2023年01月01日

歌集・歌書一覧

*この記事は常に一番上に表示されます。
 最新の記事は3つ下をご覧ください。

私がこれまでに出した歌集・歌書は以下の11冊です。

【歌集】
・『駅へ』(2001年、ながらみ書房)
・『駅へ』新装版(2021年、野兎舎)*在庫あり
   野兎舎オンラインストア
   アマゾンKindle版
・『やさしい鮫』(2006年、ながらみ書房)*在庫あり
・『午前3時を過ぎて』(2014年、六花書林)
・『風のおとうと』(2017年、六花書林)*在庫あり
・『紫のひと』(2019年、短歌研究社)*在庫あり

【歌書】
・『短歌は記憶する』(2010年、六花書林)*在庫あり
・『高安国世の手紙』(2013年、六花書林)
・『樺太を訪れた歌人たち』(2016年、ながらみ書房)*在庫あり
・『戦争の歌』(2018年、笠間書院)*在庫あり
・『踊り場からの眺め』(2021年、六花書林)*在庫あり

「在庫あり」のものは、送料無料・振込用紙同封でお送りします。
masanao-m☆m7.dion.ne.jp(☆を@に変えて下さい)

また、ネットショップのBOOTHでも販売しております。
どうぞお気軽にご利用ください。
masanao-m.booth.pm/

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カルチャーセンター一覧

大阪、京都、兵庫などでカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。
まったく初めての方も大歓迎です。

◎NHK学園オンライン講座
 「短歌のコツ」 第4木曜日 19:30〜20:45
   7月〜9月(全3回)
   10月〜12月(全3回)

◎毎日文化センター梅田教室 06‐6346‐8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
   A組 10:30〜12:30
   B組 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンター京都 de Basic. 075‐254‐2835
 「はじめての短歌」 毎月第3水曜 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075‐623‐5371
 「はじめての短歌」 毎月第1火曜 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075‐573‐5911
 「短歌教室」 毎月第2月曜日 13:00〜15:00

◎住吉カルチャー
 「はじめての短歌」 毎月第1金曜 10:30〜12:30
 *神戸市東灘区文化センターで行っている自主カルチャーです。
  受講を希望される方は松村までご連絡ください。

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2022年12月31日

2022年の活動記録

作品
 ・「ひがんばな」15首(「パンの耳」第5号)
 ・「子福桜」20首(「短歌研究」3月号)
 ・「ルーム」7首(「短歌研究」5月号)
 ・「海は見えない」10首(「ふらッと短歌」フリーペーパー)

連載
 ・啄木ごっこ(第39回)三回目の上京と「明星」の衰退
                   (「角川短歌」1月号)
 ・啄木ごっこ(第40回)観潮楼歌会(「角川短歌」2月号)
 ・啄木ごっこ(第41回)赤心館と金田一京助
                   (「角川短歌」3月号)
 ・啄木ごっこ(第42回)小説を書く日々(「角川短歌」4月号)
 ・啄木ごっこ(第43回)「散文詩」についてのノート
                   (「角川短歌」5月号)
 ・啄木ごっこ(第44回)「石破集」の世界
                   (「角川短歌」6月号)
 ・啄木ごっこ(第45回)問答短歌の系譜(「角川短歌」7月号)
 ・啄木ごっこ(第46回)自殺願望と「煩悶青年」
                   (「角川短歌」8月号)
 ・近代人気歌人再発見「中村憲吉」@(「NHK短歌」7月号)
 ・近代人気歌人再発見「中村憲吉」A(「NHK短歌」8月号)

評論
 ・口語自由律と大正デモクラシー(「プチ★モンド」No.116)
 ・異民族への「興味・関心」と「蔑視・差別」―近代短歌に
  とってアイヌとは何だったか(「現代短歌」5月号)
 ・短歌でたどる鉄道の一五〇年(「短歌往来」8月号)

書評
 ・高島裕歌集『盂蘭盆世界』評(「歌壇」3月号)
 ・西巻真歌集『ダスビダーニャ』評(「短歌往来」3月号)
 ・加藤孝男歌集『青き時雨のなかを』評(「短歌往来」7月号)
 ・上田清美歌集『喜望峰に立ちたし』評(「白珠」8月号)
 ・福島泰樹著『自伝風 私の短歌のつくり方』評
                 (「現代短歌新聞」8月号)
その他
 ・第9回現代短歌社賞選考座談会(「現代短歌」1月号)
 ・アンケート「二〇二一年の収穫」(「ねむらない樹」vol.8)
 ・アンケート「文庫で読みたい歌集」(「短歌研究」3月号)
 ・秀歌を読もう「永井陽子」(「短歌春秋」162号)
 ・秀歌を読もう「石川啄木」(「短歌春秋」163号)
 ・25年前の出会い(「国際啄木学会会報」第40号)
 ・令和四年度「夏の誌上短歌大会」選評(入選作品集 6月15日)
 ・林宏匡『ニムオロのうた』解説(現代短歌社 第一歌集文庫)

出演
 ・講座「『石川啄木』こんな歌もあったの?」(1月23日)
 ・講座「文学者の短歌」(2月6日)
 ・講座「現代に生きる与謝野晶子」(2月19日)
 ・「伝わる批評とは何か 10年分の時評をまとめた歌人・
  松村正直さん」
(「朝日新聞」デジタル版 5月9日)
 ・「若い歌に息づく玉のようなもの」(「朝日新聞」5月11日)
 ・講座「アイヌと短歌」(5月22日)
 ・「ふらッと短歌」(5月28日)
 ・「“うまい・下手”だけじゃない 小説家たちの短歌」
           (「毎日新聞」地域版[大阪]6月15日)
 ・講演「読みつつ迷い、迷いつつ読む」(7月23日)
 ・オンラインイベント「軍医の見た戦争―米川稔の生涯」
                        (8月12日)
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2022年08月13日

丸エキさんという人


 I歌碑裏面.JPG


寿福寺に立つ米川稔の歌碑の裏面である。

  南海の果にて自決された
  軍医中尉米川稔先生を
  偲びて
   昭和四十六年六月
        丸エキ建

と刻まれている。

丸エキさんの名前は遺歌集『鋪道夕映』の米川稔の略歴の中にも出てくるし、宮柊二の後記にも

丸エキ氏(略歴の資料と参考事項をお聞かせ下され、なお別冊に収載し得た鎌倉在住の稔の知人の方々の原稿を頂戴して下された)

と記されている。
また、吉野秀雄の文章(『米川稔短歌百首』あとがき)の中に

「米川稔略歴」の事項内容は丸一恵の奔走によつて集め、更に柊二が援け、秀雄が綜合し作成した。

とあるが、この「丸一恵」も「丸エキ」のことである。丸エキさんは既に20年ほど前に亡くなっているが、このたび娘さんと連絡が取れて、改名によって名前が変ったのだと教えていただいた。

丸エキさんは、もともと鎌倉の米川稔の自宅に併設されていた助産所で働いていた方で、戦後はそこに住んで仕事を続けられた。助産師として雑誌に文章を書いたりもしている。

例えば、「保健と助産」1951年3月号には「開業十年の分娩取扱統計」という3ページにわたる報告が載っている。

 私は慶応の養成所を卒業して現在の地(注:鎌倉市大町一〇五〇)に開業して十五年になる一助産婦です。昭和二十一年に開業十周年を迎えましたので、その十年の自分の仕事を反省するため、各種の統計として整理しましたので、御目にかけたいと思います。
 十年間の歩みは実は微々たるものです。皆さまの一年に取り扱われる数にも足りないこととは存じますが、私としては、この十年間が一生の仕事の基盤となつたものと信じます。自分では真剣に努力したと確信するこの期間の成果を、こうして数字にして見ますと、今更ながら最も尊い体験を与えられたことをしみじみ感じます。

昭和11年から21年と言えば、そのほとんどが戦時中である。けれども、そんな暗い時代を彼女は仕事に励みつつ、逞しく生き抜いてきたのであった。

posted by 松村正直 at 15:53| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月12日

宮柊二について詠んだ米川稔の歌

  越後堀之内―柊二が故郷なり
家竝の低く寒けき町にして五月の昼を人かげもなし
町裏は春ゆたかなる川水に橋一条(すぢ)が白くかかりぬ
雪解水(ゆきしろ)のゆたかにはれる山川のそこごもるひびき偲(しぬ)びをらむか
/米川稔『鋪道夕映』

昭和15年の歌。
米川稔は新潟旅行の途中に宮柊二の故郷の町を訪れている。

  柊二より来翰
崇高なるものに向ひて出でたつと生きざらむ心短くしるす
ひさびさのたよりに必死を告げてをり滾滾とわれの悔はふかしも
  その後
山西の殲滅戦を想ふとき一人の命肝にひびかふ

昭和16年の歌。
死の覚悟を記した葉書が届いて、戦地の柊二のことを案じている。

  柊二留守宅
夕闇の玄関にひそともの言ひてしばし見ぬ間(ま)にをとめさびにけり
母刀自はさみしくまさむ相まみえのたまふことのあとさきもなし

昭和16年の歌。
出征中の宮柊二の家を訪れて、家族の話し相手になったりしている。1首目の「をとめさび」は柊二の妹だろうか?

この昭和16年の時点で米川稔44歳、宮柊二29歳。『鋪道夕映』の後書に柊二は「召集される筈もなかろうと思われていた年齢の稔が召集されて戦死するに到り、稔より先に戦地へ赴いていた若い私が命ながらえて帰り、いま、稔のこの遺歌集の後記を書いている。これもまた運命と呼ぶべきか」と記している。何とも痛切だ。

宮柊二も米川稔も、まさか米川が死に柊二が生き残ることになるとは、思ってもいなかっただろう。そうした事情も、柊二がさまざまな困難を乗り越えて遺歌集『鋪道夕映』の刊行にこぎつけた理由の一つだったのだと思う。

posted by 松村正直 at 23:00| Comment(2) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月11日

宮崎学『森の探偵』(新装版)


文・構成:小原真史。
副題は「無人カメラがとらえた日本の自然」。

無人カメラを使った動物撮影など50年にわたって写真家として活動してきた著者が、キュレーターの小原を相手に、写真のこと、動物のこと、森のことなどについて語る一冊。含蓄に富む話が多く、ぐいぐい引き込まれる。

オリジナルな写真は、オリジナルの機材からってことですね。既製品だけに頼っていたら、その範囲内で撮れる写真になってしまうし、どうしてもほかと似てきてしまう。
小屋の壁面に撮りたいフクロウの姿を描いた絵コンテを貼っておいて、その通り撮れたら剝がしていき、全部なくなったときに撮影が終了しました。
加齢臭は人間特有のものではなくて、子育てを終えた個体、つまり自然界では役割を終えた動物から「弱いぞ」とか「さらっていって下さい」というサインが加齢臭のかたちで出ている。
人間だって「万物の霊長」と言えど、死んでしまえばいとも簡単に食われてしまう。僕はお互いに食い合うことも「共生」の意味だと思っています。
忍び足をする必要のない植物食の動物は、足が蹄になっていて、狩りをする肉食動物には、消音効果のある肉球のクッションがあるってわけです。
新幹線は、短い時間で何十キロメートルという距離を移動しながら風景を見せてくれるから、森の作りや樹木の成長の様子を遠見することができてすごく面白いですね。

動物を撮った写真も数多く掲載されているが、そこに写る動物たちの生き生きとして姿に驚かされる。こんな写真が撮れるのか!という感じだ。

長年にわたって観察を続け、機材を改良し、動物の行動や森の生態に詳しくなって初めて撮れる写真ばかり。そこから、著者の哲学とも言うべき思考や思想も生まれている。

2021年9月5日、亜紀書房、1800円。

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2022年08月09日

米川稔、宮柊二、北原白秋

米川稔の『鋪道夕映』の刊行は1971年のこと。この時期の歌を収めた宮柊二『獨石馬』には、米川に関する歌が30首近くある。

戦地より還りし我を知るもなくかの密林に死にゆきしなり
肖像のこの若さはも別れたる日より三十二年過ぎたり
秋の日は洩れきて砂に動きをりもう一度だけ合ひたきものを
/宮柊二『獨石馬』

米川稔は宮柊二より15歳年上である。しかし短歌を始めたのは遅く「多磨」では同期といった間柄であった。1939年に宮柊二は召集されて中国大陸に行く。この時が二人の終の別れとなった。

柊二27歳、米川42歳。1943年に柊二が召集解除となり帰国した時には、既に米川はニューギニアに渡っていたのである。

太平洋戦争中の1942年11月2日に、二人の師であった北原白秋が亡くなる。米川稔は前日の夕方から白秋宅を見舞いに訪れていて、家族や親族とともに白秋の最期を看取った。米川の報告記「十一月二日の朝とその前夜」(「多磨」昭和17年12月号)には、白秋の亡くなるまでの様子が生々しく描かれている。

「米川さんの眉が険しくなつて来た。」
 低いお声であつた。先生の右手首に脈搏を一心に診つづけてゐた自分の顔に、先生が何時の間にか視線を投げてゐられる。切ない笑を自分は笑はねばならなかつた。
 発作は名状し難い苦痛といふ外に形容のしやうはない。胸内苦悶も、悪心も、祛痰の困難も看てゐて区別が出来ない。恐らくこの苦痛自体が区別出来る性質のものではないのであらう。

脈を診る米川の深刻な表情を見て、苦しみの中で場を和ませるような冗談を口にする白秋の姿である。

しづかなる時うつりつつみおもてに石膏の厚(あつ)み乾きゆくらし
デスマスクとり終へにけりぬぐひつつそのかほばせのつやめくものを
/米川稔『鋪道夕映』

白秋の亡くなった後にデスマスクをとっている場面である。現在、複製品が白秋の生家に展示されているようだ。
https://www.travel.co.jp/guide/article/38245/

この時、宮柊二は戦地の中国山西省にいた。まず11月4日に軍用電話で、6日には知人より至急報が届き、白秋の死を伝えられる。

こゑあげて哭けば汾河の河音の全(また)く絶えたる霜夜風音(しもよかざおと)
凌(しの)ぎつつ強く居るとも悲しみに耐へかぬる夜は塹(ざん)馳けめぐる
跟(つ)き来(こ)よと後見(あとみ)告(の)らししみ言葉は今日にあれども直(ただ)に逢(あ)はぬかも
/宮柊二『山西省』

師を失った悲しみと師のもとに駆け付けることのできない苦しさが、全身の叫びとなって詠まれている。

posted by 松村正直 at 22:32| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月08日

小牟田哲彦『「日本列島改造論』と鉄道』


副題は「田中角栄が描いた路線網」。

1972(昭和47)年に刊行されて1年間で91万部の大ベストセラーとなった田中角栄の『日本列島改造論』。そのうちの鉄道政策に焦点を当てて、この50年間を検証し、今後の鉄道のあり方を考察する内容である。

1922(大正11)年に制定された鉄道敷設法の改正法は、1987(昭和62)年に廃止されるまで実に65年間も効力を持った。同じように1970年(昭和45)年に成立した全国新幹線鉄道整備法は、50年以上経った今も施行中である。

『日本列島改造論』に描かれた「全国新幹線鉄道網理想図」をなぞるように整備新幹線や基本計画線を定めた国策は、それから半世紀が経った令和の今もなお、我が国の高速鉄道政策の根幹として効力を有していることは、日本国民にもっと知られてもよい事実ではないだろうか。

国全体で人口が減少し、自家用車の保有率が高まり、少子高齢化の進む日本において、ローカル線をはじめとした鉄道網をどのように維持していくかは、現在、大きな課題となっている。

不採算路線の存廃問題や大規模災害の被災路線の復旧という問題が現実化する過程で、民営化が万能の理論ではなく、やはり一定程度の公共の関与や支援がなければ地方交通や広域ネットワークの永続的な維持は難しいケースもあるのだ、という方向へ、日本社会全体が再び軌道修正しているように見受けられる。

一つ一つの路線の話に終始するのではなく、国全体の鉄道政策の新たなグランドデザインを示すことが、今まさに必要となっているのだ。

2022年6月15日、交通新聞社新書、990円。

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2022年08月07日

第2回別邸歌会

昨日、第2回別邸歌会を京都の「旧三井家下鴨別邸」で行いました。

参加者は10歳代から70歳代までの16名。通常は非公開の主屋2階の部屋を使って、サルスベリや桔梗の咲く夏の庭を眺めながら、4時間かけて計32首をじっくりと批評し合いました。

やはり歌会は楽しいですね。

次回は10月2日(日)に旧水口図書館(滋賀県甲賀市)で行います。歌会は初めての方もベテランの方も、年配の方も若い方も、どなたでもお気軽にご参加ください!


 「別邸歌会」チラシ 2022.07.28.jpg


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2022年08月06日

映画「サッド・ヴァケイション」

監督・脚本・原作:青山真治
出演:浅野忠信、石田えり、宮崎あおい、オダギリジョーほか

2007年公開の作品。今年3月に亡くなった青山監督の追悼上映。

『Helpless』『EUREKA』に続く〈北九州サーガ〉の第3作。三部作がつながっていると知らず前2作を観ずに観てしまったのだが、大きな問題はなかった。

登場人物のキャラクターが濃い。普段の会話のような喋り方と北九州弁とで聞き取れない台詞もあるのだけど、それも特に気にならない。

ずっしりとした味わいの残る作品であった。

136分、出町座。

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2022年08月05日

米川稔をたずねて(その2)


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墓地のところどころに昔ながらの手押しポンプの井戸がある。
手桶に水を汲んで、米川稔の墓と歌碑を探す。


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米川稔の墓と歌碑。

事前に鎌倉文学館に問い合わせて大体の場所を聞いていたにもかかわらず見つけるのに苦労した。墓は背後の崖の窪んだ側面に埋め込まれるように建てられていた。


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「米川家塋」と刻まれている。
「塋域(えいいき)」の「塋」なので、墓、墓地という意味だろう。

この墓は生前に米川自身が建てたものだ。歌集『鋪道夕映』には「営墓」と題する一連がある。

うつしかるもののかなしきこころどにわれは祖先(みおや)の墓づくりせり
みぎりには右大臣家の在(おは)しけりひだりはそこな無縁仏たち
土に委して無縁の塔の堆し山はみどりの冥(くら)からむとす
必定は埋(うづ)もれ果てむ墓ならめ卯の花垂れて咲きにけらずや

ここには米川が出征に際して残した遺髪が納められているが、遺骨はない。遺骨は今も海の彼方、約5000キロも離れたニューギニア島のどこかに眠っているのだろう。


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米川稔の歌碑。

米川のもとで働いていた助産師の丸エキさんによって、1971年に建てられたもの。高さ1メートルもない小さな歌碑である。『鋪道夕映』の最後の一首が刻まれている。

ぬばたまの夜音(よと)の遠音(とほと)に鳴る潮の大海の響動(とよみ)きはまらめやも

お墓参りを終えて、次は米川稔の自宅のあった場所を探す。


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教恩寺。

米川の自宅・病院(助産所)は、この寺の前にあった。自宅では月に1回、吉野秀雄らとともに「鎌倉短歌会」が催されていた。

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2022年08月04日

米川稔をたずねて(その1)

日帰りで横浜と鎌倉へ行く。
鎌倉は大学生の時以来、実に30年ぶり。


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まずは「港の見える丘公園」へ。
天気が良くて眺めが素晴らしい!


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神奈川近代文学館。

米川稔の吉野秀雄宛の書簡約50点などの特別資料を閲覧する。まさに宝の山という感じの貴重な資料ばかり。戦地のニューギニアから届いた葉書には、細かな字でびっしりと歌などが記されていた。

その後、鎌倉の寿福寺へ。


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寺の入口に立つ案内板。

多くの文学者の墓や碑とともに、米川稔の墓と歌碑があることも明記されている。寿福寺は鎌倉五山の第三位という歴史を持つ大きな寺だが、境内は一般公開されていない。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映にあわせて鎌倉の町は盛り上がっているけれど、この寺はまったく観光化されておらず、ひっそりと静まり返っている。


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寺の裏手の墓地へまわると、背後の崖に「やぐら」と呼ばれる横穴が数多くあり、北条政子と源実朝の墓と伝わる供養塔もある。

ここも案内板は朽ちていて、観光客向けの要素はまったく見当たらない。昼なお暗い墓域にひぐらしの声が響いているばかり。

posted by 松村正直 at 11:17| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月03日

司馬遼太郎『街道をゆく37 本郷界隈』


連載中の「啄木ごっこ」との関わりで、久しぶりに「街道をゆく」シリーズを読む。話題が縦横無尽にポンポン飛んでいくのが楽しい。

江戸時代の本郷は、このあたりをいくつかの大名屋敷が占拠しているだけで、神田や日本橋、深川といったような街衢の文化は、本郷にはなかった。それが、明治初年に一変する。ここに日本唯一の大学が置かれ、政府のカネがそそぎこまれたのである。
上京した子規は、下屋敷の長屋に起居し、ついで他に移ったりするうちに、旧藩主家の給費生にえらばれた。月額七円で、書籍費はべつに出る。(・・・)“育英”は、明治の風でもあった。前章でふれた坪内逍遥の場合も、給費生になったおかげで、明治九年の上京が可能になった。
明治後、東京そのものが、欧米の文明を受容する装置になった。同時に、下部(地方や下級学校)にそれを配るという配電盤の役割を果たした。いわば、東京そのものが、“文明”の一大機関だった。

こういう真面目な話だけでなく、雑学的な小ネタも出てくる。

モース(Morse)は、明治時代、多くのひとたちがモールスとカナでよんだ。おもしろいことに、“モールス信号”のS・F・B・モース(一七九一〜一八七二)と同じ綴りである。
日本料理に揚げものが入るのは十六世紀だったそうで、おそらく中国から禅僧を通じてのものだろう。僧侶が入れたから、このため麩や豆腐を揚げるといった精進ものが中心にならざるをえなかった。要するに江戸時代のフライの中心は油揚豆腐(あぶらげ)であった。

街歩きしながら、真面目なことを考えたり雑学を披露したり。今で言えば、ちょうどブラタモリみたいな感じなのであった。

2009年4月30日第1刷、2021年6月30日第5刷。
朝日文庫、760円。

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2022年08月01日

『踊り場からの眺め』の書評など

昨年9月に刊行した『踊り場からの眺め 短歌時評2011‐2021』について、書評や時評などで数多く取り上げていただきました。ありがとうございます。拝読したものを下記にまとめておきます。

版元にも amazon にも私の手元にも、まだまだ在庫があります。
ぜひ、お読みください!

◎雑誌・新聞などに掲載されたもの

中沢直人「分断を超える批評の力」(現代短歌新聞 2021年11月号)
後藤由紀恵「時評の賞味期限」(まひる野 2021年11月号)
https://note.com/mahiruno_tanka/n/n78dc4917cc3a
大松達知「短歌はいま」(共同通信 2021年11月配信)
藪内亮輔「昏れてゆく短歌」(現代詩手帖 2021年12月号)
大辻隆弘「自閉状態を超えて」(角川短歌年鑑 2022年版)
大松達知「王様は裸だ」(短歌往来 2022年2月号)
岩崎佑太(コスモス 2022年3月号)
池永和子(プチ★モンド 2022年春号)
寺井龍哉「ここで評して。」(歌壇 2022年4月号)
鬼頭一枝(象 2022年4月号)
郡司和斗(かりん 2022年5月号)
山崎聡子「二元論ではない」(うた新聞 2022年5月号)
「朝日新聞」インタビュー(2022年5月11日掲載)
https://book.asahi.com/article/14619129
山川築(角川短歌 2022年8月号)

◎ネットに公開されたもの

恒成美代子「暦日夕焼け通信」(2021年9月16日)
http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-9e35d6.html
佐藤涼子(2021年9月19日)
https://note.com/midnightsunsong/n/n593211584f0d
竹内亮「二者択一論とバランス論」(2021年10月12日)
https://blog.goo.ne.jp/sikyakutammka/e/dc248ef8807ce67e068bc1edc5fb0427
斎藤美衣(2022年3月14日)
https://www.instagram.com/p/CbE-3V2ukuy/
千種創一「20年代を歩くために」(2022年7月24日)
https://note.com/chigusasoichi/n/n370fff5f74bf
みおうたかふみ「短歌を「読む」ということ」(2022年7月27日)
https://note.com/uwomi_mitomi7771/n/n077d804a1aaa

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2022年07月31日

雑詠(017)

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人と人が袂を分かつということの、陽に乾きつつ紫陽花が咲く
われ先に伸びゆく蔓の尖端を指にむしるも朝顔のため
どこまでものうぜんかずら追いかけて夏のわたしが剝き出しになる
大雨のために動けぬ特急のなか煎餅を嚙む音ひびく
四百九十九体ならぶ羅漢堂 残り一つはわが子だろうか
すこやかに伸びゆく稲に囲まれて七つの墓がなかよく並ぶ
感染者、重症者、死者それぞれにずれるピークをひとは苦しむ

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posted by 松村正直 at 19:04| Comment(0) | 雑詠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月30日

山田七絵編『世界珍食紀行』


アジア経済研究所の職員たちが世界35の国・地域で体験した食べ物をめぐるエッセイ集。「アジ研ワールド・トレンド」「IDEスクエア」に連載されたコラムをまとめたもの。

登場するのは、韓国のホンオフェ(エイ)、ベトナムの卵コーヒー、カザフスタンのクムス(馬乳酒)、デンマークのニシンの酢漬け、南アフリカのブラーイ(バーベキュー)、ペルーのクイ(モルモット)など。

外国から来た料理が現地風にアレンジされて土着化するという現象は、もちろんインドでもみられる。「インド中華料理」はまさにその典型であり、「マンチュリアン」はもっとも代表的な料理といえるだろう。
イランのファンタジーは、イランにしかない欧風パンとして、華麗な呼び名とは裏腹なその庶民的味を守り続けているのである。
タンザニアでは、食事を終えた人が水道で手にこびりついたウガリを爪でこすり落としているのを見ることがある。それを見た外国人は、「スプーンで食べればいいのに」と思うかもしれない。しかし、日本人が白いご飯を箸で食べるのと同じように、ウガリは手で食べて味わうものだ。

ほとんどの料理が一度食べてみたいと思うものばかり。現地でしか食べられない料理もたくさんあって、外国に行きたい気分になる。

2022年7月20日、文春新書、980円。

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2022年07月28日

映画「パリ13区」

監督:ジャック・オーディアール
出演:ルーシー・チャン、マキタ・サンバ、ノエミ・メルラン、ジェニー・ベスほか

パリに住む30歳前後の男女4人の群像劇。

恋愛や性愛を描きつつ、性的虐待や人種と移民の問題などが背景に見えてくるところが良かった。

パリの行政区は1〜20区まであって、ネットで調べたところ13区と言うとチャイナタウンのイメージが強いらしい。なるほど。

京都みなみ会館、105分。

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2022年07月27日

米川稔と吉野秀雄、宮柊二、大佛次郎

米川稔の遺歌集『鋪道夕映』は様々な紆余曲折を経て、没後27年となる1971年に刊行された。米川の歌が今に伝えられている背景には、二人の人物の尽力があった。

一人は米川と同じ鎌倉に住み鎌倉短歌会を開催していた吉野秀雄であり、もう一人は北原白秋の結社「多磨」で一緒だった宮柊二である。

  九月二十九日南方戦線なる米川稔より一書至る
君が便り夫人の前に読む折のこらへし涙夜半に落ちたり
諸共に命なりけりウエワクの暗き蝋の灯に書きしこのふみ
たたかひの激しきにゐてわがために下痢の処方を記し給ひぬ
/吉野秀雄「博物」1943年11月号
  米川稔既に亡し。ニユーギニヤ島ブーツ地点密林内に於て昭和十九年九月十五日自決せる由。昭和二十一年一月廿四日速達ありて急遽鎌倉に遺宅を訪ふ。
たたかひがかもす悲劇に膚接して還らずなりし老軍医君
髭少し蓄へし顔うつしゑに残ししからにさらに悲しも
/宮柊二『小紺珠』(1948年)

大佛次郎『終戦日記』(文春文庫)に、こんな記述がある。終戦後の昭和20年8月25日のもの。

夕方村田宅へ呼ばれて行く。木原夏目相馬と加わり三升も飲みし由。吉野君と口論す。過日の文章で米川稔をもう死んだように書いたのが軽率だという非難である。

口論相手の「吉野君」は吉野秀雄のことである。「過日の文章」とあるのは昭和20年8月21日の朝日新聞に掲載された「英霊に詫びる」。

その中で大佛は「私の身のまわりからも征いて護国の神となった数人の人たち」の中に「和歌に熱心な町のお医者さん」を挙げていた。これが米川稔を指している。しかし、この時点で米川はまだ生死不明の状況であった。

米川稔が昭和19年9月に死んだことが明らかになるのは、昭和21年1月17日に所属部隊の生存者が日本に帰還してからのこと。戦死公報もこの日付となっている。

大佛も吉野もいわゆる「鎌倉文士」で、鎌倉に住む米川と交流があった。大佛は米川の遺歌集『鋪道夕映』の別冊に「追想」という一文を寄せている。

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8月12日(金)19:30〜21:00に、野兎舎主催のオンラインイベント「軍医の見た戦争 ― 歌人米川稔の生涯」を開催します。

https://yatosha.stores.jp/items/62d7d504dbe7441ad67fb62b

posted by 松村正直 at 10:44| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月26日

映画「トップガン マーヴェリック」

監督:ジョセフ・コジンスキー
出演:トム・クルーズ、マイルズ・テラー、ジェニファー・コネリー、ジョン・ハム、グレン・パウエル、ルイス・プルマン、エド・ハリス、ヴァル・キルマーほか

1986年公開の「トップガン」の続篇。

主演のトム・クルーズは1962年生まれなので今年で60歳。「ミッション・インポッシブル」シリーズで今も活躍しているのは知っていたけれど、実に若々しい。

感想はいろいろあるが、随所に「スター・ウォーズ」を感じた。「考えるな、行動しろ」は「考えるな、感じろ」みたいだし、敵の基地を破壊するミッションはデス・スター破壊の場面にそっくり。

それにしても、36年ぶりの続篇って考えることがすごいな。

MOVIX京都、131分。

posted by 松村正直 at 13:06| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月25日

藤森照信『藤森照信 建築は人にはたらきかけること』


「のこす言葉」KOKORO BOOKLETシリーズの1冊。

建築史家として日本の近代建築の研究をするだけでなく、建築家として「タンポポハウス」「高過庵(たかすぎあん)」「ラコリーナ近江八幡」などの話題作をつくってきた著者が、自らの生い立ちや建築に対する思いを記している。

「高過庵」も「茶室 徹」も、一見ツリーハウスのように見えますが、ツリーハウスではありません。もともとそこにあった樹の上につくったわけではなく、枝ぶりのよい木を選んで伐り倒し、現場に運んで柱として立てて、その上に庵をつくっています。この違いはとても重要。
発見の喜びは、解釈の喜びよりはるかに大きい。だって東京駅を設計したあの辰野金吾の建築だって、知られてないのが次々と出てくるんですから。竣工当時は有名だったものも、忘れられてますからね。
優れた建築は、本人も気づかなかった意味がいっぱい入ってる。だから、時代を超えられる。本人が自覚した点は本人が文章に書いてるけれど、それはその時代のなかで考えたことで、時代が変われば消えていく。だけど時代を超えるものがある。それは本人も自覚していないことなんですよ。
当たり前ですが、理論化は、言葉によってしかできない。言葉は、人間が生み出した最も抽象的なもののひとつです。一方、ものをつくることは、自分のなかの酵母のようなものがぐずぐずとした発酵状態にあって、そこから生まれてくる。言葉で理論化することは、そこに強い光を当てるようなもので、だいたい酵母は死ぬ。

このあたりは、短歌にもよく当て嵌まる話だと思う。

巻末の「のこす言葉」は「部屋は一人の 住宅は家族の 建築は社会の 記憶の器。自力でも誰かに頼んでも お金はかけてもかけなくても 脳を絞り手足を動かして作れば大丈夫。器が消えると記憶もこぼれて消えるでしょう。個人も家族も社会も記憶喪失ご用心。藤森照信」というもの。

建築の持つ「記憶の器」としての力をあらためて感じた。

2020年2月19日、平凡社、1600円。

posted by 松村正直 at 08:42| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする