2016年11月13日

カルチャーセンター

大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
興味のある方は、どうぞご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
  A組 10:30〜12:30
  B組 13:00〜15:00
   *奇数月を松村が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作」 毎月第3金曜日
   A組 11:00〜13:00
   B組 13:30〜15:30
   *偶数月を松村が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーセンター千里セルシ― 06−6835−7400
 「はじめての短歌」
  毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンターKYOTO 075−254−2835
 「はじめての短歌」
  毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00

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2016年11月12日

「九大短歌」第四号

全32ページ、中綴じ。最近の学生短歌会の機関誌には立派な装丁のものも多いのだが、これは手作り感のある素朴な仕上がり。誌面を見る限り主に4名で活動しているようで、楽しそうな会の雰囲気が伝わってくる。

主なき千度の春に削られて飛べない梅に触れる霧雨
                 松本里佳子

太宰府吟行で詠まれた歌。千年の風雪に耐えてきた「飛梅」の姿が彷彿とする。

とろろわさび牛丼辛くて東京のすき家でこっそりたくさん泣いた
                 真崎愛

一人で牛丼を食べて涙を流す。「東京」で何かつらいことがあったのかもしれない。

教卓に潜ればふかく沈みゆく水兵リーベぼくたちの船
                 松本里佳子

かくれんぼでもしているところか。「潜れば」「沈み」「水兵」「船」と縁語のように言葉が続く。「ぼくの船」を「ぼくたちの船」に変えたところがいい。

青い実に並べる歯形どうしてもべつべつの地獄におちてゆく
                 松本里佳子

一緒の地獄に落ちることはできないということだろう。果実に付いた「歯形」と「地獄」の取り合わせがうまい。

平地より五度は低い、と説明をここでも聞いて風呂へくだりつ
                 山下翔

「温泉」50首から。雲仙の温泉宿での歌。雲仙は涼しいというのが謳い文句になっているのだろう。かぎ括弧がないのがいい。

正直に話さうとして説明がややこしくなるを湯に浮かべたり
                 山下翔

「きみ」と湯につかりながら、作者には何か話さなくてはならないことがあるようだ。でも、なかなか言い出せない。

この夏をいかに過ごしてゐるならむ花火のひとつでも見てれば
いいが              山下翔

母のことを詠んだ歌。しばらく会っていないようだ。なかなか会いに行けない事情があるのかもしれない。

「温泉」50首はかなり読ませる連作だと思う。「きみ」との関係や、家族の形、母に対する思いなど、作者の心の微妙な揺らぎが丁寧に詠まれている。具体的な事情ははっきりとはわからないけれど、それは別にわかる必要もない。どの家族にもそれぞれの事情があって、だからこそ哀しくも愛しいのだ。

2016年10月30日、300円。

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2016年11月11日

『樺太を訪れた歌人たち』 刊行!


  P1050327.JPG

『樺太を訪れた歌人たち』(ながらみ書房)が刊行されました。

「短歌往来」に連載した「樺太を訪れた歌人たち」に、書き下ろしの
「樺太在住の歌人」と「サハリン紀行」を加えました。

目次は以下の通りです。


 第一章 樺太を訪れた歌人たち
   北見志保子とオタスの杜
   松村英一と国境線
   北原白秋・吉植庄亮と海豹島
   橋本徳壽と冬の樺太
   生田花世と木材パルプ
   石榑千亦と帝国水難救済会
   出口王仁三郎と山火事
   土岐善麿と樺太文化
   下村海南と恵須取
   斎藤茂吉と養狐場

 第二章 樺太在住の歌人
   石川澄水『宗谷海峡』
   皆藤きみ子『仏桑華』
   新田寛『蝦夷山家 新田寛全歌集』
   野口薫明『凍て海』
   山野井洋『創作短歌 わが亜寒帯』
   山本寛太『北緯四十九度』

 第三章 サハリン紀行


定価は2500円。
お申込みは、松村 masanao-m@m7.dion.ne.jp または版元の
ながらみ書房までお願いします。

posted by 松村正直 at 12:59| Comment(2) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月10日

現代歌人集会秋季大会のお知らせ

12月4日(日)に京都で現代歌人集会秋季大会が開催されます。

大辻隆弘さんの基調講演、阿木津英さんの講演「芭蕉以後のうた〜玉城徹を考える」、第42回現代歌人集会賞授与式(虫武一俊歌集『羽虫群』)などが行われます。

皆さん、どうぞご参加ください。

(クリックすると大きくなります)
 現代歌人集会秋季大会2016A.jpg
 現代歌人集会秋季大会2016B.jpg
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2016年11月09日

佐太郎の言葉

思うところがあって古い「歩道」を読んでいる。
「歩道通信」に載っている佐藤佐太郎の文章を味わいながら読む。

蛇崩の道を往反し、途中喫茶店で一憩して即席の歌を考へたりする。さういふ毎日をくりかへしてゐる。かうして二日に一首、三日に一首といふ具合に作りためた歌を「歩道」に出す。(昭和53年7月号)
こんなに健康の具合が変つてゐては、たまに逢つた人は、挨拶にも困るだらうし、私も挨拶のしようがない。これから、私の健康について、訪問者はふれないやうにして貰ひたいし、私も話さない事にしようと思ふ。(昭和53年9月号)
そこにゆくと短歌はいい詩形だ。短歌ではこみいつた事は言へないし、また言ふ必要もないが、端的に思ふ事を言ふとしたら、これほど自分を表白し得る詩形はない。われわれは自信を以て短歌に傾倒していい。(昭和56年8月号)

どれもこれも、良い言葉だなと思う。
おそらく、短歌は一生をかけるに足るものだと70歳を超えた佐太郎は言っているのだ。

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2016年11月08日

印象に残っている島

これまでに行ったことのある島で、印象に残っている島をいくつか挙げてみよう。

○天売島・焼尻島(北海道)
 貝や魚など食べきれない量の夕食が出た民宿。レンタサイクルで
 島を一周した。

○舳倉島(石川県)
 海女が漁をする島として有名。灯台の上に登らせてもらって、島を
 一望した。

○中ノ島(島根県)
 隠岐にある島。宿の風呂にカエルがいた。カラフルなヒオウギガイ
 のバーベキュー。

○男木島・女木島(香川)
 桃太郎伝説のある洞窟。魚やタコなど食べきれない量の夕食が
 出た民宿。

○大久野島(広島)
 島のいたるところにウサギがいる。毒ガス資料館と砲台跡は戦争
 遺跡として必見。

○黒島(大分県)
 大分に住んでいた時に、海水浴をするために渡った。島で泳ぐの
 は気持ちいい。

○端島(長崎県)
 通称、軍艦島。長崎港から船で行ったのだが、波が高くて上陸で
 きず。残念。

○新島(鹿児島県)
 佐藤佐太郎の歌に詠まれた島。現在は住む人もなく、分校跡は
 廃墟になっている。


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2016年11月07日

第4回古今伝授の里・現代短歌フォーラム

昨日は岐阜県郡上市の古今伝授の里フィールドミュージアムで行われた現代短歌フォーラムを聴きに行った。敷地の周辺は紅葉が始まったところ。

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第1部は「小瀬歌論の魅力を語る」。

後藤すみ子、鈴木竹志、平井弘の3名が、小瀬洋喜の歌論や人柄についての話をした。小瀬さんについては岡井隆さんとの私性をめぐる議論くらいしか知らなかったのだが、岐阜の歌壇にとって非常に重要な方だったことがよくわかった。

現在、和歌文学館では「小瀬洋喜の歌論―短歌的な世界からの脱出と回帰」と題した展示も行われており、同人誌「斧」「核」をはじめ多数の貴重な資料が公開されている。

第2部はパネルディスカッション「今、短歌評論家のなすべきこと」。

佐佐木幸綱、小塩卓哉、川本千栄、山田航、寺井龍哉、鈴木竹志(司会)という現代短歌評論賞受賞者を中心とした顔ぶれ。鈴木さんの巧みなさばきと佐佐木さんの適切なアドバイスもあって、短い時間にもかかわらず良い議論であった。

平井さん、山田さん、寺井さんとは初対面。
懇親会ではいろいろと話ができて楽しい一日だった。

  P1050301.JPG

posted by 松村正直 at 18:49| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月06日

斎藤潤著 『ニッポン島遺産』

著者 : 斎藤潤
実業之日本社
発売日 : 2016-07-30

日本には6852の島があるらしい。その中から、礼文島、八丈島、小豆島、屋久島、西表島など40の島を取り上げて、祭や民俗、文化、産業、自然、名産品などを紹介した本。

島の様々な魅力を紹介するだけでなく、著者は新たな活用方法の提言もしている。

戦没者慰霊公園を整備して、明暗併せもつ硫黄島の歴史を学ぶ場にできないか。ジャンボ機が離発着できる巨大な空港もあるのだから、貴重な領土の利用をもっと考えてはどうだろう。(硫黄島)
閉山時にぼくが夢見たツアーが、現実のものとなったのだ。期日や人数に制限があるし、さすがに立坑を降りることもできないが、元炭鉱マンがガイドするということもあって、かつての炭鉱の様子を堪能できるだろう。(池島)

カラー写真がふんだんに使われていて楽しい。
眺めていると、あちこちの島に行きたくなってくる。

2016年8月10日、実業之日本社、1600円。

posted by 松村正直 at 07:16| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

馬場あき子著 『寂しさが歌の源だから』


副題は「穂村弘が聞く馬場あき子の波瀾万丈」。
角川「短歌」2013年10月号から2014年10月号にかけて連載された「馬場あき子自伝―表現との格闘」に加筆修正したもの。

穂村さんのインタビューに答える形で、生い立ちから戦時中の青春時代、短歌との出会い、「かりん」創刊、今後の短歌についてなど、かなり率直に語っている。

どの雑誌も創刊のころというのは元気で、楽しいものです。だから、いつも創刊号を出すつもりで編集すべきなんです。

良い言葉だなあと思う。マンネリにならないように、常にフレッシュな気持ちであり続けるということだろう。

六十過ぎたらもう自分自身との対話だけがたよりですよ。
歌人は歌を作る以外、ないのよ。それで、毎日、歌を作る。

シンプルな言葉が胸に響く。表現する人だけが持つ深い孤独が感じられる。

馬場さんの人生や作品の奥に潜むものが、十分に伝わってくるインタビューであった。聞き手の穂村さんの力も大きい。

2016年6月25日、角川書店、1800円。

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2016年11月04日

事務所フェスタ

11月23日(祝)に京都の塔短歌会事務所にて、「事務所フェスタ」というイベントを行います。どなたでも参加できますので、お気軽にお申込みください。

各プログラムともに、まだまだ席が空いております。参加を希望する方は、松村まで連絡して下さい。メールアドレスはチラシの左下に載っています。

 事務所フェスタ.png

(大きなチラシが見られます)
事務所フェスタ.pdf

posted by 松村正直 at 19:52| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月03日

坂口裕彦著 『ルポ難民追跡』


副題は「バルカンルートを行く」。

シリアの内戦やアフガニスタン、イラクなどの治安の悪さから国を逃れ、ドイツなどヨーロッパの国々を目指す人々。その実態を描き出すために、あるアフガン一家に密着取材したルポルタージュである。

難民や移民という「記号」ではなく、「生身の人間」の予想がつかない行動や垣間見せる表情こそが、事態の核心を映し出すはずだ。

という考えのもと、著者はギリシアで出会ったアフガニスタン人の家族(夫婦と4歳の娘)に同行取材する。ギリシア、マケドニア、セルビア、クロアチア、スロベニア、オーストリアを経てドイツへ。

その取材の中で見えてくるのは、これまでの「難民」のイメージとは少し違う風景である。

「新難民」「新移民」とでも、こちらが呼びたくなるほど、スマートフォンを巧みに操り、画一的な行動パターンを見せる人々は、まさにインターネットの申し子だ。

多くの難民がたどったバルカンルートはどのようにして生まれ、その後どのような変遷をたどったのか。難民排斥を訴えるハンガリーや、ユダヤ人の大量虐殺への反省から憲法で難民の庇護権を認めているドイツの歴史も取り上げながら、著者は考察を深めていく。

「生身の人間」の姿に迫ろうとした本書の一番の驚きは、あとがきの最後に書かれていることかもしれない。著者もまた当然のことながら一人の「生身の人間」であったのである。

2016年10月20日、岩波新書、840円。

posted by 松村正直 at 12:46| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

橋本喜典歌集 『行きて帰る』

2012年から2016年までの作品566首を収めた第10歌集。
老いの歌や人生の感慨の滲んだ歌、さらに戦争の記憶や近年の危うい社会状況なども積極的に詠んでいる。

点滴の四時間余り電子辞書に遊びてわれに知識増えたり
レントゲン技師の合図はこの今を働く声にてわれは従ふ
勇往邁進のごとき構へに歩み来る「健康のため」の老人怖し
理髪店の大き鏡の虚像より抜けきたるわれいづこへ行かむ
蝸牛のごときを耳に装着しあやしげに聞く万物の音
昨夜(よべ)の窓風を怺へてありしかど急げる雲を映せり今朝は
雪を積む土の中にて木草の芽音たててをりわが耳は聞く
早蕨を清らに濡らし夜の明けをわが精神の川は流るる
牛乳壜二度洗ひして乳色のうすきくもりは透き通りたり
この雨も聞えないのときかれたりざあざあ降つてゐるのかときく

2首目、「この今を働く声にて」がいい。仕事をしている人の声。
4首目、散髪の間ずっと鏡に映っていた私から、私が離れていく。
5首目、補聴器の歌。
7首目、実際の物音のことではないが、確かに聞こえるのだ。
8首目、何ともかっこいい。こういった表現ができるのも短歌の大きな魅力である。
10首目、耳の聞こえが悪いことも、素敵な歌になる。小雨なのか、ざあざあ降りなのか。

他にも、長歌「わが「歎異抄」体験」が凄味があって良かった。
「八十七歳書斎を建つるただ一度そして最後の贅沢として」という歌もあり、いくつになっても前向きな心を失わない作者である。

2016年11月11日、短歌研究社、3000円。

posted by 松村正直 at 08:19| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月31日

伊藤桂一さん

『蛍の河』『静かなノモンハン』などの戦場小説で知られる作家、伊藤桂一さんが亡くなった。99歳。

以前、軍馬についての文章を書いた際に、伊藤さんの『私の戦旅歌とその周辺』を随分と参考にさせていただいた。伊藤さんは戦時中、騎兵聯隊の一員として中国大陸を転戦された方で、短歌も詠まれている。

騎兵の乗馬法は、上手に乗ることではなく、長く、怪我をさせずに乗ることである。作戦間に馬が脚を痛めたり、鞍傷を起こしたりすると、どうしようもなくなる。鞍を置く時には、馬の背と鞍下毛布との間に異物(それがきわめて小さな塵でも)がはさまれていないかどうかに細心の注意をする。

こうした細かな点などは、実際に体験した人にしか書けないところと言っていいだろう。

耳もてば耳持たせつつ頸(くび)を寄すこの馬といて征旅を倦(う)まず
曳光弾馬の鬣(たてがみ)とすれすれに迫りくるなり遮二無二駈くる
馬は草を食(は)みつつもふと耳を上ぐ聞きそらすほど遠き砲声
                   『私の戦旅歌とその周辺』

ご冥福をお祈りします。

posted by 松村正直 at 20:56| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月30日

北方領土のこと

12月のプーチン大統領の訪日を前にして、北方領土問題に何らかの進展があるのではないかといった報道があり、注目している。

と言っても、領土問題自体に関心があるわけではない。現実的に考えて、4島が一括で戻って来るなどということはあり得ないと思う。そもそも日本が主張する「日本固有の領土」といった表現は、いかにも島国の発想であって、国際的には何の力も持たないだろう。国境線は「動く」ものだ。

北方領土にしても、もとはアイヌの住む土地であり、「日本」の支配下に置かれたのは1855年の日魯通好条約以後のことでしかない。そこから1945年の敗戦まで90年。戦後のソ連・ロシアによる支配は既に71年に及んでいる。これで「日本固有の領土」などと言ってみても、仕方のないことだ。

それよりも私が期待するのは、何らかの妥結が図られて、北方領土に自由に行けるようになることである。現在、「政府は、日本国民に対し、北方領土問題の解決までの間、北方四島への入域を行わないよう要請しています」(外務省HPより)という状況で、元島民やその親族、マスコミ関係者などを除いて、原則として北方領土へ渡ることはできない。

「北方領土へ行ってみたい」
それが私の願いである。

昭和16年7月に、歌人で国会議員の吉植庄亮は北千島視察団の一員として千島を訪れ、帰りに択捉島にも寄っている。

択捉(エトロフ)までかへり来りて蒲公英もおだまきも百合も花ざかり季(どき)
流(ながれ)なす鯨の血潮なぎさ辺の波をきたなく紅くそめたり
夏駒といふは勢ふ若駒の駈り移動する五六十頭の群
                   『海嶽』

択捉島で見た捕鯨と野生馬の光景である。
この歌が詠まれてから75年。
今ではどんなふうに変っているのだろうか。

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2016年10月29日

沼尻つた子歌集 『ウォータープルーフ』


「塔」に所属する作者の第1歌集。

どの空も再びは無く大いなる鏃(やじり)を為して渡り鳥ゆく
あらかじめ斜めのかたちの登山用車輛は平野を走ること無し
一頭の若鹿の鼻濡れ続く個人蔵なる油彩の森に
つむじからつまさきまでをひと盛りの泡に洗われ、ぴゅうと尿す
履歴書を三味線として流れゆく瞽女(ごぜ)であるなり派遣社員は
伊那谷の底(そこい)に白き川はあり吾を産む前の母を泳がす
淡雪のようなる埃をぬぐいたり半年を経し義援金箱
黙禱時に目を閉じるなと指示のありレジの金銭担当者には
ゼッケンの2の尾を伸ばし3と書く去年の娘の青き水着に
口元のω(オメガ)ぴるぴるうごめかし丸き兎は青菜を食めり

1首目、「大いなる鏃」という比喩に力がある。二度と同じ空はない。
2首目、ケーブルカーの車両は山の斜面を上下するだけだ。
4首目、赤ちゃんを洗っているところ。結句が可愛らしい。
5首目、派遣社員という立場の悲哀とともにプライドも感じる。
6首目、若き日の母の肢体を想像して、美しくなまなましい歌。
7首目、「半年」しか経っていないのに人々の心は急速に冷めていく。「淡雪」と「埃」の落差が胸に響く。
9首目、小学2年生から3年生になったのだろう。「尾」という捉え方がいい。
10首目、「ω」という比喩、「ぴるぴる」というオノマトペが絶妙。

父の死、離婚、東日本大震災、空き巣、再婚など、「出来事」の多い歌集であるが、詠み方には十分な工夫があって、単なる報告に終っていない。総合誌や「塔」に載った連作もだいぶ手を入れ、歌数も削っているようだ。

文法的に気になったのは「子の見あぐ一樹となりて陽のもとに葉を鳴らしたし いつかの五月」「見えぬもの不検出なる表かかげ開かるプールに小枝の浮かぶ」「植物油インクに刷らる広報の活字は草の種の大きさ」など。それぞれ「見あぐる」「開かるる」「刷らるる」と連体形にすべきところではないだろうか。

2016年9月7日、青磁社、1700円。

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2016年10月28日

「レ・パピエ・シアンU」2016年10月号

特集「佐藤佐太郎を読む」に大辻隆弘さんが書いている評論「冗語のちから」が良い。佐太郎短歌のかなり本質的な部分に迫る内容だ。

短歌は、短い歌、と書く。が、実際に歌を作る時、短いと感じる事はほとんどない。短歌はいつも長すぎる。

これは、ある程度短歌を続けてきた人には、よくわかる感覚だろう。初心者の頃はぎゅうぎゅうに言葉を詰め込んで、それでも31音に入り切らなかったりするのだが、短歌に慣れてくると逆に31音は長すぎるくらいなのだ。

大辻は佐太郎の歌によく出てくる「あるときは」「おしなべて」「おほよそに」「あらかじめ」「ひとしきり」「をりをりに」「おのづから」などを例に挙げて、次のように言う。

佐太郎は「何も足さない言葉」を実に豊富に駆使する歌人である。彼はそれを「冗語」と呼んだ。ほとんど意味を付与しない言葉を一首のなかにサラリと挿入する。それによって歌が驚くほどのびやかになる。
歌の叙述内容は、極限まで削ぎ落とす。省略を利かせ、事象のエッセンスだけを精錬する。その上で、そこに出来た間隙に何でもない、ほとんど意味内容のない、しかし、調べの美しさを醸し出す「冗語」を入れる。

非常に鋭い指摘であり、短歌にとって大切なことを言っている。

カルチャーセンターで短歌を教えていると、「結句が要らない」といった批評をすることがしばしばある。四句目までで意味としては十分ということだ。けれども、そう指摘すると、生徒さんは元の結句の代わりに得てしてさらに不要な結句を持って来ようとする。

特別な意味を持たない言葉で字数を埋めるというのは、実はけっこう難しいことなのだ。

posted by 松村正直 at 18:24| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月27日

角川「短歌」2016年11月号

穂村弘さんの「熱い犬」31首が、何だかおもしろい。
(以下、ネタバレあり。まだ作品を読んでいない方はご注意下さい)

熱い犬という不思議な食べ物から赤と黄色があふれだす夏

1首目。ホットドッグからはみ出す原色のケチャップとマスタード。

海からの風きらめけば逆立ちのケチャップ逆立ちのマスタード

5首目まで来てまるで答え合わせをしているみたいに、この歌がある。「逆立ちの/ケチャップ逆立/ちのマスタード」の句跨りが効果的。

さっきまで食べていたのに上空を旋回してるホットドッグよ

7首目。突然、ホットドッグが空を飛ぶ。なぜ???

そして、ホットドッグのことなどすっかり忘れかけていた31首目(最後の歌)になって

僕たちの指を少しも傷つけずホットドッグを攫っていった

おお! 鳥(トンビ?)に持って行かれたわけか! だから「旋回してる」んだ。

7首目から31首目へ、こんなに間を空けて話がつながることにグッと来た。

posted by 松村正直 at 23:03| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

沖ななも歌集 『日和』

2010年から14年にかけて発表された527首を収めた第10歌集。

唇の乾けば熱の身も乾く棒鱈のように寝ているばかり
会ってからのあれやこれやを想像し会えばどれともちがうなりゆき
ケータイを開きしままに居眠ればケータイも眠るわが掌(て)の中で
色あせて捨てんとしたるブラウスの小さな染みもともに棄てんか
公孫樹(いちょう)の実小さきを一つ見つければつぎつぎと増ゆ目にみゆる青
何気なく履くスリッパにどことのう右ひだりありて履き替えている
一つ死をまなかに置きて蜘蛛の巣は秋の光の中にかがやく
羊の毛ぬぎて水鳥の毛のなかにもぐりぬ朝まで眠らんために
五百年千年立ちて立ちつづけ杉の木ついに天に届かず
三色ペンのまず黒が減り赤が減り残れる青を使わずに捨つ

1首目、熱で寝込んでいる時の歌。「棒鱈」という比喩が強烈だ。
3首目、ケータイの画面が暗くなっていたのだろう。
4首目、何か思い出のある染みなのかもしれない。「捨てん」「棄てん」と字を使い分けている。
5首目、一つ見つかると目が慣れて、他の実も見えるようになる。
7首目、蜘蛛の巣にかかった獲物を「一つ死」と言ったのがいい。
8首目、技巧的な歌。ウールの服を脱いで羽根布団の中に入る。
10首目、インクは同じ量だが三色同時になくなることはない。

2016年5月25日、北冬舎、2200円。

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2016年10月25日

事務所フェスタ

11月23日(祝)に塔短歌会事務所にて、「事務所フェスタ」という
イベントを行います。参加申し込みの締切は11月5日(土)です。
塔の会員でなくても参加できますので、お気軽にどうぞ。

ちなみに私は「プログラムC」の吟行&歌会を担当します。
紅葉の京都御苑を一緒に散策しましょう!

 事務所フェスタ.png

(大きなチラシが見られます)
事務所フェスタ.pdf

posted by 松村正直 at 20:40| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月24日

書けたも同然

評論などの文章の依頼があって、まだ1字も書けていないのに次号予告に自分の名前が載っていたりすると、非常に憂鬱な気分になる。

そんな時は、以前ある人から聞いた「引用する歌が決まったら8割方書けたも同然」という言葉を思い出す。たとえ文章が書けていなくても、文中に引用する歌が見つかればもう大丈夫というわけだ。

確かに、書こうとする文章について考えていて、何かヒントが見つかったり、切り口を思いついたり、構想が固まったりしていく段階で、実際は既にだいぶ進んでいるのだ。

例えば6000字の原稿を書く場合、「進捗率50パーセント」というのは3000字が書けた時ではない。体感で言えば、文字を書き始めた段階で既に50パーセントくらいは進んでいるのである。

つまり、まだ1字も書けていなくても、頭の中であれこれ考えたり、散歩したり、ご飯を食べたり、風呂に入ったりしている間に、見えないところで着々と作業は進んでいるわけだ。

・・・そう思って、自らを励まし、慰める日々。

posted by 松村正直 at 18:51| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする