2017年08月06日

文学部とは


昨日、ある大学で、

 文学部 ≠ 「文学」部
 文学部 ≒ 「文」学部

という話を聞いた。
「文」とは「人文学」(humanities)のことなのだと言う。

なるほど、そうだったのか。
確かに言われてみればその通りだ。

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2017年08月05日

三浦しをん著 『あやつられ文楽鑑賞』



2007年にポプラ社より刊行された単行本の文庫化。

文楽にふいに興味が湧いてきて手に取ったのだが、文章がとにかく面白くてすらすら読める。もちろん内容は真面目で、優れた入門書になっている。

文楽の人形は、魂の「入れ物」である。大夫さんの語り、三味線さんの奏でる音楽、そして人形さんが遣うことによって、はじめて魂を吹き込まれる「容器」なのだ。だから場面に応じて、人間以上に「人間」になることも、聞き役に徹する「背景」になることもできる。
近松門左衛門は、きわめて意図的に、与兵衛の心理描写を省略したのだ。『女殺油地獄』は、心理を説明しないことによって、逆に人間心理を限界まで追求しようと試みた、非常にスリリングな作品だ。
咲大夫さんの師匠・豊竹山城少掾はかつて、「ここはこういう解釈ですか」と質問するひとに対して、「そういうふうに聞こえましたか」と答えていたそうだ。これは名回答で、たしかに、義太夫を聞いて、それをどう受け止めようと、お客さんの自由なのである。

表現ということについて、いろいろと考えさせられる一冊である。
とにかく文楽を観に行かないことには始まらないな。

2011年9月18日第1刷、2015年3月10日第11刷、双葉文庫、600円。

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2017年08月04日

平成29年度堺市民芸術祭、堺短歌大会


10月21日(土)に堺で講演「啄木の現代的な魅力」を行います。
現在、短歌大会の作品を募集中です。

日時 平成29年10月21日(土)午後1時〜4時半
場所 堺市東文化会館(フラットホール)
プログラム
   第1部 講演 松村正直「啄木の現代的な魅力」
   第2部 選者による作品選評、表彰式
大会資料代 1000円
作品締切 平成29年8月10日(木)当日消印有効
主催 堺市文化団体連絡協議会・堺歌人クラブ

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2017年08月03日

「かりん」 2017年8月号


池谷しげみさんの「発送作業を終えて」という文章を、しみじとした思いで読んだ。

 「かりん」は創刊以来、手作り感を大切にして、発送作業も手書きをつづけてきました。根本的なこころざしに変わりはありませんが、来年の創刊四十周年を機に、時代に即したやりかたを徐々に採りいれようと、模索をはじめています。
 手始めに、発送作業を外部に委託することとなり、すでに七月号から新システムに移行しています。

つまり、これまで自分たちで行ってきた結社誌の発送作業を、外部の会社に委託することになったというわけだ。それに伴って宛名も手書きではなく、印刷されたラベルになるのである。

これまで四十年近く、毎月一回、発行所(馬場さんのご自宅)に集まって発送作業をされていたのだという。きっと大変なことも多い一方で、楽しい集まりでもあったのだろう。時代の移り変わりとはいえ、ずっと続いてきたことが終わるのは寂しいことである。

「塔」ではもう随分前から発送作業は印刷所に委託している。でも、その前は古賀泰子さんのお宅で発送作業をしていたと聞いたことがある。

合理化できるところは合理化してというのは「塔」でも進めている路線だし、実際にそうしていかないと、この時代に結社を存続させていくことはできない。でも、本当に合理化だけを考えるなら、結社を解散するのが一番ということになってしまう。そのバランスをどのように取っていけば良いのか、結社の今後のかじ取りは非常に難しい。

池谷さんの文章の最後には、宛名書きや会費チェック、袋詰めと荷造りを担当されていた方々のお名前が列記されている。必ずしも歌壇的に有名な方ばかりではない。でも、そうした方々の力があって初めて、結社は成り立っているのである。そのことを常に心に置いておきたいと思う。

長い間、本当にお疲れさまでした。
書いていて、涙が出てきた。

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2017年08月02日

久保田幸枝著 『短歌でたどる樺太回想』



昭和12年に樺太で生まれ、昭和22年に引き揚げるまで樺太に住んだ著者の短歌エッセイ集。文芸誌「ぱにあ」の連載を一冊にまとめたもの。

 樺太留多加郡留多加町大町二十五番地いまは何町
 かばひける覚えあらねばオロツコの少女をあなどりしひとりなりけむ
 ひひならは老いたるまなこを細めゐむサハリンの野に髪凍らせて
 引揚船「宗谷」のデッキにて手を振りき流氷の上のオットセイらに
 映像のユジノサハリンスクの風わたくしの目に埃をとばす

樺太の思い出やソ連占領下での生活、引き揚げと戦後の苦労など、実際に体験した人にしか書けない内容が多く、歴史の貴重な証言となっている。

2016年10月16日、洪水企画、1600円。

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2017年08月01日

鈴木孝夫・平田オリザ著 『下山の時代を生きる』



言語学者の鈴木孝夫と劇作家の平田オリザの対談。

平田の現代口語演劇理論が鈴木の『ことばと文化』などの著作に影響を受けて生まれたという関係があり、今回初めて対談が実現したものである。

90歳という年齢にもかかわらず非常に元気で多少暴走気味な鈴木と、それをうまく受けながら、けれども言うべきことはきちんと言って話を進める平田の間合いが絶妙で、面白いと言うか奇書と言うか、一風変わった本になっている。

鈴木 日本語は結局、話の場に張り付いている場の雰囲気というものが非常に大切なんです。つまりハイコンテクスト(高文脈)のタイプの言語で、同じことを言っても文脈によって意味が全然違ってくることがあります。
鈴木 いま日本の大学で外国語を学ぶのだったら、国家的な必要度から言えば、英語はやむを得ないにしても以前より必要性の少なくなったドイツ語やフランス語よりも、今ほとんど学ばれていないロシア語やペルシャ語、アラビア語をやるべきです。
平田 フランス人の面白いところは、自分にはよくわからないけれど何か価値がありそうなものに対しては、ちょっと尊敬するところですね。(・・・)ところがアメリカ人の多くは、自分がわからないと駄目なんです。
平田 文科省はいま、「問題解決能力のある子」を育てようと言うのですが、ぼくはむしろ大切なのは「問題発見能力」あるいは「問題設定能力」だと思っています。

言葉や日本のあり方をめぐるやり取りには、なるほどと気づかされる点がたくさんある。「登山」ではなく「下山」というのが、これからの時代のキーワードになっていくのだろう。

それにしても、鈴木孝夫、面白すぎる。

2017年4月14日、平凡社新書、740円。

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2017年07月31日

日本語文法と短歌


「角川短歌」に書いた歌壇時評「日本語文法と短歌」について、「塔」の短歌時評で花山周子さんに、さらに東郷雄二さんにも「橄欖追放」で触れていたただきました。ありがとうございます。

松村正直「日本語文法と短歌」(「角川短歌」2017年2月号)
花山周子「歌を死なせては元も子もない」(「塔」2017年7月号)
東郷雄二「日本語の「現在形」について」(「橄欖追放」第214回)

口語短歌の読みが深まるきっかけになればと思っています。

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2017年07月30日

仲村清司・藤井誠二・普久原朝充著 『沖縄オトナの社会見学R18』



三人で沖縄の街歩きをしながら、地元の人しか知らないような名所や穴場を紹介するガイドブック。「那覇編」「普天間編」「コザ編」「金武・辺野古編」「首里編」という構成になっている。タイトルに「R18」とあるが、別に怪しげな本ではなく、いたって真面目な内容である。

普久原 そば粉を使っていないのに「そば」と称しているものだから、復帰後にまぎらわしい名称ということで公正取引上の問題になったことがあるそうですね。
普久原 武田五一の設計した戦前の旧那覇市庁舎の建っていた街路は、旧那覇市でも一番の繁華街だったのですが、実は、その街路にもすずらん灯がともっていました。
藤井 沖縄では酒税軽減措置が復帰特別措置法で定められています。酒税は泡盛で三五%、ビールで二〇%軽減されているんですね。
仲村 基地埋め立てを巡って問題になっている海側を見るのも重要ですが、こういう地元の人々の生活空間の成り立ちも見た方がいいと思う。
仲村 首里と那覇は点で考えるのではなくて、線として考えると、歴史的な意味が浮き上がって見えてきます。

琉球王朝時代の話に加えて、特飲街(特殊飲食街)やAサインバー(米軍公認の飲食店・風俗店)などの痕跡も詳しく紹介されており、沖縄の歴史が重層的に浮かび上がってくる。

世代も出自(大阪生まれのウチナーンチュ二世、愛知生まれの沖縄好き、沖縄生まれ沖縄育ち)も専門もバラバラな三人だからこそ、面白い話になるのだろう。それぞれの持ち味やものの見方が見事なバランスを生み出している一冊だ。

2016年5月8日、亜紀書房、1600円。

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2017年07月28日

栗木京子歌集 『南の窓から』



副題は「短歌日記2016」。

2016年1月1日から12月31日まで、ふらんす堂のホームページに連載された366首を収めた第9歌集。

 冬の日の聴力検査 海に降る白ききらめき身に感じつつ
 赤は黄を、あるいは青を生むことを墓前の炎見つつ知りたり
 火口湖の遠きかがやき宿りたり卓のめがねに夕日の差せば
 翅をもつ性ともたざる性ありて保育園児ら苑にあそべり
 さかしまに顔ふたつありとらんぷのハートのジャックは真横を向きて
 ものの影めくれあがりて炎(も)えむとす夏の地平に日の沈むとき
 内部より出でたるものはなまなまし桜桃のたね皿に光りて
 一周忌の友の墓前に集ひ来ぬ手書きの地図をもちてわれらは
 汽車の窓並ぶがごとしほの暗き画廊に銅版画の飾られて
 竹群の竹濡れてをり隣り合ひつつも触れてはならぬものある

1首目、目を閉じて一心に音を聴いている時の体感とイメージ。
2首目、亡き人を思いつつ、蠟燭の火をじっと見つめているのだ。
3首目、眼鏡のレンズに映る夕日から火口湖への連想が美しい。
4首目、「男」「女」という語を言わないことで、性別というものを考えさせる歌。
5首目、絵柄の顔の向きにはそれぞれ意味がある。真横を向いているのはハートとスペードのジャック、そしてダイヤのキングだけ。
6首目、上句の表現に力がある。まるで原爆が落ちる瞬間のようだ。
7首目、桜桃の外側はあんなにつやつやとしてきれいなのに。
8首目、「手書きの」がいい。親しかった人たちだけの集まりという感じ。
9首目、「汽車の窓」に見立てることで、画廊という空間が違って見えてくる。
10首目、竹の話から始まって、どこか恋のイメージへとつながっていく。

すべての歌に日付と詞書(散文)が付いているのだが、詞書と歌の距離が全体に近いように感じた。詞書と歌が相乗効果を発揮するまでには至っていない。

2017年7月20日、ふらんす堂、2000円。
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2017年07月27日

「塔」2017年7月号


第7回塔短歌会賞・塔新人賞の発表号。
塔短歌会賞は岡本幸緒さんの「ちいさな襟」、塔新人賞は野岬さんの「息を掬ふ」が受賞した。

 ゆうぐれの坂を知らざり領事部は午前中だけ開かれている
 「主人がね」次の話題に移るたび枕詞のように聞きおり
                      岡本幸緒
 ネクタイは太刀魚のごとひらめきて夫の灼けたる頸に巻きつく
 均一になるまで混ぜて食べてゐる 長男として育つて来たひと
                      野 岬

岡本さん、野さん、おめでとうございます!

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2017年07月26日

河野博子著 『里地里山エネルギー』



副題は「自立分散への挑戦」。

再生可能エネルギーに関する取り組みを全国各地に取材してまとめた本。例として挙がっているのは、宮城県東松島市(太陽光)、山形県庄内町(風力)、鹿児島県甑島(太陽光、蓄電池)、岩手県紫波町(木質チップ)、富山県五箇山・宇奈月温泉(小水力)。

再生可能エネルギーの利用が「地球温暖化対策」や「輸入燃料への依存度の軽減」「災害時対応」といった目的だけでなく、地方創生の手段になるとの指摘が、本書の大きな特徴だろう。エネルギーの地産地消が、町おこしの一環になり得るというのである。

現在は固定価格買い取り制度などの優遇策や補助金に頼っている部分が大きいが、再生可能エネルギーが普及して設備投資にかかる費用が安くなれば、経済的にも十分に成り立つように思われる。

2017年1月25日、中公新書ラクレ、780円。

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2017年07月25日

光嶋裕介著 『建築という対話』



副題は「僕はこうして家をつくる」。

内田樹の凱風館を建築したことで知られる著者が、自らの生い立ちや建築家になろうとした理由、建築家とはどういう仕事か、建築家として考えていることなどを述べた本。

○内田樹著『ぼくの住まい論』
http://matsutanka.seesaa.net/article/413621903.html
○光嶋裕介著『みんなの家。』
http://matsutanka.seesaa.net/article/415872677.html

読んでいて文体が独特だなと思っていたら、あとがきに、「語り下ろし」という形式で書かれたことが記されていた。編集者とのインタビューをもとにして書き直した一冊ということのようだ。なるほど。

文章に限らず、スケッチやドローイングを描いているときも、本当に集中して何かを手探りで書(描)いているときは、全体像や目的地が、はっきりとはわからない状態から出発します。鮮度の高い何か得体のしれないものに触れながら、事後的に「わかる」という感覚がつかの間だけでも得られるのだと思います。
実際に見えるモノだけではなく、その向こう側にあるかもしれない見えないものに、建築家として対処することができないだろうかといつも考えています。その内に美しさを秘めた見えない存在を、仮に「物語」と呼んでもよいでしょう。

こうした部分は建築というジャンルに限らず、多くの創作に当て嵌まることだと思う。

合気道やプリコラージュなど、内田樹の影響が少し強過ぎるかなという気もするし、ところどころ正論過ぎて鼻につく部分もある。でも、全体としては著者の建築に対する思いが率直に述べられていて、質の高い内容だと思った。

2017年5月10日、ちくまプリマ―新書、880円。

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2017年07月24日

短歌シンポジウム(福島県郡山市)


8月19日(土)に郡山で塔短歌会主催の「短歌シンポジウム」を開催します。歌合トーナメント、花山多佳子さんのミニトーク、玄侑宗久さんの講演と、盛り沢山な内容です。

どなたでも参加できますので、皆さんぜひお越しください。会費は2000円(当日支払い、学生1000円)です。

  福島シンポジウム.png
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2017年07月23日

「短歌往来」2017年8月号(その2)


特集「30代歌人の現在」より。

 ねぢれたるコースロープをほどきゆく会はなくなつたひとがゐさうで
                      楠 誓英

上句はプールでよく見かける行為だが、下句へのつながりが不思議でおもしろい。「ねぢれたる」と「会はなくなつた」が微妙に響き合う。

 白鶴は雪の味せり 立ち飲みに夜がゆっくり降りてくるころ
                      大平千賀

上句の「白鶴」「雪」という白いイメージと下句の夜の暗さが、互いを引き立て合う。「降りてくる」という動詞の選びがいい。「更けてくる」ではダメ。

 切る前のすいくわのやうな匂ひだなあ家族になつて九年目の夏
                      澤村斉美

家族にも歴史がある。今は「切る前のすいくわ」のように、瑞々しくて青臭い匂いがしているのだろう。まだ、切った後の西瓜ではないのだ。

 知覧茶のしづくとなりてわがのどに少年兵のからだかぐはし
                      柳澤美晴

知覧はかつて特攻隊の基地があった町。茶の産地としても知られている。「しづく」「のど」「からだ」「かぐはし」の平仮名が効果的。何ともすごい歌だ。

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2017年07月22日

「短歌往来」2017年8月号(その1)


特集は「30代歌人の現在」。
32名の作品12首が載っている。男女16名ずつ。

目次には「作品十首+春の季の愛誦歌」とあるが、どこかの段階で変更になったのだろう。

 その胸につめたい蝶を貼りつけて人は死ぬ海鳴りが聞こえる
                        服部真里子

「つめたい蝶」は人の魂のようでもあり、また胸の前で合掌した手のようでもある。海鳴りがあの世から呼んでいるかのように部屋にまで響いている。

 敦盛の享年ほどの幾人(いくたり)か机に伏せたるまま動かざり
                        田口綾子

平敦盛は満14、5歳で亡くなったので、この歌も中学校の教室の場面だろう。授業中に居眠りする生徒というのも、考えてみれば平和な光景である。

 西瓜畑に西瓜太りて逃げられぬこの世のあおい天井が見ゆ
                        小島なお

この世からは誰も逃げ出すことができない。追い詰められていくような圧迫感。「あおい天井」が良くて、空にも蓋がされているように感じるのだ。

 うつしみをまぶたのなかに容れこんで夜を地蔵になるわたしたち
                        吉岡太朗

上句の感覚がおもしろい。身体が丸ごと閉じた目の中へ入ってしまう感じ。そして固い地蔵に変身したかのように、静かに眠るのである。

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2017年07月21日

藤井一二著 『大伴家持』


副題は「波乱にみちた万葉歌人の生涯」。

奈良時代を代表する歌人であり『万葉集』の編纂にも携わった大伴家持の生涯を、多くの資料や歌から解き明かした一冊。

特に家持の官吏としての側面を詳しく知ることができたのが良かった。橘奈良麻呂の乱や氷上川継の乱など、多くの政争に巻き込まれながらも、晩年は従三位中納言にまで昇進している。本人の能力だけでなく、人間関係や運も味方したのだろう。

中でも、従兄弟(諸説あり)で橘奈良麻呂の乱で死んだとされる大伴池主との交流には胸を打たれるものがある。

池主は、幼少期も含め生涯を通じて家持と集いを共にする機会も多く、その性格と歌作の才を最も評価しうる立場にあった。家持の苦悩する人間関係とともに、自らの歌作に留まらず大伴氏を中心とする一大歌集の編纂にむけて情熱を傾注する家持を目の当たりにし、池主自身が家持を政局に巻き込まない方向でそこから離れる道を選んだのだと推察する。

つまり、打倒藤原仲麻呂を目指す反乱に家持を巻き込まないように、池主があえて距離を置き、それが結果的に反乱失敗後の家持を救ったと著者は見るのである。もちろん、事実がどうであったのかはわからない。ただ、難しい判断があったことだけは間違いない。

 馬並(な)めていざうち行かな渋谿(しぶたに)の清き磯廻(いそみ)に寄する浪見に
 立山にふり置ける雪を常夏(とこなつ)に見れども飽かず神(かむ)からならし
 珠洲の海に朝開(あさびら)きして漕ぎ来れば長浜の湾(うら)に月照りにけり
 朝床(あさどこ)に聞けば遥けし射水河(いみづかは)朝漕ぎしつつ唱ふ船人
 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも

『万葉集』には家持の長歌46首、短歌432首、旋頭歌1首の計479首が収められている。家持の生涯を知ることで、歌の魅力もさらに増すように思う。

2017年6月25日、中公新書、820円。

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2017年07月20日

「塔」2017年7月号(その2)


 夜道には不思議なものが落ちていて踏まれたがりのアンパンひとつ
                       山田恵子

「踏まれたがり」が個性的な表現で面白い。丸いふっくらした形状や、中にあんこが詰まっている姿が、踏まれたがっているように感じさせるのだ。

 うちのねこ、みかけんかったと尋ねおり道で出合った近所の猫に
                       大森千里

行方不明になった飼い猫を探して、道を歩く猫にも尋ねているのだ。それだけ必死になっているのだろう。初二句に「 」を使わなかったのがいい。

 利き腕のちがう娘の抱きかたと同じに出来ず赤子はぐずる
                       宮内ちさと

孫の世話をしている場面。利き腕の関係で娘さんとは抱き方が反対になってしまうのだ。そのせいなのかどうか、泣き止まない赤子に苦労している。

 遠き町の葬に列なり皆の唱ふ讃美歌を吾(あ)はただ立ちて聞く
                       野 岬

亡くなった方がクリスチャンで、その関係の参列者が多いのだろう。讃美歌を知らずに歌えない作者は、ひとり場違いな気分になっている。

 画像に見る胃の腑の粘膜きれいなり網の目のやうに血管はしる
                       千葉なおみ

胃カメラの検査をして、画像を見せてもらっているところ。普段はけっして見ることのない自分の胃の内側である。下句の描写がなまなましい。

 「風光る」という季語を目の前で見た 君のポニーテールが揺れて
                       うにがわえりも

俳句の季語としてのみ知っていた言葉を、今まさにまざまざと感じているというのだ。春の日差しに光りながら揺れる髪の毛が、何とも素敵に見えている。

 心臓をちぎり合ふほどの恋もせず敦盛草は遠き野に咲く
                       山下好美

「心臓をちぎり合ふほどの恋」という思い切った表現に驚く。平敦盛は14、5歳で亡くなったので、おそらく激しい恋を知ることもなかったに違いない。

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2017年07月19日

「塔」2017年7月号(その1)


 ムーミンの重さうな顎が揺れてゐる干されたタオルに花びらながれ
                       上杉和子

確かにムーミンの顎は下膨れで重そうだ。どんな場面かと思って読んでいくと、下句でタオルに描かれた絵だとわかる。「花びら」との取り合わせもいい。

 亡き妻の診察券はもう不要 二度と病気で死ぬことはなし
                       矢野正二郎

下句に万感の思いがこもる。病気で苦しい思いをして亡くなったのだろう。もうそういう目に遭わなくて良いというのがせめてもの慰めなのだ。

 全国の天気予報に徳島のあらねば愛媛と高知に測る
                       橋本成子

テレビや新聞で見る予報に自分の住む町がない寂しさ。結句の「測る」が面白い。愛媛と高知の平均を取るようにして徳島の天気を予測するのだろう。

 県境で気持ち切り替へ江戸川をごつとんごつとん越えて来にけり
                       立川目陽子

千葉県と東京都の県境を流れる江戸川。自宅からどこかへやって来た場面だろうか。電車で川を越える時に、別の顔の自分へと変わるのである。

 春昼の猫は耳だけ起きてゐてつぶてのやうに鳥が来てをり
                       福田恭子

目は閉じているけれど、小さな鳥が飛んで来る音をとらえて、耳が瞬時に動いたのだ。のんびりしているように見えても、動物らしさは失われていない。

 花曇り、鳥雲に入る、鰊空 春はやさしく紗をかけてゆく
                       高松紗都子

上句は三つとも春の季語。後の二つは日常的にはほとんど使わない言葉だろう。言葉のイメージが膨らんで、薄雲りの春空の様子をうまく表している。

 男ひとり玩具売り場をさまよへりでんでん太鼓を探し求めて
                       益田克行

幼い子どものために昔ながらの「でんでん太鼓」をデパートに買いに来た作者。慣れない玩具売り場で一人で戸惑っている姿が微笑ましい。

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2017年07月17日

「あなたを想う恋の歌」 募集中


今年も越前市の「万葉の里 あなたを想う恋の歌」の審査員を務めます。
現在、作品を募集中。締切は10月31日。
http://www.manyounosato.com/

投稿料は無料(!)、最優秀賞は賞金10万円(!)、HPからの応募もできます。皆さん、ふるってご応募ください。

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2017年07月15日

『山西省』の検閲のこと


「歌壇」2017年8月号掲載の島田修三「PPBの検閲」に、次のような文章がある。

途中、事前から事後検閲に変わったが、PPBの検閲制度は昭和二四年一〇月まで続く。とはいえ、例えば、この期間に刊行され、中国兵との凄惨な戦闘シーンもある宮柊二の『山西省』の歌が削除されたという話は聞かない。

占領軍による検閲についての話であるが、実は『山西省』は検閲によって原稿を没収された経緯がある。

これは既に多くの人が指摘している事実であって、例えば、今年刊行された佐藤通雅著『宮柊二『山西省』論』には、次のように書かれている。

この検閲政策は、一九四五年九月から四九年九月までつづけられ、膨大な既刊本が焚書の憂き目に会った。また、事前検閲によって改変を余儀なくされる例が続出する。改変どころか、出版自体が不許可となり、没収される場合もあった。『山西省』もそういうなかの一つだ。

この時に没収された原稿は、幸いなことにプランゲ文庫に残っており、現在では中山礼治『山西省の世界』(1998年)で読むことができる。
http://www.hiiragi-shobo.co.jp/?p=109

また、プランゲ文庫の「検閲処分を受けた一般図書、ゲラ、手書き原稿」はネットでも公開されている。
https://www.lib.umd.edu/binaries/content/assets/public/prange/censored-books-and-pamphlets_07282016.pdf

この一覧表で宮柊二『山西省』を探すと、1946年3月7日に「Manuscript」(原稿)が「Suppressed」(出版禁止)、「Withdrawn」(取り下げ)という処分を課されたことがわかる。

占領軍による検閲の実態については現在も不透明な部分が多いが、その中にあって『山西省』は最も研究が進んでいる一冊と言っていい。それを「『山西省』の歌が削除されたという話は聞かない」と書くのは、ちょっと不用意ではないだろうか。

*中西さんのコメントを受けて「これは明らかな間違いだ」という部分を削除しました。(2017.7.17)

posted by 松村正直 at 21:09| Comment(2) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする