2015年05月31日

伏見桃山

「まいまい京都」主催の「日本陸海軍の聖地、伏見桃山をめぐる―巡礼で賑わった伏見桃山、戦後忘れられた先人たち―」というツアーに参加してきた。
伏見桃山駅→御香宮→服部道→乃木神社→伏見桃山陵というコース。

この地には日露戦争から太平洋戦争へと到る時代を物語る石碑や建物が数多く残っている。その一方で、戦後の価値観の転換によって失われたもの(在郷軍人会記念碑など)もある。普段よく訪れている場所なのだが、ガイドさんの説明によって初めて知ることが多かった。

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義和団の乱で戦死した服部雄吉海軍中佐、日露戦争で戦死した服部直彦陸軍中佐の墓。戦前は大きな敷地にあって参拝者も多かったらしいが、今では狭い敷地に無縁仏となっている。服部兄弟の事績も忘れられてしまったし、説明板などもないので、前を通っても気づくことはないだろう。

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乃木神社の門の扉。台湾から献木された檜の一枚板で出来ているとのこと。
何という大きさだろうか。

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伏見桃山陵(明治天皇陵)からの景色。それほど標高は高くないと思うのだが、眺めはすこぶる良い。戦前と違って参拝する人は少ないが、緑が多くて散歩するには良い場所である。

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2015年05月30日

「塔」全国大会の一般公開

8月22日(土)、「塔」全国大会(鹿児島)の初日のプログラムは一般公開と
なっております。どなたでもご参加にになれますので、ぜひお越し下さい。

日時 2015年8月22日(土)13:00〜17:00(12:00開場)
場所 城山観光ホテル(鹿児島市)

プログラム
   開会挨拶 吉川宏志
   講演 永田和宏「作歌のヒント―世界を丸ごと感じていたい」
   鼎談 吉川宏志×花山多佳子×栗木京子「歌が誕生するとき」
   歌合 (紅)江戸雪チーム×(白)永田淳チーム
         判者:池本一郎ほか、司会:西之原一貴
   閉会挨拶 真中朋久

会費 一般2000円/学生1000円
受付 当日受付あり

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2015年05月29日

笹田昌宏著 『よみがえる鉄道文化財』


副題は「小さなアクションが守る大きな遺産」。

歴史的価値のある鉄道の車両や施設などを、どのように保存・活用していくか。長年、鉄道文化財を守るために尽力してきた著者が、全国各地さらには海外の事例を紹介しながら、今後に向けての提言をしている。

解体寸前に救い出されて立派な鉄道博物館へ収蔵された車両もあれば、公園に永久保存されていたはずが老朽化して廃棄されてしまったものもある。

鉄道文化財は一見頑強そうに見えて、実は案外脆いという側面も持っている。現役を退いて数年も風雨にさらされると、たちまち荒れ始めてしまう。現役時代は定期的に車体の塗り直しなどの手入れが行われていたから美しさを保てただけで、決してメンテナンスフリーなどではないのだ。

これは、家などの建築物にも同じことが言える。保存するのは簡単なことではない。常に手入れをし続けなくてはならないのだ。

著者と友人との合言葉は「物さえ残っていれば、あとは何とかなる」。歴史的に価値あるものと認められるまで待っていては遅いのだ。一度失われてしまった物は、もう元には戻らない。後で歴史的な価値に気が付いても、物自体が残っていなければどうしようもない。

鉄道文化財に寄せる著者の熱意と愛情が、ひしひしと伝わってくる一冊である。

2015年4月15日、交通新聞社新書、800円。

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2015年05月28日

公開講座「出口王仁三郎の短歌」

現代歌人協会の公開講座(第4回)に出演します。
テーマは「出口王仁三郎の短歌」。

一昨年『王仁三郎歌集』を編集・刊行された笹公人さんと、出口王仁三郎の歌について語ります。ちょっと変わったテーマですが、どうぞお気軽にご参加下さい。

日時 2015年7月15日(水)午後6時〜8時
場所 学士会館 (「神保町」駅下車徒歩1分)

 (司会)渡 英子、(メインパネリスト)笹 公人、松村正直

聴講料 1500円

詳しくは →現代歌人協会のHP
      http://kajinkyokai.cafe.coocan.jp/profile.html

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2015年05月27日

上野誠 著 『はじめて楽しむ万葉集』


2002年にPHP研究所から刊行された単行本『みんなの万葉集 響きあう「こころ」と「ことば」』を改題して、文庫化したもの。

万葉集の歌の中から80首あまりを選んで鑑賞をしている。語り口が楽しく、また現代語訳も付いているので、気軽に読むことができる。

『万葉集』の時代には好きになった男性に女性が自分の着ている下着を贈ることは、一般的な行為であった。
この時代、眉が痒いと恋人がやって来るという俗信があった。そこで、恋人に会いたいと思う坂上郎女は痒くもないけれども、自分の描き眉を一生懸命掻いたのである。
男女が共寝をして別れる時には、彼女は彼氏の下着の紐を丁寧に結ぶという行為によって、好きなんですよという気持ちを表したのである。

といったあたり、「へぇ〜、そうなのか」と感心してしまった。
そういう背景を知って読むと、歌の味わいがぐんと増してくる。

2012年9月25日、角川ソフィア文庫、705円。

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2015年05月26日

「短歌研究」2015年6月号

大島史洋さんの「田井安曇のこと」という追悼文に注目した。
こんなことまで書いてしまって大丈夫なのかと、他人事ながら心配になる。

例えば、こんなところ。

近藤芳美は、田井安曇が「未来」を継ぐほうが心安らかに晩年を送ることができたであろう。そうなったとき「未来」は百貨店のような今の雑誌にはなっていず、まったく違うものとなっていたはずである。

あるいは、こんなところも。

私と田井さんは「未来」の仕事を一緒にやり、仲が良かったけれど、どこか、隔てを置いているようなところがあった。石田比呂志もそうだった。これは私が常に相手をどこか警戒させるような、妙な態度をとるせいなのだと思ってきたが、もう一つ、田井さんは私の背後にいる岡井を気にして或る程度以上のことは言わなかったような気がする。

もっといろいろ書いてあるのだが、引用はこれくらいにしておこう。
正直と言えば正直な感想だが、ちょっとびっくりした。

田井安曇も近藤芳美も石田比呂志も、もうこの世にはいない。
あるいは大島さんにも、自分が書き残しておかないといけないといった覚悟があるのかもしれない。

どうなんだろう。

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2015年05月25日

短歌結社についての雑感

▼結社に入ったばかりのころ、素敵な歌を詠む人がいて、毎月その人の歌を読むのを楽しみにしていた。結社誌が届くと、自分の歌を探す前にその人の歌を探すくらいに好きだった。でも、ある時から歌を見かけなくなり、とうとう辞めてしまったという話を耳にした。結局一度も会うことのないままに。

▼結社に入って2、3年経ったころ、ある方から非常に親切にしてもらったことがあった。どんなふうにお礼をしたら良いのか考えていたら、「別にお礼はいらない。もし、いつか同じように困っている人がいたら、今度は君が手助けしてあげて欲しい」と言われた。

▼先日、結社の年配の会員の方が施設に入所されたという話を聞いた。その方が一人暮らしをされていた家には、何度か用事で行ったことがある。自分の家をとても愛していて、歌にもよく詠んでいた。おそらくもう二度とあの家に帰ることはないのだろう。

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2015年05月23日

映画 「鳥の道を越えて」

監督:今井友樹。企画・制作・配給:工房ギャレット。

1979年生まれの監督が、「むかし、あの山の向こうに“鳥の道”があってな」という祖父の言葉をきっかけに、鳥猟の歴史を追う長編ドキュメンタリー。

鳥を捕まえるための「鳥屋(とや)」とは、どんな場所だったのか。まずは、地元の方々の話を聞くところから話は始まる。昭和22年に禁漁となった「カスミ網猟」の姿。

その後、かつての鳥屋跡を使って鳥の標識調査を行っている現場や、現在も行われている鴨猟の現場を訪ねたりもする。

そうした中から、岐阜県東濃地区では古くから貴重なタンパク源として鳥猟が行われてきたこと、遠く福井県まで鳥を求めて出稼ぎに行っていたことなど、伝統的な生活や文化の様子が明らかになっていくのだ。

先日読んだ小倉美惠子著『オオカミの護符』とも共通する部分があるなと思って見ていたのだが、エンドロールに小倉さんが代表を務める「ささらプロダクション」の名前が入っていた。

立誠シネマ。93分。

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2015年05月22日

小川靖彦著 『万葉集と日本人』


副題は「読み継がれる千二百年の歴史」。

8世紀末に成立した『万葉集』が、その後どのように読まれてきたのか。
菅原道真、紀貫之、紫式部、藤原定家、源実朝、仙覚、賀茂真淵、佐佐木信綱らを例に挙げながら、平安〜中世〜江戸〜近代という1200年にわたる歴史を順にたどって解説している。『万葉集』の受容史と言っていいだろう。

『万葉集』を「読む」ためには、「訓(よ)む」こと、つまり漢字本文を解読して日本語として読み下すことが必要です。そして、「訓む」ことは機械的に漢字本文を〈ことば〉に起こしてゆく作業ではなく、「解釈」を伴う創造的な行為なのです。
今日の目からすると、古点は漢字本文から離れてしまっているように見えます。しかし、漢字と和語との対応が比較的ゆるい平安時代の漢文訓読に習熟していた源順(みなもとしたごう)らは、自らの「訓読」を漢字本文に即していると考えていたと思います。

最近、ちょっとしたことをきっかけに、『万葉集』に興味が湧いてきた。
これから少しずつ『万葉集』関連の本を読んだり、学んだりしていきたい。

2014年4月25日発行、角川選書、1600円。

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2015年05月21日

木村元彦著 『オシムの言葉 増補改訂版』


2008年に集英社文庫から出た本に新章を加えた増補改訂版。
最初は2005年に集英社インターナショナルから単行本が刊行されている。

名著。
これは、すごい本だと思う。

元サッカー日本代表監督イビツァ・オシムについての本だが、単なるサッカーの話やスポーツの話ではない。政治や歴史や人生までも含んだノンフィクションである。

「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 要は準備が足らないのです」
「トレーニング方法で言えば、教師がこういうメニューがある、と黒板に書いた段階ですでに過去のものになっている」
「『しょうがない』という言葉は、ドイツ語にもないと思います。『どうにもできない』はあっても、『しょうがない』はありません。これは諦めるべきではない何かを諦めてしまう、非常に嫌な語感だと思います」

こうしたオシムの言葉を読むだけでも、もちろん十分におもしろい。

けれども、人をひきつけるオシムの優れた言葉は、彼の経歴と切り離せないものであったのだ。内戦前のユーゴスラビア代表の最後の監督を務め、サラエボ内戦によって2年半も妻や娘と離れ離れになり、後にボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会の正常化委員会の委員長として民族融和に尽力したオシム。

この本を読んで、自分がユーゴスラビアの内戦やその後の歴史について、あまりに何も知らなかったことに気づかされた。

オシムは、戦争による艱難辛苦によって何ごとにも動じない精神や他文化に対する許容力を得たのではないかという問いに対して

「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言ったほうがいいだろう」「そういうものから学べたとするならば、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」

と答えている。

言葉というのは、こんなにも強く、深いものであったのだ。

2014年1月10日、文春文庫、690円。

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2015年05月20日

稚内―コルサコフ航路の存続

今年限りで廃止の予定だった稚内―コルサコフ航路ですが、稚内市が民間企業と共同で新会社を設立して、航路を存続させることになりそうです。

「稚内−サハリン間の赤字航路を存続へ 市主体で民間と新会社つくり継承」というニュース記事を見つけました。とりあえず良かったです。ただ、観光にしろビジネスにしろ、サハリンへ渡る人が増えない限り、根本的な問題解決にはつながらないのでしょう。
http://www.sankei.com/economy/news/150430/ecn1504300039-n1.html

 赤字を理由に今年限りの運航廃止が決まっている北海道稚内港とロシア極東サハリン南部コルサコフ港を結ぶ定期フェリーについて、稚内市は30日、民間会社と共同出資して新会社を設立し、現在の運航会社から航路を引き継ぐ方針を明らかにした。
 稚内市によると、新会社は現在の運航会社のハートランドフェリー(札幌市)から同航路で使用している貨客船を購入し運航する方針。船を外国船籍に切り替えたり、乗組員を外国人にしたりすることでの経費削減を検討している。運航期間を現在の夏季(6〜9月)のみから拡大する案もあるという。
 稚内市は具体的な内容について6月の定例市議会までに示す方向で調整している。北海道への支援も要請しており、道は市の具体策を見極めたうえで対応を判断するとしている。
 同航路は1999年に開設。赤字が続き、昨年9月にハートランドフェリーが今年限りでの撤退を決め、稚内市は存続に向けて道などと協議してきた。

posted by 松村正直 at 06:27| Comment(0) | 樺太 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

馬場あき子歌集 『記憶の森の時間』


2011年から2013年までの作品を収めた第25歌集。

萩の花咲きなだれをるところより家なれば入る低くくぐりて
ほつほつほつ北上川に雨の粒落ちてしづかに満ぱいとなる
竹輪の穴覗く遊びにみえるみえるといへば丹後の海までも見ゆ
忠一は婉曲にして鈍刀をよそほひて斬りしよ夜更けて痛し
予定なきひと日の晴れにうきうきとをりしが大根煮てをはりたり
赤うをの煮こぼれし目の白玉はさびしくもあるか口にふふみて
里山に蟹釣ることも忘れたる蟹釣草は穂孕みにけり
しら飯を二つの茶碗によそひつつ相対きて食ぶしら飯は愛
ははこ滝といふ名かすかに不幸の香ありて冷たき峡に落ちゆく
バーの隅でひとりで飲んでゐる吾れを憧れとしていまだ果さず

2首目、雨で水量の増えた北上川。「満ぱい」という表現がおもしろい。
4首目の「忠一」は武川忠一。懇親会などで言われた言葉が、その時は何とも思わなかったのに、家に帰ってきてから深く身に沁みたのだ。
5首目、「あれもやろう、これもやろう」と思っているうちに、いつしか終ってしまう一日。
7首目、かつて子どもたちはこの草を使ってサワガニを釣ったらしい。今ではそんな遊びをする子も少なくなってしまった。
9首目、「ははこ(母子)」に「不幸の香」を嗅ぎ取っているところが独特だ。早くに母を亡くした作者の思いが滲んでいる。

2015年3月25日、KADOKAWA、2400円。

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2015年05月18日

浜松へ

昨日は「塔」の選者派遣で浜松歌会へ。
午前中、時間があったので市内を観光する。

まずは、浜松に生まれた国学者、賀茂真淵の記念館へ。

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真淵は31歳で京都伏見の荷田春満に入門している。
今なら新幹線で1時間あまりの距離だが、当時はどれくらいかかったのだろう。

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記念館の近くにある真淵誕生の地。
顕彰碑などが立っている。

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その後、浜松城へ。
天守からの眺めが素晴らしく、風が気持ちいい。

浜松駅→賀茂真淵記念館→浜松城→復興記念館(歌会会場)と、初夏の日差しの中を歩き回ったので、歌会前から汗だくになってしまった。

歌会は「塔」以外の方も大勢参加されて、計38名。
その後の懇親会も含めて、久しぶりに楽しい一日だった。
ありがとうございます。

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2015年05月16日

締切、締切、締切

締切に追われている。
机の前の壁に原稿依頼状をピンで留めているのだが、
現在10枚ある。

書評が3つ、評論が2つ、時評が2つ、アンケートが1つ、
レジュメが1つ、作品が1つ。

文章を書くのは好きだし、依頼をもらうのも嬉しいのだが、
作品の依頼が少ないのがかなしい。

今朝も、早起きして何とか一つ原稿を書き上げた。

まだ1字も書いていないのに、「次号予告」に自分の名前が
出ていたりすると、本当に身体に良くない。

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2015年05月14日

黒岩幸子著 『千島はだれのものか』


副題は「先住民・日本人・ロシア人」。
ユーラシアブックレット186。

18世紀以降、ロシアと日本の間で領有をめぐる争いがあり、国境が移り変ってきた千島列島について、その歴史と現状を記したもの。

先住民である千島アイヌ、さらには北海道アイヌを含めて、国境線により分断された人々の苦難が浮き彫りにされる。

国境線がどこに引かれるにしても、ユーラシア大陸と日本を繋ぐ踏み石としての千島列島の姿や価値に変わりはない。そして千島の特異な環境に相応しい生活圏、文化圏、経済圏というものがある。過去の国境線は、そのような一体性を保つべき地域を分断して日ロが対峙する空間を生み出した。

「日本」「ロシア」という国家単位の枠組みからではなく、「千島列島」という枠組みで歴史や文化を捉え直す視点が、今後ますます必要になってくるのだろう。

2013年12月10日、東洋書店、800円。

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2015年05月13日

カルチャーセンター

現在、下記のカルチャーセンターで短歌の講座を行っています。
短歌の好きな方、興味のある方、これから始めたいと思っている方、
どうぞご参加下さい。

・JEUGIAカルチャーセンター千里セルシ― 06−6835−7400
 「はじめての短歌」 毎月第3月曜日 13:00〜15:00

・JEUGIAカルチャーセンターKYOTO 075−254−2835
 「はじめての短歌」 毎月第3水曜日 10:00〜12:00

・JEUGIAカルチャーセンターMOMO 075−623−5371
 「はじめての短歌」 毎月第1火曜日 10:30〜12:30

・醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」 毎月第2月曜日 13:00〜15:00

・毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日 *奇数月を松村が担当しています。
   A組 10:30〜12:30
   B組 13:00〜15:00
   
・朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」 毎月第1金曜日 10:30〜12:30

・朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作」 毎月第3金曜日 *偶数月を松村が担当しています。
   A組 11:00〜13:00
   B組 13:30〜15:30

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2015年05月12日

高桑信一著 『山の仕事、山の暮らし』


2002年に「つり人社」より刊行された単行本の文庫化。
元は月刊「つり人」別冊「渓流」1993年夏号〜2002年夏号に連載された「山に生きる」をまとめたもの。

「只見のゼンマイ採り」「檜枝岐の山椒魚採り」「会津奥山の蜂飼い」「岩手・浄法寺町の漆掻き」など、山で生きる19名の姿を記したドキュメンタリー。時代とともに失われつつある暮らしの様子が、生き生きと描き出されている。

この連載が書かれてから、既に十数年〜二十数年が経過した。現在この方たちはどうしているのだろう。

例えば、南会津の駒止峠の「峠の茶屋」で岩魚を焼いていた中村源治さんと奥さんの武子さん。1993年の取材当時「定年もないしねえ、まだ二十年ぐらいは頑張れるでしょ」と話していた。

けれども調べてみると、1999年に源治さんが亡くなり、「峠の茶屋」も2005年に廃業。現在は更地となっているそうだ。時の流れとはいえ、やはり寂しい。

2013年3月5日、ヤマケイ文庫、950円。

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2015年05月11日

三室戸寺

ゴールデンウィークの最終日に宇治の三室戸寺へ出かけた。
つつじ2万株、しゃくなげ1000本あるとのこと。

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  ツツジと黒揚羽

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  斜面に広がるツツジ

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  シャクナゲと三重塔

お天気も良くて、久しぶりにのんびりとした一日だった。

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2015年05月10日

『明治短歌の河畔にて』の続き

明治期の和歌(短歌)否定論や改良論を読むと、歴史は繰り返すということがよくわかる。

甚だ無礼なる申分かは知らねども三十一文字や川柳等の如き鳴方にて能く鳴り尽すことの出来る思想は、線香烟花か流星(よばひぼし)位の思に過ぎざるべし、少しく連続したる思想、内にありて、鳴らんとするときは固より斯く簡短なる鳴方にて満足するものにあらず。
    『新体詩抄』(1882年)外山正一の序文

こうした論法は、戦後の第二芸術論においても見られたものであった。

三十一文字の短い抒情詩は、あまり社会の複雑な機構などを知らぬ、素朴な心が何か思いつめて歌い出るときに美しいが、年とともに世界を知ってくると、その複雑さをもこめての幅のあり、ひだのある、感動を歌うにはあまりに形が小さすぎ、何かを切りすてて歌わざるを得ない。
    桑原武夫「短歌の運命」(1947年)

また、荻野由之の和歌改良論の中には「有用」という言葉が出てくる。

サレバ今ノ事物二ヨリテ感動セシ情ハ、今ノ詞ニテ述ブベキ道理ナリ、此道理ヲ推考ヘテ、陋習ヲ破リ、新面目ヲ開クコトヲ勤ムベシ、サスレバ歌モ真ノ有用ノモノトナルナリ
    「小言」(1887年)

このあたり、文脈こそ多少違うが近藤芳美の文章を思い出さずにはいられない。

新しい歌とは何であろうか。それは今日有用の歌の事である。今日有用な歌とは何か。それは今日この現実に生きて居る人間自体を、そのままに打出し得る歌の事である。
    「新しき短歌の規定」(1947年)

歴史を知るということは、無味乾燥な過去を知るということではなく、常に今を知ることにつながっているわけだ。

霜やけのちひさき手して蜜柑むくわが子しのばゆ風のさむきに
さくら見に明日はつれてとちぎりおきて子はいねたるを雨ふりいでぬ
さわさわとわが釣りあげし小鱸(をすずき)のしろきあぎとに秋の風ふく

落合直文に良い歌が多くあることを知ったのも収穫であった。

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2015年05月09日

山田吉郎著 『明治短歌の河畔にて』

明治短歌の歴史を時代順に記述した本。歌誌「氷原」に2007年から2012年まで連載した文章が元になっている。

明治が四十五年という長い時間を包摂しているにもかかわらず、近代歌人の最初に取り上げられるのが落合直文や正岡子規、佐佐木信綱、与謝野鉄幹らであって、おおむね明治二十年代中頃以降に登場し活躍する歌人たちであることも気になった。

こうした問題意識を持つ著者は、八田知紀、近藤芳樹、黒田清綱、三条西季知、高崎正風、中島歌子、税所敦子ら旧派和歌の歌人や、開化新題和歌、『新体詩抄』、荻野由之の和歌改良論など、近代短歌が生まれるまでの流れを丁寧に見ていく。

これは非常に大事なことだ。こうした部分を省いてしまうと、明治の和歌(短歌)革新運動の本当の姿は見えてこない。

明治短歌の四十五年の歩みは近代的なモチーフと技法を確立する道程であったろうが、同時に和歌の伝統を常に確認しそこに立ちかえる指向をはらみつつ、展開していったとも言えるのではなかろうか。

明治の革新が常に伝統との関わりの中で進行した点を忘れてはならないのだろう。

2014年5月9日、短歌研究社、2500円。

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2015年05月08日

徳田耕一著 『ガイド サハリンの旅』

副題は「未知の世界への初の案内」。

今年の夏にサハリンへ行くべ予定なのだが、サハリン関係のガイドブックは本当に少ない。手に入りやすいのは『地球の歩き方 シベリア鉄道とサハリン』であるが、サハリンについてはわずかな量の記述しかない。

そんなこともあって、1991年刊行の古いガイドブックを読んでいる。四半世紀以上も前のものなので、あまり役に立ちそうはないのだが、それでも読まないよりはマシだろう。

1989年、ソ連のペレストロイカ政策によって、外国人の立ち入りが禁止されていたサハリンが開放され、サハリン旅行ができるようになった。91年には戦前と同じコルサコフ(大泊)―稚内の航路が開かれ、95年からは定期航路となっている。この本には、その当時の観光への熱い期待が込められている。

サハリンは戦争による暗い痛手を持つ望郷の島から、新「北のリゾート」として新たな時代を迎えようとしている。
近くなったサハリン、幻から現実に一変した北の大地は、新しい観光スポットとして脚光を浴びて来た。

けれども、現在の状況を見てみると、こうした予測は外れたと言わざるを得ない。ソ連、ロシアとの関係改善は進まず、サハリン観光や交流は停滞している。コルサコフ―稚内の定期航路も今年9月で廃止になる見込みだ。
http://www.sankei.com/economy/news/140925/ecn1409250032-n1.html

せめてその前に、船でサハリンへ行ってこようと思う。

1991年9月15日、風媒社、1700円。

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2015年05月07日

小倉美惠子著 『オオカミの護符』


2011年に新潮社から刊行された本の文庫化。
おススメの一冊です。

実家の土蔵に貼られた一枚の「オイヌさま」の護符をきっかけに、著者はふるさと川崎市土橋の歴史や民俗に関心を持ち始め、やがて失われゆく暮らしの姿や山岳信仰の世界を映像で記録するようになる。

百姓の家に生まれた私もまた、家や村の歴史には無頓着だった。学校で習う「大きな歴史」と家や村の「小さな歴史」は、まったく交わることがなく、教科書に載らず、したがって試験に出るはずもない。「小さな歴史」を、むしろ軽んじていた。

というあたり、まさに同感である。この本を読むと、「小さな歴史」の大切さがよくわかる。一つ一つの「小さな歴史」を調べていくうちに、思いがけない「大きな歴史」が見えてくるのである。

「オイヌさま」の護符から、「御嶽講」、そして「オオカミ信仰」「山岳信仰」へと、話は広がりつつ深まっていく。見事なフィールドワークと言うべきだろう。

「宗教」、「信仰」は明治時代に生まれた翻訳言語である。だから厳密にいうなら、江戸時代までの日本には宗教も信仰も存在しなかったのであり、このような概念ではくくることのできない別の祈りだった。(…)しかしいまでは、私も「信仰」という言葉を用いなければ、何も語れなくなっている。

近代以降の日本人は、こうした矛盾を常に抱えつつ生きてきたのだろう。歴史を解き明かすことを通じて、今の私たちの姿もまた、よく見えてくるのである。

2014年12月1日、新潮文庫、490円。

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2015年05月06日

現代歌人集会春季大会 in 長崎

7月20日(祝)に長崎で、現代歌人集会春季大会を開催します。
九州各県の皆さんはじめ、お近くの方はぜひご参加下さい。

日時 2015年7月20日(祝)午後1時〜5時
場所 長崎新聞文化ホール

大会テーマ 竹山広―戦後七十年

総合司会 松村 正直
開会の辞 上川原 緑(長崎歌人会会長)

基調講演 大辻 隆弘

講演  大口 玲子

パネルディスカッション
  馬場 昭徳・前田 康子・島田 幸典・真中 朋久


閉会の辞  林 和清

参加費 2000円

  kajin-shukai-2015-spring.jpg

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2015年05月05日

瞬間と断片

「短歌」の島田幸典さんの評論からもう少し。

佐太郎によれば、生活の「瞬間と断片」それ「だけを大事なものとして追求するのは歌ぐらゐなもん」であり、

という部分に「瞬間と断片」という言い方がある。
佐太郎の『純粋短歌論』を見ると

短歌は純粋な形に於いては、現実を空間的には「断片」として限定し、時間的には「瞬間」として限定する形式である。
私は短歌に於いて「瞬間」と「断片」とに殆ど最高の意味を置いて考へてゐる。

などと言及されている。
これを読んで思い出すのは石田比呂志の歌論だ。例えば『閑人囈語』には

短歌表現の要諦は「時間」(瞬間)で「空間」(断片)を切り取る事にあるからだ。
つまり短歌表現の要諦は「時間」と「空間」にあるから、その場の瞬間(時間)で断片(空間)を切り取って表現せねばならぬ。

といった教えがあって、佐太郎の主張と重なる。

佐藤佐太郎と石田比呂志、一見まったく別のタイプの歌人のように見えながら、実は共通する部分がかなりあるのだということに気が付いた。

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2015年05月04日

角川「短歌」2015年5月号

島田幸典さんの「論じられた佐藤佐太郎(2)―戦後短歌史の鏡像として」が、先月に引き続き面白かった。

「短歌に欠けるものを埋める革新論的方向性ではなく、欠陥と見えるもののなかに積極的な意義を見出す道を選んだ」佐太郎の歌論や作品が、長い間あまり理解されずに、しばしば批判されていた点を明らかにしている。

先日読んだ『斎藤茂吉言行』の昭和25年のところにも

卓に「日本歌人」十月号がおいてあった。国見純生の私にあてた公開状が載っている。それを先生は読む。途中から声をたてて読まれた。「然し不満は沢山あります。例えばその見つめ方にどういう具体的な基準があるのか或いはあなたは何を理念としてこの現実を生きているのかよく分かりません」という一節があった。先生はいわれた。「詩でこういうことを言ってはいけないんだ」。

といったやり取りがある。これは島田が取り上げている佐太郎批判とも重なるものだろう。

そうした中にあって、島田は上月昭雄の「佐藤佐太郎論」(「短歌」昭和37年8月号)を「出色のもの」として引き、

注目すべきは、上月がここに前衛短歌運動との接点を認める点にある。この運動が求めた「人工美」は佐太郎のそれとは別物だが、にもかかわらず佐太郎が先行して「現代の美のひとつの典型」を打ち出したからこそ、「新しい美学への大胆な営為」が推進されたと見るのである。

と述べる。佐太郎の歌を近代短歌の延長として捉えるのではなく、そこに前衛短歌にも通じる現代性を見出している点が、今から見ても示唆に富む。

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2015年05月03日

駒田牧子著 『根付』


「ジャパノロジー・コレクション」と題されたシリーズの一冊。

根付についての入門書。数多くの作品の写真を載せ、題材、作者、材料、歴史などについて解説している。写真を眺めているだけでも楽しい。

根付は見るだけでなく手に持ったり握ったりすることを前提とした「触覚の芸術」である。
根付は年月の経過や使用により美的価値が増していく「進行する美術」なのだ。

といったあたり、これまであまり意識していなかったので、ハッとさせられた。

作品タイトルの英訳も面白い。「浪人」は「Masterless samurai」、「松茸狩」は「Mashroom gathering」、「あっぷっぷ」は「You laugh first!」。なるほど。

2015年2月25日、角川ソフィア文庫、920円。

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2015年05月02日

『斎藤茂吉言行』の続き

茂吉の発言からいくつか引く。
さすがに印象に残る名言をたくさん残している。

本は(著書)自分でみるのがいちばん愉快だね。ほめられようがけなされようが、それは第二義的で自分で気持がいいな。
芸術は枯淡のなんのといっても覇気がなくてはだめだよ。
歌を作るとそこ(首)がこるね。小芸術だなんていってもよほど力のいるものだな。
夕暮(前田氏)の門人の何とかいうのが、辞世を作るようじゃ死なないといったが、それはそうだ。死ぬようなときは辞世どころじゃないものね。
日記というのはあとで見るといいもんだね。兄貴が死んだ時のことなんか日記を見るとはっきり思い出す。もっとも僕らは歌が日記だが。
時が批判してくれるよ。時の批判というのは峻厳だからね。一世紀もたてばだいたいおちつくな。
歌は将棋のように勝負がはっきりしないが、それでも勝負がわかるもんだ。自分はとてもかなわないとおもったときに背すじに冷汗をながすようでなくてはならないもんだ。
歌は算術のようにきちんといってはつまらない。

まあ、この面白さは実際に読んでもらうしかないだろう。

『童馬山房随聞』(昭和5年〜16年)『斎藤茂吉言行』(昭和17年〜26年)の2冊は、『佐藤佐太郎集』(全8巻)では「茂吉随聞」という題でまとめられている。第7巻「茂吉随聞1」が昭和18年まで、第8巻「茂吉随聞2」が昭和19年以降という区切りになっているが、内容は同じものだ。

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2015年05月01日

佐藤佐太郎著 『斎藤茂吉言行』

佐藤佐太郎が師の斎藤茂吉の言動を書き留めたもの。昭和17年から26年までの記録で、『童馬山房随聞』の続きに当たる。

戦中から戦後にかけての茂吉の様々な苦労や、晩年の肉体的な衰えなどがよく伝わってきて、しんみりとした気分になる。

終わりの方にある昭和26年9月1日の記録。

私は新刊の「短歌入門ノオト」と「長塚節全歌集」とをさしあげた。先生は一冊ずつ手にとって開いたが、単に開いたというだけ。若夫人が飲物をもって来て、父は頭がぼんやりしているから何か要事があるなら私たちが聞くという。私には要事はなかった。

「私には要事はなかった」が何とも悲しい。もともと何の用事があるわけではないのだ。晩年は主に師の話相手になったり身体を揉んだりするために通っていたのである。

後記には

晩年になって、先生の健康が徐々におとろえ、頭脳が徐々におとろえてゆくのを見るのはいたいたしかった。(…)これ以上私などが先生を見てはならない。それは先生をけがすというものだ。そう思って昭和二十七年のある日をもって記録をうちきったのであった。

と記されている。

これは、後に秋葉四郎が『短歌清話 佐藤佐太郎随聞』の最後の記録(昭和61年12月28日)に

先生がじみじみと話すとき、言語があいまいになり、ほとんど理解できない。江畑氏が脳軟化症の特色だと後に言ったが、ひどくさびしい。病む先生をただ見守るのみの自身が殊更虚しい。もう私は歌人佐藤佐太郎の言行を記録してはならない。

と記して、記録を打ち切ったことへと遠くつながっている。
歴史は繰り返すと言うべきか、誰もが通る道と言うべきか。師弟関係の最も深い部分を見たような気がして、厳粛な気持ちになった。

1973年5月20日、角川書店、2400円。

posted by 松村正直 at 08:07| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする