2015年07月29日

出発

サハリンへ行ってきます。
帰りは8月4日の予定です。

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2015年07月28日

三田英彬著 『忘却の島サハリン』

副題は「北方異民族の「いま」を紀行する」。
20年以上前に出た本である。

1990年の秋に、外国人に開放されたばかりのサハリン(当時、ソ連領)を2週間にわたって取材した内容をまとめたもの。主に、かつては日本人でありながら、戦後サハリンに取り残されたアジア系少数民族の人々の話が中心となっている。

戦後、サハリンからの引き揚げは日本人に限られ、朝鮮半島出身者はサハリンに留まらざるを得なかった。こうした人々は、サハリン残留韓国人(朝鮮人)と呼ばれ、数万人(本書では43000人)にのぼると言われる。

また、その他のサハリン先住少数民族(ウィルタ、ニブヒなど)についても、本書はいくつもの貴重な証言を記録している。これまでに読んだ本とつながる話も多かった。

ポロナイスク近郊に住む金正子さん(ニブヒ名はマヤック・ニフ、戦前の名は加藤正子)の話の中に

「イノクロフっていえば、オタスの王様みたいな人でしたよ。ヤコッタの人でしょ。トナカイは何千頭って持ってたし、大きな屋敷を構えてたんです」

とあるのは、N・ヴィシネフスキー著『トナカイ王』に出てくるヤクート人のドミートリー・ヴィノクーロフのことだ。

また、ウィルタの小川初子さんに関して

最初は同族の北川源太郎さんと結婚するはずであった。ところが一九四五年になって源太郎さんはソ連軍に逮捕されシベリアに抑留されたまま帰ってこなくなった。

とあるのは、田中了著『ゲンダーヌ』の主人公ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名は北川源太郎)のことである。

日本とソ連という国家の狭間に置き去りにされた人々。国と国との戦争が終ったのちも、その人生は長きにわたって翻弄され続けてきたのである。

1994年5月20日、山手書房新社、1600円。

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2015年07月27日

映画 「人生スイッチ」

監督・脚本:ダミアン・ジフロン
製作:ペドロ・アルモドバル、アグスティン・アルモドバル
出演:ダリオ・グランディネッティ、フリエタ・ジルベルベルグ、レオナルド・スバラーリャ、リカルド・ダリン、オスカル・マルティネス、エリカ・リバスほか

アルゼンチンとスペインの合作映画。

「おかえし」「おもてなし」「エンスト」「ヒーローになるために」「愚息」「HAPPY WEDDING」の6編のオムニバス。

何かをきっかけに感情のスイッチが入ってしまった人々の暴走ぶりを、面白おかしく、そして時に残酷に描き出している。とにかくノリが良くて、最後まで飽きさせない。

どれも脚本がよく出来ていると思う。

京都シネマ、122分。

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2015年07月26日

中津昌子歌集 『むかれなかった林檎のために』

そして秋、加速度つけて若者は離れゆくなりバラク・オバマを
父と一つの傘に入りつつゆく道に蓼倉橋(たでくらばし)はほそくかかりぬ
にんじん色のセーターに顎を埋めつつ一ページをまた戻るチェーホフ
わたしがいないあいだに落ちしはなびらを丸テーブルの上より拾う
はるさめがきらめくすじをひくまひる 長生きをせよと母に言わせる
ろうそくに火を近づけて分ける火のふたつになればふたつが揺れる
今日は眼鏡の奥に引っ込み出てこない人と思いぬ黒縁めがねの
ぼうぼうと八つ手の花が咲いているかたわらにあるみじかき石段
自転車のサドルの上にやわらかい崖をつくりて雪積もりおり
肉厚の波は大きくなだれ落ちわれの眼窩をふかく洗うも

第5歌集。
京都の鴨川あたりの風景、老いてゆく両親、自らの病気、そして時おり出てくる弓道の歌が印象に残った。

1首目、圧倒的な人気と期待を背負って就任したオバマ大統領も、今では見る影もない。
2首目、「蓼倉橋」という固有名詞がいい。
4首目、卓上に飾ってある花。誰もいない時間にひっそり落ちた花びらを思う。
5首目、病気をした時の歌だが、「言われる」ではなく「言わせる」がせつない。老いた親に心配をかけてしまったという思い。
6首目、蠟燭から蠟燭に火を移しているところ。「火」「ふたつ」の繰り返しが雰囲気を生み出している。
9首目、「やわらかい崖」が秀逸。「やわらかい」と「崖」、ふだんは結び付くことのない言葉の出会いが新鮮である。
10首目、荒海を眺めている場面。眼に映るものは、ただ波ばかり。

2015年6月28日、砂子屋書房、3000円。

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2015年07月25日

大辻隆弘著 『アララギの脊梁』


青磁社評論シリーズ2。
迢空について調べることがあって、再読。

1996年から2008年までに書かれた評論29編が収められている。
「アララギ」から「未来」へとつながる流れがよく見えてくる内容だ。

大辻さんの評論には、どれも必ず新鮮な発見がある。しかも、きちんとした論拠が示されているので、読者を納得させる力を持っている。

迢空は「古代人の感覚」という実証不可能なものを持ち出すことによって、島木赤彦や斎藤茂吉の万葉享受が、実は近代という時代が生み出したものに過ぎないことを示そうとしていたのではなかったか。
子規の「短歌革新」とは、つまるところ「和歌の俳句化」だったのである。
会津八一が、奇跡的に、あるいは偶然にみずからの歌のなかに保存していたのは、大正期のアララギがふるい落としていった豊かな「子規万葉」の世界であった。
山中智恵子の第三句は、私たちの韻律感を激しくゆさぶってくる。それは、歌に豊穣な時間を回復させるために、彼女が仕掛けた無邪気な無意識の巧詐だったのだ。

今年中には次の評論集も出るらしい。
今から楽しみだ。

2009年2月10日、青磁社、2667円。

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連絡

7月29日(水)〜8月4日(火)の間、家を空けます。
その間はメールも見られませんので、ご了承ください。
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2015年07月24日

長崎へ(その3)

翌21日は、世界文化遺産への登録が決まった軍艦島(端島)へ。
10:30出発のツアーの船で長崎港を出港する。
湾を出ると、外海はけっこう波が高い。

軍艦島の全景

P1040554.JPG

そして近景

P1040550.JPG

その後、何とか島に接岸したものの、うねりが高くタラップをかけるのは無理とのこと。残念ながら上陸は中止になった。

上陸予定地点

P1040556.JPG

まあ、この波では仕方がない。

年間出航率90%、上陸率99%を誇るツアーであったが、出航して上陸できない1%に当ってしまったわけだ。それも良い経験である。

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2015年07月23日

長崎へ(その2)

大会の会場で随分と久しぶりの方と再会した。

以前、宮崎で行われた「九州青年歌人フェスティバル」というシンポジウムで一緒にパネラーをした方である。調べてみると、2001年3月10日のことなので、もう14年も前になる。

そのシンポジウムは3部構成で、第1部は伊藤一彦さんの講演。第2部はパネル討議Part1「現代短歌の最前線」。パネラーは、桜川冴子、藤野早苗、古島信子、ひぐらしひなつ、山本寿昭。

そして、第3部が私も参加したパネル討議Part2「なぜ表現するのか―私と短歌―」。パネラーは、外前田孝、松村正直、佐々木緑、森山良太、吉本万登賀、古川由紀、伊藤一彦。

当時、大分に住んでいた私も、伊藤一彦さんに声を掛けていただいたのだった。
なんとも懐かしい。

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2015年07月22日

長崎へ(その1)

20日(月)は、現代歌人集会春季大会のために長崎へ。
テーマは「竹山広―戦後七十年」。
160名くらいの方が集まって、内容的にも非常に濃い4時間であった。

水のへに到り得し手をうち重ねいづれが先に死にし母と子 『とこしへの川』
涙すすりて黙禱に入る遺族らを待ち構へゐしものらは撮りぬ
人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら
戦争をにくしむわれら戦争をたたへしごとくには激しえず 『葉桜の丘』
おそろしきことぞ思ほゆ原爆ののちなほわれに戦意ありにき 『残響』
一分ときめてぬか俯す黙禱の「終り」といへばみな終るなり 『千日千夜』

一番印象に残ったのは、パネリストの馬場昭徳さんが壇上で竹山広の歌を何首もすらすらと暗誦したこと。懇親会の時にお聞きしたら600首は覚えているそうで、「少なくとも300首は覚えていなくちゃ、師事なんて言えないよ」とおっしゃる。

300首か・・・。
その数に驚きつつも、本当にその通りだよなと思う。

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2015年07月21日

永田和宏著『現代秀歌』を読む会

今年1月から毎回1章ずつ、永田和宏著『現代秀歌』(岩波新書)を読み進めています。会の内容は、参加者が順番に声を出して読み、全員で感想や意見を語り合うというものです。

事前の申し込みの必要はありません。1回だけの参加でも大丈夫です。「塔」会員以外の方も参加できますので、どうぞお気軽にご参加下さい。今後の日程は下記の通りです。

日時 毎月第4火曜日 午後1時〜4時

  7月28日(火)第七章 旅
  8月25日(火)第八章 四季・自然
 10月27日(火)第九章 孤の思い
 11月24日(火)第十章 病と死

場所 塔短歌会事務所(地下鉄丸太町駅から徒歩7分)
      〒604-0973 京都市中京区柳馬場通竹屋町下る五丁目228
                「碇ビル」2階西側
参加費 一回500円

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2015年07月19日

千葉聡歌集 『海、悲歌、夏の雫など』


「現代歌人シリーズ」の1冊目。

2014年4月から10月までの作品208首を収めた第5歌集。
横浜市立桜丘高校の国語教師、バスケ部顧問として奮闘する日々を、物語風な連作によって描いている。

なんでもあり、またなんでもない街、渋谷 人より人の影が多くて
フリースロー一本外し二本目は祈り(やその他)のぶん重くなる
車窓から海が見えると「わぁ」となりホテルが見えるとみな黙りこむ
Tに出す手紙「ご批評感謝します」きっとこの「ご」はきっと、痛い
三点を狙ってシュートを打ったてのひらは飛び立つ鳥の羽かも

こうして見ると、千葉さんの歌の持っている雰囲気は、初期の頃とほとんど変わらない。1998年に短歌研究新人賞を取った「フライング」や、2000年に出た第1歌集『微熱体』と、ほぼ同じ世界と言っていいだろう。

2015年4月19日、書肆侃侃房、1900円。

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2015年07月18日

口語短歌の結句「ル形」の問題

東郷雄二さんが「橄欖追放」第164回で指摘し、僕も「現代短歌新聞」7月号の「歌壇時評」で取り上げた口語短歌の結句「ル形」の問題について、中西亮太さんのブログ「和爾、ネコ、ウタ」でゆるやかに議論をしています。

これはかなり面白い問題だと思いますので、皆さんどうぞお読みください。
そして、漠然とした印象でも構いませんので、どんどんご意見をお寄せいただけるとありがたいです。

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2015年07月17日

釈迢空歌集 『春のことぶれ』

第2歌集。昭和5年1月10日、梓書房発行。
『現代短歌全集』(筑摩書房)第6巻収録。

萩は枯れ/つぎて、芙蓉も落ちむ/と 思ふ/庭土のうへを/掃かせけるかも
穂すゝきのみゝづく/呆(ホ)けて居たりけり。/日ごろ/けはしく 我が居りにけり
邇磨(ニマ)の海/磯に向ひて、/ひろき道。/をとめ一人を/おひこしにけり
家群(ヤムラ)なき/邇磨の磯べを 行きし子は、/このゆふべ/家に 到りつらむか
旅を来て/心 つゝまし。/秋の雛 買へ と乞ふ子の/顔を見にけり
村の子は、/大きとまとを かじり居り。/手に持ちあまる/青き その実を
燈のつきて、おちつく心/とび魚の さしみの味も、/わかり来にけり
さかりつゝ/昼となり来る 汽車のまど。/敦賀のすしの/とればくづるゝ
さ夜ふかく/月夜となりぬ。/山の湯に、めざめて聴けど、われ一人なる
見えわたる山々は/みな ひそまれり。/こだまかへしの なき/夜なりけり

「/」は改行。この歌集は一首が3〜5行の多行書き。
しかも、行頭も上げ下げがあり、実際の表記は歌集を見ていただくしかない。

1首目、秋が深まって寂しくなった庭。
2首目、詞書「雑司个谷」。名物の「すすきみみずく」である。
4首目、「邇磨」は島根県の地名。2005年の市町村合併までは、「邇摩郡仁摩町」があった。旅の途中で追い越した娘はもう家に帰り着いただろうかと案じている。
6首目、まだ青いトマトを齧る少年。こういう子も今はいない。斎藤茂吉の「いちめんの唐辛子あかき畑みち立てる童のまなこ小さし」(『赤光』)を思い出した。
7首目、旅先で食べるトビウオの刺身。薄暗い卓で食べるのは味気ないものだが、灯りが点いてホッとしている。
9首目、静まり返った月夜にひとり、宿の湯に浸かっている場面。特に何もないけれどこれで十分という感じのする歌だ。

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2015年07月16日

『折口信夫 魂の古代学』の続き

国文学者、民俗学者である著者が、学問について書いている部分も心に残る。

国文学は国文学で、民俗学は民俗学で、それはそれとして純粋な科学として成り立つ学問である。しかしながら、それらの学問は日本人が日本を語る日本人の「応援歌」という側面をも持っている。
今日においては、研究者と創作者がともに語り合う場すらもない。対して、折口は最後まで創作の世界を捨てようとしなかった。
近代の学問は、「分けること」からはじまって、細分化することで緻密になり、専門性を高めていった。今日の眼から見れば折口が取り組んだ学問領域はおそろしく広いが、江戸期の国学者はもっと広い。

この本の面白さは、学問や折口に対する著者の愛情とでも呼ぶべき思いがひしひしと伝わってくるところにあるのだろう。

折口信夫のようにジャンルを跨いで活動した人の全体像を掴むのは容易ではない。ウィキペディアを見ても

日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空と号した詩人・歌人でもあった。

と書かれている。けれども、折口自身にとっては、そうした活動はバラバラのものではなく、すべて同じ一つのものであったのだと思う。

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2015年07月13日

釈迢空歌集 『海やまのあひだ』

第1歌集。大正14年5月30日、改造社発行。
『現代短歌全集』(筑摩書房)第5巻収録。

わがあとに 歩みゆるべずつゞき来る子にもの言へば、恥ぢてこたへず
蜑の子や あかきそびらの盛り肉(ジヽ)の、もり膨れつゝ、舟漕ぎにけり
沢蟹をもてあそぶ子に 銭くれて、赤きたなそこを 我は見にけり
道に死ぬる馬は、仏となりにけり。行きとゞまらむ旅ならなくに
島の井に 水を戴くをとめのころも。その襟細き胸は濡れたり
人の住むところは見えず。荒浜に向きてすわれり。刳(ク)り舟二つ
八ヶ嶽の山うらに吸ふ朝の汁 さびしみにけり。魚のかをりを
猿曳きを宿によび入れて、年の朝 のどかに瞻(マモ)る。猿のをどりを
峰遠く 鳴きつゝわたる鳥の声。なぞへを登る影は、我がなり
馬おひて 那須野の闇にあひし子よ。かの子は、家に還らずあらむ

民俗採集のために各地を旅した際に詠まれた歌が多く収められている。

1首目、もの珍しい旅人の後を付いてくる子。今ではこんな子はもういない。
2首目、力強い漁師の肉体を詠んで、エロスを感じさせる。
4首目、道端の馬頭観音を詠んだ歌。移動や運搬のために使われた馬が死んだ際に、供養のために建てられたのだろう。
5首目、島の井戸に水汲みをしている少女。大変な仕事だ。
8首目、「猿曳き」は猿回しのこと。正月に家々をまわって芸を見せ、お金をもらっているのだ。
9首目、一人で山道を登っていくところ。斜面を動いていくのは、自分の影である。

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2015年07月12日

上野誠著 『折口信夫 魂の古代学』


2008年に新潮社より刊行された『魂の古代学―問いつづける折口信夫』を改題して文庫化したもの。

折口信夫の遺影の飾られた研究室で学び、三十代では「折口を蛇蝎のごどくに嫌っていた」著者が、四十代に入って「折口を肯定的にとらえることができるように」なり、折口の人生や考え方の総体を一つのイメージとして示したいと考えて記した本。

第5章の「芸能を裏側から視る」は、2012年に行われた現代歌人集会秋季大会の講演「折口信夫の挑戦」(とても面白かった!)と重なる内容で、講演の口調を思い出しながら読んだ。

本書でも強調されているのは、折口と大阪の結び付きの深さである。

関西の人びとは、歴代の天皇の御陵のなかで暮らしているので、きわめて天皇というものを近しく感じている。(…)大阪人である折口も、そういう文化的風土のなかで暮らしていたのである。
ことに都会的文化の中でも、「芋、蛸、南京・芝居」という言葉に象徴されるような女の文化にとっぷりと漬かって折口は育ったのであった。折口の芸能史は、マレビト論を核とする文学発生論から派生した史論なのだが、その背後には自ら生活を楽しむ享楽的な大阪の女の家の文化があったのである。

東京や地方の都市と比べた時のこうした違いは、折口信夫を考える上でやはり欠かせないものだという気がする。

2014年9月25日、角川ソフィア文庫、920円。

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2015年07月11日

公開講座「出口王仁三郎の短歌」

現代歌人協会の公開講座(第4回)に出演します。
テーマは「出口王仁三郎の短歌」。

一昨年『王仁三郎歌集』を編集・刊行された笹公人さんと、出口王仁三郎の歌について語ります。ちょっと変わったテーマですが、どうぞお気軽にご参加下さい。

日時 2015年7月15日(水)午後6時〜8時
場所 学士会館 (「神保町」駅下車徒歩1分)

 (司会)渡 英子、(メインパネリスト)笹 公人、松村正直

聴講料 1500円(当日受付あり)

詳しくは →現代歌人協会のHP
      http://kajinkyokai.cafe.coocan.jp/profile.html

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2015年07月09日

「歌壇」2015年7月号

付箋なきバスの読書に謹呈票はさみ剥ぎたる帯も挟みぬ

島田幸典「鉛筆」12首より。

ちょっと変った状況であるが、歌人にはよくわかる歌だ。

バスの車内で歌集を読んでいて、好きな歌や気になる歌に付箋をつけようと思ったものの、あいにく手元に付箋がない。そこで、謹呈の紙(もらった歌集だったのだろう)や本の帯を挟んでおいたというのである。

私も付箋を忘れた時には、よくレシートやちぎった紙を挟んだりする。付箋をつけながら歌集を読むという人はきっと多いのだろう。あまりたくさん付け過ぎると、何が何だかわからなくなってしまうけれど。

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2015年07月08日

「短歌往来」2015年7月号

島内景二さんの連載「短歌の近代」は19回目。
タイトルは「大和田建樹の新体詩の戦略」。

鉄道唱歌の作詞者として知られている大和田建樹について取り上げている。

「汽笛一声」や「汽車」という漢語が、「たり」という文語と絶妙に入り交じり、融和している。歌詞には、洋語も混じる。

鉄道唱歌の成立事情については、以前、下記の本で読んだことがある。
 ・中村建治著 『「鉄道唱歌」の謎』
 http://matsutanka.seesaa.net/article/387139177.html

大和田はまた旧派和歌の歌人でもあり、歌集に『大和田建樹歌集』がある。

大和田は、狂歌にも当意即妙の冴えを見せ、俗語や漢語も自在に駆使した。だが、それらは「歌集」には含まれない。大和田建樹は、三十一音の短詩形においては、洋語はもちろん、漢語を交えない、純然たる旧派歌人だった。

ここに、狂歌と和歌の違いが端的に示されている。
大事なことは、同じ作者が狂歌も詠み和歌も詠んでいたことだろう。

「和歌」と「唱歌」、あるいは「和歌」と「狂歌」、こうした部分まで視野に含めないことには、明治の和歌革新運動の姿は見えてこないのである。

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2015年07月07日

『釋迢空ノート』のつづき

この本を読んであらためて感じたのは、迢空と大阪の関わりの深さである。
ノートは全10章から成っているが、ノート7には「大阪」という題が付いている。

迢空と天王寺中学で同級だった辰馬桂二の話のなかに、こんなくだりがある。

昭和初年、人望もあつく、地元同業者から推されて大阪府会議員となり、任期中、四十三歳で過労のため倒れた。臨終の脈をとったのは、演劇評論家高安吸江として高名であった主治医高安六郎で、父の代から親しかった。いわば、大阪の裕福な商家の、趣味のよい、教養あるダンナ衆のひとりだったわけである。

ここに出てくる「高安六郎(吸江)」とは、高安国世の叔父である。
高安国世の姉・石本美佐保の『メモワール・近くて遠い八〇年』の中では、次のように書かれている。

内科部長の六郎叔父さんは話がとても面白い人で、文筆家、演劇評論家としても知られ、いろいろ著書(「光悦の謡本」)もある。そういった関係で歌舞伎役者や文楽の連中も、病気の時は高安病院に入院していた。

釈迢空と高安国世、まったく接点がないように見える二人だが、実は生まれ育った環境など、いくつもの共通点があるようだ。

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2015年07月06日

東洋書店の営業停止

出版社の東洋書店が営業を停止したとのニュースが流れている。
http://www.tsr-net.co.jp/news/tsr/20150630_02.html

東洋書店の刊行している「ユーラシア・ブックレット」は、他ではあまり見られないロシア(旧ソ連)関係の内容を扱っていて、随分とお世話になってきた。

『宮沢賢治とサハリン』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138290.html
『ニコライ堂小史』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138884.html
『南極に立った樺太アイヌ』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139096.html
『千島はだれのものか』
http://matsutanka.seesaa.net/article/418963168.html
『知られざる日露国境を歩く』
http://matsutanka.seesaa.net/article/420374449.html

何とも残念なニュースである。

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2015年07月05日

富岡多惠子著 『釋迢空ノート』


2000年に岩波書店から刊行された本の文庫化。

釈迢空という筆名を最初の手掛かりに、その歌や小説を丹念に読みながら、作品の背後にある人生の謎に迫っていく評伝。

文献などによる実証的な部分だけでなく、推量によって描いたり暗示したりという部分も多いのだが、迢空のかなり深いところまで見えてくる内容となっている。

「連作だから、常に同じ境地に止つてゐなくてはならない訣ではなく、却て中心が移動して行く方が効果がある。其上もつと必要なことは、主題と殆関係のない描写をしてゐて、而も読者が、自然に二つを関連させる、と言つたやうな作物もまじつてゐることが、取り分け必要である」

随所に迢空の言葉が引かれているのだが、これなどは現在でも連作論として十分に通用するものだろう。

自伝的小説といっても、小説というのは現実のなかの、小説のために「使える」ところを使って書かれるのはいうまでもない。
これは、たとえば、歌舞伎の女形と、女優のちがいを思い起させる。女形は男の肉体の虚構としての「女」である。コトバが素材のままのナマであることで、舞台に上った時つまり「詩」作品になった時かえって素材感(リアリティ)がない。

詩人・小説家ならではの感性で、著者は迢空の作品を読み解いていく。富岡多惠子と釈迢空の「対決」と言ってもよく、また奇跡的な「出会い」と言ってもよい一冊である。

2006年7月14日第1刷発行、2011年6月15日第3刷発行、岩波現代文庫、1160円。

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2015年07月04日

金水敏著 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』


「もっと知りたい!日本語」シリーズの一冊。

「そうじゃ、わしが博士じゃ」という博士に会ったことがありますか?「ごめん遊ばせ、よろしくってよ」としゃべるお嬢様に会ったことがありますか?

といった疑問を出発点として、特定のキャラクターと結びついた特徴ある言葉づかいを「役割語」と名づけ、その起源や意義などを考察した本。非常におもしろく、刺激的な一冊だ。

著者は、江戸時代以降の文章や小説、童謡、マンガなど様々な資料を用いて、役割語の起源を追求し、その変遷を描き出す。

結局、〈老人語〉の起源は、一八世紀から一九世紀にかけての江戸における言語の状況にさかのぼるということがわかった。当時の江戸において、江戸の人たちの中でも、年輩の人の多くは上方風の言葉づかいをしていたのであろう。

さらには、物語の中で「標準語」と非「標準語」を話す人物が登場する場合、読者は「標準語」を話す人物に感情移入する点を指摘する。その上で、中国人を描く際に使われる〈アルヨことば〉などを踏まえて、

異人たちを印象づける役割語は、(…)〈標準語〉の話し手=読者の自己同一化の対象からの異化として機能し、容易に偏見と結びつけられてしまう

といった問題点に言及するのである。

「役割語」という見方・捉え方をすることによって、言葉をめぐる実に多くの可能性や問題点が浮き彫りにされてくる。

この本はもう10年以上前のものだが、著者はその後も『コレモ日本語アルカ? 異人のことばが生まれるとき』(岩波書店、2014年)、『〈役割語〉小辞典』(研究社、2014年)といった本を出している。引き続き読んでいきたい。

2003年1月28日 第1刷発行、2014年11月14日 第13刷発行、岩波書店、1700円。

posted by 松村正直 at 10:06| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月03日

「あなたを想う恋のうた」募集中

「第18回万葉の里・あなたを想う恋のうた」の審査員を務めることになりました。
たくさんのご応募、お待ちしております。
http://www.manyounosato.com/

■応募資格 高校生以上
■募集期間 平成27年7月1日(水)〜10月31日(土)当日消印有効
■発表   平成28年2月(入賞者への連絡をもって発表とします)
■審査員  松平盟子、香川ヒサ、紺野万里、松村正直、加賀要子、阪井奈里子

■賞 最優秀賞【1首】10万円、優秀賞【3首】3万円、秀逸【10首】1万円、佳作【15首】5千円、入選【30首】図書カード千円
■学校賞(高校対象) 最優秀学校賞【1校】図書カード3万円、優秀学校賞【1校】図書カード1万円、学校奨励賞【3校】図書カード5千円

posted by 松村正直 at 21:23| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月02日

司馬遼太郎記念館

時間があったので、東大阪市にある司馬遼太記念館へ。
近鉄奈良線の「八戸ノ里」(やえのさと)駅から徒歩8分。

shiba.jpg 20150702123518.jpg

正門から入って庭を抜けていくと、自宅の書斎が見える。
明るくて気持ちよさそうな部屋だ。

その隣りに、安藤忠雄設計のオシャレな記念館がある。
高さ11メートルの壁面がすべて書棚になっていて、約2万冊の蔵書が展示されている。その量にまず圧倒されるが、自宅には約6万冊の蔵書があったそうだから、これでも一部ということだ。

平日の昼間ということもあって入場者は10名程度だったが、スタッフやボランティアの方が8名くらいいらして、いろいろと案内してくださった。

posted by 松村正直 at 18:48| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宇田智子著 『本屋になりたい』


副題は「この島の本を売る」。
絵:高野文子。

ジュンク堂書店池袋本店で働いていた著者は、那覇店の開店に伴って沖縄に移り、その後、退職して「市場の古本屋ウララ」を開いた。その経緯については、『那覇の市場で古本屋』(ボーダーインク)に詳しい。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139340.html

本書は「本を仕入れる」「本を売る」「古本屋のバックヤード」「店番中のひとりごと」「町の本を町で売る」の5章に分かれていて、古本屋の仕事や地域の人々との関わりなどが、わかりやすく記されている。

那覇の観光スポットにもなっている第一牧志公設市場の向かいにある店は、わずかに三畳。路上にはみ出た分を含めても六畳だ。そこで、沖縄に関する本を中心に扱っている。

大変なことももちろん多いのだろうが、自分で決めた人生を歩んでいる著者は楽しそうだ。

私も毎日の売上に一喜一憂しながら暮らしています。自分で店をやっている限り、これで安泰ということはないのでしょう。時間とお金をどう使うか。楽しければ赤字でもいいのか、何のために仕事をしているのか、いつも考えています。

このあたり、実際に一日/一か月の売上がいくらで、支出がいくらかといった現実的な話があっても良かったかもしれない。

2015年6月10日、ちくまプリマー新書、820円。

posted by 松村正直 at 00:07| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月01日

『ひとびとの跫音』のつづき

この本が書かれたのは昭和56年、今から30年以上前のことだ。
当時と今とで、いくつか状況の変っていることがある。

どの子規研究書にも律のその後については書かれていない。

子規の死後、妹の律がどのような生涯を送ったか、今では詳しくわかっている。けれども、当時はそうではなかったようだ。

軒下に、ここが子規の旧居であると識した東京都の表示が出ているものの、いまは他の人がすんでいるために入りにくく、私もついぞ入ったことがない。

現在、子規庵として一般に公開されている建物も、当時は公開されていなかったのである。

他に、印象に残った話を2つほど。

もともと大原姓であった拓川が明治十二年、ながく廃家になっていた加藤氏を継いだのは、一家の当主や長男は鎮台兵にとられずに済むという徴兵のがれのためで、こういう忌避法はこの時代の常識になっていた。

江戸期の武家の家の躾のひとつは、走らぬことであった。にわか雨などに遭って走りだすというのは中間や小者のすることであり、武士のすることではないとされ、そういう風儀が明治期にもうけつがれた。

こんな話も読むのも歴史を知る楽しさであろう。

posted by 松村正直 at 07:58| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする