2017年03月10日

ネットと調べもの

中学生の息子と話をしていて感じるのは、「ネットで調べれば何でもわかる」という意識が強いことである。「ネットには何でも載っている」と、ネットに絶大な信頼を置いているように感じる。

それも無理はないことだ。

大阪へ行く電車の時刻や料金、あるいは数学の問題の解き方、神話に出てくるモンスターの名前など、彼が今必要としている知識や情報のほとんどは、確かにネットに載っている。それもかなり詳しく。かつて私が子どもの頃に引いた百科事典の解説の比ではない。

便利な世の中になったと思う。その恩恵は、私も日々受けている。昔だったらわからずじまいだったことが、家にいながら調べられるのは本当にありがたい。

一方で、「ネットには何でも載っている」という感覚は、人生をつまらなくさせてしまうようにも思う。世の中のすべての出来事が、既にわかっていて、決まっていて、もう動かせないものであるかのように感じるからだ。

実際は全くそんなことはない。

例えば僕がここ数年追い続けている「松村英一の歌碑」のことだって、いまだに樺太に現存しているのかどうかわからない。ネットで調べても絶対にわからない。現地に行って歩き回って探して、ようやく「あった!」とか「……ないな」とか、わかるかもしれないといったことである。

あるいは山野井洋のことだってそうだ。これまで、詳しい経歴や人物像がほとんどわかっていなかった。ネットで検索してみても、僕のブログの記事がヒットするくらいである。でも、地道に調べて行く中で、少しずつではあるがいろいろなことがわかってくる。

それが楽しい。

真っ暗な場所を歩いていて、ぽつんぽつんと灯りがともっていくように、少しずつまわりが見えてくる。一か所が見えてくると、それがまた次の灯りにつながって、徐々にあたりが明るくなっていくのである。

そこにあるのは、既にある知識ではなくて、今まさに出来たばかりの知識だ。存在しなかったものが生まれる瞬間と言ってもいい。世の中には、まだ誰も知らないことが、きっと山のように残されている。

それを見つける喜びを、いつか息子も知ってくれたらいいなと思う。

posted by 松村正直 at 12:34| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月09日

石田比呂志歌集 『冬湖』

2011年に亡くなった作者の7回忌にあわせて刊行された遺歌集(第18歌集)。2010年から11年にかけての作品186首と未定稿歌抄39首、さらに自らの生い立ちを綴ったエッセイ「孑孑記(げつげつき)」を収める。

地下街の動く階段のぼり来て大欠伸の口地上にて閉づ
尾の切れし本体よりも切られたる尻尾(しっぽ)の方がよっぽと痛い
寝そべりていたりし犬が立ち上がり思い定めし如くに歩く
海峡の空低くゆく漂鳥を標的として襲う鳥あり
あけぼののきざせる部屋に石に降る雨を聞きおり眼鏡を置きて
背後(うしろ)から光が射せば前方に落つる外なき影に首あり
置き去りにされし鷗も居残れる鷗も白し夕日が中に
一方(ひとかた)に向きて湖面を漂える鴨あり首を風に吹かれて
飛ぶ鳥は必ず墜ちる浮く鳥は必ず沈む人間は死ぬ
石ころは石ころなりに所得て旅心(りょしん)動くということのなし

1首目、地下から地上に出る時のちょっとした緊張感。
2首目、組織と個人の関係としても読める歌だ。
4首目、渡り鳥の群れを襲う猛禽の姿が生き生きと目に浮かぶ。
5首目、「眼鏡を置きて」がいい。雨音だけが心に沁み込んでくる。
6首目、「首あり」と言うことで反対に斬首の場面がイメージされる。
9首目、何ともすごい歌だと思う。身も蓋もない。7首目から9首目は絶詠「冬湖」30首より。力のある歌が多い。

「孑孑記」も非常に味わいがある。未完に終ってしまったのが惜しい。

2017年2月18日、砂子屋書房、2500円。

posted by 松村正直 at 09:54| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月08日

羽生善治著 『羽生善治 闘う頭脳』


2015年3月に刊行された文春ムック「羽生善治 闘う頭脳」の文庫化。

小学校・中学校の頃はよく将棋を指していたが、今はまったくやらない。でも、将棋に関する本を読むのは好きだ。

羽生さんとは同じ年齢ということもあって、いわゆる「羽生世代」の棋士の動向は特に気になる。森内俊之九段がB級1組に降格したニュースなどにも、つい立ち止ってしまう。

本書は羽生善治と池谷裕二(脳科学者)、小川洋子(小説家)、為末大(アスリート)、山折哲雄(宗教学者)、沢木耕太郎(作家)などとの対談やエッセイを収めた一冊。

私はプロになってもう二二年目ですので、何もしないとどうしても安全に、無難に、という手を選んでしまいます。それではプロ同士の戦いに勝てません。
人間はやはり視覚から入って来る情報が非常に大きな部分を占めているので、それは非常に便利なのですが、簡単に入ってきたものは簡単に忘れてしまいます。
ミスはしないに越したことはないのですが、それでもミスはしてしまいます。大事なのはミスをした後、ミスを重ねないことだと思っています。

25歳の若さでタイトル七冠を独占し、現在もトップ棋士の地位を保つ著者の発言は、非常に示唆に富む。一流の人の語る話はやはりおもしろい。

2016年3月10日、文春文庫、660円。

posted by 松村正直 at 11:49| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

山野井洋のこと

『樺太を訪れた歌人たち』の中で、山野井洋という歌人のことを取り上げた。これまで詳しい経歴などがほとんど知られていなかった人物である。

その山野井洋のご子息とたまたま連絡を取ることができ、おととい東京でお会いしてお話をうかがってきた。何とも言えず嬉しい。

いくつもの新たな情報を得ることができたので、備忘のために書いておきたい。

○1908年生まれ、1991年逝去(82歳)。
○歌集『わが亜寒帯』の再版本には、初版にはない「批評抄」が付いている。
○昭和13年に樺太から東京に移って以降は東京暮らし。第2歌集で満州の開拓地を詠んでいるのは、旅行による滞在の結果である。
○戦後は保険の業界紙のコラムを書くなど、文筆業で生計を立てた。
○「山野井博史」の名でも作品を発表しており、山野井作詞・山田耕筰作曲の曲がいくつか残されている。

今回お聞きした話をもとに、今後もさらに調査研究を続けていきたい。

posted by 松村正直 at 23:45| Comment(2) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

「海遊館」吟行

5月11日(木)にJEUGIAカルチャーセンターの講座で、「海遊館で短歌を詠む」という吟行を行います。

http://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-23431.html?PHPSESSID=01cporjt6lv54ktpiv0tc2sap1

どうぞ、ご参加ください。

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2017年03月02日

週末は東京へ

今週末は1泊2日で東京へ行く。
「樺太関係」「家族関係」「映画」「短歌関係」と4つのことをする予定。

本当は生まれ育った玉川学園にも行ってみたいのだが、なかなかそういう時間は取れない。最後に訪れたのはいつだったろう。

posted by 松村正直 at 23:49| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月01日

映画 「島々清しゃ」

監督:新藤風
出演:伊東蒼、安藤サクラ、金城実、山田真歩、渋川清彦ほか

沖縄の慶良間諸島を舞台に、耳の良過ぎる少女と東京から来たバイオリニスト、そして島の人々の交流を描いた作品。タイトル「しまじまかいしゃ」は映画の中でもたびたび出てくる沖縄民謡の曲名である。

学校や子供たちの場面が多いのだが、子役の演技というのはなかなか難しいなあと思う。みんな真面目に取り組んでいるのだが、いかにも演技してますという感じに見えてしまう。

京都シネマ、100分。

posted by 松村正直 at 20:12| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月28日

『樺太を訪れた歌人たち』の書評

『樺太を訪れた歌人たち』について、書評等で取り上げていただきました。ありがとうございます。

・内田弘「なぜ樺太か」(「現代短歌新聞」2017年2月号)
・田中綾「書棚から本を」(「北海道新聞」2017年1月29日)
・高木佳子「時代と国と人のありよう」(「短歌往来」2017年3月号)
・田村元「短歌と樺太」(「りとむ」2017年3月号)

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2017年02月27日

「塔」2017年2月号(その2)

珈琲に息ふきかけてはつふゆの湖面のように晴れてゆく湯気
                     安田 茜

珈琲から立ち昇る湯気を湖面の霧に喩えているところが鮮やか。スケールの全く違うものが比喩によって一瞬で結び付く。

お母さんも喘息ですね かつてのわが苦しみまでも名を付け
られぬ                  丸本ふみ

子が喘息で苦しんでいるのだろう。医師が軽い気持ちで言った言葉を聞いて、子の病気が自分のせいなのかと思い悩むのである。

自転車ごと乗りこむ二両の飯坂線冬の帽子を目深にかぶり
                     佐藤涼子

近年、自転車を車内に持ち込めるサイクルトレインが少しずつ広がっている。「二両」というところからローカル線の様子も伝わる。

ピーマンは豊かに稔り実の中にいま満ちてゐむみどりの光
                     高橋ひろ子

畑に実るピーマンを見ながら、その中に入ってみたかのような想像をしている。ピーマンには空洞があるので、小人なら住めそうだ。

晩年は光届かぬ目となりし画家のまなうらに光る睡蓮
                     魚谷真梨子

モネのことだろう。目が見えないと言わずに「光届かぬ目」と表現したのがいい。自分がかつて描いた作品が目の奥で光っている。

明け方のどこかで犬が鳴いてゐる声のまはりを滲ませながら
                     岡部かずみ

下句がおもしろい。鳴き声だけを聞きながら、そのまわりの空気の震えのようなものを感じ取っている。そこだけがほのかに明るい感じ。

posted by 松村正直 at 19:20| Comment(1) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

「塔」2017年2月号(その1)

どのビルにも屋上があるということを暮れ残りたる屋上に知る
                        白水麻衣

夕暮れの屋上から町を眺めている様子だろう。地上はすっかり暗くなっているのに屋上にはまだうっすらと明るさが残っている。

鎌倉や耳朶に穴ある仏なれば耳朶の向かうに空の見えたり
                        永山凌平

鎌倉の大仏の耳には穴が開いていて、そこから空が覗くのだ。初句、与謝野晶子の「美男におはす」の歌を思い出させる。

ほんのりと擦れば香るとふ栞こすらず送る手紙に添へて
                        越智ひとみ

香りが薄れてしまわないように、慎重な手付きで封筒に入れているところだろう。相手への大事なプレゼントなのだ。

火にかざしジャム瓶の蓋ゆるめつつ少年という瓶をおもえり
                        中田明子

おそらく頑なな態度を見せることのある少年なのだろう。ジャムの瓶と違って、こうすれば簡単に開くというわけにはいかない。

ロキソニン湿布の裏に書かれたる富山の地名もういちど読む
                        松原あけみ

痛み止めとして一般的によく使われているロキソニン。こんなところにも「富山の薬売り」以来の伝統が生きているのか。

「雨る」を「ふる」と読めぬ我なりたそがれの雨は真直ぐにしらじら
と降る                     丸山順司

渡辺松男の歌集名を受けての歌だろう。「雨る」を「ふる」と読むことへの違和感と、そんな自分の生真面目さを少し疎ましく思う気持ちと。


posted by 松村正直 at 18:59| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

2月はどうして

2月はどうして28日までしかないのだろう。

1月は31日、3月も31日まであるのだから、
そこから一日ずつもらってきて、1月・2月・3月と
全部30日までにしたらどうなんだろう。
そして、うるう年の時は2月31日にしたらいい。

他の月はみんな30日か31日まであるのに、
2月だけが極端に短いのはかわいそうだと思う。

どうして28日までなのか。何か理由を読んだこと
があったような気もするのだけれど忘れてしまった。
とにかくせめて30日までは増やしてあげたい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・などと考えている暇があったら、
2月末締切の原稿に早く取り掛かれよ!

ごもっともです。

posted by 松村正直 at 11:11| Comment(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

村上春樹著 『羊をめぐる冒険(上)』


村上春樹の新作『騎士団長殺し』が発売になった日に、なぜか『羊をめぐる冒険』を読んでいる。

急ぐ読書でもないので、のんびりと5日くらいかけて上巻を読み終えた。小説を読むのも久しぶりな気がする。

面白い比喩がたくさん出てくる。これが無かったら分量は半分くらいになってしまうのではないかしら。

鳩時計みたいに正確だった。
その巨大な車はビルの玄関前の路上に潜水艦みたいに浮かんでいた。
つつましい一家ならボンネットの中で暮せそうなくらい巨大な車だった。
何から何まで新しいトランプのカードを一枚ずつめくる程度の音しかしなかった。
耳栓をつけて湖の底に座っているような静けさだった。
まるで金だらいに乗って水銀の湖面を滑っているような気がした。

115ページ〜116ページだけでも、ざっとこんな感じだ。

途中、芦屋がモデルとなっている街の河口や旧防波堤の光景が描かれていて、以前、高安国世ツアーで行った時のことを思い出したりした。

2004年11月14日第1刷、2014年3月3日第28刷、講談社文庫、500円。

posted by 松村正直 at 16:43| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

謙遜は美徳か?

一般社会において(適度な)謙遜は美徳である。
けれども、短歌の世界ではどうだろう。

歌会の場などでよく、「私は初心者なので・・・」とか、「たぶん間違ってると思うんですけど・・・」などと発言を始める人がいる。本人は謙遜のつもりなのだろうけれど、聞いていて良い気はしない。

歌の前では誰もが平等。
これが基本だと思う。

何十年短歌をやってきた人も、昨日短歌を始めたばかりの人も、歌の前では平等だ。手ぶらで、自分の持っている力だけで、その歌をどのように読むか。それが問われている。

キャリアの長い人が「私は五十年歌をやってきたので(だから、私の言うことを聞け)」と言うのが嫌なのと同じで、「私は初心者なので(大目に見て下さい)」というのも嫌である。それはあなたの話であって、歌の話ではない。

他にも、自作を批評された後などに、「自分でもここが問題だとわかってたんですよ」とか「時間がなくてパッと出しちゃって・・・」などという人も多い。これも聞いていて良い気はしない。

自分なりにベストな歌を出さなければ、そもそも話にならない。言い訳は不要。一体何に向って言い訳をしているの? 誰に何を言われても、それが自分の今の実力と思って真摯に受け止めるしかないのだ。

「私の歌なんか・・・」「ちゃんと勉強ができてなくて・・・」
そういうのも御免だ。

作者自身が良いと思っていない歌を、他人が良いと思うはずがない。自分の子どもと同じで、どんなに出来が悪くたって可愛がってあげないと。勉強が足りないと思ったら、自分で勉強したらいいだけの話。

歌の前では、謙遜も言い訳も要らない。

posted by 松村正直 at 10:50| Comment(2) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月21日

小川軽舟著 『俳句と暮らす』


俳人にして単身赴任中のサラリーマンでもある著者が、「飯を作る」「会社で働く」「妻に会う」「散歩をする」などのテーマごとに、自らの暮らしの話を交えながら俳句について記した本。文章が洗練されていて味わい深い。

俳句とは記憶の抽斗を開ける鍵のようなものだ。読者がそれぞれの抽斗を開けてそこに見出すものは同じではない。
俳句は日々の生活から離れた趣味の世界としてあるものではない。日々の生活とともにあって、それを大切な思い出に変えてくれるものである。
取り合わせの手法は五七五の短い詩型が豊かな内容を得るためにとても重要な働きをするのである。
一句の構造を切ることによって韻文としての格調を得る。(…)その間をああだこうだと理屈で埋めようとしないことが俳句にとって何より大事なことだ。

けっこう短歌とも共通する話が多いように思う。
引用されている俳句にも印象的なものが多い。

秋雨(あきさめ)の瓦斯(ガス)が飛びつく燐寸(マッチ)かな
                中村汀女
除夜の妻白鳥のごと湯浴(ゆあ)みをり
                森 澄雄
さくら咲く生者は死者に忘れられ
                西村和子
死ぬときは箸置くやうに草の花
                小川軽舟
一枚の餅のごとくに雪残る
                川端茅舎

時間を見つけて句集も読んでいけたらと思う。

2016年12月25日、中公新書、780円。

posted by 松村正直 at 22:08| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

今年の予定


○5月11日(木)「海遊館」吟行(JEUGIAカルチャーセンター講座)
  http://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-23431.html?PHPSESSID=01cporjt6lv54ktpiv0tc2sap1

○7月17日(月・祝)現代歌人集会春季大会 in 大阪
   *司会をします
  kajin-shukai-spring 2017.png

○10月21日(土)堺市民芸術祭短歌大会
   *講演をします

posted by 松村正直 at 22:18| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

熊本から京都へ

昨日は熊本で石田比呂志さんを偲ぶ琅玕忌。

「無頼」「反骨」「徒手空拳」「酒を愛し」といった既成のイメージからいったん離れて、純粋に作品を読んでみる。そうすることで、新たな石田比呂志像が見えてくるのではないかと思う。

トラックに長き鉄材積まれゆけり曲り際重たく土を叩きて
                 「初期歌篇」
巣を出でて飛ぶ蜜蜂はゆうぐれの網戸の上におりおり憩う
                 『琅玕』
ここ過ぎてなおゆく旅や土間に置く烏賊の眼は濡れて光れり
                 『長酣集』
飛魚は翅もつからに波の間を泪のごとく光りつつ飛ぶ
                 『長酣集』
蝶しろく泳ぎきたりて昼すぎの杉の木群のなかに吸わるる
                 『鶏肋』
火の跡は土の面に黒ずみて不思議に勁し火の燃ゆるより
                 『鶏肋』
馬はみな夕日が中に馬ながら頭(こうべ)を垂れていたりける
かも               『滴滴』
崖(きりぎし)の窪みがなかのははこぐさ昼の曇りの色を湛えつ
                 『九州の傘』
分水嶺こえて来つれば幾ところ古墓のあり山に縋りて
                 『九州の傘』
集落のあれば必ず墓ありて墓は集落よりも明るし
                 『九州の傘』
足悪き子猿もいつか頑是無く遊びに混じる足引きずりて
                 『老猿』
風がまだ冷たいですね白が言い赤が頷く枝の先にて
                 『春灯』
酔い醒めの水飲む暁(あけ)の台所長く使わぬ砥石が乾く
                 『萍泛歌篇』
自販機の前にしゃがめる幼子を土から親が剝がして行けり
                 『流塵集』
白塗りを落ししチャーリー・チャップリン奥にもう一つ素の素顔
あり               『邯鄲線』

会の前に熊本の町を少し歩いたのだが、あちこちにシートで覆われた建物や「調査済」の貼紙などがあり、昨年の地震の被害の大きさが感じられた。熊本城の石垣や瓦が壊れている姿も見えて痛々しい。

今日は朝6時の新幹線で京都に帰ってきて、午後から「塔」の再校・割付作業。熊本では熊本マラソンが、京都では京都マラソンが行われていた。

posted by 松村正直 at 23:15| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

第6回琅玕忌

明日は2011年に亡くなった石田比呂志さんを偲ぶ琅玕忌が、
熊本のギャラリーキムラで行われる。午後2時〜4時。

私はそこで「短歌の骨法―石田比呂志の歌の魅力」という講演を
することになっていて、朝から熊本へ出掛ける予定。

どんな会になるのか楽しみだ。

  ***

ブログの記事がいつの間にか2000回を超えている。
スタートは2010年5月18日。

posted by 松村正直 at 22:39| Comment(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

関野裕之歌集 『石榴を食らえ』

「塔」所属の作者の第1歌集。

その頰に手触れるまでの歳月を弥勒菩薩は微笑みており
人の死をひとつふたつと数えきて童の歌のななつで終わる
開拓の跡地に続く林道の中程にあり首括りの木
子の折りし鶴の背中の夕明かりたれのひと世も寂しきものを
躍動は犬の形を脱ぎ捨てて茅花咲く野を駆けてゆきたり
壁に並ぶ少女の写真見つめつつ老女は主語を「私達」で語る
いつか命よみがえるまでの沈黙に冬の桜は空に根を張る
生餌という命もありて水槽に小赤百匹千五十円
そのながき死後の時間のひとときを吾が夢に来て父は帰りぬ
いまさらのように夕空晴れていて駅を出る人みな空を見る

1首目、広隆寺の弥勒菩薩像だろう。ガイドブックなどでは「右手をそっと頰に当て」と紹介されるが、実際には手は頬に触れていない。
2首目、子どもが無邪気に唄う数え歌。その歌詞はちょっと怖い。
3首目、開拓生活がうまく行かずに困窮して首を括ったという謂れがある木。
4首目、折り鶴の白い背中をほのかに照らす光。子の人生を思う作者の気持ちが深く滲む。
5首目、生き物としての本能が剝き出しになったようなはしゃぎぶり。
6首目、「ひめゆり平和祈念資料館」の一首。少女と老女はかつて同級生だったのだ。
7首目、冬空に伸びる細かな枝を「空に根を張る」と捉えたのがいい。
8首目、肉食魚などの餌にする金魚。一匹あたり10.5円の命。
9首目、単に父を偲ぶ歌ではない。どこか寂しい距離が感じられる。
10首目、朝から天気が悪かったのだろう。帰りに明るくなった空を「あれっ?」と意外そうな顔で見上げる人々の様子が目に浮かぶ。

2016年12月17日、青磁社、2500円。

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2017年02月15日

安田茜短歌集 「default」

全20ページの個人誌。
「豊かの海」「水のはしら」「静かの海」「ポーズ」と各10首の連作が4篇収められている。

ともだちが彼氏のぐちを言うあいだおもちゃ代わりになる角砂糖

角砂糖を紅茶に溶かしたりしながら、黙って話を聞いているのだろう。「ぐち」と言っても深刻なものではなく、多分にのろけ交じりの話。

感情はがらくだだよね ひだまりの蓮をゆめみてはしるバスたち

初二句と三句以下のつながりが不思議な歌。作者もバスに乗りながら、ぼんやりと蓮池の光景を思い描いているのかもしれない。

うつしみに鎮痛剤がはなひらく再放送のような部屋にて

鎮痛剤が効いてくる体感を「はなひらく」と言ったのが面白い。下句、そう言えば前にもこんなことがあったなと感じたのだろう。

それぞれのイオンモールをねむらせて衛星都市におとずれる月

イオンモールは郊外の象徴的な存在だ。深夜、灯りの落ちたイオンと空に輝く月。「衛星都市」と地球の衛星である「月」が響き合う。

じゃがバターほおばっているきみのままずっとそうしていればいいのに

じゃがバターをハフハフしながら食べている恋人。何でもない日常の一コマだけれども、そうした日々にもいつかは終わりが来てしまう。

明晰で緻密な歌というよりも、全体にふわっと意識が遠いような感じがあり、現実からちょっと逸れているところが面白い。

2017年1月22日発行。

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2017年02月13日

『樺太を訪れた歌人たち』覚書

中西亮太さんがブログ「和爾、ネコ、ウタ」で「松村正直『樺太を訪れた歌人たち』覚書」を書いて下さっています。

http://crocodilecatuta.blog.fc2.com/blog-entry-333.html
http://crocodilecatuta.blog.fc2.com/blog-entry-334.html
http://crocodilecatuta.blog.fc2.com/blog-entry-339.html
http://crocodilecatuta.blog.fc2.com/blog-entry-341.html
http://crocodilecatuta.blog.fc2.com/blog-entry-346.html
http://crocodilecatuta.blog.fc2.com/blog-entry-347.html

とても丁寧に読んでいただき、ありがとうございます。

posted by 松村正直 at 20:44| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする