2012年02月14日

「歌壇」2012年3月号(その1)

佐藤通雅さんの評論「震災詠からみえてくるもの」を読んだ。
その中に、次のような部分がある。少し長いが引用する。
 このような目線のおきかたによるずれは避けがたい。短歌総合誌には、震災詠をめぐる対談や座談が組まれたが、ほとんどが圏外のメンバーだった。だから私は、とんでもないずれた発言がもれるのではないかとヒヤヒヤしたが、やはり出た。
 (略)
 対談「大震災と詩歌を語る」(「短歌往来」平24・1)の参加者は松本健一・松村正直。松村は原発が福島の浜通りに設置されたことをとりあげて、「言葉は悪くて申し訳ないんだけれど」と低姿勢ながら、「あそこでよかったってことはあると思うんですよ。東京にあったらそんな規模の避難じゃ済まないわけですし。」と発言する。これも大臣なら、即刻辞任である。原爆の落ちたのは、東京でなくて広島や長崎でよかったと公言するに等しい。発言がまちがっているわけでなく、むしろ本当のことだ。しかし、圏内のものがいうか、圏外のものがいうかによって、受けとめ方がまるで異なる状況というものがある。もし、対談や座談に一人でも被災圏のメンバーがいれば、チェックできたはずだが、そうはならなかった。

初めにこの部分を読んだ時に、私はエッと驚いた。「あそこでよかった」なんて、自分が発言していることに、びっくりしたのである。これは、批判を受けても当然の言葉ではないか。

慌てて、当の「短歌往来」1月号を読み直してみた。

posted by 松村正直 at 22:00| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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