2016年11月22日

「短歌往来」2016年12月号

あちこちで短歌に関する文章を書いているが、こちらの意図がうまく伝わらないことも多い。

「短歌往来」12月号の評論月評に田中教子さんが次のように書いている。

「角川短歌」二〇一六年十一月号には「創作における装飾」と題する特集が組まれている。この「装飾」は「虚構」と同義にとらえられ、事実(リアリズム)か虚構(反リアリズム)か、という方法論への問いかけとなっている。
先ずリアリズム肯定派は、松村正直氏と楠誓英氏である。

えっ、と読んでいてびっくりしてしまう。

「角川短歌」で私は、一番最初に「事実か虚構かの二分法」に疑問を呈し、

事実と虚構とはそんなに明確に分けられるものなのだろうか。

と書いた。「そもそも芸術というものは、すべて事実と虚構の微妙な境界の上に成り立っているものである」とも書いた。

それなのに、勝手に「リアリズム肯定派」に分類されてしまうのだ。そういう単純で図式的な分類こそ、私が一番排除したかったものであるのに。

こういう反応を読むと、文章を書くことが何だか虚しいことのような気がしてしまう。

posted by 松村正直 at 20:11| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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