2018年01月10日

『日本の文化ナショナリズム』 のつづき


この本は和歌から短歌への流れを考える上でも参考になる点が多い。短歌史も(当然のことながら)日本の歴史やナショナリズムの歴史と深い関わりを持っているからだ。

まずは、江戸時代の日本語の文体についての話の中で、次のような指摘が出てくる。

(江戸時代)後期の「漢詩」には、中国清代の性霊派の影響を受けて、当代のことばによる個人の感性の自然な流露を尊ぶ表現が流行した。その影響は和歌にも及んで、香川景樹を開祖とする桂園派の流れをつくった。

「性霊派」という言葉を聞くのも初めてだし、香川景樹がその影響を受けていたというのも初耳である。

また、佐佐木信綱が1890年に父弘綱とともに『日本歌学全書』を編纂したことは有名であるが、その背景には以下のような時代の流れがあったのだと言う。

同じ年、『日本歌学全書』全十巻、『日本文学全書』全二十四巻が博文館から刊行開始された。先にもふれたが、『歌学全書』は和歌の、『文学全書』は散文のアンソロジーで、あわせると日本で最初の「日本文学全集」となる。こうして「日本文学(史)」という観念が形づくられ、定着してゆく。

これも『日本歌学全書』だけ見ていても気が付かない観点と言っていいだろう。

さらに、もう一つ。「一九一〇年代から二〇年代にかけての日本では、実にさまざまな生命主義が開花した」という文脈で、徳冨蘆花のエッセイや有島武郎の『生れ出づる悩み』、萩原朔太郎の『青猫』とともに挙げられているのが、何と斎藤茂吉の「短歌における写生の説」(一九二〇)なのである。

このように、短歌史という枠組みの中では見えないことが、同時代の文化の流れとあわせて見ることでわかってくるのだ。そこが新鮮で、すこぶる面白い。

posted by 松村正直 at 07:42| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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