2015年11月30日

小見山泉歌集『みづのを』批評会

昨日、龍短歌会の小見山泉さんの第1歌集の批評会があった。
14:00からハートンホテル京都にて。

パネリストは田中教子、中津昌子、松村正直、魚村晋太郎(司会)。

棺の中で目を閉ぢゐるは同姓の老女にてその人生を知らず
茶畑を歩みて着きし山の家の奥にはひかるまなこが四つ
父をまね湯呑み茶碗に白湯(さゆ)を入れ富乃宝山をなみなみと注ぐ
風邪癒ゆと庭に出づればやはらかに山芋の葉が日にひかりをり
まなうらの薄やはらかい水の珠が壊れぬやうに夢に入りゆく
葉唐(はとん)を煮つつ「辛い辛い」と泣き笑ひして母と食べゐし夏を思ひぬ
水路(みづみち)には根雪がとけて流れつつさみどりの蕗の薹をそよがす
笠岡の「ちーちー烏賊」のちーちーは網にかかりし烏賊の鳴き声
このうみの淡海でありしいにしへを思ひつつ浜名湖今切(いまぎれ)をわたる
ぬばたまの厨の闇にかぎりなく黒木耳(きくらげ)が広がりてゆく

17:00から「シェ・モア」にて懇親会。

歌人だけでなく、作者の知り合いの学者、詩人、彫刻家、編集者など、さまざまなジャンルの人が参加して賑やかな会だった。

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2015年11月27日

六花書林十周年

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六花書林(りっかしょりん)が創業10周年を迎えた。
その記念冊子に、私もお祝いの文章を書かせていただいた。

これまで、評論集『短歌は記憶する』(2010年)、評伝『高安国世の手紙』(2013年)、歌集『午前3時を過ぎて』(2014年)と、3冊の本をこの六花書林から刊行している。

このうち『高安国世の手紙』は、最初別の出版社に見積りを取ったところ、驚くほど高くて出版を諦めかけていたもの。六花書林のお蔭で3年間の連載を一冊にまとめることができた。

大辻隆弘著『近代短歌の範型』、『高瀬一誌全歌集』など、最近も注目すべき本を次々と出している。ますますのご発展を。

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2015年11月26日

小池光著 『石川啄木の百首』


シリーズ「歌人入門」の1冊目。
石川啄木の歌100首を取り上げて、鑑賞を付している。
右ページに短歌、左ページに250字の鑑賞というスタイル。

煙草は人を孤独にし、またつかのまの孤独を誘うのである。
懐かしいという感情が人のこころに訴えるのは、このように思い出にディテールがあるからである。啄木の歌が愛唱されるのはそのディテール性によるところが大きい。
啄木はたくさん鉄道の歌を残しており、それだけ移動激しく活動したということだが、今日でいえば一種の鉄道マニアのようにもみえる。
さすらう人の鞄に中には必ずや一冊の本が入っているものである。

など、印象的なフレーズや分析が多くあり、読んでいて楽しい。
巻末には啄木の生涯を記した解説も付いており、啄木の入門書として格好の一冊であろう。

2015年10月27日、ふらんす堂、1700円。

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2015年11月25日

現代歌人集会秋季大会のお知らせ

12月6日(日)に京都で、現代歌人集会の秋季大会が行われます。

現代歌人集会は西日本を中心とする歌人の団体で、年に2回、春と秋(と言っても6月、12月頃)に大会を開催するほか、会報の発行などを行っています。

来月の大会は、安田純生さんの基調講演、松平盟子さんの講演「大逆事件と明星歌人〜思想と言論をめぐる衝撃〜」、第41回現代歌人集会賞授与式(土岐友浩歌集『Bootleg』)といった内容です。

私も総合司会を務めます。
どなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越しください。

詳しくは下のチラシをどうぞ。(クリックすると大きくなります)

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懇親会もあります。

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2015年11月24日

杉山正明著 『海の国の記憶 五島列島』


「歴史屋たわごと」シリーズの1冊目。
副題は「時空をこえた旅へ」。

モンゴル史、中央ユーラシア史の専門家である著者が、大陸との交流や世界史的な観点から五島列島の歴史について記した本。

遣隋使・遣唐使、モンゴル襲来、倭寇、キリスト教伝来、朝鮮出兵、鎖国から開国へといったトピックが取り上げられている。今では国土の西端の小さな島々といった印象が強い五島列島であるが、歴史的に見れば海外との交流の最前線であったのだ。

自らの学生時代の旅の思い出を交えつつ、「です・ます」調の柔らかな文体で述べる話のなかに、これまでの歴史の見方を覆すような指摘がいくつも出てくる。

例えば、中国の「北魏・東魏・西魏・北斉・北周・隋・唐」といった王朝については

国家としてのかたちや権力のあり方、その基幹勢力としての構成や顔触れなどは、北魏から隋・唐までほぼ一貫しており、いわば王家だけが交代したといってもいいすぎではないでしょう。

と述べる。
また、モンゴル襲来における対馬・壱岐の状況に関しては、

これまでともすれば両島とも制圧されたのち、島民たちは殺され、家々は焼かれ、残虐行為がおこなわれたとされがちですが、それをしるす確かな記録は実のところありません。

と指摘するのだ。
他にも

「大航海時代」をあえて英訳するならば「グレイト・マリタイム・エイジ」(the Great Maritime Age)といったところでしょうが、欧米ではそういってもまったく通じません。日本独自の造語というか、きわまて“内向き”の用語なのです。
江戸湾すなわち現・東京湾入口部分の海流はきつく、動力船でなかった当時は湾内に入るのは簡単ではありませんでした。
「鎖国」なる表現は、十九世紀の初年、長崎出身の天文学者でオランダ語通詞であった志筑忠雄が命名したいい方で、あくまでも江戸日本が孤立主義・閉鎖主義であったことの弊害をいわんがための、まさに十九世紀的な発想による造語であったというほかはありません。

など、なるほどと思う話が盛り沢山であった。
とにかく面白い。このシリーズは続けて読んでいきたい。

2015年1月15日、平凡社、1500円。

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2015年11月23日

三連休

秋の3連休。
京都は紅葉のシーズンということもあって、電車も車も混んでいる。

21日(土)は13:00からハートピア京都で、「塔」の京都旧月歌会。
参加者34名。
17:00に終って、近くのワールドコーヒーでお茶。

22日(日)は11:00からコープイン京都で、「塔」の選者会議。
13:00からは同じ場所で拡大編集会議。
参加者25名。
来年の誌面や全国大会のことなど、様々なことを話し合う。
17:00に終って、向かいの中国料理「菜根譚」で夕食。
その後、バー「K家」で2次会。22:00頃まで。

23日(月)は13:00から永田家で、「塔」の再校・割付作業。
参加者20名。
12月号の再校と1月号の割付を行う。
庭の焚火で焼いた焼き芋が美味しかった。
17:30終了。

ぐったり疲れた。

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2015年11月22日

映画 「波伝谷に生きる人びと」

監督・撮影・編集:我妻和樹

宮城県南三陸町「波伝谷(はでんや)」は、戸数80戸、人口260人あまりの集落である。かつては養蚕や炭焼き、現在は農業と牡蠣、ホヤ、ワカメなどの養殖で生活する人々の姿を映したドキュメンタリー。

「契約講」という古くからの集団を中心として、地域の祭りや行事、「結」などで強く結び付いていた集落は、高齢化や都市化によって次第に変わりつつある。高齢で契約講を辞める人や、都会へ出て行く若者が増えていく中で、どのようにコミュニティを維持していくのか。これは今、全国各地で大きな問題となっていることでもある。

2008年から2011年にわたって取材したこの映画は、図らずも東日本大震災前の東北の漁村の生活を映した貴重な記録ともなった。

立誠シネマ、135分。

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2015年11月21日

十一月二十日

昨日の読売新聞朝刊の長谷川櫂の詩歌コラム「四季」に、小池光の歌が紹介されていた。

一日の過ぎゆくはやさ凝視して妻と二人あり十一月二十日

解説は以下の通り。

ふつうのことをふつうに詠む。短歌でも俳句でも、これほど難しいことはない。題材にもたれず表現に凝らず、それでいて深い静かさをたたえていること。この歌もその一首。時の激流の真っただ中の静かさ。歌集『思川の岸辺』から。

これで解説は十分なのか、というのが正直な気持ち。
この歌は本当に「ふつうのことをふつうに」詠んだだけの歌なのだろうか。

歌集を見ればわかることだが、この歌は『思川の岸辺』の巻頭歌である。作者にとってそれなりの思い入れのある一首に違いない。そして、その歌集は

妻の死は、大きな大きな衝撃となった。わたしの人生は、ここに歴然たる区切りを迎え、以後の生活は一変した。区切りを区切りとして受け止め、さらに新たに前に進まねばという気持から、その死から五年を迎えるいま、本集を編むことにした。

という一冊なのだ。巻頭に妻の歌があるのが偶然ではない。

掲出の一首の初出は「短歌現代」2010年1月号。なので、この「十一月二十日」は、2009年の11月20日であろう。あとがきに「二〇一〇年の十月に、癌で妻を亡くした」とあるので、結果的に妻にとっては生前最後となった「十一月二十日」なのである。

もちろん、そうした諸々のことは、この一首だけからはわからない。でも、「ふつうのことをふつうに」詠んだだけの歌でないことは確かだと思う。

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2015年11月20日

『近代短歌の範型』のつづき

この本は4部構成になっていて、計25編の論考が収められているのだが、全体がうまくつながっていて、一つの流れとして読むことができる。また、文章も読みやすく、論旨が明快に伝わってくる。

著者の論考の大きな特徴は、一首一首の歌の読みが非常に丁寧なことだろう。丁寧な読みに基づいて話を進めていくので説得力がある。さらに言えば、どの論にも新鮮な発見があって、読んでいて飽きない。

私たちは、ついつい結果論的な歴史観で過去を見てしまう。和歌改良運動が起こり、「歌よみに与ふる書」が発表され、「明星」が創刊される。そういった和歌革新の動きこそが歌壇の主流であり、あとは無視していい。そんな乱暴な歴史観で明治の和歌の歴史を見てしまいがちだ。

御歌所派歌人の税所敦子(さいしょあつこ)について論じる文章で、著者はこう述べる。引用されている税所の歌を読めば、なるほど単に古臭い旧派和歌として無視してしまうには惜しいことがよくわかる。

また、佐藤佐太郎の歌に見られる助詞「て」や「を」の独特な使い方を分析した上で、著者は

佐藤佐太郎はたった一音の助詞にこだわり、それを新たな作品世界を創造する梃子とした。短歌という小さな韻文形式の中では、たった一音、たったひとつの助詞が決定的な力を発揮する。

と記す。これも抽象的な論考ではなく具体的な作品に即して論じているので、助詞の大切さが非常によくわかる。佐太郎についての論であるとともに、著者の短歌観が十分に滲み出た内容と言って良いだろう。

評論の書き方という点でも学ぶことの多い一冊であった。

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2015年11月19日

大辻隆弘著 『近代短歌の範型』

主に近代短歌に関する論考24編を収めた第3評論集。
「範型」は耳慣れない言葉だが、「パラダイム」の訳語である。

近代短歌を読むときに感じる肉厚で彫りの深い重厚な作者像。それを齎すものは一体何なのか。私たちがそれを感じるとき、私たちはどのような「読み」のパラダイムの中で作品を読んでいるのか。

ということが本書の大きなテーマになっている。
結論に当たる部分だけを引用すれば

作者の視点を「今」という時間的定点と「ここ」という空間的定点に固定し、助詞・助動詞を駆使して、作者の意識に生起したわずかな時間の流れを表現する。そのような文体の獲得によって近代短歌は「今ここ」にありながら、過去を想起し未来を想像する「主体」の像を歌のなかに彫り深く刻みこむことを可能にしていった。

ということになる。
さらに著者は、近代短歌においては「作中主体」=「作者像」=「作者」という定式があったことを指摘した上で、

近代短歌の「読み」のなかでは、そのような読者と作者の信頼関係が成り立っていた。その意味で、近代短歌の「読み」の枠組は、三十一音という短い短歌のなかに、肉厚で彫り野深い人物像の造形をもたらした効率的な叙述システムだったと言うことができる。

と述べる。
近代短歌のパラダイムは、まさにこれで言い尽されていると言って良いだろう。

現代短歌(あるいは現代の短歌)を論じようと思えば、まずは近代短歌がどういうものであったかを十分に知らなくては始まらない。近代短歌について考え、検討することは、私たちが今後どのような歌を詠んでいくかという問題と深くつながっているのである。

2015年11月13日、六花書林、2700円。

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2015年11月18日

別冊正論25号「「樺太―カラフト」を知る」


樺太に関する特集号。全306ページ。

・竹野学「移民政策めぐる官と民とのすれ違い」
・三木理史「「棄景」の語る樺太産業と鉄道の関係誌」
・杉本侃「サハリンプロジェクトのルーツは戦前」
・渡辺裕「北太平洋沿岸諸民族の歴史」

など、興味深い内容の文章が多数収められている。

ムック全体としては「ニッポン領土問題の原点!!」という政治的な姿勢が濃厚で、そこは私と立場が異なる。けれども、これだけ本格的な樺太の特集が組まれるということ自体は、実に喜ばしいことだと思う。

竹野学「移民政策めぐる官と民とのすれ違い」は、樺太を支える新産業として期待された甜菜製糖が挫折した経緯について触れている。

一九三六年から操業を開始した樺太製糖は、年々の産糖高が当初の計画から乖離し続けた結果、連年赤字を計上していた。それは原料である甜菜の作付および収穫量の少なさが原因であった。

このあたり、皆藤きみ子歌集『仏桑華』の中で

農作に恵まれぬ嶋の農民が希望をかけしビート耕作
国はての凍土曠野にかにかくに大き創業は成しとげられつ
  (官民合同の樺太製糖)
  ビートは隔年作なれば農家は耕作を心よしとせず、
  ビート不足のため製糖は三カ月にて完了せんとす
事業家と農民のこころ相容れぬけはしき事も利にかかはりぬ
一年に三月の操業やうやくにビート完収をつげてきにけり

と詠まれていることに見事に対応している。

2015年11月13日、産経新聞社、1000円。

posted by 松村正直 at 20:43| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

永田和宏著『現代秀歌』を読む会(最終回)

1年間続けてきた「永田和宏著『現代秀歌』を読む会」も、いよいよ最終回となりました。会の内容は、参加者が順番に声を出して読み、全員で感想や意見を語り合うというものです。

事前の申し込みの必要はありません。初めての方でも、「塔」会員以外の方でも、誰でも参加できます。どうぞお気軽にご参加下さい。

日時 11月24日(火)1時〜4時 「第十章 病と死」

場所 塔短歌会事務所(地下鉄丸太町駅から徒歩7分)
      〒604-0973 京都市中京区柳馬場通竹屋町下る五丁目228
                「碇ビル」2階西側
参加費 500円

お待ちしております。

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2015年11月16日

畠山重篤著 『日本〈汽水〉紀行』


2003年に文藝春秋社より刊行された単行本の文庫。
初出は「諸君!」2001年7月号〜2003年6月号。

全国各地の「汽水」を旅したエッセイ。陸奥湾、有明海、屋久島、四万十川、富山湾、揚子江などが舞台となっている。

気仙沼で牡蠣の養殖を手掛ける著者は、「森は海の恋人」を合言葉に、各地で植樹や講演活動を行っている。「汽水」とは海の水に川の水が混ざっている水域のこと。

河川水が流れ込む海とそうでない海とでは植物プランクトンの発生量が約三十倍から百倍もちがう。これはそのまま魚介類の漁獲量のちがいだと思っていい。

著者はその例として、面積がほぼ等しい東京湾と鹿児島湾を比較する。多摩川、鶴見川、荒川、江戸川など16本の川が流れ込む東京湾に対して、鹿児島湾は火山の爆発でできた湾のため大きな川が流れ込まない。そのため、漁獲量は東京湾が鹿児島湾の約30倍にのぼるのだと言う。

国の中央に背骨のように位置している脊梁山脈の森から、日本海と太平洋の双方に約五万本の川が流れ落ち、沖積平野で稲穂が波打ち、汽水域で魚介類や海藻が育つ

森と川と海の深い関係がよくわかる文章だろう。海のことを考えるには、森や川のことも考える必要があるのだ。

本書には気仙沼の歌人、熊谷龍子の歌も随所に引用されている。

冬海の石蓴(あおさ)の森のそよぎ聴かむ 海苔の胞子の飛び交うなかの
寒鰤を育みしもの 杳(とお)い日の立山連峰に降りし雪のひとひら
胎内の記憶のごとき川の匂い忘れずに生く 鮭の一世は

2015年10月10日、文春文庫、700円。

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2015年11月13日

真中朋久歌集『火光』をとことん読む会

真中朋久さんの第5歌集『火光』(短歌研究社)を、徹底的に読みます。「ちょっとわかりにくい」「読みにくさがある」「なかなかうまく入っていけない歌集」(「短歌研究」11月号の作品季評より)といった声も聞かれる一冊について、参加者全員で好きな点や疑問点を出し合って、とことん理解を深めたいと思います。ざっくばらんに、とことんまで語り合いましょう!!

日 時 2015年12月23日(水、祝)13:00〜17:00
場 所 塔短歌会事務所
    (京都市中京区柳馬場通竹屋町下る五丁目228「碇ビル」2階西側)
参加費 500円
申込み 歌集の中から、「好きな歌1首」と「議論したい歌1首」を引いて
       (ページ数も)、松村正直までご連絡下さい。
    〒612-0847 京都市伏見区深草大亀谷大山町20-3-202
    TEL/FAX:075-643-2109 メール:masanao-m@m7.dion.ne.jp

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2015年11月12日

川野里子著 『七十年の孤独』


副題は「戦後短歌からの問い」。

23篇の評論を収めた評論集。全体は「出発について」「源について」「今について」「未来について」の4章に分かれている。

現代短歌とは、第二芸術論以後の短歌のことだ。第二芸術論への賛同も反対も、それらすべてをひっくるめて、現代短歌とは第二芸術論に代表されるような否定論を核として抱きながら展開してきた戦後の詩型のことだ。

現代短歌とは何か、現代短歌はどうあるべきか、そういった問題意識が常に著者の中には存在するようだ。その問題意識に基づいて、葛原妙子、塚本邦雄、山中智恵子や現代の永井祐、笹井宏之らの作品を分析していく。

東日本大震災後、私にとって親たちの昔話の世界に過ぎなかった戦後がにわかに近くなった。七十年前の焦土と震災後の日本とは繋がっている、と思えた。

「あとがき」にこう書かれているように、この本は短歌についての論であるとともに、短歌を通じて見えてくる戦後の日本についての論でもあるのだろう。

けれども、私が一番心惹かれたのは、評論ではなく「挿話」としてところどころに挟まれている5篇のエッセイであった。その中で著者は、ふるさと九州に一人で暮らす母のことをしみじみとした筆致で描いている。

明快な枠組みを提示して鋭い切り口で論じる評論と、この懐かしく温かで、そして寂しさの滲むエッセイとの違いは何なのだろう。そこにこそ、戦後の日本が抱え込まざるを得なかった大きな矛盾が表われているように感じるのだ。

2015年9月1日、書肆侃侃房、1800円。

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2015年11月11日

「立命短歌」第3号

「顧問作品」「会員作品」「OB作品+ミニエッセイ」「エッセイ」「企画」「評論」「立命短歌史」「吟行」「前号評」「活動記録」「規約」と、充実した内容。全144ページ。

印象に残ったものを順番に挙げていく。

○エッセイ 菊池まどか「菊池まどかの電子書籍を買わない暮らし」

「少しくらい値段が高くても、ちゃんとしたものを売ってまっとうに商売をしている、小さな商店にお金をまわすことに決めたの」という友人エミリーの言葉に触れて、それを実践するようになる作者。私も共感する。以前だったら「何を青臭いこと言ってんの」と言われそうな内容なのだが、こういう「まっとう」な感覚が実は大事なのだ。

○会員作品
いつからかヒエラルキーの枠外に置かれたほうれん草のおひたし
                 加藤綾那
座らせてあなたに缶を手渡せばあらゆる花としてさくらばな
                 村松昌吉
新設の書架のひかりを浴びながらレーニン全集、とほい呼吸よ
                 濱松哲朗

○宮ア哲生「立命短歌史U」

「立命短歌」創刊号に掲載された「立命短歌史」の続編、補足編。
その後あらたに判明したことや見つかった資料などを取り上げつつ、第一次から第四次までの立命短歌会の歴史を描き出している。非常に緻密な内容で、資料の探索力にも驚かされる。

今後我々が立命短歌史を編んでいくにあたって、先代「立命短歌史」(1970年に書かれたもの:松村注)が明らかに出来なかったことをいかに盛り込めるかは、重要な課題点である。
立命短歌史について文章化するとき、思い起こせばいつも意識していることがある。それは、四〇年後の立命短歌会に所属する後輩に、見知らぬ先輩が通ってきた過去を学びたいとする後輩に、少しでも自分の調査事項、知識、考察を伝えたい、ということである。

40年前に書かれた文章を読みながら、40年後のことを意識する著者。歴史のバトンをつなぐこうした観点は、今、非常に大切なものだと思う。

○評論 濱松哲朗「坂田博義ノート〈前篇〉」

第3次立命短歌会に所属し、1961年に24歳の若さで亡くなった坂田博義について、残された作品や資料を丁寧に読みつつ、著者はその実像に迫っていく。

興味深かったのは、坂田が教育実習で訪れた北海道の中学校の校長が、坂田の父だったのではないかという推論である。その上で著者は「教員である父への思いの屈折」「家や父に対する坂田の屈折」を導き出す。こうした指摘は、たぶん初めてのことだろう。これは重要な点だと思うので、ぜひ確証を掴んでほしい。

坂田のライバルであった清原日出夫については、野一色容子さんの2冊の評伝によって、かなり詳細なことまでわかってきた。坂田博義についても、同じようにいろいろなことが明らかになっていくのを期待したい。

2015年9月20日、立命館大学短歌会、500円。

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2015年11月10日

現代歌人集会秋季大会のお知らせ

12月6日(日)に京都で、現代歌人集会の秋季大会が行われます。

現代歌人集会は西日本を中心とする歌人の団体で、年に2回、春と秋(と言っても6月、12月頃)に大会を開催するほか、会報の発行などを行っています。

来月の大会は、安田純生さんの基調講演、松平盟子さんの講演「大逆事件と明星歌人〜思想と言論をめぐる衝撃〜」、第41回現代歌人集会賞授与式(土岐友浩歌集『Bootleg』)といった内容です。

私も総合司会を務めます。
どなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越しください。

詳しくは下のチラシをどうぞ。(クリックすると大きくなります)

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懇親会もあります。

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2015年11月09日

落合けい子歌集 『赫き花』

2001年から2014年までの作品503首を収めた第4歌集。

このあさけ夜久野(やくの)峠を下りくる肉冠うすき雄鶏ひとつ
月光に漬物樽の並びゐて樽それぞれに母坐りをり
母よりも年を重ねて母さんはわたしの生みし子供のやうな
左側二番目の脚から蟻は歩くと聞けど確かめられず
水道の蛇腹の腹の腹ごとにとても小さなあなたが笑ふ
あぢさゐの葉を食べながらまひまひの壊れし殻のもどりてゆかむ
瓶と瓶ふれあふ音にめざめたる少女のころの靄のしろさよ
安来節ちよこつと名人修了書いただく夫の礼(ゐや)の深さや
コンビニのミートスパゲティくにくにとプラスチックのフォークで食べる
かげりくるひかりとともに降りゆきし少女のあとの席に移りぬ

1首目、「あさけ」という時間と地名の「夜」の絶妙な組み合わせ。
2、3首目は、作者が9歳の時に亡くなった母を詠んだ歌。第1歌集『じゃがいもの歌』から一貫して詠まれ続けているテーマである。
5首目、「腹」を3回繰り返しているのが面白い。
6首目、殻のひび割れが治っていく様子が目に見えてくるような歌。長時間撮影した映像を早送りしているみたいなイメージだ。
8首目、観光で踊りを体験してみたのだろう。夫の生真面目さが微笑ましい。
9首目、カタカナの多用と「くにくに」というオノマトペがいい。ちょっと食べにくい感じがよく表れている。

2014年11月29日、現代短歌社、2500円。

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2015年11月08日

落合けい子歌集『赫き花』批評会

13:00から姫路駅前の「じばさんびる」で、落合けい子さんの歌集『赫き花』の批評会が行われた。参加者70名以上。

前半はパネルディスカッション。パネラーは、大森静佳、香川ヒサ、栗木京子、松村正直(司会)。後半は会場発言、花束贈呈、作者挨拶で17:00終了。その後、同じ建物で懇親会という流れ。

楽しい一日だった。

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姫路駅前から撮った姫路城。
お城へ行くのはまたの機会に。

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2015年11月07日

大林千茱萸著 『未来へつなぐ食のバトン』


副題は「映画『100年ごはん』が伝える農業のいま」。

子どもたちの給食を地元農産物でまかないたい。有機野菜に変えていこう。そのためにまず「土」をつくろう―。

という構想のもとに、現在、大分県臼杵市は有機農業の取り組みを推進している。それを記録した映画「100年ごはん」の監督である著者が、食と農の問題や取材で出会った人々、初めての映画作りのエピソードなどを記した本。

以前、大分に住んでいた時に、臼杵市や今は合併して臼杵市の一部になった旧野津町には何度も行ったことがあるので、懐かしい。

100年先というのはずいぶん未来の話のようですが、自分の子どもの、そのまた子どもの時代だと考えれば、そう遠くない時代の話です。100年先のことを考えるためには、人が変わってもちゃんと続いていくこと、つなげていくことが大切。

こうした長いスパンでものを考えるということが、現代の私たちにはなかなかできない。刻々と移り変る目先の出来ごとに追われてしまう。

120時間の映像を65分の作品に編集する作業は、一生終わりが来ないんじゃないかと思うほどでした。(…)パソコンに取り込んだ映像を並べたり並べ替えたりの繰り返しですが、映画には「これが正解」という着地点があるわけではありません。

どの映像を、どのくらいの長さで、どういう順番に並べるか。考えただけでも大変そうな作業だが、きっと面白いのだろうな。

2015年6月10日、ちくまプリマー新書、950円。

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2015年11月06日

三島麻亜子歌集 『水庭』

片耳の冷えに覚めたる早天をおくれて目覚まし時計が響(とよ)む
取り急ぎと書かれしままに夏過ぎて秋過ぎてなほ置かれたる文
あさゆふに月のひかりを吸ひこみて高層ビルの屋上(うへ)の隠し田
旋回をしつつ降り来るしらさぎはつね横顔をわれに見せをり
指先より冷え初むる朝ポケットに切符の稜(かど)の尖りたしかむ
花冷えの三日シャッター下りしまま扇(ファン)は逆さに回転しをり
ふるさとに二度の大火を見しといふ君よ歯並みがうつくしきひと
洗ひ場はいまだ名残の水ながれ踏み板なかば崩れつつあり
ゆふまぐれ水神祭の車座に「ほんのすこし」を三度いただく
朝明(あさけ)まで踊れば切れる鼻緒ゆゑ夜通し商ふ下駄屋のありぬ

370首を収めた第1歌集。

2首目、なかなか返事を書けずにそのままになっている手紙。
3首目、歴史的な言葉である「隠し田」と現代的な「高層ビル」の取り合わせが面白い。
5首目、切符の角に触れる指先の感覚が鮮やかに描かれている。
6首目、換気扇のファンに外気が吹き込んで逆回転している場面。
9首目、地元の祭なのだろう。「ほんのすこし」と言ってお酒を受けているのだ。
10首目、郡上踊りを詠んだ歌。夜通し踊ることは知っていたが、夜通し営業している下駄屋があるとは知らなかった。

2014年10月20日、六花書林、2400円。

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2015年11月05日

カルチャーセンター

大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
興味のある方は、どうぞご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
  A組 10:30〜12:30
  B組 13:00〜15:00
   *奇数月を松村が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」 
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作」 毎月第3金曜日
   A組 11:00〜13:00
   B組 13:30〜15:30
   *偶数月を松村が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーセンター千里セルシ― 06−6835−7400
 「はじめての短歌」
  毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンターKYOTO 075−254−2835
 「はじめての短歌」
  毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00

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2015年11月04日

山口直樹著 『日本妖怪ミイラ大全』

著者 : 山口直樹
学研パブリッシング
発売日 : 2014-08-19

全国各地の寺社や旧家、資料館などに残された「鬼」「河童」「人魚」「天狗」「龍・大蛇」「異形獣」のミイラや骨を紹介した本。長年にわたる取材をもとに、ミイラや資料のカラー写真240点以上を掲載し、詳細な解説を付けている。

その多くは、もちろん科学的に見れば作り物であるのだが、著者は作り物だから価値がないとは考えない。

幸い、近年日本でも、公的な博物館が妖怪のミイラや遺物を所蔵し、展示するようになった。作り物だからといって価値を下げず、われわれの祖先が妖怪に託した思いを具現化した遺物ととらえ、見てほしい。

これまでキワモノ扱いされてきたこれらの遺物が、ようやく民俗学的な資料として日の目を見るようになってきたということだろう。

本書には「興行師が所蔵する驚愕の珍宝」として、あぐらをかいて座る河童のミイラが紹介されている。入方興業が巡業で公開してきたものとのこと。

同社代表の入方勇さんは、かつては演劇を志し、テント小屋芝居を目指していた。その勉強のため、見世物小屋の「大寅興業」に弟子入りを志願。(…)その際、先輩興行師から特別に譲られたのが河童のミイラだった。

このミイラの取材は、少し前のことなのだろう。入方興業が一世を風靡した後、2010年に入方さんの突然の自殺によって幕を閉じたことを知っているだけに、懐かしいような悲しいような、何とも複雑な気持ちになった。

2014年9月2日、学研パブリッシング、2500円。

posted by 松村正直 at 07:26| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月03日

京都府立堂本印象美術館

秋晴れの気持ち良い一日。

今年は「琳派400年記念」ということで、京都各地の美術館で関連する展覧会が行われている。その一つ、堂本印象美術館で開催されている特別企画展「京都画壇にみる琳派のエッセンス―ユーモアとウィット」を見に行く。

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まずは、堂本自らデザインした建物の外観や内装に注目する。斬新で美しい。

展示作品の中では、西芳寺(苔寺)の襖絵である「遍界芳彩」が、とにかくすごかった。こんな斬新な襖絵があるなんて!

企画展は今月29日まで。

posted by 松村正直 at 19:32| Comment(0) | 演劇・美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

野一色容子著 『ナンジャモンジャの木』


副題は「歌人清原日出夫の高校時代 in Hokkaido」。
『ナンジャモンジャの白い花』(2011年)に続く清原日出夫の評伝第2弾。
この2冊は、現時点で清原に関する最も詳しい評伝と言っていいだろう。

今回はこれまで知られていなかった数多くの資料をもとに、清原の中学・高校時代を描いている。大きな成果としては、清原の歌にも詠まれている「武佐中学校事件」の詳細が記されていることと、北海道新聞根室版の「根室歌壇」への投稿歌を中心に高校時代の70首ほどの歌を見つけたことが挙げられる。

武佐中学校事件は、1952年に清原が通っていた標津村武佐中学校で、共産主義的な偏向教育を理由に教員が処分された事件である。この事件に関して清原の父が国会に証人として呼ばれた事実や、当時中学3年生だった清原が事件後に別の学校へ転校した事実などが、本書で明らかにされている。

根室歌壇への投稿歌は、例えば次のようなもの。

物の理に従ひ流るる川水に抗がふ流木に親しさ覚ゆ
サロンパスの香りは部屋に満ちてをり農事に疲れ母臥したまふ
馬がひく幌あるトロに開拓の意気に燃え立つ君乗り行きぬ

いずれも、高校3年生、18歳の時の作品である。素朴な歌であるが、後の大学時代以降の清原作品につながる雰囲気が既に感じられる。

このような地道な調査・研究が果たす役割は非常に大きいということを、あらためて感じさせる一冊であった。

2015年5月15日、文芸社、1400円。

posted by 松村正直 at 20:44| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする