2019年05月31日

京都の南

6月22日に京都市南区に新たに小劇場「THEATRE E9 KYOTO」がオープンします。
https://askyoto.or.jp/e9

京都駅八条口から徒歩14分、東福寺駅から徒歩7分、地下鉄九条駅から徒歩11分という場所です。

また、昨年3月に閉館になった映画館「京都みなみ会館」も今年の夏に元の場所の斜め向かいに再オープンします。
https://kyoto-minamikaikan.jp/renewal/

どちらも家から近いので楽しみ。

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2019年05月29日

高橋源一郎 「日本文学盛衰史」 あれこれ

◎ 『日本文学盛衰史』 (講談社2001年、講談社文庫2004年)


◎ 『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』


◎ 青年団公演 「日本文学盛衰史」 (作・演出:平田オリザ、2018年)
 http://www.seinendan.org/play/2018/06/6542


◎ 講演 「日本文学盛衰史 未来篇」
 第56回夏の文学教室〈文学の現在―越境・往還することば〉
 2019年8月3日(土)15:20〜16:20
 有楽町よみうりホール(ビックカメラ7F)

 https://www.bungakukan.or.jp/cat-lecture/cat-summer/1123/

◎ 講演 「日本文学盛衰史・平成後篇」
 現代短歌シンポジウム IN KYOTO
 2019年8月24日(土)13:15〜14:45
 グランドプリンスホテル京都

 現代短歌シンポジウム2019.jpg

 http://matsutanka.seesaa.net/article/465382210.html

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2019年05月28日

伊藤洋志著 『ナリワイをつくる』


副題は「人生を盗まれない働き方」。
2012年に東京書籍より刊行された単行本の文庫化。

個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を「ナリワイ」(生業)と呼ぶ。

という定義のもと、「ナリワイ」づくりを実践している著者が、自らの考えや体験を詳しく記している。

生活の余裕とは、収入の多寡よりもむしろ、支出のコントロールができるかどうかが大きい。
生命保険よりも、病気にならない暮らし方を探求するほうがより丈夫なリスクヘッジになりうる。
田舎では、雇用によって生計を立てるのではなく、様々な小さな仕事、すなわちナリワイを自らつくり出して生計を立てていることが結構あるのである。

「ナリワイ」的な生き方の一番の魅力は自分の人生を自分で決められることにあるのだろう。それは、グローバル資本主義やそれに伴う格差の拡大に対して自分自身を守ることにもつながっている。

2017年7月10日、ちくま文庫、680円。

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2019年05月27日

「シベリア」という菓子

 映画「風立ちぬ」を観て以来、ずっと気になっていた「シベリア」
 という名前の菓子を、ようやく食べることができた。
 http://matsutanka.seesaa.net/article/387139216.html


 P1070259.JPG

 製造元は神戸の「株式会社ベル」。
 冷凍のものが生協のカタログで販売されている。


 P1070263.JPG

 中身はこんな感じ。
 カステラの生地の間に羊羹が挟み込まれている。

 味は洋風の「どら焼き」といったところ。
 かなり甘いのでコーヒーと一緒に食べるのが良い。

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2019年05月26日

高橋源一郎著 『日本文学盛衰史』


初出は「群像」1997年5月号から2000年11月号。

明治時代の文学者の数々のエピソードや作品を元に、日本の近代文学がどのようにして誕生したのかを群像劇として描き出した小説。登場する主な人物は、二葉亭四迷、石川啄木、伊良子清白、国木田独歩、田山花袋、夏目漱石、島崎藤村、森鴎外、尾崎紅葉など。

『あひびき』の冒頭二十一行には人間の影は存在しない。ただ、その風景を「見た」証人として「わたし」が微かに現れるだけである。「わたし」は揺らめくように一瞬、その姿を見せ、たちまち消え失せる。そこにはぎりぎりの琢磨された言葉で表現された風景だけが存在している。そこにあるのは自然であろうか、違う。それは「見られた」自然なのである。

明治期と現代を自由に行き来しながら、文体の模索を通じて人間の内面が見出されるにいたった道筋や、そもそも何のために文学が存在するのかといったテーマが追求されている。全598ページの大作。

2001年5月31日、講談社、2500円。

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2019年05月25日

母、そして父

3泊4日で母と父を訪ねてきた。

22日(水)の夜に山梨の母の家へ。

23日(木)は朝から母の受診の付き添いで、山梨大学医学部附属病院へ。
来月、甲状腺腫瘍の摘出手術を受けるので、その説明を受ける。
中庭ではカルガモの親子が楽しそうに泳いでいた。

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午後は入院に必要なものを買ってから、近所の富士川クラフトパークの「バラまつり」を見に行く。天気も良くて、幼稚園児や小学生、老人施設の方たちなどが大勢訪れていた。

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24日(金)は昼前に母の家を発って最寄りの下部温泉駅へ。
駅の近くを流れる下部川がきれいだ。

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JR身延線で甲府に出て、そこから中央線で東京へ。
都内で短歌関係の打ち合わせをした後、夕方に東京郊外の父の家へ行く。
近所の蕎麦屋で一緒に夕飯を食べ、夜は巨人・広島戦をテレビ観戦。

25日(土)の朝に父の家を発ち、啄木関連の取材を少ししてから京都に帰ってきた。

母も父もそこそこ元気で良かった。

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2019年05月22日

「短歌研究」2019年6月号

現代代表男性歌人130人作品集に、奥田亡羊さんが「樺太」と題する7首を寄せている。

 北の果てにさらに北して船出する石榑千亦五十九歳
 心の花昭和三年十一月号にうねりて光る樺太の河
 風景の記憶となりて歌にあり露人の庭に咲く秋の花

エッセイには拙著『樺太を訪れた歌人たち』を読んだことが書かれていて、有難かった。石榑は奥田さんにとって「心の花」の遠い先輩に当たる。

「心の花」昭和3年11月号掲載の石榑千亦「樺太にて」114首は、とても意欲的な一連だ。

   露人の家
 丸木つみ重ねたてたる家にのこりゐる露人のさだめ思へば悲し
 帰るべき国もなけれか草花をうゑはやしたり家のまはりに
 ひとの国と今はなりつれのこりゐて花などうゝるかなしき心
 花をうゑて涙つちかふ親の心しるには未だ幼き子なり

1905年のポーツマス条約によって南樺太が日本領になった後も、北樺太やロシア本土に引き揚げずに残ったロシア人=「残留ロシア人」を詠んだ歌である。

今から90年以上前の歌であるが、こうした悲哀は世界中のあちこちにあったし、今現在もある。あるいは、例えば北方領土問題を考える際にも関わってくる話である。島がもし日本に返還された場合、そこに住むロシアの人たちをどうするのか。そうした点も意識しておく必要があるだろう。

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2019年05月21日

石蓮花、アビカンス

「石蓮花」「アビカンス」がどんな植物かと思って画像検索すると、葉が円形に並んだ多肉植物がいろいろと出てくる。種類が多いのかもしれない。

ちなみに、わが家のベランダにも似たような植物がある。知り合いから「土に置いといたら生えますよ」と言われてもらった一枚の葉が育ったもの。

先日その方に聞いてみたのだが、名前は忘れてしまったらしい。


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2019年05月20日

現代短歌シンポジウム in 京都

今年の「塔」の全国大会は京都で行いますが、初日のシンポジウムは一般公開でどなたでも参加できます。ゲストに、高橋源一郎さん(小説家・評論家)と小島ゆかりさん(歌人)をお迎えします。

日時 8月24日(土) 13:00〜17:00
場所 グランドプリンスホテル京都

  講演 高橋源一郎 「日本文学盛衰史・平成後篇」
  対談 小島ゆかり×吉川宏志 「古典和歌の生命力」

会費 当日   一般2000円 学生1000円
   事前申込 一般1800円 学生 900円

お申込み「現代短歌シンポジウム」参加受付のページ


  現代短歌シンポジウム2019.jpg
    (クリックすると大きくなります)

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2019年05月19日

服部真里子歌集 『遠くの敵や硝子を』


現代歌人シリーズ24。
2014年から2018年までの作品291首を収めた第2歌集。

肺を病む父のまひるに届けたり西瓜の水の深き眠りを
あかときの雨を見ている窓際にしずおかコーラの瓶をならべて
海面に降るとき雪は見るだろうみずからのほの暗い横顔
白木蓮(はくれん)に紙飛行機のたましいがゆっくり帰ってくる夕まぐれ
ビスケット無限に増えてゆくような桜並木の下の口づけ
いのちあるかぎり言葉はひるがえり時おり浜昼顔にもふれる
死者たちの額に死の捺す蔵書印ひとたび金にかがやきて消ゆ
水を飲むとき水に向かって開かれるキリンの脚のしずけき角度
月の夜のすてきなペーパードライバー 八重歯きらきらさせて笑って
神を信じずましてあなたを信じずにいくらでも雪を殺せる右手

1首目、入院中の父への見舞い。西瓜の中には水が眠っている。
3首目、海面に映る自身の姿を見ながら雪は落ちてゆくのだ。
5首目、童謡「ふしぎなポケット」を思い出す楽しい歌。
6首目、「あるかぎり」→「ひるがえり」→「昼顔」と音が連鎖する。
7首目、美しくも怖いイメージ。もう死の所有物になってしまう。
8首目、前脚をハの字に開いて水たまりや川の水を飲むキリンの姿。

2018年10月17日、書肆侃侃房、2100円。

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2019年05月18日

窪薗晴夫著 『通じない日本語』


副題は「世代差・地域差からみる言葉の不思議」。
世代や地域によって異なる言葉を数多く例に挙げて、日本語の仕組みについて解説した本。

関西ではニク=牛肉であり、豚肉はブタ、鷄肉はカシワ(もしくはトリ)と呼ぶのが普通です。
(外来語の)促音はもともと英語に入っているものではなく、日本語話者が英語の発音を聞いて感じるものです。
どの言語の赤ちゃんも[s]より[t]を先に獲得すると言われています。(・・・)いずれの言語でも[s]をまだ発音できない子供は、その音を[t]で代用しようとします。

他にも、「五七五」の「ご」が「ごー」と伸ばして発音される理由や「チャック」が「巾着」から作られた略語であること、バ行音に対応する無声の音はハ行音ではなくパ行音であることなど、雑学的な知識も豊富で楽しい。

2017年12月15日、平凡社新書、780円。

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2019年05月16日

牛丼屋

 みずからに餌を与える心地して牛丼屋の幅に牛丼を食ぶ
                 吉川宏志『石蓮花』

吉野家・松屋・すき家など牛丼のチェーン店で牛丼を食べているところ。ゆっくりと味わうのではなく、忙しい時にパパッと食べてさっと店を出る。まるで自分が牛舎の牛になって餌を食べているような気分になったのだろう。

カルチャーセンターでこの歌を紹介したところ受講生の反応が今ひとつだったので、念のため「牛丼屋には行ったことありますか?」と尋ねてみると、ほとんどの方が行ったことがない。これには驚いた。漠然と日本人の9割くらいは行っていると思っていたのだが、そんなことはないらしい。

確かに、カウンター席が中心の牛丼屋で牛丼を食べているのは、男性のサラリーマンや学生が多い。若い女性や家族連れも見かけるが、私より上の世代の女性はあまり見かけない。受講生にはその層が多いので、牛丼屋に入ったことがない人も多いのだ。

自分では当り前だと思っていても実は当り前でないことが世の中にはたくさんある。人と話をしているとそんな気付きがあるので楽しい。

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2019年05月13日

現代歌人集会春季大会 in 鳥取


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  (クリックすると大きくなります)

6月23日(日)に鳥取で現代歌人集会春季大会を開催します。
大会テーマは「前川佐美雄と塚本邦雄〜鳥取からはじまった〜」。

 ・基調講演 林和清
 ・講演 三枝ミ之
 ・パネルディスカッション 荻原伸・道券はな・小谷奈央・楠誓英(司会)

という内容です。
参加費は2000円。

皆さん、ぜひお越しください。
鳥取でお会いしましょう!
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2019年05月12日

吉田恭大歌集 『光と私語』

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1989年生まれの作者の第1歌集。

 あれが山、あの光るのはたぶん川、地図はひらいたまま眠ろうか
 バス停がバスを迎えているような春の水辺に次、止まります
 朝刊が濡れないように包まれて届く世界の明日までが雨
 管つけて眠る祖母から汽水湖の水が流れて一族しじみ
 知り合いの勝手に動く掃除機を持っていそうな暮らしをおもう
 少年の、季節は問わず公園でしてはいけない球技と花火
 京都から来た人のくれる八つ橋と京都へ行った人の八つ橋
 アマゾンで腐葉土買えばしばらくは腐葉土の広告のある日々

1首目、高村光太郎『智恵子抄』の「あれが阿多多羅山(あたたらやま)、/あの光るのが阿武隈川。」という一節を想起させる。
2首目、結句で「次、止まります」というアナウンスに替わるのがいい。
3首目、ビニール袋や天気予報にあらかじめ守られている現代の暮らし。
4首目、汽水湖やしじみは作者のふるさと鳥取の記憶にあるのだろう。
5首目、「勝手に動く掃除機」(=ルンバなど)という言い方がユニーク。
6首目、初句「少年の、」からのつなぎ方に不思議な味わいがある。
7首目、地元の人が持って来るのと土産に買ったのとでは気分が違う。
8首目、購買履歴などをもとにネットに表示される広告。現代的な光景だ。

2019年3月19日、いぬのせなか座、2300円。

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2019年05月11日

語彙

「私は語彙が少ないんで、思い通りに表現ができません」
「語彙を増やすにはどうすればいいですか?」

といった話をよく耳にする。
でも、短歌を詠むのに本当にそんなに語彙は必要なのだろうか。

もちろん、語彙は多いに越したことはない。
歌集を読んだり新聞を読んだりして知らない言葉に出会ったら辞書を引いてみる。そんなふうに日常的に語彙を増やす努力を大切だ。

その上で言うのだが、例えば語彙が1000から1050に増えたところで、たいして表現力が増したことにはならないだろう。どこまで行っても足し算の世界である。

むしろ大切なのは「言葉の組み合わせ」を増やすことだと思う。

「雨が」=「降る」という主述の組み合わせしか持たない人に対して、雨が「降る」「落ちる」「走る」「駆ける」「飛ぶ」「伸びる」「襲う」「叩く」「舞う」「流れる」・・・と組み合わせを多く持っている人は、何倍もの表現ができる。それは掛け算の世界だ。

簡単な語彙であっても、組み合わせ方によっていくらでも複雑な世界を詠むことができる。「自分の思いを表すのにぴったりの言葉」なんて、たぶん何十万の語彙があったところで見つからない。それは言葉同士の組み合わせを工夫して、自分自身で作り出すしかないのだ。

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2019年05月10日

伊藤洋志×pha著 『フルサトをつくる』


副題は「帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方」。

和歌山県の熊野の民家を自分たちで改修してシェアハウスにした2人が、都会と田舎の二拠点居住の良さやこれからの時代の生き方について記した本。「フルサト」は自分の生まれ故郷のことではなく、ふるさと的な安らぎが得られる場所といった意味で使われている。

全体が7章に分かれていて、

 第1章 フルサトの見つけかた(pha)
 第2章 「住む」をつくる(伊藤)
 第3章 「つながり」をつくる(pha)
 第4章 「仕事」をつくる(伊藤)
 第5章 「文化」をつくる(pha)
 第6章 「楽しい」をつくる(伊藤)
 第7章 フルサトの良さ(pha)

という構成になっている。真面目な感じの伊藤と緩い感じのphaと、考え方が同じわけではないが、基本的な方向性は一致している。

高齢化したエリアでは、草刈りができる人がいるだけでも貴重である。なんなら日本全国高齢化していくこの時代においては、生きているということだけでどこでも特技になる。(伊藤)
現代人は「で、年収いくら?」みたいな話に注目しがちだが、「で、あなたの自給力はどんぐらい?」と聞く人はいない。ここは今ノーマークである。(伊藤)
現代社会が何かとお金がかかるのは、サービスの交換に中間の人が増えすぎたのが一因だが、直接交換ができればだいぶ交換コストが下がる。(伊藤)
その時自分がいる場所によって思考の内容が変わるということをよく考える。東京にいるときは東京で起きていることが日本の全てのような気がするけど、熊野にいるときは東京のニュースを聞いても「なんか遠くでいろいろやってるらしいな、こっちには関係ないけど」って感じになる(・・・)(pha)

2人の柔軟な思考と自由な姿勢にとても励まされる一冊であった。
(いや、まあ、僕も十分に自由なんですが)

2018年7月10日、ちくま文庫、740円。

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2019年05月09日

川野里子歌集 『歓待』

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第6歌集。

巻頭に「フィルムを巻き戻すように時間を遡り、ひとつの、命に出会いたいのだ。」という一文があり、母の死を詠んだ連作「Place to be」から始まって逆編年の構成となっている。

 母死なすことを決めたるわがあたま気づけば母が撫でてゐるなり
 なんにもないところですよと言ふ人と青銅のやうな太平洋見る
 那智の滝シャッターに捉ふそののちを少しゆらぎて滝立ち直る
 駅前の楠木切られ忽然と深井となりし夏空ひらく
 黒いタクシー白いタクシー集ひてはつぎつぎ動くオセロのやうに
 駅前の裸婦像は子供産みしことある体なり雨に濡れつつ
 包帯を巻かるるやうに丁寧に和紙に覆はれねぷた暴るる
 いはゆる、一人の、老人のやうに杖をつき謝るやうに母は歩み来
 ひとりふたり手紙返せぬままの人こころに延泊してもらひつつ
 酸素マスクの中に歌はれ知床の岬は深き霧の中なり

1首目、母の延命処置を断った後の歌。「死なす」が重い。
2首目、「青銅のやうな」という比喩が印象的。
3首目、シャッターを押す瞬間動きを止めた滝が再び動き始める。
4首目、木の無くなった後の空間を井戸に見立てている。
5首目、駅前の乗り場で客待ちをするタクシーの列。
6首目、同じ裸婦像でも体型は様々だ。
7首目、勇壮なイメージのねぷただが、木と針金と和紙でできている
8首目、いかにも老人という感じになった母の姿。
9首目、返事を書こう書こうと思いつつ書けないのだ。「延泊」がいい。
10首目、病床の母が歌う「知床旅情」。酸素マスクが曇るのだろう。

2019年4月10日、砂子屋書房、3000円。

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2019年05月08日

第7回現代短歌社賞 作品募集中

現在、第7回現代短歌社賞の作品を募集中です。
http://gendaitanka.jp/award/

個人で歌集を出していない方が対象で、募集作品は300首。
未発表、既発表を問いません。

選考委員は、阿木津英・黒瀬珂瀾・瀬戸夏子・松村正直。
締切は2019年7月31日(当日消印有効)。

皆さん、ぜひご応募ください。
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2019年05月07日

森達也著 『すべての戦争は自衛から始まる』


2015年にダイヤモンド社から刊行された単行本に加筆修正して文庫化したもの。初出は2007年から2015年までダイヤモンド社のPR誌「経」に連載された「リアル共同幻想論」。

全部で20篇の文章が載っているが、著者が繰り返し語るのはタイトルにもある通り「自衛」が「戦争」につながるという認識である。

戦争とは戦争を憎むことだけでは回避できない。戦争を起こしたいと本気で思う指導者や国家など存在しない。ところが戦争は続いてきた。なぜなら人は不安や恐怖に弱い。集団化して正義や大義に酔いやすい。歴史上ほとんどの戦争は自衛への熱狂から始まっており、平和を願う心が戦争を誘引する。

戦争が起きる仕組みをきちんと理解することが、戦争を起さないためには必要なのだ。近年、北朝鮮や中国、あるいはテロの脅威が盛んに言われ続けている。そんな時こそ「集団化」や「熱狂」から距離を置くことが大事になるのだと思う。

2019年1月16日、講談社文庫、720円。

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2019年05月06日

吉岡太朗著 『世界樹の素描』


現代歌人シリーズ25。
237首を収めた第2歌集。

 水面のどこに着地をしようともみずにはりつき流れゆく葉は
 クレーンは夜更けんなるとあらわれてゆうたら町のみる夢やろう
 対岸の陽にねこじゃらし向こうへと渡ればここがむこうになること
 中指のあらん限りを立てている松のさびしき武装蜂起は
 紙切れもにんげんさまも磔にされるときには四肢を留められ
 くちびるの動きを視野のひろがりに見ながらすくう次の一匙
 ねどこへと沈むからだの側臥位は二時間ほどをしずみつづけて
 肩と膝ささえて体位を変えるとき天球がそのひとのまわりを回る
 洞窟でひやしたビール飲む暮れの川には一輪挿しの白鷺
 近づけば水面の家は散りぢりのひかりとなりぬ流れの綾に

1首目、川に落ちた葉が沈まずに流れていく。「はりつき」がいい。
2首目、昼間は街の喧騒に紛れて目立たなかったのだろう。
4首目、松の雌花を、中指を立てるジェスチャーに喩えている。
6首目、食事介助の場面。匙を口に運ぶタイミングが大切だ。
8首目、褥瘡ができないように二時間ごとに体位変換をする。
9首目、「一輪挿しの白鷺」が絶妙。一羽ぽつんと川に立っている。

6〜8首目のような介護の仕事の歌が特に印象的だった。

巻末の「夜を終わらせる」と題する文章は、〈あとがき〉というよりも、冒頭の連作「春になると妖精は」と対になっているのだろう。目次もそのようなレイアウトになっている。

2019年2月20日、書肆侃侃房、1900円。

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2019年05月05日

永田和宏ほか著 『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』


京都産業大学の企画「マイ・チャレンジ」の第5回から第8回(最終回)までの講演・対談を収めた本。前著『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』の続篇で、登場するのは、池田理代子・平田オリザ・彬子女王・大隅良典の4名。

このうち、平田オリザさんの出た第6回は聴きに行った。
http://matsutanka.seesaa.net/article/449424237.html

(池田)女の幸せというものもなければ、男の幸せというものもない。あるのは「自分の幸せ」だけ、幸せというのは絶対的な主観だと信じていましたね。
(平田)ファストフードのマニュアルは、多民族国家におけるコミュニケーション手段の結晶のようなものです。
(彬子)ある時議論をしていた友人に「自分はこう思っているけれど、アキコの意見も面白かったよ」と言われたことがあります。その時、反対意見を述べるのは私の意見を否定しているのではなく、会話をするための手段のひとつなんだと理解することができました。
(大隅)「知る」と「わかる」は別物です。素朴に「あれ?」と思う心を持つと、いろいろなことが実に楽しく見えてくるのではないかと思っています。

それぞれの講演も興味深いし、永田さんとの対談も面白い。十代・二十代の人には特にお薦めです。

2018年2月20日、文春新書、730円。

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2019年05月04日

「梁」96号

九州在住の歌人を中心とした同人誌。全136ページ。
29名の作品15首のほか、評論やエッセイなどの散文が充実している。

・島内景二「小野葉桜を読む―現代人へのメッセージ―」
・中村佳文「牧水の耳―渓の響き「日の光きこゆ」「鳥よなほ啼け」」
・生田亜々子「変身の刻〜石牟礼道子の短歌研究五十首〜」
・山田利博「三種の歌・夕顔の和歌―源氏物語と和歌第二十三回」
・渡邊 円「聖書とともに読む大口玲子(下)」
・吉川良登「写真短歌の魅力と作法に関する一考察」

評論は6篇。これだけ評論が載っている短歌誌はあまり見ない。

生田亜々子の評論は、作家石牟礼道子の文学的な出発となった短歌研究五十首の入選作「変身の刻」(昭和31年9月号)を取り上げて論じたもの。

よく「短歌研究五十首詠」「短歌研究新人詠」などと言われるが、当時の誌面ではどこにも「詠」がついていないので、今回は「短歌研究五十首」とする。

細かな話ではあるけれど大事なところだろう。これだけでも、信頼できる書き手であることがわかる。

雪の夜なれば乾きゆく皮膚をもつ、傷(やぶ)れつゞけしにんげんの裔
扉にてもつれしわれを抜けしとき風がもちゆきしごとき分身

生田は誌面に掲載された全14首を読み解いた上で、『苦海浄土』などの作品に見られる「石牟礼独自の最大の特徴とも言える筆致と同じものがこの短歌研究五十首入選作からもすでに読み取れる」と記す。

ちょうど「塔」4月号の65周年記念評論賞でも、「石牟礼道子『錬成所日記』の第二次世界大戦終戦前後の短歌を考察する」(河原篤子)という応募作を読んだところだったので、石牟礼と短歌の関わりに興味を覚えた。

2019年5月1日、現代短歌・南の会、1500円。

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2019年05月03日

吉川宏志歌集 『石蓮花』 (その2)


髪垂れてむすめの眠る部屋に入りスティック糊をちょっと借ります
早春の道に小さく足縮め花より先に死にし蜜蜂
児洗(こあらい)というバス停の過ぎゆけり百済伝説残りいる道
舟二つすれちがうほどの川にしてすれちがうなら木の軋む音
病むひとは遠くに粥を食べており少し残すと朝(あした)の雨に
二(ふた)しずくずつ減ってゆく目薬のわずかとなりぬ夜の机に
幼な子が顔を出したり見つめれば座席の裏にひゅっと沈みぬ
窓に付くしずくしずくに灯の入りて山裾の町にバスは下りゆく
命なき母のからだに下がりたる尿袋(にょうたい)へ朝の光はとどく
死ののちに少し残りし医療用麻薬(フェンタニル) 秋のひかりのなか返却す

1首目、口語の「ちょっと借ります」がいい。娘に話し掛けている感じ。
2首目、「足縮め」という描写や「花より先に」という把握が決まっている。
3首目、「バス停を」ではなく「バス停の」。車窓を過ぎてゆくバス停。
4首目、川幅の表現が独特。すれ違う舟の動きが見えてきそうな歌だ。
5首目、「遠く」は心理的な遠さだろう。食欲がなくて全部は食べられない。
6首目、わずか二滴ずつではあるが、それでも確実に減っていく。
7首目、電車の前の席に座る子ども。「ひゅっと」に動きが見える。
8首目、車窓に付いた雨粒の一つ一つが町の灯を映しているのだ。
9首目、母の亡くなった朝の光景。生きていた証のように尿袋がある。
10首目、もう使うことのない痛み止めの麻薬。それを返却する寂しさ。

2019年3月21日、書肆侃侃房、2000円。

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2019年05月02日

吉川宏志歌集 『石蓮花』 (その1)


現代歌人シリーズ26。
2015年から2018年までの作品を収めた第8歌集。

パスワード******と映りいてその花の名は我のみが知る
赤青の蛇口をまわし冬の夜の湯をつくりおり古きホテルに
みずからに餌を与える心地して牛丼屋の幅に牛丼を食ぶ
初めのほうは見ていなかった船影が海の奥へと吸いこまれゆく
その命うしなうときに青鷺の脚はそのまま骨となるらむ
かまぼこの工場裏を歩みおり風やみしとき魚臭ただよう
遠くから見る方がよい絵の前に人のあらざる空間生まる
水に揺れる紅葉見ており濃緑(こみどり)のときも映っていたはずなのに
海の場面に変わる映画のひかりにて腕の時計の針を読みおり
金網は海辺に立てり少しだけ基地の中へと指を入れたり

1首目、記号を使った歌。アスタリスクの形を花に見立てたと読む。
2首目、赤がお湯で青が水。うまく調整しないと良い湯加減にならない。
3首目、「幅に」がポイント。カウンター席一人分の幅。
4首目、上句がいい。どこから来たのか、気付いたら既に見えていた船。
5首目、肉がなく骨が剝き出しになった脚であるという発見。
6首目、かまぼこの原料は魚。風が吹いている時にはあまり臭わない。
7首目、絵の前がぽっかり空いている光景が面白い。
8首目、青々と葉が茂っている時期には川に映っていることに気付かない。
9首目、スクリーンが明るくなって腕時計の針が見えるのだ。
10首目、沖縄の米軍基地の金網。指が基地へと侵入している。

2019年3月21日、書肆侃侃房、2000円。

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2019年05月01日

大逆事件

「大逆事件」と言うと普通は1910(明治43)年の幸徳秋水ら12名が死刑になった事件を指すが、戦前に大逆罪に問われた事件は他にも3つある。

 1923年 虎ノ門事件(難波大助が死刑)
 1925年 朴烈事件(朴烈は死刑判決後に恩赦で無期懲役、
        金子文子が獄死)
 1932年 桜田門事件(李奉昌が死刑)

これらはすべて、当時の刑法第73条「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」に該当するとされた事案だ。

おととい、お茶の水女子大学附属中に包丁が置かれた事件で、56歳の男が逮捕された。この男は戦前だったらどんな処罰を受けただろうか。

悠仁さんは皇孫(天皇の孫)ではあるけれど皇太孫(皇嗣、かつ天皇の孫)ではない。ということは刑法第73条には当てはまらない。

調べてみると、刑法第75条に「皇族ニ対シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ処シ危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期懲役ニ処ス」とあった。この条文のうち「危害ヲ加ヘントシタル者」に問われた可能性はある(危害を加える意図はなかったと思うが)。その場合は無期懲役だ。

今回も当然、建造物侵入や銃刀法違反の罪にはなるけれど、相手が誰であったかということで処罰の大きさは変らない。そこが戦前との大きな違いである。
posted by 松村正直 at 09:35| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする