2014年05月31日

リービ英雄著 『我的日本語』


副題は「The World in Japanese」。

1967年、17歳の誕生日前日にたどり着いた新宿。
やがて日本語で小説を書くようになる著者が、自らの人生や小説をたどりながら、「日本語による世界」「日本語を通してはじめて見える世界」とはどういうものか、語った一冊である。

そこから浮かび上がってくるのは、中国とアメリカという二つの巨大な国家・文明との関わりの中で日本がたどって来た歴史であり、日本語の歴史である。

日本語を書く緊張感とは、文字の流入過程、つまり日本語の文字の歴史に否応なしに参加せざるを得なくなる、ということなのだ。誰でも、日本語を一行書いた瞬間に、そこに投げ込まれる。

こうしたことを普通私たちはあまり意識しないが、言われてみるとなるほどと頷かされる。漢字かな(カタカナ、ローマ字)混じりの文章を書くこと自体に、既にこの国の歴史が深く刻まれているわけだ。

9・11(アメリカ同時多発テロ)に関する話も実におもしろい。当初、アメリカにおけるニュースの映像には「9.11 8:30」というテロップしかなかったのが、翌日には「攻撃されるアメリカ(America under attack)」という字幕が付き、アフガン攻撃が始まると「アメリカが打ち返す(America strikes back)」となる。

そのようにして物語が作られて行き、そして物語ができると誰もが安心して、それ以上は考えなくなるのだ。その心理は実によくわかる。おそらく短歌で社会詠を詠む時の難しさも、そのあたりにあるのだろう。

2010年10月15日、筑摩選書、1500円。

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2014年05月30日

飯田辰彦著 『罠猟師一代』


副題は「九州日向の森に息づく伝統芸」。
宮崎にある出版社・鉱脈社が刊行している「みやざき文庫」の一冊。

宮崎県東郷町(現・日向市)に住む罠猟師・林豊に同行し、罠の仕掛けから捕獲、解体、調理に至るすべてを、豊富なカラー写真とともに描きだした一冊。3か月にわたる狩猟シーズンを密着して取材した成果が十分に表れている。

林が足括りの罠で狙うのはシシ(猪)である。時に鹿がかかることもある。

取材という大きな邪魔が入ったにもかかわらず、林はこの狩猟期間中にシシ三十七頭、シカ十八頭という成果を残した。

この数だけを見ても、林の罠猟がいかに優れたものであるかよくわかる。
東郷町と言えば、牧水のふるさと。牧水もこんな山や川とともに育ったのだろう。

2006年3月9日初版、2013年10月7日第7刷、鉱脈社、1400円。


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2014年05月29日

滋賀県立図書館

調べものがあって、滋賀県立図書館へ。
JR瀬田駅からバスで10分くらいの「びわこ文化公園」の中にある。
とにかく広くて緑がいっぱいの場所だ。

この図書館は、京都や大阪の図書館にもない本や資料がたくさんあって、かなり充実している。ただし、滋賀県に住んでいるか、通勤・通学している人でないと、貸出はしてくれない。まあ、県立の図書館なので、それは仕方がないのだろう。

2時間ほどで調べものを終えて、その後、隣りにある滋賀県立近代美術館へ。
初めてなので常設展だけを見る。地元出身の小倉遊亀のコレクションが有名なようで、専用のコーナーがあった。

現代美術の展示のところに、北辻良央の「桜・贈物」というオブジェがある。
この名前はもしかして、と思ったら、やはり北辻さんのお父さんであった。
以前、柳澤美晴さんの歌集『一匙の海』の表紙に作品が載っていた。

他にも、若林奮「ゆりの樹による集中的な作業・ゆりの樹の一枝」、西村陽平「時間と記憶」、柳幸典「Study for American Art -192 One-Dollar Bills-」など、注目作が多い。

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2014年05月28日

木下こう歌集 『体温と雨』

たて笛に遠すぎる穴があつたでせう さういふ感じに何かがとほい
草木(さうもく)を食むいきものの歯のやうなさみしさ 足に爪がならぶよ
階段といふ定型をのぼりつめドアをひらくと風がひろがる
雨垂れの音飲むやうにふたつぶのあぢさゐ色の錠剤を飲む
てのひらにみづひびかせて水筒に透明な鳥とぢこめてゆく
森の木と森のてまへに並ぶ木はすこし思考がことなるやうだ
路傍(みちばた)にしやがみて犬を撫づるとき秋をひとつの胡桃と思ふ
川を見てあなたと帰るゆふまぐれ「かとう小鳥店」なくなりぬ
身にふれて濡るるからだを覚えたりこの薄絹は雨にあらねど
煮ればなほつやめきながら魚(うを)は冷ゆ魚のまなこは雪をみてをり

2009年から2013年までの作品260首を収めた第1歌集。
繊細で鮮やかなイメージと言葉づかいが魅力的である。

1首目、確かにリコーダーを吹く時、小指がつりそうなほど遠かったなと思い出す。
4首目、「雨垂れ」ではなく「雨垂れの音」を飲むように、というのが面白い。
5首目、水筒に水を入れていく時の音の感じだろうか。イメージが鮮烈である。
8首目、何でもない場面であるが、日々が過ぎてゆくことに対するかすかな喪失感が滲む。
9首目、「身にふれて」から始まる語順がうまい。「薄絹」が肌にひんやりと触れる感じ。

「やうな」「やうに」といった直喩が多く、現実とイメージが巧みに組み合わされて、二重写しのような世界が広がる。作者のセンスの良さは紛れもないが、その一方で、少し線が細すぎるかもしれないとも思った。

2014年5月12日、砂子屋書房、2500円。

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2014年05月27日

岡田喜秋著 『定本 日本の秘境』


雑誌「旅」の編集長を務めた著者が、昭和30年から35年にかけて日本各地をめぐった紀行文をまとめたもの。「山」「谷」「湯」「岬」「海」「湖」という6つのジャンルを各3か所ずつ、計18篇が収められている。

昭和35年に東京創元社より単行本として出版され、その後、角川文庫やスキージャーナルで再刊され、今回それらを再編集した上で「定本」として文庫化された。

高度経済成長期のダム建設や大規模林道の開通により、今では見られなくなってしまった景色や、失われてしまった暮らしの姿が、色濃く描かれている。昭和45年生まれの私にとっては、体験することのなかった世界と言ってもいいかもしれない。

また、著者の文章が実にいい。その土地の風土や歴史を随所に織り交ぜながら緻密に描写していくスタイルは、まるで民俗学のフィールドワークでもしているかのようだ。その中に、しばしば鋭い批評が現れる。

地方の旅館が等しく風土料理よりも焼海苔や卵焼といった月並みな料理を食膳に出す習慣があるのも、考えてみればそこに泊まる客のほとんどが近隣の地元民である以上、致し方のないところなのだろう。

(隠岐への航路が冬期は夜間ではなく昼間であることに対して)
聞けば、それは日本海に浮遊する機雷を避けるためだ、という答えを得た。今どきまだ機雷の心配があるのかとさらに聞きただせば、この機雷は戦後でも朝鮮戦争のころは、かなり脅威の対象になっていたというのである。

芭蕉がこの雄大な蔵王の姿に接しなかったことは気の毒である。気の毒というよりも、みちのくの旅で蔵王の記述が抜けたことは、それ以後、現代まで蔵王のために惜しむべきである。

この人の文章は、もっと読んでみたい。

2014年2月1日、山と渓谷社、ヤマケイ文庫、950円


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2014年05月26日

映画 「5つ数えれば君の夢」

監督・脚本:山戸結希
出演:山邊未夢、新井ひとみ、庄司芽生、小西彩乃、中江友梨

5人組の音楽グループ「東京女子流」のメンバーが主演した作品。
と言っても、この映画を見るまで「東京女子流」のことは全く知らなかった。

女子高校の文化祭で行われるミスコンをめぐって、ストーリーが展開していく。
その中で、いくつもの友人・恋人・兄妹などの三角関係が見えてくるのがおもしろい。
教室や廊下、屋上、プールなどの何でもない場面も、どこか懐かしく感じられた。

立誠シネマ、85分。

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2014年05月25日

『ゆりかごのうた』の続き

  500×0.8=400。
ペットボトル八分目まで水を入れて胎児の重さ片手で想ふ
赤ら引く吾子の体重訊く人のありて身長訊く人のなし
みどりごは見ることあらぬイラストの虎の子見つつ襁褓を換へる
寝かしつけてふすまを閉める おまへひとり小舟に乗せて流せるごとく
空砲なのか実弾なのか匂ひすればムツキを開ける斥候われは
焙じ茶の缶をひたすら振る子かなそこに花野が見えるらしくて
春の日のトンネル過ぎて振り返る吾子にもすでにすぎゆきのあり
酸つぱい顔教へてをりぬ甘夏を食べて困つてゐる一歳に

後半から。
この歌集の一番の特徴は、何と言っても子どもを詠んだ歌が豊富にあることだろう。妊娠初期から14ヶ月に至るまでの赤子の成長が、男親の立場から克明に詠まれている。

おそらく、これは画期的なことだ。
男性歌人の子育ての歌は今後ますます盛んになっていくに違いない。

1首目は400グラムという胎児の重さを具体的に想像している場面。
4首目、寝かしつけてそっと部屋から出てくるところ。「小舟」という比喩がうまい。
5首目はユーモアたっぷりの歌。臭うなと思っておむつを外してみても、便は出ていないことがよくある。
8首目、親の方も一緒に、と言うよりむしろ先に、口や目をすぼめるような「酸つぱい顔」をしてみせるのだろう。どんな表情をしたら良いのかわからずに困っている子どもに向けて。

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2014年05月24日

大松達知歌集 『ゆりかごのうた』

2009年から2013年までの作品444首を収めた第4歌集。
作者とは同じ年齢ということもあって、随所に共感しながら読んだ。

海の上にも電波の淡き濃きありて濃きところにて妻とつながる
眠らむと文語でおもふ眠ろうの口語の力足りない夜は
えんぴつをやさしくにぎるその中を道路工夫のあしおとのせり
語句登録したる〈古茶(こちや)〉〈御座(おまし)〉〈税所(さいしよ)〉など卒業ののちもパソコンにあり
バラ肉を巻かれてゐたる幼気(いたいけ)なオランダ雉隠しに喰らひつく
いまはまだsadの他の語彙のなくsadと書けりその母の死を
支援物資のなかに棺のあることを読みてたちまち一駅過ぎつ
有給休暇届書きをり〈達〉の字の之繞の点が最後に乾く

まずは、歌集前半から。
妻を詠んだ歌、教師としての歌、言葉に関する歌に注目すべき作品が多い。

1首目は携帯電話のこと。目に見えない電波を濃さで表現しているのが面白い。
4首目は生徒の珍しい名字。生徒と教師という関係のあり方が見えてくる歌だ。
5首目の「オランダ雉隠し」はアスパラガスの和名。他にも「ウランバートル」が「赤い英雄」だったり、「ちちんぷいぷい」が「智仁武勇武勇」だったり、「分娩」が「デリバリー(配達)」だったりと、言葉をめぐる雑学的な歌がたくさんある。
7首目は東日本大震災の歌。支援物資と言えば食料や水、毛布などをすぐイメージするが、そこには「棺」も含まれているのだ。1万数千の棺が必要となった震災の重い事実である。

2014年5月16日、六花書林、2400円。

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2014年05月23日

「本郷短歌」第三号の注文

毎日新聞の「短歌月評」で取り上げた「本郷短歌」第三号ですが、メールで注文を受け付けているようです。
http://hontansince2006.blog76.fc2.com/blog-entry-77.html

送料込みで1冊600円。
作品・評論ともに充実していて、お薦めです。

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2014年05月21日

野矢茂樹著 『ここにないもの』


副題は「新哲学対話」。絵:植田真
2004年に大和書房から刊行された本に加筆修正して、文庫化したもの。

ミューとエプシロン(エプちゃん)の二人が、人生や時間についての素朴な疑問をめぐって、さまざまな話を繰り広げる。

・「人生は無意味だ」って、どういう意味なのだろう
・十年前のぼくも、ぼくなんだろうか
・ことばで言い表わせないもの
・自分の死を想像することはできるか
・未来は存在しない?

という5つの話が収められている。
どれも難しい言葉は使わず、それでいて深いところへと思索が誘われる。

自分は、自分ひとりだけでは、〈いま〉の自分だけに断ち切られてしまう。

ことばは、何かを語ることで、語りきれていないものを影のように差し出してくる。

死は可能性を奪いさる。未来という、新たなものの出現の予感。それを、死はそっくり切り取ってしまう。

哲学というのは、私たち自身が持っている言葉を最大限に使って、手探りで探究していくものだということが、実感できる一冊である。

2014年4月25日、中公文庫、720円。

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2014年05月20日

作者と作中主体(その2)

本当に作者と作中主体は別なのだろうか?

同じく「本郷短歌」第三号に安田百合絵「『ガラスの檻』を読む―孤独・情念・原罪―」という評論が載っている。稲葉京子の歌について論じた文章だが、その中に次のような箇所がある。

しばしば指摘されることだが、雨宮雅子はクリスチャン歌人である。そのことを抜きにして彼女の歌を語ることはできない。

稲葉と雨宮の比較が語られている部分である。この〈雨宮雅子がクリスチャンであることを抜きにして、雨宮雅子の歌は語れない〉という考えは、作者と作中主体を「別」ではなく「深い関係がある」と捉えているものと言っていいだろう。

もっと簡単な話をすれば、私は昨年『高安国世の手紙』という評伝を出版した。これは高安が残した手紙を元に、高安の交友関係や時代状況を分析し、高安の歌と関連付けながら、その人生を追ったものである。

もし、作者(高安国世)と作中主体(高安作品の主体)が「別」であるならば、こんな作業には何の意味もない。作者についての情報や理解は、歌の読みには全く関わりがないということになるだろう。でも、私はそうは思わない。

「作者=作中主体」という考えが多くの問題を含んでいるのと同じように、「作者と作中主体は別」という考えにも問題があるのではないだろうか。


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2014年05月19日

短歌月評「ジェンダーと選考」

先月から月に1回(第3月曜日)、毎日新聞に「短歌月評」を書いています。

今日は、「本郷短歌」第三号の服部恵典さんの評論「「歌人」という男―新人賞選考座談会批判」を取り上げました。これは広く話題になって欲しい、注目すべき内容の評論です。

ぜひ、僕の文章だけでなく、元になった服部さんの文章をお読みいただければと思います。


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2014年05月18日

歌集『午前3時を過ぎて』について

歌集『午前3時を過ぎて』について、近藤かすみさんがブログ「気まぐれ徒然かすみ草」で、鑑賞を書いて下さいました。
http://blog.goo.ne.jp/casuminn/e/fc4b1a620a1fc193fcb4ebbef
18a69d7


また、ブログ「暦日夕焼け通信」でもご紹介いただいています。
http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/3-caae.html

ありがとうございます。

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2014年05月17日

岡部桂一郎歌集 『坂』

青磁社
発売日 : 2014-04-03

生き死にのことにふるるなかたわらに岡部桂一郎全歌集ある
雨よりも雪に感情あるごとくわれに向いて雪ふりやまず
そら豆の一つ一つをむくときにわが前に立つ若き日の母
遊女らの小さき墓が湖に向き崩れて並ぶ月照らしゆく
あしたより雨ふりつづく森のみゆ終るいのちをわれは疑う
いとけなきおみなごの尻に似たる枇杷しずかな雨の降りはじめたり
ゆうらりと近づくボンベさびしげにややかたむきてこちらを向けり
逝く秋の空ふかくして今生の梨より垂るる雫のひかり
ナイル河岸(きし)に摘みしというミント繁れる鉢のそばに寝ころぶ
千歳より来りたるなり灯の下にある馬鈴薯は淡き影もつ

2012年に亡くなった岡部桂一郎の遺歌集。
歌集未収録の既発表作品および未発表作品を編集して、3部構成としている。

全体に力の抜け具合が良くて、味わいのある歌が多い。
計らいをあまり感じさせないところがいいのだろう。

4首目には「野付半島」という注が付いている。
道東に細長く伸びたこの半島には、江戸時代後期にキラクという集落があったと伝えられている。そこは漁業や交易で栄えて、遊郭もあったらしい。以前、何かで読んで印象に残っている話だが、歴史と言うよりは伝説に近いものだと思っていた。

岡部桂一郎は野付半島に行ったことがあるのだろうか。
この「遊女らの小さき墓」はいかにも実景のように詠われているが、あるいは想像の光景なのかもしれない。

歌集のあとがきは、妻の岡部由紀子が書いている。岡部由紀子さんについては、角川「短歌」5月号の歌壇時評で触れたところであった。この歌集にも「あの坂を登って由紀子が帰るなり枯れたすすきが揺れいるところ」という妻を詠んだ一首が入っている。

2014年4月3日、青磁社、2000円。

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2014年05月16日

小林朋道著 『先生、子リスたちがイタチを攻撃しています!』


副題は「[鳥取環境大学]の森の人間動物行動学。
人気シリーズの第3弾。

今回も人間と動物をめぐる6つの話が収められている。登場する動物は、フェレット、シベリアシマリス、ヤモリ、アカハライモリ、カヤネズミ、コウベモグラ、ミミズ、センダイムシクイ、ヒヨドリなど。

舞台が大学なので、授業風景も描かれる。
ヤモリとイモリの区別が付かない学生に対する説明は次の通り。

基本的に、ヤモリは人家の周辺でないと生きられない動物で爬虫類で、昔の人は家を守ってくれると考えた。だから「家守り(ヤモリ)」だ。イモリは、春から秋にかけて水中にいるから、井戸のなかにイモリを見た昔の人が、井戸を守ってくれると考えたのかもしれない。だから「井守り(イモリ)」だ。

なるほど。
もう一度、学生に戻りたいなあなどと、しばらく空想したことであった。

2009年7月15日初版発行、2012年6月15日5刷発行、築地書館、1600円。
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2014年05月15日

作者と作中主体(その1)

最近、作者と作中主体の関係に触れた文章をいくつか読んだ。
「かりん」5月号の時評では松村由利子が、俵万智の震災詠に対する阿木津英の批判に反論した上で、次のように書く。

一方、いかなる場合も作者と作中主体は別であり、作者の実生活は論考の対象ではない。震災詠においても、原発に賛成か反対か、震災後に居を移したか否か、などで歌の評価が違ってはいけないはずだ。(…)歌論は歌によってのみ展開されるべきである。

また、「本郷短歌」第三号では宝珠山陽太が、評論「〈母性〉の圧力とその表現」の最初の部分で次のように述べている。

その前に、ここで一つ確認しておきたいことがある。それは作者と作中主体の距離についてだ。前述のとおり『トリサンナイタ』は大口の私生活を下敷きにしている。しかし、歌集で詠まれている「私」は一つのフィクションであると言える。(…)よって作中の主体は、歌集を貫いて同一の人物であるように思われるが、その人物と、大口自身のパーソナリティのようなものを引きつけて考えることは避けるべきである。

二人の言っていることはよくわかる。「作者と作中主体は別」という考えは、現代短歌においてはむしろ当然の前提となっていると言ってもいいだろう。歌会においても、「あくまで歌に対する批評であって、作者について言っているのではない」といった言葉をよく耳にする。

私自身、基本的にはそうした考えに同意するのだが、いつもどこか割り切れないような、もやもやした思いが残るのだ。

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2014年05月14日

オシムの提言

サッカーW杯に出場する日本代表23名が決まったことについて、かつて日本代表監督を務めたオシムがコメントしている。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/05/13/kiji/
K20140513008151760.html


オシムの言葉はユーモアやウィットに富んでいて、いつも面白い。

私はかつて遠藤に、もっと走り、相手にとって危険な地域に飛び出すように何度も注文した。チーム最年長だが、まだ年金を受け取るには早すぎるだろう。

「年金を受け取るには早過ぎる」は、ベテランだからと言ってのんびりせず、ハードワークしなくてはいけないということだろう。

いつも強調していることだが、1人だけで無理しようとせず、周囲とのスピーディーなコンビネーションを心掛けるべきだ。相手のDFとレスリングをしていると時間がかかり、味方の攻撃の機会がなくなってしまう。

これは本田についての発言。
「相手のDFとレスリングしていると」が面白い。一人で突破しようとしてボールを持ったまま相手DFと駆け引きしていると、といった意味だろう。それを「レスリング」に喩えているのがうまい。

香川は今季、あまり出場機会に恵まれなかったが、プレーの仕方を忘れたわけではないだろう。イングランドでもドイツでも、他にはいないタイプのプレーメーカーで、モダンな選手だ。自分が香川であることを思い出し、W杯で思いきりプレーしてもらいたい。

「自分が香川であることを思い出し」がすごい。普通に言えば「自分本来のプレースタイルを忘れずに、自信を持って」といった感じになるところだ。それを「自分が香川であることを思い出し」とコンパクトに言っている。その分、香川の持つ力に対する信頼感がしっかりと伝わってくる。

こうしたちょっと不思議な言い回しの日本語は、おそらく翻訳の問題ではなく、表現の問題なのだろう。それは、どこかで短歌にも通じる話なのだと思う。

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村山常雄さん逝去

「シベリア抑留死亡者名簿」を作成された村山常雄さんが、5月11日、88歳でお亡くなりになった。70歳を過ぎてから始めたこの名簿の作成は、他の誰にも真似できない価値のある仕事だと思う。

ご冥福をお祈りします。

http://mainichi.jp/select/news/20140512k0000m040069000c.html


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2014年05月13日

『午前3時を過ぎて』について

岩尾淳子さんがブログ「眠れない島」で、『午前3時を過ぎて』の書評を書いて下さいました。
http://blogs.yahoo.co.jp/picojunkomist/11691582.html

5月12日の砂子屋書房「日々のクオリア」で、前田康子さんが『午前3時を過ぎて』の歌を取り上げて鑑賞して下さっています。
http://www.sunagoya.com/tanka/?p=12272

ありがとうございます。

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2014年05月12日

四十九日

昨日は四十九日の法要のため、母の住む山梨県身延町へ行った。
京都から静岡まで新幹線で行き、そこから身延線の特急「ワイドビューふじかわ」に乗る。5月の空に富士山がくっきりと見える。そう言えば、葬儀の時も同じようにきれいな富士山が見えていた。

IMG_3703.JPG

朝6時に家を出て、向こうの家に着いたのは10時。
行きに4時間、現地滞在5時間、帰りに4時間という忙しい一日だったが、久しぶりに伯母さんや母の友人たちとも話ができて良かった。

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2014年05月09日

「本郷短歌」第三号

東京大学本郷短歌会の発行する短歌誌。98ページ、500円。

折々に沈黙(しじま)へ櫂をさし入れて舟漕ぐやうな会話と思ふ
               安田百合絵
風みえて欅散りをり木版のごとくかするる西日のうちを
               小原奈実
水馬(あめんぼ)に馭せられ見いるみずたまりなべて記憶は上澄みを汲む
               千葉崇弘
朝焼けにうっすら染まった猫が来てひとつずつ消していく常夜灯
               鳥居 萌

7首連作×6名、12首連作×7名、20首連作×2名が載っている。
作品だけでなく評論が充実している点が大きな特徴だろう。
特に「短歌 ジェンダー ―身体・こころ・言葉―」という特集は読み応えがある。

・開かれた「私」 現代短歌における作者の位置(吉田瑞季)
・〈母性〉の圧力とその表現―大口玲子『トリサンナイタ』について、俵万智『プーさんの鼻』に触れつつ(宝珠山陽太)
・「歌人」という男―新人賞選考座談会批判(服部恵典)

3篇ともに文章がしっかりしていて、作者と作中主体の関係や短歌におけるジェンダーの問題を深く考えさせる内容となっている。

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2014年05月08日

塩野米松著 『手業に学べ 技』


聞き書きの名手として知られる著者が、日本各地の職人の手仕事に関する話をまとめた本。1996年から2007年にかけて刊行された 『手業に学べ』 5巻 (天の巻、地の巻、風の巻、月の巻、人の巻)を元に再編集して文庫化したもの。

「岡山の船大工」「対馬の釣り針職人」「福島の野鍛冶」「宮崎の石工」「岩手のシノダケ細工」「秋田のザク葺き職人」など、全部で13名が登場する。

 昔は、そういうふうにして、道具そのものが一人ずつの手なり、体に合わせて作られていたんです。ですが、鍛冶屋がだんだんなくなっていきますと、そういうことは難しくなります。店にあるものから選ばなくてはなりませんし、体をそれに合わせていくしかないです。(高木彰夫)
 ここらでは人が死ねば道具を棺さ入れて持たせてやるんだね。わたしは、そんだば、鉈一本持っていけばいいんだ。この鉈一本あれば、どこさ行っても、あの世さ行っても、篠作りの全部の作業ができるの。(夏林チヤ)
 昔の人は偉いのう。いま、私たちがやりよることは、みな、昔の人の真似ですわ。真似事。それで昔の人のほうがうまいのう。時間がたったら進歩するというものではないのう。(廣島一夫)

長年にわたって手仕事を続けてきた人たちのこうした言葉には、身体から滲み出たような深みがある。手仕事によって作られる道具は、使う人がいなくなれば自然と消えていくほかはない。けれども、その時に消えていくのは、道具だけではなく、こうした職人たちのものの考え方や生き方、さらに私たちの生活様式そのものなのだ。

それにしても、「聞き書き」という手法はすごいものだ。著者の姿は本にはほとんど出てこないので、一見ただテープ起こしをしただけのように感じる。けれども、これだけの話を相手から引き出し、それを紙の上に(ありのままのように)再現するのは並大抵のことではない。そこには、先人の生き方から学ぼうとする著者の強い思いが込められている。

2011年5月10日、ちくま文庫、950円。

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2014年05月07日

第3歌集 『午前3時を過ぎて』 刊行

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第3歌集『午前3時を過ぎて』を刊行しました。
8年ぶりの歌集になります。

四六判、232ページ、555首、六花書林。
定価は2500円(税別)です。

ご注文は、松村(masanao-m@m7.dion.ne.jp)または
六花書林までお願いします。

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2014年05月05日

「現代詩手帖」2014年5月号

先月号の吉田隼人さんの連載「短歌なんか嫌いです」の問題点を指摘した件
4月9日のブログ)についてであるが、今月の連載の末尾に、

*前号で「某誌の歌壇時評」としたのは「短歌」(角川学芸出版)二月号の松村正直さんの時評でした。

という注が付けられていた。

こういうふうに引用元さえ明らかにしていただければ、何の問題もない。
迅速な対応に感謝したい。


posted by 松村正直 at 23:42| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月04日

吉岡太朗歌集 『ひだりききの機械』

ごみ箱に天使がまるごと捨ててありはねとからだを分別している
転送機で転送できない転送機 明日は今日より少しだけ夏
抜けてきたすべての道は露に消え連続わたし殺人事件
水遁の術であそんでいる祖父の竹筒が闇に薄れゆくまで
ローソンとファミリーマートとサンクスとサークルKのある交差点
川底の砂に半ばを埋もれつつ葉は揺れており薄暮のみずに
雨粒のひとつひとつが眼球でそこにうつっている春の町
河原町通りはたぶん烏丸のことを風聞でしか知らない
耳当てをあてるみたいに自動車はサイドミラーをとざして眠る
エントリーシートに今朝の鉱山でとれた砂金をふりかけている

第50回短歌研究新人賞を受賞した作者の第1歌集。
ハードカバーで1800円という価格は珍しい。今後こうした2000円を切る歌集が増えていくだろう。その分たくさん売れると良いのだが。

1首目は天使の「はね」と「からだ」を分別するという発想にリアリティがある。
3首目、過去の自分が次々と抹消されて更新されていく感じだろうか。
6首目は繊細で美しい叙景歌。
8首目の「河原町通り」と「烏丸(通り)」はともに京都を代表する通りで、平行して走っている。永遠に出会うことはないわけだ。
10首目は就職活動を詠んだ連作「氷河だより」の1首。この歌集には30の連作が収められているが、「もしスーパーマーケットが戦場になったら」と「氷河期だより」が特に印象に残った。

関西弁を使った歌がたくさんあるのだが、それ以外に「かたがむ」という言葉を使った歌が3首ある。これは石川県や富山県で使われる方言なので、どうしてかと不思議に思ったのだが、あとがきやプロフィールに「石川県小松市生まれ」とあって納得した。

2014年4月1日、短歌研究社、1800円。

posted by 松村正直 at 14:44| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

「白珠」2014年5月号

安田純生さんが「しづもる・うつしゑ」という評論を書いている。

「しづもる」については、以前、増井元著『辞書の仕事』を読んだ時に、ブログの記事でも取り上げたことがある。安田さんは広辞苑に書かれている「明治時代に造られた歌語」という解説に対して、具体的な例を挙げて疑問を呈している。

こうした言葉に関する論証は安田さんの得意とするところで、非常に説得力がある。ぜひ多くの方に読んでほしい内容だ。


posted by 松村正直 at 19:20| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

畳の部屋に座卓を置いてパソコンを使ったり原稿を書いたりしていたのだが、どうも腰に負担が大きい。またギックリ腰になったら大変だ。

この機会に机と椅子の生活に変えようと、家具店やホームセンターに探しに行ったのだが、適当な机が見つからない。いまさら子ども用の学習机を買うわけにもいかず、困った。

結局、ニトリで60×100センチの天板と金属製の脚を4本購入する。組み立て時間、わずか5分。値段も5000円程度で済み、使い勝手も良い。これで今日からは快適な毎日が送れそうだ。


posted by 松村正直 at 21:17| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする