2015年02月28日

公開講座「短歌の世界へようこそ」

朝日カルチャーセンター芦屋教室で、「短歌の世界へようこそ」という公開講座を行います。

日時 3月13日(金)10:30〜12:00
場所 朝日カルチャーセンター芦屋教室(JR芦屋駅前 ラポルテ本館4階)
受講料 会員 2,592円 一般 3,024円

お申込み https://www.asahiculture.jp/ashiya/course/9347b861-62e4-6818-31ee-54d1cd5add7e

「短歌は難しいものでも古臭いものでもありません。今を生きている私たちの日々の生活をスケッチしたり、気持ちを表したりするのに最も適した文芸です。恋の歌、家族の歌、旅の歌、自然の歌、社会の歌、どんな題材も歌になります。57577のわずか三十一音の世界が、どれほど楽しくワクワクするものなのか。俵万智、穂村弘、河野裕子、小島ゆかり、吉川宏志、山崎方代といった歌人の作品を鑑賞しながら、短歌の魅力や味わい方をわかりやすく丁寧に解説します。」

posted by 松村正直 at 21:27| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月27日

坂野信彦歌集 『銀河系』

1982年刊行の第1歌集。
表紙には宇宙の写真とともに「THE VIA LACTEA」と書かれている。
VIA LACTEA はラテン語で銀河(天の川)のこと。

全体が1部と2部に分かれていて、各125首、計250首を収める。
小題などはなく、1ページ2首の歌がずっと続いている。

しだれ柳そのしたかげに蝶ひとつ入りゆきしのち時ながれたり
水底にくらくわがかげゆらぎをり蛙およぎのかたちのままに
くさはらの二ほんのレール月の夜はつきのひかりをはなつふたすぢ
しらじらと力士らの肉たゆたふをテレビはうつすひとなき部屋に
トンネルに入りゆくたびにひとのてのあぶらはしろく車窓にうかぶ
数億のわれの精子をはらみたる腹部にしろくつきあかりさす
あゆみよるある地点にてみづたまりふいに金属的にひかれり
まひるベンチにひとねむれるをしよくぶつのぎざぎざの影がをりをり襲ふ
ねしづまる深夜の都市を二分してものおともなく運河はくだる
もうろうとわれはねむりにおちてゆく足のみとほく街路をたどる
ジンに浮く氷のかけら小半時この世のひかりうつして溶けぬ
わが死後の月のぼれどもうしなひし意識はとはによみがへるなし

ひらがなを多用した表記が特徴的。
物や自分の存在を見つめるような歌が多い。

2首目、ゆらゆらと歪んで映っている影の形。
4首目、相撲中継を映しているテレビ。「肉たゆたふ」が巧い。
5首目は暗くなった車窓に映る手の脂。外が明るい時は見えない。
7首目、「ある地点」の一瞬の光景を詠んでいる。それより手前でも先でもこうはならない。
8首目、風に揺れる草木の影が人に被さってくる様子を「襲ふ」と表現した。
11首目、バーのカウンターを思い浮かべた。溶けてなくなった氷を詠んだ歌である。人間の一生もあるいはこんな感じなのかも・・・などと思う。

栞(北川豊)には

坂野信彦は正真正銘の一匹狼である。学生時代に「コスモス」で新人賞までとった彼が、どのようにして一匹狼となったのか、そのいきさつはつまびらかでない。しかしとにかく坂野は、目下どの結社にも属さず、作歌仲間ももたず、おまけに三十五歳で独身、なのだ。

とある。

その後の経歴もかなりユニークだ。歌人としては、第2歌集『かつて地球に』(1988年)、評論集『深層短歌宣言』(1990年)、第3歌集『まほら』(1991年)を出版しており、さらに、学者、大学教授、詩人、自然哲学者として幅広いジャンルにわたって活動を続けている。

1982年7月10日、雁書館、2000円。

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2015年02月26日

池内恵著 『イスラーム国の衝撃』


イスラーム政治思想史と中東の比較政治学や国際政治学という二つの面からイスラム国について論じた本。歴史的な縦軸と同時代的な横軸の両方からの分析と言ってもいいだろう。組織の変遷、「アラブの春」の影響、ジハード思想、メディア戦略など、さまざまな角度からイスラム国の実態に迫っている。

著者は独文学者・池内紀の子息。明晰な分析と切れ味の良い文章が印象的だ。イスラム国を含めた中東問題の根深さと、新しい秩序を確立することの難しさを改めて感じさせられる内容であった。

イスラム過激派を「逸脱した集団」や「犯罪集団」などと矮小化して捉えるのではなく、また「アメリカ中心のグローバリズム」への対抗勢力として過大評価するのでもなく、できるだけ客観性を重視した視点から描き出そうとしている。

その中にあって、奴隷制をめぐって書かれた下記の部分には、著者の主張が色濃く表れているように感じた。

イスラーム世界にも、宗教テキストの人間主義的な立場からの批判的検討を許し、諸宗教間の平等や、宗教規範の相対化といった観念を採り入れた、宗教改革が求められる時期なのではないだろうか。

2015年1月20日、文春新書、780円。

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2015年02月25日

はだかの自分

大会社から独立して起業した主人公が、なじみの得意先に挨拶に行くと、「えっ?本当に辞めちゃったの?○○社の課長ということでこれまでお付き合いしてきたんで、今後はちょっと・・・」などと仕事を断られてしまう。

そんなシーンが小説やドラマではよくある。

あれは、なかなかいいものだな。一見、「世の中そんなに甘くないよ」というだけの話のように見えるけれど、そうではない。主人公がそこで「はだかの自分」に気付くというのが大事なことなのだろう。

はだかの自分の非力さを思い知らされるというのは、きっと何よりも得難い体験であるにちがいない。

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2015年02月24日

『新田寛全歌集 蝦夷山家』から(その5)

来む年に檻つぎ足さむひとところ苔桃(フレツプ)熟れて採る人もなし
松の伐株(くひぜ)かこみて熟るる苔桃(フレツプ)の粒(つぶ)々紅し葉洩れ陽を吸ひ
指(て)触るればすなはち零つる苔桃(フレツプ)のつぶら実拾(ひり)ひ拾(ひり)ひて食ふも
苔桃(フレツプ)は居ながら採りて須臾(しましく)に帽に溢れぬ家づとにせむ
白秋の君が愛でにし美果実(くはしこのみ)フレツプ、トリツプわが園のうちに

昭和11年の「蝦夷山家」48首から。
新田はこの連作で「短歌研究」特別募集50首詠に入選している。

「十月下旬、おのが住む大泊を北に距ること四里余なる新場駅の前山に弟が養狐園を訪ぬ」という詞書が付いている。樺太に呼び寄せた末弟が経営する養狐園を訪れた内容だ。

1首目、狐を飼う檻を増設する予定の場所にフレップの実が生っている。
2首目、フレップは樺太の名物で赤い実を付ける。
3首目、「拾(ひり)ふ」は「拾(ひろ)ふ」の古い言い方。
4首目、たくさん採れたフレップの実を土産にしようというのだ。
5首目、北原白秋の樺太旅行記『フレップ・トリップ』を踏まえた歌。

『フレップ・トリップ』の最初には

フレップの実は赤く、トリップの実は黒い。いずれも樺太のツンドラ地帯に生ずる小灌木の名である。採りて酒を製する。所謂樺太葡萄酒である。

と記されている。

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2015年02月23日

『新田寛全歌集 蝦夷山家』から(その4)

クシユンコタン・コルサコフの海をただに埋め列なむ巨艦まさ目には見つ(望艦)
超弩級山城・扶桑・榛名・比叡(ひえい)はちまん揺がずわだつみを圧す
海馬(トドモシリ)の島と見るべくうかび立つ航空母艦の図体(づたい)におどろく
つぎねふ山城・榛名沖にかかりなほし山なす高さたもてり
我が家に昨夜(よべ)来し兵ら莞爾(にこ)として我を迎ふる舷梯(タラップ)に寄り(訪艦)

昭和10年の「聯合艦隊入港」15首より。
「九月六日午前六時」という日時が付いている。
連合艦隊が大泊に入港した様子を詠んだもので、当時作者は大泊高等女学校勤務であった。

1首目、クシュンコタン(久春古丹)は江戸時代、コルサコフはロシア領時代の「大泊」の呼び方。今はそこが日本領になって、というニュアンスか。
2首目、「山城」「扶桑」「榛名」「比叡」は戦艦の名前。「はちまん揺がず」は「少しも揺るぐことなく」という意味だろう。
3首目、「海馬島」は樺太の南西端にある島。空母が島影のように大きく見えたのだ。
4首目の「つぎねふ」は「山城」にかかる枕詞。沖に出てもまだ山のような高さでなのである。
5首目、地元の有力者による船の見学や兵との交流が行われたのだろう。

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2015年02月22日

復本一郎著 『歌よみ人 正岡子規』


副題は「病ひに死なじ歌に死ぬとも」。

正岡子規の生涯を歌人としての側面に焦点を当てて描き出した評伝。先日子規庵を訪れたところなので、その流れで手に取った本である。

従来、あまりにも俳人子規に集中して子規が論じられる傾向にあったように思われる。そこで、本書では、「歌よみ人」子規に照準を合わせて述べてみた。

と、あとがきにある。俳人でもある著者にこう書かれてしまうのは、歌人の側からすると少し悔しい。

子規を論じる中で数多くの資料が引用されているのだが、興味深い内容のものがいくつもある。

歌よみに数派あり。真淵派といひ、景樹派といひ、なにの派といひ、くれの派といひ、各(おのおの)好むところを以て、相争ふがごとし。そは甚だいはれなき事といふべし。真淵翁の歌といへども、よきもあらむ。あしきもあらむ。また景樹翁の歌といへども、たくみなるもあらむ。つたなきもあらむ。よきはよく、あしきハあしく、巧みなるハたくみに、つたなきは拙きなり。

落合直文『新撰歌典』の文章。流派や歌人を問わず、良いものは良い、悪いものは悪いという明快な姿勢が気持ちいい。現代においても当て嵌まる内容だろう。

そこで自分は歌に就て教を受けたいのであるといふと、先生は暫く黙して居つたが、いくらでも作るがいゝのですといつて、また程経て、作つて居るうちに悪い方へ向つて居るとそれがいつか厭になつて来るのです、悪いことであつたら屹度厭になつて仕舞ふのです、といふやうなことを話された。

これは、長塚節が初めて子規庵を訪れた時のことを記したもの。歌作りの方向性について迷った時、良い指針になる言葉だと思う。

2014年2月18日、岩波現代全書、2300円。

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2015年02月21日

シンポジウム「国内植民地の比較史」

同志社大学今出川キャンパスで開催されたシンポジウム「国内植民地の比較史」に参加してきた。全部で4つの報告があり、コメントや質疑応答も含めて刺激的な内容であった。

・天野尚樹(北海道大学)
    「植民地・辺境・国内植民地:近代サハリン島の歴史的経験」
・崎山直樹(千葉大学)
    「内国植民地からの脱却をめざして:近代アイルランドの苦闘と
     植民地近代性の罠」
・中山大将(北海道大学)
    「境界地域サハリン島:亜寒帯植民地樺太の移民社会形成解体史
     研究の位置と意義」
・富田理恵(東海学院大学)
    「ヘクターの国内植民地論:スコットランド史の観点から」

サハリン(樺太)に興味があって参加したのだが、アイルランドやスコットランドの話も面白かった。別の地域と比較することで、ものを見る視野が大きく広がるのを感じた。

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『新田寛全歌集 蝦夷山家』から(その3)

貧農の弟(おとと)の便り読みゐつつ狐飼はせんこころ動ける(在郷末弟)
十段の水田作るは一偶の狐飼ふに如かず狐飼はせん
狐飼はば美林を与へ種ぎつね分譲すてふ国の掟よし
年年に二偶の銀狐殖ゑ行かば彼が生活(くらし)は豊けかるらめ
彼つひに飼狐に熟さばわれもまた銀黒狐(ぎんこつこ)買ひて彼に托さむ

昭和8年の「銀黒狐(一)」9首より。

1首目、生活の苦しさを訴える手紙だったのか。故郷の福島県で農業をしている弟を樺太に呼び寄せて、養狐業をさせようと考えている。長男である作者は、末弟の窮状を見るに見かねる思いだったのだろう。
2首目、農業と養狐業の比較。「一偶」はワンペアの意味。「十段」と「一偶」の対比が効いている。
3首目、養狐を奨励する国の政策を詠んだもの。
4首目、毎年順調に繁殖していけば、弟の生活も豊かになっていくだろうという予想。「獲らぬ狸の皮算用」といった感じがしないでもない。
5首目、さらに想像は膨らんで、自分も狐を買って弟に飼育を頼み、ひと儲けしようかと考えている。

この後、実際に弟は樺太に移住して、養狐業を始めることになる。

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2015年02月20日

田中淳夫著 『森と日本人の1500年』


日本の森が人々との関わりの中でどのように変化してきたかを論じた本。
古代の都の建設や養蚕業、鉄道の普及、林業、外国との木材貿易など時代ごとの様々な要因によって、森は大きく姿を変えてきた。

昔からあると信じていた森の景色も、実は近年に入ってつくられたケースが多い。

という一文に著者の主張はよく表れている。
そんな著者が現在の森づくりに必要だと考えているのは「美しいと感じる森をつくろう」という考え方である。

人が美しく感じるのは、五感で得る情報を無意識に解析して、草木が健全に育ち、生物多様性も高いと読み取った結果の感覚と思える。逆に不快感を抱く景観は、人間にとって危険な要素を含むのかもしれない。

こうした考えを科学的に実証するのは難しい。けれども、人間の美的感性に信頼を置くというのは、今後大事になってくるのではないか。森の変化に人間が大きく関わっている以上、そうした感性は無視できない要素と言えるだろう。

2014年10月15日、平凡社新書、780円。

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2015年02月19日

『新田寛全歌集 蝦夷山家』から(その2)

蜜柑箱かさねて吾子が作りたるジャンプ台はけさの雪に埋れつ
妻とふたり昼餉食したり雪あそびにほうけし子らの帰り来らず
氷下魚(かんかい)を釣りゐるをのこひとりなり犬のあたまを撫でてゐしかも
氷下魚を釣りゐるをのこ寒からむ犬のはだへに手をぬくめをり
床の上に魚屋(いさば)が投げし凍て魚のつぶてのごとき音たてにけり

昭和5年の「氷下魚(かんかい)」10首から。
「氷下魚」は「こまい」とも呼ばれるタラ科の小型の魚。

1首目、「蜜柑箱」は最近では段ボール製だが、当時は木製。「ジャンプ台」はスキー遊びに使うのか。
2首目、雪の中に出て行ったまま帰らない子供たち。
3・4首目は氷下魚釣りの場面。海に張った氷に穴を開けて釣っているのである。お供の犬に触れて手を温めているのがいい。おそらく樺太犬だろう。
5首目、「いさば」は行商の魚売りを意味する東北方言のようだ。新田は福島県伊達郡の生まれ。カチンコチンに凍った魚を手荒く放り投げている。

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2015年02月18日

『新田寛全歌集 蝦夷山家』から(その1)

新田寛は戦前の樺太歌壇の中心人物の一人。
教員として樺太で暮らしつつ、「樺太新聞」や雑誌「樺太」の歌壇の選者を務め、昭和16年には樺太歌人会の副会長になっている。

雲低う垂れてなごめる大わだや七浜かけて舟うかみたり(鰊漁)
舟の魚移しはこぶと水ふかく馬車ひき入るる後から後から
大網の目ごとに着ける鰊の卵(こ)大勢にして打ち落しをり
魚の腹指(および)に割きて数の子を取りゐる人ら血にまみれたる
うづたかき鰊の中に身をうづめひたむきに卵をば取りてゐるなり

昭和3年の樺太の鰊漁を詠んだ歌。

1首目は鰊を獲るために多くの舟が海に出ているところ。
2首目、魚を運ぶために馬車を海の中まで入れているのが珍しい。
3首目、「大網の目ごとに着ける」というのだから、かなりの大漁である。
4・5首目は数の子を取る作業の様子。「指に割きて」「身をうづめ」といった臨場感あふれる描写が印象的だ。

菊地滴翠編『樺太歳時記』によれば

樺太で最高の水揚げは昭和六年で、開島以来という七二万九〇〇〇石。水揚げが減る一方の北海道に比較し、樺太の鰊漁師は我が世の春を謳歌した。

という状態だったらしい。

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2015年02月17日

なだいなだ著 『江戸狂歌』


1986年に岩波書店から刊行された単行本の文庫化。
狂歌を通じて見た日本人論といった内容となっている。

登場するのは蜀山人(四方赤良)、唐衣橘州、朱楽菅江、元木網、智恵内子、節松嫁嫁、宿屋飯盛、鹿都部真顔といった作者。最初は小さな同人誌的なグループから始まった江戸狂歌が、天明期に出版業と結び付いて大流行を見せ、やがて政治的な圧力を受けるまでに至る経過が記されている。

ぼくは昔の文学作品が、すべて文語文で書かれていたと考えるのは、少しはやとちりであったことに気がついた。(…)同じ時代に詠まれたものであれ、短歌はより文語的であり、狂歌はより口語的だったのだ。

こうした指摘は、短歌史を考える上でも大事な点だろう。「短歌往来」3月号のアンケートでも安田純生が吉岡生夫著『狂歌逍遥』を取り上げて

狂歌(とりわけ近世上方の狂歌)は、従来、歌人たちに、あまり読まれて来なかったのではないか。あまり読まれずに、卑俗なものとして遠ざけられて来たようにも思える。しかし、近代短歌の成立を考えるとき、狂歌は無視できないのであって、その意味でも、こういった書物の刊行はありがたいことである。

と記している。「和歌から近代短歌」という流れのほかに、「狂歌から近代短歌」という流れがあったのだ。

ただし、安田や吉岡が再評価を目指しているのは上方の狂歌であって、「天明狂歌」と呼ばれる江戸狂歌ではない。現在では狂歌と言えば天明狂歌の滑稽・諧謔・風刺といったイメージばかりが強いので、近代短歌とのつながりが見えにくくなってしまっている。

1997年3月14日、岩波同時代ライブラリー、900円。

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2015年02月16日

朱入れ

座談会や対談の原稿の朱入れは、いつも気が重くなる。なかなか作業に取り掛かることができず、気持ちばかりが焦ってしまう。自分の発言を読み返すのがしんどいのだ。

「もっとうまく喋れたな」とか「あそこでああ言えば良かった」などというのであれば、話は簡単である。朱入れで修正や加筆をすれば良いだけのことだ。問題はそこではない。

自分が最善を尽くして話したにもかかわらず、「この程度でしかなかったのか」という気の重さなのである。原稿を直してみたところでどうにもならない。ありのままの自分の現実を、否応なく突き付けられる。

こういう経験はこれまで何度かしてきたが、きっといつまでもその繰り返しなのだろうな。

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2015年02月15日

花山周子歌集 『風とマルス』


2007年から2010年までの作品482首を収めた第2歌集。

鉛筆の味を知ってるわが舌が感じる黒い顔のデッサン
背中に広く空感じつつ渡りゆく橋なればわが歩幅は広し
ぶらさがり続ける力習得しオランウータンは森に帰還す
歯磨きはもう飽きたからやめようか、というふうにいかない人の営み
君に贈る青いビー玉ぼんやりと手に乗せしのちわがものとせり
夕空はひらたくなって嘘泣きの子供の声が節(ふし)おびていく
空間が減った気がする公園はジャングルジムが取り払われて
顔だけが出ている。顔が寒いなり。関東平野は北西の風
マンホールの蓋にたまった昨夜(きぞ)の雨カラスは黒い脚に飛び越す
小学校集合写真に誰よりもわれに似ている子のわれが居る

2首目、橋を渡る時の、普通の道を歩いている時とは違うちょっと特別な感じがうまく出ている。
3首目は親がいなくなったり怪我をしたりして保護されたオランウータンなのだろう。「習得」「帰還」という漢語を入れてくるところが個性的だ。
5首目は思わず笑ってしまう。君に贈るはずではなかったのか。
7首目、空間が広がったはずなのに「減った気がする」ところがいい。空間が何重にも積み重なったようなジャングルジムの立体感が彷彿とする。
10首目は当り前の話なのだが、不思議に心に残る。「子のわれ」との距離感がおもしろい。

2014年11月3日、青磁社、2500円。

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2015年02月14日

岩田鳴球のこと

子規庵の展示室に、「子規庵句会写生図」という絵があった。子規を中心に、多くの弟子たちが句会をしている場面を描いたもので、(高浜)虚子、(河東)碧梧桐、(内藤)鳴雪、(寒川)鼠骨、(五百木)瓢亭らが描かれている。

その中に「鳴球」という人物がいる。説明書きには

岩田鳴球(明治7〜昭和11) 石川県生。本名久太郎。俳人。三井物産台北支店勤務となり渡台。「相思樹」主宰。

と書かれている。

彼は、後に大本(教)に入信して幹部の一人として活躍した人物である。昭和3年の出口王仁三郎の樺太行きにも宣伝使として同行しており、王仁三郎の『東北日記』にしばしば登場する。彼の俳句も載っている。

坐礁船解かれ行く朝寒夜寒(真岡)
自動車に迫る山火や秋の風(豊真横断)

この旅から7年後の昭和10年、第二次大本事件が起きる。岩田は王仁三郎らとともに逮捕され、翌年獄中で亡くなっている。62歳であった。

元気なりし岩田は敢ゑなく身失せけり 無法の攻苦に逢ひたる果てを
               出口王仁三郎『朝嵐』


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2015年02月13日

あゝそれなのに

映画『喜びも悲しみも幾歳月』を見ていたら、昭和12年、長崎県五島列島の女島(めしま)灯台に勤務する主人公が同僚と一緒に「あゝそれなのに」を歌うシーンがあった。

♪ ああ、それなのにそれなのに、ねえ、おこるのはおこるのはあたりまえでしょう

「あゝそれなのに」は作詞:星野貞志(サトウハチロー)、作曲:古賀政男。昭和11年に発売され、翌12年に映画の挿入歌となると40万枚とも50万枚とも言われる大ヒットとなった曲である。

茂吉の歌に登場することからも、そのヒットぶりが窺える。

鼠の巣片づけながらいふこゑは「ああそれなのにそれなのにねえ」
              斎藤茂吉『寒雲』(昭和15年)

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2015年02月12日

1960年の高安国世(その3)

このメッセージが掲載された「新日本歌人」は、昭和21年に渡辺順三を中心に結成された新日本歌人協会の機関紙「人民短歌」が昭和24年に名前を改めたもので、現在も続いている。

新日本歌人協会のHPによれば「日本の近代短歌史のなかで石川啄木がひらき、土岐哀果(善麿)、渡辺順三らが発展させてきた「生活派短歌」の系譜を引き継いでいます」とのことで、毎年、啄木祭を開催しているようだ。

このところ、永田和宏さんが特定秘密保護法などに関してよく発言をしている。
例えば2013年12月号の編集後記には

▼国会では特定秘密保護法案が強行採決されようとしている。これはある意味では戦後最大の脅威を持つ法案と言うべきであろうが、それがほとんど議論されないままに、数を頼んだ一点突破方式で決まろうとしていることに、芯から寒気を覚える。(…)こういう問題を直接本誌で言ってきたことはないが、これは政治の問題である以上に表現に携わる者の死活問題なのである。

と書いている。

1960年の高安国世の文章を読んで思うのは、「塔」にはこうした政治的な側面がもともとかなり強くあったということだ。この永田さんの文章には「塔短歌会のメッセージ」と共通したものがある。

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2015年02月11日

歌壇賞授賞式など

昨日は17:00からアルカディア市ヶ谷にて、第26回歌壇賞の授賞式と懇親会があった。受賞者は鳥取の「みずたまり」の小谷奈央さんの「花を踏む」30首。

同性のひとと話しているときはすこし〈男〉にかたむく水か
カーディガンの袖に片腕ずつ通す むこうの海にふれそうになる
すずかけの低い葉っぱに触れながら博物館へ骨を見に行く
鞄からいっぽんの蔓ひきだしてアイスランドの歌声を聴く
遠さとはおまえのことか いま誰かわたしの水に耳まで沈む

言葉が沁み込んでくるような歌が多く、今後が楽しみな歌人だ。
小見山輝さん、小黒世茂さん、及川隆彦さん、千々和久幸さん、平岡直子さん、佐伯紺さん、谷村はるかさんといった方々と話をする。二次会、三次会まで行って夜中の2:00まで。

その後、神田に泊まって、今日は根岸の子規庵へ。

P1040410.JPG

子規庵周辺は噂には聞いていたがラブホテルだらけ。その中にこうして子規庵が(昭和25年の復元ではあるが)残っているのは奇跡的なことだと思う。

子規庵の向かいにある書道博物館(中村不折記念館)もついでに見学。こちらも企画展「中村不折―僕の歩いた道―森鴎外、夏目漱石たちとの交流」をやっていて、見どころが多かった。

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2015年02月10日

1960年の高安国世(その2)

以下、「塔短歌会メッセージ」の全文を引く。

 今日いよいよ理窟の通らぬ理窟を押し通そうとする傾向が露骨になって来た情勢の中で、啄木祭がおこなわれ、正しいものへの感覚をいかなる歌人にも先だって目覚ませて行った啄木をしのぶことは、まことに意義ふかいことを信じ、主催者ならびに参会者各位に敬意を表します。

 私たち歌を作る人間が、昔ながらの消極性に安んじていることは、特に今のような情勢の中では許されないことと考えられます。たとえ私たちの力が微かなものであるとしても、黙っていることは敗北主義に通じるものであることを考え、心ある人々と力を合わせて、真実なるものを見きわめ、私自身で私たちの生活の危険を防ぐことを考え合い、ひいては世界平和に貢献する努力を重ねて行きたいものと思います。

 今、啄木祭に集られた皆さまに、この気持をまごころを以てお伝えすると共に、真実の歌声をかかげて進まれる皆さまに、重ねて敬意と親愛の念を披歴するものであります。

「理窟の通らぬ理窟を押し通そうとする傾向」「今のような情勢の中では許されない」「黙っていることは敗北主義に通じる」といった強い言葉がならんでいる。

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2015年02月09日

1960年の高安国世(その1)

高安国世は政治的なできごととは距離を置くことの多かった人であるが、60年安保の時には、かなり政治的な発言が見られる。

当時の「塔」は黒住嘉輝、清原日出夫らを中心に、かなり政治的な立場を鮮明にした集団であった。1960年2・3月号には清原の代表作ともなった「不戦祭」が掲載されるとともに、特集「生活と政治」が組まれ、その後も政治をめぐる作品や文章がしばしば誌面に掲載されている。

高安もまた例外ではなかった。『高安国世の手紙』の「六〇年安保とデモ」にも書いた通り、この時期、高安は「塔」の編集後記で安保条約改定反対の立場を述べたり、強行採決に対する憤りを記したりしている。

最近になって入手した資料に「新日本歌人」1960年7月号に掲載された「塔短歌会メッセージ」という文章がある。「昭和35年5月22日 塔短歌会代表 高安国世」の名前で発表されたものだ。

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2015年02月08日

「樺太を訪れた歌人たち」PDF版

2013年から2014年にかけて「短歌往来」に連載した「樺太を訪れた歌人たち」をPDFにして、私のホームページ 「鮫と猫の部屋」 で読めるようにしました。

この連載は今後書き足して、さらに現地取材も加えて、いつか1冊にまとめられたらと思っています。事実誤認や誤記、あるいは「他にもこんな歌人がいるよ」「こんな資料もあるよ」といった情報等がございましたら、お知らせいただければ幸いです。

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2015年02月07日

公開講座「短歌の世界へようこそ」

初心者の方向けに、短歌の公開講座を行います。
短歌に別に興味がない方も、ちょっと興味がある方も、読むのは好きだけど自分で作るのは……という方も、皆さんどうぞお気軽にご参加下さい。

日 時 2015年3月13日(金)10:30〜12:00
場 所 朝日カルチャーセンター芦屋教室
    (JR芦屋駅前・ラポルテ本館4階)
参加費 会員2592円、一般3024円。

「短歌は難しいものでも古臭いものでもありません。今を生きている私たちの日々の生活をスケッチしたり、気持ちを表したりするのに最も適した文芸です。恋の歌、家族の歌、旅の歌、自然の歌、社会の歌、どんな題材も歌になります。57577のわずか三十一音の世界が、どれほど楽しくワクワクするものなのか。俵万智、穂村弘、河野裕子、小島ゆかり、吉川宏志、山崎方代といった歌人の作品を鑑賞しながら、短歌の魅力や味わい方をわかりやすく丁寧に解説します。」

詳しくは→こちら


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2015年02月06日

内田樹著 『ぼくの住まい論』


2012年に新潮社から出た単行本の文庫化。

2011年に神戸に自宅兼道場である「凱風館」を建てた著者が、「土地を買う」「間取りを決める」「材木を得る」といった家作りのアレコレや、建築家・工務店・職人との関わり、さらに住まいや道場に対する思いを記したもの。

内田樹の得意とする逆説的な言い回しや問題の捉え直しは、この本でも随所に発揮されている。

「自分にはアジールがある」と思っている人ほど、アジールが要るような状況に陥らない。アジールというのは、そういう逆説的な制度なんです。
教師は自分がよく知らないことを教えることができる。生徒たちは教師が教えていないことを学ぶことができる。この不条理のうちに教育の卓越性は存します。

次の部分などは、おそらく短歌結社や歌会にも当てはまる内容だろう。

(…)できるだけ集団は均質化しない方がいい。性別も年齢も職業も地位も財力も文化資本もばらけている方がいい。メンバーが多様であればあるほど、システムは安定している。

解説はこの家の設計を担当した建築家の光嶋裕介。光嶋もこの凱風館について『みんなの家。〜建築家一年生の初仕事』という本を出している。そちらも読んでみようかな。

2015年1月1日、新潮文庫、670円。

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2015年02月05日

河口慧海の短歌

小池光『短歌 物体のある風景』を読んでいたら、「河口慧海のうた」という文章があった。僧侶・仏教学者にして探検家の河口慧海が短歌を詠んでいたのを初めて知る。

この『チベット旅行記』が、実は一種の〈歌日記〉であることはあまり知られていない。

とあるので、早速『チベット旅行記』を調べてみると、確かに旅の途中でしばしば短歌を詠んでいる。

いざ行かんヒマラヤの雪ふみわけて
法(のり)の道とく国のボーダに
月清しおどろにうそぶく虎の音に
ビチャゴリ川の水はよどめる
ヒマラヤの樹(こ)の間(ま)岩間(いはま)の羊腸折(つづらをり)
うらさびしきに杜鵑(ほととぎす)啼(な)く
毘廬遮那(ビルシャナ)の法(のり)の御旗(みはた)の流れかと
思はれにけるブラフマの川
草かれて尾花も萩もなき原に
やどれる月のいともさびしき

さらに『第二回チベット旅行記』には「雪山歌旅行」として260余首が収められているらしい。う〜ん、興味が湧く。

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2015年02月04日

五木寛之著 『わが引揚港からニライカナイへ』


「隠された日本」シリーズの最終巻で、博多と沖縄を取り上げている。
2002年に講談社より刊行された『日本人のこころ5』の文庫化。

私は、数字やデータなどを集めた「歴史」には、もう飽き飽きしている。数字もデータも人間がつくるものだ。もっと生身の人間が持っている実感を大事にした「歴史」、“体温のある歴史”に触れたいし、読みたいと思う。

このように記す著者は、実際に現地を歩き、資料館を訪ね、そこに住む人々の話を聞くことによって、生々しい歴史の姿を甦らせようとする。

それまではずっと、帰ってくるまでが引き揚げだと思っていた。だが、そうではなく、帰った日から引き揚げが、あるいは引揚者の生活というものがはじまったのだった。

自らの朝鮮半島からの引き揚げ体験を振り返って著者はこのように述べる。「帰ってくるまで」ではなく「帰った日から」という言葉にハッとさせられた。樺太から引き揚げてきた40万人の人々にも、同じような苦労があったに違いない。

2014年8月10日、ちくま文庫、780円。


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2015年02月03日

「龍」2015年2月号

岡山の小見山輝さんを主宰とする龍短歌会の結社誌。
今月はなんと「九十代特集」が組まれている。
しかも20名もの参加があるのがすごい。

人形に服着せるごとゆつくりと腰かけて吾は着替へしてをり
               出井義子
店の客は日当り良きを褒めくれどわたしは店先ばかりに居れず
               武内重子
作りたる順に並べし干支の馬が貰はれて行くも順位崩さず
               長岡すみえ
夫の背骨つなぎてをりしこのボルト焼けずに残りて四年を経たり
               土屋智子
映されし航空写真に吾が家あり庭に出でヘリコプターに手を振りし
               福原千重

1首目、「人形に服着せるごと」という比喩に実感がある。身体がなかなか思い通りに動かず、時間がかかるのだ。
4首目は亡くなった夫の形見となったボルト。もとは単なる金属であったものが、今では夫の面影を感じさせる大切なものになっている。

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2015年02月02日

『「よむ」ことの近代』の続き

『「よむ」ことの近代』は現代と関わりのない時代のことを扱っているのではない。そこに取り上げられている内容は、現在の短歌のさまざまな問題と深くつながっている。いくつか例を挙げてみよう。

まずは第4章「「旧派」の行方」から。

各地方の歌会に出席して見るに大方は六七十歳以上の老人のみなり老人の歌よみ敢て排斥するにあらず大に歓迎する所なれど歌其物は社会と相対して離るべからざるものなれば老人百名寄つどふ席の半面には青年が三四百名位の割合に列すべきは最も意義ある歌の会なるべく

歌会参加者の高齢化を述べるこの文章は、旧派和歌の歌人が多く参加した大日本歌道奨励会の機関紙「わか竹」1922年7月号に載ったもの。現在の結社の高齢化の問題とも重なり合う話であろう。

続いて第10章「誰が「ヒロシマ」を詠みうるか?」から。

実際この歌集が私たちに与える感動は、身を以て原爆を体験することもなく、ただ遠く外から眺めて筆を走らせた作家たちの作品とは根本的に違って、つぶさに惨苦をなめ、更に九箇年の長きに亙って死生の間を生きながらえて来た広島市民の声といってよかろう。

これは、1954年刊行の合同歌集『広島』の序に記された長田新のコメントである。ここには東日本大震災の震災詠をめぐって問題になった「当事者かどうか」といった観点が既に表れている。

著者の松澤はこれに対して、

ここで『広島』の作品は、身をもって原爆を体験した人々の「声」として長田に認知され、収録作品の真正性にお墨付きが与えられている。しかし裏返せば、それは「遠く外から眺めて筆を走らせた作家」たち、つまり原爆を体験せず、それを詠うものに口をつぐませる言辞でもあった。

と記す。これは非常に鋭い指摘だと思う。
「口をつぐませる言辞」というものは、東日本大震災の時にもたびたび繰り返されたのである。

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2015年02月01日

鎌田慧著 『ひとり起つ』


副題は「私の会った反骨の人」。
2007年に平原社より刊行された本の文庫化。

国家や権力に屈することなく、自分の生き方を貫き通した22名の人物のルボルタージュ。家永三郎、本島等、上野英信、松下竜一、丸木俊、市川猿之助といった人々が取り上げられている。

財田川事件の無罪を確信して裁判官から弁護士に転じた矢野伊吉のことは全く知らなかったのだが、強く印象に残った。また名作『兎の眼』『太陽の子』の作者である灰谷健次郎の生き方にも驚かされた。

「現代技術というのは、非常にアクティブで、自然界に対してダイナミックな力をもって介入していくようなところがあります。いったんそれが破綻すれば大事故にもつながるし、戦争の道具にも使われるような強力さを持っています」(高木仁三郎)
「スーパーマンというのは、だいたい正義の味方でしょ。ところが、正義というのは簡単に逆転するわけですよ。イラクの問題にしても、中国やソ連の問題にしても、きのうの正義はきょうの正義じゃない」(やなせたかし)

人が死んだ後もこんなふうに言葉は残っていくのだ。
そう思うと心強い。

2014年11月14日、岩波現代文庫、1040円。

posted by 松村正直 at 23:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする