2015年01月30日

松澤俊二著 『「よむ」ことの近代』


「越境する近代」シリーズの11冊目。
副題は「和歌・短歌の政治学」。

明治期の国民国家の形成に和歌や短歌がどのように関わり、天皇と人々をどのように政治的に結び付けていったのかというテーマのもと、序章+10章の論文が収められている。

天皇巡幸、御製、大日本歌道奨励会、心理学、題詠、和歌革新、自己表現、愛国百人一首、ヒロシマなど、取り上げている内容は幅広いが、大きな流れのもとにまとまっているので、著者の関心や主張はわかりやすい。

本書は「新」「旧」両派の断絶よりも、それらがネイション・ビルディングに果たした役割に注目し、その連続性に留意して記述している。

というスタンスは、私の興味ともつながっていて、教えられることがたくさんあった。特に御歌所長の高崎正風の果たした役割の大きさや旧派和歌のその後について知ることができたのは良かった。また、福沢諭吉『学問のすすめ』や坪内逍遥『小説神髄』に和歌・短歌否定論が含まれていることも、和歌革新の前提として踏まえておくべき事実であろう。

歌人と研究者との交流は現在あまり活発ではないが、今後深まっていく必要がある。そのためにも、多くの歌人にこの本を読んでほしいと思う。単に過去のことを論じている本ではない。まさに現在の短歌の問題に深く関わってくる内容なのである。

2014年12月26日、青弓社、3400円。

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2015年01月29日

日高堯子歌集 『振りむく人』

2009年から2014年5月までの490首を収めた第8歌集。

影絵のやうに老父母うごく晩秋の日ざししづけしわれも入りゆく
頭(づ)の中に少女の自分がゐるらしきふしぎな顔の今日の母なり
蝶は昼 草間の水をのみながらするどく光る尿を放てり
うす張りの夏の昼月しらじらと昼寝(ひるい)の父の眉毛はながし
屏風ヶ浦にならびて風をまはしゐる風車はさびし白鳥よりも
蜂蜜漬け胡桃の瓶にしづもれる万の翅音をふかぶかと舐む
水琴窟のやうなる音が胸たたくあなたなのかと問へばまた消ゆ
新米の炊きたてご飯のきらきらをむすべどむすべど昔はむかし
なつかしいものみな失せぬとわらふ母秋の日ことばあそびをすれば
わが貼りしバンドエイド腕につけしまま父はこの世を離(か)れゆきにけり

90歳になる母、100歳になる父を詠んだ歌が歌集の中心となっており、また2011年の東日本大震災も大きく扱われている。全体にゆったりとした時間が流れている歌集だ。

1首目、年老いた両親の静かでゆっくりとした動き。時間の流れる早さが家の外とは違う。
3首目は蝶の尿を詠んだ何とも繊細な歌。きらきら光っている。
5首目は牧水の「白鳥は哀しからずや」を踏まえるか。
6首目、蜂蜜に「万の翅音」を感じ取っているところが良い。
7首目、胸に澄んだ音を立てては消える音。そこに「あなた」の姿を思い浮かべている。
10首目、「バンドエイド」が寂しさでもあり、わずかな救いでもあるようだ。

2014年9月23日、砂子屋書房、3000円。

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2015年01月25日

佐佐木幸綱歌集 『ほろほろとろとろ』

2010年から2012年までの作品497首を収めた第16歌集。
全体が3章に分かれていて、さらに「欧羅巴一〇〇首」「欧羅巴五〇首」が入っている。

春の雨に一夜濡れたる石垣のほとりに「登ってはいけません」の札
バイオリンを弾く人ときに目を開けてまた目を閉じる水の中のように
息子とは見るものが違い朝雲のバックミラーを俺は動かす
掌(て)の上に川をながして小さなる筏の行方見ている目つき
釈放されVサインする中国人船長が映る肥えたる妻と
東京湾の底を流るる川のこと言いつつ握る旬の穴子を
二子玉川駅舎をするり低く飛び燕(つばくら)は人の貌を吊り上ぐ
スープ皿の韮のみどりの鮮しさ みどりは動く雷(らい)のひびきに
大いなる氷河をゆったりと抱く力 山のエロスが主語としてある
マルセイユの地下鉄駅の壁の絵の地下鉄 地下鉄が来ればみえない

1首目には「松山城にて」という詞書が付いている。古い石垣と現代的な注意書きの取り合わせ。
3首目は、息子さんと同じ車を運転しているのだろう。バックミラーの角度を調節し直しているところ。
4首目は「終点までケータイを押し・・・」という歌が次にあるので、おそらく携帯電話を詠んだ歌なのだろう。でも、それがわからなくても十分に味わいのある歌だ。
7首目は結句の「貌を吊り上ぐ」で歌が決まった。燕の動きに引っ張られるように視線を上げる人々。
9首目はモンブランの麓にある町「シャモニー」での歌。大柄な詠いぶりが魅力的だ。

あとがきに「この歌集ぐらいから、私の短歌には、自然体、あるがままの表現が多くなったように感じる」とある通り、あまり技巧を凝らさない素直な歌が多い。作者の代名詞でもあった「男歌」らしさも、随分と薄れたように思う。それは年齢のせいなのか、時代のせいなのか、あるいは何らかの短歌観の変化があったのか。そのあたりを知りたい。

2014年12月5日、砂子屋書房、3000円。

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2015年01月21日

沙羅みなみ歌集 『日時計』

ご紹介がすっかり遅くなってしまいましたが。

ほんとうはどちらが少し正しいの?羊の柩/柩の羊
月かげに蒼く照らされ横たわるわたしのいない私の体
銀色の一日に倦んだ貴婦人の巻き毛のようなパスタを茹でる
急速にかたむいてゆく傾きのかたむくままに傾かせつつ
揺らされているというより揺れている枝だと気づくゆりの木の下
話さないけど話してたでも今は話すけど何も話していない
本当はわたくしだったかもしれぬ子どもに出会うこども外来
ゆるやかに時間の影は延びゆきてゆりのき通りを西へと下る
断りの手紙を綴り終わりたり日の入りにまだ少し早くて
いつもいつも正しく帰りくる鳩に「迷っておいで」と耳打ちをせり

肯定と否定、右と左の間を詠むような心理詠が多く、非常に個性的な作風。逆説的な表現や箴言風の言い回しがしばしば用いられている。

語彙の面では、「消える」「忘れる」「失う」「なくす」「去る」といった動詞や「これ」「その」「そんな」「あの」「この」「そこ」「あちら」などの指示語が多い。巻頭と巻末の歌の対応が鮮やかであった。

2014年1月17日、青磁社、2500円。

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2015年01月07日

小高賢歌集 『秋の茱萸坂』

昨年2月に亡くなった作者の第9歌集。2010年から14年までの作品660首を収める。小高が生前に構成を終えていた4章484首に、その後の176首を加えて一冊としたもの。

咲くときは一緒になどと息ひそめ待っているらしさくらの姉妹
浜ちゃん顔と寅さん顔が並びあい日暮里すぎて浜ちゃん降りる
ショートケーキ慰問袋のようにもち「ご無沙汰」と子が居間に入り来る
気色ばむごとなくなりて唐紙をしずかに閉めてわれは出でゆく
ガス室にいもうと三人運ばれてカフカ一家の血はそこに絶ゆ
段ボール箱に入ればうれしくてたちまち眠るこの三歳児
こういう日は奈良にゆきたしひとすじに菊の香のぼる秋日和なり
さまざまな一生(ひとよ)のひとつガラス越しの永久保存という焉り方
清流のごとく日は入り乳飲み子はふと微笑みぬ秋の車内に
敵を置き味方をなげく二分法ながく戦後の脊梁として

1首目は冬の桜の可愛らしい蕾を詠んだ歌。
2首目は「釣りバカ日誌」の浜ちゃん(西田敏行)と「男はつらいよ」の寅さん(渥美清)。
5首目、カフカの三人の妹はナチスの強制収容所で亡くなっている。カフカも長生きしていれば同じ運命をたどったかもしれない。
6首目、狭い箱などに入る猫の話はよく聞くが、これは人間の三歳児。
8首目はレーニンや毛沢東の遺体のことだろう。保存処理が施されて今も残っている。
9首目、何でもないけれど好きな歌。「秋の」がよく効いている。

2014年11月10日、砂子屋書房、3000円。

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2015年01月04日

永田和宏著 『現代秀歌』


2013年に刊行された『近代秀歌』の姉妹篇。
「『近代秀歌』でとりあげた以降」の「一九七〇年までの生まれ」の100名の歌人の100首を取り上げて解説・鑑賞をしている。

全体が「青春」「新しい表現を求めて」「旅」「病と死」など10章に分かれているが、各章の歌のならびはランダムではなく、ゆるやかな流れに沿って読めるようになっている。例えば、

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや
                    山中智恵子
まつぶさに眺めてかなし月こそは全(また)き裸身と思ひいたりぬ
                    水原紫苑
なべてものの生まるるときのなまぐささに月はのぼりくる麦畑のうへ
                    真鍋美恵子

といった感じである。読み物としても楽しめるように工夫された構成だ。
また、歌の鑑賞だけではなく、永田の短歌観や短歌論が随所に表れているのも本書の読みどころだろう。

ようやく梅内たちの世代になって、第二芸術論の呪縛から解き放たれ、歌を作っていることを堂々と言えるような風潮のなかで作歌が可能になったのかもしれない。
思い出は常に、日常の〈具体〉とリンクして顕ち現われる。
歌は意味が通っていることも大切だが、意味だけで終ってしまっては、詩としての味わいも、奥行きも、幅もすべて失われてしまうものだ。
歌を読むとはそういうことである。一首の歌を読むことによって、それまでとは違った自然との向かい合いが生まれるのである。

ただし、前著『近代秀歌』に比べると、文章はやや伸びやかさに欠けるような印象を受ける。『近代秀歌』が故人を対象としていたのに対して、『現代秀歌』は約半数が存命の歌人なので、好き放題に書くわけにもいかなかったのかもしれない。

2014年10月21日、岩波新書、840円。

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2014年12月27日

本田一弘歌集 『磐梯』

著者 : 本田一弘
青磁社
発売日 : 2014-12-11

平成22年から26年夏までの作品311首を収めた第三歌集。
文語定型を守りつつ、会津の風土を詠んだ歌柄の大きな作品が多い。
連作一つ一つの歌数も多く、骨太な印象になっている。

平成23年の東日本大震災と原発事故は福島の人々の暮らしに大きな被害と影響をもたらした。平成25年に亡くなった佐藤祐禎氏への挽歌をも含めて、震災と原発に関する歌がこの歌集の根幹と言っていい。歌数の311首も、3・11を意味しているのだと思う。

いづこにか雨にぬれたる猫がゐる闇やはらかく猫になりゆく
磐梯は磐のかけはし 澄みとほる秋の空気を吸ひにのぼらむ
避難所のおほいなる闇 百三十の寝息のひくくひくくみちたる
さくら花たたふる夜の黒髪をくしけづりゆくつくよみをとこ
福島を切り分くる線 幾十度いくそたび変へられてゆかむか
やはらかく前に後ろに揺られゆく秋のひかりをぶらんこといふ
のどけしな磐梯の田は田植機をあまた侍らせ昼寝をしたる
線量は毎時六・五マイクロシーベルト 防護服着て墓洗ふ人
木偏に冬、くさかんむりに冬と書く歌人ふたりの歌を思ひき
昨夜よりの雨止みにけりテニスコートに雀の貌を映す水あり

2首目は地元の会津磐梯山を詠んだ歌。活火山の荒々しさを秘め持つ山を歩いて、天へと登っていくような清々しさを感じさせる。
4首目は、満開の夜桜に射す月の光を男女の関係に喩えている。
6首目、揺れているのが「秋のひかり」なのだという目の付けどころがいい。
9首目は小泉苳三と宮柊二のこと。ともに日中戦争に従軍して『山西前線』『山西省』という歌集を残している。

2014年11月1日、青磁社、2500円。

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2014年12月01日

さらに『佐太郎秀歌私見』のつづき

難癖を付けるようで申し訳ないのだが、読んでいろいろと言いたくなるのは良い本の証だと思っているので、もう少しだけ。

いのちある物のあはれは限りなし光のごとき色をもつ魚

第7歌集『群丘』のこの歌について、尾崎は

「魚」の題で、「(下関水族館、江ノ島水族館)」の詞書が添えてあるが、この一首はおそらく江ノ島水族館であろう。

と記している。けれども、なぜ「おそらく江ノ島水族館であろう」と推定しているのか、その根拠は記されていない。

歌集の中では「魚(下関水族館、江ノ島水族館)」と題して5首が掲載されている。別々の水族館で詠んだ歌を「魚」という観点でまとめているところが、佐太郎ならではのユニークなところだ。

この歌については、実は佐太郎自身が随筆集『枇杷の花』の中で触れている。

昭和三十一年に下関の水族館を見、それから江ノ島の水族館を見た。両方の材料をもとにして「魚」の歌をいくつか作った。そのなかに「いのちある物のあはれは限りなし光のごとき色をもつ魚」という一首がある。これは下関で見た鯛が素因になって出来た歌である。

どちらの水族館であっても歌の鑑賞に影響はないのだが、一応、実証的な面から「下関」であることを指摘しておきたい。

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2014年11月30日

『佐太郎秀歌私見』のつづき

これは弟子が師について書く時の難しさだと思うのだが、この本にも少し佐太郎を賛美し過ぎのところがある。例えば、佐太郎の歌について述べている中で「天賦の才というべきである」「生来の感性というべきものであろう」「その天分は、天から授かったもの」などと書いては、結局何も言っていないのと同じことになってしまう。

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音 『帰潮』

この歌について、尾崎は次のように書く。

一首目では、貨車が連結器で繋がれた時の、一種の鉄の響きのような短い音響を捉えているのだが、「連結」の語を重ねて使い、その音がどうだとか、自分がどう思ったかなどのことは、一切言わないのである。同じ語をくり返して使うことの難しさは、短詩型の技術を知る者にとっては自明のことだが、その上、「つぎつぎに伝はりてゆく」と平易に言っていながら、その重量のある音響が一瞬ではなく、ある幅を持って伝わってくるのを、如実に感じさせる。見事な技術である。

「連結」という語の繰り返しにこの歌の特徴があるのは確かだろう。「見事な技術」というのも同感である。でも、技術について言うならば、一番肝腎なのは助詞の使い方ではないだろうか。

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音
連結を終りし貨車につぎつぎと伝はりてゆく連結の音 (改作)

試みに助詞を2つ変えて改作を施してみた。このように改作すると、非常にわかりやすく、そしてつまらない歌になる。それだけ、助詞の力が大きいということだ。

本来「貨車は・・・連結の音」という言葉運びには、ねじれがある。読んだ時に違和感が残る。けれども、それがこの歌の味わいを生んでいるわけだ。このねじれに言及しないことには、この歌の技術を解説したことにならないと思うのだが、どうだろうか。

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2014年11月29日

尾崎左永子著 『佐太郎秀歌私見』

KADOKAWA/角川学芸出版
発売日 : 2014-10-24

佐藤佐太郎に師事した著者が、佐太郎の歌や言葉について解説した本。「星座―歌とことば」「星座α」に連載された文章が元になっている。巻末には「佐太郎秀歌百首」を収録。

佐藤佐太郎の開拓してきた「純粋短歌」の精神と、そしてその作歌の「技術」を、後代に継いで行くべき義務がある、それは今である、と思っている。

と記す著者の思いが強く伝わってくる内容だ。
印象に残るのは、やはり佐太郎の言葉である。

「短歌とは、技術だよ、君」とは、佐藤先生に直接、また度々聴かされたことばである。
心理の表現には具体は要らない。また、「事実」と「真実」は異う。佐太郎からしばしば言われたことばである。
「真の新しさは見られる対象(素材)にあるのではなく、見る主体にある」
「主観語がなくても、またどういう形であっても、詠嘆はこもり得る、詠嘆とは作者のいぶきである」

こうした短歌に関する箴言は、佐太郎の得意技と言っていい。

他にも、昭和20年9月に佐太郎が上京した際の仮住所が「杉並区阿佐ヶ谷六ノ一八四 川村シゲジ方」であったことなど、年譜にない事実も記されており、佐太郎研究の貴重な資料となりそうだ。

2014年10月25日、KADOKAWA、2200円。

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2014年11月25日

齋藤芳生歌集 『湖水の南』

第2歌集。
2010年から2014年にかけての作品386首を収める。

製本屋は本を、製本屋の妻は睡蓮の大輪を咲かせる
夕暮れのホンシュウジカは細く啼きひとを呼ぶなり秋の図鑑に
いざべら、というひとが来る坂道を私は隠れて見ていた子ども
圧縮ファイルひらいたように春来たり木々の芽はさらに木々の芽を呼び
桃の花散るように我を忘れゆく祖母なれど桃の花をよろこぶ
ひとたびの雨にてかくもすさまじく草は満つ 我も砂漠であった
おおちちのものさしをもてよれよれになりしこころをぴしりと叩く
祖父よ眼を閉じてもよいか烈風に煽られて針のように雪来る
パーテーションごしに聞きおり来月よりチームのなくなる人が鼻かむ
ブルーシートの中蒸れている除染土の中蒸れている種子もあらんよ

巻頭に「祖父たちへ。祖母たちへ。」という献辞がある。
東日本大震災後のふるさと福島に寄せる思いが数多く詠まれている一冊。
編集プロダクションでの仕事の歌にも印象的なものが多い。

2首目は本物の鹿かと思って読むと、実際は図鑑の中の鹿であるという面白さ。
3首目は連作「いざべら」7首より。イザベラ・バードが見た東北の子どもたちの姿に自分を重ね合わせている。
4首目は初二句の比喩が現代的だ。
7首目、「叩く」だけを感じにした表記が効果的。真っ直ぐな、存在感のある竹のものさし。
8首目、猪苗代湖の南岸の集落で一生を終えた祖父。「針のように雪来る」に冬の厳しい風土性が滲む。
10首目は原発事故後の福島の苦難と再生への思いが感じられる。

2014年9月1日、本阿弥書店、2800円。

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2014年11月22日

岡井隆歌集 『銀色の馬の鬣(たてがみ)』

青春が中年へリエゾンするあたりどんな蝶々が訪れてもいい
わが妻を時に見つめて歩みをり梅雨の晴間のかろき坂道
タクシーで越える軽便鉄道の枕木むかしは歩いたんだが
尖るとはやがてゆつくりと鈍(なま)るものしんしんと人を憎しむときも
たくさんの花の中から選ぶのだ時に葉みたいな花もまじるさ
戦時下の名古屋はいやに生(な)ま生ましくよみがへるのに 淡きは今日だ
暑苦しき白南風(しらはえ)のなかFAXを遣りかへりくるFAXを待つ
新年へ向かふ時間を細分して此処へ来てゐる絵をみるために
音(おと)だけの言葉つて無い。金色(こんじき)の輝きだけの葉がないやうに
わが病(やまひ)やうやく癒えて、などといふ常套句もて祝ふべからず

2012年7月から2014年8月までの作品349首を収めた第31歌集(第32作品集)。

文語・口語をまじえた自在な詠みぶりや、どんな素材でも歌にしてしまう修辞の力は健在である。この歌集では、そこに老いの寂しさや回想の懐かしさも加わって、独特な味わいを醸し出している。

1首目は「リエゾン」が面白い。青春がはっきり終わらないうちに中年が始まっている。
2首目は「時に」がいい。そこに深い愛情を感じる。
4首目は、結句まで来て初めて心の話であることがわかる。その語順がうまい。
5首目は「新百人一首(文藝春秋)に寄す」という一連にある歌。でも、単独でも十分に味わえる歌だと思う。
7首目は「FAXを/遣り・かへりくる」の句割れ・句跨りが効果的。「FAXを遣り/FAXを待つ」ではダメなのだ。
9首目、言葉は常に意味を伴ってしまう。〈調べ〉だけの短歌というものも、やはり無いのだろう。

歌集のあとがきに岡井は

ただ、わたし自身としては、世に問ふといつた気概はもう衰へてしまつてゐる。ごく個人的な興味にそそられて編んだ私家集といつた感じだ。

と記している。もちろん韜晦を含んだ言い方でそのまま受け取る必要はないのだが、それでもかつて『鵞卵亭』のあとがきに「もはや青年の心をうごかす文学は成就しがたく、ありていに言って数人の友人知己に見せるだけの私歌集なのだ」と書いた頃とは違って、ある程度、本音なのではないかという気がする。

その間には40年という歳月が流れたわけだ。

2014年11月19日、砂子屋書房、3000円。

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2014年11月18日

高野公彦歌集 『流木』

著者 : 高野公彦
KADOKAWA/角川学芸出版
発売日 : 2014-10-24

第14歌集。
2010年1月から2012年6月までの作品から約570首を収める。

時は我を寒き〈余白〉に連れ出せりかかとの皮が硬くなるなど
ふるさとの夜ぞらに居りし大さそり皇居のふかき夜ぞらに思ふ
この世から徐々に離れてゆく老いよ粥の深みに匙沈みゐて
でんせんの弛(たゆ)み静けしあかときは人生(あ)れやすく、死にやすき刻
モノレールに懸垂型と跨座(こざ)型とありてこの世の味はひ深し
うしろよりいだく両乳(もろち)のやはらかさ想ひしのみに電車に目を閉づ
ひつそりと赤い車が〈言の葉〉を集めて回る春のゆふぐれ
雪ふれる因幡と伯耆しろたへの一つ国原となりて年越ゆ
雲照らふ明治公園 高野氏が生前昼寝せしベンチあり
原発は心肺停止して死なず死ぬためになほ血を流しをり

お酒の歌、言葉をめぐる歌、東日本大震災の歌などに加えて、年齢や老いを意識した歌がだいぶ増えたように思う。

1首目は人生の「余白」という感じだろう。
3首目は上句と下句の取り合わせが絶妙。
5首目、例えば湘南モノレールは懸垂型で、大阪モノレールは跨座型。
6首目のようなほのかな性の歌も、作者の変わらぬ持ち味である。
7首目は郵便収集車の歌。「赤い車」「言の葉」という表現に工夫がある。
9首目は、自分の死後の視点から詠んだ歌。

2014年10月25日、KADOKAWA、2600円。

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2014年11月12日

『きなげつの魚』の続き

キリンのちひさなあたまのなかにありながらキリマンジャロにうかぶ白雲
ひとに見せなば壊るるこころと知りながらときどきは人にみせては壊す
ぎやくくわうにくもの糸ほそくかがやけどそれら払ひてゆくわれあらぬ
霧のあさ霧をめくればみえてくるものつまらなしスカイツリーも
寒鯉のぢつとゐるその頭(づ)のなかに炎をあげてゐる本能寺
墓石は群れつつもきよりたもちゐてしんしんと雪にうもれてゆくも
ゆくりなく枯野へと鶴まひおりて風景が鶴一羽へちぢむ
足の爪ふかくこごみて切りながら小雨と気づきてゐたり背後は
あはれ蚊のしよぎやうむじやうのひらめきは掌につぶされしかたちとなりぬ
あさきねむりただよひながら淡きわれ醤油のにほひにまじりてめざむ

後半より10首。

1首目、ふるさとの景色を思い出しているのだろうか。「キリン」と「キリマンジャロ」の音が響き合う。
3首目は不思議な歌。私の身体がない。
5首目は「寒鯉」と「炎」のイメージの取り合わせが鮮烈だ。
7首目、下句の型破りな表現が場面を鮮やかに描き出している。
8首目はおそらく視覚や聴覚ではなく、気配で雨を感じているのだろう。
9首目は一瞬にして消えた命の最後の閃き。諸行無常のひらがな書きが効果的だ。

渡辺松男の歌を読む時には、読者も想像力やイメージを最大限に広げて読んでいく必要がある。そうすると、固く狭くなっていた頭がぐんぐん広がっていく感じがして心地良い。

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2014年11月10日

渡辺松男歌集 『きなげつの魚』


第8歌集。
先月の毎日新聞の「短歌月評」にも取り上げたのだが、傑作である。

渡辺の歌集にはいくつか思い出がある。「塔」1999年11月号の「歌集探訪」で渡辺の第2歌集『泡宇宙の蛙』について書いたのが、私が初めて書いた短歌の文章だった。

その時に、第1歌集『寒気氾濫』も読み、以後、『歩く仏像』『けやき少年』『〈空き部屋〉』『自転車の籠の豚』『蝶』と、歌集が刊行されるたびに読んできた。

途中、渡辺の歌の飛躍の大きさや独特な文体に付いて行けない気がしたこともあったのだが、前歌集『蝶』、そしてこの『きなげつの魚』と、再び強烈な魅力を覚えるようになってきた。

あしあとのなんまん億を解放しなきがらとなりしきみのあなうら
わがいまのすべてはきみの死後なればみる花々にかげひとつなし
千年の牧場(まきば)はたえず牛の雲おりきて牛となりて草はむ
こほりたる枯蓮の沼日のさせば氷のしたを機関車がゆく
円墳にかかりしわづかなるかげの円墳すべておほふ掌となる
タイルの目朝のひかりにうきあがりタイルひとつにわれはをさまる
押上につまやうじ建つと聞きたればつまやうじの影に泣くひとあらめ
いろいろのこゑのなかみづいろのこゑのやがて死ぬ子のちゑのわあそび
死にしゆゑわれより自在なるきみのけふたえまなくつばなとそよぐ
がうがうたる華厳滝をおもへども滝を背負ひてゐる山しづか

とりあえず、前半から10首。

1、2首目は亡くなった妻を詠んだ歌。もうこの世に足跡を残すことのない足。
3首目は悠久の時間の流れや循環する自然というものを感じさせる。
4首目の「機関車」、5首目の「掌」の飛躍の面白さ。時間や空間のスケールが自在に変化していく。
7首目の「つまやうじ」は東京スカイツリーのこと。
8、9首目からは生と死の問題や、命に対する考え方が伝わってくる。

2014年9月25日、角川学芸出版、2600円。

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2014年10月23日

服部真里子歌集 『行け広野へと』

冬の終わりの君のきれいな無表情屋外プールを見下ろしている
雪は花に喩えられつつ降るものを花とは花のくずれる速度
蜂蜜はパンの起伏を流れゆき飼い主よりも疾(と)く老いる犬
回るたびこの世に秋を引き寄せるスポークきらりきらりと回る
酢水へとさらす蓮根(はすね)のうす切りの穴を朝(あした)の光がとおる
ポケットの一つもない服装をしてしんとあなたの火の前に立つ
感覚はいつも静かだ柿むけば初めてそれが怒りと分かる
おだやかに下ってゆけり祖母の舟われらを右岸と左岸に分けて
けれど私は鳥の死を見たことがない 白い陶器を酢は満たしつつ
新年の一枚きりの天と地を綴じるおおきなホチキスがある

第55回短歌研究新人賞次席、第24回歌壇賞受賞の作者の第1歌集。
未来短歌会所属。
19歳から27歳までの作品から289首を収録。

上句から下句への意外な展開や、二物衝撃など、感覚と言葉の扱いに冴えがある。次々と繰り出せれる手品を見ているようで、読んでいて楽しい。

1首目は「きれいな無表情」がいい。「きれいな」も「無表情」もありふれた普通の言葉だが、この組み合わせは新鮮。
3首目は上句の蜂蜜の流れが、下句の時間の流れを巧みに導いている。
4首目は自転車の歌。「スポーク」だけでそれを表現しているのが巧み。
6首目の上句は少しおしゃれな服というイメージなのだろうが、何となく『潮騒』を思い浮かべてしまった。
8首目は祖母の葬儀の場面。「舟」「右岸」「左岸」という比喩が美しい。
10首目は印象的な新年の歌。永井陽子にも通じる新鮮な発想だ。

帯に「はるかなるものへの希求」という言葉があるが、確かにどこか信仰とでも呼ぶべき心の方向性を感じる。
今後がますます楽しみな、期待できる歌人だ。

2014年9月15日、本阿弥書店、2000円。

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2014年10月09日

千葉聡著 『飛び跳ねる教室』


横浜市立上菅田中学校に勤めた6年間のことを、短歌186首とエッセイで綴った本。

今年刊行された『今日の放課後、短歌部へ!』の前の時期の作品で、短歌とエッセイの組み合わせというスタイルも同じ。ただし、内容としては『今日の〜』の方がいい。『飛び跳ねる教室』には、ところどころドラマ的なクサさが感じられる。

少年はパラパラマンガのおしまいの絵になったように少女を見てた
「白い海みたいな空が見えました」一行だけの学級日誌
肉まんもアイスも買える晩春のコンビニ ついでにおでんも買おう

あとがきには「学校は、生徒一人ひとりをじっくり育てていける場所であってほしい。そして、あたたかい場所であってほしい。争いではなく、ささえ合いをめざす場所であってほしい」と書かれている。

中学生の息子を持つ親として、共感するところが多い本であった。

2010年9月30日、亜紀書房、1500円。

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2014年10月05日

奥村晃作歌集 『造りの強い傘』


第14歌集。
2012年、13年の二年間の歌から450首を収めている。

熱湯の大鍋に足折り曲げて押し込む甲羅剥ぎたる蟹を
ももいろのもろ足ぎゅっと握りしめ鳩は空中の線に憩えり
廃炉まで四十年の原発は四十年の雇用生み出す
信号の〈緑の人〉は自らは歩かず人を歩き出させる
胸に抱く男(お)の子の手足四本が太くはみ出す母の胸から
巨大なる楯岩(たていわ)の一部崩落しなお落ちそうな岩石残る
春風は吹き渡れども白加賀の花びら散らず満開なれば
ラファエロの描く赤子のキリストは丸々と肥え、西洋人の顔
五大堂前にし立ちて写真撮る後ろに堂の屋根まで入れて
腐葉土となるべき落葉 都会ではそのほとんどが燃(も)されてしまう

奥村さんは自ら「ただごと歌」を提唱し、実践している方だが、その「ただごと歌」の中にも面白い歌とそうでない歌がある。それは、歌が単なる事実の報告に終っているか、そこに何か発見や表現の工夫があるか、ということによるのだろう。

2首目は「電線」と言わずに「空中の線」と言っているのがいい。
4首目は典型的な発見の歌。
5首目は「太くはみ出す」に工夫があり、ややデフォルメされた印象を受ける。
8首目は「西洋人の顔」が面白い。当り前のことを新たに見出す面白さ。
9首目は建物の前で写真を撮る時の構図がパッと思い浮かぶ

2014年9月26日、青磁社、2300円。

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2014年09月20日

松村由利子著 『子育てをうたう』


挿画:井上文香。
「こどものとも年少版」の折り込みふろくに連載された文章に加筆修正をしてまとめたもの。

「授かる」「生まれる」「親になること」「寝かせる」「食べさせる」など、テーマごとに短歌を引いて鑑賞をしている。私の歌も5首引いていただいた。

夕食の分だけ重くなりし子のからだを高き椅子より降ろす
あめ、あめと子はつぶやいてこの雨を見ているだろう保育所の窓に
アルバムを子どもの写真で埋めていく限りない未来などもうなくて
「東京のおばあちゃん」などとわが母を呼ぶ寂しさの遠からず来る
ようやっと昼寝せる子のかたわらに残る虫食いだらけの時間

そう言えばそんなこともあったなあと、自分の歌を読んで懐かしく思い出す。

2014年9月20日、福音館書店、1300円。

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2014年09月16日

阿木津英歌集 『黄鳥 1992〜2014』

第6歌集。1992年から1999年にかけて発表した作品を「あたかも画室に積み重ねたキャンバスの奥から引きだしてきて新たに筆を加え完成させていくかのように」(あとがき)推敲して、まとめた一冊。

白にごる湯をばつくりて膚傷む茄子のごとくにわが沈みたる
起き出でてしばらく坐る誰(た)が夢にわが分け入りて今朝ありにけむ
曇天はひらかむとしてみづうみに鴨の声たつ揺れのまにまに
水仙を一すぢの香の縒り出でてもの読むかうべ緊(し)めつつながる
あらはるるかたちにあればわがからだ泣き咽べるにまかせてをりつ
正月は来て立ちて見つはろばろと阿蘇の外山(そとやま)うすべにのいろ
背戸ごとの汲水場(くみづ)の段(きだ)に桶洗ひ菜を洗ひけむ言(こと)かはしつつ
吹き消すと炎ふくとき蠟燭の炎にちからありて波だつ
塵芥をさげて出で来て紅梅の枝につむ雪ゆびもて崩す
降るあめに枝よろこびてことごとく白ハナミズキかがよふ通り

タイトルの「黄鳥」は詩経の詩句から採られているが、コウライウグイスのことらしい。日本のウグイスと違って、鮮やかな黄色をしている。本の表紙にも田村一村の描いた「梨花に高麗鶯」の絵が使われている。全体に文語定型の力を感じさせる歌が多い。

1首目は入浴剤を溶かした風呂に入っているところ。
4首目は「縒り出でて」がいい。香りが煙のように見える感じがする。
5首目は飼い猫の死を詠んだ歌。ひらがなの多用が溢れ出る感情と合っている。
7首目は柳河(柳川)の光景だが、「けむ」という過去推量の助動詞の力を感じる。
9首目は朝のゴミ出しの場面。手ではなく「ゆびもて」としたところが繊細でいい。

2014年9月9日、砂子屋書房、3000円。

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2014年08月31日

江戸雪歌集 『声を聞きたい』

2009年から2014年の作品を収めた第5歌集。

タイトルは「ここにあるただあるのみの真っ白の大皿いちまい声を聞きたい」から取られている。この歌は初出(「塔」2013年6月号)では、結句が「声がききたい」であった。

ネパールの銀の鋏に彫ってある草の紋様やわらかそうな
たわたわとまぶしい朱欒(ざぼん)こえあげて泣いた私はきのうのわたし
もういちど横顔を見て立ち上がるわれが去りゆくものであるから
対(むか)うときいつもあなたのさくら色の爪を見ていたどうしようもなく
少年のうすい胴体つつみたるTシャツにジョン・レノンほほえむ
前髪にからまってくる囀りに母音はなくてかろやかにゆく
横顔のむこうエノコログサが揺れまたおなじことたずねてしまう
あさがおの蔓あちこちにぶつかって夏にはいつも自転車なくす
カサブランカのひらきはじめた部屋のなか繋ぎ目のない時間を過ごす
カーテンを透かす光を見つめてる目覚めたことに気がつきながら

I部(2009年〜2011年)には一部文語が使われているが、だんだんとその数は減っていき、II部(2012年〜)になると、ほぼ使われなくなっている。今では完全な口語文体と言っていいだろう。

1首目は草だけでなく鋏まで「やわらかそうな」気がしてくるのが面白い。
3首目は別れの場面。下句に意志の強さを感じる。
4首目は少し俯いて視線をそらしている様子が「さくら色の爪」から伝わってくる。
6首目は「母音はなくて」が独特な表現。「ch」「t」「k」「s」「p」といった子音だけで鳴いているのだ。それが「前髪にからまってくる」とも合っている。
8首目は上句と下句のつながり方が面白い。「あちこちにぶつかって」が緩やかに下句を導いてくる。
10首目はベッドで目を覚まして、しばらくそのままでいる時の感じ。

2014年7月15日、七月堂、2500円。

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2014年07月31日

『海号の歌』の続き

歌集を読んでいると、歌からいろいろと連想が広がっていくことがある。

ひかりたつ崖を飛びたる白ありきあはれ落ちずに空(くう)をただよふ

例えば、この歌を読んで思い出すのは、石垣りんの「崖」という詩。

(前略)
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。

玉砕の島であるサイパンの崖から飛び降りた女たちの姿だ。

十六歳の少女「むかしのわたしは」とうつむき語る秋の水辺に

この歌からは、今話題になっている佐世保の少女殺害事件のことを思ったりする。

そういう連想は短歌とは直接関係ないのであるが、純粋に作品を読むだけではなく、そういうことも含めて読んで、味わっていることが多い。


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2014年07月30日

伊藤一彦歌集 『海号の歌』

1990年から95年の作品583首を収めた第6歌集。
タイトルの中の「海号」は作者が自転車に付けた名前であり、また地球のことも意味している。

1ページ4首組で193ページ。
けっこうなボリュームであるが、途中で飽きるようなことはなく、むしろ充実感が伝わってくる。とにかく付箋がたくさん付く歌集だ。

靴持たぬゆゑに歩けぬ向日葵はぐんぐん空へのぼるほかなし
言ひよどみ言はざるままに終ること多くなりたる父の微笑よ
母は男と家出でゆきし少年の日がな一日掌を洗ひゐる
愛しつつ棲むふるさとやあやまちてこぼしし蜜の卓上に輝(て)る
放たれし火のいきほひて近づけば嫁菜は嫁菜のことばに叫ぶ
紫陽花の花口にせしをさなごの夜はあぢさゐの子となり睡る
薔薇園に声をかぎりに泣きてゐるをさなごのためしづかなれ世は
遠つひと呼ぶか虚空にもの言へる赤トラクターの上の老人
たましひの脱(ぬ)けてはをらぬ蛇の衣(きぬ)しづかにそよぐ朝日射すまへ
あらし過ぎ三日の後を川上ゆ大青竹の泳ぎ来たりぬ
晩(く)れてゆく日本の秋に息絶えしケニア生れの老いたる麒麟
雛の日をはちじふの母の取り出でて飾りし人形七十五歳なり

宮崎の風土や学校のカウンセラーという仕事に関する歌が多くある。
40代から50代にかけての作者の充実ぶりと人生的な苦みが、どの歌からも感じられる。

1首目は初二句の強引な理由付けが面白い。
2首目は年老いた父の姿。「微笑」が何ともいえず寂しい。
3首目はカウンセラーとして接する少年を詠んだ歌だろう。
6首目は「あぢさゐの子となり」がいい。お伽噺のような味わい。
9首目は脱皮したばかりの抜け殻。身体は抜けても魂がまだ残っている。
11首目は「く」「く」「き」「き」「け」「き」というK音の響きが良い。
12首目はお母さんが5歳の時に買った雛人形なのだろう。人形も年を取るのだ。

1995年9月30日、雁書館、2800円。

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2014年07月27日

『青昏抄』の続き

阪神淡路大震災で兄を亡くしたことは、この歌集に静かに影を落としている。

夕暮れの雲の映れる机には兄の写真が伏せられたまま
               楠誓英『青昏抄』

部屋の机に置かれている兄の写真。おそらく快活な笑顔の写真なのだろう。毎日見るのが忍びなくて、伏せたままにしてしまう。そこに、かえって亡き人を思う気持ちの深さが表われている。

ひそまりて在り経(ふ)る妻がいつよりか亡き子の写真裏返しおく
               高安国世『Vorfruhling』

楠の歌を読んで思い出したのは、高安国世のこの一首。3歳の長男を疫痢で亡くした後の歌である。子を亡くした妻の心の痛みとそれを思いやる作者の思いがよく伝わってくる。

楠の歌に出てくる写真を伏せたのも、本人なのか、あるいは母親や父親なのか。それによっても、歌の印象が変ってくる気がする。

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2014年07月25日

楠誓英歌集 『青昏抄』

1983年生まれで「アララギ派」所属の作者の第1歌集。

丸まつた靴下入りの上靴がプールサイドにならんでゐたり
「コロもいつか死ぬんでせう」と吾が犬の頭撫でつつ言ひたる少女
「だまつてゐるとなんだかコワイ」と言はれたる私の顔がドアノブの上
金魚鉢をのぞく少女の眼球がガラス一杯に拡がりてゆく
遮断機の向かうの夕陽にじわじわと足が生えきて吾が父となる
腕と同じ数だけ腋窩はあるだらう千手観音に向かひゐるとき
カサカサと燕の死骸あらはれぬ夏休み明けの教室掃けば
池の底に深く沈める切り株の浮かばぬはうがよいと思へり
足音が足からずれて鳴り始む夜の校舎を一人ゆくとき
日の落ちて影のみの山に向かひ立ちこの世にゐない君を思へり

昨年「第1回現代短歌社賞」を受賞した300首をまとめたもの。
夕暮れや水のイメージが全体を包んでおり、「夢」「影」という言葉が頻出する。この世界とは別のもう一つの世界が、作者の背後には常に貼り付いているようだ。

1首目はよく見かける光景だが、あらためて歌に詠まれると面白い。
4首目は、丸い金魚鉢がレンズになって少女の目を大きく見せているところ。
5首目は「足が生えきて」がいい。徐々に焦点が合っていく感じ。
7首目、校舎の中に入り込んで出られなくなってしまったのだろうか。
8首目は、実景と忘れたい記憶のようなものを重ね合わせている歌。

作者は短歌だけでなく、茶道や書道もされているらしい。
これからどのように作品の幅を広げていくか、非常に楽しみである。

2014年7月2日、現代短歌社、2000円。

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2014年07月17日

今野寿美歌集 『さくらのゆゑ』

第10歌集。

風邪がぬけるやうに終はりの数行を収めると言ふ現代詩人
丹沢の杉の林に十枚の羽のほかには遺さぬ死あり
ツガルさんは津軽からきて野毛山にふたこぶ休める三十五歳
子のズボンの裾のほつれをかがりゐる静かな時間がまだわれにある
ひとたびは冷えねば咲かぬ桜ゆゑ北からほころびそむる沖縄
横顔でなければならぬ瞑想の詩人もレンズの中の野鳥も
速報ののちおもむろに揺れ始め長く揺れたり為すなくて在り
顔あげて川と気づけり明るさは思はぬ方よりきてしづかなり
人肌を伝ふるやうに橋守を置けり鉄道橋梁史のなか
白耳義(ベルギー)も土耳古(トルコ)も耳をもつ国と明治日本は耳そばだてる

2首目は鳥の死骸(の痕跡)を詠んだもの。
3首目は「ふたこぶ」とあるのでラクダなのだろう。動物園の動物のネーミングはこんな感じ。
5首目、桜前線と言えば当り前のように南から北へと思うが、沖縄では反対なのだ。
8首目は電車などに乗っている場面だろうか。初・二句がうまい。
9首目は餘部鉄橋を詠んだ歌。鉄道橋梁という構造物を維持するために、かつては「橋守」がいたのである。灯台守のようなイメージが浮かぶ。

今回の歌集は、何か題材に基づいて詠まれた連作が多い。
それは、人名の多さにも表われている。

葛原妙子、鈴木牧之、(山崎)方代、(釈)迢空、油屋熊八、(与謝野)鉄幹、窪田通治(空穂)、山中智恵子、野田弘志、青木雨彦、キム・ヨナ、浅田真央、堀辰雄、バラク・オバマ、ベルディ、バレンボイム、河野裕子、(土屋)文明、(山村)暮鳥、坂本龍一、藤原龍一郎、澁澤龍彦、芥川竜之介、竹山広、(斎藤)茂吉、和嶋(勝利)、(在原)業平、プーチン、(石川)啄木、(萩原)朔太郎、(北原)白秋、(片柳)草生、(正岡)子規、陸羯南、(樋口)一葉、樹木希林、(与謝野)晶子、滝本賢太郎、カラシニコフ

こうした部分をどのように評価するかが、一つの問題となるだろう。

2014年7月26日、砂子屋書房、3000円。

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2014年07月14日

蒔田さくら子歌集 『森見ゆる窓』

昭和40年に短歌新聞社より刊行された第2歌集の文庫化。
26歳で第1歌集『秋の椅子』を出して、この歌集が10年ぶりの第2歌集であった。新たに武下奈々子の解説が付いている。

雛芥子の花あかしあかし芥子畑にめまふほど疼くは若さかもしれぬ
イヤリング揺れつつ耳朶に触れて居り坂多き町にバスは入りて
育ち来し家の雰囲気それぞれに持てるさびしさを夫も知るらし
整然と足場組まれし工事場の深夜どこよりか水がしたたる
燿ひて青葉ゆたけき逢ひなれど人を容(い)るるは易くはあらず
命綱ひとりの男に握らせてためらはず海に入(い)りゆくか海女は
耳の凹凸きはやかに浮かぶ夜の車内 耳あることが不意に恥かし
女の首蛇のごとくに自在ならば男の嘘の表情も見えむ
たをやかにあふられて身のよろめけば歓びに似る春の突風
咲き初めていたましきまで花白き辛夷よ今日は汚(よご)れず了へよ

若々しい青春の歌が多い。自らの若さを誇るような、あるいは持て余すような歌。さらには相手との距離をどう取れば良いのか、どのように心を許せばよいのか迷う歌が目に付く。

1首目は巻頭の「芥子畑」にある一首。真赤に咲き乱れる雛芥子を前にして、圧倒されつつ心惹かれていく様子が描かれている。
2首目はイヤリングが耳に触れるのを感じている歌。自意識の強さが表れている。
5首目の「人を容るる」は、この歌集の一つのテーマともいうべき言葉。
7首目は名歌と言っていいだろう。「耳の凹凸」にかすかなエロスがある。
10首目は「汚れず」を「よごれず」と読ませているが、同時に「けがれず」の意味も浮かんでくる。「今日は」は「せめて今日一日は」といった思いであろう。

2014年3月10日、現代短歌社、700円。

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2014年07月08日

坂井修一歌集 『亀のピカソ』


副題は「短歌日記2013」。
ふらんす堂HPの「短歌日記」に1年間にわたって連載された作品365首をまとめた第9歌集。

前歌集『縄文の森、弥生の花』もそうだったが、情報工学と短歌という二足の草鞋の折り合いをどうつけるかが、大きなテーマになっている。

ほほゑみがどんどん深くなつてゆくピーター・ヒッグス八十三歳
水槽の亀のピカソがその主(ぬし)の進歩史観をしづかに笑ふ
ペーストを終へて次なるコピーへのつかの間だけがにんげんの息
失業者五五〇万はなにをせむ世界平和の後の世界に
うすうすは知れど語らぬことのはの葉脈いくつワインはひたす
ゆつくりと畳みのうへにふりつもる母たちの時間 われらにあらず

4首目には「雇用者数世界最大の事業者はアメリカ国防軍であり、三二〇万人。次が中国の人民解放軍で、二三〇万人。」という文が付いている。
自然(季節、植物、動物など)を詠んだ歌は、ほとんどない。

〈くりかへす体言止めの貧しさやわれのことばの梅雨といふべし〉と自ら詠んでいるように、365首中ざっと数えて150首くらい体言止めの歌があって、やや単調な印象を受ける。また、散文部分に「駒田明子」「木下杢太朗」などの誤植があるのも気になった。(正しくは駒田晶子、木下杢太郎)

「歌やめよ」三十三年われに言ひ喜連川さんの額ひろがる

この「喜連川さん」はおそらく第1歌集『ラビュリントスの日々』に詠まれた「喜連川博士」のことだろう。

生きいそぐ一語はげしきラボの椅子喜連川(きつれがは)博士われを非難す

「三十三年」という歳月の長さにしみじみとした気持ちになる。

2014年6月1日、ふらんす堂、2000円。

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2014年06月14日

『リアス/椿』の続き

ありがたいことだと言へりふるさとの浜に遺体のあがりしことを
夜の浜を漂ふひとらかやかやと死にたることを知らざるままに
余震(なゐ)の夜を愛されてをりまざまざと眼裏に顕つ瓦礫のなかを
湯の内を浮き上がり来るまろき玉どの瞬間にひとは逝きしか
その土地でなければならぬ人たちの苦しみ銀杏の葉はどつと落つ
わたしたちどの辺りまで来たらうかつめたくこごる手を求めあふ
原発に子らを就職させ来たる教員達のペンだこを思(も)ふ
地震(なゐ)ののち海辺の家へと急ぐひとの一筆書きのいのちなりけり
みなどこか失ひながらゆふぐれに並びてゐたり唐桑郵便局
喪のけふも祭りのけふも数行に約めて母の三年日記

「以後」の歌から。

1首目「ありがたい」という言葉にハッとさせられる。まだ行方不明の方も多い。
3首目、生と死の極限のような歌。おそろしいほどに美しい。
4首目は白玉団子を作っているところ。団子が人の身体を離れる魂のようだ。
5首目は放射能を詠んだ歌。
7首目、原発は安定した職場として地元では人気があったのだろう。
8首目、「一筆書き」に人の命のはかなさを感じる。
9首目、まるで身体の一部を失ったかのような喪失感。

こうした歌は、単なる震災のドキュメントではない。
十分に歌として昇華された内容となっている。
震災後にこうした数々のすぐれた歌を詠み続けてきた作者の精神力に心を打たれる。それは、やはり震災前からふるさとの風土や海を詠んできた作者にしかできなかったことなのだと思う。

多くの人に読んでいただきたい一冊です。

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2014年06月12日

梶原さい子歌集 『リアス/椿』

みづうみの深さを知らずわたしたちふたりでふたつのかほを映して
はぐれてもどこかで会へる 人混みに結び合ふ指いつかゆるめて
傾ぎつつ油を提げてゆくときの左手宙(そら)をあわあわとせり
傘持たずバス停へゆく雨粒と雨粒の間(あひ)を跳び移りつつ
潮鳴りのやまざる町に育ちたり梵字の墓の建ち並びゐて
船に積む菜(さい)を調ふこれよりの土の息吹のなき数ヶ月
朝の陽にあつけらかんと見せてをりうなじのやうな波打ち際を

2009年から2013年までの作品432首を収めた第3歌集。
全体が「以前」「以後」の二部構成となっており、2011年3月11日の東日本大震災を境に激変した暮らしが詠まれている。

まずは「以前」の歌から。

1首目は相聞歌。一緒に湖を見ている相手に寄せる思いと距離感。ひらがなを多用した表記から、幸せと寂しさを同時に感じる。
2首目も美しい相聞歌。「結び合ふ指」という表現が艶めかしい。
3首目は灯油のポリタンクを運んでいるところ。左手でバランスを取る。
4首目は、下句がおもしろい。雨粒を避けるように走っていくのだ。
5首目から7首目は、第1回塔短歌会賞受賞作「舟虫」の歌。故郷の気仙沼の海を詠んだ歌である。震災前にこうした歌が詠まれていたことが、後から考えるととても大事なことだっだのだと思う。

2014年5月11日、砂子屋書房、2300円。

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2014年06月08日

千葉聡著 『今日の放課後、短歌部へ!』


上菅田中学から戸塚高校に異動になった38歳の教員歌人「ちばさと」が、学校で起こる様々なドラマを短歌158首とエッセイで綴った一冊。

エッセイは角川「短歌」の連載「今日の放課後、短歌部へ!」と「小説すばる」の連載「黒板の隅に書いた歌」に発表されたもの。巻末には穂村弘、東直子との座談会「短歌には青春が似合う」を収めている。

エッセイには、現代歌人の短歌がところどころ挟み込まれている。山田航、岡井隆、入谷いずみ、近藤芳美、俵万智、横山未来子・・・。エッセイと短歌の取り合わせが良く、短歌という世界への扉を開いてくれるようだ。

顧問を務めるバスケ部の話、課題図書を貸してくれる女生徒「ラアゲ」の話、いい加減だけれど人気のある教師「フナじい」の話、作家志望の男子生徒「K」の話、教員を目指していた元教え子「タカヒデ」の話、「古今和歌集」仮名序に曲を付けた話など、一つ一つが胸に沁みてくる。

そして、千葉さんは本当にいい人だなと思う。それは昔から変わらないことだ。そのあまりにもピュアな感じが、僕自身のピュアでない部分を浮き彫りにするようで、すこし心苦しい。

2014年3月25日、角川学芸出版、1200円。


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2014年06月03日

小島ゆかり歌集 『泥と青葉』


病む父を鞄につめて旅立ちぬもみぢうつくしからん津軽へ
竪穴式住居に入ればわがものとおもはれぬ低きこゑは出でたり
ひとつ石に泉のごとく陽は満ちて石のいづみに蝶はあつまる
スマートフォンをすべる娘の指に似て反りほのかなる茗荷を洗ふ
雨たまるほどに腹部のへこみつつ横倒れに餓死したる乳牛
ああ犬は賢くあらず放射線防護服着る人に尾をふる
彼岸花の小径をゆけば先に行く人より順に彼岸花になる
母であるわたしはいつも罅(ひび)入りの甕いつぱいに水を汲む人
はなみづきのはなさくころの浮遊感はなみづきはそらばかりみてさく
水道管工事の人の弁当の卵かがやく五月となりぬ

2009年夏から2013年初夏までの作品511首を収めた第12歌集。

老いた父、母、姑の歌、東日本大震災の歌など、全体に重さや疲れを感じさせる歌が多い。作歌の時期が重なっている『純白光―短歌日記2012』とは、随分と印象が違う。

1首目、年老いた父に心を残しつつ旅をする。旅をしながらも常に気になっている。
4首目は「娘の指」から「茗荷」への飛躍に驚くが、なるほどという感じがする。
5首目、6首目は原発事故の歌。避難地域の動物に焦点を当てて詠んでいて印象に残る。
8首目、母親としてできる限りのギリギリまで頑張ってしまうのだろう。
10首目は何でもない歌だが、卵の明るさに小さな希望を感じた。

2014年3月14日、青磁社、2600円。

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2014年05月28日

木下こう歌集 『体温と雨』

たて笛に遠すぎる穴があつたでせう さういふ感じに何かがとほい
草木(さうもく)を食むいきものの歯のやうなさみしさ 足に爪がならぶよ
階段といふ定型をのぼりつめドアをひらくと風がひろがる
雨垂れの音飲むやうにふたつぶのあぢさゐ色の錠剤を飲む
てのひらにみづひびかせて水筒に透明な鳥とぢこめてゆく
森の木と森のてまへに並ぶ木はすこし思考がことなるやうだ
路傍(みちばた)にしやがみて犬を撫づるとき秋をひとつの胡桃と思ふ
川を見てあなたと帰るゆふまぐれ「かとう小鳥店」なくなりぬ
身にふれて濡るるからだを覚えたりこの薄絹は雨にあらねど
煮ればなほつやめきながら魚(うを)は冷ゆ魚のまなこは雪をみてをり

2009年から2013年までの作品260首を収めた第1歌集。
繊細で鮮やかなイメージと言葉づかいが魅力的である。

1首目、確かにリコーダーを吹く時、小指がつりそうなほど遠かったなと思い出す。
4首目、「雨垂れ」ではなく「雨垂れの音」を飲むように、というのが面白い。
5首目、水筒に水を入れていく時の音の感じだろうか。イメージが鮮烈である。
8首目、何でもない場面であるが、日々が過ぎてゆくことに対するかすかな喪失感が滲む。
9首目、「身にふれて」から始まる語順がうまい。「薄絹」が肌にひんやりと触れる感じ。

「やうな」「やうに」といった直喩が多く、現実とイメージが巧みに組み合わされて、二重写しのような世界が広がる。作者のセンスの良さは紛れもないが、その一方で、少し線が細すぎるかもしれないとも思った。

2014年5月12日、砂子屋書房、2500円。

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2014年05月25日

『ゆりかごのうた』の続き

  500×0.8=400。
ペットボトル八分目まで水を入れて胎児の重さ片手で想ふ
赤ら引く吾子の体重訊く人のありて身長訊く人のなし
みどりごは見ることあらぬイラストの虎の子見つつ襁褓を換へる
寝かしつけてふすまを閉める おまへひとり小舟に乗せて流せるごとく
空砲なのか実弾なのか匂ひすればムツキを開ける斥候われは
焙じ茶の缶をひたすら振る子かなそこに花野が見えるらしくて
春の日のトンネル過ぎて振り返る吾子にもすでにすぎゆきのあり
酸つぱい顔教へてをりぬ甘夏を食べて困つてゐる一歳に

後半から。
この歌集の一番の特徴は、何と言っても子どもを詠んだ歌が豊富にあることだろう。妊娠初期から14ヶ月に至るまでの赤子の成長が、男親の立場から克明に詠まれている。

おそらく、これは画期的なことだ。
男性歌人の子育ての歌は今後ますます盛んになっていくに違いない。

1首目は400グラムという胎児の重さを具体的に想像している場面。
4首目、寝かしつけてそっと部屋から出てくるところ。「小舟」という比喩がうまい。
5首目はユーモアたっぷりの歌。臭うなと思っておむつを外してみても、便は出ていないことがよくある。
8首目、親の方も一緒に、と言うよりむしろ先に、口や目をすぼめるような「酸つぱい顔」をしてみせるのだろう。どんな表情をしたら良いのかわからずに困っている子どもに向けて。

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2014年05月24日

大松達知歌集 『ゆりかごのうた』

2009年から2013年までの作品444首を収めた第4歌集。
作者とは同じ年齢ということもあって、随所に共感しながら読んだ。

海の上にも電波の淡き濃きありて濃きところにて妻とつながる
眠らむと文語でおもふ眠ろうの口語の力足りない夜は
えんぴつをやさしくにぎるその中を道路工夫のあしおとのせり
語句登録したる〈古茶(こちや)〉〈御座(おまし)〉〈税所(さいしよ)〉など卒業ののちもパソコンにあり
バラ肉を巻かれてゐたる幼気(いたいけ)なオランダ雉隠しに喰らひつく
いまはまだsadの他の語彙のなくsadと書けりその母の死を
支援物資のなかに棺のあることを読みてたちまち一駅過ぎつ
有給休暇届書きをり〈達〉の字の之繞の点が最後に乾く

まずは、歌集前半から。
妻を詠んだ歌、教師としての歌、言葉に関する歌に注目すべき作品が多い。

1首目は携帯電話のこと。目に見えない電波を濃さで表現しているのが面白い。
4首目は生徒の珍しい名字。生徒と教師という関係のあり方が見えてくる歌だ。
5首目の「オランダ雉隠し」はアスパラガスの和名。他にも「ウランバートル」が「赤い英雄」だったり、「ちちんぷいぷい」が「智仁武勇武勇」だったり、「分娩」が「デリバリー(配達)」だったりと、言葉をめぐる雑学的な歌がたくさんある。
7首目は東日本大震災の歌。支援物資と言えば食料や水、毛布などをすぐイメージするが、そこには「棺」も含まれているのだ。1万数千の棺が必要となった震災の重い事実である。

2014年5月16日、六花書林、2400円。

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2014年05月17日

岡部桂一郎歌集 『坂』

青磁社
発売日 : 2014-04-03

生き死にのことにふるるなかたわらに岡部桂一郎全歌集ある
雨よりも雪に感情あるごとくわれに向いて雪ふりやまず
そら豆の一つ一つをむくときにわが前に立つ若き日の母
遊女らの小さき墓が湖に向き崩れて並ぶ月照らしゆく
あしたより雨ふりつづく森のみゆ終るいのちをわれは疑う
いとけなきおみなごの尻に似たる枇杷しずかな雨の降りはじめたり
ゆうらりと近づくボンベさびしげにややかたむきてこちらを向けり
逝く秋の空ふかくして今生の梨より垂るる雫のひかり
ナイル河岸(きし)に摘みしというミント繁れる鉢のそばに寝ころぶ
千歳より来りたるなり灯の下にある馬鈴薯は淡き影もつ

2012年に亡くなった岡部桂一郎の遺歌集。
歌集未収録の既発表作品および未発表作品を編集して、3部構成としている。

全体に力の抜け具合が良くて、味わいのある歌が多い。
計らいをあまり感じさせないところがいいのだろう。

4首目には「野付半島」という注が付いている。
道東に細長く伸びたこの半島には、江戸時代後期にキラクという集落があったと伝えられている。そこは漁業や交易で栄えて、遊郭もあったらしい。以前、何かで読んで印象に残っている話だが、歴史と言うよりは伝説に近いものだと思っていた。

岡部桂一郎は野付半島に行ったことがあるのだろうか。
この「遊女らの小さき墓」はいかにも実景のように詠われているが、あるいは想像の光景なのかもしれない。

歌集のあとがきは、妻の岡部由紀子が書いている。岡部由紀子さんについては、角川「短歌」5月号の歌壇時評で触れたところであった。この歌集にも「あの坂を登って由紀子が帰るなり枯れたすすきが揺れいるところ」という妻を詠んだ一首が入っている。

2014年4月3日、青磁社、2000円。

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2014年05月04日

吉岡太朗歌集 『ひだりききの機械』

ごみ箱に天使がまるごと捨ててありはねとからだを分別している
転送機で転送できない転送機 明日は今日より少しだけ夏
抜けてきたすべての道は露に消え連続わたし殺人事件
水遁の術であそんでいる祖父の竹筒が闇に薄れゆくまで
ローソンとファミリーマートとサンクスとサークルKのある交差点
川底の砂に半ばを埋もれつつ葉は揺れており薄暮のみずに
雨粒のひとつひとつが眼球でそこにうつっている春の町
河原町通りはたぶん烏丸のことを風聞でしか知らない
耳当てをあてるみたいに自動車はサイドミラーをとざして眠る
エントリーシートに今朝の鉱山でとれた砂金をふりかけている

第50回短歌研究新人賞を受賞した作者の第1歌集。
ハードカバーで1800円という価格は珍しい。今後こうした2000円を切る歌集が増えていくだろう。その分たくさん売れると良いのだが。

1首目は天使の「はね」と「からだ」を分別するという発想にリアリティがある。
3首目、過去の自分が次々と抹消されて更新されていく感じだろうか。
6首目は繊細で美しい叙景歌。
8首目の「河原町通り」と「烏丸(通り)」はともに京都を代表する通りで、平行して走っている。永遠に出会うことはないわけだ。
10首目は就職活動を詠んだ連作「氷河だより」の1首。この歌集には30の連作が収められているが、「もしスーパーマーケットが戦場になったら」と「氷河期だより」が特に印象に残った。

関西弁を使った歌がたくさんあるのだが、それ以外に「かたがむ」という言葉を使った歌が3首ある。これは石川県や富山県で使われる方言なので、どうしてかと不思議に思ったのだが、あとがきやプロフィールに「石川県小松市生まれ」とあって納得した。

2014年4月1日、短歌研究社、1800円。

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2014年04月28日

玉井清弘歌集 『屋嶋』

第8歌集。

海越えてきたるを網にとらえたりあさぎまだらのまんだらの羽根
人住まぬ村となりたる三年に孟宗竹は甍を破る
動きいる海老の鬚根に触れて見つ鞆の浦なる朝市に来て
さえぎれるものなき視野の岩礁にくろきしぶきはとどろき降れり
観音菩薩(かんのん)を埴輪のようにめぐらせて近江の湖(うみ)の残照ながし
食い尽す葉先に芋虫止まりいてこの世の先を見渡しており
刻みたる大根に振る粗塩に春の大地の水は寄り来る
あにさんの仕事は何かと問われたりわが指先を目守(まも)れる老いに
光りいる鱗いちまい拾いあぐ誰との会話のときこぼしたる
戸を少し閉め忘れたりあの世との境にほそく月光の洩る

第29回詩歌文学館賞と第48回迢空賞を受賞。

歌集名の「屋嶋」は、白村江の戦いに敗れた大和朝廷が、唐・新羅の侵攻に備えて各地に築いた山城の一つ「屋嶋城」(香川県高松市屋島)から採られている。作者は「屋島を望見する地に居を構えて三十年余り」で「この何年か週二、三回自宅から屋島山上への散歩を続けている」(あとがき)とのこと。

現在住む香川県のほか、ふるさと愛媛県など、四国に関わる歌が多い。

1首目は長距離を移動ですることで知られているアサギマダラの歌。「あさぎまだらのまんだらの」という音のつながりが気持ち良い。
4首目はスケールの大きな歌。「くろき」「しぶき」「とどろき」の「き」の音がよく響く。
5首目は琵琶湖周辺に観音像が多いことを詠んだ歌。「埴輪のように」という比喩がうまい。
8首目は電車の中の場面。元教員である作者の指は、農作業をする人の指とは違ったのだろう。
10首目は「あの世との境」と捉えたところが印象的。上田三四二の「夜あかりに積みゆく雪を戸にのぞく死後の世界をのぞくごとくに」とも通じる。

細かいことだが、「鰯雲一面にでて帰るべきふるさとのなし祭の太鼓」という同じ歌が二か所(79ページと156ページ)に載っているのが気になった。

2013年9月25日、角川書店、2571円。



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2014年04月25日

三井修歌集 『海図』

著者 : 三井修
KADOKAWA/角川学芸出版
発売日 : 2014-01-16

第8歌集。
生まれ育った金沢や能登に対する思い、亡くなった両親と兄、そして生活支援施設で暮らす継母といったテーマが、歌数はそれほど多くないものの歌集全体を貫いている。

その薄き髪に挿したる櫛をもて母は過去との交信をなす
抱(いだ)かれしことなき人の細き腕取りて階段ゆっくり下る
みどりごは眠りたるまま手から手へ渡されてゆく春の立つ午後
負け戦するかせざるか朝光に窓辺のデコイ鋭(と)き影を置く
絵の隅を歩む女は一秒後消えているべし絵の外に出て
かく薄きワイングラスを持つ故に今宵のわれは優しくなれる
紙コップ二つをついと触れ合わせかく頼りなき乾杯をする
瘡蓋(かさぶた)の如く付きたる石仏の背の苔越えて蟻のぼりゆく
バス停に並ぶ日傘の次々に畳まれてゆくバスが来たれば
一振りの匕首(ひしゅ)のごときは煌めきて天向く鷺に飲まれてしまえり

1、2首目は継母のことを詠んだ歌。生母とは違う距離感がせつない。
4首目、「負け戦」になるとわかっていても戦うこともあるのだろう。
5首目は発想の面白い歌。絵から出てしまった女はどこへ行くのか。
7首目は懇親会などでよく体験する光景。紙コップの乾杯というのは、確かにさまにならない。
10首目は鷺が魚を飲み込むところ。比喩の使い方が鮮やかだ。

2013年12月27日、角川学芸出版、3000円。

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2014年03月25日

富田睦子歌集 『さやの響き』

塩豚と冬瓜を煮る夕暮れのとろりと融けて遠し名古屋は
今日は手が明日は唇(くち)ができるころパラパラ漫画のようなる日々か
栗鼠が枝をはこぶ如しも内側を押されてわれの皮膚は波打つ
心臓を吸いだすごとく乳を飲むみどり子はつか朱(あけ)に染まりて
わがうちの渚はるかに光る午後生きなおすごと深く眠れり
錘なる雨が降る日や床柱に太郎を縛りしかのこ愛しき
青空にガーゼめきたる雲およぎ犬の字に眠る君とおさなご
人混みは大人のものでおさなごの前には銀のみちのあるらし
かしゅぽんと昼のビールをあけており祖母の家には夏が濃くある
ひとりまた同僚欠けて疲れゆく夫の箸先うすき翅あり

「まひる野」所属の作者の第1歌集。
妊娠・出産・育児に関する歌が中心となっている。

2首目は妊娠中の歌。「パラパラ漫画」のように日々変化していくのだろう。
3首目も同じく妊娠中。こちらはかなり生々しい。
5首目は「生きなおすごと」がいい。出産後の新たな心境である。
6首目の「かのこ」は岡本かの子。子育ての大変さに共感するのだろう。
9首目は「かしゅぽん」というオノマトペが絶妙だと思う。

2013年12月15日、本阿弥書店、2500円。

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2014年03月03日

小高賢歌集 『耳の伝説』


蟻を飼う牛乳ビンに少年は言葉なき生(せい)見つめておれり
責任校了のむらさきの印おす夜更け編集室にわれひとりなる
少しずつ遅れの捗(すす)む腕時計はめて向かえりビルという箱へ
霜の夜の卓のikra(イクラ)をかむわれに逝きし者らの翳が横切りぬ
団栗の独楽ころがせば陽の底に昨夜(きぞ)の瞋(いか)りはほそき炎(ひ)となる
筏師の川面をたたく竿ひかり縞なし春の潮みちくる
秋である。やさしさだけがほしくなりロシア紅茶にジャムを沈める
共食いでザリガニ釣りしあの夏の爆弾池はいまもゆうやけ
グランドのサッカーの声遠くある考古学館はしんとして夏
ミドリガメ、金魚、エビガニ、死のいくつわが家の樹々を春に太らす

先月急逝した作者の第1歌集。
元の歌集は1984年に雁書館から刊行されたもの。
1978年の「かりん」創刊に参加して作り始めた歌のなかから、305首を収めている。

40歳という比較的遅い年齢での第1歌集であり、家族の歌、仕事の歌など、既に落ち着いた社会人としての歌が中心となっている。

1首目の「少年」は息子だろう。「言葉なき生」は蟻のことであるが、それを見つめる少年の寡黙さも感じさせる。
3首目は「遅れの捗(すす)む」が面白い。日に日に遅れが広がっていくのだ。それが慌ただしい日々を過ごす作者の姿とも重なってくる。
7首目は「秋である。」という初句が実に印象的。まるで短編小説の一行目のようだ。
8首目の「爆弾池」は戦時中に落とされた爆弾によってできた穴に水が溜まったものだろう。1944年生まれの作者の原風景を見る思いがする。

*4首目の「ikra」が文庫では「ikura」となっているが、誤植であろう。

2013年3月30日、現代短歌社第1歌集文庫、700円。

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2014年02月27日

岡井隆著 『木下杢太郎を読む日』


詩人、劇作家であり、医師であった木下杢太郎の作品(詩、戯曲、翻訳)を読み解きながら、青年期のホフマンスタールからの影響や森鴎外との関わりなどについて考察する内容。

「未来」2011年6月号から2013年7月号にかけて連載された文章をまとめたもので、『「赤光」の生誕』(2005年)、『鴎外・茂吉・杢太郎「テエベス百門」の夕映え』(2008年)、『森鴎外の「うた日記」』(2012年)といった一連の本の続きに位置している。

何かの結論に向かって一直線に書いていくタイプの評論ではなく、考えながら書き、書きながら考えるというスタイルで、何度も行きつ戻りつを繰り返し、少しずつ丁寧に読み進めていく。前3冊に比べても、この傾向はさらに強まっているように感じる。

こうした蛇行(?)や注記の多い文章は苦手な人もあるかもしれない。ただ、この味わいに慣れてくると、ちょっと病み付きになるのも事実で、杢太郎に特に興味を持っていたわけではないのに、興味深く、そして楽しく読むことができた。

「未来」での連載は86歳になった今も続いており、そのエネルギーにあらためて驚かされる。

2014年1月5日発行、幻戯書房、3300円。

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2014年02月19日

外塚喬歌集 『喬木』


直定規・雲型定規をつかひ分け仕上げてゆかむ計測図面
母が食べよと持たせてくれし一房の葡萄(ぶだう)が夜勤の卓に光れり
爪の型の貝をひろひて来しわれら夜は潮(うしほ)にぬれつつ眠る
コーヒーの香りのなかにめざめゐてやさしきこゑに呼ばるるを待つ
生きもののごとく油槽に流れこむ五千リッターの重油まばゆし
送風をとめたるあとの鉄管にかすかに風のこもりゐる音
病(やまひ)重くならばすぐにも帰り来むと父に告げわれは東京へ発つ
まぎれこみやすければいつも作業台につきさしておく千枚通
火の気なき部屋に蔵ひおく危険物第四類第一石油類ガソリン二罐
コーヒーが飲みたくなりて一人分の湯をわかしをり宿直室に

第1歌集文庫。
元の本は、1981年に短歌新聞社から刊行されている。

仕事のうた、それも現場の作業を詠んだ歌が中心となっている。「モーター」「蒸気圧」「送受器(ブレスト)」「ボイラー」「ケント紙」「スパナ」「ヒューズ盤(パネル)」「ハンダ鏝」「冷却塔」「バーナー」「ボルト」「変圧器」など、仕事に関わる言葉が数多く出てくる。

今回引いた歌も、1、(2)、5、6、8、9、10首目は仕事の歌である。それだけ印象に残る作品が多いのだ。

そう言えば、最近の歌集には、こうした仕事の歌が全般に減ってきている気がする。

2013年8月23日、現代短歌社、700円。
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2014年02月17日

三枝浩樹歌集 『朝の歌(マチナータ)』


第1歌集文庫。原本は1975年に反措定出版局より刊行されたもの。
なににとおくへだてられつつある午後か陽だまりに据えられしトルソー
あかるすぎる街光に眼をしばたたく老年のごとし冬の訣れは
底へ底へとふりしずみゆく怒りとはあわれ標本箱のひぐらし
ゆきてかえらぬものへ劇しく向かいゆく暗きカヌーを漕ぐ、なにゆえに
限りなくわれを離れてゆくものにあかつきさむく立ちむかいおり
論理より離(さか)りて水を貫ける直(すぐ)なる思い生(あ)れやまずけり
橋上に炎えいし冬の火焔瓶そののちのわが日々を暗くす
劇中劇のごとき愛かな来し方のかげりを曳きて男去りたり
砂浜は海よりはやく昏れゆけり 伝えむとして口ごもる愛
田園はいちごの季節 きらきらと君の眼と僕の眼と出会う時

1964年から73年までの作品を収めた第1歌集。
思索詠、心象詠が歌集の中心をなしている。

1首目や3首目の下句の句割れ・句跨りのリズムなどに、前衛短歌の影響が濃厚に感じられる。その後、徐々に作者独自の世界が切り拓かれていったようだ。

7首目の「火焔瓶」には、70年安保に向けた学生運動の高揚と、その後の挫折が鮮やかに描かれている。

9首目は初期歌篇の中の一首。上句の景の描写が下句の心情を支えており、今読んでも少しも古びていない。

2013年6月27日、現代短歌社、700円。

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2014年02月02日

堀合昇平歌集 『提案前夜』



新鋭短歌シリーズ3。
「未来」所属の作者の第1歌集。2008年から13年初頭までの317首を収めている。
ちぃーすざぁーすうぃーすあざぁーすと原型の分からぬ朝の挨拶をする
みな前を向くから僕も前を向くデスクトップの遠い草原
新月の夜の更けゆけば停止線わずかに越えて停まるプリウス
アイライン整えられてゆくまでを見おろす肘と肘のあいだに
のどあめでのどをうるおすさびしさに読みかけて閉じる回想録(メモワール)
剃刀の刃を差し替える危うさで名刺を渡すもうあわないひとに
離れては近づいてくる笑いごえ風の向こうへブランコを押す
学校はもうこりごりと耳元で妻がつぶやく拍手をしつつ
いっかいてーんにかいてーんさんかいてーんといいながら半回転をつづけるむすめ
折り畳み傘たたみつつ誰ひとり歩みを止めぬ駅コンコース

コンピューターメーカーの営業職という仕事を詠んだ歌が中心となっている。

7、8、9首目は小学生の娘に関する歌。「シオリ1」「シオリ2」「シオリ3」という連作のタイトルは、娘さんの名前「詩織」に因んでいるのだろう。

2013年5月25日、書肆侃侃房、1700円。

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2014年01月27日

『galley ガレー』のつづき

就職を「した」と「しない」と「できない」でさびしきわれら薄く鎧へり
わたくしの白とあなたの水色をかさねて仕舞ふ給与明細
腹がすいたと体のどこが思ふのかぼんやりと手が考へてゐる
じつと手を見てゐる人がひとり、ふたり、さんにん、よにん昼の電車に
退職を決めし同僚と向き合へりかもなんばんに鼻を温めて
三十キロ離れて撮れば青鼠の海市のごとく建屋が並ぶ
ゆめの中で落としてしまつた顔のこときれいな凹凸だつたと思ふ
防護服の人が防護服の人に向き合ひてファスナーぎゆつと喉元へ詰む
八時間赤ボールペン使ひたる手を包む泡がももいろになる
祖父の内にありしシベリアも燃えてゆく鉄扉の向かう火の音たてて

2首目は共働きの夫婦ならではの歌。こういう歌は、これまでありそうでなかったように思う。最初は何のことかなと思って読んでいき、結句の「給与明細」まで来てようやくわかるという語順がいい。

4首目は啄木の「ぢつと手を見る」を想起させるが、実際はケータイやスマホを見ているのだろう。そこに時代の移り変わりが感じられる。

8首目は原発事故の歌。分厚い防護服を着ているので、自分ではうまく閉められないのかもしれない。そこに生々しさがある。

9首目は仕事を終えて手を洗っているところ。石鹸の泡ににじむ「ももいろ」が、仕事を終えた疲れや充実感をよく表している。

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2014年01月25日

澤村斉美歌集 『galley ガレー』

著者 : 澤村斉美
青磁社
発売日 : 2013-12-25

第2歌集。2007年春から2012年秋までの450首を収録。
まずは前半から。
初、春、夏、名、秋、九と覚えたり力士にめぐる六つの季節
赤紫蘇の葉の裏側へ透けながら秋の陽は手に取りてみがたし
サワムラは水の流れる村にして夜勤ののちをふかく冷えこむ
旅一つ終へて失せたるマフラーの濡れて踏まるるさまを思へり
夫をらぬ昼にもぐれる夫の布団の案外寒きその掛け布団
夫のなかに蓮のひらきてうすべにのやる気といふものつねにはかなし
にほんざるのやうに並んで過ごす冬消したテレビに顔の映れる
人の死を伝へる記事に朱を入れる仕事 くるくるペンを回して
君の敵のウチカワのことをなぜか思ふウチカワが勝てばいいと思へり
しらかばとしらかばの影が向かひ合ふ奥蓼科の冬晴れの水

新聞社の校正の仕事を詠んだ歌が歌集のベースとなっている。
また、夫を詠んだ歌も多く、現代的な夫婦のあり方が見えてきて面白い。

1首目は大相撲の「初場所」「春場所」「夏場所」・・・のこと。一年に六場所あることを「力士にめぐる六つの季節」と詠んだのが美しい。

5、6、7首目は夫を詠んだ歌。夫婦の間の距離感をうまく捉えて歌に詠んでいる。これまでの短歌に見られる夫婦像とは違う感じがあり、この歌集の特徴、収穫と言っていいだろう。

8首目、「人の死」と「くるくるペンを回して」の落差に、自分の仕事を客観的に見つめる眼差しが感じられる。

2013年11月11日、青磁社、2500円。

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2014年01月17日

『王仁三郎歌集』のつづき

出口王仁三郎は、とにかく桁外れである。結社にいると、毎月10首の詠草を出すのが大変といった話をよく耳にするが、王仁三郎は一日に二百から三百首、一か月に数千首という数の歌を詠んでいたらしい。
歌人としての出口王仁三郎は、昭和五(一九三〇)年に前田夕暮の結社「詩歌」に入会したのを皮切りに、百以上の結社に次々と入会する。

と笹公人さんが解説に書いているのを読んでも、その桁外れのスケールに驚くほかはない。しかも、中には女性のみの雑誌に女の名前を使って入ったりもしているのである。

王仁三郎の第4歌集『霞の奥』の目次を見ると、まず「昭和六年六月」という章立てがあって、「詩歌 沈默」「つき草 春寒し」「短歌月刊 春の歌」「心の花 天城嶺」「創作 天橋」「都市と藝術 外濠」「水甕 鶴山林」「蒼穹 湯ケ嶋にて」「吾妹 夕月」「香蘭 温泉の村」「アララギ 如月」「潮音 東上」……と、実に50以上の結社誌の名前がならぶ。これはすべて、ひと月に王仁三郎が結社に発表した作品である。しかも、次は「七月」とあって、また同じように続いていくのだ。

今では、というか、当時でも考えられない常識破りの行いであり、作歌量であろう。
そんな王仁三郎は、当時の歌人たちをどのように見ていたのだろうか。
小賢しく主義や主張とあげつらふ歌人の尻の小さきに呆るる
病雁(びやうがん)の一つの歌に数ケ月の喧嘩続くる小さき歌人よ
くやみごと上手に並べ肺病を歌によむ人を歌人といふなり
全国の歌人がわれをにくむとも鎧袖一触(がいしういつしよく)の感だにもなし

2首目は昭和4年から5年にかけて、斎藤茂吉と太田水穂との間で行われた「病雁」論争のことを言っている。王仁三郎という桁外れの人物から見れば、どんな歌人も「尻の小さき」存在でしかなかったであろう。

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2014年01月16日

笹公人編『王仁三郎歌集』

玄界灘のあなたに青々と浮ぶ壱岐の島! 新しい塗料のやうに
久方の天の橋立に風あれてかもめのむれは片寄りにけり
憑依現象だ幽霊研究だとさわぐ学者のやせこけたあをじろい顔
日に幾度鏡のぞけどわが白髪朝もゆふべも白髪なりけり
をさな日のうつしゑのなきわれにして淋しみにつつ自伝記を書く
大いなる牛を曳きつつ牧童が夕べの川に足浸しをり
いかづちの音にもまがふ大瀧の真下に立てば夏なほ寒き
包丁をぐさりとさせばほんのりと匂ふメロンの朝の楽しさ
やまめと思つて食つた膳の魚が鰆(さわら)と聞いて俄かに味が変(かは)る
宗教家の自分をみて人間味たつぷりと評する人がある宗教の真味を知らないのだらう

大本(教)の教祖である出口王仁三郎は、生涯に15万首もの歌を残したことでも知られている。その膨大な歌から328首を選んで収めた本。

1首目は「新しい塗料」という比喩が印象的。
2首目、6首目は写実的な歌で、絵になるような風景を的確に描いている。
4首目は当り前の話ではあるのだが、加齢や老いに対する寂しさが滲んでいる。
9首目は人間の味覚の不思議を感じさせる歌。私たちは料理そのものだけではなく、それに関する情報も含めて味わっているのだろう。昨今の食材の「偽装」問題にも通じる話かもしれない。

王仁三郎については、以前「D・arts ダーツ」第6号(2004年12月)の特集「越境する短歌」の中で、「出口王仁三郎『東北日記』を読む」という文章を書いたことがある。

『東北日記』(全8巻)は北陸・東北・北海道・樺太への巡教の記録であるが、ここにも膨大な数の短歌が収められている。「樺太を訪れた歌人たち」でも、近々取り上げるつもり。

2013年12月28日発行、太陽出版、1800円。

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2014年01月11日

久野はすみ歌集 『シネマ・ルナティック』

窓際は特等席ゆえLPにかすかにまじる木枯らしの音
ひいらぎさん柊さんという人を思い出したり春のはじめに
岬まで白い風車が建ち並びならずものにはなれないふたり
いくつもの沢があなたの腕にあり夏の終わりの瀬音ひびかす
どのドアも朽ちてしまってアンティークショップに並ぶ真鍮の鍵
「つるばらの香る季節となりました」薄きはがきが閉店を告ぐ
舌先は口内炎にふれながらあざみ野行きのバスに揺られる
海沿いのちいさな町のミシン屋のシンガーミシンに砂ふりつもる
ひだまりの祖母は揺り椅子ゆらしつつどこへも行かずどこへでも行く
貝印カミソリいつもしまわれて鏡台は母のしずかな浜辺

2001年から2012年までの作品253首を収めた第一歌集。

日常とは少し違った物語的な歌が多く、「シネマ・ルナティック」「喫茶きまぐれ」「黒猫レストラン」など、お店を舞台にした連作が印象に残る。

2首目は「柊」という名字なのだろう。一度目は平仮名、二度目は漢字にすることで、「柊」という字の中に「冬」があることを気づかせてくれる。

6首目は、時候の挨拶に「つるばら」を持ってくるところに、お店の雰囲気や店主の人柄が滲んでいる。「薄き」がよく効いていて、閉店を惜しむ気持ちが伝わる。

9首目の祖母は一日中うとうとしているのだろう。もうどこへも行けない身体ではあるけれど、記憶や思い出や夢の中で、どこでも好きなところへ出掛けているのだ。

2013年11月10日発行、砂子屋書房、2400円。

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