2017年06月22日

広瀬友紀著 『ちいさい言語学者の冒険』


副題は「子どもに学ぶことばの秘密」。
岩波科学ライブラリー259。

子どもたちの言い間違いを手掛かりに、なぜそのような言い方が生まれるのか、人間はどのように言葉を学んでいくのかを実例に沿って解き明かした。大人になると忘れてしまう言葉の不思議や秘密が、子どもの眼を借りて生き生きと描き出されている。

つまり、「た―だ」「さ―ざ」「か―が」の間に成立している対応関係が成り立っているのは、「ぱ(pa)」と「ば(ba)」の間のほうなんですね。
「おんな」+「こころ」は「おんなごころ」で「こころ」が濁音化(連濁)するけど、「おんな」+「ことば」で「おんなごとば」になることはない。なぜだろう?という問いの答えは「ライマンの法則」とよばれています。
「タニシ」と発音した音声のなかにtanという音があるかを尋ねた場合は、日本語話者のほとんどはYESボタンを押さなかった一方、英語話者とフランス語話者は(…)YESと反応したと報告されています。

日本語話者が日本語の仕組みをわかっているかと言えばそんなことはなく、かえって当り前すぎて気が付かないことが多い。そうした点をあらためて知るには、子どもや外国人が日本語を学ぶ方法が参考になる。

「日本語の授業で、「っ」ってどう習いましたか?」
「次の音の構えをしながら、つまりスタンバイしながら1拍分の長さをおくことです」

自分が普段使っている言葉について深く知ることは刺激的で、新たな可能性を開いてくれることだと思う。

2017年3月17日、岩波書店、1200円。

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2017年06月21日

「Tri」第5号

短歌史に関する評論同人誌。今回のテーマは「ろんそう!」。
寺井龍哉、大井学、浅野大輝、濱松哲朗、花笠海月の計5篇の論考が載っている。A5判、104ページという厚さ。

濱松哲朗「これからの「短歌史」のために」は、2007年の佐佐木幸綱と私の論争を取り上げたもの。

あの論争が不毛な言い争いに終わってしまったのはなぜなのか。濱松は双方が前提とする文脈が大きく違っていたことを、佐佐木と私それぞれの作品や評論なども踏まえて丁寧に論じている。

非常にスリリングでおもしろく、また、納得のいく内容であった。

私は論争の当事者だったわけだが、当事者だからと言って論争の全体図がわかっているわけではなく、むしろ当事者ゆえに見えない部分が多いのだろうと思う。今回、濱松さんの詳しい解説を読んで、初めて「なるほど、そうだったのか!」と気づくところがたくさんあった。

松村の評論は、一首のうちに描かれた〈われ〉以上に、その〈われ〉に課せられた「運命」や、そう書かざるを得なかった「作者」の「運命」を追ったものが多い。
松村は時に「行動を選択しない〈われ〉」を作中に描くことがある。

こうした指摘も、自分ではあまり意識していなかったけれど、確かにそうだなと思う。自分の中にある何かが、評論にも歌にもやはり抜きがたく滲み出ているのだろう。

2017年5月7日、H2O企画、700円。

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2017年06月19日

三浦英之著 『五色の虹』


副題は「満州建国大学卒業生たちの戦後」。

1938年に満州国の最高学府として、首都新京(現:長春)に設立された建国大学。そこでは「五族協和」の理念のもと、日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア人の優秀な学生が集まり、6年間の共同生活を送っていた。

本書は彼らの栄光と挫折、そして戦後の苦難の歴史を記したノンフィクションである。

著者は建国大学の卒業生を訪ねて国内はもとより、中国、モンゴル、韓国、台湾、カザフスタンへも取材に行っている。その取材力、調査力、筆力に圧倒される。

敗戦による満州国の崩壊は、日本人の運命を大きく変えた。それだけでなく、他民族の学生もまた、傀儡政権の大学に通っていた「日本帝国主義への協力者」として、厳しい境遇に置かれることになったのだ。

理想と現実の違いや歴史を多面的に見ることの大切さを、あらためて強く感じる。近年の東アジア諸国との緊張関係を思う時、「民族協和」という理想は今もなお達成されていないのだと思わざるを得ない。

今年読んだ本の中でナンバー1。

2015年12月10日、集英社、1700円。

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2017年06月18日

サハリンへ行くには

サハリン(樺太)に渡るには、船か飛行機に乗ることになります。

〇船
北海道サハリン航路の船(定員80名)が、6月から9月にかけて週に2〜3往復、稚内―コルサコフを4時間30分で結んでいます。
http://hs-line.com/schedule.html

〇飛行機
オーロラ航空の新千歳―ユジノサハリンスク便は週に3往復、所要時間1時間20分。同じく成田―ユジノサハリンスク便は週に2往復、2時間30分です。
http://www.uts-air.com/aurora/annai/

皆さん、ぜひサハリンへ!
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2017年06月17日

那部亜弓著 『知られざる日本遺産』


副題は「日本統治時代のサハリン廃墟巡礼」。
八画文化会館叢書vol.3。
廃墟や珍スポットの紹介で有名な八画文化会館の本である。

「かつて恵須取には樺太で紙生産能力No.1の王子製紙工場があったらしい」との情報を手掛かりに、今は廃墟となっている樺太の工場を訪ね回った記録。

王子製紙の恵須取工場、知取工場、敷香工場、真岡工場、落合工場、豊原工場、大泊工場、さらにサハリン各地に残る日本時代の遺構の写真が収められている。敷香、真岡、大泊の工場には行ったことがあるので懐かしい。

私は人より海外の空気を吸った方だと自負しているが、このサハリン行脚ほど金がかかった旅はない。(…)限られた5泊6日の時間の中で、すべてを回りきるには、自由がきく車のチャーターが必要になる。それも未舗装の砂利道をゆくので4WD車で。(…)そして、何より情報がない。

著者がサハリンを訪れたのは2009年のこと。基本的な状況は今でもそれほど変っていない。

2015年8月、八画出版部、1000円。

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2017年06月16日

小塚拓矢著 『怪魚ハンター』


2010年に地球丸より刊行された『怪物狩り』に加筆・修正して改題したもの。

「自分より大きな魚が釣りたい」という夢を追い、「大学時代に5回、オレは海外に釣り旅に出る」と宣言した著者。

アマゾンの「神龍」ピラルクー、アフリカの「牙」タイガーフィッシュ、モンゴルの「鬼」タイメン、パプアニューギニアの「闘神」パプアンバス、アフリカの「幻獣」ムベンガなど、体長1メートルを超える魚を釣り上げる様子が実に生き生きと伝わってくる。

本書はそうした大物釣りの記録であるとともに、18歳から24歳までの初々しい青春の記録でもある。

新潟から実家の富山までのお盆帰省に際して、「24時間で何km歩けるか」を実験した。強盗に襲われるなどして一文なしになったときに、とにかく歩いてでも空港にたどり着くために。いち生物として、自分のスペックは、いかほどなのか。人として、知っておかなければいけない基礎情報だと思った。
結局、僕が持っていたのは、出発する勢いと、諦めない信念と、そのふたつだけだった。そしてきっと、必要だったのはそれだけなんだろう。

その後も自らの立ち上げた会社で釣り具の企画・販売をしながら怪魚釣りを続け、既に世界46か国を訪れたと言う。そのエネルギーに、ただただ圧倒される。

2017年1月5日、ヤマケイ文庫、900円。
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2017年06月15日

羽生善治、NHKスペシャル取材班著 『人工知能の核心』


2016年5月放映のNHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治人 工知能を探る」の取材を通じて得た知見をもとに、人工知能の可能性と課題、今後の人間社会のあり方について考察した一冊。

チェス、囲碁、将棋などにおいて、既に人工知能は人間の実力を大きく上回っている。だから、この本でも「人工知能vs人間」の勝負の話はほとんど出てこない。

話はもっと先に進んでいる。「コンピュータ将棋と人間の棋士の間で起きている様々な事象が、今後、人工知能が社会で応用されていくときに想定される事態を先取りしている」という認識に立って、この本は書かれているのだ。

社会のなかで多くの人々が人工知能の出した結果にいかに納得するか、というテーマもあると思います。
人間らしい安心感や安定感のある「美意識」を人工知能が持つのは、社会に受け入れられていく上で大事なことだと考えています。

確かに、「効率」や「正解」「最適解」といった観点だけではなく、「納得」「安心感」といった要素が人間にとっては大事なものなのだろう。「人工知能について知ることは、人間について深く知ることでもあるのかもしれません」という指摘は、まさにその通りだと思った。

2017年3月10日、NHK出版新書、780円。
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2017年06月14日

「アララギ」 昭和17年2月号


 P1050716.JPG

用があって古い「アララギ」を読んでいる。
昭和17年2月号。

前年12月8日の真珠湾攻撃や12月10日のマレー沖海戦の華々しい戦果が、多くの歌となって誌面に載っている。

ペンシルバニヤに命中したる直後にて空中魚雷の白き雷跡
(らいせき)            山口茂吉
ほふり得しレキシントンの轟きを自ら聞きて還りたる艦(ふね)
                   佐藤佐太郎

高安家の人々の歌も載っている。

巨艦(おほきふね)ほふりはてむと身をもちて火炎に入りし
稚(わか)きますらを      高安やす子
戦はいづちと思へばせきあへぬ心となりて空を仰ぎつ
                   高安国世
今まさに艦勇ましく戦ふに灯火管制下二人の吾子は眠れり
                   高安和子

それぞれ「二月集 其一」「壬午集(土屋文明選)其三)」「壬午集 其一」に掲載。

ちなみに表紙の絵は、マネの「エミール・ゾラの肖像」。
http://art.pro.tok2.com/M/Manet/z047.htm

扉に茂吉がこの絵の鑑賞を書いている。
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2017年06月13日

海豹島

北原白秋の『フレップ・トリップ』は、大正14年の樺太旅行を描いた紀行文の名作である。2007年に岩波文庫から新版が出ており、現在でも手軽に読むことができる。

その『フレップ・トリップ』の最大の山場と言えば海豹島(かいひょうとう)だろう。白秋が訪れた当時、島には3万頭のオットセイと30万羽のロッペン鳥が棲息していた。その圧倒的な迫力を、白秋は文庫で50ページにわたって描いている。

現在、その島はどうなっているのか。

白秋が訪れてから90年以上が過ぎた今も、実はロシアの自然保護区となって昔のままの姿をとどめているのだ。その様子は、写真家斉藤マサヨシさんのHPの「CHURENI island チュレニー島の海鳥と海獣たち」に記録されている。

全31枚。圧倒的な迫力と美しさである。
http://westen.jp/photos/sakhalin/chureniisland/

ぜひ一度行ってみたいなあ。
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2017年06月11日

馬場あき子歌集 『渾沌の鬱』

2013年から15年までの作品を収めた第26歌集。
現代三十六歌仙シリーズの28。

豆の種もちて帰化せし隠元の豆の子太り信濃花豆
魂はけふすすき野の空にゐたりしがうつし身いわし焼きをりわれは
台風は南大東島にありてわが庭の石榴すでに落せり
まな板を干せば無数の傷みえて去年より今年へ年改まる
窓の向うに梅の花二つ咲いてをり今朝こまやかにからだも動く
芭蕉より一茶に人気ありといふフランスにけふ初雪が降る
降り沈む雪は音なくにひがたの街たひらかになして更けたり
母を亡くしし人より届くかぶらずしその亡き母の賜ひしごとく
何ごともをはりはつひによからずと自らいひて深くうなづく
若きらにまじれば心はなやぐを連れだちて若きらは若き彼方へ

1首目、インゲン豆の一種である花豆。その来歴を感じさせる。
2首目、魂と身体が離れてしまったような感覚。夜食の準備をしながらふと現実に戻るのだ。
3首目、何千キロも離れている台風の風がやって来たのだろうか。
4首目、何も変わらないようでいて、毎年少しずつ傷が増えていく。
5首目、「こまやかに」がいい。寒さが少し緩んで、身体の調子もよくなっていく。
6首目、「芭蕉」「一茶」「フランス」「初雪」という流れの面白さ。
7首目、「にひがた」が平仮名なのがいい。輪郭がなくなるまで雪に包まれていく町。
8首目、北陸の方なのだろう。母の代から毎年欠かさず送ってくれる。
9首目、「終り良ければすべて良し」とはいかないのが現実。
10首目、若者は若者で集まって、年寄りの相手になろうとはしない。

八十歳代後半を迎えた作者の年齢的な感慨が随所ににじむ。
それが何でもない日常の歌にも陰影を添えているように思う。

2016年10月27日、砂子屋書房、3000円。

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2017年06月10日

カルチャーセンター

大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
  A組 10:30〜12:30
  B組 13:00〜15:00
   *奇数月を松村が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作(A)」 毎月第3金曜日 11:00〜13:00
 「短歌実作(B)」 毎月第3金曜日 13:30〜15:30
   *偶数月を松村が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーセンターイオンタウン豊中緑丘 06−4865−3530
 「はじめての短歌」
  毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンターKYOTO 075−254−2835
 「はじめての短歌」
  毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00

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2017年06月08日

早坂隆著 『兵隊万葉集』


日中戦争から太平洋戦争、そして終戦へ至る時期に詠まれた歌を紹介しつつ、戦況などの解説を加えた本。戦争を詠んだ短歌を「当時の人々の率直な思いが込められている貴重な戦史資料」として捉え、そこから歴史を学ぶという姿勢で書かれている。

支那兵の死に浮く水を汲み上げてせつなけれども呑まねば
ならず                  上原酉松
汝が父の遺骨迎ふるも知らずして汽車にゆるるを喜びをりぬ
                      伊藤さよ子
大方は米国製なる工作機の耐用期間をわが思ひ見つ
                      山本広治
吾が前に少年二人戦ひに死にゆくことを事もなげにいふ
                      寺田幸子
手垢つきし愛(かな)しき本はわが名書きて征かざる友にわか
ち与へぬ                 玉井清文

引用されている歌の選びが良い。ただし、句ごとに一字空けという形で引用されている点が気になる。

これは「幅広い読者を対象とする新書の性格に鑑み、読みやすさを優先して、基本的に五・七・五・七・七の五句体に区切って表記した」ということなので、仕方がないのだけれども。

2007年7月30日、幻冬舎新書、740円。

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2017年06月07日

ジェンダーと短歌

五味渕典嗣「和歌をめぐるジェンダー構成」というコラムが『帝国の和歌』に載っている。わずか2ページの文章だが、ジェンダーと短歌を考える際に非常に示唆に富む内容である。

そのことは、一般に“短歌革新”の担い手とされる二人の書き手が、一方は自身のマニフェストに「現代の非丈夫和歌を罵る」という副題を付け、もう一方は、『古今集』を尊んでいた過去の自分を悔やむ文脈で「あんな意気地のない女にばかされて」いた、と書き付けたのはなぜなのか、という問いとかかわっている。

ここで例に挙げられているのは、与謝野鉄幹の「亡国の音」(明治27年)と正岡子規「再び歌よみに与ふる書」(明治31年)である。

いずれも「和歌」=女性的というイメージで捉えられていることがわかる。それに対して、「短歌」=男性的というイメージが彼らの中にあったのも間違いないことだろう。

つまり、短歌はその最初の段階からジェンダーバイアスを既に孕んでいたのである。女性に対する抑圧的な状況という問題は、短歌の世界において相当に根深いものとして存在すると言っていい。
posted by 松村正直 at 18:21| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月05日

浅田徹ほか編 『帝国の和歌』


シリーズ「和歌をひらく」の第五巻。
浅田徹・勝原晴希・鈴木健一・花部英雄・渡部泰明編集。

明治以降の西洋近代との接触により、伝統的な和歌がどのように短歌へ変わっていったのかという問題意識のもとに、10篇の論文と5つのコラムをまとめた一冊。

古典和歌と近現代短歌とが、どのように繋がり、また断たれているのかを観察することによって、和歌と短歌とを、そして江戸期以前と明治期以降とを、共通の地平で考えることができるような「場所」を探りたい。
            勝原晴希「和歌とは何か、短歌とは何か」

というのが、本書の一貫したテーマである。勤皇志士和歌、新題歌、和歌改良論、御製、樋口一葉、森鴎外、新体詩、短歌滅亡論、万葉集といった切り口で、和歌から短歌へ続く道筋が考察されている。

それは単純な進化論的な見方では決して捉え切れないものである。また、鉄幹と子規によって短歌革新が行われたといった狭い見方でも描き切れないものだ。

以下、印象に残った部分をいくつか引く。

感慨を述べるのに適した長さである和歌形式は共同の〈気分〉を醸し出す力が強いため、ナショナリズムと必然的に結びつくように感じられるかも知れないが、両者の結びつきはそのときどきの社会の構造を介した偶発的なものである。
              百川敬仁「勤皇志士和歌の史的位相」
新題歌は単にいわゆる旧派和歌なのではない。新・旧の接点に存在する和歌なのである。
              小林幸夫「新題歌のイデオロギー」
それは換言すれば、ドラマという意識の欠如ということでもあった。ドラマは基本的に円環構造の思考からは発生しない。矢田部一人に限ったことではない。そもそもそれは日本にはない発想であった。
          有光隆司「思想の時代―西洋の文学概念による短歌評価の問題」

明治期に起きた、社会、政治、文化、生活、思想など全般にわたる変革の中で、日本の伝統的な和歌も変容と再生を余儀なくされた。そこには当然、プラスの面もあればマイナスの側面もあった。そうした苦さを今もなお短歌は背負っているのだと思う。

2006年6月20日、岩波書店、3700円。
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2017年06月04日

廣野翔一個人誌 「浚渫」

「連作2篇」「日記」「エッセイ」の三部構成。
連作は「泥、そして花びら」30首と「春祭、post-truth」14首。

喉仏持たずやさしき春の鳩からくりのごと空へ弾けつ

「喉仏持たず」という把握が面白い。「からくりのごと」は最初鳩時計かと思ったが、手品師がハンカチから出す鳩の感じかもしれない。

溶接の面(おもて)に闇は広がりて蛍の火には触れず 触れたし

作業の現場の歌。溶接の火花を蛍の光に喩えているのだろう。結句の一字空けに力がある。

生活に仕事がやがて混ざりゆく鉄芯入りの靴で外へと

仕事で使う安全靴を履いて、休日などにちょっと外へ出掛けるところか。「鉄芯入りの靴」がいい。

聴力が先に捉えて振り返るヘリコプターに土踏まず見ゆ

ヘリコプターの脚(スキッド)を「土踏まず」と表現したのだろう。音が先に聞こえてくる感じもよくわかる。

移民の孫が移民を拒む寂しさの中でもうすぐ築かれる壁

移民の国アメリカで建設が進む国境の壁。トランプ大統領の当選後の時事的な話題を詠んだ歌だ。

歩きつつアップルパイを食べているpost-truthの時代の中で

上句の軽さと下句の不安感の取り合わせが現代的。初句・二句の「あ」の頭韻や、「プ」「パ」「po」の音の響かせ方がうまい。

2017年5月7日発行、500円。
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2017年06月03日

奥田亡羊歌集 『男歌男』

著者 : 奥田亡羊
短歌研究社
発売日 : 2017

「短歌研究」に8回にわたって連載された「男歌男」を中心に312首を収めた第2歌集。

流木の流れぬときも流木と呼ばれ半ばを埋もれてあり
森に行き人を殺して帰り来る子どもの話「ヘンゼルとグレーテル」
スタートを待つ一団に小さきが小さくなりて子の座りおり
月光をはじきてハクビシンとなる一瞬を見き動く気配の
ぶどうの皮をにゅっと出で来る挨拶のどこかで会った人なのだろう
月の夜を無蓋の貨車に運ばるる誰のいのちか桃の花盛り
大日本帝国連合艦隊司令長官搭乗機の展示されいるぐしゃぐしゃの翼
酔うほどに広くなりゆく卓上にしんと鋭き胡麻粒ひとつ
国をあげて造る古墳の葬列の二〇二〇年のこんにちは
赤い口あけて泣く子をあやしつつその子の父も赤い口ひらく

1首目、名前は流木であるがもう流れてはいない。
3首目、運動会の徒競走の場面。集団の中にいるわが子の小ささ。
4首目、一瞬照らし出されたハクビシンの姿が生き生きと捉えられている。
6首目、収容所へ送られるユダヤ人が思い浮かぶ。
8首目、酔った時の物の見え方はこんな感じ。遠近感が狂う。
9首目、東京オリンピックに対する痛烈な皮肉である。

連作を中心に構成された歌集なので、一首一首を単独で取り上げてもなかなか味わいが伝わらない。自らを「男歌男」と戯画的に詠む歌の中に、現代に生きる男性の苦しさや悲しみが深く滲んでいる。

2017年4月17日、短歌研究社、3000円。
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2017年06月02日

うたの泉

今日の河北新報「うたの泉」に歌を引いていただきました。

あなたとは遠くの場所を指す言葉 ゆうぐれ赤い鳥居を渡る
                     『駅へ』

当時は大分に住んでいました。アパートの近くにあった春日神社の境内を思い出します。

http://www.kahoku.co.jp/special/spe1174/20170602_01.html


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2017年06月01日

欠詠

あれはどの歌集に入っている歌だったかな、と思って探したら1冊目で見つかった。

欠詠の若きらをもはや頼まざり私にはもう時間がない
               河野裕子『家』

1996年の歌なので、当時河野さんは50歳。
欠詠する若者たちを、一体どんな思いで見ていたのだろう。

欠詠してはいけません。一回欠詠するとズルズルと休み癖がついてしまい、短歌引きこもりになるから御用心。一首でもいい。日本語が並んでさえいればいいと思って出詠してください。ええカッコして、褒めてもらおうと思うから歌ができなくなるのですよ。駄作、凡作がいつのまにか作歌の元肥やしになってくれます。諦めてはあきません。

『河野裕子読本』に収められた「河野裕子語録」より。
「塔」に入って20年になるけれど、一度も欠詠したことはない。
河野さんにこういう話を何度も聞かされていたからである。

「諦めてはあきません」、そう、大事なのは諦めないことだ。
posted by 松村正直 at 23:37| Comment(2) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月31日

富山へ(その3)

歌会の前に参加者で昼食会。

富山は昆布巻きが名産で昆布の消費量が多いという話や、「スーパーで買ったホタルイカはホタルイカじゃない」(それだけ鮮度が大事)という話などを聞く。

歌会は富山、石川をはじめ、遠く埼玉から参加された方もいて、楽しかった。初めて一緒に歌会をするメンバーが多く、随分と刺激をいただいた。やはり、いつもと違う歌会に出てみることも大切である。

 
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夕食はせっかく富山に来たのだからと「麺家いろは」へ。
「富山ブラックネギ玉らーめん」980円。
甘味とコクのある黒醤油のスープが美味しい。

帰りの新幹線とサンダーバードではひたすら眠り続け、京都に帰ってきた。
posted by 松村正直 at 07:32| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

富山へ(その2)


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富山は環境問題への取り組みが進んでいるようで、市街地のあちこちに自転車市民共同利用システムの貸し出しステーションがある。
好きな場所で借りて、好きな場所に返せば良いらしい。


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歌会の会場は「高志の国 文学館」。

植樹祭で富山を訪れている天皇・皇后両陛下が翌日訪れる予定とのことで、警官や職員の人があちこち忙しそうに歩き回っていた。

時間があったので、大伴家持生誕1300年記念企画展「官人(つかさびと) 大伴家持 ―困難な時代を生きた良心」と常設展を見る。
越中の国守として赴任した家持の歌をあらためて読んだのだが、なかなか良い。

かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波も見せましものを
               (巻17−3959)
珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり
               (巻17−4029)
朝床に聞けば遥けし射水川朝漕ぎしつつ唱ふ舟人
               (巻19−4150)

声に出して読んでみると気持ちがいい。
こういう調べの豊かな歌を詠んでみたいという思いが湧いてくる。
posted by 松村正直 at 08:35| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする