2014年03月23日

「レ・パピエ・シアン2」2014年3月号

特集は「ソチ五輪を詠む」。
こうした特集をタイムリーに組んでいく企画力や行動力が、通巻183号という同人誌としては驚異的な継続につながっているのだろう。

大辻隆弘さんの「戦後アララギを読む」は「高安国世から見た近藤芳美」の4回目。講演に大幅に加筆したもので、「ちょっとマニアックですが」と自分でも書いている通りの細部へのこだわりが光る。

問題は、近藤が戦後、京都の高安宅を訪れたのがいつであったか、ということ。
大辻はまず近藤の『歌い来しかた』に記されている「昭和二十四年初頭」が勘違いであることを述べる。

この本は、困ったことに、年月日の記述が実に不正確でいい加減です。近藤は、自分の既刊歌集を見ながら、詳しく調べることなく適当に年月日を想像して、思い出を書き綴っていったものと見えます。

ちょっと厳しい書き方ではあるが、これは『歌い来しかた』を資料として使う場合に、気を付けておかねばならない点だろう。この本は1985年に雑誌「世界」に連載されて1986年に岩波新書から刊行されたもの。30年以上前の出来事の記述が不正確になるのも、ある意味で止むを得ないことではある。

大辻はその後「ぎしぎし」23号(昭和23年11月28日発行)の後記から、近藤が高安宅を訪れたのが昭和23年11月14日であることを明らかにする。

その上で、その「14日」が「15日」の間違いではないかという話へ進んでいくのだ。京都市のその日の最低気温を調べたりと、まあ、本当にマニアックではあるのだが、こうした努力や姿勢は大事なことだと思う。

この件については面白そうなので、何か他に資料がないか調べてみたい。

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2014年03月15日

「まひる野」2014年3月号

この年の最後の読書『高安国世』七十歳の死を思ひて閉ぢぬ
              橋本喜典

高安国世が亡くなったのは1984年のこと。
今年は没後30年にあたる。

高安が亡くなったのは、「塔」の創刊30周年の時であった。
今年は創刊60周年。
ちょうど倍の時間が流れたことになる。

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2014年02月22日

「現代短歌」2014年3月号

小高賢さんの作品「よきものの」13首が載っている。
亡くなったことを知っているためか、「不審死という最期あり引き出しを改めらるる焉りはかなし」など、死を詠んだ歌が多いのが印象に残る。

よきものの七十歳(ななじゅう)代という歌をにわかに信ぜず信じたくもあり

この一首は

よきものぞ七十代はといひし師のこころ諾(うべ)なふ今にいたりて
                窪田空穂『丘陵地』

を踏まえている。昭和29年の歌で、当時空穂は77歳。
69歳で亡くなった小高さんには、ついに「七十歳代」は来なかったことを思うと、何とも悲しい。
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2014年02月20日

「歌壇」2014年3月号

黒瀬珂瀾の特別評論「精神科医 斎藤茂吉の歌語」がおもしろい。

茂吉の『赤光』に使われている「狂・癲」といった言葉(狂者、狂人、狂院、瘋癲院、瘋癲学など)について、多くの資料に当りながら詳細に考察している。この「やさしい鮫日記」にも言及していただいた。

黒瀬はまず、茂吉の精神病学における師であった呉秀三が、精神病のイメージの改善に取り組み、「狂・癲」といった言葉を除こうと努力したことや、茂吉も精神病医として当然そうした状況を知っていたことを明らかにする。それにも関わらず茂吉は歌の中でそれらの言葉を用いた。その理由について黒瀬は
これを≪茂吉の性格、個性≫と片づけるのは容易い。だが、一つ推測しておきたいのは、茂吉は一般社会での表現と、歌の表現は別個のものという意識がどこかにあったのではないか、という点である。そうだとすると、やはり茂吉には「狂・癲」の語を意識して用いたという側面はあるかもしれない。

と指摘する。このあたり、茂吉の作歌意識に触れてくる部分で、非常に興味深い。さらに掘り下げていくと、いろいろと新しいことが見えてくる気がする。
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2014年02月01日

「歌壇」2月号、「短歌往来」2月号

「歌壇」に連載中の篠弘「戦争と歌人」は、2月号で折口春洋を取り上げている。
昭和6年の入隊から始まり、昭和16年の召集、さらに18年の再召集から19年の硫黄島行きという流れを踏まえつつ、それぞれの時期の歌を引いている。

中でも硫黄島で読まれた歌は、印象深い。
ぬかづけば さびしかりけり。たこのかげ、筵の下に 亡骸を据う
明礬の洞窟に臥して十日をすぎわが体臭をいとふなりけり
壕を出でゝむかふ空深しわが空中爆雷の煙雲しづけし
師走八日昼なほあつき島の上黍の葉枯れに蝗いで居り

映画「硫黄島からの手紙」の風景などを思い出す。

「短歌往来」2月号には、西勝洋一の評論「齋藤瀏、史の旭川時代」が掲載されている。
旭川に住む西勝が齋藤親子の旭川での足跡と、地元歌人たちとの交流について記したもの。

内容的には、昨年刊行された石山宗晏・西勝洋一著『道北を巡った歌人たち』と重なる部分が多いのだが、こうした〈郷土短歌史〉は今後大事になってくるように思う。

例えば、今回の評論に出てくる酒井廣治は、一般的な短歌史ではあまり取り上げられない歌人であるが、旭川歌壇においてはかなり重要な役割を果たしている。

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2014年01月20日

「現代短歌」2014年2月号

大島史洋さんの「河野裕子論」は2回目。
歌集『桜森』を取り上げているのだが、気になる箇所があった。
河野は、昭和五十二年の七月に高校時代からの親友であった河野里子が自死するという出来事に会う。

この「高校時代から」というのは間違いだと思う。
二人が出会ったのは京都女子大学でのことだ。
四十一年に京都女子大に入りました。先日ダンボールの中から、女子大の入学関係書類が出てきてびっくりしました。受験番号が一二四八七番。そして、河野里子さんに会ったんです。   「歌壇」2007年9月号
(京都女子大の)旧校舎のときは階段教室だったんですよ。下のほうに教授がいて。すり鉢の底で教授が講義をいたしますでしょう。窓の外にキイチゴの花が咲いたりして。その階段教室でとにかく一番はじめに見たときから、この人が好き、と思ったんです。     『シリーズ牧水賞の歌人たち 河野裕子』

こうした河野さん自身の発言からも、初めての出会いが大学に入ってからだったことは明らかだろう。

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2014年01月05日

「開放区」第98号

野一色容子さんの連載「ナンジャモンジャの木―清原日出夫評伝拾遺―」は4回目。
前回に続いて、高校3年生の清原が地元の北海道新聞「根室歌壇」に投稿した作品58首について取り上げている。

「清原清人」「山川四郎」のペンネームで投稿されたこれらの歌のことは、多分これまでどこにも書かれていない。清原日出夫について考える上で貴重な資料である。

現代歌人文庫『清原日出夫歌集』の中で、清原は
次に〈短歌〉と付き合うようになったのは、高校生になってからである。ここでの付き合いを経て、本当の意味で現代短歌に出会ったのは、(…)高安国世の〈砂の上の卓〉によってである。昭和三十三年のことだ。

と記している。
この高校生時代の短歌との「付き合い」というのが、新聞歌壇への投稿を指しているのだろう。

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2014年01月02日

「レ・パピエ・シアン2」2013年12月号

紹介が遅れて年を越してしまった。

大辻隆弘さんの連載「戦後アララギを読む」は58回目。
「高安国世から見た近藤芳美」という講演録の1回目が掲載されている。

この講演は、12月1日の現代歌人集会秋季大会で、理事長の大辻さんが行ったものである。12月1日に行った講演の内容が12月15日発行の誌面にもう載っているわけだ。何よりもそのスピードに驚く。

高安と近藤という昨年ともに生誕100年を迎えた二人の歌人の関わりが非常によくわかる講演なので、どうぞ皆さんお読みください。

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2013年12月22日

短歌往来」2014年1月号

今月から新しい連載が2つ始まった。
一つは島内景二「短歌の近代」。
古代文学と現代短歌の両極から光を当てることで、近代短歌の志と限界をあぶりだす。
現代短歌が、真の開花と結実の季節に向かうためには、近代短歌が乗り越えたと思い込んでいる「和歌文化」の長所と短所を、今一度、再確認しておく必要があると思う。

このあたり、私がちょうど興味を持っているところでもあるので、今後の連載が楽しみである。

もう一つは及川隆彦「編集者の短歌史」。
ながらみ書房の社長であり、「心の花」の歌人でもある及川さんが、自らの40年近い編集者人生を記す内容。これは貴重な記録になりそうだ。

私の連載「樺太を訪れた歌人たち」も2年目に入った。
今回は「石榑千亦と帝国水難救済会(1)」。
地味な連載ですが、どうぞお読みください。

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2013年11月29日

「短歌人」2013年12月号

花鳥佰さんの評論「茂吉の見た近代の風景」がおもしろい。
10月号に「その一」が載って、12月号が「その二」。ひとまず、この2回で終わりのようだ。

明治15年(1882)に生まれて昭和28年(1953)に亡くなった斎藤茂吉。その作品の中から、「郊外」「百貨店」「飛行機」「心中」「洋行」「精神病院」「別荘」「トマト」「映画」「疎開」といった風景を取り出し、時代背景もまじえて論じている。

それも単なる歴史の回顧ではなく、近代から現代を照射するという視点を持ち合わせているところに特徴がある。現在の私たちにつながる問題として近代を捉えているのである。これは、大事なことだと思う。

気になった点も指摘しておきたい。
瘋癲院とは精神病院のことで、茂吉はしばしばこのややグロテスクな用語を使った。

という一文がある。「瘋癲院」という呼び方は、確かに現在の眼から見ると「グロテスク」であるが、茂吉が歌に詠んだ大正時代にはどうだったのだろう。茂吉だけが好んで(?)この言葉を使ったのだろうか。

以前、このブログにも書いたことがあるが、
(精神病院の歌 http://blogs.dion.ne.jp/matsutanka/archives/11363327.html )
大正2年に前田夕暮は「狂病院」、古泉千樫は「瘋癲院」という言葉を歌に詠んでいる。

また、北原白秋「邪宗門」(明治42年)、夏目漱石「彼岸過迄」(明治45年)、宮沢賢治「ビジテリアン大祭」などにも「瘋癲院」「瘋癲病院」という言葉は出てくる。

そうした点を踏まえると、「瘋癲院」は当時かなり一般的な言い方であったことがわかる。茂吉にしても、特に「グロテスク」という意識は持っていなかったのではないだろうか。

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2013年11月24日

「未来」2013年11月号

生野俊子さんの「近藤とし子夫人の思い出」という2ページの文章が印象に残った。

生野さんは、昭和29年に「未来」に入会してから、長年にわたって、近藤夫妻のもとで会計や発送、宛名印刷、袋詰めなどの仕事をされてきた。その文章からは、生前の近藤夫妻の姿や性格が実によく見えてくる。
近藤さんは愛妻家と言われていたが、旧いタイプの愛妻家であった。いや、彼の理想が「旧いタイプ」であった、というべきだろうか。彼は奥さまをその理想の中で愛していた。そして、奥さまがまた、すすんでその理想の中に自分をはめこむことによって彼の愛に答えた。

深みのある文章だと思う。単純な礼讃でも批判でもなく、ひっそりとした哀しみが感じられる書き方だ。近藤芳美の歌を考える上でも、参考になる内容だろう。

結社について語る時に、しばしば選歌や雑誌発行などのシステムや、結社に所属する利点・欠点といった面だけが取り上げられるが、本当はこういう生野さんのような方の存在を抜きに、結社について語ることはできないのだと思う。

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2013年11月12日

ジャンルを超える

用があって今年の短歌総合誌を読み返している。
「短歌研究」の対談が、どれも刺激的でおもしろい。
1月号 佐佐木幸綱×鷲田清一(哲学者)「身体と言葉」
8月号 伊藤一彦×池内紀(ドイツ文学者)「牧水の自然と恋の歌」
10月号 吉川宏志×綾辻行人(ミステリ作家)「ミステリと短歌」

昨年8月号の篠弘×梯久美子(ノンフィクション作家)「戦争を短歌はどのようにうけとめたのか」も含めて、単に珍しいゲストを呼んできたという感じではなく、どれも議論の中身が充実している。事前にかなりの準備をして対談に臨んでいるのだろう。話がよく噛み合っており、歌人同士では出て来ない視点や論点が提示されている。

これこそまさに、ジャンルを超えた交流と言っていいだろう。以前、ある人が、短歌の世界で「ジャンルを超える」と言うと、俳句や現代詩の話しか出て来なくて物足りないと言っていたが、同感である。絵画にしろ音楽にしろ、他のジャンルというのはもっと広くいっぱいあるではないか。

加藤治郎の評論集『TKO』(1995年)には、コンテンポラリー・アートの柳幸典の作品の話が出てくる。私は短歌を始めたばかりの頃にこの本を読んだのだが、他のジャンルの最先端と拮抗するものとして現代短歌を捉えていることに、とても興奮したことを憶えている。

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2013年11月08日

「黒日傘」2号

高島裕の個人誌。毎回ゲストを迎えて、同じテーマで競詠をしている。
今号の特集は「母」。ゲストの黒瀬珂瀾「母知らず」30首は、母と妻と二歳の娘のことを詠んでいて、印象に残る歌が多い。
長き会議に倦みたる妻は帰り来て桃色の保育所日誌をひらく
妻は児をざばざば洗ひ湯船なる吾はも膝を引き寄せにけり
妻と児を待つ交差点 孕みえぬ男たること申し訳なし

「父より母になりたい話」というエッセイも載っていて、その中に次のようなくだりがある。
 子供が出来れば変わるよ、などとはよく言われるもので、言われるたびに「何が変わるもんか」と反発していたが、なるほどころっと変わる。自分でもこんなに変わるものとは思わなかった。(…)感情も考え方も生き方も変われば当然、短歌も変わる。それを単純に肯定したくない自分と、どこかで喜んでいる自分がいて、中々に複雑な精神生活を送っている。

率直な書き方で現在の自身について述べているところに、共感を覚えた。近く第3歌集『蓮喰ひ人の日記』が出るようなので、楽しみである。

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2013年11月02日

「かりん」2013年11月号

「歌の彩時記」というページに、高安国世の歌が取り上げられている。
  我が心をののき易き季(とき)となる山羊は日なたを既に恐れず
                 『夜の青葉に』

筆者の早崎久子さんは、他にも山羊の歌をいくつか引いて「歌集には〈山羊の歌〉の一連があり、そこここに山羊の姿があった」と書く。そして、自分も戦後の時期に牡の子山羊を飼っていたことを述べ、「私の山羊は戦後のあの日々の記憶の中に今も生きている」と記している。

私も以前、「山羊の歌と日本の戦後」(「星雲」2012年1月号)という文章を書いたことがあり、そこに高安の山羊の歌を引いた。同じく戦後の近藤芳美の歌集『歴史』にも、山羊を飼っていた歌が出てくる。

私は、それらの歌が詠まれた昭和二十年代を体験してはいないのだが、こうした歌や文章を通じて、少しではあるがその時代の空気を感じることができる。そんなところにも、短歌を読むことの楽しみはあるのだ。

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2013年10月28日

佐佐木秀綱

「心の花」の昭和17年12月号を読んでいる。
時期が時期なだけに、戦争に関する歌が多い。
巻頭は佐佐木信綱の「大東亜文学者大会讃歌」と題する4首だ。

でも、戦時中とは思えないのどかな歌もけっこうある。
印象に残ったのは佐佐木秀綱の作品。
「箱根にて」と題する4首が載っている。
明星が朝日をうけてきれいすぐ下の真白い八千代橋をハイキングの人が大勢通る
芦の湖の水はこく青い汽船から向ふ岸まで二十米位泳ぎたいなと僕は思ふ
朝早く明星が岳は霧で見えず滝川の音ばかりすぐ近く聞える
ふろ場の真黒い屋根の上にさるすべりの花が真赤に咲いてゐる向ふの山は遠く青い

口語自由律の歌である。
他はほとんど文語定型の歌がならんでいる中で、ひとり異彩を放っている。

名前から見て、弘綱―信綱―治綱と続く家系のどこかに位置する人なのだろう。隣りに「明星ヶ岳」と題する佐佐木公子の2首も載っていて、おそらく夫婦に違いない。

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2013年09月28日

角川「短歌」2013年10月号(その3)

柴生田稔については、「新彗星」第3号(2009年)の大辻隆弘と加藤治郎の対談「戦後アララギを読む」(第1回 柴生田稔)も充実していて面白い。

この対談はまず、「リアル」に関する議論がなかなか深まらない現状と、「アララギ」や「未来」がずっとリアリズムの問題を扱ってきた歴史を述べて、加藤が
少なくともリアルという問題を考えるのであれば、格好の先達、歌の積み重ねがあるので、まずそういったものを踏まえて議論をしていきたいということなんです。

と提起するところからスタートする。
11ページにわたって数多くの歌が引かれ、柴生田の作品と人生、あるいは近藤芳美、岡井隆、斎藤茂吉らとの関係がよくわかる内容となっている。その中で大辻が
「未来」創刊時、岡井さんや他のメンバーは、まず柴生田稔の『春山』の合評から始めているんですね。だから吉田正俊、柴生田稔あたりの叙情っていうのは、彼らの最初の体験としてかなり大切で、大きな原動力になったのでしょうね。

と述べているあたりを読むと、角川「短歌」に岡井の書いている文章の意味も、自ずとわかってくるように感じる。

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2013年09月26日

角川「短歌」2013年10月号(その2)

柴生田稔について。

「短歌」1994年9月号に座談会「昭和短歌を読みなおす13 五島美代子と高安国世」が載っている。参加者は篠弘、島田修二、岡井隆、岡野弘彦、佐佐木幸綱。高安国世について論じる際に、この座談会は非常に参考になる。必読と言っていいだろう。

その座談会の中で、岡井が柴生田稔について触れている。高安の「二人ゐて何にさびしき湖の奥にかいつぶり鳴くと言ひ出づるはや」を「ちょっと近藤さん調だ」と島田が述べたのを受けて、岡井は次のように言う。
岡井 しかし、「二人ゐて」の歌は近藤さんじゃないよ、柴生田稔さんだ。柴生田調を二人とも学んだわけだ。近藤さんはある意味で柴生田さんのエピゴーネンから出発しているもの。だから、いつまでたっても『春山』『春山』って言って、本まで作ったでしょう。柴生田さんの若いころそっくりだ。

柴生田と近藤や高安との関係がよくわかる内容だ。ただ、「本まで作ったでしょう」がよくわからない。昭和16年に出た『春山』(墨水書房)を、戦後の昭和28年に白玉書房から復刊させたことを言っているのかもしれない。

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2013年09月23日

角川「短歌」2013年10月号(その1)

岡井隆の連載「詩の点滅」は第10回。
「時代と詩の関わりとは何か」という題の5ページの文章であるが、広い教養と引き出しの多さを感じさせる内容となっている。岡井の散文はいつ読んでもおもしろい。

その中で、特に柴生田稔の作品について触れている部分に注目した。
柴生田は佐藤佐太郎、山口茂吉とならんで茂吉の三高弟の一人だが、今ではあまり取り上げられなくなっている歌人と言っていいかもしれない。
(…)若い、二・三十代の歌人の書くものを読んでゐると、いささか心もとないのは、近藤芳美に大きな影響を与へた柴生田稔(一九〇四−九一年)の歌をほとんど知らないで書いてゐるのであつた。
(…)斎藤茂吉の高弟の一人である柴生田が、当時の「アララギ」でどんな位置にあつたのか、名歌集『春山』にまでさかのぼつて検討する位の用意がないと、そもそも、作品を論ずる資格がない(…)

こんなふうに、だいぶ厳しいことを書いているが、決して嫌な感じはしない。これが岡井の実感であり本音なのだろう。かつては誰もが当り前のこととして知っていたことが、時代が移って伝わらなくなってしまう。それに対するいら立ちと不満があるのだ。

かつて、別の座談会の場でも、岡井が柴生田稔について言及していたのを思い出す。

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2013年09月15日

「レ・パピエ・シアン2」2013年9月号

大辻隆弘さんの二つの文章「長塚節 一九〇九年春―小説「開業医」をめぐって―」と「戦後アララギを読む(55)「新泉」近藤選歌欄Q」がおもしろい。

前者では、長塚節と伊藤左千夫の島木赤彦宛書簡を通じて、節と左千夫の小説の特徴や違い、さらには人間の違いを描き出している。細部の描写に長けている一方で、全体の構成や登場人物の心理描写が弱い節。反対に細部の描写は下手であるものの、全体の構成や人物の描き方には力を発揮する左千夫。そんな二人のライバル意識が生々しく伝わってくる内容である。

後者は、近藤芳美と相良宏の間で交わされた政治と文学の問答を経て、近藤の「政治」という言葉の曖昧な使い方に激しく反発した柴生田稔の文章を紹介している。さらに、そんな柴生田の近藤に対する反発の背景に、戦中から戦後にかけての二人の生き方や態度の違いがあったことを記している。

どちらの文章も、無味乾燥で色褪せた短歌史の発掘などではなく、熱く激しい人間ドラマの再現と言っていい内容である。総合誌の特集などに載っている細切れな文章の束より、こちらの方が何倍もおもしろい。読んでいて、ワクワクドキドキするほどだ。

1点だけ残念なのは、「レ・パピエ・シアン」の中で、大辻に次ぐ書き手があまり育っていないように思われること。今号の評論を見ると、大辻の長塚論が6.5ページ、戦後アララギ論の連載が4ページあるのに対して、他のメンバーは山吹明日香「『土』雑感」3ページがあるばかり。せっかく身近に良い手本がいるのだから、それに張り合うくらいの書き手が出てきても良いのではないだろうか。

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2013年09月01日

角川「短歌」の古い号から(その3)

1996年6月号より。

「わたしの歌の出発」という特集があり、30名の歌人が短歌を作り始めたきかっけを書いている。その中に河野裕子さんの「サフランの歌など」という文章がある。

河野さんは、田舎で小さな呉服雑貨商をしていた家に、母親が買った中城ふみ子『乳房喪失』『花の原型』、明石海人『白描』という3冊の歌集があったことを述べ、さらに次のように書く。
短歌好きの母は、折りにつけて、娘時代に覚えた歌を口遊んでいた。聞くともなしに聞いていて、すっかり覚えてしまった歌が何首もある。

  ゆふぐれになりにけらしな文机(ふづくえ)の鉢のサフラン花閉ぢにけり

という歌は、作者名もわからないまま母から私に伝えられた歌であり、早春の光りが射す頃になると、決まって思い出す歌である。

河野さんが耳で覚えたというこの一首は、一体だれの歌なのだろう。

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2013年07月23日

「月刊みずたまり」40号

鳥取の短歌グループ「みずたまり」が発行している小冊子。20ページ。
作品やエッセイ、一首評、短歌時評など、毎号充実した内容である。

荻原伸さんの短歌時評に、こんなことが書いてある。
斎藤喜博(一九一一年うまれ)は「島小教育」と呼ばれる教育実践で有名な小学校教師だ。教育に携わる者で斎藤喜博を知らないひとはいない。

ああ、なるほどと思った。

実は数日前に、「塔」の会員で小学校の先生をしていたKさんが、『高安国世の手紙』の感想を伝えて下さったのだが、その方が真っ先に挙げたのが、この斎藤喜博の名前だったのだ。

戦後、次々に創刊されたアララギ地方誌の一つに斎藤喜博を中心とした群馬アララギ会の「ケノクニ」があり、高安国世もそこに文章を寄せたりしていたのである。二人はともに土屋文明門下であった。

Kさんは大学の卒論で斎藤喜博について書いたということで、教育者としての斎藤をよく知っていた。一方の僕は歌人としての斎藤喜博は知っていたが、教育者としての斎藤については何も知らなかったというわけだ。

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2013年07月13日

「井泉」2013年7月号

リレー小論〈作品の「読み」について考える〉に、柳澤美晴さんの書いている「体験・体感・空気」という文章が面白かった。歌の読みに読み手の経験がどのように影響するかについての話である。

「体験を通すことで、歌が生々しい面を見せて己の内部に立ち上がる」「(…)体感をくぐらせることで歌の読みの手掛かりを得ることがある」といった実例を挙げたのち、柳澤は
(…)実は誰しも自分の経験値を代入して歌の読みを行っている。その経験値が歌への共感や驚異の基盤となり、読みや評価に大きく影響する。それが、プラスに働けばいいが、マイナスに働く場合もある。

と記している。この「マイナスに働く場合もある」というのが、注意しなくてはいけないところだろう。歌会などでも、自分の経験に引き摺られて歌の読みを歪めてしまうケースをしばしば目撃する。

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2013年07月08日

「路上」126号

佐藤通雅の連載「宮柊二」は第17回。
宮柊二の戦中書簡に焦点を当てているのだが、軍事郵便という制度や検閲の問題にも触れていて、読み応えがある。

兵の士気の低下を防ぐために、野戦郵便局が設けられ、戦地から内地へ送る郵便は全て無料であったこと、兵は日記を付けることも奨励されたことなど、実に興味深い。

今回、「一兵意識」という言葉も出てくるのだが、これはもちろん
おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様をまつぶさに遂げむ 『山西省』

へとつながっていくものだろう。この歌については、以前からいろいろ調べていることがあるので、いずれ何かに書きたいと思う。

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2013年07月01日

「現代短歌新聞」2013年7月号

大島史洋の「人間としての「生活」―近藤芳美生誕百年―」という文章に注目した。大島は近く『近藤芳美論』を出版することを述べ、そこに載せた近藤の言葉を紹介している。
「僕はアララギ出身であるし、生活をうたえということを若いときから教えられてきた。土屋文明先生など、そういった主張をしていた。でも僕は、ごはんを食べたり、夫婦喧嘩をしたり、会社の苦情を言ったりすることを生活とは思っていないんです」

「ごはん」や「夫婦喧嘩」や「会社への苦情」は、近藤にとって詠うべき生活には含まれていなかったわけである。この言葉と近藤の歌を思い合わせて、非常に納得するものがあった。

一方で、同じく生誕百年を迎えた高安国世は、ごはんを食べたり、夫婦げんかをしたりする歌を詠んでいる。
いら立ちてすぐ涙ぐむ病む妻に何にむらむらと怒吐きくる 『真実』
我が作りし貧しき弁当食ひ居らむ子を思ひつつ昼のパン焼く
思ひ惑ふわが前に皿が突出され人造バターが匂ひはじめぬ 『年輪』
家も子も構はず生きよと妻言ひき怒りて言ひき彼の夜の闇に

前期の高安にはこうした歌が数多くある。
さらに、『年輪』の後記で、息子の聴覚障害のことに触れながら、次のように書いている。
近藤芳美君らは私の歌があまり日常的すぎると注意してくれたが、私は当分はどうしても此の日常を振り切ることが出来ないと覚悟してゐた。それでも時どきはむらむらと寂しさが迫り、本も読む暇のない自分が、獨文学の方面でも歌の方面でもひどく立遅れて行く腹立たしさを妻にでも当るより仕方がなかつた。

ここに近藤と高安の立場の違いは、はっきり表れていると言えるだろう。
そんな二人の最晩年の歌をそれぞれ挙げておこう。
絶対の「無」を救済に思うとし一切の人間の限界に立つ 近藤芳美『岐路以後』
大いなる「無」の見るかすかなる夢の我の一生か思えば安し 高安国世『光の春』


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2013年06月22日

「レ・パピエ・シアン2」2013年6月号

「近藤芳美を読み直す」という特集が組まれており、大辻隆弘さんが「近藤芳美における嫌なもの―『異邦者』について」という文章を書いている。これは、注目すべき力作である。

小池光に「茂吉における嫌なもの」(『小池光歌集』所収)という鋭い評論があるが、大辻の評論も同じような鋭さで、「日本的なものへの嫌悪」「民衆への憎悪」「黒人蔑視」「性的未熟」「西洋的なものへの盲信」といった近藤芳美の問題点を抉り出している。

ところどころ、ちょっと言い過ぎではないかと感じる部分もあるのだが、大筋において、大辻の指摘には同意できる部分が多い。私も少し前に『早春歌』と『未明』を読み、そこに大辻の言うような特徴を感じたのであった。
自(おのづか)らはなれ土掘る鮮人人夫と苦力(クリ―)の人種意識もあはれ
                                     『早春歌』
土深くあかりを持ちて吾はをり苦力(クリ―)の居たるにほひ漂ふ
外人ら体臭立ちて集(つど)ふ中洋装貧しく吾を待てり妻は

人間に英知の初めエーゲ海染めて広がる朝かげの如   『未明』
憧憬にギリシアはありて戦争の青春を分く今に彼らなく

1、2首目からは朝鮮人や中国人苦力に対する差別意識(もちろん当時の時代的な制約は考慮する必要があるが)が感じられる。しかも、それを「にほひ」と詠んでいるところが気になる。

3首目は「内金剛ホテル」という一連にある歌。「外人」はおそらく西洋人のことだろう。その立派な体格や服の着こなしに比べて、自分の妻を「洋装貧しく」と詠んでいるのだ。

4、5首目はギリシア旅行を詠んだ歌。ギリシアは文明発祥の地として、若き日から近藤の「憧憬」の地であったと言うのだろう。こうした西洋賛美と、西洋に対するコンプレックスは、今の目から見ると痛ましさを覚えるほどである。

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2013年06月16日

「短歌往来」2013年7月号

「短歌往来」7月号に、連載「樺太を訪れた歌人たち」の7回目を書きました。
「北原白秋・吉植庄亮と海豹島」の2回目。
来月もう一回続きます。

先日このブログで、斎藤茂吉と芥川龍之介の関わりについて少し触れましたが、今月号の大島史洋さんの「落書帳」も「龍之介と茂吉」というタイトルで、二人の関係について書いています。

さらに、この号の特集はその「大島史洋」。
写真、歌人論、5首選、50首抄、略年譜と35ページにわたる充実した内容です。

皆さん、どうぞお読みください。

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2013年05月30日

「短歌人」2013年6月号

谷村はるかの時評「精神の働きに興味があります」の次の部分に注目した。
 ところで「短歌研究」連載の野口あや子「かなしき玩具譚」が絶好調だ。今時の女子の玩具である携帯電話やマスカラが歌の主体となって、〈主人〉である女子を冷徹に批評する。現代風俗にまみれた作品世界は一見饒舌だが、読後、そのざわめきは消え、野口の苛立ちだけが残る。加藤書(加藤治郎『短歌のドア』/松村注)のいう「作者の精神の働きへの興味」をかきたてるのだ。

この「読後、そのざわめきは消え、野口の苛立ちだけが残る」という指摘は、先日書いた「この書評を読むと、野口さんが何を考え、何に反発しているのかはよくわかる」という印象と重なるものだろう。

問題は、短歌作品においては作者の精神の働きが感じられるのは大事なことだけれども、書評ではそれだけで良いのかということなのだと思う。書評というのはあくまで本が主役であって欲しいというのが、僕の考えである。

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2013年05月29日

「黒日傘」第1号

「文机」の終刊から1年。高島裕の新たな個人誌がスタートした。

今度の個人誌は高島とゲストが同じテーマのもとに同じ分量の短歌と散文を発表する方式となっている。初回のゲストは石川美南。テーマは「滅び」。

高島の「最後の歌人(うたびと)」30首は、日本の滅びを詠んだもの。仮想的な世界を詠むスタイルは、かつての「首都赤変」を思わせる。
(とうきやう)と声を殺して呟きぬ。東海省省都トンキン暮れて
独立派兵士の額(ぬか)に捺されたる「倭」の文字の上に止まる黒蝿

一方の石川の「お帰り(LANDその12)」30首は、或る家族の歴史を、時間を遡りつつ詠んだもの。石川らしいユニークで実験的な試みである。

散文は高島が「歌人(ヒトデナシ)として生きろ」、石川が「逆10分待ち(LANDその9)」、各2ページ。

以上の特集の他に、高島の短歌「真闇の部屋」30首と散文「短歌のために」が載っている。
汝がために炊き上がりたる白飯(しらいひ)を一日置きてわれひとり食ぶ
生家にて一時間ほど眠りたり、足裏(あうら)ひんやり柱に当てて

編集後記には「初夏と秋。もつとも心地よい風の吹く季節を選んで号を重ねたい」とある。年に2回の発行ということだろう。次号も楽しみである。

平成25年6月3日発行、TOY、500円。

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2013年05月17日

「歌壇」2013年6月号

「父の詠む子の歌」という特集が組まれている。「総論」(小塩卓哉)、「父のうた 50首選」(黒瀬珂瀾選)、「鼎談」(栗木京子・本多稜・大松達知)という内容。ようやく短歌総合誌でも、こうしたテーマが扱われることになったのが嬉しい。

以前、角川「短歌」(2007年1月号)の時評に「男性歌人の子育ての歌」という文章を書いたことがある。女性歌人が子を詠んだ歌が短歌誌でしばしば取り上げられるのに対して、男性歌人の歌はこれまであまり取り上げられてこなかった。

そういう意味でも、これは画期的な特集だと思う。
50首選から3首だけ引く。
ねぼけては母とやおもふちさき手に父なる我の乳(ちち)をさぐるも
                 小田観螢 『隠り沼』
おそれなく辞書を踏台にして遊ぶ幼ならよもの書くわがかたはらに
                 木俣 修 『落葉の章』
あたたかき雨の濡らせる郁子(むべ)の花この子の恋にまだいとまある
                 伊藤一彦 『青の風土記』

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2013年05月11日

「うた新聞」5月号

見開き2ページを使って、「短歌結社について」という特集が組まれている。結社の抱えている様々な問題点が見えてきて、なかなか面白い。

「若手・新人を育てる」というテーマで僕も文章を書かせていただいたのだが、同じ欄に中地俊夫さんの文章がある。
「『短歌人』には文学活動がない」と言って離れて行った人たちの「原型」がこの度、終刊号を出した。立派な主宰者を戴いた結社誌の五十年間は一体何だったのだろうか。何でも長続きすれば良いというものではなかろうが、新人が全く育たない結社のありようはやはり問題である。

1962年に「短歌人」の編集委員であった斎藤史が、新たに創立した結社が「原型」である。その際にどういう経緯があったのか詳しくは知らない。多少ゴタゴタもあったのだろう。それにしても、この書き方はちょっとなあと思う。

「新人が全く育たない」なんて、軽々しく決めつけて良いものだろうか。「原型」と言えば、百々登美子さんや目黒哲朗さんといった名前がすぐに思い浮かぶ。そういう人たちを全否定するような書き方は、いかがなものだろう。

結社の悪しき側面を見てしまったような気がする。

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2013年04月27日

「北冬」14号

北冬舎が不定期に(年に1回くらい?)発行する「北冬」の最新号。
特集は「今井恵子責任編集 〈公〉と〈私〉の交差する時空。」

11号の特集は「江田浩司責任編集 [山中智恵子]の居る所。」、12号は「高島裕責任編集 [日本]はいま、どこにあるか。」、13号は「大田美和責任編集 [100年の言葉の向こうへ―。]」であった。

このラインナップを見てもわかるように、毎号かなり濃い特集を組んでいて、ふつうの総合誌とはだいぶ雰囲気が違う。

14号は、昨年4月に行われた今井恵子さんの歌集『やわらかに曇る冬の日』の批評会の内容を完全収録している。その他に今井恵子論や今井さんの新作もあって、盛りだくさんの内容だ。

批評会にはパネラーの1人として参加したので、何だか懐かしい感じがする。歌集の批評会はあちこちで行われているけれど、こういう形できちんと記録が残るのは珍しい。とても大事なことだと思う。


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2013年04月13日

「歌壇」2013年5月号

「歌壇」5月号の中沢直人さんの時評に、驚いた。
「おまえの頭は誤作動している」と父は言って、代理出産で子どもを持つのがどれほどおかしなことかを力説した。

という一文に始まって、子を持つことをめぐるかなりプライベートな話が続く。そして、同世代の歌人の歌を青春や孤独、そして子育てといった文脈から読み解いていく。時評の文章としてどうかという疑問や違和感はあるのだが、その切迫した思いは強く伝わってくる。

そんなことを思いながら、他のページも読んでいると、30代〜40代にかけての歌人たちの家族をめぐる歌が目に入ってくる。
親指と人差し指のあいだにて「いま二センチ」の空気を挟む
                  永田 紅
千人の祖(おや)となるかもしれなくて、おいんくおいんくミルク飲む吾子
                  大松達知
ふたりとも「田村」の判を押し終へて離婚届を折りたたみたり
                  田村 元

なるほど、短歌作品ではこういうプライベートな話はいくらでも出てくる。散文では違和感のあるような内容が、短歌になると別に平気である。そのあたりも、考えてみると面白いことかもしれない。

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2013年03月31日

「立命短歌」創刊号

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近年、学生短歌会の盛況ぶりはよく話題になるところだが、今回新たに「立命短歌」が創刊された。昨年9月に発足したばかりとのことだが、誌面は全162ページ、装丁やデザインも良いし、内容も非常に充実している。
父の手に抱かれて眠るみどりごがどろりととけて零れ落ちゆく
              柳文仁 (「柳」は正しくは別字体)
強がらぬ強がりもまたあるだろう素直に肩を借りてくるひと
              坂井ユリ
吸うごとに鼻の輪郭際立ちぬ耳抜きをして急ぐ朝路を
              村松昌吉
弟の額に三点ほくろあり正しい順に押して確かむ
              中山靖子
珈琲の味は変わらず若き日に通った店で時間を潰す
              大槻裕子
粉雪が**********(アスタリスクのように)舞う秘密ばかりの**ぼく
たちに          宮崎哲生 (「崎」は正しくは別字体)
引用のやうなる日々にわれは居て西日の内に山茶花を見る
              濱松哲朗

立命短歌会と言えば、かつて清原日出夫や坂田博義らを生んだ学生短歌会の名門であるが、近年は活動をしておらず、今回の「立命短歌」が第5次になるそうだ。今号に、宮崎哲生さんが「立命短歌史」という40ページにわたる文章を書いていて、これまでの歴史を的確に、わかりやすくまとめている。これは大変な労作で、資料的価値も高い。

短歌作品だけでなく、こうした文章が載っているところに注目するし、今後のさらなる発展が期待できそうに感じる。

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2013年03月24日

角川「短歌」2013年4月号

特集は「31文字の扉―短歌の神髄と魅力に迫る」。
ちょっと面白いことがあった。

小池光さんが「短歌の作法」として
まず、短歌は五七五七七という言葉の鋳型をもっている。これを絶対のものと思って、一音のはみだしも不足もなく、きっちり守ることが大事だ。

と書いている。定型厳守の姿勢をはっきりと打ち出していることに少し驚く。
ところが、次のページに行くと穂村弘さんの文章が載っていて、そこに小池さんの歌が引かれている。
  銀杏が傘にぽとぽと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道
                小池 光

 四句目の「夜道なり夜道なり」が大幅な字余り、だが、ここを「夜道なりけり」などの定型に敢えてしないことによって、「どこまでも夜道」が続く感覚が「現に」表現されている。

この二つの文章を続けて読んだ人は、きっと迷ってしまうだろう。それを思うと何だか可笑しい。

これは矛盾でも何でもなくて、短歌というのは実際にこういうものなのだ。初心者かベテランかという話ではない。言ってることとやってることが違うというのは、短歌を作る上ではけっこう大事なことなのだと思う。


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2013年03月17日

「短歌往来」2013年4月号

特集は「福島泰樹」、全44ページ。
けっこうなボリュームである。

私の連載「樺太を訪れた歌人たち」は4回目。
「松村英一と国境線」について書いた。

どうぞ、お読みください。

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2013年03月16日

「歌壇」2013年4月号

啄木と鉄道という問題は、現在「歌壇」で連載されている川野里子さんの「空間の短歌史」にも取り上げられている。3月号、4月号と「汽車と汽船の空間」という話が続いており、その中に啄木も登場するのだ。
石川啄木も鉄道に縁の深い歌人である。啄木自身は「便利だから乗るには乗るが一体が汽車は嫌ひだ」(明治三十九年三月五日)と日記に記すものの、その人生は鉄道によって始まり、人生の変化の時はまた鉄道によって変化を知らしめられた一生だったと言えるかもしれない。   (「歌壇」3月号)

続く4月号では、啄木や牧水といった故郷との関わりを論じられることの多い歌人が、実は僧侶や医師など、農村に深く根付くことのない「特権的な〈異分子〉」の家系に育ったことを指摘しており、こちらも非常に面白い。
               
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2013年03月14日

「塔」2013年3月号

各都道府県の名所、名産などを紹介する「歌の駅」は39回目。井上佳香さんが高知県について書いている。その中で啄木の父について触れているところが興味深かった。

高知駅前に啄木とその父一禎(いってい)の歌碑が建っていることを紹介して、井上さんは次のように書いている。
岩手県の寺で住職をしていた一禎は、生活苦から啄木の姉とら夫妻のもとに身を寄せた。とらの夫は鉄道官吏で、高知出張所長として赴任した際、一禎も共に高知に来て二年ほど過ごし、そのまま当地で亡くなったのである。

一禎と言えば渋民村の宝徳寺の住職を宗費滞納によって追われ、啄木がその復帰運動に奔走したことは知っていたが、まさか高知で亡くなっているとは。意外な話である。

啄木の姉とらの夫、山本千三郎については、先日読んだ原口隆行著『文学の中の駅』の中で詳しく取り上げられていた。
三重県の出身で、日本鉄道上野駅を振り出しに鉄道マンとしての道を歩みはじめ、盛岡駅車掌、上野駅助役を勤めてから北海道入りをした。たまたま盛岡時代に啄木の伯母・海沼イエ方に下宿していて、手伝いに来ていたトラと結ばれたことで、啄木とは義兄弟の間柄となったわけである。

さらに、高知や一禎の話も出てくる。
昭和二年(一九二七)、高知駅長を最後に定年退職。昭和二十年(一九四五)、七十六歳で没。(…)父の一禎が亡くなるまでの十七年間面倒を見るなど、生っ粋の鉄道マンらしく律儀な人だったという。

啄木の人生と鉄道がいろいろなところで関わりを持っていたことを、あらためて感じた。

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2013年02月21日

「短歌往来」2013年3月号

連載「樺太を訪れた歌人たち」は3回目。
「北見志保子とオタスの社」の続きを書きました。
どうぞ、お読みください。

北見志保子についてはこれで区切りとして、次回からは松村英一について書いていきます。
永田さんの『近代秀歌』にも1首、松村英一の歌が引かれていました。
左様ならが言葉の最後耳に留めて心しづかに吾を見給へ
           『樹氷と氷壁以後』

作者90歳の時の最後の一首。

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2013年02月19日

「歌壇」2013年3月号

中西亮太さんの特別評論「若き日の葛原妙子―女学校時代から『潮音』参加まで」が面白かった。12ページという分量だが、一気に読ませる力作である。

これまであまり知られていなかった『潮音』入会以前の葛原妙子について、高等女学校時代の短歌や文章を紹介しつつ論じている。国文学研究においては当り前のことなのだろうが、一次資料に当って文章を書くことの大切さをあらためて感じさせられた。

しかも、単なる資料の発掘にとどまらず、そこに丁寧な分析を加えている点が光っている。
妙子は、すでに十代の頃に一度、詩歌の趣味に目覚めていた。『潮音』参加当初の歌を、あまり単純なもののように思わない方がよい。

という結論部分も、十分な論拠を示した上で記されたものなので、非常に説得力がある。
こうした評論を短歌総合誌で読めるのは、とても嬉しい。

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2013年01月19日

「詩客」短歌時評 第85回

「詩客」の短歌時評に山田消児さんが〈「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」を解毒する〉という文章を書いている。タイトルを読めばわかるように、金井美恵子さんの文章について取り上げたものだ。

山田さんは同人誌「遊子」と「Es」を中心に活動されている方。「遊子」は読んでいないのだが、「Es」には毎号力作の評論を寄せている。2010年には評論集『短歌が人を騙すとき』(彩流社)を出しており、私が信頼する書き手の一人である。

だが、今回の時評はどうもよくわからなかった。金井さんの文体模写(?)をしたような読みにくい文体のためかもしれない。普段の山田さんの文章は論旨がよく通っていて、賛成するにせよ反対するにせよ、納得できるものが多いのであるが。

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2013年01月17日

角川「短歌」2013年1月号

角川「短歌」1月号の座談会は「新しい歌とは何か」。
佐佐木幸綱・花山多佳子・川野里子・穂村弘・光森裕樹の5名が、それぞれ5首ずつの歌を引いて、歌の新しさについて論じている。

人選のバランスも良いし、話も面白くて示唆に富む。みなさん読み巧者で、歌の持つ魅力を最大限に引き出している。こういう座談会は読んでいて楽しい。

ただ、実のところ「新しい歌とは何か」というテーマ設定そのものには、あまり魅力を感じない。それは〈「新しさ」というのが特に求められる評価基準ではないという言われ方は、ここ数年されるようになってきてますね〉という花山さんの最初の発言に象徴されている。

もっとも、僕も以前から全く「新しさ」に興味がなかったのかと言えばそんなことはなくて、2003年4月に立ち上げた短歌評論同人誌「ダーツ」の創刊号の特集は「短歌の新しさとは何だ!」であった。

あれから10年。
時代も変ったし、僕の考え方も変ったということなのかもしれない。

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2013年01月12日

「短歌研究」2013年1月号

「歌は時代を生きる」という特集に、14名の歌人が作品10首+エッセイを寄せている。

その中で来嶋靖生氏の「歌う歌 歌えぬ歌」と題する文章が気になった。
さて歌は時代とともに生きる、というのはその通りだが、日本人にとっての歌は、短歌だけではなく、もっとひろく詩、俳句、川柳なども含めて考えるべきであろう。さらにまた文芸だけでなく音楽の歌も併せて考えるべきであろう。むしろメロディーのつく歌のほうが理解の範囲は広い。私は幼児の頃から両方の歌を友として育ってきた。しかも時代が時代だから童謡唱歌はもちろん、軍歌や戦時歌謡、流行歌などが愛唱歌の中心を占めてきた。

「時代が時代だから」というのは1931(昭和6)年生まれの氏が育った時代のことを言っている。これに続けて来嶋氏は次のように書く。
近頃歌人と軍歌について言及する文章を散見するが、私の読むかぎりいずれもピント外れで話にならない。やはり戦時の空気を吸っていない人には通じないようだ。已むを得ぬことではあるが。

この論理には、どうも賛成できない。

その時代を生きた人にしかわからないことがあるというのは、確かであろう。しかし反対に、その時代を生きたがゆえに、かえって見えなくなっている部分というのもあるのではないだろうか。本当に私たちは、自分の生きた時代のことならわかると言い切れるのかどうか疑問である。

それに、もし来嶋氏の論理を認めるなら、誰も古典和歌のことなど語れなくなってしまう。その時代に生きていた人など今はいないのだから。それどころか、正岡子規のことすら論じられなくなってしまうだろう。

「ピント外れで話にならない」とまで言うのなら、具体的に誰のどの論のどこがおかしくて、自分はどのように考えるのか、まずは例を挙げて述べてみてはどうだろう。そこから、ようやく世代を超えた議論がスタートするのだと思う。

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2013年01月05日

「未来」2013年1月号

巻末の後記に岡井さんが
◇から松林をかすめて飛ぶ鳥たちの中にたしかな詩があるのは本当だ。

と書いているのに目が止まった。

これは、何か元になる言葉があるのだろうか。
それとも、たまたまどこかで見かけた光景か。

これを読んで思い浮べたのは高安国世の歌。
重くゆるく林の中をくだる影鳥はいかなる時に叫ぶや   『新樹』
からまつの雪の上の影の五線譜を弾(ひ)きのぼる影はヒガラの一羽
から松の直立つ幹を縫いながら群鳥森を横切る斜線   『湖に架かる橋』

高安は落葉松と鳥の組み合わせで何首も歌を詠んでいる。

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2012年12月28日

「詩客」12月28日号

「詩歌梁山泊〜三詩型交流企画」の公式サイト「詩客SHIKAKU」に、
新作「水玉」10首を発表しました。お読みいただければ幸いです。

http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2012-12-28-12628.html

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2012年12月25日

角川「短歌」2013年1月号

角川「短歌」の1月号を読んで一番驚いたのは「歌壇時評」の
レイアウトが大幅に変更されていること。

12月号までは14字×19行×3段×2頁=1596字だったのが
1月号は25字×(16行×1頁+21行×3頁)×2段=3950字に
なっているのだ。

文字数が約2.5倍に増えて、活字も小さくなっている。
12月号までのレイアウトは子ども向けの本のようだったので、
変更されて断然良くなった。

これだけの分量を時評として書くのはけっこう大変だと思うけれど、
今後注目していきたいと思う。

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2012年12月13日

「ES 囀る」第24号

毎号、誌名(?)が変るユニークな同人誌「ES」。
メンバーは、天草季紅、江田浩司、大津仁昭、加藤英彦、崔龍源、桜井健司、谷村はるか、松野志保、山田消児。

「ES」は毎号、特集や評論に力を入れていて、読み応えがある。
今号は、中でも谷村はるかの評論「故郷のクジラ餅―期待に応えないための方言」が秀逸だった。

東日本大震災以降、東北の方言を取り入れた短歌が数多く作られていることに対して、異議申し立てをする内容。方言らしさを強調することによって、「みんなの期待する、しかしどこにも実在しない、架空の東北がつくられてゆきかねない……」という懸念が述べられている。

これは非常に鋭い指摘であり、また大事な問題提起だと思う。
書きにくい問題をきちんと論じた著者の姿勢にも共感を覚えた。

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2012年11月27日

「短歌人」2012年12月号

巻末に綴じ込まれた用紙に「カンパ名簿」と「会計報告」が載っているのに注目した。
会計報告を誌面に載せている結社は珍しいのではないだろうか。
「塔」でも何度か議論をしたことはあるが、残念ながら実現していない。

会計報告の収入と支出を見比べてみると、一口3000円のカンパによって、かろうじて不足分をカバーしている状況であることがわかる。

これは「短歌人」に限らず、どこの結社も似たようなものだろう。
「塔」も2010年まで3年連続の赤字で、昨年は値上げによって何とか黒字となったのだが、それも「発行基金寄付」という名目のカンパのお蔭である。

事務や校正や編集などをすべて会員のボランティア(無償)によってまかない、さらにカンパも得て、それで何とか収支がトントンになるのだ。それほどに、毎月雑誌を発行するというのは経済的に大変なわけである。

今年の「塔」の収支はどうなっているだろうか。
年末の会議を前にして、また心配になってきた。

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2012年11月25日

角川「短歌」昭和48年5月号(その4)

小池光は、短歌を作り始めた時期が遅かったことを、しばしば口にしている。例えば角川「短歌」2009年8月号の特集「小池光の三冊」のインタビューでは
もう四十年近く昔のことで、僕自身が大体忘れてるから何とも言えないなあ。ただ、一つには、僕は遅れて歌を作り始めた、二十代の後半のこと。だけどこの歌集にある歌って、十代の感じでしょ。(…)

と述べている。

この「遅れて歌を作り始めた」という意識は、小池にとってかなり決定的な意味を持っているように感じる。小池(昭和22年生まれ)の同世代や少し上の世代の歌人の多くが十代〜二十歳にかけて短歌を作り始めているのに対して、小池は始める年齢が遅かった。

それは年齢だけのことではない。永田和宏(昭和22年)や三枝昂之(昭和19年)らが学生時代に前衛短歌の最後の影響を強く受けたのに対して、小池は時代的にも「遅れて」しまったのであった。

昭和52年頃の思い出を、小池はエッセイ「昔話」の中で、こう書いている。
短歌のシンポジウムのような会合にはじめて出てみたのもこのころだったと思う。場所も時期ももはや覚えていない。客席のいちばんうしろから壇上の永田和宏や河野裕子を仰ぎ見る思いで遠望した。壇上までの距離は、船岡から東京までくらいにも遠かった。

同世代の歌人たちの活躍を眩しい思いで見ていた小池光の姿である。その距離感を、ふるさとと東京の距離に喩えているところにも、小池らしさがよく表れている。(おわり)

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2012年11月22日

角川「短歌」昭和48年5月号(その3)


小池光は自伝的エッセイ「昔話」の中で、自作の
一夏過ぐその変遷の風かみにするどくジャック・チボーたらむと
                『バルサの翼』

に触れて、次のように書いている。
この一首は角川『短歌』の読者歌壇で塚本邦雄選で特選になった。マルタン・デュガールの『チボー家の人々』は、当時文学っぽい学生なら必ず読んだ青春の通過儀礼のような大河小説である。(…)この翌月だったか斎藤史選でも特選になり、塚本邦雄と斎藤史の特選になったのでそれきり投稿の時代は終わってしまった。

おそらく、この「斎藤史選でも特選になり」というのが
折れやすい首だから群を擢(ぬきん)でて硝子細工の馬のかなしみ

の一首なのだろう。

小池の第1歌集『バルサの翼』(1978年)は「一九七七年」「一九七六年」「一九七五・一九七四年」という逆年順の三部構成となっている。そして〈一夏過ぐ…〉は歌集の掉尾を飾る一首となっているのだが、〈折れやすい…〉の方は歌集には収められていない。(つづく)

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2012年11月20日

角川「短歌」昭和48年5月号(その2)


この号で他に目に付くのは、長編小説が2編連載されていることだ。渡辺淳一「冬の花火」と三浦綾子「石ころのうた」がともに連載の第14回。

中城ふみ子について書かれた「冬の花火」が角川「短歌」に連載された小説であったことを、今回初めて知った。今は短歌雑誌に小説が連載されることなどないので、ちょっと意外であった。

しかし、この号で一番注目したのは、茂吉の特集でも「冬の花火」でもない。
読者短歌である。

佐藤佐太郎と斎藤史がそれぞれ特選・秀逸・佳作を選んでいるのだが、斎藤史選の特選7首のなかに、小池光の1首があったのだ。
折れやすい首だから群を擢(ぬきん)でて硝子細工の馬のかなしみ
住所は「仙台市大手町」となっている。東北大学の大学院に在籍していた頃だろう。
斎藤史は選評で
とらえ方の角度がややちがうだけで、たしかにとらえている。結句の「かなしみ」を表面に言うか、言わないかが、考えどころ。出したために歌全体が薄手になる場合もあることを。この作品では、透明になることはかまわないが、薄くはしたくない―と迷うところであろう。
と記している。(つづく)

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