2016年07月31日

29歳の頃の文章

調べることがあって古い「塔」を探していたら、自分の書いた文章を見つけた。「塔」1999年11月号の「方舟」に載っている。

「塔」入会が1997年末なので、入会して2年になる頃のもの。1999年9月号に吉田健一さんが「ちょっと気の早い松村正直論」という評論を書いて下さって、それに反応して書いた文章だったのだろう。すっかり忘れていた。

「松村正直 二十九歳 フリーター」という題で、こんなことを書いている。

 喫茶店の二階席から町を見下ろすのが好きだ。窓際の席でアイスコーヒーを飲みながら、ゆうやみの青い町を眺めるのが好きだ。
 人間が歩いて行く。名前も知らない人々が、右に左に通り過ぎて行く。それは「きれいな女の人」であったり、「背の高い男の人」であったりする。あるいは「高校生の三人組」や「OL」や「サラリーマン」であったりする。「お年寄り」や「帽子をかぶった人」や「携帯電話で話をしている人」や、私とはまるで関わりのない人々が、ただ通り過ぎて行くのを見ているのは楽しい。
 あの、親子三人で手をつないでいる家族の父親が、私であっても良かった。あるいは、あの、スーツを着て忙しそうに歩いて行く会社員が、私であっても良かった。あるいは、あの、恋人と楽しそうに喋っている若い男性が、私であっても。
 けれど現実には、その誰もが私ではなくて、私はこうしてアイスコーヒーを飲みながら、ただぼんやりと町を眺めている。
 子どものいる人が子どもの歌を歌うように、恋をしている人が恋の歌を歌うように、病気に苦しんでいる人が病気の歌を歌うように、働いている人が仕事の歌を歌うように、そのように私は・・・・・・何を歌えばいいのだろう。
 ゆうやみの町は、まるで水族館のようだ。人間が魚のように流れて行く。ゆっくりと、そして静かに。私はいつまでも、それを見ている観客だ。いや、むしろ、ガラス窓の内側にいる私の方が、水槽の中の魚なのかもしれない。
 誰ひとり見られていることになど気づきもしないで、前を向いて歩いて行く。実際、私がここで見ていようが見ていまいが、こうして同じ光景が流れるだろう。私がいてもいなくても、何ひとつ町は変わりはしない。
 すっかり日は暮れてしまった。町はもう美しい青さを失って、暗闇の奥へと沈んでいる。町を行く人々の姿も見えなくなり、窓ガラスには、ただ疲れたような私の顔が映るばかり。急に不安になって、アイスコーヒーの残りを一息に飲み干すと、それは空腹の胃の中に暗くじんわりと広がってゆく。

いやぁ、何とも青臭くて気恥ずかしい。
当時は大分市のアパートにひとりで住んで、住宅地図調査のアルバイトをしていた。「フリーター的」50首で角川短歌賞の次席になったのもこの頃のこと。

46歳になった今とは全く生活環境も違うし、考え方も違う。でも、「喫茶店の二階席から町を見下ろすのが好き」という点だけは、今も変っていないなと思う。

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2016年07月30日

万城目学著 『とっぴんぱらりの風太郎』


買ったまま積んであった本を読む。
全746ページ。弁当箱みたいに厚い。
「風太郎」は「ふうたろう」ではなく「ぷうたろう」。プータロー。

伊賀の忍者の話ということで、鴨川ホルモー(京都)、鹿男あをによし(奈良)、プリンセス・トヨトミ(大阪)、偉大なるしゅららぼん(滋賀)に続いて、今度は三重の話かと思ったが、それは第1章だけ。第2章からは京都と大阪が舞台である。

これまでの作品とはだいぶ感じが違って、けっこうシリアスな内容。面白いところもたくさんあるのだが、読み終えた後はずっしりとした重みが残った。

小説のテクニックとして気づいたこと。

「Boa Sorte(ボアソルチ)、――風太郎」
黒弓が妙な言葉を唱えた。
「何だ、それ?」
「向こうの言葉で、『幸運を』っていう意味だよ」

このやり取りだけで、仲間の「黒弓」が異国から来たことがわかる。
説明を省いて会話だけで読者に伝えている。

蝉は俺より二つ年を食っている。つまり、今年で二十歳になる。

要するに主人公の俺(風太郎)は、18歳ということだ。
「俺は十八歳」と読者に向けて自己紹介するより、よっぽど自然である。

このあたりは短歌にも応用できる部分だろう。

2013年9月30日、文藝春秋、1900円。

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2016年07月29日

「塔」2016年7月号のつづき

湯浴みせしむすめのからだ拭きやればタオルに残る湿りのすくなさ
                   小林貴文

まだ小さな娘さんなのだろう。全身を拭いてやっても、バスタオルがそれほど濡れることがない。子を愛おしむ気持ちが伝わってくる。

今じゃない季節のにおい図書館の本のページをぱらぱらすれば
                   上澄 眠

前に誰かが読んだ時の季節の匂いかもしれない。本の間に密封されていた時間が再び流れ始めるような感じがする。

言ったのにメールしたのに 寝ころべば雲に寝ころぶ桜花見ゆ
                   澤端節子

何か約束をしていたのに、相手が忘れてしまっていたのだろう。ぽっかり空いてしまった時間に空を眺めると、まるで桜が雲に寝ころんでいるみたい。

「受験者は実技を終了しなさい」とテープの声に救助は終はる
                   近藤真啓

何の実技かと思って読んでいくと「救助」の実技だというところに意外性がある。実際の救助の場面だったら途中では終われないのだが。

夕立を聴きながら飲むミルクティー洗濯物は濡れてるだろう
                   内海誠二

喫茶店でゆっくりしていたら夕立の音がし始めたのだ。外に干してきた洗濯物のことを思うが、今さらどうしようもない。

何もない線路の横で手をあげて列車に乗り込むアラスカ鉄道
                   双板 葉

田舎のバスなどで時々フリー乗降区間というのを見かけるが、これは鉄道の話。人家の少ない広野に伸びる線路が思い浮かぶ。

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2016年07月28日

「塔」2016年7月号

友のもつ悩みを電話に聞きてをり金さへあれば解決するとふ
                   岩野伸子

悩みの電話を聞くのもなかなかしんどいものだ。「金さへあれば解決する」という言葉は、借金の申し込みを匂わせているのかもしれない。

春昼にパスタを巻けば菜の花はフォークの元に集まりてゆく
                   北辻千展

下句がうまい。春らしい菜の花のパスタを食べながら、作者の心はどこか浮かない様子である。ぼんやりとフォークの先を見つめている。

十五年の弟の生の証(あかし)とし一中慰霊碑にその名を残す
                   小菅悠紀子

十五歳だった弟は原爆で亡くなった。広島第一中学校の慰霊碑。遺骨も見つからなかった弟が、この世に生きた唯一の証なのだ。

妹はふたりいるけどふたりともわたしのきらいな椎茸が好き
                   空色ぴりか

一瞬、ふたりの妹のことが嫌いなのかと思って読んでいくが、そうではない。私が嫌いなのは椎茸。でも、妹との微妙な関係が感じられる気もする。

諦めることになれたるわたくしが十薬を十薬の根と引き合ふ
                   久岡貴子

「十薬」はドクダミ。庭にはびこるドクダミを抜こうとするが、なかなか抜けないのだ。下句の言い回しに味がある。まるで綱引きをしているみたい。

象のいるプールにぷかりぷかり浮く桃のやうなる糞の四・五個が
                   ぱいんぐりん

「桃のやうな」が絶妙。形と言い、大きさと言い、確かにその通り。美味しそうな桃とゾウの糞とのイメージの落差がおもしろい。

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2016年07月27日

永田和宏著 『あの午後の椅子』


「PHPくらしラク〜る」2015年1月〜12月号連載の「風通しのいい窓」、日本経済新聞2015年1月7日〜6月24日掲載の「あすへの話題」など、全69編を収めたエッセイ集。

河野裕子さん、家族、生い立ち、歌仙、本歌取り、サイエンス、きのこ・・・など、様々な話題が出てくるが、全体に統一感や流れがあるように編集されている。

このところの永田さんの文章の特徴として、「思うものである」「思わざるを得ないのである」「私は・・・する人間である」「私は・・・するものである」といった、文末に重みをつける(もったいぶった?)言い回しがあるように感じた。

東大路通りにはプラタナスの並木がある。このプラタナスにきのこが出ることは、ほとんどの人が知らないだろう。春秋二度、ヤナギマツタケという歯ごたえのしっかりした美味なきのこが出るのである。

永田さんのきのこ好きは有名だが、このヤナギマツタケの話は初めて知った。ヤナギマツタケと言えば、最近生協やスーパーでも売られていて、わが家でも大人気のきのこである。あれが、プラタナスの根元やこぶから生えているとは驚きだ。今度採りに行ってこようかな。

2016年7月10日、白水社、2300円。

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2016年07月26日

並河靖之七宝記念館

泉屋博古館に続いて、並河靖之(なみかわやすゆき)七宝記念館へ。
地下鉄の東山駅から岡崎の図書館や美術館へ行く途中にいつも見かける場所だが、中に入ったのは今回が初めて。

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「七宝」(しっぽう)とは、銅や陶磁器などの素地にガラス質の釉薬を塗って焼いたもの。鮮やかな色と艶、細かなデザイン、非常に手間のかかった工芸品である。

今回は夏季特別公開ということで、記念館だけでなく、明治27年にできた邸宅や、七代目小川治兵衛が手掛けた庭園も見ることができた。

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建物の下まで池が入り込んでいる。
水面に反射した光が軒下に揺らめいて、ずっと見ていても飽きない。

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2016年07月25日

饕餮

青銅器の展示を見ていると、説明書のあちこちに「饕餮文」(とうてつもん)という言葉が出てくる。「饕餮」をかたどった文様という意味で、「鳥文」や「龍文」などともによく使われる文様らしい。多くの青銅器に渦巻きと目のある饕餮文が刻まれていた。

饕餮と聞いて思い出すのは、高島裕歌集『饕餮の家』。

 饕餮の家こそ見ゆれ、かなしみの霧ふかき野に光る眼がある

というのが巻末の一首だ。
あとがきには

饕餮は中国古代の伝説の怪獣である。『山海経』に「その状は羊の身の如く、人面、目が腋の下にあり、虎の歯、人の爪、その声は嬰児のやう・・・これは人を食ふ」とあるのがそれだといふ。殷周期の青銅器に施された獣の文様が饕餮文と呼ばれてゐることは、よく知られてゐる。

と記されている。

というわけで、饕餮に会いたい人は泉屋博古館へどうぞ。

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2016年07月24日

泉屋博古館

京都東山の鹿ヶ谷にある泉屋博古館(せんおくはくこかん)へ。
中国の古美術を中心とした住友家のコレクションが収蔵・展示されている美術館である。

現在、「上島鳳山と近代大阪の画家たち」という特別展を開催中。

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上島鳳山の代表作「十二月美人図」は、会期の後半ということで、六月から十二月の6枚が展示されていた。「十二月 雪路」が今回見た絵の中で一番の美人。

常設展は中国の青銅器。4部屋にわたって、相当な数の青銅器が展示されている。第1室の「青銅器名品選」に展示されている「虎卣」(こゆう)は紀元前11世紀、商(殷)後期のもの。

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虎が人を食べている!のではなく、人を抱えて守っているらしい。2本の脚と尻尾で立つデザインが可愛らしく、虎というより招き猫かトトロのようでもある。

係員の方の説明によると、もともと一対のもので、もう一つはフランスにあるとのこと。調べてみると、パリのチェルヌスキ美術館に収蔵されている。
http://www.cernuschi.paris.fr/fr/collections/vase-you-en-forme-de-felin

いつか2頭の虎が出会う日が来るといいなと思う。


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なぜか顔ハメ。
顔の角度が難しかった。


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2016年07月23日

岡山のシンポジウム


  2016塔全国大会チラシ-C+5.jpg

8月21日(日)に岡山で、塔短歌会主催のシンポジウムがあります。

一般公開でどなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越しください。
会場は岡山駅西口から5分の岡山コンベンションセンターです。

今年は漫画家の池田理代子さんをゲストにお招きしています。
僕も歌合せ(5名×5名)のキャプテンとして出場します。

参加費は一般2000円、学生1000円(要学生証)。
当日、受付にてお支払いください。事前の予約等は不要です。

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2016年07月22日

虫武一俊歌集 『羽虫群』


新鋭短歌シリーズ26。

1981年生まれの作者の第1歌集。
2008年から2015年までの作品308首を収めている。

ドーナツ化現象のそのドーナツのぱさぱさとしたところに暮らす
ああここも袋小路だ爪のなかに入った土のようにしめって
よれよれのシャツを着てきてその日じゅうよれよれのシャツのひとと言われる
マネキンの首から上を棒につけ田んぼに挿している老母たち
いつも行くハローワークの職員の笑顔のなかに〈みほん〉の印字
雨という命令形に濡れていく桜通りの待ち人として
思いきってあなたの夢に出たけれどそこでもななめ向かいにすわる
ににんがし、にさんがろくと春の日の一段飛ばしでのぼる階段
目撃者を募集している看板の凹凸に沿い流れる光
ゆきのひかりもみずのひかりであることの、きさらぎに目をほそめみている

1首目、大都市圏の郊外の暮らしの様子を「ぱさぱさ」で表している。
3首目、穂村弘の「ワイパーをグニュグニュに折り曲げたればグニュグニュのまま動くワイパー」を思い出す。穂村の歌には暴力性があるが、虫武の歌はひたすら受身である。
4首目、案山子もこうなふうに詠まれると怖い。
5首目、書類の記入例などによく印字されている〈みほん〉。ハローワークの明るく無機質な雰囲気が出ている。
6首目、「雨」という言葉は、言われてみれば確かに「あめ!」という命令形みたいだ。「書け!」「立て!」「やれ!」のように。
7首目、夢の中ならせめて正面に座りたいところ。でも、それができない。
9首目、「募集している」がユニーク。街で時々見かける看板が、別物のように感じられる。

2016年6月20日、書肆侃侃房、1700円。

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2016年07月21日

渡辺一史著 『こんな夜更けにバナナかよ』



副題は「筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」。
2003年に北海道新聞社から刊行された本の文庫化。

以前、この著者の2作目『北の無人駅から』(すごい本!)について、ブログで取り上げたことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138721.html

このデビュー作もまた、すごい本であった。

進行性筋ジストロフィーでほぼ寝たきりの重度障害者と、その介助をするボランティアをめぐるノンフィクション。本を買って3年、ずっと読むのを躊躇っていたのだが、読み始めると圧倒的な力でぐいぐいと引き込まれた。

この人はすごい。

自らも介助のボランティアに参加しながら、著者は障害とは何か、介助とは何か、ボランティアとは何かについて考える。さらには、他者と関わるとはどういうことか、生きるとはどういうことなのか、といった問題へと話を深めていく。

障害者もボランティアも、決してやさしかったり、純粋なだけの人間集団なのではなく、ときには危ういドロドロとした、ひどく微妙な人間関係の力学の上に成り立つ世界なのだ。
従来の自立観では、「他人に依存せず、自分だけでやってゆける」のが自立と考えられていた。しかし、重度障害をもつ自立生活者たちというのは、いわば、「他人と関わること」を宿命づけられた人たちである。
「よかれ」と思ってやったことが、そうではなかったときの驚き。やさしさが裏目に出、アドバイスが裏目に出、互いの意志と意志、気持ちと気持ちがチグハグに食い違う瞬間。そのとき人は、「他者」というものの存在を思い知らざるをえないのだ。

何十人という人物から話を聞き、一人一人の考えや意見に寄り添いながら、それら全体を一冊の本にまとめ上げる粘り強さ。書きながら、自問自答を繰り返しつつ、決して安易な結論に導いてしまわない忍耐力。本当にすごいものだと思う。

本を読んで久しぶりに泣いた。

2013年7月10日、文春文庫、760円。

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2016年07月20日

一畑薬師 (その2)

ひたすら、ひたすら、
ひたすら石段を登り続ける。

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ようやく山門が見えてきた。
狛犬がいい味を出している。


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ついに本堂に到着。標高200メートル。
境内からは遠く宍道湖が見える。
風が吹き抜けて、別世界のような涼しさだ。

ここは「目のお薬師さん」として有名なお寺で、熱心な信者がたくさんいるらしい。吊るされた絵馬にも「め」と大きく印刷されている。


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現在、「八万四千仏ご奉納」を受付中とのことで、ずらーーーーっと仏さんが並んでいる。冥加料は1体5万円。思わず5万×8万4千の計算をしてしまった。

・・・罰当たり。


posted by 松村正直 at 18:23| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月19日

一畑薬師 (その1)

5年前に島根を旅行した時に、宍道湖の北岸に沿って走る一畑電車に乗った。途中「一畑口」という駅があり、平地なのにスイッチバックする。

不思議に思って調べてみると、かつては「人」字型の線路の北に向って伸びる路線があり、一畑薬師の麓まで続いていたことがわかった。

一畑電車はその名の通り、元は一畑薬師への参詣路線であったのだ。

昨日、現代歌人集会春季大会のあと松江に泊まったので、今日はついでに一畑薬師へ行ってみることにした。まず「松江しんじ湖温泉」駅から「一畑口」駅まで電車に乗る。


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「一畑口」駅の北側の風景。
この錆びた線路が、かつては一畑薬師の麓まで続いていたわけだ。


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「一畑口」駅では目玉おやじがお出迎え。
左手は一畑薬師の方角を指している。

駅から北へ約4キロの道のりをたどっていくと、一畑薬師の麓に着く。
そこから本堂までは、約1300段の石段が続いている。


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石段のスタート地点に立つ目玉おやじ。
けっこうな山登りである。


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石段はすり減って、ところどころスロープのようになっている。
途中には人家もあり、草取りをしているおばさんに挨拶した。

まだ本堂に着かない・・・暑い・・・疲れた・・・

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2016年07月16日

『訓読みのはなし』のつづき

短歌に関係する部分をいくつか。

消えた和語について他の例も挙げると、古くは「脳」には「なづき」、「地震」には「なゐ」、「暗礁」には「いくり」という和語があった。

「なづき」「なゐ」など、確かに日常の言葉としてはもう使はない。でも、短歌の中にはしばしば出てくる。

今日の短歌や俳句の作品には、「瞑(めつむ)る」「瞑(めつむ)りて」「瞑(めつむ)れば」など、「瞑」を「めつむ‐る」と読ませる例がある。これも、一語と認定する辞書は少ない。もし「め」「つむる」の二語と認定すれば、これは二語にまたがる訓読みを持つ漢字となる。

確かに『広辞苑』では「瞑(つむ)る」は載っているが、「めつむる」は載っていない。

「我」も一人称「われ」という字義は仮借義である。この字は、のこぎりの象形文字で、すなわち、のこぎりが本義であり、同音語で代名詞「ガ」というような単音節の古代中国語にそれを当てて用いた。そして、その後、「我」に「のこぎり」の意味は失われたのである。

「我」が「のこぎり」を意味する漢字だったとは!
そこで思い出したのが、先日読んだ次の歌。

「我」という文字そっと見よ 滅裂に線が飛び交うその滅裂を
                大井学 『サンクチュアリ』

「我」がのこぎりの象形文字であるならば、ギザギザで滅裂なのも道理である。象形文字の持つ力とでも言えばいいのか。「のこぎり」の意味を失った今も、「のこぎり」的なニュアンスはちゃんと伝わっているのだ。

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2016年07月15日

生前

このところ、天皇陛下が「生前退位」の意向を持たれているというニュースがしきりに流れている。その「生前退位」という言葉に、引っ掛かりを覚える。

『広辞苑』で「生前」を引くと、

(亡くなった人が)生存していた時。存命中。

とある。つまり、その人が生きている間ではなく、亡くなってから使う言葉ということだ。例として「生前をしのぶ」「生前愛用の品」などが挙がっている。

薄日さす葉桜の道 死ののちに生前という時間はあって
              『午前3時を過ぎて』

以前こんな歌を詠んだことがある。
これも、「生前」という言葉が死後にしか使われないことを詠んだもの。

「生前」をまだ亡くなっていない人に対して使うのはどうなのだろう。

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2016年07月14日

笹原宏之著 『訓読みのはなし』


副題は「漢字文化と日本語」。
2008年に光文社から刊行された『訓読みのはなし―漢字文化圏の日本語』を改題し、文庫化したもの。

日本語が漢字をどのように取り入れてきたのかという問題を、訓読みというユニークな方法を中心に紹介し、さらには朝鮮・韓国やベトナムなど東アジア圏における漢字の受容の歴史にまで話を広げている。

一つの漢字に対して音読みと訓読みの二つがあるというのは、普段あまり意識しないけれども、実はかなりユニークなことなのだ。

体系的な記述と言うよりは雑学的な部分が多いのだが、新しい発見がいろいろとあって楽しい。

日本における漢語は、亜「ア」、小「ショウ」、白「ハク」など、一音節か二音節と拍数が短い。また、二拍目に来る音は、(・・・)「イ」「ウ」「キ」「ク」「チ」「ツ」「ン」といった限られたものしかないなど、発音の種類が一定であり、概して硬質な感じが漂う。
「キク」は、花そのものが身近なこともあって、訓読みのように意識されがちであるが、音読みなのである。「胃(イ)」も、胃腸をまとめた語は別として、その臓器そのものと一対一で対応する和語がなかったようで、字音が単語として定着した。
江戸期には、その(漢文訓読の)技術を応用して、オランダ語や英語などの横書きの文に対しても、レ点や一・二点のような記号を単語と単語の間に加えながら読んで訳す「欧文訓読」「英文訓読」が行われることがあった。
奈良時代までさかのぼれば、和語のハ行はP音で発音されていたことが万葉仮名や擬音語に関する分析などから知られており、(・・・)「ひかり」は、奈良時代には「ぴかり」のように発音されていたのであった。

「ひかり」だとあまり光っている感じがしないけれど、「ぴかり」だと確かに光っている。

2014年4月25日、角川ソフィア文庫、760円。

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2016年07月13日

大井学歌集 『サンクチュアリ』


しどけなく電車に眠る少年の微かにひらくくちびる憎し
はるのみず首都の蛇口にのむときを北国の雪たりしみず鳴る
柔らかくかつ棘だちてあることの職場のすみの亀の子たわし
海底の静もりに生きし白蝶貝楽器のいちぶとなりてうたえり
真夜中のコンビニでコピーとるわれのコピーが窓からわれをみており
事務机ひとつ空きたり「一身上の都合」といえる一行ののち
しゃがむという女性の動詞はなにらの花の白きにすいよせられて
辞表を出す部下の伏目を見ておりぬ「驚く上司」という役目にて
このはなに「紫雲英」の文字をあたえたるひとのいのりよいちめんに咲く
さくはなとはなとのあわい空間を咲かせてしろきかすみそうたつ

「かりん」所属の作者の第1歌集。

1首目、自分が失ってしまった少年性に対する憧れと憎しみ。
3首目、「亀の子たわし」に職場で働く人の心を重ね合わせている。
4首目、サックスの指を当てるキーボタンが白蝶貝なのだろう。「海底」と「楽器」の組み合わせに広がりを感じる。
5首目、夜のコンビニの窓に映った自分の姿。面白い切り取り方だ。
8首目、内心それほど驚いてはいないのだ。部下もまた「伏目の部下」を演じているのかもしれない。
10首目、花束の歌と読む。かすみ草は花束のボリュームアップに欠かせない。

2016年6月19日、角川文化振興財団、2600円。

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2016年07月12日

榎南謙一のこと

プロレタリア詩人榎南謙一の作品が青空文庫に入っているのを見つけた。昨年末に新たに加わったらしい。「天瓜粉」「農村から」「無念女工」「夜雲の下」の4作品が入っている。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1630.html

以前はネットで「榎南謙一」を検索してもほとんどヒットしなかったのだが、近年のプロレタリア文学の再評価などもあって、青空文庫で作品が読めるようになったのだろう。

榎南謙一は若き日の高安国世に大きな影響を与えた人物である。その詳細については『高安国世の手紙』に書いた。本にも書いたように、名前は「かなんけんいち」で、高安と同じ1913年生まれで、1944年に亡くなっている。

青空文庫の名前に「えなみけんいち」、没年が1945年とあるのは誤り。ただし、これは青空文庫への入力に際して底本とされた『日本プロレタリア文学全集・39 プロレタリア詩集2』の記載が間違っているので、止むを得ないことだ。

榎南謙一については、岡山県労働組合総評議会編『岡山県社会運動史9 星霜の賦』(1978年)が詳しい。15ページにわたって榎南の生涯と作品のことが記されている。

posted by 松村正直 at 07:18| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月11日

若冲展

今年は伊藤若冲(1716―1800)の生誕300年ということで、あちこちで若冲展が開かれている。

まずは、細見美術館の「伊藤若冲―京に生きた画家―」。

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「鶏図押絵貼屏風」
(6曲1双)に描かれたヒヨコがいい。
ササッと書きましたという感じ。

「糸瓜群虫図」には11匹の虫がいるというので、しばらくじっくり見る。
はっきりと確認できるのは8匹。

続いて、承天閣美術館の「伊藤若冲展」へ。

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「動植綵絵」30幅(コロタイプ印刷による複製)のほか、重要文化財「鹿苑寺大書院障壁画」などの展示がある。

今回気に入ったのは、「動植綵絵」の「群魚図」に描かれた子タコ。親タコ(?)の脚にしっかりしがみついていて、何とも可愛らしい。

2つの美術館をめぐって発見したのは、「厖児戯帚図」(承天閣美術館、絹本着色)と「仔犬に箒図」(細見美術館、紙本墨画)が似ていること。前者は箒が手前で犬が奥、後者は箒が奥で犬が手前になっている。

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2016年07月10日

濱松哲朗の遠足前夜

昨夜、濱松哲朗さんのツイキャス「濱松哲朗の遠足前夜」で、『やさしい鮫』『駅へ』『午前3時を過ぎて』などの短歌を朗読、鑑賞していただきました。

http://twitcasting.tv/symphonycogito/movie/286624461
http://twitcasting.tv/symphonycogito/movie/286639608

ツイキャスというのを初めて聴きましたが、面白いですね。
前半30分、後半30分です。
お時間のある方は、どうぞお聴き下さい。

posted by 松村正直 at 08:13| Comment(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月09日

『海豹島』 のつづきのつづき

入手した句集『海豹島』は見返しに鈴鹿野風呂自筆の句が書いてある。

  P1050164.JPG

 海豹島銀河の露をいのち水
         野風呂

海豹島には夏のあいだ監視員が駐在していたが、水はたいへん貴重なものであったようだ。「蝦夷行日誌」には次のように記されている。

水といへば島に井戸なく雨垂をためたものにて甕に満ちある濁り水も貴重で、他より来たものは使ふ気になれぬ。それでも同行の一婦人の化粧する水は惜しげもなく呉れる。

雨垂れを「銀河の露」と表現したところにスケールの大きさがある。

posted by 松村正直 at 07:27| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月08日

『海豹島』 のつづき

樺太から北海道に戻ってきた鈴鹿野風呂は、8月18日に網走を訪れる。ちょうど港には鯨があがったところであった。

 鯨揚ぐ知らせの笛の長鳴りす
 捕鯨船舳の銛の日を返す
 高鳴れる轆轤に鯨あげらるゝ

「轆轤」と言うと茶碗でも作るように思ってしまうが、ウインチのことである。尾びれにロープを掛けて吊り上げるのだ。

 鯨さく長柄包丁両手もち
 鯨さく忽ち磯を赤にそめ
 割かれゆく鯨の肉のなだるゝよ

岸に揚げられた鯨は、その場ですぐに解体されたようだ。
海の水が血に赤く染まってゆく。

 鯨割く仔鯨出でゝいとしけれ
 鯨さく尼も遊女も見てゐたり

解体された鯨はメスだったようで、お腹の中から胎児の仔鯨が出てくる。
港には大勢の見物客が集まっていたようだ。
「尼も遊女も」の句が、一連20句の最後となっている。

ちなみに網走は、現在でも国内に残る数少ない捕鯨の町の一つである。
http://www.city.abashiri.hokkaido.jp

posted by 松村正直 at 07:48| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月07日

時田則雄著 『陽を翔るトラクター』


副題は「農文一体」。

「文化連情報」「読売新聞」「十勝毎日新聞」に連載されたエッセイをまとめた本。北海道で農業と短歌にたずさわる生活のあれこれを、自作の歌をまじえつつ記している。

今年は長芋を二・五ヘクタール作付けするが、その種子の量は十二トンだ。
私の本職は百姓だ。耕作面積は約三十三ヘクタール。
私のヤマの内訳はカラマツの人工林が十五ヘクタール。天然林は十ヘクタール。

こんなスケールの大きな話がぽんぽん出てくる。

日々の農作業の話に始まって、農家数の減少、食糧自給率の低下、TPPなど、日本の農業をめぐる問題についても筆をふるう。

雪を食へばしらゆき姫になるといふわが嘘を聴く耳やはらかし
獣医師のおまへと語る北方論樹はいつぽんでなければならぬ
離農せしおまへの家をくべながら冬越す窓に花咲かせをり

エネルギッシュにひたすら前へ突き進む日々。その中にあって、作者は跡取りとも期待した娘婿を30歳という若さで失う。そのことを記した文章は、何とも胸に迫るものであった。

2016年5月25日、角川文化振興財団、1600円。

posted by 松村正直 at 07:18| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月06日

7月、8月の予定

7月、8月とあちこちの短歌のイベントに出演します。
どれも一般聴講可能ですので、どうぞご参加ください。

○7月18日(月)現代歌人集会春季大会(松江)
  パネルディスカッションの進行をします。

  kajin-shukai 2016 spring.png

○7月29日(金)公開講座「現代に生きる啄木」(芦屋)
  https://www.asahiculture.jp/ashiya/course/684e359f-fd15-c770-dec7-5726ee7b7b8b

○8月6日(土)「短歌人」夏季全国集会(姫路)
  「石川啄木と土岐哀果」という題で講演します。
  http://9313.teacup.com/tankajin/bbs/469

○8月21日(日)「塔」現代短歌シンポジウム(岡山)
  歌合せに出場します。

  2016塔全国大会チラシ-C+5.jpg

posted by 松村正直 at 06:55| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月05日

鈴鹿野風呂句集 『海豹島』

鈴鹿野風呂は昭和15年8月8日から27日まで、北海道、樺太、東北をめぐる旅をしている。8日に京都を発ち、樺太に入ったのが12日。そして16日まで樺太に滞在した。

句集『海豹島』は、その旅で詠まれた俳句を集めたものであり、後半には「蝦夷行日誌(俳諧日誌)」も収められている。

 絶え間なく湧く霧に翔けロツペン島
 膃肭獣は吼えロツペン叫ぶ霧の島
 百の成牝(カウ)の王たる成牡(ブル)に秋日爛
 土に化す幾幼獣の屍に秋日
 目に涼しロツペン鳥の青卵子

タイトルともなった樺太の海豹(かいひょう)島を詠んだ句である。「海豹」はアザラシだが、実際はオットセイとロッペン鳥(ウミガラス)の繁殖地として有名な島だ。2句目の「膃肭獣」はオットセイ。今では「膃肭臍」と書くことが多い。

  P1050162.JPG

本の表紙も海豹島。
手前にはオットセイ、崖と空にはロッペン鳥。

  P1050163.JPG

裏表紙はロッペン鳥のアップ。
こうして見るとペンギンみたいだ。

昭和15年10月20日、京鹿子発行所、1円80銭。


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2016年07月04日

第19回 「あなたを想う恋の歌」

現在、第19回 「あなたを想う恋の歌」の作品を募集中です。
http://www.manyounosato.com/

■募集期間 平成28年7月1日(金)〜10月31日(月)当日消印有効
■審査員
  松平盟子、香川ヒサ、紺野万里、松村正直、加賀要子、阪井奈里子
■賞 最優秀賞【1首】10万円、優秀賞【3首】3万円、秀逸【10首】1万円、
   佳作【15首】5千円、入選【30首】図書カード千円

昨年に続いて私も審査員を務めます。
皆さん、ふるってご応募ください。

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2016年07月03日

高橋和夫著 『中東から世界が崩れる』


副題は「イランの復活、サウジアラビアの変貌」。

テレビの解説などでもおなじみの著者が、今年1月のイランとサウジアラビアの断交のニュースを皮切りに、現在の中東情勢と今後の見通しについて記している。

中東の歴史や宗教に関しても最低限必要な知識をまとめてくれていて、ありがたい。専門家にとっては当り前のことでも、意外と知らないことが多いものだ。

サウジアラビアなどはアラブ人の国だが、イランはペルシアの国だ。この違いは、私たち日本人が思っている以上に大きい。
イラン人は、自分たちは巨大なペルシア帝国をつくった人々の子孫だという強烈な意識を持っている。地理的な広さに基づく大国意識だけでなく、歴史的な意識に支えられた大国意識をも抱く、誇り高い人々なのだ。
「石油の時代」がいつまでも続くのがサウジアラビアの国益である。石油関係者がよく言うように、「石器時代が終わったのは石がなくなったからではない」。石器に代わる鉄器が現れたからである。
現在のトルコという国は、オスマン帝国の継承国である。オスマン帝国は、かつてはイスタンブールを首都とし、アジア、アフリカ、ヨーロッパにわたる広大な領土を支配していた。

その昔、世界史の授業で習った「ペルシア帝国」や「オスマン帝国」の話が、まさに現在の問題へとつながっていることがよくわかる。学生時代は「こんなこと習って何の役に立つのか」などと文句を言っていたけれど、現在起きている問題を考える際にも歴史は大きなヒントや手掛かりとなるのである。

本書を読んで一番衝撃だったのは、

ありていに言えば、中東で“国”と呼べるのは三つだけだ。先ほど述べたイラン、そしてエジプトとトルコである。

という話。著者によれば、それ以外のサウジアラビアやイラクやシリアは「国もどき」ということになる。私たちが近代国民国家をベースに考えている国という概念は、そもそも普遍的なものではないということなのだろう。

イギリスのEU離脱、トルコのイスタンブール空港でのテロについて自分なりに考える際にも、この本は非常に役に立つ。歯切れの良い文章で読みやすく、中身は濃い。タイトルはやや刺激的過ぎるが、別に何かを煽るわけではなく、内容はバランスの取れた記述となっている。

2016年6月10日、NHK出版新書、780円。

posted by 松村正直 at 17:45| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岡山のシンポジウム


  2016塔全国大会チラシ-C+5.jpg

8月21日(日)に岡山で、塔短歌会主催のシンポジウムがあります。

一般公開でどなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越しください。
会場は岡山駅西口から5分の岡山コンベンションセンターです。

今年は漫画家の池田理代子さんをゲストにお招きしています。
僕も歌合せ(5名×5名)のキャプテンとして出場します。

参加費は一般2000円、学生1000円(要学生証)。
当日、受付にてお支払いください。事前の予約等は不要です。

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2016年07月02日

岩下明裕・花松泰倫編著 『国境の島・対馬の観光を創る』


特定非営利活動法人「国境地域研究センター」が刊行する「ブックレット・ボーダーズ」の1冊目。

近年韓国人観光客が増加している対馬の現状を分析するとともに、ボーダーツーリズム(国境観光)の導入や商店街の活性化など、今後への具体的な提言がまとめられている。

国境地域は、外国から自国を守るための「砦」であるとともに、外国へ開かれた「ゲートウェイ」(入口、通路)でもある。

「砦」になれば、その地域はどんづまりになる。隣国との間に誰も通れない壁ができる。およそ地域としての自立やビジネスなどの展開は不可能だろう。
まちが生き残るには「ゲートウェイ」しかない。住民たちはそのことを肌で理解している。

国境問題を考える上で、こうした観点は非常に大事だと思う

対馬には歴史的な遺産や豊かな自然が多くある。福岡から対馬を経由して釜山へと至る「国内+海外」観光ルートの創設など、今後さらなる可能性が秘められている。

ぜひ一度、訪れてみたい。

2014年7月25日、国境地域研究センター、800円。

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2016年07月01日

「黒日傘」第6号

高島裕の個人誌。特集は「日本」。ゲストは澤村斉美。

  幼い私のためだけのクリスマスだつた。
耶蘇嫌ひの祖母の面輪も照らしたるクリスマスケーキの蝋燭あはれ
公用語を英語に切り替へたときの膨大な「国益」を想へり
(座布団を足でずらした!)宰相に株価を上げてもらつて感謝

高島裕「残光の祖国」30首より。

「日本」についての作者の思いをかなり正面から詠った一連。1首目、今になって思い出す祖母の姿。2首目は「国益」という観点だけで判断して良いのかという問い。3首目の初二句はテレビに映った安倍首相の仕種を詠んだもの。

海の果ての日本列島しなやかに反りつつ春の鳥たちを待つ
十センチほど開きたる窓からの風のまんなか子が手を合はす
倒壊家屋映れば指がテレビを消す子を抱くわれはソファに在りて

澤村斉美「つばめつばめ」30首より。

子を産んで母となった作者。全体に柔らかな言葉遣いによって子の様子や母としての思いを詠んでいる。1首目、弓なりに反る日本列島の形を俯瞰したような大きな歌。2首目、「十センチ」「まんなか」といった言葉がうまい。3首目、小さな子には見せたくないという思いと、消すことへのある種の後ろめたさ。

ゴミ出しの未明の路地の白鼻芯、その白線の鮮やかならず
背景に桔梗を長く咲かせつつ真夏の母は健やかに笑む
便意怺(こら)へつつ見て回る春画展、人間といふ襞をかなしむ

高島裕「ひとたび」30首より。
高島の歌では日常を詠んだこちらの連作の方が私の好み。

1首目、「ハクビシン」は額から鼻にかけて白い線があるのが名前の由来。都会暮らしのためか、それがぼやけてしまっている。2首目、元気だった頃の母の写真であろう。3首目「人間といふ襞」が印象的。その襞が様々な喜びや悲しみを生み出すのだ。

2016年6月3日、TOY、600円。

posted by 松村正直 at 07:30| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする