2015年09月01日

荒川洋平著『日本語という外国語』


日本語教師になりたい人向けの入門書であるが、そうでない人が読んでも十分におもしろい。国文法(いわゆる学校文法)とは違う日本語文法についても、概略が記されており、知らなかったことがいっぱい出てくる。

国文法における動詞の終止形と連体形は同じ形ですが、日本語教育ではこれを「辞書形」として、一つにまとめ上げています。

国文法においては文語(古文)との継続性を重視して、口語の動詞の活用でも「終止形」「連体形」を区別しているが、確かに口語だけに限って考えれば区別する必要はないわけだ。

学校で勉強した英文法では「十二時制」と呼んで、時制を現在進行形や過去完了形などに分類していますが、これは「テンス」と、後で述べる「アスペクト」を一緒にしたものです。

この「テンス」と「アスペクト」の区別というのが、けっこう大事なのだろう。学校では国文法でも英文法でも、そのあたりは習わなかった気がする。

実は日本語の動詞には(…)前のことを示す「過去形」と、そうではない「非過去形」しかありません。
動作を示す動詞が、現在のことを示すためには、「いま食べている」のように、「食べる」をテ形「食べて」に変え、それにプラスして「いる」の助けを借りなければなりません。

こうした日本語文法の基本的な知識は、例えば角川「短歌」9月号に大辻隆弘さんが書いている「口語の時間表現について」という問題を考える際にも、大いに役に立つのではないかと思う。

2009年8月20日、講談社現代新書、800円。

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2015年08月27日

高野秀行著 『イスラム飲酒紀行』


2011年に扶桑社より刊行された単行本の文庫化。

「私は酒飲みである。休肝日はまだない」という著者が、原則として飲酒が禁じられているイスラムの国々で酒を求めて奮闘する旅行記。訪れた国は、カタール、パキスタン、アフガニスタン、チュニジア、イラン、マレーシア、トルコ、シリア、ソマリランド(ソマリア北部)、バングラデシュ。

多くのイスラムの国を訪れて、著者が感じたのは

イスラム圏にも地域性が歴然として存在し、それがイスラム自体を多様で豊かなものにしているのだ。
一口に「イスラム国家」と言っても、国民が百パーセント、ムスリムという国は存在しない。

という、よく考えてみれば実に当り前のこと。けれども、現地を訪れてみないと、こうしたことさえ実感としてはなかなかわからない。

イラン旅行の話の中に

彼らは英語をまったく話さず、私もペルシア語の単語は何ひとつ知らない。私は『旅の指さし会話帳 イラン』を取り出して、「酒」という単語を黙って指差した。

という場面が出てくる。
おお、「旅の指さし会話帳」!

先月のサハリン旅行に、この『旅の指さし会話帳』を持って行ったところ、かなり役に立った。現地の方とコミュニケーションが取れるというのは、やはり楽しい。



2014年7月15日、講談社文庫、770円。
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2015年08月20日

『「昭和」という国家』のつづき

この人(富永仲基・松村注)を明治二十年代で発見したのが内藤湖南です。そのほかたくさんの人を発見しています。埋もれた江戸時代の無名の知識人を、われわれに教えてくれたのは内藤湖南です。
江戸時代の不思議な思想家として、山片蟠桃がおります。この人も高砂の出身です。職業的には一生番頭さんだったものですから、蟠桃と、ユーモラスな号をつけた。無神論を展開し、彼も内藤湖南に発見されています。
今は安藤昌益の全集もありますから、それを見ればよいのですが、この人は狩野享吉が発見するまで、ほとんど無名でした。

今では日本史の教科書にも載っている山片蟠桃や安藤昌益も、誰かがその存在を発見するまでは無名の存在であったのだ。司馬遼太郎もまた、歴史に埋もれた人物を発見すべく、歴史小説を書き続けたのかもしれない。

他人の書いたものや他人の評価に乗っかるのではなく、自分の眼で見出す努力。これは、短歌の世界においてもますます大事になっていくにちがいない。

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2015年08月18日

森達也著 『たったひとつの「真実」なんてない』


副題は「メディアは何を伝えているのか?」。
書き下ろし。

かつてテレビ・ディレクターの仕事をしていた著者が、テレビを含めたメディアをどのように批評的に読み解き、主体的に活用していけば良いかを述べたもの。大学でメディア・リテラシーの講義もしている著者は、自分の体験や数々の例を挙げながら、説得力のある話を展開している。

でも人は、集団になったとき、時おりとんでもない過ちを犯してしまう。集団に自分の意思を預けてしまう。これも歴史的事実。そして人が持つそんな負の属性が駆動するとき、つまり集団が暴走するとき、メディアはこれ以上ないほどの潤滑油となる。
世界は複雑だ。事象や現象は単純ではないし、一面だけでもない。でもテレビ・ニュースに代表されるメディアは、その複雑さを再構成して簡略化する。
メディアは視聴者や読者を信頼させてはいけない。なぜならメディアは信頼すべきものではない。あくまでもひとつの視点なのだ。受け取る側も絶対に信じてはいけない。これはひとつの視点なのだと意識しながら受け取るべきだ。

近年は映画監督・作家として、言論の分野においても存在感を発揮している著者の丁寧な語り口が印象に残る一冊であった。

2014年11月10日、ちくまプリマー新書、820円。

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2015年08月17日

司馬遼太郎著 『「昭和」という国家』


1986年から87年にかけてNHK教育テレビで計12回にわたって放映された「雑談『昭和』への道」をまとめたもの。

戦争を体験した著者が、昭和(元年から敗戦まで)の日本はなぜあのような道を進んでしまったのかを考察している。

と言っても、明快な答が示されているというわけではない。江戸時代の多様性を評価し、「私は明治日本のファンです」と述べ、日露戦争を「祖国防衛戦争だった」と肯定的に捉える著者にとって、昭和の歴史は何とも扱いにくいものだったのだろう。

日本という国の森に、大正末年、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいたのではないでしょうか。その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略、あるいは国内の締めつけ、これらは全部変な、いびつなものでした。

このように著者は記して、その魔法を解くカギとして「参謀本部」や「統帥権」といった問題を持ち出す。けれども、それで何かがわかったという感じもしない。

これは何も司馬個人の責任ではなく、今もなお私たちが明治維新から敗戦までの歴史をうまく位置付けられていないことによるのだろう。それは、先日の戦後70年の安倍談話の曖昧さにもつながっている問題なのだと思う。

1999年3月30日第1刷発行、2003年12月5日第10刷発行、NHKブックス、1160円。

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2015年08月14日

原沢伊都夫著 『日本人のための日本語文法入門』


東郷雄二さんや中西亮太さんとの議論の中で、「ル形」という用語が出てきた。どうも日本語文法と呼ばれるものは、学校で習った文法とは随分と違うらしい。そんな興味から読んだ一冊。

現在、日本語文法というとき、日本人のための国語文法(本書では学校文法と呼ぶことにします)と外国人に教えるための日本語文法があり、両者には共通する用語も多くありますが、基本的な文の構造に対する考え方はまったく異なっているのです。

読んでみると実におもしろい。今の文法はこんなことになっていたのか!とワクワクすることばかり。「ル形」「タ形」「テイル形」「テアル形」「ガ格」「ヲ格」「イ形容詞」「ナ形容詞」「子音動詞」「母音動詞」といった用語も初めて理解した。

「主題と解説」「自動詞と他動詞」「ボイス」「アスペクト」「テンス」「ムード」といった基本的な事項を、具体例をいくつも挙げながら丁寧に説明してくれる。また、横書きというスタイルや「〜なんですね」「〜わけではないんですよ」といった語りかける口調の文章など、読みやすいようによく工夫されている。

これはざっくりとした印象なのだが、文語短歌を読むには古典との継続性を重視した学校文法の知識で良いが、口語短歌について考える時には日本語文法の知識が求められるのではないか。

このテーマはしばらく追ってみたい。

2012年9月20日、講談社現代新書、740円。

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2015年08月10日

司馬遼太郎著 『ロシアについて』



副題は「北方の原形」。
1986年に文藝春秋社から刊行された単行本の文庫化。

ロシアという巨大な隣国をどのように理解すれば良いのかという観点から書かれた歴史エッセイ。それほど長くないエッセイ集であるが、歴史というものの醍醐味を十二分に感じさせる内容となっている。

体制がどうであれ、その国が、固有の国土と民族と歴史的連続性をもっているかぎり、原形というものは変わりようがない、と私は思っている。逆にいえば、体制の如何をとわず、不変なものをとりだすものが、原形に触れるという作業でもある。

この本で司馬が一貫して追求するのは、ロシアの原形とは何かということである。そのために広い視野に立って歴史をたどっていく。

ヨーロッパを真にヨーロッパたらしめたルネサンスの二百年という間、ロシアはひとり「タタールのくびき」によって、その動き、影響から遮断されつづけたのです。
火器の普及によって、騎馬軍の優位の時代はおわり、これがために遊牧国家は農業地帯の征服といううまみをうしなったのである。
欧露というみじかい右腕をまわして長大な左腕のシベリアの痒みを掻こうとする場合、右腕の寸法が足りず、たえずむりな体形をとったり、不自然な運動をせざるをえなくなった。

この本が書かれたのは、まだソ連が崩壊する前のことで、もう30年近い歳月が経っている。けれども、ここに描かれたロシアの原形はおそらく今も変らない。昨今のクリミア半島の問題や、日本とロシアの関係を考える際にも、有効であり続けている。

ソ連には、シベリアがある。そのそばに、日本の島々が弧をえがいている。日本が引越しすることができないかぎり、この隣人とうまくつきあってゆくしかない。

1989年6月10日第1刷、2012年2月15日第27刷、文春文庫、505円。

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2015年07月28日

三田英彬著 『忘却の島サハリン』

副題は「北方異民族の「いま」を紀行する」。
20年以上前に出た本である。

1990年の秋に、外国人に開放されたばかりのサハリン(当時、ソ連領)を2週間にわたって取材した内容をまとめたもの。主に、かつては日本人でありながら、戦後サハリンに取り残されたアジア系少数民族の人々の話が中心となっている。

戦後、サハリンからの引き揚げは日本人に限られ、朝鮮半島出身者はサハリンに留まらざるを得なかった。こうした人々は、サハリン残留韓国人(朝鮮人)と呼ばれ、数万人(本書では43000人)にのぼると言われる。

また、その他のサハリン先住少数民族(ウィルタ、ニブヒなど)についても、本書はいくつもの貴重な証言を記録している。これまでに読んだ本とつながる話も多かった。

ポロナイスク近郊に住む金正子さん(ニブヒ名はマヤック・ニフ、戦前の名は加藤正子)の話の中に

「イノクロフっていえば、オタスの王様みたいな人でしたよ。ヤコッタの人でしょ。トナカイは何千頭って持ってたし、大きな屋敷を構えてたんです」

とあるのは、N・ヴィシネフスキー著『トナカイ王』に出てくるヤクート人のドミートリー・ヴィノクーロフのことだ。

また、ウィルタの小川初子さんに関して

最初は同族の北川源太郎さんと結婚するはずであった。ところが一九四五年になって源太郎さんはソ連軍に逮捕されシベリアに抑留されたまま帰ってこなくなった。

とあるのは、田中了著『ゲンダーヌ』の主人公ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名は北川源太郎)のことである。

日本とソ連という国家の狭間に置き去りにされた人々。国と国との戦争が終ったのちも、その人生は長きにわたって翻弄され続けてきたのである。

1994年5月20日、山手書房新社、1600円。

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2015年07月16日

『折口信夫 魂の古代学』の続き

国文学者、民俗学者である著者が、学問について書いている部分も心に残る。

国文学は国文学で、民俗学は民俗学で、それはそれとして純粋な科学として成り立つ学問である。しかしながら、それらの学問は日本人が日本を語る日本人の「応援歌」という側面をも持っている。
今日においては、研究者と創作者がともに語り合う場すらもない。対して、折口は最後まで創作の世界を捨てようとしなかった。
近代の学問は、「分けること」からはじまって、細分化することで緻密になり、専門性を高めていった。今日の眼から見れば折口が取り組んだ学問領域はおそろしく広いが、江戸期の国学者はもっと広い。

この本の面白さは、学問や折口に対する著者の愛情とでも呼ぶべき思いがひしひしと伝わってくるところにあるのだろう。

折口信夫のようにジャンルを跨いで活動した人の全体像を掴むのは容易ではない。ウィキペディアを見ても

日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空と号した詩人・歌人でもあった。

と書かれている。けれども、折口自身にとっては、そうした活動はバラバラのものではなく、すべて同じ一つのものであったのだと思う。

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2015年07月12日

上野誠著 『折口信夫 魂の古代学』


2008年に新潮社より刊行された『魂の古代学―問いつづける折口信夫』を改題して文庫化したもの。

折口信夫の遺影の飾られた研究室で学び、三十代では「折口を蛇蝎のごどくに嫌っていた」著者が、四十代に入って「折口を肯定的にとらえることができるように」なり、折口の人生や考え方の総体を一つのイメージとして示したいと考えて記した本。

第5章の「芸能を裏側から視る」は、2012年に行われた現代歌人集会秋季大会の講演「折口信夫の挑戦」(とても面白かった!)と重なる内容で、講演の口調を思い出しながら読んだ。

本書でも強調されているのは、折口と大阪の結び付きの深さである。

関西の人びとは、歴代の天皇の御陵のなかで暮らしているので、きわめて天皇というものを近しく感じている。(…)大阪人である折口も、そういう文化的風土のなかで暮らしていたのである。
ことに都会的文化の中でも、「芋、蛸、南京・芝居」という言葉に象徴されるような女の文化にとっぷりと漬かって折口は育ったのであった。折口の芸能史は、マレビト論を核とする文学発生論から派生した史論なのだが、その背後には自ら生活を楽しむ享楽的な大阪の女の家の文化があったのである。

東京や地方の都市と比べた時のこうした違いは、折口信夫を考える上でやはり欠かせないものだという気がする。

2014年9月25日、角川ソフィア文庫、920円。

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2015年07月04日

金水敏著 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』


「もっと知りたい!日本語」シリーズの一冊。

「そうじゃ、わしが博士じゃ」という博士に会ったことがありますか?「ごめん遊ばせ、よろしくってよ」としゃべるお嬢様に会ったことがありますか?

といった疑問を出発点として、特定のキャラクターと結びついた特徴ある言葉づかいを「役割語」と名づけ、その起源や意義などを考察した本。非常におもしろく、刺激的な一冊だ。

著者は、江戸時代以降の文章や小説、童謡、マンガなど様々な資料を用いて、役割語の起源を追求し、その変遷を描き出す。

結局、〈老人語〉の起源は、一八世紀から一九世紀にかけての江戸における言語の状況にさかのぼるということがわかった。当時の江戸において、江戸の人たちの中でも、年輩の人の多くは上方風の言葉づかいをしていたのであろう。

さらには、物語の中で「標準語」と非「標準語」を話す人物が登場する場合、読者は「標準語」を話す人物に感情移入する点を指摘する。その上で、中国人を描く際に使われる〈アルヨことば〉などを踏まえて、

異人たちを印象づける役割語は、(…)〈標準語〉の話し手=読者の自己同一化の対象からの異化として機能し、容易に偏見と結びつけられてしまう

といった問題点に言及するのである。

「役割語」という見方・捉え方をすることによって、言葉をめぐる実に多くの可能性や問題点が浮き彫りにされてくる。

この本はもう10年以上前のものだが、著者はその後も『コレモ日本語アルカ? 異人のことばが生まれるとき』(岩波書店、2014年)、『〈役割語〉小辞典』(研究社、2014年)といった本を出している。引き続き読んでいきたい。

2003年1月28日 第1刷発行、2014年11月14日 第13刷発行、岩波書店、1700円。

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2015年07月02日

宇田智子著 『本屋になりたい』


副題は「この島の本を売る」。
絵:高野文子。

ジュンク堂書店池袋本店で働いていた著者は、那覇店の開店に伴って沖縄に移り、その後、退職して「市場の古本屋ウララ」を開いた。その経緯については、『那覇の市場で古本屋』(ボーダーインク)に詳しい。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139340.html

本書は「本を仕入れる」「本を売る」「古本屋のバックヤード」「店番中のひとりごと」「町の本を町で売る」の5章に分かれていて、古本屋の仕事や地域の人々との関わりなどが、わかりやすく記されている。

那覇の観光スポットにもなっている第一牧志公設市場の向かいにある店は、わずかに三畳。路上にはみ出た分を含めても六畳だ。そこで、沖縄に関する本を中心に扱っている。

大変なことももちろん多いのだろうが、自分で決めた人生を歩んでいる著者は楽しそうだ。

私も毎日の売上に一喜一憂しながら暮らしています。自分で店をやっている限り、これで安泰ということはないのでしょう。時間とお金をどう使うか。楽しければ赤字でもいいのか、何のために仕事をしているのか、いつも考えています。

このあたり、実際に一日/一か月の売上がいくらで、支出がいくらかといった現実的な話があっても良かったかもしれない。

2015年6月10日、ちくまプリマー新書、820円。

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2015年07月01日

『ひとびとの跫音』のつづき

この本が書かれたのは昭和56年、今から30年以上前のことだ。
当時と今とで、いくつか状況の変っていることがある。

どの子規研究書にも律のその後については書かれていない。

子規の死後、妹の律がどのような生涯を送ったか、今では詳しくわかっている。けれども、当時はそうではなかったようだ。

軒下に、ここが子規の旧居であると識した東京都の表示が出ているものの、いまは他の人がすんでいるために入りにくく、私もついぞ入ったことがない。

現在、子規庵として一般に公開されている建物も、当時は公開されていなかったのである。

他に、印象に残った話を2つほど。

もともと大原姓であった拓川が明治十二年、ながく廃家になっていた加藤氏を継いだのは、一家の当主や長男は鎮台兵にとられずに済むという徴兵のがれのためで、こういう忌避法はこの時代の常識になっていた。

江戸期の武家の家の躾のひとつは、走らぬことであった。にわか雨などに遭って走りだすというのは中間や小者のすることであり、武士のすることではないとされ、そういう風儀が明治期にもうけつがれた。

こんな話も読むのも歴史を知る楽しさであろう。

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2015年06月29日

司馬遼太郎著 『ひとびとの跫音(あしおと)』(上)(下)



1981年に中央公論社より刊行された単行本の文庫化。

歴史小説のような、ドキュメンタリーのような、評伝のような、エッセイのような、何とも不思議な本である。著者の言葉を借りれば

人間がうまれて死んでゆくということの情趣のようなものをそこはかとなく書きつらねている。

ということになる。確かに、その通りという気がする。

主人公と言うべき人物は、正岡忠三郎(正岡子規の妹・律の養子)と西沢隆二(詩人・社会運動家、ぬやまひろし)の二人。この二人は司馬とともに1975年から78年にかけて刊行された『子規全集』(全22巻+別巻3巻)の監修に名前を連ねている。

その他、正岡子規、正岡律、正岡あや子(忠三郎の妻)、西沢麻耶子(隆二の妻)、西沢吉治(隆二の父)、富永太郎(詩人)、加藤拓川(子規の叔父、忠三郎の実父)、ユスティチア(忠三郎の妹)といった人々が登場する。

現在と過去を行き来しつつ、時おり「以上は、余談である」といった脱線もしながら、著者の筆はこれらの人々の姿を浮き彫りにしていく。その手腕は見事と言うほかない。

上巻:1983年9月10日初版、2010年1月30日改版13刷、667円、中公文庫。
下巻:1983年10月10日初版、2010年1月30日改版11刷、552円、中公文庫。

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2015年06月21日

肉食研究会著 『うまい肉の科学』


監修:成瀬宇平。
副題は「牛・豚・鶏・羊・猪・鹿・馬まで肉好きなら読まずにはいられない!」。

牛肉、豚肉、鶏肉の品種や部位、調理法などを写真入りで詳しく解説した本。他にも、羊、馬、猪、鹿、ガチョウ、ハト、カモなどの肉についての記述もある。

最近、肉というものに興味を持っているのだが、知れば知るほど奥深い世界である。この本で知った雑学的なことをいくつか。

(肉の格付けは歩留級数ABCと肉質等級54321の組み合わせになっていて)歩留級数は肉の質には直接的な関係がない。
日本では「ビフテキ」ともいうが、これはフランス語の「bifteck」(ビフティック)からきている。
大型にしたものをロースター(roaster:蒸し焼き)、中型のものをフライヤー(fryer:揚げ)、小型のものをブロイラー(broiler:炙り焼き)と、それぞれ調理に適した分類で分けていた。

他にも、フランクフルトソーセージは豚ひき肉を「豚の腸」に詰めるのに対して、ウインナーソーセージは「羊の腸」に詰めることとか、なるほど!という話が満載であった。

2012年9月25日、サイエンス・アイ新書、952円。

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2015年06月20日

武田砂鉄著 『紋切型社会』


副題は「言葉で固まる現代を解きほぐす」。

1982年生まれの若きライター・批評家が、「決まりきった言葉が、風邪薬の箱に明記されている効能・効果のように、あちこちで使われすぎている」という問題意識のもと、世の中の様々な紋切型を取り上げて批評した本。

「育ててくれてありがとう」「国益を損なうことになる」「誤解を恐れずに言えば」「逆にこちらが励まされました」など20の言葉を引いて、それらがどのような意識のもとに使われ、またどのような意識を生み出しているか考察している。

あらかじめストックされている言葉をサラダバー的に調合して、ベルトコンベアに流すように自分だけの花嫁の手紙は量産されていく。花嫁の手紙がいたって平凡なのは、サンプルがいたって平凡なのに、その平凡さを特別なものとして享受したつもりになるからなのだろう。
「うちの会社」というフレーズを冷静に解くと、それは「私の会社」という意味ではない。あくまでも「私が勤めている会社」ということ。ここには明らかなる距離がある。
外国人ミュージシャンのインタビューが常時「今回のアルバムは最高さ、日本のファンも気に入ってくれると思うぜ。一緒にロックしようぜ」と無暗にトゥゲザーしたがるのは、彼の真意を丁寧に日本語に落し込んだというよりも、こちらが彼のテンションを推し量って勝手な語尾を付着してきたからだろう。

どれも鋭い分析だと思う。指摘されてあらためて気が付くことも多い。

文章のテンポがとにかく速くて、追い付くのがなかなか大変だ。それにところどころ毒がある。好き嫌いの分かれそうな文章ではあるけれど、魅力のある書き手だと思う。

2015年4月25日、朝日出版社、1700円。

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2015年06月19日

石川文洋著 『フォトストーリー 沖縄の70年』


沖縄で生まれ4歳の時に本土に移住した著者が、「在日沖縄人」という立場から、戦中戦後の沖縄の歴史を綴った本。著者の撮影したものを中心に約200点の写真が掲載されている。

沖縄戦、アメリカによる統治、ベトナム戦争、本土復帰、現在も残る米軍基地と、1945年から2015年に至る70年の沖縄の歴史には、様々な苦難があった。

一九六九年一月、「いのちを守る県民共闘会議」は二月四日にゼネストで一〇万人を動員して基地の機能をマヒさせる方針を決めた。(…)この沖縄の動きに対して佐藤政権はゼネスト阻止の構えを見せた。(…)一月二九日、東京で佐藤首相と会見した屋良主席は、改めてゼネストの回避を要請された。
このこと(1987年にビザ発給に際してベトナム人の沖縄訪問が認められなかったこと)は当時、『琉球新報』『沖縄タイムス』両紙で大きく扱われ、読者からも様々な反響が寄せられた。しかし、本土の三大紙は一行も扱わなかった。

こうした部分を読むと、現在の沖縄をめぐる問題の構図が、戦後ずっと同じように存在し続けてきたことがわかる。著者の願う「基地のない平和な島・沖縄」の実現は、いつのことになるのだろうか。

2015年4月21日、岩波新書、1020円。

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2015年06月14日

渡邊杉菜著 『スギナの島留学日記』


兵庫県に生まれ、隠岐島前高校に「島留学」している著者が、3年間の高校生活や島前地域の暮らしについて記した。他に、島での親代わりを務める「島親」の濱田哲男・佳子夫妻、担任の山田伸太郎、卒業生の西澤一希、隠岐國学習センター長の豊田庄吾、海士町長の山内道雄が文章を寄せている。

ジュニア新書ということもあって活字が大きく、内容的にはやや物足りない面もあるので、先日の『島の学校が未来を変える―隠岐・島前高校の奇跡』とあわせて読むと良いだろう。

山内町長が良いことを言っている。

教育は、投資したものがどんな形になって返ってくるか、目に見えない。それでも、人を育てることは目に見えない大きな財産になると思う。県立高校だけれど、いま建設中の新しい寮も町でつくっている。財政は厳しいけれど、教育の予算は減らしていない。

以前、家族で海士町を訪れた時に、タクシーの運転手さんが「息子さんも高校生になったら、ぜひ島の高校へ」と言っていたのを思い出す。町ぐるみで隠岐島前高校を応援しているのだろう。

2014年12月19日、岩波ジュニア新書、800円。

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2015年06月07日

山内道雄・岩本悠・田中輝美著 『未来を変えた島の学校』


副題は「隠岐島前発ふるさと再興への挑戦」。

西ノ島(西ノ島町)、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)の3つの島、3つの町村からなる隠岐の島前(どうぜん)地域。高齢化や過疎化が進む現状を何とかしようと、唯一の高校である「隠岐島前高校」を核に奮闘する人々の姿を描いた本。

地元の人だけでなく、外部からも人を招き、行政・学校・住民の連携のもと、観光甲子園への出場、観光ツアー「ヒトツナギ」の開催、「隠岐國学習センター」の開設、「島留学支援制度」の創設など、次々と新たな取り組みを行っていく。

その根本には、時代の変化に伴う発想の転換がある。

これまで「小規模校」という弱みに捉えられがちだったことが、逆に全教員が全生徒の顔と名前や性格まで把握している「少人数教育」という、圧倒的な強みに転換できる。

一枚目は、高度成長社会で、欧米を先頭に、日本、そしてこの島が最後尾にある図。二枚目は、それが逆向きになり、小さなこの島を先頭に、日本、欧米と続いていた。「最後尾から最先端へ 持続可能な社会への曳船(タグボート)に」。

2010年に隠岐に旅行して以来、島前地域には関心を持っている。十年後、二十年後に、この本に書かれた試みがどのように実を結ぶか(あるいは結ばないか)、見続けていきたい。

・隠岐旅行
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138308.html
・山内道雄 『離島発 生き残るための10の戦略』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138291.html

2015年3月24日、岩波書店、1500円。

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2015年05月29日

笹田昌宏著 『よみがえる鉄道文化財』


副題は「小さなアクションが守る大きな遺産」。

歴史的価値のある鉄道の車両や施設などを、どのように保存・活用していくか。長年、鉄道文化財を守るために尽力してきた著者が、全国各地さらには海外の事例を紹介しながら、今後に向けての提言をしている。

解体寸前に救い出されて立派な鉄道博物館へ収蔵された車両もあれば、公園に永久保存されていたはずが老朽化して廃棄されてしまったものもある。

鉄道文化財は一見頑強そうに見えて、実は案外脆いという側面も持っている。現役を退いて数年も風雨にさらされると、たちまち荒れ始めてしまう。現役時代は定期的に車体の塗り直しなどの手入れが行われていたから美しさを保てただけで、決してメンテナンスフリーなどではないのだ。

これは、家などの建築物にも同じことが言える。保存するのは簡単なことではない。常に手入れをし続けなくてはならないのだ。

著者と友人との合言葉は「物さえ残っていれば、あとは何とかなる」。歴史的に価値あるものと認められるまで待っていては遅いのだ。一度失われてしまった物は、もう元には戻らない。後で歴史的な価値に気が付いても、物自体が残っていなければどうしようもない。

鉄道文化財に寄せる著者の熱意と愛情が、ひしひしと伝わってくる一冊である。

2015年4月15日、交通新聞社新書、800円。

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2015年05月27日

上野誠 著 『はじめて楽しむ万葉集』


2002年にPHP研究所から刊行された単行本『みんなの万葉集 響きあう「こころ」と「ことば」』を改題して、文庫化したもの。

万葉集の歌の中から80首あまりを選んで鑑賞をしている。語り口が楽しく、また現代語訳も付いているので、気軽に読むことができる。

『万葉集』の時代には好きになった男性に女性が自分の着ている下着を贈ることは、一般的な行為であった。
この時代、眉が痒いと恋人がやって来るという俗信があった。そこで、恋人に会いたいと思う坂上郎女は痒くもないけれども、自分の描き眉を一生懸命掻いたのである。
男女が共寝をして別れる時には、彼女は彼氏の下着の紐を丁寧に結ぶという行為によって、好きなんですよという気持ちを表したのである。

といったあたり、「へぇ〜、そうなのか」と感心してしまった。
そういう背景を知って読むと、歌の味わいがぐんと増してくる。

2012年9月25日、角川ソフィア文庫、705円。

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2015年05月22日

小川靖彦著 『万葉集と日本人』


副題は「読み継がれる千二百年の歴史」。

8世紀末に成立した『万葉集』が、その後どのように読まれてきたのか。
菅原道真、紀貫之、紫式部、藤原定家、源実朝、仙覚、賀茂真淵、佐佐木信綱らを例に挙げながら、平安〜中世〜江戸〜近代という1200年にわたる歴史を順にたどって解説している。『万葉集』の受容史と言っていいだろう。

『万葉集』を「読む」ためには、「訓(よ)む」こと、つまり漢字本文を解読して日本語として読み下すことが必要です。そして、「訓む」ことは機械的に漢字本文を〈ことば〉に起こしてゆく作業ではなく、「解釈」を伴う創造的な行為なのです。
今日の目からすると、古点は漢字本文から離れてしまっているように見えます。しかし、漢字と和語との対応が比較的ゆるい平安時代の漢文訓読に習熟していた源順(みなもとしたごう)らは、自らの「訓読」を漢字本文に即していると考えていたと思います。

最近、ちょっとしたことをきっかけに、『万葉集』に興味が湧いてきた。
これから少しずつ『万葉集』関連の本を読んだり、学んだりしていきたい。

2014年4月25日発行、角川選書、1600円。

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2015年05月21日

木村元彦著 『オシムの言葉 増補改訂版』


2008年に集英社文庫から出た本に新章を加えた増補改訂版。
最初は2005年に集英社インターナショナルから単行本が刊行されている。

名著。
これは、すごい本だと思う。

元サッカー日本代表監督イビツァ・オシムについての本だが、単なるサッカーの話やスポーツの話ではない。政治や歴史や人生までも含んだノンフィクションである。

「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 要は準備が足らないのです」
「トレーニング方法で言えば、教師がこういうメニューがある、と黒板に書いた段階ですでに過去のものになっている」
「『しょうがない』という言葉は、ドイツ語にもないと思います。『どうにもできない』はあっても、『しょうがない』はありません。これは諦めるべきではない何かを諦めてしまう、非常に嫌な語感だと思います」

こうしたオシムの言葉を読むだけでも、もちろん十分におもしろい。

けれども、人をひきつけるオシムの優れた言葉は、彼の経歴と切り離せないものであったのだ。内戦前のユーゴスラビア代表の最後の監督を務め、サラエボ内戦によって2年半も妻や娘と離れ離れになり、後にボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会の正常化委員会の委員長として民族融和に尽力したオシム。

この本を読んで、自分がユーゴスラビアの内戦やその後の歴史について、あまりに何も知らなかったことに気づかされた。

オシムは、戦争による艱難辛苦によって何ごとにも動じない精神や他文化に対する許容力を得たのではないかという問いに対して

「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言ったほうがいいだろう」「そういうものから学べたとするならば、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」

と答えている。

言葉というのは、こんなにも強く、深いものであったのだ。

2014年1月10日、文春文庫、690円。

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2015年05月14日

黒岩幸子著 『千島はだれのものか』


副題は「先住民・日本人・ロシア人」。
ユーラシアブックレット186。

18世紀以降、ロシアと日本の間で領有をめぐる争いがあり、国境が移り変ってきた千島列島について、その歴史と現状を記したもの。

先住民である千島アイヌ、さらには北海道アイヌを含めて、国境線により分断された人々の苦難が浮き彫りにされる。

国境線がどこに引かれるにしても、ユーラシア大陸と日本を繋ぐ踏み石としての千島列島の姿や価値に変わりはない。そして千島の特異な環境に相応しい生活圏、文化圏、経済圏というものがある。過去の国境線は、そのような一体性を保つべき地域を分断して日ロが対峙する空間を生み出した。

「日本」「ロシア」という国家単位の枠組みからではなく、「千島列島」という枠組みで歴史や文化を捉え直す視点が、今後ますます必要になってくるのだろう。

2013年12月10日、東洋書店、800円。

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2015年05月12日

高桑信一著 『山の仕事、山の暮らし』


2002年に「つり人社」より刊行された単行本の文庫化。
元は月刊「つり人」別冊「渓流」1993年夏号〜2002年夏号に連載された「山に生きる」をまとめたもの。

「只見のゼンマイ採り」「檜枝岐の山椒魚採り」「会津奥山の蜂飼い」「岩手・浄法寺町の漆掻き」など、山で生きる19名の姿を記したドキュメンタリー。時代とともに失われつつある暮らしの様子が、生き生きと描き出されている。

この連載が書かれてから、既に十数年〜二十数年が経過した。現在この方たちはどうしているのだろう。

例えば、南会津の駒止峠の「峠の茶屋」で岩魚を焼いていた中村源治さんと奥さんの武子さん。1993年の取材当時「定年もないしねえ、まだ二十年ぐらいは頑張れるでしょ」と話していた。

けれども調べてみると、1999年に源治さんが亡くなり、「峠の茶屋」も2005年に廃業。現在は更地となっているそうだ。時の流れとはいえ、やはり寂しい。

2013年3月5日、ヤマケイ文庫、950円。

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2015年05月08日

徳田耕一著 『ガイド サハリンの旅』

副題は「未知の世界への初の案内」。

今年の夏にサハリンへ行くべ予定なのだが、サハリン関係のガイドブックは本当に少ない。手に入りやすいのは『地球の歩き方 シベリア鉄道とサハリン』であるが、サハリンについてはわずかな量の記述しかない。

そんなこともあって、1991年刊行の古いガイドブックを読んでいる。四半世紀以上も前のものなので、あまり役に立ちそうはないのだが、それでも読まないよりはマシだろう。

1989年、ソ連のペレストロイカ政策によって、外国人の立ち入りが禁止されていたサハリンが開放され、サハリン旅行ができるようになった。91年には戦前と同じコルサコフ(大泊)―稚内の航路が開かれ、95年からは定期航路となっている。この本には、その当時の観光への熱い期待が込められている。

サハリンは戦争による暗い痛手を持つ望郷の島から、新「北のリゾート」として新たな時代を迎えようとしている。
近くなったサハリン、幻から現実に一変した北の大地は、新しい観光スポットとして脚光を浴びて来た。

けれども、現在の状況を見てみると、こうした予測は外れたと言わざるを得ない。ソ連、ロシアとの関係改善は進まず、サハリン観光や交流は停滞している。コルサコフ―稚内の定期航路も今年9月で廃止になる見込みだ。
http://www.sankei.com/economy/news/140925/ecn1409250032-n1.html

せめてその前に、船でサハリンへ行ってこようと思う。

1991年9月15日、風媒社、1700円。

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2015年05月07日

小倉美惠子著 『オオカミの護符』


2011年に新潮社から刊行された本の文庫化。
おススメの一冊です。

実家の土蔵に貼られた一枚の「オイヌさま」の護符をきっかけに、著者はふるさと川崎市土橋の歴史や民俗に関心を持ち始め、やがて失われゆく暮らしの姿や山岳信仰の世界を映像で記録するようになる。

百姓の家に生まれた私もまた、家や村の歴史には無頓着だった。学校で習う「大きな歴史」と家や村の「小さな歴史」は、まったく交わることがなく、教科書に載らず、したがって試験に出るはずもない。「小さな歴史」を、むしろ軽んじていた。

というあたり、まさに同感である。この本を読むと、「小さな歴史」の大切さがよくわかる。一つ一つの「小さな歴史」を調べていくうちに、思いがけない「大きな歴史」が見えてくるのである。

「オイヌさま」の護符から、「御嶽講」、そして「オオカミ信仰」「山岳信仰」へと、話は広がりつつ深まっていく。見事なフィールドワークと言うべきだろう。

「宗教」、「信仰」は明治時代に生まれた翻訳言語である。だから厳密にいうなら、江戸時代までの日本には宗教も信仰も存在しなかったのであり、このような概念ではくくることのできない別の祈りだった。(…)しかしいまでは、私も「信仰」という言葉を用いなければ、何も語れなくなっている。

近代以降の日本人は、こうした矛盾を常に抱えつつ生きてきたのだろう。歴史を解き明かすことを通じて、今の私たちの姿もまた、よく見えてくるのである。

2014年12月1日、新潮文庫、490円。

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2015年05月03日

駒田牧子著 『根付』


「ジャパノロジー・コレクション」と題されたシリーズの一冊。

根付についての入門書。数多くの作品の写真を載せ、題材、作者、材料、歴史などについて解説している。写真を眺めているだけでも楽しい。

根付は見るだけでなく手に持ったり握ったりすることを前提とした「触覚の芸術」である。
根付は年月の経過や使用により美的価値が増していく「進行する美術」なのだ。

といったあたり、これまであまり意識していなかったので、ハッとさせられた。

作品タイトルの英訳も面白い。「浪人」は「Masterless samurai」、「松茸狩」は「Mashroom gathering」、「あっぷっぷ」は「You laugh first!」。なるほど。

2015年2月25日、角川ソフィア文庫、920円。

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2015年04月29日

『日本の民俗 暮らしと生業』の続き

他にも、印象に残った箇所をいくつか挙げておこう。

旧暦では、正月は冬から春へ移行する折り目にあたり、盆は夏から秋へ移行するときの折り目で、一年間の季節を二分している。

2015年で言えば、旧暦の正月(1月1日)は2月19日、お盆(7月13日〜15日)は8月26日〜28日となり、確かに季節の変わり目と一致する。

昭和二十五年(一九五〇)からは「年齢のとなえ方に関する法律」により、年は人それぞれの誕生日に満で数えるようになった。

戦前は「数え年」で数えていや年齢を、戦後になって「満年齢」で数えるようになったことは知っていたが、それが法律に定められているとは初耳であった。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO096.html
(年齢のとなえ方に関する法律)

著者は「あとがき」に次のように記す。

大正十年(一九二一)旧満州の大連市で、鉄道会社に勤めるサラリーマンの家庭に生まれた。我が家には神棚はなく、両親が盆行事をしていたおぼえもない。二〇世紀初めの植民地に暮らしていた日本人の核家族は、母国の習俗やしがらみに無関心だったのである。

こうした生い立ちが、後に著者が年中行事や郷土芸能に関心を抱く遠因になったようだ。私の生まれた家(1970年代の東京郊外のサラリーマン家庭)も同じ環境だったので、よくわかる気がする。

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2015年04月28日

芳賀日出男著 『日本の民俗 暮らしと生業』


2007年にクレオより刊行された本に加筆修正をして、文庫化したもの。

全国各地の暮らしに関わる民俗写真を解説付きで多数収めている。章立ては「正月」「盆行事」「稲作」「漁村の暮らし」「海女」「巫女」「人形まわし」「木地師」「さまざまな生業」「運ぶ」「市」「親族集団」「人生儀礼」。

主に昭和30年代から50年代にかけての写真が多く、今では見られなくなってしまった光景も多い。例えば「丸薬師」という仕事。写真の解説には次のようにある。

練薬をへらできざんで台の上にならべ、木ぶたをかぶせて軽く押してまわす。30秒たらずで700粒ができあがる手練の早技。

この仕事は、昭和51年に「医薬品の製造及び品質管理に関する基準」が定められたことによって廃絶になったとのこと。

これまで知らなかった風習や行事もあったので、いくつか引く。

豆占(まめうら) 正月14日の夜、いろりの灰の上に12個の大豆をならべて置く。
餓鬼棚 盆棚には先祖や家族の霊を祭る「本棚」と、無縁仏を祭る「餓鬼棚」がある。
水口祭り わが家の田圃の水口に菖蒲、小手毬などの花をかざり、饌米を供え、神酒をそそぐ。

2014年11月25日、角川ソフィア文庫、1280円。

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2015年04月27日

中国新聞取材班編 『猪変』

著者 :
本の雑誌社
発売日 : 2015-02-05

タイトルは「いへん」。
2002年12月から半年にわたって中国新聞に連載された企画報道をまとめたもの。終章に「「猪変」その後」を追加している。

瀬戸内海を泳ぐ猪の話から始まって、中国地方の農作物に大きな被害を与えている猪の実態へと迫っていくルポルタージュ。

そこから見えてくるのは、農山村の高齢化や人口減少によって手入れのされない里山や耕作放棄地が増えている現状である。また、駆除を中心とした猪対策が駆除自体を目的化してしまい、農作物の被害の減少につながってない問題も浮き彫りにされる。

いずれも、猪の問題というよりは人間側の問題である。地方の疲弊やコミュニティの崩壊といった問題が、猪問題にも深い影を落としている。

中国地方のことだけではなく、ポーランドやフランスにおける狩猟文化や北海道におけるエゾシカ対策のことなども取り上げている。新聞社の取材力が遺憾なく発揮された一冊と言っていいだろう。

2015年2月20日、本の雑誌社、1600円。

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2015年04月24日

『思索の源泉としての鉄道』のつづき

印象的だった部分をいくつか。

太平洋戦争開戦直前に当たる一九四一年春、柿生、鶴川界隈に「柿生離宮」を造営する計画が持ち上がったことがある。離宮というのは名目で、実際には皇居の移転が計画されていたのだ。

この話は初めて知った。私は生まれ育ったのが小田急線の玉川学園前なので、柿生や鶴川といった地名は懐かしい。

いつの日にか、対馬、宗谷、間宮の三海峡がトンネルでつながり、日本海を取り巻く壮大な循環線が開通する日が来ることを、私は夢見ている。必ずやそれは、東アジアの平和と安定に寄与すると考えられるからだ。

「日本―ロシア―中国―北朝鮮―韓国―日本」を循環する国際列車ということになろう。現時点では夢物語にしか思われないが、そうした可能性を考えるのは大事なことにちがいない。交通の変化は人々に意識の変化をもたらすからだ。

この夏、サハリンへ行く予定なのだが、日本―サハリンの交通事情は残念ながら年々悪くなっている。宗谷海峡を渡る稚内―コルサコフの船便も今年で廃止されてしまうらしい。札幌―ユジノサハリンスクの航空便は残っているものの、函館便は廃止されてしまったし、成田便も存続が際どい状況になっている。

宗谷海峡をもしトンネルで渡ることができたら、サハリンは今よりもはるかに身近な存在になることだろう。

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2015年04月23日

原武史著『思索の源泉としての鉄道』


2011年から2014年にかけて講談社のPR誌「本」に連載した「鉄道ひとつばなし」をまとめたもの。これまで新書でも『鉄道ひとつばなし』『同 2』『同 3』というタイトルであったが、今回は名前が違う。

もともと単に鉄道マニア的な話だけではなく、著者の専門である日本政治思想史を踏まえた話がしばしばあったのだが、今回は東日本大震災を受けてその傾向がより顕著になったように感じる。

震災後すぐに復旧に向けて動き始めた三陸鉄道と、東北新幹線以外の復旧には消極的なJR東日本とを比較して、人々がコミュニケーションをとる「公共圏」としての鉄道を論じるあたりに、その真骨頂が表われている。鉄道は単なる移動手段ではないのだ。

本書では新幹線とナショナリズムの関わりについても論じられている。リニア新幹線で時速603キロが出て世界最高速度を更新したというニュースに喜んではいられない。効率とスピード重視の鉄道から、乗ることそのものを楽しむ鉄道へという著者の主張が、いつか実現する日が来ると良いのだが。

2014年10月20日、講談社現代新書、800円。

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2015年04月20日

一志治夫著 『奇跡のレストラン アル・ケッチァーノ』


副題は「食と農の都・庄内パラディーゾ」。
2009年刊行の『庄内パラディーゾ』を改題、加筆修正して文庫化したもの。

山形県鶴岡市にレストラン「アル・ケッチァーノ」を構え、在来作物を使った料理の研究や地域の活性化に務める料理人・奥田政行と、彼の周囲の人々を追ったノンフィクション。

現在の農業が抱えている問題点や、地方と東京との格差など、料理を通じて日本の今後のあり方を問う内容になっている。

ちなみに「アル・ケッチァーノ」はイタリア語ではない。「そういえばあったわね」を庄内弁で言うと「あるけっちゃの」となり、それをイタリア語風にもじったのである。

こんなところにも、奥田の心構えがよく表れている。イタリアの物真似ではなく、庄内の素材を用いて、庄内の風土に合ったイタリアンを目指しているのだ。

カットしたサザエが8回で噛み終わるのであれば、合わせるウドもまた8回で噛み終わる固さに切って合わせる。昔はよくフレンチでも食材の大きさを整えろ、と言われたけれど、よく考えると、固いニンジンもあれば柔らかいタマネギもある。大きさではなく、噛む回数で合わせれば、口の中で違和感なく食べ終わるわけです。

こんな言葉を読むと、料理の世界の奥深さに驚かされる。そして、そこに一つの哲学があることを感じるのである。

2015年3月10日、文春文庫、680円。

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2015年04月17日

常見藤代著 『女ひとり、イスラム旅』


「チュニジア」「ヨルダン」「パキスタン」「モロッコ」「オマーン」「エジプト」「シリア」といったイスラム圏の国々を女性一人で訪ねた旅行記。

初めて会った人の家に招かれたり、一緒に食事をしたり、結婚式に参加したりと、和やかで楽しい話が多い。戦争やテロのニュースとはまったく別の姿が見えてくる。

男はやっぱり手作りの自然な味より、手っとり早く食べられるインスタント食品が好き。「手作りのナントカ」に夢中になるのは女性ばかり。
日本人はとかくイスラムの女性が一人旅ができないことを抑圧と見なしがちだが、こちらの女性は全くそうは思っていない。逆に一人旅の女性を「守ってくれる人がいないかわいそうな人」と見ているのだ。
イスラムの国の結婚システムは男性に厳しい。結婚時に男性が家を用意しなければならない。(…)イスラムは男性優位と思われているが、実は男性にこそ厳しい社会だ。

もちろん、イスラム圏と言っても東南アジアから中東、北アフリカまで広がっていて、国や地域ごとに歴史や文化、生活習慣もさまざまだ。やはり、実際に自分で行ってみるのが一番なのだろう。

2015年1月30日、朝日文庫、700円。

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2015年04月15日

古庄弘枝著 『沢田マンション物語』


副題は「2人で作った夢の城」。
2002年に情報センター出版局より刊行された本の文庫化。

設計から土木工事、内装に至るまでほぼ独力で、30年がかりで「沢田マンション」を築き上げた沢田嘉農・裕江夫妻についてのドキュメンタリー。抜群におもしろい。

小学5年生でアパート経営を決意し、12歳で製材の仕事を始めた嘉農さんと、13歳(!)で嘉農さんと結婚した裕江さんの人生は、とにかく破天荒で波乱万丈、それでいて夢の実現へと真っ直ぐに突き進んでいる。

60室あまりの部屋は一つとして同じ間取りのものはなく、1階から5階までスロープを通って車でのぼることができる、さらに、4階には池が、屋上には田んぼがあったりと、ひたすら自由で、手作り感満載だ。

「本はしょせん、他人が考えたものよ。わしは自分の頭で考える」と述べる嘉農さんの言葉が重い。

2009年9月20日、講談社+α文庫、819円。

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2015年04月06日

奥田政行×三好かやの著 『東北のすごい生産者に会いに行く』


山形県鶴岡市で地元食材を用いたイタリア料理店「アル・ケッチァーノ」を開いている奥田シェフと、食材を中心に全国を取材しているライターの三好さんが、東北の生産者を訪ね歩くという内容。

名取市のセリ、郡山市の野菜、宮城県南三陸町の牡蠣、福島市の桃、岩手県洋野町の天然ワカメ・アワビ、仙台市の白菜、石巻市の焼ハゼなどが取り上げられている。

名取市で月に一度オープンファームを開いている三浦隆弘さんの「農家というのはただ食物を作る場所ではなく、人が暮らす場所なんです。衣食住、人間が生きるチカラを磨くための、知恵や工夫が詰まった博物館でもある」という言葉に、深く納得した。単に食料生産という観点だけでは捉えられないのだ。

2011年の東日本大震災や原発事故によって、東北の農業や漁業は大きな被害を受けた。

都市部には、故郷の両親や祖父母が送ってくれる野菜を頼りにしている人たちも多い。お年寄りが手塩にかけて育てた野菜を仲立ちに、つながっていた家族の絆。それが途絶えてしまう。原発事故の影響は、そんなところにも現われていた。

本書には、東北の料理人と生産者による「東北の『食』と『農』を語ろう」という座談会も収められており、震災後の炊き出しの様子などを知ることもできる。

2015年2月15日、柴田書店、1800円。

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2015年04月01日

白石良夫著 『古語と現代語のあいだ』


副題は「ミッシングリンクを紐解く」。
著者は長らく文部省で教科書検定に従事した国文学者。

「近代短歌」「擬古文」「仮名遣い」を取り上げて、古語と現代語とのつながりを論じた本。両者が地続きであることを述べるとともに、国文学者などが不自然につなげてしまった点を断ち切ることを目指している。

牧水の代表歌である「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」や「いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや」を読み解くなかで、

牧水の研究において、実証主義イコール学問という信仰が、作品理解をあらぬ方向にひっぱっている

と述べている部分など、なかなか刺激的である。

他にも、「をこ(痴)めく」が「おこめく」「おごめく」と書かれたことによって、「おごめく」という本来はなかった言葉が生み出され、「うごめく(蠢く)」と同じ意味で読まれている話など、興味深い例が数多く挙げられている。

ただ、全体に他の学者への批判や自説が受け入れられない恨み言が多いのが気になった。せっかく大事なことを書いているのだから、それを「わたしの答案が教科書検定の現場や教科書そのものの記述に採用されることは、ほとんどなかった」という文脈で語る必要はないだろう。

2013年6月10日、NHK出版、740円。

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2015年03月31日

『鑑賞・現代短歌四 佐藤佐太郎』の続き

著者の秋葉四郎は1966年に「歩道」入会。
佐藤佐太郎の中期以降の弟子ということになる。
そのため、100首選のバランスが後半に大きく偏っているのが、本書の特徴と言っていいだろう。

『軽風』   2首
『歩道』   6首
『しろたへ』 4首
『立房』   3首
『帰潮』   7首
『地表』   5首
『群丘』   8首
『冬木』   8首
『形影』  10首
『開冬』  10首
『天眼』  12首
『星宿』  14首
『黄月』  11首

これはまた、

佐太郎の作歌は「純粋短歌」の、覚醒から自覚、確立、進展、拡充、円熟、完成といった確実な軌跡を年輪と共に進んだのであった。

という捉え方の結果でもある。死ぬまで歌人として成長を続けていったという見方は、弟子の気持ちとしてはよくわかるのだが、当然異論も出る部分であろう。

もう一つ。

たまきはる内の涙をさそふまでこのみたま等の献げたるもの
            特別攻撃隊讃歌 『しろたへ』

この歌について著者は「太平洋戦争もいよいよ切実な状態になった昭和十七年の作で」と述べている。けれども、昭和十七年と言えばまだ戦争の初期の段階であり、「いよいよ切実な状態」という鑑賞には違和感がある。「特別攻撃隊」を昭和十九年以降の神風特別攻撃隊と混同しているのではないだろうか。

この歌は、同じ一連に〈真珠湾に敵を屠りてみづからもその轟のなかに終りき〉〈九つのみたまの永久(とは)のいさをしを心にもちて吾はしぬばむ〉といった歌があることからもわかるように、真珠湾攻撃における特殊潜航艇の攻撃と9名の戦死者(九軍神)を詠んだものである。

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2015年03月28日

西牟田靖著 『本で床は抜けるのか』


ウェブ・マガジン「マガジン航」に2012年4月から7月にかけて連載された文章を加筆・再構成したもの。

著者は『僕の見た「大日本帝国」』『ニッポンの穴紀行』などの書著があるノンフィクション作家。同じ年齢ということもあって親近感を持っている。

木造アパートの2階の部屋に大量の本を置いた著者が「床抜け」の不安を覚えるところから話は始まる。著者は実際に「床抜け」した人の話を聞きに行き、さらには蔵書を大量に処分した人や、蔵書を電子化した人、大きな書庫を建てた人など、蔵書をめぐる様々なドラマを追っていく。

本がどのぐらいあるか、玄関に本があるかどうかがひとつの基準となります。玄関が本で占拠され、中に入るのが困難な状況であれば、多いとみて間違いありません。

これは蔵書整理を手掛けている古書店主の発言。
これを読むと、わが家はまだ大丈夫だと安心する。

最初は本をめぐるドタバタを描いた軽い本だと思って読んでいたのだが、次第に話はシリアスになり、最後はじんとしてしまった。何とも身につまされる内容で、とても他人ごとではない。

2015年3月10日、本の雑誌社、1600円。

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2015年03月22日

内藤正典著 『イスラム戦争』


副題は「中東崩壊と欧米の敗北」。

現在の中東情勢を過去に遡って分析し、イスラム報道の問題点や欧米の確立した中東秩序の限界を論じた本。日本の集団的自衛権容認のはらむ問題にも踏み込んでいる。

そもそも、ムスリムに「原理主義」と言っても何のことだか理解できません。なぜなら「イスラム原理主義」というのはアメリカにおける造語だからです。

「カイダ」とは、ベース、拠点を意味します。「アル」は冠詞ですから、“The Base”という意味でしかありません。アラビア語では野球のことを「アルカイダのボール」と言います。

こんな小さなことを知るだけでも、中東問題の見方が少し違ってくる気がする。

また、本書は「イスラムの一夫多妻は野蛮か?」「イスラムは女子教育を否定しているのか?」「イスラム主義者は話が通じないか?」「奴隷制復活は不可避か?」「イスラムの刑罰は残虐か?」など、私たちがふだん疑問に感じていることにも丁寧に答えている。

グローバル化が叫ばれるなか、アメリカのスタンダードにすり寄ることが大事だと信じている人もいれば、ひたすら反米で世界を見ようとする人もいます。問題は、どっちに偏っても、戦争の犠牲になる人々を減らすには、まったく役に立たないということです。

自分の主義主張に合わせて世界を見ようとしないこと。「偏らない」ためにも、イスラムに対する理解を少しずつでも深めていく必要がある。

2015年1月21日、集英社新書、760円。

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2015年03月19日

光嶋裕介著 『みんなの家。』


副題は「建築家一年生の初仕事」。
著者の名前は「こうしま・ゆうすけ」。

ベルリンの建築設計事務所で4年弱働いて、日本で事務所を開いたばかりの著者が、内田樹の自宅兼道場「凱風館」を建てるまでの出来事を記した本。先月読んだ内田樹著『ぼくの住まい論』と対になるような内容で、巻末には井上雄彦(漫画家)×内田樹×著者の鼎談も載っている。

1979年生まれの著者は建築現場では最年少なのだが、施工者(工務店)、構造設計事務所、大工、左官、瓦職人、テキスタイル・デザイン・コーディネーター、画家といった人々と打合せを重ねつつ、全体を指揮していく。

その明るさを持った前向きな姿勢が清々しく気持ちいい。
建築に対する著者の志がひしひしと伝わってくる本である。

2012年7月20日、アルテスパブリッシング、1800円。

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2015年03月14日

本橋信宏著 『東京最後の異界 鶯谷』


鶯谷(東京都台東区根岸周辺)の歴史やそこに生きる人々の姿を追ったドキュメンタリー。

先月、子規庵を訪れた際にJR山手線の鶯谷駅で降りた。鶯谷駅は山手線の全29駅の中で、一日の乗降客数が最も少ない駅なのだそうだ。

鶯谷駅ホームに立つと、二つの異界が眺望できる。
山手線の外側―池袋方向から山手線外回り、時計方向に進行し下車して左手に広がるのは、乱立するラブホテル群である。
対してホームの反対側は、上野寛永寺の霊園が広がる。

まさに、この通りの景色が広がっていた。「明治期までは、風情ある鶯の鳴き声で満たされる田んぼと渓谷の土地柄」であった鶯谷は、現在ではラブホテルの林立する地区となっている。

そう言えば、花山多佳子さんにも子規庵を訪れた時の歌があった。

鶯谷の駅の通路に描かれてただにつたなき梅と鶯
「このへんはなぜラブホテルが多いの」夫が訊いてをり子規庵の人に
                花山多佳子『胡瓜草』

2015年2月19日、宝島SUGOI文庫、780円。

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2015年03月08日

中田考著 『イスラーム 生と死と聖戦』


イスラム法の専門家で、自身もムスリムである著者が、イスラーム法、死後の世界、イスラームの世界、カリフ制などについて論じている。

途中、神についての宗教的な内容や哲学的な問題も述べられていて多少難しいのだが、イスラームに関する理解を深めるには必要な部分なのだろう。

印象に残った箇所をいくつか引く。

イスラームとは政治にほかなりません。宗教としてのイスラームと、政治としてのイスラームは別のものではないのです。

自由という概念は、いまの私と五分後の私が同じ人間であるという前提があって初めて成り立つものです。

玄関を右足から出た世界と左足から出た世界とでは、ほんのわずかな違いではあっても違う世界です。

善も悪も選びうるからこそ、善を選ぶことに意味があるのです。

「カリフ制再興による領域国民国家システムの廃止」といった著者の主張は、現在の日本では夢想的な理想論としか思えない。けれども、その信念に嘘がないことはよくわかる。

人間による支配を否定して、国家の運営する「国民健康保険」にも入らないと述べる著者は、世間的に見ればかなりの変人であろう。でも、その話から学ぶことは多い。

2015年2月22日、集英社新書、760円。

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2015年03月06日

後藤惠之輔・坂本道徳著 『軍艦島の遺産』


副題は「風化する近代日本の象徴」。

長崎大学大学院教授で工学博士の後藤とNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」理事長で元島民の坂元の共著。日本の石炭産業の歴史、端島(軍艦島)炭鉱の歴史、端島の生活、今後の保存活用などが記されている。

「緑なき島」と呼ばれた端島では、屋上に「青空農園」が作られていたそうだ。

キュウリ、トマト、ナス、大豆、サツマイモなどが植えられ、驚くことに水田も張られてコメ作りもなされた。

こうした端島の生活の細部が、今後さらに明らかになっていくといい。現在では無人の廃墟となっているが、かつてそこに5000人を超える人々の暮らしがあったことを忘れてはならない。

端島に住んでいた私たちにとって、この島は「軍艦島」ではない。私はいま「軍艦島を世界遺産にする会」を主宰しているが、これはあくまでも外側からこの島を見たときの表現である。

「軍艦島を世界遺産に」という思いは、内側、外側の視点をも考えてのことである。「端島」として眺めたときには気づかなかったものが、また逆に「軍艦島」として眺めたときには見えなかったものが見えてくるのである。

こうした二つの観点がうまく交差することによって、貴重な近代化遺産の保存や活用が図られるといいなと思う。7月には長崎に行く予定があるので、その時に軍艦島も訪れてみたい。

2005年4月12日、長崎新聞新書、952円。

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2015年02月26日

池内恵著 『イスラーム国の衝撃』


イスラーム政治思想史と中東の比較政治学や国際政治学という二つの面からイスラム国について論じた本。歴史的な縦軸と同時代的な横軸の両方からの分析と言ってもいいだろう。組織の変遷、「アラブの春」の影響、ジハード思想、メディア戦略など、さまざまな角度からイスラム国の実態に迫っている。

著者は独文学者・池内紀の子息。明晰な分析と切れ味の良い文章が印象的だ。イスラム国を含めた中東問題の根深さと、新しい秩序を確立することの難しさを改めて感じさせられる内容であった。

イスラム過激派を「逸脱した集団」や「犯罪集団」などと矮小化して捉えるのではなく、また「アメリカ中心のグローバリズム」への対抗勢力として過大評価するのでもなく、できるだけ客観性を重視した視点から描き出そうとしている。

その中にあって、奴隷制をめぐって書かれた下記の部分には、著者の主張が色濃く表れているように感じた。

イスラーム世界にも、宗教テキストの人間主義的な立場からの批判的検討を許し、諸宗教間の平等や、宗教規範の相対化といった観念を採り入れた、宗教改革が求められる時期なのではないだろうか。

2015年1月20日、文春新書、780円。

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2015年02月20日

田中淳夫著 『森と日本人の1500年』


日本の森が人々との関わりの中でどのように変化してきたかを論じた本。
古代の都の建設や養蚕業、鉄道の普及、林業、外国との木材貿易など時代ごとの様々な要因によって、森は大きく姿を変えてきた。

昔からあると信じていた森の景色も、実は近年に入ってつくられたケースが多い。

という一文に著者の主張はよく表れている。
そんな著者が現在の森づくりに必要だと考えているのは「美しいと感じる森をつくろう」という考え方である。

人が美しく感じるのは、五感で得る情報を無意識に解析して、草木が健全に育ち、生物多様性も高いと読み取った結果の感覚と思える。逆に不快感を抱く景観は、人間にとって危険な要素を含むのかもしれない。

こうした考えを科学的に実証するのは難しい。けれども、人間の美的感性に信頼を置くというのは、今後大事になってくるのではないか。森の変化に人間が大きく関わっている以上、そうした感性は無視できない要素と言えるだろう。

2014年10月15日、平凡社新書、780円。

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2015年02月14日

岩田鳴球のこと

子規庵の展示室に、「子規庵句会写生図」という絵があった。子規を中心に、多くの弟子たちが句会をしている場面を描いたもので、(高浜)虚子、(河東)碧梧桐、(内藤)鳴雪、(寒川)鼠骨、(五百木)瓢亭らが描かれている。

その中に「鳴球」という人物がいる。説明書きには

岩田鳴球(明治7〜昭和11) 石川県生。本名久太郎。俳人。三井物産台北支店勤務となり渡台。「相思樹」主宰。

と書かれている。

彼は、後に大本(教)に入信して幹部の一人として活躍した人物である。昭和3年の出口王仁三郎の樺太行きにも宣伝使として同行しており、王仁三郎の『東北日記』にしばしば登場する。彼の俳句も載っている。

坐礁船解かれ行く朝寒夜寒(真岡)
自動車に迫る山火や秋の風(豊真横断)

この旅から7年後の昭和10年、第二次大本事件が起きる。岩田は王仁三郎らとともに逮捕され、翌年獄中で亡くなっている。62歳であった。

元気なりし岩田は敢ゑなく身失せけり 無法の攻苦に逢ひたる果てを
               出口王仁三郎『朝嵐』


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2015年02月06日

内田樹著 『ぼくの住まい論』


2012年に新潮社から出た単行本の文庫化。

2011年に神戸に自宅兼道場である「凱風館」を建てた著者が、「土地を買う」「間取りを決める」「材木を得る」といった家作りのアレコレや、建築家・工務店・職人との関わり、さらに住まいや道場に対する思いを記したもの。

内田樹の得意とする逆説的な言い回しや問題の捉え直しは、この本でも随所に発揮されている。

「自分にはアジールがある」と思っている人ほど、アジールが要るような状況に陥らない。アジールというのは、そういう逆説的な制度なんです。
教師は自分がよく知らないことを教えることができる。生徒たちは教師が教えていないことを学ぶことができる。この不条理のうちに教育の卓越性は存します。

次の部分などは、おそらく短歌結社や歌会にも当てはまる内容だろう。

(…)できるだけ集団は均質化しない方がいい。性別も年齢も職業も地位も財力も文化資本もばらけている方がいい。メンバーが多様であればあるほど、システムは安定している。

解説はこの家の設計を担当した建築家の光嶋裕介。光嶋もこの凱風館について『みんなの家。〜建築家一年生の初仕事』という本を出している。そちらも読んでみようかな。

2015年1月1日、新潮文庫、670円。

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2015年02月04日

五木寛之著 『わが引揚港からニライカナイへ』


「隠された日本」シリーズの最終巻で、博多と沖縄を取り上げている。
2002年に講談社より刊行された『日本人のこころ5』の文庫化。

私は、数字やデータなどを集めた「歴史」には、もう飽き飽きしている。数字もデータも人間がつくるものだ。もっと生身の人間が持っている実感を大事にした「歴史」、“体温のある歴史”に触れたいし、読みたいと思う。

このように記す著者は、実際に現地を歩き、資料館を訪ね、そこに住む人々の話を聞くことによって、生々しい歴史の姿を甦らせようとする。

それまではずっと、帰ってくるまでが引き揚げだと思っていた。だが、そうではなく、帰った日から引き揚げが、あるいは引揚者の生活というものがはじまったのだった。

自らの朝鮮半島からの引き揚げ体験を振り返って著者はこのように述べる。「帰ってくるまで」ではなく「帰った日から」という言葉にハッとさせられた。樺太から引き揚げてきた40万人の人々にも、同じような苦労があったに違いない。

2014年8月10日、ちくま文庫、780円。


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