2015年08月31日

「短歌往来」2015年9月号

「思い出の歌人」という特集があり、馬場あき子さんが2012年に亡くなった武川忠一さんのことを書いている。

お酒が入る席では、私は必ず武川さんの近くに座った。いい話、つまりけっこうきびしい批判が笑いの中できけるからだ。あの狭量が頭をもたげて放ってはおけなくなるのである。「あんたはなあ」とくればしめたもので、あとは「うそだ、うそだ」と防衛していればちくりちくりとやってくれるのが何だか浮き浮きとうれしいのである。

いい関係だなあと思う。年を取るとともに、みんななかなか本当のこと、まして批判めいたことは言ってくれなくなるものだ。それを武川さんは言ってくれたし、馬場さんも喜んで素直に聞いたのだろう。

そう言えば、馬場さんの歌集『記憶の森の時間』の中に、「武川さん」という一連があった。

語りたき武川忠一は耳遠しわれも八十を過ぎしよと叫ぶ
忠一は婉曲にして鈍刀をよそほひて斬りしよ夜更けて痛し
斬られることわかつてゐるが面白く武川忠一の隣に坐る

八十歳を過ぎた馬場あき子に意見できる人というのは、そう多くないにちがいない。長年にわたる二人の交友の深さを思うのである。


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2015年08月30日

竹尾忠吉という歌人

竹尾忠吉の第4歌集『朝雨』(昭和22年)を読んでいる。
昭和17年、18年に樺太を訪れた時の歌が載っているのだ。

敷香を発(た)ち島横切らむ朝あけにフレップの実を摘みて噛み居り
密林の右に左にひらけくる山火(やまび)の跡は年経(ふ)りてをり
遥けくも来りてあはれ夏草の繁き樺太の旅も終りぬ

歌としては、どれもどうということもない。
平凡な歌と言っていいだろう。

竹尾忠吉(1897―1978)は島木赤彦に師事し、戦前は「アララギ」の選者も務めた歌人であるが、今ではほとんど名前を聞くことがない。ごくごく普通の歌人に過ぎない。でも、この「普通」というのが、意外に大切なのである。

新しき国興るさまをラヂオ伝ふ亡ぶるよりもあはれなるかな
             土屋文明『山谷集』
新しき国興りゐる奉天より語りくるこゑは夜ごとにきこゆ
             竹尾忠吉(「アララギ」昭和7年4月号)
遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし
             土岐善麿『六月』
遺棄したる死体数千といふ支那は戦死を如何に取扱ふならむ
             竹尾忠吉(「アララギ」昭和12年11月号)

土屋文明と土岐善麿の歌はどちらも有名な一首であるが、同じ時期に竹尾忠吉が詠んだ(平凡な)歌と比較すると、彼らの歌のすごさがよくわかる。時代を超えて今も残っている理由がはっきりする。

おそらく竹尾のような歌は当時無数に詠まれたのだろう。その中にあって、文明や善麿の歌は異色であったに違いない。それは、彼らの歌だけを見ていてもわからないことで、竹尾のような「普通」の歌人との比較を通じて、初めて見えてくることなのである。

(竹尾さん、失礼な書き方ですみません。)

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2015年08月29日

映画 「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」

監督:ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド
出演:セバスチャン・サルガド
2014年/フランス・ブラジル・イタリア

ブラジル出身の写真家セバスチャン・サルガドの仕事と生涯を追ったドキュメンタリー。監督はサルガドの写真に魅せられたヴェンダースと、父の仕事を理解したいと願うサルガドの息子である。

サルガドは、世界各地を旅して、過酷な労働や貧困、内戦、先住民族の生活、さらには神秘的な自然の姿を撮影し、『Sahel』『Other Americas』『Genesis』といった写真集を刊行している。映画の中には、それらの写真も数多く出てくるのだが、思わず引き込まれるような迫力を持つ作品がたくさんあった。

京都シネマ、110分。

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2015年08月28日

歌人の働く場所

塚本邦雄著『ことば遊び悦覧記』(1980年、河出書房新社)をぱらぱらと読む。
「いろは歌」「回文」「折句」「形象詩」など、古今東西の様々な言葉遊びの詩歌を取り上げて論じた本である。

跋文にこんな一節がある。

和田信二郎著『巧智文学』を、河出書房新社の日賀志康彦氏から頂いたのは、思へばもう一昔近くも前の話であつた。これをテキストとして、私の言語遊戯試論など草しては如何といふ注文もついてゐた。仄聞するところでは、故小野茂樹氏の蔵書の一冊であつたこの名著を、汚さず敷衍するのは容易ならぬ仕事とも思はれ、なほ数年躊躇しつつデータを蒐めてゐた。

ここに出てくる「日賀志康彦」とは高野公彦のこと。つまり、1970年に亡くなった小野茂樹の蔵書の一冊を、高野が塚本に渡して、本の執筆を勧めたというわけである。高野さんの編集者としての仕事ぶりが垣間見える内容だ。

wikipediaには、河出書房新社の「三代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1-3(短歌研究社、2004-06)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある」と記されている。

歌人を多く雇用していたということでは、戦前の帝国水難救済会もよく知られている。石榑千亦、古泉千樫、新井洸らがここで働き、それぞれ仕事に関する歌も残している。

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2015年08月27日

高野秀行著 『イスラム飲酒紀行』


2011年に扶桑社より刊行された単行本の文庫化。

「私は酒飲みである。休肝日はまだない」という著者が、原則として飲酒が禁じられているイスラムの国々で酒を求めて奮闘する旅行記。訪れた国は、カタール、パキスタン、アフガニスタン、チュニジア、イラン、マレーシア、トルコ、シリア、ソマリランド(ソマリア北部)、バングラデシュ。

多くのイスラムの国を訪れて、著者が感じたのは

イスラム圏にも地域性が歴然として存在し、それがイスラム自体を多様で豊かなものにしているのだ。
一口に「イスラム国家」と言っても、国民が百パーセント、ムスリムという国は存在しない。

という、よく考えてみれば実に当り前のこと。けれども、現地を訪れてみないと、こうしたことさえ実感としてはなかなかわからない。

イラン旅行の話の中に

彼らは英語をまったく話さず、私もペルシア語の単語は何ひとつ知らない。私は『旅の指さし会話帳 イラン』を取り出して、「酒」という単語を黙って指差した。

という場面が出てくる。
おお、「旅の指さし会話帳」!

先月のサハリン旅行に、この『旅の指さし会話帳』を持って行ったところ、かなり役に立った。現地の方とコミュニケーションが取れるというのは、やはり楽しい。



2014年7月15日、講談社文庫、770円。
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2015年08月26日

舳倉島

阿部静枝の歌集『冬季』(昭和31年)を読んでいたら、舳倉島を詠んだ一連があった。舳倉島は能登半島の北にある島で、海女が住む島として知られている。

島ぐるみしぶきに濡るれば土あつめ作る乏しき菜も塩はゆし
海女ら海へいでて無人の島の昼はまうどの伸び目に見ゆる如し
舟べりに女体ひらめき潜みたり水に吐く息泡なして立つ
潜水に飢ゑたる人の肺が吸ふ空気ひゆうひゆう気管に鳴れり
潜水後を耳遠き海女大声にさざめけり笑へば下腹ゆらぐ

この島には一度だけ行ったことがある。

あれは金沢に住んでいた時なので、1995年の夏、今からもう20年前のこと。
前日、輪島に泊まって、その日は朝市を見てから島に渡る船に乗った。乗客は釣り人が多く、観光客は誰もいないようだった。

島は歩いて回れるくらいの大きさで、中央付近に灯台と小学校があった。灯台の中に入れてもらって、灯台の上から島の全景を眺めたのが印象に残っている。

島を離れる時に、「またいつか来たいな」と思ったのだが、それ以後、訪れる機会がない。そんなふうにして、二度と訪れることのない場所が人生にはたくさんある。

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2015年08月25日

南樺太全図

サハリン旅行の時に、稚内の国際フェリーターミナルに貼られている
「南樺太全図」という地図を見た。戦前の樺太の詳細な地図である。

このたび、その地図を入手することができた。

P1040857.JPG

縦1メートル、横60センチほどの大きさで、町の名前、山の名前、川の名前、
鉄道、道路、工場など、知りたかったことが全部載っている。

西能登呂岬、遠淵湖、奥鉢山、幌内川、幌見峠、栄浜、多蘭内、敷香・・・、
素晴らしい!

家の壁に貼って毎日眺めていたいのだけれど、残念ながら空いている壁がない。
そこで時おり開いては畳の上で眺めている。

posted by 松村正直 at 22:36| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月23日

鹿児島

鹿児島に1泊して帰ってきました。
桜島も台風も何とか無事で、実に楽しい2日間でした。

せっかく鹿児島まで行ったのに、観光もせず写真も撮らず、もったいないなあと思いますが、明日は京都で「塔」の割付・再校作業があります。息子の中学校も始まるので、夏休み気分も終わりです。


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2015年08月21日

「塔」全国大会

塔短歌会の全国大会のため、明日から1泊2日で鹿児島へ行く。
全国大会は1999年から参加しているので、今回で17回目。
最初に参加した時は、まだ28歳だったわけだ。

 1999年 京都(45周年)
 2000年 鳥羽(三重)
 2001年 宮崎
 2002年 広島
 2003年 東京
 2004年 京都(50周年)
 2005年 松島(宮城)
 2006年 名古屋
 2007年 和歌山
 2008年 東京
 2009年 京都(55周年)
 2010年 松山(愛媛)
 2011年 長野
 2012年 大阪
 2013年 土浦(茨城)
 2014年 京都(60周年)
 2015年 鹿児島

こうして見ると、随分と日本のあちこちへ出かけたものだ。
今年はどんな大会になるだろう。

桜島がおとなしくしていてくれますように!

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2015年08月20日

『「昭和」という国家』のつづき

この人(富永仲基・松村注)を明治二十年代で発見したのが内藤湖南です。そのほかたくさんの人を発見しています。埋もれた江戸時代の無名の知識人を、われわれに教えてくれたのは内藤湖南です。
江戸時代の不思議な思想家として、山片蟠桃がおります。この人も高砂の出身です。職業的には一生番頭さんだったものですから、蟠桃と、ユーモラスな号をつけた。無神論を展開し、彼も内藤湖南に発見されています。
今は安藤昌益の全集もありますから、それを見ればよいのですが、この人は狩野享吉が発見するまで、ほとんど無名でした。

今では日本史の教科書にも載っている山片蟠桃や安藤昌益も、誰かがその存在を発見するまでは無名の存在であったのだ。司馬遼太郎もまた、歴史に埋もれた人物を発見すべく、歴史小説を書き続けたのかもしれない。

他人の書いたものや他人の評価に乗っかるのではなく、自分の眼で見出す努力。これは、短歌の世界においてもますます大事になっていくにちがいない。

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2015年08月18日

森達也著 『たったひとつの「真実」なんてない』


副題は「メディアは何を伝えているのか?」。
書き下ろし。

かつてテレビ・ディレクターの仕事をしていた著者が、テレビを含めたメディアをどのように批評的に読み解き、主体的に活用していけば良いかを述べたもの。大学でメディア・リテラシーの講義もしている著者は、自分の体験や数々の例を挙げながら、説得力のある話を展開している。

でも人は、集団になったとき、時おりとんでもない過ちを犯してしまう。集団に自分の意思を預けてしまう。これも歴史的事実。そして人が持つそんな負の属性が駆動するとき、つまり集団が暴走するとき、メディアはこれ以上ないほどの潤滑油となる。
世界は複雑だ。事象や現象は単純ではないし、一面だけでもない。でもテレビ・ニュースに代表されるメディアは、その複雑さを再構成して簡略化する。
メディアは視聴者や読者を信頼させてはいけない。なぜならメディアは信頼すべきものではない。あくまでもひとつの視点なのだ。受け取る側も絶対に信じてはいけない。これはひとつの視点なのだと意識しながら受け取るべきだ。

近年は映画監督・作家として、言論の分野においても存在感を発揮している著者の丁寧な語り口が印象に残る一冊であった。

2014年11月10日、ちくまプリマー新書、820円。

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2015年08月17日

司馬遼太郎著 『「昭和」という国家』


1986年から87年にかけてNHK教育テレビで計12回にわたって放映された「雑談『昭和』への道」をまとめたもの。

戦争を体験した著者が、昭和(元年から敗戦まで)の日本はなぜあのような道を進んでしまったのかを考察している。

と言っても、明快な答が示されているというわけではない。江戸時代の多様性を評価し、「私は明治日本のファンです」と述べ、日露戦争を「祖国防衛戦争だった」と肯定的に捉える著者にとって、昭和の歴史は何とも扱いにくいものだったのだろう。

日本という国の森に、大正末年、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいたのではないでしょうか。その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略、あるいは国内の締めつけ、これらは全部変な、いびつなものでした。

このように著者は記して、その魔法を解くカギとして「参謀本部」や「統帥権」といった問題を持ち出す。けれども、それで何かがわかったという感じもしない。

これは何も司馬個人の責任ではなく、今もなお私たちが明治維新から敗戦までの歴史をうまく位置付けられていないことによるのだろう。それは、先日の戦後70年の安倍談話の曖昧さにもつながっている問題なのだと思う。

1999年3月30日第1刷発行、2003年12月5日第10刷発行、NHKブックス、1160円。

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2015年08月16日

渡英子歌集 『龍を眠らす』


2008年から2014年にかけての歌を収めた第4歌集。

夫にはまだ母がゐる携帯電話(ケータイ)のこゑがおほきくなるから分かる
かずかぎりなき石川一動悸する心を持ちて汽車を待ちしか
新宿を包む夕立みづの香に追分宿の馬の香を嗅ぐ
夜行バスは遠つあふみを行くころか息子その他を眠らせながら
書物より盗み来しなり胸に抱くほのか熱もつコピー紙の束
緩斜面にも急斜面に桃植ゑて右左口は桃の花雲のなか
繊きほそき金の月の弧歌びとの死をもて畢る歌誌のいくつか
鵯をあまた眠らす夜の木もまぶた落してねむりゆくなり
川幅の遊歩道なり新年の光のなかを撓ひつつ伸ぶ
ハナニラの白きが星のやうに揺れ写生の子らは散らばつてゐる

東日本大震災、息子の結婚、孫の誕生といった出来事が詠まれているほか、北原白秋、木下杢太郎、斎藤茂吉、石川啄木といった近代歌人に思いを馳せる歌が多くある。これは『メロディアの笛―白秋とその時代』の執筆時期と重なっているためでもあろう。

1首目、「まだ」とあるので、自分にはもう母がいないことがわかる。
2首目、「石川一」は啄木の本名。夢と決意を抱いて地方から上京した明治の若者たち。
3首目、新宿はもともと甲州街道の宿場(内藤新宿)であった。突然の雨にビル街が霞み、昔の宿場のまぼろしが甦ったのだろう。
5首目、図書館などで大量に資料のコピーを取ったところ。「盗み来し」という感覚が鋭い。
6首目の「右左口」は山崎方代のふるさと。あちこちに桃の花が咲き乱れている。
9首目、かつての川が暗渠化されて遊歩道になっているのだろう。
10首目、ハナニラの花の感じが、絵を描く小学生くらいの子どもたちの姿とよく合っていて可愛らしい。

2015年7月7日、青磁社、2500円。

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2015年08月15日

永田和宏著『現代秀歌』を読む会

今年1月から毎回1章ずつ、永田和宏著『現代秀歌』(岩波新書)を読み進めています。会の内容は、参加者が順番に声を出して読み、全員で感想や意見を語り合うというものです。

事前の申し込みの必要はありません。1回だけの参加でも大丈夫です。「塔」会員以外の方も参加できますので、どうぞお気軽にご参加下さい。今後の日程は下記の通りです。(9月はお休みです)

日時 毎月第4火曜日 午後1時〜4時

  8月25日(火)第八章 四季・自然
 10月27日(火)第九章 孤の思い
 11月24日(火)第十章 病と死

場所 塔短歌会事務所(地下鉄丸太町駅から徒歩7分)
      〒604-0973 京都市中京区柳馬場通竹屋町下る五丁目228
                「碇ビル」2階西側
参加費 一回500円

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2015年08月14日

原沢伊都夫著 『日本人のための日本語文法入門』


東郷雄二さんや中西亮太さんとの議論の中で、「ル形」という用語が出てきた。どうも日本語文法と呼ばれるものは、学校で習った文法とは随分と違うらしい。そんな興味から読んだ一冊。

現在、日本語文法というとき、日本人のための国語文法(本書では学校文法と呼ぶことにします)と外国人に教えるための日本語文法があり、両者には共通する用語も多くありますが、基本的な文の構造に対する考え方はまったく異なっているのです。

読んでみると実におもしろい。今の文法はこんなことになっていたのか!とワクワクすることばかり。「ル形」「タ形」「テイル形」「テアル形」「ガ格」「ヲ格」「イ形容詞」「ナ形容詞」「子音動詞」「母音動詞」といった用語も初めて理解した。

「主題と解説」「自動詞と他動詞」「ボイス」「アスペクト」「テンス」「ムード」といった基本的な事項を、具体例をいくつも挙げながら丁寧に説明してくれる。また、横書きというスタイルや「〜なんですね」「〜わけではないんですよ」といった語りかける口調の文章など、読みやすいようによく工夫されている。

これはざっくりとした印象なのだが、文語短歌を読むには古典との継続性を重視した学校文法の知識で良いが、口語短歌について考える時には日本語文法の知識が求められるのではないか。

このテーマはしばらく追ってみたい。

2012年9月20日、講談社現代新書、740円。

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2015年08月13日

河野美砂子歌集 『ゼクエンツ』

第2歌集。
2004年から2010年までの作品406首を収める。

遠き人と話す電話の切りぎはにまつげをふせるほどの間があり
卵四つひといきにつかふ料理にて黄金色の油さわだつ
ひややかにローションのびてなにかしらてのひらうすくめくれるここち
木管の一人にたのむ そこ切つてください、ロマン派ではないので
あしもとに眠れる犬の夢のなかわがねむりたり犬のあしもとに
ちりちりと炒られた花を落としゐるさるすべり まだ粗き日ざしに
午後ずつと歩いてゐたり音たてて耳の中をゆく水路に添ひて
人間の死が棒となり立つてゐるグラフありたり戦争ののち
魚に降る雪はるかなれふる塩のなかにゆめみる鱈という文字
最後までママと呼びゐしその人を母と書くたびゐなくなるママ

1首目、最後に名残りを惜しむようなわずかな間がある。「まつげをふせるほど」という比喩がいい。
3首目、「ローション」以外すべてひらがな。塗る時の感触を手の皮が「めくれるここち」と捉えたのが面白い。
4首目、三句以下に句跨りがあって韻律が楽しい。「そこ切つて/ください、ロマン/派ではないので」。
5首目、犬の見る夢の中で私が見る夢の・・・と、永遠に入れ子になっていくような歌。
6首目、「ちりちりと炒られた」が散った百日紅の様子をうまく描いている。
9首目、まな板の魚に振り塩をしているところ。「ふる」が「降る」と「振る」の両方の意味になっている。「鱈」という文字の中にある「雪」のイメージを思い浮かべながら。
10首目、亡くなった母の歌。挽歌の中に「母」と書くたびに、どこかよそよそしい感じがしてしまうのだろう。

2015年5月15日、砂子屋書房、2500円。

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2015年08月12日

斎藤亜加里著 『道歌から知る美しい生き方』



人生の教訓や道徳を5・7・5・7・7の形式で詠んだ「道歌(どうか)」を集めて解説を付けた本。平安時代から現代にいたる138首が収められており、聞いたことのある歌も多い。

語るなと人に語ればその人はまた語るなと語る世の中
稽古とは一より習い十を知り十より返るもともその一
人をのみ渡し渡しておのが身は岸に上がらぬ渡し守かな
急がずば濡れざらましを旅人のあとより晴るる野路の村雨
うち向かう鏡に親の懐かしきわが影ながら形見と思えば

「長い歴史のなかで培われた、軽妙洒脱で高尚な文化であり、日本の誇るべき財産」といった点が随所に強調されるのが少しわずらわしいのだが、文学という枠組みを超えた歌のあり方を考える上で参考になる一冊である。

2007年3月5日、KAWADE夢新書、720円。

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2015年08月11日

塔全国大会(鹿児島)の一般公開

塔の全国大会初日のシンポジウムは一般公開となっております。
皆さん、ぜひご来場ください。

日時 8月22日(土)13:00〜17:00(12:00開場)
場所 城山観光ホテル
料金 一般2000円、学生1000円

プログラム
13:00 主宰挨拶 吉川宏志
13:10 講演「作歌のヒント−世界をまるごと感じていたい」 永田和宏
14:00 鼎談「歌が誕生するとき」 吉川宏志・花山多佳子・栗木京子
15:30 休憩
15:50 歌合 司会:西之原一貴 判者:池本一郎、落合けい子、なみの亜子
       白組:江戸雪、大木はち、篠原廣己、吉岡昌俊、吉田淳美
       紅組:永田淳、阿波野巧也、大倉秀己、樺島策子、高野岬
16:50 閉会挨拶 真中朋久
17:00 終了

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2015年08月10日

司馬遼太郎著 『ロシアについて』



副題は「北方の原形」。
1986年に文藝春秋社から刊行された単行本の文庫化。

ロシアという巨大な隣国をどのように理解すれば良いのかという観点から書かれた歴史エッセイ。それほど長くないエッセイ集であるが、歴史というものの醍醐味を十二分に感じさせる内容となっている。

体制がどうであれ、その国が、固有の国土と民族と歴史的連続性をもっているかぎり、原形というものは変わりようがない、と私は思っている。逆にいえば、体制の如何をとわず、不変なものをとりだすものが、原形に触れるという作業でもある。

この本で司馬が一貫して追求するのは、ロシアの原形とは何かということである。そのために広い視野に立って歴史をたどっていく。

ヨーロッパを真にヨーロッパたらしめたルネサンスの二百年という間、ロシアはひとり「タタールのくびき」によって、その動き、影響から遮断されつづけたのです。
火器の普及によって、騎馬軍の優位の時代はおわり、これがために遊牧国家は農業地帯の征服といううまみをうしなったのである。
欧露というみじかい右腕をまわして長大な左腕のシベリアの痒みを掻こうとする場合、右腕の寸法が足りず、たえずむりな体形をとったり、不自然な運動をせざるをえなくなった。

この本が書かれたのは、まだソ連が崩壊する前のことで、もう30年近い歳月が経っている。けれども、ここに描かれたロシアの原形はおそらく今も変らない。昨今のクリミア半島の問題や、日本とロシアの関係を考える際にも、有効であり続けている。

ソ連には、シベリアがある。そのそばに、日本の島々が弧をえがいている。日本が引越しすることができないかぎり、この隣人とうまくつきあってゆくしかない。

1989年6月10日第1刷、2012年2月15日第27刷、文春文庫、505円。

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2015年08月09日

サハリンの旅(その3)

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ユジノサハリンスクの東側にある展望台(旧旭ヶ丘)へ登るゴンドラ。
冬はスキー場として使われている。


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サハリン州郷土博物館の展示室。
1階はサハリンの自然に関する展示で、剥製や標本がたくさんある。


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同じくサハリン州郷土博物館の展示室。
2階のカーペットの敷かれた部屋が土足禁止なのだが、日本と違って靴を脱ぐのではなく、靴ごとスリッパを履く方式となっている。


  P1040806.jpg
ユジノサハリンスクに建設中の教会。
ソ連時代は抑圧されていたロシア正教だが、今はあちこちで教会を見かけた。

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2015年08月08日

サハリンの旅(その2)

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ユジノサハリンスク駅近くの踏切を通る機関車。
警報は鳴るが、遮断機というものはない。


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ガガーリン公園の入口に立つ宇宙飛行士ガガーリンの銅像。
「地球は青かった」の人である。


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スミルヌイフの町で見かけた牛。
のんびり歩きながら道端に生えている草を自由に食べている。


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5月9日の戦勝記念日(対ドイツ)のポスターが、町のあちこちに残っている。
今年は70周年ということもあり、賑やかなパレードなどもあったそうだ。

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2015年08月07日

サハリンの旅(その1)

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3日目の昼食。ショッピングセンターのフードコートにて。
325ルーブル(約680円)。


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ユジノサハリンスクの自由市場。野菜、果物、衣服が多く売られている。
ダーチャ(別荘)で収穫したイチゴなどを道端で売っている人も多い。


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ユジノサハリンスクからノグリキへ向かう夜行寝台列車の車内。
二段ベッド×2つの部屋になっている。


 P1040650.jpg
北緯50度の旧国境線近くに咲くヤナギラン。
群生してサハリンの夏を彩る花である。

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2015年08月05日

サハリンの旅の概要

今回のサハリンの旅の日程は、こんな感じでした。

29日 京都―(バス)―伊丹空港―(飛行機)―新千歳空港―(電車)―札幌―
    ―(夜行バス)―
30日 ―稚内―(船)―コルサコフ―(車)―ユジノサハリンスク【泊】
31日 ユジノサハリンスク―(車)―ホルムスク―(車)―ユジノサハリンスク―
    ―(夜行列車)―
 1日 ―スミルヌイフ―(車)―北緯50度、旧国境線―(車)―ポロナイスク―
    ―(夜行列車)―
 2日 ―ユジノサハリンスク【泊】
 3日 ユジノサハリンスク―(バス)―コルサコフ―(バス)―ユジノサハリンスク
    【泊】
 4日 ユジノサハリンスク―(車)―ユジノサハリンスク空港―(飛行機)―
    ―成田空港―(電車)―東京―(新幹線)―京都

6泊のうち3泊が夜行という、体力的にはなかなかハードな旅でした。

posted by 松村正直 at 23:06| Comment(2) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月04日

帰宅

先ほど無事にサハリンから帰ってきました。
天気にも恵まれて、行きたいところに行き、見たいものをほぼすべて
見てきました。


posted by 松村正直 at 19:42| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする