2016年04月17日

『森岡貞香の秀歌』 の続き

引用されていた歌の中から、特に印象に残ったものを。

薄氷の赤かりければそこにをる金魚を見たり胸びれふるふ
                『白蛾』
ぬかるみは踏み場なきまで足跡がうごめきてをりきのふも今日
(けふ)も           『未知』
今日もむかし夏のゆふべに倒れゐる空罐に雨かがやきてふる
                『珊瑚數珠』
新萌の欅木立にカ音もて入りこむものが鴉にてある
                『黛樹』
ゆふかたにかけて久しく煮こみゐる大き魚はかたち没せり
                『黛樹』
十三夜の月さし入りて椎の實のころがる空池(からいけ)のなかの
あかるし            『百乳文』
昨(きそ)ひと夜ゆたんぽ抱けば追熟といふべくわれのやはらかに
ある              『夏至』
朝光(あさかげ)のひろびろしきに昨(きぞ)の夜のつきかげありし
あたりを掃きぬ       『敷妙』
覆はれて見えずなりゐる川なればここは呑川といひて道踏む
                『九夜八日』
薔薇のつる雪の重みに下りゐしなほくだりこむと椅子にゐておもふ
                『九夜八日』

こうして見ると、「きのふ」「きぞ」「今日」などの時間を指す言葉、「そこ」「ここ」などの場所を指す言葉が、不思議な効果を生み出しているのがわかる。

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2016年04月16日

花山多佳子著 『森岡貞香の秀歌』


森岡貞香の全11冊の歌集から歌を引き鑑賞をほどこしたもの。
「短歌現代」2009年8月号〜2011年12月号の連載した文章を元にまとめた一冊である。

定型を所与のものでなく、一首一首ことばを動かすことでかたちをつくっていく森岡さんの歌には一首一首付き合いたい。

と序にあるように、一首ずつの丁寧な鑑賞の光る内容となっている。
例えば

ゆきずりに赤き電話が空(あ)きながらわれ近づかぬとき戀ひてゐつ

の鑑賞の中で「自分がそこに近づかない、ということによって恋う気持を強く意識する」「近づかない、という身体の在りようによって、思いが発見されているのである」と書いているところや、

戸のすきより烈しくみえてふる雪は一隊還らざる時間のごとく

について「「戸のすきより見えて烈しくふる雪は」でなく「戸のすきより烈しくみえてふる雪は」という語順である。自分の体験した時間がそこに烈しく見えているのである」と述べているところなど、新鮮な視点であり納得させられる。

こうした一首一首の丁寧な鑑賞の積み重ねの中から、著者は森岡貞香の歌の特徴をいくつも見出していく。

森岡には心理や自意識をまとまったものとして整理、叙述する歌はほとんどない。
「考へもなく」とか「ゆゑんもなく」とかあえて挿入するのが森岡流である。
移動など動作の意識を強く出すのは森岡の特徴の一つであり、叙述にとどまらないリアルさを付加するのである。
同じ場所の異なる季節の表情に時間の推移を見るのが、森岡の好みなのである。

森岡貞香の歌の魅力がじわじわと迫ってきて、森岡の歌がもっと読みたくなる本である。

2015年12月10日、砂子屋書房、2000円。

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2016年04月10日

渡辺松男歌集 『雨(ふ)る』


現代歌人シリーズ11。2002年から十年余り間に「かりん」に発表した作品から457首を収めた第9歌集。

調べてみると第6歌集『自転車の籠の豚』と第8歌集『きなげつの魚』は総合誌等に発表した作品、第7歌集『蝶』は未発表作ということで、長らく「かりん」の歌は収められていなかったのだ。

そこに揺れながらそこにはなきものを遊行柳と言ひてかなしむ
まんじゆ沙華馬力をあげて咲きにけりたつたいつかい死なば亡きひと
死後の永さをおもひはじめてゐるわれはまいにち桜はらはらとちる
ひとをつよくおもふとき気球うかびたりつよくみあげてをればおちない
黒煙を鴉と気づきたるときに鴉の多さに黒煙のきゆ
防犯用カメラは空気をうつしゐて空気にうごくすずかけのかげ
まひるまをなにできるなきかなしさは鰺のひらきのうへを雲ゆく
喰ふ子規のあさましさこそいとしけれくひてくひてくひてくひてすなはち死にき
トマトよく熟れたるにゆびくひこみてぬけざるをわがゆびの四五秒
朝とよぶもののけはひのさみしさはかたちとなりて窓のあらはる

1首目、奥の細道の旅で芭蕉が訪れ、能の演目にもなっている「遊行桜」。時空を超えた広がりを感じさせる歌だ。
2首目、人はたった一回死んだだけで、もう二度と生き帰ることはない。
3首目、「われに」ではなく「われは」である。われと桜が一体化している。
5首目、一度鴉だと気づいてしまうと、もう黒煙に見えることはない。
8首目、下句「くひて」を4回繰り返したところに圧倒的な迫力がある。
10首目、まだ暗い部屋の中にいて、うっすらと白み始めた窓を見ている。

この歌集の特徴として、自らの病気のことをかなり具体的に詠んでいる点が挙げられる。

ちれうはふあらざるからだよこたへて対流圏のそこひに灯す
えーえるえす、ゆめではなんと自由です、牧水の脚で渋峠こゆ
痰のどにみづあめじやうにあるひそとこのみづあめは太るひとりで

現在のところ治療法のないALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹った作者。のどに痰が溜まる様子なども詠まれている。渡辺の一見自由奔放に見える歌の背後には、こうした厳しい現実があるのだ。

総合誌の作品ではそうした面をあまり出さない作者であるが、結社誌「かりん」においてはかなり素直に歌にしている。良い意味での身内意識の表れと言っていいだろう。

2016年3月23日、書肆侃侃房、2100円。

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2016年04月06日

沖ななも歌集 『白湯』

2004年から09年までの作品519首を収めた第9歌集。

秋の歯にこころもとなくおきうとの骨も髄もなきこの舌ざわり
バスを待つきのうもバスを待ちおりき思えば一生(ひとよ)待つばかりなる
目薬をさせば海面(うなも)を漂えりひかりながるる水のおもてを
スーパーの袋をさげて歩み来る敵将の首を下ぐるごとくに
見目(みめ)悪しき魚は味がよいというわが安堵することにあらねど
考えて考えて流れはじめたり三和土(たたき)に垂れし傘のしずくが
値札みて買うをやめたるカシミヤの朱のセーターのあのやわらかさ
植えられて苗しずかなり水面におのれの丈の影を映して
窓越しにぼうと見ているきつね雨昨夜のことをよみがえらせて
アイスコーヒー飲み終えしグラス引き寄せて氷の溶けし水すこし吸う

1首目の「おきうと」は福岡の人がよく食べる海藻食品。
2首目、バスに限らず人生には待ち時間が多い。
3首目、目薬を差した時の感覚がおもしろく表現されている。
5首目はユーモアの歌。言外に自分が美人ではないことを伝えている。
6首目、三和土の微妙な凹凸を流れていく水の様子。
7首目、家に帰って来てから思い出しているのだろう。
10首目は結句の「吸う」がいい。もうほとんど味はしない。

タイトルの由来について、あとがきに

母が亡くなってからの十年、わたしの考え方感じ方が少し変わったように思う。肩の力が抜けたというか、日常の生活が大事だと思い始めた。凝った味付けではなく、白湯の味わいを好むような日常になったということかもしれない。

とある。短歌においても「白湯の味わい」を目指しているということだろう。白湯を美味しく飲ませるために、おそらく作者はいくつもの工夫が施しているのだ。

2015年9月10日、北冬舎、2200円。

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2016年04月05日

『桜前線開架宣言』の誤植訂正

『桜前線開架宣言』の初刷の誤植訂正が、版元の左右社のホームページに載っています。

http://sayusha.com/news/etc/p=201604042113

ネットの情報によれば、他にも何か所か誤植があるようです。
気づいた方は版元に連絡してあげると喜ばれます。

歌の引用というのは、何度確認してもし過ぎるということがないですね。
自分の書いた文章を校正していて、時々驚くことがあります。

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2016年03月27日

山田航歌集 『水に沈む羊』


短歌176首と長歌1首を収めた第2歌集。

花と舟と重なりあひてみづうみを同じ速度で流れゆく見ゆ
〈失はれた十年〉は過ぎしきしまのやまとに止まぬPHANTOM PAIN
白樺の姿勢ただしく終はりなき行軍のごとき防風林よ
大根は天衣のごとく干されゐて水路は朝のひかりへ潜る
スタッフロール流れ始めてゆふやみの窓のごとくに液晶が灯る
振り上げた鎌のかたちの半島の把手あたりにひかるまほろば
監獄と思ひをりしがシェルターであつたわが生(よ)のひと日ひと日は
彩帆なるうつくしき名を持つ少女/サイパンといふうつくしき島
改札をくぐるときのみ恋人はほぐれけり春の花びらのごと
食パンの耳の額縁そのなかに少し呆れた顔のモナ・リザ

1首目、舟に落ちた花びらが運ばれて行く。「ふ・ね」と「は・な」の音の響き合いがよく効いている。
2首目の「PHANTOM PAIN」は幻肢痛。切断してないはずの手足が痛む症状のこと。3句以下の音の響きがいい。
5首目、映画が終って、まだ暗い場内で観客が携帯電話の電源を入れ始めている。
6首目は下北半島のことだろう。下句は六ヶ所村の核燃料再処理施設と読む。
8首目、「あやほ」「さほ」という女性の名前と、戦前のサイパンの漢字表記「彩帆」の取り合わせ。
9首目、待ち合わせ場所でこちらに気づいた時の、はにかむような微笑み。
10首目の歌から始まる連作「ふたりぼっちの明日へ」は、不妊治療とその断念を詠んだ内容で、歌集の中で一番心に残った。

2016年2月28日、港の人、1200円。

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2016年03月10日

池田はるみ歌集 『正座』

青磁社
発売日 : 2016-01-21

2010年から2015年までの作品427首を収めた第6歌集。

箸立てに箸が咲いてるゆふまぐれ二本をぬいてうどん食ふひと
らつきようは瓶の中にて眠るひと小さいあたまを酢につけながら
ゆりの木のいちまいの葉は留まれば夕日のなかに散りてゆきたり
冬の日の寒いはずだよ我でさへこのごろ本はパソコンで買ふ
決めたがる男(を)を立てながら誘ひこむ昭和のをんな少なくなりぬ
日本の鰻はふつくらやはらかし靴をそろへて座敷に上がる
鰤(ぶり)炊けば蒼き男の臭ひせり海原ゆきしをとこの群の
ながい長いまつげの人が近づいて長いまつげを勧めてくれぬ
陽だまりのやうな時間があるといふ丸椅子の上がさうかもしれぬ
こんなにもすずめのゐない町となり朝に夕べにわれは寂しも

1首目、「咲いてる」がいい。無造作に広がるように立っている。
2首目、言われてみれば確かに「小さいあたま」という感じ。
4首目、「寒いはずだよ」から三句以降へのつながりが因果関係になっていないところがいい。
5首目、男性を立てつつ自分の思い通りの結論へと導いていた、かつての女性のしたたかさ。
6首目、上句と下句の時間が前後しているのが面白い。
8首目、まつげエクステの販売員だったのだろう。「長いまつげ」の繰り返し。
10首目、近年、雀が減っているというニュースがあった。シンプルに思いを述べた歌。

あとがきに「昔ひとりの息子を産みました。ひとりの息子から三人のあたらしい命をさずかりました」「孫が居ることによって知らなかった不可思議な世界が現れてきました」とあるように、孫を詠んだ歌が多くある。

連作としては「大鵬とその父」26首が印象に残った。これについては、雑誌に載った時にこのブログで取り上げたことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139098.html

2016年1月21日、青磁社、2600円。

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2016年02月29日

真野少歌集 『unknown』

鴉啼き、雀囀り、犬吠えて、やがて人間が雨戸繰る音
おこのみやき焼き疲れたるゆうぐれに焼いて食うとぞおこのみやきを
腹ふくれて店出でしとき松の木のかたえに地蔵の前垂れ赤し
死にかけの蟬咥えきて翅もぎて脚もぎて部品となしゆくはよし
かなぶんが狗尾草(えのころぐさ)の穂を抱けばはつか撓いて平衡得たり
エンジンをかけたるままのトラックの窓に対なす足の裏見ゆ
複写機がホチキスどめまでするからににぎりめし二個食い終わりたり
口頭に聞きてメモする懲罰の「けんせき処分」また「ゆしかい雇」
妻とゆきし伊豆大島の思い出がロープに揺るる雑巾となりて
蛇の肉はげしくつつく嘴のしばしば瓦に打ちつくる音

1995年から2010年までの作品380首余りを収めた第1歌集。
作歌期間から考えて相当に厳選したにちがいない。

仕事の歌、職場の歌、そして食べたり食べられたりする歌が多い。仕事関係だろうか、パリ、ネバダ、台湾、香港、北京、広州など海外詠もある。

1首目、屋外から聞えてくる音の順序によって、巧みに朝の時間の流れを表している。
4首目、猫が蝉の身体をバラバラにしているところ。「よし」と肯定的に捉えているのが印象的だ。
5首目、飛んできたカナブンが止まってしばらく揺れていた狗尾草の穂が、また動かなくなるまで。映像的で美しい一首。
6首目、建築現場や道路作業などの昼休みか。「対なす足の裏」が簡潔でいい。
9首目、「○○旅館」などと書かれたタオルが、今では雑巾となっているのだ。
10首目、蛇の肉を食らう鴉。この暗い激しさは、作者が心に秘め持つ激しさでもあるのだろう。

2015年12月1日、現代短歌社、2500円。

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2016年02月19日

林和清著 『日本の涙の名歌100選』


2011年に淡交社より刊行された『日本のかなしい歌100選』を改題して文庫化したもの。

「かなわぬ恋」「わかれの歌」「世は無常」の3部に分かれていて、万葉集から現代に至るまでの短歌100首が解説されている。取り上げられている歌人は、額田王、大伴家持、在原業平、紫式部、藤原定家、源実朝、後醍醐天皇、石川啄木、永井陽子、笹井宏之など。

歌の背景や人物関係などが丁寧に説明されているので、歴史物語としても楽しむことができる。

 君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも
              狭野茅上娘子
 恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思ふ時に来鳴き響むる
              中臣宅守

京都から宅守が配流された越前市まで、今なら特急サンダーバードで1時間10分あまりだが、当時ははるかな距離に感じられたことだろう。

2014年4月1日、新潮文庫、490円。


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2016年02月16日

山田航編著 『桜前線開架宣言』


副題は「Born after 1970 現代短歌日本代表」。

1970年以降に生まれた歌人40名のアンソロジー。
山田航が40名の歌人の各56首を選び、さらに歌人論を書いている。

三輪車つめたく錆びて置かれをり子に叛かれし老母のごとく
                 高木佳子
銀縁の眼鏡いっせいに吐き出されビルとは誰のパチンコ台か
                 松木 秀
しばらくを蜜吸ひゐたる揚羽蝶去りゆきて花浮きあがりたり
                 横山未来子
あなおとなしき駱駝の腹に浮きでたるホースのように太き静脈
                 齋藤芳生
そよかぜがページをめくることはなくおもてのままにKindleをおく
                 光森裕樹
白というよりもホワイト的な身のイカの握りが廻っています
                 岡野大嗣
レシートは冬の陽射しを記録してやがて無文字となる白い土地
                 吉岡太朗
かあさんは食べさせたがるかあさんは(私に砂を)食べさせたがる
                 野口あや子
雪が降る(イル・ネージュ) かくも空疎な例文をとなへてあれば
口中さむし           吉田隼人
カーテンに鳥の影はやし速かりしのちつくづくと白きカーテン
                 小原奈実

他にも「歌集が欲しいんだけどどうすれば手に入るかな?」「歌集ってどういう出版社から出ているの?」といった疑問に答えるコラムや、ブックガイドなどもあり、手に取りやすい内容となっている。

こうしたアンソロジーで好きな歌人を見つけて、さらにその人の歌集を読んでみる、といった流れが広まるといいなと思う。

2015年12月25日、左右社、2200円。

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2016年02月08日

吉田隼人歌集 『忘却のための試論』


古書店に文学全集『白鯨』の巻のみ残し海とほき町
喪、とふ字に眼のごときもの二つありわれを見てをり真夏真夜中
音もなく氷雨降りくるまよなかのバス停に来ぬバス待つ死者ら
つなぐ手をもたぬ少女が手をつなぐ相手をもたぬ少年とゐる
びいだまを少女のへそに押当てて指に伝はるちひさき鼓動
早朝のこほりかけたるみづにゆれまるで貞女のやうな豆腐だ
カフカてふ姓は烏の謂(いひ)にしてゆふつかた貨車みな消ゆる朱夏
われは死をなれはわが身を恋ひゐたり壜に酒精の冷ゆるこの宵
あなうらにすなのながるるくににありてわれら夭死のほかのぞむなし
まよのうみくろくふるへてまばらなるゆきのひとひらひとひらを呑む

2013年に角川短歌賞を受賞した作者の第1歌集。
現代歌人シリーズ9。
文学の香りとエロスと死といったテーマが濃厚に立ち昇る。

1首目、『白鯨』と「海とほき町」の取り合わせがいい。
2首目、死者に見られているという意識が強く感じられる歌。
4首目、欠けているものを持つ同士だが、互いに満たされることはない。
5首目、「びーだま」のひらがな表記がいい。ほのかなエロス。
7首目、下句はどこか強制収容所をイメージさせる。「烏」と「貨車」の黒。「貨車」と「朱夏」の音の響き合い。カフカの三人の妹はみな収容所で亡くなった。
9首目、足の裏の砂が波で流されて沈んでいく感覚で、現代の日本を捉えている。
10首目、ひらがなを多用して、夜の海に降る雪を美しく詠んだ一首。

2015年12月11日、書肆侃侃房、1900円。

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2016年02月04日

広坂早苗歌集 『未明の窓』

2003年から2015年の作品450首を収めた第2歌集。

教職に関する歌、三人の子どもを詠んだ歌が特徴として挙げられる。タイトルは〈chaos(カオス)より空と大地の生まれにし朝を思いぬ未明の窓に〉という一首から取られている。

抽斗の奥は河口へ続くのか子は宿題を次々なくす
植木算は木を描きながら解くのだと子はいう枝に葉をつけながら
教職の奥のふかさよなじみなき小の便器も磨き慣れたり
葦原につめたき石を投げいれぬ夏さらば青きほたるとなれよ
ある朝はわが子を食みてきらきらと光るたまごを産みゆくめだか
三平方の定理の証明問題が机上にありて子の姿消ゆ
男性の担任だったらよかったと言われしことを思う年の夜
みかん屋のむすめは息子の幼なじみきれいな指で伝票を書く
新秋の草生を飛べるあきあかね風の縫目にふっと止まりぬ
官吏より奸吏が先にくる辞書のルールたのしくつれづれに引く

1首目、抽斗にしまったはずのプリントが、いつもどこかへ行ってしまう。
2首目、算数がいつの間にかお絵描きに。
3首目、男性用の小便器は最近の家庭にはない。学校の男子トイレを掃除する時にだけ触れるのだ。
4首目、「夏さらば」は「夏になったら」の意味。石が蛍になるイメージが美しい。
5首目、水槽に飼われているめだかの生々しい生態。
6首目、問題を解きかけて、どこかへ行ってしまった子。
7首目、長年教師をやってきた作者にとって、この言葉は何ともつらい。
8首目、遠くに住む息子へ送る蜜柑。いつの間にか大きくなっている娘を見ながら、自分の息子のことを思う。
9首目、「風の縫目」がいい。空中に停止しているのだろう。
10首目、漢字の字数が少ない順に並ぶルールのため、「官吏」(役人)の前に「奸吏」(不正をはたらく役人)が来るのだ。

2015年10月27日、六花書林、2400円。

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2016年01月31日

森井マスミ歌集 『まるで世界の終りみたいな』


2009年から2014年までの作品395首を収めた第2歌集。

絵画、演劇、小説、映画などを踏まえて詠まれた意欲的な連作が多い。また、イラク日本人外交官射殺事件、インドのバス集団強姦事件、岡崎市の冷凍乳児遺体遺棄事件などに取材した時事詠・社会詠も多い。

悪夢なら覚めればよいが 現実と夢の境を漏れ出す汚染水
死はいづれやつてくるバスのやうなもの 待つひとのないバスはからつぽ
老婆のうちに、少女は眠る 時折は、少女が目覚め老婆眠れり
もはや神はひとを裁かぬ 自動式洗浄トイレに水は渦巻く
減るだけの時間の嵩に身を寄せて ひとは逆さにできぬ砂時計

1首目、福島第一原発の汚染水。とめどなく漏れ続ける汚染水をどうすることもできない。
2首目、「からつぽ」という言葉の空虚感。いつやって来るかはわからない。
3首目、夢の中で少女の頃に戻っているのか。現実と夢が入り混じり、どちらがどちらかわからなくなる。
4首目、詞書に「かつて洪水は神の裁きだつた」とある。「神」と「自動式洗浄トイレ」の取り合わせの面白さ。
5首目、時間は一方向に進み、人は永遠に若返ることはない。

2015年10月25日、角川文化振興財団、1800円。

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2016年01月27日

千種創一歌集 『砂丘律』

著者 : 千種創一
青磁社
発売日 : 2015-12-10

マグカップ落ちてゆくのを見てる人、それは僕で、すでにさびしい顔をしている
海底に夕立ふらず鮃やらドラム缶やら黄昏れている
溶けかけのソーダの飴をわたすとき城ヶ浜まであと12Km
手に負えない白馬のような感情がそっちへ駆けていった、すまない
どら焼きに指を沈めた、その窪み、世界の新たな空間として
窓際の秋のパスタはくるくると金のフォークが光をかえす
正しさって遠い響きだ ムニエルは切れる、フォークの銀の重さに
骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな
卓袱台に茶色い影が伸びてゆくグラスへとCoca-Cola注げば
煙草すうように指先持ってきてくちびるの皮むく春の駅
爪が食い込むとシーツは湖でそこにするどく漣がくる
偶然と故意のあいだの暗がりに水牛がいる、白く息吐き

410首を収めた第1歌集。

1首目、マグカップを落とした時の自分の姿がスローモーションで再生されるような不思議な感覚。
2首目、「海底に夕立ふらず」に発見がある。
3首目、ドライブしているところか。「城ヶ浜まであと12Km」という道路標識の言葉が、そのまま歌に入ってくる面白さ。
5首目、手に持つまでは存在しなかった空間が、この世に出現する。
7首目、初二句と三句以下がかすかに響き合う。力を入れずに切れる柔らかなムニエルと硬いフォークの感触。
9首目、「卓袱台」と「Coca-Cola」の取り合わせがいい。
11首目、性愛の場面を美しく詠んだ歌。映像的でもある。
12首目、偶然と故意とは明確に区別できるものではないのだろう。水牛の存在感がなまなましい。

句読点を多く用いた多様な韻律や文体によって、口語短歌がまた一段と深化した印象を受ける。中東在住の作者で、シリア内戦などに取材した作品もある。

2015年12月7日、青磁社、1400円。

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2016年01月11日

尾崎左永子歌集 『薔薇断章』


第13歌集。
長年連れ添った夫に続いて、この歌集で作者は一人娘を亡くす。
しみじみとした寂しさが歌集全体から伝わってくる。

八幡宮の公孫樹仆れて果(み)の熟るるごとき残香が永く匂ひぬ
午後となりて暑熱厳しき室の内に過去の雫のごとくわが坐す
つばさの影さして過ぎゆく鳶のありつばさの影は若葉をわたる
書き進み書き澄みて無心となる折を神の訪れと思ひつつ待つ
蟬声(せんせい)をききわけて山に棲みをれば蟬の生にも長短のあり
日が差せばものの翳濃き雪の街たしかなるもの持たぬ吾が往く
いつしかに好みてぞ飲む鎌倉館のキナコチーノとよぶ珈琲を
今日なすべきことのいくつかを数へゐてすでに事了へしごとき安堵感
涙流すこと恥として生きて来し世代ゆゑのみこむ涙が熱し
お前はもう充分堪へた吾娘(あこ)の死を褒めつつその髪撫でゐたりけり


1首目、「果の熟るるごとき残香」が印象的。倒れてもなお残る生命力。
2首目、「過去の雫のごとく」に何とも言えない寂しさがある。
4首目、文章を書きながら、徐々に雑念が消えていく感じ。
5首目、蝉も一匹一匹声が違うのだ。それを聴き分けているのがいい。
7首目、きな粉入りのカプチーノだろうか。最初は「何これ?」と思っていたのが、今ではお気に入りになっている。
9首目、10首目は亡くなった娘への挽歌。思い切り泣きたいのに涙を堪えてしまう性はどうすることもできない。「もう充分堪へた」は癌で亡くなった娘にかける最後の言葉である。

「遂に全く孤りになってしまった私の一首の力綱ともなった短歌」という言葉が、実によく感じられる一冊であった。

2015年10月6日、短歌研究社、3000円。

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2016年01月06日

吉川宏志著 『読みと他者』


副題は「短歌時評集二〇〇九―二〇一四年」。

2011年4月から2014年3月まで3年間にわたって共同通信に連載された時評「短歌はいま」を中心に、時評的な文章や鼎談などを収めた時評集。

「短歌はいま」以外の文章は既に総合誌などで読んだものなのだが、構成・配列が良く、全体が一つのつながりとして読めるように工夫されている。

短歌の読みとは、自他のあわいに新しいものを創造する行為なのではないか。

という主張が、この本を貫く大きな柱となっている。これは「はじめに」に記されている言葉であるが、「はじめに」の部分は書き下ろしなので、最初からこの結論があったわけではなく、本書に収められている文章を記していく中で著者がたどり着いた結論ということなのだ。

本来、別物であるはずの作者と読者の間に何かが生まれるためには「身体的なものが非常に重要になってくる」と著者は述べる。

「手」とか「耳」とか「乳房」とかいった身体の部位を歌に詠むから身体性があらわれてくるのではない。 (河野裕子論 声と身体)

では、身体性は一体どこから生まれてくるのか。

短歌において身体性を生み出すのは、定型が生み出すリズムであると言っていい。

というのが著者の主張である。

定型に合わせて読むということは、作者と読者が同じリズムを体験するということであり、作者と読者のあいだに、身体的な交感を生じさせることになる。

短歌の韻律の魅力というのは古くから言われていることだが、それを「身体的な交感」という観点から捉えているところに新しさがあるように思う。

また、「読者としての自分が、固定したものであってはならない」とも著者は言う。

他者に触れることでさまざまに変化してゆく、柔軟な自己であろうとすることが大切なのである。

これは、歌集を読む時や歌会に参加する時に、常に心掛けておくべきことだ。

本書には東日本大震災や、特に原発事故に関する文章が多く収められている。著者は昨年9月に京都で行われたシンポジウム「時代の危機に抵抗する短歌」を企画し、12月に東京で行われたシンポジウム「時代の危機に向き合う短歌」にも参加した。こうした活動の原動力となっているものを知るためには、この本を読んでおく必要があるだろう。

2015年11月15日、いりの舎、2700円。

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2016年01月04日

米川千嘉子歌集 『吹雪の水族館』


2012年から2014年までの作品409首を収めた第8歌集。

亡き人を語りて書きてそののちにもつと本当のことを思ひ出す
細くかたく鋭いこんな革靴で一生歩いてゆくのか息子
江戸切り子赤いボンボン入れのなか母の心臓のくすりかがやく
階段をのぼれぬゆゑに母はもう使ふなしこのふるさとの駅
すごいねえとみんなが坂を降りゆけばまたひとり記念館の芙美子は
藤咲けば蜂は朝(あした)の六時からからだぢーんと震はせて来る
ばんえい競馬われの賭けたるアバレンボーもホンインボウも坂を上らず
夕すぎて海暗むとき船虫の体色あはくなることあはれ
熱気球一つあがりてまだ青い秋野にうすい痣はうごきぬ
いつまでの子の手のひらを知りゐしか革手袋を送りたけれど

1首目、追悼の文章を書いたり話したりする時の、どこか実際とはずれてしまう感じがよく表れている。
2首目、就職活動をしている息子に寄せる思い。もう見守ることしかできない。
4首目、健康な人にとっては何でもない階段が、のぼれない人にとっては決定的な障害となる。
6首目、どこからか匂いを嗅ぎつけてやって来る勤勉な蜂の姿。
7首目、「暴れん坊」に「本因坊」だろうか。名前がおもしろい。
9首目、「うすい痣」は地面に落ちる影のことだろう。普通なら「うすい影」としてしまうところ。

時事詠、社会詠、旅行詠など、何かに取材した歌が多く、いわゆる日常詠は少ない。作者の作歌意識が強く感じられる一冊と言っていいだろう。

2015年11月1日、角川文化振興財団、2600円。

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2015年12月24日

駒田晶子歌集 『光のひび』


現代歌人シリーズ7。
2009年から2015年までの作品251首を収めた第2歌集。

不定期に休むナカムラ理容室木の鏡台をふたつ並べて
立つことを知りはじめたる子はひとり額に星を貼りておとなし
カーテンを閉ざして一人ひとりずつ妊婦は胎児を膨らましおり
薬缶みがきみがき上げたる曲線に夜の疲れた君は浮かびぬ
ひざ掛けはいかがでしょうか?ほほ笑みを左右にわけて女通れり
子の下着ばかりを畳む三人の子あれば三つの異なるサイズ
牛乳は福ちゃん牛乳しか知らず盆地は雪に包まれゆけり

1首目、昔ながらの個人経営の理容室。「木の鏡台」が時代を感じさせる。
2首目、遊んでいたシールが貼り付いてしまったのか。1歳くらいの赤子。
3首目、産婦人科の部屋の光景。「一人ひとりずつ」が生々しい。
5首目の「女」は飛行機のキャビンアテンダント。「左右にわけて」がうまい。
7首目には「十代の頃」という詞書が付いている。作者のふるさとは福島市。福島乳業の「福ちゃん牛乳」である。

2015年11月26日、書肆侃侃房、1900円。

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2015年12月14日

『桜前線開架宣言』

今月下旬に山田航編著『桜前線開架宣言』という短歌のアンソロジーが発売されます。
http://sayusha.com/catalog/books/literature/p=9784865281330c0095

1970年生まれ以降の歌人40名の作品各56首と解説を収録した本で、
私(1970年生まれ)もギリギリ入れてもらってます。

収録歌人は下記の通り。

大松達知、中澤 系、松村正直、高木佳子、松木 秀、横山未来子、しんくわ、松野志保、雪舟えま、笹 公人、今橋 愛、岡崎裕美子、兵庫ユカ、内山晶太、黒瀬珂瀾、齋藤芳生、田村 元、澤村斉美、光森裕樹、石川美南、岡野大嗣、花山周子、永井 祐、笹井宏之、山崎聡子、加藤千恵、堂園昌彦、平岡直子、瀬戸夏子、小島なお、望月裕二郎、吉岡太朗、野口あや子、服部真里子、木下龍也、大森静佳、藪内亮輔、吉田隼人、井上法子、小原奈実

どうぞ、お読みください。

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2015年12月11日

『駅程』 のつづき

水もはやふき上ぐるなき噴水の孔(あな)より細き草は出でつも
駆け抜くる馬群の後に緩慢なうごきを見する土のけむりは
転売によりて膨らむ価(あたい)あり桜花のごときあかるさならん
梅苑は夕あかりして行間に分けいるごとき歩みをさそう
さかしまに麒麟翔けつつ空き缶の鳴子が冬の畠を守る
あ、雨と口々にひと言えるとき大いなるものすぎゆくごとし
滝壺につながる径に流れくる冷たき靄に顔は触れたり
建築は書物とおもう日の暮れを古書肆のごとき街をあゆめり
城山の県庁県警県図書館県美術館県旗をかかぐ
伝えきく臨終までの経緯(いきさつ)の脚色さえも謹みて聞く

後半から10首。

1首目、噴水の孔から「細き草」が出ているところに着目したのがいい。
2首目は競馬場の歌。疾走する馬と「緩慢なうごき」を見せる土煙の対比。
3首目、膨らみきった後で散ってしまう明るさなのかもしれない。
4首目は「行間に分けいるごとき」という比喩が印象的。どこか別世界のような。
5首目、キリンビールの空き缶なのだろう。「麒麟」が守ってくれるから強そうだ。
6首目、その一瞬が生み出す隙間のようなものをうまく表している。
7首目、滝が見えてくる前に、まず冷気がやって来るのだ。
8首目、「建築」と「書物」という全く違うものが重ね合わされる面白さ。
9首目、城や城跡の周辺に県の施設が集中しているのは、全国的によく見かける。以前このブログでも「県立図書館とお城」
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138407.html という文章を書いたことがある。この歌は愛媛県かな。
10首目は師の石田比呂志の死を詠んだ歌。多少の脚色が混じっていることを承知の上で、細大漏らさず聞いているのである。

一つだけ気になった点を書くと、一首一首の完成度の高さに比して、連作としての流れや重みを感じさせる部分が少ない。

「鉄の香」20首、「欣然」21首、「墨西哥」26首、「エコー」24首などの大きな連作もあるのだが、いずれも連作の中をいくつかの「*」で区切っていて、小連作の集合になっている。連作よりも一首一首で勝負するタイプと言えるだろう。

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2015年12月10日

島田幸典歌集 『駅程』

2002年以降の十年間の作品605首を収めた待望の第2歌集。
文語定型を守った端正で落ち着きのある歌が多い。

鉄琴に鉄の匂いし木琴に木の香は立ちぬ教室の秋
春日(しゅんじつ)にさそわれ出でし中庭の壺を覗けばわたくしのかお
軒下に火除けの赤きバケツありてバケツの色の水を湛えつ
天丼に海老の一尾は残されて飯の少なくなるを待ちおり
灌木の繁りのきわをい行きつつバスは自転車を躱(かわ)さんとすも
日の射せるなだりに眠る村のうえ村の十倍の白雲うごく
頌歌(ほめうた)を身を傾けて唱いつつ少年は神を忘れつつあらん
冬ざれのぶどう畑に大鴉小鴉は見ゆ髭文字のごと
白鳥が湖中になせる排泄の始終を見たり水浄ければ
発音をされぬ子音のかそけさに窓を日照雨の斜線がよぎる

良い歌がいくらでもあるという感じの歌集だが、まずは前半から10首。

1首目、「鉄の匂い」に対して「木の匂い」ではなく「木の香」とする細やかさ。
2首目、壺の中に雨水が溜まっていたのだろう。「覗けば」→「かお」という流れにインパクトがある。
3首目、京都ではよく見かける光景。水が赤く見える。
4首目、主役である海老とご飯のバランスを慎重に考えながら食べているところ。
5首目、バスが巨体の生き物のように感じられる面白さ。
6首目は大きな景が見える歌。「村の十倍の」が独特な捉え方だ。
7首目はイギリス滞在中の1首。教会などの合唱団だろう。「身を傾けて」がいい。歌うこと自体の心地良さに没入している姿が見えてくる。
8首目はウィーン滞在中の1首。葡萄の枝とそこに止まる鴉のシルエット。なるほど、ドイツ語の「髭文字」的である。
9首目、何でもかんでも見えれば良いというものではない。写生の歌だが象徴的にも読める。
10首目、「knife」の「k」とか「hour」の「h」とか。それを日照雨の様子の喩えに持ってきたのが素晴らしい。

2015年10月10日、砂子屋書房、3000円。

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2015年12月06日

伊藤一彦歌集 『土と人と星』

現代三十六歌仙シリーズ27。
2012年から15年の作品464首を収めた第13歌集。

それほどに広くあらねど出でゆきて妻はかへらず春の庭より
秋空に始まり桂露、雨山となり白雨、野百合ののちの牧水
はしはしと瞳の中を覗かれてわれに見えざるもの見られたり
天馬にはあらざるがよき野生馬の空を行かずに冬草を食む
厄年は六十一歳が最後らしそののち厄のなきがごとくに
延岡の旬のおこぜの白き刺身醜(しこ)なる顔を呼びよせて食ふ
生きてゐてむなしいと言ふ百歳の母の言葉の古陶のひかり
言霊のことに力もつ元日は酒を酌みつつ口をつつしむ
赤き実にビニール袋かぶせらる千両は鳥に食べられたきを
おのづから喉より出でて異なれり冬は冬のこゑ春は春のこゑ

2首目は牧水の号の変遷を詠んだ歌。若い頃は次々と名前を変えたのだ。
3首目、眼科で検査や治療を受けている場面。自分の目の奥は自分では見ることができない。
5首目、男性の厄年は25歳、42歳、61歳。寿命が延びた現在では、確かにその後にも厄がありそうな気がする。
6首目、わざわざ元の姿を思い起こして食べるところに、おこぜに対する心寄せがある。
9首目、鳥に食べられてこそ、糞になって種が運ばれるのだ。
10首目、季節によって人の声が変わるという捉え方が新鮮。

2015年9月12日、砂子屋書房、3000円。

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2015年12月03日

江戸雪歌集 『昼の夢の終わり』


現代歌人シリーズ8。
第6歌集。

うしなった時間のなかにたちどまり花びらながれてきたらまたゆく
もし泣くとしたらひとつの夏のため ほそいベルトのサンダルを買う
とどかない場所あることをさびしんで掌はくりかえし首筋あらう
はてしない秋の浪費よ くれないもおうごんもみな水にしずんで
あさがおの素描かざってある部屋のドアぬうっすらノブの影ある
きわまりて声のかすれるそのときに言葉はもっとも美しくある
沈黙というかがやきのなかに咲くモクレン属の白木蓮は
きっぱりと列車は橋をわたりゆき川のすべてが夕暮れとなる
水晶橋わたって蕎麦を食べに行く夏至のあおぞらゆるゆるとして
飛蝗からみればわたしは巨大なり眼から涙を流したりして

1首目、流れてきた花びらを見て、ふいにわれに返った感じ。
3首目、上句の心情と下句の動作がよく合っている。
4首目、紅葉や黄葉が川や池に沈んでいる場面だろう。「くれないもおうごんも」という表現がいい。
5首目、「ノブ」ではなく「ノブの影」に目を止めている。
7首目、「白木蓮」の中には「黙(もく)」があるのだ。
9首目、「水晶橋」と「蕎麦」の取り合わせがいい。「水晶橋」と「青空」も響き合う。
10首目、おもしろい視点の歌。巨大な眼から大量の水が溢れ出す。

今回の歌集は作者の住む「大阪」色がかなり強く出ている。
一つは地名・固有名詞。

「長堀通り」「南方」「中津」「靱公園」「なにわ筋」「馬場町」「堂島ビル」「土佐堀通り」「箕面ビール」「谷町線」「本町通り」「上町台地」
「淀川」「安治川」「木津川」「堂島川」「東横堀川」「土佐堀川」
「大渉橋」「千代崎橋」「栴檀木橋」「肥後橋」「平野橋」「玉船橋」「昭和橋」「水晶橋」

こうして見ると、水都大阪、浪華八百八橋と言われるように、川や橋の名前が多いことがわかる。

もう一つは大阪弁。

「そんなんとちゃうねん」「きれいやなあ」「なんでなん」「どないしよ」「いかせられへん」「あほやなあ」「そんなもんできるかあ」「ほなまたね」「ようさんおるからに」「あんたはんどこにおるんよ」「笑っときなはれ」「いいひとになりたいのんか」「飛んでいくがな」「のぼってゆくのんか」

大阪という町が、作者の心の大きな支えとなっているのだろう。

2015年11月26日、書肆侃侃房、2000円。

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2015年12月01日

香川ヒサ歌集 『ヤマト・アライバル』


第8歌集。「短歌研究」に2012年から14年までに掲載された30首×8回とその他の連作2編、計297首を収める。

古書店に本選びつつ自づから選ばれゆかむ一冊の書に
花あまた咲かせて庭に立つ人の囲まれてをり花の名前に
この街の博物館にある石器どこの博物館にもありて
人のため何かしたい人あまたゐて受付で人に名前書かしむ
老人も子供もしたがる買ひ物をせぬ死者のため花を買ふ人
どこにでもをりて何とも思はれず存在してゐて鳩なれば飛ぶ
木木の間に人を歩かせ歩かない木木は木の葉を降らしたりする
道路沿ひに廃線の線路走るなり鉄道沿ひに道路造られ
麻薬犬災害救助犬警察犬帰りに一杯やることもなし
少年の百年前に見た瀧が落ち続けをり詩集の中に

全体に抽象度が高く、哲学的な思考の歌が多い。
白黒の画像を反転させるように、私たちの日常のモノの見方を引っ繰り返す発想が鮮やかである。

1首目、本を選んでいるのではなく、実は本に選ばれているのだという発想。
3首目、石器に関してはあまり地域差がなく、広く共通しているということか。
4首目、ボランティア希望者の登録作業の場面。
6首目、いかにも鳩の感じ。公園や神社や駅などあちこちで見かける。
8首目、鉄道がまず敷かれて、その後、道路ができ、やがて鉄道は廃線に。
10首目、「瀧」が旧字になっているのは、百年前の詩集の表記に従っているのだろう。

2015年11月1日、短歌研究社、2800円。

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2015年11月30日

小見山泉歌集『みづのを』批評会

昨日、龍短歌会の小見山泉さんの第1歌集の批評会があった。
14:00からハートンホテル京都にて。

パネリストは田中教子、中津昌子、松村正直、魚村晋太郎(司会)。

棺の中で目を閉ぢゐるは同姓の老女にてその人生を知らず
茶畑を歩みて着きし山の家の奥にはひかるまなこが四つ
父をまね湯呑み茶碗に白湯(さゆ)を入れ富乃宝山をなみなみと注ぐ
風邪癒ゆと庭に出づればやはらかに山芋の葉が日にひかりをり
まなうらの薄やはらかい水の珠が壊れぬやうに夢に入りゆく
葉唐(はとん)を煮つつ「辛い辛い」と泣き笑ひして母と食べゐし夏を思ひぬ
水路(みづみち)には根雪がとけて流れつつさみどりの蕗の薹をそよがす
笠岡の「ちーちー烏賊」のちーちーは網にかかりし烏賊の鳴き声
このうみの淡海でありしいにしへを思ひつつ浜名湖今切(いまぎれ)をわたる
ぬばたまの厨の闇にかぎりなく黒木耳(きくらげ)が広がりてゆく

17:00から「シェ・モア」にて懇親会。

歌人だけでなく、作者の知り合いの学者、詩人、彫刻家、編集者など、さまざまなジャンルの人が参加して賑やかな会だった。

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2015年11月26日

小池光著 『石川啄木の百首』


シリーズ「歌人入門」の1冊目。
石川啄木の歌100首を取り上げて、鑑賞を付している。
右ページに短歌、左ページに250字の鑑賞というスタイル。

煙草は人を孤独にし、またつかのまの孤独を誘うのである。
懐かしいという感情が人のこころに訴えるのは、このように思い出にディテールがあるからである。啄木の歌が愛唱されるのはそのディテール性によるところが大きい。
啄木はたくさん鉄道の歌を残しており、それだけ移動激しく活動したということだが、今日でいえば一種の鉄道マニアのようにもみえる。
さすらう人の鞄に中には必ずや一冊の本が入っているものである。

など、印象的なフレーズや分析が多くあり、読んでいて楽しい。
巻末には啄木の生涯を記した解説も付いており、啄木の入門書として格好の一冊であろう。

2015年10月27日、ふらんす堂、1700円。

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2015年11月20日

『近代短歌の範型』のつづき

この本は4部構成になっていて、計25編の論考が収められているのだが、全体がうまくつながっていて、一つの流れとして読むことができる。また、文章も読みやすく、論旨が明快に伝わってくる。

著者の論考の大きな特徴は、一首一首の歌の読みが非常に丁寧なことだろう。丁寧な読みに基づいて話を進めていくので説得力がある。さらに言えば、どの論にも新鮮な発見があって、読んでいて飽きない。

私たちは、ついつい結果論的な歴史観で過去を見てしまう。和歌改良運動が起こり、「歌よみに与ふる書」が発表され、「明星」が創刊される。そういった和歌革新の動きこそが歌壇の主流であり、あとは無視していい。そんな乱暴な歴史観で明治の和歌の歴史を見てしまいがちだ。

御歌所派歌人の税所敦子(さいしょあつこ)について論じる文章で、著者はこう述べる。引用されている税所の歌を読めば、なるほど単に古臭い旧派和歌として無視してしまうには惜しいことがよくわかる。

また、佐藤佐太郎の歌に見られる助詞「て」や「を」の独特な使い方を分析した上で、著者は

佐藤佐太郎はたった一音の助詞にこだわり、それを新たな作品世界を創造する梃子とした。短歌という小さな韻文形式の中では、たった一音、たったひとつの助詞が決定的な力を発揮する。

と記す。これも抽象的な論考ではなく具体的な作品に即して論じているので、助詞の大切さが非常によくわかる。佐太郎についての論であるとともに、著者の短歌観が十分に滲み出た内容と言って良いだろう。

評論の書き方という点でも学ぶことの多い一冊であった。

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2015年11月19日

大辻隆弘著 『近代短歌の範型』

主に近代短歌に関する論考24編を収めた第3評論集。
「範型」は耳慣れない言葉だが、「パラダイム」の訳語である。

近代短歌を読むときに感じる肉厚で彫りの深い重厚な作者像。それを齎すものは一体何なのか。私たちがそれを感じるとき、私たちはどのような「読み」のパラダイムの中で作品を読んでいるのか。

ということが本書の大きなテーマになっている。
結論に当たる部分だけを引用すれば

作者の視点を「今」という時間的定点と「ここ」という空間的定点に固定し、助詞・助動詞を駆使して、作者の意識に生起したわずかな時間の流れを表現する。そのような文体の獲得によって近代短歌は「今ここ」にありながら、過去を想起し未来を想像する「主体」の像を歌のなかに彫り深く刻みこむことを可能にしていった。

ということになる。
さらに著者は、近代短歌においては「作中主体」=「作者像」=「作者」という定式があったことを指摘した上で、

近代短歌の「読み」のなかでは、そのような読者と作者の信頼関係が成り立っていた。その意味で、近代短歌の「読み」の枠組は、三十一音という短い短歌のなかに、肉厚で彫り野深い人物像の造形をもたらした効率的な叙述システムだったと言うことができる。

と述べる。
近代短歌のパラダイムは、まさにこれで言い尽されていると言って良いだろう。

現代短歌(あるいは現代の短歌)を論じようと思えば、まずは近代短歌がどういうものであったかを十分に知らなくては始まらない。近代短歌について考え、検討することは、私たちが今後どのような歌を詠んでいくかという問題と深くつながっているのである。

2015年11月13日、六花書林、2700円。

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2015年11月12日

川野里子著 『七十年の孤独』


副題は「戦後短歌からの問い」。

23篇の評論を収めた評論集。全体は「出発について」「源について」「今について」「未来について」の4章に分かれている。

現代短歌とは、第二芸術論以後の短歌のことだ。第二芸術論への賛同も反対も、それらすべてをひっくるめて、現代短歌とは第二芸術論に代表されるような否定論を核として抱きながら展開してきた戦後の詩型のことだ。

現代短歌とは何か、現代短歌はどうあるべきか、そういった問題意識が常に著者の中には存在するようだ。その問題意識に基づいて、葛原妙子、塚本邦雄、山中智恵子や現代の永井祐、笹井宏之らの作品を分析していく。

東日本大震災後、私にとって親たちの昔話の世界に過ぎなかった戦後がにわかに近くなった。七十年前の焦土と震災後の日本とは繋がっている、と思えた。

「あとがき」にこう書かれているように、この本は短歌についての論であるとともに、短歌を通じて見えてくる戦後の日本についての論でもあるのだろう。

けれども、私が一番心惹かれたのは、評論ではなく「挿話」としてところどころに挟まれている5篇のエッセイであった。その中で著者は、ふるさと九州に一人で暮らす母のことをしみじみとした筆致で描いている。

明快な枠組みを提示して鋭い切り口で論じる評論と、この懐かしく温かで、そして寂しさの滲むエッセイとの違いは何なのだろう。そこにこそ、戦後の日本が抱え込まざるを得なかった大きな矛盾が表われているように感じるのだ。

2015年9月1日、書肆侃侃房、1800円。

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2015年11月09日

落合けい子歌集 『赫き花』

2001年から2014年までの作品503首を収めた第4歌集。

このあさけ夜久野(やくの)峠を下りくる肉冠うすき雄鶏ひとつ
月光に漬物樽の並びゐて樽それぞれに母坐りをり
母よりも年を重ねて母さんはわたしの生みし子供のやうな
左側二番目の脚から蟻は歩くと聞けど確かめられず
水道の蛇腹の腹の腹ごとにとても小さなあなたが笑ふ
あぢさゐの葉を食べながらまひまひの壊れし殻のもどりてゆかむ
瓶と瓶ふれあふ音にめざめたる少女のころの靄のしろさよ
安来節ちよこつと名人修了書いただく夫の礼(ゐや)の深さや
コンビニのミートスパゲティくにくにとプラスチックのフォークで食べる
かげりくるひかりとともに降りゆきし少女のあとの席に移りぬ

1首目、「あさけ」という時間と地名の「夜」の絶妙な組み合わせ。
2、3首目は、作者が9歳の時に亡くなった母を詠んだ歌。第1歌集『じゃがいもの歌』から一貫して詠まれ続けているテーマである。
5首目、「腹」を3回繰り返しているのが面白い。
6首目、殻のひび割れが治っていく様子が目に見えてくるような歌。長時間撮影した映像を早送りしているみたいなイメージだ。
8首目、観光で踊りを体験してみたのだろう。夫の生真面目さが微笑ましい。
9首目、カタカナの多用と「くにくに」というオノマトペがいい。ちょっと食べにくい感じがよく表れている。

2014年11月29日、現代短歌社、2500円。

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2015年11月06日

三島麻亜子歌集 『水庭』

片耳の冷えに覚めたる早天をおくれて目覚まし時計が響(とよ)む
取り急ぎと書かれしままに夏過ぎて秋過ぎてなほ置かれたる文
あさゆふに月のひかりを吸ひこみて高層ビルの屋上(うへ)の隠し田
旋回をしつつ降り来るしらさぎはつね横顔をわれに見せをり
指先より冷え初むる朝ポケットに切符の稜(かど)の尖りたしかむ
花冷えの三日シャッター下りしまま扇(ファン)は逆さに回転しをり
ふるさとに二度の大火を見しといふ君よ歯並みがうつくしきひと
洗ひ場はいまだ名残の水ながれ踏み板なかば崩れつつあり
ゆふまぐれ水神祭の車座に「ほんのすこし」を三度いただく
朝明(あさけ)まで踊れば切れる鼻緒ゆゑ夜通し商ふ下駄屋のありぬ

370首を収めた第1歌集。

2首目、なかなか返事を書けずにそのままになっている手紙。
3首目、歴史的な言葉である「隠し田」と現代的な「高層ビル」の取り合わせが面白い。
5首目、切符の角に触れる指先の感覚が鮮やかに描かれている。
6首目、換気扇のファンに外気が吹き込んで逆回転している場面。
9首目、地元の祭なのだろう。「ほんのすこし」と言ってお酒を受けているのだ。
10首目、郡上踊りを詠んだ歌。夜通し踊ることは知っていたが、夜通し営業している下駄屋があるとは知らなかった。

2014年10月20日、六花書林、2400円。

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2015年11月01日

野一色容子著 『ナンジャモンジャの木』


副題は「歌人清原日出夫の高校時代 in Hokkaido」。
『ナンジャモンジャの白い花』(2011年)に続く清原日出夫の評伝第2弾。
この2冊は、現時点で清原に関する最も詳しい評伝と言っていいだろう。

今回はこれまで知られていなかった数多くの資料をもとに、清原の中学・高校時代を描いている。大きな成果としては、清原の歌にも詠まれている「武佐中学校事件」の詳細が記されていることと、北海道新聞根室版の「根室歌壇」への投稿歌を中心に高校時代の70首ほどの歌を見つけたことが挙げられる。

武佐中学校事件は、1952年に清原が通っていた標津村武佐中学校で、共産主義的な偏向教育を理由に教員が処分された事件である。この事件に関して清原の父が国会に証人として呼ばれた事実や、当時中学3年生だった清原が事件後に別の学校へ転校した事実などが、本書で明らかにされている。

根室歌壇への投稿歌は、例えば次のようなもの。

物の理に従ひ流るる川水に抗がふ流木に親しさ覚ゆ
サロンパスの香りは部屋に満ちてをり農事に疲れ母臥したまふ
馬がひく幌あるトロに開拓の意気に燃え立つ君乗り行きぬ

いずれも、高校3年生、18歳の時の作品である。素朴な歌であるが、後の大学時代以降の清原作品につながる雰囲気が既に感じられる。

このような地道な調査・研究が果たす役割は非常に大きいということを、あらためて感じさせる一冊であった。

2015年5月15日、文芸社、1400円。

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2015年10月30日

大口玲子歌集 『桜の木にのぼる人』


2012年から2014年までの作品を収めた第5歌集。

仙台から宮崎へ移っての息子との生活が詠まれているほか、キリスト教関連の歌がかなり増えている。「きみ」「ひと」「その人」といった言い方で出てくる司祭の存在も大きい。また、原発問題などの社会的な事件を詞書に用いて自らの日常と対比させた「この世界の片隅で」など、意欲的な連作もある。

「さくら」とはまだ言へぬ子が指差してササノ、ササノと鳴きしかの春
まつげパーマ勧められをり仙台より転送されてきたる葉書に
渡されしレモン五つを二瓶のジャムにして一つきみに返しぬ
思はざる箇所に下線が引かれたる他人(ひと)の聖書を書棚に戻す
朝市のおじぎ草 子はことごとくおじぎさせゆき一つも買はず
四時間の充電終へたる自転車の〈頼れる感じ〉をわれのみが知る
象のみどりはタイ語で指示を受けながら鼻で筆を持ち「へび」と書きたり
硝子器に桃と菜の花いけられてそれぞれ違ふ沈黙をせり
粗塩はオリーブオイルにとけながらフリルレタスの上(へ)を流れたり
われわれのシュプレヒコールも街宣車に叫ぶ右翼と似てゆくならむ

2首目、仙台に住んでいた頃に通っていた美容院からの葉書。仙台と宮崎の遠い距離を思うのだ。
3首目、二瓶を一つずつ分け合うところがいい。レモンが「五つ」と奇数なのも効いていて、ジャムにしたことで共有し合えるものになった感じが出ている。
5首目、小さな子の姿が見えてくる歌。歩きながら一つずつ触れていくのだろう。
7首目、巳年のパフォーマンス。「みどり」「へび」といった日本語と、音声としてのタイ語の差が印象的で、けなげさとかすかな哀れみを感じる。
8首目、花だから当然何も言わないのだが、沈黙の質がどこか違うのである。
10首目、反原発のデモの場面。こんなふうに自らの行為を相対化する視点を持っているところが、作者の歌の良さでもあり悲しさでもある。

2015年9月8日、短歌研究社、3000円。


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2015年10月29日

久々湊盈子インタビュー集 『歌の架橋2』

久々湊盈子さんが「合歓」に連載している歌人インタビュー28名分を収めた本。
今野寿美、尾崎左永子、石田比呂志、松平盟子、高野公彦、清水房雄といった方々とともに、僕のインタビュー(2014年10月)も載っています。

http://www.sunagoya.com/shop/products/detail.php?product_id=916

皆さん、どうぞお読みください。

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2015年10月26日

『思川の岸辺』のつづき

後半から。

みづからの臍をしみじみ見ることあり臍にあらはるる老いといふもの
きみがつかひし小さき茶碗に飯くへば梅干しなども恋しかりけり
シロップの中に幾とせねむりゐし桃の缶詰いま開けられつ
飛行船向きをかへたる空の下墓地分譲中ののぼりはためく
あぶらげを甘く煮てゐるひとときやお昼のきつねうどんのために
二歳半の孫が来たりておづおづと「猫さん」にさはる三度四度と
かばんの中にあるおにぎりを胃の中にふたつ移して昼の食をはる
食後飲む薬六錠歯のくすり目のくすりあはれこころのくすり
かぎりなく眠れる母の胸元へつけてやりたり紫綬褒章を
日だまりの中にたばこを吸ひてゐる十年のちのわれのごとくに

1首目、臍に老いが現れるというところに実感がある。顔や手などと違って他人からは見えないところ。
2首目、亡き妻の茶碗でご飯を食べているのだ。それが何とも悲しい。
3首目、「ねむりゐし」がいい。よく「擬人法は良くない」と言う人がいるが、ここが「ひたりゐし」だったらつまらない。要はその歌にとって良いかどうかだ。
6首目、孫は猫のことを「猫さん」と呼んでいるのだろう。ここが「猫にさはる」では全くダメになってしまう。
7首目、おにぎりを二つ食べたということも歌になる。簡素な昼食。
8首目、「こころのくすり」に胸が痛む。精神安定剤のようなものだろう。
9首目、2013年春に作者は紫綬褒章を受章した。100歳を過ぎてほぼ寝たきりとなっている母の胸に、その勲章を付けているのだ。

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2015年10月25日

小池光歌集 『思川の岸辺』


2010年から2013年までの作品542首を収めた第9歌集。

近年、ベテラン歌人は歌集の刊行頻度が高く、若手は第一歌集を出すのが早く、待望の歌集ということがあまりないのだが、小池光は私にとって数少ない「待ちに待った歌集」を出してくれる歌人である。

今回の歌集では、妻の死が大きなテーマとなっている。
普段は歌集を読んで泣くことなどないのだが、この歌集は途中で泣いてしまった。

まずは前半から。

トリニダード「三位一体」而(しこう)してトバゴは「たばこ」 夕陽が赤い
ウエディング・ドレスまとひて志野が来るこの現実をなんとおもはむ
四十九個の疣(いぼ)の一つをわれ押してはなれたところのテレビを消しつ
かなしみの原型としてゆたんぽはゆたんぽ自身を暖めてをり
屋根瓦屋根にならべてゆく仕事 ひとの仕事は楽しげに見ゆ
わが妻のどこにもあらぬこれの世をただよふごとく自転車を漕ぐ
短歌人編集人たりし二十五年ただ黙々ときみあればこそ
50mサランラップが唐突にをはりを迎へ心棒のこる
着物だつて持つてゐたのに着ることのなかりしきみの一生(ひとよ)をおもふ
原発事故は人災といふその「人」は誰かわれらみづからにあらずや

1首目、カリブ海にあるトリニダード・トバコ共和国の名前の由来。キリスト教の概念と煙草の落差がおもしろい。
2首目、癌を病む母のために結婚式を急いだ娘。かつて〈「座敷童子(わらし)はひとを食ふか」とかれ訊くに「くふ」と応ふればかなしむごとし〉〈大きくなつたら石鹼になるといふ志野のこころはわれは分らず〉と詠まれた志野である。この1首だけを読んでいるというよりは、読者の側のそういう思い入れも含めて読んでいることになるのだろう。
4首目、ゆたんぽの中のお湯は、まず、ゆたんぽ自身を暖めるのだ。
5首目、他人の仕事は楽しそうに見える。もちろん、当人にとっては楽しいことばかりではない。
6、7、9首目は、亡くなった妻への挽歌。こういう歌を読むと、短歌は究極のところ、人間の生老病死が詠めればそれで十分なのだという気さえする。
10首目、近年しばしば「人災」という言葉が他人事のように使われるが、その「人」には私たち自身も入っているのではないかという問い掛けが重い。

2015年9月25日、角川書店、3000円。

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2015年10月14日

武富純一歌集 『鯨の祖先』

著者 : 武富純一
ながらみ書房
発売日 : 2014-10-23

帰るなり自室に入る長男とまず居間へ寄る次男とがいる
人間が田んぼを突っ切らないように魚には魚の通り道あり
一枚のレモン浮かべて休日の午後の光は淡くなりけり
紀伊國屋書店に消えし女あり表紙となりて我を見上ぐる
磨り減りし龍あらわれて尾も四肢も溶け込んでいるスープ飲み干す
東京に体は着けどしばらくは心が着かぬままに歩めり
あかさたなはまやらわとは浜風に赤く咲きたるハマナスの花
水のなき溝に入りゆく白猫の立てる尻尾が流れて消える
道祖神のごとく寄り添い微笑みてパックに収まる白きエリンギ
土下座せし過去いう声のぽつぽつと我にもかつて一度いや二度

「心の花」に所属する作者の第一歌集。
のびのびとした明るさとユーモアが特徴的。

1首目、長男と次男の性格の違いを端的に表している。
2首目は釣りをしている場面。上句の比喩になるほどと納得させられる。
5首目、中華料理店でよく見かける丼のマーク。消えた部分はどこへ行ったのか考えると、ちょっとこわい。
6首目、新幹線で東京へ行くと、確かにこんな感じがする。
8首目、道端の側溝はしばしば猫の通り道になっている。尻尾だけ見えているのが面白い。
9首目、「エリンギ」を「道祖神」に喩えたのが秀逸。何となく微笑ましい姿である。

風号と名づくスリムな自転車はいくらしたかは妻には内緒

この歌は、歌集の解説を書いている伊藤一彦の

おぼれゐる月光見に来つ海号(うみがう)とひそかに名づけゐる自転車に
                    『海号の歌』

を踏まえたものだろう。

箸立てに十本あれば足りるのに十四五本はいつもありたり

という歌も、正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」を想起させる。

2014年10月23日、ながらみ書房、2500円。

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2015年10月12日

菅野匡夫著 『短歌で読む昭和感情史』


副題は「日本人は戦争をどう生きたのか」。

『昭和萬葉集』(講談社、20巻+別巻1)の編纂を担当した著者が、短歌を通じて昭和の戦前期に生きた人々の心の動きを読み解いた本。歌人だけでなく一般の人の歌が数多く引かれている。

この本の大きな特徴は、すべての歌にきちんと解釈が添えられていることだろう。その上で、状況や時代背景が詳しく説明されており、通常の歴史では描き切れない個人と社会の関わりが見事に描かれている。

印象に残った歌をいくつか引こう。
まずは空母「蒼龍」の乗組員として真珠湾攻撃に参加した佐藤完一の歌。

東経百八十度今宵過ぐてふ日暮時海霧(ガス)は立ち来る壁の如くに
防水区画今は全し我が部署に空気の通ふ孔(あな)二つだけ
攻撃機還りたるらし通風筒に耳あてて聞く遠き爆音
戦闘部署十三時間に及ぶこと耳鳴りを感じまた水を飲む

現場の人ならではの迫力と臨場感のある歌である。
こうした歌が残されていることの意義は決して小さくない。

続いて、戦時中の食糧増産のために作られた家庭菜園を詠んだ歌。

妻よ見よ蒔きたる小豆日を吸ひて芽立ちきそへり死なずともよし
               内藤濯

素朴な歌の中にあって「死なずともよし」が強く響く。
内藤濯が『星の王子さま』の翻訳で有名なフランス文学者であることを思うと、胸に迫るものがある。調べてみると、内藤は学生時代から短歌を詠んでいて、昭和46年には宮中歌会始の召人も務めている。

最後に、敗戦後の子どもたちの姿を詠んだ歌。

玉音に泣き伏しゐしが時ありて児らは東京へ帰る日を問ふ
               永山嘉之

学童疎開の子どもたちは、敗戦のショックも束の間のこと、早く東京の親元へ帰りたくてたまらないのだ。その切り替えの早さに、戦後へ向けた明るさを感じる。

こうした心の動きも、歴史の教科書には載っていないことだろう。

あとがきに「寿命が許せば、父母と私たちの時代「戦後」も書いてみたいと思っている」と記す著者の次作にも期待したい。

2011年12月15日、平凡社新書、800円。

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2015年09月25日

外塚喬歌集 『山鳩』

帰らうとうながすこゑにうながされ銀河を渡りゆく酔漢は
降りつづく雪の夜は明けししむらにともりてゐたる雪洞(ぼんぼり)も消ゆ
雲間より陽の照らすときにんげんに尾鰭のごとき影がしたがふ
たかが水なれどボトルに詰められてされど水となる天然の水
冬瓜(とうがん)のとろりとするを嘘つけば抜かれるといふ舌にころがす
透明な袋の中のかたまりの散(ばら)けたるとき泥鰌あらはる
見納めとなるかもしれぬ桜みて埴輪の馬はゆふべかへらず
便箋の透かしとなりてゐるランプ書き泥(なづ)む手を照らしてくれる
にぎる手をにぎりかへさむとする力なくて母ひとり枯野さまよふ
曲がり角ひとつ間違へわが夢に来られぬ母にともす灯(ともしび)

2005年から10年まで結社誌「朔日」に発表した作品610首を収めた第11歌集。歌の制作期間は前歌集『草隠れ』と重なっている。

2首目、雪の降る夜の身体感覚が「雪洞」という比喩で鮮やかに表現されている。
4首目、ボトルに詰められることで、ただの湧き水が商品になる。
5首目、冬瓜のとろけるような軟らかさと「嘘」の甘美さが響き合うようだ。
6首目は発見の歌。かたまりになっている時には何だかわからなかったものが、一匹ずつにほぐれて初めて泥鰌だとわかる。
8首目、透かしのランプが実際に光っているように感じられる面白さ。
9首目と10首目は母の死を詠んだ連作「昨日また今日」から。「枯野」や「灯」のイメージが歌に陰影を添えている。

2015年8月15日、柊書房、2600円。

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2015年09月22日

鈴木竹志歌集 『游渉』

花散りて葉の茂るころ木蓮は誰も気付かぬ庭木となれり
頼朝の書きたる書状国宝と示してあれば国宝として見る
函館市文学館閑散として愛知の夫婦の貸し切りとなる
ボンベイがムンバイとなる地図帳の表記はわれの思ひ出を消す
遠来の客待つごとく丘のうへに香月泰男の美術館立つ
二分間テープ回りて晩翠の生涯語るを立ちて聞きをり
買はぬまま本屋出づるはわが主義にあらずと今日も文庫本買ふ
採点をしつつ眠気の襲ひ来て○の代はりに三日月描く
肉声といふものが何なのかついうたがひて声を出してしまひぬ
大観の「柿紅葉」の絵見つむれば二羽の鶉が動きだしたり

2001年から12年までの作品431首を収めた第2歌集。

1首目、一年のうちで花の咲いている時期だけ注目を集めるのだ。
3首目、自分たちのことを「愛知の夫婦」と詠んでいる。はるばるやって来た場所で貸し切り状態。
5首目、「遠来の客待つごとく」という比喩が、シベリア抑留体験を描いた画家の孤高な姿を感じさせる。
6首目、人の一生がわずか「二分間」にまとまられてしまう。そのことに対して、批判というよりは複雑な思いを感じているのだろう。
7首目、「わが主義にあらず」という大袈裟な言い方にユーモアがある。
9首目、破調のリズムが内容とよく合っていて効果的。肉声についてあれこれ考えているうちに、自分で声を出すに到ったのだ。

2015年9月11日、六花書林、2500円。

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2015年09月20日

永田淳著 『評伝・河野裕子 たつぷりと真水を抱きて』


2010年に亡くなった河野裕子さんについて息子の立場から描いた評伝。

甲賀郡国語研究科編集「すずか」に掲載された中学時代の創作や、高校・大学時代の日記など、これまで公開されていなかった資料も使って、河野さんの生涯に迫っている。自分の母について書くというのは、距離感が難しいだろうと思うのだが、この本は客観的な記述と主観的な思い出や母に対する思いとのバランスが非常に良い。

冒頭の「あんたと結婚する人はかわいそうや、老後の楽しみがなんもあらへん」に始まって、河野さんの印象的なセリフがたくさん出てくる。

「五月ってかっこええやんか。だから私は絶対に、なにがなんでも五月に産んでやろ、と思ってたんよ」
「結婚して家を出たら女はひとりなんです。誰も味方はいません。だからなんとしても夫が味方についてあげなくちゃダメなの」
「あなた、同じ青魚でもこれは秋刀魚ですよ。鰯はもっと頭が丸くて、秋刀魚はほら口がとんがっているでしょ」
「来て、なんや知らんけどおもろかったなあ、楽しかったなあ、言うて帰ってもらったらそれでよろし」

どのセリフからも、生前の河野さんの姿が彷彿とする。

いくつかの新事実が含まれていて、今後の河野裕子研究にとっても欠かせない一冊となるだろう。『蟬声』の中の

旧校舎の窓辺に木苺咲きゐしがそれには触れず演台おりる

という一首と『桜森』にある

木いちごの緑葉照れる木造の階段教室に初めて逢ひき

との関連性を指摘したのも、おそらく初めてのことだと思う。

少し気になったのは、日記に出てくる同級生の名前はイニシャルや仮名でも良かったのではないかということ。あと、河野家の血縁関係が入り組んでいるので、家系図を載せても良かったかもしれない。

全体に読みやすい文章で、300ページを超える分量を一気に読ませるだけの力がある。河野さんに興味のある方は、ぜひお読みください。

2015年8月24日、白水社、2300円。

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2015年09月18日

横山未来子歌集 『午後の蝶』


ふらんす堂のホームページに2014年1月1日から12月31日まで連載された「短歌日記」365首をまとめた第5歌集。

以下、引用は歌のみ。

突きあたり向きをかへたる穂のふくむ墨すべらかに紙を走りつ
まふたつにされし蜜柑の断面の濡れをりいまだ小鳥来らず
ひのくれまでねむれるわれをゆりおこすわれをみてをりあけのねむりに
蜂蜜の壜かたむけてゆるやかにかたよるひかり眺めゐるなり
さやゑんどうの莢に透きたるかなしみの萌しのごとき丸みにふれつ
とほき世に眉をゑがきしをみならの映ることなき手鏡ぬぐふ
傘をうつ雨くぐもりてひびきをり電話のなかのこゑの向かうに
垂直の壁をのぼれるかたつむり遅れて殻をひきあぐるなり
ちぎれたる枝葉にまじりかなぶんの光沢ありぬ朝の舗道に
水たまりに桜紅葉のしづめるを覗かむとするわれの黒き影

1首目、書の練習をしている場面。「墨」「紙」が下句にあるのがいい。
3首目、全部ひらがな書きにして、どこまでが現実でどこからが夢なのかわからない眠りの感じをうまく出している。
4首目、「かたよるひかり」がうまい。
6首目、手鏡にまぼろしの女性の姿が「映る」という歌は時おり見かけるが、これは「映ることなき」と詠んでいる。でも、「映る」と詠む以上に映っている感じがする。
8首目、かたつむりの移動する姿が目に浮かぶ。
9首目、かなぶんは、もう死んでいるのだ。

今回この歌集を読んでみて、短歌と日付や散文との相性が非常に良いように感じた。横山さんの歌は生活感や肉体性が薄く固有名詞のほとんどない世界なのだが、日付や散文と組み合わされることで、詩情と現実生活とのバランスがうまく取れている。

印象に残ったのは「不在」と「ここではない場所」の描き方。

去年の秋にわが見し蝶のもうをらぬ公園にきて松の実を踏む
ゆふべまで大きかたつむりゐし場所に陽のあたりをり何もをらねば

今はもう目の前にいないものを詠んでいる。
けれども、むしろその印象は鮮やかだと言っていいだろう。

雷鳴のごとしとながく聞きゐたる花火はとほき川照らすらむ
雨音の荒きを傘のうちに聞きてきみゆくならむ朝(あした)の街を

家の中にいて花火大会が行われている川を想像する一首目。二首目は雨の日に出勤する人の姿を思い描いている。どちらも、自分はその場所にはいない。「らむ」「む」といった推量の助動詞を使った歌が、この歌集には実にたくさんある。

「不在」と「ここではない場所」。
どちらの歌からも、かすかな寂しさが伝わってくるように思う。

2015年9月9日、ふらんす堂、2000円。

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2015年09月12日

柏崎驍二歌集 『北窓集』


2010年から14年までの作品420首を収めた第7歌集。

作者の故郷は三陸町吉浜(大船渡市)で、現在は盛岡市に住む。東日本大震災を詠んだ痛切な歌が数多くあるほか、東北の暮らしや風土に関わる歌も多い。

上の家下の家ある坂のみち海のひかりが崖(きし)を照らせり
おのづからわれを離れて霧となる息嘯(おきそ)の息のごとく詠みたし
当初わが嫌ひたる名のひとめぼれ・あきたこまちに慣れていま食ふ
流されて家なき人も弔ひに来りて旧の住所を書けり
春寒き比叡の社の階(きざはし)にわが脱ぎし靴を人は直しつ
「鴻之舞金山跡」の碑に近くそれより大き慰霊の碑あり
負ぶはれて逃れたれども負ぶひくれし人を誰とも覚えずと言ひき
隣家のバケツが庭に飛ばされて来てをり梅の蕾ふくらむ
大根の膾に載りてひかるものはららご赤く年あらたまる
禿頭に手をおく人が描いてある南部盲暦(ゑごよみ)今日半夏の日

1首目、「上の家」「下の家」がいい。海沿いの傾斜地に立つ家。
2首目、第47回短歌研究賞を受賞した「息」20首(歌集では18首)のタイトルになった歌。ただし連作の中身は大幅に変っている。
4首目、避難所に住んでいるのだろう。「旧の住所」が悲しい。
6首目、北海道紋別市にあった金山。最盛期に13000人が住んだ場所は、現在無人となっている。
8首目、春一番のような強い風の様子を、「風」と言わずに詠んでいる。
10首目、文字の読めない人にもわかるように絵で書かれた暦。「禿頭」=「ハゲ」=「半夏」ということだろう。

葦群のなかゆくみちの湿り地の沈みがちなる今朝のものおもひ
軒下に凍るつららのつらつらに君を偲ぶも今日葬りの日

印象に残ったのは、このように序詞を用いた歌がいくつも見られること。1首目は上句の内容が「沈みがち」を導き、2首目は「つらら」から「つらつらに」と音でつなげている。こういう歌を読むと、序詞という技法は現代短歌においてもかなり使えそうな感じがする。

2015年9月8日、短歌研究社、2500円。

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2015年09月07日

黒瀬珂瀾歌集 『蓮喰ひ人の日記』



アイルランドとイギリスに滞在した13か月間に詠まれた歌をまとめた第3歌集。初出は「短歌研究」2011年1月号〜12年7月号。歌には日付と詞書きが付いている。

日本を離れて知る東日本大震災、街を燃やす暴動、そして娘の誕生など、慌ただしく過ぎて行く異国の暮らしの様子が歌に詠み留められている。また、滞在中に読み進めた『ユリシーズ』のことも、しばしばそこに重ね合わされているようだ。

以下、引用は歌のみで。

茶の濃さが恨みの濃さともし言はば、言はばバターの硬き食卓
安否を問ふは誰かの安否を問はぬこと寒風に舞ふ桜ひとひら
マグナ・カルタ手稿に波のごとき皺打ち寄せて王を呑み込みしかな
鱈つつむ衣の厚きゆふぐれをhibakushaといふ響きするどし
私たちは ロンドンにゐて よかつた と子を抱きて言ふ 抱き締めて言ふ
大家族眺めてねぶる腿の骨かつて否みき父となること
たつぷりと乳を詰めこみ児の腹はホタルイカかとつくづく思ふ
汗ばめる髪に苺の香りして児はわが胸をこころみに吸ふ
くらやみに潤ふごとく立つ妻の奥に火は燃ゆ正論の火は
うすやみに眠る命ゆ離れゆくひとよ噴きやまぬ乳をおさへて

5首目には

5/20 セント・パンクラスで、日本人母親の「なかよし会」。

という詞書きが付いている。福島の原発事故による放射能漏れを踏まえての歌である。福島(日本)から遠く離れた地にいることに安堵する母親たちの姿。それは同時に、福島やその近くに暮らす母子の姿をも浮かび上がらせる。句ごとに置かれた一字空けが、そうした複雑な心情をよく滲ませている。

ところどころ歌の後に散文が続く場合があるのだが、それが次の歌の方につながっているように見えてしまうのが、レイアウト的に気になった。例えば208ページの最初の「関東大震災・・・」という部分は、207ページの最後にあった方が良いのではないだろうか。

2015年8月30日、短歌研究社、2800円。

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2015年09月05日

内藤明歌集 『虚空の橋』

2012年から14年にかけて発表した連作11篇を収めた第5歌集。
そのうちの一つ「ブリッジ」30首で第50回短歌研究賞を受賞している。

そのこゑの身のうち深く遺れるを鎮めてひとり蕎麦を啜れり
抜かれたる奥歯のありし空間を舌に確かめ寝につかむとす
整然と鉄路に向きて午後五時の西日を浴ぶる自転車の列
型通り入れねば蓋の閉まらざる積木の箱はいづこにゆきし
夢にしてゆふべの川を渡りしが声に濡れたり現(うつ)つなるらし
駅員に遅延の文句をわめきゐるあの酔漢はわれにあらずや
灯の下にときどき顔を見合はせて風の音聞く猫と子どもと
囲はれし穴を視線はひとまはり古代の水の湧き出(で)しところ
ドアの向かうに人がゐますと書いてある貼り紙を読むドアのこちらに
命ひとつ宿せる人のかたはらに刺繍の薔薇は形成(な)しゆく

「短歌の死である武川忠一が亡くなり、その偲ぶ会の数日後に母が亡くなった。また、その約一年後に父が亡くなった」とあとがきにある。全体に落ち着いた雰囲気の歌が多い。

1首目、亡き人の声を思い出しつつ蕎麦を食べているところ。
3首目、「鉄路に向きて」がいい。どの自転車も同じ向きに並んでいる。
4首目、間違ったところに入れると、箱からはみ出してしまうのだ。
6首目、他人へ向けた視線が下句で自分へと反転する。
7首目、何とも可愛らしい光景。風が強いのだろう。
10首目、妊娠している人が少しずつ刺繍をしている場面。

2015年7月21日、砂子屋書房、3000円。

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2015年09月02日

川本千栄歌集『樹雨降る』

川本千栄の第3歌集『樹雨降る』(ながらみ書房)が7月に刊行されました。
2008年から2014年までの484首を収めています。定価2700円。

【自選5首】
右手だけぐうんと長く描かれて子は絵日記に兎撫でいる
葡萄(えび)色は鮮やかなまま 床にいて子規の描きたる盆栽の花
黄の色の口の尖れるチューリップ何かもう真っ直ぐにも疲れちゃって
桜には必ず終らす雨が降るわかっていたから言うのだ じゃあ、と
ラジコンカー有害ごみに廃棄して終われりわが子の子供時代は

http://www.ac.auone-net.jp/~masanao/sub1.html

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2015年08月30日

竹尾忠吉という歌人

竹尾忠吉の第4歌集『朝雨』(昭和22年)を読んでいる。
昭和17年、18年に樺太を訪れた時の歌が載っているのだ。

敷香を発(た)ち島横切らむ朝あけにフレップの実を摘みて噛み居り
密林の右に左にひらけくる山火(やまび)の跡は年経(ふ)りてをり
遥けくも来りてあはれ夏草の繁き樺太の旅も終りぬ

歌としては、どれもどうということもない。
平凡な歌と言っていいだろう。

竹尾忠吉(1897―1978)は島木赤彦に師事し、戦前は「アララギ」の選者も務めた歌人であるが、今ではほとんど名前を聞くことがない。ごくごく普通の歌人に過ぎない。でも、この「普通」というのが、意外に大切なのである。

新しき国興るさまをラヂオ伝ふ亡ぶるよりもあはれなるかな
             土屋文明『山谷集』
新しき国興りゐる奉天より語りくるこゑは夜ごとにきこゆ
             竹尾忠吉(「アララギ」昭和7年4月号)
遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし
             土岐善麿『六月』
遺棄したる死体数千といふ支那は戦死を如何に取扱ふならむ
             竹尾忠吉(「アララギ」昭和12年11月号)

土屋文明と土岐善麿の歌はどちらも有名な一首であるが、同じ時期に竹尾忠吉が詠んだ(平凡な)歌と比較すると、彼らの歌のすごさがよくわかる。時代を超えて今も残っている理由がはっきりする。

おそらく竹尾のような歌は当時無数に詠まれたのだろう。その中にあって、文明や善麿の歌は異色であったに違いない。それは、彼らの歌だけを見ていてもわからないことで、竹尾のような「普通」の歌人との比較を通じて、初めて見えてくることなのである。

(竹尾さん、失礼な書き方ですみません。)

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2015年08月26日

舳倉島

阿部静枝の歌集『冬季』(昭和31年)を読んでいたら、舳倉島を詠んだ一連があった。舳倉島は能登半島の北にある島で、海女が住む島として知られている。

島ぐるみしぶきに濡るれば土あつめ作る乏しき菜も塩はゆし
海女ら海へいでて無人の島の昼はまうどの伸び目に見ゆる如し
舟べりに女体ひらめき潜みたり水に吐く息泡なして立つ
潜水に飢ゑたる人の肺が吸ふ空気ひゆうひゆう気管に鳴れり
潜水後を耳遠き海女大声にさざめけり笑へば下腹ゆらぐ

この島には一度だけ行ったことがある。

あれは金沢に住んでいた時なので、1995年の夏、今からもう20年前のこと。
前日、輪島に泊まって、その日は朝市を見てから島に渡る船に乗った。乗客は釣り人が多く、観光客は誰もいないようだった。

島は歩いて回れるくらいの大きさで、中央付近に灯台と小学校があった。灯台の中に入れてもらって、灯台の上から島の全景を眺めたのが印象に残っている。

島を離れる時に、「またいつか来たいな」と思ったのだが、それ以後、訪れる機会がない。そんなふうにして、二度と訪れることのない場所が人生にはたくさんある。

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2015年08月16日

渡英子歌集 『龍を眠らす』


2008年から2014年にかけての歌を収めた第4歌集。

夫にはまだ母がゐる携帯電話(ケータイ)のこゑがおほきくなるから分かる
かずかぎりなき石川一動悸する心を持ちて汽車を待ちしか
新宿を包む夕立みづの香に追分宿の馬の香を嗅ぐ
夜行バスは遠つあふみを行くころか息子その他を眠らせながら
書物より盗み来しなり胸に抱くほのか熱もつコピー紙の束
緩斜面にも急斜面に桃植ゑて右左口は桃の花雲のなか
繊きほそき金の月の弧歌びとの死をもて畢る歌誌のいくつか
鵯をあまた眠らす夜の木もまぶた落してねむりゆくなり
川幅の遊歩道なり新年の光のなかを撓ひつつ伸ぶ
ハナニラの白きが星のやうに揺れ写生の子らは散らばつてゐる

東日本大震災、息子の結婚、孫の誕生といった出来事が詠まれているほか、北原白秋、木下杢太郎、斎藤茂吉、石川啄木といった近代歌人に思いを馳せる歌が多くある。これは『メロディアの笛―白秋とその時代』の執筆時期と重なっているためでもあろう。

1首目、「まだ」とあるので、自分にはもう母がいないことがわかる。
2首目、「石川一」は啄木の本名。夢と決意を抱いて地方から上京した明治の若者たち。
3首目、新宿はもともと甲州街道の宿場(内藤新宿)であった。突然の雨にビル街が霞み、昔の宿場のまぼろしが甦ったのだろう。
5首目、図書館などで大量に資料のコピーを取ったところ。「盗み来し」という感覚が鋭い。
6首目の「右左口」は山崎方代のふるさと。あちこちに桃の花が咲き乱れている。
9首目、かつての川が暗渠化されて遊歩道になっているのだろう。
10首目、ハナニラの花の感じが、絵を描く小学生くらいの子どもたちの姿とよく合っていて可愛らしい。

2015年7月7日、青磁社、2500円。

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2015年08月13日

河野美砂子歌集 『ゼクエンツ』

第2歌集。
2004年から2010年までの作品406首を収める。

遠き人と話す電話の切りぎはにまつげをふせるほどの間があり
卵四つひといきにつかふ料理にて黄金色の油さわだつ
ひややかにローションのびてなにかしらてのひらうすくめくれるここち
木管の一人にたのむ そこ切つてください、ロマン派ではないので
あしもとに眠れる犬の夢のなかわがねむりたり犬のあしもとに
ちりちりと炒られた花を落としゐるさるすべり まだ粗き日ざしに
午後ずつと歩いてゐたり音たてて耳の中をゆく水路に添ひて
人間の死が棒となり立つてゐるグラフありたり戦争ののち
魚に降る雪はるかなれふる塩のなかにゆめみる鱈という文字
最後までママと呼びゐしその人を母と書くたびゐなくなるママ

1首目、最後に名残りを惜しむようなわずかな間がある。「まつげをふせるほど」という比喩がいい。
3首目、「ローション」以外すべてひらがな。塗る時の感触を手の皮が「めくれるここち」と捉えたのが面白い。
4首目、三句以下に句跨りがあって韻律が楽しい。「そこ切つて/ください、ロマン/派ではないので」。
5首目、犬の見る夢の中で私が見る夢の・・・と、永遠に入れ子になっていくような歌。
6首目、「ちりちりと炒られた」が散った百日紅の様子をうまく描いている。
9首目、まな板の魚に振り塩をしているところ。「ふる」が「降る」と「振る」の両方の意味になっている。「鱈」という文字の中にある「雪」のイメージを思い浮かべながら。
10首目、亡くなった母の歌。挽歌の中に「母」と書くたびに、どこかよそよそしい感じがしてしまうのだろう。

2015年5月15日、砂子屋書房、2500円。

posted by 松村正直 at 07:04| Comment(1) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする