2018年07月19日

伊藤一彦歌集 『光の庭』

著者 : 伊藤一彦
ふらんす堂
発売日 : 2018-06-12

副題は「短歌日記2017」。
ふらんす堂のHPで一日一首発表した連載をまとめた第15歌集。

この「短歌日記」は遅くとも前日までに原稿を編集部に原則としてメールで届けることになっており、その点は苦労した。当日に見聞したことを短歌に詠むのではなく、計画や予定で前もって短歌を詠み、文章を書かざるを得なかったからである。

と、あとがきで舞台裏が明かされている。こういうところ、伊藤さんは正直だなあと思う。

短歌に添えられた文章も「今日は午後の飛行機で名古屋空港に。そのあと中津川まで行く」「座談会を行うことになっている。楽しい会になりそうだ」など、予定として書かれているものが散見する。

背の薪燃えてゐるとはつゆ知らぬ雑踏の中にわれもその一人
目薬をさしてしばしを目つむれるあひだ心神(しんしん)深くのうみつ
イハレビコ去りにけるのり残りたる芋幹木刀(いもがらぼくたう)と日向南瓜(ひうがかぼちや)よし
合ふはずと思へば合ひぬ宮崎のワインと根室の天然帆立貝
辞書見れば「ふち」には淵(ふち)と縁(ふち)とありあやふき「ふち」に行く人は行く
文華堂、大山成文館、田中書店 一軒も今は無くさびしきよ
刺し違ふるごとく間近を走りあふ電車のはらわたの中にゐる
食事中に箸おいてふと黙りこみ「時間」旅してをりし母の眼
老いるほど肌(はだへ)つやつやしてくるは人間ならず檳榔(びらう)樹の話
山のみづと海のみづとが恋しあひひとつになれる耳川河口

3首目、昔九州旅行に行った時にバスガイドさんから教わった民謡を思い出した。♪もろたもろたよいもがらぼくと日向かぼちゃのよか嫁女〜
6首目、全国各地の書店が次々となくなっている現状。
7首目、電車同士が高速ですれ違うことができるのは線路が敷かれているため。車だったら大変だ。
10首目、耳川の河口は美々津の町。若山牧水が初めて海を見たのもここである。

2018年6月9日、ふらんす堂、2000円。

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2018年07月15日

『文庫版 塚本邦雄全歌集 第一巻』 (その2)


鞦韆(しうせん)に搖れをり今宵少年のなににめざめし重たきからだ
イエスは三十四にて果てにき乾葡萄嚙みつつ苦くおもふその年齒(とし)
獸園に父ら競ひて子に見しむうすKき創あまたある象
死者なれば君等は若くいつの日も重装の汗したたる兵士
湖水あふるるごとき音して隣室の年が春夜髪あらひゐる

第2歌集『装飾樂句(カデンツア)』より。
2首目、イエスの死んだ年齢を過ぎてしまったという感慨である。

昇降機下(お)りゆくなかにきくらげのごとうごかざる人間の耳
憂鬱なる母のたのしみ屑苺ひと日血の泡のごとく煮つめて
熱の中にわれはただよひ沖遠く素裸で螢烏賊獲る漁夫ら
處刑さるるごとき姿に髪あらふ少女、明らかにつづく戰後は
殺意ひめて生きつつ今日は從順に胸部寫眞を撮らるる梟首(けうしゆ)

第3歌集『日本人靈歌』より。
5首目、胸部X線撮影の姿勢を「梟首」(さらし首)に喩えたのが印象的。

2018年2月3日、短歌研究社、2200円。


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2018年07月14日

『文庫版 塚本邦雄全歌集 第一巻』 (その1)


貴族らは夕日を 火夫はひるがほを 少女はひとでを戀へり。海にて
戰争のたびに砂鐵をしたたらす暗き乳房のために禱るも
肉を買ふ金てのひらにわたる夜の運河にひらきKき花・花
銃身のやうな女に夜の明けるまで液状の火薬塡(つ)めゐき
みなとには雪ふりゆきのしたに住む少女が夕べ賣るあかき魚
少年の戀、かさねあふてのひらに光る忘れな草の種子など
密會のみちかへりくる少女らは夜を扇のやうに身につけ
遠方にあふれゐる湖(うみ)、むずかゆくひろがりてゆく背の薔薇疹
渇水期ちかづく湖(うみ)のほとりにて乳房重たくなる少女たち
てのひらの迷路の渦をさまよへるてんたう蟲の背の赤とK

第1歌集『水葬物語』より。

性的な歌が思ったよりたくさんあるように感じる。3首目の「肉」も食べる肉のことではないだろうし、4首目などかなり直接的に性愛のイメージを詠んでいる。

一つのまとまった世界を構築しているという点においては、第2、第3歌集よりも勝っていると言えるかもしれない。

2018年2月3日、短歌研究社、2200円。

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2018年07月12日

福士りか歌集 『サント・ネージュ』


2010年から2017年までの作品430首を収めた第4歌集。
作者は青森県で中高一貫校の教員をされている。

水を恋ひ水を見に行く田植ゑまで少し間のある大潟村へ
蟹(キャンサー)のゐなくなりたる潮だまり月の夜にはさざ波が立つ
火のかたち見えねば寒いといふ祖母の部屋に置きたり朱のシクラメン
長靴のなかで脱げたる靴下のほにやらほにやらに耐へて雪掻く
一ファンとなりて生徒の名を叫ぶ九回の裏二死走者なし
聞こえくる雪解けの音新入生三十人が辞書を繰るとき
中骨をはづせば湯気のたちのぼる露寒(つゆさむ)の夜に焼くシマホッケ
一〇〇歳の祝賀に集ふ親族の笑みつつ生前葬の寂しさ
連結する列車のごとくキクキクと車が進む朝の雪道
東通(ひがしどほり)村を抜ければ六ヶ所村 産院・斎場並べるごとし

1首目、秋田県の大潟村は、もともと八郎潟を干拓してできた村。一面の水張田が湖のように見えているのだろう。
2首目、穏やかな浜辺の光景のように詠まれているが、「キャンサー(=癌)」とあるので手術の歌である。歌集の中で一番印象に残った。
3首目、暖房が炎であった時代に生きてきた祖母。赤い色が欲しいのだ。
4首目、雪深い土地ならではの歌。気持ち悪くてもそのまま作業を続けるしかない。
5首目、勤務先の高校が甲子園に出場した際の歌。敗色濃厚なこの歌で一連は終わる。
6首目、「雪解けの音」に喩えているところがいい。春の気分が滲んでいる。
7首目、箸を付けて食べ始める様子に臨場感があり、何とも美味しそうだ。
8首目、めでたい場であるはずなのに、どこか寂しさを感じてしまう。
9首目、徐行しながら慎重に進む車の列。初・二句の比喩が良い。
10首目、東通村には原発が、六ケ所村には放射性廃棄物埋設センターがある。

2018年5月12日、青磁社、2500円。


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2018年06月23日

穂村弘歌集 『水中翼船炎上中』


17年ぶりに刊行された第4歌集。328首収録。

ふたまたに割れたおしっこの片方が戒厳令の夜に煌めく
水筒の蓋の磁石がくるくると回ってみんな菜の花になる
先生がいずみいずみになっちゃってなんだかわからない新学期
それぞれの夜の終わりにセロファンを肛門に貼る少年少女
2号車より3号車より美しい僕ら1号車のガイドさん
先生が眠ってしまった教室の黒板消しにとまってる蝶
夜の低い位置にぽたぽたぽたぽたとわかものたちが落ちている町
胡桃割り人形同士すれちがう胡桃割り尽くされたる世界
今日は息子に「ひかげ」と「ひなた」を教えたというツイートが流れる夜は
からっととへくとぱすかる愛し合う朝の渚の眩しさに立つ

1首目、確かにたまに「ふたまた」になる。戒厳令下の立ちションの美しさ。
2首目、すっかり忘れていた記憶が甦ってきて懐かしい。
   https://suzurandou.ocnk.net/product/14324
3首目、結婚して姓が「泉」になったのだろう。
4首目、朝一番に行う蟯虫検査用のセロファン、あの独特な感触。
5首目、自分たちの乗るバスのガイドさんが美人だと嬉しかったものだ。
6首目、幻想的な味わいのある歌。(こういう歌がもっとあればいいのに。)
7首目、溜り場でしゃがみ込んでいる若者たち。
8首目、下句の句跨りのためにあるような一首。割るべき胡桃を探して人形たちは町をさまよい続ける。
9首目、抒情的な味わいのある歌。(こういう歌がもっとあればいいのに。)
10首目、なぜかデ・キリコの「ヘクトルとアンドロマケ」を思い出した。
   https://www.musey.net/5328

読み終えて、何とも言えない寂しさで胸がいっぱいになる。
キラキラしていた夢の抜け殻、思い出の標本箱。

2018年5月21日、講談社、2300円。

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2018年06月22日

内藤明歌集 『薄明の窓』


2008年から2015年の作品544首を収めた第6歌集。
「現代三十六歌仙」シリーズ31。

奇つ怪な形のままにふくらみて紙のマスクがベンチにわらふ
やり直しきかぬ齢と知る時に空也の脛を思はざらめや
玻璃のそと渡り廊下を行く人は両手に髪を押さへつつゆく
ゆつくりとカッターの刃を押し出してまた押し込める灯(ともしび)の下
もう少しゆけばかならず楽になる楽になるとぞ歩み来たれる
馬偏に主(あるじ)と書きてとどめ置く車ならざるまぼろしの馬
明日のため残し置かむと短編の半ばを過ぎてあかりを消しぬ
海を背に建つ良寛堂宝暦八年山本栄蔵生れしところ
菊姫で口を浄めてのどぐろのねめる刺身を舌に載せたり
指先は手術の痕に触れてをり一筋細く盛り上がる皮膚

1首目、使い終わったマスクが捨てられているところ。妙になまなましい。
2首目、有名な六波羅蜜寺の空也上人立像を思い浮かべているのだ。
3首目、建物と建物の間の渡り廊下を風が吹き抜けている。
4首目、目的があるわけではなく、何か考えごとをしているのだろう。
5首目、こう思いつつ最後まで「楽になる」ことがないのが人生か。
6首目、「駐」という字に「馬」がいることからの発想。
7首目、読み終えてしまうのがもったいないくらいの本だったのだ。
8首目、「山本栄蔵」は良寛の俗名。生まれた時はまだ「良寛」ではない。
9首目、日本酒と刺身の歌であるが、官能的な言葉選びになっている。
10首目、無意識に触ってしまって、手術のことを思い出すのである。

2018年5月10日、砂子屋書房、3000円。

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2018年06月05日

大森静佳歌集 『カミーユ』 (その2)

続いて後半から。

皆殺しの〈皆〉に女はふくまれず生かされてまた紫陽花となる
草原に火を芯として建つ包(パオ)のひとつひとつが乳房のかたち
そこだけは無毛の羊の腹のあたり切り裂きぬ前脚を摑みて
冬の虹途切れたままにきらめいて、きみの家族がわたしだけになる
何があったか全部言って、と迫るうちに蔓草の野となってしまった
紫陽花の重さを知っているひとだ 心のほかは何も見せない
ひとがひとに溺れることの、息継ぎのたびに海星(ひとで)を握り潰してしまう

1首目、戦いに負けて「皆殺し」にされるのは男たちで、女は戦利品として扱われることがしばしばあった。女性としての痛みを強く感じる歌。
2首目、モンゴルの旅行詠。パオの中央には炉があり、天井に明かり取りと煙出しの穴がある。「火を芯として」「乳房のかたち」という表現がいい。
3首目、羊を解体して内臓を取り出す場面か。生々しい臨場感がある。まるでそこから切るためのように「そこだけは無毛」であるのが痛ましい。
4首目、きみの父が亡くなった一連の歌。儚さを思わせる虹が、しかも「途切れたまま」架かっている。この世に二人だけ取り残されたように。
5首目、何か男女の修羅場を感じさせる歌だ。相手を強く問い詰め、追い詰めていった先に、寒々とした、荒涼とした心の風景が表れる。
6首目、下句、「心の奥は見せない」といった表現よりもっとどうすることもできない隔たり。作者も紫陽花の重さを知っているのかもしれない。
7首目、相手に対して身も心も溺れてゆくことの陶酔感と苦しさ。結句10音の字あまりと読むが、握り潰された海星の感触が生々しく伝わってくる。

歌集全体を読むと、よく使われる単語があることに気が付く。「火」「彫る」「狂う」「紫陽花」「虹」「喉仏」「手」「汗」「感情」「きれい」など。

原初的な感覚もありながら、それが相手や世界を包み込む大らかさには向かわず、剥き出しの切迫感と勢いを感じさせるところに作者の歌の特徴があるように思う。

2018年5月15日、書肆侃侃房、2000円。

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2018年06月04日

大森静佳歌集 『カミーユ』 (その1)


現代歌人シリーズ22。
2013年から2017年までの233首を収めた第2歌集。

まずは前半から。

あなたはわたしの墓なのだから うつくしい釦をとめてよく眠ってね
ビニール傘の雨つぶに触れきみに触れ生涯をひるがえるてのひら
見たこともないのに思い出せそうなきみの泣き顔 躑躅の道に
だって五月は鏡のように深いから母さんがまたわたしを孕む
早送りのように逢う日々蒼ざめた皿にオリーブオイルたらして
ふる雪は声なき鎖わたくしを遠のくひとの髪にもからむ
頭蓋骨にうつくしき罅うまれよと胸にあなたを抱いていたり
手をあててきみの鼓動を聴いてからてのひらだけがずっとみずうみ

1首目、初二句にまず驚かされる。行き着く場所、安らぐ場所といった意味か。優しい口調の中に究極の愛の形としての死のイメージが表れる。
2首目、雨に濡れた傘を畳んで部屋に入りきみに触れる。下句の「ひる/がえる」の句跨りにてのひらの動きを感じる。「生涯を」という把握も独特。
3首目、「想像できそうな」なら普通だが、ここでは「思い出せそうな」。燃えるように咲く躑躅の光景に、きみの泣き顔が重なって浮かび上がる。
4首目、「だって」という唐突な入り方がおもしろい。毎年5月が来ると、新しい自分が生まれるような、自分が更新されるような感じがするのだろう。
5首目、何度も立て続けに相手と会う日々が続く。下句は料理を食べているところか。映像の「早送り」とオイルの垂れる感じがかすかに響き合う。
6首目、降る雪の軌跡が鎖のように見えるのだ。雪は相手の髪に降りかかり、まるで意志を持っているかのように相手を捕えて離さない。
7首目、頭蓋骨に刻まれた罅は外からは見えないが永遠に消えることはない。力強く胸に抱きしめながら、自らの愛を相手の身体に刻印する。
8首目、鼓動とは命のリズムである。きみと離れた後もずっとてのひらに鼓動が脈打ち続けているのだろう。湖の清らかさと波立ちを感じる。

口語・文語をまじえた多様な文体と新鮮な表現によって、感情の深い部分を言葉に乗せている。一首一首の完成度に加えて連作の構成も良く、非常に密度の濃い一冊となっている。

2018年5月15日、書肆侃侃房、2000円。

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2018年05月24日

今野寿美著『24のキーワードで読む与謝野晶子』


2002年4月から2004年9月まで30回にわたって「歌壇」に連載した文章をまとめた一冊。「春」「われ」「百合」「神」「星」「桜」など24のキーワードを設定して、与謝野晶子の歌の世界を読み解いている。

このキーワードという手法は、かなり効果的だ。晶子について論じる際にはどうしても鉄幹や同世代の歌人たちとの人間ドラマに話が傾いてしまいがちだが、キーワードを中心に据えることによって、言葉や歌の問題に力点が置かれることになる。

おそらく歌のなかに「はつなつ」を詠み入れた歌人は、以上の経緯で考えると、晶子ということになる。
晶子が特徴的に使った「の」の用法もひととおりではない(…)この類の措辞を、晶子は『みだれ髪』よりのちは後退させており、現代短歌にもそのなごりはないといえるだろう。

旧派和歌から新派和歌への変化や晶子の歌の特徴が言葉のレベルで丁寧に分析されており、読み応えのある内容となっている。

2005年4月30日、本阿弥書店、2600円。

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2018年05月14日

尾崎左永子著 『「明星」初期事情 晶子と鉄幹』


青磁社評論シリーズ3。

著者が書き継いできた初期の「明星」や与謝野晶子を中心とした女性歌人についての評論に対談と講演録を加えて、全13篇を収めた評論集。

「明星」は明治33年4月に創刊され、明治41年11月の100号まで続いたが、著者が特に注目するのは明治34年末の第18号までである。西暦で言えばちょうど1900年から、21世紀の始まりの1901年に当たる時期ということになる。

中でも、「明星」に使われている一条成美のカットがミュシャの絵の模写であることを突き止めた文章など、30年前に発表されたものだが今読んでも新鮮である。

山川登美子についての文章も多く収められているが、時に厳しい指摘も見られる。

恋する者が、相手に好ましい人間であろうとして自らを変えて行くのと同じように、登美子は自らの作品を、鉄幹の好むタイプの鋳型へ流し込んで行ったのではあるまいか。「恋ごろも事件」に際して、学校当局の鋳型にはめられることに批判的であった登美子も、所詮は、愛する男性の鋳型には、自ら進んではまり込んで行ったのである。

このあたり、やや筆が滑っている感じがあるのだが、尾崎さんの理想とする女性像がうかがえて、読む方としては注目する。登美子に関しては晩年の歌を高く評価しているようだ。

胸たたき死ねと苛(さいな)む嘴(はし)ぶとの鉛の鳥ぞ空掩ひ来る
わが柩まもる人なく行く野辺のさびしさ見えつ霞たなびく

2018年1月28日、青磁社、2800円。

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2018年05月10日

与謝野晶子著 『私の生ひ立ち』


雑誌「新少女」に9回にわたって連載された「私の生ひ立ち」に、「私の見た少女」4篇を加えて一冊にまとめたもの。与謝野晶子の幼少期の姿や堺の町の雰囲気がよく感じられる内容となっている。

例えば、「火事」という話はこんなふうに始まる。

 ある夏の晩に、私は兄弟や従兄等と一所に、大屋根の上の火の見台で涼んで居ました。
「お月様とお星様が近くにある晩には火事がある。」
 十歳ばかりの私よりは余程大きい誰かの口から、こんなことが云はれました。そのうち一人降り二人降りして、火の見台には私と弟の二人だけが残されました。
「籌さん、あのお星様はお月様に近いのね。そら、あるでせう一つ。」
「さうやなあ、火事があるやら知られまへんなあ、面白い。」
「私は恐い。火事だつたら。」
「弱虫やなあ。」

幼い姉弟の仲の良い様子や会話がありありと甦ってくる。ここに出てくる「籌さん」(籌三郎)が、「君死にたまふことなかれ」に詠まれた「君」である。

1985年5月10日、刊行社。

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2018年05月06日

『与謝野晶子歌集』


与謝野晶子が自選した2963首に、遺歌集『白桜集』から100首(馬場あき子選)を追加したアンソロジー。

第1歌集『乱れ髪』からわずか14首しか選んでいないことからもわかるように、晶子の自選は初期の歌に相当厳しい。晶子自身あとがきに次のように書いている。

後年の私を「嘘から出た真実」であると思って居るのであるから、この嘘の時代の作を今日も人からとやかくいわれがちなのは迷惑至極である。教科書などに、後年の作の三十分の一もなく、また質の甚しく粗悪でしかない初期のものの中から採られた歌の多いことを私は常に悲しんで居る。

昭和13年、晶子60歳の心境である。
三年前の昭和10年には夫鉄幹を亡くしており、晶子自身も昭和17年に亡くなる。

 春雨やわがおち髪を巣に編みてそだちし雛の鶯の鳴く
                   『舞姫』
 うすぐらき鉄格子より熊の子が桃いろの足いだす雪の日
                   『佐保姫』
 八月やセエヌの河岸(かし)の花市の上ひややかに朝風ぞ吹く
                   『太陽と薔薇』
 難破船二人の中にながめつつ君も救はずわれも救はず
                   『草の夢』
 人形は目あきてあれど病める子はたゆげに眠る白き病室
                   『心の遠景』
 海の気に亭の床几のうるほへば恋し昨日の朝もむかしも
                   『深林の香』
 夕かぜは指を集めてひらかざる白木蓮のたかき枝ふく
                   『緑階春雨』
 麻雀の牌の象牙の厚さほど山のつばきの葉につもる雪
                   『冬柏亭集』
 高きより潮の落ちくるここちして阿蘇の波野の草鳴りわたる
                   『草と月光』
 初めより命と云へる悩ましきものを持たざる霧の消え行く
                   『白桜集』

さすがに良い歌がたくさんある。
生涯に5万首を詠んだ晶子のエネルギーの一端に触れた思いがする。

2017年5月15日第71刷、岩波文庫、850円。

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2018年04月27日

ユキノ進歌集 『冒険者たち』


新鋭短歌シリーズ38。
337首を収めた第1歌集。

八階のコピー機の裏で客死するコガネムシその旅の終わりに
ランチへゆくエレベーターで宙を見る七分の三は非正規雇用
割箸がじょうずに割れる別の世で春の城門がしずかに開く
飛ぶ力を失いながら遠くなる水切りの石を見ればくるしい
次々に「知ってました」と口を割る鍋でぐつぐつ浅蜊を煮れば
改札の外で人みな空を見て羽撃くように開く雨傘
ひさびさに光を浴びて末っ子のマトリョーシカの深呼吸かな
岬に立ついまは無人の灯台にいつも閉まっている窓がある
とんかつのキャベツの盛りが高くなり今年も春が来たことを知る
ストラップの色で身分が分けられて中本さんは派遣のみどり

1首目、「客死」という語の選びがいい。
3首目、三句以下はファンタジーやゲームの世界のイメージ。
6首目、確かに翼を広げるような感じである。
7首目、普段は一番内側に閉じ込められている一番小さな人形。
8首目、人がいなければ窓も必要がないのだ。

発想がユニークで、特に職場詠、仕事詠に良い歌が多い。その一方で、全体に「いかにも」といった感じのわかりやすさに仕上げられているのが惜しい気がする。

2018年4月16日、書肆侃侃房、1700円。


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2018年04月23日

与謝野晶子歌集 『みだれ髪』



訳注:今野寿美。
表紙は「文豪ストレイドッグス」のキャラクターの与謝野晶子。

全399首にすべて現代語訳が付いているほか、『みだれ髪』には収められなかった明治32年8月〜34年8月の作品を「みだれ髪拾遺」として載せている。

絵日傘をかなたの岸の草になげわたる小川よ春の水ぬるき
夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘
四条橋(ばし)おしろいあつき舞姫のぬかささやかに撲(う)つ夕あられ

『みだれ髪』は近代短歌の中でもかなり読みにくい歌集のように感じる。それは晶子独特の言い回しの多さによるものだろう。

特に「の」の使い方。

「のろはれしの我」「あわただしの旅」「うつくしの友」「なつかしの湯の香」「うつくしの夢」「うれしの夢」など、形容詞の終止形+「の」や、「はづじますなのひくき枕」「とれなの筆」「許したまへの袖」「なでよの櫛」など、動詞の命令形+「の」が頻出する。

2017年6月25日、角川文庫、400円。


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2018年04月16日

白井陽子歌集 『あすなろのままに』


 P1060261.JPG


白井陽子さんの歌集『あすなろのままに』(六花書林)が刊行された。
http://blog.rikkasyorin.com/article/182990621.html

 車椅子で手を振る母に手を振りてエレベーターのドアは閉じゆく
 寄り合いで池の樋を抜く日が決まりふるさとの村に夏の始まる
 「先生」と呼びとめられて瞬間に「先生」にもどる午後の雑踏
 ふわあっと机の上に日が射しぬ本の上にも雲の流れて
 山に根を張るあすなろにみちのくの旅にて出会う幹は太くて

初めて歌集の解説を書かせていただいた。
多くの方に読んでいただけますように。

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2018年04月12日

山川藍歌集 『いらっしゃい』



2010年から2017年までの作品463首を収めた第1歌集。

疲れてる事で繋がるわたしたち休憩室でカレー食べつつ
新品の祖母のバッグはしまわれて二階の奥で高級なまま
退職の一日前に胸元のペンをとられるさようならペン
店員として立つ時にふいに会う友はパラレルワールドの友
百円で菜っ葉を買って差し出せばキリンというより舌がもぎ取る
記入してくださいと言い待つ間(かん)のただ生きているだけの十秒
チロルチョコよりも小さく畳まれた千円札をよみがえらせる
風邪治るまでとこらえてなおるころはるかに遠くなる映画館

「家に帰る」という連作が良かった。

「ハイライトニュースだけ見て消す五輪あー息しとるだけでえらいわ」という歌には「えらい:名古屋弁」という注が付いているのだが、「背表紙がやさしく抱きとめてくれる書架に凭れてほこりまるけだ」の「まるけ」には注がない。こちらの方が方言度が高いと思うのだけれど。

2018年3月27日、角川文化振興財団、2300円。

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2018年04月03日

藤原勇次歌集 『草色の手帳』


2000年から2008年までの作品473首を収めた第1歌集。
十年前の歌で終っているのが珍しい。

居酒屋は客も主も死者どちにしたしく呑みつふとき指もて
夫婦にて古書を商ふエイス書房は店を閉めたり大学移転に
分骨をするかのやうにコピーする地下閲覧室の遺稿集の句
托鉢の僧侶の草鞋にふる雪は足指あかく染めぬきてをり
寒漁の川をかづきてうく鳰を三次(みよし)の漁師はヒョウスケと呼ぶ
あすは首にメスいれらるる君と来つ韮の花さく馬洗川べり
病みゐても白樺の木を切らさるるマイナス8℉のラーゲリの冬
病室に米寿の父をとりかこむ十八人と大きな真鯛
銭湯は酒房となりつ座りゐるここは男湯、富士ゑがかれて
夜の授業を終へたる生徒のトラックが大根のせて神戸にむかふ

1首目、亡くなった人の話をしながら酒を酌み交わしている場面。
2首目、学生や教員の客が多かったのだろう。
3首目、遺稿集だからこそ「分骨」という比喩が効いている。
4首目、裸足の指が寒さで赤くなっているのだ。
5首目、「ヒョウスケ」が軽妙で面白い。風土性と生活感がある。
6首目、妻の手術前の様子。下句の明るさが印象的だ。
7首目、シベリアに抑留された父が体験した出来事。摂氏に換算するとマイナス22℃。
8首目、入院中の父の米寿祝いに親族一同が集まったところ。
9首目、銭湯であった時の雰囲気が随所に残っている。
10首目、作者は定時制高校の教員。生徒の姿がよく見えてくる歌だ。

2018年3月1日、青磁社、2500円。

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2018年03月31日

草田照子歌集 『旅のかばん』


2009年から2017年までの作品392首を収めた第6歌集。

ビール少し昼も飲みたり旅の日は道草の子らのあそびのやうに
子はなくてもとよりなくてさびしさを知らざるわれをさびしむ人は
夜ふけて甲州街道行く車しづかになれり雨もやみしか
夫の部屋に旅行かばんあり長旅に何も持たずにいつてしまつて
アリの巣の新宿地下道にんげんはかたみに情報交換もせず
東急ハンズのスノードームに雪降らせつぎつぎ降らせ遊べるこころ
蝶か小鳥か落葉か知らず木々の間に絶えずひらひら舞ふ秋の日は
眠らむと羊を追へば深追ひになりていつしか雀のこゑす
マンションのただ一本の山ざくら咲かねばはじめて伐られしを知る
四千年ナイル西岸に墓残り雪のひとひらほどもなき生

2首目、子を持つ人と持たない人の意識のずれ。勝手に寂しいと決めつけないで欲しいのだ。
4首目、69歳で亡くなった夫。何度も繰り返し歌に詠まれている。
6首目、売場にならぶスノードームに雪を降らせて一人で見ているのだ。
7首目、秋という季節の感じがよく出ている歌。常に何かが舞っている。
9首目、花が咲く時期以外は注目することがなかったのである。

2017年9月30日、ながらみ書房、2500円。

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2018年03月23日

伊藤一彦歌集 『遠音よし遠見よし』


518首を収めた第14歌集。第33回詩歌文学館賞受賞。
旅の歌が多く、中でも牧水ゆかりの地を訪れた歌がたくさんある。

十五夜はすべての人が近くしてかつ遠きかな川面光れり
繊き道あまた広がり尽きてゐる掌(たなごころ)見ぬ夜寝るまへに
つぎつぎに寄せてくれども続く波もたぬ殿(しんがり)の波白くあり
ひとりゐるわれのうしろに誰かゐるいまだ知らざる人のごとくに
近寄らず眺めゐにけり月の夜の竹のはやしの光のうたげ
亡き夫が夢のみならずうつつにも訪るるといふ部屋の入口に
通り雨かがやきすぐるひとときを惜しみ立ちをり赤子抱(だ)く母と
鯔一つ飛んで続かぬ川の面を老人と二人ながめてゐたり
滲(し)み具合まことよろしき鰤大根 隣の人も注文したり
花びらも春風も子に摑まるるなきよわざわざ近づき来(き)たるに

2首目、上句が面白い。手の皺に自らの人生を見ているのだろう。
5首目、下句のリズムが軽快で楽しい歌。
7首目、雨宿りをしている場面。知らない人と一緒に過ごす短い時間である。
9首目、作者の食べている皿を見て隣の人も注文したのかもしれない。
10首目、風に舞う花びらを摑もうとしている小さな子の姿が見える。

2017年12月15日、現代短歌社、2700円。

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2018年03月07日

なみの亜子歌集 『「ロフ」と言うとき』


2012年から2016年までの作品413首を収めた第4歌集。

奈良県西吉野村に住んでいた作者。脊椎を損傷した夫との厳しい生活にあって、村の風景や四季の移り変わりを詠んだ歌が大きな魅力となっている。

虻たちの大きく育つ川べりに犬を引きゆく虻はらいつつ
葬儀場の送迎バスは畠山タイヤのまえに人集うを待つ
木の椅子の背より倒れて起きるなく春のあらしに四肢を吹かれぬ
麓に見る車は山にぶらさがる郵便屋は口を縦にあけたり
このごろは近くまで来る夜の鹿の小枝折るおと目つむりて聞く
線路なき五新鉄道谷またぐ谷より巻きあがる蔦を枯らして
垂直に夜をしたたり落ちながら水はまもれり管の凍るを
ぞっとするぞっとするわと自(し)が下肢の薄くなれるをひとは見るたび
虫除けのスプレー汗に流れつつまなこに入るをこらえつつ刈る
冬越せる落葉とともに生きのびしかめ虫はつかむ窓の網目を
雨粒の顔に痛しも雨樋をふさぐ葉を掻く雨合羽着て
月金はパンの入る日大玉の小銭にぎりて西林酒店へ
死のことを思うこの世に石蹴れば犬の二頭は追いて遊べる
峠までとんび三羽の連れだちて空の奥行きひきのばしゆく
冷えも凍ても感覚なれば感覚を失いしひとに厚着を命ず

1首目、「大きく育つ」が印象的。都会の虻とは違うのだ。
2首目、「畠山タイヤ」という固有名詞が効いている。村の暮らしの様子。
3首目、一度倒れたら倒れたままになっている哀れさ。
4首目、事故を起こした車。「口を縦にあけたり」がいい。
5首目、眠りながら小枝の折れる音だけを聴いている。
6首目、ついに開通することがなかった幻の鉄道。谷の深さを感じる。
7首目、水道が凍らないように少しだけ水を出しているのだ。
8首目、自分の足が痩せ細ったのを見る夫。「薄く」が何とも痛ましい。
9首目、手で拭うこともできない。「つつ」を二回使って感じを出している。
10首目、具体的な描写がいい。「かめ虫は窓の網目をつかむ」ではダメ。
11首目、大粒の雨がびしびし顔に当たるのだろう。山の暮らしならでは。
12首目、500円玉を持ってパンを買いに行くところ。
13首目、犬の無邪気な姿にきっと救われているのだ。
14首目、トンビの行方を目で追ううちに空間の見え方が違ってくるのだ。
15首目、下半身の感覚を失った夫。気を付けないと凍傷になってしまう。

「GANYMEDE」に発表された連作2篇(「五新鉄道2013」「ロフストランドクラッチ/陽にかわく草」)は、どちらも重いテーマを扱いつつ完成度が高い。作者の力量が十二分に発揮されている。

2017年12月20日、砂子屋書房、2800円。

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2018年03月04日

前田康子歌集 『窓の匂い』



2012年から2016年までの441首を収めた第5歌集。

混ざり合う音の流れに探し聴くもっとも低き子の弦の音
鳩のごと胸と胸とが触れてしまう正面から娘が抱きついてきて
芍薬は蜜にまみれてひらけない蕾もあると花師はいいたり
見られいることを知らずに盲目のひとはカップの耳をまさぐる
ポストから少し出ている夕刊と秋明菊が触れて午後四時
甲羅ころんところがるように仰向けに路地に置かるるランドセルはも
うどん啜るようにパスタを食べている父の昼餉の短く終わる
えのころの茎にはとまれずはばたけるままに雀は穂を啄ばみぬ
返事してくれるわけなく夕暮れを再び端から探す自転車
幼子はエアータオルの強風にとばされそうに目をつぶりたり
春巻きの三角のかど閉じてゆく手紙いくつも封するように
ヘアカットのついでのように美容師は鉢の小枝を音立てて刈る
わが腕を唐突に打つ野あざみの 激しさならばまだ胸にある
春の雲つめて作らむ砂時計「あと10分」がわからぬ母へ
どこの爪切るのと母は探したり靴下履いた足を不思議そうに

1首目、演奏会で娘の弾くコントラバスの音を聴き分けているところ。
2首目、娘の身体の変化を感じて少し戸惑うような気持ちだろう。
3首目、蕾の状態で蜜が出るのが芍薬の特徴。「蜜にまみれて」が生々しい。
4首目、一方的に見られるだけの存在であるという気づき。「目」の話から最後に「耳」が出てくるのも味わいがある。
5首目、全く関わりのない両者のかすかな触れ合いの美しさ。
6首目、初・二句の比喩がいい。内側は白くて言われてみれば甲羅みたいだ。
7首目、ある世代以上の男性の感じがうまく出ている。
8首目、えのころの茎は撓るので止まりにくいのだろう。
9首目、駐輪場で自分の自転車を探す場面。どれも似たような形ばかり。
10首目、下句に幼子の様子が彷彿とする。
11首目、これも比喩の素敵な歌だ。「春巻き」と「手紙」、本来は似ても似つかないものなのだが。
12首目、もちろん別の鋏を使っているのだろうが不思議な感じがする。
13首目、作者の歌の中では珍しく激しい文体。一瞬の思いの滾りを感じる。
14首目、手術後の母の様子を詠んだ歌。「あと10分」という概念が通じない。
15首目、靴下を履いているので爪が見当たらないのである。淡々と詠むことで悲しみの深さが伝わる。

2018年1月15日、青磁社、2800円。

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2018年02月15日

本多真弓歌集 『猫は踏まずに』



294首を収める第1歌集。

とある朝クリーム色の電話機に変化(へんげ)なしたり受付嬢は
ともだちのこどもがそこにゐるときはさはつてもいいともだちのおなか
白菜を白菜がもつ水で煮るいささかむごいレシピを習ふ
火のやうにさびしいひとにさはれずにただそばにゐてあたためられる
待つことも待たるることもなき春は水族館にみづを見にゆく
樹のそばに木でつくられたベンチあり命あるとはいつまでのこと
あたらしいメールがきみに届くたび目のまへにゐるぼくはうすれる
鬼百合の鬼のあたりを撫でたあとわたしを揺らす白い指先
左から右へ流れてゆく時間 再生ボタンはみな右を向く
もう一度触れてください 改札で声の女に呼びとめられる

1首目、会社の受付の風景。経費削減のため人がいなくなったのだ。
2首目、普段は触ることのない腹部だが、妊娠中は触ることができる。
3首目、考えてみれば自らの水分で煮られるというのは残酷かもしれない。
4首目、火というのは孤独な存在なのだろう。
5首目、「みづを見にゆく」がいい。現代的な水族館の魅力。
6首目、材木として使われていても「木は生きている」と言ったりする。
7首目、目の前の相手がスマホに目をやっている寂しさ。
8首目、「鬼百合の鬼」が面白い。性的なイメージのある歌だ。
9首目、確かに、なぜ右向きが「進む」で左向きが「戻る」なのだろう。
10首目、語順の妙で最初は男女の歌かと思ってしまう。「声の女」もいい。

2017年12月14日、六花書林、2000円。

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2018年02月12日

『午後の庭』 についてのメモ(その2)


『午後の庭』にはペニスの歌が3首ある。

 クリックをするたびダビデは拡大され左右の睾丸の大きさが違ふ
 ペニスなべて削りとられしまま並ぶ古きパティオのローマの戦士
 蝸牛に肺があるなんて知つてたか舌だつてあるしペニスだつてある
 んだ

あまり言われていないことだと思うが、永田さんはこれまでもペニスの歌を数多く詠んでいる。

 隆々とファロスを立つる男らを描き連ねて古代チグリスの壺
 プリアポス永遠に若けれ天秤もて己がファロスを量れるところ
                       『華氏』
 待たされて長くもあらぬをいらいらと今日のペニスの位置定まらぬ
                       『荒神』
 満開の桜に圧され少しずつ少しずつペニスが膨らんでくる
 ぼんやりとねむくなるときおのずから魔羅膨らむと言えばわらいぬ
 旅に目覚めて夕風のなか立ち上がるときよるべなき男のペニス
                       『風位』

「永田和宏のペニスの歌」あるいは「ペニスの歌の系譜」といった論をいつか書いてみたい。

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2018年02月10日

『午後の庭』 についてのメモ(その1)


ところどころ、河野裕子さんかと思うような歌がある。

 半ズボン穿いて小学四年生くぬぎどんぐり空き缶のなか
                    永田和宏『午後の庭』
豆ごはんの中の豆たち三年生、こつちこつちと言ひて隠れる
                    河野裕子『季の栞』

可愛らしいものを小学生の学年で喩えた表現。

 さびしいよ どんなに待つてももう二度と会へないところがこの世だ
 なんて               永田和宏『午後の庭』
 さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり
                    河野裕子『歩く』

さびしさと「この世」。
内容的にも河野さんのことを詠んだ歌なので、本歌取りなのかもしれない。

 さびしいんだろ、だろ、だろ、だろつと雪虫が竹の箒につかまりて言ふ
                    永田和宏『午後の庭』

人間でないものが話し掛けてくる歌も、後期の河野さんが得意としたもの。

 雨に濡れゆさりゆさりと揺れながらいやな雨やなあと竹たちが言ふ
                    河野裕子『母系』
 ゆめやなぎの絮(わた)がほよほよ飛んできてここだつたんだと肩の
 上(へ)で言ふ           河野裕子『母系』
 縁先(えんさき)にきーんと光れるメヒシバがそれでいいんだよよくや
 つたと言ふ             河野裕子『蟬声』

永田さんの歌を読んで河野さんの歌を思い出し、懐かしい気分になった。


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2018年02月09日

澤辺元一歌集 『晩夏行』


 P1060085.JPG

1992年刊行の澤辺元一さんの第1歌集。
澤辺さんは2月2日に亡くなられた。92歳。

 夜くらく昼なお昏き喪の日々の道の限りをまんじゅしゃげ咲く
 ビルのなかに真白き昼の闇ありてファクシミリとおき文受けていつ
 バス待ちて黙(もだ)保ちいる一団のばらばらの思考に陽があたりおり
 沈丁の華のふりまく春の香にそそられているわれの尖端
 ひとの死をさまざまに飾り人集うもののぶつかる音など立てて
 唄い終えて歌手が少女にもどりゆく肌理の弛みの微細を映す
 ビル先端の金具かなにかと見ていしが飛び立ちて虚(な)し冬の黒鳥
 朝より眠れる少女バスの窓の硝子そこだけ曇らせながら
 たかだかとボート運ばれゆきし街しばらく遠き海が匂えり
 かすかなる重みを地(つち)に加えゆきわがまどろみの中に降る雪
 死に至るまで鎖引摺りいしものの頸より冬の鎖を外す
 電気代はつかに減りし計算書母亡きあとの暮らしの軽さ
 マルクスの白い鬚レーニンの黒い鬚 わが戦後史の高処(たかみ)に
 そよぐ

1首目、1984年に亡くなった高安国世への挽歌。
2首目、昼休みなどの無人のオフィスでFAXが受信しているところ。
3首目、下句が面白い。考えていることはみんな違う。
4首目、「尖端」という語の選びにエロスを感じる。
5首目、葬儀の場面。人々の様子を冷静に客観的に見ている。
6首目、歌っている間は大人びた感じだったのだろう。
7首目、高安国世の「虚像の鳩」を思わせる歌。
8首目、下句がいい。少女の吐息に曇っているのだろう。
9首目、トラックの荷台などに載せて運ばれるボート。
10首目、上句がいい。雪にもまた重みがあるということ。
11首目、飼犬の死を詠んだ歌。「冬の」が効いている。
12首目、「はつかに」に母のつましい暮らしぶりが表れている。
13首目、そう言えば二人とも鬚の生えた写真でおなじみだ。

 永田和宏を坂田博義と呼び違えたる黒住嘉輝にはなお近き過去

1961年の坂田博義の自死は、何年経っても澤辺さんや黒住さんにとって忘れられない出来事であったのだ。「塔」2013年1月号の「澤辺元一インタビュー」の中でも、

永田 「塔」で一番思い出に残っていることって何ですか?
澤辺 残念やけれども、やっぱり坂田の顔が浮かんできよる、どうしても断ち切れん。寂しいなあ。

と答えている。50年以上経っても、その衝撃が消えることはなかった。

澤辺さんに関する思い出はたくさんあるのだが、亡くなった歌人を悼むにはその人の歌集を読むのが一番だと思う。ご冥福をお祈りします。

1992年2月26日、ながらみ書房、2500円。

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2018年02月07日

永田和宏歌集 『午後の庭』



2011年から2014年までの作品531首を収めた第13歌集。
2010年に亡くなった妻、河野裕子のことを詠んだ歌が多い。

告げしことそれより多き告げざりしことも伝はり逝きたるならむ
作らないやうに作ると言ひたれどあいまいな頷きがあちらにもこちらにも
竹箒のはつしはつしと小気味よき音庭になし冬の陽が差す
紅梅のまだ咲かざるをよろこびて白き花咲く梅林を行く
少しだけ酒を振る舞ひ蒸し焼きにしたる浅蜊をひとりいただく
池底の石はしづかに日のひかり月のひかりを受けて老いゆく
牛膝(ゐのこづち)にひなたとひかげの別ありてこの里道のヒカゲヰノコヅチ
クリックをするたびダビデは拡大され左右の睾丸の大きさが違ふ
おのづから木々にくぼみのあることの雪積む朝の庭に見ゆるも
ああ一週間は左右対称の漢字ばかり そのいづれかに死なねばならぬ

1首目、夫婦や親子など親しい者同士でも言葉にして伝えられないことがある。それでもきっと伝わっていたはずだという思い。
2首目、短歌についての話をしている場面。作意を見せないのは難しい。
3首目、かつては妻が箒を使う音が聞こえていたが今は聞こえないという歌。上句で音のイメージをかき立てておいて「なし」と打ち消す。
4首目、白梅の方が少し早く咲くのだろう。
5首目、浅蜊の酒蒸しを食べているところ。「振る舞ひ」と言って誰かと楽しく飲んでいる場面と思わせておいて、実は「ひとり」なのだ。
6首目、結句の途中までは石の歌だが、「老いゆく」で人生が重ね合わされる。
7首目、分類を知ることは世界の見え方が変わるということ。
8首目、ミケランジェロのダビデ像。何をやっているんだか。
9首目、雪が積もることで窪みがあることに気が付く。
10首目、「日月火水木金土」は左右対称。下句への展開でハッとさせられる。

2017年12月24日、角川文化振興財団、2600円。

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2017年12月31日

松平修文歌集 『トゥオネラ』


著者 : 松平修文
ながらみ書房
発売日 : 2017-06-23

2007年から2016年までの作品485首を収めた第5歌集。
作者は今年11月23日に亡くなった。

尻穴からあぶく出しをり、数知れぬ卵が混じるあぶく出しをり
同じやうな歌ひ手が、同じやうな歌を、同じやうな声でうたふ 同じやうに振付けられて
コンテナに収納されて運ばれてゆくものは、象牙でも珊瑚でもなく僕の高く売れない古本ですよ
鍵の束を提げて老女が明けがたに湖底への石階(きざはし)を下(お)りゆく
眠りに堕ちてゆき たどりつく湖底美術館の、壁面は静寂を展示す
図鑑にきみが出てゐたよ、と捕虫網からその蝶を取り出すときに言ふ
髪に手に霧はざらつき丘の上につづく薄荷の畑のぼりゆく
彼は彼女を知らない 彼女は彼を知らない 同じ都市(まち)の住人だが、擦れ違ふ事さへもない
病者、老者、貧者を救ふ法案を審議してゐる 子供議会は
霧を固めて作つた菓子のひと切れをすすめられをり 深更(よは)の茶房に
灰色の飯に灰色の湯をかけて食ふ くたくたになり帰つた僕は
犯人が来て去り、刑事らが来て去り、少女が来て去り、ゆふぐれて、雑貨店閉づ

一読して、何かとんでもないものを読んでしまったという感じのする歌集だ。美しさと不気味さ、そして死の影が交錯する。

沼のイメージ、物語的な場面設定、リフレインの多用、大幅な字余りや破調など、分析すればいろいろとあるのだが、そんな批評は到底及ばない世界。作者渾身の、一回限りの歌集と言っていいだろう。

2017年6月23日、ながらみ書房、2600円。

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2017年12月26日

宇田川寛之歌集 『そらみみ』



2000年から2015年までの作品415首を収めた第1歌集。

春の花交互にあげる遊びせむクリーニング屋へゆく道すがら
馬のにほひの漂ふごときゆふやみを宅配ピザのバイクはゆくも
トリミングしたき記憶のいちまいを取り出す合歓の花ひらくころ
転居通知を投函せしが〈転居先不明〉と戻りきたるいちまい
返信を投函せぬまま終はりたる会ありて会のにぎはひおもふ
歌をやめてしまひし人と酌む酒よ戻つて来いとわれは言はずも
口論と議論の差異をおもふ日の百葉箱に雪は積もりぬ
公園に夜のしほさゐを聞きたれば赤き浴衣の子の手をひきぬ
てのひらのうへに落ちたるはなびらを見つめるひとが風景となる
少年のわれは煙草を売りたりき背伸びをせずにただ淡々と

1首目、恋人といる時の明るく健康的な気分が満ちている。
2首目、「馬」と「宅配ピザのバイク」の取り合わせがおもしろい。
3首目、合歓の花の時期になると思い出してしまう記憶なのだろう。
4首目、相手は転居したのに知らせてくれなかったわけだ。
5首目、「返信を投函せぬまま」に何らかの屈折した感情が滲んでいる。
6首目、短歌を続ける人生とやめる人生、どちらが幸せかはわからない。
7首目、上句の情と下句の景がうまく合っている。百葉箱の白と雪の白。
8首目、急に子がいなくなってしまうような不安を感じたのだろう。「しほさゐ」は幻の音かもしれない。
9首目、花びらを一心に見ている姿が、どこか遠い人のように思われる。
10首目、作者の実家は煙草屋。下句の大人ぶらない感じがいい。

作者と私は同じ1970年生まれ。会社を辞めて自分で出版社(六花書林)を立ち上げて十数年になる。仕事の苦労や中年男性の哀感の滲む歌が多く、身に沁みた。

アコースティックギター爪弾く街角の少女は髪に六花(りくくわ)をまとひ

「六花」(りっか)とは雪のこと。美しい光景であると同時に六花書林へのエールでもある一首だろう。

2017年12月15日、いりの舎、2500円。

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2017年12月24日

川野里子歌集 『硝子の島』



2010年から2016年までの作品を収めた第5歌集。

太平洋といふ海ぬつとあらはれぬ嘉永六年黒船の背後
老い老いて次第に軽くなる母が一反木綿となりて覆ひ来
あの一機いまに飛ぶべし拍動のおほきくなりゆく飛行機があり
滑り台、ぶらんこ、砂場 一日(ひとひ)かけ老人見てをり形見のやうに
ブロンズ像にされし河童は不安なり細き手足をつぶさに晒し
コンビニの光につよく照らされて殺菌処理され夫出でて来ぬ
露草の青失せやすく空の色抜けながら女たたずむ浮世絵
湯治場に兎飼はれてをりしこと癒やしのやうに行き止まりのやうに
入居者様「様」をもらひて母がゆくリノリウムの照りながき廊下を
家族なりし時間よりながき時かけてひとつの家族ほろびゆくなり

1首目、ペリー来航によって初めて意識された太平洋という海。
2首目、ゆらゆらと空を飛ぶ妖怪。身体は軽いが気持ちの上では重い。
3首目、エンジンの唸りが次第に高くなってゆくのを擬人化して詠んだ歌。
4首目、「形見のやうに」は、見納めのようにという感じだろう。
5首目、普段は水中に潜んでいる生き物なので、全身をさらしていると落ち着かないのだ。
6首目、「殺菌処理」がおもしろい。コンビニの明るさがうまく描かれている。
7首目、春信の浮世絵には露草から取られた青色が使われていた。
8首目、元気になって復帰する人もいれば、もう治らず終点となる人もいる。
9首目、施設に入居した母の後ろ姿を見送っているところ。
10首目、家族であった時間は20年くらい。その後の時間の方が長い。

川野の歌は日常身辺のことにとどまらず、社会や世界に向かっていくところに特徴がある。でも、読んで心ひかれるのは年老いた母を詠んだ歌が多い。

2017年11月10日、短歌研究社、2800円。

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2017年12月20日

山田富士郎歌集 『商品とゆめ』


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第2歌集『羚羊譚』以来、実に17年ぶりの第3歌集。

たちまちに雨は湖面をわたりきてわれわれはただ一度だけ死ぬ
一族の写真のなかに農耕馬うつり鼻面なでられてをり
渡り鳥のごとく消えたりホテルセブン・エイトの老いたるフロントマンは
荒波のよせたる芥にひろひたる胡桃いづくの谷にか落ちし
桜咲きひゆるゆふべの窓ちかく小鳥のこゑは銀貨をちらす
円いポストの底にしやがんでゐる子供子供のころは空想せりき
山かげの火薬庫あとにであひたるかもしかわかくおそれをしらず
伝良寛筆の書わがいへに伝はれり正しくはわが家にもつたはる
飲みのこす珈琲ぱさと河にすて似顔絵書きは絵筆とりたり
桐の樹のかたへに立てる十分はあたたかし朴との十分よりも

1首目、上句の光景と下句の感慨の取り合わせ。誰にでも一度きりの死がやって来る。
2首目、古い写真を見ているのだろう。馬も家族の一員なのだ。
3首目、場末の古びたホテルをイメージして読んだ。映画の一場面のよう。
4首目、山→谷→川→海→浜という長い旅路に思いを馳せている。
5首目、花冷えの時期の小鳥の美しいさえずり。「銀貨をちらす」がいい。
6首目、ちょうどそれくらいの大きさということか。面白い空想。
7首目、下句のひらがな表記が印象的。恐れを知らない若さは人間も同じか。
8首目、良寛の書と言われるものが無数にあるのだ。もちろん本物はほんの一握り。
9首目、お客さんが来たので仕事に取り掛かるところか。「ぱさと」がいい。
10首目、桐と朴の雰囲気の違い。河野裕子さんの〈傍に居て 男のからだは暖かい見た目よりはずつと桐の木〉を思い出した。

作者は新潟県新発田市在住。新発田は作者の故郷かと思っていたのだが、そうではなかった。あとがきに

三十年前にUターンして住みついたのは郷里の新潟市ではなく、東へ三十キロほどの新発田市である。近いといえば近いが、二つの町はいろいろと違う。

とある。自らの住む土地に対する愛憎半ばする思いは、この歌集の大事なテーマと言っていい。

2017年11月15日、砂子屋書房、3000円。

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2017年12月11日

鶴田伊津歌集 『夜のボート』



2007年から2017年までの作品366首を収めた第2歌集。
2歳から12歳へと成長していく子を詠んだ歌が多い。

渡されし安全ピンの安全をはかりつつ子の胸にとめたり
一通り叱りし後も止められず怒りは昨日の子にまで及ぶ
子のなかにちいさな鈴が鳴りているわたしが叱るたびに鳴りたり
子を叱りきみに怒りてまだ足りず鰯の頭とん、と落とせり
七年を過ごしし部屋を去らんとす床の二箇所の傷を埋めて
些細なる嘘ほど人を苛立たすこと知らぬがに重ぬるひとは
福砂屋のカステラ届くしっとりと刃を受け止めるカステラ届く
旅人算ノートに途中まで解かれ地球のどこかが凍えておりぬ
思いやりその「やり」にある鈍感をくだいてくだいてトイレに流す
ゆびさきのよろこびゆびはくりかえし味わうポン・デ・リングちぎりて

1首目、子の胸に名札を付けているのだろう。服に刺す時はけっこう気を遣う。
2首目、前日の出来事にも怒りの矛先が向かう。「昨日の子にまで」がいい。
3首目、子を叱る時の親の痛み。叱りつけた後にはいつも後悔するのだろう。
4首目、下句に怒りの余韻が漂っていて、何とも怖い。
5首目、「七年」「二箇所」という具体の良さ。荷物を運び出した部屋から、生活の痕跡が消えていく。
6首目、些細な嘘は罪がないと思うのは嘘をつく方の理屈であって、聞く方はそうではないのだ。
7首目、カステラの名店「福砂屋」。「カステラ届く」の繰り返しに高級感がある。
8首目、問題の中の旅人は、きっとどこかに行方不明になっているのだろう。
9首目、「思いやり」という言葉に、他人事のような感じや上から目線な態度を感じ取ったのだと思う。
10首目、8つの玉がつながったような形状をしているドーナツ。それをちぎりながら食べる楽しさ。

2017年12月15日、六花書林、2400円。

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2017年11月14日

林和清歌集 『去年マリエンバートで』



新鋭歌人シリーズ18。
12年ぶりに刊行された第4歌集。

遠い日の釣鐘まんぢゆうよう鼻血出す子やつたと今も言はれて
浚渫船がずるずる引き摺りだしてゐる東京の夜の運河の臓腑
夜桜の青い冷えのなか酔ふ女を死にゆくもののやうに見つめる
結核が性欲を亢進させるとふ俗信ありき堀辰雄はいかに
足音に呼応して寄る鯉たちの水面にぶらさがるくちくち
排水溝がごくごくと飲む残されて期限の切れたポカリスエット
旅に出れば旅の記憶がかぶさつてくるいくつもの時を旅する
ひろすぎる座敷にふとん流氷の上に一夜をただよふばかり
殺人のニュースがひととき絶えてゐたそのことも記憶の瓦礫のひとつ
このひとの寝顔は泉 夜の鳥がときをり水をついばんでゆく

1首目、「釣鐘まんぢゆう」は大阪の名物らしい。三・四句は親戚の誰かの台詞だろう。
2首目、運河の底の土砂やヘドロを「臓腑」と捉えたことで、都市が生き物めいて感じられる。
3首目、夜桜の凄絶なまでの美しさ。生死の境目が曖昧になっていく。
4首目、『風立ちぬ』など清潔感ある作風で知られる作者の実際の姿はどうだったのか。
5首目、「ぶらさがる」が面白い。餌を求める口がいくつも水面に開いている。
6首目、飲み残しの飲料を捨てただけの歌なのだが、何とも生々しい。
7首目、旅に出ると、日常とは異なる時間が流れ始めるのだ。
8首目、宿泊する部屋が広すぎるのも落ち着かないものだ。
9首目、東日本大震災をめぐる記憶。殺人事件も扱いが小さかった。
10首目、美しい相聞歌だが、眠っている相手とのかすかな距離も感じさせる。

第三章にある「24時間」100首は、詞書と短歌で綴った或る一日の記録。作者の生活や京都・神戸・大阪の街の様子が見えてきて楽しい。

2017年10月15日、書肆侃侃房、1900円。

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2017年11月10日

大島史洋著 『短歌こぼれ話』


「短歌往来」の2008年〜2016年まで連載されたエッセイの中から95編を選んで収めた本。歌人・辞典編集者である著者ならではの興味や関心、こだわりが伺われる内容となっている。

茂吉と佐太郎とではどこに違いが感じられるのかというと、茂吉の一点集中には従来言われているような、写生という姿勢が強く感じられるのに対して、佐太郎の一点集中には、その写生を通り越した様式美の世界への傾倒、それが感じられるような気がする。
古本の売れない時代ということで、以前なら売り値の三割で引き取っていたのが現在は三分か四分だという。つまり古書店で千円で売られている本は、以前なら三百円で買い取っていたのが、今は三十円か四十円で買い取っているということになる。

とにかく話題が豊富で、読んでいて飽きない。気楽なエッセイのように見えるが、どれも様々な資料や調査に基づいた話であって、誰にでも書けるようなものではないのである。

1点、気が付いたこと。

『奇談百詠』の作者、細川春流の経歴に「会津藩士」「青森県士族」の2つの情報があることに対して、大島さんは「青森県士族とあるが、会津藩士のほうが信憑性があるようだ」と書いている。

この「青森県士族」は、おそらく斗南藩のことを指しているのだろう。戊辰戦争に破れた会津藩が明治になってから今の青森県に移った藩のことである。そう考えれば、「会津藩士→青森県士族」という流れに何の矛盾もない。

2017年10月15日、ながらみ書房、2000円。

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2017年11月08日

久々湊盈子歌集 『世界黄昏』


間伐の杉が散らばる傾(なだ)りより絶え間なく湧く水の冷たさ
十方に木々のみどりは満ち満ちてわが直情を宥(なだ)むるごとし
撫牛(なでうし)にあらねどそっと撫でてくる闘牛場の鋼鉄の牛
くまもんを脱ぎて男が取り出しし弁当の真ん中の大き梅干し
絞めやすそうなほそきうなじをさしのべて昼の電車に居眠るおみな
ガラス一枚の外は奈落の深さにて五十階に食む鴨の胸肉
他人(ひと)の記憶に入りゆくような夕まぐれ路地に醬油の焦げるにおいす
三日ほど手の甲にあらわれ消えゆきし痣(あざ)あり蝙蝠の飛ぶかたちして
ここで死ねとホテルのパティオに放されて螢は首都の夜をまたたく
往きに見て復(かえ)りにもまだ落ちているアルミ硬貨を雨中に拾う

2012年から16年までの約500首を収めた第9歌集。
タイトルは「せかいこうこん」。

1首目、間伐放置された杉という現代的な光景と昔から変らぬ湧き水の流れ。
2首目、鮮やかな新緑に自然と心も満たされてゆく。
3首目、スペイン旅行の歌。撫牛という習俗は日本だけのものか。
4首目、くまもんの頬の赤い丸と弁当の梅干が微妙に呼応している感じ。
5首目、「絞めやすそうな」という発想がユニーク。ちょっと怖い。
6首目、高層ビルのレストランでの食事。高さではなく「深さ」としたのがいい。
7首目、比喩の面白い歌。どこか懐かしい雰囲気がある。
8首目、「蝙蝠の飛ぶかたち」がいい。三日間だけの出会いと別れ。
9首目、ホテルのイベントのために放された蛍。「ここで死ね」が強烈だ。
10首目、お金が欲しくてではなく、可哀そうになって拾ったのだろう。

2017年8月10日、砂子屋書房、3000円。

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2017年10月23日

永田和宏歌集 『黄金分割』


永田さんの第2歌集『黄金分割』を読む。
何度目になるだろう。それでも新たな発見がある。

今いわば――、否言わざればキャラメルの箱に天使はにこやかに堕つ

森永ミルクキャラメルの歌を発見。
マイ・コレクションに加えておこう。


  P1050941.JPG

わが家にある『黄金分割』は吉田漱さんの蔵書だったようで、扉に謹呈の宛名が入っている。それと、一筆箋に書かれた永田さんの手紙も入ったままだ。

この歌集が出た頃の永田さんは、年譜によれば「子供を二人持った無給の研修員」という身分であった。『黄金分割』の栞に書かれた高安国世の文章は、そのことに触れている。

それもどこかの大学に安定した地位を得た上での研究生活というのでなく、よそ目にもはらはらするような生活の基礎の上に立って、いわば捨身とか背水の陣とかという言葉を思わせる生き方をしながら(・・・)
(・・・)妻子をかかえ、安定のない生活をしながら歌に命を賭ける、ということを一般的に受け取っても、それは容易でない日々の苦闘を予感させる。

永田和宏30歳の姿である。


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2017年10月11日

大室ゆらぎ歌集 『夏野』


「短歌人」所属の作者の第2歌集。
2010年から17年までの歌265首を収めている。

蓮の骨浅く沈めて澄みわたる冬しづかなる水生植物園
飛ぶ鳥のつばめも落ちて死にゐたり砂のくぼみに脚をのばして
鋤き込まれて真黒き土にきれぎれに混じる花びらコスモスのはな
蔓草に口のうつろを探らせて喉の奥まで藪を引き込む
月しろが窓から窓へ移る間(ま)を眠りながらにわが額(ぬか)暗む
白鷺と青鷺一羽づつがゐて青鷺は白鷺の影のごとしも
川土手にジグソーパズルは燃やされてジグソーパズルのかたちの灰は残りぬ
石棺のあとに窪みは残りゐてそこにをりをり溜まる雨水
石鹼でよくよく洗ふ生きてゐるだけで汚れてしまふからだを
蚊柱に入りて出づれば以前とはいくらか違ふわれとはなりぬ

1首目、枯れた蓮の茎を「骨」と詠んだところが美しい。
2首目、上句だけだと観念だが、下句の具体・観察がそれを支えている。
3首目、コスモスのピンクや白などの淡い色と「真黒き土」との対比。
4首目、野辺に朽ちてゆく自分の身体をイメージした歌。何とも生々しい。
5首目、一晩の間に月光が射す時間帯と射さない時間帯がある。「眠りながら」なので自分では見えないはずの場面だ。
6首目、シンプルな構図の、見立てが面白い歌。
7首目、四句が12音もある。字余りを承知で「かたちの」を入れている。
8首目、古墳のなかの光景だろう。死者の存在が今に生きている感じがする。
9首目、何もしなくても汚れるのだという発見。
10首目、感覚の不思議な歌。入る前と後とで何かが違っている。

こうして見ていくと、全体に死のイメージが濃厚な歌集だということがわかる。

2017年7月18日、青磁社、2500円。

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2017年10月06日

さいとうなおこ著 『子規はずっとここにいる』


副題は「根岸子規庵春秋」。
子規に関する短い(3ページ程度)のエッセイ34篇と座談会「遠くて近い正岡子規」を収めた一冊。

著者のさいとうさんは「未来」の選者を務める歌人であるが、一般財団法人子規庵保存会の理事もされている。月に三回、当番として子規庵に通うほか、展示資料を探して子規の故郷である松山を訪れたりもしているとのこと。

子規庵は2年前に訪れたことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/413885492.html

建物自体は戦後の復元であるが、かつて子規が暮らした空間が多くの方の尽力によって残されているのは本当に貴重なことだと思う。

2017年9月19日、北冬舎、1200円。

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2017年09月27日

松本典子歌集 『裸眼で触れる』



2010年から2017年までの作品338首を収めた第3歌集。

さくらふぶきに紛れてビラを差し出さるわが街に霊苑はいらぬと
われの眼をとぢれば逝きしひとの眼がひらきて仰ぐこのさくらばな
見まはせば生きかた無限にあるやうなハンコ屋にわが姓ひとつを選ぶ
遠からず奇貨と呼ばれて籃(かご)に揺れむ遺伝子組み換へではない子ども
みづみづと洗はれし萵苣(ちしや)の葉のやうな夏さみどりの傘を巻き閉づ
みかん畠見にゆき命落としたる曾祖父はそれを原爆と知らず
わたくし似いもうと似なる市松をならべて母のひとり居しづか
生み忘れゐし子のごとく梅雨葵ぬつと現る乳ぶさのまへに
雨の日に咲けば雨しか知らぬまま朝顔は青き傘すぼめたり
おもてに傷を受けつつ氷るみづうみの底ひにてなほ揺れやまぬみづ

1首目、霊苑建設に反対する運動のビラなのだろう。桜と墓地のイメージの取り合わせ。
2首目、桜というのはやはり命や死を感じさせる花だ。
3首目、数多くハンコは並んでいるけれども自分の姓は一つしかない。人生も同じ。
4首目、大豆やトウモロコシだけでなく人間もやがて「遺伝子組み換へ」で生まれる日が来るかもしれないという思い。
5首目、上句の比喩がおもしろい。傘の外周が少しひらひらしているのだろう。
6首目、原爆で亡くなった曾祖父。何が起きたのかを理解することもなく。
7首目、ひとり暮らしの母の寂しさが滲む。二体の市松人形。
8首目、「生み忘れゐし子」という表現に驚く。「生んで忘れていた子」ではなく「生むのを忘れていた子、生み損なった子」のことだろう。
9首目、一日花なのでその日の天気がすべて。「雨」から「傘」という見立てへ連想が働く。
10首目、湖の描写でありつつ人の心をイメージさせるところが巧い。

原発、日中関係、シリア内戦など社会問題を詠んだ歌も多い。「フィルターばかり増え、人も真実も見えにくい時代にあって、裸眼で触れることを心がけたいという思いから名づけた歌集である」とあとがきに書かれている。

2017年9月1日、短歌研究社、2000円。

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2017年09月16日

山本夏子歌集 『空を鳴らして』


著者 : 山本夏子
現代短歌社
発売日 : 2017-08-31

昨年第4回現代短歌社賞を受賞した作者(「白珠」所属)の第1歌集。
2007年から2016年までの作品347首を収めている。

母と子は竿にもつれて父だけがのんびり風に乗るこいのぼり
こんなにもつばめはゆっくり飛べるのか子に飛び方を教えるときは
駅前に宮田書店は今もあり日に焼けている浦島太郎
群れをなす南の島の蝶に似て駐輪禁止の紙札なびく
上履きが片方道に落ちている木星みたいな裏側見せて
黒ずんだサトちゃん人形笑ってる足に鎖を巻きつけたまま
二時間を水に浸して棄てられる中止となった花火の玉は
苦しみを隠したままで死ぬことのできるうさぎが一度だけ鳴く
広場からうさぎを一羽選るように子が保育士に抱き上げられる
前髪を短く切ればおさなごにもっと幼い顔のあること

1首目、何のことかと思って読んでいくと結句で「こいのぼり」の話だとわかる。語順に工夫がある。
2首目、速く飛んでいるイメージしかない燕ならではの歌。
3首目、昔ながらの個人経営の書店。こうした店はどんどん減っている。
4首目、たくさんの自転車に札が貼られて、羽ばたいているみたいに見えるのだ。
5首目、「木星みたい」が大胆な比喩。ゴムの色合いや縞の感じが似ている。
6首目、薬局の前に置かれているゾウのキャラクター人形。盗難防止に鎖が付けられているのが痛々しい。
7首目、初二句の具体がいい。発火することがないように慎重に扱うのだ。
8首目、人間と違って言葉で苦しみを訴えることができない哀れさ。
9首目、上句の比喩が印象的。保育士から見れば、わが子もワンノブゼムでしかない。
10首目、どんなに幼い子でも、生まれた時に比べれば確かに歳を取っているのである。

後半は妊娠、出産、子育ての歌が多い。文体や表現に健やかな明るさが感じられるのが大きな特徴と言っていいだろう。

2017年8月31日、現代短歌社、2500円。

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2017年09月14日

勺禰子歌集 『月に射されたままのからだで』



「短歌人」所属の作者の第1歌集。420首。

嘆き死んだ遊女の墓のあるあたりから湧き出づる温泉ぬるし
落ちたての花びらを轢く感触のなまなまと車輪伝ひ登り来
はふり・ふはり・はふり・ふはり と転がせば屠(はふ)るとふ言の葉のやさしさ
両岸に茶屋ありしといふ二軒茶屋跡から暗峠(くらがりたうげ)を目指す
きちんと育てられたんやねと君は言ふ私の闇に触れてゐるのに
はじめてのそして最後の夕日浴び解体家屋はからだを開く
はげしさを身に溜めぬやう送り出すしぐさか 熱を帯びゆく扇
迷ひとは無縁の速度を保ちつつ燕抜けゆくちさき山門
片足の鳥居の脇のアパートの下着揺らめく205号
入浴剤の香りで少しつながれてあはきあはき家族といふもの

1首目、遊女の死にきれない思いが温泉になって溢れている感じ。「ぬるし」が何とも寂しい。
2首目、まだ柔らかい花びらを轢く感触が自転車を通じて身体に伝わるのだ。
3首目、単なる言葉遊びではなく「屠る」という語に対する肯定的な思いが表れている歌。
4首目、今は何もない「二軒茶屋跡」に立って昔の様子を思い描いている。
5首目、私の闇を受け入れてくれる相手なのだろう。
6首目、「からだを開く」がいい。壁が壊されて剥き出しになった家の中が夕日に照らされている。
7首目、盆踊りの様子。「はげしさを身に溜めぬやう」という捉え方に独自なものがある。
8首目、確かに燕の飛び方には迷いがない。
9首目、長崎の山王神社の被爆した鳥居。三句以下の生活感との取り合わせがいい。
10首目、ほのかに同じ匂いがする。そのくらいのつながりなのである。

歌集全体を通じて大阪や奈良の地名や固有名詞が数多く登場する。土地や歴史とのつながりを深く感じている作者なのだろう。近年は社会詠にも意欲的に取り組んでいる。

「ひつじ」7首は、12年前の出来事を絵画作品と重ね合わせて詠んだ一連で、とても強く印象に残った。作者の人生において忘れることのできない体験である。

2017年7月24日、六花書林、1900円。

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2017年09月04日

谷とも子歌集 『やはらかい水』



2008年から2017年までの作品268首を収めた第1歌集。

傘ささず歩くからだは響きあふ青葉を揺らしやまない雨と
カップ麵のふたに小石をのせて待つ今日のもつとも高いところで
ひつたりと二枚のサルノコシカケが待ちをり母と子の座るのを
水面に見え隠れする足首のロッカーキーの輪つかの性別
壮年の弟の首うなだれて「ごめん」と言ふうちおとうとになる
なんだらうこのしづけさはと思ふときほたるぶくろの花のうちがは
〈出合〉からすべて始まる沢水の力踏みつつ遡りゆく
どのやうに終(しま)へばいいのポケットの無い喪服では指があらはで
ポインセチア値下げされたり地下街の店をあかるく照らしたのちに
ふくろ買ひふくろ断り自転車の籠にふくろのあらは放り込む

1首目、山歩きをする作者。身体に雨が当たるのが心地良い。
2首目、「小石をのせて」に山で食べている臨場感がよく出ている。
3首目、大きいのと小さいのが段違いに並んでいるのだろう。
4首目、プールでの歌。男性用は水色で女性用はピンクとか。
5首目、普段は大人の男の顔を見せているが、何かの拍子に子どもの頃の弟の表情になったのだ。
6首目、いつの間にか、ほたるぶくろの花の中にいる感じ。
7首目、流れの合流地点から沢を遡行していく。「力踏みつつ」がいい。
8首目、剥き出しの指に感情が溢れてしまいそうになるのだろう。
9首目、おそらくクリスマスが過ぎたのだ。華やぎの後の寂しさ。
10首目、コンビニやスーパーでごみ袋を買った場面。「ふくろ」の繰り返しがおもしろい。

添付の杉の木の栞やソフトカバーの装幀なども含めて、作者の人柄や世界観がよく表れた一冊だと思う。「ささげている」「会う」「鳴き交う」と、旧かなのミスがあるの惜しい。

2017年8月26日、現代短歌社、2500円。

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2017年08月31日

遠藤由季歌集『鳥語の文法』


2010年から16年までの作品375首を収めた第2歌集。
冒頭に引っ越しの一連があり、何だか暗いトーンだなと思って読み進めていくと〈空の壜捨てるこころは痛みおり婚解きにゆく霜月の朝〉という歌があって事情がわかる。

コンビニに似た明るさの古書店で買いたり『和泉式部日記』を
艶やかなグランドピアノに負けぬよう肩剥き出しに女は弾けり
あばら骨状に並んだ団地見ゆ塗り替えられた白さ鋭く
ひつまぶし三種の食べ方楽しみて吐息のような白湯を飲みたり
駅頭に夜の花屋は開かれて影ごと花を売りさばきおり
分度器の薄れた目盛りを思い出す秋のひかりが睫毛に触れて
妙に軋む雨の日の椅子 売り上げと関わりあらぬデータ打ち込む
描かれた陽は透きとおる厚らかに塗り重ねたる油彩のなかに
鋭角に葱切りゆける包丁は大雪の夜に父が砥ぎたる
名刺として鱗いちまいずつ配り人に戻りて乗る銀座線

1首目、昔からある古書店は薄暗いが、ブックオフはとても明るい。そこで買うのが古典であるというのも、妙にちぐはぐな感じ。
2首目、「剥き出し」という語の選びに、女性であることの痛みを感じる。
3首目、「あばら骨状」がいい。地図などで見ると確かにそんなふうに見える。
4首目、そのまま、葱とわさび、お茶漬け。「吐息のような」に満足感が滲む。
5首目、明るい花に寄り添うように「影」があるという発見。
6首目、分度器の目盛と目の縁にある睫毛。言われてみればよく似ている。
7首目、三・四句目から自分の仕事に対する徒労感のようなものが伝わる。
8首目、厚く塗りかねているのに透明感があるのが不思議なのだ。
9首目、葱を切る場面に父が包丁を砥ぐ場面がオーバーラップする。
10首目、仕事を終えて素顔の自分に戻るところ。人魚のイメージでもあるし、羽を抜いて機を織る鶴のようでもある。

2017年7月1日、短歌研究社、2500円。

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2017年08月02日

久保田幸枝著 『短歌でたどる樺太回想』



昭和12年に樺太で生まれ、昭和22年に引き揚げるまで樺太に住んだ著者の短歌エッセイ集。文芸誌「ぱにあ」の連載を一冊にまとめたもの。

 樺太留多加郡留多加町大町二十五番地いまは何町
 かばひける覚えあらねばオロツコの少女をあなどりしひとりなりけむ
 ひひならは老いたるまなこを細めゐむサハリンの野に髪凍らせて
 引揚船「宗谷」のデッキにて手を振りき流氷の上のオットセイらに
 映像のユジノサハリンスクの風わたくしの目に埃をとばす

樺太の思い出やソ連占領下での生活、引き揚げと戦後の苦労など、実際に体験した人にしか書けない内容が多く、歴史の貴重な証言となっている。

2016年10月16日、洪水企画、1600円。

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2017年07月28日

栗木京子歌集 『南の窓から』



副題は「短歌日記2016」。

2016年1月1日から12月31日まで、ふらんす堂のホームページに連載された366首を収めた第9歌集。

 冬の日の聴力検査 海に降る白ききらめき身に感じつつ
 赤は黄を、あるいは青を生むことを墓前の炎見つつ知りたり
 火口湖の遠きかがやき宿りたり卓のめがねに夕日の差せば
 翅をもつ性ともたざる性ありて保育園児ら苑にあそべり
 さかしまに顔ふたつありとらんぷのハートのジャックは真横を向きて
 ものの影めくれあがりて炎(も)えむとす夏の地平に日の沈むとき
 内部より出でたるものはなまなまし桜桃のたね皿に光りて
 一周忌の友の墓前に集ひ来ぬ手書きの地図をもちてわれらは
 汽車の窓並ぶがごとしほの暗き画廊に銅版画の飾られて
 竹群の竹濡れてをり隣り合ひつつも触れてはならぬものある

1首目、目を閉じて一心に音を聴いている時の体感とイメージ。
2首目、亡き人を思いつつ、蠟燭の火をじっと見つめているのだ。
3首目、眼鏡のレンズに映る夕日から火口湖への連想が美しい。
4首目、「男」「女」という語を言わないことで、性別というものを考えさせる歌。
5首目、絵柄の顔の向きにはそれぞれ意味がある。真横を向いているのはハートとスペードのジャック、そしてダイヤのキングだけ。
6首目、上句の表現に力がある。まるで原爆が落ちる瞬間のようだ。
7首目、桜桃の外側はあんなにつやつやとしてきれいなのに。
8首目、「手書きの」がいい。親しかった人たちだけの集まりという感じ。
9首目、「汽車の窓」に見立てることで、画廊という空間が違って見えてくる。
10首目、竹の話から始まって、どこか恋のイメージへとつながっていく。

すべての歌に日付と詞書(散文)が付いているのだが、詞書と歌の距離が全体に近いように感じた。詞書と歌が相乗効果を発揮するまでには至っていない。

2017年7月20日、ふらんす堂、2000円。
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2017年07月06日

大松達知歌集 『ぶどうのことば』

 木守(きまも)りの柿のやうにもふたりゐてまだまだねばる夜の英語科
 十二時を超えないように飲む酒の、妻が超えればわれも超えゆく
 ホッチキスはづして二枚捨てたりき海を見て海に触れざりし夜
 蒸し返すわけではないと蒸し返す生徒の親にかうべを垂れる
 たまさかにパンツの忘れ物がある男子二千人毎朝来れば
 不惑過ぎてジャングルジムに登りをり娘とゐれば〈変な人〉ならず
 マチュ・ピチュは〈老いたる峰〉を意味するとぞ、壁に向かつて便座に
 坐る
 盗まうとすれば盗める長ねぎの箱あり朝の蕎麦屋の前に
 海(カイ)といふ文字をマリンと訓ませをりそのかみにウミを訓ませた
 やうに
 降(お)りますととなりの席にささやけり相対死(あひたいじに)を迫れ
 るやうに

2014年から2016年までの作品455首を収めた第5歌集。
教師としての歌、子育ての歌、言葉に関する歌が多い。

1首目、作者ともう一人が夜遅くまで残業している場面。薄暗い部屋に2か所だけ灯りが点っている感じがする。
2首目、夜の十二時までというルールを一応課しているのだが、妻次第ではOKなのだ。
3首目、上句と下句のつながりがとても印象的。どことなく寂しさが滲む。
4首目、「○○ではないが」と言った場合、たいていは「○○」なのである。
5首目、中高一貫の男子校。パンツを置き忘れた生徒はどうしたのだろう。
6首目、小さな娘と一緒だと、何をしていても良いパパに見られるので安心である。
7首目、マチュピチュという言葉の意味に関心を持つのが作者ならでは。トイレに貼られたポスターかカレンダーに写真が載っているのだろう。
8首目、配送された長ねぎのダンボール箱。不用心と言えば不用心だが、誰も取って行ったりはしない。
9首目、昨今のキラキラネームの話。「海」という漢字(中国の文字)を「マリン」と英語で読ませるのも、「うみ」と日本語で読ませるのも、確かにやっていることは一緒なのだ。
10首目、「相対死」は心中のこと。電車やバスの二人掛けの席で通路側の人に声を掛けている場面だが、発想が何ともユニークだ。

2017年5月16日、短歌研究社、2700円。

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2017年07月01日

岩尾淳子歌集 『岸』


2012年から2016年までの作品354首を収めた第2歌集。

帆をたたむように日暮れの教室に残されている世界史図説
夕立のにおいのこもる路地奥の鮨屋に烏賊はすきとおりたり
目のはしにあなたの溲瓶を見ておりき山雀みたいに向きあいながら
川風が吹き込んでゆく和菓子屋の奥のちいさな庭のみどりよ
この家の隅々までを知りつくしぷつんと掃除機うごかずなりぬ
父が締め母が開いてまた締めるしずく止まらぬ栓ひとつあり
葦分けて水ゆくように制服の列にましろき紙ゆきわたる
敷石の割れ目の草を越えようとして自転車はわずかに浮かぶ
酒瓶の置き場所少し動かせば鼻を寄せ来て猫はあやしむ
全天にちからあふれてわたつみに高速艇はあぶらを燃やす

1首目、大判の教科書が置いてあるだけの場面だが、「帆をたたむように」と「世界史」が響き合う。昼間の賑やかな教室との対比も感じさせる。
2首目、上句の薄暗い感じのなかで烏賊の透き通るような白さが際立つ。
3首目、2013年に亡くなった米口實さんを詠んだ歌。「山雀みたいに」がいい。衰えていく師の姿を見守ることしかできない。
4首目、店の奥に坪庭が見えている。そこだけ明るくて、緑が鮮やか。
5首目、上句が面白い。確かに掃除機が一番よく知っているかもしれない。
6首目、パッキンが劣化しているのだろう。蛇口のことを詠みつつ、古くなる家や老いていく両親の姿も感じさせる。
7首目、教室でプリントを配っている場面。初・二句の比喩がいい。制服の紺色とプリントの白の対比が目に浮かぶ。
8首目、発見の歌。「わずかに浮かぶ」が的確な表現だ。
9首目、猫の動きがよく見えてくる。まず鼻を近づけて、様子を窺っている。
10首目、けっこうスピードが出ているのだろう。速さを言わずに「あぶらを燃やす」と言ったのがうまい。

教師生活の歌や両親の歌、阪神淡路大震災を思い返す歌などが印象に残る。日常を詠んだ歌にも落ち着いた味わいがあり、第1歌集『眠らない島』とは雰囲気が違ってきたように感じる。

2017年6月9日、ながらみ書房、2500円。

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2017年06月11日

馬場あき子歌集 『渾沌の鬱』

2013年から15年までの作品を収めた第26歌集。
現代三十六歌仙シリーズの28。

豆の種もちて帰化せし隠元の豆の子太り信濃花豆
魂はけふすすき野の空にゐたりしがうつし身いわし焼きをりわれは
台風は南大東島にありてわが庭の石榴すでに落せり
まな板を干せば無数の傷みえて去年より今年へ年改まる
窓の向うに梅の花二つ咲いてをり今朝こまやかにからだも動く
芭蕉より一茶に人気ありといふフランスにけふ初雪が降る
降り沈む雪は音なくにひがたの街たひらかになして更けたり
母を亡くしし人より届くかぶらずしその亡き母の賜ひしごとく
何ごともをはりはつひによからずと自らいひて深くうなづく
若きらにまじれば心はなやぐを連れだちて若きらは若き彼方へ

1首目、インゲン豆の一種である花豆。その来歴を感じさせる。
2首目、魂と身体が離れてしまったような感覚。夜食の準備をしながらふと現実に戻るのだ。
3首目、何千キロも離れている台風の風がやって来たのだろうか。
4首目、何も変わらないようでいて、毎年少しずつ傷が増えていく。
5首目、「こまやかに」がいい。寒さが少し緩んで、身体の調子もよくなっていく。
6首目、「芭蕉」「一茶」「フランス」「初雪」という流れの面白さ。
7首目、「にひがた」が平仮名なのがいい。輪郭がなくなるまで雪に包まれていく町。
8首目、北陸の方なのだろう。母の代から毎年欠かさず送ってくれる。
9首目、「終り良ければすべて良し」とはいかないのが現実。
10首目、若者は若者で集まって、年寄りの相手になろうとはしない。

八十歳代後半を迎えた作者の年齢的な感慨が随所ににじむ。
それが何でもない日常の歌にも陰影を添えているように思う。

2016年10月27日、砂子屋書房、3000円。

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2017年06月08日

早坂隆著 『兵隊万葉集』


日中戦争から太平洋戦争、そして終戦へ至る時期に詠まれた歌を紹介しつつ、戦況などの解説を加えた本。戦争を詠んだ短歌を「当時の人々の率直な思いが込められている貴重な戦史資料」として捉え、そこから歴史を学ぶという姿勢で書かれている。

支那兵の死に浮く水を汲み上げてせつなけれども呑まねば
ならず                  上原酉松
汝が父の遺骨迎ふるも知らずして汽車にゆるるを喜びをりぬ
                      伊藤さよ子
大方は米国製なる工作機の耐用期間をわが思ひ見つ
                      山本広治
吾が前に少年二人戦ひに死にゆくことを事もなげにいふ
                      寺田幸子
手垢つきし愛(かな)しき本はわが名書きて征かざる友にわか
ち与へぬ                 玉井清文

引用されている歌の選びが良い。ただし、句ごとに一字空けという形で引用されている点が気になる。

これは「幅広い読者を対象とする新書の性格に鑑み、読みやすさを優先して、基本的に五・七・五・七・七の五句体に区切って表記した」ということなので、仕方がないのだけれども。

2007年7月30日、幻冬舎新書、740円。

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2017年06月05日

浅田徹ほか編 『帝国の和歌』


シリーズ「和歌をひらく」の第五巻。
浅田徹・勝原晴希・鈴木健一・花部英雄・渡部泰明編集。

明治以降の西洋近代との接触により、伝統的な和歌がどのように短歌へ変わっていったのかという問題意識のもとに、10篇の論文と5つのコラムをまとめた一冊。

古典和歌と近現代短歌とが、どのように繋がり、また断たれているのかを観察することによって、和歌と短歌とを、そして江戸期以前と明治期以降とを、共通の地平で考えることができるような「場所」を探りたい。
            勝原晴希「和歌とは何か、短歌とは何か」

というのが、本書の一貫したテーマである。勤皇志士和歌、新題歌、和歌改良論、御製、樋口一葉、森鴎外、新体詩、短歌滅亡論、万葉集といった切り口で、和歌から短歌へ続く道筋が考察されている。

それは単純な進化論的な見方では決して捉え切れないものである。また、鉄幹と子規によって短歌革新が行われたといった狭い見方でも描き切れないものだ。

以下、印象に残った部分をいくつか引く。

感慨を述べるのに適した長さである和歌形式は共同の〈気分〉を醸し出す力が強いため、ナショナリズムと必然的に結びつくように感じられるかも知れないが、両者の結びつきはそのときどきの社会の構造を介した偶発的なものである。
              百川敬仁「勤皇志士和歌の史的位相」
新題歌は単にいわゆる旧派和歌なのではない。新・旧の接点に存在する和歌なのである。
              小林幸夫「新題歌のイデオロギー」
それは換言すれば、ドラマという意識の欠如ということでもあった。ドラマは基本的に円環構造の思考からは発生しない。矢田部一人に限ったことではない。そもそもそれは日本にはない発想であった。
          有光隆司「思想の時代―西洋の文学概念による短歌評価の問題」

明治期に起きた、社会、政治、文化、生活、思想など全般にわたる変革の中で、日本の伝統的な和歌も変容と再生を余儀なくされた。そこには当然、プラスの面もあればマイナスの側面もあった。そうした苦さを今もなお短歌は背負っているのだと思う。

2006年6月20日、岩波書店、3700円。
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2017年06月03日

奥田亡羊歌集 『男歌男』

著者 : 奥田亡羊
短歌研究社
発売日 : 2017

「短歌研究」に8回にわたって連載された「男歌男」を中心に312首を収めた第2歌集。

流木の流れぬときも流木と呼ばれ半ばを埋もれてあり
森に行き人を殺して帰り来る子どもの話「ヘンゼルとグレーテル」
スタートを待つ一団に小さきが小さくなりて子の座りおり
月光をはじきてハクビシンとなる一瞬を見き動く気配の
ぶどうの皮をにゅっと出で来る挨拶のどこかで会った人なのだろう
月の夜を無蓋の貨車に運ばるる誰のいのちか桃の花盛り
大日本帝国連合艦隊司令長官搭乗機の展示されいるぐしゃぐしゃの翼
酔うほどに広くなりゆく卓上にしんと鋭き胡麻粒ひとつ
国をあげて造る古墳の葬列の二〇二〇年のこんにちは
赤い口あけて泣く子をあやしつつその子の父も赤い口ひらく

1首目、名前は流木であるがもう流れてはいない。
3首目、運動会の徒競走の場面。集団の中にいるわが子の小ささ。
4首目、一瞬照らし出されたハクビシンの姿が生き生きと捉えられている。
6首目、収容所へ送られるユダヤ人が思い浮かぶ。
8首目、酔った時の物の見え方はこんな感じ。遠近感が狂う。
9首目、東京オリンピックに対する痛烈な皮肉である。

連作を中心に構成された歌集なので、一首一首を単独で取り上げてもなかなか味わいが伝わらない。自らを「男歌男」と戯画的に詠む歌の中に、現代に生きる男性の苦しさや悲しみが深く滲んでいる。

2017年4月17日、短歌研究社、3000円。
posted by 松村正直 at 00:08| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする