2017年10月20日

雨垂れ


秋の長雨と言うのだろうか。
このところ雨が降り続いている。
週明けには台風もやって来るらしい。

雨垂れはいつまで続くしたひたてん、したしたしたしたしたひた、てん
                    河野裕子『歳月』
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫(まつげ)と睫とが離れて来る。
                    釈迢空『死者の書』
たんたらたらたんたらたらと
雨滴(あまだれ)が
痛(いた)むあたまにひびくかなしさ
                    石川啄木『一握の砂』

明日は堺短歌大会で「啄木の現代的な魅力」と題して講演をする。
明日も雨かな。

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2017年10月18日

現代歌人集会秋季大会


12月3日(日)に京都で現代歌人集会秋季大会を開催します。尾崎左永子さんを招いてお話を聞くほか、大辻隆弘理事長の基調講演、現代歌人集会賞の授与式(大室ゆらぎ歌集『夏野』)などを行います。

参加費は1500円(当日払い)。どなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越しください。懇親会もあります。

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2017年10月16日

今後の予定


下記の歌会やイベントに参加します。
お近くの方は、どうぞお越しください。

・10月21日(土)堺短歌大会 講演「啄木の現代的な魅力」
・12月2日(土) クロストーク「絵画と短歌」(大阪)
・12月3日(日) 現代歌人集会秋季大会(京都)
・12月10日(日)「塔」滋賀歌会
・1月28日(日) 「塔」和歌山歌会
・3月24日(土) 「塔」宮崎歌会

よろしくお願いします。

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2017年10月15日

「現代短歌」2017年11月


中西亮太さんの評論「誰が桐谷侃三だったのか」が12頁にわたって掲載されている。

これは、すごい。短歌史における定説を覆す新資料の発見と、地道な裏付けに基づく緻密な論考である。桐谷侃三に興味がある方も、名前は聞いたことがあるけど・・・という方も、誰それ?という方も、ぜひお読みください。1940年当時の短歌をめぐる状況がありありと甦ってくる内容となっています。

こうした優れた評論を載せることは、短歌雑誌の大事な役割と言っていいだろう。

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2017年10月13日

「ととと」 5号


白石瑞紀・永田愛・藤田千鶴の3名によるネットプリント。A3判×2枚。

10首×3名の短歌と、永田さんの「愛の一首」、藤田さんの童話「とびらひらく」、白石さんの「うろうろ☆MUSEUM」が載っている。

今回は9月9日発行ということで、月に関する歌が多かった。

 いつまでも冷めないスープとろとろの月の煮込みを蓮華にすくう
                         藤田千鶴
 もうすこし待てばかなうというように叶(かなう)のなかに十字架はある
                         永田 愛
 静かなる水面に月の道はありたましひならば行けるだらうか
                         白石瑞紀

1首目、「月の煮込み」という表現から、フカヒレのスープをイメージして読んだ。身体の芯まで温まる美味しさ。
2首目、「叶」という文字の中の「十」を「十字架」と捉えた歌。「かなう」ことを祈る歌であるが、むしろ叶わない悲しみが感じられる。
3首目、湖や池に真っ直ぐにのびている光の帯。その先にはいったい何があるのか。身体は行けないが、魂はそこをたどって行くのだ。

2017年9月9日、モノクロ40円、カラー120円。


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2017年10月12日

「ぱらぷりゅい」


関西在住の女性歌人12名による同人誌。
参加者は、岩尾淳子、江戸雪、大森静佳、尾崎まゆみ、河野美砂子、沙羅みなみ、中津昌子、野田かおり、前田康子、松城ゆき、やすたけまり、山下泉。
「ぱらぷりゅい」はフランス語で傘のことらしい。

全員の連作12首と、互いの第1歌集の批評、年表、歌会記など盛り沢山な内容となっている。全88ページ。山階基の手になる装幀・デザインも素敵だ。

 山火事のようだ怒りは背中からひたりひたりと夜空をのぼる
                        江戸雪
 紫陽花の重さを知っているひとだ 心のほかは何も見せない
                        大森静佳
 文学を解する猫は眠りをり陽のうつろひを鼻に感じて
                        野田かおり
 彗星と細字で書けばペン先に夜の光の集まり始む
                        前田康子
 さやうなら薄い衣をまとはせて金の油へ鰯を放す
                        松城ゆき
 ざんねんな探偵としてわれはわれに雇われいたり今日も推理す
                        山下泉

1首目、怒りの激しさや身体感覚がよく伝わってくる。何とも怖い。
2首目、下句がおもしろい。「心は見せない」なら普通なのだが。
3首目、下句がいかにも眠っている猫という感じがする。
4首目、「彗星」には横線がとても多いので、丁寧に書いている感じ。
5首目、鰯の天ぷらを作っているだけなのだが、歌にすると美しい。
6首目、あまり有能な探偵ではないのだろう。問題は解決できないまま。

2017年9月18日、500円。

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2017年10月11日

大室ゆらぎ歌集 『夏野』


「短歌人」所属の作者の第2歌集。
2010年から17年までの歌265首を収めている。

蓮の骨浅く沈めて澄みわたる冬しづかなる水生植物園
飛ぶ鳥のつばめも落ちて死にゐたり砂のくぼみに脚をのばして
鋤き込まれて真黒き土にきれぎれに混じる花びらコスモスのはな
蔓草に口のうつろを探らせて喉の奥まで藪を引き込む
月しろが窓から窓へ移る間(ま)を眠りながらにわが額(ぬか)暗む
白鷺と青鷺一羽づつがゐて青鷺は白鷺の影のごとしも
川土手にジグソーパズルは燃やされてジグソーパズルのかたちの灰は残りぬ
石棺のあとに窪みは残りゐてそこにをりをり溜まる雨水
石鹼でよくよく洗ふ生きてゐるだけで汚れてしまふからだを
蚊柱に入りて出づれば以前とはいくらか違ふわれとはなりぬ

1首目、枯れた蓮の茎を「骨」と詠んだところが美しい。
2首目、上句だけだと観念だが、下句の具体・観察がそれを支えている。
3首目、コスモスのピンクや白などの淡い色と「真黒き土」との対比。
4首目、野辺に朽ちてゆく自分の身体をイメージした歌。何とも生々しい。
5首目、一晩の間に月光が射す時間帯と射さない時間帯がある。「眠りながら」なので自分では見えないはずの場面だ。
6首目、シンプルな構図の、見立てが面白い歌。
7首目、四句が12音もある。字余りを承知で「かたちの」を入れている。
8首目、古墳のなかの光景だろう。死者の存在が今に生きている感じがする。
9首目、何もしなくても汚れるのだという発見。
10首目、感覚の不思議な歌。入る前と後とで何かが違っている。

こうして見ていくと、全体に死のイメージが濃厚な歌集だということがわかる。

2017年7月18日、青磁社、2500円。

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2017年10月09日

うたの泉


10月7日の河北新報の「うたの泉」で、本田一弘さんに歌を引いていただきました。ありがとうございます。

秋雨の重さは傘ではかるもの 雨の重さを傘はよろこぶ

第3歌集『午前3時を過ぎて』の一首です。

http://www.kahoku.co.jp/special/spe1174/20171007_01.html

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2017年10月08日

週末のこと


10月6日(金)
 京都→朝日カルチャー芦屋教室→フレンテ歌会(西宮)→東京(宿泊)
10月7日(土)
 某短歌大会予選会(中野)→大学時代の友人と20年ぶりに夕食(新宿)→
 父の家(川崎、宿泊)
10月8日(日)
 斉藤マサヨシ写真展「サハリンに残された日本」(名古屋)→「塔」東海歌会、
 夕食会→京都

たくさんの人と会った3日間だった。
 
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2017年10月06日

さいとうなおこ著 『子規はずっとここにいる』


副題は「根岸子規庵春秋」。
子規に関する短い(3ページ程度)のエッセイ34篇と座談会「遠くて近い正岡子規」を収めた一冊。

著者のさいとうさんは「未来」の選者を務める歌人であるが、一般財団法人子規庵保存会の理事もされている。月に三回、当番として子規庵に通うほか、展示資料を探して子規の故郷である松山を訪れたりもしているとのこと。

子規庵は2年前に訪れたことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/413885492.html

建物自体は戦後の復元であるが、かつて子規が暮らした空間が多くの方の尽力によって残されているのは本当に貴重なことだと思う。

2017年9月19日、北冬舎、1200円。

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2017年10月05日

「歌壇」2017年10月号


特集は「覚醒する子規―生誕一五〇年」。

三枝ミ之と長谷川櫂の対談「子規が遺したもの」が非常に面白い。子規の俳句・短歌史における位置付けの変更を迫るものだ。

印象に残った発言をいくつか引いてみよう。

子規は実は近代俳句なり近代短歌の創始者ではなくて、中継者だったのではないかという考え方です。(長谷川)
だけど茂吉は子規に行く。あれ、なぜだろう。一つは、子規と茂吉の共通点が一高文化で(三枝)
(芭蕉と一茶の)有名な二つの俳句を比べると「かはづ」から「かえる」に変わっている。これはすごいことだ。(三枝)
晶子は江戸時代の歌謡や狂歌を栄養源としていたので、漢語や俗語の使い方がかなり自由になっている。(三枝)
方法論を提示した子規や虚子は、ある意味で自分が唱えた方法論から自由でいられる。(長谷川)

どれを取っても刺激的で示唆に富む発言ばかり。こうした歴史の捉え直しがあってこそ、新たに特集を組む意味があるというものだろう。

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2017年10月04日

橄欖追放


東郷雄二さんのウェブサイト「橄欖追放」に歌集『風のおとうと』を取り上げていただいた。
http://petalismos.net/tanka/kanran/kanran219.html

一首一首の丁寧な読みに加えて、「日常の中に潜む不穏」「ただごと歌」などの観点や「季節は秋が多く時刻は夕暮れが多い」という指摘などがあり、とても有難い内容であった。

東郷さんにはこれまでも、『駅へ』『短歌は記憶する』『午前3時を過ぎて』について書いてもらったことがあり、歌づくりに悩んだ時などに読み返したりしている。
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2017年10月03日

「鴨川短歌」


田島千捺、牛尾今日子、橋爪志保、濱田友郎、土岐友浩の5名による同人誌。連作10首×5名と合評「わたしの好きな一首」が載っている。

途切れつつながい工事の音がしてせつなく終わる昼過ぎにいた
                       田島千捺

断続的に聞こえていた工事の音が止んだ後の空虚感のようなもの。休日の自分の部屋で一人ぼうっとしているのだと思う。

駅までの長い夕陽を浴びながら歩かせている夏のからだを
                       牛尾今日子

「歩いている」ではなく「歩かせている」が面白い。身体と心が少し離れている感じ。「長い」は影の長さでもあり、道の長さでもある。

じょうろじゃなくてあれでカレーを出す店と、言いつつきみの形どるあれ
                       牛尾今日子

確かによく見かけるのに名前は知らない。調べてみるとカレーソースポットなどと呼ぶらしい。二人のやり取りが目に見えるようだ。

目を閉じてまぶたの裏に見とれてる 根が水を吸うように泣きたい
                       橋爪志保

目をつぶって涙を堪えているのか。下句の比喩が魅力的。切羽詰まった泣き方ではなく、健康的で自然な感じの泣き方ということだろう。

シャープ・ペンシルで描かれるほおづきの朝は美しさの庭だった
                       濱田友郎

三句の「ほおづきの」は「ほおづきのように」という意味で受け取った。輪郭のくっきりした感じがする朝の庭の美しさ。

回想の出町柳は寒すぎてあなたは白いティペットを巻く
                       土岐友浩

ティペットはふわっとした肩掛けのこと。その場面を思い出すたびに、あなたよりも「白いティペット」の印象が甦ってくるのだろう。

合評「わたしの好きな一首」は、それぞれが挙げた好きな歌について全員で話し合っている。Skypeのやり取りが元になっているので、同じ人の発言が何回も続くことがあって最初は戸惑ったが、慣れると大丈夫。

濱田: 韻律は、歌のインナーマッスルみたいな感じで、隠れて活躍している。みたいな感じでいてほしいですよね
牛尾: でもなんというか、最近はそこまでほむほむのパラダイムで歌評をしようという志向はみんな無さめですよね

五名の読みの深さとともに、互いに信頼して何でも話せる関係であることが伝わってくる。中でも濱田さんの発言は抜群に楽しくて、反射神経やネーミングのセンスの良さを感じる。こういう人が一人いると歌会は盛り上がるだろうな。

2017年9月18日、200円。

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2017年10月02日

釧路北陽高校の校歌


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北海道新聞で9月4日から26日まで12回にわたって、「『校歌』物語 釧路北陽高校」という連載があった。

釧路北陽高校の校歌は、あまり知られていないが元になった歌がある。かつて、樺太・敷香(しすか、ポロナイスク)にあった敷香高等女学校の校歌(土岐善麿作詞・乗松昭博作曲)だ。

以前、『樺太を訪れた歌人たち』に善麿が校歌の作詞をするに至った経緯を書いたことが縁で、北海道新聞社の椎名智宏さんの取材を受け、今回の連載記事も送っていただいた。

連載記事を読むと、土岐善麿や乗松昭博、さらに現在の校歌の作詞をした沖口三郎(釧路北陽高校の初代校長で俳人)について非常に詳しい話が出てくる。

何十年前の出来事であっても、手を尽くして調べれば実にいろいろなことがわかるものなのだ。プロの新聞記者の調査力・取材力に強い感銘を覚えた。

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2017年10月01日

カルチャーセンター


大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
  A組 10:30〜12:30
  B組 13:00〜15:00
   *奇数月を松村が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作(A)」 毎月第3金曜日 11:00〜13:00
 「短歌実作(B)」 毎月第3金曜日 13:30〜15:30
   *偶数月を松村が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーセンターイオンタウン豊中緑丘 06−4865−3530
 「はじめての短歌」
  毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンター京都 de Basic. 075−254−2835
 「はじめての短歌」
  毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00
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2017年09月29日

「三十一番」「三十一回裏」


谷じゃこ編集・発行の同人誌を2冊、文フリ大阪で購入。

相撲と短歌のアンソロジー「三十一番」。
9名の相撲に関する短歌5〜7首とエッセイ、さらに「ご贔屓力士・一首」が載っている。

 立会いの瞬間息を吸う音がこんな後ろの椅子席にまで
                   谷じゃこ

テレビでは味わえない生観戦の醍醐味。溜席(砂かぶり)やマス席ではなく土俵から離れた椅子席まで、息の音が聞こえてくるとは!

 最後まで見届けてこそ大相撲 弓取り式はエンドロールだ
                   のにし

テレビ中継を見ていると弓取り式の途中でぞろぞろと帰り始める人が多い。なるほど、確かに映画館の光景とよく似ている。

 十両の取組をする年下の安美錦関を励ますこころ
                   生沼義朗

ベテラン安美錦は38歳。短歌の世界ならまだまだ若手と呼ばれる年齢だ。秋場所では優勝決定戦まで進み、来場所はまた幕内に帰ってくる。

野球と短歌のアンソロジー「三十一回裏」。
13名の野球に関する短歌5〜7首とエッセイ、さらに「オススメ野球本」が載っている。

 いっぺんにふたりが死んでいくところ観たいから野球につれてって
                   石畑由紀子

上句はぎょっとする言い回しだが、結句まで来て野球のことだとわかる。併殺(ダプルプレー)とか刺殺とか盗塁とか、野球用語はけっこう物騒だ。

 右中間を球はころがる耳寝かせ森に分け入るうさぎのように
                   小野田光

三句以下の比喩がおもしろい。まるで実際の白いうさぎが球場をぴょんぴょんと跳ね回っているような気分になる。

 しきしまの日本の夏の終わるころ各地に届く甲子園の砂
                   蓮

「甲子園の砂」の観点から詠んでいるのがおもしろい。夏の高校野球は各都道府県の代表が出場するので、全国各地に砂が運ばれるわけだ。

表紙やデザインも凝っていて、とてもオシャレ。
短歌を楽しんでいる雰囲気がよく伝わってくる。

2017年9月18日、各350円。

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2017年09月28日

歌の組み方


短歌雑誌を見ていて気になることがある。

例えば「角川短歌」10月号。
巻頭は春日真木子「夢見る力」31首。

最初のページにタイトル・氏名と2首、次のページは5首、その後は6首が4ページ続く。2+5+6×4=31首というわけだ。

ここで問題なのは、最初の2ページとその後の4ページで、歌の間隔が異なっていること。最初の見開きはゆったり組まれているのに対して、次の見開きでは少し狭くなっている。

測ってみると最初の見開きの歌と歌の間隔は約1.8センチ。それが次の見開きでは約1.4センチになっているのだ。大したことではないかもしれないが、読む時に微妙に速さが変ってしまう。できれば最初から最後まで同じ間隔で統一して欲しい。

この31首というのには何か理由があるのだろうか。短歌が31音だから?
むしろ2+5×5=27首にでもした方が、よほどすっきりすると思うのだが。

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2017年09月27日

松本典子歌集 『裸眼で触れる』



2010年から2017年までの作品338首を収めた第3歌集。

さくらふぶきに紛れてビラを差し出さるわが街に霊苑はいらぬと
われの眼をとぢれば逝きしひとの眼がひらきて仰ぐこのさくらばな
見まはせば生きかた無限にあるやうなハンコ屋にわが姓ひとつを選ぶ
遠からず奇貨と呼ばれて籃(かご)に揺れむ遺伝子組み換へではない子ども
みづみづと洗はれし萵苣(ちしや)の葉のやうな夏さみどりの傘を巻き閉づ
みかん畠見にゆき命落としたる曾祖父はそれを原爆と知らず
わたくし似いもうと似なる市松をならべて母のひとり居しづか
生み忘れゐし子のごとく梅雨葵ぬつと現る乳ぶさのまへに
雨の日に咲けば雨しか知らぬまま朝顔は青き傘すぼめたり
おもてに傷を受けつつ氷るみづうみの底ひにてなほ揺れやまぬみづ

1首目、霊苑建設に反対する運動のビラなのだろう。桜と墓地のイメージの取り合わせ。
2首目、桜というのはやはり命や死を感じさせる花だ。
3首目、数多くハンコは並んでいるけれども自分の姓は一つしかない。人生も同じ。
4首目、大豆やトウモロコシだけでなく人間もやがて「遺伝子組み換へ」で生まれる日が来るかもしれないという思い。
5首目、上句の比喩がおもしろい。傘の外周が少しひらひらしているのだろう。
6首目、原爆で亡くなった曾祖父。何が起きたのかを理解することもなく。
7首目、ひとり暮らしの母の寂しさが滲む。二体の市松人形。
8首目、「生み忘れゐし子」という表現に驚く。「生んで忘れていた子」ではなく「生むのを忘れていた子、生み損なった子」のことだろう。
9首目、一日花なのでその日の天気がすべて。「雨」から「傘」という見立てへ連想が働く。
10首目、湖の描写でありつつ人の心をイメージさせるところが巧い。

原発、日中関係、シリア内戦など社会問題を詠んだ歌も多い。「フィルターばかり増え、人も真実も見えにくい時代にあって、裸眼で触れることを心がけたいという思いから名づけた歌集である」とあとがきに書かれている。

2017年9月1日、短歌研究社、2000円。

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2017年09月25日

「塔」2017年9月号(その2)


恋人はわたしに恋をしてるかな梅雨のはじめに半袖を着た
                       安田 茜

上句の呟くような言い方がほのぼのしていて面白い。恋人だからもちろん恋をしているのだろうけれど、相手の心のなかは見えないから少し不安にもなる。

持ち運び可能な躰を持ち運ぶ会いたいというだけの理由で
                       鈴木晴香

「持ち運び可能な躰」という表現が独特。相手に会いたいという気持ちと何にも縛られない自由な感じ、そしてエロチックな雰囲気も滲んでいる。

三歳で死んだ弟まいまいに生まれかわって我が庭に棲む
                       佐藤涼子

庭でよく見かけるかたつむりを眺めながら、小さくして亡くなった弟のことを思っている。「生まれかわって」と推量ではなくはっきり断定しているのがいい。

やわらかく「白髪が増えたね」と夫の言う向かい合わせに昼餉をとれば
                       白井陽子

普通だったら言われて嬉しい台詞ではないが、「やわらかく」とあるので肯定的な感じ。長年一緒に暮らしてきた夫からのねぎらいや労りを感じたのだろう。

窓ほそく傾けながら夕暮れを時かけ朽ちてゆく百葉箱
                       福西直美

初二句の描写が百葉箱の姿をうまく捉えている。もう使われていない百葉箱なのだろうか。まるで時が止まってしまったかのようにひっそりと存在している。

あのときの桜だろうか置き傘を二ヶ月ぶりにひらけばはらり
                       椛沢知世

普通の傘と違って「置き傘」は使う機会がそれほど多くはない。前回使ったのは桜の散る季節だったのだろう。その時に、何か大切なことがあったのだ。

テトリスのピースみたいにくるくると身体を廻して乗る中央線
                       太代祐一

比喩が面白い。テトリスは様々な形のピースを組み合わせていくゲーム。身体を横にしたり傾けたりしながら、何とか満員電車に乗り込むのである。

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2017年09月24日

おさやことり・橋爪志保「はるなつ」


文学フリマ大阪で購入した同人誌。
発行・編集は吉岡太朗。

おさやことり「ゆきとけやなぎ」「とりわけしづか」、橋爪志保「階段」「夢中」と、7首の連作が計4篇載っている。

さきっぽのほうだけはながさいていてむしろゆきとけやなぎのような
                     おさやことり

おさやことりの歌は全部ひらがな。雪柳の咲き始めの光景だろう。満開ではないので雪が解けているように見えるのだ。

みかづきがまるさのなかにみえているないことにされたぶぶんのこくて
                     おさやことり

三日月の光っている部分ではなく、見えていない部分に着目したのが面白い。

花曇り きみのあたまはアルパカとスパゲッティをあわせた匂い
                     橋爪志保

きっと心地良い匂いなのだろう。音の並べ方のうまい作者で、「あたま」→「アルパカ」の「あ」、「アルパカ」→「スパゲッティ」の「パ」という感じに音が音を導いていく。

ピクルスをきみはパンから抜きとって花のまばらな川原へ放つ
                     橋爪志保

ハンバーガーなどに入っているピクルスが嫌いなのだろう。下句、「はな」「まばら」「かわら」「はなつ」とA音が続く。

まだひるのつづきのようなあかるさにそらはりとますしけんしをなし
                     おさやことり

夕方になって、青いリトマス試験紙が赤くなるように徐々に空の色合いが変化していく。

逃しても取れてもきっとはしゃいでるこの世は長い流しそうめん
                     橋爪志保

下句の妙な断定に惹かれる。「長い」「流し」の音の響きが効果的なのだろう。

「おさやことり」(OSAYAKOTORI)という名前は「吉岡太朗」(YOSIOKATARO)のアナグラムということか。

2017年9月18日発行。

posted by 松村正直 at 00:31| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする