2015年01月19日

三上延著 『ビブリア古書堂の事件手帖6』


副題は「栞子さんと巡るさだめ」。
人気シリーズの第6弾。完結するまで読み続けるしかない。

3章に分かれているが、全体が一つの長編のような構成になっている。
取り上げられている作品は、太宰治の『走れメロス』『駈込み訴へ』『晩年』。
太宰の本を読み返してみたくなった。

2014年12月25日、メディアワークス文庫、570円。

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2015年01月11日

内田樹・釈徹宗著 『日本霊性論』


全体が二部構成となっていて、第一部「なぜ霊性を呼び覚まさなければならないか」は内田樹の3回にわたる連続講義で、第二部「「日本的」霊性と現代のスピリチュアリティ」は釈徹宗の3回の講義となっている。

印象に残った箇所をいくつか。

自分が今していることの意味は今はわからない。(…)自分が今していることの意味は事後的に振り返った瞬間にわかる。 (内田)
教育の受益者は子供自身ではありません。子供たちを含む共同体全体です。 (内田)
五感も、アナログに広がっている脳内部位を恣意的に切り分けて「だいたい五感くらい」ということで分節しているだけの話で、そうしたければ、六感に切り分けても七感に切り分けてもいいわけです。 (内田)

いつもながら内田の論理展開は鮮やかで、マジックを見ているようでもある。

地に足を着けて田畑を耕したり、その地域にしがみつき苦悩しながら生き抜く、そこに霊性が育まれる。 (釈) 《鈴木大拙『日本的霊性』の要約》
初めて死生観という言葉を使ったのは、加藤咄堂という人です。一九〇四(明治三七)年に出した『死生観』という本が、最初の使用例だったようです。 (釈)

今ではごく普通に使われている「死生観」という言葉は、意外と新しいものであったのだ。その「最初の使用例」までわかっているとは。

300ページを超す分量だが、最後まで楽しく読める。

2014年8月10日、NHK出版新書、860円。

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2015年01月08日

小野田滋著 『関西鉄道遺産』


副題は「私鉄と国鉄が競った技術史」。

「駅と建築」「橋梁」「高架橋」「トンネル」の4つの分野から計27か所が取り上げられている。私の住む京都市伏見区にある「澱川橋梁」や「伏見第一・第二高架橋」も含め、全体の半数くらいは目にしたことのあるものであり、読んでいて親しみが湧く。

ランドマークは奇抜なデザインの構造物や巨大な構造物ばかりではなく、ごく平凡で見慣れた風景の中にもさりげなく存在している。そうした意味も含めて、本書では関西地方ならではの景観を演出している構造物を中心に紹介した。

という著者の姿勢にも共感する。

戦前の外地の鉄道橋に「ダブルワーレントラス」という頑丈な形式が用いられたのは、爆撃や爆破にあって「万一部材が損傷しても構造系を維持し、致命的な崩壊や落橋に至りにくい橋梁形式として選択された」という話など、実になまなましい。

鉄道とは関係のない部分でも教えられることの多い内容であった。

現在も京都駅の烏丸口に聳えている関西電力京都支店は、京都電燈本社として一九三七(昭和一二)年に関西建築界の大御所であった武田五一(一八七二〜一九三一)の設計により完成した近代建築の精華である。

以前から「関西電力京都支店」の建物としては立派すぎると思っていたのだが、そういう由来のある建物だったのだ。

2014年10月20日、講談社ブルーバックス、1000円。

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2015年01月06日

白輪剛史著 『動物の値段 満員御礼』


2010年にロコモーションパブリッシングより刊行された『動物の値段と売買の謎』を改題し、加筆・修正して文庫化したもの。

20年以上にわたって動物輸入卸商をしている著者が、さまざまな動物の売買に関する話を面白く書いている。前著『動物の値段』の続編に当るのだが、それを知らずに先に読んでしまった。それでも別に問題はない。

本書を読んで、生物学における「収斂」という概念を初めて知った。

地理的に大きく隔たった地域に生息する、まったく関係のない似た者同士のことを「収斂」という。

例えば、旧世界(ユーラシア、アフリカ)と新世界(北アメリカ、南アメリカ)で見ると、

 ヒョウ ⇔ ジャガー
 オナガザル科、類人猿 ⇔ オマキザル科、キヌザル科
 センザンコウ ⇔ アルマジロ、アリクイ
 ヤマアラシ科 ⇔ アメリカヤマアラシ科

といった対応になるのだそうだ。面白い。

ワシントン条約や自然保護に関する話も随所に出てきて、人間と野生動物との関わりについて考えさせられる。

2014年12月25日、角川文庫、600円。

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2014年12月28日

坂入尚文著 『間道』


副題は「見世物とテキヤの領域」。

著者は芸大の彫刻科を中退後、「秘密の蝋人形館」という見世物小屋に参加し、さらに農業を経て、現在は飴細工師をしている。その経歴に沿って本書も3部に分かれており、それぞれ「見世物小屋の旅」「百姓の旅」「テキヤ一人旅」と名付けられている。

そうした旅の多い人生を通じて出会ったテキヤ、極道、美術家、農家、飲み屋の主人といった人々が、この本の主人公と言っていいかもしれない。移りゆく時代の流れから取り残されるようにして生きている人々。その影を帯びた姿を著者は克明に描いていく。そこには自分もまたその一人だという思いがある。

見世物は底抜けの芸や見る人の胸ぐらを掴むような演出を見せて消えて行く。その人たちと会えたことは私のささやかな勝利だ。まっとうな世の中ではやってられない人たち、遥か彼方にいた異能者たちに会えた。

この本に出てくる人たちの表情や生き方は彫りが深く、人と人との関わりは濃い。それでいて常に乾いた寂しさが付きまとう。

ずっしりと手応えのある一冊である。

2006年6月15日、新宿書房、2400円。

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2014年12月26日

安藤啓一・上田泰正著 『狩猟始めました』


副題は「新しい自然派ハンターの世界へ」。
このところ、なぜか狩猟関係の本を読むことが多い。
人間と自然との関わりや、食と命の問題、過疎化と農作物への被害など、いろいろな問題に関係してくる。

狩猟と一口に言っても、「銃猟」と「罠猟」と「網猟」があり、銃猟にもグループで行う「巻狩り猟」、「流し猟」、「忍び猟」などがある。著者の行っているのは、単独で静かに身を隠しながら獲物に近づいて射止める「忍び猟」である。

狩猟とは緻密な動物観察なのだと思う。知識と経験による観察力、その結果を分析するセンス、わずかな情報から動物たちの暮らしを浮かび上がらせるイマジネーションといった能力を使いこなすクリエイティブな行為だ。
足跡はその場所に動物がいたという点の情報だ。それに獣道の情報が加わると移動という線になる。これを積み重ねて線から平面、さらに森を立体的に観察して動物の行動を推察できるようになるとようやく獲物に近づける。

こんな文章を読むと、狩猟というのは何て繊細で緻密な行為なのだろうかと思う。

2014年12月5日、ヤマケイ新書、800円。

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2014年12月20日

宇能鴻一郎著 『味な旅 舌の旅』


1968年に日本交通公社から刊行された本の文庫化。
現在では官能小説家として知られる著者の若き日の紀行エッセイ。

「松島・雪の牡蠣船」「水戸・烈女と酒を汲む」「山峡の宿場・恵那の川魚」「さざなみの志賀の鴨鍋」「薩摩半島・恐怖のヅクラ」など、全国各地を旅して、その土地の料理や酒を味わっている。

50年前の話なので、グルメガイドとしてはもう役に立たないだろうが、話はすこぶる面白く、料理に関する蘊蓄も心地良い。北海道の余市を訪れて

敷地の中央に、お伽噺の家のような、煙突をつけた、小さな社長室がある。ここの主は日本のウイスキイ製造の草分けで、七十数歳の今日までウイスキイ一筋にはげんでいたが、数年まえ英国生まれのリタ夫人をなくしてからは、東京のアパートにひきこもりがちであるという。

なんと「マッサン」のことではないか。
昭和9年に建てられたこの建物は、現在も「旧事務所」として保存されているようだ。

1980年8月10日初版、2010年10月25日改版、中公文庫、705円。

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2014年11月19日

石井光太著 『地を這う祈り』


2010年に徳間書店より刊行された本の文庫化。

アジア・中東・アフリカなど世界各国の底辺で生きる人々を取材したフォト・ルポルタージュ。登場する国は、インド、ネパール、バングラデシュ、スリランカ、パキスタン、ミャンマー、ラオス、ベトナム、フィリピン、インドネシア、シリア、イエメン、ウガンダ、ルワンダ、エチオピア、コンゴなど。

著者の取材対象は、物乞い、売春婦、路上生活者、薬物中毒者、ストリートチルドレン、元子供兵、ハンセン病患者、障害者など、社会的に差別されている人々や弱者とされる人々である。数多くの写真とともに伝えられるその実態は衝撃的だ。時おり目を背けたくなるほどの悲惨さがあり、一方で逞しさも感じる。

エチオピアのスラムで貯金箱を売る雑貨屋の主人の言葉。

「一ブルだけでもいいんだよ。貯金箱があるだけで嬉しいんだ。いつか、ここにぎっしりお金が貯まることを考えると、やる気が出てくる。うちの息子なんて、毎晩貯金箱を抱えながら眠っているよ」

著者の対象への目の向け方やルポの手法については、常に批判が付きまとう。けれども、この本を読まなければ知らなかった世界や現実があることも確かなわけで、それを伝える力を持った作品であることは間違いない。

私がしたいのは、答えを提示することではなく、物事を考えるきっかけをつくることです。そういう意味でいえば、どんどん批判してほしいと思うし、そこから「では、自分はどうするべきか」ということを考えてほしい。

2014年11月1日、新潮文庫、670円。

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2014年11月16日

石井光太著 『ニッポン異国紀行』


副題は「在日外国人のカネ・性愛・死」。
NHK出版WEBマガジンにて2010年8月から2011年5月まで連載されたものが元になっている。

日本で暮らす外国人が、何をして働き、何を信じ、病気になった場合どうして、死んだらどうなるのか。「外国人はこう葬られる」「性愛にみるグローバル化」「異人たちの小さな祈り」「肌の色の違う患者たち」という4つの章で、その実態に迫っている。

現在日本で死亡した外国人が祖国へ搬送される際は、葬儀社に所属するエンバーマーが腐敗防止処置を施す。

といった専門的な話から、

何も知らないパキスタン人やネパール人が「インド本場の味」をつくっているのが多いというのが現状なのだ。

といった小ネタに到るまで、知らなかった話がほとんどである。

著者は貧困や差別など、社会の周縁に生きる人々やマイノリティーを描き続けてきたノンフィクション作家。最初は自分が多数派の「普通の日本人」に属していることに安心して読み始めるのだが、やがて自分もそのような少数派であったかもしれない、あるいは、いつか自分もそうなるかもしれないという思いを抱くようになる。

ノンフィクションの力を感じさせる一冊。

2012年1月10日、NHK出版新書、860円。

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2014年11月14日

芥川仁・阿部直美著 『里の時間』


季刊新聞「リトルヘブン」(山田養蜂場発行)2007年秋号から2012年初夏号に掲載された記事・写真を再編集したもの。

全国各地の里を訪ねて、四季おりおりの風景や人々の暮らしの様子、その土地ならではの料理などを紹介している。カラー写真が多いので、見ているだけでも楽しい。

登場するのは、「福島県大沼郡会津美里町」「島根県仁多郡奥出雲町」「熊本県上益城郡山都町」「秋田県仙北郡美郷町」など、全20か所。

自分は都会にしか暮らせないと思いつつも、最近こういう農村での生活に憧れる気持ちが強くなっている。

2014年10月21日、岩波新書、980円。

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2014年11月11日

NHK取材班 『北方四島・千島列島紀行』


文/NHK取材班、写真/福田俊司、A・オメリヤネンコ。

1992年8月にNHKは、千島列島と北方四島の取材を行い、NHKスペシャル「初めて見る千島列島」、プライム10「北方領土〜ゆれる島民 国後・択捉からの報告」という番組を放映した。この本は、その取材の様子を描いたもの。

多数のカラー写真も交えて、普段はなかなか様子を知ることのできない土地の姿を描き出している。アトラソフ島、パラムシル島、シュムシュ島、シアシコタン島、ウシシル島、ウルップ島、国後島、択捉島といった島々が登場する。

うっそうと生い茂る雑草のなかに、建物の跡があった。キツネの養殖をしていた小屋の跡である。戦前、農林省は千島列島の島々で品質のよいキツネの毛皮をとるために養殖事業をしていた。

「短歌往来」の11月号、12月号に「斎藤茂吉と養狐場」と題して樺太の養狐場の話を書いたところなので、こういう部分に注目する。

島ごとに飼育されるキツネの種類が違っていた。たとえばウルップ島では、ジュウジギツネとギンギツネ。ハリムコタン島では、ベニギツネといった具合である。ここウシシル島では、アオギツネが飼育されていた。

いろいろな種類の狐を飼育してみて、養殖事業の可能性や適性を調べていたのだろう。

1993年6月24日、日本放送出版協会、1500円。

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2014年11月03日

『半農半Xという生き方 実践編』のつづき

この本には当然のことながら、綾部に関する話もたくさん出てくる。

合気道の創始者である植芝盛平翁(1883−1969)は和歌山県田辺市で生まれ、北海道に渡った後、一九一九年、縁あって、綾部で開教された大本教を訪ねている。出口王仁三郎との出会いもあり、植芝盛平は大本の本宮山麓で「武農一如」の生活を営み、さらに精神的修業を重ねた。

綾部というのは不思議な町だ。「グンゼ」「大本」「合気道」「世界連邦」から「半農半X」まで、何か一本の線でつながっているのを感じる。

グンゼの創業者の波多野鶴吉はクリスチャンで、キリスト教の理念に基づいた社内教育を行っていた。現在でも、「あいさつをする」「はきものをそろえる」「そうじをする」という「三つの躾」が徹底されている。

大本は「万教同根」の教えに基づき、戦前からエスペラントの普及に熱心であったし、戦後は平和運動に力を注いできた。綾部市が日本初の世界連邦平和都市宣言を行った背景には、この大本の力があったに違いない。

人類の究極の理念は「平和」だ。半農半Xの向かうところもおそらく「平和」なのだろう。

「半農半X」と「平和」の間には大きな飛躍があるのだが、綾部に流れる一本の線を思う時、そのつながりには根拠があるような気がしてくるのだ。


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2014年11月02日

塩見直紀著 『半農半Xという生き方 実践編』

著者 : 塩見直紀
半農半Xパブリッシング
発売日 : 2012-05-05

2006年にソニー・マガジンズから出た本の新装版。

綾部へ行った時に「あやべ特産館」に寄ったのだが、そこで地元の野菜や手作りパンなどとともにこの本が売られていた。著者が綾部に住む人だったのである。

なぜ、この本に目を止めたのかと言えば、つい先日、環境社会学をやっている兄の書いた文章に「半農半X」という言葉が紹介されていたからである。
http://nora-yokohama.org/satoyama/003/16_4.html

聞いたばかりの言葉にまた出会う。こういう偶然を私は信じるのが好きで、早速買ってみたのであった。

半農半Xとは、持続可能な農ある小さな暮らしをしつつ、天の才(個性や能力、特技)を社会のために活かし、天職(=X)を行う生き方、暮らし方だ。

この本では、こうした「半農半X」に関わる人々や、様々な事例が紹介されている。21世紀の新たな生き方を提案する内容である。

著者はこの「半農半X」をはじめ、新たなコンセプトや構想に言葉を与えること、名前を付けることが得意なようだ。他にも、「favolution」「天職観光」「使命多様性」など、数多くの言葉を生み出している。それは単なる言葉遊びではなく

新しい時代を招来するためには新しいことばがいる。新しいライフスタイルに名前をつける、何かの提唱者になる。これはとっても大事なことのようだ。

という著者の信念に基づくものだ。

自己啓発的な側面もある本なので、好き嫌いは分れるかもしれない。けれども、今後の私たちの生き方を考える上で、大事な内容を含んでいる一冊だと思う。

2012年5月5日、半農半Xパブリッシング、1000円。

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2014年10月31日

飯泉太子宗著 『壊れても仏像』


副題は「文化財修復のはなし」。
著者の名前は「いいずみ・としたか」。

仏像修理に関する話を、面白く、わかりやすく、そして真面目に語った本。「おさえておきたい仏像の基本」「仏像だって壊れる」「仏像のお医者さん」「文化財としての仏像」の4章×10編=40編の話が載っている。

仏像の修理という特殊な仕事の舞台裏を、写真やイラストも交えて丁寧に説明してくれる。著者の語り口も率直で楽しい。

誤解を恐れずにいうなら、プラモデルと仏像の制作技術はかなり似かよっているところがある。たぶん、仏師などに木彫りのガンダムを彫らせても、かなりうまく造るはずだ。

こんな話を読むと、海洋堂の可動する仏像「リボルテックタケヤ」シリーズを思い出す。 http://www.kaiyodo.co.jp/revoltech/takeya.html

薬師如来はその名の通り、その手に薬壺を持っているのだが、単にその薬壺をなくしただけでも、「実は俺、薬壺なくしちゃってさ、釈迦に間違われて困るよ」などという、グチもこぼれるわけである。

薬師如来と釈迦如来の区別って、その程度のものだったのか!などという発見もある。

お寺や博物館で仏像を見る時の楽しみが、随分と増えそうな一冊である。

2009年6月10日、白水社、1700円。

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2014年10月25日

有馬邦明著 『山のお肉のフルコース』


副題は「パッソ・ア・パッソのジビエ料理」。

東京の門前仲町でイタリア料理店「パッソ・ア・パッソ」を営む著者が、店で出すジビエ(野生鳥獣)料理を紹介しながら、食材や料理に寄せる思いを記した本。

紹介されているメニューは、「本日のレバーペースト(キジ、エゾシカ、アナグマ、イノシシ、マガモ)」「クマのコッパ・ディ・テスタ」「エゾシカのマリネ」「コジュケイとビーツ、黒キャベツのスープ」「ツキノワグマのリゾット」「アマグマのロートロ」「ツキノワグマの脂のアイスクリーム」など。

カラー写真を見て、料理の説明を読むと、どれも実に美味しそうだ。
著者の料理に対する姿勢に教えられることも多い。

まずソテーやグリルにできるやわらかい肉をとる、次に端肉や骨についた肉をこそげとって「なんでもミンチ」にする、さらに骨についた肉を煮てテリーヌにする、最後に骨でだしをとる。脂もとる。ここまでやってはじめてジビエを丸ごと使い切ったな、と思えます。

2014年10月25日、山と溪谷社、1400円。

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2014年10月22日

柳広司著 『贋作 『坊っちゃん』 殺人事件』

著者 : 柳広司
角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日 : 2010-11-25

夏目漱石の『坊っちゃん』を下敷きにしたミステリー。
坊ちゃんが探偵役となって事件の謎に迫る。

漱石の文体模写がうまく、時代背景を踏まえたストーリーの展開もおもしろい。
ただし、最後の謎解きが今ひとつか。

作品に出てくる「きちがいなすび」は、朝鮮朝顔=まんだらげ(曼陀羅華)のこと。高安国世の歌にもよく登場する。

2010年11月25日、角川文庫、514円。

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2014年10月20日

西畠清順著 『プラントハンター』


副題は「命を懸けて花を追う」。

先日読んだ小倉崇著『LIFEWORK』に「プラントハンター」として紹介されていた人の本を見つけた。

著者は明治元年から約150年続く植物卸問屋「花宇」(兵庫県川西市)の5代目。珍しい植物を追い求めて世界各国を飛び回る。

「年間移動距離地球3周分」「80万個のソテツの種」「重さ14トンのボトルツリー」「樹齢1000年のオリーブ」など、とにかくスケールの大きさに驚かされる。

その一方で、著者は冬の間ひたすら花木の枝切りを行い、代々受け継がれてきた開花調整の技術によって、それを顧客の希望通りの時期に咲かせたりする。

伝統的な職人技と革新的な発想とが見事に合わさって、この人の中で生き生きと躍動しているのを感じた。

2011年3月31日、徳間書店、1400円。

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2014年10月18日

『日本探検』のつづき

梅棹忠夫は京都に生まれ、関西を拠点として活動した。この本に取り上げられて場所も西日本が多い。それが、私を引きつける理由の一つであろう。

もちろん、それだけではない。

例えば、北海道における「北方文化論」の話を見てみよう。稲作に不向きな北海道において、酪農を中心とした農業開発を目指した人々がいる。その系譜の人々の中には「北方には内地とはことなる独特の文化がありえるはずだ」という確信が生まれた。

これは、戦前の樺太において、樺太独自の「亜寒帯文化建設」を目指した人々の考え方と全く同じである。連載「樺太を訪れた歌人たち」の中で樺太文化について触れたので、この類似にとても興味を引かれる。

他にも、印象的な文章が数多くある。

どういうわけか、おおくの場合われわれは、その伝統の連続感をたちきって、明治のはじめをすべての近代化の出発点とみなすかんがえかたに慣らされてきたのである。 (福山誠之館)
日本民衆の分析的自然観を、学問的に組織したのは、近代動物学ではなくて、むしろ日本民俗学であった。 (高崎山)
日本という国は、わたしは、本質的に存在の論理の力がつよい国だとおもう。そこにおいては、なにごとも、過去においてあったから、現在もあり、未来もあるのである。 (名神高速道路)
日本の土地は、すべてが明確にかぎりをもっている。「有限感」こそは、日本の土地の感覚的特徴である。 (空からの日本探検)

ウメサオタダオ、とにかくすごい。

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2014年10月17日

梅棹忠夫著 『日本探検』


「なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ」と述べる著者が、日本の各地を訪ねて、文明史的な考察を加えるという内容。

初出は1960年から61年にかけての「中央公論」なので、半世紀以上も前に書かれたものなのだが、少しも色褪せていない。何ともすごい本である。

梅棹は、福山へ行って江戸時代の藩校とその後の日本の教育制度について考え、亀岡・綾部に行って、大本(教)と世界の結び付きについて考える。さらに、根釧原野のパイロットファームを訪れて、北海道の開発のあり方と独立論を考え、高崎山を訪れては、日本の霊長類研究の歴史やその意味について考える。

それらは一見バラバラなようでいて、実はすべて同じ方法や考え方によって行われているのだ。それは、

わたしがこのシリーズ「日本探検」でやろうとしたことは、現代日本の文明史的位置づけを、具体的な土地と現象に即してかんがえてみようということであった。

という一文によくあらわれている。
その考察の深さとジャンルを超えたものの見方は、まさに「知の巨人」と呼ぶにふさわしい。この本一冊だけでも、そのことが十分に理解できる。

2014年9月10日、講談社学術文庫、1330円。

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2014年10月08日

小倉崇著 『LIFEWORK』


副題は「街と自然をつなぐ12人の働きかたと仕事場」。
「アメスピPAPER」に掲載された文章を大幅に加筆・再構成したもの。

著者が様々なジャンルで活躍する12人の仕事場を訪れ、インタビューをしている。一風変った職業の人が多い。

登場するのは、「プラントハンター」「コーヒー農家&焙煎師」「白神山地 山の案内人」「茶師」「ゲストハウス『シャンティクティ』宿主」「有機米農家」「レザー&シルバーアーチスト」「自転車フレームビルダー」「ギター職人」「花火師」「カスタム・ナイフメーカー」「『藤野電力』エネルギー企画室室長」。

お茶は自然のものです。自然を相手に傲慢になってしまったら、それ以上成長することなんて出来ない。自分が作るお茶が一番美味しいと思うようになったら、茶師として終わりだと思います。  「茶師 前田文男」
花火を作る時に一番大事な道具は、人間の手です。それも、指先のちょっとした感覚を頼りに仕込みます。自分の精神状態にも左右されますよ。同じものを作っているつもりでも、同じにはならない。  「花火師 青木昭夫」

こういう話を読んでいると、自分の人生はこのままでいいのだろうかと考えたりする。

2013年6月10日発行、祥伝社、1429円。

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2014年10月06日

小関智弘著 『町工場・スーパーなものづくり』


町工場で旋盤工として50年以上働いた経験を持つ著者が、技術や技能、ものづくりについて記した本。最近「日本のものづくりはこんなにスゴイ!」といった自国自慢の本やテレビ番組をよく見かけるが、それとは違う。

渡り職人は、渡り歩くことによってつねに新しい技能を身につけて、それをつぎの職場に伝えひろめる技能の伝達者でもあった。
旋盤工は、自分のバイト(刃物・松村注)を使い捨てるようになったとき、みずからが使い捨て可能な存在に変化してしまったのである。
工はたくみと読む。工場はたくみの場であり、旋盤工は旋盤という機械を使って鉄を削るたくみを意味している。たくみたちがものを作る場なのだから、工場の仕事はおもしろい。

私も以前、プラスチック成型工場で働いていたことがあるので、共感することの多い内容であった。

1998年8月25日第1刷発行、2005年6月10日第11刷発行、ちくまプリマーブックス、1200円。

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2014年09月30日

松本博文著 『ルポ電王戦』


副題は「人間vs.コンピュータの真実」。
「○○の真実」という題を付けるのが流行りなのかな。

著者は将棋観戦記者、東大将棋部OB。
コンピュータ将棋の開発の歴史と、1990年に始まったコンピュータ将棋選手権、さらに2012年から始まった電王戦(棋士対コンピュータ)について記した本。

あとがきに「本書は、将棋という世界最高のゲームに魅入られた天才たちの物語である」とある通り、将棋ソフトを開発するプログラマーとプロ棋士、それぞれの情熱が印象的に描かれている。

将棋に関する本ではあるが、棋譜は一枚も載っておらず、すべて文章で説明している。テンポが良く、読みやすい文章だ。ただし、プログラマーの山本一成と宮澤藍の恋愛に関する話は、不要だったと思う。将棋部の後輩という関係ゆえか、その部分だけ文章のトーンが違っていて、浮いてしまっている。

2014年6月10日、NHK出版、780円。

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2014年09月29日

濱田武士著 『日本漁業の真実』


日本漁業の現状や問題点について、様々な角度から考察した本。

漁業政策、消費と流通、漁業水域、資源管理、養殖、漁協、漁村となど漁業従事者など、多くの視点から日本の漁業の姿を描いている。それだけ、問題が複雑であるということでもあろう。

著者は現状の漁業をめぐる議論に大きな不満を抱いている。

このように見ていけば“漁業は斜陽産業”と揶揄する議論がいかに無駄かに気づく。需給動向を俯瞰すれば、供給サイドだけの問題にするのはもはや時代遅れである。
乱獲とは直結していないにもかかわらず、そのことを知らない人が水揚げ量の減少傾向を見ればそう思うであろう。その誤解を意図的に導き出す乱暴な手口が乱用されているのだ。
今日巷に出回っている漁協批判は、漁協の存立構造をまったく理解せずに表層的な問題ばかりを論うものがほとんどである。

こうした批判が随所に出てくる。その一つ一つになるほどと思いながら読んでいくのだが、何かそれに代わる解決法が示されているかと言えばそうではない。絡み合った問題の複雑さにますます頭を抱え込むことになりそうだ。

2014年3月10日、ちくま新書、840円。

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2014年09月28日

小林朋道著 『先生、大型野獣がキャンパスに侵入しました!』


副題は「[鳥取環境大学]の森の人間動物行動学」。
シリーズ7作目。

登場する動物は、ヒバリ、コカマキリ、セグロアシナガバチ、ヒグマ、ハツカネズミ、シマリス、メダカ、ミジンコ、ヤギ、アカガエル、アカハライモリ、トノサマガエル、アマガエル、ノウサギ、タヌキ、キツネ、ニホントカゲ、ニホンカナヘビ、モモンガ、イモムシなど。

2007年から毎年刊行されてきたシリーズであるが、だんだんネタが尽きてきたのだろうか、回想や以前取り上げた話の後日譚が多くなって、やや新鮮味が薄れてきた。

ヤギ部で飼われていたヤギコが11歳で亡くなった時の場面。

私は、その最後の一息を、その体をさすりながら看取った。それは、ヤギコの一一年をずっと見てきた唯一の人間(部員たちは卒業していくのだ)に与えられた、せめてもの慰めだったのかもしれない。

そう言えば、大学時代のアーチェリー部の監督も同じようなことをよく言っていた。学生は毎年毎年入れ替わっていって、自分だけがずっと監督をしているということを。

年々(としどし)の教室写真の真んなかに我のみが確実に老けてゆくなり
                永田和宏 『饗庭』

2013年5月31日、築地書館、1600円。
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2014年09月18日

小泉武夫著 『猟師の肉は腐らない』


舞台は福島県、茨城県、栃木県の三県に跨る八溝(やみぞ)山地。
電気も水道もない山の中に住み、昔ながらの自給自足の生活をする猟師「義っしゃん」の家に泊まりに行った体験記(という体裁の小説)である。

食べ物の話がとにかくたくさん出てくる。

「猪肉の燻製」「岩魚の甘露煮」「山女の川音焼き」「兎の灰燻し」「山羊の乳」「蝉の付け焼き」「地蜂の炊き込み飯」「赤蝮の味噌汁」「薬草茶」「ドジョウの蒲焼き」「ドジョウ汁」「あけびの熟鮓」「紙餅」「兔汁」「焼き芋」「焼き栗」「どぶろく」「山ぶどう酒」などなど。どれも食べたことがないようなものばかり。

今の日本ではとても文化的な生活となって、何もかも便利になり、昔の人たちの知恵や発想は消えてしまったり、希薄になってしまっている。しかし、誰かが貴重な叡智を伝承しなければ、永遠に忘れられてしまう。

という文章に、この本にこめた作者の意図は言い尽されているだろう。

2014年7月20日、新潮社、1400円。

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2014年09月15日

五木寛之著 『一向一揆共和国 まほろばの闇』


「隠された日本」シリーズ第4弾。
今回は加賀と大和を取り上げている。

金沢は若き日の著者が一時住んでいた町であり、斑鳩には著者の弟の墓がある。加賀も大和も、著者と関わりの深い土地と言っていいだろう。

加賀・大和の地をめぐりながら、著者は吉崎御坊、金沢御堂、一向一揆、土蜘蛛、太子信仰、水平社運動など、自らが関心を持つ事柄についての考察を深めていく。歴史が単なる過去のものとしてではなく、時代を超えて現在につながるものとして甦ってくる。

本の冒頭には大伴家持の歌が引かれ、小野十三郎の「短歌的抒情の否定」の話が出てくる。また、大津皇子、大伯皇女、柿本人麻呂など『万葉集』をめぐる考察もある。

肉声として発せられて人びとのこころを揺さぶるためには、どうしても言葉のリズムや音の美しさが必要だ、と私は思っている。

このシリーズもこれで4冊読んだわけだが、司馬遼太郎の『街道をゆく』に似たスタイルという気がしてきた。

2014年7月10日、ちくま文庫、780円。

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2014年09月12日

石川直樹ほか 『宮本常一と写真』


民俗学者の宮本常一が残した10万枚にもおよぶ写真を紹介しながら、石川直樹(写真家)・須藤功(民俗学写真家)・赤城耕一(写真家)・畑中章宏(作家・編集者)らが、宮本と写真の関わりについて論じている。

とにかく載っている写真がいい。船に乗る学校帰りの子どもたち(山口県浮島)、竹製の籠に入った赤ちゃん(香川県豊島)、山仕事帰りの男(富山県立山)など、一目見たら忘れられない印象的な写真がたくさんある。

先生は写真に「私を出すな」ともいいました。これは主張する写真、すなわち芸術写真は撮るなということと同じです。「読める写真」、これは主観を交えない記録写真ということですが、たとえば畑を撮ったら、その畑の広さと畝作り、そこに何を植えて、どんな保護柵があるかがわかるような写真ということです。  (須藤功)
記録というけど、記録じゃないよ。ただ自分が惹かれて撮っているんだよ、だから強いんだよ。いい親子だなぁとか思うと撮ってる。近所に似てる道だなぁと思うと撮ってる。  (荒木経惟)

評価の仕方に違いはあるけれど、どちらも宮本の写真の方法や魅力を的確に伝えている。これは短歌にも通じることだろう。

2014年8月25日、平凡社コロナ・ブックス、1600円。

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2014年09月11日

円満字二郎著 『ひねくれ古典『列子』を読む』


中国の春秋時代の思想家、列禦寇(れつぎょこう)の話をまとめた『列子』を紹介した本。「杞憂」「朝三暮四」などの有名な話をはじめとして、全部で20話が取り上げられている。

「諸子百家」の一人である列子であるが、孔子、孟子、老子、荘子、孫子、韓非子などに比べて、取り上げられることは少ない。巻末に紹介されている参考文献もほとんど品切れ状態である。『列子』を愛読する著者はそんな状況を何とかしたいと考えて、本書を執筆したらしい。

確かにコントみたいに面白い話がたくさんあるし、そこに現代にも通じる考え方が述べられていて、考えさせられる。

つまり、“ことばなんて忘れてしまえ!”“頭のはたらきなんて棄て去ってしまえ!”という老荘思想の主張も、それを意識して行っている限りは、やはり、“ことばや頭のはたらきを重んじる”ことの裏返しにすぎない、ということです。

この部分など、先日読んだ『修業論』で内田樹が

「我執を脱する」という努力が、達成度や成果を自己評価できるものである限り、その努力は「我執を強化する」方向にしか作用しない。

と書いているのと、多分同じことなのだろう。

たとえそこがご先祖さまのお墓ではなかったとしても、旅人がご先祖さまを思って泣いたことには、変わりはありません。あの涙は、まぎれもなく本物です。ニセモノから“本物の感動”を受け取ることもあるのです。

これなどは、今年話題になった佐村河内氏の代作問題を彷彿とさせる。既に二千数百年も前から、こうした問題は論じられてきたのであった。

このところ、円満字二郎と今野真二の本が次々と家に増えている。
脂の乗った充実期を迎えているのだろう。

2014年7月25日、新潮選書、1300円。


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2014年09月06日

『修業論』のつづき(その2)

こんな文章もある。
伝書に記されている言葉の解釈について。

どうとでも取れる玉虫色の解釈をするというようなことを、初心者はしてはならない。どれほど愚かしくても、その段階で「私はこう解釈した」ということをはっきりさせておかないと、どこをどう読み間違ったのか、後で自分にもわからなくなる。
多義的解釈に開かれたテクストには、腰の引けたあやふやな解釈をなすべきではない。それはテクストに対する敬意の表現ではなく、「誤答すること」への恐怖、つまりは自己保身にすぎない。

まるで歌会のことを言っているようだと思う。

歌会には「読み間違った」も「誤答」もないが、それでも歌会における態度はまさにこうあるべきだろう。「私はこう解釈した」ということを遠慮せず、ごまかさずにきちんと述べることが、作品に対する一番の敬意なのだ。

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2014年09月05日

『修業論』のつづき(その1)

印象に残った部分をもう少し。

私たちの「最初のボタンのかけ違え」は、無傷の、完璧な状態にある私を、まずもって「標準的な私」と措定し、今ある私がそうではないこと(体調が不良であったり、臓器が不全であったり、気分が暗鬱であったりすること)を「敵による否定的な干渉の結果」として説明したことにある。

本当にその通りで、「無傷の、完璧な状態にある私」なんてものは、実際にはあり得ないのだ。これは大学時代のアーチェリー部の監督に言われた言葉とも共通する。

それは「100%な状態でなくて当り前」というもの。試合の当日に、電車が遅れたり、お腹が痛くなったり、あるいは、横風が気になったり、リリースが引っ掛かる感じがあったり、照準器がうまく合わなかったり……、様々なことが起きるわけだが、それで「当り前」だと考えなさいということである。そして、それらを自分に対する言い訳にしないようにということであった。

今から思えば、この言葉はその後もずっと、いろいろな場面で私を支えてくれている。

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2014年09月04日

内田樹著 『修業論』


先月、「塔」の全国大会にお越しいただいた内田樹さんの本を読む。
武道、それも合気道の修業について論じている本なのだが、もちろん武道のことにとどまらない広がりを持った内容となっている。

全体が4部構成となっていて、初出はそれぞれ、合気道のの専門誌「合気道探究」、仏教系の雑誌「サンカジャパン」、キリスト教系の「福音と世界」、司馬遼太郎記念シンポジウムの草稿とばらばらなのだが、語っている内容は一つのことと言ってよく、新書としてのまとまりは良い。

内田さんの本は、内容ももちろんなのだが、その論理展開の鮮やかさに惹かれる。ふだん漠然と思っていることや考えていることが鮮やかに引っくり返される快感とでも言おうか。

修業する人は「自分が何をしているのか」を「しおえた後」になってしか言葉にできない。
「そつ(口+卒)啄の機」においては、実は「母鳥が殻を外からつつき、雛鳥は内からつつき」という言い方自体が不正確だったということになる。母鳥も雛鳥も、卵が割れたことによって、その瞬間に母としてまた子として形成されたものだからである。卵が割れる以前には母鳥も雛鳥も存在しないのである。

こんな文章がたくさんあって、何度もハッとさせられる。時おり詭弁すれすれのような感じも抱くのだが、その語り口はやはり見事と言う他にない。

2013年7月20日、光文社新書、760円。

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2014年09月02日

中島京子著 『イトウの恋』


開国間もない明治の日本を旅するイギリス人女性「I・B」と通訳の青年「イトウ」。屋根裏で発見されたイトウの手記を手掛かりに、現代の社会科教師と郷土部の生徒、劇画原作者の女性が、二人のことを調べていくというストーリー。

モデルとなっているのは、『日本奥地紀行』を記したイザベラ・バードと通訳の伊藤鶴吉。『日本奥地紀行』に描かれた二人の旅を伊藤の目から捉え直すという手法が、何とも鮮やかである。「明治の毒婦」と言われた高橋お伝も「D」という名前で登場する。

2008年3月14日第1刷、2011年4月1日第4刷、講談社文庫、648円。

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2014年08月15日

小林朋道著 『先生、モモンガの風呂に入ってください!』


副題は「[鳥取環境大学]の森の人間動物行動学」。
シリーズ第6弾。

登場する生き物は、キクガシラコウモリ、セグロアシナガバチ、イワガ二、ウミウシ、イソギンチャク、イトマキヒトデ、タコ、スナガニ、ヒキガエル、アカハライモリ、ニホンモモンガ、シジュウカラなど。

著者の生き物好きは、次のような文章からもよくわかる。

この潮だまりのイソギンチャクたちは、生態学的には一つの個体群であり(一つの村のようなもの)、私は、この光景を見るたびに、この村の住人一人ひとりの戸籍台帳をつくりたいという衝動にかられる。

世の中には、こういう人もいるのである。
その生き物好きが高じて、著者はついに自分のフィールドである鳥取県智頭町芦津の森を「モモンガの森」と名付けて、環境保全と地域の活性化を目指す「芦津モモンガプロジェクト」をスタートさせる。
http://dem2.kankyo-u.ac.jp/momongaoutline.html

何だかとっても楽しそうだ。

2012年3月20日、築地書館、1600円。

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2014年08月06日

赤坂憲雄著 『イザベラ・バードの東北紀行[会津・置賜篇]』


副題は「『日本奥地紀行』を歩く」。

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』のうち、1878年6月24日から7月3日までの会津の旅と、それに続く山形県の置賜地方の旅を追ったもの。「第一篇 会津紀行」と「第二篇 置賜紀行」で文章の書き方や分量に大きな違いがあるが、それは別々の場所に発表した文章が元になっているからのようだ。

従来読まれてきた『日本奥地紀行』は原著の簡略本をテクストとしたものであったが、最近になって金坂清則訳『完訳 日本奥地紀行』(全4巻)が刊行され、原著の全貌が明らかになった。本書でもその成果が随所に織り込まれている。

バードは置賜地方の後は山形県の上山市を訪れている。斎藤茂吉が生まれる4年前のこと。バードの描く街道の姿に茂吉「念珠集」の文章が重なって思い浮かんでくる。

2014年5月23日、平凡社、1800円。

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2014年08月02日

小林朋道著 『先生、キジがヤギに縄張り宣言しています!』


副題は「[鳥取環境大学]の森の人間動物行動学」。
シリーズ第5弾。

こういうシリーズものは、だんだんつまらなくなっていくのが普通だが、このシリーズは安定して面白い。今回登場する生き物は、コゲラ、スズメ、クマノミ、ヒトデ、デバスズメダイ、イソギンチャク、フェレット、クサガメ、イシガメ、ヤモリ、ヒメネズミ、フトミミズ、ヨコエビ、アカネズミ、ニホンジカ、ホンドモモンガ、ヒヨドリ、キジ、ヤギなど。

求愛時やカップルの絆の維持強化に、親子の給餌行動が借用されるのは、ニワトリ以外の、多くの鳥や哺乳類でも見られることだ。人間で見られるキスも、親が幼児に、口から口へ食べ物を与える行動に由来する、と考える研究者もいる。

人間の行動もこんなふうに説明されると、実に面白い。
あれこれ想像が広がっていく。

2011年4月1日、築地書館、1600円。

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2014年08月01日

志賀直哉著 『清兵衛と瓢箪 網走まで』

初期の短編小説18編を収録。執筆時期は明治37年から大正3年、年齢で言えば21歳から30歳までの作品である。25年ぶりくらいに再読したが面白かった。

「剃刀」「濁った頭」「笵の犯罪」と、推理小説風な話がいくつも。5歳くらいの女の子を騙して家に連れて来てしまう「児を盗む話」などは、最近の事件を思わせる内容だ。

私はその晩この児を盗む想像に順序を立てた。実行の決心は中々つかなかった。然し只想像を繰り返すだけでは満足出来なくなった。私は可恐々々(こわごわ)玩具(おもちゃ)とか、子供の好きそうな菓子などを用意して見た。私の肩は相変らず凝っていたが、気分は快い緊張を感じていた。

他にも、京都で下宿を探す「ある一頁」が、当時の京都の町の様子を伝えていて興味深い。

1968年9月15日発行、2011年9月15日改版、新潮文庫、520円。


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2014年07月28日

鳥塚亮著 『ローカル線で地域を元気にする方法』


副題は「いすみ鉄道公募社長の昭和流ビジネス論」。
「いすみ鉄道 社長ブログ」の記事を再構成し加筆したもの。

ブリティッシュ・エアウェイズ勤務を経て、2009年に千葉県のローカル私鉄「いすみ鉄道」の公募社長となった著者が語るビジネス論。

ところどころカチンと来るような物言いがあるのに、不思議と引き込まれてしまう。カチンと来る部分もまた、読者を引きつけるための著者の挑発なのだろう。「乗らなくてもよいです」「来ていただいても何もありません」といった、いすみ鉄道のキャッチフレーズも、そうした著者のしたたかな戦略なのだ。

今、過去の廃止反対運動を振り返ってみると、事実として、「乗って残そう運動」をやった結果、存続したローカル線は皆無に等しい状況です。
ローカル線というのは地元の人が足として使うためのものだと長い間言われてきて、過疎化や少子化、マイカーへの移行で結局ダメになってきました。だから私はまず観光路線化して乗車人員を増やし、テレビや雑誌で知ってもらうことで(…)
かつて、昭和の時代はローカル線といえばイコール田舎であり、ダサくてどうしようもないような「お荷物」というイメージがありましたが、今、ローカル線は観光のツールであり、お客様を地元へ呼ぶアイテムになっていると言えるようになりました。

発想を転換し、別の枠組みで捉え直すことによって、新たな価値や需要が生まれてくる。鉄道モノとして買った本であったのだが、確かにビジネス書としても(ところどころ反発を覚えつつも)役立つ内容だと思った。

2013年7月10日、晶文社、1500円。

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2014年07月24日

佐川光晴著 『牛を屠る』


2009年に解放出版社から刊行された本に加筆修正し、文庫化したもの。
巻末に平松洋子との対談「働くことの意味、そして輝かしさ」を収録。

小説家としてデビューする前に、「大宮市営と畜場」で十年半にわたって牛の屠殺を行ってきた著者が、その仕事の内容や同僚たちの姿を描いた自伝的なドキュメンタリー。

「ここは、おめえみたいなヤツの来るところじゃねえ」と怒鳴りつけられたスタートから、やがて一人前となり、作業をリードする立場になるまでの経過が描かれている。

「ノッキングペン」「放血場」「面皮剥き」「皮剥き」「尻剥き」「胸剥き」「サイドプーラ―」「胸割」といった仕事の様子が詳細に記されており、その生々しさと迫力に圧倒される。特に、ナイフの研ぎ方や使い方に習熟していく場面は、読んでいてその気持ち良さが伝わってくるほどだ。

朧気に感じていたのは、これは道具がした動きなのだということだった。青竜刀のように反り身になった皮剥き用の変形ナイフは、いま私がした動きをするように形づくられているのだ。その形は幾百幾千もの職人たちの仕事の積み重ねによって生み出されたものであり、誰もが同じ軌跡を描くために努力を重ねてきたのだ。

2000年に新潮新人賞を受賞したデビュー作「生活の設計」も、ぜひ読んでみたい。

2014年7月12日、双葉文庫、528円。

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2014年07月23日

『サンカの民と被差別の世界』の続き

無籍、定住しない、定職に就かないという願望は、いつの時代も人間のなかにはあるのだろう。そういう願望と、三角寛の本がいまだに読まれたり売れたりすることとは、決して無関係ではないと思う。
家も家族も持たず、定職にもつかない人生。好きなときに好きな場所へいく人生。ほとんどの人は、車寅次郎こと「フーテンの寅さん」に“自由人”のすがたを見いだして、一種の羨望を抱いているのだろう。

こういう文章を読むと、何を気楽なことを言ってるんだかと思う一方で、今でも胸の疼くような思いがする。そういう暮らしに憧れていた日々が、確かに私にもあった。

遠き日の三つの誓い「結婚しない・就職しない・定住しない」
             『駅へ』


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2014年07月22日

五木寛之著 『サンカの民と被差別の世界』


「隠された日本」シリーズの第1弾。「中国・関東」篇。
2002年に講談社より刊行された『日本人のこころ4』を文庫化したもの。

瀬戸内海の「家船」で暮らす海の漂泊民、「サンカ」と呼ばれる山の漂泊民、エタ・非人と呼ばれた被差別の民。平地に定住して農業に従事する人とは異なる暮らしをしてきた人々について論じている。

沖浦和光(『瀬戸内の民俗誌』『幻の漂泊民・サンカ』)や塩見鮮一郎(『浅草弾左衛門』)の話を受けて書かれている部分が多いのだが、自ら現地を訪ねて取材し思索を深めているところに共感した。

日本の歴史をふり返ってみて、私たちは合戦といえば、関ケ原や大坂の陣などをすぐに思い浮かべる。平野部の合戦、陸上の戦いしか頭に思い描いていなかった気がする。しかし、水上や海上での合戦というものが日本の歴史を動かしてきた、という面もある。
卑賤視したり、差別するということにも、もうひとつ別の面がある。その背景には情念としての畏敬の念があり、ひょっとすると憧憬さえあったかもしれないとも感じる。「聖」と「俗」が、「聖」と「穢」が、「聖」と「賤」が重なりあう。
転向する前の柳田民俗学、柳宗悦らの民芸運動、北原白秋らの新民謡運動。これらはすべて同じ根を持つものではないか。いずれも、大逆事件に発する知識人の挫折と転戦のひとつの歴史だ、と私には思える。

このシリーズは、最後まで読んでいきたい。

2014年4月10日、ちくま文庫、780円。
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2014年07月16日

池内紀著 『ニッポン周遊記』


副題は「町の見つけ方・歩き方・つくり方」。

2004年から「観光文化」に連載されている「あの町この町」の中から30篇を収録。全国各地の町を訪ね歩いたエッセイである。

旅好きで、旅のベテランの池内さんならではの観察眼が随所に発揮されている。文章のテンポも良くて、読んでいて楽しい。

旅行先を選ぶとき、「元支藩」というのを一つのヒントにしている。小さく、まとまりをもち、歴史がよく残っている。そんな味わい深い町が多いからだ。
(青森県・黒石市)
江戸末期から明治にかけて、婿養子が二代つづいている。わが国固有の養子制度が本家の屋台骨を支える大きな力になったことがうかがえるのだ。息子だと、手のつけられないボンクラが跡継ぎになりかねないが、婿養子なら、近郊近在のとびきり優れた青年に白羽の矢を立てていい。
(長野県・須坂市)
訪ねるときはいつも船である。船に乗らなくては島影が見えないし、島々が一つまた一つとあらわれ、ついでゆっくりうしろに遠去かることもない。そもそも船で渡らなくては、島は島ではないのである。
(広島県・尾道市因島土生町)

山椒魚をから揚げ、塩焼き、天ぷらなどにして食べるということも、初めて知った。一度食べてみたいような、食べてみたくないような。

2014年7月8日、青土社、2400円。

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2014年07月10日

一志治夫著 『「ななつ星」物語』


副題は「めぐり逢う旅と「豪華列車」誕生の秘話」。

昨年10月に運行を始めた「ななつ星 in 九州」。
3泊4日、または1泊2日の日程で九州をめぐるクルーズトレインだ。

この列車のアイデアが出されてから実現に至るまでの様々な苦労と、それに携わった人々を描いたノンフィクション。中心となるのは、唐池恒二(JR九州社長)と水戸岡鋭治(デザイナー)の二人である。

唐池はかなりワンマンで実行力に富む社長であり、水戸岡はデザインで地域や人々の生き方まで変えようと考えるデザイナーである。この本には、そんな個性的な二人の考えがいくつも紹介されている。

唐池哲学のひとつに「手間こそ感動」がある。今回の「ななつ星」においては、とりわけ「手間」を徹頭徹尾追い求めた。
犠牲をともなわないものに感動なんてなく、誰かがとんでもない犠牲をはらっているからこそ感動するのだ、と水戸岡は思う。

こうした考えは嫌いではないのだけれど、本書が全体として「プロジェクトX」的な成功譚になっているところに、若干の物足りなさを覚えた。半年にわたる密着取材のためだろうか、著者と取材対象の距離が少し近過ぎるように感じる。

プロジェクトの光の部分だけでなく、影の部分ももっと描いてほしい。それは、別に「ななつ星」ブームに水を差すことにはならないと思う。

2014年4月26日、小学館、1400円。

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2014年07月04日

高瀬毅著 『東京コンフィデンシャル』


副題は「いままで語られなかった、都市の光と影」。

武蔵野市で行われた不発弾処理、廃墟となった旧国立予防衛生研究所、巣鴨の地蔵通り商店街、羽根木プレーパーク、横田基地、モスク大塚、大田区のネジ工場・・・、東京の知られざるディープスポットをめぐるルポルタージュ。

分量的にはどの話も10ページ足らずで、とことん掘り下げるという感じではない。けれども、東京が抱えている歴史の記憶から最新の流行まで、ジャーナリストとしての嗅覚が十分に発揮された場所を選ばれている。

著者は後に自らの出身地長崎に関するノンフィクション『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』を書く。その出発点とも言うべき一冊である。

2003年7月30日、えい出版社、1500円。

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2014年07月03日

『宗教都市と前衛都市』の続き

この本には蓮如のことや浄土真宗の信仰の話も出てくる。
それらを読んでいると、どこか短歌や結社の話に似ていることに気づく。

報恩講などの機会に、何日もかけてはるばる遠路から苦しい旅をして訪ねてくる門徒たちは、ふだんは孤立して寂しい生活をしているのだろう。しかし、ここに来れば、全国各地から集まってきた何千何万という「御同朋」、こころの兄弟たちに出会えるのだ。

この文章など、まるで短歌結社の全国大会のことを言っているようでもある。

蓮如はその講というものを、非常に強く奨励した。講の場では、身分の上下や老若男女のへだては一切なかった。そこでは自由に話をするがいい、ただし、信仰以外の話は慎め、と蓮如はいっている。

これも「講」→「歌会」、「信仰以外」→「短歌以外」としても、十分に当て嵌まりそうだ。


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2014年07月01日

五木寛之著 『宗教都市と前衛都市』


「隠された日本」シリーズの第三弾。「大阪・京都」篇。
2001年に講談社より刊行された『日本人のこころ1』を文庫化したもの。

タイトルは、大阪は宗教都市であり、京都は前衛都市であるという意味である。

私たちが商業都市、東アジアのビジネスセンターと呼んでいる大阪には、じつは「宗教都市」という原風景があった。
京都は千二百年の歴史と伝統がある「古都」だ、と思っている人がほとんどだろう。しかし、私は「京都は前衛都市である」といいたい。

著者は大阪の基盤に、蓮如による大坂御坊(石山本願寺)の建立と寺内町の発展を見る。大阪のメインストリートである「御堂筋」が、外国で言えば「聖フランチェスコ通り」のような感じの宗教的な名前だという指摘など、普段は全く意識していないだけに実におもしろい。

内田樹も『聖地巡礼』の中で

大阪に元気がなくなったのは、本来この土地が持っていた霊的エネルギーを賦活する装置が機能しなくなったからだっていうのが僕の持論なんです。

と述べており、共通するものを感じる。

2014年6月10日、ちくま文庫、780円。

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2014年06月28日

内田樹著 『呪いの時代』


2008年から「新潮45」に不定期に連載された文章を中心にまとめたもの。
「呪詛」と「贈与」が全体のテーマになっている。

どのようにすれば私たちは人々を苦しめ分断する「呪詛」を抑え、励まし結び付ける「贈与」を活性化することができるのか。コミュニケーションにおいても、経済においても、外交においても、生き方においても、すべてに共通する問題として繰り返し語られている。

「努力しても報われない」という言葉をいったん口にすると、その言葉は自分自身に対する呪いとして活動し始める。
イデオローグたちが、同じ名を掲げた政治党派の犯した失敗について責任を取ることを拒否するとき、その名を掲げた政治思想は死滅する。
人間が持つ能力は、能力それ自体によってではなく、ましてやその能力が所有者にもたらした利益によってではなく、その天賦の贈り物に対してどのような返礼をなしたかによって査定される。

こうした言葉は、格言や箴言のように胸に響いてくる。

著者の本は、因果関係が実は逆であることを指摘したり、枠組みそのものをひっくり返したり、別の文脈によって新たに読み換えたりといった論理の鮮やかさが随所にあって、おもしろい。そうした刺激を受けることで、自分もまた新たに考え直してみようという気にさせられるのだ。

2011年11月20日発行、新潮社、1400円。


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2014年06月23日

佐々木健一著 『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』


「ケンボー先生」こと見坊豪紀(ひでとし)と「山田先生」こと山田忠雄。
辞書作りに情熱を燃やした2人の生涯を、それぞれが編んだ辞書を基にたどったノンフィクション。2013年4月29日にNHK−BSプレミアムで放映されたドキュメンタリー番組の内容に、新たな証言などを追加して構成したもの。
著者は同番組のディレクター。

今年1番の本。

東京帝国大学文学部国文科の同期で、昭和18年に『明解国語辞典』を協力して編纂した二人が、やがて訣別し、それぞれ『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』を編纂することになった「昭和辞書史最大の謎」を解き明かす。

その方法が実にユニークだ。当時の資料や関係者の証言を集めるのはもちろんなのだが、それに加えて、ある時から著者は2人の編纂した辞書に載っている「用例」に注目するようになる。

単なる国語辞書の「用例」だと思い込んでいたものが、突如、編纂者の人生に深く関わる“意味”を持ったことばへと一変した瞬間だった。

まるで推理小説のような謎解きの面白さが、この本にはある。「おそらくこれまで誰も気づかず、同時に今、自分だけがその記述の秘められた“意味”を見出したことに、激しい興奮をおぼえた」という著者のワクワク感が、そのまま伝わってくる。

2人の編纂者の友情とライバル心、感謝やコンプレックス、理想とする辞書や編纂方法の違い。既に亡くなった2人だけが知っていた、その本当の思いに光を当てる素晴らしい内容だ。たぶん僕が書きたいのも、こういう本なのだと思う。

2014年2月10日、文藝春秋社、1800円。


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2014年06月18日

内田樹×釈徹宗著 『聖地巡礼 ビギニング』


内田樹と内田が主宰する凱風館「巡礼部」のメンバーが、釈徹宗の案内のもと、各地の聖地をめぐり歩くシリーズの第1弾。「大阪・上町台地」「京都・蓮台野と鳥辺野」「奈良・飛鳥地方」という3回の巡礼が対談形式で描かれている。

 神社ってコンピュータのハードみたいなものです。それ自身はニュートラルな状態で、そこにソフトが入り込むことによって動く。
 天皇家というのは、境界線上の人間に常に目線を配る存在なんですね。
内田 この世界の無数のものの中には「どんな選択肢をとっても存在しているはずのもの」と「あのとき別の道をたどっていたら存在していないはずのもの」があることになる。
内田 こっち(大谷墓地)側から来ると清水寺はぜんぜん観光寺院に見えませんね。

話の中に、ものを考えるヒントがたくさん出てくる。
一緒に歩いているような気分を味わえるのが楽しい。

2013年8月23日、東京書籍、1500円。

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2014年06月07日

小林朋道著 『先生、カエルが脱皮してその皮を食べています!』


「[鳥取環境大学]の森の人間行動動物学」第4弾。
シリーズものは回を重ねるにつれて面白くなくなることが多いのだが、このシリーズは安定して面白い。今回登場する動物は、ヒキガエル、アカハライモリ、アオダイショウ、ヤギ、スナガニ、エボシガイ、カラス、ホオジロ、イタチなど。

ハプニングは、学生を驚かす。こちらにとってもハプニングであれば、なおさら学生にとって意外性が大きいはずだ。その“驚き”や“意外性”が、学ぶものの脳を、学習の姿勢に移らせるのである。

これは、よくわかる。事前に用意しておいたネタだけでは、どうしても退屈な講義になってしまうのだ。その場で起きたこと、その場で思い付いたことを、取り入れるのが大事。これはパネルディスカッションなどでも痛感することだ。

“人間が、火事や事故の現場に対して示す強い関心”、これは、一種のモビングではないだろうか。

動物の行動様式と人間の行動を結び付けるこうしたアイデアも、大胆かつユニークで楽しい。

2010年4月25日初版、2013年5月31日4刷、築地書館、1600円。

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2014年06月02日

五木寛之著 『隠れ念仏と隠し念仏』


「隠された日本」シリーズの第2弾。九州・東北篇。
2001年に講談社より出た単行本『日本人のこころ2』を文庫化したもの。

江戸時代、浄土真宗が禁じられた薩摩藩や人吉藩において、自分たちの信仰を隠しつつ、「講」というネットワークや本願寺とのつながりを維持してきた「隠れ念仏」。東北の岩手を中心として、本願寺とも離れて徹底した在家の信仰を貫いてきた「隠し念仏」。

九州と東北に残るこれらの信仰の姿を通して、著者はこの国の歴史や心のあり方を見つめ直していく。

「隠れキリシタン」は有名であるが、「隠れ念仏」や「隠し念仏」のことは、これまで聞いたことがなかった。けれども、そういう視点から捉えることで初めて見えてくる歴史があり、興味を引かれる。

新しく入って来た宗教がどのように人々に受容され、元からあった信仰と混じり合って定着していくのかという問題もおもしろい。これは宗教だけに限らないことであり、「異端」を排除して「正統」の方だけを見ていても決してわからない問題であるに違いない。

2014年5月10日、ちくま文庫、780円。


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