2019年03月15日

母の料理


静岡駅から甲府駅へと向かう身延線は、富士山が間近に見える路線だ。
母の家に行く時は、これが楽しみの一つ。


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母は昔から料理の得意な人だったけれど、連れ合いを亡くして一人暮らしになったことや病気の影響もあって、最近はほとんど料理らしい料理をしていないらしい。ご近所の人がずいぶん心配していた。

でも、今回は息子が来たというので、張り切っていろいろ作ってくれた。


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初日の夕食。


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二日目の朝食。

食べてくれる人さえいれば、今でもけっこう料理はできるようだ。
それだけでもだいぶ安心する。

母の短期記憶はかなり衰えてしまっているので、僕が昨日母の家にいたことや母の料理を食べたことは、もう覚えていないかもしれない。だから、ここに写真を載せておくね。

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2019年03月13日

山梨へ


今日から1泊2日で山梨へ行ってきます。
母が大学病院を受診するので、その付き添いに。

両親が離婚してからは母子家庭だったこともあって、
母との関係だけは今でもちょっと特別な感じがある。

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2019年03月11日

松澤俊二著 『プロレタリア短歌』


コレクション日本歌人選79。

1920年代後半から30年代にかけて興隆したプロレタリア短歌50首を取り上げて、一首につき2ページで解説・鑑賞した本。見出しの歌以外にも関連する歌が多く挙げられ、プロレタリア短歌の概要を摑むことができる。

 遅れ霜に葉はみな枯れた桑畑に春蚕(はるご)をみんな父とう
 づめた                      中村孝助
 猿の手だか人の手だかわからない手が一斉に粥を啜つてゐる
 冬の夜だ。                   井上義雄
 お袋よ、そんな淋しい顔をしないでどうしてこんなに苦しいのか
 それを考へて下さい              小澤介士

50首の歌はどれも初めて読むものばかり。短歌史におけるプロレタリア短歌の位置付けは知っていても、作品自体についてはほとんど何も知らなかったことに気づかされた。

作者の略歴を見ると、実に18名が「詳細不明」となっている。プロレタリア短歌の活動期が短かったことや、弾圧に備えておそらく筆名を使っていたことなどが背景にあるのだろう。そこに、プロレタリア短歌のたどった苦難の歴史が垣間見える。

 オリムピック!オリムピックと書きたて生活の問題忘れさせよう
 とする                     山埜草平
 むつと涌(わ)く怒りをこらへてゐる事務室。秋空に奉祝の花火
 があがる。                   会田 毅

前者は1936年のベルリンオリンピックの歌で、後者は1928年の昭和天皇の即位の大礼の歌。どちらも、今の歌と言っても通用しそうな内容だ。

プロレタリア短歌は、読者を「過去」にアクセスさせる媒介になりうるのだ。そこから私たちは、未来を拓くための知識や社会の見方を新たに獲得し、何らかの教訓を得ることもあるに違いない。

解説の最後に記された言葉が、ずしんと胸に残る。

2019年1月25日、笠間書院、1300円。

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2019年03月10日

仙台歌会


今日は「塔」仙台歌会へ。
朝7:00に家を出て、京都から新幹線に乗り11:30仙台着。
良い天気で暑いくらい。

昼ご飯を食べて、13:00から17:00まで歌会。


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会場は仙台市シルバーセンター。
参加者18名と賑やかで、初めて会う若い人も多かった。

その後、近くの店で懇親会。
19:30の新幹線に乗って、23:50帰宅。
京都は大雨であった。

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2019年03月09日

現代短歌フェスティバル イン 京都


3月30日(土)に京都で「現代短歌フェスティバル イン 京都」(現代歌人協会主催)が開催されます。中身の濃いシンポジウムになりそうですので、お時間のある方はぜひご参加ください。

http://toutankakai.com/event/9124/?instance_id=1610


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2019年03月08日

松沢裕作著 『生きづらい明治社会』


副題は「不安と競争の時代」。

明治時代の日本社会を「景気の悪化」「都市下層社会の誕生」「不十分な貧困者対策」「自己責任論と通俗道徳」「立身出世主義」「女性の弱い立場」「都市民衆騒擾の発生」といった観点から分析した本。ジュニア新書ということもあって、非常に読みやすい文章で書かれており、論点がすっきりと伝わってくる。

「生きづらさ」は昨今のニュースや短歌においても大きなテーマになっているが、同じような状況が明治時代にもあったことを、この本は教えてくれる。明治維新や日清・日露戦争の勝利といった「明るい明治」のイメージが語られることも多いが、実際の人々の暮らしはそうでもなかったようだ。

明治時代の社会と現在を比較して、はっきりしていることは、不安がうずまく社会、とくに資本主義経済の仕組みのもとで不安が増してゆく社会のなかでは、人びとは、一人ひとりが必死でがんばるしかない状況に追い込まれてゆくだろうということです。

著者の狙いは、明治時代の分析を通じて現在の社会が抱える問題点を解き明かすことにある。それはまた、私たち一人一人の今後のあり方を考えることにもつながる話であろう。

2018年9月20日、岩波ジュニア新書、800円。

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2019年03月06日

澁川祐子著 『オムライスの秘密 メロンパンの謎』


副題は「人気メニュー誕生ものがたり」。
2013年に彩流社より刊行された単行本『ニッポン定番メニュー事始め』に加筆修正・改題して文庫化したもの。

「カレー」「餃子」「牛丼」「コロッケ」「ショートケーキ」など、私たちの食卓に欠かすことのできないメニュー28品を取り上げて、そのルーツや来歴を解き明かしている。

日本におけるカレーの普及において、イギリスというワンクッションが果たした功績は大きい。歴史に「もし」はないというが、もしカレーが「カレー&ナン」の形でインドから直輸入されていたら、日本でこれほど定番メニューになったかどうか。
今ではパスタの茹で方といえば、芯が少し残るくらいの茹で立ての「アルデンテ」が当たり前。しかし、この言葉が普及したのは、セモリナ粉100%のパスタが普通に手に入るようになった1980年前後と、つい最近のことだ。
鷄肉が日本で広く流通するようになったのは、戦後である。肉用若鶏のブロイラーの生産が始まったのは、1953(昭和28)年になってからだ。

明治以降、肉食を始めとした西洋料理を日本風にアレンジした「洋食」が次々と生み出されてきた。それが1980年代くらいからだろうか、イタリアンやフレンチなどの店が増え、「本場」の「本格的」な味が手軽に楽しめるようになった。

それに伴って、「洋食」が実は日本にしかない料理であることに私たちは気づかされることになった。それは、私にとってはちょうど子供から大人への成長の時期にも重なる。その哀しさと懐かしさのような記憶が、昭和という時代とともに、この本を読んで鮮やかに甦ってきた。

2017年2月1日、新潮文庫、590円。

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2019年03月05日

カルチャーセンター


大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。
まったく初めての方も大歓迎です。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日 *奇数月を松村が担当しています。
   A組 10:30〜12:30
   B組 13:00〜15:00

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」 毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作(A)」 毎月第3金曜日 11:00〜13:00
 「短歌実作(B)」 毎月第3金曜日 13:30〜15:30

◎JEUGIAカルチャーイオンタウン豊中緑丘 06−4865−3530
 「はじめての短歌」 毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンター京都 de Basic. 075−254−2835
 「はじめての短歌」 毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」 毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「短歌教室」 毎月第2月曜日 13:00〜15:00


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2019年03月04日

亡霊

15年ぶりくらいに、またニューウェーブの話で盛り上がっている・・・

〇松村正直・川本千栄編「ニューウェーブ世代の歌人たちを検証する〜俵万智・加藤治郎・荻原裕幸・水原紫苑・穂村弘〜」(2001年11月)
〇松村正直「もうニューウェーブはいらない」(「角川短歌」2002年12月号)
座談会「つながりと信頼」(小林信也・松村正直・真中朋久・吉川宏志、「塔」2003年2月号)

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2019年03月03日

高野公彦著 『北原白秋の百首』


「歌人入門」シリーズの一冊。

北原白秋(多磨)―宮柊二(コスモス)の系譜を継ぐ著者が、白秋の短歌100首を取り上げて鑑賞・解説した本。

一首につき250字と短い分量ながら、歌の魅力や特徴を的確に解き明かすだけでなく、時代背景や白秋の人生も要領よく描き出している。

「な鳴きそ鳴きそ」は江戸期の端唄(はうた)から採ったフレーズで、「鳴くな鳴くな」の意。
一首の中に隠れている「シ、ス、ス、サ、サ、ソ、シ」という七個のサ行音の響きが、歌に清新さを付与している。

それぞれ「春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕べ」「ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫ひそめし日」の鑑賞の一部だが、大事な指摘と言っていいだろう。

白秋短歌のエッセンスが詰まった一冊である。

2018年5月25日、ふらんす堂、1700円。

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2019年03月02日

「塔」2019年2月号(その2)

 夢をみて目覚めぬままにゆくこともあるやも知れずあるを願えり
                         西村清子

「ゆく」は「逝く」の意味。眠りながら夢を見ながら死ぬことができたら、確かに何の苦しみもなくて幸せなことだろう。でも、自分では決められない。

 〈ここまでのあらすじ〉彼は結婚し家と職場を行き来してゐた
                         益田克行

連載小説などでよく見かける「ここまでのあらすじ」という言葉を取り込んだのが面白い。三句以下はおそらく作者自身のこれまでの人生のこと。

 落ちている手袋が道に指四本広げて鳥の地上絵のよう
                         川上まなみ

結句の比喩が面白い。ナスカの地上絵という全く大きさの違うものを持ってきたことで、日常の一こまが不思議な広がりを感じさせる歌になった。

 猫が水を飲む音 深い就寝の底には青い花野があって
                         田村穂隆

ベッドで眠りながら、かすかな意識のなかで猫が器の水を飲む音を聞いているところ。三句以下、現実と夢とが交錯するような美しさを感じる。

 犯人は画家だと確信得たる時かをりを立てて紅茶が届く
                         近藤真啓

喫茶店などで推理小説を読んでいる場面。本のなかの世界に没頭していると、注文した紅茶が運ばれてきて一瞬現実の世界に引き戻されたのだ。

 あったあったと生落花生を手に入れて塩茹でにしてふるさとにいる
                         真間梅子

落花生は炒って食べるのが一般的だが、地域によっては茹でて食べるところもある。塩茹での落花生を食べると故郷に帰って来たと感じるのだ。

 前の席にすわる女の眼鏡ごし雨降る車窓の景色ながれる
                         水野直美

視点の面白い歌。バスの前の座席の人の眼鏡越しに見える風景を詠んでいる。眼鏡と窓と雨を通して見える歪んだ景色に、生々しい臨場感がある。

 秋の日差しに影しっかりと僕はある いたいと決めてここにいること
                         長谷川麟

「影しっかりと」という表現が印象的な歌。地面に映るくっきりとした影を見て、自分自身の存在や決断をあらためて再確認しているところであろう。

 ベランダで黒板消しを叩いてる君が風にも色を付けつつ
                         近江 瞬

「風にも色を付けつつ」がいい。黒板消しに付いたチョークのピンクや黄色の粉が、風に舞って流れていく様子。君に寄せる恋心も滲んでいるようだ。

 行列の人数分の弁当は社務所の方に運ばれて行く
                         宮脇 泉

神社の祭の行列に参加している人が食べるための弁当。華やかで非日常的な祭の裏で、人数分の弁当の手配という現実的なことが行われている。

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2019年02月28日

卒業

毎月第4木曜日は「塔」の京都平日歌会。
2012年から始まって79回目、今日の参加者は17名だった。

午後4時、賑やかな歌会が終ってみんながぞろぞろと部屋を出ていく中、Sさんが僕のところにやって来た。

「平日歌会に来るのは今日でおしまいにします。」

とおっしゃる。今年で90歳を迎える年齢を考えて、歌会への参加は終わりにすると言うのだ。

歌会を立ち上げてから7年あまり、一緒にやって来た歳月のことを思った。何しろSさんはこれまでの79回のうち77回出席と、一番参加回数の多い方なのである。(ちなみに私は74回)

決心の固さは表情からわかったので、もう引き止めようとは思わなかった。何かが起きて来られなくなってしまうのではなく、お元気なうちに自分で区切りを付けるのがSさんらしいとも思った。

「それじゃあ、平日歌会卒業ですね。」

と僕は言った。
それから、

「おめでとう、と言ったらいいんですよね?」

と聞くと、

「ええ。そうよ。」

と答えて、にっこり笑って下さった。


Sさんにはこれまで随分と励ましていただいた。午前中から来てお昼ご飯を差し入れてもらったことも何度もある。いつも明るい笑顔で歌会を和ませてくれたのもSさんだった。

今まで本当にありがとうございました。

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2019年02月27日

「塔」2019年2月号(その1)


 境内に並み居る菊の大輪に見入る人びと菊のかほして
                         干田智子

寺社で開かれている菊花展を見にいったところ。結句「菊のかほして」がおもしろい。人間よりも展示されている菊の方が強い個性を放っている。

 人のために費やす時間は必ずしも清らかでない時もあるから
                         片山楓子

「人のために」と言うと何か良いことのような印象を受けるが、実際には、妬んだり憎んだり怒ったり悪だくみをしたりに費やしている時間も多い。

 捕えられし仲間を見守る十あまり浅瀬に集いて動くともなし
                         福政ますみ

前の歌を読むと、青鷺に鴨が捕まった場面とわかる。他の鴨たちは捕まった一羽を助けようとはしない。自然界の動物たちのありのままの姿である。

 ハローキティみたいにずっと口もとを隠したままで生きていきたい
                         上澄 眠

話をする時や食事をする時など、口もとを見られるのは緊張することかもしれない。何しろ身体の内側がむき出しになって見えてしまうのだから。

 配管の曲がるところに満月のひかりは溜まる 溜まれどこぼれず
                         金田光世

建物の外側に付いている配管の曲線部分が月の光を受けて光っている。「ひかりは溜まる」と表現したのがいい。光が液体のように感じられる。

 長傘はたたまれてみな下を向くそれぞれ兵のごとく疲れて
                         宮地しもん

下句の比喩が印象的だ。ずぶ濡れになった兵士たちが俯いて束の間の休息を取っている姿が目に浮かぶ。緑や紺や黒っぽい傘が多いのだろう。

 秋雨の午前一時に打ち終えた引継資料に印強く押す
                         佐藤涼子

夜遅くまで残業をして、あるいは家に仕事を持ち帰ってという場面。結句「印強く押す」がいい。ようやく資料が完成した疲労感と充実感がにじむ。

 時計屋に時計いくつも売られつつ時間は売られていない真昼間
                         鈴木晴香

発想のおもしろさに惹かれた歌。確かに「時計」は売っていても「時間」が売られているわけではない。それでも時計が並ぶ光景には何となく夢がある。

 新しいバイト入りて今までのバイトは電話をとらなくなりぬ
                         和田かな子

職場では電話の応対をまず教わることが多い。自然と一番新しい人が電話を取ることが多くなる。「今までのバイト」の子は一つ序列が上がったのだ。

 コンバインくるりくるりと滑り行く列なす稲穂を吸い込みながら
                         川述陽子

コンバインによる稲の収穫風景。刈り取り・脱穀・選別を一度にやってしまう優れもの。「滑り」「吸い込み」に機械のスムーズな動きが感じられる。

posted by 松村正直 at 19:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月25日

「角川短歌」2019年3月号


座談会「歌壇・結社のこれからを考える」が面白かった。

参加者は梅内美華子・生沼義朗・澤村斉美・小島なお・寺井龍哉の5名。
皆さんかなり率直に突っ込んだ意見を述べ合っていて、中身が濃い。

寺井 結社に入った場合の負担と恩恵を天秤にかける意識はすごくあると思う。結社に入っていろんな人間関係ができて、いろんな歌が読めるようになるということと、でもお金もかかるし、時間も取られるし、作業もしなければいけないということ。その天秤で揺れて、結社に入らない選択をする人はすごく多いんじゃないかと思います。
寺井 (・・・)定期的に選を受けて、どれが落ちてどれが載ったかという判断を基に勉強するということは求めていないんじゃないかという気はします。でもそもそも、選を受けて腕を磨くという、段階的・歌学的なコースみたいなものが今後の短歌の世界も有効かどうかは大いに疑問だと思います。

こうしたテーマの座談会は「やっぱり結社はいいよね!」といった結論になりがちなのだが、今回は結社に入っていない寺井さんが参加したこともあって、かなり開かれた議論になっているように感じた。

posted by 松村正直 at 21:37| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月24日

島内景二著 『竹山広』


コレクション日本歌人選の一冊。
副題は「生涯歌い続けた長崎原爆への怒り」。

長崎県生まれの著者が「短歌を愛する国文学者として、竹山広を日本文学史に正当に位置づけたい」という意図をもって、竹山の短歌50首を鑑賞・解説している。

身を薙ぎて一瞬過ぎし光あり叫ばむとしてうち倒れゐき
水のへに到り得し手をうち重ねいづれが先に死にし母と子
夜に思ふこと愚かにて絶命ののちいつまでも垂りし鶏の血
おそろしきことぞ思ほゆ原爆ののちなほわれに戦意ありにき
医者にかかりし覚えがなしといふ人の後ろにも死は近づきをらむ

「記憶のリアリティ」を目指す竹山短歌は、「アララギ」の写実とも反写実の前衛短歌とも違う第三の道である、というのが本書の骨子である。

古典や啄木、佐太郎との関わりなど、著者の豊富な知識と調査が生かされた一冊であるが、やや情熱が空回りしている部分も散見される。

2018年11月9日、笠間書院、1300円。

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2019年02月23日

畑村洋太郎著 『技術の街道をゆく』


失敗学の提唱者として知られる著者が日本各地の技術の現場を訪ね歩き、日本の製造業が抱える問題点や今後の課題を示した本。タイトルは司馬遼太郎の『街道をゆく』を踏まえている。

技術は経営と切り離しては成り立たない。「良い技術」というだけで生き残れるほど、技術の世界は甘くない。
一見まったく別物に見える技術も、ミクロメカニズムの視点から見ると、ほとんど同じというケースはよくある。古来の焼き物の技術が、現代の最先端技術と深いつながりをもつのは、その良い例であると思う。
いま目の前にあるものを見て時間軸を逆にたどり、「どのように作られたのか」「どんなことが起きたのか」と考えていくと、今という時点での静止画的な断面図から創造や推察を駆使して、生きいきと動く立体図を作ることができる。

他にも「技術は伝えようとしても伝わらない」という指摘など、興味深い話が多かった。

2018年1月19日、岩波新書、760円。

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2019年02月22日

「パンの耳」を読む会

来月3月1日(金)に、西宮で「パンの耳」を読む会を開催します。
岩尾淳子さん、大森静佳さんをゲストに迎えて、昨年刊行した同人誌
「パンの耳」について語っていただきます。批評会・懇親会ともに、
どなたでも参加できますので、興味のある方は松村までご連絡ください。


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2019年02月21日

凌雲閣

 浅草の凌雲閣(りょううんかく)のいただきに
 腕組みし日の
 長き日記(にき)かな
             石川啄木『一握の砂』

凌雲閣は1890年に竣工した12階建ての展望塔で、高さは52メートル。当時、日本一の高さを誇る建物であった。別名「十二階」と呼ばれることもある。

観光名所として人気を集めた建物であったが、1923年の関東大震災で上部が崩落し、その後、解体された。

『一握の砂』の序文を書いた渋川玄耳の『藪野椋十日本見物』(1910年)という旅行案内を読んでいたら、この凌雲閣の話が出てきた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762983

凌雲閣!なる程丁度十二階ある。一体何の為に建てたものぢやらうか、滅法に高いものぢや。少し歪んで居る様ぢや。筋金が打つてある。是は険呑ぢや。彼(あ)れが崩れたら其麼(どんな)ぢやらう、考へて見てもゾツとする。流石に東京者は胆が据つて居る哩(わい)、彼(あ)の危険物を取払はせずに、平気で其近所に住んで居るのは。尤も博覧会は東京に雨が降らぬものとして建てた相ぢやから、此十二階も地震の無い国の積ぢやったらう。

最後の「此十二階も地震の無い国の積ぢやつたらう」は、13年後の地震による崩壊を予言したかのような一文ではないか。

渋川玄耳、すごい!

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2019年02月20日

松本健一著 『石川啄木望郷伝説』


「近代日本詩人選」の一冊として1982年に筑摩書房より刊行された『石川啄木』を中心に、その他の啄木関連の文章を増補してまとめた一冊。著者の「伝説シリーズ」の第3巻となっている。

「故郷喪失」や「敗北の自己認識」「大衆性」をキーワードに、ロマン主義から自然主義そして晩年の社会主義への接近といった啄木の作風の変化を読み解いている。

著者とは生前に一度、「短歌往来」2012年1月号で対談させていただいたことがある。笑顔は柔和だったが言葉にも表情にも一本芯が通っていて、怖いくらいの鋭さを感じる方であった。

2007年6月、勁草書房、2300円。

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2019年02月18日

宇田智子著 『市場のことば、本の声』


大手書店を退職して2011年に那覇で古本屋を開業した著者のエッセイ集。著者の本はこれまでに2冊紹介したことがある。

『那覇の市場で古本屋―ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139340.html
『本屋になりたい―この島の本を売る』
http://matsutanka.seesaa.net/article/421633314.html

初出は「BOOK5」「フリースタイル」「本」などの雑誌。古本屋店主として働きながら様々な執筆活動も行っているようだ。

私の店には時計はなくても、カレンダーはある。(・・・)そして必ず旧暦が併記されたカレンダーを使っている。旧正月や旧盆だけでなく、毎月の拝みや季節の祭りなど、沖縄では旧暦にしたがってなずべき行事がとても多いらしい。
美容室ではなぜ言葉が通じないのか、ずっと悩んできた。こうしてくださいと伝えて、そのとおりになったためしがない。
もしも入力に手だけでなく足のペダルも必要だったら、文章はどう変わるだろう。ピアニストのような全身のうねり、自転車をこぐときの軽やかさなどが表せるだろうか。いま書きながら足を動かしてみたけれど、よくわからなかった。

沖縄のことや市場のことや本をめぐる話など、読んでいて楽しい。と同時に、小さな店から眺める風景の中に、現代社会の様々な問題が浮かび上がってくる。

2018年6月10日、晶文社、1600円。

posted by 松村正直 at 07:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする