2019年08月16日

古市憲寿著 『誰も戦争を教えられない』


2013年8月に講談社から刊行された『誰も戦争を教えてくれなかった』を改題、加筆して文庫化したもの。

国内外の様々な戦争博物館を訪ね、戦争とは何か、戦争の記憶を受け継ぐことは可能か、といった問題を考察している。

訪れるのは、アリゾナ・メモリアル(ハワイ)、アウシュビッツ博物館(ポーランド)、ザクセンハウゼン記念館・博物館(ドイツ)、偽満皇宮博物院(長春)、九・一八歴史博物館(瀋陽)、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京)、独立記念館(韓国)、戦争記念館(韓国)、沖縄県平和祈念資料館、舞鶴引揚記念館(京都)、予科練平和記念館(茨城)など。国によって、また施設によって、戦争の捉え方や描き方には大きな違いがある。

アリゾナ・メモリアルが「爽やか」で「勝利」を祝う「楽しい」場所であるのは、ある意味で当たり前のことなのかも知れない。なぜならば、日本と違ってアメリカはいま現在も戦争を行っている国だからだ。
戦争博物館の「楽しさ」には、二つの「楽しさ」が入り交じっている。一つは博物館の設計レベルでの「楽しさ」、そしてもう一つは、戦争自体の「楽しさ」だ。戦争博物館の最大のコンテンツである戦争、それは楽しいものなのだ。
戦地や戦跡を巡る旅というのは、近代における最もメジャーな旅のスタイルの一つだ。今よりも遥かに娯楽が少ない時代、戦争というのは庶民にとって最大のエンターテインメントだった。

やや挑発的な書き方ではあるけれど、大事な観点だと思う。日本では毎年8月になると戦争の悲惨さを伝える記事や番組が作られ、「二度と悲劇を繰り返してはならない」といった話でまとめられる。でも、そうした方法が既にマンネリ化して一種の思考停止に陥っている面もあるのではないか。

戦争博物館やホロコースト記念碑が悲惨さを訴える「戦争」とは、もっぱら約70年も前の「古い戦争」に過ぎないことになる。ということは、「国家が戦争を記憶する」「国家が戦争の悲惨さを訴える」ということ自体、もしかしたら現代の「小さな戦争」に対する想像力を奪うことに繋がるのかも知れない。

これも非常に鋭い指摘だと思う。私たちが次に経験するであろう(あるいは既に経験している)戦争は、当然のことながら70年以上前の「あの戦争」とは全く違った形の戦争になるはずなのだ。

他にも、遊就館と沖縄県平和祈念資料館が同じ会社(乃村工藝社)のプロデュースした施設であることや、アメリカ国防総省の宇宙関連予算がNASAを上回っていること、厚生省や国民健康保険制度の発足に日中戦争が関わっていたことなど、初めて知る話が多く勉強になった。

著者の考えや主張にはいくつか異論もあるのだけれど、それはそれとして、真摯な内容の一冊だと思う。

2015年7月22日、講談社α文庫、850円。

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2019年08月05日

こまつあやこ著 『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』


第58回講談社児童文学新人賞受賞作。

タイトルはマレーシア語で「57577」のこと。マレーシアからの帰国子女である主人公は、周りの目を気にして窮屈な中学生活を送っていたが、ひょんなことから短歌を始めて自分の気持ちを表に出せるようになっていく。

児童文学らしい前向きで明るい話なので大人の目から見るともの足りないところもあるのだが、短歌が好きな人は読んでいて楽しいと思う。吟行や歌会の話も出てくるし、短歌がストーリーの上でも重要な役割を担っている。

2018年6月5日、講談社、1200円。

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2019年07月29日

稲垣栄洋著 『イネという不思議な植物』


かなりお薦めの一冊。

「米って何だ?」「イネという植物」「田んぼというシステム」「米で読み解く日本の歴史」「米と日本人」の全5章。「米は、イネという植物の種子である」という一番初歩のところからかなり専門的なことまで、丁寧に教えてくれる内容となっている。

著者の専攻は雑草生態学だが、本書では生物学、歴史学、社会学など文系・理系の区分を超えて自在に横断し、幅広い観点から米やイネのことを論じている。こういうのが本当の学問というものなのだろう。

もち米は、人間の祖先がその突然変異を発見し、大切に劣勢遺伝子の組み合わせを守り継いできた奇跡の産物なのだ。
私たちが食べる米も色素を失ったアルビノであったと考えられている。
種子の落ちない非脱粒性の突然変異の発見。これこそが、人類の農業の始まりである。
誰も話すことのないラテン語は変化することがない。ラテン語で学名をつけるというのは、後世の人たちのことを考えているのだ。
水は上から下へしか流れない。この上から下へと流れるという仕組みだけを利用して、すべての田んぼに水が行くように水路が設計されているのである。
田んぼに水を張る一番の理由は、雑草対策なのだ。
ご飯に納豆、お餅にきなこ、煎餅に醬油、日本酒に冷や奴・・・。私たちが昔から親しんできたこうした料理は、すべて米と大豆の組み合わせなのである。

毎日のように食べている米について、自分がいかに知らないかを思い知らされた。「なるほど!」「えっ、そうだったの!」といった調子で、読み終わった時には本が付箋だらけの状態になった。

第5章「米と日本人」のところだけ、やや日本礼賛に傾いてしまったのが残念。でも、素晴らしい一冊だと思う。

2019年4月10日、ちくまプリマ―新書、820円。

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2019年07月28日

常見藤代著 『イランの家めし、いただきます!』


イスラム・エスノグラファーの著者が、イランを20日間、ひとりで旅した記録。ヤズド、メイマンド、シルジャン、シーラーズ、ヤスジ、ホラマバード、サナンダージなど、聞いたことのない町の名前が次々と出てくる。(というか、知っている地名がテヘランくらいしかないのだが)

著者の旅はホテルに泊まって外食するのではなく、個人の家に泊まって「家めし」をご馳走になることが多い。バスで乗り合わせた人や道を訊いた人に、しばしば家に招かれる流れになる。イラン人の生の暮らしぶりがうかがえる内容だ。

イラン人の家に招かれて、とにかく驚くのはその広さだ。
イラン人はとにかく煮込むのが大好きだ。
イランでは男女とも整形手術が盛んで、鼻を「低く」する手術が多い。
イラン人は「ペルシャ帝国の末裔」のプライドが高く、「自分たちはアラブとは違う」という意識が強い。
イラン人は米好きだ。イランの場合ピクニックといえば、「米」なのである。

イランと言えば、最近は核合意が崩れてホルムズ海峡に緊張がといったニュースばかりが流れる。けれども、そこに住む人々のことはほとんど知られていない。そうした意味でも、非常に面白い一冊であった。

2019年4月25日、産業編集センター、1100円。

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2019年07月26日

小熊英二著 『地域をまわって考えたこと』


様々な地域を訪れて現地の人の話を聞きつつ、「地域」とは何か、「地域」の今後をどのように考えたら良いのか、といった問題について考察した本。

取り上げられているのは、福井県鯖江市、東京都檜原村、群馬県南牧村、静岡県熱海市、宮城県石巻市、東京都板橋区高島平団地。それぞれに歴史や条件の異なる地域の姿や課題が描かれている。

市区町村は行政の単位であって、地域の単位ではない。
日本の場合、集合意識の範囲の指標の一つは、お祭りが開かれる神社と、小学校の校区である。
過疎地と呼ばれるところは、じつはかつては、多くの人が住んでいた地域だ。

もともと、移住希望者向けの雑誌「TURNS」での連載が元になっていることもあって、移住に関する話も多く出てくる。

「都会でうまくいかないから来た」といったタイプは、地方に移住してもうまくいかない。
受入れ側の地域が自分たちの土地に夢と自信を持っていなければ、移住者を受入れるというような面倒を避けがちになるのだ。

本書の一番の特徴は、いわゆる「町おこし」や「地域の活性化」という話で終っていないことだ。そもそもなぜ活性化が必要なのか、というところまで話を掘り下げている。

インフラや財政をふくめた地域の持続可能性が確保され、地域で「健康で文化的な生活」が維持できるなら、活気がなくても「困る」ということはない。地域の目標は、まずこの点の確保に置かれるべきである。

「かつての賑わいを取り戻す」といった発想とは全く異なる考え方が、地域にも日本全体にも必要となっているのだろう。

2019年6月15日、東京書籍、1600円。

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2019年07月19日

高野秀行・岡部敬史・さくらはな。著 『将棋「観る将になれるかな」会議』


著者の高野秀行は将棋棋士。6段。『謎の独立国家ソマリランド』などを書いたノンフィクション作家の高野秀行は同姓同名の別人。

一方で岡部敬史は『くらべる東西』『くらべる時代』などを書いている「おかべたかし」と同じ人。何だかややこしい。
http://matsutanka.seesaa.net/article/441584092.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/457471609.html

岡部とさくらが将棋に関する質問をして、棋士の高野がそれに答えるという内容。「「棋風」って何?」「「味がいい」ってどういう意味?」「なぜB級1組は13人?」「盤を離れているとき、何をしているの?」など、素朴な疑問から本格的な問題まで、さまざまなやり取りが繰り広げられている。

中でも面白かったのが「なぜ将棋の持ち時間はあんなに長いんですか」という質問に対して、

将棋の対局時間が長いのは、新聞という媒体が報じてきたというのも要因でしょうね。

と答えていること。娯楽の少なかった時代、新聞はタイトル戦のスポンサーとなって観戦記を載せることで部数の増加を図っていた。観戦記は何日にもわたって掲載するため、対局時間が長い方がむしろ好都合だったのだ。

媒体の問題は、テレビやネットで中継される将棋に早指しが多いことにも関係している。将棋もプロの世界である以上、スポーツと同じく観客の存在を無視できないのだ。

2019年7月1日、扶桑社新書、920円。


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2019年07月17日

加藤秀弘著 『クジラ博士のフィールド戦記』


鯨類研究所、水産庁遠洋水産研究所、東京海洋大学で40年にわたってクジラについての調査・研究を行ってきた著者が、自身の経歴や鯨の生態、IWC(国際捕鯨委員会)の問題などを記した本。

鯨類は鯨目の総称で、このちょっと下の亜目レベルで、ヒゲクジラ亜目(14種)とハクジラ亜目(75種)に分かれる。これらの亜目は(・・・)同じ「クジラ」とついてはいるが、ゾウとライオンぐらいかけ離れた動物群である。
ヒゲクジラでは体格依存的に大人、つまり性成熟に達する。簡単に言えば、ある体格(体長)になると大人になるわけだ。栄養状態が良くなるにつれ、この体長に到達する時間が早くなる。だから、大人になる年齢がだんだん若くなる。

こういう記述を読むと、自分がクジラについてこれまであまり詳しく知らなかったとあらためて思う。

日本は今年6月にIWC(国際捕鯨委員会)を脱退し、7月から商業捕鯨を再開した。その背景には捕鯨国と反捕鯨国の長年にわたる争いや行き詰まりがある。

IWCからの脱退と再加盟を繰り返した他国の例は幾多もある。個人的な切望であるが、IWCに変貌の兆しが見えた時には、是非再加盟を検討してほしい。

IWCの科学委員会のメンバーとして尽力してきた著者の何とも複雑な思いが滲む文章だ。

2019年5月30日、光文社新書、840円。


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2019年07月07日

服部小雪著 『はっとりさんちの狩猟な毎日』


登山家の服部文祥が好きで、新刊が出るたびに読んでいる。

 ・『狩猟サバイバル』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387138731.html
 ・『サバイバル登山家』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387138924.html
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387138925.html
 ・『百年前の山を旅する』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387139332.html
 ・『ツンドラ・サバイバル』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/433185162.html
 ・『サバイバル登山入門』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/465418615.html

本書は服部文祥の妻でイラストレーターの服部小雪が書いた(絵も描いている)一冊。風変わりな登山家の夫と三人の子どもたち、そして鶏や犬や猫もいる暮らしを生き生きと描いている。

中古の家を自分たちで直したり、自宅で鹿の解体をしたり、ヌートリアを唐揚げにして食べたりと、現代ではあまり見られないような生活。もちろん、そこには様々な苦労や悩みもあるのだが、家族や友人と協力して乗り越えていく。

錆びた柵にペンキを塗ったり、襖や障子を張り替えるのも初めての経験だ。職人さんのような完璧な仕事はできなくても、丁寧に仕事をすれば生活の質が上がる。何より自分がやれば不満が残らない。お金を払って誰かに任せて、この経験を捨ててしまうのはもったいない。

DIYやロハスといった概念に近いのだが、そうした流行りやオシャレとは無関係に、自分たちのやりたいことを一つ一つ実践している。そうした姿勢に強く憧れる。

まだ結婚する前の27歳の時から現在までの約二十年間のエピソードが収められ、作者と家族の成長物語としても読める一冊である。

2019年5月30日、河出書房新社、1500円。

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2019年07月04日

尾本恵市編著 『教養としての将棋』


副題は「おとなのための「盤外講座」」。

編著者の尾本恵市氏(分子人類学者)は、文系・理系を問わず日本文化としての将棋を多角的に研究する「将棋学」を提唱している。本書はその入門編といった内容だ。各章のテーマと執筆者は下の通り。

・第1章 対談 梅原猛(哲学者)×羽生善治(棋士)
・第2章 将棋の歴史 清水康二(考古学者)
・第3章 将棋のメカニズム 飯田弘之(棋士、人工知能)
・第4章 将棋の駒 熊澤良尊(駒師)
・第5章 将棋と教育 安次嶺隆幸(元小学校教諭)
・第6章 将棋の観戦記 大川慎太郎(将棋観戦記者)

第1章の対談は双方の持ち味が十分に出ていて面白かった。相手に遠慮したり同調したりし過ぎないのが良いのだろう。

梅原 ひらめきというのは、(・・・)長い長いむだな時間、一見ばかばかしいような回り道や失敗を経て、だんだん考えが熟成され、あるとき突然、ぱっと訪れるものなのです。
羽生 駒そのものがおもちゃになりやすくて、子どもでもさわっているうちに親しめるところが、将棋のひとつの特徴といえるでしょうか。
羽生 将棋に勝つためには「他力」が必要なんです。自分ひとりで勝とうとしても、無理なんですね。
梅原 最初の直観がすべて当たっているようなときは、かえってあまりいい研究にならないことが多いです。

2章以下では、将棋が平安時代に入唐僧によって日本に持ち込まれ仏教思想に基づいて改変されたという話や、駒の文字を書く際には駒を回転させずに正対して書かないと勢いのある字にならないという話、将棋はどちらかが「負けました」と言わないと終わらないゲームであるという話などが特に印象に残った。

将棋の本とは言っても棋譜や盤面図はほとんど出てこないので、「観る将」の人にもおすすめの一冊。

2019年6月20日、講談社現代新書、880円。

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2019年06月27日

橋本陽介著 『使える!「国語」の考え方』


文体論、物語論で活躍中の著者であるが、今回のテーマは「国語」。高校で7年間国語を教えたこともある著者が、国語の授業はなぜつまらないのか、国語の授業は何を目指しているのかを解き明かしつつ、文学か論理かといった対立を超えて豊かな国語力を身に付ける方法を記している。

内容はすべて「国語」、特に現代文の話なのだが、短歌とも共通する部分が非常に多いと感じた。

近現代の小説では、「説明するな、描写しろ」とよく言われる。「若さ」を表すのに、「若い」と書くのではなく、面皰(にきび)を描く。夏の暑さを描くのに、影の濃さを描く。
解釈が分かれることは悪いことではない。むしろ、様々な解釈ができるから小説は面白い。つまり小説においては、その出来事の解釈を書く側は一方的に決めない。解釈や価値判断を行うのは読者にゆだねる。
ただし、よく誤解されるように、読者はどんな勝手な読みをしてもいいということではない。テクストが完全に決定するわけでもないし、読者が完全に決定権を持っているわけでもない。あくまでもその中間である。
言うまでもないが、文章を読む力も書く力もどちらも大切である。文章がどのようになっているのかを理解すれば読む力も上がるし、書く力にもつながっていく。
文章は二次元でも三次元でもないから、順番を追って読んでいくしかない。このため、どういう順番で叙述していくかが、読み手にとって重要であるし、従って書き手にも重要だということになる。

こうした文章はすべて「短歌」にも当て嵌まる話だろう。そう考えると、例えば歌会というのは相当に国語力の身に付く場であるのかもしれない。もちろん、国語力をつけるために短歌をやっているわけではないのだけれど。

2019年1月10日、ちくま新書、820円。

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2019年06月19日

宮本常一著 『辺境を歩いた人々』


2005年に河出書房新社から刊行された本の文庫化。
(親本は1966年、さ・え・ら書房刊)

江戸後期から明治にかけて日本の辺境を旅した4名の人物(近藤富蔵、松浦武四郎、菅江真澄、笹森儀助)を取り上げて、彼らの足跡や業績を記した本。「です・ます」調の子供向けのやさしい文章で書かれている。

難船の荷物をひろいあげると、荷の持主から、一割のお礼がでることになっていました。そのために荷物をひろうことは海にそった村々のいい収入のひとつでした。
いまのようにべんりな郵便制度がない時代ですから、手紙は旅人などにことづけて、とどけてもらうしか方法がなかったのです。だからうまく相手のいる土地へいく人がいないと、一般の人はいつまでたっても手紙は送れなかったわけです。

当時の暮らしに触れたこうした記述に教えられることが多い。さり気なく書かれているけれど、私たちが意外と気付かない部分だろう。

ふりかえってみると、日本の辺地は、こうした国を愛し、また辺地の人々のしあわせをねがう多くの先覚者たちが、自分の苦労をいとわないであるきまわり、しらべ、ひろく一般の人にそのことをうったえて気づかせ、そこにすむ人の上に、明るい光がさしてくるようにつとめてくれたことによってすこしずつよくなって、今日のようにひらけてきたのです。

本の最後に記されたこの一文に、宮本の生涯を貫いた信念がよく表れていると思う。

2018年6月20日、河出文庫、760円。

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2019年06月11日

渡辺一史著 『なぜ人と人は支え合うのか』


副題は「「障害」から考える」。

障害や介護、福祉についての基本的な考え方から、障害者が地域で自立した生活を送るとはどういうことか、なぜ人と人は支え合って生きていくのかといった問題を、一つ一つ掘り下げて論じている。

著者の渡辺一史は私が最も信頼するノンフィクションライターで、これまでに『こんな夜更けにバナナかよ』『北の無人駅から』の2冊を刊行している。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138721.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/440253335.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/441554646.html

障害を、その人個人の責任とみるか、社会の責任とみるか、発想ひとつで、乗り越えるべきテーマや変革すべき社会のイメージが大きく変わってくることになります。
自立というのは、自分でものごとを選択し、自分の人生をどうしたいかを自分で決めることであり、そのために他人や社会から支援を受けたからといって、そのことは、なんら自立を阻害する要素にはならない。
人は誰かを「支える」ことによって、逆に「支えられている」のです。

本書は2016年に起きた「やまゆり園」障害者殺傷事件についても触れている。あの衝撃的な事件をどのように受け止め、考えれば良いのか。私たちに与えられた大きな課題である。

2018年12月10日、ちくまプリマ―新書、880円。

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2019年06月05日

田口幹人著 『まちの本屋』


副題は「知を編み、血を継ぎ、地を耕す」。2015年にポプラ社より刊行された単行本を加筆修正して文庫化したもの。

盛岡の「さわや書店フェザン店」の名物店員(だった)著者が、本屋に生まれた自らの生い立ちや書店のあるべき姿について記した本。

僕が意識したのが、本屋を「耕す」ことでした。農業の「耕す」と同じです。(・・・)一つは、お客さまとのコミュニケーション。積極的にお客さまと本をめぐる会話をして、お客さまとの関係を耕していく。(・・・)本が詰め込まれた棚も、常に手を加え変えていくことが「耕す」ことになります。
僕たちは、売れていない本もあえて在庫に入れるようなことをします。一年に一冊も動かなかったりするのですが、必ず入れる。なぜかというと、この一冊があることによって、横に広がっていくことがあるからです。この一冊を挟み込むことによって、横にある本の意味が変わってくる。
大きな本屋には、大きな本屋の役割があって、それは病院でいえば、総合病院なのです。まちの中核の大事な病院。一方で僕たちは、まち医者みたいなもの。でも、たまに救命救急もやりますというイメージでしょうか。

本に愛情を注ぎ、様々な創意工夫をしながら書店の仕事に取り組んでいた著者であるが、今年の3月にさわや書店を退社した。
https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/3/21/50077

ある意味で本書は、果敢に戦い奮闘むなしく敗れ去った者の記録と言っても良いかもしれない。

いつまでも、店頭からお客さまに本を届ける仕事をし続けるつもりでいたが、僕の手法は手間隙がかかりすぎてしまい、時代の流れに逆行するものになってしまっていたようだ。

「文庫版あとがき」に書かれた一文に、著者の無念が滲む。

2019年5月5日、ポプラ文庫、660円。

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2019年06月01日

高村光太郎著 『智恵子抄』


47篇の詩、6首の短歌、散文「智恵子の半生」「九十九里浜の初夏」「智恵子の切抜絵」を収めた一冊。

「人に(いやなんです)」「鯰」「あどけない話」「レモン哀歌」は、国語の教科書で習った記憶がある。

私達の最後が餓死であらうといふ予言は、
しとしとと雪の上に降る霙まじりの夜の雨の言つた事です。
                       (「夜の二人」)
光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所(ここ)に住みにき
彼女も私も同じ様な造形美術家なので、時間の使用について中々むつかしいやりくりが必要であった。互にその仕事に熱中すれば一日中二人とも食事も出来ず、掃除も出来ず、用事も足せず、一切の生活が停頓してしまう。 (「智恵子の半生」)

2人の芸術家が愛し合い同じ家に暮らすことの幸と不幸が、ひりひりと痛ましく、そして美しく伝わってくる。

1956年7月15日発行、2003年11月20日116刷改版、
2018年3月15日128刷、新潮文庫、430円。

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2019年05月28日

伊藤洋志著 『ナリワイをつくる』


副題は「人生を盗まれない働き方」。
2012年に東京書籍より刊行された単行本の文庫化。

個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を「ナリワイ」(生業)と呼ぶ。

という定義のもと、「ナリワイ」づくりを実践している著者が、自らの考えや体験を詳しく記している。

生活の余裕とは、収入の多寡よりもむしろ、支出のコントロールができるかどうかが大きい。
生命保険よりも、病気にならない暮らし方を探求するほうがより丈夫なリスクヘッジになりうる。
田舎では、雇用によって生計を立てるのではなく、様々な小さな仕事、すなわちナリワイを自らつくり出して生計を立てていることが結構あるのである。

「ナリワイ」的な生き方の一番の魅力は自分の人生を自分で決められることにあるのだろう。それは、グローバル資本主義やそれに伴う格差の拡大に対して自分自身を守ることにもつながっている。

2017年7月10日、ちくま文庫、680円。

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2019年05月26日

高橋源一郎著 『日本文学盛衰史』


初出は「群像」1997年5月号から2000年11月号。

明治時代の文学者の数々のエピソードや作品を元に、日本の近代文学がどのようにして誕生したのかを群像劇として描き出した小説。登場する主な人物は、二葉亭四迷、石川啄木、伊良子清白、国木田独歩、田山花袋、夏目漱石、島崎藤村、森鴎外、尾崎紅葉など。

『あひびき』の冒頭二十一行には人間の影は存在しない。ただ、その風景を「見た」証人として「わたし」が微かに現れるだけである。「わたし」は揺らめくように一瞬、その姿を見せ、たちまち消え失せる。そこにはぎりぎりの琢磨された言葉で表現された風景だけが存在している。そこにあるのは自然であろうか、違う。それは「見られた」自然なのである。

明治期と現代を自由に行き来しながら、文体の模索を通じて人間の内面が見出されるにいたった道筋や、そもそも何のために文学が存在するのかといったテーマが追求されている。全598ページの大作。

2001年5月31日、講談社、2500円。

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2019年05月18日

窪薗晴夫著 『通じない日本語』


副題は「世代差・地域差からみる言葉の不思議」。
世代や地域によって異なる言葉を数多く例に挙げて、日本語の仕組みについて解説した本。

関西ではニク=牛肉であり、豚肉はブタ、鷄肉はカシワ(もしくはトリ)と呼ぶのが普通です。
(外来語の)促音はもともと英語に入っているものではなく、日本語話者が英語の発音を聞いて感じるものです。
どの言語の赤ちゃんも[s]より[t]を先に獲得すると言われています。(・・・)いずれの言語でも[s]をまだ発音できない子供は、その音を[t]で代用しようとします。

他にも、「五七五」の「ご」が「ごー」と伸ばして発音される理由や「チャック」が「巾着」から作られた略語であること、バ行音に対応する無声の音はハ行音ではなくパ行音であることなど、雑学的な知識も豊富で楽しい。

2017年12月15日、平凡社新書、780円。

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2019年05月10日

伊藤洋志×pha著 『フルサトをつくる』


副題は「帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方」。

和歌山県の熊野の民家を自分たちで改修してシェアハウスにした2人が、都会と田舎の二拠点居住の良さやこれからの時代の生き方について記した本。「フルサト」は自分の生まれ故郷のことではなく、ふるさと的な安らぎが得られる場所といった意味で使われている。

全体が7章に分かれていて、

 第1章 フルサトの見つけかた(pha)
 第2章 「住む」をつくる(伊藤)
 第3章 「つながり」をつくる(pha)
 第4章 「仕事」をつくる(伊藤)
 第5章 「文化」をつくる(pha)
 第6章 「楽しい」をつくる(伊藤)
 第7章 フルサトの良さ(pha)

という構成になっている。真面目な感じの伊藤と緩い感じのphaと、考え方が同じわけではないが、基本的な方向性は一致している。

高齢化したエリアでは、草刈りができる人がいるだけでも貴重である。なんなら日本全国高齢化していくこの時代においては、生きているということだけでどこでも特技になる。(伊藤)
現代人は「で、年収いくら?」みたいな話に注目しがちだが、「で、あなたの自給力はどんぐらい?」と聞く人はいない。ここは今ノーマークである。(伊藤)
現代社会が何かとお金がかかるのは、サービスの交換に中間の人が増えすぎたのが一因だが、直接交換ができればだいぶ交換コストが下がる。(伊藤)
その時自分がいる場所によって思考の内容が変わるということをよく考える。東京にいるときは東京で起きていることが日本の全てのような気がするけど、熊野にいるときは東京のニュースを聞いても「なんか遠くでいろいろやってるらしいな、こっちには関係ないけど」って感じになる(・・・)(pha)

2人の柔軟な思考と自由な姿勢にとても励まされる一冊であった。
(いや、まあ、僕も十分に自由なんですが)

2018年7月10日、ちくま文庫、740円。

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2019年05月07日

森達也著 『すべての戦争は自衛から始まる』


2015年にダイヤモンド社から刊行された単行本に加筆修正して文庫化したもの。初出は2007年から2015年までダイヤモンド社のPR誌「経」に連載された「リアル共同幻想論」。

全部で20篇の文章が載っているが、著者が繰り返し語るのはタイトルにもある通り「自衛」が「戦争」につながるという認識である。

戦争とは戦争を憎むことだけでは回避できない。戦争を起こしたいと本気で思う指導者や国家など存在しない。ところが戦争は続いてきた。なぜなら人は不安や恐怖に弱い。集団化して正義や大義に酔いやすい。歴史上ほとんどの戦争は自衛への熱狂から始まっており、平和を願う心が戦争を誘引する。

戦争が起きる仕組みをきちんと理解することが、戦争を起さないためには必要なのだ。近年、北朝鮮や中国、あるいはテロの脅威が盛んに言われ続けている。そんな時こそ「集団化」や「熱狂」から距離を置くことが大事になるのだと思う。

2019年1月16日、講談社文庫、720円。

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2019年05月05日

永田和宏ほか著 『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』


京都産業大学の企画「マイ・チャレンジ」の第5回から第8回(最終回)までの講演・対談を収めた本。前著『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』の続篇で、登場するのは、池田理代子・平田オリザ・彬子女王・大隅良典の4名。

このうち、平田オリザさんの出た第6回は聴きに行った。
http://matsutanka.seesaa.net/article/449424237.html

(池田)女の幸せというものもなければ、男の幸せというものもない。あるのは「自分の幸せ」だけ、幸せというのは絶対的な主観だと信じていましたね。
(平田)ファストフードのマニュアルは、多民族国家におけるコミュニケーション手段の結晶のようなものです。
(彬子)ある時議論をしていた友人に「自分はこう思っているけれど、アキコの意見も面白かったよ」と言われたことがあります。その時、反対意見を述べるのは私の意見を否定しているのではなく、会話をするための手段のひとつなんだと理解することができました。
(大隅)「知る」と「わかる」は別物です。素朴に「あれ?」と思う心を持つと、いろいろなことが実に楽しく見えてくるのではないかと思っています。

それぞれの講演も興味深いし、永田さんとの対談も面白い。十代・二十代の人には特にお薦めです。

2018年2月20日、文春新書、730円。

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2019年04月30日

高橋秀次著 『文学者たちの大逆事件と韓国併合』


1910(明治43)年の大逆事件と韓国併合を中心とした近代以降の日本の歴史が、文学者の作品や人生にどのような影響を与えてきたのかを詳しく分析した一冊。

登場するのは、佐藤春夫、与謝野鉄幹、夏目漱石、永井荷風、谷崎潤一郎、小林勝、井上光晴、中上健次、有島武郎、金時鐘、梁石日、金石範、開高健、小松左京、三島由紀夫、村上春樹、大江健三郎など。

柳田国男の『遠野物語』の刊行が、一九一〇年という日本近代史上記憶されるべき年と重なっていたことを想起しよう。周知のように柳田は、自身の民俗学的思考を、「新たなる国学」という自覚のもとに整備していった。
金胤奎(キムインキュウ)を本名とする立原正秋は、両親とも純粋な朝鮮人であることを隠してきた「来歴否認者」であったが、それは文学者には必ずしも珍しいタイプではない。
漱石のテキストでも、同性愛的接触は御法度になっている。その代償行為として、『それから』では「親友の妹」との結婚というテーマが浮上する。それは、男同士の緊密な関係性を担保するための「女性の交換」である。

この「親友の妹」との結婚というテーマは、例えば石川啄木と宮崎郁雨の関係を想起させる。郁雨は啄木の妹の光子との結婚を望んだものの断わられ、啄木の妻節子の妹ふき子と結婚したのであった。

全体に分析が鋭くて面白いのだが、やや図式化し過ぎな点が気になった。また、文章もわかりやすいとは言えない。

三島由紀夫から村上春樹への、文学的パラダイムの移行のポイントには、「在日」性の文学の去就にはおよそ無縁な、戦後社会におけるサブカルチャー的な文化現象、とりわけその「純文学」世界への浸透という問題があった。

こうした一文を理解しようとするだけでも、相当な時間がかかる気がする。

2010年11月15日、平凡社新書、760円。

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2019年04月29日

服部文祥著 『サバイバル登山入門』


「サバイバル登山」=「できるだけ自分の力で山に登ろうとする試み」を続ける著者の書いた実践的な入門書。

全体が「計画を立てる」「装備を調える」「歩く」「火をおこす」「食べる」「眠る」の六章から成り、それぞれ豊富な写真や図解を用いて具体的なやり方を記している。

ヘッドライトやラジオなどの電気製品は持っていかない。携帯電話、GPSはいわずもがな。時計もテントもストーブ(コンロ)も持たず、食料は米と調味料だけ。

夏はイワナを釣り、冬は鹿を撃ち、他には山菜やキノコなどを採って食料とする。そうした過酷とも思える登山を行う根本に「山だけではなく、自分自身を深く体験する」という著者の哲学がある。

登山の自由には道に迷う自由も含まれているのである。
「食べる」とは、自分以外の生物(植物も含む)の一部もしくは全部を身体に入れることである。消化してエネルギーにしたり、肉体にしたりする。ある意味、完全な融合だ。そこにリスクがあるのはあたりまえ。
狩猟行為は大きく三つのことから成り立っている。「出会う、仕留める、解体する」の三つである。なかでも「出会う」までが不確定要素にあふれた狩猟の中心をなす部分であり、時間も労力もほとんどがそこに注がれる。
「なんとなくやばい気がする」とか「なんとなくいい感じ」なんていうときの「なんとなく」は大事にしたほうがいい。

僕自身は山登りも狩猟もしないし、今後もたぶんしないと思うけれど、こういう著者の考え方や姿勢には深く惹かれるものがある。

2014年12月5日、デコ、2900円。

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2019年04月23日

今野真二著 『北原白秋』


副題は「言葉の魔術師」。
白秋の生涯をたどりつつ、その多彩な作品を用語に注目して読み解いた一冊。

読書には流れというものがあって、しばらく前から積んだままになっていた本書を読むタイミングが来た。樺太を調べていても啄木を調べていても、白秋は避けて通ることができない。

我々の心持ちには、単に言葉で云ひ現はすことの出来ない、いろいろ複雑に入組んだ心持ちがある。それを、只、悲しいとか、苦しいとか、愁(つら)いとか、簡単な、慣習的な言葉で言ひ現はして了はずに、その複雑に入組んだ心持ちをその儘(まゝ)、作品全体に漲(みな)ぎる気分の上に現はして、読者の胸に伝へることだ。
洗練に洗練を経るほど、磨けば磨くほど私は厳粛になつた。一字一句の瑕疵も見逃(のが)せなかつた。或時は百首の内九十九首を棄て、十首の内九首を棄てた。或時はたつた一句のために七日七夜も坐つた。ある歌のある一字は三年目の今日に到つて、やつと的確な発見ができた。それは初めから的確にその字で無ければならなかつたのだ。

明治43年の「新しき詩を書かんとする人々に」と大正10年刊行の歌集『雀の卵』の序文からの引用である。どちらも今でも十分に通用する内容と言って良い。

白秋が大正14年に樺太、昭和4年には満蒙、昭和9年には台湾、昭和10年には朝鮮を訪れたことに触れて著者は、

つまり白秋は樺太、満蒙、台湾、朝鮮と、日本がこの時期に拡大していった版図をいわばもれなく訪れている。白秋は自身の感覚によって、「大日本帝国」の版図をとらえていた可能性がある。

と述べている。これは、国家や戦争と白秋との関わりを考える上で大事な指摘かもしれない。

あとがきで著者は自分の父や母の思い出について書いている。そこには、国語学者の山田孝雄を祖父に持つ矜持と微妙な鬱屈とが滲んでいるように感じた。

2017年2月21日、岩波新書、880円。

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2019年04月18日

橋本倫史著 『ドライブイン探訪』


全国各地のドライブインを訪ねて、その店の歴史や経営する家族の物語を描いたノンフィクション。ドライブインの移り変わりを通じて、日本の戦後という時代が鮮やかに浮かび上がってくる。

ドライブインが急増した背景には車の普及がある。自家用車の世帯普及率がわずか二・八パーセントに過ぎなかった一九六一年、『マイ・カー よい車わるい車を見破る法』という本がベストセラーとなる。その五年後には自家用車の世帯普及率は一〇パーセントを超え、一気に日本全土に普及してゆく。
ドライブインが担っていた役割というのは、かつて宿場町が担っていた役割に近いのではないか。

登場するのは、「直別・ミッキーハウスドライブイン」「阿蘇・城山ドライブイン」「本部町・ドライブインレストランハワイ」「能登・ロードパーク女の浦」「千葉・なぎさドライブイン」「岩手・レストハウスうしお」など20店あまり。店ごとに気候風土や立地条件なども違う。

料理が運ばれてくると、運転手はコミックを脇に置いて食事を始めた。ごはんを頰張る音がする。ごはんを頰張ることにも音があるのだなと思う。
「雪は迷惑以外の何物でもないですよ。(・・・)ただ、雪が降らないと降らないで困ることもある。雪が降れば除雪車が出動して、それでお金が入る人もいるんです。それで財布が潤って、うちでお金を使ってくれる。」

著者は2011年にドライブイン巡りを始めて200軒近い店に行き、取材対象の店は少なくとも三回は訪れている。しかも、2017年には自ら「月刊ドライブイン」というリトルプレスを創刊し、そこに連載した文章が今回一冊の本となったのだ。その熱意に圧倒される。

ノンフィクションには、こうした「熱意」が欠かせないと思う。

2019年1月30日、筑摩書房、1700円。

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2019年04月15日

アレックス・カー&清野由美著 『観光亡国論』


訪日外国人旅行者数が3000万人を突破して、観光地や商店が賑わいを見せる一方で、混雑や交通渋滞、住民とのトラブルといった問題も起きている。そうした現状を踏まえて、今後どのようにすれば良いのかを論じた本。

タイトルには「観光亡国」という刺激的な文句が使われているが、決して観光を否定的に捉えているわけではない。適切なマネージメントとコントロールを行ったうえで観光立国を目指そうというのが論旨である。

「お客さんにとって便利なように」という言葉には要注意です。(・・・)むしろお客さんを「不便」にさせて、本来歩いてほしい道をたどる工夫を施すことです。参道を歩いてこそ、神社を訪問する本来の意味を取り戻せますし、参道の商店とも共存できるのです。
地域観光にとって一番大切な資源とは、素朴で美しい風景です。その風景の中に、やみくもに道路を通し、さらにその工事に伴って山と川にコンクリートを敷き詰めることは、やはり観光公害にほかなりません。

日本各地の様々な実例が挙げられているのだが、その中には京都に関する話も多い。

「観光」を謳う京都のいちばんの資産は、社寺・名刹とともに、人々が暮らしを紡ぐ町並みです。皮肉にも京都は、観光産業における自身の最大の資産を犠牲にしながら、観光を振興しようと一所懸命に旗を振っているのです。
たとえば20年前には、京都駅の南側に観光客はそれほど流れていませんでした。伏見稲荷大社も、境内は閑散としていたものです。しかし今は、インスタ映えする赤い鳥居の下に、人がびっしり並ぶ眺めが常態化しています。

伏見稲荷の近くに住んでいるので、こうした話は日々身をもって実感している。私が京都に住み始めたのは2001年のことだが、その時と今とでは劇的に変化したと言っていい。

2019年3月10日、中公新書ラクレ、820円。

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2019年04月08日

いとうせいこう・みうらじゅん著 『見仏記7』


2015年にKADOKAWAより刊行された単行本『見仏記メディアミックス篇』を改題して文庫化したもの。人気シリーズの7冊目。

副題に「仏像ロケ隊がゆく」とある通り、関西テレビで放映された「新TV見仏記」の収録の旅の様子も収めている。訪れた先は、滋賀(長浜)・兵庫(姫路)・広島(尾道)・奈良・京都。

軽妙な二人のやり取りは健在だが、今回はそれだけではない。

昔は何も感じていなかったが、私たちもこのコロリ≠ェ気になる年齢になってきていた。自分が老いた時に誰かに介護の苦労をかけたくないというのが、実にリアルな問題だった。
私は切れ目を探すため、老眼の目からパックを遠ざけた。その私の手元をみうらさんもまた顔を遠ざけて見ていた。
横で、かつての少年は膝をこすり出していた。痛むと聞いていた。一番それが昔と違った。人間は老いる。私にもその痛みはわかった。

1992年から始まった見仏記も四半世紀を超え、旅する二人も50歳代半ばとなった。そうした年齢的な意識が一つのテーマになっている。

2018年3月25日、角川文庫、640円。

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2019年04月03日

藻谷浩介著 『完本 しなやかな日本列島のつくり方』


2014年刊行の『しなやかな日本列島のつくりかた』と2016年刊行の『和の国富論』(ともに新潮社)を合わせて、文庫化した一冊。様々な現場で活躍する13名と著者との対話集。

道路や駐車場に何十億、下手したら一〇〇億円以上かけるということには誰も何も言わなくて、鉄道会社は一億、いや、一銭でも収支がマイナスであれば「赤字だ」と文句を言われる。
              宇都宮浄人(経済学者)
旅行する人はわかると思いますが、「あっ、良い街だな」と思うのは、いろいろな機能が混在している街です。オフィスもあれば住居もある。
              清水義次(都市・建築再生プロデューサー)
どちらも統合されれば、今までのように子どもの足では通えなくなります。(・・・)地域に学校がなくなれば、子育て世代を引き留めておくことは相当に難しくなるでしょう。
              山下祐介(社会学者)

日本社会の現状と今後の課題を明らかにするだけでなく、それを乗り越えるための実践的な方法が示されている。内容的には決して明るくないのだが、様々な取り組みを行っている人が全国各地にいることを思うと心強い。

2018年9月1日、新潮文庫、710円。

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2019年03月31日

高橋順子編著 『日本の現代詩101』


明治から戦後にいたる詩人101名のアンソロジー。
一人に付き1〜2篇が収録され、解説・鑑賞が付けられている。

収められているのは、北原白秋・石川啄木・萩原朔太郎・佐藤春夫・高橋新吉・金子みすゞ、山之口獏・中原中也・立原道造・石垣りん・田村隆一・谷川俊太郎など。近代以降の詩の流れをひと通り把握することができる。

 「近代詩」「現代詩」の呼称にmodernなヨーロッパが関わり合っていることになるわけだが、英語でいえば「現代」も「近代」も同じくmodernである。
 私は文語詩から口語詩への変化のほうが、ヨーロッパの変革思想の受容よりも大きなものではなかったかと思う。
少し前の時代はおろか現在只今であっても他者の詩は読まずに、新しい詩を書いている詩人もいるようだ。新しさは確かに詩の一つの価値である。しかし新しさが新しい貧しさでないことを祈るばかりである。
「塵溜(はきだめ)」というテーマなどは文語詩では考えられなかったものである。醜の観念に属するものは、美文調ではうたいにくい。文語から口語への移り行きは語尾変化の問題だけでなく、質的にも大きな転換が必要だったことが分かる。

こういった文語・口語や新しさに関する話は、短歌の問題を考える上でも参考になる部分だろう。

   春
 てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。

安西冬衛のこの有名な詩が、初出時には「韃靼海峡」ではなく「間宮海峡」であったことを、本書を読んで初めて知った。「韃靼」という難しい漢字と「だったん」という音が、この詩には欠かせない。

2007年5月5日、新書館、1600円。

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2019年03月23日

『日本プロレタリア文学集』

『日本プロレタリア文学集』(全40巻+別巻)は1984年から88年にかけて新日本出版社から刊行されたシリーズ。

その第40巻が『プロレタリア短歌・俳句・川柳』で、短詩型におけるプロレタリア文学を考える上で非常に便利な一冊となっている。

収録歌人を見ると、石川啄木、土岐哀果、柳田新太郎、山野井洋と、ここ数年、私がプロレタリア短歌という枠組みとは別にあれこれ調べた歌人たちが載っている。

同じシリーズの第39巻『プロレタリア詩集2』には、高安国世の友人であった榎南謙一も収録されており、このシリーズには何だか不思議な縁を感じる。

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2019年03月21日

竹内洋著 『立志・苦学・出世』


1991年に講談社現代新書より刊行された本の文庫化。
副題は「受験生の社会史」。

受験は今でも人生の進路を左右する大きな出来事であるが、それがいつの時代から始まり、どのように移り変わってきたかをまとめた本。受験の制度だけでなく、受験生の暮らしや心理を深く掘り下げているのが特徴だ。

昭和十七年に軍国主義のあおりで歐文社という社名は現在の旺文社に変更される
明治以降の勉強立身は学歴/上昇運動である。したがって勉強立身価値は、「階層」移動だけでなく上京という「地理的」移動を含むセンスである。

受験に関して、著者は歴史を三つに区分する。

・前受験の時代(明治30年代半ばまで)
・受験のモダン(〜昭和40年代まで)
・受験のポストモダン(昭和40年代〜)

この本を読んでよくわかったのだが、明治20年代と30年代では受験の様相が大きく異なる。「明治時代」を漠然と一括りに考えていたのだが、啄木の学歴について考える大きなヒントをもらった。

また、受験に関する限り、戦前と戦後という区分も実はあまり大きなものではない。この点も、私たちの漠然とした印象を覆すものであろう。

2015年9月10日、講談社学術文庫、800円。

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2019年03月08日

松沢裕作著 『生きづらい明治社会』


副題は「不安と競争の時代」。

明治時代の日本社会を「景気の悪化」「都市下層社会の誕生」「不十分な貧困者対策」「自己責任論と通俗道徳」「立身出世主義」「女性の弱い立場」「都市民衆騒擾の発生」といった観点から分析した本。ジュニア新書ということもあって、非常に読みやすい文章で書かれており、論点がすっきりと伝わってくる。

「生きづらさ」は昨今のニュースや短歌においても大きなテーマになっているが、同じような状況が明治時代にもあったことを、この本は教えてくれる。明治維新や日清・日露戦争の勝利といった「明るい明治」のイメージが語られることも多いが、実際の人々の暮らしはそうでもなかったようだ。

明治時代の社会と現在を比較して、はっきりしていることは、不安がうずまく社会、とくに資本主義経済の仕組みのもとで不安が増してゆく社会のなかでは、人びとは、一人ひとりが必死でがんばるしかない状況に追い込まれてゆくだろうということです。

著者の狙いは、明治時代の分析を通じて現在の社会が抱える問題点を解き明かすことにある。それはまた、私たち一人一人の今後のあり方を考えることにもつながる話であろう。

2018年9月20日、岩波ジュニア新書、800円。

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2019年03月06日

澁川祐子著 『オムライスの秘密 メロンパンの謎』


副題は「人気メニュー誕生ものがたり」。
2013年に彩流社より刊行された単行本『ニッポン定番メニュー事始め』に加筆修正・改題して文庫化したもの。

「カレー」「餃子」「牛丼」「コロッケ」「ショートケーキ」など、私たちの食卓に欠かすことのできないメニュー28品を取り上げて、そのルーツや来歴を解き明かしている。

日本におけるカレーの普及において、イギリスというワンクッションが果たした功績は大きい。歴史に「もし」はないというが、もしカレーが「カレー&ナン」の形でインドから直輸入されていたら、日本でこれほど定番メニューになったかどうか。
今ではパスタの茹で方といえば、芯が少し残るくらいの茹で立ての「アルデンテ」が当たり前。しかし、この言葉が普及したのは、セモリナ粉100%のパスタが普通に手に入るようになった1980年前後と、つい最近のことだ。
鷄肉が日本で広く流通するようになったのは、戦後である。肉用若鶏のブロイラーの生産が始まったのは、1953(昭和28)年になってからだ。

明治以降、肉食を始めとした西洋料理を日本風にアレンジした「洋食」が次々と生み出されてきた。それが1980年代くらいからだろうか、イタリアンやフレンチなどの店が増え、「本場」の「本格的」な味が手軽に楽しめるようになった。

それに伴って、「洋食」が実は日本にしかない料理であることに私たちは気づかされることになった。それは、私にとってはちょうど子供から大人への成長の時期にも重なる。その哀しさと懐かしさのような記憶が、昭和という時代とともに、この本を読んで鮮やかに甦ってきた。

2017年2月1日、新潮文庫、590円。

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2019年02月23日

畑村洋太郎著 『技術の街道をゆく』


失敗学の提唱者として知られる著者が日本各地の技術の現場を訪ね歩き、日本の製造業が抱える問題点や今後の課題を示した本。タイトルは司馬遼太郎の『街道をゆく』を踏まえている。

技術は経営と切り離しては成り立たない。「良い技術」というだけで生き残れるほど、技術の世界は甘くない。
一見まったく別物に見える技術も、ミクロメカニズムの視点から見ると、ほとんど同じというケースはよくある。古来の焼き物の技術が、現代の最先端技術と深いつながりをもつのは、その良い例であると思う。
いま目の前にあるものを見て時間軸を逆にたどり、「どのように作られたのか」「どんなことが起きたのか」と考えていくと、今という時点での静止画的な断面図から創造や推察を駆使して、生きいきと動く立体図を作ることができる。

他にも「技術は伝えようとしても伝わらない」という指摘など、興味深い話が多かった。

2018年1月19日、岩波新書、760円。

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2019年02月18日

宇田智子著 『市場のことば、本の声』


大手書店を退職して2011年に那覇で古本屋を開業した著者のエッセイ集。著者の本はこれまでに2冊紹介したことがある。

『那覇の市場で古本屋―ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139340.html
『本屋になりたい―この島の本を売る』
http://matsutanka.seesaa.net/article/421633314.html

初出は「BOOK5」「フリースタイル」「本」などの雑誌。古本屋店主として働きながら様々な執筆活動も行っているようだ。

私の店には時計はなくても、カレンダーはある。(・・・)そして必ず旧暦が併記されたカレンダーを使っている。旧正月や旧盆だけでなく、毎月の拝みや季節の祭りなど、沖縄では旧暦にしたがってなずべき行事がとても多いらしい。
美容室ではなぜ言葉が通じないのか、ずっと悩んできた。こうしてくださいと伝えて、そのとおりになったためしがない。
もしも入力に手だけでなく足のペダルも必要だったら、文章はどう変わるだろう。ピアニストのような全身のうねり、自転車をこぐときの軽やかさなどが表せるだろうか。いま書きながら足を動かしてみたけれど、よくわからなかった。

沖縄のことや市場のことや本をめぐる話など、読んでいて楽しい。と同時に、小さな店から眺める風景の中に、現代社会の様々な問題が浮かび上がってくる。

2018年6月10日、晶文社、1600円。

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2019年01月30日

渡辺明著 『増補 頭脳勝負』


副題は「将棋の世界」。2007年にちくま新書から刊行された『頭脳勝負―将棋の世界』に加筆・修正して文庫化したもの。

今年度、公式戦15連勝を含む29勝8敗と絶好調の著者が、将棋とはどんなゲームで棋士が何を考えどんな生活をしているのかなどを記した本。タイトル戦の自戦記も収められ、将棋の魅力がよく伝わる内容になっている。

ミスをした時にどう切り換えるか。これはどの競技でもそうですが、将棋でも重要なことです。(・・・)将棋の場合、ミスは多くしたほうが負けるのではなくて最後にミスしたほうが負けることが多いからです。
(スポーツの場合)コーチのポジションには、引退した選手が就くことが多いですね。ここがポイントです。スポーツでは「頭ではわかっているけども、体がついていかない」ということがあるのに対して、将棋は頭そのものが競技者の能力ですから五〇歳、六〇歳になっても現役は当り前。引退して指導者に回る年齢が遅いのです。

近年、ネットで対局の中継が見られるようになり、将棋を見て楽しむファン(「観る将」)が急増している。藤井聡太七段の活躍もあって今後がますます楽しみだ。

2018年9月10日、ちくま文庫、780円。

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2019年01月26日

安西巧著 『広島はすごい』


日本経済新聞社広島支局長である著者が、広島の魅力と活力について考察した本。「広島カープ」「村上水軍」「アンデルセン」「カルビー」「戦艦大和」「マツダ」「ダイソー」など、広島の歴史・文化・産業など様々なジャンルのことが取り上げられている。

なぜ広島に原爆が落とされたのか。この答えも「軍都」と切り離せない。
広島電鉄は市外に延びる宮島線を含む7つの路線で路面電車を運行しており、路線延長(35.1キロ)と輸送人員(1億122万人キロ)はともに日本一。
「カルビー」の由来はカルシウムの「カル」とビタミンB1の「ビー」。
山口の人に幕末の長州人の話題を振る時は気をつけた方がいい。(・・・)毛利はもともと安芸国吉田の領主であり、大内氏の家臣だったにすぎない。
「100円ショップ ダイソー」が典型なのだが、広島でいわゆるニッチ(すき間)市場のガリバー企業が目立つのは、鷄口となるも牛後となるなかれ≠地で行く経営者が多いからだろう。

広島人気質や県民性といった話がどれだけ科学的かはわからないが、読み物としては面白かった。

2016年6月20日、新潮新書、740円。

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2019年01月10日

山岡淳一郎著 『木下サーカス四代記』


副題は「年間120万人を魅了する百年企業の光芒」。

1902(明治35)年創業の老舗で年間観客動員数で世界一、二を争う木下サーカスの四代(祖父・父・兄・弟)にわたる歴史を描いたノンフィクション。ちょうど今、大阪で公演を行っているところだ。

ビジネス書としての一面もあり、「一場所(公演地の選定)、二根(営業の根気)、三ネタ(演目)」を掲げて努力を続ける同族企業の秘訣がいろいろと明らかにされている。

創業者一族が経営を担うファミリービジネスは、時代遅れのようにとらえられがちだが、日本の法人企業約二五〇万社の九七%は同族会社である。
候補都市が決まったら、光三はタクシーでその街の一番高いところに上る。軍師が地形を読むように起伏や水系、道路や駅の配置を見て公演場所を見極めた。

私はサーカスが好きで、毎年のように公演を見に行っている。

木下大サーカス(2009.12.29)
キグレサーカス(2010.10.21)

1990年に現在の四代目が社長を継いだ時、サーカスは既に斜陽産業で負債が10億円にものぼっていた。そこから復活を果たし今も公演を続ける木下サーカス。これからも長く応援していきたいと思う。

2019年1月3日、東洋経済新報社、2000円。


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2019年01月06日

みうらじゅん著 『「ない仕事」の作り方』


自分が好きなこと、興味を持ったことを、どのように仕事にしていくか。それまで世の中に存在しなかった仕事を、どのように成り立たせるのか。「マイブーム」「ゆるキャラ」などの新語を作り数々の「ない仕事」を生み出してきた著者が、自らの持つノウハウを詳しく明かしている。

大きな力となるのは「言葉」である。

まず、名称もジャンルもないものを見つける。そしてそれが気になったら、そこに名称とジャンルを与えるのです。

「ゆるキャラ」という名前を付けることで、そうしたジャンルが人々の意識の上に形作られる。これは、「セクハラ」という言葉が生まれたことで、(それまでも存在はしていた)セクハラ問題が顕在化したことと似ているだろう。

また、自分が取り組んでいることに対して「つまらないかもな」「観客は喜んでいるのか?」といった不安が兆した時にどうするか。

そんなとき、私が必ず唱える呪文があります。
「そこがいいんじゃない!」

この言葉一つで、マイナスがプラスに、不安が自信へと反転するのである。

他にも「自分を洗脳する」「趣味は突き詰める」「重い言葉をポップにする」「母親に向けて仕事する」などの具体的な方法が、多くの実例を挙げて紹介されている。軽そうな見た目の本だけれど、中身は深い。

2018年10月10日、文春文庫、660円。


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2019年01月04日

都市研究会編 『地図と地形で楽しむ 大阪淀川歴史散歩』


淀川を中心に、地形・地名・鉄道・道路・歴史など様々な観点から大阪の各所を紹介した本。私の住む伏見にも関わりの深い話が出てくる。

近世までの川は、現代でいえば鉄道網のようなもの。

まず大切なのはこの観点だろう。水運が盛んだった時代には、川は一番の交通路であったのだ。人間と川との関わりも今とは比べものにならないくらいに密接であった。

大阪の歴史とは、そのまま「淀川治水」の歴史だといっても過言ではない。

かつて「暴れ川」と呼ばれた淀川の氾濫を防ぐために、仁徳天皇の時代から現代に至るまで数多くの試みが行われてきた。堤防を築き、川と川を切り離し、川の流れを変え、ようやく今の形ができあがったのである。

大阪へ出掛けるのがこれまで以上に楽しくなりそうだ。

2018年10月19日、洋泉社歴史新書、950円。

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2018年12月29日

吉田友和著 『京阪神発 半日旅』


昨年『東京発 半日旅』がヒットした著者の第2弾。
関西を起点に宿泊なしで気軽に行ける50か所を紹介している。

僕も旅行好きなので、行ったことがある場所がけっこうある。

「美山かやぶきの里」「生駒山」「赤目四十八滝」「鳴門の渦潮」「福知山線廃線敷」「船岡温泉」「大和郡山」「伏見の酒蔵巡り」「かつめし」「貴船神社・鞍馬寺」「生石神社」「海洋堂フィギュアミュージアム」「京都国際マンガミュージアム」「佐川美術館」「百舌鳥・古市古墳群」「亀山城」「生野銀山」「篠山城大書院」

数えてみると18か所。
反対に言えば、行ったことのない場所が32か所もあるわけだ。

著者はこの本を書くために、東京から半年以上にわたって京都にプチ移住したらしい。その情熱がすごいと思う。

念のために触れておくと、今回もすべてのスポットを自分の足で訪問したうえで原稿に書いている。写真も全部自分が撮ったものだ。

当り前のことのようにも思うけれど、そうではない原稿や本が世の中には数多くあるということなのだろう。

2018年9月25日、ワニブックスPLUS新書、1000円。


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2018年12月23日

「日本世界偉人画伝」

昭和3年に文藝春秋社より「小学生全集」の第27巻として刊行された冊子。古今東西124名の偉人のエピソードが絵入りで紹介されている。

取り上げられているのは、豊臣秀吉、リンコルン(リンカーン)、シーザー、小林一茶、聖徳太子といった定番の人から、ムッソリニ、乃木勝典、楠木正行など時代を感じさせる人、さらには、グルントウィーク、細井平洲、野津道貫、瓜生岩子など「どなたでしたっけ?」という人まで、実に様々である。

何しろ90年前の冊子なので、書かれている内容には時代的な制約があり、読んでいてツッコミを入れたくなる箇所がたくさんある。

   コロンブス
 イタリーの人、コロンブスは、地球が円いものだといふ事を、一番先にしようこだてた偉い人であります。それはアメリカを発見したためであります。この人がアメリカのある島に船で流れ着いた時、島の土人共が、コロンブスたちを殺さうとしました。しかし、コロンブスは少しも騒がずに、
「そんなことをすれば、神様にお願ひしてお前たちに罰を当てさしてやる。」
と、いつてお祈りをとなへました。すると、見る見るお日様が真暗になりました。土人共は非常に驚きおそれて、コロンブスを神様だと思つてあやまりました。その日は恰度日蝕でありましたので、それで早速土人共をだましたのでありました。

「土人共をだましたのでありました」って!
おいおい、偉人伝がそれでいいのかよ(笑)

でも、私たちが今普通に読んでいる本も、90年経てば同じようにツッコまれるのかもしれない。そう考えると複雑な気分になる。

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2018年12月12日

野村進著 『千年、働いてきました』


副題は「老舗企業大国ニッポン」。
2006年に角川oneテーマ21新書で刊行された本の文庫化。

創業100年以上の19社を取り上げて、老舗企業が現代まで続く理由に迫ったノンフィクション。著者が見つけた老舗の共通項は「適応力」「許容力」「本業力」の3つである。

老舗のモノづくりの技術が最新の携帯電話にも数多く使われている事実など、知らない話がたくさん出てきて面白い。諸外国との比較の話になるとやや日本万歳という調子になるのが気になるのだけれど。

ケータイの“ゴミの山”一トンあたりには、およそ二百八十グラムの金が含まれている。日本で採掘される最も品質の高い金鉱でも、一トンから六十グラム程度の金しかとれないのだから、ケータイの方が四、五倍も金を含有していることになる。
農林業関係者に蛇蝎のごとく嫌われている「カイガラムシ」という虫がいる。たしかに質(たち)の悪い害虫ではあるのだが、中国では古くから漢方薬に用いられてきた。おまけに、この虫が分泌するロウは、まっ白な色から「雪ロウ」と呼ばれ、光沢があり、科学的にもきわめて安定している。
日本の老舗にはたしかに一族経営が多いのだが、細かく見てゆくと、長男がいるにもかかわらず、養子に迎えた娘婿のほうが経営者として優秀なら、そちらを後継に選んだりしている例が珍しくない。

2006年に刊行された本なので、その後に状況が変ってしまった老舗企業もある。1883年創業で岡山市に本社があるバイオメーカーの「林原」は、本書で「同族経営・非上場の強み」の例として紹介されているのだが、2011年に会社更生法適用を申請して倒産した。

その経緯については「文庫版あとがき」にも記されているのだが、粉飾決算や同族経営の歪みが倒産の原因と言われており、何ごとにも表と裏があることを図らずも示す結果となっている。

2018年8月1日、新潮文庫、520円。

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2018年12月09日

近刊『戦争の歌』

著者 :
笠間書院
発売日 : 2018-12-14

12月14日に、『戦争の歌』という本を刊行します。

笠間書院の「コレクション日本歌人選」の1冊で、日清・日露戦争から太平洋戦争までの代表的な短歌51首の鑑賞を書きました。
取り上げた歌人は、以下の通り。

落合直文、下谷老人、佐佐木信綱、渡辺重綱、弾琴緒、与謝野鉄幹、正岡子規、樋口一葉、明治天皇、伊藤左千夫、高崎正風、昭憲皇太后、石上露子、与謝野晶子、斎藤瀏、森鷗外、平福百穂、斎藤茂吉、宇都野研、釈迢空、前川佐美雄、前田夕暮、北原白秋、園瀬真砂詩、久保田不二子、穂積忠、渡辺順三、筏井嘉一、山口茂吉、加藤将之、渡辺直己、山本友一、川野弘之、小泉苳三、西村陽吉、土岐善麿、吉植庄亮、木俣修、八木沼丈夫、宮柊二、佐藤完一、松田常憲、佐藤佐太郎、斎藤史、土屋文明、半田良平、近藤芳美、折口春洋、正田篠枝、竹山広、窪田空穂

自費出版ではなく企画出版なので、手元に在庫はありません。
お買い求め・ご注文は書店やアマゾンでお願いします。

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2018年12月03日

山本昌仁著 『近江商人の哲学』


副題は「「たねや」に学ぶ商いの基本」。著者は和菓子製造販売の「たねや」や洋菓子製造販売の「クラブハリエ」を展開する「たねやグループ」のCEO。

以前、私の好きな建築家・建築史家の藤森照信が設計した「ラ コリーナ近江八幡」に行ったことがある。とても素敵な店であり空間なのだが、ここが「たねやグループ」の中心地で、今では年間300万人近くを集める場所となっている。

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本書は創業家の十代目として生まれ、2011年に「たねや」を継承した著者が、自らの理念や商売の方法を記したもの。

世の中には「手作り信仰」というか、手作業のほうがおいしいという思い込みがある気がします。とんでもない。実は、和菓子は人間の手が加われば加わるほどダメになっていきます。
菓子屋は「主人の舌」がすべてです。主人がOKを出したものしか店頭に並ばない。
無菌状態で作る水羊羹に「本生水羊羹」とネーミングしたのは、紫色のあんここそ本物なのだ、という思いがあるからです。世の中の人は黒っぽい茶色があんこの色だと思い込んでいますが、それは本物じゃない、と訴えたかった。
自分たちで作ったものを、最後まで自分たちで商う。これが、たねやの哲学です。誰かに頼んで売ってもらうと、お客様との関係が切れてしまう。
伝統を守るとは、変えることなのです。ただし、変えたことがお客様にわかるようでは、話になりません。大きく変えているのに「昔から変わらん味やなあ」と言っていただいてはじめてプロなのです。

現在の「たねや」の成功の舞台裏がわかるとともに、自然との共生や地域への貢献など、これからの社会のあり方を考える上でも役立ちそうな一冊である。

2018年8月20日、講談社現代新書、860円。


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2018年11月30日

竹田津実著 『獣医師の森への訪問者たち』


北海道で獣医師として働きながらキタキツネの生態調査やナショナルトラスト運動などに尽力した著者。1991年に退職してからは執筆家・写真家として活躍している。

表紙の写真が何とも素敵だ。「治療中に脱走したユキウサギを追う看護婦長・・・カミサンを撮ったもの」と説明がある。

以前、函館に住んでいた時に北海道関連の本をいくつも読んだのだが、その中にこの著者の『北海道動物記』『北海道野鳥記』(平凡社ライブラリー)があった。2冊とも非常に印象的でいっぺんに好きになった。

本書は主に1970年代の出来事や様々な人々との交流の思い出を記した18篇を収めている。「青春と読書」2016年10月号〜2018年5月号に連載した文章をまとめたものだ。

北海道と樺太の深いつながりを示す一篇もある。

Sさんは近くの養狐場に勤めていた。(・・・)日魯漁業(現・マルハニチロ)のもつ日魯毛皮(現・ニチロ毛皮)の網走飼育場の飼育員である。歴史は長い。終戦時は樺太、現サハリンにいた。その時も毛皮場の飼育員でそのままシベリアへ抑留され、そこでも同じことをやっていた。

樺太から引き揚げてきた人が北海道には多く住んでいる事実を、あらためて教えられる記述であった。

2018年11月25日、集英社文庫、740円。

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2018年11月17日

NHK取材班著 『外国人労働者をどう受け入れるか』


副題は「「安い労働力」から「戦力」へ」。

2016年に、日本で働く外国人労働者は100万人を超えた。その中には、「留学生」や「技能実習生」などの名目で働いている人も多い。以前、私が働いていた物流倉庫には中国人の実習生がいたし、プラスチック成型の工場ではベトナム人の実習生が働いていた。

今、ちょうど外国人労働者の受け入れ拡大のための「出入国管理法改正案」が国会で審議されているところ。外国人労働者を企業の論理で使い捨てにするのではなく、共存共栄していくためにはどうすれば良いのか。

これからの日本社会を考える上で、非常に大事な問題だと思う。

2017年8月10日、NHK出版新書、780円。

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2018年11月11日

三上延著 『ビブリア古書堂の事件手帖』



副題は「扉子と不思議な客人たち」。

「ビブリア古書堂」の話は7冊で終ったと思っていたのだが、新しい本が出た。最初のシリーズから7年が経ち、栞子と大輔は結婚して娘の扉子(6歳)が生まれている。

四つの話がテンポよく展開して面白かった。
あとがきに「いずれまた登場するかもしれません」とある。
番外編というよりも新シリーズの始まりということなのだろう。

2018年9月22日、メディアワークス文庫、610円。

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2018年11月09日

久住邦晴著 『奇跡の本屋をつくりたい』



副題は「くすみ書房のオヤジが残したもの」。

「なぜだ!?売れない文庫フェア」「中学生はこれを読め!」などの企画や、併設するカフェの運営など、札幌でユニークな書店として知られた「くすみ書房」店主の書いた原稿をまとめた本。店は2015年に閉まり、著者は2017年に亡くなった。

多くのファンが支援する心温まるストーリーとしても読める一冊だが、それ以上に、書店の現状の厳しさが伝わってくる内容だ。様々な営業努力にもかかわらず売り上げは減り店は傾いていく。時代の流れと言えばその通りだが、その残酷な現実に胸が痛む。

本屋で本を買うことの大切さをあらためて感じた。

2018年8月28日、ミシマ社、1500円。

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2018年11月07日

北村薫著 『中野のお父さん』


2015年9月に文藝春秋から刊行された単行本の文庫化。

円紫さんシリーズ、覆面作家シリーズ、ベッキーさんシリーズなどを書いてきた作者の新たな「日常の謎」シリーズ。

文芸編集者の娘と国語教師の父が主人公ということもあって、本に関する話が多い。幸田露伴と斎藤茂吉の対談も出てくる。短歌は出てこないが、俳句の話は出てくる。

――《は》と《に》。わずかに一字の違いだ。しかし、おかげで解釈が揺らがなくなる。一句の意味が、堅固な城となる。

全体にやや軽めの内容で、次作が出たとしても読むかどうかは微妙。

2018年9月10日、文春文庫、650円。

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2018年09月03日

井出明著 『ダークツーリズム』


副題は「悲しみの記憶を巡る旅」。

第一章「ダークツーリズムとは何か」から始まり、第二章から第九章は具体的な旅の記録(小樽、オホーツク、西表島、熊本、長野、栃木・群馬、インドネシア、韓国・ベトナム)、そして最後の第十章は「ダークツーリズムのこれから」という構成になっている。

ダークツーリズムとは、戦争や災害をはじめとする人類の悲しみの記憶を巡る旅である。

という定義のもとに、著者は国内外各地に残る戦争、監獄、公害、ハンセン病、炭鉱、津波などに関わる場所を訪れる。そこで繰り返し述べられるのが「記憶の承継」ということだ。

記憶の承継こそがダークツーリズムが担うべき本質的役割なのである。
東日本大震災に関する遺構の保存の是非が問われているが、この三井三池炭鉱の跡を訪れると、心の拠り所となる建物があることで、悲しい記憶が承継されやすい状況が見て取れる。
(光州事件関連の施設について)これは、地域が必死になって悲しみの記憶を残さなければ、負の記憶は権力者によってすぐに消し去られてしまいかねないという問題点を如実に表している。

記憶を受け継ぐのは簡単なことではない。歴史や過去に学ぼうとする人々の姿勢だけでなく、遺構が残っていることが大きな意味を持つ。広島の原爆ドームも戦後の一時期には取り壊しが議論されていたことを思うと、「記憶の承継」に遺構が果たす役割の大きさがよくわかる。

2018年7月30日、幻冬舎新書、820円。


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