2017年01月07日

橋本崇載著 『棋士の一分』


副題は「将棋界が変わるには」。著者は現役8段の棋士。
「一分」は「いっぷん」ではなく「いちぶん」=「一人の分際。一身の面目、または職責」(広辞苑)である。

将棋界ではソフトの不正使用疑惑により竜王戦の挑戦者が変更になるという大きな事件が起きたばかり。当然、便乗商法のようにも感じられるのだが、中身の大半は事件以前のものである。

事件の経緯については本書に記されているが、著者がツイッターで「1億%クロ」と発言したこと(その後、取り消し)や、その後に新たな展開(第三者委員会による裁定はシロ)があったこともあり、何とも後味が悪い。

それ以外に取り上げられているのは、コンピュータ将棋の問題、将棋連盟の運営の問題、斜陽化する将棋界の問題など。いずれも真面目で真っ当な話であり、著者の危機感や改革への思いはよく伝わってくる。

コンピュータ将棋の歴史は、お金が絡んでいなかったなら始まらなかったものだった。
将棋連盟の運営に関して、四十代、五十代の棋士たちのほとんどの人が何も言わない、何も動かない。
将棋において指し手は有限だ。それをいかに無限であるかのように見せるかが棋士の役割の一つであるはずなのに、それとは真逆の方向に向かっている。

こうした指摘には納得させられる。

その一方で、具体的なデータや数字的な裏付けに乏しく、有効な打開策が示せていないことが、本書の弱点であろう。檄文として読むには面白いが、具体的な改革の道筋はよく見えてこない。

2016年12月10日、角川新書、800円。

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2017年01月06日

カルチャーセンター

大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
興味のある方は、どうぞご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
  A組 10:30〜12:30
  B組 13:00〜15:00
   *奇数月を松村が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作」 毎月第3金曜日
   A組 11:00〜13:00
   B組 13:30〜15:30
   *偶数月を松村が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーセンター千里セルシ― 06−6835−7400
 「はじめての短歌」
  毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンターKYOTO 075−254−2835
 「はじめての短歌」
  毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00

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2017年01月05日

北方領土問題と樺太

先月、ロシアのプーチン大統領が来日したが、北方領土問題について特に進展は見られなかった。残念なことである。

実は、この北方領土問題は樺太とも深い関わりがある。

一つは、ロシアの行政区分において、北方領土は樺太と同じ「サハリン州」に属しているという事実である。サハリン(樺太)と北方領土の間には船や飛行機の定期便が就航し、人々や貨物が行き交っている。

 サハリン州旗.png
 (サハリン州旗)

もう一つは、北方領土も樺太も帰属が確定していないという共通点である。日本で発行されている地図において、南樺太(北緯50度以南)と千島列島(ウルップ島以北)は白抜きとなっていることが多い。

 img04.gif
 (外務省のHPより)

これは、1951年のサンフランシスコ講和条約によって日本は南樺太と千島列島に関する権利をすべて放棄したものの、この条約にソ連・ロシアは加わっておらず、「南樺太及び千島列島の最終的な帰属は未定である」というのが日本政府の公式見解であるからだ。

これは、戦後70年以上が過ぎた今も変っていない。ロシアとの平和条約が結ばれるまでは、4島の帰属が決まらないだけでなく、南樺太や千島列島も実は「帰属は未定」の状態に置かれているのである。

この「帰属は未定」という、いわば宙吊りの状態に置かれてきたことこそが、樺太が近くて遠い場所になってしまった一番大きな理由なのだろうと思う。

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2017年01月04日

河出書房新社編集部編 『やまとことば』


1989年に河出書房新社より刊行された単行本『ことば読本―やまとことば』を再編集したもの。

副題は「美しい日本語を究める」、帯にも「日本人の心にひびく大和言葉の秘密」とあって、何だかなあと思うのだが、内容は日本語に関する上質なエッセイや論考のアンソロジーである。

丸谷才一、大岡信、田辺聖子、井上ひさし、森鴎外、柳田國男、山本健吉ら18篇の文章が載っていて、どれも面白い。

個人としての好みを言えば、私は考えるという言葉よりは思うという言葉の方が好きである。考えるという言葉は何か理性的で冷く、鋭く、そして狭くひびく。思うという言葉は茫洋としていて、それで何かあたたかく深いような感じがする。
            宮柊二「「思う」という言葉」
実は「あはれ」という言葉は、古くは「アファレ」と発音されていた。その「ファ」を強めると「アッパレ」になるんですね。つまり「あはれ」が示す感動を明るいほうの意味に寄せて――感心した、賛成だ、お見事だという場合は、「アッパレ」になったんです。
            大野晋「感動詞アイウエオ(対談)」
『日本書紀』を訓読しえたとき得られたものは、原文の意味に対応するとして再建された日本語であっても、『日本書紀』を書いた人々の頭にあったものと同じであるとはいえまい。
            山田俊雄「日本語語彙―固有語と外来要素」
若し現代の語が、現代人の生活の如何程微細な部分迄も、表象することの出来るものであつたなら、故らに、死語や古語を復活させて来る必要はないであらうが、さうでない限りは、更に死語や古語も蘇らさないではゐられない。
            折口信夫「古語復活論」

「故らに」は「ことさらに」。

どの人の論も切れ味が良いので、読んでいて刺激的である。

2003年3月20日発行、2015年7月30日新装版発行、河出文庫、680円。

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2017年01月03日

つながり、つながる

『樺太を訪れた歌人たち』を出版したことをきっかけとして、新たな資料が見つかったり、新たな知り合いができたり、少しずつつながりが増えている。

今日も奇跡のような出会いがあった。

図書館に通ったり、資料を読み込んだり、古本を買ったり、マイクロフィルムのページを追ったりしているのは、きっとこんな瞬間の喜びのためなんだろう。

これが、どれだけ凄い出会いであるかということは、たぶん私自身にしかわからない。どんなに説明してみたところで、興味のない人には「はっ?」「それで?」と一蹴されるようなことなのである。

私のこの踊り出さんばかりの興奮をそのままに伝えられる言葉があれば良いのだけれど。

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2017年01月01日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。
良いことも悪いこともいろいろ起きる一年にしたいと思います。

短歌雑誌の1月号に、下記のものを書いています。

・「記憶について」20首(「現代短歌」1月号)
・「おとうと」30首(「短歌研究」1月号)
・櫟原聰著『一語一会』書評「口語短歌の文法」(「短歌往来」1月号)
・歌壇時評「方言、共同体、死者の声」(角川短歌」1月号)
・講演ファイル「佐藤佐太郎の火山の歌」(「現代短歌新聞」1月号)

1月号から飛ばし過ぎだな。
どうぞお読みください。

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2016年12月31日

京都観光二日目 (その2)

八坂の塔から石塀小路や円山公園を通って、知恩院へ。


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国宝の三門。
ひたすら大きい。今回は境内には入らずに前を素通り。


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蹴上のインクライン。

琵琶湖疎水には高低差があるため、船を台車に載せてケーブルカーのように引き揚げていたところである。なかなかすごいことを考えつくものだ。両側には桜が植えられていて、花見のシーズンは桜のトンネルになる。


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南禅寺の水路閣。

琵琶湖疎水の水が橋の上を流れている。寺の境内に煉瓦造りの水道橋を通すなんて、かなり思い切ったことをしたものだ。今ではすっかり景観になじんでいるけれど。

南禅寺の三門も大きい。500円払うと楼上に登ることができる。
石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と言ったとか。


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無鄰菴(むりんあん)。

山県有朋の別荘だったところで、東山を借景にした庭園は小川治兵衛の作。一歩中に入ると、外の喧騒が嘘のような静けさである。庭園の水は琵琶湖疎水から引いているそうだ。琵琶湖疎水すごいな。

そう言えば、以前訪れた並河靖之記念館の庭も小川治兵衛の作であった。どうりで雰囲気が似ているわけである。
http://matsutanka.seesaa.net/article/440426481.html

二日目はこれにて終了。
歩数は約20000歩であった。

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2016年12月30日

京都観光二日目 (その1)

初日は何と25000歩も歩いたらしい。

二日目は京阪「清水五条駅」を出発して、まずは清水寺へ。
清水坂からではなく、五条坂・茶碗坂というルートをたどったところ、けっこう上りがきつくて汗をかいた。


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三重塔。
色鮮やかで見た目も華やか。外国人もたくさん写真に撮っていた。


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三重塔の近くからは京都盆地が一望できる。
紅白の京都タワーはどこからでもよく見えてわかりやすい。


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本堂にある「清水の舞台」は舞台の上から撮ってもよくわからない。
奥の院の方から撮るのがおススメ。
本堂は来年からしばらく改修工事に入るらしい。


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清水寺から産寧坂を下って八坂の塔へ。
町中に溶け込むように立っている塔である。
歩いていると急に視界に飛び込んでくる感じがいい。

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2016年12月29日

京都観光初日 (その2)

龍安寺から歩いて10分ほどで仁和寺へ。
道路に面した二王門が大きいのに驚く。知恩院の三門、南禅寺の三門とあわせて「京都の三大門」と呼ばれているらしい。


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五重塔。
見る角度によって随分と印象が変わるので、写真に撮るのが難しい。


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国宝の金堂。
境内は広々としているけれど、観光客の姿は少ない。


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金堂の屋根に載っている可愛いやつ。
仁和寺のホームページを見ると「よくあるご質問」の中に

Q 金堂の屋根瓦に、亀の上に乗った人の瓦がありましたが、何かの象徴でしょうか?
A 黄安(こうあん)という仙人です。亀は3000〜4000年に一度、水面に顔出すといわれ、黄安はその亀を3〜4回見たそうです。永遠の象徴として安置されています。

と書いてあった。なるほど。


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帰りは京福電気鉄道(嵐電)の「御室仁和寺駅」から電車に乗る。
駅名表示が昔の「御室駅」のままになっているのを発見。
しかも旧字体だ。

京都に古くから住む人にとっては「御室」=「仁和寺」なのであるが、観光客には「御室駅」では仁和寺の最寄り駅だとわからない。だから駅名は仕方なく「御室仁和寺駅」に変えたものの、駅名板は変えずに残しておく。このあたりに京都人らしさが表れているように感じる。

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2016年12月28日

佐藤涼子歌集 『Midnight Sun』


新鋭短歌シリーズ33。
塔短歌会所属の作者の第1歌集。
2012年から2016年までの作品304首を収めている。

東日本大震災を詠んだ連作「記録」がまずは印象に残る。作者はこの連作で第4回塔新人賞を受賞しているが、受賞作が30首であったのに対して、この歌集では44首と大幅に歌数が増え、内容的にも震災から5年後の歌が入るなど厚みを増している。

ドーナツで丸く切り取る夏の空この先ずっと寄り道でいい
水鳥が集まる沼のそばにあるカフェ・コロボックルは今日もお休み
あの人も発見されたと言うけれど十日目だから生死は聞かない
東側何回見ても何もない仙台東部自動車道路
臭いがきつい 消防法上一つしか香炉が置けない遺体安置所
吉田歯科前に十二の花鉢が並ぶ「吉田」とペンで書かれて
泥舟をいつ降りようと勝手だが船は揺らすな みんな沈むぞ
マグカップ割れてようやくこんなにも疲れていたと気づいてしまう
白菜と牡蠣二、三個を取り分けて渡す 言えないことの代わりに
ライラック色のペディキュア塗っていて良かった 口に含むだなんて

1首目は下句のフレーズが魅力的。開放感と明るさがある。
2首目、「コロボックル」は店の名前だが、まるで本物のコロボックルが働いているみたいな感じがする。
3、4、5首目は「記録」から。
5首目、「消防法上一つしか香炉が置けない」という細かな具体が、これ以上ないほどに現場の感じを伝えている。
7首目、被災地のことか、あるいは現代の日本のことか。
9首目は二人で鍋を食べているところ。「白菜と牡蠣二、三個」がいい。
10首目は性愛の場面。なるほど、こんなことを思うものなんだ。

漢字の読み方が難しい歌があって、例えば「絆されて」(ほだされて)、「冷まじい」(すさまじい)など、ルビを振った方が良いのではないかと思う。

2016年12月14日、書肆侃侃房、1700円。

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2016年12月27日

京都観光初日 (その1)

兄夫婦を案内して京都を観光する。
京都と言えば、ということでまずは金閣へ行く。


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金閣に来るのは中学の修学旅行以来だと思う。
料金所を過ぎて間もなく池越しの金閣が見える構図が素敵だ。


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天気が良くて、とにかく金閣が光っている。
金閣は元は別荘であって寺ではないから、本堂とか仏像とかがあるわけでなく、ひたすら金閣が中心なところがわかりやすい。なるほど、外国人にも受けるわけだ。

続いて、「きぬかけの路」を通って龍安寺へ。


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ここも修学旅行以来、約30年ぶり。
団体客が多い金閣と違って、こちらは「禅が好きです」という感じの西洋人が多い気がする。石庭の背後の壁が風化しているところに味わいがある。


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「吾・唯・足・知」の文字が刻まれたつくばい。
言葉遊びのセンスが素敵だ。
つくばいのある所は石庭の反対側なので、あまり人も通らずひっそりとしている。

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2016年12月26日

書評委員が選んだ「今年の3点」


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昨日の朝日新聞の書評委員が選んだ「今年の3点」の中で、評論家・ジャーナリストの武田徹さんが『樺太を訪れた歌人たち』を挙げて下さっています。

歌人の著者が往年の歌人たちの足跡を辿(たど)った。歌に結晶していた「日本帝国北限の領土」の記憶と記録が時を跨(また)いで蘇(よみがえ)る感覚が鮮やか。

短歌や歌人という枠を超えて、広く多くの方々に読んでいただけると嬉しいです。


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2016年12月25日

杉村孝雄著 『樺太 暮らしの断層』

副題に「遠景と近景・第二集」とある。
前作『樺太・遠景と近景』の続編にあたる一冊だ。http://matsutanka.seesaa.net/article/437398945.html

昭和4年に樺太の恵須取町で生まれ、昭和22年に北海道に引き揚げてきた著者は、定年退職後にふるさと樺太の歴史を調べ始める。在野の郷土史研究家と言っていいだろう。

「樺太日日新聞」や樺太で発行された絵葉書のほか、戦前の貴重な本や資料を丹念に収集して一つ一つの出来事を執拗なまでに追いかけていく。文章はあまり上手とは言えないが、とにかく凄い努力である。

今回取り上げられている話題は

・アメリカに渡った答礼人形「ミス樺太」
・飛行船ツェッペリン号の樺太航跡図
・樺太に連行された中国人や朝鮮人のための協和国語読本
・樺太におけるケシ栽培とアヘンの生産
・銅像になった樺太庁第3代長官平岡定太郎

など、いずれもディープでマニアックな話ばかり。それだけに初めて聞く話も多く、樺太好きにはたまらない一冊となっている。

今回の一番の収穫は、樺太庁長官を務めた平岡定太郎(三島由紀夫の祖父)が、樺太を詠んだ短歌を残しているという事実である。

卯の花の咲つる夏になりぬれどなほ風寒し豊原の里
多来加の波も敷香に納まれと祈るは己が願なりけり
うち返す波音も高しヲコックの島のあたりのヲットセの声

1首目の「豊原」は樺太庁の置かれた中心都市。
2首目の「多来加」(たらいか)は湾の名前。「敷香」(しすか)に「静か」を掛けている。
3首目の「ヲコック」はオホーツク海のこと。

平岡定太郎の短歌については、もう少し調べてみたいと思う。

2000年11月13日、私家版。

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2016年12月24日

糸川雅子歌集 『橋梁』



現代短歌ホメロス叢書9。
2008年から2012年までの作品378首を収めた第6歌集。

秋山に誰も知らざる風ふきて風のにおいが里までとどく
家電みなちいさくうすくなってゆき平成の秋ちんまりと坐す
次々に柿落ちてゆきどの柿の落下の瞬間(とき)に会うこともなし
山国の日暮れは早し味噌汁の椀にしめじと里芋うかぶ
「遅れたから」遅刻の理由をそう記す生徒のあれば叱りてたのし
蟬の骸点々とある家庭(いえにわ)を散歩し蟬を老犬は食む
ゆでたまごきれいにむけて遠足の朝のような秋晴れとなる
思い出のなかをくぐりてかえりくる赤とんぼあり 指を差し出す
はらわたがこころとからだをつなぐから起きぬけの水喉そらし飲む
さいわいのあかしのように蜜柑盛り卓上に藍の鉢は置かるる

1首目、秋の季節感を詠んだ歌。見えないけれど風のにおいがする。
3首目、確かに柿が落ちてくる瞬間はあまり見たことがない。
4首目、「しめじと里芋」がいいのだろう。いかにも山国という感じ。
6首目、老犬の姿や動きがまざまざと目に浮かぶ。
8首目、上句が印象的。赤とんぼは思い出の時空を飛んでいるのだ。
9首目、朝に飲む一杯の水が身体だけでなく心にも染み込んでいく。

2016年11月24日、飯塚書店、1800円。

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2016年12月22日

「塔」2016年12月号(その2)

花火の音をこわがる子を抱いて母でしかない夜を肯う
                     春澄ちえ

小さな子なので家に聞こえてくる花火の音を怖がるのだろう。「母でしかない夜」という表現が強烈で、それを「肯う」と言い切ったところに強さを感じる。

滝のぼるごとくうねりて塩まとひあゆはじりじり焼かれてゆきぬ
                     足立訓子

うねるような姿で串に刺されている鮎。初二句で生き生きとした姿が思い浮かぶだけに、下句の現実との落差が哀れを誘う。

新選組の羽織の色を思はせてアサギマダラの庭に舞ひをり
                     黒瀬圭子

アサギマダラと言うと長距離を移動することや藤袴の蜜を吸うことがよく題材になるが、これは水色と黒の色に着目している。そう言えば、羽織もひらひらする。

スカートをはかなくなってもう二年 置き去りの足が砂浜にある
                     大森千里

下句がとても印象的。スカートから出ていた素足が、今もそのまま砂浜に残されているようで、寂しさが滲む。年齢的なことだろうか。

新刊の本の間に栞紐「の」の字うっすら紙に沈めて
                     平田瑞子

結句の「沈めて」という動詞が良い。栞紐の跡が本に付いている光景はよく詠まれるが、これは「沈めて」で歌になった。

4の段を終へて5の段6の段 6×7(ろくしち)あたりでいつも
つまづく                 加藤 宙

確かにそうだよなあと思う。九九の間違えやすいところ。計算というよりも発音しにくいことが関係しているような気がする。


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2016年12月21日

「塔」2016年12月号(その1)

I−4、シネリーブルの最後列右端の席にけふも沈みをり
                    上杉和子

映画館に行った時にいつも選ぶお気に入りの席。前からABC・・・とあって一番後ろのI列。その列はおそらく変則的に4席しかないのだ。

ふたり居れば別れは必ず来るものを 分かりなさいと蝶が舞ひ
ゆく                  野島光世

どちらか一方が死ぬにせよ出て行くにせよ、必ず別れの時は来る。「分かりなさい」は自分自身に言い聞かせている感じだろう。

睡蓮の鉢に空あり雀来てくちづけし後みづは残れり
                    清水弘子

鉢の水に映っていた空が、雀のくちばしが触れたとたん手品のようにパッと消えて、後には水だけが残っているような不思議な感じの歌。

見えずとも分水界のあることの、あなたは別の海にゆくひと
                    白石瑞紀

どんなに近くにいても、やがては別れる運命の人。「分水界」という比喩と、三句の「の」のつなぎ方が寂しさを滲ませている。

手をつなぎ見る曼珠沙華 他人には戻れないのがすこし寂しい
                    上澄 眠

二人は夫婦か恋人なのだろう。一度関係を結んでしまえば、たとえ別れたとしても再び全くの他人同士に戻ることはできない。

おのずから身を裂くことの熱量の柘榴、くりの実、飴いろの蟬
                    福西直美

熟して割れた柘榴、弾けた栗の毬、脱皮した蟬。内側から溢れ出るような力で自分を壊すものたち。その激しい情熱への憧れが作者にはあるのだろう。

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2016年12月20日

第一回文学フリマ京都

来年1月22日(日)に開催される「第一回文学フリマ京都」に、塔短歌会のブースを出します。「塔」のバックナンバー(十代・二十代歌人特集号など)やオリジナルグッズの販売のほか、豪華フリーペーパーも配布予定ですので、皆さんぜひお越しください。入場料は無料です。

http://bunfree.net/?kyoto_bun01

日時 2017年1月22日(日)11:00〜16:00
会場 京都市勧業館みやこめっせ 地下第一展示場(京都市・岡崎)

短歌関係では他に、同人誌「一角」、同人誌「率」、神戸大学短歌会、大阪大学短歌会、立命短歌会、京都造形芸術大学文芸表現学科、同志社短歌、京大短歌、書肆侃侃房などのブースが出るようです。

また、同じ日に道を挟んだ向かいのロームシアター京都では、「塔」2月号の再校作業もしています。こちらにもどうぞご参加ください。

日時 2017年1月22日(日)13:00〜17:00
場所 ロームシアター京都(京都会館)第2会議室
持ち物 赤ボールペン、辞書など

夜には新年会も行う予定です。
1月22日はみんなで京都へ!

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2016年12月19日

今年発表した作品と評論

2016年に総合誌等に発表した作品と評論のまとめ。

作品
 ・「隣人について」20首(「現代短歌」1月号)
 ・「水切り遊び」12首(角川「短歌」3月号)
 ・「塔について」20首(「現代短歌」4月号)
 ・「沈黙について」20首(「現代短歌」7月号)
 ・「最大版図」7首(「うた新聞」7月号)
 ・「晩夏」10首(「俳句四季」8月号)
 ・「王将について」20首(「現代短歌」10月号)
 ・「電話」13首(「現代短歌新聞」10月号)
 ・「消える」5首(「梧葉」秋号)
 
評論
 ・「かすめるもの、よぎるもの 『一握の砂』を読む」
                   (「現代短歌」3月号)
 ・「戦後風景としての団地」(「日本現代詩研究」第12号)
 ・「森永ミルクキャラメルの歌」(「歌壇」8月号)
 ・「米と日本人」(「歌壇」10月号)
 ・「樺太からの手紙」(「短歌往来」10月号)
 ・「どんな脚色も許されるけれど」(角川「短歌」11月号)
 ・「ツンデレからデレデレへ」(「六花」Vol.1)

けっこういろいろと書いた一年だったように思う。

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2016年12月17日

「角川短歌年鑑」平成29年版

座談会「現代短歌は新しい局面に入ったのか」。
参加者は川野里子・大辻隆弘・魚村晋太郎・永井祐・佐佐木定綱・阿波野巧也。

タイトルがどうなのかなとは思うけれど(毎年のようにこんなことを言っている気がする)、座談会自体は面白かった。特に印象に残ったのが、永井祐さんの二つの発言。

口語短歌の拡大というのは、おのずからモチーフの拡大になるのではないかと。つまり青春とか成熟拒否的なメンタリティ以外のものを描けるようになることを意味しているのではないかと思います。
平たく言うと短歌とは何々であるということが限りなく言いにくくなっていった結果、短歌とは五七五七七であるというトートロジーが最強になるみたいなこと。

発言の最後の結論部分だけ引いたのでわかりにくいかもしれないが、どちらも刺激的かつ緻密で説得力のある内容であった。

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2016年12月15日

大島史洋著 『斎藤茂吉の百首』


「歌人入門」シリーズの2冊目。
斎藤茂吉の17冊の歌集から100首を取り上げて、鑑賞を付けている。

特に注目すべき引用歌や新しい読みがあるわけではないが、茂吉の全体像をを知るには良い本だと思う。

まかがよふ昼のなぎさに燃ゆる火の澄み透るまのいろの寂しさ
                     『あらたま』
ひる過ぎてくもれる空となりにけり馬おそふ虻(あぶ)は山こえて飛ぶ                  『ともしび』
松花江(スンガリイ)の空にひびかふ音を聞く氷らむとして流るる音を                  『連山』
休息(きうそく)の静けさに似てあかあかと水上警察(すゐじやうけいさつ)の右に日は落つ     『暁紅』
わたつみに向ひてゐたる乳牛(ちちうし)が前脚(まへあし)折(お)りてひざまづく見ゆ        『霜』

2首目の鑑賞には「この歌はまさしくこの下句に眼目があるから、ほかのところは邪魔にならないように、まことに地味に作られている」とある。その「邪魔にならないように」というのが、実作においてはなかなか難しいのだ。

2016年11月15日、ふらんす堂、1700円。

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