2019年05月10日

伊藤洋志×pha著 『フルサトをつくる』


副題は「帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方」。

和歌山県の熊野の民家を自分たちで改修してシェアハウスにした2人が、都会と田舎の二拠点居住の良さやこれからの時代の生き方について記した本。「フルサト」は自分の生まれ故郷のことではなく、ふるさと的な安らぎが得られる場所といった意味で使われている。

全体が7章に分かれていて、

 第1章 フルサトの見つけかた(pha)
 第2章 「住む」をつくる(伊藤)
 第3章 「つながり」をつくる(pha)
 第4章 「仕事」をつくる(伊藤)
 第5章 「文化」をつくる(pha)
 第6章 「楽しい」をつくる(伊藤)
 第7章 フルサトの良さ(pha)

という構成になっている。真面目な感じの伊藤と緩い感じのphaと、考え方が同じわけではないが、基本的な方向性は一致している。

高齢化したエリアでは、草刈りができる人がいるだけでも貴重である。なんなら日本全国高齢化していくこの時代においては、生きているということだけでどこでも特技になる。(伊藤)
現代人は「で、年収いくら?」みたいな話に注目しがちだが、「で、あなたの自給力はどんぐらい?」と聞く人はいない。ここは今ノーマークである。(伊藤)
現代社会が何かとお金がかかるのは、サービスの交換に中間の人が増えすぎたのが一因だが、直接交換ができればだいぶ交換コストが下がる。(伊藤)
その時自分がいる場所によって思考の内容が変わるということをよく考える。東京にいるときは東京で起きていることが日本の全てのような気がするけど、熊野にいるときは東京のニュースを聞いても「なんか遠くでいろいろやってるらしいな、こっちには関係ないけど」って感じになる(・・・)(pha)

2人の柔軟な思考と自由な姿勢にとても励まされる一冊であった。
(いや、まあ、僕も十分に自由なんですが)

2018年7月10日、ちくま文庫、740円。

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2019年05月09日

川野里子歌集 『歓待』

kawanosatoko.jpg

第6歌集。

巻頭に「フィルムを巻き戻すように時間を遡り、ひとつの、命に出会いたいのだ。」という一文があり、母の死を詠んだ連作「Place to be」から始まって逆編年の構成となっている。

 母死なすことを決めたるわがあたま気づけば母が撫でてゐるなり
 なんにもないところですよと言ふ人と青銅のやうな太平洋見る
 那智の滝シャッターに捉ふそののちを少しゆらぎて滝立ち直る
 駅前の楠木切られ忽然と深井となりし夏空ひらく
 黒いタクシー白いタクシー集ひてはつぎつぎ動くオセロのやうに
 駅前の裸婦像は子供産みしことある体なり雨に濡れつつ
 包帯を巻かるるやうに丁寧に和紙に覆はれねぷた暴るる
 いはゆる、一人の、老人のやうに杖をつき謝るやうに母は歩み来
 ひとりふたり手紙返せぬままの人こころに延泊してもらひつつ
 酸素マスクの中に歌はれ知床の岬は深き霧の中なり

1首目、母の延命処置を断った後の歌。「死なす」が重い。
2首目、「青銅のやうな」という比喩が印象的。
3首目、シャッターを押す瞬間動きを止めた滝が再び動き始める。
4首目、木の無くなった後の空間を井戸に見立てている。
5首目、駅前の乗り場で客待ちをするタクシーの列。
6首目、同じ裸婦像でも体型は様々だ。
7首目、勇壮なイメージのねぷただが、木と針金と和紙でできている
8首目、いかにも老人という感じになった母の姿。
9首目、返事を書こう書こうと思いつつ書けないのだ。「延泊」がいい。
10首目、病床の母が歌う「知床旅情」。酸素マスクが曇るのだろう。

2019年4月10日、砂子屋書房、3000円。

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2019年05月08日

第7回現代短歌社賞 作品募集中

現在、第7回現代短歌社賞の作品を募集中です。
http://gendaitanka.jp/award/

個人で歌集を出していない方が対象で、募集作品は300首。
未発表、既発表を問いません。

選考委員は、阿木津英・黒瀬珂瀾・瀬戸夏子・松村正直。
締切は2019年7月31日(当日消印有効)。

皆さん、ぜひご応募ください。
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2019年05月07日

森達也著 『すべての戦争は自衛から始まる』


2015年にダイヤモンド社から刊行された単行本に加筆修正して文庫化したもの。初出は2007年から2015年までダイヤモンド社のPR誌「経」に連載された「リアル共同幻想論」。

全部で20篇の文章が載っているが、著者が繰り返し語るのはタイトルにもある通り「自衛」が「戦争」につながるという認識である。

戦争とは戦争を憎むことだけでは回避できない。戦争を起こしたいと本気で思う指導者や国家など存在しない。ところが戦争は続いてきた。なぜなら人は不安や恐怖に弱い。集団化して正義や大義に酔いやすい。歴史上ほとんどの戦争は自衛への熱狂から始まっており、平和を願う心が戦争を誘引する。

戦争が起きる仕組みをきちんと理解することが、戦争を起さないためには必要なのだ。近年、北朝鮮や中国、あるいはテロの脅威が盛んに言われ続けている。そんな時こそ「集団化」や「熱狂」から距離を置くことが大事になるのだと思う。

2019年1月16日、講談社文庫、720円。

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2019年05月06日

吉岡太朗著 『世界樹の素描』


現代歌人シリーズ25。
237首を収めた第2歌集。

 水面のどこに着地をしようともみずにはりつき流れゆく葉は
 クレーンは夜更けんなるとあらわれてゆうたら町のみる夢やろう
 対岸の陽にねこじゃらし向こうへと渡ればここがむこうになること
 中指のあらん限りを立てている松のさびしき武装蜂起は
 紙切れもにんげんさまも磔にされるときには四肢を留められ
 くちびるの動きを視野のひろがりに見ながらすくう次の一匙
 ねどこへと沈むからだの側臥位は二時間ほどをしずみつづけて
 肩と膝ささえて体位を変えるとき天球がそのひとのまわりを回る
 洞窟でひやしたビール飲む暮れの川には一輪挿しの白鷺
 近づけば水面の家は散りぢりのひかりとなりぬ流れの綾に

1首目、川に落ちた葉が沈まずに流れていく。「はりつき」がいい。
2首目、昼間は街の喧騒に紛れて目立たなかったのだろう。
4首目、松の雌花を、中指を立てるジェスチャーに喩えている。
6首目、食事介助の場面。匙を口に運ぶタイミングが大切だ。
8首目、褥瘡ができないように二時間ごとに体位変換をする。
9首目、「一輪挿しの白鷺」が絶妙。一羽ぽつんと川に立っている。

6〜8首目のような介護の仕事の歌が特に印象的だった。

巻末の「夜を終わらせる」と題する文章は、〈あとがき〉というよりも、冒頭の連作「春になると妖精は」と対になっているのだろう。目次もそのようなレイアウトになっている。

2019年2月20日、書肆侃侃房、1900円。

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2019年05月05日

永田和宏ほか著 『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』


京都産業大学の企画「マイ・チャレンジ」の第5回から第8回(最終回)までの講演・対談を収めた本。前著『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』の続篇で、登場するのは、池田理代子・平田オリザ・彬子女王・大隅良典の4名。

このうち、平田オリザさんの出た第6回は聴きに行った。
http://matsutanka.seesaa.net/article/449424237.html

(池田)女の幸せというものもなければ、男の幸せというものもない。あるのは「自分の幸せ」だけ、幸せというのは絶対的な主観だと信じていましたね。
(平田)ファストフードのマニュアルは、多民族国家におけるコミュニケーション手段の結晶のようなものです。
(彬子)ある時議論をしていた友人に「自分はこう思っているけれど、アキコの意見も面白かったよ」と言われたことがあります。その時、反対意見を述べるのは私の意見を否定しているのではなく、会話をするための手段のひとつなんだと理解することができました。
(大隅)「知る」と「わかる」は別物です。素朴に「あれ?」と思う心を持つと、いろいろなことが実に楽しく見えてくるのではないかと思っています。

それぞれの講演も興味深いし、永田さんとの対談も面白い。十代・二十代の人には特にお薦めです。

2018年2月20日、文春新書、730円。

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2019年05月04日

「梁」96号

九州在住の歌人を中心とした同人誌。全136ページ。
29名の作品15首のほか、評論やエッセイなどの散文が充実している。

・島内景二「小野葉桜を読む―現代人へのメッセージ―」
・中村佳文「牧水の耳―渓の響き「日の光きこゆ」「鳥よなほ啼け」」
・生田亜々子「変身の刻〜石牟礼道子の短歌研究五十首〜」
・山田利博「三種の歌・夕顔の和歌―源氏物語と和歌第二十三回」
・渡邊 円「聖書とともに読む大口玲子(下)」
・吉川良登「写真短歌の魅力と作法に関する一考察」

評論は6篇。これだけ評論が載っている短歌誌はあまり見ない。

生田亜々子の評論は、作家石牟礼道子の文学的な出発となった短歌研究五十首の入選作「変身の刻」(昭和31年9月号)を取り上げて論じたもの。

よく「短歌研究五十首詠」「短歌研究新人詠」などと言われるが、当時の誌面ではどこにも「詠」がついていないので、今回は「短歌研究五十首」とする。

細かな話ではあるけれど大事なところだろう。これだけでも、信頼できる書き手であることがわかる。

雪の夜なれば乾きゆく皮膚をもつ、傷(やぶ)れつゞけしにんげんの裔
扉にてもつれしわれを抜けしとき風がもちゆきしごとき分身

生田は誌面に掲載された全14首を読み解いた上で、『苦海浄土』などの作品に見られる「石牟礼独自の最大の特徴とも言える筆致と同じものがこの短歌研究五十首入選作からもすでに読み取れる」と記す。

ちょうど「塔」4月号の65周年記念評論賞でも、「石牟礼道子『錬成所日記』の第二次世界大戦終戦前後の短歌を考察する」(河原篤子)という応募作を読んだところだったので、石牟礼と短歌の関わりに興味を覚えた。

2019年5月1日、現代短歌・南の会、1500円。

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2019年05月03日

吉川宏志歌集 『石蓮花』 (その2)


髪垂れてむすめの眠る部屋に入りスティック糊をちょっと借ります
早春の道に小さく足縮め花より先に死にし蜜蜂
児洗(こあらい)というバス停の過ぎゆけり百済伝説残りいる道
舟二つすれちがうほどの川にしてすれちがうなら木の軋む音
病むひとは遠くに粥を食べており少し残すと朝(あした)の雨に
二(ふた)しずくずつ減ってゆく目薬のわずかとなりぬ夜の机に
幼な子が顔を出したり見つめれば座席の裏にひゅっと沈みぬ
窓に付くしずくしずくに灯の入りて山裾の町にバスは下りゆく
命なき母のからだに下がりたる尿袋(にょうたい)へ朝の光はとどく
死ののちに少し残りし医療用麻薬(フェンタニル) 秋のひかりのなか返却す

1首目、口語の「ちょっと借ります」がいい。娘に話し掛けている感じ。
2首目、「足縮め」という描写や「花より先に」という把握が決まっている。
3首目、「バス停を」ではなく「バス停の」。車窓を過ぎてゆくバス停。
4首目、川幅の表現が独特。すれ違う舟の動きが見えてきそうな歌だ。
5首目、「遠く」は心理的な遠さだろう。食欲がなくて全部は食べられない。
6首目、わずか二滴ずつではあるが、それでも確実に減っていく。
7首目、電車の前の席に座る子ども。「ひゅっと」に動きが見える。
8首目、車窓に付いた雨粒の一つ一つが町の灯を映しているのだ。
9首目、母の亡くなった朝の光景。生きていた証のように尿袋がある。
10首目、もう使うことのない痛み止めの麻薬。それを返却する寂しさ。

2019年3月21日、書肆侃侃房、2000円。

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2019年05月02日

吉川宏志歌集 『石蓮花』 (その1)


現代歌人シリーズ26。
2015年から2018年までの作品を収めた第8歌集。

パスワード******と映りいてその花の名は我のみが知る
赤青の蛇口をまわし冬の夜の湯をつくりおり古きホテルに
みずからに餌を与える心地して牛丼屋の幅に牛丼を食ぶ
初めのほうは見ていなかった船影が海の奥へと吸いこまれゆく
その命うしなうときに青鷺の脚はそのまま骨となるらむ
かまぼこの工場裏を歩みおり風やみしとき魚臭ただよう
遠くから見る方がよい絵の前に人のあらざる空間生まる
水に揺れる紅葉見ており濃緑(こみどり)のときも映っていたはずなのに
海の場面に変わる映画のひかりにて腕の時計の針を読みおり
金網は海辺に立てり少しだけ基地の中へと指を入れたり

1首目、記号を使った歌。アスタリスクの形を花に見立てたと読む。
2首目、赤がお湯で青が水。うまく調整しないと良い湯加減にならない。
3首目、「幅に」がポイント。カウンター席一人分の幅。
4首目、上句がいい。どこから来たのか、気付いたら既に見えていた船。
5首目、肉がなく骨が剝き出しになった脚であるという発見。
6首目、かまぼこの原料は魚。風が吹いている時にはあまり臭わない。
7首目、絵の前がぽっかり空いている光景が面白い。
8首目、青々と葉が茂っている時期には川に映っていることに気付かない。
9首目、スクリーンが明るくなって腕時計の針が見えるのだ。
10首目、沖縄の米軍基地の金網。指が基地へと侵入している。

2019年3月21日、書肆侃侃房、2000円。

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2019年05月01日

大逆事件

「大逆事件」と言うと普通は1910(明治43)年の幸徳秋水ら12名が死刑になった事件を指すが、戦前に大逆罪に問われた事件は他にも3つある。

 1923年 虎ノ門事件(難波大助が死刑)
 1925年 朴烈事件(朴烈は死刑判決後に恩赦で無期懲役、
        金子文子が獄死)
 1932年 桜田門事件(李奉昌が死刑)

これらはすべて、当時の刑法第73条「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」に該当するとされた事案だ。

おととい、お茶の水女子大学附属中に包丁が置かれた事件で、56歳の男が逮捕された。この男は戦前だったらどんな処罰を受けただろうか。

悠仁さんは皇孫(天皇の孫)ではあるけれど皇太孫(皇嗣、かつ天皇の孫)ではない。ということは刑法第73条には当てはまらない。

調べてみると、刑法第75条に「皇族ニ対シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ処シ危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期懲役ニ処ス」とあった。この条文のうち「危害ヲ加ヘントシタル者」に問われた可能性はある(危害を加える意図はなかったと思うが)。その場合は無期懲役だ。

今回も当然、建造物侵入や銃刀法違反の罪にはなるけれど、相手が誰であったかということで処罰の大きさは変らない。そこが戦前との大きな違いである。
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2019年04月30日

高橋秀次著 『文学者たちの大逆事件と韓国併合』


1910(明治43)年の大逆事件と韓国併合を中心とした近代以降の日本の歴史が、文学者の作品や人生にどのような影響を与えてきたのかを詳しく分析した一冊。

登場するのは、佐藤春夫、与謝野鉄幹、夏目漱石、永井荷風、谷崎潤一郎、小林勝、井上光晴、中上健次、有島武郎、金時鐘、梁石日、金石範、開高健、小松左京、三島由紀夫、村上春樹、大江健三郎など。

柳田国男の『遠野物語』の刊行が、一九一〇年という日本近代史上記憶されるべき年と重なっていたことを想起しよう。周知のように柳田は、自身の民俗学的思考を、「新たなる国学」という自覚のもとに整備していった。
金胤奎(キムインキュウ)を本名とする立原正秋は、両親とも純粋な朝鮮人であることを隠してきた「来歴否認者」であったが、それは文学者には必ずしも珍しいタイプではない。
漱石のテキストでも、同性愛的接触は御法度になっている。その代償行為として、『それから』では「親友の妹」との結婚というテーマが浮上する。それは、男同士の緊密な関係性を担保するための「女性の交換」である。

この「親友の妹」との結婚というテーマは、例えば石川啄木と宮崎郁雨の関係を想起させる。郁雨は啄木の妹の光子との結婚を望んだものの断わられ、啄木の妻節子の妹ふき子と結婚したのであった。

全体に分析が鋭くて面白いのだが、やや図式化し過ぎな点が気になった。また、文章もわかりやすいとは言えない。

三島由紀夫から村上春樹への、文学的パラダイムの移行のポイントには、「在日」性の文学の去就にはおよそ無縁な、戦後社会におけるサブカルチャー的な文化現象、とりわけその「純文学」世界への浸透という問題があった。

こうした一文を理解しようとするだけでも、相当な時間がかかる気がする。

2010年11月15日、平凡社新書、760円。

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2019年04月29日

服部文祥著 『サバイバル登山入門』


「サバイバル登山」=「できるだけ自分の力で山に登ろうとする試み」を続ける著者の書いた実践的な入門書。

全体が「計画を立てる」「装備を調える」「歩く」「火をおこす」「食べる」「眠る」の六章から成り、それぞれ豊富な写真や図解を用いて具体的なやり方を記している。

ヘッドライトやラジオなどの電気製品は持っていかない。携帯電話、GPSはいわずもがな。時計もテントもストーブ(コンロ)も持たず、食料は米と調味料だけ。

夏はイワナを釣り、冬は鹿を撃ち、他には山菜やキノコなどを採って食料とする。そうした過酷とも思える登山を行う根本に「山だけではなく、自分自身を深く体験する」という著者の哲学がある。

登山の自由には道に迷う自由も含まれているのである。
「食べる」とは、自分以外の生物(植物も含む)の一部もしくは全部を身体に入れることである。消化してエネルギーにしたり、肉体にしたりする。ある意味、完全な融合だ。そこにリスクがあるのはあたりまえ。
狩猟行為は大きく三つのことから成り立っている。「出会う、仕留める、解体する」の三つである。なかでも「出会う」までが不確定要素にあふれた狩猟の中心をなす部分であり、時間も労力もほとんどがそこに注がれる。
「なんとなくやばい気がする」とか「なんとなくいい感じ」なんていうときの「なんとなく」は大事にしたほうがいい。

僕自身は山登りも狩猟もしないし、今後もたぶんしないと思うけれど、こういう著者の考え方や姿勢には深く惹かれるものがある。

2014年12月5日、デコ、2900円。

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2019年04月28日

「塔」2019年4月号(その2)

 壁紙を紺碧色に張り替える あなたの嘘がうそでなくなる
                       増田美恵子

上句と下句に明確な因果関係はないと読んだ。壁紙を張り替えたことで気分が変わり、相手の発言に対する受け取り方が変化したのではないか。

 ちちははの諍ふこゑに覚めたりし真夜の向うに聞きし海鳴り
                       栗山洋子

子どもの頃の記憶だろう。両親の喧嘩している声が静かな夜更けの家に響き、外からは海鳴りの音が聞こえる。今も忘れられないもの悲しさである。

 水仙が今年は遅いとまづ言ひて書かれし手紙言ひ訳にほふ
                       高橋ひろ子

水仙の開花が遅いのは単なる事実であるが、そこに言い訳の話を始めようとする相手の姿勢を感じ取ったのだ。「早い」と「遅い」でニュアンスが違う。

 ピサの斜塔を軽くささえるポーズして妻になりたてのわたしが写る
                       冨田織江

ピサの斜塔での記念撮影のお決まりのポーズ。でも、それは今のことではなく新婚当時の写真の話なのだ。「妻になりたて」に歳月の経過を感じる。

 水漏れは水のせいにはあらずして徴用工の苦き汗水
                       永久保英敏

日韓両政府の争いの種になったまま一向に補償などが進まない徴用工問題。その責任は一体どこにあるのかを「水」に喩えて鋭く問い掛けている。

 コンビニより出で来し主治医目の合へばあづきアイスを袋にしまふ
                       川田果弧

店の外に出て今まさにアイスを食べ始めようとしたところだったのだろう。目が合った瞬間の主治医の気まずそうな表情がありありと浮かんでくる。

 黒板の端から端まで数式を書く生徒あり 恋をしてるな
                       鳥本純平

結句の飛躍が印象的な歌。前に出て黒板の問題を解く生徒のいきいきした様子から想像したのだろうか。直感でわかってしまう感じがうまく出ている。

 たけくらべおおつごもりににごりえをちゃんぽんで読む冬休みかな
                       松岡美佳

『たけくらべ』『おおつごもり』『にごりえ』は樋口一葉の小説のタイトル。括弧に入れなかったところが上手い。平仮名表記が効果的に用いられている。

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2019年04月27日

「塔」2019年4月号(その1)

 蟷螂の歩める形に死にて居り歩みゆきつつ死にたるならむ
                       竹之内重信

まるで生きているみたいに立ったまま死んでいるカマキリ。どこかへ行く途中だったのか。死ぬ時はこんなふうに死にたいという作者の思いも滲む。

 ムンクの『叫び』の目から鼻から泡立ちて蓮根天婦羅からりと揚がる
                       橋本恵美

輪切りの蓮根をムンクの「叫び」の顔に見立てたのが面白い。「目から鼻から泡立ちて」にユーモアと怖さがあって、まさに「叫び」という感じがする。

 日常は二択にあふれ「年賀状以外」の穴に月詠おとす
                       田村龍平

年末年始の郵便ポストは「年賀状」と「年賀状以外」に分かれていることが多い。そんな二択を積み重ねるのが生活であり人生なのかもしれない。

 ホールには地元ゆかりの画家の絵が並びいづれも知らぬ人なり
                       益田克行

市民ホールのような場所だろう。全国的によく知られた有名画家ではなく、郷土の画家の絵が飾られている。その少し寂しげな雰囲気が出ている。

 一度きりフェリーで会った仙台の夫婦からの賀状二十九枚目
                       高原さやか

旅行先で乗った船でたまたま出会って話をした相手。その時に連絡先を聞いて写真を送ったりしたのかもしれない。それから二十九年が流れたのだ。

 はげましてほしいだけなのに一緒にかなしんでしまうからな、と子は
                       中田明子

ほとんどすべて子の台詞だけで成り立っている一首。子の悩みに深く寄り添っていたら、痛烈な一言を食らわされたのだ。親としては立つ瀬がない。

ひとりっこにいちど生まれてみたかった エレベーターに運ばれている
                       紫野 春

兄弟姉妹が欲しかったという歌は時々見かけるが、これは反対。上句が印象的で、「いちど」がよく効いている。きょうだいがいる苦労もあるのだろう。

 野兎の糞の一山さらさらと砂糖のように霜が包めり
                       川口秀晴

ころころとした糞が何個かまとまって山になっている。そこに白い霜が降りてキラキラと光っている様子。「砂糖のように」に野生の美しさを感じる。


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2019年04月26日

現代短歌シンポジウム in 京都

今年の「塔」の全国大会は京都で行いますが、初日のシンポジウムは一般公開でどなたでも参加できます。ゲストに、高橋源一郎さん(小説家・評論家)と小島ゆかりさん(歌人)をお迎えします。

日時 8月24日(土) 13:00〜17:00
場所 グランドプリンスホテル京都

  講演 高橋源一郎 「日本文学盛衰史・平成後篇」
  対談 小島ゆかり×吉川宏志 「古典和歌の生命力」

会費 当日   一般2000円 学生1000円
   事前申込 一般1800円 学生 900円

お申込み「現代短歌シンポジウム」参加受付のページ


  現代短歌シンポジウム2019.jpg
    (クリックすると大きくなります)

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2019年04月24日

吉野川市歌人クラブ10周年記念短歌大会

吉野川市歌人クラブ10周年記念短歌大会で講演をします。

日時 2019年11月10日(日)
場所 吉野川市文化研修センター

講演 松村正直「竹山広の時間表現」

*講演のみの聴講可(500円)

お問い合わせ 吉野川市歌人クラブ事務局(0883−24−1578)

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2019年04月23日

今野真二著 『北原白秋』


副題は「言葉の魔術師」。
白秋の生涯をたどりつつ、その多彩な作品を用語に注目して読み解いた一冊。

読書には流れというものがあって、しばらく前から積んだままになっていた本書を読むタイミングが来た。樺太を調べていても啄木を調べていても、白秋は避けて通ることができない。

我々の心持ちには、単に言葉で云ひ現はすことの出来ない、いろいろ複雑に入組んだ心持ちがある。それを、只、悲しいとか、苦しいとか、愁(つら)いとか、簡単な、慣習的な言葉で言ひ現はして了はずに、その複雑に入組んだ心持ちをその儘(まゝ)、作品全体に漲(みな)ぎる気分の上に現はして、読者の胸に伝へることだ。
洗練に洗練を経るほど、磨けば磨くほど私は厳粛になつた。一字一句の瑕疵も見逃(のが)せなかつた。或時は百首の内九十九首を棄て、十首の内九首を棄てた。或時はたつた一句のために七日七夜も坐つた。ある歌のある一字は三年目の今日に到つて、やつと的確な発見ができた。それは初めから的確にその字で無ければならなかつたのだ。

明治43年の「新しき詩を書かんとする人々に」と大正10年刊行の歌集『雀の卵』の序文からの引用である。どちらも今でも十分に通用する内容と言って良い。

白秋が大正14年に樺太、昭和4年には満蒙、昭和9年には台湾、昭和10年には朝鮮を訪れたことに触れて著者は、

つまり白秋は樺太、満蒙、台湾、朝鮮と、日本がこの時期に拡大していった版図をいわばもれなく訪れている。白秋は自身の感覚によって、「大日本帝国」の版図をとらえていた可能性がある。

と述べている。これは、国家や戦争と白秋との関わりを考える上で大事な指摘かもしれない。

あとがきで著者は自分の父や母の思い出について書いている。そこには、国語学者の山田孝雄を祖父に持つ矜持と微妙な鬱屈とが滲んでいるように感じた。

2017年2月21日、岩波新書、880円。

posted by 松村正直 at 20:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月21日

4月21日の短歌時評


今日の「朝日新聞」の短歌時評は〈万葉集と「令和」〉と題して書いた。

文中で触れた品田悦一著『万葉集の発明』は、新装版になって5月7日に発売される。
https://www.amazon.co.jp/dp/4788516349/

長らく品切になっていた本なので、この機会に多くの人に読んでもらえるといいなと思う。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138650.html

posted by 松村正直 at 17:22| Comment(6) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月20日

『小見山輝歌集』


現代短歌文庫120。

第1歌集『春傷歌』(1979年)全篇と自撰歌集『空蟬』、「柿本人麻呂覚書」「抒情から現実へ―服部忠志小論」、対談「満蒙開拓青少年義勇軍の記憶」などを収めている。

男装となりてにほへる女医なりき「四平」にて別れその後を知らず
昼を眩しく花より出づる蜂ありてあゆめども何処へ行くあてもなし
巨石に心ひかれて寄りゆくは齢四十のわがひくき影
朝霧の動くともなき河原に現れては消ゆる黒き石ひとつ
野に転ぶ目鼻つたなき石仏をおほひて春のにがよもぎ萌ゆ
岩窪に竹の落葉をつもらせて水澄めり水に水馬(まひまひ)あそぶ
西日つよき畳の上の一本の抜毛を見れば動きつつあり
抱きあふ人もひとりの我もきくこの夜石垣に寄る波の音
冬の陽のやがて斜めに及ぶ頃蜜柑は熟れて木にゆるるかな
人気なき家群(やむら)をぬきて一本の道あれば通ふ郵便屋なども

すべて『春傷歌』から。

1首目、「四平」は満州の交通の要衝。敗戦後に見た光景。
3首目、巨石に惹かれるのも、もう若くない「四十」という年齢ゆえか。
4首目、霧の濃淡の表現が巧みで、黒い石の存在感が際立つ。
6首目、四句の句切れのリズムがいい。静から動への切り替わり。
7首目、まるで一本の毛が生きているかのような生々しさを感じる。
10首目、道があるということはその先に住んでいる人がいるのだ。

2013年10月13日、砂子屋書房、1500円。

posted by 松村正直 at 23:20| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月19日

「朝日新聞」の短歌時評

今月から「朝日新聞」の短歌時評を担当することになりました。
毎月「最終の一つ前の日曜日」の短歌・俳句欄に載ります。

初回は4月21日(日)。

その後、5月19日(日)、6月23日(日)と続きます。
皆さん、どうぞお読みください。

posted by 松村正直 at 21:38| Comment(4) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする