2017年05月17日

「歌壇」2017年6月号

小谷奈央「沼杉」20首がいい。かなり良い一連だと思う。

全体にひらがなが多く柔らかな詠みぶりが印象的。植物や生き物がたくさん出てくる。頭の中で思いを巡らせつつ自然の中を歩いているのだが、両者がない交ぜになっている感じもあって面白い。

からっぽと人に言われてかんがえるからっぽをいま繁縷が蔽う

誰かに「君はからっぽだ」とか「頭をからっぽにしろ」とか言われて、その意味を考えているのだろう。下句は空地や庭に繁縷がはびこるイメージ。

枯れ草のいろのつばさが揚がるとき辺りにあかるい音がちらばる

ひばりの明るい鳴き声が聞こえてくる場面。「ひばり」と言わずに表しているのがいい。大伴家持の「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」を思い出す。

やったことひとつずつ消しやらなかったことはリストにそのままのこる

「やることリスト」を作って一つ一つ消しているのだ。やったことよりもやらなかったことの方が、後々までリストだけでなく胸にも残る。

なだらかな草の斜面を越えて行く小さな虫とぶつかりながら

蚊柱などだろうか。上句だけなら何でもないのだが、下句に体感があることで、ぐっと臨場感のある歌になった。

にんげんは笛だったからここで死ぬこともそのうち笛になるんだ

人間の身体が管であることから笛が出てきたのだと読む。一連の中でピークとなっている力強い歌。笛が人間になって、やがてまた笛に戻っていくということか。1首目の「からっぽ」とも響き合う。

たんたんと離れてゆけばつまずきぬ沼杉の根はここまで伸びる

水辺に生えている木。思わぬ場所まで気根が延びていたのだ。おそらく好きな木なのだろうが、逃げられないような不気味さも感じる。
posted by 松村正直 at 19:04| Comment(2) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

表現ということ

今朝の朝日新聞の「語る―人生の贈りもの―」で、草間彌生が自分の絵についてこんなことを語っている。

描いているうちに絵になる。いちいち意識をしているわけじゃなくて、こういう絵ができあがる。
できあがって、自分はこんなことを考えていたのだと分かる。自分でもびっくりしちゃう。

これは、表現全般について当てはまることだと思う。
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2017年05月14日

鈴木博之著 『日本の地霊(ゲニウス・ロキ)』


1999年に講談社現代新書から刊行された本の文庫化。

「地霊」という観点から、都市や建築を読み解くというスタイルで書かれた本。普遍的な「空間」として建築を捉える西欧的な考え方に対し、著者はその土地固有の「場所」を意識した建築の捉え方を提示する。

「地霊(ゲニウス・ロキ)」とは、土地の単なる因縁話や因果律ではなく、土地へのまなざしなのであり、都市や建築とわれわれとを橋わたしするものなのである。

取り上げられているのは、国会議事堂、広島祈念平和公園、耕三寺、三菱・岩崎家、常盤台住宅地など。どれも刺激的な話ばかりである。

広島平和記念公園の計画は、原爆ドームをすべての中心に置き、この一種聖性を帯びた廃墟に捧げられた場所を造り出すための計画なのである。こうした場所のデザインは、ただちにわれわれに厳島(いつくしま)神社の境内配置を想起させる。

何という鮮やかな切り口だろう。「平和記念資料館」―「慰霊碑」―「原爆ドーム」という軸線構造を持つ平和祈念公園と、厳島神社の「大鳥居」―「拝殿」―「本殿」―「弥山」という配置を重ね合わせているのである。

確かに1階がピロティとなった資料館やアーチ状の慰霊碑の形は、言われてみれば鳥居をイメージさせる。ものを見る、考えるとは、なるほどこういうことなのだ。

2017年3月25日、角川ソフィア文庫、880円。
posted by 松村正直 at 08:18| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

時評いくつか

各結社誌の時評欄には必ず目を通すようにしているが、毎月かなり充実していると思う。

「八雁」5月号の渡辺幸一「「合評余滴」について思うこと」は、率直で歯に衣着せぬ書き方が印象的であった。歌をめぐる議論の大切さを述べた文章である。

大切なのは「誰の作品のどこがいいか(あるいは悪いか)、その理由は何か」を具体的に明らかにすることである。当然ながらそうでなければ議論は始まらない。

歌壇の現状や歌の批判などをする際に、一般論ではなく具体的な人名や作品を挙げることの大切さを指摘していて、確かにその通りだと思う。この点、歌人は少し優しすぎるのかもしれない。

「梁」92号の上村典子「「読み」は金字塔」は、短歌の読みについての話。いくつもの話題を挙げているのだが、「ね」や「レチサンス」の話もあって、ちょうど「角川短歌」5月号の歌壇時評に私も書いたところだったので、面白かった。

「未来」5月号の服部真里子「内的要請と外的要請」は山中千瀬や石井辰彦の折句の歌を挙げて、「作者の内面の表白」という短歌観に疑問を呈したもの。

作者が内面を表白した歌が、名歌となることは確かにある。しかしその確率は、外的要請が名歌を生む確率とさほど変わらないのではないか。(・・・)作者自身の「表白」より、外的要請によってにじみ出てしまう何かの方が、作者を深く反映することはないだろうか。

これは確かにその通りだと思うところがあって、例えば「題詠」と「自由題」で一首ずつ歌を出してもらったりすると、外的要請のある「題詠」の方が意外と良い歌が多かったりする。

(ただし、そもそも短歌においては「定型」が最大の外的要請になっているのではないかという疑問もある。)

「短歌研究」5月号の短歌時評「歌読みは何を信じるか」では、高島裕が「人の〈本心〉がまず実体として存在し、短歌作品は、言葉によってその〈本心〉を表現したもの(であるべき)だ」という短歌観を批判しており、服部の指摘ともつながる内容だと感じた。

posted by 松村正直 at 07:16| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月11日

海遊館吟行

今日はJEUGIAカルチャーセンター主催の「海遊館で短歌を詠む」へ。海遊館には二、三度行ったことがあるが、随分と久しぶりだ。


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建物の前には鯉のぼり、ではなく、ジンベイザメやエイやゴマフアザラシの幟が翻っている。天気も良くて、小学生の団体が何組も遠足に来ている。


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建物の裏手はすぐに海。
風が強い。


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アカウミガメ。


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エイ。


実物を見ていると、歌も次々とできるので楽しい。
2時間あまりで14首。
と言っても、後から見るとどれも大した歌ではない。
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2017年05月09日

カルチャーセンター

大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
興味のある方は、どうぞご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
  A組 10:30〜12:30
  B組 13:00〜15:00
   *奇数月を松村が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作(A)」 毎月第3金曜日 11:00〜13:00
 「短歌実作(B)」 毎月第3金曜日 13:30〜15:30
   *偶数月を松村が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーセンターイオンタウン豊中緑丘 06−4865−3530
 「はじめての短歌」
  毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンターKYOTO 075−254−2835
 「はじめての短歌」
  毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00
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2017年05月08日

歌集のあとがき

以前、「塔」の全国大会で池本一郎さんにインタビューをした時、印象的な話を聞いた。(「塔」2011年11月号)

池本 『街上』のあとがきに有名なことが書かれています。受身一方でない現実のとらえ方が大事だという、それから日常の連続じゃなしに、非連続の瞬間に詩が成立するって、そういうところを大事にして、精神の抽象作用とか、表現主義的な傾向を考えていかなきゃいけないと、そういうことをはっきり宣言されてます。それが作品として一番追求されたのが『虚像の鳩』じゃないかということですね。ところが『虚像の鳩』になると、あとがきはもう全然違うことが書いてあるんですよ。もう穏やかな、自然と一致していかなきゃいけないようなね。一つ前の歌集に次の宣言をしてしまったみたいな、そんな感じが私はしてるんですけど。

松村 『虚像の鳩』の作品とあとがきとがちょっと食い違ってるということですね。

つまり、高安国世の第7歌集『街上』のあとがきに書かれている内容は、作品の上では第8歌集『虚像の鳩』に表れていて、第8歌集『虚像の鳩』のあとがきの内容は、次の第9歌集『朝から朝』に反映しているということである。

確かに、歌集に収められた作品の時期とあとがき執筆の時点とでは時差があり、あとがきを書いているのは実は次の歌集の作品を詠んでいる時期に当たるわけだ。

これは意外と盲点となっていることではないだろうか。よく歌集のあとがきを引いてその歌集の説明をする人がいるけれど、そこにはこうした時差が存在することを意識しておいた方が良いと思う。
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2017年05月07日

復本一郎著 『正岡子規 人生のことば』


今年は子規の生誕150年。様々な特集やイベントが行われている。

本書は子規の残した手紙や随筆から80の文章を引いて、子規の人生や魅力を論じたもの。全体が「泣」「希」「友」「笑」「識」「独」「親」「進」の8章に分れていて、章の冒頭にはそれぞれのテーマに即した俳句6句が挙げられている。

どの文章からも、子規の率直で力強い息遣いが伝わってくる。やはり魅力のある人だとあらためて思う。特に弟子たちに向けての厳しく真摯な言葉には驚かされる。

四、五冊の俳諧文庫さへ備へ置かず、七部集の捜索までも人の文庫をあてにするやうな人が、書物の評釈を書くなど余り大胆な事と存候。(「消息」にある碧梧桐への批判)
依頼心をやめて独立心を御起し被可成(なさるべく)候。金が足らぬといひては人に金を借るやうにては、迚(とて)もいつ迄も金ハ足るまじく候。(香取秀真宛書簡)
貴兄はたやすく決心する人で、なかなか実行せぬ人ぢや。これは第一、書生的の不規則な習慣が抜けぬためであらう。(高浜虚子宛書簡)

いずれも厳しい言い方であるが、それだけ期待もかけていたということなのだろう。子規の歯に衣着せぬ物言いには嫌味がない。

2017年4月20日、岩波新書、820円。

posted by 松村正直 at 10:56| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月06日

「塔」2017年4月号(その2)

ミニカーの運転席に人はなくエアコンの風吹いてくるのみ
                       田村穂隆

ミニカーには人が乗っていないという発見の歌。その無機質な感じにエアコンの人工的な冷たい風がよく合っている。

吾の部屋の家主ノーマン・ブレッドと電話に話せど会いたる
ことなし                   高橋武司

家主が外国の方なのだ。確かに賃貸契約を結ぶ時も不動産屋を介してなので、家主と直接会うことはあまりない。何だか謎めいている。

思い出すときにあなたとその奥に降るぼたん雪、いつまでも冬
                       川上まなみ

思い出の中の時間は進むことがない。作者にとって忘れられない相手であるあなた。それが永遠に失われてしまったことも感じさせる。

開かない日もあるけれど止まり木のような一冊かばんにいれて
                       山名聡美

「止まり木のように」がいい。忙しく大変なことの多い生活の中で、ほっと一息つけるのが読書の時間。お守りのように鞄に入れている。

水差しが傾くような礼をしてしずかなるバスに乗りゆくきみは
                       石松 佳

「水差しが傾くような」がいい。相手の人のたたずまいがよく見えてくる。その礼儀正しさが、作者には少し寂しくもあるのだろう。

転ぶなと言う人のいて転んでもいいよと言う人のいて 冬の月
                       岩尾美加子

年配の方に「転ぶな」と言うことは多い。骨折が寝たきりの原因になるからだ。そんな中で「転んでもいい」という言葉が嬉しかったのだろう。

ポケットに両手つっこみ帰路につくわら半紙色の雲を見ながら
                       中西寒天

「わら半紙色の雲」がいい。晴天ではないのだけれど、どこか懐かしさや温かさを感じる。「両手つっこみ」の素っ気なさも微笑ましい。
posted by 松村正直 at 14:50| Comment(2) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

「塔」2017年4月号(その1)

われの死を諾はざらむものひとつ小さき心臓ペースメーカー
                       尾形 貢

「諾はざらむ」という把握が独特でおもしろい。自分の死後もずっと動き続けるペースメーカーのことを想像している。

君のこゑが雪と言ひたり覚めやらぬままになづきの仄か明るむ
                       溝川清久

寝床にいながらぼんやりと、窓を開けた君の少し驚いたような声を聞いている。「仄か明るむ」が雪明りもイメージさせる。

豊島屋の三和土に小さき板おかれ白猫すわる寒き目をして
                       佐原亜子

昔ながらの古いお店。三和土に直に座るのは冷たいので、ちゃんと猫の居場所が設けられているのだ。「豊島屋」という固有名詞がいい。

干拓地の町の名前は福、富、輝、栄、あけぼの付きてめでたし
                       加藤久子

干拓地には古い歴史や由緒が何もない。そこで人工的に付けられた縁起の良い名前の町ばかりが続くことになる。

住宅地のなかをゆったりカーブするミシン目はあり地図上の
暗渠                     北辻千展

暗渠はもとは地上にあった河川であるから、街区や道路と違って自然なカーブを描いている。地図にだけ残る失われた風景。

閉じている薔薇をゆさぶり今咲けというごと言葉は子を追い
つめる                    橋本恵美

花に向ってこんなことをする人がいたら変だと思うけれど、子育ての場面において、親はついつい同じようなことをしてしまう。

十五年着しセーターを捨てて今朝我が吉祥寺の街は消えたり
                       野 岬

吉祥寺の店で買ったのか、吉祥寺に住んでいたのか。物を捨てるというのは、それにまつわる思い出も捨てることなのである。
posted by 松村正直 at 14:56| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

「マティスとルオー」展


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あべのハルカス美術館で開催されている「マティスとルオー」展へ。

国立美術学校の同級生だったアンリ・マティスとジョルジュ・ルオー。2000年代に入って発見された往復書簡を元に、約半世紀にわたる二人の親交をたどる展覧会である。

展示されている作品はルオーが7割くらい。黒の線の力強さに惹かれる。中でも『悪の華』のシリーズ12点、『気晴らし』のための原画15点が印象に残った。タロットカードみたいな感じがする。

マティスでは『ジャズ』の20点が良かった。戦後すぐの作品なのに、非常に現代的でオシャレである。
posted by 松村正直 at 20:12| Comment(0) | 演劇・美術・講演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月03日

「未来」2017年5月号

昨年「未来」に電撃的(僕のイメージ)に復帰した高島裕さんのインタビューが載っている。全8ページ。聞き手は錦見映理子さん。

高島さんの歌や人生の軌跡がよくまとまっていて、とても良かった。

みんな、親がアメリカに旅行に行ったとか仕事で行ったとかそういう話をしているなか、私が「父はマレーシアに戦争に行きました」っていうと大笑いされて(笑)
最初の頃は都市的な猥雑さを歌にしていましたけど、そのうち、そういうものを忌むようになって、「伝統詩としての短歌」というところに自分の根拠を求めるようになったんです。
やっぱり、私は岡井さんの弟子だっていうことですよね。岡井さんから学んだことは絶大だと思います。
歌である以上、今を生きている命のリアリティがないとだめなわけで、今を生きている以上、様式的な美からははみ出すことが常にあるわけです。
妻のグラフィックデザイナーの石崎悠子と出会ったということが大きいですね。他者の力で自分が変わっていくのに驚いたし、いい形で変わっていける相手だったんです。

どれも歌人高島裕や高島の歌を論じる際に、大事なポイントと言って良いだろう。今後の活躍がますます楽しみである。

posted by 松村正直 at 12:20| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

山中伸弥・羽生善治・是枝裕和・山極壽一・永田和宏著 『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』


京都産業大学で行われている講演・対談シリーズ「マイ・チャレンジ」の第1回から4回までを収めた一冊。実際の講演や対談を聞いている感じですらすらと読める。

今、インターネットなどによって世界の距離は近くなっていると言われます。でも、実際に行くのとはまったく違う。僕が毎月アメリカに行く理由の一つはそれなんです。(山中伸弥)
大事なのは、研究データをディスカッションするときに、身分の上下があっては絶対にいけないんです。教授が言うことだから正しいなどということは、本来ありえない。(永田和宏)
最近、スマホを持っていると、ほとんど道に迷うこともないじゃないですか。以前は道に迷ったりして、でも迷子になりながら、なんとか目的地にたどり着くという楽しみもあった。(羽生善治)
自分の予想を超えるもの、予想と違うものが出てこないと満足しなくなってしまったところがあります。(是枝裕和)
重要なのはディベートではなく、ダイアローグにすること。つまり、どちらが正しいか、どちらが勝つかということが重要なのではない。勝ち負けを目的とせず、お互いを高め合うような議論をするということです。(山極壽一)

一流の人の話というのは、どんなジャンルの人であってもやはり面白いものだ。

2017年2月20日、文春新書、700円。
posted by 松村正直 at 20:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

文明の後半戦

『景徳鎮』を読んでいて、思わず笑ってしまった歌がある。

『南集』『續南集』と読み継ぎて『續々南集』に倦み果つ
              大辻隆弘『景徳鎮』

そうだよなあ〜(笑)。これは、土屋文明の全歌集を読んだ人は誰しも感じるのではないかという思いだ。しかも、その後に、まだ『青南後集』『青南後集以後』が控えているのである。

アンソロジーや評論によく引かれる文明の歌は、第8歌集『自流泉』(昭和28年、文明63歳)までのものが多い。けれども、実はそれはまだ前半戦であって、第9歌集『青南集』以降の後半戦が相当に長いのである。何しろ文明は満100歳まで生きたのだ。

『青南集』1355首、『続青南集』1413首、『続々青南集』1290首という圧倒的なボリュームに、読んでも読んでも終わらないという感想を抱く。ひょっとすると、その苦行(?)に耐えることが文明の歌を理解するには不可欠なのかもしれない。
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2017年04月29日

講演会「ミルクキャラメルの物語」


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昨年9月3日に呉市立美術館で行われた講演会「ミルクキャラメルの物語」(講師:野秋誠治)の中で、私の評論「森永ミルクキャラメルの歌」(「歌壇」2016年8月号)に触れていただきました。

 さかだちをしたる天使の性別に話題は移るキャラメルむきて
                吉岡生夫『草食獣・勇怯篇』

動画の3:10(3分10秒)のあたりからです。
https://www.youtube.com/watch?v=krX7QcSBsAA

講師の方が「和歌」「和歌」とおっしゃっているのが印象的。「短歌」よりも「和歌」という呼び方のほうが今でも一般には通用しているのかもしれません。
posted by 松村正直 at 11:54| Comment(0) | 演劇・美術・講演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

「マイ・チャレンジ」 第6回


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京都産業大学特別対談シリーズ「マイ・チャレンジ」の第6回に
行ってきた。

第1部は平田オリザさんの講演「わかりあえないことから」。
第2部は平田さんと永田和宏さんの対談。

コミュニケーション能力や異文化理解、コンテクストのずれの問題
など、非常におもしろい話であった。
posted by 松村正直 at 23:08| Comment(0) | 演劇・美術・講演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

大辻隆弘歌集 『景徳鎮』

2011年から2014年までの作品357首を収めた第8歌集。
父の入院や死を詠んだ歌と終わりの方にある相聞歌に注目した。

神田川の濁れる水を撓ませて舷(ふなべり)ひくき汽船がのぼる
通勤はわが旅にして朝霧のいまだ漂ふ谿(たに)ひとつ越ゆ
稀勢の里の取組ももう見なくなり北窓の部屋に父はまどろむ
いま窓を過ぎしは鵯(ひよ)かしらじらと梅咲く枝に影を落として
聴覚は終(つひ)に残ると言ひしかどそを確かめむ術(すべ)はもう無い
翅の音はゆるく記憶を攪拌す藤の匂ひに熊蜂がきて
ボルヴィックの水をたづさへわれは立つ丸木位里「原爆の図」の前
夜をこめて悲しみをれば悲しみは鈍き疲れとなりて鎮もる
背を反らし浅き嗽ひをするひとよあなたの喉に水はせせらぐ
夕部屋に銀のひかりの檻を編むふたりの指をしんと撓めて

1首目、「撓ませて」「舷ひくき」といった表現が巧み。
2首目、日常の中にふと旅を感じる心。
3首目、相撲の好きな父だったのだろう。もうその気力もない。
4首目、一瞬窓を過ぎった影の正体を想像している。
5首目、死を前にした父の姿。結句だけ「もう無い」と口語にしたところに感情が滲む。
6首目、ブ〜ンという低音の翅音に呼び覚まされるようにして何かを思い出す。
7首目、原爆と水の取り合わせ。日本の水でもアメリカの水でもなく、フランスの水であるところがうまい。
8首目、「悲しみ」という感情が「疲れ」という身体的な感覚になって鎮まりゆくまで。
9首目、嗽をしているだけの場面なのだが、健康的なエロスを感じる。
10首目、「檻を編む」という比喩がいい。その中に二人で閉じ込められているような気分。

2017年3月20日、砂子屋書房、2800円。
posted by 松村正直 at 20:40| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

石山修武(文)・中里和人(写真)『セルフビルドの世界』


副題は「家やまちは自分で作る」。

2008年に交通新聞社から刊行された『セルフビルド―自分で家を建てるということ』を増補、再編集して文庫化したもの。
初出は「STUDIO VOICE」「Memo 男の部屋」の連載。

一畳だけの書斎、トタンでできたバー、ビニールハウスのレストラン、自動車に乗る二階建ての家、貝殻だらけの公園など、人が手作りした家やモノなど30の物件を取材して写真入りで紹介している。

そこには「セルフビルドとは身の回りの環境を作る歴然たる方法」「セルフビルドとは皆一様に今の文明文化の危機的状況に対しての批評表現の事例群」「セルフビルドとは自己構築である。まず何よりも自分世界を構えようとする意志なんである」という著者の信念がある。

子どもが家の近所に秘密基地を作る気持ちと行動力に似ているかもしれない。

今は少しばかりややこしい時代だ。アーティストがアートを大いに意識して作ったものが作品として日常の壁を越えられることは稀だ。ほとんどないと言ってもよい。
家を買うために一生を不自由に暮らさなければならないとしたら、そんな家は疫病神であるとしか考えようがない。
二十世紀最大級の発明品は明らかに自動車である。それなのに我々は、それを収納する場所は発明できなかったのだ。

こうした現代社会に対する鋭い批評が随所に盛り込まれている。カラー写真も豊富で、あれこれと想像を掻き立てられる。

2017年4月10日、ちくま文庫、1400円。
posted by 松村正直 at 09:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

平井弘インタビュー

「塔」2017年3月号・4月号に掲載された平井弘インタビュー「恥ずかしさの文体」が、とてもおもしろい。平井さんのファンは必読だと思うし、短歌の文体や口語、他者、社会詠の問題を考えるヒントもたくさん出てくる。

私が歌を作り始めた頃一番影響を受けたのは相良宏ですね。
あと作家で言えば、最初の頃は大江健三郎の影響はもうたくさん受けてます。
短歌というのは、やっぱり一人称の詩型だから、相手を見るときにどうしても自分の投影になっちゃうんですね。どうしてもその相手は他者としての性格をなくしちゃってるんですよ。
主体のねじれがあると嫌われますけど、私の歌の中ではそれが無意識にいっぱい出てくるんですよ。
多義性は絶対手放したくないし、手放せないんですよね。私の歌から多義性取ったらもう何も残らない。
安倍政権が悪いったって、対者を倒したらそれでいいのかというと、そういう問題じゃないと思う。選んだ自分たちの方が変わらないと、安倍さん倒したところで何も本質は変わらないですよ。

最初から最後まで、驚くほど率直に語って下さっている。
記憶も思考も非常に明晰で、やはりただ者ではないという感じだ。
posted by 松村正直 at 06:14| Comment(2) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

佐藤通雅歌集 『連灯』

著者 : 佐藤通雅
短歌研究社
発売日 : 2017

2013年から2016年にかけての作品340首を収めた第11歌集。

栞紐の白をはさみて灯り消す書にも一夜の安寝あるべし
性をもつことはときどきくるしくて葉につつみてはゆびさきぬぐふ
子はいらんかねといふなら全部買ひたいな保育園児の散歩の車
花終へし山は緑を急ぐなり声喪ひて叔父は鈴振る
十円玉で用をすませてボックスを出るとき人間に戻ったやうな
歩道橋の長き腹部を仰ぎみるその上を人はつつがなく行く
集合写真撮らむと若き職員が車いすの人の脇に膝折る
いふなれば最(さい)当事者であるひとの名が慰霊碑にふたつ加はる
疲れやすき目になりたりと日に四度天を仰ぎて滴を贈る
表通りの家に「売家」の札はあり老いの気配のいつしか消えて

1首目、「安寝」は「やすい」。作者だけでなく本も眠りにつく。
2首目、ひらがなの「くるしくて」に実感がある。下句は自慰のメタファーとして読んだ。
3首目、確かに見ようによっては販売車のようでもある。
4首目、声が出ないので鈴を振って人を呼ぶのだ。明るい季節との対比に寂しさがある。
5首目、電話ボックスから出た時の別世界のような感覚。
6首目、「長き腹部」がおもしろい。表と裏の違い。
7首目、車椅子の人に対する心遣いが自然と表れた場面。さり気ない動作が美しい。
8首目、東日本大震災の歌。行方不明者の遺体が見つかって死者となったのである。
9首目、「目薬をさす」と言わずに表現しているのがいい。
10首目、もともとあまり姿を見かけることもなく、ひっそりと気配だけがある家だったのだ。

2017年3月11日、短歌研究社、3000円。

posted by 松村正直 at 06:10| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする