2018年06月26日

「塔」2018年6月号(その1)

 ハッサクの名のいさぎよきひびきかな剥きゆくゆびにつゆしたたらず
               後藤悦良

八朔という名前は確かにさっぱりとした感じがする音で、それが中身ともよく合っている。同じ柑橘類でも瑞々しくジューシーな伊予柑とは正反対。

かはうそのやうに腕よりすり抜けて息子が今日も歯を磨かない
               澤村斉美

膝の上に子どもを仰向けに寝かして歯を磨こうとすると、嫌がって逃げ出すのだろう。「かはうそのやうに」という比喩にすばしっこさがよく出ている。

トンネルの出口大きくなりてきて実物大を車出でゆく
               久岡貴子

長いトンネルで、最初は出口がとても小さく見えていたのだ。「実物大」がおもしろい。通過する時になって初めて本当の大きさが体感できる。

手探りに蛍光灯のスイッチを探して蚕のごとき我が指
               小川和恵

真っ暗な部屋の壁に手を当ててスイッチを探しているところ。指を少しずつずらしていく感覚から「蚕」をイメージしたのが何ともなまなましい。

ぎつくり腰と素直に言へずに感冒と電話に告げて休みをもらふ
               大木恵理子

「ぎつくり腰」(急性腰痛症)になったらしばらくは動くこともできない。何も恥ずかしがることはないのだが、言いにくい気持ちもよくわかる。

蔦沼へのお礼のはがきを差し入れぬLawsonの薄きポストのなかへ
               佐原亜子

コンビニのレジ付近にある薄型の郵便入れ。「蔦沼」は地名だろうか、人名だろうか。不思議な沼のイメージが、ポストの穴の中に広がる感じがする。

座蒲団に眠るみどり子卓の上にみかんと並び置かれてありぬ
               久次米俊子

「みどり子」と「みかん」の並列が印象的だ。しかもテーブルの上である。2首目以下を見ると、どうやらベトナムに旅行した時の歌のようだ。

死ののちを死者は生者のものとなり平手打ちした夜も明かさる
               山下裕美

上句が非常に痛烈で痛切な言葉。生前は明かしていなかったことや、他人には知られたくなかった秘密まで、生者の都合のままに暴露されてしまう。


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2018年06月25日

長江貴士著 『書店員X』



副題は「「常識」に殺されない生き方」。

著者は盛岡の「さわや書店」で働きながら、2016年に「文庫X」という手書きカバーを付けた本(清水潔著『殺人犯はそこにいる』)を大ヒットさせた書店員である。

まずは「文庫X」という企画が生まれた経緯や、現在の書店の置かれている状況についての話がある。

そういう仕掛けを生み出そうとする時には、お客さんが求めているものをリサーチして、それに応えようとするやり方は、良い成果を生まないだろう。(・・・)良い企画とは、お客さん自身ですら自覚していない潜在的な欲求を満たすものだと僕は考えているからだ。
どう街と関わっていくのか、というスタンスを常に持ち続けているという土台が、さわや書店という本屋の、そして盛岡という街の背景になっている。そのことは、「文庫X」という企画の根っこを支える環境として指摘しておくべきことなのかもしれないと思う。

さらには、著者の生い立ちや考え方、生き方についての話も載っている。

生きていれば、様々な状況に置かれることになる。なんでこんなことに、という受け入れがたい状況もあるだろう。しかし、それらは自分の目の前にある時点で既に正解であって、認める認めないの問題ではなく、まず受け入れなければ話が進んでいかない。
「共感」というのは多くの場合、「今の自分」の判断でしかない。つまり、「共感」を求めれば求めるほど、「今の自分」を超えたものに出合う機会が狭まる、ということでもあるのだ。
どんな集団であれ、様々な考え方を持つ人間がいることが、その集団全体の「自由」を生み出しているのだな、ということです。多様な考え方に触れる環境は、まさに「未知のもの」と出合える環境でもあります。

本書を貫くキーワードは「常識」「先入観」「普通」「共感」「孤独」「自由」。
「文庫X」の話にとどまらず、現在の、そして今後の社会を生きていく上で著者が大切だと考えることが繰り返し述べられている。

僕はかつて1年間だけ短歌をやっていた時期がある。五七五七七の、あの短歌だ。ちゃんと数えたことはないから適当だが、1年間で500〜1000首ほどは作っただろう。

なんと、短歌を作っていたとは!
ぜひ、また短歌にも取り組んで欲しいなあ。

2017年7月10日、中公新書ラクレ、840円。


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2018年06月23日

穂村弘歌集 『水中翼船炎上中』


17年ぶりに刊行された第4歌集。328首収録。

ふたまたに割れたおしっこの片方が戒厳令の夜に煌めく
水筒の蓋の磁石がくるくると回ってみんな菜の花になる
先生がいずみいずみになっちゃってなんだかわからない新学期
それぞれの夜の終わりにセロファンを肛門に貼る少年少女
2号車より3号車より美しい僕ら1号車のガイドさん
先生が眠ってしまった教室の黒板消しにとまってる蝶
夜の低い位置にぽたぽたぽたぽたとわかものたちが落ちている町
胡桃割り人形同士すれちがう胡桃割り尽くされたる世界
今日は息子に「ひかげ」と「ひなた」を教えたというツイートが流れる夜は
からっととへくとぱすかる愛し合う朝の渚の眩しさに立つ

1首目、確かにたまに「ふたまた」になる。戒厳令下の立ちションの美しさ。
2首目、すっかり忘れていた記憶が甦ってきて懐かしい。
   https://suzurandou.ocnk.net/product/14324
3首目、結婚して姓が「泉」になったのだろう。
4首目、朝一番に行う蟯虫検査用のセロファン、あの独特な感触。
5首目、自分たちの乗るバスのガイドさんが美人だと嬉しかったものだ。
6首目、幻想的な味わいのある歌。(こういう歌がもっとあればいいのに。)
7首目、溜り場でしゃがみ込んでいる若者たち。
8首目、下句の句跨りのためにあるような一首。割るべき胡桃を探して人形たちは町をさまよい続ける。
9首目、抒情的な味わいのある歌。(こういう歌がもっとあればいいのに。)
10首目、なぜかデ・キリコの「ヘクトルとアンドロマケ」を思い出した。
   https://www.musey.net/5328

読み終えて、何とも言えない寂しさで胸がいっぱいになる。
キラキラしていた夢の抜け殻、思い出の標本箱。

2018年5月21日、講談社、2300円。

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2018年06月22日

内藤明歌集 『薄明の窓』


2008年から2015年の作品544首を収めた第6歌集。
「現代三十六歌仙」シリーズ31。

奇つ怪な形のままにふくらみて紙のマスクがベンチにわらふ
やり直しきかぬ齢と知る時に空也の脛を思はざらめや
玻璃のそと渡り廊下を行く人は両手に髪を押さへつつゆく
ゆつくりとカッターの刃を押し出してまた押し込める灯(ともしび)の下
もう少しゆけばかならず楽になる楽になるとぞ歩み来たれる
馬偏に主(あるじ)と書きてとどめ置く車ならざるまぼろしの馬
明日のため残し置かむと短編の半ばを過ぎてあかりを消しぬ
海を背に建つ良寛堂宝暦八年山本栄蔵生れしところ
菊姫で口を浄めてのどぐろのねめる刺身を舌に載せたり
指先は手術の痕に触れてをり一筋細く盛り上がる皮膚

1首目、使い終わったマスクが捨てられているところ。妙になまなましい。
2首目、有名な六波羅蜜寺の空也上人立像を思い浮かべているのだ。
3首目、建物と建物の間の渡り廊下を風が吹き抜けている。
4首目、目的があるわけではなく、何か考えごとをしているのだろう。
5首目、こう思いつつ最後まで「楽になる」ことがないのが人生か。
6首目、「駐」という字に「馬」がいることからの発想。
7首目、読み終えてしまうのがもったいないくらいの本だったのだ。
8首目、「山本栄蔵」は良寛の俗名。生まれた時はまだ「良寛」ではない。
9首目、日本酒と刺身の歌であるが、官能的な言葉選びになっている。
10首目、無意識に触ってしまって、手術のことを思い出すのである。

2018年5月10日、砂子屋書房、3000円。

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2018年06月21日

現代短歌シンポジウム in 浜松


現代短歌シンポジウム  in 浜松.png

(クリックすると大きくなります)


8月19日(日)、「塔」の全国大会の2日目は一般公開のシンポジウムです。どなたでも参加できますので、皆さんぜひお越しください。

・講演「前衛短歌を振り返る」 永田和宏
・鼎談「平成短歌を振り返る」 栗木京子・永田 淳・大森静佳

参加費は一般2000円、学生1000円です。


posted by 松村正直 at 23:17| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

山下翔「meal」


書き下ろしの「焼肉」55首と「カレーライス」15首、さらに「自選二〇首」を載せた個人誌。

カーテンは裾のはうから膨らんですぐまたかへす吸はるるごとく
シャワー室にスクワットするわが姿大き鏡のなかを上下す
球場のはたをとほればかけ声は端然としてわれを歩ます
目覚めたら音で雨だとわかるのにカーテンを開けて窓まで開ける
ルーだけを先に食べ切りうつすらとカレーの香まとふ白米ぞよき
鹿は秋、つてみなは言ふけどあなたとは――長く連絡を取つてゐない

1首目、結句「吸はるるごとく」がいい。窓枠に吸い付く感じ。
2首目、こうした場面を詠んだ歌はあまり見たことがない。ただごと歌っぽさもある一方で、妙になまなましい。
3首目、自分とは関係のない掛け声に励まされるような気分だろう。
4首目、音だけでなくやはり目で確認したいという思い。雨の降る外の風景も見えてくる。
5首目、カレーライスを食べる際は配分に要注意。でも残ったご飯はご飯でうまい。
6首目、「鹿」は秋の季語。牡鹿が牝鹿を呼ぶ鳴き声に由来するので、三句以下とつながる。

2018年6月9日、200円。

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2018年06月18日

地震

8:24 大きな地震だった。
家の中は特に問題なし。本が数冊落ちた程度。

9:00 ガスが止まっている。

10:15 今日の午後のイオンタウン豊中緑丘「はじめての短歌」は休講との電話あり。

10:30 ガスメーターの復帰方法を試してみたら直った。
http://www.meti.go.jp/policy/safety_security

11:15 高校が休みになった息子が京都駅から歩いて帰宅。

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2018年06月16日

「夏暦」四十八号


王紅花さん発行の「夏暦(かれき)」48号には、夫・松平修文さんへの挽歌が載っている。

 仏壇の何処のものとも知れぬ鍵置かれたり永久(とは)に知られぬならむ
 健康な身体で動くはこんなにも簡単で駐車場へと向かふ
 夫死にて時間があれば公園の老人グループの辺(へ)に缶ジュース飲む
 末期(まつご)の苦しみにゐるあなたに愛すると言つてほしかつたなんてわたくし

1首目、どこの鍵だかわからない鍵が残されている寂しさ。
2首目、かつて病気の人を伴って歩いた時は大変だったのだろう。
3首目、ぽっかりと空いてしまった時間をぼんやりと過ごしている。
4首目、病気に苦しむ夫とともにいる作者にも長い苦しみがあったのだ。

夫との最後の日々を振り返って、王さんは次のように書く。

今の私には分からない。夫との最後の別れ方がどうだったのか。あれで良かったのか悪かったのか。その問いが今も私を苦しめる。泣きすがったら二人共思いが晴らせたのではないか。しかし今となっては、こうだった、という事実が厳然とあるばかりだ。そして私は、「言葉で言わなくても分かっているでしょう」と夫が思っていたと、信じる。

どこにも正解はない話だ。
でも、最後の「信じる」という一語にこめられた思いの強さに、深く共感する。

2018年5月25日、500円。

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2018年06月15日

近鉄の駅名


近鉄(近畿日本鉄道)は、JRを除いて日本で最大の私鉄である。
路線距離は500キロあまり、駅の数は286もある。

その近鉄の路線図を見ていると、数字の付いた駅名が多く見つかる。

1 一分
2 二階堂、二上、二上山、二上神社口
3 三山木、三本松、大三、三日市
4 四日市
5 五位堂、五十鈴川、五知
6 六田

8 八戸ノ里、八尾、大和八木、八木西口、八田
9 九条
10 十条

こうして見ると、七の付いた駅名だけがない。
七の付いた駅を設けて欲しいなあ。

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2018年06月14日

田口久美子著 『増補 書店不屈宣言』


2014年に筑摩書房より刊行された単行本に改訂、削除、追記をほどこして文庫化したもの。

リブロやジュンク堂で40年以上にわたって書店勤務を続けてきた著者が、日本の書店や出版業界の現状を現場の書店員へのインタビューを通じて描き出した一冊。

日本における出版物の総売上高や書店数は90年代後半のピーク時に比べて約6割にまで落ち込んでいる。もう20年近く右肩下がりの状態が続いていて歯止めが利かない。

日本の雑誌はとにかくあらゆるジャンルごとに発行されているのだ、もうそれは世界に類のないことではないかと思う。
児童書には「書店営業の伝統」がまだ生きている、と思ってしまうのは、最近の出版不況から出版社は人件費のどこを削るか、それは営業でしょう、ということになっているようだから。つまり出版社は効率を考えて、これぞという新刊発売時以外は書店回りをしなくなったのだ。
私たちはこういう大切な「マニア・学問の人」、つまり日常的に本が周辺にあるひと、を新興ネット書店・アマゾンに奪われているわけだ。だが、そのお客さんにとってはまことに便利な時代になったのだろう、書店員として認めるのは悲しいけれど。

何か有効な対策があるわけではない。精神論でどうにかなるような状況でもない。書店や本が必要とされない時代が、もう現実に近づいているのだ。

2017年12月10日、ちくま文庫、780円。


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2018年06月13日

仲秋の名月 伊豆山歌会


9月24日(月・祝)にハートピア熱海/伊豆山神社で開催される「第67回 源実朝を偲ぶ仲秋の名月伊豆山歌会」に出席します。

現在、投稿歌を募集中です。締切は7月31日(必着)、投稿料は無料ですので、皆さんぜひご応募ください。

https://www.izusan.com/ibento/meigetuutakai.html

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2018年06月12日

現代歌人集会春季大会 in 奈良


7月16日(月、祝)に奈良で「現代歌人集会春季大会」を開催します。
大会テーマは「万葉に遊ぶ」。

林和清さんの基調講演、内藤明さんの講演「万葉は今」、大辻隆弘・勺禰子・小黒世茂・吉岡太朗の4名によるパネルディスカッションと盛りだくさんの内容です。皆さん、ぜひお越しください。

参加費は2000円、当日受付も致します。


 現代歌人集会春季大会2018.png

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2018年06月11日

古い座談会


引き続き「塔」2001年12月号の座談会から。

この年の4月に僕は大分から京都に引っ越してきたばかり。5月からは永田家で行われる「塔」の再校・割付作業にも参加するようになり、11月に第一歌集『駅へ』を刊行している。当時31歳。

今読み直すと赤面するような発言が非常に多い。
例えば、河野美砂子さんの歌について。

松村 (何と言ったらいいか)難しいんですけど、僕はそんなにグッと来ないかな(笑)。河野さんは、かなり独自の歌を作られるんで、その世界に入れないと響いてこないのかな。誰にでも響いてくる歌というよりは、訴える人を選ぶ歌という感じがします。

・・・いやいや、お前が読めてないだけだよ!

あるいは江戸雪さんの歌について。

松村 江戸さんはすでに歌人として名前のある方なんで、今更取り上げるまでもないのですが、最近また特に新鮮で力のある歌を作っていて印象的でした。

・・・何を上から目線で偉そうなこと言ってるの!

こんな生意気だった僕を皆さん寛容に受け入れて下さったのだなぁと、今さらながら感謝する次第である。

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2018年06月10日

郡山紀男さん


先日、「塔」会員の郡山紀男さんが亡くなったとの報せを聞いて、「塔」の古い座談会を読み直していた。2001年12月号掲載の年間回顧座談会である。

この座談会で、私は「今年注目した五人の歌人」の一人に郡山さんの名前を挙げている。

郡山紀男さんはずっと農作業の歌を作られている方で、こういう歌の良さというのも塔の一つの大事な側面だと思います。「田植機の植ゑ残したる田の四隅補植する手に泥水温し」。自分の生活や身近なところから地道に丁寧に歌を作っている方が塔にはたくさんいらっしゃって、そういう歌の良さは見落とせない。

郡山さんは鹿児島にお住まいということもあって、ほとんどお会いしたことはなかったけれど、誌面でいつも歌を楽しみに読んでいた。

ご冥福をお祈りします。

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2018年06月09日

歌碑の数


堺の与謝野晶子記念館の展示によれば、晶子の歌碑・詩碑は全国に約250基あるそうだ。碑にはその土地ゆかりの歌が刻まれることが多い。夫の鉄幹とともに全国各地を旅した晶子ならではの多さと言えるだろう。

先日訪れた渋民の石川啄木記念館には全国にある啄木の歌碑・詩碑の分布図と一覧が展示されていた。その数177基。場所は岩手・北海道・東京が中心だ。啄木が東京より西へ行ったことがないこともあって、晶子には及ばない。それでも相当な数である。

晶子よりも多いのが若山牧水である。若山牧水記念文学館のHPには歌碑・文学碑の一覧が掲載されている。約300基。
http://www.bokusui.jp/category/monument/
牧水の旅好きがよくわかる数字で、おそらく日本一ではないだろうか。

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2018年06月08日

「塔」2018年5月号(その2)

 つぎつぎと二枚の札を裏返しゆく五歳児の短期記憶は
                       吉田 典

トランプの神経衰弱をしているところ。ある時期までの子どもは無闇矢鱈と神経衰弱が強い。それを「短期記憶」と表現したのが的確でおもしろい。

 住宅街のせたる丘の擁壁が波打つやうに長くつづけり
                       野 岬

丘が切り拓かれて新しく住宅地になったのだろう。もし擁壁が崩れたら町ごと崩れ落ちてしまうような危うさを感じる。「波打つやうに」がいい。

 球を打つ体のリズムの慣れてきて妻とのラリーは意外と続く
                       熊野 温

夫婦で卓球をしているところ。「意外と」に実感がある。二人とも別に上手なわけではないのだが、一定のリズムで返球するだけなら結構続くのだ。

 保育園に津波訓練あるという寝返りはじめしみどりごたちにも
                       齋藤弘子

東日本大震災後、各地で津波訓練が定期的に行われている。歩くことのできない人が大勢いる保育園や病院、介護施設などは本当に大変だと思う。

 パレットにのばす絵具のぎりぎりの性善説を信じていたい
                       高松紗都子

初二句が「ぎりぎりの」を導く序詞のように働いている。薄く伸びてパレットの地が見えそうな絵具。でも、辛うじて人間の本性が善であると信じる。

 鳥よりも畑の上を行く影の方がスピードありて過ぎたり
                       川口秀晴

畑で作業をしている時に大きな影がすーっと過ぎったのだろう。見上げれば鳥が飛んでいる。「影の方がスピードありて」に鮮やかな臨場感がある。

 給餌する合図を聞けば整然とスタンチョンに入る強い牛から
                       別府 紘

「スタンチョン」は牛の首を挟んで安定させる柵状の止め具。「強い牛から」とあるので、牛の集団にも序列があるのだろう。黙々と従う怖さも感じる。

posted by 松村正直 at 07:04| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月07日

「塔」2018年5月号(その1)

 うどん屋は二階にありて窓に触るる冬のケヤキを見ながら啜る
                       上杉和子

地上から高いところにある欅の枝や葉が、二階の席からは間近に見えるのだ。よく伸びた枝葉が店の窓ガラスをこするように風に動いている。

 イメージは火を噴くゴジラできるだけ白く遠くへ息吐く冬日
                       なみの亜子

外はかなりの寒さで吐く息がまっ白になる。でも、作者の気持ちは縮こまることなく、むしろ自らを鼓舞するように思い切り息を吐き出すのだ。

 夫の額とわれの額と二度いききせし手のひら 熱はあらざり
                       久岡貴子

熱があるかどうか確かめるために夫と自分の額に交互に手を当てる。一度でははっきりわからず「二度」やってみたのだ。夫婦の親しさを感じる。

 葺く人の屋根に置きゐるラジオより流れ来る「霧氷」居間に聞きたり
                       山下太吉

屋根を葺く仕事は重労働で時間もかかるので、職人はラジオを聞きながら作業している。上空からラジオの曲が聞こえるという不思議な体験。

 昆虫の名前のごとし片仮名で印字されたるわが姓名は
                       白水ま衣

「昆虫の名前のごとし」という把握がおもしろい。「シロウズマイ」と書かれた自分の名前が、何か新種の得体の知れない生き物のように思えてくる。

 明日という明るき刻が来るものと人ら信じて花苗を買ふ
                       阪上民江

「明日」は「明るい日」と書く。花が咲く日まで元気で生きていることを前提に、誰もが苗を買う。けれども、その日を必ず迎えられるとは限らない。

 「はくちょうはくちばしの先から沈むよ」と凍て空の星を子らに指さす
                       上杉憲一

夏の星座として有名な「はくちょう座」は冬には西の地平線に沈んでいく。下句になって初めて本物の白鳥でなく星座の話だとわかるところが良い。

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2018年06月06日

『石川啄木の世界への誘い』


旅先で本屋に入ることが多い。盛岡では、東山堂書店本店、さわや書店本店、さわや書店フェザン店に立ち寄った。

この本は東山堂書店の郷土本コーナーにあったもの。啄木の没後100年にあたる2013年に、石川啄木没後百年記念誌として刊行された一冊である。地元以外では入手が難しそうなので購入した。

この年は他にも、企画展「啄木からのメッセージ」(石川啄木記念館)、「新啄木かるた」の作成、没後百年記念フォーラム(姫神ホール)、没後百年記念碑建立(陸前高田市)など、さまざまな事業が行われたようだ。

ドナルド・キーンの講演「啄木を語る―啄木の現代性―」の中に次のような一節がある。

啄木には歌の師匠がなかったので、独学で歌の伝統的な詠み方を覚えました。そして、五・七・五・七・七と文語にしたがいながら、溢れる情熱をもって新鮮な歌を詠みました。
一禎は四千以上の短歌を残しました。平凡なものばかりですが、明らかに短歌に相当な関心がありました。また、田舎の僧侶としてめずらしいことに詩歌の雑誌を購読していました。

啄木の短歌に父の一禎(いってい)からの影響がどれくらいあったのか。そのあたりをもう少し探ってみたいと思う。

2013年10月14日、石川啄木没後百年記念事業実行委員会、1300円。


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2018年06月05日

大森静佳歌集 『カミーユ』 (その2)

続いて後半から。

皆殺しの〈皆〉に女はふくまれず生かされてまた紫陽花となる
草原に火を芯として建つ包(パオ)のひとつひとつが乳房のかたち
そこだけは無毛の羊の腹のあたり切り裂きぬ前脚を摑みて
冬の虹途切れたままにきらめいて、きみの家族がわたしだけになる
何があったか全部言って、と迫るうちに蔓草の野となってしまった
紫陽花の重さを知っているひとだ 心のほかは何も見せない
ひとがひとに溺れることの、息継ぎのたびに海星(ひとで)を握り潰してしまう

1首目、戦いに負けて「皆殺し」にされるのは男たちで、女は戦利品として扱われることがしばしばあった。女性としての痛みを強く感じる歌。
2首目、モンゴルの旅行詠。パオの中央には炉があり、天井に明かり取りと煙出しの穴がある。「火を芯として」「乳房のかたち」という表現がいい。
3首目、羊を解体して内臓を取り出す場面か。生々しい臨場感がある。まるでそこから切るためのように「そこだけは無毛」であるのが痛ましい。
4首目、きみの父が亡くなった一連の歌。儚さを思わせる虹が、しかも「途切れたまま」架かっている。この世に二人だけ取り残されたように。
5首目、何か男女の修羅場を感じさせる歌だ。相手を強く問い詰め、追い詰めていった先に、寒々とした、荒涼とした心の風景が表れる。
6首目、下句、「心の奥は見せない」といった表現よりもっとどうすることもできない隔たり。作者も紫陽花の重さを知っているのかもしれない。
7首目、相手に対して身も心も溺れてゆくことの陶酔感と苦しさ。結句10音の字あまりと読むが、握り潰された海星の感触が生々しく伝わってくる。

歌集全体を読むと、よく使われる単語があることに気が付く。「火」「彫る」「狂う」「紫陽花」「虹」「喉仏」「手」「汗」「感情」「きれい」など。

原初的な感覚もありながら、それが相手や世界を包み込む大らかさには向かわず、剥き出しの切迫感と勢いを感じさせるところに作者の歌の特徴があるように思う。

2018年5月15日、書肆侃侃房、2000円。

posted by 松村正直 at 09:23| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする