2018年06月25日

長江貴士著 『書店員X』



副題は「「常識」に殺されない生き方」。

著者は盛岡の「さわや書店」で働きながら、2016年に「文庫X」という手書きカバーを付けた本(清水潔著『殺人犯はそこにいる』)を大ヒットさせた書店員である。

まずは「文庫X」という企画が生まれた経緯や、現在の書店の置かれている状況についての話がある。

そういう仕掛けを生み出そうとする時には、お客さんが求めているものをリサーチして、それに応えようとするやり方は、良い成果を生まないだろう。(・・・)良い企画とは、お客さん自身ですら自覚していない潜在的な欲求を満たすものだと僕は考えているからだ。
どう街と関わっていくのか、というスタンスを常に持ち続けているという土台が、さわや書店という本屋の、そして盛岡という街の背景になっている。そのことは、「文庫X」という企画の根っこを支える環境として指摘しておくべきことなのかもしれないと思う。

さらには、著者の生い立ちや考え方、生き方についての話も載っている。

生きていれば、様々な状況に置かれることになる。なんでこんなことに、という受け入れがたい状況もあるだろう。しかし、それらは自分の目の前にある時点で既に正解であって、認める認めないの問題ではなく、まず受け入れなければ話が進んでいかない。
「共感」というのは多くの場合、「今の自分」の判断でしかない。つまり、「共感」を求めれば求めるほど、「今の自分」を超えたものに出合う機会が狭まる、ということでもあるのだ。
どんな集団であれ、様々な考え方を持つ人間がいることが、その集団全体の「自由」を生み出しているのだな、ということです。多様な考え方に触れる環境は、まさに「未知のもの」と出合える環境でもあります。

本書を貫くキーワードは「常識」「先入観」「普通」「共感」「孤独」「自由」。
「文庫X」の話にとどまらず、現在の、そして今後の社会を生きていく上で著者が大切だと考えることが繰り返し述べられている。

僕はかつて1年間だけ短歌をやっていた時期がある。五七五七七の、あの短歌だ。ちゃんと数えたことはないから適当だが、1年間で500〜1000首ほどは作っただろう。

なんと、短歌を作っていたとは!
ぜひ、また短歌にも取り組んで欲しいなあ。

2017年7月10日、中公新書ラクレ、840円。


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2018年06月14日

田口久美子著 『増補 書店不屈宣言』


2014年に筑摩書房より刊行された単行本に改訂、削除、追記をほどこして文庫化したもの。

リブロやジュンク堂で40年以上にわたって書店勤務を続けてきた著者が、日本の書店や出版業界の現状を現場の書店員へのインタビューを通じて描き出した一冊。

日本における出版物の総売上高や書店数は90年代後半のピーク時に比べて約6割にまで落ち込んでいる。もう20年近く右肩下がりの状態が続いていて歯止めが利かない。

日本の雑誌はとにかくあらゆるジャンルごとに発行されているのだ、もうそれは世界に類のないことではないかと思う。
児童書には「書店営業の伝統」がまだ生きている、と思ってしまうのは、最近の出版不況から出版社は人件費のどこを削るか、それは営業でしょう、ということになっているようだから。つまり出版社は効率を考えて、これぞという新刊発売時以外は書店回りをしなくなったのだ。
私たちはこういう大切な「マニア・学問の人」、つまり日常的に本が周辺にあるひと、を新興ネット書店・アマゾンに奪われているわけだ。だが、そのお客さんにとってはまことに便利な時代になったのだろう、書店員として認めるのは悲しいけれど。

何か有効な対策があるわけではない。精神論でどうにかなるような状況でもない。書店や本が必要とされない時代が、もう現実に近づいているのだ。

2017年12月10日、ちくま文庫、780円。


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2018年05月04日

カベルナリア吉田著 『狙われた島』


副題は「数奇な運命に弄ばれた19の島」。

タイトルや副題がおどろおどろしいが、内容は真面目(?)な紀行文。各地の様々な歴史や背景を持つ島を訪ねた記録である。

取り上げられているのは、奥尻島、佐渡島、伊豆大島、豊島、直島、長島(岡山県)、大島(香川県)、金輪島、大久野島、似島、江田島、大津島、久賀島、生月島、池島、伊王島、隠岐島後、津堅島、江島(宮城県)。

いずれも戦争、災害、産業廃棄物、ハンセン病、キリシタン迫害などの舞台になった島である。

日本の多くの島々が、数奇な歴史と運命に翻弄された。その背景には必ず「力ある者」の身勝手な思惑があった。
日本の中心から遠く離れた辺境の島々を歩き、あえて東京を、都会を、日本の中央を俯瞰する旅。それによって、都会にいてはわからない日本の側面が見えてくる。

こうした思いが色濃く滲んだ一冊で、にわか仕立ての観光ブームとは距離を置く著者の姿勢が随所に表れている。ちょっと気難しいオッサンだけど、そこがいいのだろう。

2018年2月1日、アルファベータブックス、1800円。


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2018年04月29日

田中輝美著 『ローカル鉄道という希望』


副題は「新しい地域再生、はじまる」。

ローカルジャーナリストとして地域のニュースを記録、発信している著者が、全国のローカル鉄道の問題点や取り組みを紹介しつつ、鉄道と地域の関わりについて論じた本。

取り上げられているのは、銚子電鉄、北条鉄道、肥薩おれんじ鉄道、一畑電車、いすみ鉄道、えちぜん鉄道、熊本電鉄、ひたちなか海浜鉄道、京都丹後鉄道、若桜鉄道、天竜浜名湖鉄道、わたらせ渓谷鐡道、高松琴平電気鉄道。

ローカル線を活かす方法や地域再生の手掛かりがいくつも記されている。

最大の顧客であり支え手である地元の住民とのかかわりを増やすことで、ローカル鉄道が自分ごとになり、当事者意識が芽生える。そうすれば、結果として、主体的にかかわってくれ、乗ってくれるようになる。
ローカル鉄道の価値をはかる指標が、採算性しかない。利益も大切だが、地域にどれだけ貢献しているか、住民が満足しているか、都会での知名度がどこまであがったか、こうした鉄道がもたらす価値を可視化する新しい仕組みをつくり、考え方を変えなければ、将来は暗い。
いくつかのローカル鉄道のトップに、鉄道とバスの違いを聞いたときに「鉄道は地図に載るという強みは大きい」と共通して答えていたことは興味深く感じられた。

人口減少や過疎化の流れの中で存廃問題に揺れるローカル線も多い。けれども、むしろローカル線を使って地域を活性化する方法や可能性があることを、本書は示している。「鉄道がなくなって栄えたまちはない」という言葉が重い。

2016年8月30日、河出書房新社、1500円。


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2018年04月08日

長岡義幸著 『「本を売る」という仕事』


副題は「書店を歩く」。

「街の本屋が廃れつつあり、逆境にある書店を応援できないか」と考える著者が、全国を訪ね歩いて書店の現状と今後について記した本。

近年、出版や書店を取り巻く状況が厳しくなっているという話は聞いていたが、正直これほどとは思っていなかった。

アルメディアの調査では二〇一七年五月一日現在、全国の書店数は一万二五二六店だった。一九九九年に二万二二九六店あった書店が一七年間で四三パーセント以上も減少していた。単純計算で毎年五〇〇〜六〇〇店ずつ書店がなくなっていたことになる。
ピーク時の一九九六年、トータルで二兆六五六四億円の推定販売額を誇っていた書籍・雑誌の市場は、二〇一六年には三分の二以下の一兆四七〇九億円に縮小した。

書店の減少や出版不況に関して様々な要因が言われている。ネット書店、新古書店、図書館などの影響が取り沙汰されることも多い。しかしこうした数字を見る限り、問題はそうした表面的なことではなく、もっと深刻なのだろう。

この本で取り上げられている書店は、丸山書房(東京)、郎月堂書店(甲府)、長崎書店(熊本)、英進堂(新潟)、いわた書店(北海道)、隆祥館書店(大阪)、七五書店(名古屋)、ブックスキューブリック(福岡)、桑畑書店(釜石)、ヤマニ書房(いわき)など、いわゆる「街の本屋」が多い。

私は最寄り型書店と呼べるような、地域の人々にとってより身近な、現にある需要を満たすために奮闘する街の本屋に心惹かれる。近隣の住民の読書環境を保証する、いわば生活基盤(インフラ)的な存在だと思うからだ。

私の住む町でも、昨年、駅前の商店街にあった本屋が店を閉じた。京都駅八条口のアバンティブックセンターも、先日行ったら売り場が縮小していた。三月書房も今年から定休日を増やし営業時間を短くしている。

書店は今後どうなっていくのだろう。

2018年1月20日、潮出版社、1600円。

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2018年04月06日

『消えゆく太平洋戦争の戦跡』




海外23地域と硫黄島・沖縄など日本国内に残る太平洋戦争の戦争遺跡を400点に及ぶ写真とともに紹介・解説した本。海外も含めてこれだけ網羅的に扱った本は初めてではないだろうか。

戦争当時のことだけでなく、戦後の経緯や現状など、知らないことがたくさんあった。

「ラバウル航空隊」がその名を馳せた日本軍の要衝は、戦後もニューブリテン島最大の都市として栄えていたが、平成に入ってから度々火山の噴火に見舞われた。そのため、都市機能も一旦放棄され、現在は回復半ばである。
ブーゲンビル島は、現在パプアニューギニアの自治州となっている。(・・・)戦後、大規模な内戦が起こり治安が不安定なため、戦没者の慰霊に訪れることも難しい地域が多い。
日本軍守備隊と連合軍の間で激しい市街戦が起こった首都マニラは第2次世界大戦でワルシャワに次いで徹底的に破壊された都市といわれ、(・・・)

巻頭の「太平洋戦争の戦場」という地図を見ると、太平洋の島々、東南アジア、中国、満州と実に広い範囲にわたって戦争が繰り広げられたことがよくわかる。

そう遠くない将来、戦争体験者たちはいなくなるだろう。(・・・)そう考えると、戦争の実態を伝える遺構や遺跡の価値は高まってゆくことが分かるだろう。
沖縄の米軍基地問題から分かる通り、昭和二〇年に終わった戦争は現代の日本をも規定している。戦争抜きに日本の近現代史は理解できないのだ。

帯には「戦争遺跡のレッドデータブック」という文言もある。年々失われていく戦争遺跡をどのように保存、活用していくべきか。今後の課題は多い。

2017年7月10日、山川出版社、1800円。

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2018年04月05日

『新潮日本文学アルバム24 与謝野晶子』




懐かしい「新潮日本文学アルバム」シリーズの一冊。
数多くの写真をまじえつつ、64年の晶子の人生を5つの時期に分けてたどっている。

 ・鉄幹との出会い(明治11年〜明治32年)
 ・『みだれ髪』(明治33年〜明治36年)
 ・「君死にたまふことなかれ」(明治37年〜明治44年)
 ・欧州旅行と『源氏物語』(明治45年〜昭和元年)
 ・「明星」終刊後(昭和2年〜昭和17年)

与謝野晶子の写真は代表的な数枚しか知らなかったのだが、この本には何十枚も載っていて晶子の印象がだいぶ変わった。他にも原稿やノート、書簡なども多数あって、晶子の姿を身近に感じることができた。

1985年11月25日、新潮社、980円。


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2018年03月28日

酒井充子著 『台湾人生』



副題は「かつて日本人だった人たちを訪ねて」。
2010年に文藝春秋より刊行された単行本の文庫化。

映画「台湾人生」(2009年)の監督である著者が、台湾で戦前の日本語教育を受けた方々に話を聞いたドキュメンタリー。

戦前の日本の植民地政策、戦時中の徴兵や工場への動員、そして戦後の二二八事件や台湾の民主化など、台湾の近現代史が生々しく語られている。

わたしたちは日本に捨てられた孤児みたいなもの。日本人の先生がおるし日本人の友達がおるのに、どうして日本はわたしたち孤児をかわいがってくれないの?(陳清香)
悲しかったのは、帰ってから中国(中華民国)籍に入れられて。これはもうほんとに悲しかったですよ。あのときは、泣いたですよ。日本軍人として戦った相手の敵の国の籍に入れ替えられて、なんだろうとぼくは日本政府を恨んだですよ。(蕭錦文)
思い出があるのが、「新高の 山のふもとの 民草の 茂りまさると 聞くぞうれしき」という明治天皇の歌なんだよね。「新高の山のふもとの民草」というのは、台湾中央山脈、新高山の周りに住む住民たち、とくに原住民たち。(タリグ・プジャズヤン)

言語、民族、領土、国家といった問題が様々に浮かび上がってくる一冊であった。

2018年1月20日、光文社知恵の森文庫、740円。

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2018年03月21日

寺尾紗穂著 『あのころのパラオをさがして』



副題は「日本統治下の南洋を生きた人々」。

1922年から1945年の敗戦まで大日本帝国の委任統治下にあったパラオを訪ね、当時を知る人々に話を聞いたルポルタージュ。数々の証言を通じて南洋群島の歴史や戦前の暮らしが浮かび上がってくる。

パラオにあった熱帯生物研究所やパラオ放送局、あるいは日本語が交じったパラオの歌謡「デレベシエール」のことなど、知らない話がたくさんあって興味を惹かれる。

委任統治と言っても実質的には植民地である。南洋庁の役人や文化人をはじめ、日本からの開拓移民、沖縄や朝鮮から来た人々、現地のカロリニアンなど、パラオには様々な人が住み、そこには差別や格差もあった。

統治する側とされる側、上位に立つ者と下位に立つ者との間では上位の人間の価値観を下位の人間が内面化することが起こりやすい。
貧しい日本の暮らしを抜け出し、永住覚悟で入植した人々にとって、植民地はかけがえのない場所であった。だからこそ、植民の是非を判断することは難しい。ただ、それらの「生」がそこにあった。

著者は植民地の是非について性急に結論を出そうとはしない。一人一人の話を丁寧に聞くことを大事にしている。パラオに住む人だけでなく、戦後パラオから日本に引き揚げた人にも話を聞きに行く。

インターネトで全てがわかったような気分になってしまう時代にあっても、世の中には、(・・・)ネットには載っていないひそやかな物語がいくつも、過去の時間や今現在の中に埋もれているんだと、改めて肝に銘じることになった。

ネット全盛の世の中にあって、こうしたルポルタージュの価値はますます高くなっているのではないだろうか。パラオにもぜひ一度行ってみたい。

2017年8月10日、集英社、1700円。

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2018年03月03日

おかべたかし・文、山出高士・写真 『くらべる時代』



昭和と平成で変わったもの34点を取り上げて、写真付きで解説した本。
例えば、

 子どもの楽園が「昭和の屋上」
 都会のオアシスが「平成の屋上」
 卵でしっかり巻いたのが「昭和のオムライス」
 とろとろ卵を乗せたのが「平成のオムライス」
 板ガムが「昭和のガム」
 粒ガムが「平成のガム」
 白いのが「昭和の日傘」
 黒いのが「平成の日傘」
 籠を使ったのが「昭和のフルーツ盛り」
 箱を使ったのが「平成のフルーツ盛り」

など。見開きに2枚の写真を並べて見せてくれるので、非常にわかりやすい。

昭和と平成の変化のポイントとして「定番がなくなった」ことが挙げられていて、なるほどと思った。「昭和のラーメン」はある程度誰もがイメージできるのに対して、「平成のラーメン」は多種多様なのである。

この「くらべる」シリーズ、実におもしろい。

2017年3月1日、東京書籍、1300円。

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2018年02月26日

田中康弘著 『ニッポンの肉食』



副題は「マタギから食肉処理施設まで」。
著者の本を読むのはこれが5冊目。

『マタギとは山の恵みをいただく者なり』
『女猟師』
『日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』
『猟師食堂』

「日本人と肉食」「日本人はこんな肉を食べてきた」「動物が肉になるまで」の三章から成っていて、肉食の歴史、畜産肉と狩猟肉の種類、食肉処理の方法など、肉食に関することが一通りわかる内容となっている。

では肉とは動物の体のどの部分か、わかりますか? それは筋肉です。私たちが食べている肉とは動物の筋肉のことにほかならないのです。
基本的に肉食獣の肉はさほど美味しいものではありません。あえて順位を付けると「果実などを食べる動物>草食動物>雑食動物>肉食動物」となるのではないでしょうか。
以前街中ではウシ、ブタの肉を売る店とは別に鶏肉屋さんがありました。これは流通が異なることによって販売も分かれていた証拠です。
野生動物は住む地域や季節の差によって食べる物が異なり自ずと個体差が生じます。その結果、肉も非常に個性的で美味いものと不味いものの振れ幅が極端に大きくなります。

肉を食べるというのはどういうことなのか、考えさせられる。
一度、食肉処理施設を見学してみたい。

2017年12月10日、ちくまプリマ―新書、780円。

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2018年02月14日

金丸弘美著 『田舎力』



副題は「ヒト・夢・カネが集まる5つの法則」。

全国各地の元気な町の事例を挙げて地域活性化のヒントを述べた本。取り上げられているのは、小値賀島(長崎)、大山農協(大分)、馬路村農協(高知)、モクモク手づくりファーム(三重)、常陸太田市(茨城)、豊岡市(兵庫)など。

「普通のもの」を観光資源として再発見するには、「外の視点」に切り替えて地元を見つめ直すということが不可欠である。
いま思えば、「田舎がかっこ悪い」という時代は、1980年代に終わっていた。しかし、当の田舎のほうでは、21世紀に入ってもなかなか意識が変わらなかったのではないか。
イベントの有料化というのが重要である。地方ではボランティアになってしまうことが少なくないからだ。また行政関係が主催するイベントでは補助事業ですべてが無料でまかなわれ、その後に継続しないという例がいくつもある。

こうした指摘はこれまでもよく言われてきたことだが、やはり大事だと思う。

また、著者は流通用に改良されたF1品種の野菜が幅を利かせている現状にも警鐘を鳴らす。

大根とにんじんとしいたけの煮物といっても、昔その地域にあった伝統の素材とはまったく別物。これに添加物入りの醤油や、白砂糖や、みりん風調味料が使われると、料理は都心のチェーン店と変わらないものとなってしまうのである。

問題の根深さが非常によくわかる話だ。

NHK出版 生活人新書、700円。
2009年8月10日第1刷、2015年1月20日第14刷。

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2018年02月02日

岡本真一郎著 『言語の社会心理学』



副題は「伝えたいことは伝わるのか」。

言語学的な興味があって読んだのだが、どちらかと言うと社会心理学やコミュニケーション学の話であった。様々な会話の実例や実験の結果などを、的確にわかりやすく解説している。

表情などもそうだが、非言語的チャネルには、言語に比べると自らは制御しにくいものが多い。制御しにくいから、正直な感情が表れやすい、ということを受け手も学習している。したがって言語と非言語が矛盾するような場合には、非言語の口調や表情のほうにより信頼を寄せるのである。
Aさんのような自己卑下は、実は相手から賞賛を得るための間接的手段とも考えられるのである。さらにこうした場合、自己卑下を否定されることによって、Aさんは精神的健康を得ている、ということを示す研究結果がある。
メッセージの送り手は自分が知っていることは受け手も分かっているだろうと推測する、つまり共通の基盤を過大評価する可能性がある。このためメッセージに配慮がなされず、受け手にうまく伝わらなかったり誤解を発生させる。

こういう話はただ興味深く面白いというだけではなく、いろいろと自分自身思い当たることもあって耳が痛い。

2013年1月25日、中公新書、880円。

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2018年01月23日

北野新太著 『等身の棋士』



将棋の観戦記者として活躍する著者が、2014年以降に雑誌やWEB連載に発表した文章をまとめた本。

藤井聡太、加藤一二三、羽生善治、渡辺明、木村一基、中村太地など、今話題の棋士たちの姿や発言をなまなましく描き出したノンフィクションである。

棋士(プロ)はたった160人しかいない厳しい世界。その中で互いに死力を尽くして戦っている。誰も負けようと思って将棋を指す人はいない。けれども、どちらかは必ず負ける。

 棋士にとって投了を告げるのは、少しだけ死ぬことなのだ。

という言葉がはてしなく重い。

2017年12月24日、ミシマ社、1600円。

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2018年01月18日

酒井順子著 『裏が、幸せ。』



2015年3月に小学館から刊行された単行本の文庫化。

「民藝」「演歌」「仏教」「美人」「流刑」「文学」「田中角栄」「鉄道」「原発」など、様々な切り口から「裏日本」(日本海側)について考察した本。軽いエッセイと思って読み始めたのだが、実はかなり本格的な日本文化論であった。

日本において資本主義が形成されていく時に、裏日本という概念もつくられていったと言えましょう。
演歌における日本海もまた、歌枕的役割を果たしています。
千年もの長きにわたって帝がいた日本の中心ということで、京都は「表」の街であると思われがちです。しかし京都は、表と裏とが強いコントラストで同居する街。

なるほど、と思わされる指摘ばかり。

著者の考えは、表と裏を上下関係として見るのではなく、補い合い引き立て合う関係として捉えるという点で一貫している。表の方が良いという価値観は、もういい加減終わりにした方が良いのだろう。

「北前船、ローカル線、北陸新幹線」に関する話の中で、地図学者の今尾恵介さんの「たとえば能登も、海運の時代は交通の要衝だったわけですよ。半島というのは、船の場合は便利な地なのだけれど、しかし陸路となると僻地になってしまう」という言葉が紹介されている。

まさにルビンの壺のように図と地が反転してしまったわけだ。こうした見方を知るだけでも、随分と日本の見え方が違ってくるように思う。

2018年1月9日、小学館文庫、600円。

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2018年01月11日

荒井利子著 『日本を愛した植民地』



副題は「南洋パラオの真実」。
パラオには一度行ってみたいという思いがあって、手に取った本。

タイトルを見ると、昨今流行りの「日本はスゴイ」「日本は悪くない」系の本かと思ってしまうが、中身はそこまで偏ってはいない。戦前は日本の委任統治領だった南洋群島、特にパラオの歴史について、現地の方々からの聞き取りをもとにまとめている。

現地に住む日本人の数について、こんな記述がある。

パラオに南洋庁が設立された大正十一年(一九二二)以降は、五年ごとに倍増していったといってもいいだろう。昭和五年(一九三〇)には約二万人、昭和十年(一九三五)には約五万人、昭和十五年(一九四〇)までには七万七千人に膨れ上がり、第二次世界大戦の終戦時の昭和二十年(一九四五)には十万人にまで達していたと推定される。

十万人・・・。
樺太の四十万人にも驚いたが、南洋群島(サイパン、パラオ、ヤップ、トラック、ポナペ、ヤルート)にも十万人もの日本人が暮らしていたのだ。

引き続き、南洋群島関連の本を読んでいきたい。

2015年9月20日、新潮新書、780円。

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2018年01月10日

『日本の文化ナショナリズム』 のつづき


この本は和歌から短歌への流れを考える上でも参考になる点が多い。短歌史も(当然のことながら)日本の歴史やナショナリズムの歴史と深い関わりを持っているからだ。

まずは、江戸時代の日本語の文体についての話の中で、次のような指摘が出てくる。

(江戸時代)後期の「漢詩」には、中国清代の性霊派の影響を受けて、当代のことばによる個人の感性の自然な流露を尊ぶ表現が流行した。その影響は和歌にも及んで、香川景樹を開祖とする桂園派の流れをつくった。

「性霊派」という言葉を聞くのも初めてだし、香川景樹がその影響を受けていたというのも初耳である。

また、佐佐木信綱が1890年に父弘綱とともに『日本歌学全書』を編纂したことは有名であるが、その背景には以下のような時代の流れがあったのだと言う。

同じ年、『日本歌学全書』全十巻、『日本文学全書』全二十四巻が博文館から刊行開始された。先にもふれたが、『歌学全書』は和歌の、『文学全書』は散文のアンソロジーで、あわせると日本で最初の「日本文学全集」となる。こうして「日本文学(史)」という観念が形づくられ、定着してゆく。

これも『日本歌学全書』だけ見ていても気が付かない観点と言っていいだろう。

さらに、もう一つ。「一九一〇年代から二〇年代にかけての日本では、実にさまざまな生命主義が開花した」という文脈で、徳冨蘆花のエッセイや有島武郎の『生れ出づる悩み』、萩原朔太郎の『青猫』とともに挙げられているのが、何と斎藤茂吉の「短歌における写生の説」(一九二〇)なのである。

このように、短歌史という枠組みの中では見えないことが、同時代の文化の流れとあわせて見ることでわかってくるのだ。そこが新鮮で、すこぶる面白い。

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2018年01月08日

鈴木貞美著 『日本の文化ナショナリズム』



「民族主義」「国民主義」「国家主義」など、文脈によって様々に使い分けられているナショナリズム。明治以降の日本のナショナリズムの歴史を振り返りつつ、今後の進むべき道を考察する内容となっている。

一般に明治以降の日本の「近代化」=「西洋化」と考えられているが、著者はそれに異議を唱える。決して「西洋化」一辺倒だったわけではなく、それと反対に新たな「伝統」が生み出されたり、「アジア主義」への傾斜が起きたりしたと言うのである。

例えば、漢文が古文と並んで現在も「国語」の中に位置付けられている理由もそこにある。

幕末から明治初期にかけて、英学の隆盛にともない、一時期、漢学者が嘆くほど、「漢文」学習は廃れた。しかし、一八八〇年代には「漢文」学習が、日本古典の学習とともに、エリート層に復活する。(・・・)日本「漢詩」の専門家たちは、歴史上、明治期が質量ともに、その最高の時期だったといっている。

明治期に漢文学習が盛んであったという(意外な)事実は、はたして何を意味しているのか。

「西洋化」と「伝統」「アジア主義」の二つの方向に引き裂かれた日本のナショナリズムは、その後、アジア・太平洋戦争における敗戦という形でその矛盾を露呈することになる。けれども、そこで話は終ったわけではなく、現在もそうした状況は続いていると言って良いのだろう。

2005年12月9日、平凡社新書、860円。

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2018年01月04日

北村薫著 『太宰治の辞書』


2015年に新潮社から出た単行本にエッセイ2編と短編を新たに収録して文庫化したもの。

円紫さんシリーズを読むのは十数年ぶり。主人公の「私」も四十代半ばとなり中学生の息子がいる。計算すると、私(松村)と同じくらいの年齢のようだ。

取り上げられる作品は、芥川龍之介「花火」、太宰治「女生徒」「二十世紀旗手」、萩原朔太郎「夜汽車」など。

小説は書かれることによっては完成しない。読まれることによって完成するのだ。ひとつの小説は、決して《ひとつ》ではない。
一人称の告白らしい形をとった時よりも、作家は虚構の中でこそ自己を語るものだ。

短歌を題材に、こうした「日常の謎」系の本を書いてみたいなと思う。

2017年10月13日、創元推理文庫、700円。

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2017年12月25日

毎日新聞校閲グループ著 『校閲記者の目』



副題は「あらゆるミスを見逃さないプロの技術」。

「舟を編む」が映画になったり「校閲ガール」がテレビドラマになったりと、最近言葉に関する興味が高まっているように感じる。

本書は毎日新聞の校閲グループのメンバーがWEB「毎日ことば」Twitterで発信した内容を書籍化したもの。よく売れているようで3か月で5刷となっている。

最初にダミー紙面を使った練習問題があるのだが、これが難しい。半分も見つけられなかった。間違い探しのクイズと違って、間違いが何か所あるかもわからない世界。

たとえ、99カ所直すことができても、一生懸命調べて大きな誤りを直したとしても、たった1カ所見逃して、たった1カ所誤りかおかしな表現が紙面化され、それが読者の目に触れることになれば……それは99点ではなく、0点です。

例として挙がっている誤りは

×建国記念日→〇建国記念の日
×2017年のえと「酉」の置物→〇2017年のえと「酉」にちなんだ置物
×万歩計→〇歩数計

などなど。

最後に「現役校閲記者の短歌」として、澤村斉美さんの歌集『galley(ガレー)』の歌が紹介されている。

遺は死より若干の人らしさありといふ意見がありて「遺体」と記す
人の死を伝へる記事に朱を入れる仕事 くるくるペンを回して
死者の数を知りて死体を知らぬ日々ガラスの内で校正つづく

校閲記者の仕事の大変さとやりがいが、よく伝わってくる一冊であった。

2017年9月5日第1刷、2017年12月10日第5刷。
毎日新聞出版、1400円。

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2017年12月22日

佐藤雅彦著 『新しい分かり方』


著者 : 佐藤雅彦
中央公論新社
発売日 : 2017-09-20

NHK教育テレビの「ピタゴラスイッチ」を息子と見ていてすっかり好きになって以来、佐藤雅彦の活動に注目してきた。今回の本は

この書籍には、「こんなことが自分には分かるんだ」とか「人間はこんな分かり方をしてしまうのか」というようなことを分かるための機会をたくさん入れようと構想しました。

というもので、全部で60の作品と6篇のエッセイが収められている。

ものごとの理解の仕方や伝え方、コミュニケーションのあり方など、様々なことを考えさせられる内容で、実に刺激的な一冊である。この本自体が、「分かること」「伝えること」の格好の実例になっていると言ってもいいかもしれない。

「わかる歌」「わからない歌」といった議論が繰り返される短歌の世界にとっても、ヒントになることがたくさん書いてあると思う。

2017年9月25日、中央公論新社、1900円。

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2017年12月14日

吉田勝次著 『素晴らしき洞窟探検の世界』



洞窟探検家として国内外1000以上の洞窟に入ってきた著者が、洞窟探検の方法や魅力について記した本。

岐阜県の霧穴、沖永良部島の銀水洞、ハワイのカズムラ洞窟、イランの3N洞窟、オーストリアのアイスコーゲル洞窟、メキシコのゴロンドリナス洞窟、ヴェトナムのソンドン洞窟、中国の万丈坑など、形も種類も大きさも様々な洞窟が紹介されている。

怖がりで高い所も狭い所も苦手と言う著者であるが、まだ誰も足を踏み入れたことのない世界を見たいという一心で洞窟探検にのめり込む。探検は冒険とは違う。慎重に準備をして、訓練や装備にも万全を期す。それでも予期せぬ危険や絶体絶命のピンチに遭遇することがしばしばあり、それが本書の読みどころともなっている。

「洞窟探検を、死ぬまでずっと続けたい」という言葉を読むと、人生には本当に好きなことが一つあれば十分なのだということがよくわかる。

2017年10月10日、ちくま新書、920円。

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2017年11月22日

『物語論 基礎と応用』 の続き


短歌を含めた文学全般に通じる話題も多い。

物語論では一般的に、絶対的で固定的な意味はないと考える。この場合、テクストと読者との相互作用によってその都度意味が発生することになる。
物語においては、詳しく説明しすぎないこともテクニックの一つである。詳しく説明されれば余韻が出るはずはない。語られない部分を読者が様々に補うように仕向けることによって、情感がでるのである。
一般に、文学的な小説では、「説明はせずに描写せよ」と言う。「かわいい」ことを書くのに、「かわいい」と言うのではなくて、それを具体的に、出来事の中で表現していくのが物語化することである。

どれも、短歌の入門書に書いてあってもおかしくない内容である。

こうした話を読むことは、おそらく短歌表現にとってもプラスになるに違いない。何が文学全般に共通する点で、何が短歌に特徴的な点であるかといった区別がはっきりするからである。

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2017年11月20日

橋本陽介著 『物語論 基礎と応用』



物語論(ナラトロジー)とは、「物語とは何なのか」「物語とはどのように出来上がっているのか」を論じるもの。本書は第一部が理論編、第二部が分析編となっている。

理論編ではプロップ、ブレモン、バルトらこれまでの物語論の歴史や、物語の中の「時間」、視点と語り手、日本語の特徴といった問題が取り上げられている。

一方の分析編では、『シン・ゴジラ』『エヴァンゲリオン』『百年の孤独』『悪童日記』『この世界の片隅に』など実際の映画や小説などを例に、どのように物語が描かれているかが分析されている。

印象に残った部分をいくつか引こう。

日本語では物語現在を現在として語るが、その際に「た」を使用する。「た」は通常は過去形と考えられるが、物語現在的語りの場合、過去の意味はない。
語り手が自分の言葉でまとめてしまうのがtelling、できるだけその場面を映すように描こうとするのがshowingである。
電話等で「(私は)今からそこに行くね」という時、日本語では一人称主語を基本的に言わない。これは単に、わかりきったことだから省略しているというわけではない。「私」からみて「私」は見えないので、言語化されないのである。

短歌の「私性」や時制の問題なども、短歌の枠組みの中だけで考えるのではなく、こうした物語論を踏まえて考えると随分論点がわかりやすくなる。

もちろん、物語論をそのまま当て嵌めれば事足れりということではない。物語論を踏まえることで、小説とは違う短歌表現の特徴や特質も自ずと浮かび上がってくると思うのだ。

全体にとても面白い本なのだが、分析編はやや駆け足な印象がある。一つ一つの作品についてもう少し詳しく書いて欲しかった。

2017年4月10日、講談社選書メチエ、1700円。

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2017年11月15日

上田三四二 『花衣』



「茜」「日溜」「岬」「花衣」「敗荷」「橋姫」「月しろ」「影向(ようごう)」の8篇を収めた連作短篇集。

何らかの事情を抱えた男女の恋の話が多い。
また、回想の場面が多いことも特徴と言っていいだろう。

目を引く表現がたくさん出てくる。

泉は藤子の手を執った。四つの瞳(め)が見つめ合った。
彼らは岬の宿に泊まった。/窓には、眼にみえない海が満ちていた。
風の筋は枝の先から先へと渡ってあたりの花々を水かげろうのように揺らめかせたが、柔かくふるえる花びらは一つもこぼれることをしない。風の一吹きは、時の一刻であるのに、時はそこにとどまっていた。

小高賢が書いた評伝『この一身は努めたり』に、上田三四二の小説と短歌の表現の類似の話があったと思うが、今、本が見つからない。

風に向って立つ衿子のスカーフがはためいた。彼女は眼を細くしていた。スカートは裾を乱しながら濡れた布のように腰にまつわった。

こんな描写を読むと、すぐに上田の有名な一首が思い浮かぶ。

疾風を押しくるあゆみスカートを濡れたる布のごとくにまとふ 『遊行』

他の上田三四二の小説も読んでみたくなった。

1982年3月23日、講談社、1300円。

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2017年11月12日

中村元著 『水族館哲学』



副題は「人生が変わる30館」。
水族館プロデューサーとして多くの水族館の展示や運営に関わる著者が、全国の30の水族館を選んで、その特徴や見どころを解説したガイドブック。

それぞれの水族館の特徴によって、全体が「水塊の癒し」「命と地球」「日本人の世界観」「逆境からの深化」の4章に分かれている。このうち「水塊」という聞きなれない言葉は、著者が考え出したもの。

大多数の人、とりわけ大人が水族館を訪れる目的は、生物の観察ではない。(・・・)真の目的は、海や川の水中景観を見たり、水中感覚を味わうことだ。

こうした認識のもと、著者は水中感覚を伝える水槽の魅力を「水塊」と名付けた。これは、コロンブスの卵と言ってもいい発想の転換だと思う。

私たちは当り前のように、「動物園」と「水族館」を同列に考えるが、著者はそのことにも異を唱える。「動物園は動物を展示しているが、水族館は水槽を展示している」「水族館は元々、動物園より美術館に近い施設なのだ」といった指摘に、著者の水族館に対する考えはよく表れているだろう。

私は水族館が好きでかなり見に行っている方だと思うが、本書で取り上げられている30館のうち行ったことがあるのは9館だけだった。もっと、あちこち訪れてみたい。

2017年7月10日、文春文庫、890円。
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2017年11月06日

久保えーじ著 『世界まるごとギョーザの旅』



旅が好きで食べることが好きな夫婦が、「旅を仕事にできないか?」と考えて開業した「旅の食堂ととら亭」。世界50か国以上を旅して出会った料理を再現したメニューを提供している。

そんな夫婦がトルコのマントゥと韓国のマンドゥの名前が似ていることから興味を持ったのがギョーザであった。トルコ、中国、ドイツ、アゼルバイジャン、ジョージア、韓国、ポーランド、スロバキア、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスと、ギョーザの発祥と伝播のルートを求めての旅は続く。

そんな中で、思いがけない歴史に触れたりもする。カザフスタンの市場でキムチや海苔巻などが売られているのを見て、著者は次のように述べる。

なぜカザフスタンに朝鮮系の移民がたくさんいるのか? 彼、彼女たちの祖先の多くは日本の植民地支配を逃れ、ロシア極東部に移住してきた人々なのです。その後、スターリン体制下でカザフスタンやウズベキスタンに強制移住させられ(・・・)

日本のギョーザが満州からの引揚者によって広まったという話もそうだが、食文化の歴史の奥深さを感じさせられる。

2017年3月3日、東海教育研究所、1800円。

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2017年11月05日

武田徹著 『偽満州国論』



1995年に河出書房新書から刊行された本の文庫化。

中国の長春の観光用地図に「偽国務院」「偽皇居」など「偽」の字がたくさんあるのを見て興味を持った著者が、実際に現地を訪れたりしながら満州国について論じた本。と言っても、満州国の歴史的な分析ではなく、満州国を通じて見えてくる国家のあり方に関する考察が主眼となっている。

満州国は国家が偽国家に変わる境界線上にある。満州国を語る国家論は、その論証の枠組みそのものが崩壊する一線上を行きつ戻りつせざるをえない。つまり偽満洲国論、それは国家論自体の「偽」性をも浮き彫りにする偽国家論なのだ。

本のなかに登場する人物は、甘粕正彦、大杉栄、清沢冽、後藤新平、石原莞爾、柳田国男、田中智学、吉本隆明、宮沢賢治など、実に幅広い。中でも、ユダヤ系ウクライナ人で、後にゲーム機器の会社タイトーを創業したミハエル・コーガンの話は面白かった。

日本語を使えば日本精神が養われ、日本人化される。そう思われたからこそ、強引な直接法教育は採用された。(・・・)日本語を話す人こそ日本人だとみなす価値観も変わっていない。
コンピューターに繋がりつつ商品を買うことは、選挙で一票を投じることと似ている。

歴史の本だと思って読み進めるうちに、実は現在の私たち自身の問題を論じている本であることに気が付く。国境線、領土、移民、外国人労働者、近隣諸国との摩擦などが問題になっている今、この20年以上前に書かれた本の価値は少しも失われていない。

2005年6月25日、中公文庫、857円。

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2017年09月23日

大崎善生編 『棋士という人生』



副題は「傑作将棋アンソロジー」。

ベストセラー「聖の青春」の作者大崎善生が、将棋に関する文章26篇を選んだアンソロジー。沢木耕太郎、内藤國雄、団鬼六、二上達也、村上春樹、森内俊之など、錚々たる書き手が登場する。

しかも26篇が単に漫然と並んでいるのではない。芹澤博文の「忘れ得ぬひと、思い出のひと」の後に芹澤の師である高柳敏夫の「愛弟子・芹澤博文の死」が載っていたり、人工頭脳と将棋の話を書いた小林秀雄「常識」に続いて渡辺明「ボナンザ戦を受けた理由」があったりと、全体が有機的に繋がるように配列・構成されているのだ。

実に見事である。
長年、将棋雑誌の編集に携わってきた編者ならではの腕の見せ所だ。

他にも、文中に登場する桐谷広人五段が後に株主優待生活で有名になる桐谷さん(今日も「月曜から夜更かしSP」に出演する)であったり、師の京須七段の46歳という早すぎる死を悼む文章を書いている山田道美が自身36歳で亡くなったことなどを思うと、人生や生死ということをしみじみと考えさせられる。

「勝ち」と「負け」しかない世界というのは、何と非情で、美しいものなのだろう。

2016年10月1日、新潮文庫、630円。

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2017年09月13日

神山典士著 『成功する里山ビジネス』



副題は「ダウンシフトという選択」。

人口が減り経済成長もしなくなる「下り坂」の日本社会をどのように捉え、生きていけば良いのか。新しい考え方や生き方を模索し始めた地域や人々を取り上げて論じた一冊。

現在の日本は、環境の変化に対抗する下山用の「文化」を用意しようとしていない。人口増加の社会システムや思考のままに、人口減少時代を生きようとしている。そこが最大の問題だ。
下山の時代には、むしろその真逆の行動が求めれている。仕事は中央よりも課題山積みの地方にある。過疎化や経済的疲弊、文化や教育的課題が蔓延する地方=下り列車の行き先にこそ、働く舞台があり主人公がいる。

こうした文章に、作者の問題意識はよく表れている。

本書で取り上げられているのは、小布施町、一人出版社「文屋」、平田オリザ、豊岡市城崎町、新潟県岩室温泉、「津屋崎ブランチ」、山崎亮とstudio-L、瀬戸内国際芸術祭、小豆島町、バー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」、坂勝、隠岐郡海士町、岩本悠など。

これらは既に成功例として知られている(有名な)地域や人が多く、その点では物足りなさが残る。けれども全体にコンパクトにまとまっていて、今後の社会のあり方を考えるきっかけとなる内容だと思う。

2017年7月10日、角川新書、800円。

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2017年08月05日

三浦しをん著 『あやつられ文楽鑑賞』



2007年にポプラ社より刊行された単行本の文庫化。

文楽にふいに興味が湧いてきて手に取ったのだが、文章がとにかく面白くてすらすら読める。もちろん内容は真面目で、優れた入門書になっている。

文楽の人形は、魂の「入れ物」である。大夫さんの語り、三味線さんの奏でる音楽、そして人形さんが遣うことによって、はじめて魂を吹き込まれる「容器」なのだ。だから場面に応じて、人間以上に「人間」になることも、聞き役に徹する「背景」になることもできる。
近松門左衛門は、きわめて意図的に、与兵衛の心理描写を省略したのだ。『女殺油地獄』は、心理を説明しないことによって、逆に人間心理を限界まで追求しようと試みた、非常にスリリングな作品だ。
咲大夫さんの師匠・豊竹山城少掾はかつて、「ここはこういう解釈ですか」と質問するひとに対して、「そういうふうに聞こえましたか」と答えていたそうだ。これは名回答で、たしかに、義太夫を聞いて、それをどう受け止めようと、お客さんの自由なのである。

表現ということについて、いろいろと考えさせられる一冊である。
とにかく文楽を観に行かないことには始まらないな。

2011年9月18日第1刷、2015年3月10日第11刷、双葉文庫、600円。

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2017年08月01日

鈴木孝夫・平田オリザ著 『下山の時代を生きる』



言語学者の鈴木孝夫と劇作家の平田オリザの対談。

平田の現代口語演劇理論が鈴木の『ことばと文化』などの著作に影響を受けて生まれたという関係があり、今回初めて対談が実現したものである。

90歳という年齢にもかかわらず非常に元気で多少暴走気味な鈴木と、それをうまく受けながら、けれども言うべきことはきちんと言って話を進める平田の間合いが絶妙で、面白いと言うか奇書と言うか、一風変わった本になっている。

鈴木 日本語は結局、話の場に張り付いている場の雰囲気というものが非常に大切なんです。つまりハイコンテクスト(高文脈)のタイプの言語で、同じことを言っても文脈によって意味が全然違ってくることがあります。
鈴木 いま日本の大学で外国語を学ぶのだったら、国家的な必要度から言えば、英語はやむを得ないにしても以前より必要性の少なくなったドイツ語やフランス語よりも、今ほとんど学ばれていないロシア語やペルシャ語、アラビア語をやるべきです。
平田 フランス人の面白いところは、自分にはよくわからないけれど何か価値がありそうなものに対しては、ちょっと尊敬するところですね。(・・・)ところがアメリカ人の多くは、自分がわからないと駄目なんです。
平田 文科省はいま、「問題解決能力のある子」を育てようと言うのですが、ぼくはむしろ大切なのは「問題発見能力」あるいは「問題設定能力」だと思っています。

言葉や日本のあり方をめぐるやり取りには、なるほどと気づかされる点がたくさんある。「登山」ではなく「下山」というのが、これからの時代のキーワードになっていくのだろう。

それにしても、鈴木孝夫、面白すぎる。

2017年4月14日、平凡社新書、740円。

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2017年07月30日

仲村清司・藤井誠二・普久原朝充著 『沖縄オトナの社会見学R18』



三人で沖縄の街歩きをしながら、地元の人しか知らないような名所や穴場を紹介するガイドブック。「那覇編」「普天間編」「コザ編」「金武・辺野古編」「首里編」という構成になっている。タイトルに「R18」とあるが、別に怪しげな本ではなく、いたって真面目な内容である。

普久原 そば粉を使っていないのに「そば」と称しているものだから、復帰後にまぎらわしい名称ということで公正取引上の問題になったことがあるそうですね。
普久原 武田五一の設計した戦前の旧那覇市庁舎の建っていた街路は、旧那覇市でも一番の繁華街だったのですが、実は、その街路にもすずらん灯がともっていました。
藤井 沖縄では酒税軽減措置が復帰特別措置法で定められています。酒税は泡盛で三五%、ビールで二〇%軽減されているんですね。
仲村 基地埋め立てを巡って問題になっている海側を見るのも重要ですが、こういう地元の人々の生活空間の成り立ちも見た方がいいと思う。
仲村 首里と那覇は点で考えるのではなくて、線として考えると、歴史的な意味が浮き上がって見えてきます。

琉球王朝時代の話に加えて、特飲街(特殊飲食街)やAサインバー(米軍公認の飲食店・風俗店)などの痕跡も詳しく紹介されており、沖縄の歴史が重層的に浮かび上がってくる。

世代も出自(大阪生まれのウチナーンチュ二世、愛知生まれの沖縄好き、沖縄生まれ沖縄育ち)も専門もバラバラな三人だからこそ、面白い話になるのだろう。それぞれの持ち味やものの見方が見事なバランスを生み出している一冊だ。

2016年5月8日、亜紀書房、1600円。

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2017年07月26日

河野博子著 『里地里山エネルギー』



副題は「自立分散への挑戦」。

再生可能エネルギーに関する取り組みを全国各地に取材してまとめた本。例として挙がっているのは、宮城県東松島市(太陽光)、山形県庄内町(風力)、鹿児島県甑島(太陽光、蓄電池)、岩手県紫波町(木質チップ)、富山県五箇山・宇奈月温泉(小水力)。

再生可能エネルギーの利用が「地球温暖化対策」や「輸入燃料への依存度の軽減」「災害時対応」といった目的だけでなく、地方創生の手段になるとの指摘が、本書の大きな特徴だろう。エネルギーの地産地消が、町おこしの一環になり得るというのである。

現在は固定価格買い取り制度などの優遇策や補助金に頼っている部分が大きいが、再生可能エネルギーが普及して設備投資にかかる費用が安くなれば、経済的にも十分に成り立つように思われる。

2017年1月25日、中公新書ラクレ、780円。

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2017年07月25日

光嶋裕介著 『建築という対話』



副題は「僕はこうして家をつくる」。

内田樹の凱風館を建築したことで知られる著者が、自らの生い立ちや建築家になろうとした理由、建築家とはどういう仕事か、建築家として考えていることなどを述べた本。

○内田樹著『ぼくの住まい論』
http://matsutanka.seesaa.net/article/413621903.html
○光嶋裕介著『みんなの家。』
http://matsutanka.seesaa.net/article/415872677.html

読んでいて文体が独特だなと思っていたら、あとがきに、「語り下ろし」という形式で書かれたことが記されていた。編集者とのインタビューをもとにして書き直した一冊ということのようだ。なるほど。

文章に限らず、スケッチやドローイングを描いているときも、本当に集中して何かを手探りで書(描)いているときは、全体像や目的地が、はっきりとはわからない状態から出発します。鮮度の高い何か得体のしれないものに触れながら、事後的に「わかる」という感覚がつかの間だけでも得られるのだと思います。
実際に見えるモノだけではなく、その向こう側にあるかもしれない見えないものに、建築家として対処することができないだろうかといつも考えています。その内に美しさを秘めた見えない存在を、仮に「物語」と呼んでもよいでしょう。

こうした部分は建築というジャンルに限らず、多くの創作に当て嵌まることだと思う。

合気道やプリコラージュなど、内田樹の影響が少し強過ぎるかなという気もするし、ところどころ正論過ぎて鼻につく部分もある。でも、全体としては著者の建築に対する思いが率直に述べられていて、質の高い内容だと思った。

2017年5月10日、ちくまプリマ―新書、880円。

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2017年07月21日

藤井一二著 『大伴家持』


副題は「波乱にみちた万葉歌人の生涯」。

奈良時代を代表する歌人であり『万葉集』の編纂にも携わった大伴家持の生涯を、多くの資料や歌から解き明かした一冊。

特に家持の官吏としての側面を詳しく知ることができたのが良かった。橘奈良麻呂の乱や氷上川継の乱など、多くの政争に巻き込まれながらも、晩年は従三位中納言にまで昇進している。本人の能力だけでなく、人間関係や運も味方したのだろう。

中でも、従兄弟(諸説あり)で橘奈良麻呂の乱で死んだとされる大伴池主との交流には胸を打たれるものがある。

池主は、幼少期も含め生涯を通じて家持と集いを共にする機会も多く、その性格と歌作の才を最も評価しうる立場にあった。家持の苦悩する人間関係とともに、自らの歌作に留まらず大伴氏を中心とする一大歌集の編纂にむけて情熱を傾注する家持を目の当たりにし、池主自身が家持を政局に巻き込まない方向でそこから離れる道を選んだのだと推察する。

つまり、打倒藤原仲麻呂を目指す反乱に家持を巻き込まないように、池主があえて距離を置き、それが結果的に反乱失敗後の家持を救ったと著者は見るのである。もちろん、事実がどうであったのかはわからない。ただ、難しい判断があったことだけは間違いない。

 馬並(な)めていざうち行かな渋谿(しぶたに)の清き磯廻(いそみ)に寄する浪見に
 立山にふり置ける雪を常夏(とこなつ)に見れども飽かず神(かむ)からならし
 珠洲の海に朝開(あさびら)きして漕ぎ来れば長浜の湾(うら)に月照りにけり
 朝床(あさどこ)に聞けば遥けし射水河(いみづかは)朝漕ぎしつつ唱ふ船人
 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも

『万葉集』には家持の長歌46首、短歌432首、旋頭歌1首の計479首が収められている。家持の生涯を知ることで、歌の魅力もさらに増すように思う。

2017年6月25日、中公新書、820円。

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2017年07月09日

笹原宏之著 『日本の漢字』



日本人が日常的に使っている「漢字」について、表記の多様性、俗字、国字、漢字制限、位相文字、地域文字、地名、造字など、様々な角度から分析した本。多くの実例が挙げられているので、わかりやすく説得力がある。

 「ひと」ということばを「人」と書くのと「ひと」と書くのでは、印象が異なるだろうし、「ヒト」や「他人(ひと)」と書けばさらに異なるニュアンスを与えるであろう。
 当用漢字の新字体は、戦後の創作ではない。根拠のないものではなく、実際にはほとんどすべてが、当時使われていた手書きの「俗字」を採用したものである。
 姓では「藤」が東日本では「佐藤」「斎藤」など「〜トウ」が多く、西日本では「藤原」「藤田」など「ふじ〜」が多いという分布の差も見出される。
 「淫(みだ)ら」と「妄(みだ)り」と「乱(みだ)れ」の間に、何らかのつながりを感じることが漢字の字面によって妨げられてはいないだろうか。

雑学的なこともたくさん載っているのだが、基本的には非常にまじめで学術的な内容である。特に面白かったのは幽霊文字の話。JIS漢字に含まれている幽霊文字(実在しない謎の文字)のルーツを調べて解き明かすところなど、まさに圧巻と言っていいだろう。

日本人が日本語を書くために長年にわたって磨き上げてきた日本の漢字。それに対する著者の深い愛情が伝わってくる一冊である。

2006年1月20日、岩波新書、740円。

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2017年07月04日

川本三郎著 『「男はつらいよ」を旅する』



映画「男はつらいよ」のシリーズ全48作のロケ地を訪ねて、全国各地を旅した紀行文。初出は「新潮45」2015年8月号〜2016年11月号。

訪れたのは、沖縄、柴又、網走、奥尻島、金沢、永平寺、会津若松、佐渡、別所温泉、京都、津山、備中高梁、龍野、大阪、五島列島、伊根、温泉津、津和野、鰺ヶ沢、寒河江、秋月、日田、加計呂麻島など。

「男はつらいよ」と言えば、人情、喜劇、家族、恋愛といった側面から語られることが多いが、著者の観点は少し違う。

「男はつらいよ」は旅の映画である。
「男はつらいよ」は、消えゆく日本の風景の記録映画である。
「男はつらいよ」が何度見ても面白いの理由のひとつはそこに、失われた鉄道風景が残っていることにある。
「男はつらいよ」は、喜劇映画としてだけではなく、懐かしい風景を記録したシリーズとして長く残るに違いない。
二〇〇七年に廃線になってしまった「くりでん」を「男はつらいよ」はみごとに動態保存したことになる。

シリーズ最終作「寅次郎 紅の花」(1995年)の公開から既に20年以上が経つ。町並みが変ったり、鉄道が廃止されたりしたところも多い。記録映画としての「男はつらいよ」の価値は、今後ますます高まっていくことだろう。

大学時代に「男はつらいよ」の魅力を滔々と語っていた友人は、大の鉄道マニアでもあった(卒業後にJRに就職)。「男はつらいよ」と鉄道は、切っても切り離せない関係にあるのだ。

2017年5月25日、新潮選書、1400円。

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2017年06月22日

広瀬友紀著 『ちいさい言語学者の冒険』


副題は「子どもに学ぶことばの秘密」。
岩波科学ライブラリー259。

子どもたちの言い間違いを手掛かりに、なぜそのような言い方が生まれるのか、人間はどのように言葉を学んでいくのかを実例に沿って解き明かした。大人になると忘れてしまう言葉の不思議や秘密が、子どもの眼を借りて生き生きと描き出されている。

つまり、「た―だ」「さ―ざ」「か―が」の間に成立している対応関係が成り立っているのは、「ぱ(pa)」と「ば(ba)」の間のほうなんですね。
「おんな」+「こころ」は「おんなごころ」で「こころ」が濁音化(連濁)するけど、「おんな」+「ことば」で「おんなごとば」になることはない。なぜだろう?という問いの答えは「ライマンの法則」とよばれています。
「タニシ」と発音した音声のなかにtanという音があるかを尋ねた場合は、日本語話者のほとんどはYESボタンを押さなかった一方、英語話者とフランス語話者は(…)YESと反応したと報告されています。

日本語話者が日本語の仕組みをわかっているかと言えばそんなことはなく、かえって当り前すぎて気が付かないことが多い。そうした点をあらためて知るには、子どもや外国人が日本語を学ぶ方法が参考になる。

「日本語の授業で、「っ」ってどう習いましたか?」
「次の音の構えをしながら、つまりスタンバイしながら1拍分の長さをおくことです」

自分が普段使っている言葉について深く知ることは刺激的で、新たな可能性を開いてくれることだと思う。

2017年3月17日、岩波書店、1200円。

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2017年06月19日

三浦英之著 『五色の虹』


副題は「満州建国大学卒業生たちの戦後」。

1938年に満州国の最高学府として、首都新京(現:長春)に設立された建国大学。そこでは「五族協和」の理念のもと、日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア人の優秀な学生が集まり、6年間の共同生活を送っていた。

本書は彼らの栄光と挫折、そして戦後の苦難の歴史を記したノンフィクションである。

著者は建国大学の卒業生を訪ねて国内はもとより、中国、モンゴル、韓国、台湾、カザフスタンへも取材に行っている。その取材力、調査力、筆力に圧倒される。

敗戦による満州国の崩壊は、日本人の運命を大きく変えた。それだけでなく、他民族の学生もまた、傀儡政権の大学に通っていた「日本帝国主義への協力者」として、厳しい境遇に置かれることになったのだ。

理想と現実の違いや歴史を多面的に見ることの大切さを、あらためて強く感じる。近年の東アジア諸国との緊張関係を思う時、「民族協和」という理想は今もなお達成されていないのだと思わざるを得ない。

今年読んだ本の中でナンバー1。

2015年12月10日、集英社、1700円。

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2017年06月16日

小塚拓矢著 『怪魚ハンター』


2010年に地球丸より刊行された『怪物狩り』に加筆・修正して改題したもの。

「自分より大きな魚が釣りたい」という夢を追い、「大学時代に5回、オレは海外に釣り旅に出る」と宣言した著者。

アマゾンの「神龍」ピラルクー、アフリカの「牙」タイガーフィッシュ、モンゴルの「鬼」タイメン、パプアニューギニアの「闘神」パプアンバス、アフリカの「幻獣」ムベンガなど、体長1メートルを超える魚を釣り上げる様子が実に生き生きと伝わってくる。

本書はそうした大物釣りの記録であるとともに、18歳から24歳までの初々しい青春の記録でもある。

新潟から実家の富山までのお盆帰省に際して、「24時間で何km歩けるか」を実験した。強盗に襲われるなどして一文なしになったときに、とにかく歩いてでも空港にたどり着くために。いち生物として、自分のスペックは、いかほどなのか。人として、知っておかなければいけない基礎情報だと思った。
結局、僕が持っていたのは、出発する勢いと、諦めない信念と、そのふたつだけだった。そしてきっと、必要だったのはそれだけなんだろう。

その後も自らの立ち上げた会社で釣り具の企画・販売をしながら怪魚釣りを続け、既に世界46か国を訪れたと言う。そのエネルギーに、ただただ圧倒される。

2017年1月5日、ヤマケイ文庫、900円。
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2017年06月15日

羽生善治、NHKスペシャル取材班著 『人工知能の核心』


2016年5月放映のNHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治人 工知能を探る」の取材を通じて得た知見をもとに、人工知能の可能性と課題、今後の人間社会のあり方について考察した一冊。

チェス、囲碁、将棋などにおいて、既に人工知能は人間の実力を大きく上回っている。だから、この本でも「人工知能vs人間」の勝負の話はほとんど出てこない。

話はもっと先に進んでいる。「コンピュータ将棋と人間の棋士の間で起きている様々な事象が、今後、人工知能が社会で応用されていくときに想定される事態を先取りしている」という認識に立って、この本は書かれているのだ。

社会のなかで多くの人々が人工知能の出した結果にいかに納得するか、というテーマもあると思います。
人間らしい安心感や安定感のある「美意識」を人工知能が持つのは、社会に受け入れられていく上で大事なことだと考えています。

確かに、「効率」や「正解」「最適解」といった観点だけではなく、「納得」「安心感」といった要素が人間にとっては大事なものなのだろう。「人工知能について知ることは、人間について深く知ることでもあるのかもしれません」という指摘は、まさにその通りだと思った。

2017年3月10日、NHK出版新書、780円。
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2017年05月14日

鈴木博之著 『日本の地霊(ゲニウス・ロキ)』


1999年に講談社現代新書から刊行された本の文庫化。

「地霊」という観点から、都市や建築を読み解くというスタイルで書かれた本。普遍的な「空間」として建築を捉える西欧的な考え方に対し、著者はその土地固有の「場所」を意識した建築の捉え方を提示する。

「地霊(ゲニウス・ロキ)」とは、土地の単なる因縁話や因果律ではなく、土地へのまなざしなのであり、都市や建築とわれわれとを橋わたしするものなのである。

取り上げられているのは、国会議事堂、広島祈念平和公園、耕三寺、三菱・岩崎家、常盤台住宅地など。どれも刺激的な話ばかりである。

広島平和記念公園の計画は、原爆ドームをすべての中心に置き、この一種聖性を帯びた廃墟に捧げられた場所を造り出すための計画なのである。こうした場所のデザインは、ただちにわれわれに厳島(いつくしま)神社の境内配置を想起させる。

何という鮮やかな切り口だろう。「平和記念資料館」―「慰霊碑」―「原爆ドーム」という軸線構造を持つ平和祈念公園と、厳島神社の「大鳥居」―「拝殿」―「本殿」―「弥山」という配置を重ね合わせているのである。

確かに1階がピロティとなった資料館やアーチ状の慰霊碑の形は、言われてみれば鳥居をイメージさせる。ものを見る、考えるとは、なるほどこういうことなのだ。

2017年3月25日、角川ソフィア文庫、880円。
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2017年05月07日

復本一郎著 『正岡子規 人生のことば』


今年は子規の生誕150年。様々な特集やイベントが行われている。

本書は子規の残した手紙や随筆から80の文章を引いて、子規の人生や魅力を論じたもの。全体が「泣」「希」「友」「笑」「識」「独」「親」「進」の8章に分れていて、章の冒頭にはそれぞれのテーマに即した俳句6句が挙げられている。

どの文章からも、子規の率直で力強い息遣いが伝わってくる。やはり魅力のある人だとあらためて思う。特に弟子たちに向けての厳しく真摯な言葉には驚かされる。

四、五冊の俳諧文庫さへ備へ置かず、七部集の捜索までも人の文庫をあてにするやうな人が、書物の評釈を書くなど余り大胆な事と存候。(「消息」にある碧梧桐への批判)
依頼心をやめて独立心を御起し被可成(なさるべく)候。金が足らぬといひては人に金を借るやうにては、迚(とて)もいつ迄も金ハ足るまじく候。(香取秀真宛書簡)
貴兄はたやすく決心する人で、なかなか実行せぬ人ぢや。これは第一、書生的の不規則な習慣が抜けぬためであらう。(高浜虚子宛書簡)

いずれも厳しい言い方であるが、それだけ期待もかけていたということなのだろう。子規の歯に衣着せぬ物言いには嫌味がない。

2017年4月20日、岩波新書、820円。

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2017年05月01日

山中伸弥・羽生善治・是枝裕和・山極壽一・永田和宏著 『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』


京都産業大学で行われている講演・対談シリーズ「マイ・チャレンジ」の第1回から4回までを収めた一冊。実際の講演や対談を聞いている感じですらすらと読める。

今、インターネットなどによって世界の距離は近くなっていると言われます。でも、実際に行くのとはまったく違う。僕が毎月アメリカに行く理由の一つはそれなんです。(山中伸弥)
大事なのは、研究データをディスカッションするときに、身分の上下があっては絶対にいけないんです。教授が言うことだから正しいなどということは、本来ありえない。(永田和宏)
最近、スマホを持っていると、ほとんど道に迷うこともないじゃないですか。以前は道に迷ったりして、でも迷子になりながら、なんとか目的地にたどり着くという楽しみもあった。(羽生善治)
自分の予想を超えるもの、予想と違うものが出てこないと満足しなくなってしまったところがあります。(是枝裕和)
重要なのはディベートではなく、ダイアローグにすること。つまり、どちらが正しいか、どちらが勝つかということが重要なのではない。勝ち負けを目的とせず、お互いを高め合うような議論をするということです。(山極壽一)

一流の人の話というのは、どんなジャンルの人であってもやはり面白いものだ。

2017年2月20日、文春新書、700円。
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2017年04月26日

石山修武(文)・中里和人(写真)『セルフビルドの世界』


副題は「家やまちは自分で作る」。

2008年に交通新聞社から刊行された『セルフビルド―自分で家を建てるということ』を増補、再編集して文庫化したもの。
初出は「STUDIO VOICE」「Memo 男の部屋」の連載。

一畳だけの書斎、トタンでできたバー、ビニールハウスのレストラン、自動車に乗る二階建ての家、貝殻だらけの公園など、人が手作りした家やモノなど30の物件を取材して写真入りで紹介している。

そこには「セルフビルドとは身の回りの環境を作る歴然たる方法」「セルフビルドとは皆一様に今の文明文化の危機的状況に対しての批評表現の事例群」「セルフビルドとは自己構築である。まず何よりも自分世界を構えようとする意志なんである」という著者の信念がある。

子どもが家の近所に秘密基地を作る気持ちと行動力に似ているかもしれない。

今は少しばかりややこしい時代だ。アーティストがアートを大いに意識して作ったものが作品として日常の壁を越えられることは稀だ。ほとんどないと言ってもよい。
家を買うために一生を不自由に暮らさなければならないとしたら、そんな家は疫病神であるとしか考えようがない。
二十世紀最大級の発明品は明らかに自動車である。それなのに我々は、それを収納する場所は発明できなかったのだ。

こうした現代社会に対する鋭い批評が随所に盛り込まれている。カラー写真も豊富で、あれこれと想像を掻き立てられる。

2017年4月10日、ちくま文庫、1400円。
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2017年04月20日

橋本陽介著 『日本語の謎を解く』


副題は「最新言語学Q&A」。

著者は高校で「言葉の謎に迫る」という授業を始めるにあたって、生徒から言語に関する疑問を募集した。この本はその疑問に答える形で73個のQ&Aを収めている。

日本語の起源、音声、語彙、言語変化、書き言葉と話し言葉、「は」と「が」、主語、活用形と語順、「た」と時間表現など、話題は多方面に渡っているが、全体を通して著者のものを考える姿勢が一貫しているのでバラバラな感じは受けない。

7か国語をほぼ独学でマスターしたというだけあって、英語や中国語など様々な外国語との比較も多く、日本語の性質や特徴がよく見えてくるところも良かった。

印象に残った部分をいくつか引く。

形の上では「全然+肯定形」でも、話者の気持ちは依然として否定なのです。文法を見る時に、文字だけ見て分析すると、本質を取り逃すことがあります。
主語の本質とは何でしょうか。主語というくらいですから、文のメインになるものだと思ってしまいそうですが、じつはそうではありません。文の主役は述語です。
日本語では、ものごとを上から客観的に眺めるのではなく、状況の内側からの視点に同化してしまうのが普通です。
日本語の小説で、「タ形」と「ル形」が混在しているのは、過去の出来事を振り返って語るのではなく、物語の場面(物語現在)を現在として語っているからです。
タ形を使うと、その動作の終わったところを点で捉えます。一方、ル形を使うと、線で捉えるような感じになります。最近の小説、特に流行小説はスピード感を出すためか、ル形の使用が増えています。

最後の引用部分など、近年の口語短歌における「ル形」の多さとも関連してくる話のようで、とても興味深い。

2016年4月20日、新潮選書、1300円。
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2017年04月15日

中田考著 『イスラーム入門』


副題は「文明の共存を考えるための99の扉」。

イスラームについて99のトピックを挙げて解説した本。「クルアーン」「スンナ派」「六信五行」「カリフ」「サラディン」「ムスリム同胞団」「アルカーイダ」など、イスラームの教えや暮らし、歴史、さらに現代の問題に至るまで、様々な話題を取り上げている。

アラビア語の原典だけがクルアーンであり、翻訳はあくまでも外国語での注釈に過ぎず、ムスリムは毎日五回の礼拝でクルアーンの第1章とその他の章句をアラビア語原典で読み上げる義務があります。
家事や子供の養育は妻の義務ではなく、召使の雇用が夫の扶養義務に含まれます。授乳ですら妻の義務ではなく、夫が乳児に乳母をあてがわねばなりません。
イスラーム法は属人法であり、異教徒には課されませんが、使徒を誹謗した者は不信仰者であっても殺害されることもあります。
イラン・イスラーム革命は、西欧型の政教分離、世俗化が世界中で不可逆的に進行すると信じていた西欧にとって大きな衝撃であり、その後の世界的なイスラーム復興現象の顕在化の狼煙となるものでした(・・・)

この本の基本的な立場は、「理解はできないけれども共存するために知っておくべき」という点にある。例えば、上に挙げた「殺害される」というところなど、そんなのおかしいと私たちの多くは思うのだけれど、まずはそうした事実を知っておくことが大切なのだろう。

相手の持つ価値観や考え方を「肯定」「否定」するのではなく、まずはそれをきちんと知ること。それは今後ますます大事になっていく態度なのだと思う。

2017年2月22日、集英社新書、760円。
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2017年04月08日

三上延著 『ビブリア古書堂の事件手帖7』


人気シリーズの完結編。第6巻から二年以上間が空いた。もう読まなくてもいいかなと思いつつ、新刊が出るとやはり買ってしまう。

今回は1623年出版のシェークスピアのファースト・フォリオ(最初の作品集)をめぐって話が展開していく。途中、『ヴェニスの商人』『ロミオとジュリエット』『お気に召すまま』『リア王』『ハムレット』などからの引用もあり、シェークスピア尽くしといった感じ。

帯文には「実写&アニメ 映画化決定‼」とあり、実写とアニメでそれぞれ映画になるらしい。そうなったら、また観に行ってしまうんだろうなあ。

2017年2月25日、メディアワークス文庫、650円。

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2017年03月30日

平田オリザ著 『下り坂をそろそろと下る』


「日本は、もはや工業立国ではない」「もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならない」「日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではない」という現状認識に立って、今後の日本の進むべき方向性や考え方を示した本。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』に象徴される上り坂の明治の日本に対して、下り坂の平成の日本をいかに生きるか。「小豆島」「豊岡」「善通寺」「女川」「双葉」など様々な実践例を挙げつつ丁寧に説いている。

印象に残った箇所をいくつか引こう。

私が生業とする演劇は、そこに行って、やって見せなければ何も始まらないというやっかいで古くさい芸術なので、国内外を巡る旅がもう二〇年以上も続いている。
今回の改革は、大学入試の変容だけの問題ではない。今後、学力観そのものが変わっていくのだろうと私は思う。
これからの日本と日本社会は、下り坂を、心を引き締めながら下りていかなければならない。そのときに必要なのは、人をぐいぐいとひっぱっていくリーダーシップだけではなく、「けが人はいないか」「逃げ遅れたものはないか」あるいは「忘れ物はないか」と見て回ってくれる、そのようなリーダーも求められるのではあるまいか。
今回の震災で、あらためて明らかになったことの一つは、いかに東北が東京の、あるいは京浜工業地帯の下支えになってきたかという事実だった。それは電力やサプライチェーンだけのことではない。東北は長く、東京に対して、中央政府に対して、主要な人材の供給源だった。

私は平田の論の全てに賛成するわけではない。もう少し明るいビジョンも欲しい気がする。その一方で、この本が私たちに多くのヒントを与えてくれることも確かだと思う。

2016年4月20日、講談社現代新書、760円。

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