2019年08月01日

毎日文化センター「石川啄木ー詩、小説、そして短歌へ」

9月25日(水)11:00〜12:30、大阪梅田の毎日文化センターで
一日講座「石川啄木ー詩、小説、そして短歌へ」を開催します。
皆さん、ぜひご参加ください。

http://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/36106

石川啄木は歌集『一握の砂』や『悲しき玩具』を生んだ歌人として知られていますが、そのデビュー作は詩集であり多くの詩を作っています。また、小説家になることを目指して小説をたくさん書いた時期もありました。

他にも日記や評論など様々な表現方法を模索した末に、何を求めて啄木は短歌にたどり着いたのか。そして、その歌はなぜ今も多くの人々に親しまれ続けているのか。具体的な作品を紹介しながら、わかりやすくお話しします。
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2019年04月13日

啄木忌

1912(明治45)年4月13日に石川啄木が亡くなってから107年。

 靴裏に都会は固し啄木忌      秋元不死男
 本棚のあたりより暮れ啄木忌    鈴木真砂女
 便所より青空見えて啄木忌     寺山修司
 鮨台更けて一人が睡る啄木忌   長谷川かな女
 城の堀いまもにほへり啄木忌    山口青邨

没後100年以上も作品が読まれ続けていることになる。
考えてみるとすごいことだ。

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2019年04月12日

『石川啄木入門』

著者 :
思文閣出版
発売日 : 1992-11

監修:岩城之徳、編集:遊座昭吾・近藤典彦。
20年以上前の本だが、写真資料が豊富で今でも役に立つ。

自己の真実直視の苦闘、これは当時にあっては自然主義の文学的営為であった。しかし啄木にあっては、それを前述したごとく小説執筆において行なうことは不可能であった。啄木は日記において期せずしてその自然主義的営為を行なったのである。
                 近藤典彦「北海道・東京時代の啄木」
(『ローマ字日記』)なぜ、ここまで率直な内面告白がこの時期にだけ、ローマ字で行われたか、ということが問題になる。答えとしては、近年、池田功の出した説がおそらく最も的を射ている。要するに、啄木はここで、徹底して自己をえぐる一首の私小説を試みているのであって、これは単なる日記ではなく、独立した一つの作品だ、というのである。              今井泰子「石川啄木名作事典」

啄木の小説・日記・短歌の関わりを考える上で非常に興味深い指摘だ。

1992年11月1日、思文閣出版、2000円。

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2019年02月21日

凌雲閣

 浅草の凌雲閣(りょううんかく)のいただきに
 腕組みし日の
 長き日記(にき)かな
             石川啄木『一握の砂』

凌雲閣は1890年に竣工した12階建ての展望塔で、高さは52メートル。当時、日本一の高さを誇る建物であった。別名「十二階」と呼ばれることもある。

観光名所として人気を集めた建物であったが、1923年の関東大震災で上部が崩落し、その後、解体された。

『一握の砂』の序文を書いた渋川玄耳の『藪野椋十日本見物』(1910年)という旅行案内を読んでいたら、この凌雲閣の話が出てきた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762983

凌雲閣!なる程丁度十二階ある。一体何の為に建てたものぢやらうか、滅法に高いものぢや。少し歪んで居る様ぢや。筋金が打つてある。是は険呑ぢや。彼(あ)れが崩れたら其麼(どんな)ぢやらう、考へて見てもゾツとする。流石に東京者は胆が据つて居る哩(わい)、彼(あ)の危険物を取払はせずに、平気で其近所に住んで居るのは。尤も博覧会は東京に雨が降らぬものとして建てた相ぢやから、此十二階も地震の無い国の積ぢやったらう。

最後の「此十二階も地震の無い国の積ぢやつたらう」は、13年後の地震による崩壊を予言したかのような一文ではないか。

渋川玄耳、すごい!

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2019年02月20日

松本健一著 『石川啄木望郷伝説』


「近代日本詩人選」の一冊として1982年に筑摩書房より刊行された『石川啄木』を中心に、その他の啄木関連の文章を増補してまとめた一冊。著者の「伝説シリーズ」の第3巻となっている。

「故郷喪失」や「敗北の自己認識」「大衆性」をキーワードに、ロマン主義から自然主義そして晩年の社会主義への接近といった啄木の作風の変化を読み解いている。

著者とは生前に一度、「短歌往来」2012年1月号で対談させていただいたことがある。笑顔は柔和だったが言葉にも表情にも一本芯が通っていて、怖いくらいの鋭さを感じる方であった。

2007年6月、勁草書房、2300円。

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2019年02月07日

吉田孤羊著 『啄木を繞る人々』


啄木の研究者として知られる著者が、「啄木の周囲を描くことによつて、その円の中心点に、客観化された彼の面影を少しでも髣髴せしむることが出来たら」という意図のもとに記した本。啄木と交流のあった50人あまりの人々を取り上げている。

啄木の没後17年という時点で書かれた本なので、まだ存命の関係者も多く、直接会って様々な話を聞いたりしているところが面白い。啄木と関わった人たちのその後の人生も知ることができる。

それにしても、この吉田狐羊の啄木研究にかける熱意というのは凄まじいものがある。岩手毎日新聞から改造社に入り、後に盛岡市立図書館の館長などを務めた人物だが、啄木に取り憑かれた人生を送ったと言ってもいいくらいだ。

1929年5月10日、改造社、1円。

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2018年11月04日

三浦光子著 『兄啄木の思い出』


著者は石川啄木の妹。伝道師として布教活動を行ったのち、夫の三浦清一とともに神戸の養護施設「愛隣館」で働いた。

啄木に関する貴重な証言が多く収められているほか、いわゆる「不愉快な事件」や啄木の墓をめぐる問題についても自らの主張を述べている。

兄について書かれたもののなかには、じつに的はずれな批評、考察、曲解などをまことしやかに語り伝えているものもあります。こうしたことに触れるにつけて、私は驚くと同時に、ただ一人の妹として、できるだけ訂正しておきたいものと考え、このたび本書をまとめました。真実の啄木を知っていただきたいと思ったからです。

当時76歳だった著者の思いは、この「あとがき」の文章からもよくわかる。批判の矛先は啄木の妻・節子の実家である堀合家、金田一京助、宮崎郁雨、岩城之徳にも及んでいて、一人の人間の「真実」を捉えることの難しさを思わせられる。

1964年、理論社、420円。

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2018年10月08日

岩城之徳編 『回想の石川啄木』

石川啄木にゆかりのある人々の手記34篇を収めた本。

執筆者は、金田一京助、与謝野寛、与謝野晶子、宮崎郁雨、近江じん(小奴)、平野万里、北原白秋、土岐善麿、若山牧水など。

啄木の少年時代から中学時代、渋民での代用教員時代、北海道放浪の時代、東京での暮らし、そして死に至るまで、時代順に回想が並んでいる。一つ一つの文章はある一時期の啄木の一面を伝えるものに過ぎないが、それが34篇集まることで、啄木の生涯が立体的に浮かび上がってくる巧みな構成だ。

啄木の妹の三浦光子と、節子の弟の堀合了輔の手記も載っている。

啄木と節子は多くの困難に直面しながらも最後まで互いへの信頼を失わなかったように思うが、二人が亡くなった後の遺族同士はそうも行かなかったらしい。石川家と堀合家の間の確執とでも言うべきものが、二人の文章には露骨に表れている。

人間啄木の受けた最大の苦盃、これあってむしろ死期も早められたかの感がますます深くなってゆくのである、それは最愛の妻より裏切られた事件それ自体であって、最も大きな確証を握って居る者は二人生存して居る。一人は妹の私、一人は姪の稲。(・・・)この意味に於て兄の遺骨を何らの係りもない北海の海辺に置く事は正しく故人の意志を無視したいたずらに過ぎないと思う。
                三浦光子「兄・啄木の思い出」
今石川家が存続し居るのも畢竟(堀合)忠操によって遺児が育てられ、結婚し子を持ったからである。

この母(堀合とき子)も節子の死後遺児を見て居ったが、大正八年十二月十八日肺を患ってなくなった。私達は石川家からうつされたものだと思った。
                堀合了輔「啄木の妻とその一族」

まさに泥仕合といった感じで読んでいて辛い。
これも啄木の生前の行動がもたらした結果ではあるのだが。

1967年6月20日、八木書店、1000円。
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2018年09月10日

『石川啄木全集 第三巻』


啄木の小説15篇(「雲は天才である」「葬列」「漂泊」「病院の窓」「菊池君」「天鵞絨」「二筋の血」「刑余の叔父」「札幌」「鳥影」「赤痢」「足跡」「葉書」「道」「我等の一団と彼」)と明治42年および43年の創作ノートを収録。

啄木の小説は生前も死後も、あまり評価が高くない。
でも、「天鵞絨」「道」「我等の一団と彼」は良い作品だと思った。
処女作「雲は天才である」も前半はおもしろい。

1978年10月25日、筑摩書房。

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2018年09月08日

石川啄木論


「角川短歌」11月号(10月25日発売)から3年間、石川啄木についての
連載をします。啄木は私の短歌の出発点なので、この機会に自分なりの
新たな啄木像を提示できればと思います。


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2018年09月06日

関川夏央・谷口ジロー著 『かの蒼空に』


「坊ちゃんの時代」第三部。

明治42年の東京を舞台に、石川啄木の日々の暮らしを描いたコミック。啄木の日記の記述をベースに、金田一京助、夏目漱石、森田草平、幸徳秋水、管野須賀子、北原白秋、平塚明子、長沼智恵子、森鴎外といった多くの登場人物を織り交ぜ、明治期の群像劇として描き出している。

当時の貨幣価値が現在のどれくらいに相当するのかという問題は、何によって比較するかで随分と違ってきて難しいのだが、関川は「当時の一円は現在の五千円の実力があるのではないか」と書いている。これは啄木の月給や借金の額を考える際に参考になる数字だろう。

他にも、啄木が住んだ「蓋平館」は「主人が日露戦争に出征し、蓋平の戦場で手柄を立てたことから命名した」という話など、初めて知ることがあって面白かった。

1992年1月12日、双葉社、1200円。

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2018年09月04日

あくびの効用


啄木の歌を読んでいると、あくびの歌がけっこう出てくる。

 百年(ももとせ)の長き眠りの覚めしごと
 呿呻(あくび)してまし
 思ふことなしに
 路傍(みちばた)に犬ながながと呿呻(あくび)しぬ
 われも真似しぬ
 うらやましさに
 いらだてる心よ汝はかなしかり
 いざいざ
 すこし呿呻(あくび)などせむ
 腹の底より欠伸(あくび)もよほし
 ながながと欠伸してみぬ、
 今年の元日。

あくびと言うと、「眠気」「退屈」「行儀悪い」といったマイナスのイメージを思い浮かべることが多いが、最近の研究では「脳を活性化させる」「心身をリラックスさせる」といった効用があるらしい。

啄木の歌のあくびも、明らかにプラスのイメージである。「してみたいもの」「したら良いこと」として、あくびが描かれている。

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2018年08月23日

森義真著 『啄木―ふるさと人との交わり』

著者 : 森義真
盛岡出版コミュニティー
発売日 : 2014-05


盛岡のタウン誌「街もりおか」に2009年〜2014年にかけて連載された「啄木の交遊録〔盛岡篇〕」をまとめたもの。

「盛岡高等小学校に関わる人々」「盛岡中学校 恩師/先輩/同級生/後輩」「渋民尋常高等小学校に関わる人々」「渋民の人々」などに分けて、計65名が取り上げられている。

印象的なのは、それぞれの出生はもとよりお墓の場所まで記されていること。これは「葬儀や戒名、そして菩提寺まで記載してこそ、その人の伝記になるはずだ」(あとがき)という著者の信念に基づくものらしい。

啄木は満26歳という若さで亡くなっているが、この本の中にも若くして亡くなった人がけっこういる。狐崎嘉助(享年24)、細越毅夫(享年23)、内田秋皎(享年29)など。啄木の死を考える際には、こうした時代性も考慮する必要があるだろう。

2014年3月28日、盛岡出版コミュニティー、1600円。


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2018年08月17日

山本玲子著 『啄木うた散歩』

2006年に岩手日報の夕刊に連載された「啄木うた散歩」を、月ごとに小冊子にまとめたもの。釧路の港文館(旧釧路新聞社)のグッズコーナーで見つけ、全12冊のうち「睦月」「皐月」「長月」の3冊を購入した。

歌の解釈がやや道徳的なところが気になったが、いくつか面白い発見もあった。

 三味線の弦(いと)のきれしを
 火事のごと騒ぐ子ありき
 大雪の夜に           『一握の砂』

この歌について、著者は「三味線の一の糸が切れると縁起が良いといわれる。釧路の料亭での出来事の一つに、啄木は心弾ませたことであろう」と書いている。

これだけでは、どのように縁起が良いのかはっきりしないのだが、ネットで調べてみると「二の糸が切れたら身請けがつく」といった俗信があるらしい。料亭で三味線を弾いている芸者にとって、身請けの話は何より嬉しいことだったろう。だからこそ、ただの俗信とはいえ「火事のごと騒ぐ」となったわけだ。

2010年2月20日(睦月)、2010年3月1日(皐月、長月)
各300円、盛岡出版コミュニティー。

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2018年08月13日

小奴に似たる娼婦

 小奴に似たる娼婦と啄木が五月の浮世小路をあゆむ
                栗木京子『ランプの精』

石川啄木の『ローマ字日記』(明治42年)の5月1日に、次のような記述がある。(原文はローマ字表記)

 ああ、その女は! 名は花子、年は十七。一眼見て予はすぐそう思った。
「ああ! 小奴だ! 小奴を二つ三つ若くした顔だ!」
 程なくして予は、お菓子売りの薄汚い婆さんと共に、そこを出た。そして方々引っぱり廻されてのあげく、千束小学校の裏手の高い煉瓦塀の下へ出た。細い小路の両側は戸を閉めた裏長屋で、人通りは忘れてしまったようにない。月が照っている。
「浮世小路の奥へ来た!」と予は思った。

小奴は啄木が釧路時代に親しかった芸者の名前。浅草に隣接する千束は、江戸時代に吉原遊郭があった場所で、明治に入ってからも娼婦を斡旋する店が数多くあったようだ。

「年は十七」は数え年だろうから、満年齢では十五、六歳ということになる。

 借金を返さぬ啄木 千束(せんぞく)の浮世小路ををみなとあゆむ
                    『ランプの精』

いやあ、啄木・・・。

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2018年08月05日

遊座昭吾著 『啄木と渋民』


著者は啄木が幼少期を過ごした渋民の宝徳寺に生まれ育った方。
啄木とふるさと渋民の関わりを中心に論じた一冊である。

啄木の短歌を考える際に、父や伯父からの影響は無視できないだろう。

しかし一は、生まれた時から歌人群のなかで成長してきたといってよい。
啄木が四千首に及ぶ歌稿『みだれ芦』を編んだ歌人としての父をもったこと、また歌人対月の妹を母としたこと、この血のつながりが彼をして文学、なかんずく和歌に向かわした要因であることは論をまたない。

啄木の父一禎には謎が多い。宗費滞納で住職を罷免されたり、啄木一家の生活が苦しくなると家を出て行ったり、「ダメ親父」として描かれていることが多いが、それは一面的な見方のような気がする。

1971年6月15日初版発行、1979年7月30日改訂版発行。
八重垣書房、1500円。


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2018年07月27日

井上信興著 『啄木文学の定説をめぐって』


函館市文学館で購入した本。

啄木研究において定説とされていることが本当に正しいのか、いくつかのトピックを挙げて論じている。

 ・「ローマ字日記」私見
 ・「東海の歌」の定説をめぐって
 ・啄木と橘智恵子の場合
 ・詩への転換とその前後
 ・「不愉快な事件」と「覚書」について
 ・詩集「あこがれ」発刊について
 ・啄木負債の実額について
 ・啄木敗残の帰郷
 ・啄木釧路からの脱出とその主因
 ・金田一氏の文章論争
 ・「手が白く」の歌のモデル
 ・啄木筆跡の真偽について

こうして目次を並べただけでも、啄木に関する研究には長年にわたる蓄積があり、様々な議論が行われていることがわかるだろう。

私が一番注目したのは、啄木の「ローマ字日記」についての著者の見解である。

私は日記形式を採用して自然主義的私小説を意図したのではないかと考えるのである。

つまり、他の日記類とは違って、「ローマ字日記」は小説だというのだ。確かに表記だけでなく文体や内容についても「ローマ字日記」は異色である。

従来は「日記ではあるが文学的な価値も高い」といった評価をされてきた「ローマ字日記」であるが、これを「小説」と捉えるとずいぶん見え方が違ってくるように思う。

2009年1月1日、そうぶん社出版、800円。

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2018年07月18日

長浜功著 『啄木を支えた北の大地』


副題は「北海道の三五六日」。

石川啄木は1907(明治40)年5月5日から翌1908(明治41)年4月24日まで、356日を北海道で過ごしている。この間、代用教員や新聞記者をしながら、函館、札幌、小樽、釧路と移り住んだ。

 函館の青柳町こそかなしけれ
 友の恋歌
 矢ぐるまの花
 しんとして幅広き街の
 秋の夜の
 玉蜀黍(たうもろこし)の焼くるにほひよ
 かなしきは小樽の町よ
 歌ふことなき人人の
 声の荒さよ
 しらしらと氷かがやき
 千鳥なく
 釧路の海の冬の月かな

この北海道での生活は、啄木の人生や短歌に大きな影響を与えた。「『一握の砂』全五五一首中北海道に関わる歌は一三三首ある」という点だけを見ても、そのことはよくわかる。

以下、いくつか備忘として。

確かに日記や書簡には啄木独特のある種の“粉飾”が施されている事があるのは事実である。
啄木が有名になり出すのは一般的には土岐哀果(善麿)の奔走で漸く出版された『啄木全集 全三巻』(新潮社版 一九一九・大正八年)あたりからで、この『全集』はたちまち三十九版を重ね、啄木の名は全国的に広まった。
啄木には困難な状況に陥ると決まって彼をその困窮から救ってくれる誰かが現れるから不思議である。

北海道にはもう一度取材に行く必要がありそうだ。

2012年2月20日、社会評論社、2700円。


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2018年07月10日

中村稔著 『石川啄木論』


「石川啄木の作品を多年にわたり読みこんできた事については啄木の研究者に劣らないと自負している」と述べる著者の528ページに及ぶ本格的な啄木論。

第一部は啄木の生涯を描き、第二部で詩・短歌・小説・「ローマ字日記」を取り上げて論じている。

この本の印象的なところは、著者の見方や評価をはっきりと断定的に述べているところだ。

私はこれら諸家の『あこがれ』評(低い評価:松村注)に同意できない。
これら二篇の詩は、わが国の詩史上、注目すべき作品である。
明治期の短篇小説の中で、石川啄木の「天鵞絨」を珠玉の一篇として推すことを私は躊躇しない。
私は「鳥影」をすぐれた作品とは考えていないし、「雲は天才である」は未完結であり、かつ失敗作と考える。

良いものは良い、悪いものは悪い。小気味よいくらいに明確に評価をくだした上で、その理由を丁寧に説明している。

石川啄木ほど誤解されている文学者は稀だろうと私は考えている。

こうした思いを抱く啄木愛好家や啄木研究者は多いのだろう。啄木関連の本は数百点〜数千点にのぼり、しかも今も毎年何点も新刊が出ている。それだけ多面的で評価が分かれ、実像が摑みにくいということなのかもしれない。

2017年5月1日、青土社、2800円。

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2018年06月06日

『石川啄木の世界への誘い』


旅先で本屋に入ることが多い。盛岡では、東山堂書店本店、さわや書店本店、さわや書店フェザン店に立ち寄った。

この本は東山堂書店の郷土本コーナーにあったもの。啄木の没後100年にあたる2013年に、石川啄木没後百年記念誌として刊行された一冊である。地元以外では入手が難しそうなので購入した。

この年は他にも、企画展「啄木からのメッセージ」(石川啄木記念館)、「新啄木かるた」の作成、没後百年記念フォーラム(姫神ホール)、没後百年記念碑建立(陸前高田市)など、さまざまな事業が行われたようだ。

ドナルド・キーンの講演「啄木を語る―啄木の現代性―」の中に次のような一節がある。

啄木には歌の師匠がなかったので、独学で歌の伝統的な詠み方を覚えました。そして、五・七・五・七・七と文語にしたがいながら、溢れる情熱をもって新鮮な歌を詠みました。
一禎は四千以上の短歌を残しました。平凡なものばかりですが、明らかに短歌に相当な関心がありました。また、田舎の僧侶としてめずらしいことに詩歌の雑誌を購読していました。

啄木の短歌に父の一禎(いってい)からの影響がどれくらいあったのか。そのあたりをもう少し探ってみたいと思う。

2013年10月14日、石川啄木没後百年記念事業実行委員会、1300円。


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2018年06月01日

『新潮日本文学アルバム 石川啄木』


編集・評伝:岩城之徳、エッセイ:渡辺淳一。
写真や資料が豊富で、眺めているだけで様々にイメージが膨らむ。

啄木の父は名もない農民の出であったが、母は由緒正しい南部藩士工藤条作常房の娘で、その兄の対月は当時盛岡の名刹龍谷寺の住職で、学僧として誉れ高い人物であったから、啄木も気位高く育てられた。生涯彼を支配した病的なほどの自負心は、実はこうした啄木の生い立ちに根ざすものである。
啄木は上京後森鷗外の知遇を得たが、東京朝日新聞社に入社してからは、その直前に料亭八百勘で起こった朝日の政治部記者村山定恵の鷗外暴行事件のため、鷗外とは自然疎遠となり、(・・・)以後両者の交渉はとぎれている。

この森鷗外暴行事件のことは、この本で初めて知った。
よく知られている話なのだろうか。

1984年2月20日発行、2011年9月25日12刷、新潮社、1200円。

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2018年04月30日

『石川啄木全集 第六巻 日記2』


「明治四十二年当用日記」「NIKKI.T.MEIDI 42 NEN.1909.」「明治四十三年四月より」「明治四十四年当用日記」「千九百十二年日記」と未完成の小説断片40篇あまりを収録。

啄木の生活や思想の移り変わりがよくわかる内容で、有名な借金や女遊びの記述も多い。「どうしようもないなあ・・・」と苦笑いしながら読んでいたのだが、最後は泣きたい気分になってしまった。

日記の最後は明治45年2月20日。

 日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上つた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。
 さうしてる間に金はドンドンなくなつた。母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかゝつた。質屋から出して仕立直さした袷と下着とは、たつた一晩家においただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢つた。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかつた。
 母の容態は昨今少し可いやうに見える。然し食慾は減じた。

この記述の半月後、3月7日には母カツが死に、4月13日には啄木自身も亡くなる。

そのわずか3年前、明治42年4月10日の日記に、啄木はこんなことを書いていた。(原文はローマ字)

「病気をしたい。」この希望は長いこと予の頭の中にひそんでいる。病気! 人の厭うこの言葉は、予には故郷の山の名のようになつかしく聞える――ああ、あらゆる責任を解除した自由な生活! 我等がそれを得るの道はただ病気あるのみだ!

100年以上前の言葉なのに、写していると泣きそうになる。

1978年6月30日、筑摩書房。

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2018年04月21日

『石川啄木全集 第五巻 日記1』




編集:金田一京助、土岐善麿、石川玲児、小田切秀雄、岩城之徳。
全8巻の全集のうち、第5巻と第6巻に啄木の日記が収められている。

この第五巻には

・秋韷笛語 明治35年10月30日〜12月19日
・甲辰詩程 明治37年1月1日〜4月8日、7月21日〜23日
・MY OWN BOOK FROM MARCH 4. 1906 SHIBUTAMI
  明治39年3月4日〜12月30日
・丁未日誌、戊申日誌
  明治40年1月1日〜12月31日、明治41年1月1日〜1月12日
・明治四十一年日誌 明治41年1月1日〜12月11日

が収められている。
今回初めて通しで読んだのだが、すこぶる面白い。

啄木の日記は、かれの生涯と作品とに関連して重要な資料であるだけでなく、それじたいとしてきわめてすぐれた文学作品となっている。これほどにおもしろい日記を書いた作家は、日本には類が少ない。

と解説に小田切秀雄も書いている通りである。

啄木が死後に焼くように言い残した日記は、様々な経緯を経て現在公刊されている。その意義と重みを強く感じた。

1978年4月25日、筑摩書房。

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2018年04月13日

啄木日記を読む日々(その2)

啄木日記を断続的に読み続けている。
すこぶる面白い。

明治40年10月17日。
 天口堂主人より我が姓命の鑑定書を貰ふ、五十五歳で死ぬとは情けなし、

啄木が満26歳で亡くなったことを知っているだけに悲しい。

明治41年6月7日。
 原稿料がうまく出来たら、吉井君と京都へ行く約束をした。

京都はおろか横浜より西へ行くことのない人生だったのを知っているだけに悲しい。

明治41年9月4日。
 予には才があり過ぎる。予は何事にも適合する人間だ。だから、何事にも適合しない人間なんだ!

ふう・・・。その自信が羨ましいよ。

 
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2018年04月09日

啄木日記を読む日々

このところ毎日、啄木の日記を読んでいる。
すこぶる面白い。
自分なりに新しい発見があってワクワクする。

例えば、明治39年12月30日の日記には年賀状の発送名簿が載っている。そこに、与謝野寛、平野万里、森鴎外、金田一京助らと並んで

 高安月郊氏 京都市新烏丸頭町

という名前がある。
高安国世の伯父で、詩人・劇作家だった人。
本郷の西片町に住んでいたことは知っているのだが、この頃は京都にいたようだ。

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2018年04月01日

井上ひさし著『泣き虫なまいき石川啄木』




舞台は明治42年から45年にかけての本郷の「喜之床」二階。
そこで繰り広げられた啄木一家の暮らしと人間模様を描いた戯曲である。
初演は「こまつ座」第7回公演(1986年6月)。

登場人物は、啄木、節子(妻)、一禎(父)、カツ(母)、光子(妹)、金田一京助の6人だけ。彼らのやり取りだけで啄木の晩年の3年間を見事に描き出していて、井上ひさしの才能をまざまざと感じる。

どこかで上演される機会があれば、ぜひ見に行きたい。

1986年6月15日、新潮社、780円。

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2018年01月15日

長浜功著 『石川啄木という生き方』



副題は「二十六歳と二ヶ月の生涯」。

1886(明治19)年2月に生まれ、1912(明治45)年4月に亡くなった啄木の一生はわずか26年2か月であったことに、あらためて驚かされる。

教育学者である著者は、近年、石川啄木に関する著書を相次いで刊行している。本書はその最初の一冊で、啄木の誕生から死までを数多くの資料に基づいてたどっている。

しばしば、啄木の人生を薄倖とか窮乏の連続として憐憫の情で覆ってしまう傾向が後を絶たないが、二十六歳の生涯のうち二十年は経済的には何一つ不自由せず豊かな生活を送っていたという事実を忘れてはなるまい。

こうした指摘は大事なことだろう。
また、朝日新聞社の校正係が月給三十円であったことについても、

例えば当時の小学校教員と巡査の初任給が十二円、大卒の銀行員が二十円、都内の3LDK長屋家賃が三円だから三十円あれば家賃を払って家族五人はなんとか養ってゆける時代であった。

と、具体的な数字を挙げて記している。

全体としては、資料に基づく事実と著者の想像・推量とが混じる部分のあるところが気になった。もちろん、資料のない部分は想像で補うしかないわけだが、その区別はもっと厳密にしてほしいと思う。

2009年10月15日、社会評論社、2700円。
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2017年10月22日

講演「啄木の現代的な魅力」


昨日は「平成29年度 堺市民芸術祭 堺短歌大会」で
「啄木の現代的な魅力」と題して講演をした。

「一.啄木は女々しいか」
「二.日常の歌はつまらないか」
「三.啄木の歌は素朴か」

という内容で70分ほど。
会場のの皆さんが熱心に聴いて下さったおかげで、最後まで
のびのびと話をすることができたように思う。

ありがとうございました。

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2017年09月11日

堺短歌大会


P1050863.JPG

10月21日(土)の堺短歌大会で講演をします。
題は「啄木短歌の現代的な魅力」。

どなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越しください。
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2017年08月04日

平成29年度堺市民芸術祭、堺短歌大会


10月21日(土)に堺で講演「啄木の現代的な魅力」を行います。
現在、短歌大会の作品を募集中です。

日時 平成29年10月21日(土)午後1時〜4時半
場所 堺市東文化会館(フラットホール)
プログラム
   第1部 講演 松村正直「啄木の現代的な魅力」
   第2部 選者による作品選評、表彰式
大会資料代 1000円
作品締切 平成29年8月10日(木)当日消印有効
主催 堺市文化団体連絡協議会・堺歌人クラブ

P1050780.JPG

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2017年04月13日

西連寺成子著 『啄木「ローマ字日記」を読む』

今日(4月13日)は石川啄木の命日。

この本は第一部に「ローマ字日記」が漢字かな交じり文で載っており、第二部には「一握の砂」(短歌)、「呼子と口笛」他(詩)、「時代閉塞の現状」(評論)、「葉書」(小説)が載っている。それぞれ丁寧な解説も付いているので、啄木の全体像がよくわかる。

智恵子さん!なんといい名前だろう!あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!さわやかな声!(明治42年4月9日)

ちょっと茂吉の「ふさ子さん!」という手紙を思い出す。

そして、人に愛せらるな。人の恵みを受けるな。人と約束するな。人の許しを乞わねばならぬ事をするな。決して人に自己を語るな。常に仮面をかぶっておれ。(4月12日)

いかにも啄木という感じがする。23歳の若い自尊心。

妄想は果てもない!函館の津波・・・金田一君と共に樺太へ行くこと・・・ロシア領の北部樺太へ行って、いろいろの国事犯人に会うこと・・・(4月18日)

金田一京助は明治40年にアイヌ語研究のために樺太へ渡っており、その時の話を啄木にも聞かせている。啄木も樺太へ行くことを夢見ていたようだ。「樺太まで旅費がいくらかかります?」(4月17日)と金田一に訪ねたりもしている。

2012年4月11日、教育評論社、1800円。

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2017年04月03日

北村牧場の廃業

北海道岩見沢市にある「北村牧場」が111年の長い歴史に幕を下ろすことになったとのニュースが流れている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170403-00010000-doshin-hok

北村牧場と言えば、啄木が思いを寄せた女性、橘智恵子の嫁ぎ先だったところ。

  石狩の空知郡の
  牧場のお嫁さんより送り来し
  バタかな。
        『悲しき玩具』

う〜ん、仕方のないこととはいえ、何ともさびしい。

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2017年03月26日

青柳町

昨日の読売新聞朝刊の編集手帳に、こんな話が載っていた。

ずいぶん昔、青柳町という土地を知りたくて、そのためだけに津軽海峡を渡ったことがある。〈函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花〉。石川啄木の歌に誘われて、である。

歌に誘われて津軽海峡を渡るなんて、ロマンチックだなと思う。
そして、この歌にはそれくらい人を惹きつける力があるのだとも思う。

なにしろ、私が短歌を始めたきっかけもこの1首なのだ。
1996年の初夏、まだ25歳だった頃のことである。

この歌については、以前このブログでも触れたことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138820.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138821.html

啄木に触れて短歌を始めた者として、いつかは自分なりの啄木論を書いてみたい。そういう思いが最近とみに強くなってきている。

posted by 松村正直 at 17:25| Comment(2) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月07日

短歌人会夏季全国集会

昨日は姫路キャッスルグランヴィリオホテルで開催の短歌人会夏季全国集会にお招きいただき、講演「石川啄木と土岐哀果」を行った。17:00から18:40まで。

他の結社の全国大会に参加するのは初めてのことだったのだが、皆さん気さくに接してくださり、楽しい時間を過ごすことができた。講演の後はオープニングパーティー、さらにホテルの部屋に移って「深夜サロン」(?)で話が続く。

藤原龍一郎さん、小池光さん、蒔田さくら子さん、三井ゆきさん、西勝洋一さん、宇田川寛之さん、谷村はるかさん、橘夏生さん、長谷川知哲さん、梶倶認さん、村田馨さん、天野慶さん、角山諭さん、大室ゆらぎさん、勺禰子さん・・・などと話をして、たくさんの刺激をいただいた。

最後まで残ったメンバーが解散したのは午前2時。

今朝は7時にホテルを出て京都に帰り、「塔」9月号の初校の取りまとめ。夕方、無事に印刷所へ送った。

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2016年06月15日

公開講座「現代に生きる啄木」

7月29日(金)に朝日カルチャーセンター芦屋教室で、「現代に生きる啄木」という公開講座を行います。生誕130年を迎える今年、あらためて啄木の作品や人生を読み直してみようという内容です。

啄木に興味や関心のある方、ぜひご参加ください。

時間は13:00〜15:00。
場所はJR芦屋駅北口の「ラポルテ本館」4階です。

詳しくは、下記のページをご覧ください。
https://www.asahiculture.jp/ashiya/course/684e359f-fd15-c770-dec7-5726ee7b7b8b

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2016年05月31日

土岐善麿著 『啄木追懐』

このところ啄木関係の本を少しずつ読んでいる。
いろいろと知らなかったことがわかって面白い。

例えば、この本には大正8年から9年に新潮社から刊行された『啄木全集』全3巻に、善麿が書いた凡例が収められている。その中に

一、故人の日記は多年に亘りて堆(うづたか)く、記述細大を洩さず、頗る価値多き資料なりしも、その歿後、夫人節子また病を獲(え)、遂に日記の全部を焼却して今影を止めず。その一部をもこの全集に収むる能はざるを遺憾とす。

とある。ドナルド・キーンが啄木作品の中で最も高く評価する「日記」は、この時点では焼却されたものと思われていたのだ。

もともと啄木は、日記は焼却するようにとの遺言を残していた。それが様々な経緯を経て残され、公開されるに至ったのである。そこには多くの関係者の尽力や争いがあったらしい。
http://www.shahyo.com/mokuroku/culture/bungei/ISBN978-4-7845-1910-1.php

啄木関連の本は、非常に数が多い。
自分が関心を持っている部分を中心に少しづつ読んでいこうと思う。

1932年4月10日、改造社、1円80銭。

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2016年05月25日

ドナルド・キーン著 『石川啄木』


今年生誕130年を迎えた石川啄木の評伝。
全375ページ。角地幸男訳。
初出は「新潮」2014年6月号〜12月号、2015年2月号〜10月号。

特に新しい事実が示されているわけではないが、啄木の生涯を丁寧に描き出している。啄木の専門家とは違う視野の広さも魅力の一つだろう。

子規と違って、啄木は明らかに現代歌人だった。何が歌人を現代的にするかを定義することは難しい。しかし啄木の書いた作品のどれ一つを取ってみても、子規やそれ以前の日本の歌人とは違う世界に啄木が属していたことを明らかにしている。
啄木の成熟を示す見事な短歌を称賛する人々は、「ロマンティック」時代の優雅な装飾が施された啄木の詩には、ほとんど目をくれようともしない。
短歌は啄木に初期の文学的興味を蘇らせ、ついには散文より遥かに大きな名声をもたらすことになる。しかし、啄木に幸福をもたらしたわけではなかった。

そして、著者が啄木作品のなかで最も評価するのは、詩でも短歌でも小説でもなく、意外なことに「日記」である。

啄木は、千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ。日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録するものとしてでなく、自分の知的かつ感情的生活の「自伝」として使ったのだった。

こうした見方は、日本文学研究者である著者ならではのものかもしれない。新鮮な指摘であった。

2016年2月25日、新潮社、2200円。

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2016年05月23日

啄木とタイタニック

ちなみに

啄木が亡くなったのは1912(明治45)年4月13日
タイタニック号が沈んだのが1912(明治45)年4月15日

2日違い。

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公開講座「現代に生きる啄木」

7月29日(金)に朝日カルチャーセンター芦屋教室で、「現代に生きる啄木」という公開講座を行います。生誕130年を迎える今年、あらためて啄木の作品や人生を読み直してみようという内容です。

啄木に興味や関心のある方、ぜひご参加ください。

時間は13:00〜15:00。
場所はJR芦屋駅北口の「ラポルテ本館」4階です。

詳しくは、下記のページをご覧ください。
https://www.asahiculture.jp/ashiya/course/684e359f-fd15-c770-dec7-5726ee7b7b8b

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2015年11月26日

小池光著 『石川啄木の百首』


シリーズ「歌人入門」の1冊目。
石川啄木の歌100首を取り上げて、鑑賞を付している。
右ページに短歌、左ページに250字の鑑賞というスタイル。

煙草は人を孤独にし、またつかのまの孤独を誘うのである。
懐かしいという感情が人のこころに訴えるのは、このように思い出にディテールがあるからである。啄木の歌が愛唱されるのはそのディテール性によるところが大きい。
啄木はたくさん鉄道の歌を残しており、それだけ移動激しく活動したということだが、今日でいえば一種の鉄道マニアのようにもみえる。
さすらう人の鞄に中には必ずや一冊の本が入っているものである。

など、印象的なフレーズや分析が多くあり、読んでいて楽しい。
巻末には啄木の生涯を記した解説も付いており、啄木の入門書として格好の一冊であろう。

2015年10月27日、ふらんす堂、1700円。

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2012年06月19日

函館の青柳町(その2)


まず目に付くのは「函館の青柳町」という地名の持つ力だろう。しかし、どんな地名でも良いわけではない。音読すればわかることだが、

「はこだて(AOAE)」 と 「あおやぎ(AOAI)」

の音が微妙に響き合っている。それが大事なのだと思う。さらに言えば
AOAEO AOAIOOO AAIEE
OOOOIUA
AUUAOAA

と、全体にAの音とOの音が多い。こののびやかな感じも、回想の懐かしさと愛しさを伝える大事な点だろう。要するに、この歌は音の響きが抜群に良いのである。その証拠に、この歌の四句と結句を入れ替えてみると、どうなるか。
函館の青柳町こそかなしけれ
矢ぐるまの花
友の恋歌

音の響きが全くダメになってしまう。もとの歌はA音が主調となって三句まで来て、四句目の「OOOO」で転調して、結句でまたA音に戻るという流れになっている。四句と結句は具体例を二つ並べただけのように見えながら、実は音の響きに重要な役割を果たしているのだ。

こんなふうに分析してみると、啄木は意外とテクニシャンだったということが、よくわかる。啄木は素朴な歌人であるかのように言われることが多いが、そんなに単純な話ではないように思うのだ。

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2012年06月18日

函館の青柳町(その1)


先日行われた現代歌人集会のシンポジウムで、「啄木の歌の良さを歌人が率先して解き明かすべきだ」という主旨の話をしたのだが、啄木の歌の良さを説明するのは、実はなかなか難しい。
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花

『一握の砂』のなかの一首。

私が短歌を作り始めたきっかけともなった歌である。『一握の砂』を読んだ当時、私は函館の的場町というところに住んでいたのだが、青柳町という町名もそのまま残っていた。「ああ、ここが啄木の詠んだ土地なんだ」と、時間を超えて身近に感じられたのを覚えている。

年譜的なことを言えば、啄木は1907(明治40)年5月から9月にかけて函館の青柳町に住んでいた。「友」が誰で、「矢ぐるまの花」がどんな花かといったことも、調べればわかることだ。

しかし、この歌の魅力は、多分そういうところにはない。そういうことを何も知らずに読んだ私が心を動かされたのだから。

では、この歌の何がいいのか。

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2012年05月10日

現代歌人集会春季大会

6月10日(日)に開かれる現代歌人集会の春季大会にパネリストとして出ます。
どなたでも参加できる会ですので、お時間のある方はどうぞお越しください。

日時 6月10日(日)午後1時〜5時
場所 アークホテル京都 3F雅の間
   (阪急大宮駅徒歩すぐ、JR京都駅からタクシーで約700円)

大会テーマ 〜石川啄木没後100年〜
      100年後の啄木

総合司会 小黒世茂
基調講演 大辻隆弘
講  演 関川夏央(小説家、ノンフィクション作家)
パネルディスカッション
     岩尾淳子(未来)、松村正直(塔)、斉藤斎藤(短歌人)
     進行 島田幸典
閉会の辞 林 和清

参加費 2000円(当日お支払いください)

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2012年03月27日

三枝昂之著 『啄木』

副題は「ふるさとの空遠みかも」。
啄木の「ふるさとの空遠みかも/高き屋にひとりのぼりて/愁ひて下る」から取られている。

明治41年4月25日、「モ一度東京へ行つて、自分の文学的運命を極度まで試験せねばならぬ」と決意して上京した啄木が、明治45年4月13日に亡くなるまでの約4年間、1450日の日々を追った評伝。

当時の新聞や雑誌など豊富な資料を駆使するとともに、国際啄木学会をはじめとした研究者たちの最新の研究成果を踏まえ、さらにそこに実作者としての丁寧な歌の読みや短歌史的な裏付けを加えて描いている。

決して先走ることなく、読者を十分納得させた上で話を進めていく。その語り口が心地よい。このゆったりと書くということが、実は一番難しいことなのだと思う。手持ちのカードに十分なゆとりがなければ、なかなかそうはいかない。

晶子に代表される和歌革新第1世代の歌が言わば高熱の歌であったのに対して、第2世代の啄木は「平熱の自我の詩」を実作面でリードしたという指摘は、非常に納得できるものだと思う。

2009年9月30日、本阿弥書店、2800円。

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2012年02月03日

伊井圭著 『啄木鳥探偵處(きつつきたんていどころ)』


石川啄木が探偵役で、親友の金田一京助が助手を務める連作短編5編を収録。小説や校正の仕事では食べていけない啄木が、生活費を稼ぐために探偵稼業を始めたという設定になっている。

トリックや謎解きなど推理小説としての面白さよりも、ホームズとワトソンのような二人の掛け合いが楽しい。また、浅草をはじめとした明治末の東京の町の様子が丁寧に描かれている点に特徴があるだろう。こんな感じの文章である。
 東鉄が走る往還から、僕たち二人は浅草六区の通りにでたところだった。板石を敷きつめた小路にはいると、目の前が急に明るくなる。歌舞伎をまねた小芝居の劇場やら、料亭やミルクホールが軒を連ねるその戸口を、様々な照明が彩っている。(…)
 すっかりさびれてしまったパノラマ館を過ぎて、またひと角曲がる。客寄せの幟がひしめく通りに出た。活動写真館が、道路の両側を占めている。東京市内だけでも七十を越えるときく常設館の、その半分もあるかとみえるほど、活動写真館ばかりが目についた。

各編のエピローグには必ず啄木の短歌が一首引かれて、余韻を残す終り方となっている。

2008年11月21日、創元推理文庫、680円。

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2011年01月11日

「一握の砂」補遺

古い雑誌だが、「ビックリハウスSUPER」第3号(1977年秋)に、世界未発表詩篇という特集がある。そこに「一握の砂」補遺13首が掲載されている。
わけもなく
人の恋しく思へる日
燐寸(マツチ)ともして見てゐたるかな

あはれかの
我に煙草を教へたる
上級生の盗癖(ぬすみぐせ)かな

書くことはありや
書くことはなし
インクのしみを見つめてゐたり

ふと思ふ
中学校の黒板(こくばん)の
裏に彫(ほ)りたるわが名のことを

その名さへ忘られし頃
髭(ひげ)はやし
ふるさとに来て花を売らむか

もちろん、本物ではない。
作ったのは寺山修司。
丁寧なことに、次のような解説も付いている。
これは明治四十一年夏以後の啄木の一千余首から五百五十一首を抜いて、「一握の砂」を編んだ折に洩れた残りの四百余首を、石川家の遺品の中より発見し、再録した啄木未発表歌篇です。文学史的にも貴重なものと思われるので、手を加えず、そのまま発表することにします。(…)

啄木の歌というのはパスティーシュしてみたくなるもののようで、私も歌集『やさしい鮫』に「啄木風に」と題した歌を載せたことがある。もっとも、これは雑誌の求めに応じて作ったもの。

  公園にひとり座りていし男
  立ち去りにけり
  傘を残して

  魚屋の息子なりしが
  魚屋のあるじとなりて
  ふるさとにおり

  工場の二階へのぼる
  階段の
  窓より見える青き川かな

posted by 松村正直 at 21:04| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする