2017年03月09日

石田比呂志歌集 『冬湖』

2011年に亡くなった作者の7回忌にあわせて刊行された遺歌集(第18歌集)。2010年から11年にかけての作品186首と未定稿歌抄39首、さらに自らの生い立ちを綴ったエッセイ「孑孑記(げつげつき)」を収める。

地下街の動く階段のぼり来て大欠伸の口地上にて閉づ
尾の切れし本体よりも切られたる尻尾(しっぽ)の方がよっぽと痛い
寝そべりていたりし犬が立ち上がり思い定めし如くに歩く
海峡の空低くゆく漂鳥を標的として襲う鳥あり
あけぼののきざせる部屋に石に降る雨を聞きおり眼鏡を置きて
背後(うしろ)から光が射せば前方に落つる外なき影に首あり
置き去りにされし鷗も居残れる鷗も白し夕日が中に
一方(ひとかた)に向きて湖面を漂える鴨あり首を風に吹かれて
飛ぶ鳥は必ず墜ちる浮く鳥は必ず沈む人間は死ぬ
石ころは石ころなりに所得て旅心(りょしん)動くということのなし

1首目、地下から地上に出る時のちょっとした緊張感。
2首目、組織と個人の関係としても読める歌だ。
4首目、渡り鳥の群れを襲う猛禽の姿が生き生きと目に浮かぶ。
5首目、「眼鏡を置きて」がいい。雨音だけが心に沁み込んでくる。
6首目、「首あり」と言うことで反対に斬首の場面がイメージされる。
9首目、何ともすごい歌だと思う。身も蓋もない。7首目から9首目は絶詠「冬湖」30首より。力のある歌が多い。

「孑孑記」も非常に味わいがある。未完に終ってしまったのが惜しい。

2017年2月18日、砂子屋書房、2500円。

posted by 松村正直 at 09:54| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

関野裕之歌集 『石榴を食らえ』

「塔」所属の作者の第1歌集。

その頰に手触れるまでの歳月を弥勒菩薩は微笑みており
人の死をひとつふたつと数えきて童の歌のななつで終わる
開拓の跡地に続く林道の中程にあり首括りの木
子の折りし鶴の背中の夕明かりたれのひと世も寂しきものを
躍動は犬の形を脱ぎ捨てて茅花咲く野を駆けてゆきたり
壁に並ぶ少女の写真見つめつつ老女は主語を「私達」で語る
いつか命よみがえるまでの沈黙に冬の桜は空に根を張る
生餌という命もありて水槽に小赤百匹千五十円
そのながき死後の時間のひとときを吾が夢に来て父は帰りぬ
いまさらのように夕空晴れていて駅を出る人みな空を見る

1首目、広隆寺の弥勒菩薩像だろう。ガイドブックなどでは「右手をそっと頰に当て」と紹介されるが、実際には手は頬に触れていない。
2首目、子どもが無邪気に唄う数え歌。その歌詞はちょっと怖い。
3首目、開拓生活がうまく行かずに困窮して首を括ったという謂れがある木。
4首目、折り鶴の白い背中をほのかに照らす光。子の人生を思う作者の気持ちが深く滲む。
5首目、生き物としての本能が剝き出しになったようなはしゃぎぶり。
6首目、「ひめゆり平和祈念資料館」の一首。少女と老女はかつて同級生だったのだ。
7首目、冬空に伸びる細かな枝を「空に根を張る」と捉えたのがいい。
8首目、肉食魚などの餌にする金魚。一匹あたり10.5円の命。
9首目、単に父を偲ぶ歌ではない。どこか寂しい距離が感じられる。
10首目、朝から天気が悪かったのだろう。帰りに明るくなった空を「あれっ?」と意外そうな顔で見上げる人々の様子が目に浮かぶ。

2016年12月17日、青磁社、2500円。

posted by 松村正直 at 12:06| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

安田茜短歌集 「default」

全20ページの個人誌。
「豊かの海」「水のはしら」「静かの海」「ポーズ」と各10首の連作が4篇収められている。

ともだちが彼氏のぐちを言うあいだおもちゃ代わりになる角砂糖

角砂糖を紅茶に溶かしたりしながら、黙って話を聞いているのだろう。「ぐち」と言っても深刻なものではなく、多分にのろけ交じりの話。

感情はがらくだだよね ひだまりの蓮をゆめみてはしるバスたち

初二句と三句以下のつながりが不思議な歌。作者もバスに乗りながら、ぼんやりと蓮池の光景を思い描いているのかもしれない。

うつしみに鎮痛剤がはなひらく再放送のような部屋にて

鎮痛剤が効いてくる体感を「はなひらく」と言ったのが面白い。下句、そう言えば前にもこんなことがあったなと感じたのだろう。

それぞれのイオンモールをねむらせて衛星都市におとずれる月

イオンモールは郊外の象徴的な存在だ。深夜、灯りの落ちたイオンと空に輝く月。「衛星都市」と地球の衛星である「月」が響き合う。

じゃがバターほおばっているきみのままずっとそうしていればいいのに

じゃがバターをハフハフしながら食べている恋人。何でもない日常の一コマだけれども、そうした日々にもいつかは終わりが来てしまう。

明晰で緻密な歌というよりも、全体にふわっと意識が遠いような感じがあり、現実からちょっと逸れているところが面白い。

2017年1月22日発行。

posted by 松村正直 at 08:04| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

『改訂版 松村英一全歌集』

『改訂版 松村英一全歌集』(新星書房)は1985年に出た全集の改訂版。全17歌集と補遺の計9468首を収めている。

全体をざっと眺めていて、一つの発見があった。
それは昭和26年の次の歌である。

樺太の奥鉢(おくばち)山をおもふなりそこにもありしごぜん
たちばな                 『石に咲く花』

ごぜんたちばな(御前橘)は高山に育つ植物で、石川県の白山(御前峰)が名前の由来となっている。

1首前には〈高山のごぜんたちばな紅葉して葉が散りおちぬ霜ふりしかば〉という歌がある。どこかの山でごぜんたちばなを見て、戦前の樺太の奥鉢山で見たごぜんたちばなを思い出したのだ。

松村英一は『樺太を訪れた歌人たち』にも書いたように、昭和12年に樺太を訪れている。その時、奥鉢山に登って「ごぜんたちばな」の歌を詠んでいる。

霧の湧く湖を見おろす岩山に花は過ぎたるごぜんたちばな

さらに言えば、奥鉢山には昭和14年に松村の歌碑が建てられたのであった。そんな縁の深い山のことを、戦後になっても松村はちゃんと覚えていたのである。

http://matsutanka.seesaa.net/article/444540538.html

奥鉢山の歌碑は今どうなっているのだろう。
いつか確かな情報をつかんで、現地に探しにいきたい。

posted by 松村正直 at 20:16| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月03日

大森静佳歌集 『サルヒ』

モンゴルへ旅行した時の写真と短歌30首を載せた1冊。
タイトルの「サルヒ」はモンゴル語で「風」という意味とのこと。

草原に火を芯として建つ包(パオ)のひとつひとつが乳房のかたち
唇(くち)もとのオカリナにゆびを集めつつわたしは誰かの風紋でいい
顔が長いだけなのにいつもうつむいているように見える馬たちしずか
朝。シャツを脱いできれいなシャツを着る異国の闇を手に探りつつ
犬の死骸に肉と土とが崩れあう夏。いつまでも眼だけが濡れて

1首目、中央に炉があることを「火を芯として」と言ったのがうまい。
2首目、小さなオカリナを吹いているのだろう。下句が個性的で印象的なフレーズだ。風が過ぎた跡にできる風紋であってもいいとの思い。
3首目、おもしろい発見の歌。確かに馬は俯いている感じがする。
4首目、朝の暗がりでの着替えの場面。「異国の闇」がいい。
5首目、土に同化していきながらも、眼だけは生前のようになまなましく残っている。

写真の青空と草原の色が美しい。
犬、馬、羊、牛、そして子供たちが、みな生き生きとしている。

2016年11月23日、500円。

posted by 松村正直 at 21:34| Comment(1) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月13日

馬場昭徳歌集 『風の手力』

2009年から2013年までの作品548首を収めた第4歌集。

坂と墓と馬鹿ばつかりの長崎の春の坂道ゆつくりのぼる
昭和二十年八月十日と刻まれし祖父の命日指もて撫でつ
貸し借りは借りへと傾きやすくして貸し借りのなきわれと樟の木
足元の闇の深さは思ふなく十階までを引き上げられつ
健康に悪きことすべてやめたりしその生活を思ひみてみよ
この国に四季あることの楽しくて季節の変り目ごとに風邪ひく
血を止めるための凝固を始めたり血であることを血はやめながら
丸餅の一個なれども新年といふ時を得て喉に喜ぶ
太陽の光と月の光では届く速さが違ふと思ふ
歩道になつたり車道になつたり公園になつたりしながら自転車で行く

1首目、音の響きの楽しい歌。地元長崎への愛を感じる。
2首目、原爆で亡くなった祖父。即死ではないところに、むしろ痛ましさを覚える。
3首目、飄々とした感じが良い。ユーモアも作者の持ち味。
4首目、もしもエレベーターの床が透明だったら、相当怖いだろう。
5首目、そんな生活はつまらないだろと言っているのだ。
6首目、上句から下句への展開に意外性とユーモアがある。
7首目、ただごと歌的な面白さのある歌。液体の血が固体に変化する。固まってしまうともう血ではない。
8首目、「喉に」の「に」が絶妙。
9首目、月の光の方がスピードが遅く感じられるのだろう。実際はもちろん同じ速さであるのだが。
10首目、文体が面白い歌。「歩道を通ったり」でなく「歩道になったり」としたのが良い。4句目までと結句とにねじれがある。

作者は長崎に住み竹山広に師事した人。一昨年、長崎で現代歌人集会の大会が開かれた時にお会いしたが、パネリストとして竹山広の歌を次々と暗誦するのが印象的であった。懇親会の席で「少なくとも300首は覚えていなくちゃ、師事なんて言えないよ」ともおっしゃっていた。

2014年3月30日、なんぷう堂、1200円。

posted by 松村正直 at 07:57| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

染野太朗歌集 『人魚』


2010年から2015年までの作品を収めた第2歌集。

抱きしむる力に抱き返されたきを浅くながるる五月の水は
さびしさに呑み込まれつつ今ぼくはカリ活用を板書する人
しがみつくあれはぼくだな新宿の高層ビルの窓のひとつの
まっ白なカップの縁(ふち)にこびりつくカフェラテの泡 これは悔しさ
種をはずし皮をはがしてアボカドを切る感情はつねに正しい
ぼくの汗をとんぼが舐める舐めながら白い卵をなお産みつづく
生徒らがいっせいに椅子を持ち上げて机に載せるわが指示ののち
ひとり来て曲げれば秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー
聞いてる? と聞かれてちょっとうれしきを君が卵を溶く指速し
憲法ゆしたたる汗に潤える舌よあなたの全身を舐む

1首目、相手と自分の思いの強さがうまくつり合わないさびしさ。
3首目、窓拭きをしている人と読んだ。何かにやっとしがみついて生きている自分。
5首目、確かに感情は往々にして理性よりも正しい結論を導く。
6首目、実景のような、幻想のような、奇妙な生々しさがある。
7首目、掃除をするだけなのだが、「いっせいに」「指示」というところに、軍隊のような危うさが潜んでいる。
8首目、曲がるストロー。「ぷぷぷぷ」というオノマトペがいい。
10首目、政治と性を重ね合わせて詠んだ一連。古くからある手法だが、新たな可能性を感じる。

ネガティブな感情や胸の奥に潜む感情をどのように表現するかという点に注目・共感しながら読んだ。「充足」「舌」という二つの連作が特に印象的。

2016年12月31日、角川書店、2600円。

posted by 松村正直 at 16:14| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

光森裕樹歌集 『山椒魚が飛んだ日』


現代歌人シリーズ13。
2012年から2016年までの作品371首を収めた第3歌集。

ヴィオロンのG線上を移動する点Pとして指ひかりゐつ
カメレオンに見せてみじかき吾が舌は風にすこしく乾きゐたるも
成分は木星にちかいときみが云ふ気球を丘の風に見てゐつ
みづのなかで聞こえる声は誰の声こぷりと響(とよ)めばぷこりと返し
性別が名を産むあさな性別を名が産むゆふな風を見てをり
つよく捺す判に張りつき浮きあがる手術同意書 はがれてゆきぬ
あやまたず父となるべし蕪の葉を落してまろき無を煮込みつつ
0歳を量らむとしてまづ吾が載りて合はせぬ目盛を0に
眸(まみ)ふかく映してやりし遠花火に教へてゐない色ばかりある
本島を沖縄と呼ぶ離島にも離島はありて其の離島にも――

1首目、バイオリン奏者の指の動きを、まるで数学の問題のように捉えているところが面白い。
3首目、気球の中にあるガスの成分の話。
4首目、宮沢賢治の「やまなし」を思い出す。
5首目、「生まれてくる子が男だったら〇〇、女だったら△△」と2つの名前を考えることがあるけれど、男女で名前が違うというのもよく考えれば不思議なことだ。
7首目、「蕪」から草冠を除くと「無」という言葉遊び。
8首目、抱っこする自分を器のように捉えて、いわば風袋引きをしているところ。
10首目、「中心―周辺」の関係性というのは、「本土―沖縄」だけでなく実は何層にも積み重なっているのである。

結婚、石垣島への転居、子どもの誕生など、境涯を反映した内容の歌が多くある。特に子どもを詠んだ歌は、質・量ともにこの歌集の中心をなしている。

歌集のタイトルは、ペットの「ウーパールーパー」を持って飛行機に乗ったことにちなんだもの。「ウーパールーパー」がメキシコサラマンダー(メキシコサンショウウオ)という山椒魚の一種であることを初めて知った。

李白の漢詩、ゲーテの「ファウスト」、トレミーの48星座、ネーナの楽曲など、幅広い教養を活かして工夫を凝らした連作が多い。連作を構成する意識の強い作者と言って良いだろう。

2016年12月21日、書肆侃侃房、1900円。

posted by 松村正直 at 19:20| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月28日

佐藤涼子歌集 『Midnight Sun』


新鋭短歌シリーズ33。
塔短歌会所属の作者の第1歌集。
2012年から2016年までの作品304首を収めている。

東日本大震災を詠んだ連作「記録」がまずは印象に残る。作者はこの連作で第4回塔新人賞を受賞しているが、受賞作が30首であったのに対して、この歌集では44首と大幅に歌数が増え、内容的にも震災から5年後の歌が入るなど厚みを増している。

ドーナツで丸く切り取る夏の空この先ずっと寄り道でいい
水鳥が集まる沼のそばにあるカフェ・コロボックルは今日もお休み
あの人も発見されたと言うけれど十日目だから生死は聞かない
東側何回見ても何もない仙台東部自動車道路
臭いがきつい 消防法上一つしか香炉が置けない遺体安置所
吉田歯科前に十二の花鉢が並ぶ「吉田」とペンで書かれて
泥舟をいつ降りようと勝手だが船は揺らすな みんな沈むぞ
マグカップ割れてようやくこんなにも疲れていたと気づいてしまう
白菜と牡蠣二、三個を取り分けて渡す 言えないことの代わりに
ライラック色のペディキュア塗っていて良かった 口に含むだなんて

1首目は下句のフレーズが魅力的。開放感と明るさがある。
2首目、「コロボックル」は店の名前だが、まるで本物のコロボックルが働いているみたいな感じがする。
3、4、5首目は「記録」から。
5首目、「消防法上一つしか香炉が置けない」という細かな具体が、これ以上ないほどに現場の感じを伝えている。
7首目、被災地のことか、あるいは現代の日本のことか。
9首目は二人で鍋を食べているところ。「白菜と牡蠣二、三個」がいい。
10首目は性愛の場面。なるほど、こんなことを思うものなんだ。

漢字の読み方が難しい歌があって、例えば「絆されて」(ほだされて)、「冷まじい」(すさまじい)など、ルビを振った方が良いのではないかと思う。

2016年12月14日、書肆侃侃房、1700円。

posted by 松村正直 at 07:37| Comment(2) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

糸川雅子歌集 『橋梁』



現代短歌ホメロス叢書9。
2008年から2012年までの作品378首を収めた第6歌集。

秋山に誰も知らざる風ふきて風のにおいが里までとどく
家電みなちいさくうすくなってゆき平成の秋ちんまりと坐す
次々に柿落ちてゆきどの柿の落下の瞬間(とき)に会うこともなし
山国の日暮れは早し味噌汁の椀にしめじと里芋うかぶ
「遅れたから」遅刻の理由をそう記す生徒のあれば叱りてたのし
蟬の骸点々とある家庭(いえにわ)を散歩し蟬を老犬は食む
ゆでたまごきれいにむけて遠足の朝のような秋晴れとなる
思い出のなかをくぐりてかえりくる赤とんぼあり 指を差し出す
はらわたがこころとからだをつなぐから起きぬけの水喉そらし飲む
さいわいのあかしのように蜜柑盛り卓上に藍の鉢は置かるる

1首目、秋の季節感を詠んだ歌。見えないけれど風のにおいがする。
3首目、確かに柿が落ちてくる瞬間はあまり見たことがない。
4首目、「しめじと里芋」がいいのだろう。いかにも山国という感じ。
6首目、老犬の姿や動きがまざまざと目に浮かぶ。
8首目、上句が印象的。赤とんぼは思い出の時空を飛んでいるのだ。
9首目、朝に飲む一杯の水が身体だけでなく心にも染み込んでいく。

2016年11月24日、飯塚書店、1800円。

posted by 松村正直 at 07:01| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

大島史洋著 『斎藤茂吉の百首』


「歌人入門」シリーズの2冊目。
斎藤茂吉の17冊の歌集から100首を取り上げて、鑑賞を付けている。

特に注目すべき引用歌や新しい読みがあるわけではないが、茂吉の全体像をを知るには良い本だと思う。

まかがよふ昼のなぎさに燃ゆる火の澄み透るまのいろの寂しさ
                     『あらたま』
ひる過ぎてくもれる空となりにけり馬おそふ虻(あぶ)は山こえて飛ぶ                  『ともしび』
松花江(スンガリイ)の空にひびかふ音を聞く氷らむとして流るる音を                  『連山』
休息(きうそく)の静けさに似てあかあかと水上警察(すゐじやうけいさつ)の右に日は落つ     『暁紅』
わたつみに向ひてゐたる乳牛(ちちうし)が前脚(まへあし)折(お)りてひざまづく見ゆ        『霜』

2首目の鑑賞には「この歌はまさしくこの下句に眼目があるから、ほかのところは邪魔にならないように、まことに地味に作られている」とある。その「邪魔にならないように」というのが、実作においてはなかなか難しいのだ。

2016年11月15日、ふらんす堂、1700円。

posted by 松村正直 at 19:26| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

小黒世茂歌集 『舟はゆりかご』

2012年から2016年の作品308首を収めた第5歌集。

国の名に穀物実るめでたさの粟は阿波国、黍は吉備国
うらら 小さき翅がくるぶしに生えるここちに海峡わたる
うつつ世をはなれ対馬に立つわれに三十一ヶ所砲台跡マップ
黒潮は渦の底よりうねりつつ鯛はけふより花の名冠る
虻のとぶ庭にぼんやり腰おろし髪梳きし祖母すすきかるかや
夕焼けのあとの朝焼け 瀬戸内は黒曜石に似たるしづけさ
おのおのの春を過ごして丘畑の初夏に会ひたり虻と羊蹄花(ぎしぎし)
窓ガラスに雨粒つぎつぎすべる日よ三時になりて三時のバス発つ
桟橋に舟を待たせてゐるからと友の末期の言葉はしづか
雪また雪 竹生島とは遠つ世に陸封されし白鯨ならむ

1首目、「あわ」と「あわのくに」、「きび」と「きびのくに」。発音が同じ面白さ。
4首目、桜鯛のことを詠んだ歌。「花の名冠る」がうまい。
5首目、「虻」「とぶ」「ぼんやり」、「梳き」「すすき」など、音のつながりが歌を作っている。記憶の中の祖母の姿。
7首目、「虻と羊蹄花」という意外性のあるもの同士の取り合わせがいい。「蝶と菜の花」ではダメだろう。
10首目、雪が積もった竹生島(琵琶湖の中にある島)を「白鯨」に喩えている。

あとがきに「日本の源流を探索する旅を続けてきた」と記す作者。様々な土地の風土や民俗に深い関心を持っており、それが歌にもよく表れている。

2016年10月15日、ながらみ書房、2800円。

posted by 松村正直 at 06:39| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月08日

佐藤佐太郎著 『作歌の足跡―「海雲」自註―』


佐藤佐太郎は昭和46年に自選歌集『海雲』を刊行している。第7歌集『群丘』の後半から第9歌集『形影』までの歌の中から500首を選んだものだ。

本書はその『海雲』の自家自註である。さらに「及辰園百首」(第1歌集『歩道』から第10歌集『開冬』までの歌から100首を自選したもの)の自註も載せている。

自註と言っても、単に歌の背景を明かすだけでなく、歌作りの参考になる話がどんどん出てくる。読んでいて実におもしろい。

「山にひびかふ」は実際の感じでもあったが、このように二つのものを関係させるのが、多く私の表現法である。
少しの言葉で多くのことを言うのは表現のよろこびでもある。
驚くなら驚いてもいい事柄だから「うちつけに」と言ったが、この虚語が割合に働いているようである。
歌は虚と実の緩急によって調子が出る。枕詞は虚である。
確かに言うのが短歌の問題のすべてである。その上に言葉に経験の声としての詠嘆をこめるのが短歌である。
必要のない事を言つて味ひの添ふのは詩の常である。

まさに箴言というべき言葉ばかりだと思う。歌作りの理論に関して言えば、佐太郎を超える人は今もまだ現れていないのではないか。

1980年9月20日、短歌新聞社、1500円。

posted by 松村正直 at 20:23| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

湯川秀樹著 『湯川秀樹歌文集』


日本人初のノーベル賞受賞者 湯川秀樹の随筆と歌集『深山木』(473首)を収めた本。文章にも歌にも味わいがあって、戦前育ちの人の教養の幅広さを感じさせられる。

一世代は本当に短かいものである。時は小川の水のように流れる。川の底に残るのはただ幾つかの小石である。美しい小石、人はこれを思い出と呼ぶ。
外形がはっきりしていて、心の奥は暗くてわからないのが普通であるのに、ここでは、明暗が逆になっている。この逆転によって、比類のない美しい世界を創造し得ることを、紫式部は千年の昔に発見したのである。
天の羽衣がきてなでるという幸運は滅多に来ない。一度もそういう幸運に恵まれずに一生を終わる人の方がずっと多いであろう。しかし、だからといって、そういう人の人生は無意味であったとは限らない。

他にも印象的な文章が多いのだが、中でも五人兄弟のうち一人だけ学者にならずに戦死した弟滋樹(ますき)を偲ぶ「大文字」という一篇は心に沁みる。

短歌は平明でわかりやすい歌が多い。

落ち暮れし田圃に立てば窓々の明るさのせて汽車はすぎゆく
湧き出でし煙動かずと見てあれば空にたなびき犬の首となる
バスはまた人なき里を行きてとまり女(をんな)降りけりそこは一つ家(や)
先生はいまだ帰らず春の日を松の木(こ)の間(ま)に少しある海
ひとりきてひとりたたずむ硝子戸の中の青磁の色のさびしさ
  (ナポリにて)
見あぐれば窓に人あり綱(つな)の先のざるをおろして物買はんとす
おじいちゃんしかしと二歳児はわれにいひてあとははははと楽しげに笑ふ

湯川秀樹は戦後、新村出、吉井勇、川田順、小杉放庵、中川一政らと「乗合船」という短歌同人誌を出していたらしい。そのあたり、一度調べてみようと思う。

2016年10月7日、講談社文芸文庫、1600円。

posted by 松村正直 at 19:00| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

馬場あき子著 『寂しさが歌の源だから』


副題は「穂村弘が聞く馬場あき子の波瀾万丈」。
角川「短歌」2013年10月号から2014年10月号にかけて連載された「馬場あき子自伝―表現との格闘」に加筆修正したもの。

穂村さんのインタビューに答える形で、生い立ちから戦時中の青春時代、短歌との出会い、「かりん」創刊、今後の短歌についてなど、かなり率直に語っている。

どの雑誌も創刊のころというのは元気で、楽しいものです。だから、いつも創刊号を出すつもりで編集すべきなんです。

良い言葉だなあと思う。マンネリにならないように、常にフレッシュな気持ちであり続けるということだろう。

六十過ぎたらもう自分自身との対話だけがたよりですよ。
歌人は歌を作る以外、ないのよ。それで、毎日、歌を作る。

シンプルな言葉が胸に響く。表現する人だけが持つ深い孤独が感じられる。

馬場さんの人生や作品の奥に潜むものが、十分に伝わってくるインタビューであった。聞き手の穂村さんの力も大きい。

2016年6月25日、角川書店、1800円。

posted by 松村正直 at 10:06| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

橋本喜典歌集 『行きて帰る』

2012年から2016年までの作品566首を収めた第10歌集。
老いの歌や人生の感慨の滲んだ歌、さらに戦争の記憶や近年の危うい社会状況なども積極的に詠んでいる。

点滴の四時間余り電子辞書に遊びてわれに知識増えたり
レントゲン技師の合図はこの今を働く声にてわれは従ふ
勇往邁進のごとき構へに歩み来る「健康のため」の老人怖し
理髪店の大き鏡の虚像より抜けきたるわれいづこへ行かむ
蝸牛のごときを耳に装着しあやしげに聞く万物の音
昨夜(よべ)の窓風を怺へてありしかど急げる雲を映せり今朝は
雪を積む土の中にて木草の芽音たててをりわが耳は聞く
早蕨を清らに濡らし夜の明けをわが精神の川は流るる
牛乳壜二度洗ひして乳色のうすきくもりは透き通りたり
この雨も聞えないのときかれたりざあざあ降つてゐるのかときく

2首目、「この今を働く声にて」がいい。仕事をしている人の声。
4首目、散髪の間ずっと鏡に映っていた私から、私が離れていく。
5首目、補聴器の歌。
7首目、実際の物音のことではないが、確かに聞こえるのだ。
8首目、何ともかっこいい。こういった表現ができるのも短歌の大きな魅力である。
10首目、耳の聞こえが悪いことも、素敵な歌になる。小雨なのか、ざあざあ降りなのか。

他にも、長歌「わが「歎異抄」体験」が凄味があって良かった。
「八十七歳書斎を建つるただ一度そして最後の贅沢として」という歌もあり、いくつになっても前向きな心を失わない作者である。

2016年11月11日、短歌研究社、3000円。

posted by 松村正直 at 08:19| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月29日

沼尻つた子歌集 『ウォータープルーフ』


「塔」に所属する作者の第1歌集。

どの空も再びは無く大いなる鏃(やじり)を為して渡り鳥ゆく
あらかじめ斜めのかたちの登山用車輛は平野を走ること無し
一頭の若鹿の鼻濡れ続く個人蔵なる油彩の森に
つむじからつまさきまでをひと盛りの泡に洗われ、ぴゅうと尿す
履歴書を三味線として流れゆく瞽女(ごぜ)であるなり派遣社員は
伊那谷の底(そこい)に白き川はあり吾を産む前の母を泳がす
淡雪のようなる埃をぬぐいたり半年を経し義援金箱
黙禱時に目を閉じるなと指示のありレジの金銭担当者には
ゼッケンの2の尾を伸ばし3と書く去年の娘の青き水着に
口元のω(オメガ)ぴるぴるうごめかし丸き兎は青菜を食めり

1首目、「大いなる鏃」という比喩に力がある。二度と同じ空はない。
2首目、ケーブルカーの車両は山の斜面を上下するだけだ。
4首目、赤ちゃんを洗っているところ。結句が可愛らしい。
5首目、派遣社員という立場の悲哀とともにプライドも感じる。
6首目、若き日の母の肢体を想像して、美しくなまなましい歌。
7首目、「半年」しか経っていないのに人々の心は急速に冷めていく。「淡雪」と「埃」の落差が胸に響く。
9首目、小学2年生から3年生になったのだろう。「尾」という捉え方がいい。
10首目、「ω」という比喩、「ぴるぴる」というオノマトペが絶妙。

父の死、離婚、東日本大震災、空き巣、再婚など、「出来事」の多い歌集であるが、詠み方には十分な工夫があって、単なる報告に終っていない。総合誌や「塔」に載った連作もだいぶ手を入れ、歌数も削っているようだ。

文法的に気になったのは「子の見あぐ一樹となりて陽のもとに葉を鳴らしたし いつかの五月」「見えぬもの不検出なる表かかげ開かるプールに小枝の浮かぶ」「植物油インクに刷らる広報の活字は草の種の大きさ」など。それぞれ「見あぐる」「開かるる」「刷らるる」と連体形にすべきところではないだろうか。

2016年9月7日、青磁社、1700円。

posted by 松村正直 at 08:24| Comment(4) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

沖ななも歌集 『日和』

2010年から14年にかけて発表された527首を収めた第10歌集。

唇の乾けば熱の身も乾く棒鱈のように寝ているばかり
会ってからのあれやこれやを想像し会えばどれともちがうなりゆき
ケータイを開きしままに居眠ればケータイも眠るわが掌(て)の中で
色あせて捨てんとしたるブラウスの小さな染みもともに棄てんか
公孫樹(いちょう)の実小さきを一つ見つければつぎつぎと増ゆ目にみゆる青
何気なく履くスリッパにどことのう右ひだりありて履き替えている
一つ死をまなかに置きて蜘蛛の巣は秋の光の中にかがやく
羊の毛ぬぎて水鳥の毛のなかにもぐりぬ朝まで眠らんために
五百年千年立ちて立ちつづけ杉の木ついに天に届かず
三色ペンのまず黒が減り赤が減り残れる青を使わずに捨つ

1首目、熱で寝込んでいる時の歌。「棒鱈」という比喩が強烈だ。
3首目、ケータイの画面が暗くなっていたのだろう。
4首目、何か思い出のある染みなのかもしれない。「捨てん」「棄てん」と字を使い分けている。
5首目、一つ見つかると目が慣れて、他の実も見えるようになる。
7首目、蜘蛛の巣にかかった獲物を「一つ死」と言ったのがいい。
8首目、技巧的な歌。ウールの服を脱いで羽根布団の中に入る。
10首目、インクは同じ量だが三色同時になくなることはない。

2016年5月25日、北冬舎、2200円。

posted by 松村正直 at 19:52| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月08日

梅内美華子歌集 『真珠層』

2009年から2013年までの作品279首を収めた第6歌集。

銀髪の婦人のやうな冬の日が部屋に坐しをりレースをまとひ
海風に髪の湿りてぺたぺたす淋代(さびしろ)といふ浜にむかへば
夕映えに滲みつつともる観覧車誰かを迎へに行きたき時間
ひんやりと馬肉の赤身はそのむかし打ち身をくるんでゐたのよといふ
いやあ、あかん どうもあかんね寒中を叫びつつ風が走りてゆけり
かたむきてボタンの穴をくぐりたるボタンのやうなかなしみに居る
獅子頭の口の奥より被災せしこの世見てゐるほの暗き顔
母の髪しだいに明るくなりてゆき陽に透きてけふはもろこしのやう
草むらにさざなみのたつ上げられし鮒が跳ねつつ草濡らすとき
赤き玉とろりとできてこぼさなかつた泪のやうな線香花火

ふるさとの八戸や、六ヶ所村、三沢を詠んだ歌、学生短歌会の頃からの知り合いである田中雅子、佐々木実之の死を詠んだ歌、老いてゆく両親の歌など、全体にずっしりと重い手応えのある一冊。深い悲しみが感じられる。

1首目、「銀髪の婦人のやうな」という比喩が秀逸。
3首目、迎えに行くというのも相手がいなければできないことなのだ。
5首目、話し声が風に乗って聞こえてきたのだろう。
6首目、「かたむけて」がいい。確かに傾けないと留められない。
8首目、明るい話かと思って読んでいくと、結句に寂しさがある。
9首目、川岸で釣りを見ている。鮒の動きが何ともなまなましい。

2016年9月16日、短歌研究社、2700円。

posted by 松村正直 at 21:54| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月29日

山田航著 『ことばおてだまジャグリング』


「本の話WEB」2015年2月8日〜2016年1月24日の連載をまとめたもの。

「回文」「アナグラム」「早口言葉」「しりとり」「アクロスティック(折句)」「なぞなぞ」など、様々な言葉遊びについて、自作もまじえながら全12章にわたって書いている。

【回文】
気温は地獄、五時半起き
サウナ「かもめ湯」で夢も叶うさ
【アナグラム】
「桐島、部活やめるってよ」→「〆切破って捕まるよ」
「アナと雪の女王」→「同じ京都の鮎」

とにかく面白い。言葉に興味がある人なら、誰でも楽しめると思う。それだけでなく、歌人山田航を考えるうえでも必読の内容と言っていい。今月の毎日新聞の「短歌月評」(9月19日)でも取り上げさせていただいた。

しりとりは単に言葉を発見して並べてゆくという楽しみばかりではなく、たった一文字が共通しているというだけで、本来なら無関係な言葉同士がどこまでもつながっていってしまう奇妙な文脈を作る楽しみでもあるのだと思う。
回文もそうだけど、受け手として楽しむばかりじゃなくて、自分でも作ってみることで言葉の世界へさらに深く潜ってゆけるようになるし、もう一度受け手に回ったときの驚きもより一層深いものになる。

こんな文章を読むと、あれっ?短歌に似ているなと思う。比喩の話や上句と下句の取り合わせ方の話、短歌の作者と読者の話を聞いているみたいだ。

そう、実はこの本は短歌の本でもあるのだ。

とにもかくにもとりあえず、短歌というのはそもそもが言葉遊びの精神に根差しているもの。
結局のところ僕は「言葉遊びの最終進化形」として今日に至るまで短歌をいじくり回しているような気がする。

ここには、短歌は「究極の言葉遊び」という短歌観が明確に打ち出されている。「言葉遊びをなめるな」「言葉遊びという語を軽々しく用いてもらいたくはない」と述べる著者の本気がずしんと伝わってくる1冊である。

2016年4月25日、文藝春秋、1300円。

posted by 松村正直 at 21:23| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

鈴木晴香歌集 『夜にあやまってくれ』


新鋭短歌シリーズ28。
262首を収めた第1歌集。

おたがいの体に等高線を引くやがて零メートルのくちづけ
唇をつけないように流し込むペットボトルの水薄暗い
鉄柵の内に並んだ七人の小人がひとり足りない芝生
教える手おしえられる手が重なってここに確かに心臓がある
ルート2の抜け道を行く夕暮れにどこからか恋猫の鳴き声
残像の美しい夜目を閉じた後の花火の方が大きい
氷より冷たい水で洗う顔うまれる前は死んでいたのか
黙ることが答えることになる夜のコインパーキングの地平線
水道の水を花瓶に注ぎ込む何となく秒針を眺めて
交番の前では守る信号の赤が照らしている頰と頰

1首目、等高線という言葉が人体の凹凸をなまなましく想像させる。
3首目、「七人の」と言っているのに、六人しかいないのがおもしろい。「七人の」は数のことではなく、固有名詞(白雪姫のキャラクター)の一部なのだ。
4首目、「ほら、私こんなにドキドキしてる」などと言って、相手の手を取り自分の胸に当てている場面。
5首目、「ルート2の抜け道」がいい。縦、横の道に対して、斜めに抜ける道。
8首目、恋の場面。相手の問いに対してOKと言えずに黙り込む。
10首目、夜の横断歩道の前に立つ二人。これからどこへ向かうのだろうか。

文体的には動詞のテイル形が多いところに特徴がある。例えば119頁を見ると「抱いている」「抱きしめられている」「さらされている」と3首ともテイル形が使われている。

小題は歌の言葉から採られているものだけでなく、「白熱灯はその下だけを照らしていた」「問いには答えが似合うだけ」「ここにとどまるために私は駅に向かう」など、それ自体が作品になっているものが多い。

2016年9月17日、書肆侃侃房、1700円。

posted by 松村正直 at 07:54| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月24日

奥村晃作歌集 『ビビッと動く』

2014年から16年にかけての320首を収めた第15歌集。

鳥取の松葉蟹の子生きながら箱詰めに五尾送られて来ぬ
耳に執する三木富雄作の巨大なるアルミニウムの「耳」しんと
あり
餌やりは禁止となりて知床の遊覧船にユリカモメ見ず
〈御茶ノ水橋口〉を出て地下鉄の「御茶ノ水」まで歩いて二分
「裸体」「裸婦」裸の人を描(えが)くとき黒田清輝は集中せりき

1首目は巻頭歌。「生きながら」がいい。ちょっとかわいそうだけど美味しそう。
2首目、「耳」「三木」「アルミ」「耳」のミ音の反復がうまく響いている。
3首目、当り前の話だが、カモメは観光客へのサービスで来ていたわけではなく、餌を目当てに来ていただけだったのである。
4首目、JRの御茶ノ水駅を出て、橋を渡って丸の内線の御茶ノ水駅へ。このちょっとした乗り換え。
5首目、裸だから集中したわけでもないと思うが面白い。「清輝(せいき)」と「せりき」の響き合いも効いている。

2016年9月22日、六花書林、2500円。

posted by 松村正直 at 10:33| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月16日

永田和宏・永田淳・永田紅編 『あなた 河野裕子歌集』


河野裕子の残した約6400首の歌から、永田和宏、永田淳、永田紅の三人が約1500首を選んだアンソロジー。

15歌集それぞれに編者の書き下ろしエッセイが付いているほか、歌集の書影や年譜も載っている。解説は三枝ミ之さん。

永田和宏さんのエッセイ「自宅介護のころ」に書かれているエピソードが、何だかすごかった。感想がうまく言えない。

永田紅さんのエッセイ「どこかに猫はいないかな」には、こんな一節がある。

横浜に住むようになって、母は「横浜の猫はしっぽがない!」と驚いたそうだ。しっぽの短い鍵尾の猫を、それまで見たことがなかったのだ。

おお、こんな時こそ『くらべる東西』の出番だ。

カギ形のしっぽが多いのが「東のネコ」
真っすぐな形の尻尾が多いのが「西のネコ」

と、写真入りでちゃんと書いてある。

東京のわが家で飼っていたミミも、尻尾が曲がって短い猫だった。

2016年8月4日、岩波書店、1800円。


posted by 松村正直 at 09:57| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月15日

花山多佳子歌集 『晴れ・風あり』

2008年から2012年までの作品425首を収めた第10歌集。

練り物の類(たぐひ)は得体の知れぬゆゑ口に入れぬと言ひし父はも
家を出て十字路渡つた角に在る 入れた記憶のなくなるポスト
あたらしき雪平鍋に滾りつつ湯は芽キャベツのさみどりを揉む
佃島リバーシティに降る雨は佃小橋の水路にも降る
耳かきをいつも捜してゐた息子 いま耳かきはすぐに見つかる
もはや父とは会ふことなからむ手の甲にさやる柩のなかの毛髪
行人坂くだりゆくとき上りくる人多し上るとき下りくる人多し
日本(につぽん)の誇る土嚢が梅雨ふかき原発建屋のめぐりに置かる
いかづちのとどろきしのち雨はれてひるがほいろのそらがひろがる
しじみ蝶だらうか草に椋鳥がとらへしものは羽ばたいてをり

観察力の働いた歌やユーモアのある歌に特徴がある。娘や息子を詠んだ歌に加えて、この歌集では亡くなった父への想いを詠んだ歌に印象的なものが多かった。

1首目、原材料として何が使われているかわからないから、ということだろう。頑固で少し変わり者の父の性格が彷彿とする。
2首目、葉書を投函したかどうか忘れてしまうという意味に読んだ。
3首目、結句の「揉む」という動詞の選びが良い。
4首目、「佃島リバーシティ」の現代的な感じと、昔ながらの風情を感じさせる「佃小橋」の取り合わせ。
5首目、いつも息子がどこかへ持って行って行方不明にしていたわけだ。その息子はもう家にいない。
6首目、上句まだ生きているかのように詠まれているが挽歌である。
7首目、なぞなぞのような歌だが、よく考えると当り前の話。同じ速度で歩いていると、同じ方向に歩く人とは出会わないのだから。「行人坂」という名前がうまく効いている。
8首目、汚染水対策として置かれた土嚢。「日本の誇る」が何とも皮肉に響く。
9首目、「ひるがほいろ」がいい。結句「ひろがる」とも響き合う。
10首目、一瞬目にした羽ばたきは、断末魔の抵抗だったのだ。

2016年8月11日、短歌研究社、3000円。

posted by 松村正直 at 18:17| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月08日

小島ゆかり歌集 『馬上』

2013年夏から2015年夏までの作品519首を収めた第13歌集。
父母の介護、そして父の死が大きなテーマとなっている。

サーファーのかがやくからだ暗みたりふいに大きく鳶ひるがへり
鯉よりも水はなまめく 動く身の一尾一尾をうすくつつみて
今日ひどくこころ疲れてゐるわれは買物メモをポストに入れぬ
西武線の窓よりけふは富士見えてしばらくは聴くしろい音楽
転院しまた転院しわが父の居場所この世にもう無きごとし
飛魚の塩焼き食べて胸鰭のみづいろの翅、皿に残りぬ
目蔭(まかげ)する人びとの睫毛睫毛からとんぼ生まるる秋のまちかど
紺色の検査着は隙間だらけにてひぐれのごときからだとなりぬ
勝ち馬も負け馬も鼻をふくらませ信濃の秋の草競馬をはる
パソコンが苦手なわれをパソコンもきつと苦手だらうな、フリーズ

2首目、鯉がなまめくという表現はよく見るが、水の方に着目しているところが印象的。
3首目、確かにこういうことはありそう。ユーモラスに詠んでいるが、本当に疲れているのがわかる。
5首目、病院側の診療報酬の関係で、一定期間を過ぎると転院を余儀なくされてしまう。
6首目、飛魚のシンボルとも言える長い胸鰭だけが、ぽつんと皿に残るのだ。
8首目、「隙間だらけ」の服の頼りなく心細い感じ。
9首目、比喩としての「勝ち馬」ではなく、実際の馬の話。「鼻をふくらませ」も得意気な様子の比喩ではなく、激しく息をしているのである。

きみ思ふきのふまたけふ淡青のあさがほ咲(ひら)く休らひたまへ
はるかなるそのふるさとのゆたかなる海のちからのねむりを君に

「悲しみの人へ」という詞書の付いた5首は、妻を亡くした高野公彦さんのことだろう。こんな詠い方、心の寄せ方もあるのだと、強く印象に残った。

2016年8月31日、現代短歌社、2500円。

posted by 松村正直 at 07:12| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月04日

加藤治郎著 『東海のうたびと』



全体が二部構成となっていて、前半は春日井建、荻原裕幸、小島ゆかり、野口あや子ら東海地方にゆかりの歌人31名について記した「東海のうたびと」、後半は名古屋のスポット37か所を訪ねて歌を詠んだ「吟遊の街」となっている。

前者は2015年6月から2016年1月まで「中日新聞」に連載したもの、後者は1999年4月から2000年3月まで「朝日新聞」名古屋本社版に連載したものである。

加藤治郎の文章は歯切れがよい。短い文を連ねてリズムを生み出していく。接続詞や接続助詞をあまり使わず、ポンポン畳みかけるように文が続けていく。

書き始めの部分にも工夫がある。

それは、一九八五年の夏だった。愛知県立大学のキャンパスである。ひとりの学生が、西田政史に声をかけた。(西田政史)
「岡野、うちへ来ないかい」
そう言ったのは、折口信夫であった。(岡野弘彦)

短い文章の冒頭から、読者をぐいっと引き付ける導入となっている。

短歌に関する箴言的な言葉が随所に盛り込まれているのも、本書の魅力の一つと言って良いだろう。

歌人には二つのタイプがある。日々の生活を詠う歌人。(・・・)もう一つのタイプは、新しい表現を求める歌人だ。
「するだろう」たった五音が短歌史を変えた。鮮やかだった。このインパクトは、この五十年間、短歌を志す者たちを惹きつけてきた。
歌人にとって最高の〈賞〉は、自作が多くの人々の愛誦歌になることではないだろうか。

どれもみな短い言葉で鮮やかに本質を切り取っていて、かっこいい。
少しかっこ良すぎる気もしないではないが。

2016年5月26日、中日新聞社、1200円。

posted by 松村正直 at 06:53| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

『鳥の見しもの』 のつづき

夕焼けの原料になる雲たちを見上げてゆけり大雨のあと
あけがたに目覚めてここはホテルだった青白い滝のようなカーテン
窓のした緑に輝(て)るを拾いたりうちがわだけが死ぬコガネムシ
きりきりと吊り上げらるる鋼材の或る高さより朝の陽を浴ぶ
無人なるひとときエスカレーターは黒き咀嚼をくりかえしつつ
オカリナのなかに眠れば小さな穴が星座のように見えるのだろう
後ろ歩きしつつ畦(あぜ)塗る男ありいちめんの水が暮れゆく夕べ
亡き人の本に巻かれている帯がつばきの花のいくつか隠す
扇風機の羽透けている向こうには亡き祖母が居て麦茶をはこぶ
血に砂は固まりやすくベッドには砂人形のごときが置かる

1首目、「夕焼けの原料」がおもしろい。雲があるからこそ夕焼けが映える。
2首目、目覚めた時の風景がいつもとは違うので、一瞬あれっ?と思うのだ。
3首目、「うちがわだけが死ぬ」が発見。外観はまるで生きているみたい。
4首目、朝日が低い角度から射している。光と影のコントラスト。
5首目、段差が次々と飲み込まれていく様子は、言われてみればなるほど「黒き咀嚼」である。
6首目、メルヘンのように美しい歌。ふだん外側からしか見ることのない穴の内側を想像している。
7首目、「いちめんの田」ではなく「いちめんの水」。一字の違いで歌が生きる。
8首目、表紙に描かれている椿の花。隠れているということが、死者のイメージともつながる。
9首目、回転する扇風機の向こう側に、懐かしい昔の光景が浮かぶ。
10首目、砂漠での戦争をイメージした連作の一首。生々しくて怖い。

posted by 松村正直 at 07:30| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月31日

吉川宏志歌集 『鳥の見しもの』

2012年から2015年までの作品433首を収めた第7歌集。

原発事故、特定秘密保護法、集団的自衛権、沖縄の基地問題など、時代の変化に危機感を持って積極的に行動し、歌にも詠んでいる。

磔刑の縦長の絵を覆いたるガラスに顔はしろく映りぬ
陽と月の交合のあと目くらみてどくだみの咲く路をあゆめり
ヘッドライトに照らし出されて赤黒く立ち上がりたり曼珠沙華の花
読み終えし本は水面(みなも)のしずけさのもうすこしだけ机に置かむ
石段の深きところは濡らさずに雨は過ぎたり夕山の雨
春雨は広場のなかに吹き入りて吹奏楽の金銀ぬらす
ほほえみが顔となりつつ原発の案内をする若き女人は
ときどきは白き狐の貌をするむすめが千円くださいと言う
よく見てほしいと言う人がそばにいて泥の覆える家跡を見る
破られてまたつながれて展示さるる手紙に淡き恋は残りぬ

まずは前半から。

1首目、「縦長の」がいい。キリストの磔刑図は構図的にやはり縦長になることが多いのだろう。
2首目は日蝕の歌。空を見上げていた目を転じて、薄暗い路地を歩いて行く。
3首目、花自体はもちろん動かないのだが、ライトに照らされてあたかも立ち上がるように目に入ってくる。
4首目、読書を終えてしばらく余韻にひたりたい気分。
5首目、石段の段の奥の方は濡れなかったのだ。夕方にさっと降った雨の感じがよく出ている。
6首目、普通だったら「楽器をぬらす」とするところ。「金銀」としたことでフルートやトロンボーンのきらめきが見えてくる。
7首目、原発のPR館のようなところだろう。顔が先にあるのではなく、ほほえみが先にあるのだ。
8首目、男親にとっての娘は謎に満ちている。民話の一場面のようでもある。
9首目、東日本大震災の津波被害の跡。そばにいるのはおそらく地元の方。しっかり見なくてはいけないという苦しさも感じる。
10首目、長塚節の生家を訪れた際の歌。一度は破り捨てた手紙だったのだろう。背後の物語を感じさせる。

2016年8月1日、本阿弥書店、2700円。

posted by 松村正直 at 07:48| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月14日

小紋潤歌集 『蜜の大地』

元・雁書館の編集者で「心の花」の歌人である小紋さんの第1歌集。
1971年から2007年までの作品420首を収めている。

西海の旅籠屋に聴く春潮の満ちくるまでの力を思ふ
赤い小さな椿が咲いて春となる気配 真昼のしづけさにゐる
谷に棲む人の習俗、風俗の翳りさへ明るすぎる午後二時
多摩川を今朝も渡りて楽しまぬことのみおほくなる壮年や
青北風にこころすさびてゆくひと日ねもころに鳴く夜の邯鄲
神神の宿りたまへる大樟の真下にいこふ乳母車あり
ゆふぐれは今日も来たりて一本の煙草のやうな我であるのか
みづからの光の中に冴え返る星あり冬の槻の真上に
卓上に金のミモザは飾られて昼を眠れる猫とをさな子
見下ろせばあを篁のゆくらかに動くと見えてしづまりゆきぬ

1首目、海に近い旅館。潮の音に春の生命力を感じている。
4首目は電車で多摩川を渡る通勤風景。壮年の苦みのこもる歌だ。
5首目、「青北風」(あおぎた)は初秋に吹く北風。ひとり秋の虫の音を聴いている。
6首目、神社の御神木か。「大楠」と「乳母車」の取り合わせがいい。
7首目、煙草が灰になって次第に短くなっていくような心細さ。
10首目は歌集最後の一首。ゆったりとした調べが心地よい。

全体に季節や自然の捉え方が的確で、そこに心情を滲ませていくのがうまい。繊細でありつつ骨太でもある。

小紋さんには昨年7月に長崎で開かれた現代歌人集会春季大会の二次会でお会いした。病気療養中とのことであったが、無事に歌集が刊行されて良かった。

2016年8月7日、ながらみ書房、2500円。

posted by 松村正直 at 18:11| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月27日

永田和宏著 『あの午後の椅子』


「PHPくらしラク〜る」2015年1月〜12月号連載の「風通しのいい窓」、日本経済新聞2015年1月7日〜6月24日掲載の「あすへの話題」など、全69編を収めたエッセイ集。

河野裕子さん、家族、生い立ち、歌仙、本歌取り、サイエンス、きのこ・・・など、様々な話題が出てくるが、全体に統一感や流れがあるように編集されている。

このところの永田さんの文章の特徴として、「思うものである」「思わざるを得ないのである」「私は・・・する人間である」「私は・・・するものである」といった、文末に重みをつける(もったいぶった?)言い回しがあるように感じた。

東大路通りにはプラタナスの並木がある。このプラタナスにきのこが出ることは、ほとんどの人が知らないだろう。春秋二度、ヤナギマツタケという歯ごたえのしっかりした美味なきのこが出るのである。

永田さんのきのこ好きは有名だが、このヤナギマツタケの話は初めて知った。ヤナギマツタケと言えば、最近生協やスーパーでも売られていて、わが家でも大人気のきのこである。あれが、プラタナスの根元やこぶから生えているとは驚きだ。今度採りに行ってこようかな。

2016年7月10日、白水社、2300円。

posted by 松村正直 at 07:05| Comment(2) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月22日

虫武一俊歌集 『羽虫群』


新鋭短歌シリーズ26。

1981年生まれの作者の第1歌集。
2008年から2015年までの作品308首を収めている。

ドーナツ化現象のそのドーナツのぱさぱさとしたところに暮らす
ああここも袋小路だ爪のなかに入った土のようにしめって
よれよれのシャツを着てきてその日じゅうよれよれのシャツのひとと言われる
マネキンの首から上を棒につけ田んぼに挿している老母たち
いつも行くハローワークの職員の笑顔のなかに〈みほん〉の印字
雨という命令形に濡れていく桜通りの待ち人として
思いきってあなたの夢に出たけれどそこでもななめ向かいにすわる
ににんがし、にさんがろくと春の日の一段飛ばしでのぼる階段
目撃者を募集している看板の凹凸に沿い流れる光
ゆきのひかりもみずのひかりであることの、きさらぎに目をほそめみている

1首目、大都市圏の郊外の暮らしの様子を「ぱさぱさ」で表している。
3首目、穂村弘の「ワイパーをグニュグニュに折り曲げたればグニュグニュのまま動くワイパー」を思い出す。穂村の歌には暴力性があるが、虫武の歌はひたすら受身である。
4首目、案山子もこうなふうに詠まれると怖い。
5首目、書類の記入例などによく印字されている〈みほん〉。ハローワークの明るく無機質な雰囲気が出ている。
6首目、「雨」という言葉は、言われてみれば確かに「あめ!」という命令形みたいだ。「書け!」「立て!」「やれ!」のように。
7首目、夢の中ならせめて正面に座りたいところ。でも、それができない。
9首目、「募集している」がユニーク。街で時々見かける看板が、別物のように感じられる。

2016年6月20日、書肆侃侃房、1700円。

posted by 松村正直 at 11:13| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月13日

大井学歌集 『サンクチュアリ』


しどけなく電車に眠る少年の微かにひらくくちびる憎し
はるのみず首都の蛇口にのむときを北国の雪たりしみず鳴る
柔らかくかつ棘だちてあることの職場のすみの亀の子たわし
海底の静もりに生きし白蝶貝楽器のいちぶとなりてうたえり
真夜中のコンビニでコピーとるわれのコピーが窓からわれをみており
事務机ひとつ空きたり「一身上の都合」といえる一行ののち
しゃがむという女性の動詞はなにらの花の白きにすいよせられて
辞表を出す部下の伏目を見ておりぬ「驚く上司」という役目にて
このはなに「紫雲英」の文字をあたえたるひとのいのりよいちめんに咲く
さくはなとはなとのあわい空間を咲かせてしろきかすみそうたつ

「かりん」所属の作者の第1歌集。

1首目、自分が失ってしまった少年性に対する憧れと憎しみ。
3首目、「亀の子たわし」に職場で働く人の心を重ね合わせている。
4首目、サックスの指を当てるキーボタンが白蝶貝なのだろう。「海底」と「楽器」の組み合わせに広がりを感じる。
5首目、夜のコンビニの窓に映った自分の姿。面白い切り取り方だ。
8首目、内心それほど驚いてはいないのだ。部下もまた「伏目の部下」を演じているのかもしれない。
10首目、花束の歌と読む。かすみ草は花束のボリュームアップに欠かせない。

2016年6月19日、角川文化振興財団、2600円。

posted by 松村正直 at 07:57| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月07日

時田則雄著 『陽を翔るトラクター』


副題は「農文一体」。

「文化連情報」「読売新聞」「十勝毎日新聞」に連載されたエッセイをまとめた本。北海道で農業と短歌にたずさわる生活のあれこれを、自作の歌をまじえつつ記している。

今年は長芋を二・五ヘクタール作付けするが、その種子の量は十二トンだ。
私の本職は百姓だ。耕作面積は約三十三ヘクタール。
私のヤマの内訳はカラマツの人工林が十五ヘクタール。天然林は十ヘクタール。

こんなスケールの大きな話がぽんぽん出てくる。

日々の農作業の話に始まって、農家数の減少、食糧自給率の低下、TPPなど、日本の農業をめぐる問題についても筆をふるう。

雪を食へばしらゆき姫になるといふわが嘘を聴く耳やはらかし
獣医師のおまへと語る北方論樹はいつぽんでなければならぬ
離農せしおまへの家をくべながら冬越す窓に花咲かせをり

エネルギッシュにひたすら前へ突き進む日々。その中にあって、作者は跡取りとも期待した娘婿を30歳という若さで失う。そのことを記した文章は、何とも胸に迫るものであった。

2016年5月25日、角川文化振興財団、1600円。

posted by 松村正直 at 07:18| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

窪田空穂の長歌

窪田空穂は短歌だけでなく数多くの長歌を詠んだことで知られている。
第10歌集『鏡葉』にも38首の長歌があり、これがなかなかいい。

  国民生活
九つのわが女(め)の童(わらは)、その母に語るをきけば、第一に尊きものは、かしこしや天皇陛下、第二には神蔵(かみくら)校長、第三は亀岡先生、第四はといひたゆたひつ、護国寺の交番の巡査、第五には我家(わぎへ)の父か、何とはなけれど。

娘が尊敬する人の順番で5番目だった作者。
3番まではともかく、「交番の巡査」に負けたのはつらい。

  素朴なるよろこび
正月の三(み)日といふ今日(けふ)、三人子(みたりご)を連れて家いで、神楽坂(かぐらざか)の洋食屋にて、いささかの物を食はしぬ、十八となれる兄の子、大人(おとな)びてフオークを執れば、八つとなれる末(をと)の暴(あば)れ子、取り澄まし顔よごし食ひ、十三となれる中の子、少女(をとめ)さびナイフ扱ふ、さりげなくそを見つつ食ふ、この肉の味のうまさよ、うまきやと問へばうなづく、三人子(みたりご)におのづと笑まれ、マチ摺(す)りてつくる煙草(たばこ)の、ほのかにも口にしかをる、いざ行きてまじりはすべし、今日(けふ)の大路(おほぢ)に。

お正月ということで贅沢をして家族で外食をした場面。
難しい言葉はどこにもなく、幸せな気分が溢れている。
大正という時代の雰囲気も感じられる内容だろう。

この歌に出てくる「兄の子」は章一郎、「末の子」は茂二郎。「寝かされてゐる弟に童話読みわかるやときく読みさして兄」という歌もあるように、年齢は十歳近く離れているが仲の良い兄弟であったようだ。

空穂の代表的な長歌「捕虜の死」を読む際には、こうした歌のことも頭において読むのが良いのだろう。こんな幸せな時間もあったのである。

posted by 松村正直 at 16:59| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月24日

三井修歌集 『汽水域』

2005年から2013年までの作品506首を収めた第9歌集。

継子(ままこ)なる我ら四人が引き取らぬ母なり老いて家を去りたり
縁(えにし)ありて母となりたる人のまだ熱(ほめ)く胸骨を箸もてつまむ
絶筆にあれども読めぬ 麻痺の手に父が書きたる葉書一葉
古九谷の皿の中ゆく赤き雉三百年経てまだ皿を出ず
スモーキングエリアの中のうすけむり透かして耳のいくひらが見ゆ
黙祷をするは人間のみにして蟬は鳴き継ぐその一分を
夜のうちに遥かな海を航海し夜明けに庭に戻る紫陽花
工事場の囲いに細き隙間あり子供と犬は必ず覗く
背中より腕より椅子より幼な子はずり落ちやすし秋の一日(ひとひ)を
流れゆく霧にわが身は冷えながら屋嶋の城の石垣に寄る

1首目、ふるさとの能登に暮らす継母。前歌集『海図』にも、「抱(いだ)かれしことなき人の細き腕取りて階段ゆっくり下る」という印象的な歌があった。
2首目、その母が亡くなった時の歌。「縁ありて母となりたる」が、母と子の複雑な関係や思いを伝えている。「縁」を「えん」ではなく「えにし」と読ませているのもいい。
4首目、三百年前の皿に描かれた雉の絵。永遠にその中から出られない。
6首目、黙祷の間、蝉の鳴き声がひときわ高く響いたのだろう。
7首目、何とも美しい発想の歌である。夜中に見たら本当に庭にいなかったりして。
9首目、孫を詠んだ歌。「ずり落ちやすし」というのが一つの発見である。
10首目、作者は石垣が好きであるらしい。竹田城跡の石垣の歌もあった。

もしかして我でありたるかも知れず砂漠で頸を刎ねられたるは
さはあれど刎ねられたるはわが頸にあらねば朝の味噌汁啜る

2015年1月にイスラム国によって日本人の人質2名が殺害された事件を詠んだ歌。作者は仕事で中東に長く生活をしたことがあり、他人ごとではなかったのだろう。2首が対になっていて、1首目だけならよくあるパターンの歌なのだが、2首目があることで深みが生まれている。

2016年5月25日、ながらみ書房、2800円。

posted by 松村正直 at 08:02| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

森垣岳歌集 『遺伝子の舟』

第2回現代短歌社賞(300首)を受賞した作者の第1歌集。

一秒前の姿を示す月面の光に揺らぐビーカーの水
採卵鶏のケージのごとし教師らが職員室に昼飯を喰う
五限目のチャイムが鳴って作業着の少女の群れが日を浴びている
魚屋の魚はいまだ新鮮で商う人が年を経ている
まひるまの家に白菜きざむ音 見知らぬ女が母だと名乗る
キッチンにセルリの青き匂いして君を待つ夜にスープ煮ており
公園の遊具の一つの新幹線動くことなく春雨のなか
アントシアン色素を含む葉を刻み夕餉の皿に乗せて並べつ
山峡を列車とろとろ進み行き化粧を直す女を運ぶ
鳥類に産まれることもできたのだ我が子の背なの産毛に触れる

小題がユニークで、「栽培実習」「生物工学」「農業教育概論」「解剖学」「分子生物学」・・・などとなっている。これは作者が農業高校の教師をしているためでもあるのだが、別にすべてが職場詠というわけではなく、こういう題で統一してみたということなのだろう。

1首目、月と地球の距離は約38万キロ。光の速さは秒速約30万キロなので、私たちが見ている月は「一秒前」の姿なのだ。
4首目、扱う魚は常に新鮮であるけれど、店主は齢を取っていく。発想がユニーク。
6首目、「セルリ」がいい。「セロリ」と書くよりオシャレな感じ。
8首目、赤紫蘇だろうか。こんなふうに日常生活の場面にも科学的な知識がしばしば顔を出す。
10首目、進化の歴史をたどるようでもあるし、人間に生まれてしまった悲しみを見ているようでもある。

後半になると、父親の再婚、自らの結婚、子どもの誕生といった歌が中心となってくる。特に父親との葛藤は、作者にとって大きなテーマと言って良いだろう。

2016年3月30日、現代短歌社、2000円。

posted by 松村正直 at 20:21| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月17日

加古陽治著 『一首のものがたり』


副題は「短歌(うた)が生まれるとき」。

2013年2月から2015年2月まで、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞の夕刊に連載された「一首のものがたり」を加筆、修正してまとめたもの。著者は東京新聞文化部長で、「心の花」に所属する歌人でもある。

小野茂樹、筑波杏明、菱川善夫、俵万智、鶴見和子など27名の歌人の一首を取り上げて、その背後にある出来事や時代状況などを詳しく解き明かしている。

夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで
              仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』

中でも1980年代から90年代にかけて活躍した仙波についての物語は、その悲しい最期とも相まって印象深い。入院中の日記に記された言葉の数々が、せつなく胸に響いてくる。

2016年4月27日、東京新聞、1300円。

posted by 松村正直 at 22:42| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月13日

大口玲子著 『神のパズル』

著者 : 大口玲子
すいれん舎
発売日 : 2016-04-08

思いつくままに感想をいくつか。

国境を越えて放射性物質がやってくる冬、耳をすませば
学校で習わぬ単位、シーベルト、ラド、レム、グレイ、キュリー、レントゲン
流れざる北上川の水のなか燃料棒は神のごと立つ
原発から二十キロ弱のわが家かな帰りきて灯を消して眠りにつけり

2004年発表の「神のパズル」100首より。
福島の原発事故の7年前に詠まれた作品である。
いま改めて読み直すと、その先見性に驚かされる。

放射能汚染のリスクについて、自分の中にある基準をうまく説明できなくて、両親とこの問題について話すことはありません。私がいちばん深刻に考えている問題について、夫や両親とさえ対話することが難しい状況にあると思っています。

身近な家族の間にも亀裂が入ってしまう悲しさ。
震災と原発以降に広まった分断が、こういう場にも現れているのだ。

捨つべしとある日は思ふ われが見捨てられるかもしれない東北を
                 『東北』

第2歌集『東北』(2002年)の中に、こんな歌を見つけてハッとした。

許可車両のみの高速道路からわれが捨ててゆく東北を見つ
              『トリサンナイタ』

震災後に話題になったこの一首の「捨ててゆく」という厳しい言い方の背後には、先の歌が響いているのかもしれない。

あとがきの日付は「二〇一六年二月二十九日」。
竹山広の誕生日である。

2016年4月8日、すいれん舎、1400円。

posted by 松村正直 at 23:44| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

高野公彦歌集 『無縫の海』


副題は「短歌日記2015」。
2015年1月1日から12月31日まで、ふらんす堂のホームページに発表された短歌365首を収めた第16歌集。

どの婦人も耳が一つで口二つありて姦し昼の車内は
一人なる夕餉を終へて俎板の使はなかつた裏も洗へり
漱石といふ宝石がてのひらに在る思ひして「文鳥」読めり
ケースワーカー、ケアマネージャー、ホームヘルパー会ふこともなし妻逝きてより
桜島山体膨張説あれどふもとに実るデコポンうまし
見ることのありて触れたることのなき虹、さるをがせ、白き耳たぶ
女人らの髪はたはたす地下鉄がトンネルの丸き空気押し来て
国々に酒(しゆ)と肴(かう)ありて白ワイン旨からしむるにしんのマリネ
三十で被爆し〈原爆ドーム〉として立ち続け今年百歳の翁(をう)
富有柿手に持ちがたきほど熟れて頽(くづ)るるを口で啜りつつ食ふ

1首目、相手の話を聞くよりも自分が喋る方が優先。
2首目、「裏も」がいい。ここに暮らしの手触りがある。表だけ洗ったのでは歌にならない。
4首目、以前は頻繁に家にやって来た人たち。親しい人のようにも感じたのだろうが、それはあくまで仕事の上での付き合いであったのだ。
6首目は下句に挙げる三つの順番がいい。「さるをがせ」は木の枝から垂れ下がる地衣類。
7首目、地下鉄のホームで見た光景だろう。「丸き空気」がいい。空気砲みたいだ。
9首目、元は広島県産業奨励館であった建物。擬人化して詠まれることで、建物の経てきた歴史が身近に感じられる。
10首目、ウ段の音がよく響く一首。特に下句は15音のうち実に11音がウ段である。

作者の嫌いな鵯は今回も何度か登場する。そして、それにもまして多いのが「スマホ」の歌。特に歩きスマホがお嫌いなようだ。

ついには「スマホ」を「須藤真帆」と擬人化して、

平成も四半世紀を過ぎたぞな国ぢゆう須藤真帆が行くぞな

などと詠んでいる。
ここまで行くと、怒っているというよりも、むしろユーモラスである。

2016年5月20日、ふらんす堂、2000円。

posted by 松村正直 at 08:34| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月31日

土岐善麿著 『啄木追懐』

このところ啄木関係の本を少しずつ読んでいる。
いろいろと知らなかったことがわかって面白い。

例えば、この本には大正8年から9年に新潮社から刊行された『啄木全集』全3巻に、善麿が書いた凡例が収められている。その中に

一、故人の日記は多年に亘りて堆(うづたか)く、記述細大を洩さず、頗る価値多き資料なりしも、その歿後、夫人節子また病を獲(え)、遂に日記の全部を焼却して今影を止めず。その一部をもこの全集に収むる能はざるを遺憾とす。

とある。ドナルド・キーンが啄木作品の中で最も高く評価する「日記」は、この時点では焼却されたものと思われていたのだ。

もともと啄木は、日記は焼却するようにとの遺言を残していた。それが様々な経緯を経て残され、公開されるに至ったのである。そこには多くの関係者の尽力や争いがあったらしい。
http://www.shahyo.com/mokuroku/culture/bungei/ISBN978-4-7845-1910-1.php

啄木関連の本は、非常に数が多い。
自分が関心を持っている部分を中心に少しづつ読んでいこうと思う。

1932年4月10日、改造社、1円80銭。

posted by 松村正直 at 19:46| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

ドナルド・キーン著 『石川啄木』


今年生誕130年を迎えた石川啄木の評伝。
全375ページ。角地幸男訳。
初出は「新潮」2014年6月号〜12月号、2015年2月号〜10月号。

特に新しい事実が示されているわけではないが、啄木の生涯を丁寧に描き出している。啄木の専門家とは違う視野の広さも魅力の一つだろう。

子規と違って、啄木は明らかに現代歌人だった。何が歌人を現代的にするかを定義することは難しい。しかし啄木の書いた作品のどれ一つを取ってみても、子規やそれ以前の日本の歌人とは違う世界に啄木が属していたことを明らかにしている。
啄木の成熟を示す見事な短歌を称賛する人々は、「ロマンティック」時代の優雅な装飾が施された啄木の詩には、ほとんど目をくれようともしない。
短歌は啄木に初期の文学的興味を蘇らせ、ついには散文より遥かに大きな名声をもたらすことになる。しかし、啄木に幸福をもたらしたわけではなかった。

そして、著者が啄木作品のなかで最も評価するのは、詩でも短歌でも小説でもなく、意外なことに「日記」である。

啄木は、千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ。日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録するものとしてでなく、自分の知的かつ感情的生活の「自伝」として使ったのだった。

こうした見方は、日本文学研究者である著者ならではのものかもしれない。新鮮な指摘であった。

2016年2月25日、新潮社、2200円。

posted by 松村正直 at 07:43| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

三枝昂之歌集 『それぞれの桜』

270首を収めた第11歌集。
第1部は「現代短歌」の20首×8回の連載、第2部は「りとむ」に発表した作品がもとになっている。

まだ細き白樺の木が立っている創刊号の表紙の野辺に
雨音を聴きながら食むどら焼きは三時に半ときほどを遅れて
耳だけが酔いの遠くで聞いている夕べの秘密はどんな秘密か
切株となりて学びを支えたる大欅あり故郷の庭に
メールにてわれを去りたる一人あり静かな静かな過ぎゆきである
妻のあるおのこ夫のあるおみな青梅ふとる皐月闇なり
違うところへ行ってしまった 雪のようにわれをさいなむ遠き声あり
「労働者・学生・市民を結集し」まず定型から抜け出よ言葉
アカシヤの蜜をすくいて含みたり妻と二人のあしたの卓に
遠き日のブリュッケという同人誌二年はもたぬ若さであった

「清春白樺美術館」(山梨)、「摩文仁の丘」(沖縄)、「干潟よか公園」(佐賀)、「ホキ美術館」(千葉)、「無言館」(長野)、「茂吉の里」(山形)、「大隈講堂」(東京)、「山梨美術館」(山梨)、「石下」(茨城県)など、旅行や用事で出かけた場所に材を取った歌が多い。

1首目、1910(明治43)年の「白樺」創刊号。上句が最初は実景のように感じられる語順がおもしろい。雑誌を創刊した人々の志は今も生き続けているというニュアンスもある。
2首目、おやつと言えば一般的には三時であるが、この歌では三時半。その遅れと雨の日の気分とが合っている。
5首目、「メールにて」が何とも寂しい。最後に会うこともなければ、手紙で伝えられたのでもないのだ。
6首目、二人の関係をあれこれ想像できるが、特に深読みしなくても雰囲気だけで十分に味わえる歌だ。
8首目、アジ演説やビラなどでよく使われる言い回し。こうした言葉は、1960年代や70年代ならともかく、今ではもう人々の心に届かない。
10首目、「ブリュッケ」はドイツ語で「橋」。同人誌がたいてい短命に終わるのは、それが若さそのものだからなのだろう。

2016年4月15日、現代短歌社、2500円。

posted by 松村正直 at 06:56| Comment(2) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

『斎藤茂吉 異形の短歌』 の続き

著者の歌の読み方は、テキスト重視である。

解読上肝要なのは、この厳粛感がどこから来るものなのか、テキストに沿って見極めることです。原因を作者の感動の深さだの真率な態度だのに帰して事足れりとするのは、まともな解読とはいえません。

これは多くの歌人にとって耳の痛い言葉ではないだろうか。何しろ、歌集の書評などを読むと、この手の批評をいくらでも目にするのが現状だ。

もっとも、著者の主張は歌に書かれた一語一語を丁寧に読んでいこうというものであって、いわゆる「テクスト論」とは少し違う。それは

欧米の文学理論に精通した人たちは、“text”に由来する外来語を「テクスト」と表記したがる傾向にあります。私が大学生のころにはもうそうなっていましたが、困った風潮ではないでしょうか。原語は同じなのに、〈教科書・読本〉には昔ながらの「テキスト」をあてがい、〈ことばの織物〉という高級な概念は「テクスト」と呼んで差別化を図る――知的特権階級の策謀以外の何物でもないと思うのです。

という皮肉によく表れている。
作者の丁寧な読みを、例えば「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」という著名な歌について見てみよう。

「死に近き」は「死に」つまり〈死ぬこと〉が近いということ。「死」に近いのではありません。
母に添寝の」は〈母に添寝する心地が〉の意と解されますが、「〜に」という句は連用修飾句となるはずなのに、これを名詞「添寝」で受けたのは文法上破格です。
上二句/sini-tikaki-hahani-soineno/には子音/s/と母音/i/がちりばめられていて、それらが第三句の/sinsinto/に引き取られ、互いに共鳴する関係になっています。
「遠田」は作者の造語かもしれません(『日本国語大辞典』には「遠くにある田」として、用例にはこの歌が挙げてあります)。

実に細やかで的確な分析と言っていいだろう。
これだけ丁寧な読みをする人は、歌人でも少ないのではないだろうか。

著者がテキスト重視で歌を読むのは、「伝統」や「規範」「道徳」「ナショナリズム」といったものを纏いつかせることなく、純粋に短歌そのものを味わうためなのだ。

posted by 松村正直 at 18:18| Comment(4) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月22日

品田悦一著 『斎藤茂吉 異形の短歌』


「学校で習った範囲でしか茂吉の歌を知らないというのは、およそ衣食に事欠かない人間が置かれうる限りでは、相当不幸な境遇です」と断言する著者が、茂吉の作詩法を解き明かし、代表作「死にたまふ母」を独自の視点から読み直した本。

従来の説や先入観にとらわれることなく、著者は歯切れの良い文章で自らの説や歌の読みを語っていく。

例えば「写生」について。

「写生」は「字面にあらわれただけのもの」などではありません。現実の事物・事象を見慣れないものに変えてしまう技法――少なくともそういう可能性を潜在的に有した技法なのです。
現実を直写したはずの表現が現実を凌駕してしまう逆説(・・・)茂吉にとってはそこにこそ写生の醍醐味があったのだと思います。

茂吉にとっての写生とは単なるスケッチではなく、現実を異化するものであったのだ。

また、和歌においては「主人公を取り巻く状況は題が指示してくれていた」のに対して、近代短歌ではそれが欠けていることを指摘したうえで、

そこに、近代短歌が自己表白の文芸として展開せざるをえなかったもっとも大きな原因があるはずなのです。この件は従来、「近代的自我の目覚め」という点から説明されてきた経緯がありますが(・・・)

と指摘している部分など、まさに慧眼と言って良いだろう。
「死にたまふ母」の読解においても、印象的な部分が多い。

白ふぢの垂花(たりはな)ちればしみじみと今はその実(み)の見え
そめしかも     (其の一、2首目)
ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり
            (其の四、5首目)

の二首を踏まえて、著者は

東京ではとっくに散ってしまった藤が、郷里ではまだ咲き始めたばかりなのでした。「其の一」の冒頭から読み進めてきた読者に、気候のずれが自然に了解されるようになっています。

と鑑賞する。
実に鋭い分析だと思う。単に時系列に沿って並んでいるだけではない連作の組み立ての妙を味わうことができる。

2014年2月25日、新潮選書、1300円。

posted by 松村正直 at 19:59| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月17日

『森岡貞香の秀歌』 の続き

引用されていた歌の中から、特に印象に残ったものを。

薄氷の赤かりければそこにをる金魚を見たり胸びれふるふ
                『白蛾』
ぬかるみは踏み場なきまで足跡がうごめきてをりきのふも今日
(けふ)も           『未知』
今日もむかし夏のゆふべに倒れゐる空罐に雨かがやきてふる
                『珊瑚數珠』
新萌の欅木立にカ音もて入りこむものが鴉にてある
                『黛樹』
ゆふかたにかけて久しく煮こみゐる大き魚はかたち没せり
                『黛樹』
十三夜の月さし入りて椎の實のころがる空池(からいけ)のなかの
あかるし            『百乳文』
昨(きそ)ひと夜ゆたんぽ抱けば追熟といふべくわれのやはらかに
ある              『夏至』
朝光(あさかげ)のひろびろしきに昨(きぞ)の夜のつきかげありし
あたりを掃きぬ       『敷妙』
覆はれて見えずなりゐる川なればここは呑川といひて道踏む
                『九夜八日』
薔薇のつる雪の重みに下りゐしなほくだりこむと椅子にゐておもふ
                『九夜八日』

こうして見ると、「きのふ」「きぞ」「今日」などの時間を指す言葉、「そこ」「ここ」などの場所を指す言葉が、不思議な効果を生み出しているのがわかる。

posted by 松村正直 at 10:38| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月16日

花山多佳子著 『森岡貞香の秀歌』


森岡貞香の全11冊の歌集から歌を引き鑑賞をほどこしたもの。
「短歌現代」2009年8月号〜2011年12月号の連載した文章を元にまとめた一冊である。

定型を所与のものでなく、一首一首ことばを動かすことでかたちをつくっていく森岡さんの歌には一首一首付き合いたい。

と序にあるように、一首ずつの丁寧な鑑賞の光る内容となっている。
例えば

ゆきずりに赤き電話が空(あ)きながらわれ近づかぬとき戀ひてゐつ

の鑑賞の中で「自分がそこに近づかない、ということによって恋う気持を強く意識する」「近づかない、という身体の在りようによって、思いが発見されているのである」と書いているところや、

戸のすきより烈しくみえてふる雪は一隊還らざる時間のごとく

について「「戸のすきより見えて烈しくふる雪は」でなく「戸のすきより烈しくみえてふる雪は」という語順である。自分の体験した時間がそこに烈しく見えているのである」と述べているところなど、新鮮な視点であり納得させられる。

こうした一首一首の丁寧な鑑賞の積み重ねの中から、著者は森岡貞香の歌の特徴をいくつも見出していく。

森岡には心理や自意識をまとまったものとして整理、叙述する歌はほとんどない。
「考へもなく」とか「ゆゑんもなく」とかあえて挿入するのが森岡流である。
移動など動作の意識を強く出すのは森岡の特徴の一つであり、叙述にとどまらないリアルさを付加するのである。
同じ場所の異なる季節の表情に時間の推移を見るのが、森岡の好みなのである。

森岡貞香の歌の魅力がじわじわと迫ってきて、森岡の歌がもっと読みたくなる本である。

2015年12月10日、砂子屋書房、2000円。

posted by 松村正直 at 10:18| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

渡辺松男歌集 『雨(ふ)る』


現代歌人シリーズ11。2002年から十年余り間に「かりん」に発表した作品から457首を収めた第9歌集。

調べてみると第6歌集『自転車の籠の豚』と第8歌集『きなげつの魚』は総合誌等に発表した作品、第7歌集『蝶』は未発表作ということで、長らく「かりん」の歌は収められていなかったのだ。

そこに揺れながらそこにはなきものを遊行柳と言ひてかなしむ
まんじゆ沙華馬力をあげて咲きにけりたつたいつかい死なば亡きひと
死後の永さをおもひはじめてゐるわれはまいにち桜はらはらとちる
ひとをつよくおもふとき気球うかびたりつよくみあげてをればおちない
黒煙を鴉と気づきたるときに鴉の多さに黒煙のきゆ
防犯用カメラは空気をうつしゐて空気にうごくすずかけのかげ
まひるまをなにできるなきかなしさは鰺のひらきのうへを雲ゆく
喰ふ子規のあさましさこそいとしけれくひてくひてくひてくひてすなはち死にき
トマトよく熟れたるにゆびくひこみてぬけざるをわがゆびの四五秒
朝とよぶもののけはひのさみしさはかたちとなりて窓のあらはる

1首目、奥の細道の旅で芭蕉が訪れ、能の演目にもなっている「遊行桜」。時空を超えた広がりを感じさせる歌だ。
2首目、人はたった一回死んだだけで、もう二度と生き帰ることはない。
3首目、「われに」ではなく「われは」である。われと桜が一体化している。
5首目、一度鴉だと気づいてしまうと、もう黒煙に見えることはない。
8首目、下句「くひて」を4回繰り返したところに圧倒的な迫力がある。
10首目、まだ暗い部屋の中にいて、うっすらと白み始めた窓を見ている。

この歌集の特徴として、自らの病気のことをかなり具体的に詠んでいる点が挙げられる。

ちれうはふあらざるからだよこたへて対流圏のそこひに灯す
えーえるえす、ゆめではなんと自由です、牧水の脚で渋峠こゆ
痰のどにみづあめじやうにあるひそとこのみづあめは太るひとりで

現在のところ治療法のないALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹った作者。のどに痰が溜まる様子なども詠まれている。渡辺の一見自由奔放に見える歌の背後には、こうした厳しい現実があるのだ。

総合誌の作品ではそうした面をあまり出さない作者であるが、結社誌「かりん」においてはかなり素直に歌にしている。良い意味での身内意識の表れと言っていいだろう。

2016年3月23日、書肆侃侃房、2100円。

posted by 松村正直 at 22:22| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月06日

沖ななも歌集 『白湯』

2004年から09年までの作品519首を収めた第9歌集。

秋の歯にこころもとなくおきうとの骨も髄もなきこの舌ざわり
バスを待つきのうもバスを待ちおりき思えば一生(ひとよ)待つばかりなる
目薬をさせば海面(うなも)を漂えりひかりながるる水のおもてを
スーパーの袋をさげて歩み来る敵将の首を下ぐるごとくに
見目(みめ)悪しき魚は味がよいというわが安堵することにあらねど
考えて考えて流れはじめたり三和土(たたき)に垂れし傘のしずくが
値札みて買うをやめたるカシミヤの朱のセーターのあのやわらかさ
植えられて苗しずかなり水面におのれの丈の影を映して
窓越しにぼうと見ているきつね雨昨夜のことをよみがえらせて
アイスコーヒー飲み終えしグラス引き寄せて氷の溶けし水すこし吸う

1首目の「おきうと」は福岡の人がよく食べる海藻食品。
2首目、バスに限らず人生には待ち時間が多い。
3首目、目薬を差した時の感覚がおもしろく表現されている。
5首目はユーモアの歌。言外に自分が美人ではないことを伝えている。
6首目、三和土の微妙な凹凸を流れていく水の様子。
7首目、家に帰って来てから思い出しているのだろう。
10首目は結句の「吸う」がいい。もうほとんど味はしない。

タイトルの由来について、あとがきに

母が亡くなってからの十年、わたしの考え方感じ方が少し変わったように思う。肩の力が抜けたというか、日常の生活が大事だと思い始めた。凝った味付けではなく、白湯の味わいを好むような日常になったということかもしれない。

とある。短歌においても「白湯の味わい」を目指しているということだろう。白湯を美味しく飲ませるために、おそらく作者はいくつもの工夫が施しているのだ。

2015年9月10日、北冬舎、2200円。

posted by 松村正直 at 19:56| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月05日

『桜前線開架宣言』の誤植訂正

『桜前線開架宣言』の初刷の誤植訂正が、版元の左右社のホームページに載っています。

http://sayusha.com/news/etc/p=201604042113

ネットの情報によれば、他にも何か所か誤植があるようです。
気づいた方は版元に連絡してあげると喜ばれます。

歌の引用というのは、何度確認してもし過ぎるということがないですね。
自分の書いた文章を校正していて、時々驚くことがあります。

posted by 松村正直 at 08:07| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月27日

山田航歌集 『水に沈む羊』


短歌176首と長歌1首を収めた第2歌集。

花と舟と重なりあひてみづうみを同じ速度で流れゆく見ゆ
〈失はれた十年〉は過ぎしきしまのやまとに止まぬPHANTOM PAIN
白樺の姿勢ただしく終はりなき行軍のごとき防風林よ
大根は天衣のごとく干されゐて水路は朝のひかりへ潜る
スタッフロール流れ始めてゆふやみの窓のごとくに液晶が灯る
振り上げた鎌のかたちの半島の把手あたりにひかるまほろば
監獄と思ひをりしがシェルターであつたわが生(よ)のひと日ひと日は
彩帆なるうつくしき名を持つ少女/サイパンといふうつくしき島
改札をくぐるときのみ恋人はほぐれけり春の花びらのごと
食パンの耳の額縁そのなかに少し呆れた顔のモナ・リザ

1首目、舟に落ちた花びらが運ばれて行く。「ふ・ね」と「は・な」の音の響き合いがよく効いている。
2首目の「PHANTOM PAIN」は幻肢痛。切断してないはずの手足が痛む症状のこと。3句以下の音の響きがいい。
5首目、映画が終って、まだ暗い場内で観客が携帯電話の電源を入れ始めている。
6首目は下北半島のことだろう。下句は六ヶ所村の核燃料再処理施設と読む。
8首目、「あやほ」「さほ」という女性の名前と、戦前のサイパンの漢字表記「彩帆」の取り合わせ。
9首目、待ち合わせ場所でこちらに気づいた時の、はにかむような微笑み。
10首目の歌から始まる連作「ふたりぼっちの明日へ」は、不妊治療とその断念を詠んだ内容で、歌集の中で一番心に残った。

2016年2月28日、港の人、1200円。

posted by 松村正直 at 07:17| Comment(2) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする