2017年05月01日

山中伸弥・羽生善治・是枝裕和・山極壽一・永田和宏著 『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』


京都産業大学で行われている講演・対談シリーズ「マイ・チャレンジ」の第1回から4回までを収めた一冊。実際の講演や対談を聞いている感じですらすらと読める。

今、インターネットなどによって世界の距離は近くなっていると言われます。でも、実際に行くのとはまったく違う。僕が毎月アメリカに行く理由の一つはそれなんです。(山中伸弥)
大事なのは、研究データをディスカッションするときに、身分の上下があっては絶対にいけないんです。教授が言うことだから正しいなどということは、本来ありえない。(永田和宏)
最近、スマホを持っていると、ほとんど道に迷うこともないじゃないですか。以前は道に迷ったりして、でも迷子になりながら、なんとか目的地にたどり着くという楽しみもあった。(羽生善治)
自分の予想を超えるもの、予想と違うものが出てこないと満足しなくなってしまったところがあります。(是枝裕和)
重要なのはディベートではなく、ダイアローグにすること。つまり、どちらが正しいか、どちらが勝つかということが重要なのではない。勝ち負けを目的とせず、お互いを高め合うような議論をするということです。(山極壽一)

一流の人の話というのは、どんなジャンルの人であってもやはり面白いものだ。

2017年2月20日、文春新書、700円。
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2017年04月30日

文明の後半戦

『景徳鎮』を読んでいて、思わず笑ってしまった歌がある。

『南集』『續南集』と読み継ぎて『續々南集』に倦み果つ
              大辻隆弘『景徳鎮』

そうだよなあ〜(笑)。これは、土屋文明の全歌集を読んだ人は誰しも感じるのではないかという思いだ。しかも、その後に、まだ『青南後集』『青南後集以後』が控えているのである。

アンソロジーや評論によく引かれる文明の歌は、第8歌集『自流泉』(昭和28年、文明63歳)までのものが多い。けれども、実はそれはまだ前半戦であって、第9歌集『青南集』以降の後半戦が相当に長いのである。何しろ文明は満100歳まで生きたのだ。

『青南集』1355首、『続青南集』1413首、『続々青南集』1290首という圧倒的なボリュームに、読んでも読んでも終わらないという感想を抱く。ひょっとすると、その苦行(?)に耐えることが文明の歌を理解するには不可欠なのかもしれない。
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2017年04月29日

講演会「ミルクキャラメルの物語」


  写真(森永ミルクキャラメル).JPG

昨年9月3日に呉市立美術館で行われた講演会「ミルクキャラメルの物語」(講師:野秋誠治)の中で、私の評論「森永ミルクキャラメルの歌」(「歌壇」2016年8月号)に触れていただきました。

 さかだちをしたる天使の性別に話題は移るキャラメルむきて
                吉岡生夫『草食獣・勇怯篇』

動画の3:10(3分10秒)のあたりからです。
https://www.youtube.com/watch?v=krX7QcSBsAA

講師の方が「和歌」「和歌」とおっしゃっているのが印象的。「短歌」よりも「和歌」という呼び方のほうが今でも一般には通用しているのかもしれません。
posted by 松村正直 at 11:54| Comment(0) | 演劇・美術・講演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

「マイ・チャレンジ」 第6回


  P1050614.JPG

京都産業大学特別対談シリーズ「マイ・チャレンジ」の第6回に
行ってきた。

第1部は平田オリザさんの講演「わかりあえないことから」。
第2部は平田さんと永田和宏さんの対談。

コミュニケーション能力や異文化理解、コンテクストのずれの問題
など、非常におもしろい話であった。
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2017年04月27日

大辻隆弘歌集 『景徳鎮』

2011年から2014年までの作品357首を収めた第8歌集。
父の入院や死を詠んだ歌と終わりの方にある相聞歌に注目した。

神田川の濁れる水を撓ませて舷(ふなべり)ひくき汽船がのぼる
通勤はわが旅にして朝霧のいまだ漂ふ谿(たに)ひとつ越ゆ
稀勢の里の取組ももう見なくなり北窓の部屋に父はまどろむ
いま窓を過ぎしは鵯(ひよ)かしらじらと梅咲く枝に影を落として
聴覚は終(つひ)に残ると言ひしかどそを確かめむ術(すべ)はもう無い
翅の音はゆるく記憶を攪拌す藤の匂ひに熊蜂がきて
ボルヴィックの水をたづさへわれは立つ丸木位里「原爆の図」の前
夜をこめて悲しみをれば悲しみは鈍き疲れとなりて鎮もる
背を反らし浅き嗽ひをするひとよあなたの喉に水はせせらぐ
夕部屋に銀のひかりの檻を編むふたりの指をしんと撓めて

1首目、「撓ませて」「舷ひくき」といった表現が巧み。
2首目、日常の中にふと旅を感じる心。
3首目、相撲の好きな父だったのだろう。もうその気力もない。
4首目、一瞬窓を過ぎった影の正体を想像している。
5首目、死を前にした父の姿。結句だけ「もう無い」と口語にしたところに感情が滲む。
6首目、ブ〜ンという低音の翅音に呼び覚まされるようにして何かを思い出す。
7首目、原爆と水の取り合わせ。日本の水でもアメリカの水でもなく、フランスの水であるところがうまい。
8首目、「悲しみ」という感情が「疲れ」という身体的な感覚になって鎮まりゆくまで。
9首目、嗽をしているだけの場面なのだが、健康的なエロスを感じる。
10首目、「檻を編む」という比喩がいい。その中に二人で閉じ込められているような気分。

2017年3月20日、砂子屋書房、2800円。
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2017年04月26日

石山修武(文)・中里和人(写真)『セルフビルドの世界』


副題は「家やまちは自分で作る」。

2008年に交通新聞社から刊行された『セルフビルド―自分で家を建てるということ』を増補、再編集して文庫化したもの。
初出は「STUDIO VOICE」「Memo 男の部屋」の連載。

一畳だけの書斎、トタンでできたバー、ビニールハウスのレストラン、自動車に乗る二階建ての家、貝殻だらけの公園など、人が手作りした家やモノなど30の物件を取材して写真入りで紹介している。

そこには「セルフビルドとは身の回りの環境を作る歴然たる方法」「セルフビルドとは皆一様に今の文明文化の危機的状況に対しての批評表現の事例群」「セルフビルドとは自己構築である。まず何よりも自分世界を構えようとする意志なんである」という著者の信念がある。

子どもが家の近所に秘密基地を作る気持ちと行動力に似ているかもしれない。

今は少しばかりややこしい時代だ。アーティストがアートを大いに意識して作ったものが作品として日常の壁を越えられることは稀だ。ほとんどないと言ってもよい。
家を買うために一生を不自由に暮らさなければならないとしたら、そんな家は疫病神であるとしか考えようがない。
二十世紀最大級の発明品は明らかに自動車である。それなのに我々は、それを収納する場所は発明できなかったのだ。

こうした現代社会に対する鋭い批評が随所に盛り込まれている。カラー写真も豊富で、あれこれと想像を掻き立てられる。

2017年4月10日、ちくま文庫、1400円。
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2017年04月25日

平井弘インタビュー

「塔」2017年3月号・4月号に掲載された平井弘インタビュー「恥ずかしさの文体」が、とてもおもしろい。平井さんのファンは必読だと思うし、短歌の文体や口語、他者、社会詠の問題を考えるヒントもたくさん出てくる。

私が歌を作り始めた頃一番影響を受けたのは相良宏ですね。
あと作家で言えば、最初の頃は大江健三郎の影響はもうたくさん受けてます。
短歌というのは、やっぱり一人称の詩型だから、相手を見るときにどうしても自分の投影になっちゃうんですね。どうしてもその相手は他者としての性格をなくしちゃってるんですよ。
主体のねじれがあると嫌われますけど、私の歌の中ではそれが無意識にいっぱい出てくるんですよ。
多義性は絶対手放したくないし、手放せないんですよね。私の歌から多義性取ったらもう何も残らない。
安倍政権が悪いったって、対者を倒したらそれでいいのかというと、そういう問題じゃないと思う。選んだ自分たちの方が変わらないと、安倍さん倒したところで何も本質は変わらないですよ。

最初から最後まで、驚くほど率直に語って下さっている。
記憶も思考も非常に明晰で、やはりただ者ではないという感じだ。
posted by 松村正直 at 06:14| Comment(2) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

佐藤通雅歌集 『連灯』

著者 : 佐藤通雅
短歌研究社
発売日 : 2017

2013年から2016年にかけての作品340首を収めた第11歌集。

栞紐の白をはさみて灯り消す書にも一夜の安寝あるべし
性をもつことはときどきくるしくて葉につつみてはゆびさきぬぐふ
子はいらんかねといふなら全部買ひたいな保育園児の散歩の車
花終へし山は緑を急ぐなり声喪ひて叔父は鈴振る
十円玉で用をすませてボックスを出るとき人間に戻ったやうな
歩道橋の長き腹部を仰ぎみるその上を人はつつがなく行く
集合写真撮らむと若き職員が車いすの人の脇に膝折る
いふなれば最(さい)当事者であるひとの名が慰霊碑にふたつ加はる
疲れやすき目になりたりと日に四度天を仰ぎて滴を贈る
表通りの家に「売家」の札はあり老いの気配のいつしか消えて

1首目、「安寝」は「やすい」。作者だけでなく本も眠りにつく。
2首目、ひらがなの「くるしくて」に実感がある。下句は自慰のメタファーとして読んだ。
3首目、確かに見ようによっては販売車のようでもある。
4首目、声が出ないので鈴を振って人を呼ぶのだ。明るい季節との対比に寂しさがある。
5首目、電話ボックスから出た時の別世界のような感覚。
6首目、「長き腹部」がおもしろい。表と裏の違い。
7首目、車椅子の人に対する心遣いが自然と表れた場面。さり気ない動作が美しい。
8首目、東日本大震災の歌。行方不明者の遺体が見つかって死者となったのである。
9首目、「目薬をさす」と言わずに表現しているのがいい。
10首目、もともとあまり姿を見かけることもなく、ひっそりと気配だけがある家だったのだ。

2017年3月11日、短歌研究社、3000円。

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2017年04月23日

白秋のオットセイ踊り (その2)

白秋と同行した吉植庄亮の歌集『煙霞集』に、こんな歌がある。

  上陸を待ちつつ甲板にありけるに、海豹の子の
  波間にわれらを見るおもざし、白秋大人に似たりと
  人々のはやせるに、戯歌一首よみておくれる
わが兄子(せこ)に似たる海豹(あざらし)波間よりまなじりさげてわれを見にけり

『樺太を訪れた歌人たち』の中で、私はこの歌について次のように書いた。

アザラシのことを「わが兄子」(=白秋)に似ていると詠んで面白がっている。『フレップ・トリップ』に掲載されている写真を見ると、白秋は当時、鼻の下に髭をはやしているので、そうした点も含めて揶揄しているのかもしれない。いずれにせよ、気の置けない仲間同士の寛いだ旅の雰囲気が伝わってくる一首と言えそうだ。

『フレップ・トリップ』掲載の写真とは、これ。

 P1050613.JPG

白秋というのはすごい人だ。アザラシ(オットセイ)に似ているとからかわれたのを逆手に取って、オットセイ踊りを自ら作り余興として演じていたわけである。
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2017年04月22日

白秋のオットセイ踊り (その1)

鬼頭一枝さんから「原型」昭和58年9月号のコピーを送っていただいた。斎藤史の講話「明治及びそれ以後の短歌」が載っているのだが、その中に面白いエピソードがある。東京の洗足にあった斎藤家を、真夜中に北原白秋と大橋松平が突然訪ねて来た時の話だ。

白秋の踊りというのがある。その昔に石井漠という、御存じかどうか、石井小浪やあの系統があつて、自由な舞踊、表現舞踊みたいなものがはやつたことがある。これを白秋が気分のままに踊るんです。
なかなかレパートリがある。その一つに、オツトセイ踊りというのがあつて、これは大正の末に吉植庄亮と白秋ともう一人白秋門下の由利貞三という人とオツトセイを見に北へ行つたことがあつたんです。
その帰りに旭川へ寄つて、瀏と飲んだんですけれども、そのオツトセイを早速踊りにしちやつたもの。白秋という人は割りに鼻の下の長い人でしよう。そこにおひげがあるでしよう。そのおひげを下へかき下げるわけね。
頭の毛もこうぴつたり押えておかつぱにするでしよう。でぬうつと首を持ち上げる。そうすると波からオツトセイが顔出した感じになる。(笑い)ほんと、そつくりになるの、そこでこんな風に手をひれにして揺れるわけ、波にゆうらゆうらつと。(笑い)

オットセイを見に「北へ」行ったとあるのは、樺太の海豹島のこと。白秋の樺太行きは、名作「フレップ・トリップ」や短歌や童謡だけでなく、オットセイ踊りなるものも生み出していたのである。
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2017年04月21日

樺太連盟の奨励金

昨年刊行した『樺太を訪れた歌人たち』に対して、一般社団法人全国樺太連盟から樺太研究奨励金の交付をいただいた。

樺太連盟は昭和23年に樺太引揚者の援護と相互扶助を目的に結成された組織で、お金のことはともかく、樺太関係の方々とのつながりができたことが嬉しい。

その縁もあって、来月は樺太連盟でワークショップ(東京)と講話(京都)を行う予定になっている。
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2017年04月20日

橋本陽介著 『日本語の謎を解く』


副題は「最新言語学Q&A」。

著者は高校で「言葉の謎に迫る」という授業を始めるにあたって、生徒から言語に関する疑問を募集した。この本はその疑問に答える形で73個のQ&Aを収めている。

日本語の起源、音声、語彙、言語変化、書き言葉と話し言葉、「は」と「が」、主語、活用形と語順、「た」と時間表現など、話題は多方面に渡っているが、全体を通して著者のものを考える姿勢が一貫しているのでバラバラな感じは受けない。

7か国語をほぼ独学でマスターしたというだけあって、英語や中国語など様々な外国語との比較も多く、日本語の性質や特徴がよく見えてくるところも良かった。

印象に残った部分をいくつか引く。

形の上では「全然+肯定形」でも、話者の気持ちは依然として否定なのです。文法を見る時に、文字だけ見て分析すると、本質を取り逃すことがあります。
主語の本質とは何でしょうか。主語というくらいですから、文のメインになるものだと思ってしまいそうですが、じつはそうではありません。文の主役は述語です。
日本語では、ものごとを上から客観的に眺めるのではなく、状況の内側からの視点に同化してしまうのが普通です。
日本語の小説で、「タ形」と「ル形」が混在しているのは、過去の出来事を振り返って語るのではなく、物語の場面(物語現在)を現在として語っているからです。
タ形を使うと、その動作の終わったところを点で捉えます。一方、ル形を使うと、線で捉えるような感じになります。最近の小説、特に流行小説はスピード感を出すためか、ル形の使用が増えています。

最後の引用部分など、近年の口語短歌における「ル形」の多さとも関連してくる話のようで、とても興味深い。

2016年4月20日、新潮選書、1300円。
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2017年04月19日

第7回樺太ワークショップ

一般社団法人全国樺太連盟主催のワークショップで「樺太を訪れた歌人たち」をテーマに話をします。どなたでも参加できますので、皆さんぜひお越し下さい。

日時: 5月16日(火)10:30〜12:00
場所: ホテルグランドヒル市ヶ谷2F「琵琶の間」
     JRまたは地下鉄有楽町線、南北線「市ヶ谷駅」下車徒歩5分
テーマ:「樺太を訪れた歌人たち」
概略: 戦前の樺太には多くの日本人が住んでいただけでなく、仕事や観光、 講演などの目的で訪れる人たちもいました。北原白秋・斎藤茂吉・土岐善麿・北見志保子・生田花世といった歌人も樺太を訪れています。 彼らが残した短歌には、樺太の自然や文化、産業、人々の暮らしといったものが生き生きと描かれています。それらの歌を手掛かりにして、今では忘れられつつある当時の樺太の姿や歴史にあらためて目を向けてみます。

講師: 松村正直
座長: 辻 力
参加資格: 会員、非会員を問いません。どなたでもご参加いただけます。
参加費用: 無料

http://kabaren.org/event/
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2017年04月16日

現代歌人集会春季大会 in 大阪

7月17日(月・祝)に大阪で現代歌人集会春季大会を開催します。
テーマは「調べの変容〜前衛短歌以降〜」。

大辻隆弘理事長の基調講演、穂村弘さんの講演、堂園昌彦・阿波野巧也・河野美砂子・魚村晋太郎(進行)の4名によるパネルディスカッションが行われます。

参加費は2000円(当日払い)です。皆さん、どうぞご参加ください。

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2017年04月15日

中田考著 『イスラーム入門』


副題は「文明の共存を考えるための99の扉」。

イスラームについて99のトピックを挙げて解説した本。「クルアーン」「スンナ派」「六信五行」「カリフ」「サラディン」「ムスリム同胞団」「アルカーイダ」など、イスラームの教えや暮らし、歴史、さらに現代の問題に至るまで、様々な話題を取り上げている。

アラビア語の原典だけがクルアーンであり、翻訳はあくまでも外国語での注釈に過ぎず、ムスリムは毎日五回の礼拝でクルアーンの第1章とその他の章句をアラビア語原典で読み上げる義務があります。
家事や子供の養育は妻の義務ではなく、召使の雇用が夫の扶養義務に含まれます。授乳ですら妻の義務ではなく、夫が乳児に乳母をあてがわねばなりません。
イスラーム法は属人法であり、異教徒には課されませんが、使徒を誹謗した者は不信仰者であっても殺害されることもあります。
イラン・イスラーム革命は、西欧型の政教分離、世俗化が世界中で不可逆的に進行すると信じていた西欧にとって大きな衝撃であり、その後の世界的なイスラーム復興現象の顕在化の狼煙となるものでした(・・・)

この本の基本的な立場は、「理解はできないけれども共存するために知っておくべき」という点にある。例えば、上に挙げた「殺害される」というところなど、そんなのおかしいと私たちの多くは思うのだけれど、まずはそうした事実を知っておくことが大切なのだろう。

相手の持つ価値観や考え方を「肯定」「否定」するのではなく、まずはそれをきちんと知ること。それは今後ますます大事になっていく態度なのだと思う。

2017年2月22日、集英社新書、760円。
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2017年04月14日

映画 「夜は短し歩けよ乙女」

監督:湯浅政明
原作:森見登美彦
脚本:上田誠
キャラクター原案:中村佑介

森見登美彦のベストセラー小説をアニメ化した作品。
テンポの良い脚本とアニメならではのメリハリの利いた表現が良かった。京都が舞台なので、知っている場所が数多く出てくるのも楽しい。

93分、Tジョイ京都。
posted by 松村正直 at 15:22| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

西連寺成子著 『啄木「ローマ字日記」を読む』

今日(4月13日)は石川啄木の命日。

この本は第一部に「ローマ字日記」が漢字かな交じり文で載っており、第二部には「一握の砂」(短歌)、「呼子と口笛」他(詩)、「時代閉塞の現状」(評論)、「葉書」(小説)が載っている。それぞれ丁寧な解説も付いているので、啄木の全体像がよくわかる。

智恵子さん!なんといい名前だろう!あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!さわやかな声!(明治42年4月9日)

ちょっと茂吉の「ふさ子さん!」という手紙を思い出す。

そして、人に愛せらるな。人の恵みを受けるな。人と約束するな。人の許しを乞わねばならぬ事をするな。決して人に自己を語るな。常に仮面をかぶっておれ。(4月12日)

いかにも啄木という感じがする。23歳の若い自尊心。

妄想は果てもない!函館の津波・・・金田一君と共に樺太へ行くこと・・・ロシア領の北部樺太へ行って、いろいろの国事犯人に会うこと・・・(4月18日)

金田一京助は明治40年にアイヌ語研究のために樺太へ渡っており、その時の話を啄木にも聞かせている。啄木も樺太へ行くことを夢見ていたようだ。「樺太まで旅費がいくらかかります?」(4月17日)と金田一に訪ねたりもしている。

2012年4月11日、教育評論社、1800円。

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2017年04月12日

三枝浩樹歌集 『時禱集』


16年ぶりに刊行された第6歌集。
全353ページという分厚い一冊になっている。

いっぽんのからまつを吹き過ぎゆけり感触(サンサシオン)となりゆける風
霜月のひかりのなかに散りいそぐこまかなるこまかなるからまつの針
いましがた自宅に戻られましたとぞきみ居たる部屋開け放たれて
卓上に富有と津軽 日本の秋すぎんとし今朝は霧湧く
野に熟れたるトマトの甘さひとふりの塩きらめきて色の濡れたり
百葉箱のような人生という比喩がほんのり浮かぶ そうでありたい
砂を食む波きらめきてかなしみはしばし寄りくる生者の中に
ちいさな秋とちいさな夏とゆきあいて日差しあかるき木の葉がゆるる
老ゆるにはしばし間のある人生の午後なれば子をふと懐かしむ
喫水線深まりてどこへゆくのだろう 水先案内人のいぬ朝

1首目、「サンサシオン」というフランス語のルビが明るい雰囲気を醸し出している。
2首目、からまつの落葉の光景。「こまかなる」の繰り返しがいい。
3首目、連作の最初の一首だが、これだけで病院で知人が亡くなった場面であることが読み取れる。
4首目、柿と林檎。
5首目、「色の濡れたり」がいい。完熟トマトと通常のトマトの違い。
6首目、あまり目立つことなく、それでも毎日自分の務めを果たしている。
7首目、「砂を食む」がいい。砂浜に打ち寄せる波の姿。
8首目、「ゆきあいて」は季節が入り混じって移り行く様子。
9首目、離れて住む子のことを「懐かしむ」という捉え方が印象的だ。
10首目、荷物を多く積んで進む人生の船。「深まりて」の年齢的な感慨が滲む。

全体にこれ見よがしなところがなく、歌に静謐さが漂うところに惹かれる。キリスト教の信仰に関する歌も随所に見られる。

2017年2月22日、角川書店、3000円。

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2017年04月11日

今後の予定

5月11日(木)10:00〜15:00
 海遊館吟行(JEUGIAカルチャー)
 http://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-23431.html

5月12日(金)13:00〜16:00
 歌会(西宮)
  *無所属の方を中心とした少人数の歌会です。
   興味のある方はご連絡下さい。

5月16日(火)10:30〜12:00
 全国樺太連盟ワークショップ(市ヶ谷)
 講演「樺太を訪れた歌人たち」
 http://kabaren.org/event/
  *どなたでも参加できます。無料。

5月23日(火)11:20〜
 全国樺太連盟近畿支部第50回記念総会 講話(京都)

5月28日(日)12:00〜17:00
 「塔」北陸歌会(富山)

6月24日(土)13:00〜17:00
 「塔」北海道集会(札幌)
 http://toutankakai.com/event/7018/?instance_id=1188

7月17日(月・祝)13:00〜17:00
 現代歌人集会春季大会 in 大阪
 http://matsutanka.seesaa.net/article/446657270.html

8月19日(土)20日(日)
 「塔」全国大会 in 福島(郡山)

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2017年04月10日

柳田新太郎の樺太詠(その3)

続いて「小沼の夏」から。
斎藤茂吉が養狐場の見学に訪れた土地である。

 樺太特殊産業発展のための一つと若い身を研究にうち込み、もの言はぬ動物の群にたちまじり、牛酪(ばた)・チーズの製造試験から牛乳の味噌・醤油までも造り試みるといふ、この小沼農事試験所に奉職する青年の数名。遠く中央文化から離れたこの北の果の島に住みつき、生活の単調と環境の寂寥にうち克ち、孜孜として働くこれらの人びとはその名も技手(ぎて)、酬いられるものも多からぬであらうのに、何に慰む心かと訝(いぶか)り問へば、休日の魚釣りの他にまぎるるものは仕事の上の成績ただ一筋、と衒(てら)ひ気もない言葉の響き。

小沼の農事試験所で働く青年たちから話を聞いている。当時の職員の区分を見ると、「技師」「書記」「技手」「嘱託」「雇員」に分れており、「技師」は高級官吏、「技手」は下級官吏であった。

もう一つ、「アイヌ墓地」から。

 沖の漁労(すなどり)からまだ戻りつかぬか、男たちの影みせぬ多蘭泊(たらんどまり)の部落はいま夕餉支度に、薪を折り井戸に集るものみな女ばかり、門口に出て乾魚を焙る老婆の上唇にそれと肯(うなづ)く黥(いれずみ)が見えた。

西海岸の多蘭泊にあったアイヌの集落を訪れた場面である。男性は漁に出ており、女性たちが夕食の準備をしているところ。当時、アイヌの成人女性は口の周りに刺青を入れていることが多かった。
posted by 松村正直 at 06:17| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする