2014年06月30日

水無月

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京都では、6月30日に「水無月」という和菓子を食べる習慣がある。
小豆の載った外郎(ういろう)のようなもので、三角に切ってあり、今日は地下鉄の駅などでも販売されていた。

写真は、通常の白いものと、抹茶味、黒糖味の3種類。

水無月に水無月食べるならわしの京都にありていつよりのこと
                 『午前3時を過ぎて』

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2014年06月29日

朝顔

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ベランダで育てている朝顔が咲き始めた。
朝、窓を開けると花が咲いている。
それだけで、良い一日になりそうな気がする。

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2014年06月28日

内田樹著 『呪いの時代』


2008年から「新潮45」に不定期に連載された文章を中心にまとめたもの。
「呪詛」と「贈与」が全体のテーマになっている。

どのようにすれば私たちは人々を苦しめ分断する「呪詛」を抑え、励まし結び付ける「贈与」を活性化することができるのか。コミュニケーションにおいても、経済においても、外交においても、生き方においても、すべてに共通する問題として繰り返し語られている。

「努力しても報われない」という言葉をいったん口にすると、その言葉は自分自身に対する呪いとして活動し始める。
イデオローグたちが、同じ名を掲げた政治党派の犯した失敗について責任を取ることを拒否するとき、その名を掲げた政治思想は死滅する。
人間が持つ能力は、能力それ自体によってではなく、ましてやその能力が所有者にもたらした利益によってではなく、その天賦の贈り物に対してどのような返礼をなしたかによって査定される。

こうした言葉は、格言や箴言のように胸に響いてくる。

著者の本は、因果関係が実は逆であることを指摘したり、枠組みそのものをひっくり返したり、別の文脈によって新たに読み換えたりといった論理の鮮やかさが随所にあって、おもしろい。そうした刺激を受けることで、自分もまた新たに考え直してみようという気にさせられるのだ。

2011年11月20日発行、新潮社、1400円。


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2014年06月27日

現代歌人集会春季大会のお知らせ

現代歌人集会(西日本を中心とした歌人団体)の春季大会のお知らせです。
どなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越しください。
当日の参加もOKです。

日時 7月19日(土)午後1時〜5時 (開場12時)
場所 神戸市教育会館
   ・JR・阪神「元町」駅(東口)より徒歩10分
   ・市営地下鉄「県庁前」駅(東1番出口)より徒歩5分
   ・阪急「三宮」駅(西口)より徒歩15分

大会テーマ「俳句―近くて遠い詩型」

基調講演 大辻隆弘
講演 高橋睦郎
パネルディスカッション 塩見恵介、大森静佳、荻原裕幸、魚村晋太郎

総合司会 松村正直
閉会の辞 林 和清

参加費 2000円(当日受付にてお支払い下さい。当日の参加もOK)


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2014年06月26日

映画「ある精肉店のはなし」

監督:纐纈(はなぶさ)あや
プロデューサー:本橋成一

大阪府貝塚市で牛の飼育から屠畜、解体、小売までを一貫して行っている北出精肉店。家業を継いできた兄弟たちの仕事を通じて、生きものの命をいただくとはどういうことかを浮き彫りにしたドキュメンタリー。

今年1番の映画。

一頭の牛が店の横の牛舎から屠畜場へと連れて行かれ、そこで丁寧に捌かれて枝肉となり、さらに店内で切り分けられて店頭にならぶ。店の看板にある通り、まさに「生産直販」である。こうした形態の店はもう見かけることがないが、本来は一番理想的な形なのだろう。

また4世代に渡る家族が次々と集まってくる食卓の賑わいや、祭における地域の人々とのつながりも実に印象的だ。昔ながらの濃密な人間関係がうかがわれる。それはまた、いわれなき差別に苦しみ、闘ってきた人たちのたどり着いた現在でもある。

立誠シネマ、108分。

posted by 松村正直 at 23:15| Comment(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

「レ・パピエ・シアン2」2014年6月号

大辻隆弘さんの「高安国世から見た近藤芳美」(講演録)は7回目で、今月が最終回。高安と近藤の関係を明快に論じている。

極言すれば、近藤の文学作品に、高安からの文学的影響は皆無なのです。高安には残酷ですが、こと文学面においては、高安が近藤を思っているほどには、近藤は高安を思っていない、という感じがします。

まさに「残酷」な話だが、その通りと言うしかない。ある種の片思いのようなものである。

けれども、大辻さんも書いている通り、その後、高安は近藤の影響下から抜け出して、自分の作品世界を深めていくことになる。

高安は自身の歩みを振り返って記した「私の短歌作法」(1978年初出、『短歌への希求』所収)の中で、かつて近藤が絶賛した「誠実の声」の歌について

誠実の声―それは当時の文学全体にみなぎる基本的な要素であったろう。私の歌も、歌の巧拙よりも重大な、なくてならぬものとして誠実を追求していた。

と書く。しかし、高安はそこにとどまりはしなかった。高安は変化を求めたのだ。

(高度成長経済の時代に入るとともに)何がまちがっていて何が望ましいことかを、ただ誠実だけでもって弁別しうたい上げることがむつかしくなる。

短歌も一面的な真実を誠実の声でもってうたっているわけにはいかなくなった。今私たちが感じ取るものは、そう簡単に一義的に解することができず、それを表現するには言葉のいろんな機能を十全に活用しなければならないのである。

ここには、近藤とは異なる道を選んだ高安の、自らの表現に対する自信が溢れている。だから読んでいて清々しい。

(大辻さんが講演録から「オフレコ」の部分を削除しなかったのも、きっと自分の歌に対する自信の表れなのだろう。)

posted by 松村正直 at 13:37| Comment(2) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月23日

佐々木健一著 『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』


「ケンボー先生」こと見坊豪紀(ひでとし)と「山田先生」こと山田忠雄。
辞書作りに情熱を燃やした2人の生涯を、それぞれが編んだ辞書を基にたどったノンフィクション。2013年4月29日にNHK−BSプレミアムで放映されたドキュメンタリー番組の内容に、新たな証言などを追加して構成したもの。
著者は同番組のディレクター。

今年1番の本。

東京帝国大学文学部国文科の同期で、昭和18年に『明解国語辞典』を協力して編纂した二人が、やがて訣別し、それぞれ『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』を編纂することになった「昭和辞書史最大の謎」を解き明かす。

その方法が実にユニークだ。当時の資料や関係者の証言を集めるのはもちろんなのだが、それに加えて、ある時から著者は2人の編纂した辞書に載っている「用例」に注目するようになる。

単なる国語辞書の「用例」だと思い込んでいたものが、突如、編纂者の人生に深く関わる“意味”を持ったことばへと一変した瞬間だった。

まるで推理小説のような謎解きの面白さが、この本にはある。「おそらくこれまで誰も気づかず、同時に今、自分だけがその記述の秘められた“意味”を見出したことに、激しい興奮をおぼえた」という著者のワクワク感が、そのまま伝わってくる。

2人の編纂者の友情とライバル心、感謝やコンプレックス、理想とする辞書や編纂方法の違い。既に亡くなった2人だけが知っていた、その本当の思いに光を当てる素晴らしい内容だ。たぶん僕が書きたいのも、こういう本なのだと思う。

2014年2月10日、文藝春秋社、1800円。


posted by 松村正直 at 18:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月22日

読売新聞「四季」

今日の読売新聞朝刊の長谷川櫂さんの詩歌コラム「四季」に、
『午前3時を過ぎて』の一首を取り上げていただきました。

 地下鉄の車両に乗りて現れるおのれの顔と向き合いており

ありがとうございます。


posted by 松村正直 at 06:47| Comment(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月21日

八頭高校の授業風景

先日行った短歌の授業のことが、鳥取県立八頭高等学校のホームページで
紹介されています。

http://cmsweb2.torikyo.ed.jp/yazu-h/index.php?key=joldcx0li-62#_62

「続きを読む」をクリックすると、写真も載っています。
ホワイトボードに下手な絵が描いてあるのも、ばっちり写ってます。


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2014年06月20日

甲南高校の九州旅行(その2)

この旅行について記した「理科三年旅行記」が甲南高等学校校友会雑誌部「甲南」14号(昭和8年)に掲載されている。8名による分担執筆で、そのうち初日の分を高安国世が書いている。

第一日(五月六日)
神戸→船中  高安国世

 船客待合室の前は、午後の波の照り返しと、積荷を下す綿ぼこりが、いらいら躍つて、船出の前の一ときを落付かぬ顔の人々が、一見ぼんやりとそここゝに位置してゐる。
 黒々と寄り合つてゐる二十人許りは、之ぞまもなく展開さるべき全八幕の立役者共に他ならぬ。三時には殆ど顔ぶれが揃つた。高間主任の代理をつとめ、我々の若き指導演出家となられる西田教授の姿は夙くに見られた。皆これから何がはじまらうとしてゐるのか一寸もゲせない面持で茫然と顔を並べてゐる。手ぶらの呑気なのも居れば、吾輩のやうに九州は寒かろと、まるで北国へ行くやうな代物を仕込んでゐる奴もなくもない。
(以下略)

おそらく高安にとって初めての九州行きだったのだろう。


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2014年06月19日

甲南高校の九州旅行(その1)

昭和8年5月6日、旧制甲南高等学校の三年生(理科)25名は九州旅行へと出掛けた。日程は下記の通り。

 6日 神戸発→(船)
 7日 (船)→別府→(車)地獄めぐり→(汽車)→宮崎(宿泊)
 8日 宮崎神宮、青島見学→(汽車)→鹿児島、尚古館見学、(宿泊)
 9日 桜島見学→(汽車)→熊本、熊本城、水前寺公園見学、(宿泊)
10日 熊本→(車)→阿蘇、噴火口見学→(車)→熊本→(船)→島原→(車)
    →雲仙(宿泊)
11日 絹笠山登山→(車)→長崎、崇福寺、浦上天主堂見学、(宿泊)
12日 長崎→(汽車)→福岡→(汽車)→門司→(船)
13日 (船)→神戸着

今で言う修学旅行のようなものだろう。
7泊8日で九州を一周するコースとなっている。


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2014年06月18日

内田樹×釈徹宗著 『聖地巡礼 ビギニング』


内田樹と内田が主宰する凱風館「巡礼部」のメンバーが、釈徹宗の案内のもと、各地の聖地をめぐり歩くシリーズの第1弾。「大阪・上町台地」「京都・蓮台野と鳥辺野」「奈良・飛鳥地方」という3回の巡礼が対談形式で描かれている。

 神社ってコンピュータのハードみたいなものです。それ自身はニュートラルな状態で、そこにソフトが入り込むことによって動く。
 天皇家というのは、境界線上の人間に常に目線を配る存在なんですね。
内田 この世界の無数のものの中には「どんな選択肢をとっても存在しているはずのもの」と「あのとき別の道をたどっていたら存在していないはずのもの」があることになる。
内田 こっち(大谷墓地)側から来ると清水寺はぜんぜん観光寺院に見えませんね。

話の中に、ものを考えるヒントがたくさん出てくる。
一緒に歩いているような気分を味わえるのが楽しい。

2013年8月23日、東京書籍、1500円。

posted by 松村正直 at 20:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月17日

鳥取県立八頭高校

先週の金曜日、鳥取の高校へ行った。
言語活動充実事業の一環として、一つのクラスで3コマ続けて短歌の授業をしたのだ。高校の建物に足を踏み入れるのは、実に25年ぶりのこと。

まずは「現代短歌のいま」という講義で最近の若い世代の歌を紹介。
その後、みんなで穴埋め問題をしたり、短歌を作ってもらったりというワークショップを行った。生徒さんが非常に前向きに取り組んでくれたのが嬉しい。

その後、若桜町(わかさちょう)にある不動院岩屋堂へ。

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ちょっと三徳山の三仏寺投入堂に似ている。
でもここは山に登る必要はなく、道路からすぐのところに建っている。しかも、観光客の姿もない。実にのんびりした場所である。お堂の中に入ることができたらきっと良い眺めだろうなあ、などと思う。

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こちらは鳥取市内に建つ仁風閣。
明治40年にできた建物である。

夕方からは「みずたまり」の皆さんの歌会&宴会にお邪魔して、夜遅くまで楽しい時間を過ごす。こんなに楽しくていいのだろうかと心配になるくらいの一日であった。

posted by 松村正直 at 23:25| Comment(1) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月16日

「黒日傘」第3号

高島裕の個人誌。
今号の特集は「斎藤茂吉」。ゲストは内山晶太。

  斎藤茂吉記念館。
「極楽」を妻に見せむと来たりけり「極楽」を見て妻はよろこぶ /高島裕
雨晴れて夕日は差せり、硝子戸の向かうの庭に虫は耀(かがよ)ふ
まんまんと夕かがやきの最上川行くをし見つつ立ち去り難き

高島の「柿色の国」30首は、山形県の斎藤茂吉記念館や茂吉のふるさと金瓶、疎開先の大石田を訪れた一連。1首目の「極楽」は小便用のバケツのこと。2、3首目のような生命力のある自然詠は、最近では詠む人が少なく、高島ならではという感じがする。

また、30首のうち9首に「妻」が詠まれていることにも注目した。もう一つの連作「さざなみ」30首も8首に「妻」が出てくる。茂吉や靖国神社といった表のテーマに対して、裏のテーマとなっていると言っていいだろう。

  火炎のような言葉
焼き魚、焼かれながらに火を吐くとちいさき魚の胸あふれたり /内山晶太
  パイレートという煙草を買って、その中の美人の絵だけを
  とって中身をこの堀の水に棄てた
体操服棄てられてある用水路におとろえて冬の日のみずの色

内山晶太の「点をつなぐ」30首は、すべてに詞書が付いている。説明はどこにもないのだが、どれも茂吉の散文である。2首目の「パイレート・・・」は「三筋町界隈」の一文。茂吉の散文に触発されて歌を詠む、ある種の競演とも言うべき試みである。

2014年6月3日、TOY、600円。

posted by 松村正直 at 21:05| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誤記訂正

6月12、14日の日記の梶原さい子さんの歌集名と6月15日の栗木京子さんのお名前に間違いがありました。すみません。

読者の方からのご指摘を受けて気づき、訂正しました。
ありがとうございます。


posted by 松村正直 at 10:37| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月15日

公開シンポジウム

塔60周年記念全国大会の初日は、一般公開のシンポジウムです。
今年は「言葉への信頼と危機」をテーマに、高野公彦さんの講演と、鷲田清一さん×内田樹さん×永田和宏の鼎談を行います。
皆さん、どうぞご参加下さい。(事前の参加申込みが必要となります。)

日時 8月23日(土) 13:00〜17:00(12:00開場)
場所 新・都ホテル *JR京都駅八条口徒歩5分
プログラム
 13:00〜13:10
   開会挨拶 永田和宏
 13:10〜14:30
   講演 高野公彦「明確と曖昧のはざま」
 14:30〜14:50
   休憩
 14:50〜16:50
   鼎談 鷲田清一×内田樹×永田和宏「言葉の危機的状況をめぐって」
 16:50〜17:00
   閉会挨拶 栗木京子

会費 一般2000円、学生1000円(学生証をお持ち下さい)
問い合わせ TEL 075−705−2838(青磁社内 永田)

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2014年06月14日

『リアス/椿』の続き

ありがたいことだと言へりふるさとの浜に遺体のあがりしことを
夜の浜を漂ふひとらかやかやと死にたることを知らざるままに
余震(なゐ)の夜を愛されてをりまざまざと眼裏に顕つ瓦礫のなかを
湯の内を浮き上がり来るまろき玉どの瞬間にひとは逝きしか
その土地でなければならぬ人たちの苦しみ銀杏の葉はどつと落つ
わたしたちどの辺りまで来たらうかつめたくこごる手を求めあふ
原発に子らを就職させ来たる教員達のペンだこを思(も)ふ
地震(なゐ)ののち海辺の家へと急ぐひとの一筆書きのいのちなりけり
みなどこか失ひながらゆふぐれに並びてゐたり唐桑郵便局
喪のけふも祭りのけふも数行に約めて母の三年日記

「以後」の歌から。

1首目「ありがたい」という言葉にハッとさせられる。まだ行方不明の方も多い。
3首目、生と死の極限のような歌。おそろしいほどに美しい。
4首目は白玉団子を作っているところ。団子が人の身体を離れる魂のようだ。
5首目は放射能を詠んだ歌。
7首目、原発は安定した職場として地元では人気があったのだろう。
8首目、「一筆書き」に人の命のはかなさを感じる。
9首目、まるで身体の一部を失ったかのような喪失感。

こうした歌は、単なる震災のドキュメントではない。
十分に歌として昇華された内容となっている。
震災後にこうした数々のすぐれた歌を詠み続けてきた作者の精神力に心を打たれる。それは、やはり震災前からふるさとの風土や海を詠んできた作者にしかできなかったことなのだと思う。

多くの人に読んでいただきたい一冊です。

posted by 松村正直 at 14:54| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月12日

梶原さい子歌集 『リアス/椿』

みづうみの深さを知らずわたしたちふたりでふたつのかほを映して
はぐれてもどこかで会へる 人混みに結び合ふ指いつかゆるめて
傾ぎつつ油を提げてゆくときの左手宙(そら)をあわあわとせり
傘持たずバス停へゆく雨粒と雨粒の間(あひ)を跳び移りつつ
潮鳴りのやまざる町に育ちたり梵字の墓の建ち並びゐて
船に積む菜(さい)を調ふこれよりの土の息吹のなき数ヶ月
朝の陽にあつけらかんと見せてをりうなじのやうな波打ち際を

2009年から2013年までの作品432首を収めた第3歌集。
全体が「以前」「以後」の二部構成となっており、2011年3月11日の東日本大震災を境に激変した暮らしが詠まれている。

まずは「以前」の歌から。

1首目は相聞歌。一緒に湖を見ている相手に寄せる思いと距離感。ひらがなを多用した表記から、幸せと寂しさを同時に感じる。
2首目も美しい相聞歌。「結び合ふ指」という表現が艶めかしい。
3首目は灯油のポリタンクを運んでいるところ。左手でバランスを取る。
4首目は、下句がおもしろい。雨粒を避けるように走っていくのだ。
5首目から7首目は、第1回塔短歌会賞受賞作「舟虫」の歌。故郷の気仙沼の海を詠んだ歌である。震災前にこうした歌が詠まれていたことが、後から考えるととても大事なことだっだのだと思う。

2014年5月11日、砂子屋書房、2300円。

posted by 松村正直 at 06:24| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月10日

Roger Federer through glass

フェデラーがグーグルグラスを掛けてテニスをする動画が、ユーチューブに公開されている。
http://www.youtube.com/watch?v=9Eabp3Jpy-I

フェデラーの視点と、通常のカメラの視点がまじるのだが、その違いが面白い。
フェデラーの視点は画面が揺れたりして臨場感が抜群であるのに対して、通常のカメラの視点は全体を見られるのでわかりやすい。

短歌がリアルになるか、説明的なものになるかの違いも、たぶんここにヒントがあるのだろう。


posted by 松村正直 at 19:35| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月09日

「ノーザン・ラッシュ」vol.1

石川美南と服部真里子による同人誌。
A6判、16ページ。

第1号のテーマは何と「爬虫類」。
二人の作品各20首と、服部さんの精巧なイラスト、石川さんの「爬虫類カフェに行く」というエッセイで構成されている。

日の光、月の光と順に浴び亀はひと日を動かずにいた/服部真里子
シダの葉の進化を語る店員の唇のはし乾いていたり

皮脱ぐとまた皮のある哀しみの関東平野なかほどの夏/石川美南
てらてらと光りてやまずわたしより先に脱皮をした友だちが

編集後記に服部さんが、爬虫類カフェにいたヤシヤモリが「水槽から逃げてしまい、今は店内のどこかにいるはず」という話を書いている。以前読んだ小林朋道さんの本にも、ヤモリが実験中に逃げ出して、3日目の夜にようやく捕まえる話があった。

2014年5月5日、500円。

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2014年06月08日

千葉聡著 『今日の放課後、短歌部へ!』


上菅田中学から戸塚高校に異動になった38歳の教員歌人「ちばさと」が、学校で起こる様々なドラマを短歌158首とエッセイで綴った一冊。

エッセイは角川「短歌」の連載「今日の放課後、短歌部へ!」と「小説すばる」の連載「黒板の隅に書いた歌」に発表されたもの。巻末には穂村弘、東直子との座談会「短歌には青春が似合う」を収めている。

エッセイには、現代歌人の短歌がところどころ挟み込まれている。山田航、岡井隆、入谷いずみ、近藤芳美、俵万智、横山未来子・・・。エッセイと短歌の取り合わせが良く、短歌という世界への扉を開いてくれるようだ。

顧問を務めるバスケ部の話、課題図書を貸してくれる女生徒「ラアゲ」の話、いい加減だけれど人気のある教師「フナじい」の話、作家志望の男子生徒「K」の話、教員を目指していた元教え子「タカヒデ」の話、「古今和歌集」仮名序に曲を付けた話など、一つ一つが胸に沁みてくる。

そして、千葉さんは本当にいい人だなと思う。それは昔から変わらないことだ。そのあまりにもピュアな感じが、僕自身のピュアでない部分を浮き彫りにするようで、すこし心苦しい。

2014年3月25日、角川学芸出版、1200円。


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2014年06月07日

小林朋道著 『先生、カエルが脱皮してその皮を食べています!』


「[鳥取環境大学]の森の人間行動動物学」第4弾。
シリーズものは回を重ねるにつれて面白くなくなることが多いのだが、このシリーズは安定して面白い。今回登場する動物は、ヒキガエル、アカハライモリ、アオダイショウ、ヤギ、スナガニ、エボシガイ、カラス、ホオジロ、イタチなど。

ハプニングは、学生を驚かす。こちらにとってもハプニングであれば、なおさら学生にとって意外性が大きいはずだ。その“驚き”や“意外性”が、学ぶものの脳を、学習の姿勢に移らせるのである。

これは、よくわかる。事前に用意しておいたネタだけでは、どうしても退屈な講義になってしまうのだ。その場で起きたこと、その場で思い付いたことを、取り入れるのが大事。これはパネルディスカッションなどでも痛感することだ。

“人間が、火事や事故の現場に対して示す強い関心”、これは、一種のモビングではないだろうか。

動物の行動様式と人間の行動を結び付けるこうしたアイデアも、大胆かつユニークで楽しい。

2010年4月25日初版、2013年5月31日4刷、築地書館、1600円。

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2014年06月05日

現代歌人集会春季大会のお知らせ

7月に現代歌人集会(西日本を中心とした歌人団体)の春季大会が開かれます。
どなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越しください。

日時 7月19日(土)午後1時〜5時 (開場12時)
場所 神戸市教育会館
   ・JR・阪神「元町」駅(東口)より徒歩10分
   ・市営地下鉄「県庁前」駅(東1番出口)より徒歩5分
   ・阪急「三宮」駅(西口)より徒歩15分

大会テーマ「俳句―近くて遠い詩型」

基調講演 大辻隆弘
講演 高橋睦郎
パネルディスカッション 塩見恵介、大森静佳、荻原裕幸、魚村晋太郎

総合司会 松村正直
閉会の辞 林 和清

参加費 2000円(当日受付にてお支払い下さい。当日の参加もOK)

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2014年06月04日

「望星」1976年4月号

高安国世の「二人の師のこと」という文章が載っている。
一人はドイツ文学の成瀬無極。
もう一人は、土屋文明である。

当時62歳の高安は、文明について「ごぶさたはしていても、つねに私の心のそばに先生はおられる」と書いている。晩年に至るまで、文明を師と仰ぐ気持ちは揺るぐことがなかったのだろう。

歌会好きの高安らしい、こんな言葉もある。

私は半生を通じて歌会をたのしんできた。たのしみといってもただの娯楽でも休養でもなく、心の通い合う人々との真剣勝負の場としてである。忌憚ない批評をし合って、そのあとなごやかに話し合うという人生で稀な幸福を、私は先生を中心とする歌会で学び、今では私を中心とするささやかな歌会で味わっている。

こういう真面目で、ちょっと青臭いところが、いかにも高安さんという感じがする。


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2014年06月03日

小島ゆかり歌集 『泥と青葉』


病む父を鞄につめて旅立ちぬもみぢうつくしからん津軽へ
竪穴式住居に入ればわがものとおもはれぬ低きこゑは出でたり
ひとつ石に泉のごとく陽は満ちて石のいづみに蝶はあつまる
スマートフォンをすべる娘の指に似て反りほのかなる茗荷を洗ふ
雨たまるほどに腹部のへこみつつ横倒れに餓死したる乳牛
ああ犬は賢くあらず放射線防護服着る人に尾をふる
彼岸花の小径をゆけば先に行く人より順に彼岸花になる
母であるわたしはいつも罅(ひび)入りの甕いつぱいに水を汲む人
はなみづきのはなさくころの浮遊感はなみづきはそらばかりみてさく
水道管工事の人の弁当の卵かがやく五月となりぬ

2009年夏から2013年初夏までの作品511首を収めた第12歌集。

老いた父、母、姑の歌、東日本大震災の歌など、全体に重さや疲れを感じさせる歌が多い。作歌の時期が重なっている『純白光―短歌日記2012』とは、随分と印象が違う。

1首目、年老いた父に心を残しつつ旅をする。旅をしながらも常に気になっている。
4首目は「娘の指」から「茗荷」への飛躍に驚くが、なるほどという感じがする。
5首目、6首目は原発事故の歌。避難地域の動物に焦点を当てて詠んでいて印象に残る。
8首目、母親としてできる限りのギリギリまで頑張ってしまうのだろう。
10首目は何でもない歌だが、卵の明るさに小さな希望を感じた。

2014年3月14日、青磁社、2600円。

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2014年06月02日

五木寛之著 『隠れ念仏と隠し念仏』


「隠された日本」シリーズの第2弾。九州・東北篇。
2001年に講談社より出た単行本『日本人のこころ2』を文庫化したもの。

江戸時代、浄土真宗が禁じられた薩摩藩や人吉藩において、自分たちの信仰を隠しつつ、「講」というネットワークや本願寺とのつながりを維持してきた「隠れ念仏」。東北の岩手を中心として、本願寺とも離れて徹底した在家の信仰を貫いてきた「隠し念仏」。

九州と東北に残るこれらの信仰の姿を通して、著者はこの国の歴史や心のあり方を見つめ直していく。

「隠れキリシタン」は有名であるが、「隠れ念仏」や「隠し念仏」のことは、これまで聞いたことがなかった。けれども、そういう視点から捉えることで初めて見えてくる歴史があり、興味を引かれる。

新しく入って来た宗教がどのように人々に受容され、元からあった信仰と混じり合って定着していくのかという問題もおもしろい。これは宗教だけに限らないことであり、「異端」を排除して「正統」の方だけを見ていても決してわからない問題であるに違いない。

2014年5月10日、ちくま文庫、780円。


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2014年06月01日

「現代短歌新聞」6月号

今日の京都は35.3℃まで気温が上がったそうだ。
どうりで暑いわけである。

恩田英明さんが「歌壇時評」の中で、私が角川「短歌」3月号で恩田さんの文章を批判したことに対して、反論を書かれている。私の疑問についても丁寧にお答えいただき、有難いことであった。

作者と作中主体の関係が、今回のやり取りにも関係している。
もう少し考えていきたい。


posted by 松村正直 at 16:02| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする