2011年02月28日

石田比呂志さん

2月24日に石田比呂志さんが亡くなった。80歳。

以前、「現代短歌雁」の特集に石田比呂志論を書いたことがある縁で、何度かお葉書やお酒をいただき、「牙」の2月号に最新歌集『邯鄲線』の書評を書かせていただいたばかりだった。
ご冥福をお祈りします。

石田さんの歌集をぱらぱら読み返していると、こんな歌があった。

  松下紀代一君夫妻へ
わが友の妻の作れる奈良漬が来たりて匂う肥後の厨に   『鶏肋』

この「松下紀代一君」というのは、作家松下竜一の弟のことであろう。デビュー作『豆腐屋の四季』をはじめ、松下作品の中で何度もその名前を目にしたことがある。石田さんとどういう関係であったのかはわからないが、たしか大分の中津に住んでいたので、地理的には近いものがあったのだろう。

松下竜一については、以前「塔」の編集部ブログで触れたことがある。松下竜一は2004年の6月17日に67歳で亡くなった。その三日前の14日に、弟の紀代一氏も63歳で亡くなっている。

  本名が裕志であるということも訃報のなかに知り得しひとつ


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2011年02月27日

3年目

「塔」での連載「高安国世の手紙」が3年目に入った。当初は一年間くらいの連載を考えていたのだが、1年では終らず、2年でも終らず、ついに3年目を迎えることになった。こうして発表の場をいただけるというのは、考えてみれば贅沢なことで、これも結社のありがたさというものだろう。今年一年で書き終えて、いつか一冊の本にまとめることができたらいいと思う。

連載のためにあれこれ調べものをすることが多い。調べものをしながら、時々「こんなことをして何になるんだろう」という疑問が湧くことがある。短歌というのは、作品を読むことが第一義であって、作者の生活や人生を調べることに、はたして何の意味があるのだろう。しかも、細かく調べていくことによって、作者の伏せておきたかったような事実まで明らかにしてしまうことになる。

そうした疑問に明快に答えられるだけのものを、私は持っていない。毎回、試行錯誤の繰り返しであるし、こんなことには何の意味もないのかもしれないと思うこともしばしばだ。でも、自分がそれに興味を持つということは、何かそこに意味があるのだと信じて、調べたり書いたりしている。それが正しいことなのかどうか、正直言ってよくわからない。

自然科学の分野では、今では誤りとされている仮説や考え方を証明するために一生を費やした人も多い。そうした科学者たちが行ったたくさんの実験や研究のことを考えてみる。ある意味、壮大な無駄と言ってもいい。でも、すべては迷路と同じことで、どの道が正しいか最初からわかっているわけではない。だから、こういう科学者の話を聞くと、私はむしろほっとした気持ちになる。
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2011年02月26日

県立図書館とお城

本を寄贈する関係で全国の都道府県立図書館の住所を調べたところ、面白いことに気が付いた。お城に関係する地名が多いのである。
茨城県立図書館  水戸市三の丸1−5−38
山梨県立図書館  甲府市丸の内
愛知県図書館   名古屋市中区三の丸1−9−3
岡山県立図書館  岡山市北区丸の内2−6−30
愛媛県立図書館  松山市堀之内
高知県立図書館  高知市丸ノ内1−1−10
佐賀県立図書館  佐賀市城内2−1−41
鹿児島県立図書館 鹿児島市城山町7−1

そう言えば、お城や城跡の周辺には、大体どの町でも図書館や美術館や博物館があって、県庁や警察署や郵便局などの公共施設が立っている。地名を眺めながら、知らない町のことをあれこれ想像するのは楽しい。
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2011年02月25日

山川朱実著 『国境まで』

昭和16年出版の随筆集。「日本の古本屋」で数千円で購入したもの。山川朱実は歌人北見志保子の別名である。

昭和15年秋に北見志保子が文化講演会のため樺太を回った時の文章が、全体の約半分を占めている。樺太については、昨年出した評論集『短歌は記憶する』の中に「樺太の見た夢」という文章を書いたが、触れられなかった歌人も多く、まだまだ書きたいという思いが強い。いつの日か「樺太を訪れた歌人たち」という連載をして、一冊の本にまとめたいと思っている。

樺太旅行以外の文章も、テンポがよくて、はっきりとした物言いが気持ち良い。内容的にもあまり古びた感じはなく、面白く読むことができる。冒頭部分を引くと、こんな感じ。
 私は或るとき血圧が高くなつて医者のもとに行つた。医者は私の顔を見ると、いつものやうに「どうしました?」と聞きながら、円い回転椅子に私をかけさせた。そして、血圧を計りながら、「ところで、斎藤茂吉と北原白秋とは、どつちが偉いんですか?」と話し出した。聴診器を私の心臓の上や肺の上に移しながら話すので、私はこれでわかるのかしらと思つた。(診察室)

 影のない明るく曇つた日で、まことに初夏らしいよい日であつた。さすがにまだ山の上は肌寒いと思ふほどの風がバスの窓から吹き入りながら、どんどん御殿場から須走へ登つてゆく。あのバスガールが地方々々の名所旧蹟を案内する音調はいつどこから始まつたものか、私は聞く度に何とかならないものかと思ふ。一日に何遍となく同じことをくりかへしていつてゐると自然ああなるものかとも思ふけれど、デパートのエレベーターガールや案内お知らせの場内に聞えわたる声にしても同じことで、少しの温みも親しみもなく、ただ野卑の一語に尽きてゐる。 (須走の小鳥たち)

こうした本が、今ではほとんど入手不可能になっているのは残念なことだ。

昭和16年9月5日発行、大同印書館、1円80銭。
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2011年02月24日

「短歌」2011年3月号

角川「短歌」3月号が届く。
巻頭は永田さんの作品「二人の時間」30首。その中に、こんな一首がある。
わたくしと竹箒とが壁に凭れ手持無沙汰に冬の陽を浴む

先日の旧月歌会にも、この歌が出ていた。その時に私が発言したのは〈「手持無沙汰」がいらない。私と竹箒が壁に凭れて冬の陽を浴びているというだけで、十分に手持無沙汰な感じは出ているので、「手持無沙汰」があるとダメ押しになってしまう〉ということであった。

その後、〈手持無沙汰なんて言ってないで、竹箒があるんだから自分で掃けばいい〉とか〈「手持無沙汰」はやっぱりこの歌には必要だ〉とか、いろいろな意見が出たのだが、その同じ一首を、妻を亡くしたかなしみを詠んだ一連の中で読むと、全く印象が違ってくる。手持無沙汰でしかあり得ない時間というもののさびしさが、ひしひしと伝わってくるのだ。

短歌というのは本当に不思議だと思う。

竹箒二本買ひ来て落葉らと戦ふやうに掃くうちに冬
                河野裕子『歩く』

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2011年02月23日

歌集は買って読む

河野裕子さんに言われたことでよく覚えているのは「歌集は買って読むように」ということ。身銭を切ったものでないと身につかないという意味で、河野さんはそうおっしゃっていた。

この教え(?)は今も守っている。新刊の歌集は送っていただくことが多くなったが、それでも他に目についたものがあれば買うし、古い歌集なども基本的に買う。総合誌5誌の定期購読も含めてかなりの出費になるが、短歌に使うお金は惜しいとは思わない(ようにしている)。

以前、何かの本で、資本主義社会においては個人が何にお金を使うかによって、社会を変えて行くことに参加できるという話を読んで、非常に納得したことがある。みんながコンビニで物を買えば世の中にコンビニが増えるし、マクドナルドにお金を使えばマクドナルドが増える。

別に社会を変えたいなんて思わないが、お金の使い方が自分の価値観の表明(?)になるという思いは強く持っている。だから自分が大事だと思うものには、できるだけお金を惜しまない(ようにしたい)。

「短歌が好き」とか「短歌が大切」という気持ちも大事だけど、実際に短歌にお金を使うことは、もっと大事かもしれない。今日も本屋で、何度も自分にそう言い聞かせて、一冊の高い本を買った。
posted by 松村正直 at 03:03| Comment(0) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

カルチャーセンター

4月から新規のカルチャー教室を二つ開講することになりました。
ご興味のある方は、ぜひお越しください。

○「はじめてよむ短歌」
  朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
  4月1日(金)から3回 第1金曜10:30〜12:30

○「はじめての短歌」
  醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
  4月11日(月)から 第2月曜13:00〜15:00

その他の教室については、松村のホームページ「鮫と猫の部屋」をご覧ください。

どうぞよろしくお願いします。

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2011年02月21日

河野裕子・永田和宏ほか『家族の歌』

河野裕子 永田和宏 その家族
産経新聞出版
発売日:2011-02-03


永田さん、河野さん、淳さん、紅さんの四人(のちに植田裕子さんも)が産経新聞夕刊に連載していたリレーエッセイ「お茶にしようか」をまとめた一冊。産経新聞は取っていないので、このエッセイをまとめて読むのは今回が初めてである。一回あたり見開き2ページに短歌一首+エッセイ約1000字という内容。河野さんの病気と死に関する話がもちろん多いのだが、それ以外にも印象に残るエピソードがいくつもあった。

河野さんが亡くなった時の永田さんのエッセイに
遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに夕日に鳴けり 河野裕子『母系』

という一首が引かれている。そう言えば、河野さんの出産の時の歌に
しんしんとひとすぢ続く蟬のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ 『ひるがほ』

という有名な一首があったなと思い出した。この蟬の声は、河野さんにとって生と死をつなぐ一本の線であったのだろう。どちらも昼と夜との境目である「夕日」「薄明」の時間帯であることも象徴的な気がする。

短歌と散文との組み合わせというのは、簡単そうでけっこう難しい。それこそ歌の上句と下句のように、即かず離れずの距離感が大切になる。
砂時計砂をこぼせる秋の日に指折りながら言葉をつなぐ 永田紅

という歌の後に、家族で連歌をした話があり、「砂時計の砂が落ち始めるのと同時に自分の句を考え始める」と書かれているのを読んで、アッと思った。この部分を読むまでは「砂時計砂をこぼせる」を序詞として読んでいたからだ。そして、歌の鑑賞としてはその方がはるかに良いように思ったのである。

この本には、家族それぞれの視点から描かれた河野さんの姿がなまなましく息づいている。河野さんの最後の一年がつまった本が、こうして一冊にまとめられたことを喜びたい。でも、表紙やサブタイトル、そして帯については、できればもっとシンプルなものにして欲しかったと思う。

2011年2月13日、産経新聞出版、1200円。
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2011年02月19日

松村由利子著『31文字のなかの科学』


新聞記者として科学環境部に勤めたこともある著者が、科学を題材にした短歌を取り上げながら、科学の問題についてわかりやすく解説した本。「細胞」「遺伝子・DNA・ゲノム」「がん」「脳死・臓器移植」「認知症」「月」「恐竜」「原子力」など、現代の生活において身近な様々な分野のことが扱われている。

体内に海抱くことのさびしさのたとへばランゲルハウス島といふ島 /大辻隆弘『水廊』
生殖医療の善悪もいう新聞はいつも新聞の匂いして /早川志織『クルミの中』
どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を /佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』

歌の読みと科学的な解説のバランスが非常に良く、短歌と科学の両方の魅力を味わうことができるようになっている。これまで、短歌の話は短歌の世界だけでされることが多かったが、この本のように短歌を外に向って開かれたものにしていくことは、実はけっこう大切なことなのではないかと感じる。

本書の中に、文系と理系をあまり早くから分けない方がいいと述べる人の話が出ているが、本当にそうだと思う。デカルトだって哲学者であるとともに数学者、科学者であったし、ゲーテもまた詩人、小説家、政治家であるとともに科学者でもあったのだから。

2009年7月2日、NTT出版、1800円。
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2011年02月17日

光森裕樹歌集『鈴を産むひばり』

2008年に角川短歌賞を受賞した作者の待望の第一歌集。

作者の歌については、以前、「私の推す四名の歌人」という文章(角川「短歌」2008年6月号)で取り上げたことがある。理知的で、しかも抒情を感じさせる作者のスタイルは、この歌集にもくっきりと現れている。近代短歌以降のさまざまな修辞や文体を自在に使いこなすだけの力量と、非常に現代的な内容とを併せ持った、注目すべき歌集だと思う。
街灯の真下をひとつ過ぎるたび影は追ひつき影は追ひこす
フィラメント繋げる如く綴りゆき立ちかへりては打つウムラウト
乾びたるベンチに思ふものごころつくまで誰が吾なりしかと
湧くごとくプールサイドにあしあとは絶えねどやがて乾きゆくのみ
ゼブラゾーンはさみて人は並べられ神がはじめる黄昏のチェス
ビル壁面を抜けて鴉にかはりたり羽ばたく影と見てゐしものが
柚子風呂の四辺をさやかにいろどりて湯は溢るれど柚子は溢れず
齧りゆく紅き林檎もなかばより歯形を喰べてゐるここちする
みなもより落葉(らくえふ)ひとつみなぞこへ落ちなほしゆくさまを見てゐつ
日 月 火 水 木 金 土 とらんぷをくばりゆくごと春の日は過ぎ

六首目の歌からは、〈わが前の空間に黒きものきたり鳩となりつつ風に浮べり〉(高安国世『街上』)という一首を思い出した。どの歌もオリジナルなものでありつつ、しかも短歌史につながる作品となっているように感じる。

全体的にかなり知的でシャープな印象があり、もう少し無防備な歌が欲しい気もするのだが、それは第二歌集以降ということで良いのだろう。

2010年8月11日、港の人、2200円。
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2011年02月16日

遠藤由季歌集『アシンメトリー』

「かりん」所属の作者の第一歌集。

題名の「アシンメトリー」はシンメトリーの反対で「非対称」の意味。直接には〈翅ひろげ飛び立つ前の姿なす悲という文字のアシンメトリー〉という一首から取られているが、他にも〈対をなす臓器ではない心臓にこころがあると思う雪の日〉という歌や、われと「君」との関係のようなものも意味しているように感じた。

あとがきに「雨ばかりの数年だとおもっていた」と記してあるように、雨の歌が多い。また内容的には「鬱烈しき」「鬱語りいる」と描かれる君との関係性を詠んだ歌が圧倒的に多く、痛みを伴った感情表現に作者の個性が感じられる。
明るさと呼ぶには少し翳りある桜も作り笑いするのか
とちおとめ煮詰めて女にしてしまう朝ごとに塗るジャムの艶めき
朝ごとに光のほうへ右折するバスの終点へ行きしことなく
びったりと寒鮃黒く黙しいる魚屋過ればわが影の無く
感情のもっとも薄き場所に打つホチキス今日は風強きゆえ
夕暮れが貼り付いたままの車窓へと頭ぶつけて君は眠りぬ
溝に散る花もきれいと言うのなら揺すってよわれという名の幹を
折れるほどの力を込めていたならば君の背骨を折ってしまえた
光にはなれぬ痛みの色なるか川べりに咲く菜の花の黄は
零れぬ水おんなは一枚持ち歩き顔を映せり昼ごと夜ごと

歌集の中ほどにある「真冬の漏斗」45首は、第一回中城ふみ子賞を受賞した作品で、非常に意欲的かつドラマチックな一連であるが、そのために後半の歌がやや色褪せて見えてしまうのが惜しい気がした。

2010年8月31日、短歌研究社、2500円。
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2011年02月14日

ブリヂストン広報室編 『「乗り物」はじまり物語』

参考資料として古本で購入したもの。駕籠、自動車、二輪車、鉄道、舟、飛行機など、さまざまな乗り物の歴史を綴った一冊。と言っても専門的な内容ではなく、もともとブリヂストンの広報誌「タイヤニュース」に連載されたものなので、文章も平易でわかりやすい。

いくつもの興味深いエピソードや歴史の一こまが描かれている。例えば十九世紀の自転車の発明について述べたくだりに、こんな一節がある。
 有名な芸術家であり、科学者でもあったイタリアの巨人、レオナルド・ダ・ビンチの大量の遺稿が、一九六五年(昭和四〇)に発見された。その中に、見事な二輪車(自転車)のスケッチが混じっていたのである。
 ハンドルらしきものがあり、八本のスポークが入った同じ大きさの二つの車輪、ペダル、チェーン、サドル……。自転車の初期のものよりはるかに優れ、現代のものと大差ない。ダ・ビンチの没年が一五一九年といわれているから、本当だとするとまさに驚異的な着想である。

ダヴィンチが描いたという二輪車構想図の模写が図版に載っていて、確かに現代の自転車とそっくりである。ただし、この本でも「本当だとすると」という留保があるように、これは現在では捏造(イタズラ書き?)であったことが判明している。歴史というのは、どこでどう転ぶかわからない。
 一八〇九年、イギリスの学者、ジョージ・ケーシーは、鳥の翼を形どった滑空機を飛ばし、一五メートルの高さの飛行を実現した。この経験をもとに、彼はそれまで考えられていた「はばたき式」でなく、「固定翼型」が良いことを結論づけた。その時代まで、鳥のように羽根を上下に動かす方式が真剣に考えられてきたが、固定翼は飛行機開発の方向を大転換する重要な実験となった。

飛行機については、この部分が印象に乗った。飛行機開発は、まずは身近な鳥を真似た「はばたき式」が主流であったのだ。確かに鳥のモノマネをする時は両手をバタバタさせるから、これが自然な発想というものだ。そこから「固定翼型」へと移行した段階で、外見は似ていても中身というか考え方が全く別種のものに変化したということなのだろう。

1986年7月3日、東洋経済新報社、1200円。
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2011年02月13日

映画「毎日かあさん」

MOVIX京都にて。

西原理恵子の人気マンガの映画化。原作の一ファンとしてぜひ見ておかなくてはという感じ。このところ、西原作品の映画化が相次いでいるなあ。

監督小林聖太郎、主演小泉今日子・永瀬正敏。ほぼ原作に忠実なストーリーで、俳優の抑えの利いた演技(あるいは監督の演出)が良かった。子役二人も可愛いくてうまい。途中でホロッと泣きかけた。

内容的にいろいろと身につまされる所があって、しんみりとする。また、マンガのリアリティと映画のリアリティの違いや、表現することが持つ暴力性などについても考えさせられた。

☆☆☆☆(星4つ)
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2011年02月11日

続・花電車(その5)

いくつか補足的に書いておきたい。

引用した新聞記事の中に「花電車」ではなく「花列車」と書かれているのは、江若鉄道が非電化の路線であり、正確な意味では「電車」ではないからだろう。写真に写っている先頭の「けん引車」は、江若鉄道が所有していた3輌のディーゼル機関車のうちの1輌、DD1352号機である。

これは1962年に製造されたばかりの当時の最新型車であり、花電車にふさわしい車輌であったと言えるだろう。1969年に江若鉄道が廃止されたのちは、岡山臨港鉄道(岡山―岡山港)に譲渡された。そして1984年12月30日の岡山臨港鉄道廃止まで長く活躍したのである。

その後、このDD1352号機は、エンジンなどの部品を取るための車輌として、近隣の水島臨海鉄道(倉敷―水島港)に売却され、そのまま廃車となった。花電車として琵琶湖のほとりを走ってから20年後のことである。(つづく)

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2011年02月10日

岡井隆歌集『X(イクス)―述懐スル私』


愛想が好いような悪いような、単純なような難解なような、恬淡としているような執着があるような、何とも不思議な歌集だと思う。雑誌初出時の小文なども一緒に載っている。

文体としては初句の入り方がバラエティに富んでいて楽しい。歌集から10首を選ぶのが意外に難しく、どれを選んでも同じような気もしてくるが、朝を詠んだ歌に印象的なものが多かった。
さうなのだ朝は一日(ひとひ)の最深部そこからゆつくり立ち上がるべく
吉田漱とは最後まで同行せり互ひに秘めし過去はくれなゐ
次第次第に思念の沼ゆうかび来てまた沈みゆく鯉の大きさ
すぐそばの自らの死を知らぬげにテレビに語る大野晋は
越年といふは腰まで濡れながら朝川わたる朝霧の中
段差がありますよと言ひて導くはさう年の差もなささうな君
手を洗ふ二人並んで手を洗ふなにをして来た手かは知らねど
卓上をネックレス白く流れたりあかつき起きのわれを鎮めて
夜半ちかく作業を終へし右の手を左手が来てしづかに包む
別の朝のちがふ時間が始まつて赤啄木鳥(あかげら)は来るその顔をして

2010年9月20日、短歌新聞社、2500円。

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2011年02月09日

続・花電車(その4)

琵琶湖大橋と言えば、
湖(うみ)にわたすひとすじの橋はるけくて繊(ほそ)きしろがねの韻(ひびき)とならん    高安国世

と詠われた橋である。『京都うた紀行』でも永田さんがこの歌を引いて、琵琶湖大橋についての文章を書いている。しかも、河野さんが書いた「堅田」の次が「琵琶湖大橋」なのだ。ヒント(?)はこんなところにもあったのである。
 琵琶湖大橋を初めて渡ったのはいつの頃だっただろう。よくは覚えていないが、開通まもなくの頃だったに違いない。
 (…)たぶん中学時代のわたしも、父の運転するパブリカで妹たちと一緒に琵琶湖をまわったはずである。
 琵琶湖大橋は開通が一九六四年だという。大衆車が普及しはじめてきた時期に重なるのだろう。西岸の堅田と東岸の守山の今浜を結び、琵琶湖のもっともくびれた部分、北湖と南湖の境に架けられた橋である。〈自家用〉車を駆って、この近代的な美しい橋を渡る。琵琶湖大橋は実用以上に、観光でいつも混みあっていた。

河野さんが琵琶湖大橋の開通を祝う花電車を見てから間もなくの頃、中学生の永田さんは車で琵琶湖大橋を渡っていたということになる。(つづく)

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2011年02月08日

続・花電車(その3)

記事の全文を引用する。
「開通ムードを満載 琵琶湖大橋 江若が花列車の試乗」

 江若鉄道会社(大坪武彦社長)=大津市南別所町=は二十七日びわ湖大橋開通祝賀協賛行事として“花列車”を走らせるが、十九日その試乗会を行なった。
 金、銀のモールと色とりどりの造花で飾られた花列車は、けん引車と普通列車二両、お座敷き車の四両で編成され、とくにお座敷き車は普通列車のイスを取りはずし、畳十三枚を敷き、カウンターもあるデラックス版。また車内はオリンピックの年にふさわしく万国旗で飾られている。
 この日は奥村副知事ら来賓、関係者百五十人が浜大津駅に集まり、午前十時、県警音楽隊がかなでる「クワイ河マーチ」のうちに、同鉄道守山開発課長のあいさつにつづき、奥村副知事がテープを切り、花列車はびわこ大橋の見える真野駅まで往復した。
 なお同鉄道は二十七日の開通日には堅田駅で降りる客には運賃の二割引をする。

つまり、1964年9月19日(土)に河野さんが見た(と思われる)花電車は、東京オリンピックでも東海道新幹線でもなく、琵琶湖大橋開通を祝うためのものであり、しかも試乗会のものだったのである。琵琶湖西岸の堅田と東岸の守山を結ぶ琵琶湖大橋は、9月27日に開通式が行われ、28日から一般に供用されている。(つづく)

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2011年02月07日

続・花電車(その2)

京都の岡崎と言えば、国立近代美術館、京都市美術館、京都市動物園、京都会館、みやこめっせなどが立ち並ぶ、京都随一の文化ゾーンである。そこに京都府立図書館もある。

京都府立図書館には、古い京都新聞がマイクロフィルムで収蔵されている。早速、係の方に昭和39年9月の分を出してもらい、専用の投影機にかけて最初から順番に見ていく。

まず、目に付いたのがオリンピックの聖火リレーの記事である。聖火リレーであれば滋賀県内を通ることもあるだろうし、花電車と何か関係があるかもしれない。しかし、残念なことに滋賀県を通るのは9月29〜30日の予定となっていた。

次々と流れる画面に目をやるが、それらしい記事は載っていない。もともと花電車の記憶自体がどこまで確かなことなのかわからないし、これはどうも無理かもしれないと諦めかけていたころ、その記事に出くわした。

花電車の写真が載っている。

見出しは「開通ムードを満載 琵琶湖大橋 江若が花列車の試乗」というもの。昭和39年9月20付朝刊の第二滋賀版の記事であった。(つづく)
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2011年02月06日

続・花電車(その1)

どうにも花電車のことが気にかかって仕方がない。わからないままで終わるのは後味が悪い。

「捜査に行き詰ったら現場に戻れ」という鉄則もあるので、ひとまず現場に戻ってみたいと思う。と言っても、滋賀の堅田に行くわけではない。『京都うた紀行』というテキストに戻るのだ。そもそも『京都うた紀行』という本に、なぜ滋賀の話が載っているのだろうか? 話はまず、そこからである。

この本は、京都新聞出版センターから出ていることからもわかるように、もともと京都新聞に「京都歌枕」として連載されたものである。京都新聞になぜ滋賀の話が?というのは簡単な話で、京都新聞は京都と滋賀の両方をテリトリー(?)にしているからだ。会社としても本社(京都市)のほかに滋賀本社(大津市)がある。

これは京都に移り住むまで知らなかったことだが、京都と滋賀の結び付きは非常に強い。京滋地方といった言い方もあるくらいだ。東京に住んでいた頃は、京都と言えば、「奈良・京都」あるいは「京阪神」といった枠組みでしか考えていなかったが、実はこの「京滋」という枠組みもかなり強い。地理的にも歴史的にも近いものがある。また、滋賀に住んで京都に勤めている人や、その逆の人たちもたくさんいる。

つまり、滋賀で起きたことを調べたければ京都新聞を見ればいいのである。花電車の走った場所と走った日付は前回までの推理でだいたいわかっている。となれば、あとはその新聞にあたるだけではないか。

まあ、そんなに簡単なことではないだろうけど。(つづく)
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2011年02月05日

「開放区」第90号

「開放区」第90号を読む。

野一色容子さん連載の「ナンジャモンジャの白い花―清原日出夫評伝」は、毎号楽しみに読んでいたものだが、七回目を迎えて完結した。清原日出夫の姿がよく見えてくる内容だったと思う。

今回この評伝の中に、先日このブログでも書いた「高安国世文庫」のことが書かれている。その部分を引用する。
 のみならず、平成一五年三月には長野県立図書館の閲覧室の一角に「高安国世文庫」を開設した。高安所蔵の蔵書のうち、歌集・歌書を中心に五百数十冊の開架、九百数十冊の閉架の書籍からなる文庫である。ドイツ文学研究者で歌人であった高安の蔵書量はたいへんなものであったろう。遺族も困られたにちがいない。それを見かねて清原が思い立ち、本の選別も自身の手で行った。
 清原晩年は、高安文庫で安らぐ姿が見られたという。精神的な父と仰ぐ高安の蔵書に囲まれて、歌集や歌書をつれづれに読むのは、癌を病む清原にとって精神安定剤的な効果があったのかもしれない。

この最後の三行をしみじみと読んだ。「高安国世文庫」には高安国世だけでなく、清原日出夫の思いもこめられているのである。
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2011年02月04日

「未来」2月号

「未来」2月号を読む。
昨年夏の全国大会で行われた岡井隆さん、大島史洋さん、大辻隆弘さんの鼎談〈「アララギ」から「未来」へ〉が載っている。これが抜群に面白い。

戦中から戦後にかけての「アララギ」と昭和26年に創刊された「未来」をめぐる話である。話に出てくるのは土屋文明、五味保義、吉田正俊、柴生田稔、小暮政次、近藤芳美、高安国世、杉浦民平といった面々。彼らの作品や素顔、交流などが実に生き生きと語られていく。この時期のアララギは本当に面白い。テレビドラマ化しても群像劇として見応えがあるものになりそうだ。

高安国世についての言及も多く、参考になることがいろいろとあった。「塔」にいると高安さんを一人の歌人としてだけ考えてしまうことが多いけれど、やはり土屋文明や近藤芳美など他の歌人との関係のなかで考えることも大切だと思う。大島さんの「僕は高安さんが好きで、昔、進路に迷った時に、高安さんに相談をしましたらね、緑色の万年筆の字で長い返事をくださったことがあった」という発言が印象に残った。

昭和3年生まれの岡井さん、19年生まれの大島さん、35年生まれの大辻さんという30歳以上離れている三人が、それぞれの知識や体験を出し合いながら、このように同じテーマで深い話ができるというのは素晴らしいことだ。これが結社の力というものであろう。「未来」の中で、大辻さんよりさらに下の昭和50年生まれくらいの世代で、この話に入っていける人が出てくると、また面白いだろうと思う。

posted by 松村正直 at 19:09| Comment(0) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

花電車(その4)

最後に、この花電車が何を祝うためのものだったかについて考えたい。

1964(昭和39)年と言えば、まず思い浮かぶのは東京オリンピックである。この年の10月10日(旧体育の日)から24日まで、アジアで初めてのオリンピックが東京で開催された。この東京オリンピックを記念して花電車が走ったということが、まずは考えられる。

しかし、オリンピックの会場は東京を中心とした地域であったので、東京都内で花電車が走るならともかく、滋賀県の江若鉄道で花電車が走るかどうかという点に疑問が残る。むしろ、もう一つの大きな出来事、東海道新幹線の開通の方ではないだろうか。東海道新幹線は東京オリンピックの開催にあわせて、10月1日に東京―新大阪間が開業している。

東海道新幹線であれば滋賀県内も通っているし、同じ鉄道関連ということもあって、江若鉄道で花電車が走る理由にはなるような気がする。何しろ日本の鉄道のあり方を大きく変えた新幹線である。新幹線の開業(10月1日)と花電車の運行(9月20日頃の予想)との間に若干のズレがあるのは気になるところだが。

・・・で、最終的によくわからないままなのである。

鉄道史資料保存会『江若鉄道車輛五十年』(1978)や大津歴史博物館編『ありし日の江若鉄道―大津・湖西をむすぶ鉄路』(2006)なども調べてみたのだが、花電車に関する記述は載っていない。江若鉄道に関する資料は、思ったよりも少ないのだ。

河野さんが花電車を見てからわずか5年後の1969年10月31日、江若鉄道は湖西線建設の決定を受けて廃止されてしまった。翌11月1日には花で飾られた「さよなら列車」が運行され、48年の歴史に幕を下ろしている。
posted by 松村正直 at 20:10| Comment(4) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

宮田珠己 『ふしぎ盆栽 ホンノンボ』


ベトナムで見られるちょっとユニークな盆栽「ホンノンボ」をめぐる旅行記。カラー写真がたくさん載っていて、ホンノンボの入門書(?)としてはうってつけ。

ホンノンボの特徴として著者が挙げているのは

○本体が岩(石)であること
○ミニチュアがのっていること
○水を張った鉢のなかにあること

の3点。特に2つめのミニチュアの存在が大きいだろう。日本でもパラダイス山元氏提唱の「マン盆栽」というのがあって、近年流行を見せている(?)が、ベトナムには古くからそうしたタイプの盆栽があったらしい。
ミニチュアをひとつ置くだけで、それが周囲の岩や草や苔の縮尺に変化を与え、なんでもない苔の茂みが鬱蒼としたジャングルに見えてくることもある。

と記しているのが大事なポイントだろう。ミニチュアの人形が置かれることによって、縮尺による見立てがイメージしやすくなるのである。よく写真に撮ったものの大きさを示すために、横にタバコの箱を置いたりするが、あの感じと似ている。

ベトナムには十年ほど前に一度行ったことがある。交通量の多い都市部の道路を横断する際の方法として
逆説的だが、ベトナムではあまり車やバイクに気を配ってはいけない。ゆずり合いの精神は事故の元である。ここでは、ゆずり合うのではなく、一歩踏み込んで、土石流と調和することが大切なのだ。すなわち自分も土石流になったつもりで、対岸へ向け、一定の速度で流れるのである。

とあるのを読んで、確かにそうだったなあと懐かしく思い出した。ベトナム旅行には楽しい思い出がたくさんある。そう言えば、このホンノンボの世界も、ベトナムで観た水上人形劇とどこか共通点があるような気がする。

また行ってみたいな。

2007年2月20日、ポプラ社、1500円。
posted by 松村正直 at 00:09| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする