2017年04月10日

柳田新太郎の樺太詠(その3)

続いて「小沼の夏」から。
斎藤茂吉が養狐場の見学に訪れた土地である。

 樺太特殊産業発展のための一つと若い身を研究にうち込み、もの言はぬ動物の群にたちまじり、牛酪(ばた)・チーズの製造試験から牛乳の味噌・醤油までも造り試みるといふ、この小沼農事試験所に奉職する青年の数名。遠く中央文化から離れたこの北の果の島に住みつき、生活の単調と環境の寂寥にうち克ち、孜孜として働くこれらの人びとはその名も技手(ぎて)、酬いられるものも多からぬであらうのに、何に慰む心かと訝(いぶか)り問へば、休日の魚釣りの他にまぎるるものは仕事の上の成績ただ一筋、と衒(てら)ひ気もない言葉の響き。

小沼の農事試験所で働く青年たちから話を聞いている。当時の職員の区分を見ると、「技師」「書記」「技手」「嘱託」「雇員」に分れており、「技師」は高級官吏、「技手」は下級官吏であった。

もう一つ、「アイヌ墓地」から。

 沖の漁労(すなどり)からまだ戻りつかぬか、男たちの影みせぬ多蘭泊(たらんどまり)の部落はいま夕餉支度に、薪を折り井戸に集るものみな女ばかり、門口に出て乾魚を焙る老婆の上唇にそれと肯(うなづ)く黥(いれずみ)が見えた。

西海岸の多蘭泊にあったアイヌの集落を訪れた場面である。男性は漁に出ており、女性たちが夕食の準備をしているところ。当時、アイヌの成人女性は口の周りに刺青を入れていることが多かった。
posted by 松村正直 at 06:17| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする