2010年07月27日

寺田寅彦『柿の種』

物理学者であり文筆家でもあった寺田寅彦(1878−1935)が俳句雑誌に連載した短文を集めた一冊。全176編。ほのぼのとした人情話あり、鋭い箴言あり、日記代わりのような文章もある。いろいろある中で印象に残った部分をいくつか。
全体が実物らしく見えるように描くには、「部分」を実物とはちがうように描かなければいけないということになる。

詩人をいじめると詩が生まれるように、科学者をいじめると、いろいろな発明や発見が生まれるのである。

風呂の中の女の髪は運命よりも恐ろしい。

自分の欠点を相当よく知っている人はあるが、自分のほんとうの美点を知っている人はめったにないようである。欠点は自覚することによって改善されるが、美点は自覚することによってそこなわれ亡(うしな)われるせいではないかと思われる。

「昭和九年八月十五日は浅間山火山観測所の創立記念日で、東京の大学地震研究所員数名が峯の茶屋の観測所に集合して附近の見学をした」という文章の中に、石本所長のことが出てきたのに驚いた。石本巳四雄である。「塔」7月号の「高安国世の手紙」で、ちょうど石本家の人々について書いたところだった。石本巳四雄は高安の義兄に当る人物である。

『柿の種』の文章は昭和十年十月十六日の日付のもので終っている。それからほどなく、十二月三十一日に、寺田寅彦は57歳で亡くなっている。そういう事実も何となく心に沁みる。

1996年4月16日、岩波文庫、660円。
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2010年07月22日

大堰の水

  春浅き大堰(おほゐ)の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る  栗木京子『水惑星』

角川短歌賞次席になった「二十歳の譜」の中の一首。栗木作品の中でもよく引かれる歌だ。

この歌の「大堰の水」とは何か。実は最近になるまであまり考えたことがなかった。それは、この歌のポイントが、何と言っても下句の「三人称にて」にあるからだろう。だから、「大堰の水」については、漠然と堰堤でせきとめられた湖のような所だろうと思っていたのである。

それが、最近、これが大堰川のことだと知って少し驚いた次第。栗木はこの自作について次のように記している。

  大学生の時の歌です。京都の大堰川に遊びに行って友人とボートに乗っているひととき。
  (…)   「NHK短歌」2008年4月号

大堰川とは「丹波山地から亀岡盆地を経て、京都盆地北西隅、嵐山の下へ流れ出る川。亀岡盆地と京都盆地の間は保津川ともいい、下流を桂川という。嵐山付近では平安時代、管弦の船を浮べて貴族が宴遊した。大井川」と、広辞苑にある。

つまり、あの嵐山の観光名所、渡月橋を流れている川のことだ。保津川も桂川もよく耳にする名前だが、それを大堰川と呼ぶことは知らなかった。確かにあの辺りでは、今でもよくボートに乗る人たちを見かける。

しかし、よく考えてみれば、この「二十歳の譜」は京都の学生生活を詠んだものであるし、『水惑星』の解説で高野公彦もこの歌を取り上げて「古都の川に…」と記しているのであった。

「大堰川」を「大堰の水」と呼ぶ用例について調べてみると、

   漕ぎ乱す大堰の水や花見船  高浜虚子『五百句』

という句が見つかった。「昭和四年四月八日 渡月橋の上手より舟を傭(やと)ひて遡上。」とある。直接の本歌取りではないだろうが、栗木の歌の背景に、平安時代の貴族の管弦の船や、昭和初期の虚子の花見船をイメージしてみるのも面白い。
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2010年07月20日

万城目学『鹿男あをによし』

「平城遷都1300年祭」にあわせて、というわけでもないのだが、奈良を舞台にした本を読む。以前から読もうと思っていたのだが、テレビドラマになったりするうちに何となく遠ざかって、今日まで来てしまった。

「坊っちゃん」と「武士道シックスティーン」と「遠野物語」を混ぜ合わせたような不思議なテイスト。登場人物ひとりひとりが実に生き生きとしている。以前訪れた平城宮跡や家の近くの伏見稲荷神社といった場所も出てくるので、小説世界が身近に感じられる。

これだけ面白いと、やっぱり『プリンセス・トヨトミ』も読まなくちゃなあ。

2007年4月10日 幻冬社、1500円。
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2010年07月18日

汽車とまり処

土屋文明の歌を読んでいると、いろいろと気になることが出てくる。

  合歓の花の彼方の海に入らむ日や汽車とまり処(ど)に汽車とどまれり  『往還集』

という有名な歌がある。大正15(昭和元)年、新潟県の谷浜あたりで詠まれた歌だ。
「汽車とまり処」というのは駅のことであろうが、あまり聞かない言葉だ。古い言い方としては「停車場」の方が短歌でもはるかによく目にする。

ちょっと気になって調べてみたところ、文明の師伊藤左千夫の歌に

  諏訪の海の片辺うづめて広らなる汽車とまりどは今成らんとす  『左千夫歌集』

という一首があった。明治37年、左千夫が中央本線に乗って甲信地方を旅した時の歌である。「諏訪の海」は、もちろん諏訪湖のことだろう。湖の一部を埋め立てて、そこに新しい駅を造ろうとしている場面のようだ。

左千夫の旅の翌年、明治38年には中央本線が延伸されて、富士見―岡谷間が開通している。その時に上諏訪駅、下諏訪駅などが開業しており、左千夫が詠ったのは、どうも上諏訪駅のことらしい。

今では駅から湖岸まで少し距離があるが、以前は諏訪市役所があるあたりも湖で、市役所近くの高島城も湖に突き出すように立っていたらしい。そのため、高島城の別名は「諏訪の浮城」と言う。

そう言えば、安土城もそうだ。今の安土城跡は「何でこんな所に?」という場所にあるが、干拓によって琵琶湖が遠のく前は、安土城も琵琶湖に面して立っていたのである。田んぼに水が張られた時期に安土山に登ってみると、そのことが非常によくわかる。
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2010年07月16日

Based on a true story

近年、映画の冒頭などに「Based on a true story」という表示が出るのをよく目にする。「これは実話に基づいた映画です」という意味だ。

これは、短歌の私性とよく似ている。「実話に基づいている」という意味においてではなく、「『実話に基づいている』と表示する」という意味において。



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2010年07月15日

佐野眞一『宮本常一が見た日本』

『旅する巨人』で民俗学者宮本常一の評伝を描いた著者が、宮本の足跡を追って全国各地を訪れたルポルタージュ。宮本の生まれ育った周防大島をはじめ、対馬、愛知県の名倉、北海道の問寒別、十津川村、佐渡、見島などを回って、宮本が話を聞いた相手やその子孫などから話を聞いている。

宮本が十五歳でふるさとを離れる際に父親から与えられたという十カ条の教えが印象深い。私は以前これを宮本の著作で読んで、各地を旅していた時期に自分自身の教えとしていた。
1、汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。
2、村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ上って見よ。
3、金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。
4、時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。
(以下略)

宮本は単なる学者ではなく、離島や地域振興の実践家でもあった。短歌と民俗学というのは、全く関係ないようでいて、どこか似たようなところがあると感じる。宮本が撮影した写真について、著者は次のように書く。
十万点にものぼる宮本の厖大な写真のネガ袋には撮影年月日が記されていないものも決して少なくない。にもかかわらず宮本の写真に「日付」が強く感じられるのはなぜなのか。宮本は仮に石仏や民家を撮っても、決して「芸術写真」のように美しくは撮らなかったろう。「芸術写真」は見る者の心を一瞬感動させはするが、長くみていると撮った人間の作意が伝わってきて、興ざめになってくることがある。

この部分を読んで思い出したのは、小池光の『日々の思い出』のあとがきである。
「日々の思い出」で意識していたのは、たぶん、この「日付の写る写真」である。バカチョン写真機で、公園のベンチとか、電気のコンセントとか、金魚鉢にうつる子供の顔とか撮ってみたのだ。高級一眼レフで撮った〈芸術写真〉でない。この間〈芸術写真〉のはったりくさい感じがだんだんいやみにおもわれて来た。

ここには非常に共通した問題意識が述べられているように感じる。そして私も、ここにこそ短歌の可能性があるのだと思う。

2010年5月10日、ちくま文庫、950円。
posted by 松村正直 at 21:50| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

小池光歌集『山鳩集』

現代歌人で誰が好きかと聞かれたら「小池光」と答えている。その小池光の第8歌集。第6歌集『滴滴集』第7歌集『時のめぐりに』が2004年11月12月に相次いで刊行されてから、久しぶりの新歌集である。

最近の歌集は300〜400首くらいのスマートなものが多いが、この歌集は違う。分厚い。3センチ以上の厚みがある。歌の数は600首あまり。『○○集』という歌集名も今風ではなく、近代短歌を思わせる。

ちなみに筑摩書房の『現代短歌全集』を見てみると、第七巻(昭和7〜11年)にこのタイプの歌集名が最も多い。『青牛集』『紫塵集』『山谷集』『山花集』『苔径集』と、17歌集中5歌集を占めている。
山門を出で来し揚羽とすれちがひ入りゆく寺に夏はふかしも
つぎつぎにたばこ吸ひ吸ひうたつくる精錬化学工業の如
自転車に乗らず曳きつつ人きたり 馬ならば蹄鉄がはづれて
百頭のくぢらあへなく座礁して秋の浜べにかぜふきわたる
嫁入りに母がもてこし鏡台は風のかよへる部屋にのこれり
黒錆(くろさび)の鉄のくさりに閉ざされし外人墓地よりあゆみをかへす
牛乳を四合も飲みて青年のごとくになりぬ山の牧(まき)場(ば)に
掘り出されたりしばかりに永遠にうしなはれたり北京原人の骨は
嫁ぎたる子より電話きて妻のこゑ灯(とも)るがにあかるくなれるかなしも
つかひみちなき七円切手いかにせむ泳ぐ金魚を額(ひたひ)に貼らむ

日常生活を描いて、そこにユーモアや哀しみを感じさせる歌が多い。それは自ずから人生的な感慨へもつながっていく。雑学ネタも豊富にあって、ついつい引き込まれてしまう。

30年以上勤めた高校を退職する際の歌や97歳になる母親の入院や介護を詠んだ歌も、この歌集の特徴と言えるだろう。

2010年6月28日、砂子屋書房、3000円。
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2010年07月08日

タイトル

タイトルを決めるのが苦手だ。

秋に短歌の評論集を出そうとして準備を進めているのだが、なかなか良いタイトルが思い付かない。ああでもない、こうでもないと悶々と考えている。

そう言えば、第一歌集『駅へ』の時もそうであった。なかなかコレ!というタイトルが思い浮かばずに、いくつも案を出しては消しての繰り返し。とうとう日程的にもう決めなくては間に合わないという時期になってしまった。

あれは、確か旧月歌会の後だったと思う。居酒屋「くれない」の二階で飲んでいた時に、永田さんが「松村の歌集名を多数決で決めよう」と言い出したのだ。そこで、いくつかの案を挙げたところ、「駅へ」が最も人気があった。つまり、みんなに決めてもらったタイトルというわけである。

第二歌集の『やさしい鮫』の時は少し違う。もともと「短歌ヴァ−サス」に発表した「やさしい鮫とこわい鮫」という一連が気に入っていて、これをタイトルにしたいと思っていたのだ。出版社に相談したところ、ちょっと長過ぎるので「やさしい鮫」だけではどうかと言われた。

ちょうどそんな時に(ホントに偶然というのは恐ろしいものだが)、角川「短歌」の「なるほど短歌」を読むという特集で、穂村さんが僕の歌を例に挙げて「やさしい鮫」という文章を書いていたのである。これにはビックリした。そして、これが決め手になったと言っていい。

そう考えると、これまでは誰かに決めてもらったタイトルばかり。今度の評論集は自分で決めなきゃなあ。
posted by 松村正直 at 23:41| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月05日

原武史・重松清『団地の時代』

原 武史,重松 清
新潮社
発売日:2010-05


『滝山コミューン1974』で少年時代の団地生活を描いた政治学者・原武史とニュータウンを舞台にした小説を数多く手がけている小説家・重松清。この同世代の二人が四回にわたって行った対談をまとめた一冊であり、団地を通して見た戦後日本史である。

今年読んだ本の中でベスト。

「コンクリートは善か悪か」「西武の弱点と、東急のイメージ戦略」「日本の団地はなぜソ連型なのか」「団地妻はなぜ浮気するのか」「団地にはSFがよく似合う」「共同性が否定される時」など、話はさまざまな方向に広がり、気ままで自由なお喋りを続けているように見えながら、そこから鮮やかに、そして多面的に戦後日本の風景が浮かび上がってくる。

今でこそ古さと懐かしさを感じさせるようになってきた団地であるが、六〇年代は当然そうではなかった。
要するに鉄筋コンクリートの方が近代的で、木造住宅なんていうのは地震や火災が起こればひとたまりもないんだと。団地の方が安全だし、丈夫なんだという優越感を持っていた。(原)

団地の盛衰は、戦後の日本社会やそこに暮らしてきた人々の歴史と深い関わりを持っている。短歌に詠われた団地につても一度きちんと調べてみたい。

原武史の通っていた小学校は久留米市立第七小学校と言うらしい。こうしたネーミングには親近感がある。僕の通った小学校も町田市立町田第五小学校であった。そして、こうした名前に当時は何の違和感も感じていなかった。

結婚して京都に移り住み、妻の出身が日彰小学校と言い、それが『中庸』の「君子の道は日に章(あき)らかなり」という言葉に基づいていると聞いた時、軽い驚きを覚えたものだ。本当に、人は生まれ育った環境から知らず知らずに大きな影響を受けているものである。

原武史はただの鉄チャンじゃなかったんだなあ。

2010年5月25日、新潮選書、1200円。
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2010年07月03日

映画「シーサイド・モーテル」

MOVIX京都にて。守谷健太郎監督。

「シーサイド」とは名ばかりの山の中にある古ぼけたモーテル。そこに泊まる4部屋の客たちはいずれもワケありで、さまざまなトラブルが繰り広げられる。

4部屋で同時進行するストーリーを絡み合わせる手法は、ジム・ジャームッシュ監督の「ミステリートレイン」やタランティーノなどが監督した「フォールームス」を思い出させるが、脚本がよく出来ていて楽しい。

俳優ではヤクザ役の玉山鉄二が特に良かった。男のセクシーさというのだろうか。成海璃子もいい。「武士道シックスティーン」「書道ガールズ」に続いて、このところ映画でよく見かける。この人は眉間に寄った皺が良い。
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2010年07月01日

伊東雋祐歌集『声なき対話』

伊東雋祐(1927−2006)は京都聾学校に40年間勤め、手話通訳者の草分けとして活躍するかたわら、「アララギ」「塔」などに短歌を発表されていた方。序文は高安国世。
君が耳未だ聞こえていし頃の童謡ひとつ君はうたいぬ
呼ばるれば声濁り起つわが生徒北村君は口話優等賞をもらいぬ
聞こえねばわけがわからぬ祝辞にも馴らされて生徒らよ拍手を送る
靄は深く沈み公園の一つの灯われらの長き手話をば照らす
少女居りて手話美しく語るなり幾度も「諦め」という語使いて
煮えし湯葉干す傍らにかがみいてわが少年白崎孝司桶洗うところ
つきつめゆけばろうあ者からも弾(はじ)き出され淋しき我がわが傍にいる
みどり子に言葉教えんに手話なればてれび買いたしと来て君ら言う
ろうあ者の福祉さまざまに謳(うた)いあげ知事代理市長代理の祝辞が続く
伊東先生湯気たてて怒りいる漫画近づけばあたふたと一人が消しぬ

1949年から1967年までに作られた歌の中から約450首が収められており、聾学校の現場やろうあ者との関わりの中から詠われた作品がほとんどを占める。短歌作品としての完成度だけを見れば、もちろん足りない部分もあるだろう。しかし、作者自身がそれを認めた上で、後記に次のように記していることが印象に残った。
ただ、私の場合短歌は、私の仕事や問題意識、社会的関心と次第に深くかかわって存在してきたし、今後はさらにそれらを離れての制作動機はないだろうと思う。つまり、私が、細々ながらもこの小詩形に依って来たのは、やはりろうあ者問題に向かう私の意志であったし、私にとって短歌は、非常に大きな役割を果してくれたことも事実である。

こうした短歌のあり方も大切にしていきたいと思う。

1997年8月20日、文理閣、1700円。(1968年に汐文社より刊行されたものの再録)
posted by 松村正直 at 00:16| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする