2017年05月08日

歌集のあとがき

以前、「塔」の全国大会で池本一郎さんにインタビューをした時、印象的な話を聞いた。(「塔」2011年11月号)

池本 『街上』のあとがきに有名なことが書かれています。受身一方でない現実のとらえ方が大事だという、それから日常の連続じゃなしに、非連続の瞬間に詩が成立するって、そういうところを大事にして、精神の抽象作用とか、表現主義的な傾向を考えていかなきゃいけないと、そういうことをはっきり宣言されてます。それが作品として一番追求されたのが『虚像の鳩』じゃないかということですね。ところが『虚像の鳩』になると、あとがきはもう全然違うことが書いてあるんですよ。もう穏やかな、自然と一致していかなきゃいけないようなね。一つ前の歌集に次の宣言をしてしまったみたいな、そんな感じが私はしてるんですけど。

松村 『虚像の鳩』の作品とあとがきとがちょっと食い違ってるということですね。

つまり、高安国世の第7歌集『街上』のあとがきに書かれている内容は、作品の上では第8歌集『虚像の鳩』に表れていて、第8歌集『虚像の鳩』のあとがきの内容は、次の第9歌集『朝から朝』に反映しているということである。

確かに、歌集に収められた作品の時期とあとがき執筆の時点とでは時差があり、あとがきを書いているのは実は次の歌集の作品を詠んでいる時期に当たるわけだ。

これは意外と盲点となっていることではないだろうか。よく歌集のあとがきを引いてその歌集の説明をする人がいるけれど、そこにはこうした時差が存在することを意識しておいた方が良いと思う。
posted by 松村正直 at 07:41| Comment(0) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする