2017年09月16日

山本夏子歌集 『空を鳴らして』


著者 : 山本夏子
現代短歌社
発売日 : 2017-08-31

昨年第4回現代短歌社賞を受賞した作者(「白珠」所属)の第1歌集。
2007年から2016年までの作品347首を収めている。

母と子は竿にもつれて父だけがのんびり風に乗るこいのぼり
こんなにもつばめはゆっくり飛べるのか子に飛び方を教えるときは
駅前に宮田書店は今もあり日に焼けている浦島太郎
群れをなす南の島の蝶に似て駐輪禁止の紙札なびく
上履きが片方道に落ちている木星みたいな裏側見せて
黒ずんだサトちゃん人形笑ってる足に鎖を巻きつけたまま
二時間を水に浸して棄てられる中止となった花火の玉は
苦しみを隠したままで死ぬことのできるうさぎが一度だけ鳴く
広場からうさぎを一羽選るように子が保育士に抱き上げられる
前髪を短く切ればおさなごにもっと幼い顔のあること

1首目、何のことかと思って読んでいくと結句で「こいのぼり」の話だとわかる。語順に工夫がある。
2首目、速く飛んでいるイメージしかない燕ならではの歌。
3首目、昔ながらの個人経営の書店。こうした店はどんどん減っている。
4首目、たくさんの自転車に札が貼られて、羽ばたいているみたいに見えるのだ。
5首目、「木星みたい」が大胆な比喩。ゴムの色合いや縞の感じが似ている。
6首目、薬局の前に置かれているゾウのキャラクター人形。盗難防止に鎖が付けられているのが痛々しい。
7首目、初二句の具体がいい。発火することがないように慎重に扱うのだ。
8首目、人間と違って言葉で苦しみを訴えることができない哀れさ。
9首目、上句の比喩が印象的。保育士から見れば、わが子もワンノブゼムでしかない。
10首目、どんなに幼い子でも、生まれた時に比べれば確かに歳を取っているのである。

後半は妊娠、出産、子育ての歌が多い。文体や表現に健やかな明るさが感じられるのが大きな特徴と言っていいだろう。

2017年8月31日、現代短歌社、2500円。

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2017年09月14日

勺禰子歌集 『月に射されたままのからだで』



「短歌人」所属の作者の第1歌集。420首。

嘆き死んだ遊女の墓のあるあたりから湧き出づる温泉ぬるし
落ちたての花びらを轢く感触のなまなまと車輪伝ひ登り来
はふり・ふはり・はふり・ふはり と転がせば屠(はふ)るとふ言の葉のやさしさ
両岸に茶屋ありしといふ二軒茶屋跡から暗峠(くらがりたうげ)を目指す
きちんと育てられたんやねと君は言ふ私の闇に触れてゐるのに
はじめてのそして最後の夕日浴び解体家屋はからだを開く
はげしさを身に溜めぬやう送り出すしぐさか 熱を帯びゆく扇
迷ひとは無縁の速度を保ちつつ燕抜けゆくちさき山門
片足の鳥居の脇のアパートの下着揺らめく205号
入浴剤の香りで少しつながれてあはきあはき家族といふもの

1首目、遊女の死にきれない思いが温泉になって溢れている感じ。「ぬるし」が何とも寂しい。
2首目、まだ柔らかい花びらを轢く感触が自転車を通じて身体に伝わるのだ。
3首目、単なる言葉遊びではなく「屠る」という語に対する肯定的な思いが表れている歌。
4首目、今は何もない「二軒茶屋跡」に立って昔の様子を思い描いている。
5首目、私の闇を受け入れてくれる相手なのだろう。
6首目、「からだを開く」がいい。壁が壊されて剥き出しになった家の中が夕日に照らされている。
7首目、盆踊りの様子。「はげしさを身に溜めぬやう」という捉え方に独自なものがある。
8首目、確かに燕の飛び方には迷いがない。
9首目、長崎の山王神社の被爆した鳥居。三句以下の生活感との取り合わせがいい。
10首目、ほのかに同じ匂いがする。そのくらいのつながりなのである。

歌集全体を通じて大阪や奈良の地名や固有名詞が数多く登場する。土地や歴史とのつながりを深く感じている作者なのだろう。近年は社会詠にも意欲的に取り組んでいる。

「ひつじ」7首は、12年前の出来事を絵画作品と重ね合わせて詠んだ一連で、とても強く印象に残った。作者の人生において忘れることのできない体験である。

2017年7月24日、六花書林、1900円。

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2017年09月04日

谷とも子歌集 『やはらかい水』


2008年から2017年までの作品268首を収めた第1歌集。

傘ささず歩くからだは響きあふ青葉を揺らしやまない雨と
カップ麵のふたに小石をのせて待つ今日のもつとも高いところで
ひつたりと二枚のサルノコシカケが待ちをり母と子の座るのを
水面に見え隠れする足首のロッカーキーの輪つかの性別
壮年の弟の首うなだれて「ごめん」と言ふうちおとうとになる
なんだらうこのしづけさはと思ふときほたるぶくろの花のうちがは
〈出合〉からすべて始まる沢水の力踏みつつ遡りゆく
どのやうに終(しま)へばいいのポケットの無い喪服では指があらはで
ポインセチア値下げされたり地下街の店をあかるく照らしたのちに
ふくろ買ひふくろ断り自転車の籠にふくろのあらは放り込む

1首目、山歩きをする作者。身体に雨が当たるのが心地良い。
2首目、「小石をのせて」に山で食べている臨場感がよく出ている。
3首目、大きいのと小さいのが段違いに並んでいるのだろう。
4首目、プールでの歌。男性用は水色で女性用はピンクとか。
5首目、普段は大人の男の顔を見せているが、何かの拍子に子どもの頃の弟の表情になったのだ。
6首目、いつの間にか、ほたるぶくろの花の中にいる感じ。
7首目、流れの合流地点から沢を遡行していく。「力踏みつつ」がいい。
8首目、剥き出しの指に感情が溢れてしまいそうになるのだろう。
9首目、おそらくクリスマスが過ぎたのだ。華やぎの後の寂しさ。
10首目、コンビニやスーパーでごみ袋を買った場面。「ふくろ」の繰り返しがおもしろい。

添付の杉の木の栞やソフトカバーの装幀なども含めて、作者の人柄や世界観がよく表れた一冊だと思う。「ささげている」「会う」「鳴き交う」と、旧かなのミスがあるの惜しい。

2017年8月26日、現代短歌社、2500円。

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2017年08月31日

遠藤由季歌集『鳥語の文法』


2010年から16年までの作品375首を収めた第2歌集。
冒頭に引っ越しの一連があり、何だか暗いトーンだなと思って読み進めていくと〈空の壜捨てるこころは痛みおり婚解きにゆく霜月の朝〉という歌があって事情がわかる。

コンビニに似た明るさの古書店で買いたり『和泉式部日記』を
艶やかなグランドピアノに負けぬよう肩剥き出しに女は弾けり
あばら骨状に並んだ団地見ゆ塗り替えられた白さ鋭く
ひつまぶし三種の食べ方楽しみて吐息のような白湯を飲みたり
駅頭に夜の花屋は開かれて影ごと花を売りさばきおり
分度器の薄れた目盛りを思い出す秋のひかりが睫毛に触れて
妙に軋む雨の日の椅子 売り上げと関わりあらぬデータ打ち込む
描かれた陽は透きとおる厚らかに塗り重ねたる油彩のなかに
鋭角に葱切りゆける包丁は大雪の夜に父が砥ぎたる
名刺として鱗いちまいずつ配り人に戻りて乗る銀座線

1首目、昔からある古書店は薄暗いが、ブックオフはとても明るい。そこで買うのが古典であるというのも、妙にちぐはぐな感じ。
2首目、「剥き出し」という語の選びに、女性であることの痛みを感じる。
3首目、「あばら骨状」がいい。地図などで見ると確かにそんなふうに見える。
4首目、そのまま、葱とわさび、お茶漬け。「吐息のような」に満足感が滲む。
5首目、明るい花に寄り添うように「影」があるという発見。
6首目、分度器の目盛と目の縁にある睫毛。言われてみればよく似ている。
7首目、三・四句目から自分の仕事に対する徒労感のようなものが伝わる。
8首目、厚く塗りかねているのに透明感があるのが不思議なのだ。
9首目、葱を切る場面に父が包丁を砥ぐ場面がオーバーラップする。
10首目、仕事を終えて素顔の自分に戻るところ。人魚のイメージでもあるし、羽を抜いて機を織る鶴のようでもある。

2017年7月1日、短歌研究社、2500円。

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2017年08月02日

久保田幸枝著 『短歌でたどる樺太回想』



昭和12年に樺太で生まれ、昭和22年に引き揚げるまで樺太に住んだ著者の短歌エッセイ集。文芸誌「ぱにあ」の連載を一冊にまとめたもの。

 樺太留多加郡留多加町大町二十五番地いまは何町
 かばひける覚えあらねばオロツコの少女をあなどりしひとりなりけむ
 ひひならは老いたるまなこを細めゐむサハリンの野に髪凍らせて
 引揚船「宗谷」のデッキにて手を振りき流氷の上のオットセイらに
 映像のユジノサハリンスクの風わたくしの目に埃をとばす

樺太の思い出やソ連占領下での生活、引き揚げと戦後の苦労など、実際に体験した人にしか書けない内容が多く、歴史の貴重な証言となっている。

2016年10月16日、洪水企画、1600円。

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2017年07月28日

栗木京子歌集 『南の窓から』



副題は「短歌日記2016」。

2016年1月1日から12月31日まで、ふらんす堂のホームページに連載された366首を収めた第9歌集。

 冬の日の聴力検査 海に降る白ききらめき身に感じつつ
 赤は黄を、あるいは青を生むことを墓前の炎見つつ知りたり
 火口湖の遠きかがやき宿りたり卓のめがねに夕日の差せば
 翅をもつ性ともたざる性ありて保育園児ら苑にあそべり
 さかしまに顔ふたつありとらんぷのハートのジャックは真横を向きて
 ものの影めくれあがりて炎(も)えむとす夏の地平に日の沈むとき
 内部より出でたるものはなまなまし桜桃のたね皿に光りて
 一周忌の友の墓前に集ひ来ぬ手書きの地図をもちてわれらは
 汽車の窓並ぶがごとしほの暗き画廊に銅版画の飾られて
 竹群の竹濡れてをり隣り合ひつつも触れてはならぬものある

1首目、目を閉じて一心に音を聴いている時の体感とイメージ。
2首目、亡き人を思いつつ、蠟燭の火をじっと見つめているのだ。
3首目、眼鏡のレンズに映る夕日から火口湖への連想が美しい。
4首目、「男」「女」という語を言わないことで、性別というものを考えさせる歌。
5首目、絵柄の顔の向きにはそれぞれ意味がある。真横を向いているのはハートとスペードのジャック、そしてダイヤのキングだけ。
6首目、上句の表現に力がある。まるで原爆が落ちる瞬間のようだ。
7首目、桜桃の外側はあんなにつやつやとしてきれいなのに。
8首目、「手書きの」がいい。親しかった人たちだけの集まりという感じ。
9首目、「汽車の窓」に見立てることで、画廊という空間が違って見えてくる。
10首目、竹の話から始まって、どこか恋のイメージへとつながっていく。

すべての歌に日付と詞書(散文)が付いているのだが、詞書と歌の距離が全体に近いように感じた。詞書と歌が相乗効果を発揮するまでには至っていない。

2017年7月20日、ふらんす堂、2000円。
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2017年07月06日

大松達知歌集 『ぶどうのことば』

 木守(きまも)りの柿のやうにもふたりゐてまだまだねばる夜の英語科
 十二時を超えないように飲む酒の、妻が超えればわれも超えゆく
 ホッチキスはづして二枚捨てたりき海を見て海に触れざりし夜
 蒸し返すわけではないと蒸し返す生徒の親にかうべを垂れる
 たまさかにパンツの忘れ物がある男子二千人毎朝来れば
 不惑過ぎてジャングルジムに登りをり娘とゐれば〈変な人〉ならず
 マチュ・ピチュは〈老いたる峰〉を意味するとぞ、壁に向かつて便座に
 坐る
 盗まうとすれば盗める長ねぎの箱あり朝の蕎麦屋の前に
 海(カイ)といふ文字をマリンと訓ませをりそのかみにウミを訓ませた
 やうに
 降(お)りますととなりの席にささやけり相対死(あひたいじに)を迫れ
 るやうに

2014年から2016年までの作品455首を収めた第5歌集。
教師としての歌、子育ての歌、言葉に関する歌が多い。

1首目、作者ともう一人が夜遅くまで残業している場面。薄暗い部屋に2か所だけ灯りが点っている感じがする。
2首目、夜の十二時までというルールを一応課しているのだが、妻次第ではOKなのだ。
3首目、上句と下句のつながりがとても印象的。どことなく寂しさが滲む。
4首目、「○○ではないが」と言った場合、たいていは「○○」なのである。
5首目、中高一貫の男子校。パンツを置き忘れた生徒はどうしたのだろう。
6首目、小さな娘と一緒だと、何をしていても良いパパに見られるので安心である。
7首目、マチュピチュという言葉の意味に関心を持つのが作者ならでは。トイレに貼られたポスターかカレンダーに写真が載っているのだろう。
8首目、配送された長ねぎのダンボール箱。不用心と言えば不用心だが、誰も取って行ったりはしない。
9首目、昨今のキラキラネームの話。「海」という漢字(中国の文字)を「マリン」と英語で読ませるのも、「うみ」と日本語で読ませるのも、確かにやっていることは一緒なのだ。
10首目、「相対死」は心中のこと。電車やバスの二人掛けの席で通路側の人に声を掛けている場面だが、発想が何ともユニークだ。

2017年5月16日、短歌研究社、2700円。

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2017年07月01日

岩尾淳子歌集 『岸』


2012年から2016年までの作品354首を収めた第2歌集。

帆をたたむように日暮れの教室に残されている世界史図説
夕立のにおいのこもる路地奥の鮨屋に烏賊はすきとおりたり
目のはしにあなたの溲瓶を見ておりき山雀みたいに向きあいながら
川風が吹き込んでゆく和菓子屋の奥のちいさな庭のみどりよ
この家の隅々までを知りつくしぷつんと掃除機うごかずなりぬ
父が締め母が開いてまた締めるしずく止まらぬ栓ひとつあり
葦分けて水ゆくように制服の列にましろき紙ゆきわたる
敷石の割れ目の草を越えようとして自転車はわずかに浮かぶ
酒瓶の置き場所少し動かせば鼻を寄せ来て猫はあやしむ
全天にちからあふれてわたつみに高速艇はあぶらを燃やす

1首目、大判の教科書が置いてあるだけの場面だが、「帆をたたむように」と「世界史」が響き合う。昼間の賑やかな教室との対比も感じさせる。
2首目、上句の薄暗い感じのなかで烏賊の透き通るような白さが際立つ。
3首目、2013年に亡くなった米口實さんを詠んだ歌。「山雀みたいに」がいい。衰えていく師の姿を見守ることしかできない。
4首目、店の奥に坪庭が見えている。そこだけ明るくて、緑が鮮やか。
5首目、上句が面白い。確かに掃除機が一番よく知っているかもしれない。
6首目、パッキンが劣化しているのだろう。蛇口のことを詠みつつ、古くなる家や老いていく両親の姿も感じさせる。
7首目、教室でプリントを配っている場面。初・二句の比喩がいい。制服の紺色とプリントの白の対比が目に浮かぶ。
8首目、発見の歌。「わずかに浮かぶ」が的確な表現だ。
9首目、猫の動きがよく見えてくる。まず鼻を近づけて、様子を窺っている。
10首目、けっこうスピードが出ているのだろう。速さを言わずに「あぶらを燃やす」と言ったのがうまい。

教師生活の歌や両親の歌、阪神淡路大震災を思い返す歌などが印象に残る。日常を詠んだ歌にも落ち着いた味わいがあり、第1歌集『眠らない島』とは雰囲気が違ってきたように感じる。

2017年6月9日、ながらみ書房、2500円。

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2017年06月11日

馬場あき子歌集 『渾沌の鬱』

2013年から15年までの作品を収めた第26歌集。
現代三十六歌仙シリーズの28。

豆の種もちて帰化せし隠元の豆の子太り信濃花豆
魂はけふすすき野の空にゐたりしがうつし身いわし焼きをりわれは
台風は南大東島にありてわが庭の石榴すでに落せり
まな板を干せば無数の傷みえて去年より今年へ年改まる
窓の向うに梅の花二つ咲いてをり今朝こまやかにからだも動く
芭蕉より一茶に人気ありといふフランスにけふ初雪が降る
降り沈む雪は音なくにひがたの街たひらかになして更けたり
母を亡くしし人より届くかぶらずしその亡き母の賜ひしごとく
何ごともをはりはつひによからずと自らいひて深くうなづく
若きらにまじれば心はなやぐを連れだちて若きらは若き彼方へ

1首目、インゲン豆の一種である花豆。その来歴を感じさせる。
2首目、魂と身体が離れてしまったような感覚。夜食の準備をしながらふと現実に戻るのだ。
3首目、何千キロも離れている台風の風がやって来たのだろうか。
4首目、何も変わらないようでいて、毎年少しずつ傷が増えていく。
5首目、「こまやかに」がいい。寒さが少し緩んで、身体の調子もよくなっていく。
6首目、「芭蕉」「一茶」「フランス」「初雪」という流れの面白さ。
7首目、「にひがた」が平仮名なのがいい。輪郭がなくなるまで雪に包まれていく町。
8首目、北陸の方なのだろう。母の代から毎年欠かさず送ってくれる。
9首目、「終り良ければすべて良し」とはいかないのが現実。
10首目、若者は若者で集まって、年寄りの相手になろうとはしない。

八十歳代後半を迎えた作者の年齢的な感慨が随所ににじむ。
それが何でもない日常の歌にも陰影を添えているように思う。

2016年10月27日、砂子屋書房、3000円。

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2017年06月08日

早坂隆著 『兵隊万葉集』


日中戦争から太平洋戦争、そして終戦へ至る時期に詠まれた歌を紹介しつつ、戦況などの解説を加えた本。戦争を詠んだ短歌を「当時の人々の率直な思いが込められている貴重な戦史資料」として捉え、そこから歴史を学ぶという姿勢で書かれている。

支那兵の死に浮く水を汲み上げてせつなけれども呑まねば
ならず                  上原酉松
汝が父の遺骨迎ふるも知らずして汽車にゆるるを喜びをりぬ
                      伊藤さよ子
大方は米国製なる工作機の耐用期間をわが思ひ見つ
                      山本広治
吾が前に少年二人戦ひに死にゆくことを事もなげにいふ
                      寺田幸子
手垢つきし愛(かな)しき本はわが名書きて征かざる友にわか
ち与へぬ                 玉井清文

引用されている歌の選びが良い。ただし、句ごとに一字空けという形で引用されている点が気になる。

これは「幅広い読者を対象とする新書の性格に鑑み、読みやすさを優先して、基本的に五・七・五・七・七の五句体に区切って表記した」ということなので、仕方がないのだけれども。

2007年7月30日、幻冬舎新書、740円。

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2017年06月05日

浅田徹ほか編 『帝国の和歌』


シリーズ「和歌をひらく」の第五巻。
浅田徹・勝原晴希・鈴木健一・花部英雄・渡部泰明編集。

明治以降の西洋近代との接触により、伝統的な和歌がどのように短歌へ変わっていったのかという問題意識のもとに、10篇の論文と5つのコラムをまとめた一冊。

古典和歌と近現代短歌とが、どのように繋がり、また断たれているのかを観察することによって、和歌と短歌とを、そして江戸期以前と明治期以降とを、共通の地平で考えることができるような「場所」を探りたい。
            勝原晴希「和歌とは何か、短歌とは何か」

というのが、本書の一貫したテーマである。勤皇志士和歌、新題歌、和歌改良論、御製、樋口一葉、森鴎外、新体詩、短歌滅亡論、万葉集といった切り口で、和歌から短歌へ続く道筋が考察されている。

それは単純な進化論的な見方では決して捉え切れないものである。また、鉄幹と子規によって短歌革新が行われたといった狭い見方でも描き切れないものだ。

以下、印象に残った部分をいくつか引く。

感慨を述べるのに適した長さである和歌形式は共同の〈気分〉を醸し出す力が強いため、ナショナリズムと必然的に結びつくように感じられるかも知れないが、両者の結びつきはそのときどきの社会の構造を介した偶発的なものである。
              百川敬仁「勤皇志士和歌の史的位相」
新題歌は単にいわゆる旧派和歌なのではない。新・旧の接点に存在する和歌なのである。
              小林幸夫「新題歌のイデオロギー」
それは換言すれば、ドラマという意識の欠如ということでもあった。ドラマは基本的に円環構造の思考からは発生しない。矢田部一人に限ったことではない。そもそもそれは日本にはない発想であった。
          有光隆司「思想の時代―西洋の文学概念による短歌評価の問題」

明治期に起きた、社会、政治、文化、生活、思想など全般にわたる変革の中で、日本の伝統的な和歌も変容と再生を余儀なくされた。そこには当然、プラスの面もあればマイナスの側面もあった。そうした苦さを今もなお短歌は背負っているのだと思う。

2006年6月20日、岩波書店、3700円。
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2017年06月03日

奥田亡羊歌集 『男歌男』

著者 : 奥田亡羊
短歌研究社
発売日 : 2017

「短歌研究」に8回にわたって連載された「男歌男」を中心に312首を収めた第2歌集。

流木の流れぬときも流木と呼ばれ半ばを埋もれてあり
森に行き人を殺して帰り来る子どもの話「ヘンゼルとグレーテル」
スタートを待つ一団に小さきが小さくなりて子の座りおり
月光をはじきてハクビシンとなる一瞬を見き動く気配の
ぶどうの皮をにゅっと出で来る挨拶のどこかで会った人なのだろう
月の夜を無蓋の貨車に運ばるる誰のいのちか桃の花盛り
大日本帝国連合艦隊司令長官搭乗機の展示されいるぐしゃぐしゃの翼
酔うほどに広くなりゆく卓上にしんと鋭き胡麻粒ひとつ
国をあげて造る古墳の葬列の二〇二〇年のこんにちは
赤い口あけて泣く子をあやしつつその子の父も赤い口ひらく

1首目、名前は流木であるがもう流れてはいない。
3首目、運動会の徒競走の場面。集団の中にいるわが子の小ささ。
4首目、一瞬照らし出されたハクビシンの姿が生き生きと捉えられている。
6首目、収容所へ送られるユダヤ人が思い浮かぶ。
8首目、酔った時の物の見え方はこんな感じ。遠近感が狂う。
9首目、東京オリンピックに対する痛烈な皮肉である。

連作を中心に構成された歌集なので、一首一首を単独で取り上げてもなかなか味わいが伝わらない。自らを「男歌男」と戯画的に詠む歌の中に、現代に生きる男性の苦しさや悲しみが深く滲んでいる。

2017年4月17日、短歌研究社、3000円。
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2017年05月24日

『For Instance, Sweetheart』



  P1050638.jpg

河野裕子・永田和宏著『たとへば君 四十年の恋歌』の英訳本。
翻訳はアメリア・フィールデンさん。

https://www.amazon.co.jp/Instance-Sweetheart-Forty-Years/dp/1760413070

5行書きで訳された短歌を眺めているだけで、けっこう面白い。

  for instance, sweetheart-
  won’t you sweep me off
  as if
  you are scooping up
  an armful of fallen leaves

たとえば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
                      河野裕子

  her breasts seemed
  as distant as the cape…
  damn!
  if only
  I were older

あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまでおれの少年
                       永田和宏

  hitting you
  hitting the kids - oh,
  my hand's on fire...
  frantically loosening my hair
  I go off to bed

君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
                       河野裕子

  I must not die,
  for when I die
  you will
  really
  be dead

わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんとうに
死ぬ                     永田和宏

永田家に在庫があるそうで、送料込み2000円で販売するとのこと。
希望する方は葉書で永田和宏さん宛にお申込みください。
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2017年04月27日

大辻隆弘歌集 『景徳鎮』

2011年から2014年までの作品357首を収めた第8歌集。
父の入院や死を詠んだ歌と終わりの方にある相聞歌に注目した。

神田川の濁れる水を撓ませて舷(ふなべり)ひくき汽船がのぼる
通勤はわが旅にして朝霧のいまだ漂ふ谿(たに)ひとつ越ゆ
稀勢の里の取組ももう見なくなり北窓の部屋に父はまどろむ
いま窓を過ぎしは鵯(ひよ)かしらじらと梅咲く枝に影を落として
聴覚は終(つひ)に残ると言ひしかどそを確かめむ術(すべ)はもう無い
翅の音はゆるく記憶を攪拌す藤の匂ひに熊蜂がきて
ボルヴィックの水をたづさへわれは立つ丸木位里「原爆の図」の前
夜をこめて悲しみをれば悲しみは鈍き疲れとなりて鎮もる
背を反らし浅き嗽ひをするひとよあなたの喉に水はせせらぐ
夕部屋に銀のひかりの檻を編むふたりの指をしんと撓めて

1首目、「撓ませて」「舷ひくき」といった表現が巧み。
2首目、日常の中にふと旅を感じる心。
3首目、相撲の好きな父だったのだろう。もうその気力もない。
4首目、一瞬窓を過ぎった影の正体を想像している。
5首目、死を前にした父の姿。結句だけ「もう無い」と口語にしたところに感情が滲む。
6首目、ブ〜ンという低音の翅音に呼び覚まされるようにして何かを思い出す。
7首目、原爆と水の取り合わせ。日本の水でもアメリカの水でもなく、フランスの水であるところがうまい。
8首目、「悲しみ」という感情が「疲れ」という身体的な感覚になって鎮まりゆくまで。
9首目、嗽をしているだけの場面なのだが、健康的なエロスを感じる。
10首目、「檻を編む」という比喩がいい。その中に二人で閉じ込められているような気分。

2017年3月20日、砂子屋書房、2800円。
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2017年04月24日

佐藤通雅歌集 『連灯』

著者 : 佐藤通雅
短歌研究社
発売日 : 2017

2013年から2016年にかけての作品340首を収めた第11歌集。

栞紐の白をはさみて灯り消す書にも一夜の安寝あるべし
性をもつことはときどきくるしくて葉につつみてはゆびさきぬぐふ
子はいらんかねといふなら全部買ひたいな保育園児の散歩の車
花終へし山は緑を急ぐなり声喪ひて叔父は鈴振る
十円玉で用をすませてボックスを出るとき人間に戻ったやうな
歩道橋の長き腹部を仰ぎみるその上を人はつつがなく行く
集合写真撮らむと若き職員が車いすの人の脇に膝折る
いふなれば最(さい)当事者であるひとの名が慰霊碑にふたつ加はる
疲れやすき目になりたりと日に四度天を仰ぎて滴を贈る
表通りの家に「売家」の札はあり老いの気配のいつしか消えて

1首目、「安寝」は「やすい」。作者だけでなく本も眠りにつく。
2首目、ひらがなの「くるしくて」に実感がある。下句は自慰のメタファーとして読んだ。
3首目、確かに見ようによっては販売車のようでもある。
4首目、声が出ないので鈴を振って人を呼ぶのだ。明るい季節との対比に寂しさがある。
5首目、電話ボックスから出た時の別世界のような感覚。
6首目、「長き腹部」がおもしろい。表と裏の違い。
7首目、車椅子の人に対する心遣いが自然と表れた場面。さり気ない動作が美しい。
8首目、東日本大震災の歌。行方不明者の遺体が見つかって死者となったのである。
9首目、「目薬をさす」と言わずに表現しているのがいい。
10首目、もともとあまり姿を見かけることもなく、ひっそりと気配だけがある家だったのだ。

2017年3月11日、短歌研究社、3000円。

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2017年04月13日

西連寺成子著 『啄木「ローマ字日記」を読む』

今日(4月13日)は石川啄木の命日。

この本は第一部に「ローマ字日記」が漢字かな交じり文で載っており、第二部には「一握の砂」(短歌)、「呼子と口笛」他(詩)、「時代閉塞の現状」(評論)、「葉書」(小説)が載っている。それぞれ丁寧な解説も付いているので、啄木の全体像がよくわかる。

智恵子さん!なんといい名前だろう!あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!さわやかな声!(明治42年4月9日)

ちょっと茂吉の「ふさ子さん!」という手紙を思い出す。

そして、人に愛せらるな。人の恵みを受けるな。人と約束するな。人の許しを乞わねばならぬ事をするな。決して人に自己を語るな。常に仮面をかぶっておれ。(4月12日)

いかにも啄木という感じがする。23歳の若い自尊心。

妄想は果てもない!函館の津波・・・金田一君と共に樺太へ行くこと・・・ロシア領の北部樺太へ行って、いろいろの国事犯人に会うこと・・・(4月18日)

金田一京助は明治40年にアイヌ語研究のために樺太へ渡っており、その時の話を啄木にも聞かせている。啄木も樺太へ行くことを夢見ていたようだ。「樺太まで旅費がいくらかかります?」(4月17日)と金田一に訪ねたりもしている。

2012年4月11日、教育評論社、1800円。

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2017年04月12日

三枝浩樹歌集 『時禱集』


16年ぶりに刊行された第6歌集。
全353ページという分厚い一冊になっている。

いっぽんのからまつを吹き過ぎゆけり感触(サンサシオン)となりゆける風
霜月のひかりのなかに散りいそぐこまかなるこまかなるからまつの針
いましがた自宅に戻られましたとぞきみ居たる部屋開け放たれて
卓上に富有と津軽 日本の秋すぎんとし今朝は霧湧く
野に熟れたるトマトの甘さひとふりの塩きらめきて色の濡れたり
百葉箱のような人生という比喩がほんのり浮かぶ そうでありたい
砂を食む波きらめきてかなしみはしばし寄りくる生者の中に
ちいさな秋とちいさな夏とゆきあいて日差しあかるき木の葉がゆるる
老ゆるにはしばし間のある人生の午後なれば子をふと懐かしむ
喫水線深まりてどこへゆくのだろう 水先案内人のいぬ朝

1首目、「サンサシオン」というフランス語のルビが明るい雰囲気を醸し出している。
2首目、からまつの落葉の光景。「こまかなる」の繰り返しがいい。
3首目、連作の最初の一首だが、これだけで病院で知人が亡くなった場面であることが読み取れる。
4首目、柿と林檎。
5首目、「色の濡れたり」がいい。完熟トマトと通常のトマトの違い。
6首目、あまり目立つことなく、それでも毎日自分の務めを果たしている。
7首目、「砂を食む」がいい。砂浜に打ち寄せる波の姿。
8首目、「ゆきあいて」は季節が入り混じって移り行く様子。
9首目、離れて住む子のことを「懐かしむ」という捉え方が印象的だ。
10首目、荷物を多く積んで進む人生の船。「深まりて」の年齢的な感慨が滲む。

全体にこれ見よがしなところがなく、歌に静謐さが漂うところに惹かれる。キリスト教の信仰に関する歌も随所に見られる。

2017年2月22日、角川書店、3000円。

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2017年03月25日

坂井修一歌集 『青眼白眼』

2013年1月から2015年4月までの作品390首を収めた第10歌集。

山形産斎藤茂吉はぷつぷつと語尾を切りつつスマホのなかに
あわだちて命とならむ悲しみをこの蟷螂は生みてゐるなり
かまきりの泡の卵の乾くときくらくかがやくわれのまなこは
歩かない吊革とあそばない私会ひてわかるる冬の電車に
「脱衣所の壁を壊すな」張り紙を破りて壁は壊されてあり
同僚のKの怒りをよみかねてビネガーをふるピンクサーモン
世はなべてひとの搾め木か脳髄も搾められてくろき砂糖とならむ
うなぎ湯にゆふべのわれはほとびきて眠りてゆかむからだとこころ
つつぷして眠りこみたる十五秒 海底見えて蛸が這ひくも
富士となりそびゆとみれば崩れゆくひとりあそびの大根おろし

1首目、茂吉の朗読の声が入っているのだろう。「山形産斎藤茂吉」は茂吉の〈日本産狐は肉を食ひをはり平安の顔をしたる時の間〉などを思わせる。
2、3首目は、かまきりの産卵をじっと見ている歌。このあたりは茂吉っぽい詠み方である。
4首目、吊革は電車から出られないし、私にはのんびりする時間がない。
5首目、何度補修しても壊される壁。張り紙がむなしい。
6首目、何に怒っているのかよくわからないのだろう。
7首目、サトウキビから汁を搾るように、肉体だけでなく頭脳も日々搾られていく。
8首目、ひらがなが多くて、身も心も緩んでいく様子がよく伝わる。
9首目、わずかな時間に見た夢。相当疲れている感じだ。
10首目、円錐状になった大根おろしを「富士」に見立てている。

多忙な生活の中にあってふっと意識が逸れていったり死へと誘われたりする感じがしばしば詠まれていて印象に残った。

2017年3月1日、砂子屋書房、3000円。

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2017年03月09日

石田比呂志歌集 『冬湖』

2011年に亡くなった作者の7回忌にあわせて刊行された遺歌集(第18歌集)。2010年から11年にかけての作品186首と未定稿歌抄39首、さらに自らの生い立ちを綴ったエッセイ「孑孑記(げつげつき)」を収める。

地下街の動く階段のぼり来て大欠伸の口地上にて閉づ
尾の切れし本体よりも切られたる尻尾(しっぽ)の方がよっぽと痛い
寝そべりていたりし犬が立ち上がり思い定めし如くに歩く
海峡の空低くゆく漂鳥を標的として襲う鳥あり
あけぼののきざせる部屋に石に降る雨を聞きおり眼鏡を置きて
背後(うしろ)から光が射せば前方に落つる外なき影に首あり
置き去りにされし鷗も居残れる鷗も白し夕日が中に
一方(ひとかた)に向きて湖面を漂える鴨あり首を風に吹かれて
飛ぶ鳥は必ず墜ちる浮く鳥は必ず沈む人間は死ぬ
石ころは石ころなりに所得て旅心(りょしん)動くということのなし

1首目、地下から地上に出る時のちょっとした緊張感。
2首目、組織と個人の関係としても読める歌だ。
4首目、渡り鳥の群れを襲う猛禽の姿が生き生きと目に浮かぶ。
5首目、「眼鏡を置きて」がいい。雨音だけが心に沁み込んでくる。
6首目、「首あり」と言うことで反対に斬首の場面がイメージされる。
9首目、何ともすごい歌だと思う。身も蓋もない。7首目から9首目は絶詠「冬湖」30首より。力のある歌が多い。

「孑孑記」も非常に味わいがある。未完に終ってしまったのが惜しい。

2017年2月18日、砂子屋書房、2500円。

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2017年02月16日

関野裕之歌集 『石榴を食らえ』

「塔」所属の作者の第1歌集。

その頰に手触れるまでの歳月を弥勒菩薩は微笑みており
人の死をひとつふたつと数えきて童の歌のななつで終わる
開拓の跡地に続く林道の中程にあり首括りの木
子の折りし鶴の背中の夕明かりたれのひと世も寂しきものを
躍動は犬の形を脱ぎ捨てて茅花咲く野を駆けてゆきたり
壁に並ぶ少女の写真見つめつつ老女は主語を「私達」で語る
いつか命よみがえるまでの沈黙に冬の桜は空に根を張る
生餌という命もありて水槽に小赤百匹千五十円
そのながき死後の時間のひとときを吾が夢に来て父は帰りぬ
いまさらのように夕空晴れていて駅を出る人みな空を見る

1首目、広隆寺の弥勒菩薩像だろう。ガイドブックなどでは「右手をそっと頰に当て」と紹介されるが、実際には手は頬に触れていない。
2首目、子どもが無邪気に唄う数え歌。その歌詞はちょっと怖い。
3首目、開拓生活がうまく行かずに困窮して首を括ったという謂れがある木。
4首目、折り鶴の白い背中をほのかに照らす光。子の人生を思う作者の気持ちが深く滲む。
5首目、生き物としての本能が剝き出しになったようなはしゃぎぶり。
6首目、「ひめゆり平和祈念資料館」の一首。少女と老女はかつて同級生だったのだ。
7首目、冬空に伸びる細かな枝を「空に根を張る」と捉えたのがいい。
8首目、肉食魚などの餌にする金魚。一匹あたり10.5円の命。
9首目、単に父を偲ぶ歌ではない。どこか寂しい距離が感じられる。
10首目、朝から天気が悪かったのだろう。帰りに明るくなった空を「あれっ?」と意外そうな顔で見上げる人々の様子が目に浮かぶ。

2016年12月17日、青磁社、2500円。

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2017年02月15日

安田茜短歌集 「default」

全20ページの個人誌。
「豊かの海」「水のはしら」「静かの海」「ポーズ」と各10首の連作が4篇収められている。

ともだちが彼氏のぐちを言うあいだおもちゃ代わりになる角砂糖

角砂糖を紅茶に溶かしたりしながら、黙って話を聞いているのだろう。「ぐち」と言っても深刻なものではなく、多分にのろけ交じりの話。

感情はがらくだだよね ひだまりの蓮をゆめみてはしるバスたち

初二句と三句以下のつながりが不思議な歌。作者もバスに乗りながら、ぼんやりと蓮池の光景を思い描いているのかもしれない。

うつしみに鎮痛剤がはなひらく再放送のような部屋にて

鎮痛剤が効いてくる体感を「はなひらく」と言ったのが面白い。下句、そう言えば前にもこんなことがあったなと感じたのだろう。

それぞれのイオンモールをねむらせて衛星都市におとずれる月

イオンモールは郊外の象徴的な存在だ。深夜、灯りの落ちたイオンと空に輝く月。「衛星都市」と地球の衛星である「月」が響き合う。

じゃがバターほおばっているきみのままずっとそうしていればいいのに

じゃがバターをハフハフしながら食べている恋人。何でもない日常の一コマだけれども、そうした日々にもいつかは終わりが来てしまう。

明晰で緻密な歌というよりも、全体にふわっと意識が遠いような感じがあり、現実からちょっと逸れているところが面白い。

2017年1月22日発行。

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2017年02月11日

『改訂版 松村英一全歌集』

『改訂版 松村英一全歌集』(新星書房)は1985年に出た全集の改訂版。全17歌集と補遺の計9468首を収めている。

全体をざっと眺めていて、一つの発見があった。
それは昭和26年の次の歌である。

樺太の奥鉢(おくばち)山をおもふなりそこにもありしごぜん
たちばな                 『石に咲く花』

ごぜんたちばな(御前橘)は高山に育つ植物で、石川県の白山(御前峰)が名前の由来となっている。

1首前には〈高山のごぜんたちばな紅葉して葉が散りおちぬ霜ふりしかば〉という歌がある。どこかの山でごぜんたちばなを見て、戦前の樺太の奥鉢山で見たごぜんたちばなを思い出したのだ。

松村英一は『樺太を訪れた歌人たち』にも書いたように、昭和12年に樺太を訪れている。その時、奥鉢山に登って「ごぜんたちばな」の歌を詠んでいる。

霧の湧く湖を見おろす岩山に花は過ぎたるごぜんたちばな

さらに言えば、奥鉢山には昭和14年に松村の歌碑が建てられたのであった。そんな縁の深い山のことを、戦後になっても松村はちゃんと覚えていたのである。

http://matsutanka.seesaa.net/article/444540538.html

奥鉢山の歌碑は今どうなっているのだろう。
いつか確かな情報をつかんで、現地に探しにいきたい。

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2017年02月03日

大森静佳歌集 『サルヒ』

モンゴルへ旅行した時の写真と短歌30首を載せた1冊。
タイトルの「サルヒ」はモンゴル語で「風」という意味とのこと。

草原に火を芯として建つ包(パオ)のひとつひとつが乳房のかたち
唇(くち)もとのオカリナにゆびを集めつつわたしは誰かの風紋でいい
顔が長いだけなのにいつもうつむいているように見える馬たちしずか
朝。シャツを脱いできれいなシャツを着る異国の闇を手に探りつつ
犬の死骸に肉と土とが崩れあう夏。いつまでも眼だけが濡れて

1首目、中央に炉があることを「火を芯として」と言ったのがうまい。
2首目、小さなオカリナを吹いているのだろう。下句が個性的で印象的なフレーズだ。風が過ぎた跡にできる風紋であってもいいとの思い。
3首目、おもしろい発見の歌。確かに馬は俯いている感じがする。
4首目、朝の暗がりでの着替えの場面。「異国の闇」がいい。
5首目、土に同化していきながらも、眼だけは生前のようになまなましく残っている。

写真の青空と草原の色が美しい。
犬、馬、羊、牛、そして子供たちが、みな生き生きとしている。

2016年11月23日、500円。

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2017年01月13日

馬場昭徳歌集 『風の手力』

2009年から2013年までの作品548首を収めた第4歌集。

坂と墓と馬鹿ばつかりの長崎の春の坂道ゆつくりのぼる
昭和二十年八月十日と刻まれし祖父の命日指もて撫でつ
貸し借りは借りへと傾きやすくして貸し借りのなきわれと樟の木
足元の闇の深さは思ふなく十階までを引き上げられつ
健康に悪きことすべてやめたりしその生活を思ひみてみよ
この国に四季あることの楽しくて季節の変り目ごとに風邪ひく
血を止めるための凝固を始めたり血であることを血はやめながら
丸餅の一個なれども新年といふ時を得て喉に喜ぶ
太陽の光と月の光では届く速さが違ふと思ふ
歩道になつたり車道になつたり公園になつたりしながら自転車で行く

1首目、音の響きの楽しい歌。地元長崎への愛を感じる。
2首目、原爆で亡くなった祖父。即死ではないところに、むしろ痛ましさを覚える。
3首目、飄々とした感じが良い。ユーモアも作者の持ち味。
4首目、もしもエレベーターの床が透明だったら、相当怖いだろう。
5首目、そんな生活はつまらないだろと言っているのだ。
6首目、上句から下句への展開に意外性とユーモアがある。
7首目、ただごと歌的な面白さのある歌。液体の血が固体に変化する。固まってしまうともう血ではない。
8首目、「喉に」の「に」が絶妙。
9首目、月の光の方がスピードが遅く感じられるのだろう。実際はもちろん同じ速さであるのだが。
10首目、文体が面白い歌。「歩道を通ったり」でなく「歩道になったり」としたのが良い。4句目までと結句とにねじれがある。

作者は長崎に住み竹山広に師事した人。一昨年、長崎で現代歌人集会の大会が開かれた時にお会いしたが、パネリストとして竹山広の歌を次々と暗誦するのが印象的であった。懇親会の席で「少なくとも300首は覚えていなくちゃ、師事なんて言えないよ」ともおっしゃっていた。

2014年3月30日、なんぷう堂、1200円。

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2017年01月10日

染野太朗歌集 『人魚』


2010年から2015年までの作品を収めた第2歌集。

抱きしむる力に抱き返されたきを浅くながるる五月の水は
さびしさに呑み込まれつつ今ぼくはカリ活用を板書する人
しがみつくあれはぼくだな新宿の高層ビルの窓のひとつの
まっ白なカップの縁(ふち)にこびりつくカフェラテの泡 これは悔しさ
種をはずし皮をはがしてアボカドを切る感情はつねに正しい
ぼくの汗をとんぼが舐める舐めながら白い卵をなお産みつづく
生徒らがいっせいに椅子を持ち上げて机に載せるわが指示ののち
ひとり来て曲げれば秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー
聞いてる? と聞かれてちょっとうれしきを君が卵を溶く指速し
憲法ゆしたたる汗に潤える舌よあなたの全身を舐む

1首目、相手と自分の思いの強さがうまくつり合わないさびしさ。
3首目、窓拭きをしている人と読んだ。何かにやっとしがみついて生きている自分。
5首目、確かに感情は往々にして理性よりも正しい結論を導く。
6首目、実景のような、幻想のような、奇妙な生々しさがある。
7首目、掃除をするだけなのだが、「いっせいに」「指示」というところに、軍隊のような危うさが潜んでいる。
8首目、曲がるストロー。「ぷぷぷぷ」というオノマトペがいい。
10首目、政治と性を重ね合わせて詠んだ一連。古くからある手法だが、新たな可能性を感じる。

ネガティブな感情や胸の奥に潜む感情をどのように表現するかという点に注目・共感しながら読んだ。「充足」「舌」という二つの連作が特に印象的。

2016年12月31日、角川書店、2600円。

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2017年01月08日

光森裕樹歌集 『山椒魚が飛んだ日』


現代歌人シリーズ13。
2012年から2016年までの作品371首を収めた第3歌集。

ヴィオロンのG線上を移動する点Pとして指ひかりゐつ
カメレオンに見せてみじかき吾が舌は風にすこしく乾きゐたるも
成分は木星にちかいときみが云ふ気球を丘の風に見てゐつ
みづのなかで聞こえる声は誰の声こぷりと響(とよ)めばぷこりと返し
性別が名を産むあさな性別を名が産むゆふな風を見てをり
つよく捺す判に張りつき浮きあがる手術同意書 はがれてゆきぬ
あやまたず父となるべし蕪の葉を落してまろき無を煮込みつつ
0歳を量らむとしてまづ吾が載りて合はせぬ目盛を0に
眸(まみ)ふかく映してやりし遠花火に教へてゐない色ばかりある
本島を沖縄と呼ぶ離島にも離島はありて其の離島にも――

1首目、バイオリン奏者の指の動きを、まるで数学の問題のように捉えているところが面白い。
3首目、気球の中にあるガスの成分の話。
4首目、宮沢賢治の「やまなし」を思い出す。
5首目、「生まれてくる子が男だったら〇〇、女だったら△△」と2つの名前を考えることがあるけれど、男女で名前が違うというのもよく考えれば不思議なことだ。
7首目、「蕪」から草冠を除くと「無」という言葉遊び。
8首目、抱っこする自分を器のように捉えて、いわば風袋引きをしているところ。
10首目、「中心―周辺」の関係性というのは、「本土―沖縄」だけでなく実は何層にも積み重なっているのである。

結婚、石垣島への転居、子どもの誕生など、境涯を反映した内容の歌が多くある。特に子どもを詠んだ歌は、質・量ともにこの歌集の中心をなしている。

歌集のタイトルは、ペットの「ウーパールーパー」を持って飛行機に乗ったことにちなんだもの。「ウーパールーパー」がメキシコサラマンダー(メキシコサンショウウオ)という山椒魚の一種であることを初めて知った。

李白の漢詩、ゲーテの「ファウスト」、トレミーの48星座、ネーナの楽曲など、幅広い教養を活かして工夫を凝らした連作が多い。連作を構成する意識の強い作者と言って良いだろう。

2016年12月21日、書肆侃侃房、1900円。

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2016年12月28日

佐藤涼子歌集 『Midnight Sun』


新鋭短歌シリーズ33。
塔短歌会所属の作者の第1歌集。
2012年から2016年までの作品304首を収めている。

東日本大震災を詠んだ連作「記録」がまずは印象に残る。作者はこの連作で第4回塔新人賞を受賞しているが、受賞作が30首であったのに対して、この歌集では44首と大幅に歌数が増え、内容的にも震災から5年後の歌が入るなど厚みを増している。

ドーナツで丸く切り取る夏の空この先ずっと寄り道でいい
水鳥が集まる沼のそばにあるカフェ・コロボックルは今日もお休み
あの人も発見されたと言うけれど十日目だから生死は聞かない
東側何回見ても何もない仙台東部自動車道路
臭いがきつい 消防法上一つしか香炉が置けない遺体安置所
吉田歯科前に十二の花鉢が並ぶ「吉田」とペンで書かれて
泥舟をいつ降りようと勝手だが船は揺らすな みんな沈むぞ
マグカップ割れてようやくこんなにも疲れていたと気づいてしまう
白菜と牡蠣二、三個を取り分けて渡す 言えないことの代わりに
ライラック色のペディキュア塗っていて良かった 口に含むだなんて

1首目は下句のフレーズが魅力的。開放感と明るさがある。
2首目、「コロボックル」は店の名前だが、まるで本物のコロボックルが働いているみたいな感じがする。
3、4、5首目は「記録」から。
5首目、「消防法上一つしか香炉が置けない」という細かな具体が、これ以上ないほどに現場の感じを伝えている。
7首目、被災地のことか、あるいは現代の日本のことか。
9首目は二人で鍋を食べているところ。「白菜と牡蠣二、三個」がいい。
10首目は性愛の場面。なるほど、こんなことを思うものなんだ。

漢字の読み方が難しい歌があって、例えば「絆されて」(ほだされて)、「冷まじい」(すさまじい)など、ルビを振った方が良いのではないかと思う。

2016年12月14日、書肆侃侃房、1700円。

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2016年12月24日

糸川雅子歌集 『橋梁』



現代短歌ホメロス叢書9。
2008年から2012年までの作品378首を収めた第6歌集。

秋山に誰も知らざる風ふきて風のにおいが里までとどく
家電みなちいさくうすくなってゆき平成の秋ちんまりと坐す
次々に柿落ちてゆきどの柿の落下の瞬間(とき)に会うこともなし
山国の日暮れは早し味噌汁の椀にしめじと里芋うかぶ
「遅れたから」遅刻の理由をそう記す生徒のあれば叱りてたのし
蟬の骸点々とある家庭(いえにわ)を散歩し蟬を老犬は食む
ゆでたまごきれいにむけて遠足の朝のような秋晴れとなる
思い出のなかをくぐりてかえりくる赤とんぼあり 指を差し出す
はらわたがこころとからだをつなぐから起きぬけの水喉そらし飲む
さいわいのあかしのように蜜柑盛り卓上に藍の鉢は置かるる

1首目、秋の季節感を詠んだ歌。見えないけれど風のにおいがする。
3首目、確かに柿が落ちてくる瞬間はあまり見たことがない。
4首目、「しめじと里芋」がいいのだろう。いかにも山国という感じ。
6首目、老犬の姿や動きがまざまざと目に浮かぶ。
8首目、上句が印象的。赤とんぼは思い出の時空を飛んでいるのだ。
9首目、朝に飲む一杯の水が身体だけでなく心にも染み込んでいく。

2016年11月24日、飯塚書店、1800円。

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2016年12月15日

大島史洋著 『斎藤茂吉の百首』


「歌人入門」シリーズの2冊目。
斎藤茂吉の17冊の歌集から100首を取り上げて、鑑賞を付けている。

特に注目すべき引用歌や新しい読みがあるわけではないが、茂吉の全体像をを知るには良い本だと思う。

まかがよふ昼のなぎさに燃ゆる火の澄み透るまのいろの寂しさ
                     『あらたま』
ひる過ぎてくもれる空となりにけり馬おそふ虻(あぶ)は山こえて飛ぶ                  『ともしび』
松花江(スンガリイ)の空にひびかふ音を聞く氷らむとして流るる音を                  『連山』
休息(きうそく)の静けさに似てあかあかと水上警察(すゐじやうけいさつ)の右に日は落つ     『暁紅』
わたつみに向ひてゐたる乳牛(ちちうし)が前脚(まへあし)折(お)りてひざまづく見ゆ        『霜』

2首目の鑑賞には「この歌はまさしくこの下句に眼目があるから、ほかのところは邪魔にならないように、まことに地味に作られている」とある。その「邪魔にならないように」というのが、実作においてはなかなか難しいのだ。

2016年11月15日、ふらんす堂、1700円。

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2016年12月12日

小黒世茂歌集 『舟はゆりかご』

2012年から2016年の作品308首を収めた第5歌集。

国の名に穀物実るめでたさの粟は阿波国、黍は吉備国
うらら 小さき翅がくるぶしに生えるここちに海峡わたる
うつつ世をはなれ対馬に立つわれに三十一ヶ所砲台跡マップ
黒潮は渦の底よりうねりつつ鯛はけふより花の名冠る
虻のとぶ庭にぼんやり腰おろし髪梳きし祖母すすきかるかや
夕焼けのあとの朝焼け 瀬戸内は黒曜石に似たるしづけさ
おのおのの春を過ごして丘畑の初夏に会ひたり虻と羊蹄花(ぎしぎし)
窓ガラスに雨粒つぎつぎすべる日よ三時になりて三時のバス発つ
桟橋に舟を待たせてゐるからと友の末期の言葉はしづか
雪また雪 竹生島とは遠つ世に陸封されし白鯨ならむ

1首目、「あわ」と「あわのくに」、「きび」と「きびのくに」。発音が同じ面白さ。
4首目、桜鯛のことを詠んだ歌。「花の名冠る」がうまい。
5首目、「虻」「とぶ」「ぼんやり」、「梳き」「すすき」など、音のつながりが歌を作っている。記憶の中の祖母の姿。
7首目、「虻と羊蹄花」という意外性のあるもの同士の取り合わせがいい。「蝶と菜の花」ではダメだろう。
10首目、雪が積もった竹生島(琵琶湖の中にある島)を「白鯨」に喩えている。

あとがきに「日本の源流を探索する旅を続けてきた」と記す作者。様々な土地の風土や民俗に深い関心を持っており、それが歌にもよく表れている。

2016年10月15日、ながらみ書房、2800円。

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2016年12月08日

佐藤佐太郎著 『作歌の足跡―「海雲」自註―』


佐藤佐太郎は昭和46年に自選歌集『海雲』を刊行している。第7歌集『群丘』の後半から第9歌集『形影』までの歌の中から500首を選んだものだ。

本書はその『海雲』の自家自註である。さらに「及辰園百首」(第1歌集『歩道』から第10歌集『開冬』までの歌から100首を自選したもの)の自註も載せている。

自註と言っても、単に歌の背景を明かすだけでなく、歌作りの参考になる話がどんどん出てくる。読んでいて実におもしろい。

「山にひびかふ」は実際の感じでもあったが、このように二つのものを関係させるのが、多く私の表現法である。
少しの言葉で多くのことを言うのは表現のよろこびでもある。
驚くなら驚いてもいい事柄だから「うちつけに」と言ったが、この虚語が割合に働いているようである。
歌は虚と実の緩急によって調子が出る。枕詞は虚である。
確かに言うのが短歌の問題のすべてである。その上に言葉に経験の声としての詠嘆をこめるのが短歌である。
必要のない事を言つて味ひの添ふのは詩の常である。

まさに箴言というべき言葉ばかりだと思う。歌作りの理論に関して言えば、佐太郎を超える人は今もまだ現れていないのではないか。

1980年9月20日、短歌新聞社、1500円。

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2016年11月21日

湯川秀樹著 『湯川秀樹歌文集』


日本人初のノーベル賞受賞者 湯川秀樹の随筆と歌集『深山木』(473首)を収めた本。文章にも歌にも味わいがあって、戦前育ちの人の教養の幅広さを感じさせられる。

一世代は本当に短かいものである。時は小川の水のように流れる。川の底に残るのはただ幾つかの小石である。美しい小石、人はこれを思い出と呼ぶ。
外形がはっきりしていて、心の奥は暗くてわからないのが普通であるのに、ここでは、明暗が逆になっている。この逆転によって、比類のない美しい世界を創造し得ることを、紫式部は千年の昔に発見したのである。
天の羽衣がきてなでるという幸運は滅多に来ない。一度もそういう幸運に恵まれずに一生を終わる人の方がずっと多いであろう。しかし、だからといって、そういう人の人生は無意味であったとは限らない。

他にも印象的な文章が多いのだが、中でも五人兄弟のうち一人だけ学者にならずに戦死した弟滋樹(ますき)を偲ぶ「大文字」という一篇は心に沁みる。

短歌は平明でわかりやすい歌が多い。

落ち暮れし田圃に立てば窓々の明るさのせて汽車はすぎゆく
湧き出でし煙動かずと見てあれば空にたなびき犬の首となる
バスはまた人なき里を行きてとまり女(をんな)降りけりそこは一つ家(や)
先生はいまだ帰らず春の日を松の木(こ)の間(ま)に少しある海
ひとりきてひとりたたずむ硝子戸の中の青磁の色のさびしさ
  (ナポリにて)
見あぐれば窓に人あり綱(つな)の先のざるをおろして物買はんとす
おじいちゃんしかしと二歳児はわれにいひてあとははははと楽しげに笑ふ

湯川秀樹は戦後、新村出、吉井勇、川田順、小杉放庵、中川一政らと「乗合船」という短歌同人誌を出していたらしい。そのあたり、一度調べてみようと思う。

2016年10月7日、講談社文芸文庫、1600円。

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2016年11月05日

馬場あき子著 『寂しさが歌の源だから』


副題は「穂村弘が聞く馬場あき子の波瀾万丈」。
角川「短歌」2013年10月号から2014年10月号にかけて連載された「馬場あき子自伝―表現との格闘」に加筆修正したもの。

穂村さんのインタビューに答える形で、生い立ちから戦時中の青春時代、短歌との出会い、「かりん」創刊、今後の短歌についてなど、かなり率直に語っている。

どの雑誌も創刊のころというのは元気で、楽しいものです。だから、いつも創刊号を出すつもりで編集すべきなんです。

良い言葉だなあと思う。マンネリにならないように、常にフレッシュな気持ちであり続けるということだろう。

六十過ぎたらもう自分自身との対話だけがたよりですよ。
歌人は歌を作る以外、ないのよ。それで、毎日、歌を作る。

シンプルな言葉が胸に響く。表現する人だけが持つ深い孤独が感じられる。

馬場さんの人生や作品の奥に潜むものが、十分に伝わってくるインタビューであった。聞き手の穂村さんの力も大きい。

2016年6月25日、角川書店、1800円。

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2016年11月01日

橋本喜典歌集 『行きて帰る』

2012年から2016年までの作品566首を収めた第10歌集。
老いの歌や人生の感慨の滲んだ歌、さらに戦争の記憶や近年の危うい社会状況なども積極的に詠んでいる。

点滴の四時間余り電子辞書に遊びてわれに知識増えたり
レントゲン技師の合図はこの今を働く声にてわれは従ふ
勇往邁進のごとき構へに歩み来る「健康のため」の老人怖し
理髪店の大き鏡の虚像より抜けきたるわれいづこへ行かむ
蝸牛のごときを耳に装着しあやしげに聞く万物の音
昨夜(よべ)の窓風を怺へてありしかど急げる雲を映せり今朝は
雪を積む土の中にて木草の芽音たててをりわが耳は聞く
早蕨を清らに濡らし夜の明けをわが精神の川は流るる
牛乳壜二度洗ひして乳色のうすきくもりは透き通りたり
この雨も聞えないのときかれたりざあざあ降つてゐるのかときく

2首目、「この今を働く声にて」がいい。仕事をしている人の声。
4首目、散髪の間ずっと鏡に映っていた私から、私が離れていく。
5首目、補聴器の歌。
7首目、実際の物音のことではないが、確かに聞こえるのだ。
8首目、何ともかっこいい。こういった表現ができるのも短歌の大きな魅力である。
10首目、耳の聞こえが悪いことも、素敵な歌になる。小雨なのか、ざあざあ降りなのか。

他にも、長歌「わが「歎異抄」体験」が凄味があって良かった。
「八十七歳書斎を建つるただ一度そして最後の贅沢として」という歌もあり、いくつになっても前向きな心を失わない作者である。

2016年11月11日、短歌研究社、3000円。

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2016年10月29日

沼尻つた子歌集 『ウォータープルーフ』


「塔」に所属する作者の第1歌集。

どの空も再びは無く大いなる鏃(やじり)を為して渡り鳥ゆく
あらかじめ斜めのかたちの登山用車輛は平野を走ること無し
一頭の若鹿の鼻濡れ続く個人蔵なる油彩の森に
つむじからつまさきまでをひと盛りの泡に洗われ、ぴゅうと尿す
履歴書を三味線として流れゆく瞽女(ごぜ)であるなり派遣社員は
伊那谷の底(そこい)に白き川はあり吾を産む前の母を泳がす
淡雪のようなる埃をぬぐいたり半年を経し義援金箱
黙禱時に目を閉じるなと指示のありレジの金銭担当者には
ゼッケンの2の尾を伸ばし3と書く去年の娘の青き水着に
口元のω(オメガ)ぴるぴるうごめかし丸き兎は青菜を食めり

1首目、「大いなる鏃」という比喩に力がある。二度と同じ空はない。
2首目、ケーブルカーの車両は山の斜面を上下するだけだ。
4首目、赤ちゃんを洗っているところ。結句が可愛らしい。
5首目、派遣社員という立場の悲哀とともにプライドも感じる。
6首目、若き日の母の肢体を想像して、美しくなまなましい歌。
7首目、「半年」しか経っていないのに人々の心は急速に冷めていく。「淡雪」と「埃」の落差が胸に響く。
9首目、小学2年生から3年生になったのだろう。「尾」という捉え方がいい。
10首目、「ω」という比喩、「ぴるぴる」というオノマトペが絶妙。

父の死、離婚、東日本大震災、空き巣、再婚など、「出来事」の多い歌集であるが、詠み方には十分な工夫があって、単なる報告に終っていない。総合誌や「塔」に載った連作もだいぶ手を入れ、歌数も削っているようだ。

文法的に気になったのは「子の見あぐ一樹となりて陽のもとに葉を鳴らしたし いつかの五月」「見えぬもの不検出なる表かかげ開かるプールに小枝の浮かぶ」「植物油インクに刷らる広報の活字は草の種の大きさ」など。それぞれ「見あぐる」「開かるる」「刷らるる」と連体形にすべきところではないだろうか。

2016年9月7日、青磁社、1700円。

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2016年10月26日

沖ななも歌集 『日和』

2010年から14年にかけて発表された527首を収めた第10歌集。

唇の乾けば熱の身も乾く棒鱈のように寝ているばかり
会ってからのあれやこれやを想像し会えばどれともちがうなりゆき
ケータイを開きしままに居眠ればケータイも眠るわが掌(て)の中で
色あせて捨てんとしたるブラウスの小さな染みもともに棄てんか
公孫樹(いちょう)の実小さきを一つ見つければつぎつぎと増ゆ目にみゆる青
何気なく履くスリッパにどことのう右ひだりありて履き替えている
一つ死をまなかに置きて蜘蛛の巣は秋の光の中にかがやく
羊の毛ぬぎて水鳥の毛のなかにもぐりぬ朝まで眠らんために
五百年千年立ちて立ちつづけ杉の木ついに天に届かず
三色ペンのまず黒が減り赤が減り残れる青を使わずに捨つ

1首目、熱で寝込んでいる時の歌。「棒鱈」という比喩が強烈だ。
3首目、ケータイの画面が暗くなっていたのだろう。
4首目、何か思い出のある染みなのかもしれない。「捨てん」「棄てん」と字を使い分けている。
5首目、一つ見つかると目が慣れて、他の実も見えるようになる。
7首目、蜘蛛の巣にかかった獲物を「一つ死」と言ったのがいい。
8首目、技巧的な歌。ウールの服を脱いで羽根布団の中に入る。
10首目、インクは同じ量だが三色同時になくなることはない。

2016年5月25日、北冬舎、2200円。

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2016年10月08日

梅内美華子歌集 『真珠層』

2009年から2013年までの作品279首を収めた第6歌集。

銀髪の婦人のやうな冬の日が部屋に坐しをりレースをまとひ
海風に髪の湿りてぺたぺたす淋代(さびしろ)といふ浜にむかへば
夕映えに滲みつつともる観覧車誰かを迎へに行きたき時間
ひんやりと馬肉の赤身はそのむかし打ち身をくるんでゐたのよといふ
いやあ、あかん どうもあかんね寒中を叫びつつ風が走りてゆけり
かたむきてボタンの穴をくぐりたるボタンのやうなかなしみに居る
獅子頭の口の奥より被災せしこの世見てゐるほの暗き顔
母の髪しだいに明るくなりてゆき陽に透きてけふはもろこしのやう
草むらにさざなみのたつ上げられし鮒が跳ねつつ草濡らすとき
赤き玉とろりとできてこぼさなかつた泪のやうな線香花火

ふるさとの八戸や、六ヶ所村、三沢を詠んだ歌、学生短歌会の頃からの知り合いである田中雅子、佐々木実之の死を詠んだ歌、老いてゆく両親の歌など、全体にずっしりと重い手応えのある一冊。深い悲しみが感じられる。

1首目、「銀髪の婦人のやうな」という比喩が秀逸。
3首目、迎えに行くというのも相手がいなければできないことなのだ。
5首目、話し声が風に乗って聞こえてきたのだろう。
6首目、「かたむけて」がいい。確かに傾けないと留められない。
8首目、明るい話かと思って読んでいくと、結句に寂しさがある。
9首目、川岸で釣りを見ている。鮒の動きが何ともなまなましい。

2016年9月16日、短歌研究社、2700円。

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2016年09月29日

山田航著 『ことばおてだまジャグリング』


「本の話WEB」2015年2月8日〜2016年1月24日の連載をまとめたもの。

「回文」「アナグラム」「早口言葉」「しりとり」「アクロスティック(折句)」「なぞなぞ」など、様々な言葉遊びについて、自作もまじえながら全12章にわたって書いている。

【回文】
気温は地獄、五時半起き
サウナ「かもめ湯」で夢も叶うさ
【アナグラム】
「桐島、部活やめるってよ」→「〆切破って捕まるよ」
「アナと雪の女王」→「同じ京都の鮎」

とにかく面白い。言葉に興味がある人なら、誰でも楽しめると思う。それだけでなく、歌人山田航を考えるうえでも必読の内容と言っていい。今月の毎日新聞の「短歌月評」(9月19日)でも取り上げさせていただいた。

しりとりは単に言葉を発見して並べてゆくという楽しみばかりではなく、たった一文字が共通しているというだけで、本来なら無関係な言葉同士がどこまでもつながっていってしまう奇妙な文脈を作る楽しみでもあるのだと思う。
回文もそうだけど、受け手として楽しむばかりじゃなくて、自分でも作ってみることで言葉の世界へさらに深く潜ってゆけるようになるし、もう一度受け手に回ったときの驚きもより一層深いものになる。

こんな文章を読むと、あれっ?短歌に似ているなと思う。比喩の話や上句と下句の取り合わせ方の話、短歌の作者と読者の話を聞いているみたいだ。

そう、実はこの本は短歌の本でもあるのだ。

とにもかくにもとりあえず、短歌というのはそもそもが言葉遊びの精神に根差しているもの。
結局のところ僕は「言葉遊びの最終進化形」として今日に至るまで短歌をいじくり回しているような気がする。

ここには、短歌は「究極の言葉遊び」という短歌観が明確に打ち出されている。「言葉遊びをなめるな」「言葉遊びという語を軽々しく用いてもらいたくはない」と述べる著者の本気がずしんと伝わってくる1冊である。

2016年4月25日、文藝春秋、1300円。

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2016年09月26日

鈴木晴香歌集 『夜にあやまってくれ』


新鋭短歌シリーズ28。
262首を収めた第1歌集。

おたがいの体に等高線を引くやがて零メートルのくちづけ
唇をつけないように流し込むペットボトルの水薄暗い
鉄柵の内に並んだ七人の小人がひとり足りない芝生
教える手おしえられる手が重なってここに確かに心臓がある
ルート2の抜け道を行く夕暮れにどこからか恋猫の鳴き声
残像の美しい夜目を閉じた後の花火の方が大きい
氷より冷たい水で洗う顔うまれる前は死んでいたのか
黙ることが答えることになる夜のコインパーキングの地平線
水道の水を花瓶に注ぎ込む何となく秒針を眺めて
交番の前では守る信号の赤が照らしている頰と頰

1首目、等高線という言葉が人体の凹凸をなまなましく想像させる。
3首目、「七人の」と言っているのに、六人しかいないのがおもしろい。「七人の」は数のことではなく、固有名詞(白雪姫のキャラクター)の一部なのだ。
4首目、「ほら、私こんなにドキドキしてる」などと言って、相手の手を取り自分の胸に当てている場面。
5首目、「ルート2の抜け道」がいい。縦、横の道に対して、斜めに抜ける道。
8首目、恋の場面。相手の問いに対してOKと言えずに黙り込む。
10首目、夜の横断歩道の前に立つ二人。これからどこへ向かうのだろうか。

文体的には動詞のテイル形が多いところに特徴がある。例えば119頁を見ると「抱いている」「抱きしめられている」「さらされている」と3首ともテイル形が使われている。

小題は歌の言葉から採られているものだけでなく、「白熱灯はその下だけを照らしていた」「問いには答えが似合うだけ」「ここにとどまるために私は駅に向かう」など、それ自体が作品になっているものが多い。

2016年9月17日、書肆侃侃房、1700円。

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2016年09月24日

奥村晃作歌集 『ビビッと動く』

2014年から16年にかけての320首を収めた第15歌集。

鳥取の松葉蟹の子生きながら箱詰めに五尾送られて来ぬ
耳に執する三木富雄作の巨大なるアルミニウムの「耳」しんと
あり
餌やりは禁止となりて知床の遊覧船にユリカモメ見ず
〈御茶ノ水橋口〉を出て地下鉄の「御茶ノ水」まで歩いて二分
「裸体」「裸婦」裸の人を描(えが)くとき黒田清輝は集中せりき

1首目は巻頭歌。「生きながら」がいい。ちょっとかわいそうだけど美味しそう。
2首目、「耳」「三木」「アルミ」「耳」のミ音の反復がうまく響いている。
3首目、当り前の話だが、カモメは観光客へのサービスで来ていたわけではなく、餌を目当てに来ていただけだったのである。
4首目、JRの御茶ノ水駅を出て、橋を渡って丸の内線の御茶ノ水駅へ。このちょっとした乗り換え。
5首目、裸だから集中したわけでもないと思うが面白い。「清輝(せいき)」と「せりき」の響き合いも効いている。

2016年9月22日、六花書林、2500円。

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2016年09月16日

永田和宏・永田淳・永田紅編 『あなた 河野裕子歌集』


河野裕子の残した約6400首の歌から、永田和宏、永田淳、永田紅の三人が約1500首を選んだアンソロジー。

15歌集それぞれに編者の書き下ろしエッセイが付いているほか、歌集の書影や年譜も載っている。解説は三枝ミ之さん。

永田和宏さんのエッセイ「自宅介護のころ」に書かれているエピソードが、何だかすごかった。感想がうまく言えない。

永田紅さんのエッセイ「どこかに猫はいないかな」には、こんな一節がある。

横浜に住むようになって、母は「横浜の猫はしっぽがない!」と驚いたそうだ。しっぽの短い鍵尾の猫を、それまで見たことがなかったのだ。

おお、こんな時こそ『くらべる東西』の出番だ。

カギ形のしっぽが多いのが「東のネコ」
真っすぐな形の尻尾が多いのが「西のネコ」

と、写真入りでちゃんと書いてある。

東京のわが家で飼っていたミミも、尻尾が曲がって短い猫だった。

2016年8月4日、岩波書店、1800円。


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2016年09月15日

花山多佳子歌集 『晴れ・風あり』

2008年から2012年までの作品425首を収めた第10歌集。

練り物の類(たぐひ)は得体の知れぬゆゑ口に入れぬと言ひし父はも
家を出て十字路渡つた角に在る 入れた記憶のなくなるポスト
あたらしき雪平鍋に滾りつつ湯は芽キャベツのさみどりを揉む
佃島リバーシティに降る雨は佃小橋の水路にも降る
耳かきをいつも捜してゐた息子 いま耳かきはすぐに見つかる
もはや父とは会ふことなからむ手の甲にさやる柩のなかの毛髪
行人坂くだりゆくとき上りくる人多し上るとき下りくる人多し
日本(につぽん)の誇る土嚢が梅雨ふかき原発建屋のめぐりに置かる
いかづちのとどろきしのち雨はれてひるがほいろのそらがひろがる
しじみ蝶だらうか草に椋鳥がとらへしものは羽ばたいてをり

観察力の働いた歌やユーモアのある歌に特徴がある。娘や息子を詠んだ歌に加えて、この歌集では亡くなった父への想いを詠んだ歌に印象的なものが多かった。

1首目、原材料として何が使われているかわからないから、ということだろう。頑固で少し変わり者の父の性格が彷彿とする。
2首目、葉書を投函したかどうか忘れてしまうという意味に読んだ。
3首目、結句の「揉む」という動詞の選びが良い。
4首目、「佃島リバーシティ」の現代的な感じと、昔ながらの風情を感じさせる「佃小橋」の取り合わせ。
5首目、いつも息子がどこかへ持って行って行方不明にしていたわけだ。その息子はもう家にいない。
6首目、上句まだ生きているかのように詠まれているが挽歌である。
7首目、なぞなぞのような歌だが、よく考えると当り前の話。同じ速度で歩いていると、同じ方向に歩く人とは出会わないのだから。「行人坂」という名前がうまく効いている。
8首目、汚染水対策として置かれた土嚢。「日本の誇る」が何とも皮肉に響く。
9首目、「ひるがほいろ」がいい。結句「ひろがる」とも響き合う。
10首目、一瞬目にした羽ばたきは、断末魔の抵抗だったのだ。

2016年8月11日、短歌研究社、3000円。

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2016年09月08日

小島ゆかり歌集 『馬上』

2013年夏から2015年夏までの作品519首を収めた第13歌集。
父母の介護、そして父の死が大きなテーマとなっている。

サーファーのかがやくからだ暗みたりふいに大きく鳶ひるがへり
鯉よりも水はなまめく 動く身の一尾一尾をうすくつつみて
今日ひどくこころ疲れてゐるわれは買物メモをポストに入れぬ
西武線の窓よりけふは富士見えてしばらくは聴くしろい音楽
転院しまた転院しわが父の居場所この世にもう無きごとし
飛魚の塩焼き食べて胸鰭のみづいろの翅、皿に残りぬ
目蔭(まかげ)する人びとの睫毛睫毛からとんぼ生まるる秋のまちかど
紺色の検査着は隙間だらけにてひぐれのごときからだとなりぬ
勝ち馬も負け馬も鼻をふくらませ信濃の秋の草競馬をはる
パソコンが苦手なわれをパソコンもきつと苦手だらうな、フリーズ

2首目、鯉がなまめくという表現はよく見るが、水の方に着目しているところが印象的。
3首目、確かにこういうことはありそう。ユーモラスに詠んでいるが、本当に疲れているのがわかる。
5首目、病院側の診療報酬の関係で、一定期間を過ぎると転院を余儀なくされてしまう。
6首目、飛魚のシンボルとも言える長い胸鰭だけが、ぽつんと皿に残るのだ。
8首目、「隙間だらけ」の服の頼りなく心細い感じ。
9首目、比喩としての「勝ち馬」ではなく、実際の馬の話。「鼻をふくらませ」も得意気な様子の比喩ではなく、激しく息をしているのである。

きみ思ふきのふまたけふ淡青のあさがほ咲(ひら)く休らひたまへ
はるかなるそのふるさとのゆたかなる海のちからのねむりを君に

「悲しみの人へ」という詞書の付いた5首は、妻を亡くした高野公彦さんのことだろう。こんな詠い方、心の寄せ方もあるのだと、強く印象に残った。

2016年8月31日、現代短歌社、2500円。

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2016年09月04日

加藤治郎著 『東海のうたびと』



全体が二部構成となっていて、前半は春日井建、荻原裕幸、小島ゆかり、野口あや子ら東海地方にゆかりの歌人31名について記した「東海のうたびと」、後半は名古屋のスポット37か所を訪ねて歌を詠んだ「吟遊の街」となっている。

前者は2015年6月から2016年1月まで「中日新聞」に連載したもの、後者は1999年4月から2000年3月まで「朝日新聞」名古屋本社版に連載したものである。

加藤治郎の文章は歯切れがよい。短い文を連ねてリズムを生み出していく。接続詞や接続助詞をあまり使わず、ポンポン畳みかけるように文が続けていく。

書き始めの部分にも工夫がある。

それは、一九八五年の夏だった。愛知県立大学のキャンパスである。ひとりの学生が、西田政史に声をかけた。(西田政史)
「岡野、うちへ来ないかい」
そう言ったのは、折口信夫であった。(岡野弘彦)

短い文章の冒頭から、読者をぐいっと引き付ける導入となっている。

短歌に関する箴言的な言葉が随所に盛り込まれているのも、本書の魅力の一つと言って良いだろう。

歌人には二つのタイプがある。日々の生活を詠う歌人。(・・・)もう一つのタイプは、新しい表現を求める歌人だ。
「するだろう」たった五音が短歌史を変えた。鮮やかだった。このインパクトは、この五十年間、短歌を志す者たちを惹きつけてきた。
歌人にとって最高の〈賞〉は、自作が多くの人々の愛誦歌になることではないだろうか。

どれもみな短い言葉で鮮やかに本質を切り取っていて、かっこいい。
少しかっこ良すぎる気もしないではないが。

2016年5月26日、中日新聞社、1200円。

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2016年09月01日

『鳥の見しもの』 のつづき

夕焼けの原料になる雲たちを見上げてゆけり大雨のあと
あけがたに目覚めてここはホテルだった青白い滝のようなカーテン
窓のした緑に輝(て)るを拾いたりうちがわだけが死ぬコガネムシ
きりきりと吊り上げらるる鋼材の或る高さより朝の陽を浴ぶ
無人なるひとときエスカレーターは黒き咀嚼をくりかえしつつ
オカリナのなかに眠れば小さな穴が星座のように見えるのだろう
後ろ歩きしつつ畦(あぜ)塗る男ありいちめんの水が暮れゆく夕べ
亡き人の本に巻かれている帯がつばきの花のいくつか隠す
扇風機の羽透けている向こうには亡き祖母が居て麦茶をはこぶ
血に砂は固まりやすくベッドには砂人形のごときが置かる

1首目、「夕焼けの原料」がおもしろい。雲があるからこそ夕焼けが映える。
2首目、目覚めた時の風景がいつもとは違うので、一瞬あれっ?と思うのだ。
3首目、「うちがわだけが死ぬ」が発見。外観はまるで生きているみたい。
4首目、朝日が低い角度から射している。光と影のコントラスト。
5首目、段差が次々と飲み込まれていく様子は、言われてみればなるほど「黒き咀嚼」である。
6首目、メルヘンのように美しい歌。ふだん外側からしか見ることのない穴の内側を想像している。
7首目、「いちめんの田」ではなく「いちめんの水」。一字の違いで歌が生きる。
8首目、表紙に描かれている椿の花。隠れているということが、死者のイメージともつながる。
9首目、回転する扇風機の向こう側に、懐かしい昔の光景が浮かぶ。
10首目、砂漠での戦争をイメージした連作の一首。生々しくて怖い。

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2016年08月31日

吉川宏志歌集 『鳥の見しもの』

2012年から2015年までの作品433首を収めた第7歌集。

原発事故、特定秘密保護法、集団的自衛権、沖縄の基地問題など、時代の変化に危機感を持って積極的に行動し、歌にも詠んでいる。

磔刑の縦長の絵を覆いたるガラスに顔はしろく映りぬ
陽と月の交合のあと目くらみてどくだみの咲く路をあゆめり
ヘッドライトに照らし出されて赤黒く立ち上がりたり曼珠沙華の花
読み終えし本は水面(みなも)のしずけさのもうすこしだけ机に置かむ
石段の深きところは濡らさずに雨は過ぎたり夕山の雨
春雨は広場のなかに吹き入りて吹奏楽の金銀ぬらす
ほほえみが顔となりつつ原発の案内をする若き女人は
ときどきは白き狐の貌をするむすめが千円くださいと言う
よく見てほしいと言う人がそばにいて泥の覆える家跡を見る
破られてまたつながれて展示さるる手紙に淡き恋は残りぬ

まずは前半から。

1首目、「縦長の」がいい。キリストの磔刑図は構図的にやはり縦長になることが多いのだろう。
2首目は日蝕の歌。空を見上げていた目を転じて、薄暗い路地を歩いて行く。
3首目、花自体はもちろん動かないのだが、ライトに照らされてあたかも立ち上がるように目に入ってくる。
4首目、読書を終えてしばらく余韻にひたりたい気分。
5首目、石段の段の奥の方は濡れなかったのだ。夕方にさっと降った雨の感じがよく出ている。
6首目、普通だったら「楽器をぬらす」とするところ。「金銀」としたことでフルートやトロンボーンのきらめきが見えてくる。
7首目、原発のPR館のようなところだろう。顔が先にあるのではなく、ほほえみが先にあるのだ。
8首目、男親にとっての娘は謎に満ちている。民話の一場面のようでもある。
9首目、東日本大震災の津波被害の跡。そばにいるのはおそらく地元の方。しっかり見なくてはいけないという苦しさも感じる。
10首目、長塚節の生家を訪れた際の歌。一度は破り捨てた手紙だったのだろう。背後の物語を感じさせる。

2016年8月1日、本阿弥書店、2700円。

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2016年08月14日

小紋潤歌集 『蜜の大地』

元・雁書館の編集者で「心の花」の歌人である小紋さんの第1歌集。
1971年から2007年までの作品420首を収めている。

西海の旅籠屋に聴く春潮の満ちくるまでの力を思ふ
赤い小さな椿が咲いて春となる気配 真昼のしづけさにゐる
谷に棲む人の習俗、風俗の翳りさへ明るすぎる午後二時
多摩川を今朝も渡りて楽しまぬことのみおほくなる壮年や
青北風にこころすさびてゆくひと日ねもころに鳴く夜の邯鄲
神神の宿りたまへる大樟の真下にいこふ乳母車あり
ゆふぐれは今日も来たりて一本の煙草のやうな我であるのか
みづからの光の中に冴え返る星あり冬の槻の真上に
卓上に金のミモザは飾られて昼を眠れる猫とをさな子
見下ろせばあを篁のゆくらかに動くと見えてしづまりゆきぬ

1首目、海に近い旅館。潮の音に春の生命力を感じている。
4首目は電車で多摩川を渡る通勤風景。壮年の苦みのこもる歌だ。
5首目、「青北風」(あおぎた)は初秋に吹く北風。ひとり秋の虫の音を聴いている。
6首目、神社の御神木か。「大楠」と「乳母車」の取り合わせがいい。
7首目、煙草が灰になって次第に短くなっていくような心細さ。
10首目は歌集最後の一首。ゆったりとした調べが心地よい。

全体に季節や自然の捉え方が的確で、そこに心情を滲ませていくのがうまい。繊細でありつつ骨太でもある。

小紋さんには昨年7月に長崎で開かれた現代歌人集会春季大会の二次会でお会いした。病気療養中とのことであったが、無事に歌集が刊行されて良かった。

2016年8月7日、ながらみ書房、2500円。

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2016年07月27日

永田和宏著 『あの午後の椅子』


「PHPくらしラク〜る」2015年1月〜12月号連載の「風通しのいい窓」、日本経済新聞2015年1月7日〜6月24日掲載の「あすへの話題」など、全69編を収めたエッセイ集。

河野裕子さん、家族、生い立ち、歌仙、本歌取り、サイエンス、きのこ・・・など、様々な話題が出てくるが、全体に統一感や流れがあるように編集されている。

このところの永田さんの文章の特徴として、「思うものである」「思わざるを得ないのである」「私は・・・する人間である」「私は・・・するものである」といった、文末に重みをつける(もったいぶった?)言い回しがあるように感じた。

東大路通りにはプラタナスの並木がある。このプラタナスにきのこが出ることは、ほとんどの人が知らないだろう。春秋二度、ヤナギマツタケという歯ごたえのしっかりした美味なきのこが出るのである。

永田さんのきのこ好きは有名だが、このヤナギマツタケの話は初めて知った。ヤナギマツタケと言えば、最近生協やスーパーでも売られていて、わが家でも大人気のきのこである。あれが、プラタナスの根元やこぶから生えているとは驚きだ。今度採りに行ってこようかな。

2016年7月10日、白水社、2300円。

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2016年07月22日

虫武一俊歌集 『羽虫群』


新鋭短歌シリーズ26。

1981年生まれの作者の第1歌集。
2008年から2015年までの作品308首を収めている。

ドーナツ化現象のそのドーナツのぱさぱさとしたところに暮らす
ああここも袋小路だ爪のなかに入った土のようにしめって
よれよれのシャツを着てきてその日じゅうよれよれのシャツのひとと言われる
マネキンの首から上を棒につけ田んぼに挿している老母たち
いつも行くハローワークの職員の笑顔のなかに〈みほん〉の印字
雨という命令形に濡れていく桜通りの待ち人として
思いきってあなたの夢に出たけれどそこでもななめ向かいにすわる
ににんがし、にさんがろくと春の日の一段飛ばしでのぼる階段
目撃者を募集している看板の凹凸に沿い流れる光
ゆきのひかりもみずのひかりであることの、きさらぎに目をほそめみている

1首目、大都市圏の郊外の暮らしの様子を「ぱさぱさ」で表している。
3首目、穂村弘の「ワイパーをグニュグニュに折り曲げたればグニュグニュのまま動くワイパー」を思い出す。穂村の歌には暴力性があるが、虫武の歌はひたすら受身である。
4首目、案山子もこうなふうに詠まれると怖い。
5首目、書類の記入例などによく印字されている〈みほん〉。ハローワークの明るく無機質な雰囲気が出ている。
6首目、「雨」という言葉は、言われてみれば確かに「あめ!」という命令形みたいだ。「書け!」「立て!」「やれ!」のように。
7首目、夢の中ならせめて正面に座りたいところ。でも、それができない。
9首目、「募集している」がユニーク。街で時々見かける看板が、別物のように感じられる。

2016年6月20日、書肆侃侃房、1700円。

posted by 松村正直 at 11:13| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月13日

大井学歌集 『サンクチュアリ』


しどけなく電車に眠る少年の微かにひらくくちびる憎し
はるのみず首都の蛇口にのむときを北国の雪たりしみず鳴る
柔らかくかつ棘だちてあることの職場のすみの亀の子たわし
海底の静もりに生きし白蝶貝楽器のいちぶとなりてうたえり
真夜中のコンビニでコピーとるわれのコピーが窓からわれをみており
事務机ひとつ空きたり「一身上の都合」といえる一行ののち
しゃがむという女性の動詞はなにらの花の白きにすいよせられて
辞表を出す部下の伏目を見ておりぬ「驚く上司」という役目にて
このはなに「紫雲英」の文字をあたえたるひとのいのりよいちめんに咲く
さくはなとはなとのあわい空間を咲かせてしろきかすみそうたつ

「かりん」所属の作者の第1歌集。

1首目、自分が失ってしまった少年性に対する憧れと憎しみ。
3首目、「亀の子たわし」に職場で働く人の心を重ね合わせている。
4首目、サックスの指を当てるキーボタンが白蝶貝なのだろう。「海底」と「楽器」の組み合わせに広がりを感じる。
5首目、夜のコンビニの窓に映った自分の姿。面白い切り取り方だ。
8首目、内心それほど驚いてはいないのだ。部下もまた「伏目の部下」を演じているのかもしれない。
10首目、花束の歌と読む。かすみ草は花束のボリュームアップに欠かせない。

2016年6月19日、角川文化振興財団、2600円。

posted by 松村正直 at 07:57| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする