2020年02月10日

「短歌研究」2020年1月号

昨年9月に仙台文学館で行われた小池光と花山多佳子の対談「茂吉短歌・二十首をたっぷり読む」が面白かった。斎藤茂吉の歌を十首ずつ持ち寄って読み解いていくのだが、二人の息がよく合っていて中身の濃い対談になっている。

小池 卵を産むために育てられているめん鶏なんだけどね。めん鶏の雌というイメージと、剃刀研人は男だよね、男女のエロスみたいなのが一瞬ここに溢れてる。ここではっとする。なにかとてもエロチックなイメージでね。「めん」がすごく大事で、下手な人が作ると「鶏」になっちゃう。「めん鶏」だと言うからそこに男女の――そこまで言っちゃうと言いすぎなんだけども――性的な感覚がちらっと背景に存在が見える。そこがこの歌の見どころだと思う。
花山 それは小池説(笑)。
小池 小池説さんだけどさ(笑)。
花山 最近の歌会って、これ、要らないという指摘をしたがる傾向がありますよね。ダブってるとか、無意味に入ってるとか。全然そういうことではないと思うんだけどね。

読んでいて楽しく、もっともっと読みたくなる。

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2020年01月17日

「歌壇」2020年2月号

坂井修一の連載「甦る短歌」は小池光の作品を取り上げている。

坂井は小池の第1歌集『バルサの翼』を読んで、小池が「新しい極を現代短歌にもたらす人として、私には意識されたのだった」と書く。その上で、最新歌集『梨の花』から歌を引きつつ、

私のような読者は、小池光にはこうした歌とは別のものを期待し続けたいという願いがある。それは、同時代を生きる者としての、新鮮な世界観だ。

と記している。

ちょうど先日の名古屋のシンポジウムでも、小池さんの歌についての話が出たところだった。私の意見は坂井さんと近い。『梨の花』の歌の良さを十分に認めつつも、一人の小池ファンとして、もの足りなさも感じるのである。

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2020年01月14日

「穀物」第6号

飲食(おんじき)のため御する火のとりどりに並びて市に湯(タン)を煮る鍋
                    小原奈実

市場でスープを煮ている場面。「湯(タン)」という表記だけで海外だとわかるところがいい。活気溢れる市場の様子が見えてくる。

春雷は鏡の谷にひらめくをわが引く藍いろのアイライン
                    川野芽生

「鏡の谷」は三面鏡のことだろう。「藍いろ」と「アイライン」の響き合いと句跨りの味わい。「ひらめくを」の「を」が効いている。

こころは声にこゑは夜霧にながれつつなぐさめてくれなくていいから
                    濱松哲朗

三句以下「ながれつつ/なぐさめてくれ/なくていいから」と「な」の音でつながっていく。相手からの慰めを欲しつつも拒絶する感じ。

水草の眠りのやうに息をするあなたの土踏まずがあたらしい
                    濱松哲朗

「土踏まず」は普段はあまり他人に見せることのない部位。安らかな寝息を立てて眠る相手の土踏まずを、新鮮な思いで見つめている。

「残酷なことをしていた」そうなのか残酷だったのか今までは
                    廣野翔一

恋人から別れを切り出された場面。一緒に楽しく過ごした時間を「残酷」だったと言われたことが胸に痛い。呆然とした思いが伝わる。

皿を置くときみは煙草をやめていた秋にしばらくそのままの皿
                    山階 基

灰皿と言わずに「皿」と言ったのがいい。「きみ」がもう煙草は吸わなくなっていたことを知らなかったのだ。そのちょっとした寂しさ。

山階基歌集『風にあたる』の特集が組まれていて、川野芽生「あともどりできない歌―『風にあたる』の中に流れる時間」が良かった。

山階基の歌は、読みやすいようでいて、時制や文体にどこか不思議な屈折を感じるものが多い。
山階の歌には、だらだらと経過していきながら決してあともどりできない時間が内包されている。

どちらも的確な分析だと思う。

2019年11月24日、400円。

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2020年01月04日

「かりん」2020年1月号

時評に遠藤由季さんが、歌集・歌書の書評について書いている。

毎月の総合誌に掲載されている書評を読むとき、気になることがある。ほぼ女性の著書は女性、男性の著書は男性が書いており、かつ世代の近い人が選ばれている。
一冊の歌集・歌書の書評が総合誌に載るのは同時期になりやすい。そのとき、同性・同時代の読み手による書評ばかりが偏って掲載されてしまうのはどうか。もっと多岐な視点から一つの書物を評することはできないか。

この意見に、全面的に賛成する。

これは歌壇の無意味な慣習でしかなく、一刻も早くあらためるべきだと思う。

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2019年12月19日

「ひとまる2」

平成10年生まれのメンバーによる短歌同人誌。

電話でも風が強いね なれるなら君にとっての船とか樹とか
                    石井大成

電話の向こうから風の音がして相手の心細さが伝わってくる。一字空けの後の「なれるなら」がいい。君の力になりたいという強い思い。

さみしいは寒さのそくど立ち漕ぎで坂を下れば月は遠のく
                    今村亜衣莉

「さみしいは寒さのそくど」に強引な説得力がある。さみしさを振り切るように、寒い夜道を自転車でスピードを出して走っていく。

裏向きに売らるる柿に折り紙のような折り目の幾筋かあり
                    狩峰隆希

蔕を下にして並んでいる柿の実。四角っぽい実に対角線のように入った筋を「折り紙のような折り目」と喩えたのが秀逸。美味しそうだ。

OSの更新未了の三歳が「さんしゃい」と言う二本の指で
保育士の「おやすみなさい」に潜みたる命令形の影濃かりけり
五時〇一分これはサービス残業のたかいたかいでさよならをする                   久永草太

保育園を舞台にした連作。1首目、口では三歳と言っているのに、指はまだ二歳の時のまま。2首目、言われてみれば確かに命令形だ。園児におとなしく昼寝してもらわないと保育士は困る。3首目、就業時間は五時までだが、子ども相手なのできっかりには終われない。

2019年11月24日。

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2019年12月15日

「プチ★モンド」第107号

全80ページのうち評論や連載などの散文が約30ページと充実している。

松平盟子「前髪を上げなかった陽子へ」(4ページ)は、没後20年を迎える永井陽子の思い出を記したもの。

四十八歳のその死は、もちろん大きな驚きではあったが、永井の場合、残念さはともかく、自死は不自然でも不思議でもないと身近な人たちの多くは感じたのではないか。私もたぶんその一人だった。
私たちは性格も歌風も異なり、相互に刺激し合いながら、どこか微妙に噛み合わないものを感じ取っていたと思う。
永井陽子は生涯まぶたを覆うほど前髪を伸ばしていた。前髪のすぐ下の両目は細く、人を直視しないで話をした。笑うときは口をあまり開けず「ククッ」と声を押し出した。

島崎藤村の「初恋」に「まだあげ初めし前髪の」というフレーズがあるように、かつては「前髪を上げる」=「大人の女性になる」という意味を持っていた。「前髪を上げなかった陽子」という言い方には、少女性を失わなかった永井に対する松平の複雑な思いが滲んでいるのだろう。

2019年12月1日、1500円。

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2019年12月07日

「パンの耳2」を読む会

来年2月7日(金)に「パンの耳」第2号を読む会を、西宮で開催します。ゲストは小黒世茂さんと染野太朗さん。

どなたでも参加できますので、興味のある方はご連絡ください。
批評会は無料、懇親会は6000円です。

 「パンの耳2」を読む会チラシ.png


「パンの耳」第2号も引き続き販売中。
1冊300円(送料込み)です。

「パンの耳」第2号チラシ.png

よろしくお願いします!

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2019年11月23日

「六花」VOL.4

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テーマは「詩歌と出会う」。A5判88ページ。

歌人や俳人など28名が文章を寄せている。皆さん自由に、気楽に、好き好きに書いているのがいい。

上村典子「無垢の白の箱と青鉛筆」には、石橋秀野の有名な句「蟬時雨子は担送車に追ひつけず」についての娘の言葉が引かれている。

著者安見子によれば(『石橋秀野の一〇〇句を読む〜俳句と生涯』飯塚書店)、「担送車の上で手にした句帖に、青鉛筆で走り書き」されたという。

実際に担送車の上で書いたとの証言に慄然とする。鬼気迫る光景だ。

小田部雅子「少年農民大関松三郎」は、かつて小学校の国語の教科書に載っていた「山芋」「虫けら」の少年詩人の話。懐かしい。

松三郎は、貧しい農家の三男ゆえ農は継げず、高等科卒業後は鉄道学校に進み、昭和十九年、海軍通信隊として乗っていた輸送船が攻撃を受け、南シナ海で戦死した。十八歳だった。

ああ、そうだったのかと思う。何となく少年のままのイメージがあるのは十八歳で亡くなっていたからだったのか。

戦後、松三郎の詩をまとめて出版したのは、担任だった寒川道夫。Wikipediaの寒川の項目には「詩集『山芋』の〈作者〉の大関松三郎を指導した」とある。〈作者〉と〈 〉付きになっているところに、微妙な問題が潜んでいる。

佐川俊彦「藤原さんの「黄昏詞華館」」には、ワセダミステリクラブ時代の藤原龍一郎の思い出が記されている。

もう一人、ワセミスには謎の先輩、氷神さんもいて、ドラキュラのマントと牙の入れ歯のコスプレ姿で、モンシェリにやって来たりしていました。氷神さんと藤原さんと僕だと、マンガの話をしていたように記憶しています。

「氷神さん」(氷神琴支郎)=仙波龍英の学生時代の姿である。

2019年12月5日、700円。

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2019年11月12日

「パンの耳」第2号、在庫あります

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同人誌「パンの耳」第2号、まだ在庫があります。
メンバー15名の連作(15首)とエッセイ「私の好きな歌」を載せています。

「パンの耳」第2号チラシ.png


定価は300円。(送料込み)
お申込は松村(masanao-m@m7.dion.ne.jp)までお願いします。

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2019年10月30日

田中道孝「季の風」50首

第65回角川短歌賞受賞作品。

花水木に顔を撫でられ組み上げる丸太足場に白い陽が差す
仮囲いも足場もこえて飛んでくる野球のボール投げかえす夏
昼寝するわれのためにと風をつれ紋白蝶は地下足袋のさき
目覚むればこの世の駅についていて初老の顔が窓にうつりぬ
型枠を奥歯の力で引き上げる冷たい風に大声だして

建設現場で働く様子などを詠んだ50首。
季節が春、夏、秋、冬と移っていく。「花水木」「野球のボール」「紋白蝶」などが現場の作業の歌の中に入ってくるのがいい。

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2019年09月14日

「岡大短歌」7号

八首連作×10名、一首評×5篇、二十首連作×3名、三十首連作×1名、往復書簡(15首×2名)×2篇という内容。全62ページ。ゲストは魚谷真梨子、魚村晋太郎。

 山笑う、とさいしょに喩えた人がいてその生涯で出遭うほほえみ
                        加瀬はる

「山笑う」は芽吹き始めた山の様子を表す春の季語。「笑う」という言葉で大胆に捉えることで、同じ山の姿がそれまでとは違ったものに見えてくる。

 あなたは海を例えない 言葉ではなくきらめきで理解する人
                        大壺こみち

海の魅力を言葉で説明したり何かに喩えたりするのではなく、そのまま感受するということだろう。言葉にすることで失われてしまうものがある。

 助手席にゆきのねむたさ こんなにもとおくの町で白菜を買う
                        長谷川麟

助手席に乗っていると雪が融けるように眠くなるという感じか。「ゆき」と「白菜」の白さの重なり。ひらがなの多用が間延びしたような気分を伝える。

 地図に載らない小さな並木のようだった愛した時間はひどくみじ
 かい                    加瀬はる

恋人と付き合っていた時期を振り返っての感慨だろう。「小さな並木」という比喩がよく、季節の移り変わりや二人の気持ちの変化が感じられる。

 隣人の水音がしてなんとなく今はシャワーはやめにしておく
                        水瀬惠子

アパートの隣りの部屋から水を使う音が聞こえる。何の問題もないのだが、人の気配が感じられる気がして、シャワーを使うのをためらってしまう。

2019年7月15日、400円。

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2019年09月13日

「パンの耳」第2号

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同人誌「パンの耳」第2号を刊行しました。
メンバー15名の連作(15首)とエッセイ「私の好きな歌」を載せています。

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定価は300円。
お申込は松村(masanao-m@m7.dion.ne.jp)までお願いします。

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2019年05月22日

「短歌研究」2019年6月号

現代代表男性歌人130人作品集に、奥田亡羊さんが「樺太」と題する7首を寄せている。

 北の果てにさらに北して船出する石榑千亦五十九歳
 心の花昭和三年十一月号にうねりて光る樺太の河
 風景の記憶となりて歌にあり露人の庭に咲く秋の花

エッセイには拙著『樺太を訪れた歌人たち』を読んだことが書かれていて、有難かった。石榑は奥田さんにとって「心の花」の遠い先輩に当たる。

「心の花」昭和3年11月号掲載の石榑千亦「樺太にて」114首は、とても意欲的な一連だ。

   露人の家
 丸木つみ重ねたてたる家にのこりゐる露人のさだめ思へば悲し
 帰るべき国もなけれか草花をうゑはやしたり家のまはりに
 ひとの国と今はなりつれのこりゐて花などうゝるかなしき心
 花をうゑて涙つちかふ親の心しるには未だ幼き子なり

1905年のポーツマス条約によって南樺太が日本領になった後も、北樺太やロシア本土に引き揚げずに残ったロシア人=「残留ロシア人」を詠んだ歌である。

今から90年以上前の歌であるが、こうした悲哀は世界中のあちこちにあったし、今現在もある。あるいは、例えば北方領土問題を考える際にも関わってくる話である。島がもし日本に返還された場合、そこに住むロシアの人たちをどうするのか。そうした点も意識しておく必要があるだろう。

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2019年05月04日

「梁」96号

九州在住の歌人を中心とした同人誌。全136ページ。
29名の作品15首のほか、評論やエッセイなどの散文が充実している。

・島内景二「小野葉桜を読む―現代人へのメッセージ―」
・中村佳文「牧水の耳―渓の響き「日の光きこゆ」「鳥よなほ啼け」」
・生田亜々子「変身の刻〜石牟礼道子の短歌研究五十首〜」
・山田利博「三種の歌・夕顔の和歌―源氏物語と和歌第二十三回」
・渡邊 円「聖書とともに読む大口玲子(下)」
・吉川良登「写真短歌の魅力と作法に関する一考察」

評論は6篇。これだけ評論が載っている短歌誌はあまり見ない。

生田亜々子の評論は、作家石牟礼道子の文学的な出発となった短歌研究五十首の入選作「変身の刻」(昭和31年9月号)を取り上げて論じたもの。

よく「短歌研究五十首詠」「短歌研究新人詠」などと言われるが、当時の誌面ではどこにも「詠」がついていないので、今回は「短歌研究五十首」とする。

細かな話ではあるけれど大事なところだろう。これだけでも、信頼できる書き手であることがわかる。

雪の夜なれば乾きゆく皮膚をもつ、傷(やぶ)れつゞけしにんげんの裔
扉にてもつれしわれを抜けしとき風がもちゆきしごとき分身

生田は誌面に掲載された全14首を読み解いた上で、『苦海浄土』などの作品に見られる「石牟礼独自の最大の特徴とも言える筆致と同じものがこの短歌研究五十首入選作からもすでに読み取れる」と記す。

ちょうど「塔」4月号の65周年記念評論賞でも、「石牟礼道子『錬成所日記』の第二次世界大戦終戦前後の短歌を考察する」(河原篤子)という応募作を読んだところだったので、石牟礼と短歌の関わりに興味を覚えた。

2019年5月1日、現代短歌・南の会、1500円。

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2019年02月25日

「角川短歌」2019年3月号


座談会「歌壇・結社のこれからを考える」が面白かった。

参加者は梅内美華子・生沼義朗・澤村斉美・小島なお・寺井龍哉の5名。
皆さんかなり率直に突っ込んだ意見を述べ合っていて、中身が濃い。

寺井 結社に入った場合の負担と恩恵を天秤にかける意識はすごくあると思う。結社に入っていろんな人間関係ができて、いろんな歌が読めるようになるということと、でもお金もかかるし、時間も取られるし、作業もしなければいけないということ。その天秤で揺れて、結社に入らない選択をする人はすごく多いんじゃないかと思います。
寺井 (・・・)定期的に選を受けて、どれが落ちてどれが載ったかという判断を基に勉強するということは求めていないんじゃないかという気はします。でもそもそも、選を受けて腕を磨くという、段階的・歌学的なコースみたいなものが今後の短歌の世界も有効かどうかは大いに疑問だと思います。

こうしたテーマの座談会は「やっぱり結社はいいよね!」といった結論になりがちなのだが、今回は結社に入っていない寺井さんが参加したこともあって、かなり開かれた議論になっているように感じた。

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2019年02月10日

「too late」1号

「未来」の大辻隆弘選歌欄「夏韻集」所属の3名(門脇篤史・道券はな・森本直樹)による同人誌。他に、御殿山みなみ・染野太朗・谷とも子がゲストとして参加している。

 甘鯛のアラのパックを選びをり雨に濡れたる髪を冷やして
 故郷から届く馬鈴薯いくつかは鍬の刺さりし跡を残して
                         門脇篤史

1首目、スーパーで買物をしている場面。「甘鯛」「アラ」「雨」の「あ」音がリズムを作っている。生鮮食品売場の冷気に髪が冷えてゆく。
2首目、下句がいい。土から掘り起こす時に鍬が刺さってしまったのだ。おそらくこうした馬鈴薯は市場には出ずに自家消費されるのだろう。

 また傘がないと気がつく 鱗のように剝がれる雪のさなかに立って
 踏みしめた木の実にひびが入るとき膝にさびしいひかりがよぎる
                         道券はな

1首目、もともと持って来なかったのか、どこかに置き忘れたのか、ともかく傘がない。「鱗のように剝がれる」という比喩が秀逸。
2首目、感触や音ではなく「ひかり」と表現したところがいい。木の実に罅が入るのと同時に自分の膝にも光の罅が入るような感覚だろう。

 どうしても食べたい物のイメージがわかずに歩く惣菜売り場
 半分に折ったパスタを茹ででいる小鍋の隅に欠片が浮かぶ
                         森本直樹

1首目、目当ての物を買おうとしてではなく、何か食べたい物を探し回っている時のあてどない感じ。武田百合子の枇杷の話を思い出す。
2首目、大きな鍋が家になくて小鍋に入る大きさにパスタを折っている。うまく割れなかった欠片が浮かんでいるところに侘しさを感じる。

 娘さんいくつになつたと訊いてみる冬のはじめのあたたかい日に
                         谷とも子

何の説明もない歌だが、相手との関係性がほのかに浮かび上がってくる気がする。かつて付き合っていた男性と久しぶりに会った場面か。

2019年1月20日、400円。

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2019年02月02日

「遠泳」 創刊号


笠木拓、北村早紀、佐伯紺、坂井ユリ、榊原紘、中澤詩風、松尾唯花の7名による短歌同人誌。

 ストロベリー・フェアのメニューを卓に伏せ鈍くあかるい雲を仰いだ
                         笠木 拓

早春のファミレスを思い浮かべて読んだ。苺がたくさん載ったメニューの明るさと窓の外に広がる曇り空。微妙な感情の起伏が感じられる一首。

 中庭に降り来ることしはじめての雪を巣箱のように見ていた
                         笠木 拓

「巣箱のように」という比喩がおもしろい。巣箱の暗い穴から外を覗いている感じだろうか。「中庭」という限定された空間も「巣箱」と響き合う。

 裸でいる方がきゅうくつ湯船では三角座りで首まで浸かる
                         北村早紀

服を着ている時の方が気が楽で、裸になると心細いような不安を覚えるのだろう。湯船の中で自分の膝を抱えるようにして、その不安を鎮めている。

 どの光とどの雷鳴が対だろう手をつなぐってすごいことでは
                         佐伯 紺

雷との距離にもよるが、稲妻(光)と雷鳴(音)は数秒〜十数秒ずれる。上句の雷の話から下句の相聞的な「手をつなぐ」話への展開がいい。

 煮魚のめだま吐き出すその舌が濡れおり夜の定食屋にて
                         坂井ユリ

目玉の周りのゼラチン質の部分を舐めて、目玉本体は吐き出したのだ。脂で濡れた舌や唇がぬめって光る様子が見えてくるようで生々しい。

 生活に初めて長い坂があり靴底はそれらしく削れる
                         榊原 紘

転居して新しい町に住み始めたのだろう。暮らしの中に「長い坂」があって、毎日それを上ったり下ったりすることが新鮮に感じられるのだ。

 硝子戸の桟に古びた歯ブラシを滑らせ春の船跡のよう
                         榊原 紘

古い歯ブラシを使って硝子戸の桟の汚れを擦り取るのだが、それを「船跡」に見立てたのがおもしろい。「春の」とあって、気分まで明るくなる。

 人ひとり無きというその明るさを灯していたり夜の食堂
                         坂井ユリ

学校や寮などの「食堂」を思い浮かべた。誰もいない広々とした空間に電気だけが灯っている。無人であるゆえに一層その明るさが目に付く。

 ティンパニにひらたき蓋をかぶせつつ盆地を籠める靄をおもえり
                         笠木 拓

皮の部分が傷まないように保護する蓋があるのだろう。楽器の形状と蓋をする動作から盆地に立ち込める靄をイメージしたところが美しい。

2019年1月20日、500円。

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2018年12月24日

「角川短歌年鑑」2019年版


島田修三・川野里子・大松達知・川野芽生・阿波野巧也の5名による座談会「生きづらさと短歌」を読む。率直な意見が交わされていて面白い。

印象に残った部分を引く。

阿波野 正直、近年の生きづらさについて話すことに僕はあまり気が乗らない、というか、ここに集まっている人たちって、いわゆるインテリ層なわけですよね。
大松 人間は選択肢があるのはじつはすごいストレスなんですよね。だから、スティーブ・ジョブズはそのストレスを感じなくて済むように毎日同じ服を着ていたと聞きます。
島田 社会への悪意だよね。
川野芽 というより、社会の悪意ですね。人間を社会にとって「有用」か「無用」かという尺度で選別しようという、社会に蔓延する圧力が噴出して、実際に人間に刃を向けた事件だと思いました。
川野里 「生きづらさ」はテーマとして大事だけど、注意深く取り組まないと個別の生がそこに埋もれてしまう、それも怖い。

そもそものテーマ設定に対しては疑問があるのだが、話の中身は深い。

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2018年12月20日

「パンの耳」第1号


西宮で行っているフレンテ歌会のメンバー14名で、
同人誌「パンの耳」第1号を刊行しました。
A5判、48ページ。

各自の連作15首とエッセイ「短歌とわたし」が載っています。

P1070095.JPG

私も新作「みずのめいろ」15首を発表しました。

定価は300円(送料込み)。
購入希望の方は、住所・氏名・電話番号を明記して
松村までご連絡ください。
masanao-m@m7.dion.ne.jp

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2018年12月19日

「短歌ホリック」第3号

 あのあたりを歩ける気がする冬の雲の上から冬の雲を見てゐる
                       荻原裕幸

「「飛ぶ」などの動詞や飛ぶものの名詞(蝶や鳥など)が使われていない〈飛んでいる感じ〉のある歌」という難しい題を実に鮮やかにクリアしている。飛行機の窓から見える雲の絨毯。

 打ち合わせ果てたるのちの雑談を映す壁紙 森、フィンランド
                       辻 聡之

打ち合わせが終って気分がほぐれている感じ。それまで意識していなかった壁紙の柄が目に入る。「森、フィンランド」が遠い世界へ誘うようだ。

 口付けの場面はカメラ越しに見るしかも他人のiPhone越しに
                       廣野翔一

友人の結婚式の大事なワンシーンをレンズ越しに見ている不思議。写真係という役回りをしている自分に対するやや自嘲的な視線も感じられる。

 海老の背を切り開いてる キッチンを出ていくための扉はひとつ
                       岩田あを

「切り開いてる」と「扉」のイメージがかすかに重なり合う。閉じ込められているような閉塞感や自分の背中を切られているような痛みを感じた。

 沈黙がこわくて牛のべろを焼く未来がこわくてレモンを絞る
                       谷川電話

焼肉屋で誰かと牛タンを食べているところ。「沈黙がこわくて」「未来がこわくて」と畳み掛けるように2回繰り返される理由付けが印象的だ。

 やみくもに色を重ねているような五月の川のひかりっぱなし
                       土岐友浩

結句「ひかりっぱなし」がおもしろい。「五月の川のひかり」までは「ひかり」を名詞だと思って読むのだが、実は動詞「ひかる」の連用形なのだ。

 ほんの数分おにぎりが入っていただけのコンビニの袋平気で捨てる
                       戸田響子

コンビニで買って食べるまでの数分間しか使われなかったレジ袋。「平気で」と書くことによって、かすかなためらいがあることを滲ませている。

 「台風で閉園です」の看板と並んで写真を撮る しょうがない
                       山川 藍

まだ台風は来てないのに一日閉園に決まったのだ。残念な気分を抑えてツイッターなどに載せるための写真を撮る。結句「しょうがない」が山川流。

2018年11月25日、500円。

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2018年12月17日

「短歌往来」2019年1月号

島津忠夫編「永井陽子未発表稿・他」としてエッセイ3篇が掲載されている。

それぞれ、愛知県立女子短期大学文芸同好会機関誌「轍」の2号と6号、愛知学生文学サークル協議会機関誌「ひろば」5号に掲載されたものとのこと。掲載の経緯については編集後記に「数年前に島津忠夫氏から届けられた手紙にあったもので、及川が机の片隅に置きっぱなしになっていたものを掲載しました」と記されている。

「轍」や「ひろば」は一般には入手が難しいので「未発表稿」という扱いになったのだろう。けれども、実はこのうちの1篇「現代短歌に何を求めるか」は、「塔」1972年2月号に載った文章である。

以前、このブログでも紹介したことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138482.html

「現代短歌に何を求めるか」という題は、「塔」1972年2月号から数か月にわたって続いた企画のタイトルなので、もともと「塔」に書いた原稿を「ひろば」にも載せたという事情なのだろう。

いずれにせよ「未発表稿」でないことだけは確かである。


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2018年12月07日

「パンの耳」第1号

  P1070093.JPG

西宮で行っているフレンテ歌会のメンバー14名で、
同人誌「パンの耳」第1号を刊行しました。
A5判、48ページ。
各自の連作15首とエッセイ「短歌とわたし」が載っています。

P1070095.JPG

私も新作「みずのめいろ」15首を発表しました。

定価は300円(送料込み)。
購入希望の方は、住所・氏名・電話番号を明記して
松村までご連絡ください。
masanao-m@m7.dion.ne.jp


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2018年12月04日

「穀物」第5号

 包みハンバーグの銀河を切り開く婚約中の女ともだち
                      狩野悠佳子

アルミホイルを切り開くとハンバーグの湯気が立ち上がる。銀色から「銀河」をイメージしたのと、「包み」と「婚約中」がどことなく響き合うところがいい。

 植物になるなら何に? ばらが好きだけど咲くのは苦しさうだな
                      川野芽生

薔薇の花の幾重にも重なり合う花びらは、確かに「苦しさう」という感じがする。単に見ている分には美しいのだけれど。

 人のをらぬ街へ帰れば街ぢゆうの涸れざるままの湧き水に逢ふ
 をとこみなをとこのこゑになりゆくをかつて屠(し)めたる鶏の爪痕
 大合併の前年に編まるる町史にて大火の夜は頁を跨ぐ
                      濱松哲朗

「翅ある人の音楽」40首。力のある連作で、今回最も注目した。
自らの過去の記憶をたどる旅のなかに、ところどころ他者からの批判や侮蔑の言葉がカタカナ書きで挟み込まれる。

一首目、廃墟となった故郷の風景。ただし、現実の故郷ではなくイメージとしての故郷を造形しているのであろう。
二首目、「男ノクセニ、女ミタイナ声ヲ出シヤガツテ。」という言葉もある。思春期に声変わりする男たちとは異なる存在としての自分。声は身体の一部であるから、他人が軽々しく何か言うべきことではない。
三首目、大火に関する記述が長く続く。面白いのは、写実的な文体でありながら内容はおそらくイメージであるところ。こうした方向性の歌にはとても可能性を感じる。

 「なごり雪」を知らない人と歩いてる雪にさわれる連絡通路
                      廣野翔一

1974年発表のイルカの大ヒット曲「なごり雪」。雪を見て「なごり雪」を思い浮かべる作者とその曲を知らない相手。世代や育った環境の違いがこんなところに表れる。

 銀紙のちぎれた端を口にしてからすにも立ち尽くすことあり
                      山階 基

道端で食べ物を漁っているところか。黒い嘴からのぞく銀紙が鮮やかだ。しばらくじっと動かずに、呆然としているようなカラスの姿。

2018年11月25日、400円。

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2018年11月14日

「現代短歌」2018年12月号

第6回現代短歌社賞が発表になっている。
門脇篤史「風に舞ふ付箋紙」300首。

 ハムからハムをめくり取るときひんやりと肉の離るる音ぞ聞ゆる
 牛乳に浸すレバーのくれなゐが広がるゆふべ 目を閉ぢてゐる
 子を成すを恐るる我と恐るるに倦みたる妻と窓辺にゐたり

堅実な詠みぶりの力ある作者で、今後が楽しみだ。

選考委員4名(阿木津英・黒瀬珂瀾・瀬戸夏子・松村正直)による座談会も29ページにわたって掲載されている。ふつうは座談会を行っても誌面に載るのは半分か3分の1くらいの分量になるのだが、これは当日の話のほぼすべてが載っている。

ところどころ緊迫した(?)やり取りもあるので、皆さんぜひお読みください。

なお、第7回現代短歌社賞の募集も始まっています。
歌集未収録作品300首(未・既発表不問)。
締切は来年7月31日。

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2018年10月26日

「角川短歌」2018年11月号


「角川短歌」11月号から、「啄木ごっこ」という連載を始めました。
石川啄木の生涯をたどりながら、その作品の魅力に迫っていきたいと
思っています。毎号4ページ(初回のみ5ページ)×3年間の連載と
なる予定。どんな内容になっていくのか、自分でも楽しみです。

http://www.kadokawa-zaidan.or.jp/tanka/

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2018年09月19日

「レ・パピエ・シアン2」2018年9月号


特集は「穂村弘を読む」。
大辻隆弘の「東京から来た転校生」がおもしろい。傑作。

穂村弘の印象を昭和45年の三重県の小学校に東京からやって来た転校生に喩えて、新歌集『水中翼船炎上中』を論じている。穂村や東京に対する大辻の思いが、驚くほど率直に記されていて胸を打たれる。

これは「レ・パピエ・シアン2」という大辻のホームグラウンドのような同人誌だからこそ書けた文章かもしれない。のびのび書いていて、読み物としても批評としてもすこぶる面白い。

穂村や東京に対する「劣等感」や「コンプレックス」を隠さないのは、反対にそれだけの確かな自信を今の大辻が持っているということでもあるのだろう。

文中に出てくる2000年の熊本のシンポジウムは私も聞きに行った。当時は大分に住んでいて、高速バスで熊本まで往復したのだった。あれから18年も経ったのか。

穂村さんの新歌集『水中翼船炎上中』は、彼がデビュー以来、一貫して否定してきた近代短歌のルールを、部分的に取り入れた歌集である。

こうした大辻の分析に私も共感しつつ、本当にそう言ってしまって良いのかという迷いもある。「未来」9月号の時評で高島裕は、この歌集がこれまでの穂村の歌集とは大きく異なっている点を述べた上で

しかしそこに穂村の「転向」を見ようとするのは早計である。

と書いている。このあたり、まだまだ議論になる部分だろうと思う。

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2018年08月30日

「角川短歌」2018年9月号

荻原裕幸の歌壇時評を読んで、強い引っ掛かりを覚えた。

この歌壇時評では、歌集を直に扱うのはやめておこうと考えていた。と言うのは、私のように、歌壇配慮的な発想を嫌いながらも避け切れない者は、扱う歌集の取捨や選択のバランスを考えるだけで、かなり疲弊してしまうし、書けば書くほど総花的になり、ゆとりがあるはずの紙幅をほぼ費やしてしまうからである。人目など気にせずに本音で書くしかない、とは思うのだけれど、自分自身が意のままにならないもどかしさがある。ただ、そうは言うものの、先月、加藤治郎の新歌集を読んで、反射的につい書いてしまった。しかも、これから書こうとしているのは、加藤のそれと同時期に刊行された、穂村弘の新歌集『水中翼船炎上中』(講談社)についてなのである。お察しいただけるかとは思うけれど、この二人は、私にとって、たぶん特別な存在なのである。

何なんだろう、この言い訳がましい文章は。
ちょっと驚いてしまう。

加藤治郎の歌集も穂村弘の歌集もそれぞれ評判になった本で、時評で取り上げること自体には何の異論もない。ただ、この書き方はどうなんだ。

「お察しいただけるかとは思うけれど」って、一体読者に何を察しろと言うんだろう。歌集は取り上げないと決めていたけれど、この二人は私の特別なお友達だから取り上げるよっていうこと?

何だか非常に嫌なものを読まされてしまった。
この14行分は全部カットした方が良かったと思う。
(それ以外の部分は面白かったのだが)

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2018年08月09日

「岡大短歌6」

岡山大学短歌会の短歌誌。

8首連作×12名、一首評×6名、書評×2名、20首連作×5名、16首連作×3名+評、特別寄稿8首×3名(荻原裕幸、中津昌子、松村正直)という充実した内容。全72ページ。

境界を越えようとして石化した生きものだろうテトラポッドは
                     青木千夏
泣けばいいのに泣かないからよ 妹はパン生地をこねながら笑った
                     川上まなみ
論理学受けつつ二つ隣には、眠れる森の(おそらくは)美女
                     平尾周汰
遊び方のわからぬ遊具のようにあるあなたの鎖骨のカーブにふれる
                     加瀬はる
ベランダで風化しそうな空き缶の来世のために入れる吸殻
                     水嶋晴菜
この長いシャッター街を一度だけ君の恋人みたいにゆくよ
                     長谷川麟
揺れながら咲く菊花茶のそのようにすこし困ってあなたが笑う
                     加瀬はる
これまでの旅の話をするようにヴィオラの調弦低く始まる
                     川上まなみ
義務みたいにいつも待たせたラクダ科の睫毛をもったしずかなひとを
                     白水裕子
今日はごめんと言われるなにがごめんだかわからないまま頷いてい
る                    白水裕子

1首目、海から陸に上がろうとして固まってしまったという見立て。「テトラポッド」は四本の足という意味なので、「越えようとして」とうまくつながる。
2首目、姉妹の性格の違いがよく出ている。泣くのを我慢してうまく行かなくなってしまうこともある。
3首目、大学の講義を受けている場面。机に伏せっていて顔がはっきりとは見えないが「おそらくは美女」、ということだろう。
4首目、上句の比喩が独特でおもしろい。そう言えば、鎖骨は目立つけれど何のためにあるのかよくわからない。
5首目、缶としての役割を終えた「空き缶」が、吸殻を入れることで吸殻入れに生まれ変わる。
6首目、「みたいに」なので、本当の恋人ではない。でも、たまたま二人で並んで歩く機会があったのだ。その喜び。
7首目、上句の比喩がいい。菊の花がお湯の中でほどけて開いていく様子で、相手の微妙な笑顔を喩えている。
8首目、ぽつりぽつりと話を始めるような感じで調弦しているのだろう。ヴィオラが長い旅をしてきたようにも読める。
9首目、「ラクダ科」とあるので、おとなしく優しい性格の相手。これまでデートのたびに毎回遅れことを後悔している。
10首目、おそらく今日の何か一つの出来事についてではないのだ。二人の関係のすれ違いが背後に滲んでいる。

「岡大短歌6」はネット通販もしているようです。
http://oakatan2012.blog.fc2.com/blog-entry-93.html

2018年6月28日、400円。


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2018年07月09日

「Sister On a Water」第1号

喜多昭夫さん編集発行の雑誌の創刊号。
特集は「服部真里子」。

新作20首「花野まで」、エッセイ「道をそれて」、『行け広野へと』30首選、『行け広野へと』以降30首選、歌人論、1首鑑賞、フォトギャラリー、インタビュー、年譜といった充実した内容となっている。

 でも冬は勇気のように来る季節迎えに行くよまぶしい駅へ
 夜の底には精製糖が溜まるから見ていよう 目を閉じても見える
                   「花野まで」
 音もなく道に降る雪眼窩とは神の親指の痕だというね
                   『行け広野へと』
 死者の口座に今宵きらめきつつ落ちる半年分の預金利息よ
                   『行け広野へと』 以降

エッセイは3年前に亡くなった父の話。

 父はどうだったのだろう。道をそれた先に、「乳と蜜の流れる土地」はあったのだろうか。家族という組織は、その構成員だった私は、「乳と蜜のある土地」へ、父を導くことはできたのだろうか。

このあたり、自分の育った家族のことが頭をよぎってグッと来る。
これは、永遠に答の出ない問いのような気がする。

大森静佳さんの歌人論「信じようとすること―『行け広野へと』の不安と意志」の中の初句切れについての分析も良かった。

初句切れというのはある意味で何かを信じる気持ちの強さと関係がありそうだ。迷いや逡巡は初句切れの歌を生まない。あるいは心の奥に迷いがあっても、それを勢いよく捨て去ろうとする意志の力。

なるほど、確かにそうかもしれない。

2018年6月1日、500円。

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2018年06月20日

山下翔「meal」


書き下ろしの「焼肉」55首と「カレーライス」15首、さらに「自選二〇首」を載せた個人誌。

カーテンは裾のはうから膨らんですぐまたかへす吸はるるごとく
シャワー室にスクワットするわが姿大き鏡のなかを上下す
球場のはたをとほればかけ声は端然としてわれを歩ます
目覚めたら音で雨だとわかるのにカーテンを開けて窓まで開ける
ルーだけを先に食べ切りうつすらとカレーの香まとふ白米ぞよき
鹿は秋、つてみなは言ふけどあなたとは――長く連絡を取つてゐない

1首目、結句「吸はるるごとく」がいい。窓枠に吸い付く感じ。
2首目、こうした場面を詠んだ歌はあまり見たことがない。ただごと歌っぽさもある一方で、妙になまなましい。
3首目、自分とは関係のない掛け声に励まされるような気分だろう。
4首目、音だけでなくやはり目で確認したいという思い。雨の降る外の風景も見えてくる。
5首目、カレーライスを食べる際は配分に要注意。でも残ったご飯はご飯でうまい。
6首目、「鹿」は秋の季語。牡鹿が牝鹿を呼ぶ鳴き声に由来するので、三句以下とつながる。

2018年6月9日、200円。

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2018年06月16日

「夏暦」四十八号


王紅花さん発行の「夏暦(かれき)」48号には、夫・松平修文さんへの挽歌が載っている。

 仏壇の何処のものとも知れぬ鍵置かれたり永久(とは)に知られぬならむ
 健康な身体で動くはこんなにも簡単で駐車場へと向かふ
 夫死にて時間があれば公園の老人グループの辺(へ)に缶ジュース飲む
 末期(まつご)の苦しみにゐるあなたに愛すると言つてほしかつたなんてわたくし

1首目、どこの鍵だかわからない鍵が残されている寂しさ。
2首目、かつて病気の人を伴って歩いた時は大変だったのだろう。
3首目、ぽっかりと空いてしまった時間をぼんやりと過ごしている。
4首目、病気に苦しむ夫とともにいる作者にも長い苦しみがあったのだ。

夫との最後の日々を振り返って、王さんは次のように書く。

今の私には分からない。夫との最後の別れ方がどうだったのか。あれで良かったのか悪かったのか。その問いが今も私を苦しめる。泣きすがったら二人共思いが晴らせたのではないか。しかし今となっては、こうだった、という事実が厳然とあるばかりだ。そして私は、「言葉で言わなくても分かっているでしょう」と夫が思っていたと、信じる。

どこにも正解はない話だ。
でも、最後の「信じる」という一語にこめられた思いの強さに、深く共感する。

2018年5月25日、500円。

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2018年03月05日

「角川短歌」 2018年3月号


佐藤通雅さんの歌壇時評に『風のおとうと』のことを取り上げていただいた。タイトルは「肉と人の問題」。歌集に収めた「肉と人」9首、「肉と人、ふたたび」5首について論じたものである。

作品の出来はともかくとして、このテーマに私が強いこだわりを持っているのは確かだ。私は選歌で落とされた歌は基本的に歌集には入れないのだけれど、「肉と人」(「塔」2014年4月号初出)は例外で、落ちた歌も入れている。思い入れの強さゆえである。

実はこのテーマについてはその後も歌に詠んでいて、

 ・肉と人(「現代短歌」2015年1月号)13首
 ・肉について(「現代短歌」2015年10月号)20首

と続いていく。興味のある方は、あわせてお読みください。

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2018年02月01日

おさやことり・橋爪志保「あきふゆ」


先日の文フリ京都で購入。
「はるなつ」に続く一冊で、発行・編集は吉岡太朗。
http://matsutanka.seesaa.net/article/453691447.html

7首の連作が一人2篇ずつ、計4篇載っている。

 目を細めにらむみたいに紅葉見るきみを守れば失うだろう
                    橋爪志保「日々」

上句は視力の悪い人などが時々見せる仕種。結句は「(きみを)失うだろう」という意味で読んだ。守ろうとするとかえって失ってしまうという予感。

 川べりで暮らす小さな猫をまた見かけた 浮いた背骨をなでた
                    橋爪志保「日々」

下句の「見かけた」「浮いた」「なでた」がカエサルの「来た、見た、勝った」みたいで心地良い。「浮いた背骨」は少し痩せている感じだろう。

 かげろうのはねのふるえのてにすくうみずはこのよのひかりにぬれて
                    おさやことり「ひかりにぬれて」

おさやことり作品はすべて平仮名表記。二句「ふるえの」は「震えのように」という感じか。掌に掬うことによって初めて光の中で揺らめく水。

 じてんしゃにふたつのみみをのせてゆくよるがひやしたあけがたのまち
                    おさやことり「ひかりにぬれて」

二つの耳だけが無防備に寒さに晒されている。下句の「よるがひやした」に発見があっていい。最も気温が低いのは明け方の日の出直前である。

 シャカシャカと振ってたのしいホッカイロ きみの願いをかなえてあげる
                    橋爪志保「着地」

明るい無邪気さと根拠のない全能感に満ちた一首。どこが良いのかうまく説明できない。K音の響きだろうか。内容と韻律がうまく合っているように感じる。

 おおみそかおしょうがつにもようびあることのしずかなきみのみじたく
                    おさやことり「ゆのためてある」

12月31日も1月1日も、おそらく君はカレンダー通りに仕事があるのだろう。休みであれば関係のない「曜日」を意識せざるを得ないのだ。

2018年1月21日。


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2017年12月16日

「六花」vol.2 の続き


大松達知さんが「見せ消ちの光―『風のおとうと』を例に」という文章を書いている。短歌に出てくる否定表現をもとに『風のおとうと』を分析したもので、短歌全般に通じるすぐれた内容となっている。

歌集を読むことには、点滅する幻の光をつぎつぎに追うような感覚がある。現実の生活とは異なる定型のリズムに一瞬入り込み、すぐに出る。そしてまた次の歌のリズムに入り、すぐに出てゆく。その繰り返し。直前の光の残像はありながら、一瞬一瞬、消えてまた灯る光を見つづけるのが歌集の読み方だろう。

短歌における否定表現については、永田さんの見せ消ち理論(?)のほかに、真中さんの歌からもだいぶ学んだように思う。

前号に続いて僕も文章を書いている。タイトルは「狂歌から短歌へ」。

短歌史を考える際には、「和歌から短歌」という一本の流れだけでなく、「狂歌から短歌」というもう一つの流れを視野に入れておく必要がある。

というのが結論。文中にも引いているが、これは安田純生さんと吉岡生夫さんの文章や講演から学んだ部分が多い。特に口語短歌の歴史を考える際に、狂歌は無視できない存在だろうと思っている。

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2017年12月14日

「六花」vol.2


著者 :
六花書林
発売日 : 2017-11-21

「とっておきの詩歌」というテーマで歌人・俳人20名が文章を寄せている。いずれも書き手の熱意が伝わってくる文章ばかりで、読み応えがある。時流に全く乗っていない感じがまたいい。

取り上げられている詩歌をいくつかご紹介しよう。

 いづくにか潜みてゐたるわれの泡からだ沈むるときに離れ来
                          二宮冬鳥
 雪原と柱時計が暮れはじむ        松村禎三
   白に就て
 松林の中には魚の骨が落ちてゐる
 (私はそれを三度も見たことがある)
                          尾形亀之助
 ふれあえば消えてしまうと思うほどつがいの蝶のもつれて淡し
                          筒井富栄

編集後記によれば、六花書林は創業十二周年を迎えて十三年目に入ったと言う。「創業の直前に生まれた子が来春には小学校を卒業する」とあって、しみじみとした気分になった。

2017年12月5日、六花書林、700円。

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2017年12月08日

「黒日傘」第8号


高島裕さんの個人誌。
特集は「父」、ゲストは岡井隆。
毎回テーマとゲストの選びがいい。

 小さきひとの足持ち上げて尻を拭く。この喜びはいづくより湧く
 哺乳瓶の剛(つよ)さを深く信じつつ熱湯注ぎ氷に浸ける
                      高島裕「百日の空」

「この春に長女が生まれた」という作者の子育ての歌。第1歌集『旧制度(アンシャン・レジーム』(1999年)から読み続けているので、読者としても感慨深いものがある。1首目はおむつを替えているところ。「小さきひと」がいい。2首目は粉ミルクを作りながら哺乳瓶の耐久性に注目しているのが面白い。

 茂吉歌集に父が書き入れし言(こと)の葉(は)をさむき雨降る夕ぐれに
 読む
 傷がないのに痛いつてことがある。父は居ないのに日向(ひなた)だけ
 ある                   岡井隆「父、三十首」

1首目、岡井の父は斎藤茂吉門下の歌人であった。その父の書いた文字を読みながらもの思いに耽っている。2首目、亡くなった後も父の存在感がどこかに残り続けているのだ。

 昭和六十二年製造の天ぷら粉、母の冷蔵庫の隅にひそみゐき
 川のやうになりて危険さへ覚ゆるに古書研究会のアナウンス長閑
 (のどか)                高島裕「甲午拾遺」

1首目、施設に入った母の家で見つけた天ぷら粉。「昭和六十二年」と言えば今から30年も前だ。2首目は大雨となった京都の古本まつりの光景。何となく古書店ならではという感じがする。

2017年11月30日、TOY、600円。

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2017年12月07日

「柊と南天」第0号


「塔」の昭和48年〜49年生まれの会員5名による同人誌。

 でもたぶんぽかんと明るいこの窓が失うことにもっとも近い
 山里に蛙の声をききながら夜の広さを確かめている
                       乙部真実

1首目、明るさと喪失感はどこか通じ合うものがある。「でも」という入り方と平仮名の多さが印象的。2首目、あちこちから聞こえる蛙の鳴き声に空間の広がりを感じている。

 くさむらに足踏みいればぬかるみはきのうの雨をあふれさせたり
                       中田明子

「きのうの雨」という表現がいい。ぬかるみから滲み出る水は、作者の心にある何かの感情のようでもある。

 芽キャベツのひとつひとつを湯に落としつつさよならを受け入れてゆく
                       池田行謙

芽キャベツを茎からもいで湯がいているところ。「落とし/つつ」の句跨りに、自分を納得させるまでの逡巡が滲む。

 画のなかの森の小道の明るさよ秋になりても実をつけぬ森
 画のなかの風を感じて吾が身体(からだ)粗き点描にほどけてゆけり
                       加茂直樹

絵の中の世界と現実の世界が交錯する歌。1首目、「実をつけぬ」と言うことによって、反対に実を付けるイメージが立ち上がる。2首目、絵を見ているうちに私が絵の一部になっていくような感覚。

 健闘と呼ばるる勝ちはなしひたひたと蛇口を落つる水滴の冴ゆ
                       永田 淳

「健闘」は、負けたけどよく頑張ったという時に使う言葉。でも、負けは負けなので素直には喜べない複雑な感じがするのだろう。

淳さんが「創刊の辞」に

 一九七〇年生まれの塔会員、つまり松村正直、荻原伸、梶原さい子、芦田美香がやたらと仲良しイメージを演出していることに対抗したかった

と書いている。
いえいえ、そんなことはないですって。(笑)

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2017年11月27日

「心の花」2017年11月号


佐佐木幸綱さんが「「家」のこと2」というエッセイを書いている。

 私の「家の記憶」は、本郷区(現・文京区)西片町十番地の三軒の家からはじまる。西片町十番地はかつての備後福山藩主・阿部家の広大な屋敷跡を分割したため、その名残で、「い」から「と」までに分けられ、さらに、いノ何号、ろノ何号……という番地がつけられている。
 私は、生まれてから高校卒業までに、「にノ四十号」(だったと思う。記憶ちがいかもしれない)、「いノ十六号」、「ろノ五号」、三軒の家に数年ずつ住んだ。「にノ四十号」は借家、「いノ十六号」は信綱の家、「ろノ五号」は父・治綱名義の家。

この「西片町」については、以前このブログで触れたことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139056.html
(2013年3月5日、西片町)

西片町の歴史や住んだ人々のことを調べるだけでも、随分と面白いだろうなと思う。一度東京へ行った時にゆっくり歩き回ってみたいと思いつつ、いまだに実現していない。

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2017年11月18日

「週刊新潮」11月23日号


現在発売中の「週刊新潮」11月23日号の新々句歌歳時記で、
俵万智さんに『風のおとうと』の歌を引いていただきました。

この世では出会うことなき大根と昆布をひとつ鍋に沈めつ


  P1050975.JPG

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2017年11月16日

「現代短歌」2017年12月号


前号の中西亮太さんの評論「誰が桐谷侃三だったのか」を受けて、中西さんと篠弘さんの対談(インタビュー)「歌集『六月』をめぐって」が掲載されている。全10ページ。

これがすこぶる面白い。篠さんの博識ぶりと記憶力の確かさに驚かされる。さすがに短歌史の第一人者といった感じだ。それと、自ら「善麿の最後の弟子」を名乗るだけあって、土岐善麿の人となりや考え方がとてもよく伝わってくる内容であった。

「僕は東京生まれの東京育ちでもありましたし」「土岐さんの批評は東京人の僕の感性に合うところがありました」という発言は、篠さんと善麿のつながりを考える上で大事な側面だろう。

善麿は味わい深い歌を数多く残しているが、今ではあまり取り上げられなくなってしまった歌人の一人と言っていい。それは「土岐さんは自分の結社を持っていなかった」ことも理由の一つになっているように感じる。

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2017年10月15日

「現代短歌」2017年11月


中西亮太さんの評論「誰が桐谷侃三だったのか」が12頁にわたって掲載されている。

これは、すごい。短歌史における定説を覆す新資料の発見と、地道な裏付けに基づく緻密な論考である。桐谷侃三に興味がある方も、名前は聞いたことがあるけど・・・という方も、誰それ?という方も、ぜひお読みください。1940年当時の短歌をめぐる状況がありありと甦ってくる内容となっています。

こうした優れた評論を載せることは、短歌雑誌の大事な役割と言っていいだろう。

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2017年10月13日

「ととと」 5号


白石瑞紀・永田愛・藤田千鶴の3名によるネットプリント。A3判×2枚。

10首×3名の短歌と、永田さんの「愛の一首」、藤田さんの童話「とびらひらく」、白石さんの「うろうろ☆MUSEUM」が載っている。

今回は9月9日発行ということで、月に関する歌が多かった。

 いつまでも冷めないスープとろとろの月の煮込みを蓮華にすくう
                         藤田千鶴
 もうすこし待てばかなうというように叶(かなう)のなかに十字架はある
                         永田 愛
 静かなる水面に月の道はありたましひならば行けるだらうか
                         白石瑞紀

1首目、「月の煮込み」という表現から、フカヒレのスープをイメージして読んだ。身体の芯まで温まる美味しさ。
2首目、「叶」という文字の中の「十」を「十字架」と捉えた歌。「かなう」ことを祈る歌であるが、むしろ叶わない悲しみが感じられる。
3首目、湖や池に真っ直ぐにのびている光の帯。その先にはいったい何があるのか。身体は行けないが、魂はそこをたどって行くのだ。

2017年9月9日、モノクロ40円、カラー120円。


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2017年10月12日

「ぱらぷりゅい」


関西在住の女性歌人12名による同人誌。
参加者は、岩尾淳子、江戸雪、大森静佳、尾崎まゆみ、河野美砂子、沙羅みなみ、中津昌子、野田かおり、前田康子、松城ゆき、やすたけまり、山下泉。
「ぱらぷりゅい」はフランス語で傘のことらしい。

全員の連作12首と、互いの第1歌集の批評、年表、歌会記など盛り沢山な内容となっている。全88ページ。山階基の手になる装幀・デザインも素敵だ。

 山火事のようだ怒りは背中からひたりひたりと夜空をのぼる
                        江戸雪
 紫陽花の重さを知っているひとだ 心のほかは何も見せない
                        大森静佳
 文学を解する猫は眠りをり陽のうつろひを鼻に感じて
                        野田かおり
 彗星と細字で書けばペン先に夜の光の集まり始む
                        前田康子
 さやうなら薄い衣をまとはせて金の油へ鰯を放す
                        松城ゆき
 ざんねんな探偵としてわれはわれに雇われいたり今日も推理す
                        山下泉

1首目、怒りの激しさや身体感覚がよく伝わってくる。何とも怖い。
2首目、下句がおもしろい。「心は見せない」なら普通なのだが。
3首目、下句がいかにも眠っている猫という感じがする。
4首目、「彗星」には横線がとても多いので、丁寧に書いている感じ。
5首目、鰯の天ぷらを作っているだけなのだが、歌にすると美しい。
6首目、あまり有能な探偵ではないのだろう。問題は解決できないまま。

2017年9月18日、500円。

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2017年10月05日

「歌壇」2017年10月号


特集は「覚醒する子規―生誕一五〇年」。

三枝ミ之と長谷川櫂の対談「子規が遺したもの」が非常に面白い。子規の俳句・短歌史における位置付けの変更を迫るものだ。

印象に残った発言をいくつか引いてみよう。

子規は実は近代俳句なり近代短歌の創始者ではなくて、中継者だったのではないかという考え方です。(長谷川)
だけど茂吉は子規に行く。あれ、なぜだろう。一つは、子規と茂吉の共通点が一高文化で(三枝)
(芭蕉と一茶の)有名な二つの俳句を比べると「かはづ」から「かえる」に変わっている。これはすごいことだ。(三枝)
晶子は江戸時代の歌謡や狂歌を栄養源としていたので、漢語や俗語の使い方がかなり自由になっている。(三枝)
方法論を提示した子規や虚子は、ある意味で自分が唱えた方法論から自由でいられる。(長谷川)

どれを取っても刺激的で示唆に富む発言ばかり。こうした歴史の捉え直しがあってこそ、新たに特集を組む意味があるというものだろう。

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2017年10月03日

「鴨川短歌」


田島千捺、牛尾今日子、橋爪志保、濱田友郎、土岐友浩の5名による同人誌。連作10首×5名と合評「わたしの好きな一首」が載っている。

途切れつつながい工事の音がしてせつなく終わる昼過ぎにいた
                       田島千捺

断続的に聞こえていた工事の音が止んだ後の空虚感のようなもの。休日の自分の部屋で一人ぼうっとしているのだと思う。

駅までの長い夕陽を浴びながら歩かせている夏のからだを
                       牛尾今日子

「歩いている」ではなく「歩かせている」が面白い。身体と心が少し離れている感じ。「長い」は影の長さでもあり、道の長さでもある。

じょうろじゃなくてあれでカレーを出す店と、言いつつきみの形どるあれ
                       牛尾今日子

確かによく見かけるのに名前は知らない。調べてみるとカレーソースポットなどと呼ぶらしい。二人のやり取りが目に見えるようだ。

目を閉じてまぶたの裏に見とれてる 根が水を吸うように泣きたい
                       橋爪志保

目をつぶって涙を堪えているのか。下句の比喩が魅力的。切羽詰まった泣き方ではなく、健康的で自然な感じの泣き方ということだろう。

シャープ・ペンシルで描かれるほおづきの朝は美しさの庭だった
                       濱田友郎

三句の「ほおづきの」は「ほおづきのように」という意味で受け取った。輪郭のくっきりした感じがする朝の庭の美しさ。

回想の出町柳は寒すぎてあなたは白いティペットを巻く
                       土岐友浩

ティペットはふわっとした肩掛けのこと。その場面を思い出すたびに、あなたよりも「白いティペット」の印象が甦ってくるのだろう。

合評「わたしの好きな一首」は、それぞれが挙げた好きな歌について全員で話し合っている。Skypeのやり取りが元になっているので、同じ人の発言が何回も続くことがあって最初は戸惑ったが、慣れると大丈夫。

濱田: 韻律は、歌のインナーマッスルみたいな感じで、隠れて活躍している。みたいな感じでいてほしいですよね
牛尾: でもなんというか、最近はそこまでほむほむのパラダイムで歌評をしようという志向はみんな無さめですよね

五名の読みの深さとともに、互いに信頼して何でも話せる関係であることが伝わってくる。中でも濱田さんの発言は抜群に楽しくて、反射神経やネーミングのセンスの良さを感じる。こういう人が一人いると歌会は盛り上がるだろうな。

2017年9月18日、200円。

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2017年09月29日

「三十一番」「三十一回裏」


谷じゃこ編集・発行の同人誌を2冊、文フリ大阪で購入。

相撲と短歌のアンソロジー「三十一番」。
9名の相撲に関する短歌5〜7首とエッセイ、さらに「ご贔屓力士・一首」が載っている。

 立会いの瞬間息を吸う音がこんな後ろの椅子席にまで
                   谷じゃこ

テレビでは味わえない生観戦の醍醐味。溜席(砂かぶり)やマス席ではなく土俵から離れた椅子席まで、息の音が聞こえてくるとは!

 最後まで見届けてこそ大相撲 弓取り式はエンドロールだ
                   のにし

テレビ中継を見ていると弓取り式の途中でぞろぞろと帰り始める人が多い。なるほど、確かに映画館の光景とよく似ている。

 十両の取組をする年下の安美錦関を励ますこころ
                   生沼義朗

ベテラン安美錦は38歳。短歌の世界ならまだまだ若手と呼ばれる年齢だ。秋場所では優勝決定戦まで進み、来場所はまた幕内に帰ってくる。

野球と短歌のアンソロジー「三十一回裏」。
13名の野球に関する短歌5〜7首とエッセイ、さらに「オススメ野球本」が載っている。

 いっぺんにふたりが死んでいくところ観たいから野球につれてって
                   石畑由紀子

上句はぎょっとする言い回しだが、結句まで来て野球のことだとわかる。併殺(ダプルプレー)とか刺殺とか盗塁とか、野球用語はけっこう物騒だ。

 右中間を球はころがる耳寝かせ森に分け入るうさぎのように
                   小野田光

三句以下の比喩がおもしろい。まるで実際の白いうさぎが球場をぴょんぴょんと跳ね回っているような気分になる。

 しきしまの日本の夏の終わるころ各地に届く甲子園の砂
                   蓮

「甲子園の砂」の観点から詠んでいるのがおもしろい。夏の高校野球は各都道府県の代表が出場するので、全国各地に砂が運ばれるわけだ。

表紙やデザインも凝っていて、とてもオシャレ。
短歌を楽しんでいる雰囲気がよく伝わってくる。

2017年9月18日、各350円。

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2017年09月24日

おさやことり・橋爪志保「はるなつ」


文学フリマ大阪で購入した同人誌。
発行・編集は吉岡太朗。

おさやことり「ゆきとけやなぎ」「とりわけしづか」、橋爪志保「階段」「夢中」と、7首の連作が計4篇載っている。

さきっぽのほうだけはながさいていてむしろゆきとけやなぎのような
                     おさやことり

おさやことりの歌は全部ひらがな。雪柳の咲き始めの光景だろう。満開ではないので雪が解けているように見えるのだ。

みかづきがまるさのなかにみえているないことにされたぶぶんのこくて
                     おさやことり

三日月の光っている部分ではなく、見えていない部分に着目したのが面白い。

花曇り きみのあたまはアルパカとスパゲッティをあわせた匂い
                     橋爪志保

きっと心地良い匂いなのだろう。音の並べ方のうまい作者で、「あたま」→「アルパカ」の「あ」、「アルパカ」→「スパゲッティ」の「パ」という感じに音が音を導いていく。

ピクルスをきみはパンから抜きとって花のまばらな川原へ放つ
                     橋爪志保

ハンバーガーなどに入っているピクルスが嫌いなのだろう。下句、「はな」「まばら」「かわら」「はなつ」とA音が続く。

まだひるのつづきのようなあかるさにそらはりとますしけんしをなし
                     おさやことり

夕方になって、青いリトマス試験紙が赤くなるように徐々に空の色合いが変化していく。

逃しても取れてもきっとはしゃいでるこの世は長い流しそうめん
                     橋爪志保

下句の妙な断定に惹かれる。「長い」「流し」の音の響きが効果的なのだろう。

「おさやことり」(OSAYAKOTORI)という名前は「吉岡太朗」(YOSIOKATARO)のアナグラムということか。

2017年9月18日発行。

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2017年09月20日

「日本近代文学館」館報第279号


「日本近代文学館」の館報第279号が届いた。
http://www.bungakukan.or.jp/cat-whatsnew/9556/

「館蔵資料から=未発表資料紹介 佐佐木信綱宛書簡」を毎号楽しみにしているのだが、今号には北原白秋の信綱宛書簡が2点紹介されていた。

そのうち1点は昭和14年12月31日消印のもので、「啓上 御懇書ならびに筆墨忝く拝受かへつて恐縮に奉存候今は御祝のおしるしまでいささかのもの差出申候につき御笑納たまはり度存候 夢殿につき御厚情難有く御礼申上候」とある。

信綱からもらった手紙のお礼と、祝いの品を送ったこと、そして前月に白秋が刊行した歌集『夢殿』に対する信綱の好意へのお礼という内容だ。

白秋と信綱の関係については、昭和12年の「愛国行進曲」の歌詞の審査の場で喧嘩をして終生和解しなかったという伝説がある。

これについては、既に渡英子が「信綱と白秋―喧嘩顛末記」(「佐佐木信綱研究」第3號)で誤りを正している。また、マンガ「月に吠えらんねえ」の作者清家雪子のブログにも「白秋VS信綱〜解決編」(2016年11月24日)という詳しい記事が載っている。

今回の館報に載った昭和14年の白秋の書簡もまた、先の伝説の誤りを裏付ける証拠の一つと言って良いだろう。

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2017年09月15日

いわて故郷文芸部ひっつみ「ひっつみ本」


岩手県出身者、在住者が参加する同人誌。
8名が参加して、それぞれ短歌7首(or詩1編)+随筆を発表している。

巻頭には「どなたもどうぞお入りください/決してご遠慮がありません」と、宮沢賢治の『注文の多い料理店』風な前書きがあり、岩手への愛を感じさせる。

ストーブの効いた部屋から雪を見る 出会う前他人だったのか僕らは
                         逢坂みずき

出会う前は当然他人だったはずなのだが、ずっと前からお互いに知っているような感じがするのだ。冬の部屋に相手と二人きりという場面だろう。

甘すぎるカルーアミルクが二つあり元は一つの愛だったよう
                         木下知子

下句の発想がおもしろい。一つの愛が二つに分かれてしまったのか。コーヒーリキュールに牛乳を混ぜるカクテルの色合いや甘さが、うまく合っている。

噛めるひかり啜れるひかり飲めるひかり祈りのように盛岡冷麺
                         工藤玲音

四句目までは何のことかわからずに読んでいって、結句でなるほどと思う。盛岡冷麺の強いコシやつやつやした光沢の感じが印象的に描かれた歌だ。

ポケットにビールの缶をねじこんで花のいかだで旅ができるね
                         佐々木萌

手ぶらでビールの缶だけを持って花見をしているのだろう。水面に浮かぶ花筏に乗ってどこまでも行けそうな楽しい気分になっている。

どれくらいのテレビか聞かれ箸を置き空中に書くわたしのテレビ
                         武田穂佳

一緒に食事をしている相手からテレビの大きさを聞かれたのだ。何インチといった数字ではなく、指で四角を書いているところに臨場感がある。

エッセイはどれも若々しさの感じられる内容で、読んでいて楽しかった。特に木下知子「標識」が印象に残った。

「ひっつみ」という会の名前は、岩手の郷土料理で、すいとんの一種のことらしい。

岩手に何か関係のある食べ物がいい、と思い、わんこそば、とか、じゃじゃ麺、とか考えたものの、ひっつみ、という言葉の耳たぶほふどのやわらかさ、あたたかさから、この名前に落ち着きました。

という説明がある。肝腎の「ひっつみ」がどんな料理かという説明がないところがいい。地元の人にとっては当り前のものだから、説明の必要を感じないのだろう。そんなところにも岩手への愛を感じる。

2017年6月11日、300円。

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2017年08月27日

「短歌人」2017年9月号


編集室雁信(編集後記)に小池光さんが、こんなことを書いている。

●歌集が次々に出て慶賀に耐えないが歌集というものは売るものでも売れるものでもなく差し上げるものである。少し分厚い名刺である。名刺だから差し上げて、それでなんの余得も欲してはならない。差し上げた未知の人から返事がきたりして嬉しいものだ。それで十分と思わねばならぬ。

随分と思い切った書き方をしているが、読んでいて気持ちがいい。最近の小池さんらしいとも思う。十年くらい前まではみんなこういう感じで歌集を出していたわけで、「歌集は名刺代わり」という言葉もよく聞いた。

近年、歌集を売ろうとする試みや努力が出版社や歌人の間にも広がりつつある。それはそれで大事なことだと思う。お金の問題はやはり馬鹿にできないのであって、歌集が売れて作者の経済的な負担が少なくなれば随分と歌集出版の風景も違ってくるだろう。

その一方で、歌集が売れないことを別に悲観する必要もない。売れる・売れないというのは、短歌にとって本質ではないからだ。最終的には、自分の納得のいく歌ができるかどうかという問題であろう。

もちろん、売れるに越したことはなくて、僕自身、本を出すたびにベストセラーになることを思い描く。でも、小池さんの書いている「それで十分」という心構えも忘れずにいたいと思う。

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