2016年12月07日

映画 「聖の青春」

監督:森義隆
原作:大崎善生
脚本:向井康介
出演:松山ケンイチ、東出昌大、染谷将太、竹下景子、リリー・フランキーほか

1998年に亡くなった棋士 村山聖(さとし)をモデルにした物語。羽生善治(1970年生まれ)や村山らの「羽生世代」は自分と同世代ということもあって、非常に親近感がある。

20キロ増量して撮影に臨んだという松山ケンイチの熱演も良かったし、師匠の森信雄役のリリー・フランキーも良い味を出していた。

MOVIX京都、124分。

posted by 松村正直 at 06:35| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山野井洋と幼児(その4)

「ポドゾル」昭和14年4月号には、山野井洋の「四月集への挨拶」という文章も載っている。その中で、山野井は盟友である九鬼左馬之助(雲心学人)について、こんなふうに書いている。

 浄が入院中電報でご病状を見舞つて下すつた時
 コワバレルアコノテアシヲサスリツツ、クキセンセイハ、ハルカナリケリ
と病状に添へて御返電申上ましたが、実はとつおひつ思ひ悩んで次の文言を控へたのでありました。
 ワレ一セウノネガヒナリ、ヒカウキニテオイデコフ
しかし、今は打てば良かつた、おいで願へずとも諦めがついたであらうと話し合つてゐます。かへりみれば手ちがひばかりして死ぬべからざる子を死なしめました。

九鬼は樺太庁立豊原病院長を務める医師であった。樺太から東京までは随分と遠い。九鬼も忙しい身である。それでもなお、病気の子を診てもらうように頼めば良かったという後悔である。

もちろん、九鬼が診たところでおそらくは助からなかった命であろう。でも、子を亡くした親としては、「あの時、ああすれば、こうすれば」と、どうしても考えてしまうのだ。それが悲しい。

 神の寄託といへば適切でせうか、浄は立派な稟質を有つた子でありました。私ごとに死なしめてはならぬ子であつたとの思ひが肉身別離の感情の中に消すことが出来ずにをります。
 九鬼博士診(み)てたまひなば死なぬ子ぞ確信をもちて思ふなり今も
は歌にはならぬと思ひますが、ありのままの心であります。

九鬼先生に診てもらっていたらと考えることは、山野井をさらに苦しめたかもしれない。けれども、同時にそれは山野井にとって一種の救いでもあったように思うのである。

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2016年12月06日

山野井洋と幼児(その3)

必死の看病の甲斐もなく、山野井の子は2歳に満たない命を終えてしまう。「ポドゾル」昭和14年4月号には「幻の幼児」と題する山野井の作品10首が掲載されている。

光さす北のみどり野(ぬ)肩はばのたくましき子をしかとい抱きぬ
手ごたへのたしかなりしも夢なれや高あげし吾子(あこ)わが手になしも
子が逝きて四十九日のあけがたに命ある子を抱きし夢を見ぬ
病みてより門歯にはかにのびて見ゆ吾子(あこ)のあはれは妻にはいはず
春来(く)とも草は萌ゆとも我が家(いへ)に病みやつれたる妻と二人(ふたり)ぞ
いやいやと臨終(いまは)のきはに泣きたりしあはれを思ひ真夜に泣くかも

一連は夢の場面から始まる。「光さす北のみどり野」には生命力が溢れている。けれども、そこに出てきた子はもう亡くなっているのだ。

残された妻と二人きりの日々。折しも季節は春を迎えようとしている。けれども、愛する子はもうこの世にいない。

死ぬ間際にまるでいやいやするかのように泣いた子。近代短歌には子を亡くす親の歌が数多くあるが、山野井の歌も哀切きわまりない。

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2016年12月05日

山野井洋と幼児(その2)

その後、山野井の妻と幼児も東京に移り、三人の暮らしが始まったようだ。けれども、幼児は病気にかかり入院する事態となる。

「ポドゾル」昭和14年1月号に、山野井洋は「生命の苦闘」という文章を書いている。全文を引こう。

 十二月八日以来四十度の熱を出してゐる幼児の痛み声を聞きつつ本号を編輯した。
 急性肺炎と中耳炎と脳症を併発して慈恵医大付属東京病院の一室に、生きてゐるのが不思議と医師のいふ小さな生命の苦闘を看つつ、ただに慟哭するばかりである。
 本号がお手許に届く頃、この幼児の運命がどうなつてゐるであらうか? 生長途上の我がポドゾルが、かやうな私事に足踏してはならないが、新年を期してのいろいろのプランも、何も出来るものではなかつた。
 眠つてゐないのと十分の後をはかれぬ我が子にひかれる思ひがもつれて、何を書いてゐるか分らない、昭和十三年十二月十九日午前一時の私である。

何と悲痛な文章であろうか。

「坊や、坊や」と呼び掛けていたのは、わずか半年前のことである。その二歳にもならない幼児が、今は四十度の熱が続いて命の危機を迎えている。そんな中で山野井は「ポドゾル」を編集し、この文章を書いたのだ。

今から78年前の冬の夜のことである。

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2016年12月04日

山野井洋と幼児(その1)

「ポドゾル」の創刊は昭和12年6月。その一年後の昭和13年6月に、山野井洋は雑誌「樺太」の東京支社長として東京に赴任する。

妻と前年に生まれた幼い息子を樺太に残しての上京であったようだ。「ポドゾル」昭和13年8月号に山野井は「郷愁通信」と題して、次のような文章を書いている。

 豊原駅で抱つこして別れて来たばかりであるのに、どうしてかうも思はれるのであらう。微風に光る海の上に、幼な児の笑顔が見えるのである。
 坊や、坊や!
 坊や、坊や、坊や!
海に向つて呼べば、海の光と涙の中に坊やが浮んで来る。
 人により、環境により、子を思ふ心の深浅はあらうが、親心のかなしさが、このやうにはげしいものであらうとは――。

  汝(なれ)の顔海に見ゆるぞ波まくら音(ね)にさへ泣きて汝(な)を思ふ父ぞ

子を思ひつつ甲板に立てば、能登呂半島の稜線が海霧(がす)にかすんでゐる。

「能登呂半島」は樺太の南西端に伸びる半島。樺太から北海道へ渡る連絡船の上で、別れたばかりの息子を思い出して涙している姿である。何度も繰り返される「坊や!」という呼びかけがせつない。

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2016年12月03日

『樺太を訪れた歌人たち』


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『樺太を訪れた歌人たち』、販売中です。
アマゾン、三月書房(京都)、葉ね文庫(大阪)などにあります。

わが家にも在庫がありますので、注文を受け付けております。
masanao-m@m7.dion.ne.jp までメールして下さい。
代金は2500円(送料無料)。振込用紙を同封して送ります。

かなりマニアックなテーマですが、内容には自信があります。
樺太については私のライフワークとして、今後も引き続き調べていきたいと思っています。

posted by 松村正直 at 16:28| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

現代歌人集会秋季大会!

明日12月4日(日)13:00〜、アークホテル京都で現代歌人集会秋季大会が開催されます。

大辻隆弘さんの基調講演、阿木津英さんの講演「芭蕉以後のうた〜玉城徹を考える」、第42回現代歌人集会賞授与式(虫武一俊歌集『羽虫群』)などが行われます。

当日受付で1500円を払えば、どなたでも参加できます。
皆さん、ぜひお越しください。

(クリックすると大きくなります)
現代歌人集会秋季大会2016A.jpg

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2016年12月02日

松村英一の樺太旅行

昭和12年の松村英一の樺太旅行については、『樺太を訪れた歌人たち』の「松村英一と国境線」に詳しく書いた。今回、それを補足する資料が見つかったので、引いておこう。

「樺太」昭和12年9月号の編集後記の山野井洋の文章より。

松村、柳田両氏を案内して国境へ、大泊へ、遠淵湖へ八眺嶺を越へ(ママ)て真岡へ、小沼へ、連日汽車自動車の強行軍、夜は歓迎の宴に時の経つのを忘れるといふ一週間あまりの旅は、近頃たのしい旅でしたが、この旅行前の十日ばかりを殆んど眠つてゐないやうな繁忙の中に身を置いたので、両氏を見送ると一時に疲れが出て厠に失神するやうなひどい痔出血、むし暑い真夏の夜を足をあたゝめなければ寝つくことが出来なかつた。

山野井が松村英一と柳田新太郎を案内して、樺太各地を回ったことがわかる。

もう一つは同じ号の「吸取紙」という情報欄から。執筆者は不明。

長浜郵便局長村松輝太郎氏は奥鉢山の宣伝にキチガヒのやうに努めてゐるが、先頃歌人松村英一氏を案内して、東海岸の愛朗岬かけて富内、池辺讃、和愛、遠淵の五湖を眺め中知床、能登岬と左右に開ける雄大な景観は
「富士五湖なぞとは比べものにならん立派なもので、交通の便が開ければ必ず有名になりますよ」
と折紙をつけられて嬉しくてたまらず。
「是非先生のお歌で天下に紹介して下さい」とたのみこむ。先の樺太庁林業課長今見氏も樺太の景観の中であれほど綜合的なものはないと賞めてゐた。
 
いわゆる「奥鉢五湖」の光景である。松村英一がこの景観を詠んだ歌は、後に奥鉢山に歌碑として建てられた。

その歌碑の現状を何とかして知りたい。もし、台座だけでもいいから、何か痕跡が残っているのなら、その調査のためにもう一度サハリンを訪れたいと思っている。

posted by 松村正直 at 21:53| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月01日

「ポドゾル」昭和14年4月号

「樺太短歌」も「ポドゾル」も、誌面は内地の結社誌とほとんど変わらない。一例として、「ポドゾル」昭和14年4月号の目次を載せておこう。

松村英一がゲストとして作品10首を寄せている。
松村は昭和12年に「ポドゾル」の山野井洋や九鬼左馬之助らの招きで樺太を訪れており、それ以来、付き合いがあったのだろう。

 目次 ポドゾル・第三巻・第四号・昭和十四年四月

 表紙絵 一ツ葉翁草・・・・・船崎光治郎
 扉絵・・・・・・・・・・・・・山本善市

 片品川小吟(短歌)・・・・・・松村英一(四)

 四月集(短歌)・・・・・・・・・・・・(六)
    蝦夷島にて・・・・・・九鬼左馬之助(六)
    幻の幼児・・・・・・・・・山野井洋(六)
    同じく・・・・・・・・・・平原みち(七)
    戦線のあけくれ・・・・・・山内京二(八)
    上京・・・・・・・・・・山口辰三郎(一〇)
    春雪・・・・・・・・・・・林 霞江(一一)
    病間記録・・・・・・・・・眞田光良(一二)
    雪山・・・・・・・・・・・小田真一(一三)
 四月集への挨拶(短歌)・・・・山野井洋(一五)
 雲心山房雑信(二十三)・・・・雲心学人(一八)
 万葉集解義異説・・・・・・・・藤井尚治(二〇)
 ポドゾル集(短歌)・・・・・・・・・・(二四)
    細井たま 澤田貞子 矢田部崇 小暮葉
    中西竹詞 松村初枝 南太郎 奥山龍禅
    廣谷千代太
 ポドゾル集に寄す(短評)・・・・・・・(二四)
 郷愁通信(南支戦線より)・・・山内京二(二七)
 北満開拓譜(短歌)・・・・・・・・・・(三二)
    平山美泉 窪田金平 塩澤準得 吉澤千代
    鈴木壽子 三木太郎 登坂裸風
 開拓譜に寄せて(短歌)・・・・山野井洋(三二)
 ポドゾルの帯(通信抄)・・・・・・・・(三四)
    鷲津ゆき 登坂裸風 阿部悦郎 柳田新太郎

 題字・裏表紙カツト・・・・・菅原道太郎


posted by 松村正直 at 17:24| Comment(7) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月30日

「ポドゾル」!

昨日は全国樺太連盟の本部へ。

最寄り駅は「六本木一丁目」。近くには外務省飯倉公館やロシア大使館などがあり、あちこちに警備の人や車を見かける。東京に住んでいた頃にも行ったことがないエリアだ。

今回は樺太連盟が保存している資料の中から、短歌関係のものをいろいろと見せていただいた。


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まずは「樺太短歌」。
昭和14年9月号、15年1月号、15年7月号。


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続いて「ポドゾル」。
昭和14年1月号、4月号、8月号。

5年くらい探し続けて実物を見たのはこれが初めて。
感激の初対面である。

posted by 松村正直 at 23:24| Comment(2) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月29日

東京へ

今日は、東京で開かれる授賞式へ行く。

・第3回佐藤佐太郎短歌賞 大辻隆弘『近代短歌の範型』
・第4回現代短歌社賞 山本夏子「空を鳴らして」300首

おめでとうございます。

大辻さんの本のタイトルにある「範型」は広辞苑にも載っていない言葉だが、パラダイムの訳語である。パラダイムと言った方が、むしろわかりやすいかもしれない。

東京は22歳まで住んでいたのでよく知っている町のはずなのだが、この頃は気持ちが身構える感じになる。アウェイな感じがしてなかなか寛ぐことができない。

今日は授賞式の前に全国樺太連盟の本部に寄って、戦前の樺太で発行されていた「樺太短歌」や「ポドゾル」などの短歌雑誌を見せていただく予定。

東京には父や兄夫婦もいるのでたまには顔を出そうかとも思うけれど、なかなかそうも行かないのが人生である。

posted by 松村正直 at 08:26| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月28日

名前

今朝の新聞に画家の島田章三氏の訃報が載っていた。

絵には詳しくないのだが、この名前は知っている。
歌人の島田修二の弟だ。

「修二」「章三」と名前があれば、当然、兄がいることもわかる。
島田修二の兄・陽一は海軍中尉で昭和19年に戦死している。

水漬きつつ死にたる兄よ死なざりし我は戦後の海に佇ちゐる
               『渚の日々』

死者の記憶を抱えつつ生きる戦後とは、どのようなものだったのだろうか。

posted by 松村正直 at 12:54| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月26日

お知らせ

■砂子屋書房のHPの「日々のクオリア」で、佐藤弓生さんが『樺太を訪れた歌人たち』に触れて下さいました。ありがとうございます。

http://www.sunagoya.com/tanka/?p=15628

「ひとつのアプローチになることはわかりました」の「は」が重い問い掛けになっている。「ちょっとため息まじり」もその通りで、樺太について考える時には常に負の歴史の側面が伴う。

■中西亮太さんのブログ「和爾、ネコ、ウタ」で、「六花」VOL.1に私が書いた「ツンデレからデレデレへ」を取り上げていただきました。ありがとうございます。

http://crocodilecatuta.blog.fc2.com/blog-entry-325.html

「六花」は六花書林が刊行した雑誌。良い意味でバラエティ豊かな文章が集まっている。定価700円。http://rikkasyorin.com/syuppan.html
皆さん、どうぞお読みください。

posted by 松村正直 at 10:40| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

金原みわ著 『さいはて紀行』

京都の書店でよく行くのは「丸善京都本店」「ジュンク堂京都店」「大垣書店烏丸三条店」。近年、書店はどこも経営が大変なようで、文具やコミックの売場が広がるなど、私にとって魅力のある本屋が減っている。「ブックファースト京都店」「大垣書店四条店」なども、そういう意味で行かなくなってしまった。

そんな中にあって「ふたば書房京都マルイ店」は、売り場面積は小さいながらも品揃えがユニークで、しばしば足を運ぶ。本書もふたば書房の入口付近の一番良い場所に都築響一さん推薦といったポップ付きで平積みにされていたのであった。

この本の著者は全く知らなかったのだが、都築響一『珍日本紀行』を愛読している私は迷わずに買った。そして、実に良い本であった。こうした出会いは嬉しい。

内容は以下の通り。

・性のさいはて (芦ノ牧温泉)
・罪のさいはて (和歌山刑務所白百合美容室)
・水のさいはて (淀川河川敷、ピカソの家)
・異国のさいはて(タイのゴーゴーボーイズ)
・食のさいはて (団欒亭のゴキブリ食)
・宗教のさいはて(キリスト教看板総本部)
・夢のさいはて (熱海銀座劇場)
・人のさいはて (祖父の葬儀)

いわゆる珍スポット巡りなのだが、文章が抜群にいい。面白おかしく読んでいくと、最後にほろっとさせられたりする。著者自身の感情の動きや起伏がダイレクトに読者に伝わってくるような文体だ。

解説に都築響一が

若者の書く文章がダメなのではなくて、文字の多くがもう活字ではなくディスプレーで読まれる時代にあって、文章の書きかた自体がすでに往年の「名文」とは異なる次元に突入しつつあるのではないかと、ウェブ上で自分の文章を発表しながら、つくづく思う。

と書いている。これは、けっこう大事な問題であろう。

2016年5月10日、シカク出版、1000円。

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2016年11月24日

事務所フェスタ御礼

昨日は塔短歌会事務所開所5周年記念の「事務所フェスタ」へ。

朝8時半に事務所について、9時から11時まで「朝から歌会」(参加者18名)、11時から16時まで「京都御苑&御所吟行」(参加者22名)、その後、サテライト会場の「こどもみらい館」に行き、18時半からは事務所で飲み会。終了したのは22時過ぎ。

埼玉、千葉、福岡、金沢など遠方から来られた方、他結社の方や無所属の若い方も参加されて、賑やかで刺激の多い一日だった。

参加して下さった皆さま、スタッフの方々、ありがとうございました。

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posted by 松村正直 at 07:58| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

「短歌往来」2016年12月号

あちこちで短歌に関する文章を書いているが、こちらの意図がうまく伝わらないことも多い。

「短歌往来」12月号の評論月評に田中教子さんが次のように書いている。

「角川短歌」二〇一六年十一月号には「創作における装飾」と題する特集が組まれている。この「装飾」は「虚構」と同義にとらえられ、事実(リアリズム)か虚構(反リアリズム)か、という方法論への問いかけとなっている。
先ずリアリズム肯定派は、松村正直氏と楠誓英氏である。

えっ、と読んでいてびっくりしてしまう。

「角川短歌」で私は、一番最初に「事実か虚構かの二分法」に疑問を呈し、

事実と虚構とはそんなに明確に分けられるものなのだろうか。

と書いた。「そもそも芸術というものは、すべて事実と虚構の微妙な境界の上に成り立っているものである」とも書いた。

それなのに、勝手に「リアリズム肯定派」に分類されてしまうのだ。そういう単純で図式的な分類こそ、私が一番排除したかったものであるのに。

こういう反応を読むと、文章を書くことが何だか虚しいことのような気がしてしまう。

posted by 松村正直 at 20:11| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

湯川秀樹著 『湯川秀樹歌文集』


日本人初のノーベル賞受賞者 湯川秀樹の随筆と歌集『深山木』(473首)を収めた本。文章にも歌にも味わいがあって、戦前育ちの人の教養の幅広さを感じさせられる。

一世代は本当に短かいものである。時は小川の水のように流れる。川の底に残るのはただ幾つかの小石である。美しい小石、人はこれを思い出と呼ぶ。
外形がはっきりしていて、心の奥は暗くてわからないのが普通であるのに、ここでは、明暗が逆になっている。この逆転によって、比類のない美しい世界を創造し得ることを、紫式部は千年の昔に発見したのである。
天の羽衣がきてなでるという幸運は滅多に来ない。一度もそういう幸運に恵まれずに一生を終わる人の方がずっと多いであろう。しかし、だからといって、そういう人の人生は無意味であったとは限らない。

他にも印象的な文章が多いのだが、中でも五人兄弟のうち一人だけ学者にならずに戦死した弟滋樹(ますき)を偲ぶ「大文字」という一篇は心に沁みる。

短歌は平明でわかりやすい歌が多い。

落ち暮れし田圃に立てば窓々の明るさのせて汽車はすぎゆく
湧き出でし煙動かずと見てあれば空にたなびき犬の首となる
バスはまた人なき里を行きてとまり女(をんな)降りけりそこは一つ家(や)
先生はいまだ帰らず春の日を松の木(こ)の間(ま)に少しある海
ひとりきてひとりたたずむ硝子戸の中の青磁の色のさびしさ
  (ナポリにて)
見あぐれば窓に人あり綱(つな)の先のざるをおろして物買はんとす
おじいちゃんしかしと二歳児はわれにいひてあとははははと楽しげに笑ふ

湯川秀樹は戦後、新村出、吉井勇、川田順、小杉放庵、中川一政らと「乗合船」という短歌同人誌を出していたらしい。そのあたり、一度調べてみようと思う。

2016年10月7日、講談社文芸文庫、1600円。

posted by 松村正直 at 19:00| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月19日

京都御苑と御所

来週の事務所フェスタで京都御苑&御所の吟行をするので、下見に行ってきた。

塀に囲まれた旧皇居が「御所」、その周りに広がる公園が「京都御苑」なのだが、京都の人は全体を指して「御所」と言うことが多い。

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京都御苑の紅葉。

一面に真っ赤に染まった庭などよりも、こんなふうに緑や黄色やオレンジや赤など、いろいろな色がある方が個人的には好き。良い感じに色づいている。

昨年まで、御所は春と秋の決められた時期にだけ一般公開されていたのだが、今年の夏から通年公開となっている。

御所に入るの初めて。と言っても建物の中に入るわけではなくて、紫宸殿や清涼殿などを外側から見たり庭園を楽しんだりするのである。

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これは御所の中の紅葉。

思ったよりも歩く距離が長く見どころも多い。予定通りの時間で終るか少し心配だが、何とかなるだろう。23日も良い天気になりますように。

posted by 松村正直 at 07:13| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

「塔」2016年11月号(その2)

すべり台使わんとして登る娘の少し死者へと近づく高さ
                    鈴木四季

下句に驚かされる。地面に立っている時よりも少しだけ死者に近いという感覚。落ちたら危険ということも含めて、何となく納得させられる。

人生はあなたなしでも続くから盆の終わりに小さく泣くよ
                    大橋春人

どんなに掛け替えのない人の死であっても、残った人の人生はその後も続いていく。「泣く」ではなく「泣くよ」なのがいい。

輪郭のぱりりと軽い鯛焼きに口をあてては熱を食みゆく
                    小田桐夕

鯛焼きを食べているだけの歌だが、「輪郭のぱりりと軽い」「熱を食みゆく」という修辞が的確で、必要十分な歌に仕上がっている。

その死からもっとも遠き日の顔で叔母が笑えり写真のなかに
                    菊井直子

まだ元気で生き生きとしていた頃の写真が遺影となっているのだろう。反対に言えば、亡くなる前はそういう姿ではなかったということだ。

どちらかと言えば仕事の愚痴を聞く側で積まれる枝豆の鞘
                    山口 蓮

愚痴をこぼす方も大変だが、聞く方も大変である。作者は性格的にいつも聞く方になってしまうのだろう。「枝豆の鞘」の空虚感。

posted by 松村正直 at 08:25| Comment(1) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月17日

「塔」2016年11月号(その1)

沈む陽は窓より深く射し入りて冷蔵庫の把手しばし耀ふ
                   田附昭二

夕方の陽ざしが家の奥まで射し込んで来て、金属の把手部分を美しく光らせている。その輝きはやがて消えてしまうものだ。

少女とわれの夏の時間はみじかくて西瓜の種をならんで飛ばす
                    石井夢津子

「少女」はお孫さんだろうか。ありふれた何気ない場面。でも、それが掛け替えのない時間であることを作者は知っている。

客二人乗務員一人ゴンドラは霧に見えざるロープを下る
                    久岡貴子

「客二人」は作者と連れの人なのだろう。唯一の頼りであるロープが見えないことの不安と楽しさ、そして浮遊感。

倒木の覆ふ流れを汲みて飲む木の香を帯ぶる冷たき水を
                    富樫榮太郎

「木の香を帯ぶる」がいい。山の中のきれいな流れなのだろう。歩き疲れた身体に鮮烈にしみてくる。

肢そろへ横腹見せて寝ねてをり殺されやすき姿で犬は
                    野 岬

よく見かける光景であるが、下句にハッとさせられる。確かに、横腹を見せるというのは、野生の動物とは違う無防備な姿なのだ。


posted by 松村正直 at 09:47| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする