2015年04月30日

松村由利子歌集 『耳ふたひら』


石垣島へ移り住んでからの歌275首を収めた第4歌集。

パイナップル景気も遠い物語マンゴー農家が徐々に増えゆく
指笛を鳴らしつつ行く子どもあり豊年祭が近づいてくる
手土産のパウンドケーキ焼く午後の一回休みという幸もある
一度だけ雪が降ったという記憶島の古老の夢かもしれぬ
耳ふたひら海へ流しにゆく月夜 鯨のうたを聞かせんとして
カタツムリの殻を砕きて土に混ぜ器を焼きし頃の八重山
石は石を産むことあらず水底の沈思となりて冷えびえとあり
もっともっと産みたかったよ一年中花咲く島をずんずん歩く
落ちて来る最初の雨滴受けようと窪めるときの手のやわらかさ
集合写真に小さく円く穿たれた一人のような沖縄 今も

1首目、今はやりのマンゴーも、やがて「遠い物語」になってしまうのかもしれない。
3首目、「一回休み」という言葉をプラスの意味に転じたところがおもしろい。
4首目は美しい歌。実際にあったことなのか夢の話なのか、もはや確かめる術はない。
6首目、上句に生々しい手触りがあって印象に残る。
8首目、亜熱帯性気候の植物の繁茂する様子や、沖縄が都道府県別の出生率で一位であることなどを踏まえて読むといいのだろう。
10首目、基地問題などにおける沖縄の扱われ方。結句「今も」が、薩摩による侵攻、明治の琉球処分、戦後のアメリカによる統治といった歴史を思わせて、ずしりと重い。

沖縄の自然や暮らしを詠んだ歌が印象に残る一方で、社会問題を詠んだ歌にはやや深みが足りないように感じた。

2015年4月19日、書肆侃侃房「現代歌人シリーズ」、2000円。

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2015年04月29日

『日本の民俗 暮らしと生業』の続き

他にも、印象に残った箇所をいくつか挙げておこう。

旧暦では、正月は冬から春へ移行する折り目にあたり、盆は夏から秋へ移行するときの折り目で、一年間の季節を二分している。

2015年で言えば、旧暦の正月(1月1日)は2月19日、お盆(7月13日〜15日)は8月26日〜28日となり、確かに季節の変わり目と一致する。

昭和二十五年(一九五〇)からは「年齢のとなえ方に関する法律」により、年は人それぞれの誕生日に満で数えるようになった。

戦前は「数え年」で数えていや年齢を、戦後になって「満年齢」で数えるようになったことは知っていたが、それが法律に定められているとは初耳であった。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO096.html
(年齢のとなえ方に関する法律)

著者は「あとがき」に次のように記す。

大正十年(一九二一)旧満州の大連市で、鉄道会社に勤めるサラリーマンの家庭に生まれた。我が家には神棚はなく、両親が盆行事をしていたおぼえもない。二〇世紀初めの植民地に暮らしていた日本人の核家族は、母国の習俗やしがらみに無関心だったのである。

こうした生い立ちが、後に著者が年中行事や郷土芸能に関心を抱く遠因になったようだ。私の生まれた家(1970年代の東京郊外のサラリーマン家庭)も同じ環境だったので、よくわかる気がする。

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2015年04月28日

芳賀日出男著 『日本の民俗 暮らしと生業』


2007年にクレオより刊行された本に加筆修正をして、文庫化したもの。

全国各地の暮らしに関わる民俗写真を解説付きで多数収めている。章立ては「正月」「盆行事」「稲作」「漁村の暮らし」「海女」「巫女」「人形まわし」「木地師」「さまざまな生業」「運ぶ」「市」「親族集団」「人生儀礼」。

主に昭和30年代から50年代にかけての写真が多く、今では見られなくなってしまった光景も多い。例えば「丸薬師」という仕事。写真の解説には次のようにある。

練薬をへらできざんで台の上にならべ、木ぶたをかぶせて軽く押してまわす。30秒たらずで700粒ができあがる手練の早技。

この仕事は、昭和51年に「医薬品の製造及び品質管理に関する基準」が定められたことによって廃絶になったとのこと。

これまで知らなかった風習や行事もあったので、いくつか引く。

豆占(まめうら) 正月14日の夜、いろりの灰の上に12個の大豆をならべて置く。
餓鬼棚 盆棚には先祖や家族の霊を祭る「本棚」と、無縁仏を祭る「餓鬼棚」がある。
水口祭り わが家の田圃の水口に菖蒲、小手毬などの花をかざり、饌米を供え、神酒をそそぐ。

2014年11月25日、角川ソフィア文庫、1280円。

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2015年04月27日

中国新聞取材班編 『猪変』

著者 :
本の雑誌社
発売日 : 2015-02-05

タイトルは「いへん」。
2002年12月から半年にわたって中国新聞に連載された企画報道をまとめたもの。終章に「「猪変」その後」を追加している。

瀬戸内海を泳ぐ猪の話から始まって、中国地方の農作物に大きな被害を与えている猪の実態へと迫っていくルポルタージュ。

そこから見えてくるのは、農山村の高齢化や人口減少によって手入れのされない里山や耕作放棄地が増えている現状である。また、駆除を中心とした猪対策が駆除自体を目的化してしまい、農作物の被害の減少につながってない問題も浮き彫りにされる。

いずれも、猪の問題というよりは人間側の問題である。地方の疲弊やコミュニティの崩壊といった問題が、猪問題にも深い影を落としている。

中国地方のことだけではなく、ポーランドやフランスにおける狩猟文化や北海道におけるエゾシカ対策のことなども取り上げている。新聞社の取材力が遺憾なく発揮された一冊と言っていいだろう。

2015年2月20日、本の雑誌社、1600円。

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2015年04月26日

永田和宏著『現代秀歌』を読む会

今年1月から毎回1章ずつ、永田和宏著『現代秀歌』(岩波新書)を読み進めています。会の内容は、参加者が順番に声を出して読み、全員で感想や意見を語り合うというものです。

事前の申し込みの必要はありません。「塔」会員以外の方も参加できますので、どうぞお気軽にご参加下さい。今後の日程は下記の通りです。

日時 毎月第4火曜日 午後1時〜4時

  4月28日(火)第四章 家族・友人
  5月26日(火)第五章 日常
  6月23日(火)第六章 社会・文化
  7月28日(火)第七章 旅
  8月25日(火)第八章 四季・自然
 10月27日(火)第九章 孤の思い
 11月24日(火)第十章 病と死

場所 塔短歌会事務所(地下鉄丸太町駅から徒歩7分)
      〒604-0973 京都市中京区柳馬場通竹屋町下る五丁目228
                「碇ビル」2階西側
参加費 一回500円

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2015年04月25日

『金井美恵子エッセイ・コレクション』

書店で見かけた『金井美恵子エッセイ・コレクション』(全4巻、平凡社)を立ち読みしていたら、第3巻に「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」が収録されていた。歌壇でも話題になった文章だ。

さらに、「歌の人々、あるいは『風流夢譚』事件とその周辺」という文章も、新たに書き下ろしで収められていた。これは、「たとへば(君)・・・」についての歌壇からの反応を受けて書かれたもので、私が書いた角川「短歌」2012年9月号の歌壇時評にも触れている。

何だかひどく懐かしい。

この機会に、以前このブログに書いた金井美恵子関連の記事を挙げておこう。

角川「短歌」9月号(2012年8月24日)
 http://matsutanka.seesaa.net/article/387138875.html
金井美恵子と短歌(2012年9月3日)
 http://matsutanka.seesaa.net/article/387138885.html
続・金井美恵子と短歌(2012年9月16日)
 http://matsutanka.seesaa.net/article/387138898.html
金井美恵子論に対する反応(2012年11月26日)
 http://matsutanka.seesaa.net/article/387138961.html
続・金井美恵子論に対する反応(2012年12月15日)
 http://matsutanka.seesaa.net/article/387138981.html

『金井美恵子エッセイ・コレクション』(3)が出たのは2013年10月のこと。今から一年半も前の話だ。もう少し早く読んでおけば良かったなあ。

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2015年04月24日

『思索の源泉としての鉄道』のつづき

印象的だった部分をいくつか。

太平洋戦争開戦直前に当たる一九四一年春、柿生、鶴川界隈に「柿生離宮」を造営する計画が持ち上がったことがある。離宮というのは名目で、実際には皇居の移転が計画されていたのだ。

この話は初めて知った。私は生まれ育ったのが小田急線の玉川学園前なので、柿生や鶴川といった地名は懐かしい。

いつの日にか、対馬、宗谷、間宮の三海峡がトンネルでつながり、日本海を取り巻く壮大な循環線が開通する日が来ることを、私は夢見ている。必ずやそれは、東アジアの平和と安定に寄与すると考えられるからだ。

「日本―ロシア―中国―北朝鮮―韓国―日本」を循環する国際列車ということになろう。現時点では夢物語にしか思われないが、そうした可能性を考えるのは大事なことにちがいない。交通の変化は人々に意識の変化をもたらすからだ。

この夏、サハリンへ行く予定なのだが、日本―サハリンの交通事情は残念ながら年々悪くなっている。宗谷海峡を渡る稚内―コルサコフの船便も今年で廃止されてしまうらしい。札幌―ユジノサハリンスクの航空便は残っているものの、函館便は廃止されてしまったし、成田便も存続が際どい状況になっている。

宗谷海峡をもしトンネルで渡ることができたら、サハリンは今よりもはるかに身近な存在になることだろう。

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2015年04月23日

原武史著『思索の源泉としての鉄道』


2011年から2014年にかけて講談社のPR誌「本」に連載した「鉄道ひとつばなし」をまとめたもの。これまで新書でも『鉄道ひとつばなし』『同 2』『同 3』というタイトルであったが、今回は名前が違う。

もともと単に鉄道マニア的な話だけではなく、著者の専門である日本政治思想史を踏まえた話がしばしばあったのだが、今回は東日本大震災を受けてその傾向がより顕著になったように感じる。

震災後すぐに復旧に向けて動き始めた三陸鉄道と、東北新幹線以外の復旧には消極的なJR東日本とを比較して、人々がコミュニケーションをとる「公共圏」としての鉄道を論じるあたりに、その真骨頂が表われている。鉄道は単なる移動手段ではないのだ。

本書では新幹線とナショナリズムの関わりについても論じられている。リニア新幹線で時速603キロが出て世界最高速度を更新したというニュースに喜んではいられない。効率とスピード重視の鉄道から、乗ることそのものを楽しむ鉄道へという著者の主張が、いつか実現する日が来ると良いのだが。

2014年10月20日、講談社現代新書、800円。

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2015年04月22日

宇宙回転温泉

映画「男はつらいよ 寅次郎物語」を見ていたら、和歌山県の有名な廃墟スポット「宇宙回転温泉」(北村荘グランドホテル)が登場したのでびっくりした。

1987年の映画なので、もちろんまだ廃墟ではなく現役のホテルである。廃墟となった後の姿しか知らなかったので、逆に新鮮だった。

調べてみるとホテルの開業は1962年。建物は2005年に解体され、現在は更地になっているらしい。時代の移り変わりの早さに驚かされる。

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2015年04月21日

篠弘歌集 『日日炎炎』

2009年から2014年までの作品875首を収めた第9歌集。
1ページ4首組。

冬日さす珈琲カップの影のびて口閉ざしあふひとときもある
書棚より「論争史」抜きてまた戻す若書きの書がわれより生きむ
ペースメーカー賜りしより何か違ふどこか違ふと枇杷を剥きゐる
午後からの会のはじめに声出して己の声を確かめむとす
川ぞこの駐車場よりくちびるを舐めつつ冬の街に出できぬ
空きたりし壜を逆さに立て掛けて数滴を待つひとりの夜は
ワイパーの拭ひきれざるフロントの隈(くま)きしきしとわが手に磨く
もとめ得しものはなけれど古本に触れきたる手に珈琲をのむ
掠(かす)れくるボールペンの尖を火に炙(あぶ)り書き終へたりし冬の弔文
むらさきの満作の垣に片寄せてバックミラーに妻を待ちゐる

現代歌人協会理事長、日本文藝家協会理事長、詩歌文学館館長といった立場で詠まれた歌が多い。特に会議の場面を詠んだ歌の多さが特徴的だ。作者自身、あとがきで「会議社会に生きる自分が会議に重点をおくことは、むしろ現在では異例であろう」と記している。

2首目は古書店で自著『近代短歌論争史』を見ての感慨。20代から書き継いで、40代で刊行した著書である。自分の死後も、本の中で若き日の自分は生き続けるのだ。
3首目、ペースメーカーの調子が悪いわけではないのだが、どうも以前とは身体の感じが違うような気がするのだ。
5首目、地下駐車場から地上へ歩いて出てきたところ。「くちびるを舐めつつ」が冬の乾燥した空気を感じさせる。
8首目、神保町の古書店街を詠んだ歌も歌集には多い。満ち足りた気分が伝わってくる。
10首目、下句の簡潔な表現がいい。建物から出てくるのを待っているのだろう。

2014年11月30日、砂子屋書房、3000円。

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2015年04月20日

一志治夫著 『奇跡のレストラン アル・ケッチァーノ』


副題は「食と農の都・庄内パラディーゾ」。
2009年刊行の『庄内パラディーゾ』を改題、加筆修正して文庫化したもの。

山形県鶴岡市にレストラン「アル・ケッチァーノ」を構え、在来作物を使った料理の研究や地域の活性化に務める料理人・奥田政行と、彼の周囲の人々を追ったノンフィクション。

現在の農業が抱えている問題点や、地方と東京との格差など、料理を通じて日本の今後のあり方を問う内容になっている。

ちなみに「アル・ケッチァーノ」はイタリア語ではない。「そういえばあったわね」を庄内弁で言うと「あるけっちゃの」となり、それをイタリア語風にもじったのである。

こんなところにも、奥田の心構えがよく表れている。イタリアの物真似ではなく、庄内の素材を用いて、庄内の風土に合ったイタリアンを目指しているのだ。

カットしたサザエが8回で噛み終わるのであれば、合わせるウドもまた8回で噛み終わる固さに切って合わせる。昔はよくフレンチでも食材の大きさを整えろ、と言われたけれど、よく考えると、固いニンジンもあれば柔らかいタマネギもある。大きさではなく、噛む回数で合わせれば、口の中で違和感なく食べ終わるわけです。

こんな言葉を読むと、料理の世界の奥深さに驚かされる。そして、そこに一つの哲学があることを感じるのである。

2015年3月10日、文春文庫、680円。

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2015年04月18日

二条城

先日、二条城へ行ってきた。
京都に住んで15年になるが、実は二条城は初めて。

広々とした二の丸御殿や庭園など見どころが多く、季節を変えてまた訪れてみたいと思う場所であった。

P1040444.JPG

天守閣跡からの眺め。

P1040442.JPG

しだれ桜。

佐藤佐太郎は昭和43年4月13日に、二条城を訪れて歌を詠んでいる。

夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を垂る
花みちて塔のごとくに立つ桜垂りたる枝の末端うごく
ゆくりなき遭遇に似て旅の日に去年(こぞ)みし花を今年また見つ
あまた咲く桜のなかにおのづから八重の桜はくれなゐのたつ

以上、歌集『形影』より。

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2015年04月17日

常見藤代著 『女ひとり、イスラム旅』


「チュニジア」「ヨルダン」「パキスタン」「モロッコ」「オマーン」「エジプト」「シリア」といったイスラム圏の国々を女性一人で訪ねた旅行記。

初めて会った人の家に招かれたり、一緒に食事をしたり、結婚式に参加したりと、和やかで楽しい話が多い。戦争やテロのニュースとはまったく別の姿が見えてくる。

男はやっぱり手作りの自然な味より、手っとり早く食べられるインスタント食品が好き。「手作りのナントカ」に夢中になるのは女性ばかり。
日本人はとかくイスラムの女性が一人旅ができないことを抑圧と見なしがちだが、こちらの女性は全くそうは思っていない。逆に一人旅の女性を「守ってくれる人がいないかわいそうな人」と見ているのだ。
イスラムの国の結婚システムは男性に厳しい。結婚時に男性が家を用意しなければならない。(…)イスラムは男性優位と思われているが、実は男性にこそ厳しい社会だ。

もちろん、イスラム圏と言っても東南アジアから中東、北アフリカまで広がっていて、国や地域ごとに歴史や文化、生活習慣もさまざまだ。やはり、実際に自分で行ってみるのが一番なのだろう。

2015年1月30日、朝日文庫、700円。

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2015年04月16日

現代歌人集会春季大会 in 長崎

7月20日(祝)に長崎で、現代歌人集会春季大会を開催します。
九州各県の皆さんはじめ、お近くの方はぜひご参加下さい。

日時 2015年7月20日(祝)午後1時〜5時
場所 長崎新聞文化ホール
大会テーマ 竹山広―戦後七十年

総合司会 松村 正直
開会の辞 上川原 緑(長崎歌人会会長)
基調講演 大辻 隆弘

講演  大口 玲子

パネルディスカッション
  馬場 昭徳・前田 康子・島田 幸典・真中 朋久


閉会の辞  林 和清

参加費 2000円

  kajin-shukai-spring2015.jpg
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2015年04月15日

古庄弘枝著 『沢田マンション物語』


副題は「2人で作った夢の城」。
2002年に情報センター出版局より刊行された本の文庫化。

設計から土木工事、内装に至るまでほぼ独力で、30年がかりで「沢田マンション」を築き上げた沢田嘉農・裕江夫妻についてのドキュメンタリー。抜群におもしろい。

小学5年生でアパート経営を決意し、12歳で製材の仕事を始めた嘉農さんと、13歳(!)で嘉農さんと結婚した裕江さんの人生は、とにかく破天荒で波乱万丈、それでいて夢の実現へと真っ直ぐに突き進んでいる。

60室あまりの部屋は一つとして同じ間取りのものはなく、1階から5階までスロープを通って車でのぼることができる、さらに、4階には池が、屋上には田んぼがあったりと、ひたすら自由で、手作り感満載だ。

「本はしょせん、他人が考えたものよ。わしは自分の頭で考える」と述べる嘉農さんの言葉が重い。

2009年9月20日、講談社+α文庫、819円。

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2015年04月14日

さいとうなおこ歌集 『キンポウゲ通信』

1984年に刊行された第一歌集の文庫化。
作者30代の作品297首が収められている。

子の指紋花びらのごと鏡面に乱るるを拭いて夜に対いぬ
言い負けて帰り来し子は弟にひどくやさしいものいいをする
凧の糸引きつつ駆ける少年は項(うなじ)に光るたてがみを持つ
夢の歌はもうつくるなと人言いき夢の中深くうなずきている
たんねんに定規使いて子が描く架空の町の駅の見取図
銀いろの煮干しとなりて身を曲げし魚は何れも小さき口開く
てのひらにきっかりかくれる顔を誰も持つと思いき泣きたるのちに
雨のなかワルツの楽におくれつつ移動図書館の来る水曜日
夜をこめてしずかに火山灰降れりあじさいの葉に山鳩の背に
春深く並木の葉かげ濃くなれり〈関硝子店〉の奥までみどり

1首目、子どもが鏡をべたべた触って遊んだのだろう。「花びらのごと」がいい。
2首目、兄と弟の心情や関わりがよく見えてくる歌。
5首目、「たんねんに定規使いて」に、真剣に取り組む姿が感じられる。
7首目は発想がおもしろい。掌の大きさ=顔の大きさ。
8首目、「楽におくれつつ」が、ゆっくりと進む車の感じをうまく表している。

あとがきの中に

近藤先生から何回か「夫や子供のことは捨てよ」と作歌上のご注意を受けたけれど、私はとうとう捨て切れずに今日まできてしまった。

とある。家族のことなど歌に詠むなということだろうか。その注意に従わなかったのが結果的に良かったのだと思う。近藤芳美という歌人の一面がよく窺える文章である。

2014年8月6日、現代短歌社第1歌集文庫、720円。

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2015年04月13日

今後の予定など

関西以外で、下記の歌会などに参加します。
多くの方とお会いできますように。

・5月17日(日) 「塔」浜松歌会
・6月 7日(日) 「塔」三重歌会
・7月15日(水) 現代歌人協会公開講座「出口王仁三郎の短歌」(東京)
           http://kajinkyokai.cafe.coocan.jp/profile.html
・7月20日(祝) 現代歌人集会春季大会(長崎)
           http://www.ac.auone-net.jp/~masanao/kajin-shukai-2015.pdf
・8月22日(土)23日(日) 「塔」全国大会(鹿児島)

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2015年04月12日

阿木津英著 「妹・律の視点から―子規との葛藤が意味するもの」

同じく子規庵の販売所にて買い求めた冊子。
2002年の第一回「若葉の子規庵」での講演をまとめたものである。

『仰臥漫録』『病床六尺』に記されている子規の「女子教育」「家庭教育」論や、妹・律に対する不満などをもとに、当時の男女の扱われ方の違いや時代の変化を追っている。

ひとつの食卓を囲む家族のあり方が理想になるのは、今の挿絵で見ましたように、明治も終わりになってからのことで、当時「家庭の団欒」はたいへん新しい概念だったのです。

わたしには、子規と律の関係は、義経と弁慶という「同志」の関係にはまったく見えませんし、子規の罵り意味もたんなる当たり散らしには見えません。そこには、進歩的な「新しい男」子規に対する「古い女」律の抵抗、子規の家庭改革実践に対して笛吹けど踊らぬ律の抗いぶりが潜んでいると思われます。

わかりやすく、しかも興味深い内容で、当時の時代の姿がよく見えてくる。

2003年4月25日初版第一刷発行、2012年10月23日第四刷発行、500円、子規庵保存会。

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2015年04月11日

田井安曇著 「生きている子規―付香取秀眞という人」

2月に子規庵を訪れた際に買い求めた冊子。
2002年の「子規庵〈糸瓜忌〉」における講演を収めたものである。

若い頃に子規批判をしていたという著者が、やがて子規の面白さに目覚めていった経緯などが素直に語られている。

途中、根岸短歌会のメンバーであった香取秀眞に触れて

この頃出る本では香取秀眞という人は影がだんだん薄くなってきているんですが、これは僕らもそうなる可能性があるんで、今は一寸ずつ何かに書いてくれていますけれども三十年ぐらい経つと誰も何にも言ってくれなくて消えてしまうことがあるかも知れない。

と述べているのが印象に残る。この講演から十数年がたった今、香取秀眞の影はますます薄くなってきている。そして、昨年亡くなった田井さんとて、「三十年」というのはかなり希望的な観測だったのではないかという気がする。

講演の最後は

皆さんに最後の項の、
8 同時代人としての子規―現代短歌は子規を越えたか?
を宿題としてこれで終らせていただきます。

で終っている。時間切れというよりは、簡単には結論の出ない問題ということなのだろう。そして、この問いは今もなお有効であると思う。

2003年5月15日初版第一刷発行、2009年10月20日第二刷発行、500円、子規庵保存会。

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2015年04月10日

「うた新聞」2015年4月号

秋葉四郎と田村元の対談「酒と詩(うた)を友として」がとても面白い。
6面と11面の2ページにわたって続いている。

神田の鮟鱇料理の老舗「いせ源」で、二人は茂吉や佐太郎の歌を引きながら、そこに出てくる店や酒について語る。中でも、佐太郎の歌で有名な「酒店加六」がどこにあったのか、資料や地図をもとに突き止めた田村の話がすごい。

秋葉と田村は師弟の関係ではないが、佐太郎の書いた『茂吉随聞』、秋葉の書いた『短歌清話 佐藤佐太郎随聞』の系譜を受け継ぐような内容と言っていいだろう。

印象に残った発言を引く。

秋葉 (…)ひらめいたものは、あまりいじらない、推敲しない。若いときは推敲しないと駄目だよ。作歌を始めて五十年になると、あまり上手く作ろうという発想ではなくなってくる。

田村 もちろん「作品が第一」ということもあるんですが、作品の向こうにある作者の素顔みたいなもの、そういったものを伝えていきたいです。

昭和12年生まれの秋葉と昭和52年生まれの田村。40歳差の二人の息がぴったり合って、実に楽しい対談であった。

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2015年04月09日

佐藤佐太郎著 『童馬山房随聞』

佐藤佐太郎が師の斎藤茂吉の言行を書き留めてまとめたもの。
昭和5年から16年までの記録となっている。

佐太郎の家に使いが来て茂吉宅に呼び出されたり、茂吉が佐太郎の勤め先の岩波書店に寄ったり、頻繁に子弟で行き来している。

茂吉の発言からいくつか。

芸術は何によらずひといろではおもしろくない。それだから意図をもって制作するということも否定できないが、これは不即不離で、ぜんぜんなければ平凡だし、出すぎてもいけない。
工夫するということが力量だからな。ポーズがあるの何のといっても、ポーズがないというのがひとつのポーズで、かえって臭気があるよ。
ぼっきしているときのような精神力がなくては芸術はだめですよ。
牧水の歌も晩年は力がなくなって、白湯を飲むようなもんだ。やはり中期がいい。年がとるほど良くなるとは限らないから歌はむずかしいんだな。
〈居れり〉というのはまちがいだよ。僕も使っているが、悪口をいわれても爆撃ができるか、それだけの用意がなければ使わない方がいい。
世の中の人というのは、論争を好まない人が多いけれども、ショウペンハウエルでもヘエゲルをやっつけた文章は炎を吐くようでいい。全集にあれがなければ精彩のないものだ。

「ぼっきしているときのような」「爆撃ができるか」「炎を吐くようでいい」といったあたり、いかにも茂吉という感じがする。とにかく読んでいて飽きない本だ。

1976年2月16日、岩波書店、1200円。

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2015年04月08日

尺とメートル

4月4日のブログに

標高1600メートルくらいの山脈を越える道で、途中には「樺太十五勝」にも数えられた景勝地「豊仙峡」「八眺嶺」(はっちょうれい)などがあった。

と書いた。「1600メートルというと、かなりの標高だな」と思っていたのだが、これは間違いであった。

古い樺太地図に記された数値を見て「1600メートル」と思ったのだが、同じ地図の敷香岳を見ると「4536」とある。4536メートルもあるはずがない。調べてみると敷香岳の高さは1375メートルであった。

他の山も調べてみる。

鈴谷岳「3454」 1045メートル
野田寒岳「3390」 1027メートル
釜伏山「3586」 1087メートル

いずれも3倍以上の数値になっている。

最初は、フィート(1フィートは30.48センチ)表示なのかと思って計算してみると、敷香岳は4536×0.3048=1383メートルになる。正しい高さ1375メートルにほぼ一致するが、微妙に差がある。他の山も同様だ。

その後、尺(1尺は10/33メートル)表示なのだと気が付いた。4536×10/33=1375メートルとなり、ピッタリである。

古い樺太地図に書かれていた数字は、メートルではなく尺表示だったのだ。
「大豊線」が越えていた山脈も標高480メートルくらいということになる。


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2015年04月07日

大島史洋歌集 『ふくろう』

2009年から2014年までの作品約400首を収めた第12歌集。
「短歌研究」の連載(30首×8回)が中心になっている。

重箱の隅をつつくもさまざまにてその楽しさを吾は知りたる
顎出して目を閉じる猫 子ら三人(みたり)背を撫で尾を撫で頭を撫でる
藤野駅のホームの端に墓は見え幾人か供花(くげ)をたむけるところ
最後まで愛せし人ら集うなか身から出た錆と言う声はする
うつぶせにまたあおむけに寝てすごす掩体壕のごときわが部屋
昼寝する父と題して兄よりの写真がとどく夜半のメールに
語の意味を考え調べわからねば疲れ果ててぞ夢より覚めぬ
ふるさとに雪は降るとぞ死にそうで死ねない父を見舞いにゆかむ
橋行けば桜の花は足下に咲き満ちておりその奥の宴
江津湖へとそそぐ湧水ゆるやかな流れに黒き鯉をはぐくむ

2首目、一匹の猫を三人の子供が寄ってたかって撫でている。「顎出して」がうまい。
3首目は「塩尻まで」という連作のなかの歌。車窓から見た光景。
4首目は2009年に亡くなった歌人金井秋彦の葬儀の場面。「身から出た錆」に故人の人生を思う。
6首目、ふるさと中津川に住む父の介護をしている兄からのメール。「昼寝」と「夜半」とに、兄と弟の立場の違いが滲み出ているように感じる。
7首目、長らく辞典編纂の仕事をしてきた作者ならではの歌。退職した今も夢に出てくるのだろう。
9首目、「足元に咲き満ちて」が面白い。普段とは違う角度から見る桜。

2015年3月1日、短歌研究社、3000円。

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2015年04月06日

奥田政行×三好かやの著 『東北のすごい生産者に会いに行く』


山形県鶴岡市で地元食材を用いたイタリア料理店「アル・ケッチァーノ」を開いている奥田シェフと、食材を中心に全国を取材しているライターの三好さんが、東北の生産者を訪ね歩くという内容。

名取市のセリ、郡山市の野菜、宮城県南三陸町の牡蠣、福島市の桃、岩手県洋野町の天然ワカメ・アワビ、仙台市の白菜、石巻市の焼ハゼなどが取り上げられている。

名取市で月に一度オープンファームを開いている三浦隆弘さんの「農家というのはただ食物を作る場所ではなく、人が暮らす場所なんです。衣食住、人間が生きるチカラを磨くための、知恵や工夫が詰まった博物館でもある」という言葉に、深く納得した。単に食料生産という観点だけでは捉えられないのだ。

2011年の東日本大震災や原発事故によって、東北の農業や漁業は大きな被害を受けた。

都市部には、故郷の両親や祖父母が送ってくれる野菜を頼りにしている人たちも多い。お年寄りが手塩にかけて育てた野菜を仲立ちに、つながっていた家族の絆。それが途絶えてしまう。原発事故の影響は、そんなところにも現われていた。

本書には、東北の料理人と生産者による「東北の『食』と『農』を語ろう」という座談会も収められており、震災後の炊き出しの様子などを知ることもできる。

2015年2月15日、柴田書店、1800円。

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2015年04月05日

山本寛太歌集 『北緯49°』から(その5)

打ちあぐる波に濡れつつ曳きてくる昆布は長し砂に並べぬ
砂の上を幼きも母に従ひて曳きずりて来る小さき昆布を
夕映えに鰊をはづすをみな等が鱗だらけになりて余念なし
子供らが曳く手車は柳葉に消えし提灯もありて揺れゆく
夜の部屋に取り散らしたる書のなかに疲れたるわれや眼(まなこ)あきつつ

「昆布」5首より。

1首目、樺太の西海岸は昆布の産地でもあった。昆布を浜で干しているところ。
2首目、小さな子供も母の手伝いをして海から昆布を引き上げている。
3首目、西海岸は鰊漁も有名であった。陸で女たちが網から鰊を取り外している場面。
4首目には「七夕祭」という注が付いている。柳や提灯を飾った山車を曳いて町内を練り歩いているのだろう。
5首目、何か調べものでもしていたのか。結句「眼閉じつつ」ではなく「眼あきつつ」としたところに、虚脱感がよく出ている。

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2015年04月04日

山本寛太歌集 『北緯49°』から(その4)

顚は雨寒々と降りしぶく雑林のなかを鴉くだりぬ
寒々と霧うつろへる深谿を埋めてしみらに樺の樹は生ふ
山峡(やまかひ)は白き地層のあらはなる断崖(きりぎし)に沿うて川流れたり
車窓にし面(おも)よせて見る深谷の垣山の上を霧は越え来る
後より来るトラック今し虎杖の吹かるる山の裾に沿ひくる

「大豊線」8首より。

作者は昭和12年に樺太北部の敷香から、西海岸の蘭泊の小学校に転任となる。これは、その頃の作品だ。

「大豊線」とは、留多加町大豊から中央山脈を越えて、西海岸の本斗町遠節へと到る横断道路。昭和10年に開通して、路線バスも走っていた。

標高1600メートルくらいの山脈を越える道で、途中には「樺太十五勝」にも数えられた景勝地「豊仙峡」「八眺嶺」(はっちょうれい)などがあった。

1首目、「巓」は「いただき」。雨の降る林に鴉が飛んでいる。
2首目、霧の立ち込める山深い土地を進んでいくところ。
3首目、当時の地図を見ると、「大豊線」はまず留多加川の支流を遡り、山脈を越えた後は遠節川に沿って下っていく。
4首目、車窓から雄大な景色を眺めている様子。「垣山」は普通名詞か固有名詞か。
5首目、虎杖(いたどり)の茂っている山道をトラックも登ってくる。

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2015年04月03日

永田和宏著 『人生の節目で読んでほしい短歌』


「NHK短歌」のテキストに2年間にわたって「時の断面―あの日、あの時、あの一首」として連載された文章に書き下ろし原稿を加え、加筆修正してまとめたもの。

「恋の時間」「結婚」「出産」「退職」「介護の日々」「死をみつめて」など、人生の節目節目で詠まれた短歌200首以上を取り上げて、鑑賞をしている。

通勤の心かろがろ傷つかぬ合成皮革の鞄に詰めて
          松村由利子『薄荷色の朝に』

(…)この一首では第三句にある「傷つかぬ」がじつに微妙に、そして意味を危うく反転させるように上句と下句とを連結しています。読者は「通勤の心かろがろ傷つかぬ」と読み進みます。(…)ところが実は、第三句は四句以下を修飾する形容だったことが直後にわかるという構造をもっている。

なるほど、的確な読みだと思う。「傷つかぬ」のは「通勤の心」ではなく「合成皮革の鞄」だったと反転するところにポイントがあるのだ。

短歌の鑑賞だけにとどまらず、著者自身の人生についても随所で語られており、エッセイとしての面白さも味わうことができる。

2015年3月10日、NHK出版新書、820円。

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2015年04月02日

映画 「KANO」

副題は「1931海の向こうの甲子園」。

監督:馬志翔
出演:永瀬正敏、大沢たかお、坂井真紀ほか

大日本帝国統治下の台湾の嘉義農林学校(嘉農)野球部の物語。近藤兵太郎監督の指導のもと、日本人、漢人、先住民族の混成チームが、1931年の全国中等学校優勝野球大会(甲子園)で準優勝するまでを描いている。

日本と台湾の関わりや歴史について考えさせられる内容であった。

180分、京都みなみ会館。

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2015年04月01日

白石良夫著 『古語と現代語のあいだ』


副題は「ミッシングリンクを紐解く」。
著者は長らく文部省で教科書検定に従事した国文学者。

「近代短歌」「擬古文」「仮名遣い」を取り上げて、古語と現代語とのつながりを論じた本。両者が地続きであることを述べるとともに、国文学者などが不自然につなげてしまった点を断ち切ることを目指している。

牧水の代表歌である「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」や「いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや」を読み解くなかで、

牧水の研究において、実証主義イコール学問という信仰が、作品理解をあらぬ方向にひっぱっている

と述べている部分など、なかなか刺激的である。

他にも、「をこ(痴)めく」が「おこめく」「おごめく」と書かれたことによって、「おごめく」という本来はなかった言葉が生み出され、「うごめく(蠢く)」と同じ意味で読まれている話など、興味深い例が数多く挙げられている。

ただ、全体に他の学者への批判や自説が受け入れられない恨み言が多いのが気になった。せっかく大事なことを書いているのだから、それを「わたしの答案が教科書検定の現場や教科書そのものの記述に採用されることは、ほとんどなかった」という文脈で語る必要はないだろう。

2013年6月10日、NHK出版、740円。

posted by 松村正直 at 06:22| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする