2025年01月01日

歌集・歌書一覧

*この記事は常に一番上に表示されます。
 最新の記事は3つ下をご覧ください。

私がこれまでに出した歌集・歌書は以下の11冊です。

【歌集】
・『駅へ』(2001年、ながらみ書房)
・『駅へ』新装版(2021年、野兎舎)*在庫あり
   野兎舎オンラインストア
   アマゾンKindle版
・『やさしい鮫』(2006年、ながらみ書房)
・『午前3時を過ぎて』(2014年、六花書林)
・『風のおとうと』(2017年、六花書林)
・『紫のひと』(2019年、短歌研究社)

【歌書】
・『短歌は記憶する』(2010年、六花書林)*在庫あり
・『高安国世の手紙』(2013年、六花書林)
・『樺太を訪れた歌人たち』(2016年、ながらみ書房)*在庫あり
・『戦争の歌』(2018年、笠間書院)
・『踊り場からの眺め』(2021年、六花書林)*在庫あり

「在庫あり」のものは、送料無料・振込用紙同封でお送りします。
masanao-m☆m7.dion.ne.jp(☆を@に変えて下さい)

また、ネットショップのBOOTHでも販売しております。
どうぞお気軽にご利用ください。
masanao-m.booth.pm/

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カルチャー講座一覧

大阪、京都、兵庫などでカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。
まったく初めての方も大歓迎です。

◎NHK学園オンライン講座
 「短歌のコツ」 毎月第4木曜日19:30〜20:45

 「現代短歌セミナー 作歌の現場からU」 隔月第3水曜日
  19:30〜21:00 *永田和宏さん、ゲストの方と3人で

◎住吉カルチャー
 「はじめての短歌」 毎月第1金曜10:30〜12:30

◎毎日文化センター梅田教室 06‐6346‐8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
   A組 10:30〜12:30
   B組 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンター京都 de Basic. 075‐254‐2835
 「はじめての短歌」 毎月第3水曜10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075‐623‐5371
 「はじめての短歌」 毎月第1火曜10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075‐573‐5911
 「短歌教室」毎月第2月曜日 13:00〜15:00

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2024年12月31日

2024年の活動記録

作品
 ・「長い散歩」8首(「歌壇」1月号)
 ・「レシート」10首(「角川短歌」3月号)
 ・「甲」15首(「パンの耳」第8号)
 ・「皮膚と戦争」10首(「短歌研究」5・6月号)
 ・「水位」13首(「短歌往来」10月号)
 ・「三角公園」3首(「うた新聞」10月号)

連載
 ・啄木ごっこ(第63回)長男の誕生と死(「角川短歌」1月号)
 ・啄木ごっこ(第64回)短歌滅亡論をめぐって
                    (「角川短歌」2月号)
 ・啄木ごっこ(第65回)『一握の砂』刊行
                    (「角川短歌」3月号)
 ・啄木ごっこ(第66回)泣く、感傷的、青春?
                    (「角川短歌」4月号)
 ・啄木ごっこ(第67回)編集者・歌人西村陽吉
                    (「角川短歌」5月号)
 ・啄木ごっこ(第68回)推敲術あれこれ(「角川短歌」6月号)
 ・啄木ごっこ(第69回)人称と視点(「角川短歌」7月号)
 ・啄木ごっこ(第70回)土岐哀果との一年三か月
                    (「角川短歌」8月号)
 ・啄木ごっこ(第71回)入院の日々(「角川短歌」9月号)
 ・啄木ごっこ(第72回)幻の雑誌「樹木と果実」
                    (「角川短歌」10月号)

 ・ことば以上こころ未満(第10回)(「NHK短歌」1月号)
 ・ことば以上こころ未満(第11回)(「NHK短歌」2月号)
 ・ことば以上こころ未満(第12回)(「NHK短歌」3月号)
 ・ことば以上こころ未満(第13回)(「NHK短歌」4月号)
 ・ことば以上こころ未満(第14回)(「NHK短歌」5月号)
 ・ことば以上こころ未満(第15回)(「NHK短歌」6月号)
 ・ことば以上こころ未満(第16回)(「NHK短歌」7月号)
 ・ことば以上こころ未満(第17回)(「NHK短歌」8月号)
 ・ことば以上こころ未満(第18回)(「NHK短歌」9月号)
 ・ことば以上こころ未満(第19回)(「NHK短歌」10月号)

評論
 ・「以前、身近、普遍性」(「井泉」1月号)
 ・「コロナ禍と短歌」(「歌壇」6月号)

書評
 ・福士りか歌集『大空のコントラバス』評
                  (「現代短歌新聞」2月号)
 ・大塚寅彦歌集『ハビタブルゾーン』評(「短歌」3月号)
 ・三井修歌集『天使領』評(「現代短歌新聞」4月号)
 ・大松達知歌集『ばんじろう』評(「短歌往来」5月号)
 ・大原清明歌集『渚のセレナーデ』評(「現代短歌新聞」7月号)
 ・花山多佳子歌集『三本のやまぼふし』評
                 (「現代短歌新聞」10月号)
その他
 ・秀歌を読もう「田村穂隆」(「短歌春秋」169号)
 ・選者のことば(「彩歌」2024年冬号)
 ・選者のことば(「彩歌」2024年春号)
 ・選者のことば(「彩歌」2024年夏号)
 ・合同歌集『さくら 第三十三集』選歌
 ・講演要旨「啄木短歌の超絶技巧」
              (「大阪歌人クラブ会報」第136号)
 ・講演要旨「小池光の歌のあれこれ」
           (令和五年度「和歌山県歌人クラブ会報」)
 ・白井陽子歌集『切り株』栞文
 ・「2023年度秋の大会」傍聴記(「国際啄木学会会報」第42号)
 ・「現代短歌評論賞」選考座談会(「短歌研究」10月号)

出演
 ・第26回「あなたを想う恋のうた」審査員
 ・講座「短歌ー連作の作り方」(2月4日)
 ・講座「2023年下半期、注目の歌集はこれだ!」(3月16日)
 ・笠木拓『はるかカーテンコールまで』歌集批評会パネリスト
                         (3月24日)
 ・講座「『ラジオと戦争』今、戦時下メディアの責任に向き合う」
                         (5月25日)
 ・講座「短歌―歌集の編み方、作り方」(7月27日)
 ・オンラインイベント「戦争で負傷した軍人は何を詠んだのか?
    ― 村山壽春の短歌」(8月6日)
 ・講座「没後35年 上田三四二の短歌を読む」(10月6日)

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2024年10月10日

中川裕『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』


前著『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』に続く第2弾。
https://matsutanka.seesaa.net/article/475974993.html

本文558ページ、約3センチという分厚さ。

人気漫画「ゴールデンカムイ」から衣食住、道具、狩猟、採集などに関わる絵を引用しながら、アイヌ文化について解説している。

さらに、樺太アイヌやニヴフ、ウイルタなどの北方少数民族についても詳しい記述があり、『樺太を訪れた歌人たち』を書いた時のことを懐かしく思い出した。

和人もかつて入れ墨をしていたのであり、日本列島を含んで、太平洋の人々は北から南まで入れ墨文化を持っていたのである。だから「なぜアイヌは入れ墨をしていたのか」より「なぜ和人の先祖は入れ墨をするのをやめてしまったのか」という理由を追求した方がよさそうです。
大熊座はローマ時代から知られている星座ですが、アイヌもそれを同じように熊として見ていたというのは、何か人間の感性の普遍的なものを感じさせます。
アイヌ語では、イソカムイ(クマの神)のように、さまざまな動植物の名にカムイを付けて呼びますが、単にカムイとだけ言った場合、樺太の西海岸ではトドを、東海岸ではアザラシを指します。

著者は「アイヌ語監修」という肩書から想像される以上に、「ゴールデンカムイ」に深く関わっている。アイヌの登場人物の名前を考えたり、アニメ化の際にはアイヌ語の発音やアクセントの指導も行う。

漫画家と学者・専門家の見事な協力体制が、「ゴールデンカムイ」という傑作を生み出したのであった。

2024年2月21日、集英社新書、1500円。

posted by 松村正直 at 23:15| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月09日

北尾トロ『ツキノワグマの掌を食べたい!』


副題は「猟師飯から本格フレンチまでジビエ探食記」。

自らも狩猟免許を持ちエアライフルによる鳥猟を行う著者が、鳥獣のジビエ30種を食べた報告記。

鳥は、バン、ヤマシギ、キジバト、コジュケイ、キジ、ヤマドリ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、カワウ、カルガモ、コガモ、マガモ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、アオサギ、ホシハジロ、エゾライチョウ。

獣は、イノシシ、シカ、ツキノワグマ、ノウサギ、テン、イタチ、タヌキ、キツネ、ハクビシン、ヌートリア、アナグマ、アライグマ、キョン。

どれも写真入りで料理が紹介されていて、興味と食欲をそそられる。

いつも新鮮なジビエを食べていると、たまにスーパーで売っている家畜の肉を口にしても、おいしく感じられなくなるそうだ。
「ジビエに臭みがあるという人がいるけど逆なんだよね。スーパーの肉ににおいが気になっちゃう」

なるほど。確かにそうかもしれない。魚で言えば天然モノと養殖モノの違いで、本来は家畜の肉の方が人工的で不自然な匂いがしているのだ。私たちがそっちに慣れてしまっているだけで。

タイトルになったツキノワグマの話は、雑誌に掲載された際には「ツキノワグマの手を食べる」だったものが、「ツキノワグマの掌を食べたい!」に改題されている。

「食べる」より「食べたい!」の方がキャッチーだ。これは編集者の手柄だろう。

2024年4月5日、山と渓谷社、1650円。

posted by 松村正直 at 23:49| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月08日

オンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」

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10月16日(水)19:30〜21:00、オンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」を開催します。
https://college.coeteco.jp/live/8qz4clrq

ゲストは吉川宏志さん(「塔」主宰)、テーマは「直喩と暗喩、比喩のさまざま」です。

今年歌集『叡電のほとり』を刊行し比喩の巧さに定評のある吉川さんをお迎えして、永田和宏さんと私の三人で直喩や暗喩についてじっくりと語り合います。

どうぞお楽しみに!

posted by 松村正直 at 11:43| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月07日

映画「東京暮色」

監督:小津安二郎
出演:原節子、有馬稲子、笠智衆、山田五十鈴、杉村春子ほか

1957年公開作品。
小津安二郎特集での上映。

シベリア抑留から帰国した人など、戦後の雰囲気が色濃く感じられる内容。

・杉山家の前の坂道をのぼって帰宅するシーンが印象深い。
・男女の仲をからかう台詞に「お天道様が黄色く見える」があった。
・「アプレ(ゲール)」も出てきた。まさに戦後風俗の言葉。
・「困ったものだ」と呟く笠智衆は「男はつらいよ」の御前様だ。

全体にかなり暗くて深刻なストーリーだが、面白かった。小津の失敗作と言われることも多いのだとか。

アップリンク京都、140分。

posted by 松村正直 at 20:52| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月06日

上田三四二の講座

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「没後35年 上田三四二の短歌を読む」、無事に終了。
多くの方にご受講いただき、ありがとうございました。

上田三四二の平明で奥深い歌の魅力は、時代が移っても少しも色褪せることがない。

講座で紹介した20首選。良い歌が多くて絞るのに苦労した。

年代記に死ぬるほどの恋ひとつありその周辺はわづか明るし/『黙契』
若葉道に看護婦のむれ語りゆき木洩日(こもれび)は水のごとくかがやく
夜の駅にもの売る声の冴えとほりみづからの声をたのしむごとし
解剖台にうつさむとして胸のうへの銀の十字架の鎖をはづす/『雉』
感情のなかゆくごとき危ふさの春泥ふかきところを歩む
折りためし千羽の鶴はなきがらを焚く火のなかに啼き交したりや
たすからぬ病と知りしひと夜経てわれよりも妻の十年(ととせ)老いたり/『湧井』
死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ
ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
海を背に餌をつけてゐる釣人は岩のうへ祈るかたちに屈む
瀧の水は空のくぼみにあらはれて空ひきおろしざまに落下す/『遊行』
たんぽぽの穂わたの球(たま)は宙宇なし長茎のうへ透きてしづもる
疾風を押しくるあゆみスカートを濡れたる布のごとくにまとふ
叫喚の声なきこゑの空ゆくと空みつるさくら仰ぎつつをり
シャンデリアのもとの集ひもたけなはか夕雲をわが窓に見てゐる/『照徑』
つくられし尿管に湧く水のおとさやけきあきの水音ひびく
お河童のゆれてスキップに越しゆきぬスキップはいのち溢るるしるし
屋根こえてくる除夜の鐘映像のなかに打つ鐘ふたつ響(な)りあふ/『鎮守』
光ある庭にかけろをあそばせてやまひある身はあそびをたまふ
太陽は晴れたる朝を用意せり卵殻のごと天空ひかる

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2024年10月05日

佐太郎と三四二

上田三四二の短歌を読んでいると、しばしば佐藤佐太郎からの影響を感じる。

大木(たいぼく)の幹の間ほそきひかりさし光の幅に霧はかがやく/『黙契』
茫然と机に居ればをりふしの風に灰皿の灰うごきをり/『雉』
水槽に降り込む雪は水の輪のなかにしばらくかたちを保つ/『湧井』
冬樹々のかげこまやかにうつる池かげの投網(とあみ)のなかに鯉ゐる/『照徑』

三四二は『短歌一生』の中でも、繰り返し佐太郎に言及している。

私は初学のころより斎藤茂吉に惹かれ、かさねて、『帰潮』を機に佐藤佐太郎に親炙して今日にいたっているが、(…)佐藤氏に受けた影響の大きさは門下の人々におとるとは思えないにもかかわらず、直接、その門をたたくことをしなかった。
佐藤氏は短歌の中で物の把握をもっとも徹底しておこなってきた人で、ここでも「風にかたむく」にその実行がある。それは実景であり、実景でなければならないが、しかしただの写生を越えたものがある。心眼と言いたいものがはたらいている。

両者の歌には似ている点も多いが、佐太郎の歌がドライであるのに対して、三四二の方はややウェットだと言えるだろう。

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2024年10月04日

住吉カルチャー&フレンテ歌会

10:30から神戸市東灘区文化センターで住吉カルチャーを開催。参加者は11名。

前半は吉川宏志歌集『叡電のほとり』を取り上げて話をする。後半は一人1首の歌の批評と添削。12:30に終了。

【住吉カルチャーは毎月第1金曜日に開催で、随時、参加者を募集しています。お気軽にご連絡ください。】

13:00から、同じ場所で第84回フレンテ歌会。参加者は18名。

前半は自由詠19首、後半は題詠「動」19首について議論する。

生の歌会では下を向かずに顔を上げていることがとても大切。耳で声を聞いているだけでは伝わらないものがたくさんある。

どの歌が良いかというだけでなく、誰のどの歌に対する評が良かったか、という観点も持っておいた方がいい。鋭い読みや面白い評に出会えるのが、歌会の何よりの醍醐味だと思う。

17:00終了。その後、近くのロイヤルホストへ行き、夕食&お喋り。19:00過ぎに解散。

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2024年10月02日

傷痍軍人と国立病院

日本の国立病院(現・独立行政法人国立病院機構)の多くは、戦前の陸軍病院・海軍病院・軍事保護院(傷痍軍人療養所)がもとになっている。

という話を、この夏のオンラインイベント「戦争で負傷した軍人は何を詠んだのか? ― 村山壽春の短歌」でした。

上田三四二は1952年から9年間、京都府久世郡城陽町(現・城陽市)の国立京都療養所(現在の国立病院機構南京都病院)で働くが、ここの前身も1939年設立の傷痍軍人京都療養所であった。

医の業(わざ)をたのしともなく山裾の療舎にわかき十年(ととせ)すぎにき/『遊行』
寝台に正座し待ちし傷痍軍人も診たりきわかき結核医われ

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2024年10月01日

川島結佳子歌集『アキレスならば死んでるところ』

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「かりん」所属の作者の第2歌集。

起床して4秒でパソコン起動する在宅勤務にも慣れた冬の朝
どのような老女に私はなるのだろう押すとふかふかしているみかん
私が桃ならばここから腐るだろう太腿にある痣撫でている
シャーペンの先から芯を入れる眼をして蜜蜂を食おうとする猫
わたしがイカならば永遠に生きるだろう「産卵後すぐ死ぬ」と書かれて
空間を曲げつつ配達員の手を痺れさせつつ机は届く
お年玉もらうことなくあげることもなく一葉の無表情あり
冷蔵庫の闇にひっそり傷みゆくレタスは自らの水分で
人もなくて光もなくて真っ暗な花火大会翌夜の荒川
目を閉じて空腹だけになる私を吊り下げながら運ぶ地下鉄

1首目、始業時間ぎりぎりまで寝ていても大丈夫。「4秒」がいい。
2首目、上句と下句の取り合わせがおもしろい。浮き皮のみかんだ。
3首目、初句の入り方に意表を突かれる。傷みやすい果物である桃。
4首目、上句の比喩が個性的。集中して目にも力が入っているのだ。
5首目、出産してないことに対する複雑な思いをユーモアに包んで。
6首目、室内に運び入れるのが大変。「空間を曲げつつ」が印象的。
7首目、子どもや甥姪などがいないと、お年玉をあげる機会がない。
8首目、レタスのことを詠みつつ自らの身体のことも思うのだろう。
9首目、花火大会の歌は数多くあるけれど、翌日の夜の歌は珍しい。
10首目、身体が消え失せて空腹の意識だけが存在しているような。

2024年6月18日、現代短歌社、2200円。

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2024年09月30日

雑詠(042)

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父に会うためにだけ来るあざみ野に橋ありそば屋あり幼稚園あり
年老いた警備員ふたりぶらんことベンチに座り昼のめし食う
ひろばには迷子の声が泣くばかりからくり時計は調整中で
台風の逸れた団地の父の部屋 弁当のふたに小蠅がとまる
おしぼりで濡れたグラスの跡をふく心がひらき過ぎないように
のぼり坂は近くに見えて歩いても歩いても着かず給水塔に
待ち合わせのため停車するたそがれの丹波橋駅に住むおばあさん

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2024年09月29日

上田三四二の歌碑(その2)

続いて、JR宇治駅から徒歩10分ほど、宇治橋の近くにある放生院(通称:橋寺)へ。京阪宇治駅からだと徒歩2分くらい。


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門の前の通りは大勢の観光客で賑わっているが、境内にはほとんど人がいない。ひっそりと静まり返っている。


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橋寺にいしぶみ見れば宇治川や大きいにしへは河越えかねき

1982年の歌会始の題「橋」に応じて詠まれた歌で、第5歌集『照徑』に収められている。碑を見ると濁点は省かれ、結句の「かねき」は万葉仮名で「賀祢吉」と刻まれている。

この歌碑の近くに、宇治橋の由来を記した「宇治橋断碑」(重要文化財)が立っている。東屋のようなものの中に入っているが、見学料500円を納めると鍵を開けて中を見せてもらえる。

写真撮影は不可だが、住職さんがとても詳しく解説してくださるのでおススメです。

大化2年(646年)に宇治橋が架けられた由来を記した石碑で、よく見ると2つに割れている。上側の約3分の1が建立当初のもので、下側の約3分の2は江戸時代に補われたものとのこと。

浼浼横流 其疾如箭
(べんべんたるおうりゅう そのはやきことやのごとし)

に始まる96文字が刻まれ、宇治川の流れの速さと人々の渡る苦労、そして橋の完成を喜ぶ思いが記されている。

上田三四二もこの碑を見て、かつての宇治川の光景に思いを馳せたのであった。

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2024年09月28日

上田三四二の歌碑(その1)

上田三四二の歌碑めぐり。

まずは、JR奈良線の山城青谷駅(京都府城陽市)へ。自宅の最寄駅から普通電車で約30分。

駅の東口を出てすぐの所に歌碑があるはずなのだが、新たに周辺が整備されたようで見当たらない。駅近くの公民館で尋ねると、西口に移されたということであった。


DSC02077.JPG

というわけで、閑散とした西口の方に現在は設置されています。


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満ちみちて梅咲ける野の見えわたる高丘は吹く風が匂ひつ

第1歌集『黙契』の歌で、当時三四二は青谷梅林近くの旧国立京都療養所(現・国立病院機構 南京都病院)で働いていた。

梅林や病院は駅の東口方面にあり、そちらの方が商店もあって賑わっているので、歌碑も本当は東口にある方が良いのだけれど。

結句の「つ」が左下の「三四二のうた」の近くにあって、最初は何か汚れが付いているのかと思ってしまった。

posted by 松村正直 at 20:52| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月27日

「短歌往来」2024年10月号

近年の短歌雑誌は残念なことに、自由なテーマの評論を書く場がどんどん減っている。その中にあって「短歌往来」には「評論シリーズ 21世紀の視座」というコーナーがあり、7ページという分量の評論が毎号のように載っている。これは特筆に値することだと思う。

今月号掲載の白川ユウコの評論「「少女の友」というSNS」も面白かった。

1908年創刊の雑誌「少女の友」(実業之日本社)の昭和10年代の投稿欄の短歌を取り上げ、投稿者同士の交流が盛んだったことや戦前にも口語を用いた印象的な作品があることを指摘している。また、三國玲子や田辺聖子の投稿歌も紹介されていて興味深い。

以前、評伝『高安国世の手紙』を書いた時に、同じ実業之日本社の「日本少年」の投稿欄を調べたことがあった。高安も熱心な投稿者だったのである。そして、高安もまた投稿仲間と親しい関係を持つようになるのであった。

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2024年09月25日

講座「没後35年 上田三四二の短歌を読む」

10月6日(日)14:00〜15:30、毎日文化センター(大阪)&オンラインで、講座「没後35年 上田三四二の短歌を読む」を行います。

昭和を代表する歌人である上田三四二の歌を、今あらためて読み直します。みなさん、ぜひご参加ください!

https://www.maibun.co.jp/course-detail?kouzainfo_id=272

兵庫県に生まれ京都帝国大学を卒業した上田三四二(1923-1989)は、昭和を代表する歌人として知られるほか、医師、小説家、文芸評論家としても活躍しました。二度の大病を経て命を見つめる深いまなざしを持ち、

 ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
 つくられし尿管に湧く水のおとさやけきあきの水音ひびく

など、平明で奥深い数々の歌を残しました。没後35年を迎える今年、上田作品をあらためて読みながら、短歌のあり方について考えてみたいと思います。

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2024年09月24日

実作と評論

歌人には歌を詠むだけの人と、実作と評論の両方をする人がいる。「実作と評論は車の両輪」という考えがある一方で、評論が注目を浴びることは少ない。

 論作両輪を努めてきたが結局は歌だな歌だ歌人は歌だ
        奥村晃作『蜘蛛の歌』

ユーモアのある歌だが、多くの歌論を書き評論集を出してきた奥村さんの歌だけに、胸を打つものがある。評論は書いても書いても報われなかったという思いがあるのではないだろうか。(オンライン講座で直接ご本人に尋ねたところ、実作の奥深さを言っただけとおっしゃっていたけれど)

先日読んだ本居宣長『うひ山ぶみ』にも、この問題が記されていた。

歌学のかたよろしき人は、大抵いづれも、歌よむかたつたなくて、歌は、歌学のなき人に上手がおほきもの也。こは専一にすると然らざるとによりて、さるどうりも有るにや。
歌学の方は大概にても有るべし。歌よむかたをこそ、むねとはせまほしけれ。歌学のかたに深くかかづらひては、仏書・からぶみなどにも広くわたらでは事たらはぬわざなれば、其中に無益の書(ふみ)に功(てま)をつひやすこともおほきぞかし。

このように書きながら、宣長もまた『排蘆小船』『石上私淑言』など歌論を多く著した人なのであった。

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2024年09月23日

御香宮神能

18:30から御香宮神社の能舞台で開催された「御香宮神能 ―蠟燭能−」を観た。

・仕舞 葵上 (浦田保浩)
    須磨源氏 (大江信行)

・狂言 察化 (茂山千五郎ほか)

・能  半蔀 (杉浦豊彦ほか)

20:45に終了。外国人の方も含め、200席ほどの会場が満席だった。

狂言のやり取りはドリフのコントに似ていて面白い。話している言葉の意味もほとんどわかる。

能を観ていて思い出したのは「男はつらいよ」。諸国をめぐる寅さんは、能のワキのような存在なのかもしれない。

posted by 松村正直 at 23:15| Comment(0) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月22日

父と過ごす時間

84歳の父は神奈川県でひとり暮らしをしている。

父の家に泊まったついでに、父の生い立ちや親族や仕事のことなど1時間ばかり話を聞いてみた。最初はぽつりぽつりという感じだったが、だんだんと記憶が甦ってきたのか、自分から積極的に話をしてくれた。

父と母は私が高校2年の時に離婚した。それ以前も父とは仲が悪かったので、父については知らないことが多い。今回はじめて知ったこともいくつかあった。

父の生い立ちは複雑だ。父の生母は昭和20年、父が5歳の時に結核性の腹膜炎で亡くなった。ほとんど記憶にないらしい。その後、消防士だった祖父は2人の後妻を迎えた(1人目はすぐに離婚)。

父はもともと兄・姉・弟がいて4人きょうだいだったが、それ以外に義母の連れ子が2人と、新たに生まれた異母きょうだいが2人、全部で8人の子がいた。(後に祖父は2人目の後妻とも離婚する)

「オレみたいに複雑な生まれの人もあまりいないでしょ」

中学卒業後、父は集団就職で東京に出てきて、業務用冷蔵庫の製造・販売・修理の会社で働き始める。二十数年働いたところで会社が倒産(私が小学生の頃)、関連会社に勤めたものの、そこも業務縮小により解雇された。

その後、企業のメール便配送の仕事をして、最後は養護学校の送迎の運転手を80歳まで勤めた。15歳から80歳まで実に65年間も働いてきた人生だったわけだ。

「だから、働き過ぎたんだよね」

父は体調がよくなったら、もう何年も行っていない両親の墓参りに行きたいらしい。また、施設に入っている姉にも会いに行きたいようだ。何とかしてあげたいと思うけれど、現状ではなかなか難しい。

posted by 松村正直 at 22:06| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする