応え、女性歌人六人がお宅に通い作業することになったのである。確かに当初は森岡さんを助け、作業するはずだったのだが、早々に目的は変わってしまった。大きなテーブルを囲み、さて、と腰を落ち着けると、森岡さんの「あなたね、まあ面白いったらないのよ」が始まる。それは本当に素晴らしく面白く、その話を囲む機会となってしまったのである。
          川野里子「森岡貞香という戦後史」(「歌壇」2009年5月号)
 
 森岡貞香監修による『女性短歌評論年表』作成作業に、目黒区中根のお宅に月に一度、五年近く通った。(…)黒の鉄扉に郵便受けがやや傾きかげんに取り付けてあり、あふれている郵便物をそこから抜くのも私たちの習慣になっていた。持参したおにぎりやらをがさごそと開け、昼食となる。テーブルにはお菓子の箱や果物が載っている。頂き物が多いとおっしゃって、そこにあるのは名産品や高級和洋菓子だ。ついつい手が伸びて、六人いると端から片付いていく。にぎやかなわれわれに森岡さんはニコニコと微笑んでいらして、ご自分は少ししか召し上がらない。
          西村美佐子「折り鶴」(「歌壇」2009年5月号)

部分的な引用なので伝わりにくいかもしれないが、同じ家を訪れて同じ時間を過ごしても、印象に残ることは人によって違う。様々な物事のなかから、「ブランデー入り紅茶」に注目したのは花山さんの個性であり、それが歌にもなっているのである。

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2011年05月11日

上野久雄歌集 『冬の旅』

2008年に亡くなった上野久雄の第五歌集。1994年から2000年までに発表した歌の中から442首が収められている。上野は1927(昭和2)年の生まれなので、作者67歳から73歳までの歌ということになる。

この間の大きな出来事として、自らの経営する喫茶店「ラ・セーヌ」を閉店し、引越しをしたことが詠われている。また、持病の肺疾患についても繰り返し歌に詠んでいる。しかし、上野の作品は、そうした現実をベースとしながらも、それとは少し別の次元に成り立っているようだ。どの歌も言葉に艶があって、どこか謎めいている。
枯葦に隠されて川のあるならむ夕べ犬らの跳び越えゆけり
心拍を数えて過ぎし秋の夜の一分の刻 還らざる
湯浴みするこのひとのおとを聴くが好き招かれて来し秋のしずけさ
液状の糊こんもりと冬の夜の机に洩れていることのある
助からぬ病と聞きぬ これの世に助かる人のもし誰かある
燃えさかる炎(ひ)を摑むためみずからを火となす齢(よわい)すぎたりしかな
ツインベッドの一つ使わず去らんとす朝なほ美(は)しき時間(とき)の過ぎれば
雨垂れのきこえずなれば眠らなむしずかに薄き翅(はね)をひらきて
坂の上まで山茶花の雨 修道女(シスター)は二人並びて登りゆくもの
沈められてゆくようにいま睡魔くる沈みてゆかな鰭振りながら

亡くなった人の歌集を読んでいると、なぜだか不思議と心が落ち着いてくる。山梨に生まれて山梨で亡くなった歌人の生涯に、にわかに興味が湧いてきた。

2001年7月1日、雁書館、2800円。

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2011年05月10日

紅茶(その2)

朝日新聞に引かれていた一首は、『胡瓜草』の巻末にある「微笑」という一連のなかにある。4首全部を引いてみよう。
ひさにして訪ふ家はたかだかと掲げてゐたり秋の黄の薔薇
ブランデー紅茶に垂らしいくたびか豊かなる時間ここに過ぎにき
黒き盃に載せられ来しは何といふあやしき斑(ふ)入り蔦の紅葉の
微笑(ほほゑみ)はわれらを送るゆふぐれの半開きなる扉の間(あひ)に

誰かの家を久しぶりに訪れて、ブランデー入りの紅茶を飲み、あるじの微笑に見送られて辞するという内容である。

この家のモデルは、2009年に亡くなった歌人森岡貞香さんのお宅であることが、次の文章からわかる。
(…)東京の家の特徴だが、古い石段を上がるとドアがある。薄暗い玄関を入ってすぐ向こうに、部屋いっぱいの楕円のテーブルがあって、数人が囲めるようになっている。椅子は壁にぎりぎりに置かれているので、テーブルについてしまうと動けない。テーブルには、こまごまと洒落た可愛い置物、ぬばたまの実の枝や、時には慶応桜などが活けてある。森岡さんはいつも紅茶を淹れてくださるが、そこに小さなガラスの容器に入ったブランデーを思い切り振り入れるのである。それを飲んだとたん、何か世の中から隔絶したふしぎな空間に入ったように思われたものだった。私たちは鋏や糊を手に、切り貼りなどの作業を始めるのだが、たちまちに森岡さんの思い出話の中に吸い込まれてゆく。(…)
           花山多佳子「楕円のテーブル」(「短歌」2009年3月号)

森岡さんへの追悼文に書かれた『女性短歌評論年表』(森岡貞香監修)作成の風景である。どこか芥川龍之介の「魔術」を思わせる雰囲気だ。

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2011年05月09日

京都新聞

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今日(5月9日)の京都新聞の朝刊に、『短歌は記憶する』に関する記事が載りました。

『短歌は記憶する』のご注文は、六花書林または松村まで。

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紅茶(その1)

先日、歌会の後に喫茶店に入ったところ、紅茶とコーヒーをめぐる話題になった。

私はいつの頃からかあまりコーヒーを飲まなくなって、喫茶店ではいつも紅茶を注文する。コーヒーよりも紅茶の方がカフェインを多く含んでいるとか、紅茶を飲むと頭が良くなるとか、いろいろな話が出たのだが、最後に「お客さんに出す時は、紅茶よりコーヒーの方が簡単でいい」という意見が出て、これにけっこう皆さん頷いていた。

なんでも、紅茶は淹れ方や葉っぱの選びが難しくて、なかなか美味しい紅茶にならないのに対して、コーヒーは手軽にうまく淹れられるのだそうだ。私自身はお客さんにコーヒーや紅茶を出すという機会がないので、そういう見方もあるのだなあと新鮮な気持ちで聴いていた。

そんな話を思い出したのは、今日の朝日新聞の「歌壇・俳壇」に花山多佳子さんの『胡瓜草』が紹介されていて、そこに
ブランデー紅茶に垂らしいくたびか豊かなる時間ここに過ぎにき

という歌が引かれていたからである。数多くの歌の中からこの一首が引いてあることに、ちょっと驚いたのであった。

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2011年05月07日

JEUGIAカルチャー

6月から新しいカルチャー講座を始めることになりました。

JEUGIAカルチャーMOMO(京都市伏見区)で毎月第1火曜の10:30〜12:30になります。詳しくは→こちら

どうぞ、よろしくお願いします。

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2011年05月05日

齋藤芳生歌集 『桃花水を待つ』

「かりん」所属の作者の第一歌集。

福島、東京、アブダビという三つの都市の表情がよく描かれている。「水」に関する歌が多く、この歌集は「水」をめぐる物語なのかもしれないと思う。
星の数ほどドアが並んで(誰もいない)仕掛け絵本のようだ、東京
銅版画家に削り取られし東北の雪はたちまちにとけてしまえり
川よお前を見つめて立てば私の身体を満たしゆく桃花水
海を知らぬ少女でありし日の我よ金魚の墓をいくつもたてて
Abu Dhabi は蠍のかたちおおらかに抱かるる海はひたすらに凪ぐ
「オハイオウ」が「おはよう」になる瞬間を見し日本語の授業、二回目
教室に「おいのりのしかた」掲示され描かれし子が正しく祈る
噴水の多き街なり水の束を透かして遠き日輪を見る
あなおとなしき駱駝の腹に浮きでたるホースのように太き静脈
もしかしたらここは大きな砂時計の中かも知れず 砂にまみるる

全体的な印象として、具体を詠んだ部分は自由でのびやかなのだが、観念の部分がそれを狭くしてしまっている気がする。「細長きものを見つければ振り回す子どもとはいつもひかる円心」という一首も、上句の具体はとても面白いのだが、下句の観念がそれをまとめ過ぎているのではないだろうか。

2010年10月1日、角川書店、2571円。

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2011年05月04日

竹田津実著 『タヌキのひとり』


副題は「森の獣医さんの診療所便り」。著者の竹田津さんは北海道に住む獣医師、写真家、エッセイストである。以前函館に住んでいた頃に、この人の書いた『北海道動物記』『北海道野鳥記』という二冊の本を読んだことがあり、その印象を覚えていて、今回書店で見かけたこの本を買うことになった。

カラー写真が約100点も載っていて、写真を見るだけでも十分楽しい。登場する動物はタヌキ、ノネズミ、アカゲラ、ネコ、シマリス、モモンガ、カモ、キタキツネなど。いずれもケガをしたり保護されたりして、竹田津さんの元にやって来た動物たちだ。
獣医師というのは不思議な職業である。/助けた患者から感謝されることは、まずない。

患者たちの餌集め。助けるというが、餌になる生き物の命を止める。/私たちは助けるという名の命の移転作業を続けているに過ぎない。

いつの頃からか、入院患者に名をつけなくなった。名は情を呼ぶ。

野生の生き物を保護して、治療して、リハビリもして、野生に帰す。けれど、自然は単純ではない。ようやく助かったと思った命が、あっという間に死んでしまうこともある。牛舎に寝ている猫が牛に押し潰されて死んだり、保護したカモの雛が溺死したりもする。

そんな出来事を記す時にも、竹田津さんの文章は決して感傷におぼれない。それでいて、いつもやさしい。

2007年3月20日、新潮社「とんぼの本」、1400円。

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2011年05月03日

高野公彦著 『うたを味わう―食べ物の歌』

食べ物を詠んだ歌を取り上げて、その鑑賞や感想を記したエッセイ集。「味の味」「NHK歌壇」に連載した文章をまとめたものである。

『万葉集』から現代短歌にいたるまで、実に様々な食材が短歌に詠まれていることに驚く。ぎんなん、キャベツ、蝦蛄、湯豆腐、そば、鰹、椎の実、苺、うめぼし、たらの芽、豆ごはん、舌鮃、無花果、潤目鰯、たこ焼、春菊、タラバガニ……などなど。
生きてゐる浅蜊を蒸(む)して貝ひらくときに与ふる酒の一滴(ひとしづく)
                    /柏崎驍二
つきさしてじんわりひきだすさざえの身うちなるにがき臓も食いゆく
                    /玉井清弘『麹塵』
雪にやどる荒山なかの狩小屋に麦めしあまし熊を菜(さい)に食(く)ふ
                    /与謝野鉄幹『紫』
朽木谷、花折峠 背負はれて若狭の鯖は京都へ入りつ
                    /関口ひろみ『あしたひらかむ』
秋である。やさしさだけがほしくなりロシア紅茶にジャムを沈める
                    /小高賢『耳の伝説』
朽ち葉色のうづらの卵十(とを)茹でて木の実のやうにむけばましろし
                    /木畑紀子『女時計』

食べ物の歌の良し悪しは、何よりもその食べ物がうまそうに思えるかどうかにかかっているという気がする。うまそうに思えれば、もうそれだけで十分に歌として成り立っている。

2011年4月10日、柊書房、1800円。
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2011年05月02日

嵐山へ(その3)

午後からは「嵐山モンキーパークいわたやま」へ行く。
渡月橋をわたって、山道を15分ほど登ると、展望台と休憩所がある広い一画に出る。とても見晴らしが良く、遠く京都タワーも見える。京都が盆地であることがよくわかる眺めだ。

この付近に百数十頭のサルが住んでいて、エサを食べたり、歩き回ったり、寝転んだりしている。休憩所の建物の中から金網越しにエサをあげることもでき、なかなか楽しい。よく見ると、母親に抱かれて春に生まれたばかりの赤ちゃんサルもいる。顔がまだ赤くない。

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こちらは別の赤ちゃん。
母親の元から離れてパイプの向うへ行こうとするのだが、お母さんが片脚を掴まえて離さない。何度もトライしては、その度に引き戻されていた。

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これで今日の予定は終了。

帰りは京福電鉄嵐山線(通称・嵐電 らんでん)に乗って帰る。
京都に唯一残る路面電車。大人は全線均一200円だが、こどもは土・日・祝日は無料というキャンペーン中であった。経営が大変なのだろうな。

「車折神社(くるまざきじんじゃ)」「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」「蚕ノ杜(かいこのやしろ)」などの難読駅を通ってゆるゆると進む。川下り&山登りの疲れもあって、車窓の景色も楽しむこともなく、そのまま眠りへ落ちていきました・・・。
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2011年05月01日

嵐山へ(その2)

いよいよ有名な保津川の舟下り。
京都に住んで十年になるが、舟下りをするのは初めて。

一隻に約20名の客と4人の船頭さんが乗る。
船頭さんは、櫂を漕ぐ人が2人、棹をさす人が1人、舵を取る人が1人。三十歳くらいの人から六十歳くらいの人まで年齢はまちまちだが、チームワークよく舟を進めていく。役割分担にはローテーションがあるようで、途中で何度かポジションを交代する。

新緑がとてもきれい。水量は多くもなく少なくもない状態。
ところどころ水しぶきを立てて滑って行く箇所があって、なかなかスリルがある。それと、船頭さんはみんなトークが上手で、話をするのもプロの仕事だなあと感心した。

約90分で渡月橋のすぐ近くに到着。
ちょうどお昼時なので、河原でお弁当を食べる。日差しも暖かくなってきて良い気持ち。
渡月橋の上流には30艘くらいのボートが浮かんでいる。
春浅き大堰(おほゐ)の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る  栗木京子『水惑星』

渡月橋の親柱を見ると、なるほど「大堰川」と書かれている。保津川というのは、大堰川の一部を指す名前ということらしい。
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