2017年10月31日

明日から11月


さよならハロウィン!

posted by 松村正直 at 23:40| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

「高安国世・高安醇 父と子作品集」出版記念展


先週、京都のギャラリー白川で、「高安国世(短歌)・高安醇(絵画)父と子作品集」出版記念展を見てきた。高安醇の絵画15点に高安国世の短歌がそれぞれ1〜4首添えられて展示されている。

絵を見て歌を詠んだ場合、どうしても絵と歌が近すぎたり、歌が絵の説明に終わってしまったりすることが多いのだが、今回の企画はもともと別に作られた二人の絵と歌を取り合わせて構成されている。だから、絵と歌の距離感が絶妙で、互いをうまく引き立て合っているように感じた。


  P1050945.JPG

作品集は1冊1500円。
展覧会の会期は11月5日まで。

昨年、同じギャラリー白川で「高安醇新作展 色彩の中のイタリー」でを見た時に、かつては完全な抽象画であった絵にかなり現実の風景が入り込んできていることに驚いたのだが、今回の企画にもそうした変化が反映しているようだ。

ギャラリーの池田真知子さんは作品集の初めに次のように書いている。

醇の作風が2015年頃から変わり始めた。それまで「光」や「風」のような形の無い物をテーマに色面構成の強い抽象画を多く描いてきた彼が、身近な自然や風景を独特な色彩感覚で柔らかく描き始めたのだ。その絵を描く眼差しに、父である国世の晩年の短歌と通じるものを感じた私は、短歌と絵とジャンルは違うけれど、父と子二人の芸術家の作品を本にして広く知ってもらいたいと思うようになった。

高安醇さんは今年で73歳。
芸術や表現というものは、何歳になっても終わりがないのだということを強く思った。

posted by 松村正直 at 08:03| Comment(4) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月28日

「塔」2017年10月号(その2)


 怒鳴り合う声壁ごしに聞きながら冷やしうどんにちぎる青紫蘇
                        佐藤涼子

マンションの隣りの部屋から聞こえる喧嘩の声を聞きながら、食事の支度をしているところ。「ちぎる」という動詞の選びに作者のやるせない心情が滲む。

 抱擁は苦しむかたち 波打ってシャツに張り付く男の背中
                        竹田伊波礼

「抱擁」と言うと普通は喜びや満足のイメージがあるのだが、それを「苦しみ」と捉えたのが秀逸。「波打って」に強く激しい抱擁の様子がよく出ている。

 おまへとは妻よりも長い仲なりき口の開きし山靴を捨つ
                        益田克之

独身時代から愛用していた登山靴。最後にしみじみと語り掛けるようにして捨てる場面。「山靴」という言い方が山に慣れている人の感じを伝えている。

 もういない人ばかり思い出すことの、水を含んだ口が涼しい
                        川上まなみ

三句を「の、」でつなぐ短歌ならではの文体。結句の「涼しい」がいい。水の冷たさとともに記憶の持つ清涼感のようなものが伝わってくる。

 ひとつづつさくらんぼに種 ひとりづつひとは向き合ふ種のをはりに
                        栗山洋子

さくらんぼは一つの実に一つの種が入っている。一連の流れの中で読むと、三句以下は人生の終わりに一人で向き合うというイメージなのだろう。

 長雨のあとの夏空はればれとフェイスブックを今日やめました
                        垣野俊一郎

初・二句が「はればれと」を導く序詞になっている。おそらく煩わしいことの多かったフェイスブックを、晴れ晴れとした気分で止めたのだ。

 嫌いって認めてしまえば嫌いになる絹豆腐に刃をやさしく入れる
                        魚谷真梨子

感情は口に出したりして自分で認めてしまうと、決定的なものになってしまう。「絹豆腐」の柔らかな質感のようにさらりとやり過ごすことも大切だ。

 紫陽花を挿木で増やす休むことの増えたる祖母の広き窓まで
                        白水裕子

ベッドで過ごすことの多くなった祖母にも見えるように、紫陽花を増やしているのである。「広き窓」という言葉に明るさと優しさが溢れている。

posted by 松村正直 at 08:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月27日

「塔」2017年10月号(その1)


 水鳥のでんぐりがえしが見えている夕暗がりのきみの肩越し
                        澤端節子

餌をとるために水の中に潜っていくところを「でんぐりがえし」と捉えたのだ。結句「きみの肩越し」がいい。さり気なく相聞の雰囲気を漂わせている。

 体温を計るあひだに降り出して六月のこれは気持ちいい雨
                        小林真代

四句目に「これは」が挿入句のように入って来るところが面白い。「これは六月の」という語順ではダメ。雨にも気持ちのいい雨と憂鬱な雨とがある。

 口紅で決してふちどるな くれないの色のうつろう夕ぐれ時を
                        金田光世

刻々と色合いを変えていく夕暮れの空。その微妙な色彩や輪郭を縁取ってはならないと言うのだ。作者の心の何らかの感情についての話なのだろう。

 子とわれの家を行き来するタッパーにわたしの詰めるけふの赤飯
                        立川目陽子

親がタッパーに料理を詰めて子に渡し、食べ終えた子が洗って返す。そんなふうにして二軒の家を行き来するタッパー。料理だけでなく作者の心も運ぶ。

わがピアノを十五年間聞きていし母は「下手になった」と一度だけ言いき
                        山下裕美

一度だけ言った台詞が「下手になった」というのは、かなり衝撃的だ。いじわるな母にも思えるが、「十五年間聞きていし」という一番の理解者でもある。

 岩牡蠣にナイフさしこみ開くとき遠き潮をほそくこぼしぬ
                        清水弘子

上句と下句で主語がねじれている。上句は「われ」で下句は「岩牡蠣」。そのねじれに生々しい味わいがある。下句「遠き潮がほそくこぼれぬ」ではダメ。

 「藪」の字の奥に座つてゐるをみな重さは時に安らぎならむ
                        越智ひとみ

字解きの歌で「藪」の中には確かに「女」がいる。画数の多い重そうな漢字の中に、むしろ安らいでいるように見える。生活にも当て嵌まることなのだろう。

 コンクリの壁よりふいに出できたる蝶は壁から離れずに飛ぶ
                        松塚みぎわ

「コンクリの壁より」がいい。壁に目立たずにとまっていたのだろうが、壁の中から抜け出て来たような感じがする。「壁から離れずに」もよく見ている。

posted by 松村正直 at 08:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

ハロウィン


ハロウィンが苦手だ。

10月になると至るところにカボチャとかお化けとかコウモリとか三角帽子が溢れて、気持ちが落ち着かない。「Happy Halloween」とあるのを見ても、何がめでたいのかわからない。

 ハロウィンを流行らさんとする勢力をふかく憎みて釣り銭を受く
                      『風のおとうと』

せめて、家の中だけでもハロウィンと無縁に過ごしたいと思うのだけれど、そうもいかない。パソコンにもテレビにも新聞にもハロウィンが溢れている。

そればかりか、生協の宅配で届いた買物の品にも、ハロウィンは紛れ込んでいるのだ。

  P1050942.JPG

ああおそろしや、おそろしや。
ハロウィンのなかった頃ののんびりとした10月が懐かしい・・・。

posted by 松村正直 at 06:11| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

変奏曲


水底にさくら花咲くこの暗き地上に人を抱くということ
                   永田和宏『黄金分割』1977年

満開の桜の花が川面などに映っているのだろう。そんな春たけなわの抱擁の場面。われわれが生きるこの地上を「暗き」と捉えたのが印象的だ。初句の「水底」と響き合うし、暗さを出すことで桜や抱擁の持つ生命力がより鮮やかになる。

この一首は、山中智恵子の歌を踏まえているのではないだろうか。

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて
                   山中智恵子『みずかありなむ』1968年

「さくら」「さくらばな」、「この暗き」「この冥き」といった言葉の対応、桜と人の取り合わせなど、共通点が多い。そして何より、『みずかありなむ』は永田にとって大切な一冊であったのだ。

先月刊行された永田の『私の前衛短歌』に、「はじめて読んだ歌集―山中智恵子『みずかありなむ』」という文章が載っている。初出は「歌壇」1999年4月号。

永田は大学3回生の冬(1969年〜70年)の大学闘争の頃を振り返って、次のように書く。

 山中智恵子の『みずかありなむ』に出あったのは、そんな時期であっただろうと思う。夜を外で過ごすのは少しきつくなってきた十月も終わりに近い頃だっただろうか。京大短歌会の先輩から借りたものだった。(・・・)
 そんなある朝、借りていた山中智恵子の歌集を写しにかかった。一首一首、丁寧に写していく。

『みずかありなむ』は永田が一首一首全部ノートに書き写した歌集であった。「一首一首撫でるようにゆっくり書き写し、一巻の量を惜しむようにして書き終える」とも記している。

そうしたことを踏まえて読むと、冒頭の永田の一首は山中作品の変奏曲のようにも思われるのである。

posted by 松村正直 at 09:55| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

第20回「あなたを想う恋の歌」締切迫る!


第20回「あなたを想う恋の歌」の作品募集の締切が近づいてきました。
締切は10月31日(当日消印有効)
http://www.manyounosato.com/

最優秀賞(1首)は10万円、優秀賞(3首)は3万円、秀逸(10首)は1万円。
しかも、投稿料は無料!
ネットからも投稿できます。

皆さん、ぜひご応募ください。

posted by 松村正直 at 21:57| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

永田和宏歌集 『黄金分割』


永田さんの第2歌集『黄金分割』を読む。
何度目になるだろう。それでも新たな発見がある。

今いわば――、否言わざればキャラメルの箱に天使はにこやかに堕つ

森永ミルクキャラメルの歌を発見。
マイ・コレクションに加えておこう。


  P1050941.JPG

わが家にある『黄金分割』は吉田漱さんの蔵書だったようで、扉に謹呈の宛名が入っている。それと、一筆箋に書かれた永田さんの手紙も入ったままだ。

この歌集が出た頃の永田さんは、年譜によれば「子供を二人持った無給の研修員」という身分であった。『黄金分割』の栞に書かれた高安国世の文章は、そのことに触れている。

それもどこかの大学に安定した地位を得た上での研究生活というのでなく、よそ目にもはらはらするような生活の基礎の上に立って、いわば捨身とか背水の陣とかという言葉を思わせる生き方をしながら(・・・)
(・・・)妻子をかかえ、安定のない生活をしながら歌に命を賭ける、ということを一般的に受け取っても、それは容易でない日々の苦闘を予感させる。

永田和宏30歳の姿である。


posted by 松村正直 at 23:36| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月22日

講演「啄木の現代的な魅力」


昨日は「平成29年度 堺市民芸術祭 堺短歌大会」で
「啄木の現代的な魅力」と題して講演をした。

「一.啄木は女々しいか」
「二.日常の歌はつまらないか」
「三.啄木の歌は素朴か」

という内容で70分ほど。
会場のの皆さんが熱心に聴いて下さったおかげで、最後まで
のびのびと話をすることができたように思う。

ありがとうございました。

posted by 松村正直 at 08:55| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

雨垂れ


秋の長雨と言うのだろうか。
このところ雨が降り続いている。
週明けには台風もやって来るらしい。

雨垂れはいつまで続くしたひたてん、したしたしたしたしたひた、てん
                    河野裕子『歳月』
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫(まつげ)と睫とが離れて来る。
                    釈迢空『死者の書』
たんたらたらたんたらたらと
雨滴(あまだれ)が
痛(いた)むあたまにひびくかなしさ
                    石川啄木『一握の砂』

明日は堺短歌大会で「啄木の現代的な魅力」と題して講演をする。
明日も雨かな。

posted by 松村正直 at 23:04| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

現代歌人集会秋季大会


12月3日(日)に京都で現代歌人集会秋季大会を開催します。尾崎左永子さんを招いてお話を聞くほか、大辻隆弘理事長の基調講演、現代歌人集会賞の授与式(大室ゆらぎ歌集『夏野』)などを行います。

参加費は1500円(当日払い)。どなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越しください。懇親会もあります。

kajin-shukai-autumn1 2017.png

kajin-shukai-autumn2 2017.png

posted by 松村正直 at 19:55| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月16日

今後の予定


下記の歌会やイベントに参加します。
お近くの方は、どうぞお越しください。

・10月21日(土)堺短歌大会 講演「啄木の現代的な魅力」
・12月2日(土) クロストーク「絵画と短歌」(大阪)
・12月3日(日) 現代歌人集会秋季大会(京都)
・12月10日(日)「塔」滋賀歌会
・1月28日(日) 「塔」和歌山歌会
・3月24日(土) 「塔」宮崎歌会

よろしくお願いします。

posted by 松村正直 at 20:32| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

「現代短歌」2017年11月


中西亮太さんの評論「誰が桐谷侃三だったのか」が12頁にわたって掲載されている。

これは、すごい。短歌史における定説を覆す新資料の発見と、地道な裏付けに基づく緻密な論考である。桐谷侃三に興味がある方も、名前は聞いたことがあるけど・・・という方も、誰それ?という方も、ぜひお読みください。1940年当時の短歌をめぐる状況がありありと甦ってくる内容となっています。

こうした優れた評論を載せることは、短歌雑誌の大事な役割と言っていいだろう。

posted by 松村正直 at 08:36| Comment(4) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月13日

「ととと」 5号


白石瑞紀・永田愛・藤田千鶴の3名によるネットプリント。A3判×2枚。

10首×3名の短歌と、永田さんの「愛の一首」、藤田さんの童話「とびらひらく」、白石さんの「うろうろ☆MUSEUM」が載っている。

今回は9月9日発行ということで、月に関する歌が多かった。

 いつまでも冷めないスープとろとろの月の煮込みを蓮華にすくう
                         藤田千鶴
 もうすこし待てばかなうというように叶(かなう)のなかに十字架はある
                         永田 愛
 静かなる水面に月の道はありたましひならば行けるだらうか
                         白石瑞紀

1首目、「月の煮込み」という表現から、フカヒレのスープをイメージして読んだ。身体の芯まで温まる美味しさ。
2首目、「叶」という文字の中の「十」を「十字架」と捉えた歌。「かなう」ことを祈る歌であるが、むしろ叶わない悲しみが感じられる。
3首目、湖や池に真っ直ぐにのびている光の帯。その先にはいったい何があるのか。身体は行けないが、魂はそこをたどって行くのだ。

2017年9月9日、モノクロ40円、カラー120円。


posted by 松村正直 at 09:59| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

「ぱらぷりゅい」


関西在住の女性歌人12名による同人誌。
参加者は、岩尾淳子、江戸雪、大森静佳、尾崎まゆみ、河野美砂子、沙羅みなみ、中津昌子、野田かおり、前田康子、松城ゆき、やすたけまり、山下泉。
「ぱらぷりゅい」はフランス語で傘のことらしい。

全員の連作12首と、互いの第1歌集の批評、年表、歌会記など盛り沢山な内容となっている。全88ページ。山階基の手になる装幀・デザインも素敵だ。

 山火事のようだ怒りは背中からひたりひたりと夜空をのぼる
                        江戸雪
 紫陽花の重さを知っているひとだ 心のほかは何も見せない
                        大森静佳
 文学を解する猫は眠りをり陽のうつろひを鼻に感じて
                        野田かおり
 彗星と細字で書けばペン先に夜の光の集まり始む
                        前田康子
 さやうなら薄い衣をまとはせて金の油へ鰯を放す
                        松城ゆき
 ざんねんな探偵としてわれはわれに雇われいたり今日も推理す
                        山下泉

1首目、怒りの激しさや身体感覚がよく伝わってくる。何とも怖い。
2首目、下句がおもしろい。「心は見せない」なら普通なのだが。
3首目、下句がいかにも眠っている猫という感じがする。
4首目、「彗星」には横線がとても多いので、丁寧に書いている感じ。
5首目、鰯の天ぷらを作っているだけなのだが、歌にすると美しい。
6首目、あまり有能な探偵ではないのだろう。問題は解決できないまま。

2017年9月18日、500円。

posted by 松村正直 at 10:05| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月11日

大室ゆらぎ歌集 『夏野』


「短歌人」所属の作者の第2歌集。
2010年から17年までの歌265首を収めている。

蓮の骨浅く沈めて澄みわたる冬しづかなる水生植物園
飛ぶ鳥のつばめも落ちて死にゐたり砂のくぼみに脚をのばして
鋤き込まれて真黒き土にきれぎれに混じる花びらコスモスのはな
蔓草に口のうつろを探らせて喉の奥まで藪を引き込む
月しろが窓から窓へ移る間(ま)を眠りながらにわが額(ぬか)暗む
白鷺と青鷺一羽づつがゐて青鷺は白鷺の影のごとしも
川土手にジグソーパズルは燃やされてジグソーパズルのかたちの灰は残りぬ
石棺のあとに窪みは残りゐてそこにをりをり溜まる雨水
石鹼でよくよく洗ふ生きてゐるだけで汚れてしまふからだを
蚊柱に入りて出づれば以前とはいくらか違ふわれとはなりぬ

1首目、枯れた蓮の茎を「骨」と詠んだところが美しい。
2首目、上句だけだと観念だが、下句の具体・観察がそれを支えている。
3首目、コスモスのピンクや白などの淡い色と「真黒き土」との対比。
4首目、野辺に朽ちてゆく自分の身体をイメージした歌。何とも生々しい。
5首目、一晩の間に月光が射す時間帯と射さない時間帯がある。「眠りながら」なので自分では見えないはずの場面だ。
6首目、シンプルな構図の、見立てが面白い歌。
7首目、四句が12音もある。字余りを承知で「かたちの」を入れている。
8首目、古墳のなかの光景だろう。死者の存在が今に生きている感じがする。
9首目、何もしなくても汚れるのだという発見。
10首目、感覚の不思議な歌。入る前と後とで何かが違っている。

こうして見ていくと、全体に死のイメージが濃厚な歌集だということがわかる。

2017年7月18日、青磁社、2500円。

posted by 松村正直 at 16:36| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

うたの泉


10月7日の河北新報の「うたの泉」で、本田一弘さんに歌を引いていただきました。ありがとうございます。

秋雨の重さは傘ではかるもの 雨の重さを傘はよろこぶ

第3歌集『午前3時を過ぎて』の一首です。

http://www.kahoku.co.jp/special/spe1174/20171007_01.html

posted by 松村正直 at 18:17| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月08日

週末のこと


10月6日(金)
 京都→朝日カルチャー芦屋教室→フレンテ歌会(西宮)→東京(宿泊)
10月7日(土)
 某短歌大会予選会(中野)→大学時代の友人と20年ぶりに夕食(新宿)→
 父の家(川崎、宿泊)
10月8日(日)
 斉藤マサヨシ写真展「サハリンに残された日本」(名古屋)→「塔」東海歌会、
 夕食会→京都

たくさんの人と会った3日間だった。
 
posted by 松村正直 at 22:58| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

さいとうなおこ著 『子規はずっとここにいる』


副題は「根岸子規庵春秋」。
子規に関する短い(3ページ程度)のエッセイ34篇と座談会「遠くて近い正岡子規」を収めた一冊。

著者のさいとうさんは「未来」の選者を務める歌人であるが、一般財団法人子規庵保存会の理事もされている。月に三回、当番として子規庵に通うほか、展示資料を探して子規の故郷である松山を訪れたりもしているとのこと。

子規庵は2年前に訪れたことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/413885492.html

建物自体は戦後の復元であるが、かつて子規が暮らした空間が多くの方の尽力によって残されているのは本当に貴重なことだと思う。

2017年9月19日、北冬舎、1200円。

posted by 松村正直 at 07:38| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

「歌壇」2017年10月号


特集は「覚醒する子規―生誕一五〇年」。

三枝ミ之と長谷川櫂の対談「子規が遺したもの」が非常に面白い。子規の俳句・短歌史における位置付けの変更を迫るものだ。

印象に残った発言をいくつか引いてみよう。

子規は実は近代俳句なり近代短歌の創始者ではなくて、中継者だったのではないかという考え方です。(長谷川)
だけど茂吉は子規に行く。あれ、なぜだろう。一つは、子規と茂吉の共通点が一高文化で(三枝)
(芭蕉と一茶の)有名な二つの俳句を比べると「かはづ」から「かえる」に変わっている。これはすごいことだ。(三枝)
晶子は江戸時代の歌謡や狂歌を栄養源としていたので、漢語や俗語の使い方がかなり自由になっている。(三枝)
方法論を提示した子規や虚子は、ある意味で自分が唱えた方法論から自由でいられる。(長谷川)

どれを取っても刺激的で示唆に富む発言ばかり。こうした歴史の捉え直しがあってこそ、新たに特集を組む意味があるというものだろう。

posted by 松村正直 at 00:07| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

橄欖追放


東郷雄二さんのウェブサイト「橄欖追放」に歌集『風のおとうと』を取り上げていただいた。
http://petalismos.net/tanka/kanran/kanran219.html

一首一首の丁寧な読みに加えて、「日常の中に潜む不穏」「ただごと歌」などの観点や「季節は秋が多く時刻は夕暮れが多い」という指摘などがあり、とても有難い内容であった。

東郷さんにはこれまでも、『駅へ』『短歌は記憶する』『午前3時を過ぎて』について書いてもらったことがあり、歌づくりに悩んだ時などに読み返したりしている。
posted by 松村正直 at 14:20| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

「鴨川短歌」


田島千捺、牛尾今日子、橋爪志保、濱田友郎、土岐友浩の5名による同人誌。連作10首×5名と合評「わたしの好きな一首」が載っている。

途切れつつながい工事の音がしてせつなく終わる昼過ぎにいた
                       田島千捺

断続的に聞こえていた工事の音が止んだ後の空虚感のようなもの。休日の自分の部屋で一人ぼうっとしているのだと思う。

駅までの長い夕陽を浴びながら歩かせている夏のからだを
                       牛尾今日子

「歩いている」ではなく「歩かせている」が面白い。身体と心が少し離れている感じ。「長い」は影の長さでもあり、道の長さでもある。

じょうろじゃなくてあれでカレーを出す店と、言いつつきみの形どるあれ
                       牛尾今日子

確かによく見かけるのに名前は知らない。調べてみるとカレーソースポットなどと呼ぶらしい。二人のやり取りが目に見えるようだ。

目を閉じてまぶたの裏に見とれてる 根が水を吸うように泣きたい
                       橋爪志保

目をつぶって涙を堪えているのか。下句の比喩が魅力的。切羽詰まった泣き方ではなく、健康的で自然な感じの泣き方ということだろう。

シャープ・ペンシルで描かれるほおづきの朝は美しさの庭だった
                       濱田友郎

三句の「ほおづきの」は「ほおづきのように」という意味で受け取った。輪郭のくっきりした感じがする朝の庭の美しさ。

回想の出町柳は寒すぎてあなたは白いティペットを巻く
                       土岐友浩

ティペットはふわっとした肩掛けのこと。その場面を思い出すたびに、あなたよりも「白いティペット」の印象が甦ってくるのだろう。

合評「わたしの好きな一首」は、それぞれが挙げた好きな歌について全員で話し合っている。Skypeのやり取りが元になっているので、同じ人の発言が何回も続くことがあって最初は戸惑ったが、慣れると大丈夫。

濱田: 韻律は、歌のインナーマッスルみたいな感じで、隠れて活躍している。みたいな感じでいてほしいですよね
牛尾: でもなんというか、最近はそこまでほむほむのパラダイムで歌評をしようという志向はみんな無さめですよね

五名の読みの深さとともに、互いに信頼して何でも話せる関係であることが伝わってくる。中でも濱田さんの発言は抜群に楽しくて、反射神経やネーミングのセンスの良さを感じる。こういう人が一人いると歌会は盛り上がるだろうな。

2017年9月18日、200円。

posted by 松村正直 at 20:25| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

釧路北陽高校の校歌


P1050938.JPG

北海道新聞で9月4日から26日まで12回にわたって、「『校歌』物語 釧路北陽高校」という連載があった。

釧路北陽高校の校歌は、あまり知られていないが元になった歌がある。かつて、樺太・敷香(しすか、ポロナイスク)にあった敷香高等女学校の校歌(土岐善麿作詞・乗松昭博作曲)だ。

以前、『樺太を訪れた歌人たち』に善麿が校歌の作詞をするに至った経緯を書いたことが縁で、北海道新聞社の椎名智宏さんの取材を受け、今回の連載記事も送っていただいた。

連載記事を読むと、土岐善麿や乗松昭博、さらに現在の校歌の作詞をした沖口三郎(釧路北陽高校の初代校長で俳人)について非常に詳しい話が出てくる。

何十年前の出来事であっても、手を尽くして調べれば実にいろいろなことがわかるものなのだ。プロの新聞記者の調査力・取材力に強い感銘を覚えた。

posted by 松村正直 at 12:42| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

カルチャーセンター


大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
  A組 10:30〜12:30
  B組 13:00〜15:00
   *奇数月を松村が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作(A)」 毎月第3金曜日 11:00〜13:00
 「短歌実作(B)」 毎月第3金曜日 13:30〜15:30
   *偶数月を松村が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーセンターイオンタウン豊中緑丘 06−4865−3530
 「はじめての短歌」
  毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンター京都 de Basic. 075−254−2835
 「はじめての短歌」
  毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00
posted by 松村正直 at 23:00| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする