2017年01月21日

週末

今日は10:00から塔短歌会事務所で編集企画会議。
今後の誌面や全国大会、会計業務の委託先の変更などについて。
12:00終了。
隣りのタイ料理店「バンコクガーデン」で昼食。

13:00から京都旧月歌会。
参加者33名。
今回から歌会のやり方が少し変わった。
17:00終了。

その後、「ワールドコーヒー」で社員総会事務局についての打合せ。
いよいよ4月に一般社団法人塔短歌会が発足するので、それに
関する事務作業の分担等を決める。
18:30終了。

明日は10:00から「みやこめっせ」で文学フリマ京都の準備。
11:00に文学フリマ開始。
13:00から向かいのロームシアター京都で「塔」2月号の再校と
3月号の割付作業。

17:00に終了して、その後は新年会へ。
・・・う〜ん、好きなことばかりやっているなあ。


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2017年01月20日

「現代短歌」2月号(その2)

もう一つ感じたのは、沖縄に関する特集で樺太の話を出してもらえたことに対する喜びである。沖縄と樺太では全く関係ないと思う人もいるかもしれない。でも、歴史をさかのぼり、近代国民国家としての「日本」の成り立ちを考えれば、沖縄と樺太にはいくつもの共通点がある。

例えば、『樺太を訪れた歌人たち』の最初の「北見志保子とオタスの杜」の中で、私は北方少数民族に対する現在の目から見れば差別的な意識や扱いについて触れた。本の中に載せた当時の絵葉書には「オロツコ土人」というキャプションが付いている。

この「土人」という言葉は、昨年大きな話題となった。今回の特集の中でも何人もの歌人が、沖縄で警備にあたる機動隊員が「土人」という言葉を発した問題を歌に詠んでいる。つまり、戦前の樺太で起きていた出来事を国家の「中央―周辺」という問題として捉え直せば、それは現在の沖縄の問題にもつながってくる話なのだ。

私は「戦前」の「樺太」について調べているけれど、それは単に過去の、既に終ってしまった、現在とは無関係のことをほじくり返すということではない。すべては現在に深くつながる問題として興味を持っているのである。

昨年末に新聞の取材を受けた時もちょうどそういう話をしたところだったので、今回の光森さんの文章をとても嬉しく読んだのであった。

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2017年01月19日

「現代短歌」2月号(その1)

「沖縄を詠む」という特集が63ページにわたって組まれていて、じっくりと読んだ。この特集については、また別の場所で書こうと思う。

ここでは一点だけ。
光森裕樹さんの文章の最初に僕の名前が出ているのに驚いた。

松村正直がサハリンを訪れたことを知ったのは、昨年の夏だった。樺太についての連載が「短歌往来」で展開されていた頃から、その情熱が松村を現地に導く予感はあった。それが実現したということが頭の中を一日中巡り、夜更けになって急に涙が溢れた。

ええっ! 何で泣いているの? とびっくりする。
光森さんとは特に親しい間柄でもなく、批評会などの場で何度か会ったことがあるだけだ。

でも、光森さんの2ページの文章を読んでみて、いろいろと自分なりに納得するところがあった。

一つは、光森さんも書いているように、私は『樺太を訪れた歌人たち』という本を書いただけでなく、自分もまた「樺太を訪れた歌人たち」の一人になったのだな、ということである。これは、今回言われてみて初めて気づいたことだった。

短歌には、きっとこんなふうに人を動かす力があるのだろう。詠む人や読む人の心を動かすだけでなく、実際に人の身体を動かし、人生を動かすことがある。短歌はそれだけの力を持っているのだ。(つづく)

posted by 松村正直 at 23:09| Comment(2) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月18日

白石あづさ著 『世界のへんな肉』


ネットの連載「世界一周“仰天肉グルメ”の旅」に加筆修正して書籍化したもの。http://otonano-shumatsu.com/column_list/gyotenniku.html
これまでに100以上の国や地域を旅してきた著者が、世界各地で食べた様々な肉について記している。

水牛(インド)、ラクダ(エジプト)、キリン(ケニア)、リャマ(ペルー)、アルマジロ(グアテマラ)、雷鳥(スウェーデン)、ビーバー(リトアニア)、カブトガニ(中国)など、国や食材もいろいろで、一つ一つのエピソードも楽しい。

元がネットの連載ということもあって、文章は軽快で短い。それぞれの国の歴史や文化、民俗といったところまで踏み込んだ話が読みたい気もするのだけれど。

2016年10月30日、新潮社、1200円。

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2017年01月17日

河北新報「うたの泉」

1月15日の河北新報の「うたの泉」で、駒田晶子さんに歌を引いていただきました。
http://www.kahoku.co.jp/special/spe1174/20170115_01.html

それ以上言わない人とそれ以上聞かない僕に静かに雪は

第1歌集『駅へ』に入っている歌で、今から20年前、函館に住んでいた頃に詠んだものです。

週末は京都もちょうど雪で、15センチくらい積もりました。

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2017年01月16日

『ポケモンの神話学』 のつづき

「ポケモン」の生みの親であるゲームクリエイター田尻智さんは東京都町田市で少年時代を過ごしている。その生活環境はポケモン誕生にも大きく関わっていたらしい。本書で引かれているインタビューの中で、田尻さんは次のように語っている。

田尻 町田はその頃、名前だけは東京都のうちってことになっていましたけれど、まだまったくの郊外の田舎で、広々とした田んぼや森が残っていたんです。ぼくはそういうところで育って、田んぼや森で虫を取ったり、ザリガニを飼育するのが好きな子どもでした。
田尻 ぼくの住んでいた町田も、急激な変化をおこして、都市化して、土がどんどんなくなっていきました。田んぼや森があったところが造成地になって、つぎつぎに家が建てられていきました。

ああ、そうだったのかと、個人的にとても納得するところがあった。私も町田市で少年時代を過ごしたので、こうした話が自分自身の体験としてよくわかるのである。田尻さんは私より5歳年上であるが、育った環境には共通点が多い。

以前、私の兄が書いた文章の中から、私の育った地域の様子を引いてみよう。http://nora-yokohama.org/reading/archives/2009/0701000009/

家から高級住宅街を抜けると、里山があるはずでした。この坂を登り切ると、そこには畑が拡がっているはずだ、と思って歩くと、そこは住宅地になっていました。この坂を下りていくと、そこにはぬかるんだ湿地があるはずだ、と思って歩いていくと、やはりそこも住宅地になっていました。
かつて、私の町の周りは東西南北どこへ行っても、田畑や雑木林が拡がっていました。友だちと一緒に自転車を飛ばし、普段遊び慣れている町を越えると、カブトムシを取る雑木林や、ザリガニを釣り、オタマジャクシをすくう谷戸がありました。

少年時代の暮らしの近くにあった田畑や雑木林。それらはやがて開発のために失われてしまったのだが、今でも私の記憶の深くに眠っている風景である。ポケモンというゲームが私にとってどこか懐かしい感じがするのは、なるほどそういう理由だったのだ。

posted by 松村正直 at 20:49| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月15日

中沢新一著 『ポケモンの神話学』


副題は「新版 ポケットの中の野生」。

2004年に新潮文庫から刊行された『ポケットの中の野生 ポケモンと子ども』に加筆修正し、新たな序文を収録したもの。昨年の「ポケモンGO」の大ヒットを受けて、20年前に出た本(単行本は1997年の刊行)が新装版になって登場したわけだ。

と言っても、単なる便乗商法というわけではない。本書には「ポケモンGO」の登場を予言するような内容も含まれているのである。

私がじっさいにこのゲームについて話をしてみた子どもの何人かは、『ポケモン』に夢中になりだしてからというもの、近所にあるちっぽけな藪や公園の草むらから、ふいに「ポケモン」みたいな変な生き物が飛びだしてきそうな気配を感じるようになって困った、と話をしてくれた。この子どもたちにとっては、ゲーム機の中でおこっていた「多神教的感覚」が、そのまま現実の町の中で働きだしてしまったのである!

ゲームの世界と現実の世界が融合する。ポケモンというゲーム自体が、もともとそうした可能性を秘めていたということなのだろう。

それにしても、レヴィ=ストロースの「野生の思考」など人類学や神話学の理論によって、ポケモンというゲームを分析するというのは魅力的な試みだ。学問は本棚に埃をかぶっているものではなく、今の社会や暮らしを生き生きと解き明かすものなのだ。

RPGの旅に出た主人公の心の構造と、道の途中でそれに襲いかかってくる敵対者とは、もともと同じ本質を持ったもので、ただあらわれ方がちがうというだけで、いっぽうはエロスと呼ばれ、もういっぽうがタナトスと呼ばれることになっている。
宇宙創造以前の力が、ことばによって物質性に執着をおこすと悪魔が生まれる。その反対に、ことばによって知性化を果たすと天使になる。悪魔と天使は、このようにもともとは同じ存在なのだ。
贈与される品物には、贈り主の人格の一部がかならず付着している。品物と人格が一体となって、じつは贈与品というものはできあがっているのである。

2016年10月20日、角川新書、800円。

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2017年01月14日

『樺太を訪れた歌人たち』 再版の予定


『樺太を訪れた歌人たち』が amazon で売り切れており、書店でも入手が難しくなっているようです。今月末に再版される予定ですので、しばらくお待ちください。

わが家にまだ少し在庫がありますので、早く入手したいという方は、masanao-m@m7.dion.ne.jp (松村) までご連絡ください。
よろしくお願いします。

posted by 松村正直 at 19:23| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月13日

馬場昭徳歌集 『風の手力』

2009年から2013年までの作品548首を収めた第4歌集。

坂と墓と馬鹿ばつかりの長崎の春の坂道ゆつくりのぼる
昭和二十年八月十日と刻まれし祖父の命日指もて撫でつ
貸し借りは借りへと傾きやすくして貸し借りのなきわれと樟の木
足元の闇の深さは思ふなく十階までを引き上げられつ
健康に悪きことすべてやめたりしその生活を思ひみてみよ
この国に四季あることの楽しくて季節の変り目ごとに風邪ひく
血を止めるための凝固を始めたり血であることを血はやめながら
丸餅の一個なれども新年といふ時を得て喉に喜ぶ
太陽の光と月の光では届く速さが違ふと思ふ
歩道になつたり車道になつたり公園になつたりしながら自転車で行く

1首目、音の響きの楽しい歌。地元長崎への愛を感じる。
2首目、原爆で亡くなった祖父。即死ではないところに、むしろ痛ましさを覚える。
3首目、飄々とした感じが良い。ユーモアも作者の持ち味。
4首目、もしもエレベーターの床が透明だったら、相当怖いだろう。
5首目、そんな生活はつまらないだろと言っているのだ。
6首目、上句から下句への展開に意外性とユーモアがある。
7首目、ただごと歌的な面白さのある歌。液体の血が固体に変化する。固まってしまうともう血ではない。
8首目、「喉に」の「に」が絶妙。
9首目、月の光の方がスピードが遅く感じられるのだろう。実際はもちろん同じ速さであるのだが。
10首目、文体が面白い歌。「歩道を通ったり」でなく「歩道になったり」としたのが良い。4句目までと結句とにねじれがある。

作者は長崎に住み竹山広に師事した人。一昨年、長崎で現代歌人集会の大会が開かれた時にお会いしたが、パネリストとして竹山広の歌を次々と暗誦するのが印象的であった。懇親会の席で「少なくとも300首は覚えていなくちゃ、師事なんて言えないよ」ともおっしゃっていた。

2014年3月30日、なんぷう堂、1200円。

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2017年01月12日

内田樹・釈徹宗著 『聖地巡礼リターンズ』


副題は「長崎、隠れキリシタンの里へ!」。
聖地巡礼シリーズ第3弾。

「長崎市中心部」「長崎市出津(しつ)・黒崎地区」「京都・大阪」と3日間にわたってキリシタン関連の場所を訪れた旅の記録。

キリスト教の布教や受容、弾圧などの歴史、さらには信仰や身体、グローバリズムの問題など、様々な話題をめぐって示唆に富む話が展開する。

内田 日本のアメリカに対するアンビバレントな感情って、社会心理学の教科書に出したいぐらいの典型的な症候ですよ。
内田 殉教することで列聖されて、末永く人々の崇敬の対象となるっていう想像はたぶん強烈な快感をもたらすものなんでしょうね。
 コアに強い宗教性があって、周りにそれを取り巻く芸能やアートがあって、その外側にさらにお土産などを売る観光施設がある。強い宗教施設があるところはその三重構造があるんですが(…)
 世界にブッダの遺骨とされているものはたくさんあって、全部合わせると巨大な人間になっちゃうそうです。
内田 「お国自慢」も「お国なまり」も「国境(くにざかい)」も、日本語の「国」の使い方の多くは幕藩体制における藩のことです。

長崎で処刑された二十六聖人は、もともと京都や大阪で捕まった人たちである。耳を削ぎ落とされ、長崎まで徒歩で連行された彼らの姿を想像すると胸が痛くなる。

長崎を案内した地元の下妻みどりさんが随所に長崎愛に溢れるコメントを述べているところも、深く印象に残った。

2016年12月1日、東京書籍、1600円。

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2017年01月11日

「海遊館」吟行

まだ先の話ですが、5月11日(木)にJEUGIAカルチャーセンターの講座で、「海遊館で短歌を詠む」という吟行を行います。

http://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-23431.html?PHPSESSID=01cporjt6lv54ktpiv0tc2sap1

どうぞ、ご参加ください。

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2017年01月10日

染野太朗歌集 『人魚』


2010年から2015年までの作品を収めた第2歌集。

抱きしむる力に抱き返されたきを浅くながるる五月の水は
さびしさに呑み込まれつつ今ぼくはカリ活用を板書する人
しがみつくあれはぼくだな新宿の高層ビルの窓のひとつの
まっ白なカップの縁(ふち)にこびりつくカフェラテの泡 これは悔しさ
種をはずし皮をはがしてアボカドを切る感情はつねに正しい
ぼくの汗をとんぼが舐める舐めながら白い卵をなお産みつづく
生徒らがいっせいに椅子を持ち上げて机に載せるわが指示ののち
ひとり来て曲げれば秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー
聞いてる? と聞かれてちょっとうれしきを君が卵を溶く指速し
憲法ゆしたたる汗に潤える舌よあなたの全身を舐む

1首目、相手と自分の思いの強さがうまくつり合わないさびしさ。
3首目、窓拭きをしている人と読んだ。何かにやっとしがみついて生きている自分。
5首目、確かに感情は往々にして理性よりも正しい結論を導く。
6首目、実景のような、幻想のような、奇妙な生々しさがある。
7首目、掃除をするだけなのだが、「いっせいに」「指示」というところに、軍隊のような危うさが潜んでいる。
8首目、曲がるストロー。「ぷぷぷぷ」というオノマトペがいい。
10首目、政治と性を重ね合わせて詠んだ一連。古くからある手法だが、新たな可能性を感じる。

ネガティブな感情や胸の奥に潜む感情をどのように表現するかという点に注目・共感しながら読んだ。「充足」「舌」という二つの連作が特に印象的。

2016年12月31日、角川書店、2600円。

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2017年01月09日

『〆切本』

著者 : 夏目漱石
左右社
発売日 : 2016-08-30

締切に関するエッセイ、手紙、日記、マンガ、研究など、計94篇を集めたアンソロジー。

夏目漱石、志賀直哉、江戸川乱歩、松本清張、手塚治虫、大澤真幸、小川洋子ら、近代以降の作家、マンガ家、評論家がそれぞれの立場から締切の苦しみや対処法、さらには効用などを書いている。

締切に直接関わらない部分もおもしろい。

実際、一つのセンテンスにうっかり二つの「て」切れが続いても、誰でも作家は後で皮を斬られたやうな痛さを感じるものである。
               横光利一「書けない原稿」
生きている人間の見た言葉にも通わせ、そこからいつでも人間が生きている世界にまた戻ってくることが出来るのでなければ、言葉が相手の商売も大して意味がない。
               吉田健一「身辺雑記」
書きたいという主題があっても、それを適当にひっかける一つのイメージがつかまらないと、どうしても筆をおろせない。
               遠藤周作「私の小説作法」
仕事にかかるのは気迫だが、仕事をし終えるには諦めが必要である。大論文を書こうと思ったら決して完成しない。
               外山滋比古「のばせばのびる、か」
いまの私が、どうやら、自分の段取りをつけられるようになったのは、戦争中に徴用され、芝浦の工場で旋盤工をしていたときの経験が基本になっている。
               池波正太郎「時間について」

ものを書く時の心構えや考え方など、参考になる話がたくさん載っている。

奥付を見ると、「印刷・製本 創栄図書印刷株式会社」とある。「塔」の印刷をお願いしている会社だ。

2016年9月20日、左右社、2300円。

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2017年01月08日

光森裕樹歌集 『山椒魚が飛んだ日』


現代歌人シリーズ13。
2012年から2016年までの作品371首を収めた第3歌集。

ヴィオロンのG線上を移動する点Pとして指ひかりゐつ
カメレオンに見せてみじかき吾が舌は風にすこしく乾きゐたるも
成分は木星にちかいときみが云ふ気球を丘の風に見てゐつ
みづのなかで聞こえる声は誰の声こぷりと響(とよ)めばぷこりと返し
性別が名を産むあさな性別を名が産むゆふな風を見てをり
つよく捺す判に張りつき浮きあがる手術同意書 はがれてゆきぬ
あやまたず父となるべし蕪の葉を落してまろき無を煮込みつつ
0歳を量らむとしてまづ吾が載りて合はせぬ目盛を0に
眸(まみ)ふかく映してやりし遠花火に教へてゐない色ばかりある
本島を沖縄と呼ぶ離島にも離島はありて其の離島にも――

1首目、バイオリン奏者の指の動きを、まるで数学の問題のように捉えているところが面白い。
3首目、気球の中にあるガスの成分の話。
4首目、宮沢賢治の「やまなし」を思い出す。
5首目、「生まれてくる子が男だったら〇〇、女だったら△△」と2つの名前を考えることがあるけれど、男女で名前が違うというのもよく考えれば不思議なことだ。
7首目、「蕪」から草冠を除くと「無」という言葉遊び。
8首目、抱っこする自分を器のように捉えて、いわば風袋引きをしているところ。
10首目、「中心―周辺」の関係性というのは、「本土―沖縄」だけでなく実は何層にも積み重なっているのである。

結婚、石垣島への転居、子どもの誕生など、境涯を反映した内容の歌が多くある。特に子どもを詠んだ歌は、質・量ともにこの歌集の中心をなしている。

歌集のタイトルは、ペットの「ウーパールーパー」を持って飛行機に乗ったことにちなんだもの。「ウーパールーパー」がメキシコサラマンダー(メキシコサンショウウオ)という山椒魚の一種であることを初めて知った。

李白の漢詩、ゲーテの「ファウスト」、トレミーの48星座、ネーナの楽曲など、幅広い教養を活かして工夫を凝らした連作が多い。連作を構成する意識の強い作者と言って良いだろう。

2016年12月21日、書肆侃侃房、1900円。

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2017年01月07日

橋本崇載著 『棋士の一分』


副題は「将棋界が変わるには」。著者は現役8段の棋士。
「一分」は「いっぷん」ではなく「いちぶん」=「一人の分際。一身の面目、または職責」(広辞苑)である。

将棋界ではソフトの不正使用疑惑により竜王戦の挑戦者が変更になるという大きな事件が起きたばかり。当然、便乗商法のようにも感じられるのだが、中身の大半は事件以前のものである。

事件の経緯については本書に記されているが、著者がツイッターで「1億%クロ」と発言したこと(その後、取り消し)や、その後に新たな展開(第三者委員会による裁定はシロ)があったこともあり、何とも後味が悪い。

それ以外に取り上げられているのは、コンピュータ将棋の問題、将棋連盟の運営の問題、斜陽化する将棋界の問題など。いずれも真面目で真っ当な話であり、著者の危機感や改革への思いはよく伝わってくる。

コンピュータ将棋の歴史は、お金が絡んでいなかったなら始まらなかったものだった。
将棋連盟の運営に関して、四十代、五十代の棋士たちのほとんどの人が何も言わない、何も動かない。
将棋において指し手は有限だ。それをいかに無限であるかのように見せるかが棋士の役割の一つであるはずなのに、それとは真逆の方向に向かっている。

こうした指摘には納得させられる。

その一方で、具体的なデータや数字的な裏付けに乏しく、有効な打開策が示せていないことが、本書の弱点であろう。檄文として読むには面白いが、具体的な改革の道筋はよく見えてこない。

2016年12月10日、角川新書、800円。

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2017年01月06日

カルチャーセンター

大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
興味のある方は、どうぞご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
  A組 10:30〜12:30
  B組 13:00〜15:00
   *奇数月を松村が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作」 毎月第3金曜日
   A組 11:00〜13:00
   B組 13:30〜15:30
   *偶数月を松村が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーセンター千里セルシ― 06−6835−7400
 「はじめての短歌」
  毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンターKYOTO 075−254−2835
 「はじめての短歌」
  毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00

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2017年01月05日

北方領土問題と樺太

先月、ロシアのプーチン大統領が来日したが、北方領土問題について特に進展は見られなかった。残念なことである。

実は、この北方領土問題は樺太とも深い関わりがある。

一つは、ロシアの行政区分において、北方領土は樺太と同じ「サハリン州」に属しているという事実である。サハリン(樺太)と北方領土の間には船や飛行機の定期便が就航し、人々や貨物が行き交っている。

 サハリン州旗.png
 (サハリン州旗)

もう一つは、北方領土も樺太も帰属が確定していないという共通点である。日本で発行されている地図において、南樺太(北緯50度以南)と千島列島(ウルップ島以北)は白抜きとなっていることが多い。

 img04.gif
 (外務省のHPより)

これは、1951年のサンフランシスコ講和条約によって日本は南樺太と千島列島に関する権利をすべて放棄したものの、この条約にソ連・ロシアは加わっておらず、「南樺太及び千島列島の最終的な帰属は未定である」というのが日本政府の公式見解であるからだ。

これは、戦後70年以上が過ぎた今も変っていない。ロシアとの平和条約が結ばれるまでは、4島の帰属が決まらないだけでなく、南樺太や千島列島も実は「帰属は未定」の状態に置かれているのである。

この「帰属は未定」という、いわば宙吊りの状態に置かれてきたことこそが、樺太が近くて遠い場所になってしまった一番大きな理由なのだろうと思う。

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2017年01月04日

河出書房新社編集部編 『やまとことば』


1989年に河出書房新社より刊行された単行本『ことば読本―やまとことば』を再編集したもの。

副題は「美しい日本語を究める」、帯にも「日本人の心にひびく大和言葉の秘密」とあって、何だかなあと思うのだが、内容は日本語に関する上質なエッセイや論考のアンソロジーである。

丸谷才一、大岡信、田辺聖子、井上ひさし、森鴎外、柳田國男、山本健吉ら18篇の文章が載っていて、どれも面白い。

個人としての好みを言えば、私は考えるという言葉よりは思うという言葉の方が好きである。考えるという言葉は何か理性的で冷く、鋭く、そして狭くひびく。思うという言葉は茫洋としていて、それで何かあたたかく深いような感じがする。
            宮柊二「「思う」という言葉」
実は「あはれ」という言葉は、古くは「アファレ」と発音されていた。その「ファ」を強めると「アッパレ」になるんですね。つまり「あはれ」が示す感動を明るいほうの意味に寄せて――感心した、賛成だ、お見事だという場合は、「アッパレ」になったんです。
            大野晋「感動詞アイウエオ(対談)」
『日本書紀』を訓読しえたとき得られたものは、原文の意味に対応するとして再建された日本語であっても、『日本書紀』を書いた人々の頭にあったものと同じであるとはいえまい。
            山田俊雄「日本語語彙―固有語と外来要素」
若し現代の語が、現代人の生活の如何程微細な部分迄も、表象することの出来るものであつたなら、故らに、死語や古語を復活させて来る必要はないであらうが、さうでない限りは、更に死語や古語も蘇らさないではゐられない。
            折口信夫「古語復活論」

「故らに」は「ことさらに」。

どの人の論も切れ味が良いので、読んでいて刺激的である。

2003年3月20日発行、2015年7月30日新装版発行、河出文庫、680円。

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2017年01月03日

つながり、つながる

『樺太を訪れた歌人たち』を出版したことをきっかけとして、新たな資料が見つかったり、新たな知り合いができたり、少しずつつながりが増えている。

今日も奇跡のような出会いがあった。

図書館に通ったり、資料を読み込んだり、古本を買ったり、マイクロフィルムのページを追ったりしているのは、きっとこんな瞬間の喜びのためなんだろう。

これが、どれだけ凄い出会いであるかということは、たぶん私自身にしかわからない。どんなに説明してみたところで、興味のない人には「はっ?」「それで?」と一蹴されるようなことなのである。

私のこの踊り出さんばかりの興奮をそのままに伝えられる言葉があれば良いのだけれど。

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2017年01月01日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。
良いことも悪いこともいろいろ起きる一年にしたいと思います。

短歌雑誌の1月号に、下記のものを書いています。

・「記憶について」20首(「現代短歌」1月号)
・「おとうと」30首(「短歌研究」1月号)
・櫟原聰著『一語一会』書評「口語短歌の文法」(「短歌往来」1月号)
・歌壇時評「方言、共同体、死者の声」(角川短歌」1月号)
・講演ファイル「佐藤佐太郎の火山の歌」(「現代短歌新聞」1月号)

1月号から飛ばし過ぎだな。
どうぞお読みください。

posted by 松村正直 at 07:45| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする