2017年04月22日

白秋のオットセイ踊り (その1)

鬼頭一枝さんから「原型」昭和58年9月号のコピーを送っていただいた。斎藤史の講話「明治及びそれ以後の短歌」が載っているのだが、その中に面白いエピソードがある。東京の洗足にあった斎藤家を、真夜中に北原白秋と大橋松平が突然訪ねて来た時の話だ。

白秋の踊りというのがある。その昔に石井漠という、御存じかどうか、石井小浪やあの系統があつて、自由な舞踊、表現舞踊みたいなものがはやつたことがある。これを白秋が気分のままに踊るんです。
なかなかレパートリがある。その一つに、オツトセイ踊りというのがあつて、これは大正の末に吉植庄亮と白秋ともう一人白秋門下の由利貞三という人とオツトセイを見に北へ行つたことがあつたんです。
その帰りに旭川へ寄つて、瀏と飲んだんですけれども、そのオツトセイを早速踊りにしちやつたもの。白秋という人は割りに鼻の下の長い人でしよう。そこにおひげがあるでしよう。そのおひげを下へかき下げるわけね。
頭の毛もこうぴつたり押えておかつぱにするでしよう。でぬうつと首を持ち上げる。そうすると波からオツトセイが顔出した感じになる。(笑い)ほんと、そつくりになるの、そこでこんな風に手をひれにして揺れるわけ、波にゆうらゆうらつと。(笑い)

オットセイを見に「北へ」行ったとあるのは、樺太の海豹島のこと。白秋の樺太行きは、名作「フレップ・トリップ」や短歌や童謡だけでなく、オットセイ踊りなるものも生み出していたのである。
posted by 松村正直 at 00:03| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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