2016年06月30日

朝顔

  P1050159.JPG

ベランダで育てている朝顔が、今年初めて咲いた。
朝起きて花を見るのは、なかなかいいものだ。

今日で6月も終わり。
今年も半分が過ぎることになる。

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2016年06月29日

内澤旬子著 『世界屠畜紀行』


2007年に解放出版社から刊行された本の文庫化。

バリ島の豚の丸焼き、エジプトのラクダの屠畜、チェコの肉祭り、モンゴルの羊の屠畜、韓国の犬肉、沖縄のヤギ肉、インドの犠牲祭、アメリカの大規模屠畜、日本の芝浦屠場など、世界中を回って家畜が肉になるまでの様子を取材したルポルタージュ。

雑誌「部落解放」に連載されたことからもわかるように、屠畜という仕事やそれに従事する人に対する差別はなぜ起きるのか、というところから話は始まる。けれども、難しい話や主義主張を語るわけではない。ひたすら屠畜という仕事の魅力や大切さを丁寧に描き出している。

まさに興味津々といった感じで作業の一つ一つについて書き、詳細なイラストを付けている。現場の様子が目に浮かんでくるようだ。

しっぽといえども背骨に連なる骨がある。一見、すぱすぱと簡単に切っているように見えるが、刃を入れる場所を数ミリでも間違えれば、絶対(!)切れないのであった。
豚のおちんちんは股の間ではなくて、お腹の真ん中近くにある。食用の豚は、柔らかく味良くするために去勢してあるため、タマはないし、おちんちんもまるで出ベソみたいだ。

外国の牧場や屠畜の風景は、日本のイメージとは随分違うことも多い。

どこのイスラム国でも、都市部は肉屋が家庭に呼ばれて肉を捌くのが一般的だ。この日の肉屋は、まるでお盆の坊さんのように各家庭をはしごして回り、屠畜料をもらう。
見学したのは、テキサスの4大ランチのひとつ、ピッチフォークランチ。17万エーカー(687.9平方キロメートル)の面積を誇る。山手線の内側約11個分だ。

屠畜をめぐる話は、やがてBSEなど食の安全をめぐる問題や動物福祉という観点、さらには屠畜場の郊外移転と都市の関係など、様々に広がっていく。

現在、家畜が肉になるまでの工程を私たちはほとんど意識することがない。それを目に見える形で示したことは、この本の大きな功績だろう。

2011年5月25日初版、2014年3月15日4版。
角川文庫、857円。

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2016年06月28日

「塔」2016年6月号の続き

母校という言葉が嫌いだと言えば子を産んでいないからだと言わる
                    白水麻衣

けっこう近しい関係の人に言われたのだと思う。だからこそ一層ショックであり、腹も立ったに違いない。「母音」「母国」「母艦」など、考えてみると「母」の付く熟語は多い。

「電話にて弱気を叱る」病状を解らず書きしわれの字を見る
                    安永 明

親か友人か、電話の声に元気がないので励ますつもりで叱ったことがあったのだ。今、日記などを見てその時のことを思い出しながら、既に病気の重かった相手に対してどうしてもっと優しい言葉を掛けられなかったのかと後悔しているのである。

ルビ多き『阿部一族』はエアコンの風量〈しずか〉に切り替えて読む
                    中澤百合子

森鴎外の歴史もの。文字がごちゃごちゃしているので、集中して読みたいのだろう。エアコンの音や風で気が散ることのないようにして。

夫をらぬ夜に柿ピーの柿ばかり残りゆくなり黄金(こがね)の色の
                    広瀬明子

普段は夫が柿の種、作者がピーナツという感じでうまくバランスを取っているのだろう。残った柿の種が夫の不在をありありと示している。

本といふ字が真ん中できつぱりと割れて書店の自動ドア開く
                    清水良郎

上句だけでは何のことかわからないが、下句で自動ドアに書かれた文字の話だとわかる。「本」という字が左右対称なのも良くて映像的な一首だ。

イソップの北風でなく太陽になればと娘(こ)にいふ なれない我が
                    一宮雅子

娘の話を聞いて、相手に優しく接してはどうかとアドバイスする作者。でも、作者自身はそれができない性格なのを知っている。あるいは娘も作者に似た性格なのかもしれない。

息継ぎが上手くできないわたくしは春の光の中で溺れる
                    中山悦子

満ち溢れるような春の光の感じがよく出ている。光を液体であるかのように捉えて、水泳の息継ぎを持ってきたのが面白い。春の明るさにくらくらするような気分だろう。

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2016年06月27日

映画 「団地」

監督:阪本順治
出演:藤山直美、岸部一徳、大楠道代、石橋蓮司、斎藤工ほか

近年、ちょっとした団地ブームである。

団地を舞台にした小説やマンガ、団地の写真集などが出版されたり、団地を改装して若い人が住むようになったりと、団地がにわかに注目を集めている。

この映画はタイトルもスバリ「団地」。ゴミ捨て、うわさ話、自治会、裏の林、パート先の店など、どこにでもあるような団地暮らしの風景に懐かしさを覚える。

コメディーのようなシリアスなような、日常のような非日常のような、少し不思議な世界。客席からはたびたび笑いが起きていた。

103分、京都シネマ。

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2016年06月26日

「塔」2016年6月号

たまには自分の所属する結社誌から印象に残った歌の紹介を。

きれいごと言ふ人苦手さはあれど我の折々言ふきれいごと
                    岩野伸子

初二句だけなら他人に対する批判で終わりなのだが、この歌の良いのは下句で批判が自分にも返ってくるところ。誰しも「きれいごと」を言う時があるものだ。

マスクしてマスクの医者に診てもらふどちらも言語不明瞭なり
                    上田善朗

ユーモアのある歌。マスクをかけた者同士が向き合ってモゴモゴ言っている姿である。風邪やインフルエンザが流行っている季節なのだろう。

毀しゆく明治の煉瓦そのなかの「五百枚目」の墨書きに遭ふ
                    尾形 貢

国鉄で土木関係の仕事をしてきた作者。明治時代に造られた構造物を壊す作業中に、煉瓦に書かれた文字を見つけたのだ。時間を超えて昔の技術者の思いが伝わってくる。

人形に餡は充ちたり断面があらわれるとき見つめてしまう
                    相原かろ

人形焼を一口かじったところだろう。中に詰まっている餡をじっと見つめる作者。よく考えると人形の姿の中に餡が入っているのは奇妙なことに違いない。

風貌を問われナミヘイさんと言い いや良い人と付け加えたり
                    澁谷義人

サザエさんに出てくる波平さんみたいに頭が禿げているのだろう。そう言った後で慌ててフォローしている感じがよく出ていて面白い。

金色のオイルの瓶に子鰯の死につつ並び光をかへす
                    村田弘子

オイルサーディンを手作りしているところだろうか。オリーブオイルの中に小さな鰯がたくさん漬かっている。美しくも残酷な姿。

花の名をわれよりも知る父となり男岳に立ちて女岳をほめる
                    山下裕美

退職してハイキングや山登りをするようになった父。以前は知らなかった花の名前を今では作者よりもよく知っていて教えてくれるのだ。下句、山頂から見える隣りの山の姿がきれいだったのだろう。

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2016年06月25日

窪田空穂の長歌

窪田空穂は短歌だけでなく数多くの長歌を詠んだことで知られている。
第10歌集『鏡葉』にも38首の長歌があり、これがなかなかいい。

  国民生活
九つのわが女(め)の童(わらは)、その母に語るをきけば、第一に尊きものは、かしこしや天皇陛下、第二には神蔵(かみくら)校長、第三は亀岡先生、第四はといひたゆたひつ、護国寺の交番の巡査、第五には我家(わぎへ)の父か、何とはなけれど。

娘が尊敬する人の順番で5番目だった作者。
3番まではともかく、「交番の巡査」に負けたのはつらい。

  素朴なるよろこび
正月の三(み)日といふ今日(けふ)、三人子(みたりご)を連れて家いで、神楽坂(かぐらざか)の洋食屋にて、いささかの物を食はしぬ、十八となれる兄の子、大人(おとな)びてフオークを執れば、八つとなれる末(をと)の暴(あば)れ子、取り澄まし顔よごし食ひ、十三となれる中の子、少女(をとめ)さびナイフ扱ふ、さりげなくそを見つつ食ふ、この肉の味のうまさよ、うまきやと問へばうなづく、三人子(みたりご)におのづと笑まれ、マチ摺(す)りてつくる煙草(たばこ)の、ほのかにも口にしかをる、いざ行きてまじりはすべし、今日(けふ)の大路(おほぢ)に。

お正月ということで贅沢をして家族で外食をした場面。
難しい言葉はどこにもなく、幸せな気分が溢れている。
大正という時代の雰囲気も感じられる内容だろう。

この歌に出てくる「兄の子」は章一郎、「末の子」は茂二郎。「寝かされてゐる弟に童話読みわかるやときく読みさして兄」という歌もあるように、年齢は十歳近く離れているが仲の良い兄弟であったようだ。

空穂の代表的な長歌「捕虜の死」を読む際には、こうした歌のことも頭において読むのが良いのだろう。こんな幸せな時間もあったのである。

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2016年06月24日

三井修歌集 『汽水域』

2005年から2013年までの作品506首を収めた第9歌集。

継子(ままこ)なる我ら四人が引き取らぬ母なり老いて家を去りたり
縁(えにし)ありて母となりたる人のまだ熱(ほめ)く胸骨を箸もてつまむ
絶筆にあれども読めぬ 麻痺の手に父が書きたる葉書一葉
古九谷の皿の中ゆく赤き雉三百年経てまだ皿を出ず
スモーキングエリアの中のうすけむり透かして耳のいくひらが見ゆ
黙祷をするは人間のみにして蟬は鳴き継ぐその一分を
夜のうちに遥かな海を航海し夜明けに庭に戻る紫陽花
工事場の囲いに細き隙間あり子供と犬は必ず覗く
背中より腕より椅子より幼な子はずり落ちやすし秋の一日(ひとひ)を
流れゆく霧にわが身は冷えながら屋嶋の城の石垣に寄る

1首目、ふるさとの能登に暮らす継母。前歌集『海図』にも、「抱(いだ)かれしことなき人の細き腕取りて階段ゆっくり下る」という印象的な歌があった。
2首目、その母が亡くなった時の歌。「縁ありて母となりたる」が、母と子の複雑な関係や思いを伝えている。「縁」を「えん」ではなく「えにし」と読ませているのもいい。
4首目、三百年前の皿に描かれた雉の絵。永遠にその中から出られない。
6首目、黙祷の間、蝉の鳴き声がひときわ高く響いたのだろう。
7首目、何とも美しい発想の歌である。夜中に見たら本当に庭にいなかったりして。
9首目、孫を詠んだ歌。「ずり落ちやすし」というのが一つの発見である。
10首目、作者は石垣が好きであるらしい。竹田城跡の石垣の歌もあった。

もしかして我でありたるかも知れず砂漠で頸を刎ねられたるは
さはあれど刎ねられたるはわが頸にあらねば朝の味噌汁啜る

2015年1月にイスラム国によって日本人の人質2名が殺害された事件を詠んだ歌。作者は仕事で中東に長く生活をしたことがあり、他人ごとではなかったのだろう。2首が対になっていて、1首目だけならよくあるパターンの歌なのだが、2首目があることで深みが生まれている。

2016年5月25日、ながらみ書房、2800円。

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2016年06月21日

森垣岳歌集 『遺伝子の舟』

第2回現代短歌社賞(300首)を受賞した作者の第1歌集。

一秒前の姿を示す月面の光に揺らぐビーカーの水
採卵鶏のケージのごとし教師らが職員室に昼飯を喰う
五限目のチャイムが鳴って作業着の少女の群れが日を浴びている
魚屋の魚はいまだ新鮮で商う人が年を経ている
まひるまの家に白菜きざむ音 見知らぬ女が母だと名乗る
キッチンにセルリの青き匂いして君を待つ夜にスープ煮ており
公園の遊具の一つの新幹線動くことなく春雨のなか
アントシアン色素を含む葉を刻み夕餉の皿に乗せて並べつ
山峡を列車とろとろ進み行き化粧を直す女を運ぶ
鳥類に産まれることもできたのだ我が子の背なの産毛に触れる

小題がユニークで、「栽培実習」「生物工学」「農業教育概論」「解剖学」「分子生物学」・・・などとなっている。これは作者が農業高校の教師をしているためでもあるのだが、別にすべてが職場詠というわけではなく、こういう題で統一してみたということなのだろう。

1首目、月と地球の距離は約38万キロ。光の速さは秒速約30万キロなので、私たちが見ている月は「一秒前」の姿なのだ。
4首目、扱う魚は常に新鮮であるけれど、店主は齢を取っていく。発想がユニーク。
6首目、「セルリ」がいい。「セロリ」と書くよりオシャレな感じ。
8首目、赤紫蘇だろうか。こんなふうに日常生活の場面にも科学的な知識がしばしば顔を出す。
10首目、進化の歴史をたどるようでもあるし、人間に生まれてしまった悲しみを見ているようでもある。

後半になると、父親の再婚、自らの結婚、子どもの誕生といった歌が中心となってくる。特に父親との葛藤は、作者にとって大きなテーマと言って良いだろう。

2016年3月30日、現代短歌社、2000円。

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2016年06月20日

「橄欖追放」の移転

東郷雄二さんのウェブサイト「橄欖追放」が移転した。
http://petalismos.net/

毎月第1・第3月曜日に更新される「橄欖追放」は現在第188回。
前身の「今週の短歌」200回とその他の短歌関連の文章もあわせると
実に400編もの文章が掲載されている。

息の長い活動を続けておられることに、敬意の念を抱く。


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2016年06月19日

一般公開のシンポジウム

8月21日(日)に岡山で、マンガ家の池田理代子さんをゲストに迎えて
短歌のシンポジウムを行います。一般公開で、どなたでも参加できます。

会費は一般2000円、学生1000円(学生証)。
事前のお申し込みは不要です。

皆さん、どうぞお越しください。

  2016塔全国大会チラシ-C+5.jpg
   (クリックすると大きくなります)


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2016年06月18日

田中康弘著 『猟師食堂』

著者 : 田中康弘
エイ出版社
発売日 : 2016-03-25

全国にある「猟師が自ら料理を提供する店」を取材した本。

愛知県名古屋市の「百獣屋然喰(ももんじぜんくう)」、石川県白山市の「CRAFT WORKS ER」、滋賀県大津市の「猪ゲルゲたこゲルゲ」、大分県佐伯市の「RYUO」、佐賀市の「GABAIいのしし食彩」など9店が紹介されている。

著者の本を読むのはこれで4冊目。

『マタギとは山の恵みをいただく者なり』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139111.html
『女猟師』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139286.html
『日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』
http://matsutanka.seesaa.net/article/394034729.html

いずれもカラー写真が豊富で、読んでいて楽しい。
(解体の場面なども多いので、苦手な人は苦手かもしれない)

獣肉はスーパーで売っている肉とは完全に別物だ。畜産肉は飼育期間が短く若いうちに処理される。
それに比べると野生肉は(・・・)雌雄、年齢による個体差は大きく、それが肉質に影響するのだ。いつどこで買っても差のないスーパーの肉とはここが決定的に違うのである。

人間に置き換えて考えてみればわかりやすい。男女によって、また子供からお年寄りまで年齢によって、同じ人間でも身体は大きく違う。それが普通のことなのだ。

本書の中で繰り返し語られるのは、狩猟の方法やその後の処理の仕方で肉の味が全く違ってくるということ。その点において「猟師兼料理人」は最も良い形で野生肉を提供できる人ということになる。

ジビエ料理の背景には物語があると私は思っている。肉となった獣それぞれの人生(獣生?)、それを仕留めた猟師、そして料理をした人の哲学が混ざり合うのがジビエ料理ではないだろうか。

料理だけではなく「物語」も味わうこと。
そこにジビエ料理の美味しさと魅力の秘密があるのだろう。

2016年4月10日、えい出版社、1500円。

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2016年06月17日

加古陽治著 『一首のものがたり』


副題は「短歌(うた)が生まれるとき」。

2013年2月から2015年2月まで、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞の夕刊に連載された「一首のものがたり」を加筆、修正してまとめたもの。著者は東京新聞文化部長で、「心の花」に所属する歌人でもある。

小野茂樹、筑波杏明、菱川善夫、俵万智、鶴見和子など27名の歌人の一首を取り上げて、その背後にある出来事や時代状況などを詳しく解き明かしている。

夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで
              仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』

中でも1980年代から90年代にかけて活躍した仙波についての物語は、その悲しい最期とも相まって印象深い。入院中の日記に記された言葉の数々が、せつなく胸に響いてくる。

2016年4月27日、東京新聞、1300円。

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2016年06月16日

武田知弘著 『教科書には載っていない! 戦前の日本』


戦前(主に昭和初期)の日本の社会がどんなものであったのか、34のトピックを挙げて解説した本。「国会議員にヤクザの親分がいた」「危ないクスリが薬局で買えた!」「大阪が日本最大の都市だった!」「サラリーマンはエリートだった!?」「海を渡った移民たち」といった話題が並んでいる。

著者は「軍国主義」や「暗黒の時代」という面だけでは戦前の日本は捉えられないことを指摘し、「思想的な解釈をせずに見た場合、戦前の日本ほど面白い時代はない」と述べる。これがあまり行き過ぎると歴史修正主義に陥ってしまうのだが、そのあたりのバランスはよく取れているように感じた。

昭和5年、大阪の北新地に、女給とキスができる接吻カフェ「ベニア」が登場。たちまち大評判になり、雨後のタケノコのように次々と同種の店が誕生した。
自転車の製造は、フレーム部など鉄砲と共通する技術が多かった。そのため、鉄砲鍛冶たちは自転車が普及しはじめると、まず修理業をはじめ、そのうち自ら自転車を製造するようになったのである。
松坂屋は関東大震災の復興を機に、畳敷きの売り場をやめて、土足のまま入ることのできるフロアに改装したのである。それまでの日本のデパートや小売店は、玄関先で履物を脱ぎ、中に入ることになっていた。

このように描かれた一つ一つの事実の中から、戦前の日本の姿が少しずつ浮かび上がってくる。

残念なのは一目でわかるような誤植が非常に多いこと。「対象(大正)のはじめ」「日本軍に終われ(追われ)」「東方(東北)帝国大学」「社会は(社会派)ルポ」など、かなりお粗末である。

2009年1月14日、彩図社、1200円。
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2016年06月15日

公開講座「現代に生きる啄木」

7月29日(金)に朝日カルチャーセンター芦屋教室で、「現代に生きる啄木」という公開講座を行います。生誕130年を迎える今年、あらためて啄木の作品や人生を読み直してみようという内容です。

啄木に興味や関心のある方、ぜひご参加ください。

時間は13:00〜15:00。
場所はJR芦屋駅北口の「ラポルテ本館」4階です。

詳しくは、下記のページをご覧ください。
https://www.asahiculture.jp/ashiya/course/684e359f-fd15-c770-dec7-5726ee7b7b8b

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2016年06月14日

稚内―コルサコフ航路

昨年でハートランドフェリーによる営業が終了し、その後、存続が危ぶまれていた稚内―コルサコフ航路。今月に入って、ロシアの「サハリン海洋汽船」(SASCO)によって、夏の運航が行われる見通しとなった。

http://mainichi.jp/articles/20160614/ddl/k01/020/251000c

とりあえず、ホッとする。

でも、来年以降どうなるかはわからない。
利用客が増えないことには根本的な解決にはならないのだろう。

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2016年06月13日

大口玲子著 『神のパズル』

著者 : 大口玲子
すいれん舎
発売日 : 2016-04-08

思いつくままに感想をいくつか。

国境を越えて放射性物質がやってくる冬、耳をすませば
学校で習わぬ単位、シーベルト、ラド、レム、グレイ、キュリー、レントゲン
流れざる北上川の水のなか燃料棒は神のごと立つ
原発から二十キロ弱のわが家かな帰りきて灯を消して眠りにつけり

2004年発表の「神のパズル」100首より。
福島の原発事故の7年前に詠まれた作品である。
いま改めて読み直すと、その先見性に驚かされる。

放射能汚染のリスクについて、自分の中にある基準をうまく説明できなくて、両親とこの問題について話すことはありません。私がいちばん深刻に考えている問題について、夫や両親とさえ対話することが難しい状況にあると思っています。

身近な家族の間にも亀裂が入ってしまう悲しさ。
震災と原発以降に広まった分断が、こういう場にも現れているのだ。

捨つべしとある日は思ふ われが見捨てられるかもしれない東北を
                 『東北』

第2歌集『東北』(2002年)の中に、こんな歌を見つけてハッとした。

許可車両のみの高速道路からわれが捨ててゆく東北を見つ
              『トリサンナイタ』

震災後に話題になったこの一首の「捨ててゆく」という厳しい言い方の背後には、先の歌が響いているのかもしれない。

あとがきの日付は「二〇一六年二月二十九日」。
竹山広の誕生日である。

2016年4月8日、すいれん舎、1400円。

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2016年06月12日

円満字二郎著 『昭和を騒がせた漢字たち』


副題は「当用漢字の事件簿」。

1946年の当用漢字の公布から始まる戦後の漢字の歴史について、社会を賑わしたいくつかの出来事を中心に、時代を追って記している。

『青い山脈』(1947年)の「恋」、郵政省改名騒動(1958年)の「逓」、誤字を理由にした解雇問題(1967年)の「経」、水俣病患者の幟(1970年)の「怨」、「よい子の像」碑文裁判(1976年)の「仲」など、漢字にまつわるエピソードが数多くあることに驚く。

当用漢字という制度は、一つの思想であった。漢字を制限し、日本語を一般民衆にとって覚えやすく使いやすいものに作り変えていくことは、民主主義のために必要だ、という思想である。
「当用漢字字体表」は、たしかに漢字の字体の基準を示している。その基準が、極端に厳密に求められるようになったのである。それは、漢字に関する「基準を求める心」が、受験戦争と結び付いた結果であった。
教育の平等が行きわたれば行きわたるほど、当用漢字の存在価値は、軽くなっていく。(・・・)その結果、あらわになってくるのは、自己表現の手段としての漢字の自由の拡大である。

漢字の制限と漢字の自由という相反する考えは、互いに消長を繰り返しつつ、長い目で見れば自由の拡大へと向かってきた。これは、戦後の日本の歩みとも深く関わっている。

今年に入ってからも、漢字の「とめ」や「はね」の有無を広く許容するというニュースが話題になった。現在、文化庁のホームページにて公開されている「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)の概要」には、「字の細部に違いがあっても,その漢字の骨組みが同じであれば,誤っているとはみなされない」とある。

これも本書の描いた戦後の流れに位置づけられる話であろう。

2007年10月1日、吉川弘文館歴史文化ライブラリー、1700円。

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2016年06月10日

上の句

誰かの歌の上句や下句が、ふと頭に思い浮かぶことがある。
先月大阪であった「春の短歌祭」の講演で、栗木京子さんが

「病む人のこころはわからぬものだから」誰の上(かみ)の句ひよんと口出づ       小池光 『思川の岸辺』

という一首が

病む心はついに判らぬものだからただ置きて去る冬の花束
             岡井隆 『斉唱』

を踏まえているという話をされていた。
今日、たまたま同じような例を見つけた。

〈二人のひとを愛してしまへり〉の上の句はなんだつたつけ 新雪を踏む          大口玲子 『ひたかみ』

の元歌は、

陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり
             河野裕子 『森のやうに獣のやうに』

である。

こんなふうに並べてみると、パズルを解いているみたいで楽しい。

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2016年06月09日

富士山の見え方

『暴力的風景論』の中で、本筋とは関係なく印象的な部分があった。
富士山の描写である。

東京から中央高速道を走り、大月ジャンクションを経て河口湖方面に向かうと、都留市を通るあたりで、天候に恵まれればフロント・ウィンドウ正面前方に富士山がその姿を現す。

続いて著者は次のように書く。

道の角度のせいか、山の姿が唐突に視界に登場する光景に対する驚きは、繰り返しこの道を往復していても慣れて薄れることがない。裾野が雲に覆われていても予想を超えた高いところに頂きがあって、雲間に顔を出していることがある。

なるほど、確かにそうだ。
この「唐突に」「驚き」「予想を超えた」というところに、富士山の本質があるのだと思う。

富士山の写真や絵を見ていつも何となく物足りない感じがするのは、このためではないだろうか。写真や絵においては、最初から富士山の全貌が枠の中に収まっている。はじめから全体が見えているのである。

そのため「唐突に」「驚き」「予想を超えた」といったことが、起こらない。だから富士山が富士山らしくなくなってしまうのだ。

では一体どうすれば、写真や絵において「動き」のある表現をすることができるのか。これは短歌を詠む際にも時々考えることである。

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2016年06月08日

武田徹著 『暴力的風景論』


2012年から13年にかけて7回にわたって「新潮45」に連載した「戦後史の風景」に加筆・修正を施して改題したもの。

大きな事件が起きるたびに「これで日本は変わる」と人々は言う。けれども

しばらく時間が経てば自体は平穏を取り戻し、社会は結局、何も変わらなかった。

それは何故なのか、というところから著者の思考はスタートする。そして、戦後の大きな事件やブームとその現場を訪ねつつ、そこに人々が見ようとした「風景」を探り当てていく。

取り上げられるのは、「沖縄」「連合赤軍事件」「田中角栄『日本列島改造論』」「村上春樹『ノルウェイの森』」「宮崎勤事件」「オウム真理教事件」「酒鬼薔薇聖斗事件」「秋葉原連続殺傷事件」。

この本で語られる「風景」とは、単に目に見える景色のことではない。私たちの先入観や解釈や気分といったものによって形作られる「風景」のことである。

現実を前にして私たちは物語、つまり出来事を解釈する枠組みを求める。世界を、ただ事実の偶然の連なりとしてではなく、意味の連関を持った統一体として見たい、そんな欲望は抗いがたい。それは世界をひとつの「風景」として見ようとする欲望に通じる。

この「風景」という切り口を用いて、著者は戦後の日本の歩みそのものを問い直しているのである。

2014年5月25日、新潮選書、1200円。

posted by 松村正直 at 07:31| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月07日

日本語記述文法研究会編 『現代日本語文法3』


現代日本語文法の本。
第5部「アスペクト」、第6部「テンス」、第7部「肯否」を収録。

むちゃくちゃ面白い。
夢中になって読んでいたら付箋が50枚くらい付いてしまった。

日本語の文法について、いかに自分が知らないかということがわかって、実に新鮮である。

アスペクトの表現には、表現者である話し手がその事態をどのように観察しているかということが反映される。
テンスは、非過去形と過去形という述語の形態によって表し分けられるので、非過去形・過去形の対立をもたない述語には、テンスがない。
動き動詞の非過去形には、目の前で展開している動きを観察して述べる用法がある。
過去形を用いると、話し手が何らかの形で直接体験したようなニュアンスが生じるのに対し、非過去形にはそのようなニュアンスはないという違いがある。
否定文は、現象をそのまま述べる文よりも、話し手の判断を述べる文で用いられやすい。

印象に残った部分を少し抜粋した。これだけ読んでも何のこと?という感じだが、本の中では一つ一つ例文を挙げながら体系的に説明しているので、非常にわかりやすい。

全7巻のシリーズなので、他の巻も読んでいきたい。

2007年11月25日第1刷、2012年4月1日第2刷、くろしお出版、2800円。

posted by 松村正直 at 00:08| Comment(5) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月06日

昭和ノスタルジック愛好会編著 『廃校遺産』

著者 :
ミリオン出版
発売日 : 2012-12-26

全国に残る廃校を写真と文章で紹介した本。

取り上げられているのは、沼東小学校(北海道美唄市)、松尾鉱山中学校(岩手県八幡平市)、高松分校(神奈川県足柄上郡山北町)、徳山小学校(岐阜県揖斐郡揖斐川町)、須賀利中学校(三重県尾鷲市)、島小学校(高知県安芸郡北上村)、端島小中学校(長崎県長崎市)など、全部で26校。

いわゆる廃墟マニアの人たちが写真を提供して、それに学校の歴史等を記した文章を付けて構成しているようだ。廃墟系の本の中には心霊スポット紹介的なものも多いのだが、この本はいたって真面目である。

小学校・中学校は誰もが通ったことのある場所だけに、訴えてくる力が強い。味わいのある木造校舎の階段や廊下だけでなく、黒板、時計、人体模型、とび箱、「今月の生活目標」の貼り紙など、一つ一つが記憶の深いところに触れてくる。

2012年12月29日、ミリオン出版、1800円。

posted by 松村正直 at 15:17| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月04日

朝日旅行「樺太(サハリン)文学セミナー」

今年の8月に朝日旅行の企画で、「樺太(サハリン)文学セミナー」が行われる。樺太と文学をからめたツアーで、全部で5つのコースがある。
http://www2.asahiryoko.com/djweb/TourList.aspx?mc=1A

Aコース 北原白秋と樺太の旅(松平盟子さん同行)
Bコース 山口誓子が過ごした樺太の旅
Cコース 宮澤賢治『銀河鉄道の夜』の舞台を訪ねて
Dコース 樺太を深く知る旅
Eコース 南樺太(サハリン)周遊の旅

どのコースも楽しそう。
興味のある方は、ぜひ行ってみてください。

いよいよ樺太ブーム到来か!?

posted by 松村正直 at 21:25| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月03日

積ん読の効用

本を読むのは好きだが、それ以上に本を買うのが好きで、街に出かけるたびに本を買ってきてしまう。おとなしく家にいても、ネットの古本などを買ってしまうので油断ならない。

自分の財布から出ていくお金の7割は本に費やしている感じがする。もちろん、銀行口座から引き落とされるものや、目に見えない交通費などもあるので、実際はそんなに多くはないのだが、イメージとしてはそれくらいである。

買うスピードの方が読むスピードより速いので、必然的に本が溜まっていく。それは机の下や椅子の後ろなどに、文字通り積ん読状態になっている。無駄と言えば無駄なのだが、これがけっこう楽しい。

先日読んだ想田和弘著『演劇vs.映画』も長らく積まれていた一冊。映画「演劇1」「演劇2」を観たのが2012年12月20日で、その後すぐに買った本である。でも、すぐには読まなかった。多分、映画と本が近すぎるように感じたからだろう。

それが最近になって、平田オリザの自伝エッセイ『地図を創る旅』(5月13日)を読み、想田監督の映画『牡蠣工場』(5月16日)を観たことで、ようやくこの本にも手が伸びたという次第である。

でも、時間が空くというのは良いもので、単に映画「演劇1」「演劇2」の撮影の舞台裏をのぞくという点だけではなく、ドキュメンタリーにおけるフィクションとリアルの問題や、演じるとはそもそもどういうことなのかといった深い部分が伝わってくるのを感じた。

「機が熟す」という言葉があるけれど、「積ん読」している間に、本と私の関係が発酵してきていたのだろう。同じ本でも、読むタイミングによって受け取るものは全然違ってくるのだ。

posted by 松村正直 at 07:34| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月02日

現代歌人集会春季大会 in 松江

7月18日(月・祝)に松江で、現代歌人集会春季大会が開催されます。
大会テーマは「あたらしきリアル」。

私もパネルディスカッションの進行役として出ます。
お近くの方も遠くの方も、ぜひご参加ください。

(チラシはクリックすると大きくなります)

kajin-shukai 2016 spring.png


posted by 松村正直 at 16:06| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

高野公彦歌集 『無縫の海』


副題は「短歌日記2015」。
2015年1月1日から12月31日まで、ふらんす堂のホームページに発表された短歌365首を収めた第16歌集。

どの婦人も耳が一つで口二つありて姦し昼の車内は
一人なる夕餉を終へて俎板の使はなかつた裏も洗へり
漱石といふ宝石がてのひらに在る思ひして「文鳥」読めり
ケースワーカー、ケアマネージャー、ホームヘルパー会ふこともなし妻逝きてより
桜島山体膨張説あれどふもとに実るデコポンうまし
見ることのありて触れたることのなき虹、さるをがせ、白き耳たぶ
女人らの髪はたはたす地下鉄がトンネルの丸き空気押し来て
国々に酒(しゆ)と肴(かう)ありて白ワイン旨からしむるにしんのマリネ
三十で被爆し〈原爆ドーム〉として立ち続け今年百歳の翁(をう)
富有柿手に持ちがたきほど熟れて頽(くづ)るるを口で啜りつつ食ふ

1首目、相手の話を聞くよりも自分が喋る方が優先。
2首目、「裏も」がいい。ここに暮らしの手触りがある。表だけ洗ったのでは歌にならない。
4首目、以前は頻繁に家にやって来た人たち。親しい人のようにも感じたのだろうが、それはあくまで仕事の上での付き合いであったのだ。
6首目は下句に挙げる三つの順番がいい。「さるをがせ」は木の枝から垂れ下がる地衣類。
7首目、地下鉄のホームで見た光景だろう。「丸き空気」がいい。空気砲みたいだ。
9首目、元は広島県産業奨励館であった建物。擬人化して詠まれることで、建物の経てきた歴史が身近に感じられる。
10首目、ウ段の音がよく響く一首。特に下句は15音のうち実に11音がウ段である。

作者の嫌いな鵯は今回も何度か登場する。そして、それにもまして多いのが「スマホ」の歌。特に歩きスマホがお嫌いなようだ。

ついには「スマホ」を「須藤真帆」と擬人化して、

平成も四半世紀を過ぎたぞな国ぢゆう須藤真帆が行くぞな

などと詠んでいる。
ここまで行くと、怒っているというよりも、むしろユーモラスである。

2016年5月20日、ふらんす堂、2000円。

posted by 松村正直 at 08:34| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする