2010年11月29日

永田和宏・河野裕子『京都うた紀行』

永田和宏と河野裕子の二人が、京都・滋賀の50の歌枕を訪ねて綴った文章を一冊にまとめたもの。元は2008年7月から2010年7月にかけて京都新聞に連載された。

歌枕と言えば普通は古典和歌に詠まれた場所をイメージするが、この本は副題に「近現代の歌枕を訪ねて」とあるように、近現代短歌に詠まれた場所の物語である。それだけ今の私たちにとってなじみが深く、読んでいて実に楽しい。

 いつ来ても光も音もひそかなり寺町二条三月書房   辻喜夫
 階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅  梅内美華子
 さざなみの近江兄弟社メンターム折りふし塗りて六十七となる  高野公彦

「三月書房」「北大路駅」「近江兄弟社」なども、普通の歌枕紹介の本には決して載らないものだろう。そうした場所が「法然院」や「仁和寺」などの歴史的な場所と並んで収められているのが面白い。

巻末には歌枕についての二人の対談も載っており、その中で永田和宏が
われわれが歌に引かれてある場所に行くというのは、確かに空間を渡ってはいるんだけれど、実は時間を渡って行ってるんだよね。つまり、時間をさかのぼっていっているというか、そんな感じはいつもしてたなあ。

と述べているのが印象的であった。この本は8月に亡くなった河野さんの最後の本ということもあり、歌枕の持つ時間に加えて、永田さん河野さん二人の時間というものがそこに重なっているように感じられ、私にとっては特別な一冊となった。

2010年10月17日、京都新聞社、1600円。
 
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2010年11月26日

映画「マザーウォーター」

京都シネマにて。

京都を舞台に7人の男女(+赤ちゃん)のゆるやかに交差する日常を描いた作品。全編にわたって、鴨川や白川など水の流れる音が響いている。登場人物たちも豆腐屋、喫茶店、バー、銭湯など、水と関わる暮らしを送っていることに気が付いた。

途中でわが家から徒歩で数分の藤森神社が出てきて驚く。藤森神社もまた「不二の水」という湧水が出ることで有名なのだ。それにしても普段見慣れている場所がスクリーンに映し出されるというのは、不思議な気分である。

氷を入れて水割りを作るシーンとか、豆腐の店先で豆腐を食べるシーンとか、何でもないような場面を丁寧に撮っていて、気持ちの良い映画であった。

監督は松本佳奈。出演、小林聡美、小泉今日子、加瀬亮、市川実日子、永山絢斗、光石研、もたいまさこ他。


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2010年11月25日

柳瀬尚紀『日本語は天才である』


ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳をしたことでも有名な著者が、翻訳を通じて感じた日本語の特性や豊かさを自由に論じた本。どの話も翻訳の現場や自らの体験から生まれており、説得力がある。

柳瀬はカタカナ・ひらがな・漢字・ルビなどの多彩な表記と古語や文語、日常あまり使われない言葉まで駆使した語彙によって、翻訳不可能と思われる言葉遊びやアナグラムまでも翻訳してしまう。その手腕の根底にある言葉に対する愛情は、この本からもひしひしと伝わってくる。

翻訳の日本語と言うと、得てして「翻訳調」といった感じに日本語が貧しく狭くなる方向へ向かうものだが、柳瀬の場合はそれが反対に日本語の豊かさや可能性へと向かっている点が特徴的だと思う。その他に、生まれ育った根室の話や、愛猫ぶり、将棋に対する思いなど、著者の素顔も垣間見ることができる。

2009年10月1日、新潮文庫、400円。
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2010年11月23日

再び『表徴の帝国』

ロラン・バルト『表徴の帝国』の中に次のような文章がある。
俳句の総体は、宝石の網であって、その網目の宝石の一つ一つはおのれ以外のいっさいの宝石の輝きを反射し、以下これに準じて無限にいたるが、しかし、その中心、発光の最初の核は決して把握できない。西洋においては、鏡は本来ナルシス的なものである。人が鏡のことを考えるのは、そこに映して自分の姿を眺めるためである。だが東洋においては、鏡が空虚であるように見える。鏡は、象徴の空虚そのものの象徴である。鏡のとらえるものは、もう一つ別の鏡にほかならない。そしてこの反映の無限連続こそが、空虚そのものである。こういう事情であるため、俳句は、わたしたちの身の上に決して訪れてくることのなかったものを、わたしたちに思いださせる。俳句のなかにわたしたちは、根源をもたぬ繰りかえし、原因のない出来事、人間のいない記憶、錨索(いかりづな)を離れた言葉を認識するのである。

長い引用になってしまったが、これを読んで思い出したのは永田和宏の「問」と「答」の合わせ鏡論である。
歌を作るという行為は、己れが問うた「問」に対して、自ら答えるという作業に他ならず、作品はかならずそのような二つの精神作用の痕跡をとどめている筈である。しかもその「答」が単なる認識の披歴にのみ終わらないためには、その「答」がさらに新たなる「問」となてはじめの「問」そのものを問いかえすような契機が考えられなければならない。

「問」と「答」の無限数列、その合わせ鏡の無限に続く扉の奥にきらりと光るものこそ、予感しつつ作品以前には決して識ることのかなわなかった真実であるに違いないのだ。

永田さんがバルトを踏まえていたというわけではないだろう。それでも、こうして二つの論が似ているということには、非常に興味を惹かれるものがある。
posted by 松村正直 at 23:07| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月22日

一首の歌ができるまで

「塔」の50周年記念号を読んでいて、一つ気が付いたことがあった。2004年4月号なので、今から6年前に出た号である。

この号には「高安国世入門 秀歌六〇首鑑賞」という企画があり、小林幸子・三井修・栗木京子・吉川宏志の四名が15首ずつの鑑賞を書いている。

その中で吉川さんが

 たえまなきまばたきのごと鉄橋は過ぎつつありて遠き夕映  『一瞬の夏』

という高安の歌について、次のように記している。
 車で鉄橋を通っているときの感覚である。鉄の欄干のあいだを高速で抜けるので、ちかちかちかと目まぐるしく影が視野をよぎっていく。それを「たえまなきまばたきのごと」ととらえたのがじつにみごとな発見である。私は電車で鉄橋を過ぎるたびにこの歌を思い出す。(…)余談だが、最近出た島田幸典の歌集『no news』に、
  鉄橋の格子のかげは羽ばたけり非東京人わが額(ぬか)の上に
という歌がある。たまたま素材が似たのだろうが、表現の違いによって印象は変わってくるわけで、どちらもおもしろいと思う。(…)

今回、この文章を読んで「あっ」と思った。今年の「塔」1月号の作品連載の吉川さんの歌を思い出したからだ。

  トランプの切らるる迅(はや)さ鉄橋のすきますきまに冬の海輝る

「海上の橋」という一連にある歌なので、瀬戸大橋を電車で渡っている場面だろう。たしか歌会にも出された歌で、好評だったのを覚えている。

こうして6年前の文章と今年の歌とを重ね合わせてみると、吉川さんが鉄橋を通る時の感覚をどのように詠むかという課題に、ようやく答を出したのではないかという気がしてくる。もちろん、6年間ずっと考えてきたわけではないだろうが、潜在的な意識の中で歌の生まれる土壌は育まれていたのではないだろうか。

高安の「たえまなきまばたきのごと」、島田の「羽ばたけり」に対して、吉川の「トランプの切らるる迅さ」。こうして並べてみると、一首の歌が形となってできあがるまでの長い時間というものが、とても印象深く感じられる。

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2010年11月21日

ロラン・バルト『表徴の帝国』


宗左近訳。
日本文化を素材にして、エクリチュールや表徴をめぐる問題を随想風に記した一冊。箸、すき焼き、天ぷら、パチンコ、文楽、俳句、筆、全学連など、実にさまざまなものが取り上げられている。
パチンコは、集団的で、しかも一人ぽっちの遊びである。機械は長い列をなして並べられている。自分の絵画の前に立ったお客は、おのおの自分だけで遊び、隣りの客など見もしない。そのくせ隣りの人とは、肱と肱とをふれあっている。

東洋の女形は女性をコピーしない。女性を表徴する。(…)女形は読みとられるものとして、女性を現前させるのであって、見られるものとして現前させるのではない。つまり翻訳なのであって、変容なのではない。

こんなふうに、随所にナルホドと感じられる部分があって、非常に面白かった。

1996年11月7日、ちくま学芸文庫、1000円。
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2010年11月19日

大豆

小学3年生の息子が毎晩、音読の宿題をしている。音読というのは朗読のことだ。今は国語の教科書に載っている「すがたをかえる大豆」という文章を読んでいる。
わたしたちの毎日の食事には、肉・やさいなど、さまざまなざいりょうが調理されて出てきます。その中で、ごはんになる米、パンやめん類になる麦のほかにも、多くの人がほとんど毎日口にしているものがあります。なんだか分かりますか。それは、大豆です。大豆がそれほど食べられていることは、意外と知られていません。大豆は、いろいろな食品にすがたをかえていることが多いので気づかれないのです。

このあとに具体的な例として、煮豆、きな粉、豆腐、納豆、味噌、醤油。枝豆、もやしなどの説明がある。毎晩この話を聞いていて、自分が中学生の頃のことを思い出した。

英語の授業で醤油=soy sauceと習った時のことだ。「大豆のソース」という言い方に驚いた。驚くと同時になるほどなぁとも思った。豆乳はsoy milk。日本語で考えると「醤油」と「豆乳」には何の関係もないのだが、英語ではこの二つは仲間なのである。今までと違うモノの見方があることを知ったような気がして、そのことに感動した。

外国語を習うというのは、多分そういうことなのだと思う。別に外国人とお喋りするため(それも大切ですが)というのではなく、普段意識していない日本語での思考の枠組みを相対化すること。その面白さと大切さを感じることが一番の目的のような気がするのである。
posted by 松村正直 at 22:45| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月18日

林芙美子紀行集『下駄で歩いた巴里』


立松和平編。林芙美子の紀行文が20編収められている。
紀行文を読むのがけっこう好きだ。旅先の風景や出来事を文章で追体験するというよりは、旅をする人の心を追っているのが好きなのだろう。
電車が来てるのに、接吻している長閑なのにも驚いたけれど、フランスの飯屋へ夕食でも食べに行こうものなら、あっちでも、こっちでも一口食べてはチュウと接吻し、一皿註文すると云っては首に手を巻いて頭を愛撫したり……私はなるべく見ないでいようと熱心に心がけていてもついうっとりと眺めてしまっている。(「皆知ってるよ」)

まるで茂吉のような観察力である。昭和7年のパリの光景。
ここで一番面白く見たものに、均一百貨店が沢山ある事でした。日本にもあるでしょうか? きっとまだ出来ていないと思います。一ツの街々にはかならず一軒はその百貨店があるのですけれど、プロレタリヤ階級にとってはなかなか便利です。この百貨店にはいると、六ペンス(約二十四銭)以上のものは絶対にないのです。六ペンス以下の商品ばかり。(「ひとり旅の記」)

これは昭和7年のロンドン。今で言う百円ショップみたいなものだろうか。日本でもこういう店を開いたら繁盛するだろうと書いている。先見の明あり?
啄木の唄った女のひとは昔小奴と云ったが、いまは近江じんさんと云って、角大という宿屋を営んでいた。新らしくて大きい旅館で、旧市街と新市街の間のようなところにあった。おじんさんは四十五歳だと云っていた。(「摩周湖紀行」)

昭和10年の釧路。啄木がかつて「小奴といひし女の/やはらかき/耳朶なども忘れがたかり」と詠んだ女性である。歌の中だけで知っている人が、こうして実物で登場すると不思議な感じがする。しかも「おじんさん」という名前になって……。

林芙美子の文章はテンポがいい。心のリズムがそのまま文章のリズムになっているような、そんな筆づかいである。こういう文章は簡単に書けそうで、実は一番難しいのだと思う。

2003年6月13日、岩波文庫、700円。
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2010年11月16日

挽歌

「未来」11月号に細見晴一さんが「挽歌」という文章を書いている。
短歌を作る人は愛する肉親を亡くすと、それはまずやはりその悲しみを少しでも癒すべく挽歌を作る。

という一文から始まり、母親を亡くした堀本吟さんという方の「なりゆきをきれいにかこつそのようにはわたし挽歌をうたいたくない」という一首を引いて、次のように述べる。
親への哀悼の気持ちは本来自分だけのものだ。それを簡単に人には曝したくないと思う人は多いだろう。曝せば曝すほどその感情はどんどん安っぽくなっていくかもしれないし、しかもその挽歌がきれいに出来ていれば出来ているほどなおさらで、嘘っぽいものにすらなりかねない。

非常によくわかる内容である。ことは肉親を失った場合だけに限らないだろう。「塔」10月号で次の一首を読んだ時にはハッとしたものだ。
流麗な言葉に飾らるる挽歌など読みたくはなしいずれくる日に   永田 淳

題に「八月十日頃」とあるので、河野さんが亡くなる前々日頃の歌であろう。こうした気持ちも非常によくわかる。

もちろん、挽歌を詠うなと言っているわけではない。人にどう思われようと詠いたいと思えば詠えばいいのだ。ただ、こうした堀本さんの歌や永田さんの歌に含まれる思いに耐えられるだけの歌であるかという点は、自問自答する必要があるだろうと思う。挽歌が単なる自己満足に終らないにはどうしたら良いのか。そんなことを考えるのである。

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2010年11月06日

本歌取り

河野さんの第7歌集『体力』を読んでいたら、次のような歌があった。

人をらぬ実相院道(じつさうゐんみち)のゆふつかた日本古代の菊の香ぞする


これを読んですぐに思い出すのは茂吉の歌である。

ここに来て狐を見るは楽しかり狐の香(か)こそ日本古代の香(か)


茂吉の最後の歌集『つきかげ』の一首。狐のにおいを「日本古代の香」と直感的に断定したところが面白い。河野さんの歌もその面白さを踏まえているのだろう。

実相院は京都岩倉にあるお寺。そこへ続く道のことを詠んだ歌には、他にもこんなものがある。第8歌集『家』から。

死後の生はするすると容易(たやす)い気さへする実相院道誰にも会はず

posted by 松村正直 at 08:35| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

『短歌は記憶する』の販売


11月7日(日)に京都で行われるシンポジウム「ゼロ年代の短歌を振り返る」の会場で
六花書林さんが書籍の販売を行います。売上目標は往復の交通費とのこと(笑)。

『短歌は記憶する』も販売されますので、皆さんよろしくお願いします。
posted by 松村正直 at 22:25| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

13篇?

先日刊行した評論集『短歌は記憶する』をパラパラ見ていたら、間違いに気が付いた。
「あとがき」の最初の部分。
二〇〇三年から二〇〇九年にかけて発表した文章の中から十三篇を集めて一冊にした。

とあるが、これは正しくは「十四篇」。
どうしてこんな単純な間違いをしたのかなあ……。

【追記】
ブログを読んだ方からメールがあり、「十三篇+書き下ろし一篇」なのではないかと言われた。なるほど、確かにその通り。未発表の「サンシャインビルの光と影」が入っているのだった。

だから、正確に言うと「二〇〇三年から二〇〇九年にかけて発表した文章の中から十三篇を選び、書き下ろし一篇を加えて一冊にした」というところだろうか。


posted by 松村正直 at 00:30| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

与那原恵『まれびとたちの沖縄』


本土や外国から沖縄を訪れた人物を軸に、沖縄の歴史や在り方を考察した4編の文章を収めている。取り上げられているのは、沖縄学の父と呼ばれる伊波普猷の恩師田島利三郎、琉球渡来伝説がある源為朝、幕末の宣教師ベッテルハイム、沖縄の音楽や芸能を紹介した田辺尚雄の4人。

特に面白かったのは第二章の「為朝はまた来る?『琉球本』の系譜」。保元の乱に敗れて伊豆大島に流された源為朝が、その後琉球に渡って子をもうけ、その子が琉球王になったという伝説である。一種の貴種流離譚であり荒唐無稽な内容なのだが、それがいつしか琉球王国の正史や明治時代の小学校読本にも載るようになっていく。その経緯を探った内容だ。
かえりみれば「伝説」にはそれなりの意味がひそんでいるというのもまた真実である。伝説の誕生は、その時代の人びとの欲望や憧れを映す鏡でもあるからだ。

という著者の言葉に非常に説得力がある。

2009年6月6日、小学館新書、740円。

posted by 松村正直 at 00:12| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする