2012年02月02日

「波」2012年2月号

永田さんの連載「河野裕子と私」は第9回。

今月は、1998年の永田家の引越しと2008年の建て替えの話。私が京都に住み始めた2001年から、「塔」の再校・割付は永田家で行われるようになったので、建て替え前の家も今の家もよく知っている。

古い「塔」をパラパラ調べてみると、2001年5月号の編集後記に永田さんが次のように書いているのが見つかった。
□連休最後の日曜日、吉川、真中、松村三君が岩倉のわが家に集り、これからの編集実務体制について、相談をした。毎月、第一日曜日にわが家で割り付けと再校とを同時に行うことにする。

なんとも、懐かしい。

今回の連載で目を引いたのは次の部分。河野さんと母親の君江さんとの強い結びつきを述べた中に出てくるくだりである。
父親の河野如矢(ゆきや)との相性が悪く(本当は性格が似すぎているところがあったのだが)、幼児期より父親を徹底的に避けていた。

先週このブログで引いた
醜悪な老猿のごとく背を曲げて飯喰う父を今は憎まず
         産経新聞(大阪本社版)昭和40年3月3日

という歌も、そうした文脈においてみるとよくわかる気がする

posted by 松村正直 at 00:19| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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