2017年07月31日

日本語文法と短歌


「角川短歌」に書いた歌壇時評「日本語文法と短歌」について、「塔」の短歌時評で花山周子さんに、さらに東郷雄二さんにも「橄欖追放」で触れていたただきました。ありがとうございます。

松村正直「日本語文法と短歌」(「角川短歌」2017年2月号)
花山周子「歌を死なせては元も子もない」(「塔」2017年7月号)
東郷雄二「日本語の「現在形」について」(「橄欖追放」第214回)

口語短歌の読みが深まるきっかけになればと思っています。

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2017年07月30日

仲村清司・藤井誠二・普久原朝充著 『沖縄オトナの社会見学R18』



三人で沖縄の街歩きをしながら、地元の人しか知らないような名所や穴場を紹介するガイドブック。「那覇編」「普天間編」「コザ編」「金武・辺野古編」「首里編」という構成になっている。タイトルに「R18」とあるが、別に怪しげな本ではなく、いたって真面目な内容である。

普久原 そば粉を使っていないのに「そば」と称しているものだから、復帰後にまぎらわしい名称ということで公正取引上の問題になったことがあるそうですね。
普久原 武田五一の設計した戦前の旧那覇市庁舎の建っていた街路は、旧那覇市でも一番の繁華街だったのですが、実は、その街路にもすずらん灯がともっていました。
藤井 沖縄では酒税軽減措置が復帰特別措置法で定められています。酒税は泡盛で三五%、ビールで二〇%軽減されているんですね。
仲村 基地埋め立てを巡って問題になっている海側を見るのも重要ですが、こういう地元の人々の生活空間の成り立ちも見た方がいいと思う。
仲村 首里と那覇は点で考えるのではなくて、線として考えると、歴史的な意味が浮き上がって見えてきます。

琉球王朝時代の話に加えて、特飲街(特殊飲食街)やAサインバー(米軍公認の飲食店・風俗店)などの痕跡も詳しく紹介されており、沖縄の歴史が重層的に浮かび上がってくる。

世代も出自(大阪生まれのウチナーンチュ二世、愛知生まれの沖縄好き、沖縄生まれ沖縄育ち)も専門もバラバラな三人だからこそ、面白い話になるのだろう。それぞれの持ち味やものの見方が見事なバランスを生み出している一冊だ。

2016年5月8日、亜紀書房、1600円。

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2017年07月28日

栗木京子歌集 『南の窓から』



副題は「短歌日記2016」。

2016年1月1日から12月31日まで、ふらんす堂のホームページに連載された366首を収めた第9歌集。

 冬の日の聴力検査 海に降る白ききらめき身に感じつつ
 赤は黄を、あるいは青を生むことを墓前の炎見つつ知りたり
 火口湖の遠きかがやき宿りたり卓のめがねに夕日の差せば
 翅をもつ性ともたざる性ありて保育園児ら苑にあそべり
 さかしまに顔ふたつありとらんぷのハートのジャックは真横を向きて
 ものの影めくれあがりて炎(も)えむとす夏の地平に日の沈むとき
 内部より出でたるものはなまなまし桜桃のたね皿に光りて
 一周忌の友の墓前に集ひ来ぬ手書きの地図をもちてわれらは
 汽車の窓並ぶがごとしほの暗き画廊に銅版画の飾られて
 竹群の竹濡れてをり隣り合ひつつも触れてはならぬものある

1首目、目を閉じて一心に音を聴いている時の体感とイメージ。
2首目、亡き人を思いつつ、蠟燭の火をじっと見つめているのだ。
3首目、眼鏡のレンズに映る夕日から火口湖への連想が美しい。
4首目、「男」「女」という語を言わないことで、性別というものを考えさせる歌。
5首目、絵柄の顔の向きにはそれぞれ意味がある。真横を向いているのはハートとスペードのジャック、そしてダイヤのキングだけ。
6首目、上句の表現に力がある。まるで原爆が落ちる瞬間のようだ。
7首目、桜桃の外側はあんなにつやつやとしてきれいなのに。
8首目、「手書きの」がいい。親しかった人たちだけの集まりという感じ。
9首目、「汽車の窓」に見立てることで、画廊という空間が違って見えてくる。
10首目、竹の話から始まって、どこか恋のイメージへとつながっていく。

すべての歌に日付と詞書(散文)が付いているのだが、詞書と歌の距離が全体に近いように感じた。詞書と歌が相乗効果を発揮するまでには至っていない。

2017年7月20日、ふらんす堂、2000円。
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2017年07月27日

「塔」2017年7月号


第7回塔短歌会賞・塔新人賞の発表号。
塔短歌会賞は岡本幸緒さんの「ちいさな襟」、塔新人賞は野岬さんの「息を掬ふ」が受賞した。

 ゆうぐれの坂を知らざり領事部は午前中だけ開かれている
 「主人がね」次の話題に移るたび枕詞のように聞きおり
                      岡本幸緒
 ネクタイは太刀魚のごとひらめきて夫の灼けたる頸に巻きつく
 均一になるまで混ぜて食べてゐる 長男として育つて来たひと
                      野 岬

岡本さん、野さん、おめでとうございます!

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2017年07月26日

河野博子著 『里地里山エネルギー』



副題は「自立分散への挑戦」。

再生可能エネルギーに関する取り組みを全国各地に取材してまとめた本。例として挙がっているのは、宮城県東松島市(太陽光)、山形県庄内町(風力)、鹿児島県甑島(太陽光、蓄電池)、岩手県紫波町(木質チップ)、富山県五箇山・宇奈月温泉(小水力)。

再生可能エネルギーの利用が「地球温暖化対策」や「輸入燃料への依存度の軽減」「災害時対応」といった目的だけでなく、地方創生の手段になるとの指摘が、本書の大きな特徴だろう。エネルギーの地産地消が、町おこしの一環になり得るというのである。

現在は固定価格買い取り制度などの優遇策や補助金に頼っている部分が大きいが、再生可能エネルギーが普及して設備投資にかかる費用が安くなれば、経済的にも十分に成り立つように思われる。

2017年1月25日、中公新書ラクレ、780円。

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2017年07月25日

光嶋裕介著 『建築という対話』



副題は「僕はこうして家をつくる」。

内田樹の凱風館を建築したことで知られる著者が、自らの生い立ちや建築家になろうとした理由、建築家とはどういう仕事か、建築家として考えていることなどを述べた本。

○内田樹著『ぼくの住まい論』
http://matsutanka.seesaa.net/article/413621903.html
○光嶋裕介著『みんなの家。』
http://matsutanka.seesaa.net/article/415872677.html

読んでいて文体が独特だなと思っていたら、あとがきに、「語り下ろし」という形式で書かれたことが記されていた。編集者とのインタビューをもとにして書き直した一冊ということのようだ。なるほど。

文章に限らず、スケッチやドローイングを描いているときも、本当に集中して何かを手探りで書(描)いているときは、全体像や目的地が、はっきりとはわからない状態から出発します。鮮度の高い何か得体のしれないものに触れながら、事後的に「わかる」という感覚がつかの間だけでも得られるのだと思います。
実際に見えるモノだけではなく、その向こう側にあるかもしれない見えないものに、建築家として対処することができないだろうかといつも考えています。その内に美しさを秘めた見えない存在を、仮に「物語」と呼んでもよいでしょう。

こうした部分は建築というジャンルに限らず、多くの創作に当て嵌まることだと思う。

合気道やプリコラージュなど、内田樹の影響が少し強過ぎるかなという気もするし、ところどころ正論過ぎて鼻につく部分もある。でも、全体としては著者の建築に対する思いが率直に述べられていて、質の高い内容だと思った。

2017年5月10日、ちくまプリマ―新書、880円。

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2017年07月24日

短歌シンポジウム(福島県郡山市)


8月19日(土)に郡山で塔短歌会主催の「短歌シンポジウム」を開催します。歌合トーナメント、花山多佳子さんのミニトーク、玄侑宗久さんの講演と、盛り沢山な内容です。

どなたでも参加できますので、皆さんぜひお越しください。会費は2000円(当日支払い、学生1000円)です。

  福島シンポジウム.png
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2017年07月23日

「短歌往来」2017年8月号(その2)


特集「30代歌人の現在」より。

 ねぢれたるコースロープをほどきゆく会はなくなつたひとがゐさうで
                      楠 誓英

上句はプールでよく見かける行為だが、下句へのつながりが不思議でおもしろい。「ねぢれたる」と「会はなくなつた」が微妙に響き合う。

 白鶴は雪の味せり 立ち飲みに夜がゆっくり降りてくるころ
                      大平千賀

上句の「白鶴」「雪」という白いイメージと下句の夜の暗さが、互いを引き立て合う。「降りてくる」という動詞の選びがいい。「更けてくる」ではダメ。

 切る前のすいくわのやうな匂ひだなあ家族になつて九年目の夏
                      澤村斉美

家族にも歴史がある。今は「切る前のすいくわ」のように、瑞々しくて青臭い匂いがしているのだろう。まだ、切った後の西瓜ではないのだ。

 知覧茶のしづくとなりてわがのどに少年兵のからだかぐはし
                      柳澤美晴

知覧はかつて特攻隊の基地があった町。茶の産地としても知られている。「しづく」「のど」「からだ」「かぐはし」の平仮名が効果的。何ともすごい歌だ。

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2017年07月22日

「短歌往来」2017年8月号(その1)


特集は「30代歌人の現在」。
32名の作品12首が載っている。男女16名ずつ。

目次には「作品十首+春の季の愛誦歌」とあるが、どこかの段階で変更になったのだろう。

 その胸につめたい蝶を貼りつけて人は死ぬ海鳴りが聞こえる
                        服部真里子

「つめたい蝶」は人の魂のようでもあり、また胸の前で合掌した手のようでもある。海鳴りがあの世から呼んでいるかのように部屋にまで響いている。

 敦盛の享年ほどの幾人(いくたり)か机に伏せたるまま動かざり
                        田口綾子

平敦盛は満14、5歳で亡くなったので、この歌も中学校の教室の場面だろう。授業中に居眠りする生徒というのも、考えてみれば平和な光景である。

 西瓜畑に西瓜太りて逃げられぬこの世のあおい天井が見ゆ
                        小島なお

この世からは誰も逃げ出すことができない。追い詰められていくような圧迫感。「あおい天井」が良くて、空にも蓋がされているように感じるのだ。

 うつしみをまぶたのなかに容れこんで夜を地蔵になるわたしたち
                        吉岡太朗

上句の感覚がおもしろい。身体が丸ごと閉じた目の中へ入ってしまう感じ。そして固い地蔵に変身したかのように、静かに眠るのである。

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2017年07月21日

藤井一二著 『大伴家持』


副題は「波乱にみちた万葉歌人の生涯」。

奈良時代を代表する歌人であり『万葉集』の編纂にも携わった大伴家持の生涯を、多くの資料や歌から解き明かした一冊。

特に家持の官吏としての側面を詳しく知ることができたのが良かった。橘奈良麻呂の乱や氷上川継の乱など、多くの政争に巻き込まれながらも、晩年は従三位中納言にまで昇進している。本人の能力だけでなく、人間関係や運も味方したのだろう。

中でも、従兄弟(諸説あり)で橘奈良麻呂の乱で死んだとされる大伴池主との交流には胸を打たれるものがある。

池主は、幼少期も含め生涯を通じて家持と集いを共にする機会も多く、その性格と歌作の才を最も評価しうる立場にあった。家持の苦悩する人間関係とともに、自らの歌作に留まらず大伴氏を中心とする一大歌集の編纂にむけて情熱を傾注する家持を目の当たりにし、池主自身が家持を政局に巻き込まない方向でそこから離れる道を選んだのだと推察する。

つまり、打倒藤原仲麻呂を目指す反乱に家持を巻き込まないように、池主があえて距離を置き、それが結果的に反乱失敗後の家持を救ったと著者は見るのである。もちろん、事実がどうであったのかはわからない。ただ、難しい判断があったことだけは間違いない。

 馬並(な)めていざうち行かな渋谿(しぶたに)の清き磯廻(いそみ)に寄する浪見に
 立山にふり置ける雪を常夏(とこなつ)に見れども飽かず神(かむ)からならし
 珠洲の海に朝開(あさびら)きして漕ぎ来れば長浜の湾(うら)に月照りにけり
 朝床(あさどこ)に聞けば遥けし射水河(いみづかは)朝漕ぎしつつ唱ふ船人
 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも

『万葉集』には家持の長歌46首、短歌432首、旋頭歌1首の計479首が収められている。家持の生涯を知ることで、歌の魅力もさらに増すように思う。

2017年6月25日、中公新書、820円。

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2017年07月20日

「塔」2017年7月号(その2)


 夜道には不思議なものが落ちていて踏まれたがりのアンパンひとつ
                       山田恵子

「踏まれたがり」が個性的な表現で面白い。丸いふっくらした形状や、中にあんこが詰まっている姿が、踏まれたがっているように感じさせるのだ。

 うちのねこ、みかけんかったと尋ねおり道で出合った近所の猫に
                       大森千里

行方不明になった飼い猫を探して、道を歩く猫にも尋ねているのだ。それだけ必死になっているのだろう。初二句に「 」を使わなかったのがいい。

 利き腕のちがう娘の抱きかたと同じに出来ず赤子はぐずる
                       宮内ちさと

孫の世話をしている場面。利き腕の関係で娘さんとは抱き方が反対になってしまうのだ。そのせいなのかどうか、泣き止まない赤子に苦労している。

 遠き町の葬に列なり皆の唱ふ讃美歌を吾(あ)はただ立ちて聞く
                       野 岬

亡くなった方がクリスチャンで、その関係の参列者が多いのだろう。讃美歌を知らずに歌えない作者は、ひとり場違いな気分になっている。

 画像に見る胃の腑の粘膜きれいなり網の目のやうに血管はしる
                       千葉なおみ

胃カメラの検査をして、画像を見せてもらっているところ。普段はけっして見ることのない自分の胃の内側である。下句の描写がなまなましい。

 「風光る」という季語を目の前で見た 君のポニーテールが揺れて
                       うにがわえりも

俳句の季語としてのみ知っていた言葉を、今まさにまざまざと感じているというのだ。春の日差しに光りながら揺れる髪の毛が、何とも素敵に見えている。

 心臓をちぎり合ふほどの恋もせず敦盛草は遠き野に咲く
                       山下好美

「心臓をちぎり合ふほどの恋」という思い切った表現に驚く。平敦盛は14、5歳で亡くなったので、おそらく激しい恋を知ることもなかったに違いない。

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2017年07月19日

「塔」2017年7月号(その1)


 ムーミンの重さうな顎が揺れてゐる干されたタオルに花びらながれ
                       上杉和子

確かにムーミンの顎は下膨れで重そうだ。どんな場面かと思って読んでいくと、下句でタオルに描かれた絵だとわかる。「花びら」との取り合わせもいい。

 亡き妻の診察券はもう不要 二度と病気で死ぬことはなし
                       矢野正二郎

下句に万感の思いがこもる。病気で苦しい思いをして亡くなったのだろう。もうそういう目に遭わなくて良いというのがせめてもの慰めなのだ。

 全国の天気予報に徳島のあらねば愛媛と高知に測る
                       橋本成子

テレビや新聞で見る予報に自分の住む町がない寂しさ。結句の「測る」が面白い。愛媛と高知の平均を取るようにして徳島の天気を予測するのだろう。

 県境で気持ち切り替へ江戸川をごつとんごつとん越えて来にけり
                       立川目陽子

千葉県と東京都の県境を流れる江戸川。自宅からどこかへやって来た場面だろうか。電車で川を越える時に、別の顔の自分へと変わるのである。

 春昼の猫は耳だけ起きてゐてつぶてのやうに鳥が来てをり
                       福田恭子

目は閉じているけれど、小さな鳥が飛んで来る音をとらえて、耳が瞬時に動いたのだ。のんびりしているように見えても、動物らしさは失われていない。

 花曇り、鳥雲に入る、鰊空 春はやさしく紗をかけてゆく
                       高松紗都子

上句は三つとも春の季語。後の二つは日常的にはほとんど使わない言葉だろう。言葉のイメージが膨らんで、薄雲りの春空の様子をうまく表している。

 男ひとり玩具売り場をさまよへりでんでん太鼓を探し求めて
                       益田克行

幼い子どものために昔ながらの「でんでん太鼓」をデパートに買いに来た作者。慣れない玩具売り場で一人で戸惑っている姿が微笑ましい。

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2017年07月17日

「あなたを想う恋の歌」 募集中


今年も越前市の「万葉の里 あなたを想う恋の歌」の審査員を務めます。
現在、作品を募集中。締切は10月31日。
http://www.manyounosato.com/

投稿料は無料(!)、最優秀賞は賞金10万円(!)、HPからの応募もできます。皆さん、ふるってご応募ください。

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2017年07月15日

『山西省』の検閲のこと


「歌壇」2017年8月号掲載の島田修三「PPBの検閲」に、次のような文章がある。

途中、事前から事後検閲に変わったが、PPBの検閲制度は昭和二四年一〇月まで続く。とはいえ、例えば、この期間に刊行され、中国兵との凄惨な戦闘シーンもある宮柊二の『山西省』の歌が削除されたという話は聞かない。

占領軍による検閲についての話であるが、実は『山西省』は検閲によって原稿を没収された経緯がある。

これは既に多くの人が指摘している事実であって、例えば、今年刊行された佐藤通雅著『宮柊二『山西省』論』には、次のように書かれている。

この検閲政策は、一九四五年九月から四九年九月までつづけられ、膨大な既刊本が焚書の憂き目に会った。また、事前検閲によって改変を余儀なくされる例が続出する。改変どころか、出版自体が不許可となり、没収される場合もあった。『山西省』もそういうなかの一つだ。

この時に没収された原稿は、幸いなことにプランゲ文庫に残っており、現在では中山礼治『山西省の世界』(1998年)で読むことができる。
http://www.hiiragi-shobo.co.jp/?p=109

また、プランゲ文庫の「検閲処分を受けた一般図書、ゲラ、手書き原稿」はネットでも公開されている。
https://www.lib.umd.edu/binaries/content/assets/public/prange/censored-books-and-pamphlets_07282016.pdf

この一覧表で宮柊二『山西省』を探すと、1946年3月7日に「Manuscript」(原稿)が「Suppressed」(出版禁止)、「Withdrawn」(取り下げ)という処分を課されたことがわかる。

占領軍による検閲の実態については現在も不透明な部分が多いが、その中にあって『山西省』は最も研究が進んでいる一冊と言っていい。それを「『山西省』の歌が削除されたという話は聞かない」と書くのは、ちょっと不用意ではないだろうか。

*中西さんのコメントを受けて「これは明らかな間違いだ」という部分を削除しました。(2017.7.17)

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2017年07月14日

「ととと」4号


白石瑞紀・永田愛・藤田千鶴の3名の作品を載せたネットプリント。
A3判×2枚。
今回は7月7日の発行ということで、誰かのことを想う歌が多かった。

 ぬばたまの夜の川面は銀河ゆゑ人が立ち入るところにあらず
                    白石瑞紀 「ほたる」
 あたらしい花火にあらたな火を点すあなたの指はとてもきれいで
                    永田 愛 「火」
 貝殻のなかの螺旋に腰掛けて聴いているよう灯りちいさし
                    藤田千鶴 「音楽と夢のあわい」

札幌の居酒屋「ととと」のレポートも載っている。
「鶏と豆富と魚」で「ととと」という名前なのだとか。
「魚=とと」なのだろう。

2017年7月7日、白黒40円、カラー200円。

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2017年07月13日

文藝別冊「俵万智」


副題は「史上最強の三十一文字」。

『サラダ記念日』刊行から30年。版元である河出書房新社から俵万智のムックが出るのも感慨深いものがある。表紙の写真も『サラダ記念日』と同じポーズになっていて、センスがいい。

いろいろと載っているのだが、俵万智と穂村弘のスペシャル対談「「俵万智」になる方法」だけでも十分に元が取れる内容だ。穂村さんの分析力はやはりすごい。

 これは仮説なんだけど、究極の一首を求めるみたいな感覚が歌人のなかにはあるんだと思う。
 ネガティヴィなもののほうが詠いやすいってのは事実なんだけど、その一方で近代以降の短歌にある根本的な生命への肯定感の問題があると思うんだ。

引用だけではうまく伝わらないけれど、どちらも短歌の本質的な問題を突いていて、すぐれた短歌論になっている。

2017年6月30日、河出書房新社、1300円。


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2017年07月11日

「九大短歌」第5号


全48ページ。印象に残った歌をいくつか引く。

 共通のゲームが好きというだけの友達、母というだけの他人
                     長友重樹

「母というだけの他人」に驚く。確かに母といえども他人であるのは間違いない。下句の句割れ・句跨りがうまく働いている。

 心療内科に通うぼくたちやわらかな心の皮膚を一枚はがす
                     菊竹胡乃美

カウンセリングを受けている場面だろう。皮を一枚そっと剝がすように、少しずつ自分の心を打ち明けていくのだ。

 君の描くハートは隙間が空いていていつもわたしが少し描き足す
                     金子有旗

ハートマークの線がきちんとつながっていないのが作者には気になる。完全なハートになるように描き足すところが微笑ましい。

 部屋じゅうの鶴の群れから逃げだして飛行機になる千一枚目
                     松本里佳子

折紙で千羽鶴を折ったあとの「千一枚目」。そう言えば千羽鶴は鶴だけれども糸に吊るされて、自由に空を飛ぶことがない。

 屋根裏に額を寄せてぼくの記憶をぼくらの記憶にする双子たち
                     松本里佳子

互いの額をくっつけ合うと、記憶を共有できるのだろう。SFかオカルトみたいな発想で、笹公人さんや石川美南さんの作風を思わせる。

 東京の人はかぶってないからと駅で帽子を脱げるおとうと
                     狩峰隆希

地方から東京に出てきて、自分のファッションを恥ずかしがる弟。自分でなく弟の話だけに、より痛ましさを感じる。

他には、「牧水・短歌甲子園」経験者4名による誌上座談会が面白かった(ただし前半の互いの歌の批評はもの足りない)。現在、盛岡市主催の「全国高校生短歌大会」(短歌甲子園)と日向市主催の「牧水・短歌甲子園」の二つが行なわれているが、これは統一できないのだろうか。

2017年6月10日、九州大学短歌会、500円。


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2017年07月10日

ベルリンと樺太


『永田和宏作品集T』(第1歌集『メビウスの地平』〜第11歌集『日和』を収録)の初句索引を見ていると、いろいろな発見がある。

その一つはこれ。

  P1050758.JPG

 樺太に行きしことなし樺太と同じ緯度なるベルリンに飲む
                      『日和』

永田さんに樺太の歌があったとは!
『日和』はもちろん読んだことがあるのだが、当時は樺太に関心がなかったのでノーチェックだったのだろう。

いやいや、ぜひ樺太に行きましょう。

ヨーロッパの緯度が日本に比べて高いことは、よく知られている。
主要な都市の緯度を比較してみると、

  ベルリン・・52度
  ロンドン ・・51度
  パリ ・・・・・48度
  札幌・・・・・43度
  ローマ ・・・41度
  青森・・・・・40度
  東京・・・・・35度
  鹿児島・・・31度
  那覇・・・・・26度

といった感じになる。

樺太の緯度は45度〜54度。戦前のソ連と日本との旧国境線が北緯50度なので、ベルリンは緯度だけから言えば樺太でも「北樺太」(ソ連領)の方に位置するわけだ。

ちなみに、京都の四条通りには北緯35度の碑が立っている。

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2017年07月09日

笹原宏之著 『日本の漢字』



日本人が日常的に使っている「漢字」について、表記の多様性、俗字、国字、漢字制限、位相文字、地域文字、地名、造字など、様々な角度から分析した本。多くの実例が挙げられているので、わかりやすく説得力がある。

 「ひと」ということばを「人」と書くのと「ひと」と書くのでは、印象が異なるだろうし、「ヒト」や「他人(ひと)」と書けばさらに異なるニュアンスを与えるであろう。
 当用漢字の新字体は、戦後の創作ではない。根拠のないものではなく、実際にはほとんどすべてが、当時使われていた手書きの「俗字」を採用したものである。
 姓では「藤」が東日本では「佐藤」「斎藤」など「〜トウ」が多く、西日本では「藤原」「藤田」など「ふじ〜」が多いという分布の差も見出される。
 「淫(みだ)ら」と「妄(みだ)り」と「乱(みだ)れ」の間に、何らかのつながりを感じることが漢字の字面によって妨げられてはいないだろうか。

雑学的なこともたくさん載っているのだが、基本的には非常にまじめで学術的な内容である。特に面白かったのは幽霊文字の話。JIS漢字に含まれている幽霊文字(実在しない謎の文字)のルーツを調べて解き明かすところなど、まさに圧巻と言っていいだろう。

日本人が日本語を書くために長年にわたって磨き上げてきた日本の漢字。それに対する著者の深い愛情が伝わってくる一冊である。

2006年1月20日、岩波新書、740円。

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2017年07月08日

現代歌人集会春季大会 in 大阪


7月17日(月・祝)に大阪で現代歌人集会春季大会が開催されます。
テーマは「調べの変容〜前衛短歌以降〜」。

大辻隆弘理事長の基調講演、穂村弘さんの講演、堂園昌彦・阿波野巧也・河野美砂子・魚村晋太郎(進行)の4名によるパネルディスカッションが行われます。

参加費は2000円(当日払い)。
どなたでも参加できますが、満席になる可能性があるため、事前にお申込みいただいた方が良いです。申込先は下のチラシをご覧ください。

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2017年07月07日

短歌シンポジウム(福島県郡山市)


8月19日(土)に郡山で塔短歌会主催の「短歌シンポジウム」を開催します。玄侑宗久さんの講演など盛り沢山な内容です。どなたでも参加できますので、皆さんぜひお越しください。会費は2000円(当日支払い、学生1000円)です。

  福島シンポジウム.png

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2017年07月06日

大松達知歌集 『ぶどうのことば』

 木守(きまも)りの柿のやうにもふたりゐてまだまだねばる夜の英語科
 十二時を超えないように飲む酒の、妻が超えればわれも超えゆく
 ホッチキスはづして二枚捨てたりき海を見て海に触れざりし夜
 蒸し返すわけではないと蒸し返す生徒の親にかうべを垂れる
 たまさかにパンツの忘れ物がある男子二千人毎朝来れば
 不惑過ぎてジャングルジムに登りをり娘とゐれば〈変な人〉ならず
 マチュ・ピチュは〈老いたる峰〉を意味するとぞ、壁に向かつて便座に
 坐る
 盗まうとすれば盗める長ねぎの箱あり朝の蕎麦屋の前に
 海(カイ)といふ文字をマリンと訓ませをりそのかみにウミを訓ませた
 やうに
 降(お)りますととなりの席にささやけり相対死(あひたいじに)を迫れ
 るやうに

2014年から2016年までの作品455首を収めた第5歌集。
教師としての歌、子育ての歌、言葉に関する歌が多い。

1首目、作者ともう一人が夜遅くまで残業している場面。薄暗い部屋に2か所だけ灯りが点っている感じがする。
2首目、夜の十二時までというルールを一応課しているのだが、妻次第ではOKなのだ。
3首目、上句と下句のつながりがとても印象的。どことなく寂しさが滲む。
4首目、「○○ではないが」と言った場合、たいていは「○○」なのである。
5首目、中高一貫の男子校。パンツを置き忘れた生徒はどうしたのだろう。
6首目、小さな娘と一緒だと、何をしていても良いパパに見られるので安心である。
7首目、マチュピチュという言葉の意味に関心を持つのが作者ならでは。トイレに貼られたポスターかカレンダーに写真が載っているのだろう。
8首目、配送された長ねぎのダンボール箱。不用心と言えば不用心だが、誰も取って行ったりはしない。
9首目、昨今のキラキラネームの話。「海」という漢字(中国の文字)を「マリン」と英語で読ませるのも、「うみ」と日本語で読ませるのも、確かにやっていることは一緒なのだ。
10首目、「相対死」は心中のこと。電車やバスの二人掛けの席で通路側の人に声を掛けている場面だが、発想が何ともユニークだ。

2017年5月16日、短歌研究社、2700円。

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2017年07月05日

「樺連情報」7月号


全国樺太連盟の機関誌「樺連情報」の7月号に、5月16日に行ったワークショップ「樺太を訪れた歌人たち」の記事が載りました。

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記事をご覧になった方々から、早速、『樺太を訪れた歌人たち』の注文もあり、ありがたいことです。

本の在庫は、僕のところ(masanao-m@m7.dion.ne.jp)にも、版元のながらみ書房 https://www.nagarami.org/ にもあります。

「読んでみたら意外と面白かった」という人が多い一冊です。皆さん、ぜひお読みください。

posted by 松村正直 at 08:24| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

川本三郎著 『「男はつらいよ」を旅する』



映画「男はつらいよ」のシリーズ全48作のロケ地を訪ねて、全国各地を旅した紀行文。初出は「新潮45」2015年8月号〜2016年11月号。

訪れたのは、沖縄、柴又、網走、奥尻島、金沢、永平寺、会津若松、佐渡、別所温泉、京都、津山、備中高梁、龍野、大阪、五島列島、伊根、温泉津、津和野、鰺ヶ沢、寒河江、秋月、日田、加計呂麻島など。

「男はつらいよ」と言えば、人情、喜劇、家族、恋愛といった側面から語られることが多いが、著者の観点は少し違う。

「男はつらいよ」は旅の映画である。
「男はつらいよ」は、消えゆく日本の風景の記録映画である。
「男はつらいよ」が何度見ても面白いの理由のひとつはそこに、失われた鉄道風景が残っていることにある。
「男はつらいよ」は、喜劇映画としてだけではなく、懐かしい風景を記録したシリーズとして長く残るに違いない。
二〇〇七年に廃線になってしまった「くりでん」を「男はつらいよ」はみごとに動態保存したことになる。

シリーズ最終作「寅次郎 紅の花」(1995年)の公開から既に20年以上が経つ。町並みが変ったり、鉄道が廃止されたりしたところも多い。記録映画としての「男はつらいよ」の価値は、今後ますます高まっていくことだろう。

大学時代に「男はつらいよ」の魅力を滔々と語っていた友人は、大の鉄道マニアでもあった(卒業後にJRに就職)。「男はつらいよ」と鉄道は、切っても切り離せない関係にあるのだ。

2017年5月25日、新潮選書、1400円。

posted by 松村正直 at 22:16| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月03日

今日の朝日新聞


今日の朝日新聞朝刊の歌壇・俳壇欄に、川本千栄が「震災を詠い祈る」
という文章を書いています。皆さん、どうぞお読みください。

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posted by 松村正直 at 20:25| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「岡大短歌5」


五首連作+「岡山」エッセイ(9名+OG7名)、学年×五首連作(6名)、一首評、往復書簡、「第三回学生短歌バトル2017記」という盛り沢山な内容で、全80ページ。

 額から降りてくる手がのどを避け心臓を避けていく 冬だった
                        山田成海

恋の場面。「のど」や「心臓」に触れてほしいという思い。結句の一字空けが効果的で、鮮烈に甦ってくる感じがある。

 クラシックバレエを辞めた足先が体の前の陽に触れたがる
                        川上まなみ

立っている時につま先が無意識に動くことがあるのだろう。かつてバレエを習っていた時の名残が身体に残っている。

 瞬間を覚えていること その奥でらくだが閉じる分厚い瞼
                        加瀬はる

記憶の鮮やかさと脳の奥から甦る不思議な感じがよく表れている。下句のイメージへの飛躍が抜群に良い。

 おまえよりおまえのにおう暮れの森すすめばここが脳だと気づく
                        加瀬はる

今は目の前にいない相手なのだけれど、濃厚にその存在を感じているのだろう。襞の多い脳は、なるほど森に似ている。

 白菜の水分なのか白菜が水分なのかぼこぼこと溢れ始めた鍋を
 見まもる                  上本彩加

5・7・5・7・5・7・7という長い歌。白菜が煮えてくたくたになっていく感じがよく出ている。

 地獄へ連れてきてくれてありがとう 燃え立つ畔のかがよひを行く
                        森下理紗

「曼珠沙華(リコリス)」という一連の歌。曼珠沙華の咲いている畦道を歩いているところ。「ありがとう」が強く響く。

 この兵士は確かこのあと死ぬはずだ故郷の森を語ったあとで
                        森永理恵

かつて見たことのある映画を再び見ているところか。主人公ではないけれど、印象的な人物。故郷の思い出を話す場面の後で戦死するのだろう。

 重力のこびりついてるヒラメ筋洗ってそのまま布団に沈む
                        加瀬はる

ヒラメ筋はふくらはぎの筋肉。よく歩いて疲れているのだろう。まるで筋肉を取り出して洗っているみたいな表現がおもしろい。

 崩しても崩してもいのち箸先が死んだシシャモの腹をまさぐる
                        山田成海

題詠「ししゃも」。シシャモの腹の中にある卵の粒の一つ一つが「いのち」であることを、あらためて気づかされる。

2017年6月10日、岡山大学短歌会、400円。

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2017年07月01日

岩尾淳子歌集 『岸』


2012年から2016年までの作品354首を収めた第2歌集。

帆をたたむように日暮れの教室に残されている世界史図説
夕立のにおいのこもる路地奥の鮨屋に烏賊はすきとおりたり
目のはしにあなたの溲瓶を見ておりき山雀みたいに向きあいながら
川風が吹き込んでゆく和菓子屋の奥のちいさな庭のみどりよ
この家の隅々までを知りつくしぷつんと掃除機うごかずなりぬ
父が締め母が開いてまた締めるしずく止まらぬ栓ひとつあり
葦分けて水ゆくように制服の列にましろき紙ゆきわたる
敷石の割れ目の草を越えようとして自転車はわずかに浮かぶ
酒瓶の置き場所少し動かせば鼻を寄せ来て猫はあやしむ
全天にちからあふれてわたつみに高速艇はあぶらを燃やす

1首目、大判の教科書が置いてあるだけの場面だが、「帆をたたむように」と「世界史」が響き合う。昼間の賑やかな教室との対比も感じさせる。
2首目、上句の薄暗い感じのなかで烏賊の透き通るような白さが際立つ。
3首目、2013年に亡くなった米口實さんを詠んだ歌。「山雀みたいに」がいい。衰えていく師の姿を見守ることしかできない。
4首目、店の奥に坪庭が見えている。そこだけ明るくて、緑が鮮やか。
5首目、上句が面白い。確かに掃除機が一番よく知っているかもしれない。
6首目、パッキンが劣化しているのだろう。蛇口のことを詠みつつ、古くなる家や老いていく両親の姿も感じさせる。
7首目、教室でプリントを配っている場面。初・二句の比喩がいい。制服の紺色とプリントの白の対比が目に浮かぶ。
8首目、発見の歌。「わずかに浮かぶ」が的確な表現だ。
9首目、猫の動きがよく見えてくる。まず鼻を近づけて、様子を窺っている。
10首目、けっこうスピードが出ているのだろう。速さを言わずに「あぶらを燃やす」と言ったのがうまい。

教師生活の歌や両親の歌、阪神淡路大震災を思い返す歌などが印象に残る。日常を詠んだ歌にも落ち着いた味わいがあり、第1歌集『眠らない島』とは雰囲気が違ってきたように感じる。

2017年6月9日、ながらみ書房、2500円。

posted by 松村正直 at 08:24| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする